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雑誌名 国立民族学博物館研究報告

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現代イスラームにおける宗教勢力と政治的対立 :  カイロにおけるアズハル=フセイン複合体とサラフ ィー主義

著者 小杉 泰

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 10

号 4

ページ 959‑1000

発行年 1986‑03‑29

URL http://doi.org/10.15021/00004385

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小杉  現代 イスラームにおける宗教勢力 と政治的対立

現 代 イス ラー ムにお け る宗教 勢力 と政 治 的対 立

カ イ ロ に お け る ア ズ ハ ル ニフ セ イ ン複 合 体 と サ ラ フ ィ ー 主 義

泰 *

Religious Forces and Political Conflicts in Contemporary Islam

—the Azhar-Husayni Complex and the Salafiyyah in Cairo—

Yasushi KosuGI

There is a widely held view which assumes a fundamental conflict between the Islam of the ' Ulamd , an official and elite Islam, and the Islam of the Sufi orders, a popular Islam. It also tends to see "the official Islam" as an instrument in the hands of those in power. But in Cairo, which is without doubt one of the most flourishing centers of the Islamic world and where a field study was carried out in 1977-8, practice does not sub- statiate such a view. There the 'Mama' and the Sufi orders show many signs of co-existence.

What symbolizes the close relationship between the two, both in terms of spatial and social intimacy, is the Azhar-Husayni

Complex, which is situated in the center of old Cairo. The Azhar with its numerous institutions represents the Islam of the ' Ulamd, while the Sufi orders are represented by the Husayn Mosque and the Supreme Council of the Sufi orders. All of these are in one area, measuring about 300 m by 200 m, and constitute one religious center. Here we can recognize many different aspects of inter-relationship and co-existence : the two

Islams, so to speak, have their own hierarchical structures, starting from the top of the pyramid and being merged into the mass without clear borders; furthermore the hierarchies penetrate each other in concrete social terms. Therefore it is simplistic to interpret "official Islam" and "popular Islam" as opposite positions.

* 国 際大 学, 国 立民 族 学 博物 館 共 同研 究 員

  小 稿 は , 国立 民族 学 博 物館 共 同研 究 「イ ス ラー ムの民 族 学 的研 究 」 に お ける 研 究発 表 『エ ジ プ トの イス ラー ム    宗 教 勢 力 と政 治 的対 立 』 (1984年 12.月 9日)の骨 子 を ,発 展 させ た もの で あ る。

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国立民族学 博物 館研究報告  10巻 4号

The Salafi movement represents, in the context of the Egyptian capital in the 1970's, the movements for Islamic revival in a more general sense,- which are in sharp contrast to the traditional attitudes of both the `Ulanzer and the Sufi orders.

Against the situation represented by the Azhar-Husayni Complex, the Salafi movement established its own doctrinal position, with theological and juristic foundations. It is quite wrong to regard their criticism of the traditional position of the (llama' and the Sufi orders as purely political. Here political ideas are in- separable from general Islamic views.

Any serious analysis of Islam in Cairo requires looking carefully into the complex nature of the inter-relationship among these three Islamic forces and their respective relationships with the government and the masses. It is highly probable that the situation in Cairo is unique in the Islamic world, and com- parative studies with other cases are urgently required.

1. 序

i. ウ ラ マ ー 集 団 皿 . ス ーフィー 教 団

W . ア ズ ハ ル =フ セ イ ン複 合 体 V . 現 代 サ ラ フ ィー 主 義 VI. 総 括 と展 望

1 .

 本 稿 に述 べ られ る観 察 は , エ ジ プ トを 中心 とす るマ シ ュ リク (東 方 ア ラブ諸 国) に おけ る政 治 的 な 「イス ラー ム復 興 運 動 」 を調 査 ・研 究 す る過 程 で生 まれ た 。筆 者 の 関 心 は,1970年 代 の 後 半 の エ ジプ トに お いて , イ ス ラー ム的統 治 の復 活 を 標 榜 す る政 治 的 運動 の思 想 ・理 論 ・行 動 に 向 け られ て いた が, それ は当然 ,他 の イス ラ ーム 的 諸勢 力 との比 較 や , これ らの諸 勢力 相 互 間 の浸透 ・対 立 の調 査 ・研 究 を含 む ヒ と とな った。

特 に・ 政 治 的 な律 興 運 動 は1 国 内政 治 の次元 で は政 府 に対 す る激 しい攻 撃 を行 な う と 同時 に, 日常 的 な宗 教 生 活 の次 元 に お いて はス ー フ ィー教 団 や聖 者 廟 にま つ わ る諸 事 に対 して 厳 しい批 判 を 浴 び せ て い た た め ,政 治 に 限定 され な い , よ り一 般 的 な イス ラ ・ 一 ムの諸 問題 の解 明 が 要 求 され る こ とに な った 。 ま た ,徐 々に,政 治的な復興運動 に 対 す る報 告 や研 究 が現 れ る につ れ て , こ う した政 治 的運 動 の 思 想 に対 して , 「復 古 主 義的 」 「伝 統 的」 「保 守 的 」 とい った ,本 来 的 には相 矛 盾 す る形容 が 同時 的 にな され る よ うに な り ,概念 区分 上 の混 乱 が 顕 に な った。 この混 乱 は, 明 らか に ,他 の イ ス ラ ー

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小杉  現代 イス ラームにおける宗教勢力 と政治的対立

ム 的 諸 勢 力 と の 比 較 が な さ れ て い な い た め に 生 じた も の で あ り , そ の 点 で も , 比 較 に よ る 明 確 な 定 義 ・位 置 付 け の 必 要 が 痛 感 さ れ た 。

  一 方 で ま た , こ れ ら の 政 治 的 運 動 が , 政 府 と 結 び つ い た ウ ラ マ ー (ulam a 宗 教 学 者 ) を 批 判 す る た め に , 彼 ら を 「反 体 制 的 イ ス ラ ー ム 」 と し, サ ダ ト大 統 領 に よ る イ ス ラ ー ム 的 シ ン ボ ル の 便 宜 的 な 利 用 DEssouKI  l983:89−92] や 政 府 機 構 に 組 み 込 ま れ 政 府 に 協 力 す る ウ ラ マ ー に 代 表 さ れ る 「体 制 的 イ ス ラ ー ム 」 と 対 置 さ せ る 図 式 が 広 く用 い られ る よ う に な っ た 。 ウ ラ マ ー が , 政 府 の 意 に 添 っ て , あ る い は そ の 政 策 を 支 持 す る た め に , フ ァ トワ ー (律 法 裁 定 ) を , 主 と して 政 治 的 に 発 す る Jcf PETERS

979:106−108] と い っ た 御 用 学 者 的 な イ メ ー ジ は 以 前 か らあ ・り ,「反 体 制 的 イ ス ラ ー ム」 の イ メ ー ジ は , 互 い の コ ン ト ラ ス トを き わ だ た せ る効 果 を も た ら した 。 し か し,

ウ ラ マ ー を 政 府 に 協 調 的 な 人 物 に 限 定 す る の で な け れ ば , こ う し た 図 式 化 は で き な い 。 政 府 と ウ ラ マ ー は 一 身 同 体 で は な く, ま た , ウ ラ マ ー も単 一 的 な 集 団 で は な い 。 「体 制 派 」 の イ メ ー ジ と 共 に , ウ ラ マ ー の 「公 式 イ ス ラ ー ム (othcial lsam )」 と の 表 現 が 時 折 見 ら れ る が , こ れ も , ウ ラマ ー を , 上 級 ウ ラ マ ー の レベ ル に 限 定 し て 理 解 す る こ と に 由 来 す る よ う に 思 わ れ る。 恐 ら く, こ れ らの 図 式 化 は , ウ ラ マ ー に対 す る実 態 的 研 究 が ほ とん ど 存 在 しな い こ と に 端 を 発 して い る の で あ ろ う。 イ ラ ン の シ ー ア 派 ウ ラ マ ー に つ い て は , [AKHAvl  l980]や [FlcHER  1980] の よ う な 優 れ た 研 究 が あ っ て , 上 級 ウ ラ マ ー か ら下 級 ウ ラ マ ー , 学 生 に 至 る ま で の ヒ エ ラ ル キ ー が 明 ら か に さ れ て い る が , エ ジ プ トや 他 の ス ンニ ー 派 の 社 会 に つ い て は 比 類 し う る よ うな 研 究 は 存 在 しな い 1)。 そ の た め , ス ン ニ ー 派 ウ ラ マ ー に お い て は , 何 ら の ヒ エ ラル キ ー も 存 在

しな い か の よ うな 誤 解 す ら あ る。

  政 治 的 運 動 の 担 い 手 た ち の ウ ラ マ ー 批 判 が , 政 府 と の 協 調 と い っ た 政 治 的 次 元 に 限 っ た も の で は な い 事 実 も , 「体 制 的 」 「反 体 制 的 」 の 分 類 の 限 界 を 示 す 。 復 興 運 動 の 主 張 が 社 会 の 種 々 の 領 域 に わ た っ て い る こ と は , 宗 教 的 ・政 治 的 ・社 会 的 側 面 を 包 括 す る イ ス ラ ー ム の 特 殊 な 性 格 c£ AL・A TTAs  1985:47−69] 1こよ って 説 明 さ れ る が , こ の こ と は , 言 い か え る と , イ ス ラ ー ム 内 部 の 諸 勢 力 間 の 対 立 が イ ス ラ ー ム の 根 幹 的 解 釈 に わ た っ て お り , 政 治 的 次 元 の 対 立 を そ れ 自 体 と して 解 消 す る こ.と が 容 易 で は な

い こ と を , 意 味 す る 。

しか し , 一 方 で は , ウ ラ マ ー の イ ス ラ ー ム を 上 記 の よ う に 「公 式 イ ス ラ ー ム 」 とす る 時 に , ス ー フ ィ ー 教 団 に 代 表 さ れ る 「民 衆 イ ス ラ ー ム (popular Isam )」 が 対 立 す 1) [Ecc肌   1984]は , エ ジ プ トの アル =アズハ ル機 構 に関 す る , 欧 文献 の中 で は最 も イ ン フォ

ー マ テ ィヴ な書 で あ る が, ウラマーの研究 とい う点 か らは,それ ほどの貢献を していない。

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国立民族学博物館研究報告  1巻 4号 る も の と して 想 定 さ れ る が , 両 者 が 根 幹 に お い て 対 立 す る二 つ の 単 一 体 で あ る の か 否 か , 疑 問 が 生 じ る 。 少 な く と も , 本 稿 で 取 り 上 げ た 調 査 対 象 に 関 す る限 り, 両 者 の 主 要 な 関 係 は 対 立 的 な も の で は な い 。

  た と え ば El−Zein は , 従 来 の 人 類 学 的 研 究 お よ び 神 学 的 イ ス ラ ー ム が , 共 に , 普 遍 的 で 絶 対 的 な , 単 一 の イ ス ラ ー ム の 存 在 を 前 提 して い る と して 批 判 を 展 開 して い る

EL−ZEIN  l977] が , そ の 分 析 が き わ め て 興 味 深 い もの で あ る こ と は 疑 い を 入 れ な い に して も , そ こ に お い て 神 学 的 イ ス ラ ー ム , ウ ラマ ー の イ ス ラ ー ム , エ リー ト ・イ ス ラ ー ム が 等 視 さ れ て い る点 に つ い て は , 雑 駁 と の 印 象 を 受 け る。 ウ ラ マ ー を そ の ヒ エ ラ ル キ ー の 全 体 に お い て 把 え る な ら ば , 底 辺 部 に お い て は , ウ ラ マ ー と一 般 信 徒 2)

の 区 別 は 判 然 と しな い で あ ろ う し , ま た , ウ ラ マ ー が 自 分 た ち の 理 解 す る イ ス ラ ー ム を 「優 越 的 」 な も の と して , popular Isam を 否 定 して い る と 考 え るべ き 証 拠 が あ る

と も 思 わ れ な い 3》

  以 上 の よ うな 背 景 的 認 識 に 立 っ た 上 で , 本 稿 で は , ウ ラ マ ー と一 般 信 徒 が 共 有 す る

「イ ス ラ ー ム 」一 あ る い は , ウ ラ マ ー と一 般 信 徒 の 接 点 の あ り方     や , ウ ラ マ ー と ス ー フ ィ ー 教 団 が 共 有 す る 「イ ス ラ ー ム」・ あ る い は , ウ ラ マ ー と ス ー フ ィ ー 教 団

の接 点 の あ り方    に 着 目 し, さ ら に , そ う した 「イ ス ラ ー ム 」 に 対 し て , 政 治 的 な 復 興 運 動 の 担 い 手 た ち が , ど の よ う な 批 判 を 加 え て い る か に 注 目 し て , ウ ラ マ ー , ス ー フ ィ ー 教 団 , 復興 運 動 の 3者 (およ び ,政 府 , 一般 信 徒 ) の相 互 関係 につ い て 考察 を 進 め た い 。

  な お , 本 稿 で 用 い ら れ て い る デ ー タ は , 筆 者 が バ ー ブ ・ ア ル =ハ ラ ク (Bab al K halaq)地 区 (地 図 2参 照 ) に 居 を 構 え て 調 査 を 行 な っ た 1977年 当 初 か ら 1978年 夏 に い た る 時 期 の も の で あ る 。 こ の 時 期 は , 中 東 政 治 と 「イ ス ラ ー ム 復 興 運 動 」 の 文 脈 で 言 う な ら ば , 1977年 1月 の エ ジ プ ト 「物 価 暴 動 」 か ら , イ ラ ンで や が て 革 命 に つ な が

る騒 擾 が 開 始 さ れ る ま で の 時 期 に あ た っ て い る 。 エ ジ プ ト国 内 で は , 青 年 層 を 中 心 に , 政 治 的 な 復 興 運 動 の 影 響 が きわ め て 広 汎 に 感 じ られ , そ れ が 間 も な く国 内 の 政 治 的 緊

) 「一 般 信 徒」 は 「民 衆 」 とほ ぼ 同義 と考 え て差 支 え な い 。 しか し,本 稿 で は , ウ ラマ ー を宗   教 的 エ リー トと し, ス ー フ ィー教 団 を民 衆 イ ス ラー ム とす る 区分法 に疑 義 を提 出 して い る ため ,   「民 衆 」 の語 を避 けた 。

) ウ ラマ ー は学 者 で あ るが ゆ え に, 彼 らの書 い た もの や 公 式 の発 言 で そ の思 考 が測 られ る こ と   が 多 いが , 彼 らが 日常 的 な一 般 信徒 との交 わ りの 中で , 教 科 書的 な 発言 を繰 り返 して い る と仮   定 すべ き理 由 は, 何 もな い。 ま た逆 に,大 衆 的 な人 気 が あ って ,一 般 信 徒 向 け の説 教 を きわ め   て 多 く行 な う学 者 に つ いて , そ の説 教 自体 が 彼 の ウラマ ー と して の 内容 を 表 わ して い るか のよ   うに考 え る [LAzARusYAFEH  1983] こ と も誤 りで あ ろ う。 あ る人 間が ウ ラマ ーの位 階 に達 す   る た め には , ウラマ ー に要 求 され る しか るべ き知識 を 獲 得 しな けれ ば な らな い が, それ らの知   識 は一 般 信 徒 に伝 達 さ るべ き もの と は考 え られ て いな い 。 ウ ラマ ー の発 言 は,常 に,彼 らが聴   衆 お よび 聴 衆 と の関係 を どの よ うな もの と理 解 す るか によ って変 化 す る, とい う点 を踏 まえ て   分 析す る必 要 が あろ う。

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小杉  現代 イス ラームにおける宗教勢 力と政治的対立

張 に つ な が って い く, い わ ば過 渡 的 な 時期 で もあ り, そ れ ま で比 較 的 表 面 に現 れ な か った イ ス ラー ム的諸 勢 力 の動 向 が, か な り明 確 に把 握 しう る状 態 にあ った と言 え よ う。

l. ウ ラ マ ー 集

  エ ジ プ トに お け る ウ ラ マ ー は , ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 を 中 心 と し て , 集 団 を 形 成 して い る。 ア ル =ア ズ ハ ル は 一 般 に , 「ア ル =ア ズ ハ ル 大 学 」 と 表 現 さ れ る こ と が 多 い が , こ れ は 誤 解 を 生 み や す い 。 ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 4)は 大 学 そ の も の で は な い 。 大 学 は , ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 の 一 部 で は あ る が , 中 心 的 な 役 割 を 担 っ て い る わ け で も な い 。 特 に 今 日 に お い て は , ア ズ ハ ル 大 学 は , 国 立 大 学 の 一 つ で あ り , 伝 統 的 な 教 科 の 存 在 を 除 け ば , 他 の 大 学 と さ ほ ど 変 わ り は な い 。 政 府 の 定 め る教 育 ガ イ ドラ イ ン の 統 制 下 に あ る 点 で も , 同 様 で あ る。 ま た , か つ て の ア ル =ア ズ ハ ル に お い て も , そ の 教 育 機 能 を 過 大 視 す る こ と は で き な い 。  ア ル =ア ズ ハ ル の 存 在 理 由 は ウ ラ マ ー 集 団 を 擁 して い る 点 に あ っ た の で あ り , ウ ラ マ ー の 存 在 理 由 は そ の 学 術 的 ・社 会 的 ・政 治 的 役 割 に あ っ た と 考 え られ る 。 教 育 と は , そ う し た ウ ラ マ ー の 自 己 再 生 産 の 過 程 で あ って , 副 次 的 必 要 物 に す ぎ な い 5》

  970年 の フ ァ ー テ ィ マ 朝 に よ る モ ス ク 建 設 か ら1960年 代 ま で の ア ル =ア ズ ハ ル の 歴 史 に つ い て は , [DoDGE  l961;ClARA AH  l968] に 詳 し い 。 しか し, 1000年 余 に わ た る そ の 歴 史 の う ち , 本 稿 に か か わ り が あ る の は , 現 在 の 機 構 と , そ の 前 史 に あ た る 部 分 の み で あ る か ら , 以 下 に , そ れ を 概 述 す る 。

(1)  近 代 に お け る 「改 革 」

  現 状 の ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 が 形 成 さ れ て き た 過 程 は , 一 般 に 「ア ル =ア ズ ハ ル 改 革

(Isla垣 al−Azhar)」 と 呼 ば れ る一 連 の 行 政 措 置 ・組 織 化 と して 把 え られ る 。 そ れ は , 中 世 的 な 体 制 を 近 代 的 な も の に 転 換 さ せ よ う とす る と 同 時 に , 国 家 権 力 と 拮 抗 関 係 を 保 っ て き た ア ル =ア ズ ハ ル を 国 家 の 支 配 下 に 組 み 入 れ よ う と す る 動 き と , そ れ に 対 す

る 抵 抗 に よ って , 織 り な さ れ て い る 。

4) 「アル=アズ ハ ル機 構 」 は, 筆 者 に よ る命 名 で, これ に 厳密 に対 応す る ア ラ ビア語 は 存在 し   な い 。ア ラ ビア語で は, 全 体 の 呼称 と して は, 単 に 「ア ル=アズ ハ ル (al−Azhar」 とす る か ,   「ジ ャー ミウ ・アル=ア ズハ ル (Jamial・Azhar)」 が 用 い られ る 。 後 者 は 「アル=ア ズハ ル ・モ   ス ク」 の 意 で あ るが , この場 合 の モス クは建 物 を 指 す わけ で は な く,組 織 機 能 な どの 全体 が   含 意 され て い る。 な お, 本稿 で は, 全体 が意 味 され て い る場合 に は 「ア ル=アズ ハ ル」 と定 冠   詞 を 付 し, そ れ以 外 で は 「ア ズハ ル総 長 」 の よ う に定 冠詞 を省 略 した。

5) これ は , 教 育 の社 会 的 役割 , あ る い は エジ プ トの 教 育 にお け る ア ル=アズ ハル の 役割 を 否 定   す る もので はな い。 た だ , こ こで はあ くま で ウ ラマ ー 自体 に力点 が 置か れて いる 。

      963

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国立民族学博物館研究報告  1巻 4号

  要 約 す る な ら ば , ア 〜レ=ア ズ ハ ル が 独 立 的 な 存 在 か ら 国 家 機 関 に 組 み 込 ま れ る ま で に , 5回 の 大 き な 契 機 を 経 て い る 6) (以 下 , Appendix 年 表 を 参 照 )。

  18世 紀 か ら19世 紀 初 め に か け て が , ウ ラ マ ー の 権 勢 の 絶 頂 期 で あ っ た 。 彼 ら は 大 衆 の 信 頼 を か ち え て お り, そ の 大 衆 へ の 影 響 力 ゆ え に , 権 力 者 た ち も 彼 ら に 敬 意 を 払 っ て い た [AL−SAYYID M ARsoT  l968a:264−266]。 当 然 こ の 時 期 に は , ウ ラ マ ー は 自 分 た ち の 間 の 問 題 を 独 自 に 決 定 す る力 を も っ て お り , ウ ラマ ー の 最 高 位 と言 う べ き ア ズ ハ ル 総 長 (シ ャ イ フ ・ア ル =ア ズ ハ ル Shaykh al−Azhar) も 彼 ら の 間 の 互 選 に よ っ て 決 め られ て い た 。 こ う した ウ ラ マ ー の 力 は , ム ハ ン マ ド ・ア リー 王 朝 が 成 立 し, 権 力 を 確 立 す る に従 って , 制 限 さ れ て い く。 最 初 の 打 撃 は , 1870年 に , ア ズ ハ ル 総 長 と ヘ デ ィ ー ヴ ・イ ス マ イ ー ル の 間 の 対 立 か ら起 こ っ た 。 ヘ デ ィ ー ヴ が , オ ス マ ン朝 カ リ フ の 代 理 人 と の 資 格 で ,総 長 を 解 任 し た の で あ る [AD−D us百Qi  l980:41−42]。 こ れ に よ っ て , 総 長 職 の 終 身 制 が 崩 壊 し , 互 選 制 度 は 存 続 し て い る も の の , 総 長 の 権 力 は や や 不 安 定 な も の と な っ た 。

  次 に , ム ハ ン マ ド ・ア ブ ド ゥ (1849− 1905) に よ る改 革 が 重 要 で あ る 。 1895年 2月 3 日 の 勅 令 に よ る ア ズ ハ ル 運 営 評 議 会 (M ajls Idarah al−A zhar) の 設 置 に よ っ て , ア ル =ア ズ ハ ル は 本 格 的 な 行 政 的 組 織 化 の 道 を 歩 み 始 め る が , こ れ は独 立 性 喪 失 の 第 一 歩 で あ っ た [AD−D ustgi  l980:21−23]

  さ ら に , 1911年 に , 大 ウ ラマ ー 組 織 (H ay ah K ibar al−U lam a ) が 設 立 さ れ る と , ウ ラ マ ー の 組 織 化 と規 制 が 進 行 す る 。

  ウ ラ マ ー は , ナ ポ レオ ンの 遠 征 の 際 の 抵 抗 の 先 頭 に 立 ち , ま た 外 国 支 配 に 反 対 す る ア ラ ー ビ ー 運 動 1881− 1882) に 参 加 す る が , こ う した 積 極 的 な 政 治 的 コ ミ ッ トメ ン トは ユ919年 革 命 を も って 終 了 し, 1927年 に は , つ い に , 総 長 の 互 選 権 を も失 う こ と に な る 。 こ の 時 , 首 相 に よ る 指 名 ・国 王 に よ る 任 命 権 が 確 立 す る 。 こ の 任 命 権 は , 1952 年 の 「ナ セ ル 革 命 」 に よ っ て , 国 王 か ら共 和 国 大 統 領 の 手 に 移 行 す る 。 こ の よ う に し

て , ウ ラマ ー の 自 治 権 は 失 わ れ る 。

  さ ら に , 最 終 的 な 改 革 は , 1961年 に訪 れ る 。 こ の 改 革 は , ア ル =ア ズ ハ ル の 完 全 な 再 組 織 化 で あ り , い わ ば ア ル =ア ズ ハ ル を 「国 有 化 」 す る も の で あ った [CREC肌 lus

1966:44]。

  以 上 の よ う な 改 革 に よ っ て な さ れ た 変 化 を 中 世 的 な 体 制 か ら近 代 的 組 織 へ の 再 編 と い う観 点 か ら見 る な ら ば , 4つ の 特 徴 を あ げ る こ と が で き る。

6) 改 革 の た め の 法 律 は , 1872年 か ら1936年 の 間 に , 16の 法 が 公 布 さ れ て い る 。 詳 細 に つ い て は ,

BIN SALAMoN  1980:91−98]を 見 よ 。

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小杉  現 代イス ラームにおける宗教勢力 と政治的対立

  ① 財 政 的 に は , ワ ク フ (寄 進 ) 財 産 に よ る 維 持 , す な わ ち財 政 的 独 立 の 状 態 か ら,

国 家 財 政 の 一 部 に 吸 収 さ れ る に 至 っ た 。 19世 紀 初 頭 に は , ウ ラ マ ー の 中 に は き わ め て 富 裕 と な る も の も あ り [AL−SAYYID M ARsoT  n.d.:314−315], ま た , 当 時 ウ ラ マ

ー が 管 理 して い た ワ ク フ 財 産 の 土 地 は

, 全 耕 地 の 5分 の 1 に 及 ん で い た [AL−SAYYI M ARsoT ・1972:153]。 しか し, そ の 後 の 歴 史 , 特 に 今 世 紀 に 入 っ て か らは , ワ ク

フ 財 産 の 制 限 ・解 体 が 漸 進 し [BAER  l969:79−92], 1961年 の 「国 有 化 」 を も って , 半 独 立 に も 終 止 符 が 打 た れ た 。

  ② 内 部 組 織 を 見 る な ら ば , か つ て は , 頂 点 に 立 つ ア ズ ハ ル 総 長 に 権 限 が 集 中 し, そ れ を 補 佐 す る 組 織 は 存 在 し な か っ た 。 ま た 下 部 機 構 と して は , 学 派 ム フ テ ィ ー 制 と リ ワ ー ク制 が 採 られ て い た 。 つ ま り , ム フ テ ィ ー (m ufh 律 法 裁 定 官 ) は 法 学 者 の 最 高 位 で あ る が , こ れ を 4大 正 統 学 派 の そ れ ぞ れ に 立 て , そ の 下 に ウ ラ マ ー を 束 ね , 学 生 に つ い て , 民 族 , 出 身 地 , 学 派 の い ず れ か に 応 じ て 特 定 の リ ワ ー ク (riwaq回 廊 ) に 居 住 させ ,  リワ ー ク の 長 で あ る ウ ラ マ ー の 指 揮 下 に服 さ せ る 方 式 で あ る 。  リ ワ ー ク は か つ て 26存 在 し, そ の う ち 10が エ ジ プ ト人 , 16が 非 エ ジ プ ト人 を 対 象 と して い た

[M AHER  l967:21−22]。 今 日 で は , 若 干 の リワ ー ク が 学 寮 の 形 で 残 存 して い る の み で , こ う し た 制 度 は す べ て , 近 代 的 な 「官 僚 機 構 」 に 置 き 換 え ら れ て い る 。 国 際 関 係 の 拡 大 の た め もあ っ て [c£ IsRAELI  1984:68], そ の 機 構 と業 務 は , か つ て と比

べ も の に な ら な い ほ ど複 雑 化 した と言 え る。

  ③ 前 項 の 学 派 ム フ テ ィ ー 制 も そ の 1つ で あ る が , か つ て は , 学 派 間 の 均 衡 を は か る こ と が 原 則 と さ れ て い た 。 た と え ば , 1911年 に 設 立 さ れ た 「大 ウ ラ マ ー 組 織 」 の 場 合 , メ ン バ ー 30名 は , 学 派 別 に , 次 の よ う に 配 分 が 定 め られ て い た [AD−D usUgi  l980:

311。

  ハ ナ フ ィ ー 派        11名   シ ャ ー ブ イ イ ー 派     9名   マ ー リキ ー 派        9 名   ハ ンバ リー 派         1名

こ れ は , 均 分 の 原 則 で は な く , 実 勢 及 び 歴 史 的 経 緯 に 応 じた 配 分 で あ る 。 [DODGE 1961:162] に よ れ ば , 1892年 の 学 生 数 は , 上 記 の 4学 派 に つ い て , そ れ ぞ れ , 1,774 人 , 3,941人 , 2,508人 , 36入 とな っ て い る 。 ハ ナ フ ィ ー 派 の 優 位 に つ い て は , こ れ が オ ス マ ン朝 の 公 式 学 派 で あ っ た こ と を 考 慮 し な く て は な ら な い 。

  現 在 で は , 学 派 均 衡 の 原 則 は 顧 み られ な く な っ て い る 。 一 つ の 理 由 は , 近 代 的 組 織 が , ウ ラ マ ー 間 の バ ラ ン ス よ り も , 実 務 的 ・行 政 的 能 力 に注 意 を 払 う こ と に あ る が , 965

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国立民族学博物館研究報告  10巻 4号 そ れ 以 上 に , 前 世 紀 末 以 来 の 「イ ス ラ ー ム 改 革 」 の 営 為 の 中 で , 学 派 を 前 提 と して イ ス ラ ー ム を 考 え る 伝 統 が 弱 体 化 し た こ と の 影 響 が 強 い で あ ろ う [c£ 小 杉   1985]。

  ④ 教 育 の あ り方 も , か つ て の ヒ ル カ (hiqah)制 ・ イ ジ k一 ザ (埴 zah)制 か ら,

近 代 的 学 校 シ ス テ ム へ と変 化 し た 。 ヒル カ と は , 教 授 を 中 心 と した 輪 座 で , か つ て は モ ス ク の 中 で , 学 生 が そ う した 輪 座 に 自 由 に 出 席 し て , 実 際 に そ の 学 問 を 修 得 した と 教 授 が 認 め た も の に の み イ ジ ャ ー ザ (「免 許 」) が 与 え ら れ る 方 式 で あ っ た 。 19世 紀 に お け る転 換 点 は , 1872年 の 「ア ー リ ミ ー ヤ 」 試 験 の 導 入 で あ り, 最 終 的 な 国 民 教 育 シ ス テ ム へ の 統 合 は 1961年 の 改 革 に よ る が , こ う した 変 化 の 背 景 に は , 1871年 の ダ ー ル

・ア ル =ウ ル ー ム 学 院 (Dar al−U IUm ) の 創 設 に よ っ て , ア ル =ア ズ ハ ル の ア ラ ビ ア 語 学 ・イ ス ラ ー ム 学 に 対 す る独 占 が 破 られ た [A ROIAN I983:60] こ と が あ る こ と を 忘 れ て は な ら な い で あ ろ う 7

  凍 に , 以 上 の よ う な 経 過 を 経 た の ち の , 現 在 の ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 に つ い て , 記 述 す る 。

(2)  ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 の 現 状

  図 1 に 示 さ れ て い る ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 は , 公 式 的 な 組 織 図 そ の も の で は な く, そ れ に 機 能 や 実 態 的 な 権 力 関 係 と い っ た も の を 盛 り込 ん だ も の で あ る が , 機 構 全 体 の 頂 点 に は , ア ズ ハ ル 総 長 が 立 つ 。 そ の 任 命 権 は 共 和 国 大 統 領 に あ り , 国 内 的 に は , 閣 僚 と 同 格 と さ れ る 。 俗 に 「宗 教 相 」 と 訳 さ れ る , ワ ク フ 及 ア ズ ハ ル 問 題 相 は , 閣 僚 で あ る が , 宗 教 的 文 脈 で は , ア ズ ハ ル 総 長 の 格 に 及 ば な い 。 ワ ク フ相 か ら横 す べ り で ア ズ ハ ル 総 長 に 着 任 す る ケ ー ス は珍 し く な い が , そ の 逆 は な い 。 ア ズ ハ ル 総 長 は , 「大 イ マ ー ム (Al−lm am  a1−Akbar)」 と も 呼 ば れ る 。

  ア ズ ハ ル 総 長 が 議 長 と して 主 宰 す る ア ズ ハ ル 最 高 評 議 会 A l−M ajl a1−A la l−1 Azhar)が 機 構 全 体 の 最 高 意 志 決 定 機 関 で あ る

。 総 長 以 外 の メ ンバ ー は , 総 長 代 理

W ak五l a1・A zhar), 大 学 学 長 ,各 学 部 長 ,イ ス ラ ー ム 研 究 院 の ウ ラ マ ー 4 名 及 び 同 事 務 局 長 , ワ ク フ ・教 育 ・法 務 ・大 蔵 の 各 省 次 官 ま た は 次 官 補 , 全 国 学 校 局 長 , そ の 他 の 教 育 専 門 家 3名 と な っ て い る [CREc肌 lus  l966:45;AL−BAHi eal. 1964:479−

483]。

7) エ ジ プ トの 教育 制 度 か ら見 れ ば , 19世紀 まで の アル=アズ ハ ル に よる 独 占か ら, 国民 教育 体   系 の併 存 ・発 展 , さ らに それ へ の ア ル=アズ ハ ルの 再統 合 (961年 ) とい う過 程 と な る。 前 述   の よ う に, アル=ア ズハ ル機 構 に と って の教育 とは , ウラマ ー の 自 己再生 産 過 程 に ほか な らず ,   そ れ が 国家 に管理 され る こと は重 要 な意 味 を持 つ 。一 般 的 に言 って , ウ ラマ ーの位 階 に達 す る   ま で の全 教 育 期 間 は25年 以 上で あ るか ら, 新 しい シス テ ムの 中 か ら尚 ウ ラマ ーが誕 生 す る とす   れ ば , それ は1980年 代 後半 以 降の こと であ り, この 点 に今 後 注 目 して い く必 要 が あ る。

966

(10)

         図 1  ア ル = ア

1979年 の イ ス ラー ム研 究 院発 行 の 組織 図な どを 参 考 に ,「筆 者 作 成 )

(11)

国立民族学博物館研究報告  10巻 4号   総 長 及 び 最 高 評 議 会 の 直 属 の 機 関 が ア ズ ハ ル 総 庁 (ldarah al−Azhar)で あ る 。 い わ ば , ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 全 体 の 心 臓 部 と考 え られ る 。 ア ル =ア ズ ハ ル の 存 在 理 由 を ウ ラ マ ー 集 団 とす る な ら ば , そ れ を 組 織 的 に 体 現 して い る の は , イ ス ラ ー ム 研 究 院

M ajm a alBabUth al−lslam iyah)で あ り , エ ジ プ ト政 府 に プ レス テ ー ジ を 与 え て い る の が , こ れ が 主 催 す る 世 界 ウ ラ マ ー 会 議 (M u tam ar al・U lam a alM uslm in)

で あ ろ う。

  一 方 で , ア ル =ア ズ ハ ル を 象 徴 す る の は , モ ス ク で あ り , こ れ は 常 任 の イ マ ー ム (導 師 ) に よ って 総 括 さ れ る。 モ ス ク 内 に は , フ ァ トワ ー 委 員 会 (Lajnah alFatwa)が あ り , イ ス ラ ー ム 法 の 解 釈 に つ い て , 世 界 的 な 権 威 を 誇 っ て い る。 委 員 会 形 式 に 組 織 さ れ た の は 1935年 で あ る [AD−DusV2i  l980:84]が , 1895年 11月 か ら1978年 8月 ま で の 間 に , 歴 代 14人 の ム フ テ ィ ー に よ っ て , 58,738件 の フ ァ トワ ー が 出 さ れ て い る

[ABDUH eal  1980:34−35]。

  全 国 的 な ネ ッ 5ワ ー ク と して の ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 を 束 ね る 機 関 と して は , 2つ あ る 。 教 育 に 関 して は , 全 国 学 校 当 局 が 各 地 の 中 ・高 校 を 管 轄 し, 大 学 レ ベ ル で は , 学 長 を 中心 と す る大 学 評 議 会 が , カ イ ロ の 本 校 , タ ン タ 市 や ア シ ュ ー ト市 に お け る 分 校 を 掌 握 して い る。一 方 ・宗 教 活 動 に つ い て は ,教 導 局 (q im  alW a 孝w a al−Irshad)

が 全 国 の モ ス ク に 導 師 や 説 教 者 (wa i4)を 派 遣 す る と 同 時 に , 彼 らに 対 し て 一 般 信 徒 の 教 導 に 関 して , 指 導 ・研 修 な ど を 行 な っ て い る 。 全 国 に 3,000を 越 え る 政 府 管 轄 の モ ス ク が あ る [BERGER  l970:17−18]が , 建 物 と して の モ ス ク は , ワ ク フ省 モ ス ク 局 の 管 轄 で あ り , 両 者 の 協 力 の も と に , モ ス ク の 物 的 ・人 的 側 面 が 維 持 さ れ て い る と 言 え る。

  さ て , こ う した ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 に お け る ウ ラ マ ー の 位 置 は い か な る も の で あ ろ う か 。 ウ ラ マ ー と は , 「ア ー リム (alm 知 識 を 持 つ 者 )」 の 複 数 で あ り, 元 来 , 職 業 で は な い 。 従 っ て 生 計 を 立 て る た め に は , 何 ら か の 職 に 就 か な く て は な らな い 。 裁 判 官 へ の 道 は , 裁 判 制 度 の 世 俗 化 に よ っ て 閉 ざ さ れ , ま た , 著 述 も , エ ジ プ トの 出 版 状 況 に お い て は 十 分 な 収 入 を も た ら し う る も の で は な い 。 従 っ て ,教 職 に 就 く か , ア ル =

ア ズ ハ ル 機 構 (お よ び ワ ク フ 省 ) に お い て 何 ら か の 地 位 を 得 る こ とが , 現 在 の 一 般 的 な あ り方 と な っ て い る 。

  も ち ろ ん , 「在 野 」 の 高 名 の ウ ラ マ ー も存 在 す る が , 同 時 に , 上 級 ウ ラマ ー と 認 め ら れ た 者 の み が 占 め る ポ ジ シ ョ ン と して 知 ら れ て い る も の が あ る 。 そ の ポ ジ シ ョ ン に 就 く こ と で , そ の 人 物 が 上 級 の ウ ラ マ ー の 一 員 で あ る と理 解 さ れ る地 位 は 次 の よ う な も の で あ る    第 一 に , 総 長 。 次 に , ム フ テ ィ ー (た だ し, 法 学 者 の み )。 そ の 次 に ,

968

(12)

小杉   現 代イスラームにおける宗教勢力 と政治的対立

ワ ク フ相 , 並 び に , ア ズ ハ ル ・モ ス ク の 常 任 の イ マ ー ム が 位 置 す る 。 ワ ク フ相 は 非 ウ ラ マ ー が 着 任 す る こ と もあ り , そ の 場 合 は こ の 位 階 に 含 ま れ な い 。 大 学 学 長 は イ マ ー ム と 同 格 か , や や 下 と考 え られ る (な お , 学 長 の 任 命 は 総 長 で は な く, 大 統 領 の 権 限 )。

以 上 が 頂 点 を 形 成 す る とす れ ば , 大 ウ ラ マ ー の 格 と して は , イ ス ラ ー ム 研 究 院 メ ンバ , 大 学 学 部 長 , フ ァ トワ ー 委 員 会 メ ンバ ー , 教 導 局 長 , 全 国 学 格 局 長 , な ど が あ げ ら れ る 。 ま た , イ ス ラ ー ム 研 究 院 事 務 局 長 も こ の ラ ン ク に 含 ま れ る が , こ の 職 は 実 務 上 も 重 要 で , 総 長 職 に 至 る コ ー ス の 一 つ と さ れ て い る 8)

  以 上 が 大 ウ ラ マ ー の 就 く ポ ジ シ ョ ソ と す れ ば , 中 堅 ウ ラ マ ー層 と し て は , 大 学 教 授 陣 , 主 要 モ ス ク の イ マ ー ム , ハ テ ィ ー ブ (khatib 説 教 者 ) な ど が あ げ られ る 。 主 要 モ ス ク で の 金 曜 日 の 説 教 は 重 要 で あ る が , 中 で も , フ セ イ ン ・モ ス ク (次 節 参 照 ) の 説 教 は ラ ジ オ で 全 国 に 放 送 さ れ る。 さ らに 下 に は , マ ー ズ ー ン (m a dhtn 法 定 登 記 人 9)), 一 般 モ ス ク の イ マ ー ム , 教 導 局 派 遣 の ワ ー イ ズ な ど が 位 置 付 け られ る 。 こ の ク ラ ス に な る と , 一 般 信 徒 と の接 触 が 日 常 的 と な る。 こ の 下 の ク ラ ス に属 す る小 モ ス ク の イ マ ー ム , カ ー リ ウ (qari ク ル ア ー ン講 唱 者 ), ワ ク フ 省 や ア ズ ハ ル 総 庁 の 書 記 , さ ら に モ ス ク の 管 理 ・維i持 を 行 な う ム ラ ー ヒ ズ (m ulabiz), ハ ー デ ィ ム (khadim )と

も な れ ば , も は や ウ ラ マ ー で あ る と も言 い 難 く, 一 般 信 徒 と の ボ ー ダ ー 上 に位 置 し て い る 。 し か し, 一 般 信 徒 の 日常 生 活 に お い て は こ う した ク ラ ス の 人 々 が 大 き な 役 割 を 果 た し て お り, こ の 水 準 に お け る 「ウ ラ マ ー の イ ス ラ ー ム 」 は 決 して 軽 視 で き る も の で は な い 。

  ウ ラ マ ー の 下 層 に お け る 一 般 信 徒 と の 交 流 は 当 然 で あ る が , ア ル =ア ズ ハ ル 機 構 に 即 して 見 れ ば , 一 般 信 徒 と の 接 点 は 3個 所 あ る。 第 1 に , 教 導 局 が イ マ ー ム , ワ ー イ ズ を 派 遣 して い る モ ス ク で あ る 。 第 2 に , ア ズ ハ ル ・モ ス ク で あ る 。 こ こ で は , 中堅

ウ ラ マ ー が 説 教 を 行 な い , ま た , 金 曜 日 な ど に は , 大 ウ ラマ ー が 講 話 を 行 な う こ と も あ る 。 モ ス ク で あ る か ら誰 で も 参 加 で き , 問 答 形 式 で 一 般 信 徒 の 疑 問 に 答 が 与 え ら れ る こ と も 多 い 。

  第 3 は , フ ァ トワ ー 事 務 所 で , こ こ で は フ ァ トワ ー 委 員 会 に 名 を 連 ね る 高 名 な 法 学 者 が 一 日 中 , 一 般 信 徒 の 質 問 を 受 け つ け る 。 所 在 は ア ズ ハ ル ・モ ス ク の 内 部 で , か な り 大 き な 広 間 が あ り , 常 時 2〜 3名 の 法 学 者 が 応 対 して い る 。 一 般 信 徒 は , 広 間 の 両 側 に 並 べ ら れ た 椅 子 に腰 か け て 順 番 を 待 つ よ う に な っ て い る 。 神 学 的 な 問 題 や 純 法 理 8) た とえ ば, 本稿 の調 査 期 間 中 に総 長で あ った Shaykh Abd al耳alm M ahmUd も, その 後

を 継 い だ Shaykh Abd ar−Rahman Biarも, こ の職 を経 験 して い る。

9) 各 地 区 ご とに 法務 省 の 代行 者 と して任 命 され てお り, イ ス ラー ム法 に立 脚 して 行 な うべ き,

結 婚 , 離婚 , 遺 産 相続 な どに つ いて 司 る。

      969

(13)

国立民族学博物館研究報 告  10巻 4号 論 的 な 質 問 は ほ と ん ど な く , 離 婚 や 遺 産 問 題 , 乳 母 子 関 係 に 関 す る こ と が 多 い と の こ

と で あ る が 10), 筆 者 の 観 察 で は さ な が ら人 生 相 談 の よ う に思 わ れ た 。

  ウ ラ マ ー と 一 般 信 徒 の 親 近 性 は , 部 分 的 に は ウ ラマ ー の 出 身 階 層 に よ る も の で あ ろ う。 19世 紀 の ア ズ ハ ル 総 長 た ち の 出 身 を 調 査 す れ ば , 「指 導 的 ウ ラ マ ー は 農 民 の 出 身 で あ る」 [AL−SAyylD M ARsoT  l972:157] こ とが わ か る し , 全 般 的 に 言 っ て , 「彼 ら は 大 半 , 貧 困 階 層 と 中 農 層 の 出 身 で あ っ て , 都 市 富 裕 層 の 出 身 は き わ め て 稀 れ 」

AD−D USUQi  1980:69]な の で あ る 。

皿 .  ス ーフィ ー 教 団

  ス ー フ ィ ー 教 団 は , 草 創 期 の 指 導 者 た ち の 名 を 冠 した 主 要 な 流 れ が , 時 代 と共 に 分 岐 し, 多 く の 独 立 し た 教 団 を 形 成 して い く [cf. TRIMINGHAM  1971: 31−66] が , An−N ajar[1978] は , エ ジ プ トに お け る主 要 な 教 団 の 系 列 と して , リ フ ァ ー イ ー 系 ,

Ar−R ifniyah), カ ー デ ィ リー 系 (AlQ adiryah), バ ダ ウ ィ ー 系 (A l−Badawiyah),

シ ャ ー ズ ィ リー 系 Ash−Shadhiyah), ドス ー キ ー 系 A d−Dusaqiyah) を あ げ て い る。 バ ダ ウ ィ ー 系 列 と ドス ー キ ー 系 列 の 創 設 者 は エ ジ プ ト人 で あ り , シ ャ ー ズ ィ リー 系 の 創 設 者 は 西 方 か ら エ ジ プ トに 移 住 し て 教 団 を 確 立 し, そ の 墓 は エ ジ プ ト国 内 に あ

る 。

  こ れ ら の 諸 系 列 に 属 す る 数 多 くの 教 団 の 個 々 の信 条 や 儀 式 の 内 容 な ど は , 本 稿 が 取 り扱 う問 題 で は な い 。 こ こ で 重 要 な こ と は , と り あ え ず , 次 の 3点 に 要 約 さ れ る 。   ① これ らの 教 団 が エ ジ プ トに お い て , き わ め て 広 範 囲 に 広 が っ て お り, 厳 密 な 意 味

で の メ ンバ ー に 限 ら ず , 多 くの 一 般 信 徒 を 教 団 の 周 辺 人 口 と し て か か え て い る こ と。

従 っ て , 「神 秘 主 義 」 の 語 が 示 唆 す る よ り も は る か に 開 放 的 で あ り , 社 会 的 影 響 力 も 大 き い こ と 。

0) 若 干 古 い統 計 で あ る が, 1963年 の 場 合 ,鄧 送 を含 めて 2148の質 問が 寄 せ られ , フ ァ トワー事  務 所 は約2000の返 答 を行 な って い る。 そ の 内容 別 の 内訳 は ,

   離 婚         30    遺 産 問題      35    乳 母 子 関係     15    そ の 他一一般     20

  とな って い る [AL・BAHraJ. 1964:356]。

   次 に,筆 者 の採 取 した質 問 の 中か ら一例 を あ げ る。

      「私 (男性 ) の 父 が再 婚 い た しま して , 新 しい妻 (=イス ラー ム法 で は 「義 母 」 に な らな     い =筆者 ) に は連 れ子 の 娘 が お りま す。 この娘 は, 前 夫 との 間 に で きた 子 で, 私 と彼 らの     間 には 血 のつ な が りはあ りませ ん 。 私 は この 娘 と結婚 した い ので す が, 合 法 (ba1ゑ1)で し      ょ うか」

970

(14)

小杉  現代 イス ラームにおける宗教勢力 と政治 的対立

  ② これ ら の 教 団 は , そ れ ぞ れ は 独 立 し た 組 織 で あ る が , 後 述 の よ う な い くつ か の 例 は 別 と して , 全 般 的 に は , ス ー フ ィ ー 最 高 評 議 会 (Al−M 勾laS−Sifi al−A la) の 傘 下 に あ る こ と 。 こ れ も , ア ル =ア ズ ハ ル の 場 合 と 似 て , 19世 紀 か ら現 在 に 至 る , 政 府

に よ る統 制 ・組 織 化 の 面 を 強 く持 っ て い る こ と 。

  ③ 他 の イ ス ラ ー ム諸 国 の 場 合 と同 様 に , ス ー フ ィ ー 教 団 の 存 在 は , 聖 者 の 存 在 を 前 提 と し, い ず れ の 教 団 も何 ら か の 聖 者 廟 を 有 して い る こ と。 そ こ で は , 聖 者 廟 詣 で な ど の 「聖 者 尊 崇 11」 の 現 象 が あ り , ま た フ セ イ ン ・ モ ス ク (M asjid Sayyidna al 耳 usayn)な ど を 中 心 に 大 々 的 に マ ウ リ ド (m awld 生 誕 祭 ) が 行 な わ れ て い る こ と。

さ ら に , こ う した 全 エ ジ プ ト的 な 状 況 に加 え て , 特 殊 カ イ ロ 的 な あ り 方 と して , 多 く の 生 誕 祭 は , 特 定 の 教 団 と 結 び つ い た も の で は な く, 「預 言 者 の 一 族 (Ahl alBayt) が 中 心 と な っ て い る こ と。

  以 下 , こ の 3点 に つ い て 概 述 す る 。

(1) 教 団 の 構 成

  原 理 的 に は ,い ず れ の 教 団 も ,シ ャ イ フ (shaykh 師 ) と ム リー ド (m urid 弟 子 ), お よ び 両 者 の 間 の ア フ ド (ahd 誓 約 )の 三 要 素 で 成 り立 っ て い る [AN・N AJAR  l978:

32−39]。 教 団 の 大 き さ に 応 じて , シ ャ イ フ の 代 行 者 が 様 々 な 位 階 に お い て 任 命 さ れ , ヒ エ ラル キ ー を 形 成 す る が , 教 団 の 本 質 は こ の 師 弟 関 係 に あ る。 精 神 的 主 従 関 係 と も 言 う べ き 師 弟 の 誓 い を 行 な わ な い 限 り , ど れ ほ ど 教 団 に 親 しい 人 物 で も教 団 の メ ン バ ー と は 見 な さ れ な い 。 しか し現 実 に は, い ず れ の教 団 に も周 辺人 口が あ り,外 側 か ら の 観 察 者 に と っ て は , 彼 らの 間 を 区 別 す る こ と は , き わ め て 困 難 で あ る 。

  師 弟 関 係 と い う以 上 は , 相 伝 さ るべ き何 も の か が , そ こ に な くて は な らな い 。 原 則 に お い て は , そ れ を 「ス ー フ ィ ズ ム の 学 」す な わ ち 「秘 教 的 知 識 」で あ る と把 え る こ と が で き る [c£ R osENTHAL  1970:176−193]。 従 っ て , 原 則 に お い て は , ス ー フ ィ ー 教 団 と い う も の は , そ の 知 識 の 水 準 に お い て 異 な る人 々 の ヒエ ラ ル キ ー を な し て い る と考 え る こ とが で き る 。 し か し,残 念 な が ら,ス ー フ ィ ー 教 団 に お い て ,そ の よ う な 知 識 が 伝 達 さ れ て い る の か , シ ャ ィ フ の 任 命 に よ る位 階 が そ う した 知 識 の 水 準 と 対 応 関 11) 聖 者 廟 に まつ わ る現象 は 「聖者 崇 拝 (aintworhip)」 の語 で一 括 され るの が通 例 であ るが ,  筆 者 は 2つ の理 由 で こ の語 の使 用 につ いて 保 留 して い る。第 1に ,崇 拝 (worhip)は ア ラビ ア  語 で は ibadahで あ る が, この語 は本来 神 に対 して しか使 え な い もの で あ り, 聖者 廟詣 で が こ   の点 に抵触 す る か否 か が イ ス ラー ム世 界 で絶 え る こ とな き論 争点 とな って い るか らで あ り,第   2に, 崇 拝 が ア ラ ビア語 にお け る ibadah を意 味 しな い とす れ ば ,そ もそ も この語 が, 対 象 と   な って い る 現象 の相 互 主観 的 な 実 体を 表 現 す る にふ さわ しい呼称 であ る か 否か , 疑 問 とな る か   らで あ る。 「尊 崇 」 も と りあえ ず の代 替 語 で あ って , 必ず しも適切 な もの で は ない 。

971

(15)

国立民 族学博物館研究報告  10巻 4号 係 に あ る の か , と い っ た こ と は , 外 部 か らの 観 察 で は 確 認 し よ う が な い 。 [GILSENAN 1973]は , き わ め て 厳 格 な 組 織 と規 則 を 持 つ 教 団 に つ い て の 優 れ た 報 告 で あ る が , 他 の 教 団 が ど の 程 度 の 厳 格 な 組 織 を 保 っ て い る か を 知 り う る資 料 は , ほ と ん ど 見 当 らな い 。

  と は い え , ス ー フ ィ ー 教 団 の ヒエ ラ ル キ ー に つ い て 素 描 す る こ と は 可 能 で あ ろ う。

教 団 の 頂 点 に は 言 う ま で も な く, シ ャ ィ フ が 立 つ 。 続 い て , ハ リー フ ァ (khalifah 代 理 人 ), ナ ー イ ブ (na ib 同 じ く, 代 理 人 ) 等 の 呼 称 で 呼 ば れ る責 任 者 た ち , 秘 書 役 等 の シ ャ イ フ の 側 近 が 位 置 付 け られ る 。 教 団 と シ ャ イ フ を 財 政 的 に 支 え る 富 裕 な 弟 子 た ち も , こ の 中 に含 ま れ る で あ ろ う 。 次 の ラ ン ク に は , ハ リー フ ァ の 補 佐 を す る ナ キ ー プ (na(b) や 毎 週 の ズ ィ ク ル (dhikr 唱 名 ) な ど の 教 団 活 動 に 欠 か さ ず 参 加 す る 活 動 的 メ ンバ ー が 含 ま れ る。 次 の ラ ン ク に は , 活 動 的 で は な い 周 辺 的 メ ンバ ー と , 厳 密 に 言 え ば 教 団 メ ン バ ー で は な い , 活 動 的 メ ンバ ー の 家 族 (特 に妻 ) を 考 え る こ と が で き る 。 こ の 部 分 は 一 般 信 徒 と の ボ ー ダ ー に位 置 して い る 。 さ ら に 下 位 に は , ム ヒ ッ プ (m uhibb  愛 好 者 ) な ど と も 呼 ば れ る , 特 定 の 教 団 の 催 し (生 誕 祭 な ど) に 出 入 りす る 人 々 が あ り , さ ら に , 主 要 モ ス クで の 生 誕 祭 に集 ま る一 般 信 徒 へ と 据 野 は 広 が っ て い く。

(2)  ス ー フ ィ ー 最 高 評 議 会

  前 項 で 述 べ た ヒ エ ラ ル キ ー の さ ら に 上 に , 「シ ャ イ フ た ち の 中 の シ ャ イ フ (shaykh M ashayikh atTuruq a§一$ifiyah)」 と い う権i威 が 存 在 す る (以 下 「大 シ ャ ィ フ」 と 略 す )。 ウ ラ マ ー に お け る ア ズ ハ ル 総 長 の 如 き 存 在 で あ る が , し か し,ス ー フ ィ ー 教 団 が 全 体 と して , こ の 人 物 を 頂 点 と す る 厳 密 な ピ ラ ミ ッ ド的 ヒ エ ラル キ ー を 形 成 し て い る と 考 え る と誤 り に な る 。 [M uSTAFA  1980:88] の 組 織 図 は , ス ー フ ィ ー 最 高 評 議 会 を そ の よ う な も の と して 描 い て い る が , 形 式 的 と言 わ ざ る を え な い 。 ウ ラ マ ー は , 本 来 個 々 人 で あ り , 現 在 の よ う に 組 織 化 さ れ て い な い 時 代 に お い て も , 緩 や か な ネ ッ ト ワ ー ク に よ っ て 結 び 合 わ さ れ て い た が , ス ー フ ィ ー教 団 は そ れ ぞ れ が 独 立 した 組 織 体 で あ り , 最 高 評 議 会 は そ れ らを 政 治 的 に束 ね た 上 に の っ た も の に過 ぎ な い か らで あ る 。   現 在 に 至 る ス ー フ ィ ー 最 高 評 議 会 の 形 態 は 1895年 の 法 令 で 定 め ら れ , 1903年 , 1910 年 に 手 直 し さ れ , ほ と ん ど が 今 日 ま で 継 承 さ れ て い る 。 大 シ ャ イ フ の 権 能 の 存 在 は , バ ク リー 家 と共 に そ れ 以 前 に さ か の ぼ る が , 創 始 に つ い て は , 定 説 は な い [c£ D E JoNG  l978]。 最 高 評 議 会 に 加 盟 して い る教 団 は 公 認 教 団 で あ る が , 1906年 に は そ の 数 33で あ っ た 。 系 列 別 に 見 る と , シ ャ ー ズ ィ リ ー 系 が 12で 最 も多 く, バ ダ ゥ ィ ー系 が 72

(16)

小杉  現代 イス ラームにおける宗教勢力 と政治的対立

図 2  ス ー フ ィ ー 教 団 の 組 織 化

([De JoNG  1978;1983],[BERGER  l970]な ど を 参 考 に , 筆 者 作 成 )

10と 続 い て い る [D E JoNG  l978 :180−182]。 M ustafa [1980:309−312] に よ れ ば , 現 在 の 公 認 教 団 は 66あ る 。 Berger は , 1958年 に は60教 団 あ り , 1964年 に は64教 団 あ

っ た と述 べ て い る [BERGER  l970:67−68] か ら , 明 ら か に 教 団 数 は漸 増 し て い る 。 66教 団 を 系 列 別 に 見 る と , バ ダ ウ ィ ー 系 15, シ ャ ー ズ ィ リー 系 14, ハ ル ワ テ ィ ー系

A 1−K halwatyah) 10, ドス ー キ ー 系 3, リ フ ァ ー イ ー 系 2, カ ー デ ィ リー 系 2, な ど と な っ て い る 。

  しか し , こ れ ら の 公 認 教 団 が す べ て の 教 団 を 網 羅 して い る わ け で は な い 。 き わ め て 少 数 で 弱 勢 の 教 団 は 別 と して も , 比 較 的 大 き な 教 団 の 中 で も加 盟 して い な い 教 団 が 存 在 す る こ と に気 が つ く。 た と え ば , ア フ マ デ ィ ー ヤ 教 団 (Al−A hm adiyah a1

ldryah)

, サ ヌ ー シ ー ヤ 教 団 (A s−Sanasyah), テ ィ ジ ャ ー ニ ー ヤ 教 団 (At−Tia−

       973

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quarant’annni dopo l’intervento della salvezza Indagini, restauri, riflessioni, Quaderni dell’Ufficio e Laboratorio Restauri di Firenze—Polo Museale della Toscana—, N.1,

れた。 2004 年( 22 年生)夏に,再生した林分内で 面積 148 ~ 314m 2 の円形調査区 9 区(総計 1,869m 2 ) を斜面の上部から中部にかけて 10 ~ 15m

雑誌名 金沢大学日本史学研究室紀要: Bulletin of the Department of Japanese History Faculty of Letters Kanazawa University.