明治初期米国詩の翻訳とその訳者
著者 衣笠 梅二郎
雑誌名 主流
号 25
ページ 143‑147
発行年 1964‑01‑31
権利 同志社英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016683
明治初期米国詩の翻訳とその訳者
衣 笠 梅 二 郎
明治初期に西洋の詩の影響をうけて,新しい型の詩が創造された.元来,
詩といえば漢詩を意味したのでヲこれとの混同を避けるために,この詩は 新体詩と称された.短歌,俳句のような短小詩形ではタ近代の複雑な思想?
感情の表現は不可能と考えラ形式は古来の長歌に類似しながら9 用語の自 由を主張し,詩節右三分かち書きするなど,別個の存在の理由を意識したの である.新体詩は時代の好尚に投じていち早く普及し9 その作品ヲ選集は 続出したが, 多くは詩趣に乏しく9 まことに拙劣なものもあった. 明治 15年 (1882)に刊行された『新体詩抄
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が,実にその最初の詩集である.『新体詩抄』所収の詩篇の中, 創作詩は僅か五篇に過ぎず, 訳詩は十四 篇の多数に上っている.然もその原詩は殆んどすべてが英米の詩である.
『新体詩抄
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に於ける米国詩人の作としては, ロングフェロー (H.V¥λ Longfellow, 1807‑82)の詩を訳したものが三篇収録されている.即ち A Psalm of Life"を外山正ーと井上哲次郎とがそれぞれ, [""ロングフェルロー氏人生の詩」或は「玉の緒の歌〔ー名人生の歌)Jと題して訳出してい る.今一篇は Children円を矢田部良吉が「ロングフェロー氏児童の詩」
と題して訳出したものである. IT"新体詩抄』は新奇な欧化思潮を迎える当 時の人々の注目を受けて,明治17年には再版を出したが,その初版発行の 年には既に竹内節によってIT"新体詩歌』と題する詩歌集が編纂されてい る. これは『新体詩抄』を主として,その他当時の刊行物に現われた作品テ 或は古文中の吟請に適する一節などを収録したものである.
この詩集は明治15年と16年とにわたって,第1集から第5集まで逐次刊
行された.続いてその翻刻本や全五集の合集が刊行され,特に合集の種類 は 相 当 の 数 に 上 札 明 治30年代に於てもその刊行を見た.このことによっ ても蕪雑極まる非芸術的な新体詩が,当時如何に広く一般化してラ各方面 から迎えられたかが窺い知られる.今,ここに紹介しようとする米国詩の 翻訳は,
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新体詩歌』の第4集に収録されていて, I西詩和訳」と題されている.第4集は明治16年6月の出坂であって,七篇の詩歌が収録されてい る.西洋の詩の翻訳としては, 『新体詩抄
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所載の矢田部良吉訳「虞礼氏 墳上感懐の詩J(An Elegy Written in a Country Churchyard by Tho‑mas Gray)と9 この「酉詩和訳」とのこ篇がある.
「西詩和訳」は米国の小説家並びに詩人, プレット@ハート (Francis Bret Harte, 1839‑1902)の作詩 FATE"の翻訳であって9 訳者は大竹 美鳥(みどり〉である.この訳詩は最初は『東洋学芸雑誌、』第18号(明治 16年3月発免〕に掲載されたものであって9 その発表後直ちに『新体詩 歌』に収録されたのである.
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新体詩抄』所載の訳詩が, 最近いよいよ喧 伝されているのに反して,この米国詩人の訳詩は未だ嘗てその紹介を見た ことがない.u
東洋学芸雑誌、J
所載の訳詩と詩歌集のそれとを比較対照す るのに9 後者に著るしい植字の相違があり,振仮名も正しく付していない.従ってここでは歩前者所載の訳詩を直接に引用して紹介することとし9 参 考のために原詩をも共に掲げよう.
本来,学芸雑誌のそれには「運」と題してあって,詩歌集に収録するに 当って, I西詩和訳」と題されたのである. なお, 訳詩には冒頭に「此詩
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原ブ。レ y トラノ、‑P, ノ作ニシテ{華々三章一百字妙味蓋シ言外ニアリ今之 ヲ意訳ス訳語ノ拙ナノレヲ以テ原詩ヲ推スコト勿レ」と詞書が記されている.
訳者の大竹美鳥はこの訳詩の他に創作詩をも試みていて,そのー篇「代悲 白頭翁歌」は詩歌集の同じく第4集に,他のー篇「送学友帰郷歌」は第5 集に収録されている.当時『新体詩抄』が公けにされると,その大きな影 響を受けてこれに興味を抱き,模倣を試みる者が多数に現われたが I西
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詩和訳」の訳者もその一人であったのである.
その翻訳振りを見るのに,成るほど意訳であるにしても,
なお十分な訳とは言われない.第一節及び第二節は看過するにしても,第 今, それでも
訳者自身も詞書に於てとに角,謙虚に述べて 三節の措辞格調に至っては,
はいるが,更に極めて幼稚なものであって,謂わゆる,外山正一調に属す ところで,今日の進歩的な眼から見れば,批評の下だしようもないも る.
明治初期に於ける,新詩草創時代の先駆的訳詩のーっとし のではあるが,
上田敏の詩 止むを得ないものであろう.完壁な創作的訳詩は後年,
ては,
魂ある訳筆を{失って初めて生れ出るのである.要するに当時の詩にあって その取材とが強〈人々の心を捉えて,何 l丸斬新な西洋の詩歌の形式と,
ずれにしても,私たちには到底想像もつかないほどにヲ大きな関心が寄ぜ
いとすさまじき芦すなり
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き帥計
古 同 士 戸
音 き の し 波 ろ
っ 田 氏
う 呼 岸 鳴 られたのである.
て れ ぜ る ん ま は な き 思 み 吹 と 休 を そ 挙 対 雨 こ 拘 漁 に さ は 孔風珂面目 恥暴沼海今
そら
いといと難し今日の空 谷間に鳴く虎もあれ
けもの あと
獣の跡を尋ねんは 岩間に乳る獅子もあれ
今日は山猟休みなん 鳴呼畏ろしき声計り
さち さ つ を
山に主主ある猟男ども さぎの地震に家つぶれ に
の 何 人 品 供 如 我 山 子 は 怪 品 舟 こ も る は こ 所 あ れ れ 彼 自 幸 帰 も に に こ 所
海れ市こ此
鳴呼畏ろしき芦計り FATE
The sky is c1ouded, the rocks are bare; The spray of th巴 tempestis whit巴 inair;
The winds are out with the waves at play, And 1 shall not tempt the sea to‑day.
The trail is narrow, the wood is dim, The panther clings to the arching limb; And the lion's whelps are abroad at play, And 1 shall not join in the chase to日day.門
But the ship sailed safely over the sea, And the hunters cam巴fromthe chase in glee; And the town that was builded upon a rock Was swallowed up in the earthquak巴shock.
ブレット。ハートは1870年(明治3年〉には, 短篇集 The Luck of Roaring C.αmp and Other Sketchesを世に聞い,或は PlainLanguage from Truthful James円(or TheHeathen Chinee円〉など, 軽妙な詩 篇を発表して9 人気作家となっていたのである.1873年にはフ小説M'liss.‑ an ldyll of Red Mounta仇を公けにし,その他数巻の短篇集を出してい
る.野生の少女を描いた「ムリス」は「深山木jと題して, Ir読売新聞』
に明治20年 (1887) 8月31日から9月16日にわたって,饗庭筆村によって 紹介された.また,明治25年発行の森鴎外著『水沫集
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に,プレット@ハ ートの小品「洪水」が収録されている.これは High‑WaterMark円の 独訳円DieSturmf1ut からの重訳であって, Irしがらみ草紙Jに, 明治 22年10月から翌23年3月にわたって連載された.当時p このようにして9この米国作家は多少わが国に伝えられていたことが知られる.
さて「西詩和訳」の訳者9 大竹美烏とは,大竹多気(子託子
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のことである.彼は会津藩土の子弟であって,幼名を竹四郎と称した.生家の松
明治初期米国詩の翻訳とその訳者 147 田家を出て,同藩士の大竹家を継いだのである.東京大学工学部の前身,
工部大学を卒業後,製械研究のために欧洲に留学したことがある.帰朝す ると東京の千住製誠所に勤務し9 明治34年,工学博士の学位を得て,その 翌年には製紙所長となった.次いで教育界に進出して,福岡大学講師9 東 北帝国大学教授,米沢高等工業学校教授などを歴在した後9 桐生高等織染 学校長に任命され,特許局長をも兼任している.かねて9 歌心のある彼は 短歌をよくしたのであった.たまたま,青年時代に新しく誕生した新体詩 に関心を寄せて,その創作に指を染め,図らずも寓目した米国詩の翻訳を,
いち早く試みているのも放がある.