小沼 丹訳『旅は驢馬をつれて』について
ひとつの翻訳論
小 黒 昌 一
キーワード
小沼丹、翻訳、驢馬、家城、角川
はじめに
小沼 丹(1918.9.9〜1996.11.8)の『R.L.スチヴンスン 旅は驢馬を つれて 小沼 丹譯』(家城書房 1950.11.20)の「あとがき」(pp.185‑8)末 部に次のような行
くだり
が見られる。
ところで僕自身、知らぬまに病人になつてしまひ、この仕事をするとき も、具合のいい時、一日のうち數時間やる、といつた鹽梅で、いろいろ不 滿足な點が多いのを怖れる。僕自身、この旅行記を面白い、と思つてゐる が、果してスチヴンスンの名文章の面白さが出てゐるか、全然、覺束な い。共に、大方の叱正を乞ふ次第である。
この「あとがき」にあるように、家城書房版の出た昭和25年(1950年)の小 沼さんは「知らぬまに」胸部疾患の病いにかかり、不本意な療養生活を送るこ とになった。この年、後に『白孔雀のいるホテル』(河出書房 1955.10.5)に 収録された「ペテルブルグの漂民」を『小説と読物』(1月号)に発表した が、この作品は「(昭和)20年に書いたものである」と『白孔雀のいるホテ ル』の「あとがき」に記されている。尚、「ペテルブルグの漂民」は『小沼丹 作品集Ⅰ』(小沢書店 1979.12.10 初版)にも収録されている 。
1878年長
なが
月
つき
22日、Robert Louis Stevenson(1850〜94)は、南フランスの山
岳地帯セヴァンヌ北端にある「ちっぽけな町」モナスチエで牝驢馬を「65フラ ンとブランディ一杯といふ報酬」で手に入れた。「モデスチン」(Modestine
<modest「穏やか」+
ine[指小辞]
)と命名した牝驢馬に、自ら考案して製作 させた特性の寝袋をはじめとする荷を負わせ、野宿し森を抜け山を越え谷を渡 りながら、南へ向かって12日間の旅をした。その旅はTravels with a Donkey in
the Cevennes
という紀行記となり翌年の1879年に出版された。小沼さんが、先ず「家城書房」、次いで「角川文庫」から、『旅は驢馬をつれて』と題して翻訳 出版したのは、スティヴンスンのこの作品である。スティヴンスン独特の軽快 で含蓄多い文章は、渓流のせせらぎのような小沼さんの文章に転身して、読む 者を引きつけることとなった。家城書房版「あとがき」にある小沼さんのいう
「怖れ」は快挙に転じたのである。
家城書房版から角川文庫版へ
角川文庫(1956.12.30)『旅は驢馬をつれて スティヴンスン 小沼 丹 訳』の「解説」(pp.165‑8)末部に「附記」がある。
今度、角川文庫に入れるに当って多少訳文の調子を改めたことを附記して 置く。
この「多少訳文の調子を改めた」という「調子」の意味するところは、仮名遣 い、振り仮名、漢字、言い回し、訳語、その他、文章作法に関わるさまざまな 事項の変わり具合が中心であろうが、細部の詳細はさておき、こうした点を念 頭に、家城書房版と角川文庫版の訳出部分を並べて「訳文の調子」を眺めてみ よう。先ずは「聖マリヤ」の章の「寄宿人」からの例である。
例(A)
●彼は悲惨な地獄のさまを詳細に亘つて述べ出した。地獄に堕ちた亡者共 は――と、彼は、讀んでまだ一週間にもならぬ一小冊子を根據としていつ た。その小冊子たるや、重ね重ね悔罪の念を強めるため、意を決してポケ ツトに入れ持ち歩いてゐるのであるが――怖るべき呵責のさなかにあつて
永劫に同じ姿を保たねばならないのである。 〔家城 pp.86‑7〕
●彼は悲惨な地獄のさまを詳細にわたって述べ出した。地獄に堕ちた亡者共 は――と、彼は、読んでまだ一週間にもならぬ一小冊子を根拠としていっ た。その小冊子は、確信を強めるためポケットに入れて持ち歩く決心をし ているのであるが――怖るべき呵責のさなかにあって永
えい
劫
ごう
に同じ姿を保た
ねばならないのである。 〔角川 82‑3〕
引用部分を比較することにより、促音「つ」の表記を「っ」とするなど(亘 つて→わたって)、先に指摘された項目の「調子」の変わり方の具体的な例を 知ることができる。たとえば、漢字では、「悲慘な→悲惨な;墮ちた→堕ちた
;讀んで→読んで;根據→根拠」/振り仮名では、「永
えい
劫
ごう
」/言い回しでは、
「その小冊子たるや、重ね重ね悔罪の念を強めるため、意を決してポケツトに入 れて持ち歩いてゐるのであるが→その小冊子は確信を強めるためポケットに入 れて持ち歩く決心をしているのであるが」(この改訳の更なる改訳については、
下段の 角川文庫版の「調子」の吟味 の部を参照されたし)、その他である。
『旅は驢馬をつれて』の終章は「カミザールの国」の「さらばモデスチン」
の項であり、「憎らしい奴だ」と思っていたモデスチン号を手放した後のスチ ヴンスンの心情が、
W illiam W ordsworth
(1770〜1850)の韻律に託して綴ら れている一節を「多少調子を改めた」ことの更なる確認のために例示する。例(B)
●このときまで、私は自分が彼女を憎んでゐるものだ、と考へてゐた。とこ ろが、いまはもうゐない、となると、
なくてぞ
人は戀しかりける
といふわけである。十二日間、私たちは親しい仲間であつた。私たちは 百二十マイル餘の旅を共にした。 〔家城 177‑8〕
●このときまで、私は自分が彼女を憎んでいるのだ、と考えていた。ところ が、いまはもういない、となると、
ああ
なんと気持の変るものか!
というわけである。十二日間、私たちは親しい仲間であった。私たちは 百二十マイル余の旅を共にした。 〔角川 158‑9〕
文中に引用されているワーズワースからの二行の「訳注」が、家城・角川の 両版に付されてあり、文章の流れを慈しみながら、原文と訳文との接点や妥協 点を捜し求める小沼さんの文章作法への厳しい態度が垣間見られる。
◆ワアズワアスの
She dwelt among the untrodden ways
に始まる詩より引 用。故意に意譯した。原文はAnd O, the difference to me!
〔家城 184〕◆ワーズワースの
She dwelt among the untrodden ways
に始まる詩より引 用。原文はAnd O, the difference to me.
日本的に言うと、なくてぞ人は恋しかりける。 〔角川 163‑4〕
これはワーズワースの
Lucy Poems
として知られている詩の中の、上記訳 注にあるようにShe dwelt among the untrodden ways
で始まる詩の第3スタ ンザ最後の2行。ルーシーが誰であるかは特定されていないが、広い意味でい わば少女子お と め ご
の「精」とか「イノセンス」を偲んでのものと考えられる。田部重 治訳を原文と併せ掲げれば有益かと思われる。
She liv’d unknown, and few could know When Lucy ceas’d to be;
But she is in her Grave, and Oh!
The difference to me.
家城書房 角川文庫
(初版) (1950.11.20) (1956.12.30)
本のサイズ B6(128×182mm) A6(105×148mm)
活字(明朝) 8p 6p
頁数 196頁 168頁
スチヴンスンの肖像 ○*1 ×
地図 ○ ○
エピグラフ*2 × ○
振り仮名 × ○
仮名遣い 旧 新
仏語・羅甸語(附記)*3 × ○
註/訳注 ○ ○(増補)
あとがき/解説 ○ ○(改訂増補)
誤植*4 ○ ○
*1 26才のスチヴンスン像(スチヴンスン夫人畫)。谷島彦三郎の『訳注 驢馬との旅』(培風館 1952.5.25)の 遊び紙裏にも26才スティーヴンスン像があり、This charcoal drawing was made by Mrs. Osbourne at Gerz in France, and was afterwards redrawn by Mr. T. Blake W irgman. とある(本稿末の註1を参照されたし)。
*2 たとえば第一章「ヴレェ」の「驢馬と積荷と荷鞍」の前頁におかれた「偉大なものは多い。が、人間ほど偉大 なものはない。……人間はさまざまの工夫をこらしては野に棲むものを征服する。――「アンティゴネ」/「誰 が野驢馬の繋縛を解きしや。」――ヨブ記」などの辞。いわゆるvignettesとは趣を異にする。
*3 たとえば、「それなのに、そんな歩き方をしているのかい。Et vous marchez comme c¸a!」(角川 p.18)。これ に対し、家城版では「それなのに、そんな歩き方をしているのかい。(原、フランス語)」とある。また、「残忍 な娘にまさる残忍な父――Filia barbara pater barbarior.」〔角川 p.46〕に対して、家城版(p.45)では誤植を 残したまま、「残忍な娘にまさ残忍
フイリアバルバラバテエルバルバリオル
な父」とあるなど、その他、pp.44‑5〔角川〕には多出するし、類似は多数。
*4 角川文庫版で小沼さんの指摘している誤植(以下、鉛筆書きのそのママのかたちで):いままでもなく→いう までもなく(p.14)/黒パンの棒・白パン→黒パンの棒、白パン(15)/デモスチン→モデスチン(17)/路 傍→傍路(23)/とうより→と云うより(24)/牡豚→牝豚(27)/ibre→libre(69)/不平→不公平(82)/
この分→この方(83)/デモスチン→モデスチン(120)/これから→これら(131)/といのは→というのは
(136)/敵意→敬意(137)、その他、等々。
人に知られで住み行きし、
ルーシ逝
ゆ
きしを誰知らん。
乙女はとわに眠りけり、
あわれわが身のはかなさよ。
このように、二つの版を対比させることによって「訳文の調子」の差異を示 すことは比較的容易であろうが、概して目に付く異同を次に一覧表にして示 し、多少の注を付しておく。
角川文庫版の「調子」の吟味
上述の例(A)で見たように、家城書房版から角川文庫に入れるときに、
「意を決してポケツトに入れて持ち歩いてゐるのであるが」とあるところを 訳文の調子を改め 、「確信を強めるためポケットに入れて持ち歩く決心をし ているのであるが」となった訳文であったが、小沼さんはそれを更に吟味改訳 しようと考えておられたようで、
証拠をはっきりさせるためポケットに入れて持ってくればよかったが
という小沼さんの手書き(鉛筆書)の「文字」が、たまたま筆者の手元にある 角川文庫版第82頁の左余白に書き込まれている。また、同頁の右余白には「早 く改宗するかどうかを問題として追ひ〔ママ〕立てた」という字句が書き込ま れ、第一行目「時間の問題だといって」というフレーズに付した傍線に実線を もって結んである。「訳文の調子」を改めようという気持ちの表れだろう。
また、「上ジェヴォダン」(Upper Gevaudan)の章の「暗中露営」(pp.39‑51)
では、森の中で例の特製寝袋を使って野宿をし、夜中に目覚めて何となく空を 見上げたという場面があり、ここの訳文は漢字に振り仮名を付したところが 一ヶ所と「レエス」を「レース」と改めた以外は「家城」も「角川(p.49)」 も変わりない。
私は、ごくわずかな時間、眼を醒ました。そして頭上、一つ二つの星を、
また空にかかる簇
そく
葉
よう
のレースにも似た端を見た。
この場面、「空にかかる簇
そく
葉
よう
のレースにも似た端を見た」は線で消してあり、
この頁中程のわずかな余白に細字で改訳と思われる文が記されてある。即ち、
空を背景にレースで縁どられたやうな〔ママ〕簇葉を見た 。
と、ある。この「簇
そく
葉
よう
」は、foliage の訳語であるが、
foliage
は必ずしも「簇 葉」とは限らず、「垂れ茂った小枝」(119)のこともあり、118‑119頁にはこの二種類の訳語が混じり現れる。即ち、「天幕を張ったような簇葉」「一面の簇 葉」「垂れ茂った小枝」「簇葉の円丘」などの表現が「とねりこの木、栗の木、
オリーヴの木、槲
かしわ
の木、棕梠、レバノンの香柏」と共に用いられている。
以上に加えて次に若干の例を掲げるが、特に断り書のない場合は、角川文庫 版に記されている小沼さんのいわば 将来の改訂訳例 であり、いずれも各頁 に黒鉛筆で書き込まれているもの。即ち、矢印〔→〕の左側が既刊角川文庫版 であり、( )内の数字は当該頁を示している。尚、必要に応じて〔 〕の中 に家城の場合を示した。書き込みが「直し」であるとすれば、小沼さんの自筆
(黒鉛筆)の長短語句の「直し」の合計は「70」ヶ所を越え、長短の傍線だけ 引いてある場合の合計は「120」ヶ所以上となることを明記しておく。また、
小沼さんのチェック符号・記号には「?」「×」「∧」、パラグラフ上部全体を 囲う「アーチ型の曲線」、その他があるが、ここではその存在の事実を述べる にとどめる。
① 想念につれて行く〔つれ行く〕→気分にする(19)
② 欠乏→貧弱(27)
③ 一連〔聯〕の牡牛→一対の牡牛(34)
④ 突如→ひょっこり(40)
⑤ 崖→石垣(43)
⑥ 楽しませたくなかった→満足させたくなかった(44)
⑦ 終らせる→けりをつける(45)
⑧ どうにもまず〔づ〕い→そんなことをしても無駄(46)
⑨ つれない仕打ち→助け(47)
⑩ が、なお〔ほ〕も、眼ざめている私の最後の努力は、耳を傾け、聴
〔聽〕き分ける、という〔ふ〕ことにあっ〔つ〕た。 → が、なおも、
意識のある間は最後迄、耳を傾け、聴き分けようとしてゐ〔ママ〕た。
(49)
⑪ 己が腕前の並々ならぬところを全面的に発揮した。→ちゃんとした結 び方を教えてくれた。(54)
⑫ やりきれぬ→悪くなる(55)
⑬ 彼が本論にふれかけたとき→宗教関係の話をしながら(65)
⑭ 斑
まだら
色
いろ
の〔雑色の〕→色とりどりの(68)
⑮ 交互に遮ぎられたり〔交互に遮られたり現れたり〕する灯影→見えか くれする灯影(76)
⑯ 時間の問題だといって私を追い立てた。→早く回収するかどうかを問 題として追ひ〔ママ〕立てた。(82)
⑰ 旦那→あんた(90)
⑱ 田園調の→ひなびた(91)
⑲ 粗野な→殺風景な(104)
⑳ しかし、彼女の身体〔身體〕つきは、コルセットを必要とするもので
〔に歸すべき問題〕であった。とはいうものの、年をとるにつれて、そ れもよくなって行くであろう。→いまはコルセツトを必要とする症状だ が、年をとれば自然に肥るから(病気がよくなって)コルセツトも要ら なくなる。(112)
棍棒→太い丸太(115)
向きを変える〔變へる〕→辺りを見る(122)
怪しみ疑い〔ひ〕つつも→正体の判らないまま(同上)
私は知らぬし→私は知りたいとも思はないし(127)
名門→名ヨ〔ママ〕
むすび
角川文庫版の「訳注」は「バイロンの詩より引用
Fare thee well! and if for
ever,
に始まる(p.164)」を最後にして終っている。本文の「さらばよ、そしてあるいは永遠に――」(p.159)に対する訳註であり、驢馬モデスチン号に捧 げた(?)もの。
バ イ ロ ン (George Gordon, Lord Byron, 1788〜1824) の 「別 離 の 詩
う
歌
た
」
(Poems of the Separation)の一つ
Fare Thee Well
は、わずか一年間で袂を 分かたなければならなかったLady Byron
との結婚生活に別れを告げたとき(1816.3)の詩と考えられており、牝驢馬モデスチン号との旅の終わりを告げ る語句として、原典にも訳書にも読者にも余韻を響かせて余りあるものがあ
る。その余韻の傘の中で、本稿の筆者は、訳書の家城書房版から角川文庫版へ の移行に当たっての「訳文の調子」の改まり具合の事実を示し、それに加え て、将来の改訳のための(?)小沼さんの「書き込み」の事実の若干を対比さ せて示したつもりである。但し、「直し」は事実であっても、それはあくまで も全体の一部であり、一部を把握するためには全体の流れを知る必要があると いう大前提に立っての本稿であることはいうまでもない。
註
小沼訳の他に、吉田健一譯『風流驢馬旅行』(文芸春秋新社、1949.2.10)、同じく 吉田健一訳『旅は驢馬をつれて 他一篇』(岩波文庫、1951.11.5)がある。わが国で はとりわけ昭和の初期から20年代にかけて人気のあった作品らしく、英文テキストの 教材としても使われ、たとえば、澤村寅二郎/酒井善孝訳注『驢馬紀行』(Travels with a Donkey<abridged> by R. L. Stevenson, with Translation and Notes by T.
Sawamura and Y. Sakai, 英文世界名著全集第六巻 1927.10.15)と谷
や
島
じま
彦三郎訳注
『R. L. Stevenson 驢馬との旅』(培風館、1952.5.25)は対訳書であり(但し、矢島 訳註の『驢馬との旅』は、著者R.L.S.の「献辞(Author’s Dedication)と地 図」につづくpp.1‑108が「英文テキスト」、pp.109‑209が「和訳」そしてpp.211‑295 が「NOTES」という堂々たる訳註書)、それに Tamihei Iwaseki, edited with notes, Travels with a Donkey by R. L. Stevenson (Kenkyusha 1925)は巻末にV irginibus Puerisque(1881)からの一篇 (On) W alking Tours を加えた英文テキスト。また、初 期 の 訳 註 の ひ と つ に 藤 田 千 代 吉 譯 註 『驢 馬 と 旅 し て』(文 化 生 活 研 究 會 版、
1929.10.10)もある。
尚、小沼さんの訳書としては、『旅は驢馬をつれて』の他に、『鉄のカーテンの裏』
(W illiam van Narvig,East of the IRON CURTAIN)小沼 丹・藤井繼男共訳(讀賣新 聞社 1949)、『則天武后』(林語堂)(みすず書房 1959)があり、これに『ガリヴァ 旅行記』(スイフト)(少年少女のための世界文学選4 小峰書店 1951)を加える向 きもあるが、これは同書に「小沼 丹・著」とあるように、小沼さんが自分の文章で 少年少女のために分かりやすく書き著した作品である。また、これ以外の翻訳作品と しては、いずれもスティヴンスン原作の「一夜の宿」(Providence)と「ギタァ異聞」
(The Guitar)があって、谷崎精二譯『ロバート・L・スチブンソン ジィキル博士 とハイド氏』(太虚堂書店 1948)に収められている。そして、Stevensonのカタカ ナ表記としての「スティヴンスン、スチヴンスン、スチブンソン」は、それぞれの版 の表記によったもの。これは、W ordsworthについても同様である。
本稿作成中の2003年8月30日現在、『小沼丹作品全集』(全四巻)の出版企画が未知 谷出版社で進行中であり、その第一巻に「ペテルブルグの漂民」も収録される筈。ま た、全集の月報に「幻の改訂版」と題して、本稿を補足する一文を執筆した。
小沼さんの家城書房の訳文「なくてぞ/人は恋〔戀〕しかりける」は、藤原定家
『源氏奥入』の「ある時はありのすさびに憎かりきなくてぞ人は恋しかりける」に由
来するものであろう。原文は W ordsworth Poetry and Prose, selected by W . M. Mer- chant, The Reybard Library (Rupert Hart- Davis, 1943),p.165からの引用。田部訳は田 部重治選訳『ワーズワース詩集』(岩波文庫 1966)。尚、岩波文庫からは、山内久明 編『対訳 ワーズワス詩集 イギリス詩人選(3)』(1998)が出版されている。ま た、註の に触れたIwasaki(1925)のNOTES(p.189)では「“And O, The Differ- ence to me!" FromShe dwelt among the Untrodden W ays, by W ordsworth. Cf.「麦食ひ し雁と思へどわかれかな」「なくてぞ人は悲しかりける」、谷島(1952)のNOTES
(p.295)には出典明示につづいて Cf.「麦食ひし雁と思へどわかれかな」「ある時は ありのすさびににくかりきなくてぞ人は恋しかりける」 とある。
原文は明快そのもの、何の変哲もないものだが、邦訳には工夫の必要なところとい える:I was recalled for a brief while to consciousness, and saw a star or two overhead, and the lace- like edge of the foliage against the sky. 因みに、注の で触れ た訳注書の場合を掲げる:
「私はほんの僅かの間、我に返つて、頭上にきらめく星の一つ二つと、木の葉が レースの様な端を、空に浮かせてゐるのを見た。」(澤村/酒井 p.117)
「夜のうちに私は二度、ほんのわずかな間目を醒まして、頭の上に星の一つか二つ と、空を背景にして、木の葉がレエスのように梢を縁取っているのを見上げた。」(吉 田『岩波』p.48)
「私はほんのちょっとの間、意識を呼び起こされて、頭上の星一つ二つと、空を背 景にした木の葉の繁みのレースのような端とを見た。」(谷島 p.138)
「ほんの少時、私は意識へ呼びかへされた。そして頭上に、一、二の星と、簇葉
む ら ば
の 端
はし
がレースのやうに空に懸つてゐる光景とを見た。」(藤田 p.60)
――2003年9月20日記――