〈翻 訳〉
ドロシー・ワーズワースの
「アルズウォーター湖畔の旅」(1805)
原
田
俊
孝
これは1805年!!月4日から11月13日までのドPシーの旅日記である。この年の2月5 日,弟ジョンが水死するという不慮の事故があった。彼女の兄ウィリアムは「ピール城」 の詩でこの時の心境を「力が抜け元どおりにできない」が,「希望を抱き耐え忍」ぼうと 述べている。ドロシーとて同様,この悲嘆の情は日記にかいまみられる。だから,この年 に彼女がわずか10日間しか記録していないからといって非難されるべきでなかろう。 また,ウィリアムは彼女の日記に記されたビート取りの話を『遺遙』(1814)に取り入れ たり,『湖水地方案内』(1835)の「アルズウォーター湖畔の旅」において,この日記のか なりの部分を彼自身のものとして述べている。 こういつた点からも,この日記はウィリアム・ワーズワース研究に欠かせない貴重な資 料といえよう。なお底本にはEde Selincourt(ed.), Journals of Dorothy Wordsτvorth (New York:Macmillan Co.,1941)を使った。 1805年11月4日 日曜日 ウィリアムとメアリーは(クラークソン夫妻と共に)3日間の楽しい旅を終え,パーク1) 2)
ハウスからパターゲイル湖岸道を帰った。クラークソン夫妻はラフ夫人に,よい天気が続 けば,水曜日か木曜日にウィリアムと私があなたの家に行くであろうと約束していた。水 1) トム・ハッチンソソが1804年5月にガロー ヒルから移った農場。そこはアルズウォーターか ら2マイル北のダクレとステイトンとの問の丘にある。 2) ラフ船長夫妻は,クラークソン夫妻によってワーズワース兄妹に紹介された友で,パタP一一ディ ルに住んでいた。彼らの家は「アルズウォーター湖の上流の大きな谷の中のとても良い場所にあ る憐適な家」であった(1805年11月7日のドロシーからボーモソト夫人への手緑)。〈翻訳〉ドロシー・ワーズワースの「アルズウォーター湖畔の旅」(1805) /05 曜日はあまり天気が良くなりそうもなかったが,長い間好天続きだったので,すぐに急変 することもなかろうと思った。それで,湿っぽく薄暗い朝,ウィリアムは歩いて,私はウ ィリアムの外套を鞍の足掛けにつり下げ,ひとまとめの必需品を入れたずた袋をもって馬 に乗って出かけた。進むにつれ谷に霧が立ちこめ,パターゲイルへの道中,雨さえ降り出 したが,女性のはめる指環の一番小さな真珠よりももっと粒の小さい雨が私の服にかかっ たにすぎなかった。ライダル湖に浮かぶ大きい方の島にある森は,何ともいえぬ見事な色 みずも を呈していた。その島全体が水面に映り,この光景を親愛なるコールリッジと以前見たこ とをことのほか思い出すのであるが,あの時は紫色がかった茶色のピースで水玉模様や縞 模様をなす岩だらけの湖岸と,水面に映ったその影が,識別できないほど混じり合い,子 供の頃,その毛並みから「ウーリー ボーイズ」とよく呼んでいた大きな毛虫のようだ, とコールリッジかウィリアムのどちらかが言った。家を出る時,大雨でパターゲイルに釘 付けされるのではないかと少々びくびくしていたが,霧が濃くなるにつれ,私たちの楽し みは増し,私の希望はふくらんでいった。それからカークストーンの頂上に達すると(50 ヤート先は見えなかったが),私たちは休日に並んで散歩しているような幸せな旅人だっ た。こんな時.こんな場所では.散らばっている入の頭ほどの大きさの石の一つ一つが:友 達になる。カークストーンの頂上に古い壁の破片がある。それが霧でぽおっと大きくなっ たので,それを見ると,ある堂々とした古代の記念碑を眺めるのとほとんど劣らぬほど私 たちの興味をそそった一しかも,これと同じ石の積み重ねを今だかって見たことがなか った。かなり降りたところで,ブラザーズウォーターの下にあるハートソヅプの畑は,黄 色い雲の反射で染められて最初湖のように見えた。私はその畑を水と間違えたが,それか らまもなく,湖そのものがはがね色にかすかに輝いていることがわかった。更に降りるに つれ,茶色の樫の木や美しい黄色のブナの木が見えてきた。更に一層谷に近づくと,家々 や,長い屋根とすてきな煙突の付いたハートソープのつつましやかな古い建物が見えてぎ た。 私たちは山の麓近くにある橋のそばの羊小屋のもとで昼食をとった。その入口に馬をつ ないだが,いらいらと足を踏みならすこともなかった。私はそのおとなしさを愛さずには いられなかった。それにそのかわいそうなあごには止めぐつわが取り付けられていたの に,私たちが食事を大変楽しんでいるのは身勝手だと私はしみじみ思った。午後,ラフリ 寡に着いた,お茶の時間の2時間ほど前だった。
11月8日 木曜日 翌朝,11時まで絶え間ない雨,それから晴れたので,ウィリアムと私はブローウイック へ行った。ラフが途申で加わった。風が強く吹いたので,雲を頭上の山腹にそって押しや ヤ ギつた。4,5頭の山羊が岩場を飛び跳ねていた。羊は一層静かに動いたり,避難場所で身 を縮めたりしていた。ラフ家の上の崖にある嵐で鍛えられた2本の黒いイチイの木は,漂 う霧に見え隠れしているが,わかりやすい目印であった。私はブローウイックについてど う言ったらよいかわからない。というのは,私の書いたものを読んで下さる読者がそこに いたことがあるか,行きたければすぐにそこへ行くことができるかのどちらかの場合,こ の場所を記述することは馬鹿げていると思うからである。森や藪の茂った畑を見下しなが ら,共有地の上のむき出しの崖に立つと,湖,雲,霧はすべてすさまじい風の音の方へ動い ていた一再の輝ぎでほとんど見えないパターゲイルの教会や家々。湖を見下すと,幻想 的とは言い難い光景。ライオンのように落ち着いた大胆なプレイス フェル,大河のよう に流れている湖全体,小さい島の回りで踊っている波。私たちはある家に行った。そこの 主人は小屋で羊の傷を癒していた。どこを見ても貧しく落ちぶれた姿。彼は私たちに財産 を買いたいのか,と尋ねた。湖の向こう側にある森のすばらしい様を見るために,行きつ 戻りつしながらしばしば立ち止まらざるをえなかった。木々は全般的に茶色で,熟したハ シバミの実の色にやや近い感じだった。でも,水面あたりではまだ緑色の層をなし,森の 一番高い所にあるくぼみで黄色をなし,西に雲が集まり,太陽のきらきらした輝きに染ま るのを見ている時のような雲の塊りのように,木々がぎらぎらと輝いて見えた。夕食後, 私たちはラフ夫人と谷を登った。私はもう一方の側を登りながら,その谷の長さや幅につ いて一度も考えてもみなかった。私たちは家から家へと通じる道を歩いた。その谷の低い 場所の中ほどにある小さな丘全体をおおっている雑木林か木立の一部を2,3回抜けて行 った。そこは芝生と森林とが複雑に美しく入り乱れていた。私たちはウィリアムと別れて 彼が散歩するのにまかせた。彼が家に帰った時,家を建てるのに今まで見たどこよりもよ い場所を見つけて来たと言った。ラブ夫人は月光をたよりに彼とそこを見に出かけた。月 が真上に昇った時,その谷は白光に満ちているかのように見えた。月の顔が見えないうち は東の丘はすべて黒々とした影であり,反対側の丘はまるで雪と同じように輝いていた。 ラフ夫人の大ぎな白い犬が,古いイチイの木のもとにある丸い小山の上で月光に照らされ ていた,美しいロマンチックな姿一暗い影をした暗い木と,まるで妖精のような美しい 優雅な生き物。
〈翻訳〉ドロシー・ワーズワースの「アルズウォーター湖畔の旅」(1805) 107 11月9日 金曜日 10時近くまで雨だったが,それから少し経つとかなり晴れそうだったので,私たちは パソと冷肉を詰め,ボートで出た。ラフの召使いが漕ぐのを手伝ってくれた。進むにつれ 晴れてきて,山の上には雲や太陽の輝きがあった。プレイス フェルの下の雄大な湾でボ ートに乗った3人の漁夫が網を引っ張っているのを見たので,そこまで漕いで行った。漁 夫たちはその網を岸へ引っ張り上げているところだった。そして数百匹の魚がその牢獄の 中で飛び跳ねていた。全部同じ魚で,いわゆる「マス」だった。私たちが漁夫から離れて も,彼らは魚取りを続けていた。そびえ立ち,むき出しの崖の下の美しい一団。その全景 はとても雄i大で,1羽のカラスが頭上の山の上で鳴いていた。サンウイックに着いた。そ の召使いはボートで家に帰ったが,私たちは最初湖畔のそばの雑木林を抜け,それから緑 の畑を抜け,美しい夏の道を村の方へと旅を続けた。その村と小川はとてもきれいで,山 と湖に囲まれていた。そこはサマーセットシャーを私に思い出させた。ハリー・ヘブソン の家を通り過ぎた。私は昔のよしみで訪ねたかった。ウィリアムは谷の一方の側を,私た ちはその反対側を登って行った。それから彼は教会の上にあるアーチ型の橋を渡って,私 a.) たちに加わった。「輪をなす苔の壁」と1本のイチイの木のある教会の美しい眺め。谷に ある一番端の家で主人は玄関で羊の傷を癒していたが,私たちに親切に拶熟してくれた。 彼は私たちを家の巾へ招き入れ,この辺の谷の先にある森で年に一度の「赤鹿狩り」用の 宿泊施設としてヘイゼル氏が建てた部屋を見せてくれた。その部屋には酒やグラスなどを 入れる食器棚一つ,頑丈な椅子が二つ三つ,大きな食卓が一つ,スポーツマン風に備えら れ,またこれらの狩猟で何年も続けて捕獲した雄鹿の角で飾られ,そしてそれぞれの角の 下に鹿が走った最終レースの長さが記録されていた。私たちはそこで食事をした。人の 良さそうな夫人がとてもおいしいバターと作りたてのオートミール パンでもてなしてく れた。またハゼル氏の強い酒をいただいてから,私たちは山に向かう準備を十分に整えて すぐに登りはじめた。マーチンゲイルは先端で二つの谷に分かれる。その一つは(左側の 谷だが)家が全く見あたらず,また以前はとても大きな森であって,明らかにその森の跡 とみられる林が点在する山腹の牛小屋以外はどんな建物も見あたらない。もう一つの谷の 底に私が述べた家があり,この人の農場の囲いの向こうには他に家はない。森の名残の古 い木が2,3本ある。小さな小川では,たくさんの牛が草を食べており,その川は自然の 3)輪をなす苔の壁に囲まれた 教区の礼拝堂があった 「兄弟」 (“The Brothers”)711。27−8.を参照。
ままの谷を通り蛇のようにうねうねと流れている。この地方の牛は普通白か淡色をしてい るが,ほとんどがこげ茶か黒色なので,スコットランドの景色とよく似ていた。丘の斜面 に座ると,牛の鳴き声,羊の鳴き声,谷の流れのとても優しげなささやきといった静かな ありふれた音に十分に満足したが.こんな山間で角笛の音がどんなに大きな効果をもたら すだろうかと考えずにはいられなかった。それが年一度の鹿狩り一この地方のすべての 住民に,かわいそうな鹿は別だが,昔から伝わる祝祭日に今なお聞かれるのだ。この山に 登ることは頂上でさえとてもたやすい。私たちがそこへ登ると.すごくすばらしい山々が 望めた。太陽にぎらぎら輝いている山もあれば,半ば雲に隠れている山もあった。アルズ ウォーターは黒々とした丘に取り囲まれ,まぶしいほど輝いていた。ペソリスの向こうに 見える平野は海か砂浜のようになめらかで輝いて(ややきらめいて)いた。サンウイック の上のボアーデイ.ルを見下すと,深くてむき出しで,小川がそこへ曲りくねっていた。丘 の頂をかなり歩くと,グレソリディソグやグリスゲイルの先にある山が見えてきた。それ から降りはじめる前に,ラフは私たちをある小さな二三のそばへ連れて行った。そこは以 前,マーチンゲイルとパターゲイルの住民が安息日にいつも会っていたチャペル,すなわ ち礼拝堂だった。その建物が共有の羊小屋と違うことがわかる痕跡は今や全くない。散在 する石やまだ積み上げられたままの少しばかりの石は,他の由のと同じである。しかし, 長方形をしたその建物の形は,共有の羊小屋のそれとは違い,東西に建っている。そこが 聖地であったかどうかは私にはわからないが,その場所が今パターゲイルに住む一部の人 たちの記憶に神聖にうつるのかもしれない。というのは,それが昨年の夏,1人のかわい そうな老人の生命を救うことになったからである。彼はビート(泥炭)を取りに山へ登っ た折,突然嵐に巻き込まれ,再び下山することができなくなった。彼はたまたまその古い チャペルの二三の近くにいて,その隅の壁と壁の間に掘り出したビートやピースや石を並 べて風を避ける場所を作り,そこに一晩中座っていた。彼に取りに行かせた夫人は夜が近 づくにつれ不安になりだしたので.近所の人たちが彼を探しに出かけた。その時その老人 は避難所にいて,人声を聞いたが,強風のため知らせることができなかった。彼は二度と その場所を見つけられないと思い,夜通しそこにいた。彼らは発見できずあきらめて引き 揚げたが,翌朝同じ人たちがその避難した隅に彼が縮こまっているのを発見した。最初は 気を失っていて動けなかったが,飲み食いすると多少落ち着いたので下山した。後で苦し 4) んだ様子は.なかった。降りるにつれ,パターゲイルの谷がとても素朴で雄大に見え,その 4)『遣遇』(The Excursion), ll.730−895.とこの詩のイザベラ・フェソウィックの掌え書を参照。
〈翻訳〉ドロシー・ワーズワースの「アルズウォーター湖畔の旅」(1805) 109 先端にはディープ ゲイルと,ブラザーズウォーター(兄弟湖)すなわちハートソープの 二つがある。2組の兄弟があの湖で溺死したというのは注目に値する。何年も前にそこで 溺死した兄弟に由来しているという言い伝えがあり,更に別の兄弟が約20年後あの悲しい 運命に遭遇したという事実がある。それは元旦のことだった。その母親は兄弟に小麦を脱 穀させていたが,彼らは(他の人がみな休んでいるのに,こんなに働かせるのはひどいと 恐らく思ったのであろう)そっと抜け出して氷の上を滑りに行き,2人とも溺死した。2 人が氷の中へ落ちるのを見ていた近所の人は,確認できるほど近くにはいなかったが, 2人は誰と誰ではないかと推測し,その母親のもとへ行って息子の安否を尋ねた。母親は 「うちの子供は納屋で脱穀していましたよ。」と答えた。「いや,ちがうでしょう。」とそ の人は言った。「そこにはいないし,今日はそんなことをしていないでしょう。」その夫 人が彼と納屋へ行ってみると,子供たちはいなかった。その時はじめて事実であることが わかり.2人は溺れたのではないかと彼は告げた。兄弟は互にしっかりと腕を抱き合って いたということである。降りて来たビートの道が急な坂でしかもでこぼこだったので,ラ フ氏の家に着いた時私はひどく疲れていた。私はソファーに横になると,すぐに眠った。 すばらしい月光の夜 谷の中ほどにがかった濃霧,そのためにウィリアムは自分の家の 位置がわからずがっかりした。プレイス フェルの下の漁夫が取った魚を少し夕食にし た。とてもおいしかった。 11月10日 土曜日 5) すばらしい朝。朝食の時,ネルソン卿の死とトラファルガーの勝利の知らせを聞いた。 更に詳しく知ろうとして旅館へ行った。ペンリスで盛大な祝賀会があったと聞いて驚い た。ウィリアムの岩と森のそばを帰り,その場所が非常に気に入ったのでJウィリアムは できればそこを買いたいと思った。そこでウィリアムはその所有者と交渉してくれるトー マス・ウィルキンソンに依頼しようとしてパーク ハウスへ向かう準備をした。私たちは ステイパロー クラッグの対岸を降りた。私は馬から降り,ブP一ウイックの上の,前と 同じ岩の下にしばらく座った。太陽の輝きで,教会や他の建物は2日前の霧よりも更にも っとさえぎられた。夜ひどい霜が降りたので草木はまだぬれて.いた。下の方にある森の中 のブナのレモン色の葉が風で太陽の方へひるがえると,輝いたりダイヤモンドのようにキ 5)彼が戦死したのは,トラファルガーの海戦でナポレオン艦隊を破った10月21日のことであるか ら,かなり情報が遅れていることがわかる(訳者注)。
ラキラ光るのを見た。その日は終日雲一つなかった。2人だけだったので,代わる代わる 馬に乗ったり歩いたりして楽しんだ。プレイス フェルの下まで馬を連れて行き,そして 6) 道:がよい時は主に私が乗ったが,ウィリアムは時々体を休めるために乗った。ユーズミァ ーまだ住んでいないグリーン姉妹の家一を訪ねた。水車小屋のあるエモント川の浅瀬 を渡るつもりでバウァー バンクのそばに行ったが,馬は私たち2人を運ぶことができな かった。そこでいろいろ考えたあげく,私が馬に乗ってせきたてて渡り,それからある少 女が別の馬に乗って,その馬をウィリアムの所へ戻らせた。パーク ハウスに着く前はと 7) ても寒かった。カーペットと椅子が草の上に広げてあり,ダーヴェントが私たちを出迎え に走って来た。居間に火が入るまで台所に座っていたが,それからおいしいお茶をいた だいた。お茶の後,ウィリアムはトーマス・ウイルキンソンの家とブP一アムへ行った。 11月12日 月曜日 朝は晴れていたのでJ私たちはローサーへ行くことに決めた。そこでセアラは1・ムの馬 に,私は連れて来た馬に乗り,ウィリアムとグリーン嬢は歩いて出かけたが.グリーン嬢 はいくらも行かないうちに,セアラの後に乗った。ヤソワースで浅瀬を渡った。トマ ス・ウイルキンソンが畑で仕事をしていた。彼はうれしそうに鋤をおき,ウィリアムと私 たちの脇を歩いた。ブローアムの下の水車小屋に馬を置ぎ,森を抜けクオーリーまで行っ た,そこで道は終り一まさにそこは私が少女の頃,散歩するのに一番気にいっていた境 界であった。私たちがそこにいる間,陽は照らなかったが.真昼だった。だから,照った とすれば,その光は同じではなかったであろう。しかも私はあの頃の散歩をとても生き生 きと思い出したので,私が森の中にいる間.あの幸せな頃に見ていたのと同じように木の 上に豊かな夕日を見ているようにも思えた。今は地面全体を枯れ葉がおおっていたので, その道は限でほとんど跡をおえなかった。それで私はとても残念だったが,ウィリアムは 夏をP一サーで過ごした後,大変喜んでその美しさを描いた。クオーリーの下をどうにか こうにか行くと,T.ウイルキンソンの新道へ出た。川岸のそばや森の中で楽しい3時間を 過ごした。リチャード・ボーマン夫妻に大変親切にもてなされた やがて食事が準備さ れ,小さなハンナがおせっかいをやいてもてなしてくれた。その子の軽快な動きや幸せそ 6)ユーズミアはアルズウォーターの麓から1マイルの所にある家のことで,以前はクラークソン 夫妻が住んでいたが,今はグリーン姉妹が借りているQ 7)1800年生れのダーヴェソト・コールリッジのことQ
〈翻訳〉ドロシー・ワーズワースの「アルズウォ一鎖ー湖畔の旅」(1805) 111 うな顔つきがその家の手厚いもてなしぶりをはっきりとうかがわせていた。グリーン嬢と ぺγリスへ行った一エルウッド夫人の家でお茶をごちそうになった。コリングウヅドの 至急報を読んだ。ジェームズ氏の店へ行き,それからクープランド夫人の家にいるモンク ハウス嬢を訪ねた。メアリー・モンクハウスとセアラはジョージという馬に乗った。私は ウィリアムとその町を抜け.エルウッド夫人の玄関先まで歩いて行った メアリーとそ の妹マーガレヅトと私とがそっとお互の家をよく行き来し,台所の火の前でおしゃべりし て帰る時間を遅らせ,月や星の光をたよりに通りを上がり下がりしながら帰って以来夜 のこんな時間にペンリス通りを通ったのははじめて。セアラと私はレッド ヒルに止まっ たが,ウイリア∼・は浅瀬を越えT。ウイルキンソンの家へ行った その家はぎたなくて, 心地よくなかった 1人の小さな少女が揺籠の中の赤ん坊を絶えず揺っていた。「揺ら ないと眠らないのですか。」と尋ねると,その母親は「はい,それが癖になっているんで。」 と答えた。10時にパーク ハウスに着いた。ジョアンナは私たちのために夕食とお茶を用 意して待っていた。 !1月13日 グ(Ptt_日 とても湿っぽい朝。帰宅でぎる望みなし。ウィリアムはトーマス・ウイルキンソンから 借りた本を読んだ。私は「ラックレソト城』を読んだ。その目は1時に晴れたので,昼食 後,3時少し前に私たちは出発した。馬が1・ムの畑の泥沼にめり込んだので,私は馬から 降りざるをえなかった。ソールビー フェルを越えて帰った。アルズウォーターに着く前 に陽が差したが,頂上を除いて丘の上には少しばかり雲が散らばっていた一湖は全く静 か。楽しい旅をした。最初の公園にさしかかった所でウィリアムが馬に乗り,次の門まで 馬を急がせる間,私は歩いたり走ったりしながら彼と歩調を合わせた一それから私が再 び乗った。私たちのような,白馬を連れた2人の旅人が道づれとなった。私たちはパター ゲイルの近くまで一緒に行った,ずっと早足で。ゴーパロー パークの木はとても美しか った。葉のないサンザシ,あざやかな赤い実でおおわれ,緑のイバラでアーチ型に飾られ たサンザシの丸い頭,光沢のある実をつりさげた野バラ。あざやかな黄色をした一回目枯 れ葉を今なお飾りたてているたくさんのカバの木。茶色か葉を落とした樫の木。裸のbネ リコのつやつやした銀色の枝。春におけるような緑色をした多くのハンノ木。私は動物の 中で鹿を見るのが一番楽しいと思う。それは恐らく他の動物より一層自然のままの状態で 主に生ぎているからだろう。ガロー パークの端で,鹿の大群がシダの問をゆっくり移動
112 しているか,じっとしているかのどちらかであった。たまたま知った旅の友が口笛で驚か せた時はとても悲しかった,おごそかな素朴さや思慮深げな喜びの美しいイメージを乱さ れたから。というのも,鹿だって臨終の日の厳粛な気持を私と共にしていたと推測するこ とがでぎたからである。陽が少し沈みかけていたのをほんのちょっと感じはしたが,いつ のまにか沈んでしまった。湖は以前にまして輝いた。私は再びステイパロー クラッグで 馬から降り,ウィリアムがグレンディディングのあたりまで乗った。ラフの家族は台所で お茶を飲んでいた。お茶をいただいてから,再び出発した。ラフは小道の所まで歩いて私 について来てくれた。ウィリアムはブラザーズ ブリッジに着くまでずっと馬に乗った 一楽しい夕方。パターゲイルの丘の頂上近くにあるスバル座。すべての星はいつもより 輝いて見えた。急斜面がブラザーズウォーターに映り,湖上に立つ巨大な黒い垂直の壁の ように見えた。カークストンの急流は雨で水かさが増し,山道にそのとどろきを響き渡ら せていた。それが私たちの旅の厳粛さを一層増した。星は次々と山の頂に現われた。とて も高く登った時,私たちの後の非常に遠く離れた所にある谷の一つの光が,暗がりの中の 一つの大きな星,孤独な星のように見えた。あらゆる陽気な場面は頭上の空にあった。 真夜中になる1時間前に帰宅した。メアリーと子供たちは寝ていた一壷の気はなかっ た 幸いなことにウィリアムは歩いたので暖かかった。私は寒くなかったが,大変注意 深く身を包んだ。夜はおだやかである。食後すぐに寝た。