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〈翻訳〉T. グラタン著「ワーズワース、ドーラ、コウルリッジのベルギーとドイツの旅」(1828)(2)

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(1)

90 〈翻 訳〉

T.グラタン著「ワーズワース,ドーラ,コウル

リッジのベルギーとドイツの旅」(1828)(2)

  1)  前山ではBrusselsからWaterlooを経てNamurに至る様子を述べた。本稿はミュー ズ川沿いにNamurからRoillonを経てDinantに至る描写である。前壷と同様, Grattan は風景描写よりもWordsworthとColeridgeが旅の途中で語った文学的議論を中心に述 べている。というのは,Grattanが小説家であって,当時の詩人たちの考え方に特に関心

をもったからであろう。本稿に見られるWordsworthのByronやScott観Byronの

Wordsworth観SoutheyのByron観CQIeridgeのアヘンについての弁明やde Quincey

著『イギリス人のアヘン常用者の告白』の批評などは,WordsworthとColeridgeのみな らず,ロマン派詩人全体に関わる貴重な資料と言えるだろう。 翌朝,私たちは非常に早く起きた。朝食をとっていた7時までには馬車が準備されてい た。コウルリッジは(旅行中,朝食か夕方のお茶には決ま.って)彼独自の方法で調理した 自分の分け前である3個の卵をさっさと食べた。彼の調理法は2分間熱湯に入れ,それか ら取り出し,熱タオルにもう2分間くるみ,次に(再び沸騰させない)その湯にもう1分 間つける一と食べられる。私はコウルリッジが大食家か小食家かよく分からない。しか し彼がこの料理法を重視するのを見ることは少なからずおもしろかった。彼によると,こ の料理法では卵は非常にすばらしい香がし,白身はもっとよい香がするが,黄身にどんな 良い点があったか,それはすっかり忘れた。  私たちはミューズ川の土手沿いにディナーンへと馬車を走らせた。非常に美しい景色の 連続であった。これには多くの意見が出たが,記録するほどのものはない。もっとも., 川のいろんな景色が文学の目的に一つ一つかなっているかについての私たちの冗談から,  1) r彦根論叢』(滋賀大学経済学会),第210号(昭和56年9月)。

(2)

      リッジのベルギーとドイツの旅」 (1828) (2)     91 私がその時書いていた『ブルージュの女相続人』(The Heire∬of Bruges)という小説の        2) 一場面として,ポワァルバッシュ城(Poilvache Castle)の廃虚に私が注意を向けるよう になったのは別であるが。  ルイヨーン(Rouillon)の村の近くにある鉄鉱山のあたりにさしかかった所で,馬に餌 をやるために立ちiしまった。そこで私たちは深い峡谷や小川に沿った道をぶらついた。い つものようにワーズワースが先頭だった。一方,彼の同伴した娘さんは川の淵に座ってと てもきれいなスケッチをした。私たちが歩くにつれ,コウルリッジが私の腕によりかかっ てきた。そしてこの辺の地質に関する私のいくつかの観察は,彼が20年間研究し続け,そ の時には書き終えていて,自然哲学の教師であるグリーン氏(Mr. Greene)と共同で出 版する予定であると言った「偉大な哲学的な作品」に関する長い談話へと導いた。彼は自        3) 然と神について述べた。これは「同じどころか全く対照的だ」と言い,それから宗教につ       プリオナスム いていろいろ述べた,とりわけ「啓示宗教とは冗語法であり  他の何ものでもありえな 4) い」と言った。  次に彼は尊敬と深い敬慶の念をもってキリスト教について述べた。この崇高なテーマに ついて語ったすべての言葉には,一人よがりでない確信と.愛に基づく哲学の静かな態度 がみられた。  ディナーンに着くと,コウルリッジとワーズワース嬢はホテルにいたが,ワーズワース と私は焼けつくような暑さの中で,町を一望するため町の上にそびえる断崖に登りはじめ        や ぎ た。二人はコートを脱いで腕にかけ,てくてく登った。ワーズワースは迷える羊か山羊を 捜す頑丈な山男の姿や格好をしているように見えた。二人は2時間以.ヒ暑い中を登った。 2) この名前を私はウェルパッシュと変えた。こ柵こは,女主人公が演ずる数々の冒険の場所とし  て尋ね歩く旅行者を満足させるほどのオリジナルな響きが十分ある。また私の小説の中で紹介さ  れている建物の虚構の歴史の中で無知の責任から私を逃れさせるため,オリジナルな言葉と大変  違うと思ったから。 3) コゥルリヅジに耳を傾けないで,彼と議論することを選んでいたら,自然という言葉のボイル  の定義を私は引用していたであろう。すると,彼自身の言う意味について彼を多分少し困らせた  であろう。もし自然が「造られる自然」(natura naturans)を意味するとすれぽ,自然ほ創造  者と同じになる。しかし,コウルリッジは自然を「宇宙」(the universe)の意味に使ったことは       わざ  明らかであり,そして造り主とその業との間に対照があり,「自然を通して自然の神までみた」  ということを意味した。 4) もし私が望んでいたら,再びここで議論がすばらしく展開したであろう。コウルリッジの言明        えい  はドライデンの「理神論すなわち自然神論はノアの末茜における啓示宗教のわずかななごりか,  消えかけている炎に過ぎない」という原理に基づいているように思われた。

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 92 この時ワーズワースは驚くほど愛想よくなり,突然という訳ではないが,今までそれ.とな く思っていたよりもはるかにもっと彼自身や彼の力に私は敬服した.これといった情報は ないが,少しずつ情報が得られた。二人は登りながら,時々,あちこちの景色や川の向こ うの景色を眺めた。そして絵スケッチ,この場から暗示される他の多くのテーマについ て話した。だが,彼は結局,画家や哲学者のようには話さなかった。また言入のようにも 全く話さなかった。彼が語った言葉には確固たる現実的な態度や活気がみられるが,それ は印象的でないと同様,不愉快にさせるほどの,やや耳ざわりな北方地方の〔r〕のなま りがあった。ワーズワース自身であると信ずることも,また彼の想像的で実体のない抽象 性に富んだ詩人のそばを私は歩いているという確信を抱くこともほとんどできなかった。  道の頂上近くにとても美しい聖堂があり,その中に十字架と聖母マリアの彫像があっ た。二人はこの田舎の神殿の階段に腰をおろし,多くの魅力を合わせもつ風景の中を曲り くねって流れるミューズ川の美しい眺めをしばらくの問楽しんでいた。ワーズワースはそ の聖堂とここからの眺めを題材にして詩を書くことを半ば約束してくれた。彼が今までに 書いているのか,あるいはこの最初の霊感が全く消えてしまったのかどうか,を私は知ら        まない。しかし,この風景と出来事はこの最も愉快な小旅行のいわゆる「間」の一部として 私の記憶に強く残っている。  これと言った興味ある話題も出ず,しばらくの間垂直に近いこの断崖の頂上にある平地 を歩くと一このような状況は心をぼおっとさせやすいが一,ついに決まった話題,す なわち,私の連れが明らかに得意としていた話題になった。これに関して彼はやがて巧み に話すことがでぎた。彼をこれだけ興奮させたのは,ロード・バイロンとその詩であっ た。この話を散歩の途中で引き出したのは全く偶然のこ.とだった。  彼の個人的感惰をやや長たらしく説明した後,彼は本当に正しい判断力と優れた批評眼 をもって,たっぷり30分間も軽蔑的に弁じたてた。しかしながら,彼はバイロソの人間と しての評価は全く正しかったが,詩人としての評価は非常に低かったと私は思った。しか し,どちらにも狭量さや不公平さは全くなかった。彼は自分が言ったことを心から信じ, またその言葉のすべてから彼の誠実さや優れた感受性がよく分かった。それは大変明瞭で あり,一語一語心に刻みつけられていた。  たとえ私がそれを思い出しても,今この歩きながらの講義を書き留めることはむだとな ろう。その主要な論点は,作家としてのロード・バイロンが次のような大きな誤りを犯し たという点にあった。すなわち,(1)犯罪が英雄的行為,暴力,権力などを生むと考える

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       リッジのベルギーとドイツの旅」 (1828) (2)     93 と同じように道徳を考える点,(2)異常に興奮し圧倒するような情熱をもった人を,優し さ,志操堅固などと認めさせることが人間の知性だとみなしている点,㈲ 多数の例を引 用する表現様式に関する点,である。このすべては返答の余地が十分にあった,そしてそ の大部分は妥当で印象的であったが,さほど説得力はなかった。しかし,バイロンは力強 い,生ぎ生ぎとした感情の表現や.言語を自由にあやつる点で偉大な能力をもっていると 彼は考えた。またバイロソが確かに大衆に影響を及ぼすほどの「実に優れた人物」である に違いないことも彼は認めた。「P一ド・バイロンは過大評価されすぎているから,やが て世間一般の評価よりはるか下へ沈むだろう,いや,すでに沈みかけている。それから詩 人たちの間の正しい位置におさまるであろう」一非常に高い位置には考えていなかった 一と言って彼の判断を要約した。彼は「ロード・バイロンが非常に独創性に富んだ人で はないとしきりに思っていた1一このことからバイロンが自分〔ワーズワース〕から非 常に多くを盗用しているという考えを述べるようになった。そのことが再びワーズワース に対するバイロンの根強い人身攻撃の話題となり,次のようにワーズワースは説明した。  ブリストルの印刷屋の未亡人,ブライアント夫人(Mrs. Bryant)という人が,詩を書 き,その原稿をワーズワースに読んでもらうために送った。それにはバイロソが献辞を受 け入れてくれるだろうかと尋ねてあった。ワーズワースはバイPソがそれほど人気がある とは思えなかったので.彼に頼まないほうがよいだろうと返事した。すると,彼女は詩集 によって家計を助けようと思っていたので,かなりがっかりした。ワーズワースは「現代 的好みや一般的思想の水準をやや越えている実によい箇所もある半面,誰でも発見できそ うな欠点もあった。詩集を出して非常に人気があり,非常に有名になった詩人のうちに は,深みや崇高な感情をもたずに書く人もあるし,自分の才能を不道徳で放蕩な目的にま で下げる人もいた」と彼女に言った。  ワーズワースはスコット(Scott)とバイロンをそれとなく指していることを私に白状 したが,名前はあげなかった,そして彼はその手紙が問題になるとは思ってもみなかっ た。しかし,ブライアント夫人はそれを見せ回ったので,バイロンがそれを見たか,その 噂を聞いたかであった。だからバイPンはワーズワースに対して悪意を抱いた。ワーズワ ースはロジャーズ(Rogers)からこのことを聞いた。ロジャーズはある日,ロード・バイロ ンに(ワーズワースに言ったように)「なぜあなたは非常にたくさん無断借用した人の悪 口を言ったのですか」と尋ねると,「なぜワーズワースはあんな手紙を書いたのですか」 という質問が返ってきただけだった。

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 94  ワーズワースはまたサウジー(Southey)のバイロンに対する憎しみを述べた。これに は『ドソ ジュアソ』(Don J加η)のいくつかの注にサウジー夫人と彼女の若い頃の仕 事(洋裁師か婦人用帽子屋)についてバイロンがとんでもないことを言ったことにもっぱ らよっていた。  「サウジーはこの上なく勇敢な人である」とワーズワースは言った。「しかし彼はクリ スチャンである,P一ド・バイロンは決闘を挑もうと決めた敵である。もしそうでなけ ればきっとバイロンに決闘を挑んだであろう」また,サウジーは決して彼を許さなかった し,思い出すことすらいやだった,もっともサウジーはキリスト教信仰に深く捧げてはい なカ・つたカミ。  モーア(Moore)を通り過ぎながら,現代詩人たちと関連して,ワーズワースは「くだ らぬ家族」などの中で王(ジョージ4世 George W)を攻撃して強い非難の口調で語っ た,特に王が若い頃,競馬の経営をし,あるクラブから追放された古い話をあばき出し        5) た。ワーズワースは王の年とってからの話や,スポーツ界から完全に隠退した後の話を気 ままにもち出し,強い口調で長々と話した。この話題やバイロンの人身攻撃に関してワー ズワースが語ったすべてには,率直さや正直さがみられた。彼の言葉にはごまかしもとげ とげしさもなかった。       一  私は,彼自身の詩について多くを語ってもらおうとはしなかった。彼もその話題を私に 無理強いしょうとしなかったが,彼は「私は書くことは好きでない一一だが,長篇の『通 遙』(The ExcursiOn)を書き続けるよりはソネットなどの短篇のほうが好きだ一その多 くを私の生きている間に出版する考えは全くない,というのも,3冊の行間を詰めた八つ 折判の全集をすでに出版したので,それでもう事足りていると思うからです」と言った。 その時私は心からその意見に賛成だったので,その話題を強要しなかった。  私がこれまで述べてきた彼との散歩中ではなく,私たちの旅行中のある時,ウォルタ ー・スコットの小説が話題に上った。スコットランドの方言や地方色のもつ魅力がほとん ど全くなくなった時,翻訳でさえも,小説がいろんな国民に大変受けるのは,小説のもつ 大きな長所であることは全く明らかであると,私はありきたりのことを言ったので,答え ることができないと思った。これに対しワーズワースは「もしそういうことがあるとすれ 5) この話をして1年もたたぬうちに,王はかつてそうだったように競馬にのめり込んでいた。彼  はイギリスでは第一級の競走馬を何頭か買い,アスコットなどでそのできばえをじっと見つめて  いた。

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       (2) 95

       リッジのベルギーとドイツの旅」        (1828) ば,それは全く逆である。なぜなら『ヴェルテルの悩み』(The Sorrows of Vferter),『オシ アン詩集』(Ossian’s Poems),その他いくつかのそんな価値のない作品が広く翻訳され読ま れているからだ」と答えた。コウルリッジはこれにうなずいたが,同意してなのか,眠って いたのか.はっきりとは分からない。多分同意したのではないかと思う。私はそれに応ず るほどのことはないと思った。だが,批評眼に欠けると同様,ねたみがあるのではないか と思ったり,またほとんど許すことのできない欠点を率直に言ったのだろうとも思った。  ワーズワースは,しかしながら,数日前ロンドンで出会っていた私と姓は同じだが別な 人の,てんで問題にならぬ不適当な例を言い出して私を大変楽しませてくれた。この人を 『表道と脇道』(Highways and Byways)の著者だと間違えたある人が,私が繰り返し てもよいほどその人をすばらしくほめたてていた。だが(ワーズワースの言葉で言えば) 「この人は名声もなく,心も貧しく,自分の当然受けるべきでない称賛を拒むことができ ない人のように,じっと称賛されるままになっていた」。  コウルリッジ自身に関して言えば,私が触れる最も興味ある点は,彼がアヘンを飲む点 にあった。彼について何か噂を聞いたことのあるほとんどすべての人と同様,彼をアヘン 常用者と私は考えていた。私は彼が当然この喜びに耽っていると思って言った。これにつ いて彼は私が思っていた以上に元気よく活発にはつぎりと示した。彼はそのことを全く心 に深く留めていた。そして正しく理解されようと真剣に思い,また彼の見解を私がある程 度効果あらしめることを切望して,彼は非常に誤った考えがその問題にあると私に確信さ せようと努めた。彼は言いようのない恐怖の苦しみでベッドから飛び起きるほど,それほ ど彼をしばしば苦しませた悪夢の恐ろしい訪れを和らげるにはこれしかないと思い,アヘ ンを時々吸っていたことを認めた。彼はミルトン(Milton)を引用したと思う(一語を省

いて)一

眠れないのでただ一つの救いとして (死のごとく)麻痺させるアヘンに私は耽る このように話している時,まだ出版されていないと彼が言った数行を突然思い出している ように思われたが,それからその数行を「眠りの苦しみ」(“Pains of Sleep”)よりもっと 苦しいことだと力強い表現で語った。彼はその数行を深いつぶやきの中で繰り返しなが ら,激しく震えハアハア言ったので,習慣となっていたに違いない恐怖心が生き生きと私

(7)

 96 に伝わってきた。しかし,彼はアヘンを飲み過ぎたり,単なる興奮の目的で飲んだりする ことはいけないとまじめに言った。  「そういうことをしたら,私にとって深い亨楽的な犯罪となったろう」と,彼は特に強 調して話す時でさえもあまり,身振りをしなかったから,ほとんど体を動かしもせず,ただ 両手と眼を空に上げて言っただけだった。  彼は『イギリス人のアヘン常用者の告白』(Confe∬ions of an English Opizam Eater) の本が大嫌いだと話し,それは「邪悪な本で,とんでもないほど誇張」していると言い, 「世間に醜態をさらけ出している」とその作者に対し大変激しく非難した。コウルリッジ は自分が告白した常用の権威者として,自分のことを本にのせるとはひどい奴だと思っ た。それから,彼は「ドゥ・クインシー氏(Mr. de Quincey)がアヘンを飲んでいるので はないかと推測し,機会あるごとに彼を説得して思いとどまらせようとして数時間を過ご したことがあったが,あの人はいつも決まって私は全く飲んでいませんと大変礼儀正しい 態度で断言した。一方彼の告白によると,他の人がぶどう酒を飲むように,彼はアヘンチ ンキを飲んでいたことが明らかになった」と言った。  この話の前日,馬車で旅している時であったと思うが,コゥルリッジはおおげさだが押 しつけがましくない口調とやり方で,文学の腐敗と鑑賞力の低下について弁じたててい た。彼は何年も前から自分の「大作」に非常に忙しく,当時の軽い文学書を明らかに読ん でいないと言えよう。しかしながら,彼はよく売れる小説や大衆作家の名前を聞いたが, その名前を彼の頭の中で全く混同した。これは確かにえこひいきではなかった。彼は私が そんな一団の一人であると聞いていた。つまり,彼は文学に携わるいわゆる「とるにたら ぬ奴」と明らかに考えていた。しかし,私がこれまでどんな本を書いたかを少しも知らな かった。彼が,私たちに四分の一,彼自身に四分の三位の割でまくしたて,「そうです。 これは確かに英文学の最底から一つ上の段階一低い段階と真に呼ばれるだろう。ウェイ バリ小説とその学派,『表道と脇道』の物語とその模倣者である一現代は」と言うのを ワーズワースと私は聞いた。すると,ワーズワースからたっぷり二馬力もあるようなウァ バッハという下品な笑いや,私からの押えきれないかすかな笑いで(もう一人のチャーミ ングな女性の旅の道連れはしぼらく真赤になっていた),彼は話をやめてしまった。私は 彼の非難に加わり,そして,いわば,私みずから彼に対してなしたその失礼をより強く取 り除こうとして,彼の批評の腕によりかかり,その話を彼の大いに満足す.る方向へそらそ うとした。ワーズワースは大層おもしろがっていた。       (未完)

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