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荒木田麗女の歴史物語『月の行方』と長門本『平家物語』

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Academic year: 2021

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(1)Title. 荒木田麗女の歴史物語『月の行方』と長門本『平家物語』. Author(s). 雲岡, 梓. Citation. 語学文学, 55: 13-21. Issue Date. 2016. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/8085. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 荒木田麗女の歴史物語『月の行方』と長門本『平家物語』. 雲 岡 梓. 荒木田麗女(一七三二~一八〇六)の歴史物語『月の行方』 は、 百 歳 を 越 え る 老 人 か ら 聞 い た 話 を 書 き 記 す と い う 鏡 物 に. 和歌集などには平家一族その他平家時代の人々の和歌や事. 和歌集とか、新古今和歌集とか、新勅撰和歌集とか、玉葉. 集をはじめ色々の歌の集であります。(略)すなはち千載. 月のゆくへの主要な材料となったのは、第一に平家物語、 源平盛衰記であります。 (略)この平家物語、源平盛衰記. 倣った仮託的構想をとり、高倉天皇・安徳天皇二代の事跡を記. はじめに. 述する。本書の主要な典拠が『平家物語』であることについて. 蹟がしばしば載せられてゐますが、麗女はそれ等の勅撰集. の行方』に与えた影響について考察することを目的とする。. 女が参照した『平家物語』の系統を特定した上で、それが『月. 家物語』の系統は明らかにされていない。そこで、本稿では麗. ます。漢文で書いた歴史の書物としては百錬抄といふ古い. されてゐますが、特に注意すべきは漢文で書いた当時の歴. 次に鎌倉時代の説話集である古今著聞集も二箇所ほど引用. の記事も尠なからず採り入れてゐるのであります。 (略). についで重要な材料となってゐるのは、建礼門院右京大夫. は先学の指摘がすでに備わるが、麗女が資料として用いた『平. 、 『月のゆくへ』 、 『月の行 なお、本書の表記には『月の行方』 衛』の三種が混在するが、本稿においては『月の行方』に統一. 書物がしきりに採られてゐるやうであります。年代記の類. 本書の典拠として『平家物語』『源平盛衰記』 即ち後藤氏は、. るまいかと思ひます。. 帝王編年記なども或は月のゆくへの材料になったのではあ. では群書類従にある皇帝紀抄といふ書物、国史大系にある. 史の書物や年代記の類を材料にした形跡があることであり. する。. 一、 『月の行方』の典拠 治氏は『月の行方』の典拠について、次のように述べ 後藤(丹 1) ている 。. -  - 13.

(3) 『帝王編年記』等の書物を挙げ、 その中でも『平家物語』と『源. 撰和歌集』 『玉葉和歌集』 『古今著聞集』 『百錬抄』 『皇帝紀抄』. 『建礼門院右京大夫集』 『千載和歌集』 『新古今和歌集』 『新勅. の原本を伊豆野タツ氏が透写した昭和写本。 天明三年には、. 丁(遊紙なし)。天明三年以前成立。麗女の夫慶徳家雅筆. 茶色無地表紙。縦十三・四×横十九・四(㎝)。全六十一. 本書には合計一〇二三種もの書物の名称及び冊数が記されて いる。全て同筆で墨付も同一であることから、正確な成立年は. 本書を増補した『書目』が作成される。. 不明であるが、蔵書整理のため、ある時期に家雅が所蔵する書. 平盛衰記』を最も重要な資料としている。 『校註日本文学大系』第一三巻の『月 さらに尾上八郎氏も、 の行方』解題の中で『平家物語』と『源平盛衰記』の重要性を (2). 次のように述べている。. の挙がる書物は、麗女が所蔵し、執筆活動の際に参考資料とし ていた可能性が高い。. 物名を全て書き出したものと考えてよいだろう。即ち本書に名. しかし著者の資料としたものは、猶平家、盛衰記等が主な ものであるのは、当時、他にかく豊富な内容をもつ資料は 少ないので明らかである。たゞ、著者は、これらをよく選. この『要書目』には、先に後藤氏、尾上氏が内容の分析から 『月の行方』の典拠として指摘した書物の名が散見する。そし. 五十 参考源平盛衰記 十二. 参考保元平治 十五. . 武家評林 五十一 奥羽軍記 三 . 三十 本朝通 記 前太平記 廿一. (ママ). の名称が記されている。. て本書三十五丁目表には『平家物語』を含む軍記物語や歴史書. 択し、十分に取捨して、優美高雅の趣致を害さないやうに してゐるのである。 『月の行方』における『平家物語』の重要性に このように、 ついては認識されているが、これまで麗女が参照していた『平 家物語』の本文は特定されていなかった。. 二、 『月の行方』と長門本『平家物語』 実践女子大学・実践女子大学短期大学部図書館には、麗女の 読書範囲を知る上で重要な資料が所蔵される。麗女夫婦の蔵書. . 二十 平家物語評判 . 長府平家物語 . の便宜上、 『要書目』の書誌説明を簡単に記す。. 源氏一統志 十八. )という書である。 目録と目される『要書目』(請求記号: K5187 本書から麗女が参照した『平家物語』の系統が判明する。論述 外題「要書目」題簽左肩。内題「要書目」。一巻一冊。薄. -  - 14.

(4) 鎌倉実記 十七. まず徳大寺実定が福原京から旧都に帰り着いた場面である。. 考源平盛衰記』であったことが判明する。江戸時代に一般に最. 注釈書『平家物語評判秘伝抄』で、『源平盛衰記』は注釈書『参. 爰かしこにあれど、人のけはひなどもせずかすかなり。い. がほに鳴乱れたる、いと哀なり。猶残りゐける人の家ども. いつしか人々の住捨たりし跡は野らとなりて、虫のみ所え. 実定の大将は、めづらしき所の月よりも、なれし古郷の忘 れがたくて、内に御いとま聞え給ひ、忍びておはしたり。. 【月の行方】. も読まれた『平家物語』は刊行された流布本『平家物語』であ. くほどならねど、いたく打荒にけるこゝちして見渡し給ふ。. これを見ると、麗女が所蔵し、参照していた『平家物語』は 『長府平家物語』 、即ち長門本『平家物語』 (以下、長門本)と. る。しかし、長門本もまた近世期において『平家物語』諸本の. (略)大后の宮猶爰に残り居させ給へば、とぶらひ聞え給. (3). 原本と考えられ、知識人に注目されていたことは夙に言及され. 【長門本】. ふ。. ている。. このことから考えると、麗女が入手の容易な流布本『平家物 語』ではなく、長門本『平家物語』を所持していたのは、当時 において考え得る最善本を参照しようとしていた可能性がある。. 都の月を見候ばやと存候、実定、暇を給候なんや」と宣ひ. 此中に、後徳大寺左大将実定、ふるき都を恋て、八月十日 あまりの頃にや、入道の宿所へ行向かひて、「今一度、旧. そして典拠として使用された『平家物語』が長門本であった ことによって、 『月の行方』の歴史物語としての性格が方向づ. ければ、入道、 いつよりも心よげにて、「何か苦しく候べき。 る。. とく〳〵」と有ければ、実定、悦て鞭をあげてぞ上られけ. けられたのではないだろうか。. 三、 『月の行方』と『平家物語』の比較. 【流布本】. 中にも徳大寺の左大将実定の卿は、旧き都の月を恋ひつゝ、 八月十日余りに、福原よりぞ上り給ふ。何事も皆換り果て. . 、流布本『平家物語』の本文を比較する。比較には、上記 語』. て、稀に残る家は、門前草深くして、庭上露滋し。蓬が杣・. (6). 全てに記述される徳大寺実定が福原京から旧都に密かに戻り、. 浅茅が原、鳥の臥戸と荒果てて、蟲の声々怨みつゝ、黄菊. (5). 妹の二代の后、藤原多子のもとを訪ねる場面を用いる。なお、. 紫蘭の野辺とぞ成りにける。. 、その影響を受 『月の行方』が長門本を資料として執筆さ(れ 4) けていることを確認するために、 『月の行方』、長門本『平家物. 引用文中の傍線は論者による。. -  - 15.

(5) 徳大寺実定が旧都を恋偲び、福原京から京を訪ねたという経 緯については三本とも一致する。しかし、以下の場面に記され. 【長門本】. 大将、その夜は、大宮の御所に参らせ給ひ、待宵の小侍従 をぞ訪ね給ひける。(略)大将、年頃、浅からず思ひて通. えぬ思ひの心地して、宵の鐘うち過、遅れ鐘微かに聞けれ. はれけるに、ある夜待わび、狭筵うち払ひ、富士の煙の絶. る 待 宵 の 小 侍 従 と 実 定 の 関 係 性 に お い て、 『月の行方』 ・長門 本・流布本の記述には違いが生じている。. ば、侍従、泣く〳〵かうぞ思続けける、. 【月の行方】. 逗留あらんずらん、と思し召されけれども、八声の鳥も重. と申たりける事を聞し召されてぞ、上様にも、待宵の小待 従とは召されける。(略)たま〳〵の御上なれば、暫く御. 待宵の更行鐘の音きけばあかぬ別の鳥は物かは . て、時々かよひ給ひける。今日もまづそなたに音信給ふ。. なり、東雲やう〳〵明けければ、大将、暇を申て帰られけ. こなたにさぶらふ小侍従の君は、容もこともなく心ばせあ りて、歌などもゆへづきたるふし読出て、人にも心にくき. (略)かくわざとまうで給へるも、多くは此人によりてな. り。御所中の女房たち、御名残を惜しみ参らせ、遥かに見. ものに思はれける。大将もとより見はなたぬものにおぼい. める秋の夜の、げにいとゝく明ぬる心地して、暁の別も常. れ ば、 浅 か ら ぬ さ ま に 語 ら ひ 給 ふ 。 「逢しあへば」といふ. 女もことにいみじき朝けの姿を遥に見送りてたてり。大将. れ給へど、明果なんもはしたなくて、なく〳〵出給へり。. たりつるを、 「 な に と も 言 は で 帰 り た る が、 心 に か ゝ り て. 御供に候ける蔵人を召し、侍従が門送りして、遥かまで出. けれども、 たゞ後へ引き返す心地して、駒も更に進まれず。. そと思ひ知られて哀れなり。大将も、心強くは出給ひたり. 送り参らせ、涙に咽び給ひけり。まして侍従が心中、さこ. もあかずのみおぼいて、かえり見がちなるを、御供なる経. おぼゆるぞや。ゆきて、なに事をも言ひかけて帰れかし」. より身に入て覚え給へば、かたみに袖のみ露けくて休らわ. 尹あはれに心床しう見参らせけるが、立かへり女の打なが. ものかはと君が言ひけん鳥の音の今朝しもいかに悲し  かるらん . 候」と申、. ろに、馬より下りて、「是は大将殿の、『申せ』との仰にて. と、仰られければ、蔵人承て、侍従が泣き居たりけるとこ. めてある所によりて、 物かはと君がいひけん言の葉のけさしもなどか恋しか  るらん 是は大将の通ひ給ふ比、いつの時にか小侍従、 待宵に更行鐘の声きけばあかぬ別の鳥は物かは  と読たりけるを思ひ出てなんきこえけるなめり。. -  - 16.

(6) と申ければ、侍従も泣く〳〵御返事申ける。 待たばこそ深行鐘もつらからめあかぬ別の鳥の音ぞ憂  き 蔵人、六田河原の辺にて追ひ付き参らせたり。大将、蔵人 を待ち得給ひ、 よに嬉しげに思し召したるけにて、「いかに」 と御尋あり。蔵人、 「しか〴〵」とぞ申ける。 「わりなし。 神妙なり」とて、津の国なる、敷の庄をぞ給ける。それよ りしてこそ蔵人をば、 「物かはの蔵人」とも召され、又、 「や さ蔵人」共申けれ。. 物か  はと君が云ひけん鳥の音の今朝しもなどか悲しか るらん. せと候とて、 . き. 女房とりあへず、 待たばこそ更行く鐘もつらからめ帰る朝の鳥の音ぞう . 蔵人走り帰つて、此の由申したりければ、さてこそ汝をば 感けり。其よりしてこそ、物 遣したれとて、大将大に被 レ. かはの蔵人とは召されけれ。. 『月の行方』、長門本『平家物語』では、実定は愛人である 小侍従に会うために大宮多子のもとを訪れている。そして帰り. 際に小侍従が名残惜しそうにしているのを見かねた実定が供の. 【流布本】 近衛河原の大宮計ぞ坐しける。 (略) 今故郷の名残とては、 待宵の小侍従と申す女房も、此の御所にぞ候はれける。抑. 蔵人経尹を遣わせ、経尹は、以前小侍従が実定に対して詠んだ. 恋人である実定に対して詠んだものではなく、大宮から「恋人. 小侍従」という名称のもととなった「待宵の」歌も、小侍従が. て、蔵人を遣って和歌を詠みかけさせただけである。 「待宵の. 一方流布本には、小侍従を実定の愛人とする記述はない。実 定は単に客人が帰る事に名残惜しそうにしていた小侍従に対し. しもなどか恋しかるらん」と詠んだと記される。 . という和歌を踏まえ、「物かはと君がいひけむことの葉のけさ. 「待つ宵にふけゆく鐘の声きけばあかぬわかれの鳥はものかは」. 此の女房を待宵と召されける事は、 或時御前より、 待つ宵・ 帰る朝、何れか哀れは増されると仰せければ、彼の女房、 待宵の更け行く鐘の声聞けば帰る朝の鳥はものかは  召けれ。大将此の レ と申したりける故にこそ、待宵とは被. 女房を喚出でて、昔今の物語どもし給ひて後、小夜も漸更 (略) 行けば、旧き都の荒行くを、今様にこそ被 歌けれ。 レ. 濡ける。 大宮を始め奉りて、御所中の女房達皆袖をぞ被 レ 帰ける。供に候ふ蔵人を召して、侍従が何と思ふやらん、. を待つ宵か、恋人が帰って行く朝か、どちらが趣深いか」と尋. さる程に夜も漸明行けば、大将暇申しつゝ、福原へぞ被. 余りに名残惜しげに見えつるに、汝帰つてともかくも謂ふ. ねられて詠んだ和歌であると説明されている。. レ. てこよと宣へば、蔵人走り帰り、畏つて、是は大将殿の申. -  - 17.

(7) 「待宵の」歌も実定に送ったものとしている。 『月の行方』に. なお、覚一本・延慶本でも、この箇所の記述は流布本と同様 である。長門本のみが二人を恋愛関係であったとし、小侍従の の通りである。. 、『本朝語園』の当該箇所の記述は次 う。 『十訓抄』、『今物語』. 麗女がその全てを所蔵していたことは明らかで、これらも『月 の行方』執筆のための参考資料になっていたと考えてよいだろ. (9). も同様の記述があることから、麗女が長門本を典拠としてこの. 【十訓抄】. (8). 場面を執筆した可能性が高い。. 後徳大寺左大臣、小侍従と聞えし歌よみに通ひ給ひけり。 ある夜、ものがたりして、暁帰りけるほどに、この人の供. (7). ただし『月の行方』には、長門本、流布本とは違い、小侍従 の返歌である「待たばこそ」歌が記されていない。. な り け る 蔵 人 と い ふ も の に、 「いまだ入りもやらで、見送. りたるが、ふり捨てがたきに、立ち帰りて、なにごとにて. も、いひて来」とのたまひければ、「ゆゆしき大事かな」. 寄せに、女の立ちたる前についゐて、 「申せと候ふ」とは、. 四、 『 月 の 行 方 』 と『 十 訓 抄 』 、 『今物語』 、 『本 朝語園』 また、実定と小侍従の間に恋愛関係があったと記述する書物 に は『 十 訓 抄 』 、 『今物語』 、 『本朝語園』があるが、 『要書目』. 左右なくいひ出でたれど、なにともいふべしともおぼえぬ. . り。ある夜物いひて、暁かへられけるに、女の家の門をや. 【今物語】 大納言なりける人、小侍従ときこえし歌よみにかよはれけ. る所などたびたりけるとなむ。. れけり。 「さてこそ、使にははからひつれ」とて、後にし. とばかりいひかけて、やがて走りつきて、「車寄せにて、 かくこそ申して候ひつれ」と申しければ、いみじくめでら. けさしもなどか悲しかるらむ. ものかはと君がいひけむ鳥の音の . に、をりしも里の鶏、声々鳴き出でたりければ、. と思へど、程経べきことならねば、やがて走り入りて、車. 三十丁表にはこれらの全ての書名が記されている。 竹取物語抄( 二 ママ) 解 十八 蜻蛉日記環 十 十訓抄 今昔物語 十五 同後編 十五 今物語 十 後拾遺物語 八 本朝語園 十二 詞林言行集 八 いや世継 二. -  - 18.

(8) ける蔵人に、 「いまだ入やらで見おくりたるが、ふりすて. 此ノ歌ヨリ待宵ノ小侍従ト呼レケリ。八月十五夜、摂州福 原ヨリ旧都ノ月ヲ賞セントテ実定卿此ノ大宮ニ来リ玉ヒ、. 待宵ニ更ユク鐘ノ声キケバアカヌ別レノ鳥ハモノカハ. 侍従トテ歌ヨミヤサシキ女房有ケリ。実定卿ノ思ヒ人ニテ. がたきに、何とまれ、いひてこ」とのたまひければ、 「ゆゝ. 夜スガラ御物語ヲハシマシテ、暁キカヘリ玉フニ、侍従名. りいだされけるが、きと見かへりたりければ、此女名残を. しき大事かな」とおもへども、ほどふべき事ならねば、や. 残ヲシク見送リケルマヽ、実定卿ノ供ナリケル蔵人ニ宣ヒ. ゾアリケル。或夜カナラズト契リ玉ヒケレド、サハル事ア. がてはしり入ぬ。車よせのえんのきはにかしこまりて、「申. ケルハ、立帰リテ何事ニテモ申テ来レト宣ヒケレバ、由々. リテ見ヘ玉ハネバ、更ルマデ待ワビテ、. せと候」とは、さうなくいひ出たれど、何のいふべきこと. おもふかとおぼしくて、車よせのすだれにすきて、ひとり. のはもおぼえぬに、をりしもゆふつけ鳥、こゑ〴〵に鳴出. シキ大事カナトハ思ヘド、休ラフベキ事ナラネバ、ヤガテ. のこりたりけるが、心にかゝりおぼえてければ、ともなり. たりけるに、 「あかぬ別の」といひける事の、きとおもひ. ケサシモイカニ悲カルラン. 物カハト君ガイヒケンコトノハノ . シモ里ノ鳥ノ声シケレバ、. 左右ナク云ヒ出デタレドモ、何ト云フベキトモ覚エズ。折. 走リ入リ車寄ニ侍従ノイマダ立タル前ニ行テ申セト候、ト、. 物か  はと君がいひけむ鳥のねの. いでられければ、 けさしもなどかかなしかるらん とばかりいひかけて、やがてはしりつきて、車のしりにの りぬ。家にかへりて、中門におりて後、 「さても、何とか いひたりつる」 ととひ給ひければ、「かくこそ」 と申ければ、. これらには共通して、実定が小侍従に通っていた折、帰り際 に 小 侍 従 が 名 残 惜 し そ う に し て い た の で、 実 定 の 命 に よ っ て. トバカリ云カケテ頓テ走リ著テ車ノ前ニテ斯コソ申テ候ヒ ツレト申ケレバ、イミジクメデ玉ヒケリ。. 戻って来た蔵人が、以前小侍従が詠んだ「待宵に」歌を踏まえ. いみじくめでたがられけり。 「さればこそ、つかひにはは るとなん。此蔵人は内裏の六位などへて、やさしくら人と. かられつれ」とて、感のあまりに、しる所などたびたりけ いはれけるものなりけり。この大納言も、後徳大寺左大臣. て「物かはと」歌を詠んだと書かれている。これらも『月の行. 末尾に蔵人への小侍従の返歌「待たばこそ」 『月の行方』が、. 方』の記述に影響を与えているだろう。. の御事なり。 【本朝語園】 (略)コノ大宮ニ小 近衛院大后宮ハ後チニ大宮殿ト申ス。 . -  - 19.

(9) 自記事に含まれるだろう。そして『日本古典文学大辞典』の『月 ( (. 歌を載せない点は、これらの作品の記述に倣っていると考えら. の行衛』の項目には内容の特色について、次のように言及され ている。. れる。. 実定と小侍従を恋愛関係とするような、他の平家諸本にはない. 『月の行方』は長門本を主要な参考資料とすることによって、. 麗女が所持し、 麗女の蔵書目録である『要書目』の記述から、 参照していた『平家物語』が長門本であったことが判明した。. て参内途中の基房を襲わせ、乱暴を働いたという話がある。. に恥辱を受けた、これを聞き激怒した清盛は、家来に命じ. 馬するどころか駆けぬけようとしたことから、基房の一行. る。その中に、摂政基房の行列と出会った資盛の一行が下. おわりに. 潤色された挿話を作中に取り込むことになったのである。 また、. この話は、他の歴史書には見えず創作であるとされている。. その主要な資料として『平家物語』や『源平盛衰記』があ げられるが、両書とも元来文学的要素を含む軍記物語であ. この場面については、 『十訓抄』 、 『今物語』 、 『本朝語園』も参. いるために、史実から離れ、いわゆる歴史物語とは同一視. こういう史実でない話を採り上げて、更にそれを潤色して. (. 好に通じる面が色濃く表れている。女性説話を好む傾向が. 挙げ、 『月の行方』の記事は潤色過多であることが指摘されて. 盛衰記』の記述を踏襲し、それをさらに潤色している点を例に. 『玉葉』や『愚管抄』等の一次史 殿下乗合事件の首謀者を、 料の記述に反して重盛ではなく清盛とする『平家物語』 、 『源平. には、長門本の特徴が次のように記され. あり、特に室泊(巻五)などの遊女記事、藤原成親や平維. いる。 『月の行方』がこのような作風になった一因には、恋愛. (. 考資料になっていたと考えられる。. 盛の夫婦のなれそめ譚(巻三、巻一四)が増え、平清盛の. や芸道などの貴族的説話が多くみられ、王朝物語への傾斜が窺. できない。. 娘たち(巻一)や小督(巻一二)はその才色が強調される。. えるという長門本の特性が反映されたことがあるのではないだ. 長門本の表現や内容には、独自記事を中心に室町文芸の嗜. さらに伏見中将(巻一) 、 花秋大納言・吉野尾少将(巻三). 『平家物語大事典』 ている。. といった物語的人物が独自記事に登場する。これら恋愛や. ろうか。他の『平家物語』諸本に見られない長門本の独自記事. がそもそも創作的な側面を持つため、それを資料とした『月の. 行方』がさらに潤色過多なものとなってしまったという経緯が. -  - 20. (1. 芸道などの貴族的説話が多く見られる点に、王朝物語への 実定と小侍従が恋愛関係にあったとの記述は、この長門本の独. 傾斜が窺える。. . (1.

(10) 考え得る。. 注. ─」(『瑞垣』二三、一九九五年六月). 1 後藤丹治「慶徳麗女の歴史物語─月のゆくへを中心として 2 尾上八郎「解題 月のゆくへ」 ( 『校註日本文学大系』第一 三巻『月のゆくへ・池の藻屑・豊鑑・義経記』国民図書株式 会社、一九二六年) 。 3 石田拓也「平家物語諸本の調査 ─特に長門本平家物語に ついて─」( 『日本私学教育研究所紀要』 八、 一九七三年三月) 、 川鶴進一「長門本『平家物語』の本文形成─語り本記事挿入 箇所の検討─」 ( 『国文学研究』一二〇、一九九六年一〇月) 五門─七六一)に拠った。. 4 荒木田麗女『月の行方』は、神宮文庫所蔵本(請求記号: 5 麻原美子・小井土守敏・佐藤智広編『長門本平家物語』二 (勉誠出版、二〇〇四年一一月) 七年三月)但し、私意に表記を改めた箇所がある。. 6 梶原正昭校注『平家物語』巻五「月見」 (桜楓社、一九七. 九七年). 7 『新編日本古典文学全集』五一『十訓抄』 (小学館、一九 8 久保田淳他校注 『今物語・隆房集・東斎随筆』(三弥井書店、 一九七九年五月) 9 孤山居士『本朝語園』 ( 『古典文庫』第四四五冊、一九八三. 年). (東京書籍、二〇一〇年一一月、川鶴 『平家物語大事典』 進一項目執筆). 『日本古典文学大辞典』「月の行衛」項。瀬古まち子項目 執筆。(岩波書店、一九八四年). )による成果の一部である。 16K16757. [付記]本稿は平成二十八年度科学研究費補助金(若手研究B・ 課題番号. -  - 21. 10 11.

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