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東北大学埋蔵文化財調査年報10

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(1)

東北大学埋蔵文化財調査年報10

著者

東北大学埋蔵文化財調査研究センター

雑誌名

東北大学埋蔵文化財調査年報

10

発行年

1998-03-27

URL

http://hdl.handle.net/10097/45611

(2)

ISSN 1341--6952

東北大学埋蔵文化財調査年報

10

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター

(3)

東北大学埋蔵文化財調査年報

10

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター

(4)

近年、江戸時代 の考古学 に対する関心が高 まっている。本年

2月

か ら仙台

市博物館 において開催 中の「発掘 された仙台城」 と題す る企画展は、平成

9

年か ら仙台市教育委員会が実施 して きた本丸石垣修復工事 のための調査の成

果 を公 開す るとともに、昭和

58年

の三の丸跡の調査成果、昭和

58年

か ら

15年

間、東北大学 によって発掘 されて きた二の九跡 の調査成果が公開された もの

である。三の丸では伊達政宗の別荘、茶室跡 と推定 される建物跡出土の茶器

が並べ られ、二の九では陶磁器、装身具、漆器、生活器材 など、藩主周辺 に

お ける公 。私 的生活 の様子 を知 ることので きる重要 な資料が多数展示 され

た。 ことに二の丸跡 出土 の南蛮人宣教師を写実的に表 した志野織部水滴 は、

江戸初期 の国際的な雰囲気 をうかが うことので きる貴重 な資料であ り、注 目

をあびている。 こうした出土陶磁器類 は、仙台城の歴史 を考 えてい く基礎資

料 として重要 な位置 を占める ものである。

本セ ンターでは、 この ような仙台城二の九での公的儀式や、藩主周辺の 日

常生活で用い られた遺物の うち、出土量 の最 も多い陶磁器 について、その製

品が どこで どの ように生産 され、 どの ようなルー トで流通 し、二の丸で どの

ように消費 されたのか を解明することを、センター全体での主要な関連研究

の一つ としている。そのため、仙台城出土陶磁器の広域調査 を、冬季の整理

作業の合間にわずかな時間 を確保 して、組織的に進めて きた。江戸時代 中期

以降、二の九で盛 んに用い られる大堀相馬焼 など、相馬地方の近世陶器窯の

状況 について、基礎 的な踏査研 究 を計画、実施 した。本報告では、その成果

の一端 をまとめ、掲載 した。今後 も引 き続 き、東北地方での関連陶磁器窯 に

ついて調査研 究 を進め、仙台城出土資料の検討 に役立てたい。

また、本セ ンターは、旧石器時代か ら平安時代 まで様 々な時代の遺跡が分

布す る青葉 山キャンパ ス を踏査 し、遺物 の分布状況、洪積世火 山灰 の堆積、

残存状況 を観察 し、遺跡の分布状況の把握 につ とめた。本資料 は、今後、踏

査 を繰 り返 し、 よ り精度の高い資料 に整 える必要はあるが、青葉山キャンパ

スの埋蔵文化財 に対処するうえで重要な手掛か りとなるもの と考 える。

本年報 を作成す るにあた り、相馬市教育委員会 をは じめ、多 くの方 に暖か

い ご支援 とご協力 を頂いた。 また、本報告書刊行のため、施設部 をはじめ、

関係各位 に深い ご理解 と多大 なご尽力 を頂いた。深 く感謝す る次第である。

東北大学埋蔵 文化財調査研 究 セ ンター

センター長 須

(5)

1.本

年報 は、東北大学構内 において、東北大学埋蔵文化財調査委員会が1992年度 に行 った遺 跡調査、ならびに研究成果 をまとめた ものである。

2.報

告 される遺跡 と略号、調査期 間、調査担当者 は以下の通 りである。 仙台城二の九跡第13次調査地点

1993年

3月15日∼ 3月24日 藤沢教・関根達人

(NM13)

青葉 山地区分布調査

1992年

4月 1日∼ 4月27日 山田 しょう 。藤沢教

3.調

査・整理作業は、東北大学埋蔵文化財調査委員会の委嘱を受け、埋蔵文化財調査室が行っ た (1994年度か らは埋蔵文化財調査研 究セ ンター)。

4.本

年報の編集は、須藤隆の指導の もとに、藤沢教 。関根達人・菊池佳子が担当 した。

5.本

文は、I∼Ⅲ章 については、藤沢教が執筆 した。なお、第Ⅲ章については、調査担当者 の山田 しょうが作成 した報告 を、藤沢が一部補足 し、 とりまとめた ものである。 英文要 旨は、菊池佳子が作成 し、阿子島香氏 に校訂 していただいた。 また、研究編 として、調査研究員の関根達人 による、福 島県相馬地域の近世窯業生産に関 する論文 を掲載 した。

6.発

掘調査お よび整理・報告書作成 にあたっては、以下の方々や関係機関か ら御指導・御協 力 を賜 った。記 して感謝 申 し上げる (敬称略)。 阿子 島香 (東北大学文学部

)

本田泰貴 (東北陶磁文化館) 仙台市教育委員会,東北大学考古学研究室 。宮城県図書館

7.出

土遺物・調査記録 は、東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンターで保管・管理 している。

(6)

J

1.方

位は、図

8が

磁北である以外は、真北に統一 してある。

2,図

1と図 2は 、それぞれ国土地理院作成の、

2万 5千

分の 1地 形図「仙台西北部」 と「仙 台西南部」、

1万

分の 1地 形図「青葉山」 を使用 した。

3.川

内地区の仙台城二の九跡、および北方の武家屋敷地区にあたる地域の地形測量図は、仙 台市教育委員会の作成による「仙台城跡地形図」(縮尺500分の

1)を

使用 した。

4.遺

物の実測図および写真の縮尺は、各々に示 した。

5,挿

図中のスクリーン・ トーンの表現は、特に記 した以外は、下記の通 りである。 遺構平面図 柱痕跡:睡塁尊苺‖ 遺構断面図 柱痕跡:巌霊尊酪

i

:「│:││1111

6.遺

物観察表の法量の単位 は、特 に記載がない ものは、cmである。

7.引

用・参考文献 は、各項 目の末尾 に掲載 した。 また、本文中で、東北大学埋蔵文化財調査 年報 を引用する場合 は、年報1とい う形で略記 した。 発掘調査参加者 阿部喜美 阿部友衛 伊藤千穂 歌川喜恵子 大 田すゑ子 大田はるよ 菅野春枝 佐伯晴子 佐藤岡

1

柴田順子 新保誠吾 菅原 よしの 高橋和子 成田和歌子 長谷川チエ子 三浦千秋 横 山東市 整理作業参加者 青井恭子 今泉人重子 内海薫 大塚玲子 後藤真希子 古 山友子 佐 々木 きみ子 庄司明美 白石浩子 独古史恵

(7)

東北大学埋蔵文化財調査委員会

(199痺

) 委員長 学

長 委 員 川内1地区協議会委員長 青葉山地区協議会委員長 星陵地区協議会委員長 片平地区協議会委員長 文 学 部

教 授 文 学 部 教 授 文 学 部 教 授 文 学 部

助教授 工 学 部

助教授 事 務 局 長 調査員 文 学 部

助 手 文 学 部 助 手 文 学 部 助 手 幹 事 施 設 部 長 庶 務 部 長 経 理 部 長 (教養部長) (工学部長) (医学部長) (金研所長) (調査室長) (∼1992年 6月) (1992年7月

) 西 澤 潤 一 渡 部 治 雄 斎 藤 正三郎 平

則 夫 増 本

健 渡 辺 信 夫 羽 下 徳 彦 須 藤

隆 今 泉 隆 雄 飯 淵 康 一 廣 田 史 郎 山 田 しよう 藤 沢

教 関 根 達 人 山 本 務 菊 地 洋 男 山 田

(8)

東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター設置規程

(平成

6年

5月17日 規第56号) (設置) 第一条 東北大学 (以下「本学」 とい う。

)に

、東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター (以下 「セ ンター」 とい う。

)を

置 く。 (目的) 第二条 セ ンターは、本学の施設整備が円滑 に行 われるために、構内の埋蔵文化財 に関す る調 査及び研究 を行い、併せて資料の保管及びその活用 を図ることを目的 とする。 (職員) 第三条 セ ンターに、セ ンター長、調査研 究員及 びその他の職員 を置 く。

2

セ ンター長は、本学の専任の教授 をもって充て、総長が命ずる。

3

セ ンター長は、セ ンターの業務 を掌理する。

4

セ ンター長の任期 は、二年 とし、再任 を妨 げない。

5

調査研究員 は、本学の専任の教官 をもって充て、総長が命ずる。

6

調査研究員は、セ ンターの業務 に従事する。 (運営委員会) 第四条 セ ンターに、セ ンターの組織、人事、予算その他運営 に関する重要事項 を審議す るた め、東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会 (以下「委員会」 という。

)を

置 く。 (組織) 第五条 委員会 は、委員長及び次の各号 に掲 げる委員 をもって組織する。 一 東北大学施設整備委員会各地区協議会の協議員 各一名発掘調査 に関連のある専門分野の教授又 は助教授 若干名 三 発掘調査地に関連のある部局の教授又 は助教授で、その都度委員長が指名する もの 四 施設部長 (委員長) 第六条 委員長は、セ ンター長 をもって充てる。

2

委員長は、必要があると認めるときは、委員会の同意 を得て、委員以外の者 を委員会 に 出席 させ、議案 について、必要な説明 をさせ、又 は意見 を述べ させ ることがで きる。 (専門委員会) 第七条 委員会 に、埋蔵文化財の発掘調査 に関す る専 門の事項 を調査審議 させ るため、専 門委 員会 を置 く。

(9)

2

F]委

員会は、委員長及び次のを号に掲げる専門委員をもって組織する。

調査研究員

発掘調査に関連のある専門分野の教授又は助教授

若干名

施設都企画課長

発掘調査地に関連のある部局の事務部の長

3

委員

長は、センタエ長をもって充てる。

(委

)

第八条

第五条第一号から第三号までに掲げる委員並びに前条第二項第二号及び第四号に掲げ

る専門委員は、総長が委嘱する

.。 (幹

)

第九条

委員会に幹事を置き、施設部企画課長をもって充てる。

(事

)

第十条

センターの事務は

│、

当分の間、事務局施設部において処理する。

(雑

J)

第十一条

この規程に定めるもののほか、センターの組織及び運営に関し必要な事項は、セン

ター長が定める。

(略)

(10)

東北大学埋蔵文化財調査研 究センター運営委員会

(1998年3月 現在) 委員長

セ ンター長

(文

学部 教授) 川内地区協議会

(文

学部 教授) 青葉 山地区協議会

(薬

学部 教授) 星陵地区協議会

(医

学部 教授) 片平地区協議会

(素

材工学研究所 教授) 文 学 部

教 授 文 学 部

助教授 理 学 部 教 授 工 学 部 教 授 東北 アジア研究セ ンター 教 授 施

長 幹 事

施 設 部 企画課長 教 授 助手) 助手) 助手) 須 藤

隆 安 田 二 郎 大 内 和 雄 大 井 龍 司 島 田 昌 彦 今 泉 隆 雄 阿子島

香 蟹 澤 聰 史 飯 淵 康 一 入間田 宣 夫 渡 邊 正 雄 渡 邊 三 郎 須 藤

隆 今 泉 隆 雄 阿子島

香 蟹 澤 聰 史 飯 淵 康 一 入間田 宣 夫 藤 沢

敦 関 根 達 人 菊 池 佳 子 金 田 一 夫 渡 邊 三 郎

東北大学埋蔵文化財調査研究センター運営委員会専門委員会

(1998年3月 現在) 教授) 委員長

セ ンター長

(文

学部 文 学 部

教 授 文 学 部

助教授 理 学 部 教 授 工 学 部 教 授 東北 アジア研究セ ンター 調査研究員

(文

学部 調査研究員

(文

学部 調査研究員

(文

学部 理 学 部 事務長 施 設 部 企画課長

(11)

序 例言 ・凡例 東北大学埋蔵文化財調査委員会委員 (1992年度) 東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター設置規程 東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター運営委員会委員 (1997年度) 目次 図 目次 表 目次 図版 目次 第I章

1992年

度調査の概要 ・………・・1

1.は

じめに 。………。■

2.埋

蔵文化財調査の概要 ・………・・1

(1)川

内地区の調査 ………1

(2)青

葉山地区の調査 ………9

(3)富

沢地区の調査 ………13 律

)女

川地区の調査 ………13 3。 そのほかの調査室の活動………14

(1)第

3回東北大学埋蔵文化財展の開催 ………14

(2)木

製品の保存処理設備の設置………15

(3)そ

のほかの活動………15 第 Ⅱ章 仙台城二の丸跡第13地点

(NM13)の

調査 ………16

1.調

査経緯………16

(1)川

内地区の立地 と歴史お よび1991年度 までの調査 ………16

(2)調

査地点の位置………18

(3)調

査方法 と経過………18

2.基

本層序………18

3.検

出遺構 ………20

(1)1区

………¨………20

(2)2区

………22

(12)

4.出

土遺物………22 5。 '多 婆驚 中 ‐ ,Ⅲ … ●IⅢ … Ⅲ … Ⅲ,Ⅲ … ⅢⅢ ,―・ ¨ 中 ● Ⅲ … … ● 中 `● ● ● ●it・・ 中 `●"●・・ ・ ・ ‐ ● Ⅲ Ⅲ Ⅲ ● ● ● ■● Ⅲ Ⅲ●… Ⅲ ,中 ● ● ● ― … … Ⅲ・ 123 6.│ま とめ―・………・………・………・・・………28 第Ш章 青葉山地区分布調査………30

1.調

査経緯………30 (1,)調査に至る経緯 ………30

(2)調

査の方法………Ⅲ■・………31

2.基

本層序………31

3.各

地点の現況 と地層………斜 4。 まとめ¨・………■●"………●●“●●…・・………・・・・………・`…・・…・42 引用参考文献 英文要旨 写真図版 研究編 相馬藩における近世窯業生産の展開 関根達人………51

(13)

1

東北大学 と周辺の遺跡 ………・

2

15

仙台城二の九跡 図

2

仙台城 と二の丸の位置 ・・………。

3

7地

点 と第13地点の関係 …………26 図

3

仙台城二の丸跡 。

16

仙台城二の丸跡 武家屋敷跡調査地点 ………・

5

第13地点周辺の絵図(1)・………27 図

4

青葉 山地区調査地点 ・………・・

7

17

仙台城二の九跡 図

5

仙台城二の丸跡第11地点

第13地点周辺の絵 図(2)・・………・2B 調査区の位置 と断面図………

10

18

青葉山地区分布調査風景………30 図

6

仙台城二の丸跡第12地点

19

仙台市域の地形区分図………32 調査区の位置 と断面図………

11

20

青葉山各面 とテフラの関係 …………33 図

7

富沢地区調査地点………

12

21

青葉山Ⅲ面での地層柱状模式図……33 図

8

女川地区 と周辺の遺跡………

13

22

青葉山地区での調査地点 と 図

9

第3回埋蔵文化財展展示風景………

14

露頭の位置………36 図

10 PEG含

浸用水槽………

15

23

青葉山地区地 目図………37 図

11

仙台城二の丸跡第13地点

24

青葉山地区火山灰残存状況図………38 調査 区の位置………

17

25

青葉山地区の 図

12

仙台城二の九跡第

7地

点・

露頭での地層堆積状況(1)………39 第13地点層序模式図………

19

26

青葉山地区の 図

13

仙台城二の九跡第13地点1区・

2区

露頭での地層堆積状況(2)………40 平面図・断面図………

21

27

青葉山地区での開発行為への 図

14

仙台城二の九跡第13地点出土遺物…

25

対応方法区分図………41

1 1992年

度調査概要表 ………。

1

3

仙台城二の九跡第13地点 表

2

仙台城二の九跡第13地点

出土遺物観察表………24 出土遺物集計表………24

目 次

図版

1

仙台城二の九跡第13地点

図版

3

仙台城二の九跡第13地点 1区 遺構………

47

出土遺物………49 図版

2

仙台城二の九跡第13地点

2区

遺構………48

(14)

I章

1992年

度調査 の概要

1.は

じめ に 東北大学 には、川内・青葉 山・片平 。星陵 ・雨宮の各 キャンパスに加 えて、他 に多 くの研究 施設があ り、その敷地 はlo県にわたる広大 な もの となっている。 これ らの各地区の構 内には、 多 くの埋蔵文化財があ り、特 に川内地区は、近世 の仙台城二の九跡 と武家屋敷跡 にあた り、青 葉 山地区には旧石器時代か ら古代の遺跡が存在す る (図 1。 2)。 これ らの大学構 内の埋蔵文化財 の調査 ・保護 を組織 的に行 うために、1983年度 に東北大学埋 蔵文化財調査委員会が組織 され、その実務機 関 として埋蔵文化財調査室が置かれた。調査委員 会お よび調査室は、1994年度 に東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンターヘ と改組 され、現在 に至 っ ている。1983年度以来、調査委員会・セ ンターは、大学構内の埋蔵文化財調査 を実施す るとと もに、調査成果 を『東北大学埋蔵文化財調査年報』 1∼ 9において報告 して きた。 1992年度 において も、仙台城二の丸跡などの調査が行われ、新たな資料 を提供することとなっ た。本報告書 は、 これ らの調査成果 について とりまとめた ものである。 また本年報 には、研究編 として、調査研究員 による研究成果 を併せて掲載 した。 これは、仙 台城出土陶器の中で、最 も重要 な位置 を占める、相馬藩領内の近世窯業 についての研究である。

2.埋

蔵 文 化 財 調 査 の 概 要 1992年度 は、川内地区・青棄山地区・三神峯地区・女川地区において、本調査1件、試掘調 査

2作

、立会調査

7件

、お よび分布調査1件の、合計

H件

の調査 を実施 した (表 1)。

(1)川

内地区の調査 川内地区では本調査1件と試掘調査

2件

、立会調査

2件

を実施 した (図3)。 表

1 1992年

度調査概要表

Tab. l Excavations on the calmpus in the fiscal year 1992

調 査 の種類 調 査 地 点 (略号) 原 因 調 査 期 間 面 積 時 期 本 調 査 仙 台城 二 の九跡 第 13地 点(NM13) 記 念講堂前 環境 整備 3/15∼ 3/24 8ポ 近 世 試 掘 調 査 仙 台城 二 の丸跡 第H地点(NMll) 植物 園本館 新営 9714∼ 10/29 138活 近 世 仙台 城二 の九跡 第 12地 点(NM12) 保健 管理 セ ンター新営 H/18∼12/18 14311a2 近 世 立 会 調 査 青葉 山東北 電 力鉄塔 地点 (92■) 東北 電力鉄 塔建 て巻 え 7/30∼ 3/24 工学 部機械 工学科 地点 (922) 航 空工学科 ク リー ンルーム新営 女 川水 産実験 所 地 点 (923) 農学 部 附属女 川水 産実験 所 新営 1026 理学 部超 高圧発 生装 置地 点(924) 理学 部超 高圧 発生装 置取 設 12/7∼ 12/10 付属 図書館 南側 地 点 (92‐5) 給水 管改修 富 沢 地 区官 舎地点 (926) 給水 管改 修 2/8∼ 2/24 教 養部 自転 車 置場 地点 (927) 自転 車 置場 屋根 取 設 3μ∼3/9 分 布 調 査 青葉 山地 区 4/1∼ 4/27

(15)

Ruin of Sendai Castle Kanauchi steles Aobayama Sitc Loc B Aobayama Site Loc E Aobayarna Site Loc C Aobayama Site Loc A Aobayarna Sitc Loc D Ashinokuchi Site 仙台城跡

2:川

内古碑群

3:青

葉山遺跡B地点

4:青

葉山遺跡E地点

5:青

葉山遺跡C地点 青葉山遺跡A地点

7:青

葉山遺跡D地点

8:芦

ノロ遺跡

9:片

平仙台大神宮の板碑 lo:郷六大 日如来の碑 葛岡城跡 12:郷六城跡 13:郷六建武碑 14:沼田遺跡 15:郷六御殿跡 16:郷六遺跡 17:松ヶ岡遺跡 向山高裏遺跡 19:萩ヶ丘遺跡 20:茂ケ崎城跡 21:ニツ沢横穴墓群 22:萩ケ岡B遺跡 23:八木山緑町遺跡 ニ ツ沢遺跡 25:青山二丁 目遺跡 26:青山二丁 目B遺跡 27:杉土手(鹿除土手

)28:砂

押屋敷遺跡 砂押古墳 30:富沢遺跡 31:泉崎浦遺跡 32:金洗沢古墳 33:土手内窯跡 34:土手内遺跡 土手内横穴墓群 36:三神峯遺跡 37:金山窯跡 38:三神峯古墳群 39:富沢窯跡 40:裏町東遺跡 裏町古墳 42:原東遺跡 43:原遺跡 44:人幡遺跡 45:後田遺跡 46:町遺跡 47:神漉山遺跡 御堂平遺跡 49:上野山遺跡 50:北前遺跡 51:佐保 山東遺跡 図

1

東 北 大 学 と周 辺 の 遺 跡

Fig l Am士聡cological sites and Tohoku University

1 6 11 18 24 29 35 41 48 「Sendai Castle (Tohoku Univ) Ⅲliyagi Pref

(16)

︺ 礫 V 製 . ド ♪ ヽ 下 出 里 移 ﹁

2

仙 台城 とこ の丸の位置 Fig。 2 Distribution of Sendai Castle

(17)

本調査 を実施 した仙台城二の九跡第13地点は、記念講堂前の環境整備 に伴 う調査である。記 念講堂前の公園 となっている区域 の通路 には、玉砂利が敷かれていたが、 この玉砂利 を救去 し てアス ファル ト舗装 を施すのに伴い、雨水浸透桝 を 2ケ 所設置することとなった。今回の工事 区域のす ぐ脇で、1986年度 に植樹 に伴 って実施 した第

7地

点の調査 においては、二の九期の遺 構面が きわめて浅いことが判明 していたため、浸透桝設置箇所 については、当初 より本調査 を 行 うこととした。調査 は、浸透桝設置箇所 に合 わせて、

2m×

2mの

調査 区を 2ケ 所設定 して 調査 を行 った。 この調査結果 については、本年報の Ⅱ章 において報告す る。舗装工事 にあたっ ては、玉砂利除去後、基盤改良のためのす き取 りを行 う予定であった。 しか し、浸透桝部分の 調査の結果、二の九期 の遺構面 まで、浅い ところでは5 cm程しか無 く、す き取 りを行 うと広範 囲に遺構面が破壊 される恐れが強い ことが判明 した。そのため、基盤改良のためのす き取 りは 行 わない よう施設部 に依頼 し、協議 した結果、縁石の上面か ら2 cm下が った位置 に舗装面が く るように、舗装 をか さ上げする変更がなされた。なお、 この舗装工事 の際には、立会調査 を行 っている。 試掘調査の一つは、仙台城二の九跡第

H地

点の調査 である (図 5)。 これは、理学部附属植 物園の本館新築計画 に伴 う試掘調査である。附属植物園の本館 と展示館 は、米軍時代の建物 を 使用 してお り、 これ らを取 り壊 して、展示館の部分 に新築する計画であった。 この場所 は、二 の九の中で も、端 に近い場所であ り、遺構 の分布状況、遺物の出土状況 を確認 し、調査計画 を 検討す るために試掘調査 を行 った。試掘調査が行 える範囲は限 られていたため、展示館 の北側 に3×

20mの

トレンチ2ケ所

(1区

2区

)、 南側 に 3×

3mの

調査 区 2ケ 所

(3区

4区

) を設けて調査 を行 った。1区・

2区

では、整地層 とその上面か らピッ トや溝状遺構 などが発見 された。

3区

4区

では溝あるいは池状の施設が発見 された。出土遺物 は極めて少 な く、 これ らの遺構 の年代 もはっ きりとは しなかった。 この植物園本館 は、その後工法が変更 され、基礎 の掘削 を浅 くする措置が取 られた。それで も一部削 られる部分のみを、1995年度 に本調査 を行 っ ている。そのため、 この試掘調査 については、本調査の報告の際 に、あわせて報告す ることと する。 試掘調査のもう一件は、保健管理センター新築に伴 う、仙台城二の九跡第12地点の調査で、 旧教養部構内の川内北地区での調査である (図 6)。 今回の調査区の東側には、1986年度に調 査 した二の九跡第

8地

点の調査区がある。第

8地

点の調査では、二の丸北側の堀 とその北岸が 検出されている (年報4)。 この場所は、明治以降の盛土が深いところでは

3m以

上にも及ぶ 所である。第

8地

点の調査の際には、記録的な集中豪雨に見舞われ、壁が大規模 に崩壊 したこ ともあって、江戸時代の堀はわずかな範囲しか調査できておらず、堀の深さも確認できていな い。今回は、安全対策を含めた本調査の計画をたてるために、堀の底の深さ、堆積土の状況を

(18)

0 測 量 基 準 点 匠三コ 1992年 度 までの発掘調査

麗露翻

1992年

度?

イ メヽ14 NMlo2屡

8i

l`NM2

び 上三

3

仙 台城 二 の丸跡・武 家屋敷跡調査地点

Fig,3 Lo∽

tion of excavaticlns mtil 19弦 at МねoIPaa/LI(blM ie.secondary Citadel)

and働

理Lraf residence(団()

, ノ 中 ド/ ) ´ ′ ‐ ` イ´-lKlc 5∼ 6

(19)

田 カ ツテ イ ング

]発

調

査地

罐麗轟翻 立会調査地点

〃   9

o loorn ― 図

4

青 葉 山地 区調 査 地 点

Fig 4 Lo∽ tion of excavatiolls at Aobayama camp嶋

͡

(20)

確認す る 目的で調査 を行 ったが、現有建物や使用 中のつF水管 などで、調査 を行 える範囲は限 ら れていた。第

8地

点 と同様 に、二の九北側の堀 とその北岸が検 出された。調査 区をあま り大 き く設定で きなかったため、現地表面か ら

6mの

深 さまで調査 を行 った時点で、それ以上深 く調 査す る事 は危険 と判断 し調査 を打 ち切 つた。結局、堀 の底の深 さは確認で きない まま調査 を終 える結果 となった。本調査 は、翌1993年度 に実施 してお り、 この試掘調査 について も、本調査 の報告の際 に、あわせて報告す る。

2件

実施 した立会調査 の一つは、使用 中の給水管が漏水 したことによる改修工事 に伴 うもの である。工事 による掘削が、既設給水管設置時 に掘削 された範囲内に収 まってお り、遺物 も出 土 しなかった。 もう一件 は、教養部 自転車置場の屋根増設 に伴 うものである。柱基礎 の部分だけ掘削 される ことになったが、掘削範囲 も狭 く、 また浅いため立会調査 とした。現地表のアス ファル トとそ の基盤の整地層の下は、ほとんどの場所です ぐに地山が露出 し、江戸時代の層は残 っていなかっ た。 この場所 は、西側 に大 きな段差がある ところで、本来は西か ら東へ緩やかに傾斜 していた 所 を、明治以降に削平 して平坦面 を造成 した結果 と考 え られる。

(2)青

葉山地区の調査 青葉 山地区では分布調査1件、立会調査

3件

を実施 した (図 4)。 青葉山地区では、1984年度 に調査 を実施 した 3ケ 所 の調査 において、旧石器時代の遺構 ・遺 物が発見 された。その後青葉山地区では、周知の遺跡の範囲外であって も、旧石器時代 の遺跡 が存在す る可能性 を考慮 し、学内関係機関の ご理解 を得 なが ら、試掘調査 を実施 して きた。 し か し、1991年度 までに実施 した 5ケ 所 の試掘調査 においては、遺構 ・遺物 は発見 されず、青葉 山地区の遺跡の分布が、必ず しも全体 に広がるものではないことが明 らかになって きた。また、 場所 によって、火 山灰層の保存状況が大 きく異 なることも明確 になって きた。そのため、青葉 山地区での遺跡の分布状況 と、火山灰層の保存状態 を把握 し、今後の開発行為へ の対応方法 を 検討するために、青葉山地区全域での分布調査 を実施す ることになった。 この分布調査結果 に ついては、本年報のⅢ章 において報告する。 東北大学の青葉山地区には、東北電力の高圧送電線が通つてお り、一部 は工学部の特高変電 所 に引 き込 まれている。送電線 を支 える鉄塔 は、東北電力が東北大学の土地 を借 りる形で建て ている。 この鉄塔が老朽化 し、建て替 えることに伴い立会調査 を行 った。いずれ も平坦面か ら 斜面 に移行す る縁 の部分で、火 山灰 の堆積状況が良 くない と予想 されたため、立会調査 とした。 なお、 この立会調査 は、工事主体者が民間企業である とい う性格上、仙台市教育委員会 と合同 で行 った。

(21)

\ X=-1939

0 20m

-図

5

仙 台 城 二 の 丸 跡 第11地点 調 査 区 の位 置 と断 面 図

Fig. 5 Plan and cross section of ttst trenches at llMll

(22)

﹂醇

\ ヽ ″た

Y=+18

=強

デ抗

― 責 帯-4 υ 略 ・ =r

︹︺

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ヽNふ′112 〔 二

/

調査 区西壁 セ クシ ョン

/ 瓦

m

-111111二

イ ●a,克 ´´´ 〆 く υ 鵜 ペ ………66m ――-65rn ――-64rn ――-63rn /マ

,萌

遺 物

_iii

サブ トレンチ部分 -61rn -60rn

0 2m

-図

6

仙 台城 二 の丸跡第12地点調査 区の位置 と断面 図 Fig.6 Plan and crclss s∝ tiOn of test ttench at NM12

(23)

工学部航空工学科 クリー ンルーム新営 に伴 う立会調査 は、昨年度 に小規模 な試掘調査 を行 つ た地点である。柱部分以外 の基礎 は盛土内にお さま り、柱で破壊 される部分 も、火山灰 の堆積 状況があ ま り良 くないことか ら、立会調査 とした ものである。 理学部超高圧発生装置の設置 と、そのための覆屋建設 に伴 う調査 は、既 にかな り削平 を受け ている と考 えられる場所 であったことと、建物が プレハ ブ建築であ り掘削範囲 も狭 く浅いため、 立会調査 とした ものである。 以上

3件

の立会調査では、遺構 ・遺物 は発見 されなかったため、それ以上の調査 は行 ってい ない。

脇紹緊

´

陶か

(1991年度)調査区

(TM3)

野球場 ヽ 歩 / 一 j//イ `\\\ ` 、亀 ヽe \ 0 100rn 図

7

富 沢 地 区 調 査 地 点

Fig.7 Lo∽ion of excavaticlns at Tomttwa campus(lWI i.e.ToH zawa Ashinokuchi site)

ヽ// \ /→ツ レ

ィ子金

/! ´ ム 、↓ノ

(24)

(3)宮

沢地区の調査 三神峯丘陵の北側 にある富沢地区では、立会調査1件を実施 した (図 7)。 富沢地区の理学 部附属原子核理学研究施設の西側 にある、官舎内の給水管改修 に伴 う調査である。芦 ノロ遺跡 の範囲内に入 るが、掘削範囲が狭 いため、立会調査 とした。ほとん どの部分が官舎建設時 に削 平 されてお り、 もともとの表土 も残 っていなかった。遺構 ・遺物 も発見 されていない。

(4)女

川地区の調査 女川地区では、立会調査1件を実施 した。三陸海岸南部の宮城県牡鹿郡女川町には、農学部 附属水産実験所がある。今 回の調査 は、実験所の建て替 えに伴 う調査である。実験所 の裏側の 丘陵 には、縄文時代の包含地である小乗浜

B遺

跡 (宮城県遺跡香号

73021)が

あ り、縄文土器 が採集 されている (図 8)。 前年度 に施設部か ら照会 を受 けたため、現地 を踏査 し、遺跡の範 囲が実験所の建物の位置 までは広が らない可能性が高い ことを確認 し、その旨を回答 しておい

1:小

乗浜

B遺

跡 (縄文

)2:小

乗浜

A遺

跡 (縄文

) 3:内

山囲遺跡 (縄文前 ∼晩 ・古代)

4:宮

ケ崎遺跡 (縄文 中∼晩 ・弥生 ・古代

) 5:高

A遺

跡 (縄文前

)6:高

B遺

跡 (縄文)

7:崎

山遺跡 (縄文後) 図

8

女 川 地 区 と周 辺 の 遺 跡 (『宮城 県 遺 跡 地 図 』よ り)

(25)

た。工事実施時に立会調査 を行 ったが、建築場所 はほ とん どが埋 め立てた区域であ り、遺構 ・ 遺物 は発見 されなかった。

3.そ

の ほ か の 調 査 室 の 活 動

(1)第 3回

東北大学埋蔵文化財展の開催 第3回東北大学埋蔵文化財展 を、 9月14日か らlo月 3日 までの期間で、附属図書館 の協力 を 得 て、図書館本館のエ ン トランス・ホールで開催 した。前年度 に開催 した第2回の埋蔵文化財 展 につづ き、

2年

連続で開催 したことになる。前回の展示では、期間が

2週

間であったが、期 間をもう少 し長 くとの意見が出ていたたため、今回は

3週

間の展示期 間 とした。1992度は、仙 台城二の丸跡第

5地

点の整理作業が進 んで、おお よその成果が まとまって きた段 階であった。 第

5地

点では、二の九期では妻妾の居住域である中奥が、二の九拡張以前の段階では、伊達政 宗の長女である五郎人姫の居館西屋敷の遺構 ・遺物が検 出 されている (年報6)。 そのため今 回の展示 は、「女 たちの暮 らし

=五

郎八姫の居館西屋敷 と仙台城二の九中奥=」 と題 し、第5 地点の調査成果 を紹介する とともに、出土遺物の中か ら、女性の生活 に関係の深い、化粧道具 などに焦点 をあてて展示 を構成 した。 展示 にあたっては、本学の薬学部薬用植物園のご協力 を得 て、お歯黒 に使 う五倍子や、整髪 料 に使 われたサ ネカズ ラなどを提供いただ き、当時の化粧方法の解説 にあわせて、 これ らを展 示す る試み を行 った (図 9)。 また第

5地

点では、二の九 に運 び込 まれた食品な どに付 け られ た荷札木簡が まとまって出土 している①それ らの木簡 に記載 された食品で、現在 は一般 には知 られな くなっている「こお りこんにゃ く」 などの実物 を入手 し、木簡 と合 わせて展示 した。 前 回同様、

B4版

・二つ折で片面 カラーの解説 リーフレッ トを作成 した。 リーフレッ トは会 図

9

3回

埋 蔵 文 化 財 展 展 示 風 景

Fig. 9 Third exhibition Of archa∞ logical

remaitt from the campus

場 に置 き、 自由に取 って もらうように したが、期 間中に合計544部 が配布 さ れた。 リーフレッ トを取 らず に観覧 さ れた方 も多かったため、実際の観覧者 数は、この数 を大 きく上回るであろう。 展示の開催 にあた り、報道機 関に公開 した こ ともあ り、学外 か ら来 られ た 方々 も多かった。学外の方 には、図書 館へ の入館時 に記帳 をお願 い したが、 211名 の方が観覧 された。内訳 は、仙 台市 内157名、仙台市以外 の官城県内

(26)

48名、県外16名であった。 また前回同様、今回 も英文解説 を作成 し、50部 を準備 したが、全部 な くな り、関心の高 さがあ らためて示 された。

(2)木

製品の保存処理設備の設置 これ までに東北大学で調査 を実施 して きた仙台城二の九跡の調査では、第

5地

点 と第

9地

点 において、多量の木製品や漆塗製品が出土 した。第

5地

点出上の木簡 など、特 に重要 な資料 に ついては、東北歴史資料館等 に依頼 して、保存処理 を行 って きたが、大多数の ものについては、 水漬けの まま保管する状態が続いて きた。 これ らの水漬け遺物の恒久的保存処理が懸案 となっ ていたが、外部 に委託 して処理 を進めることは、予算上の点か ら難 しい状態であった。そこで 埋蔵文化財調査室では、ポ リエチ レン・グリコール

(PEG)含

浸 による保存処理 を、 自前で 実施す ることを計画 し、そのための恒温水槽 の設置 を要求 して きた。恒温水槽 の設置 も、予算 上の問題で実現 しない ままで きたが、埋蔵文化財調査委員会の委員長である、西澤1閏一学長の ご尽力 によつて、本学 の理学部金工場 において既製品を利用 して製作 をしていただ くことにな り、そのための経費 も本年度 に予算化 された。

PEGは

濃度が上がる と強酸性 になるため、水 槽 にはステ ンレス浴槽 を利用 し、それに必要 なヒー ターや撹拌器、安全装置や蓋 な どを理学部 金工場で製作 ・取 り付 けをしていただ き、

1基

を製作 した。 また、本学 の電気通信研 究所で以 前 に使用 され、現在使用 されていない実験用水槽 を

2基

譲 り受け、 これ も必要 な部分 にステ ン レスの補強 を理学部金工場で行 っていただ き、 これに旧教養部の化学実験の授業で使用 されて いた ヒー ター・ユニ ッ トを組み込んだ (図10)。 これ らの

PEG含

浸用水槽 は、1992年度か ら 稼働 させ、順次保存処理 を実施 している。

(3)そ

のほかの活動 東北歴史資料館の依頼 を受けて、同 館主催の資料展「や きもの」 に、仙台 城二の九跡出土陶磁器20点と、二の丸 跡の遺構検 出状況お よび遺物 出土状況 の写真

3点

を貸 し出 した。 また、同 じ く東北歴史資料館主催 の資料展「宮城 の旧石器」 に、青葉 山遺跡

A地

点・

B

地点 ・

B地

点第

2次

調査地点出土の石 器52点を貸 し出 した。 図

10 PEG含

浸 用 水 槽

Fig。 10 Constant―temperature 覇/ater bathes

(27)

第 Ⅱ章

仙台城二の九跡第

13地

(NM13)の

調査

1.調

査 経 緯

(1)川

内地区の立地 と歴史および199刊年度 までの調査 東北大学の川内地区は、江戸時代 の仙台城二の九跡 と、その北方 に置かれた武家屋敷跡 に相 当する (図2)。 仙台城 は、慶長

5年

(1600年)、 仙台藩初代藩主の伊達政宗 によって、本九の 造営が開始 される。川内地区の後 に二の九が造営 される区域 には、伊達政宗の四男である伊達 宗泰の屋敷が置かれた と伝 えられる。元和

6年

(1620年

)に

は、この伊達宗泰の屋敷の北側 に、 政宗の長女五郎人姫 の居館「西屋敷」が造 られる。 寛永15年 (1638年)、 二代藩主伊達忠宗 は、 もとの伊達宗泰の屋敷地 において、二の九の造 営 を始める。二の九完成後、仙台藩の政治・諸儀式のほ とん どはここに移 され、二代藩主以降 はその居館 ともなる。二の九の北隣には、五郎人姫の「西屋敷」が存続す る。 寛文元年 (1661年

)に

は五郎八姫が死去 し、「西屋敷」のあった場所 は「天麟 院様元御屋敷」 と呼ばれ、蔵や作業場 などの実務 的な空間 となる。 さらに17世紀末か ら18世紀初頭の元禄年間 には、四代藩主伊達綱村 によつて二の九 は大改造 され、 もとの「西屋敷」の敷地 を取 り込んで 拡大 される。その後い く度かの災害や火災 を被 るが、その度 に再建 され、二の九 は幕末 まで、 事実上仙台城の中枢 として機能 してい く。 版籍奉遠の明治

2年

(1869年

)に

は、二の九 に勤政庁が置かれ、明治

4年

(1871年

)の

廃藩 置県後 は、仙台城が明治政府・兵部省の管轄下 に移 り、東北鎮台 (後に仙台鎮台

)が

置かれる。 この頃に本九の建物群 は取 り壊 されるが、二の九建物群 は依然 として残 っている。 しか し、明 治15年 (1882年

)の

火災 によつて、二の九建物のほとん どが焼失す る。その後陸軍第二師団が 置かれ、敗戦 まで続 くこととなるが、敗戦間際の昭和20年 (1945年

)7月

、仙台空襲の際 に大 手門などわずかに残 つた建物 も焼失 して しまう。戦後 は米軍の駐留地 とな り、昭和32年 (1957 年)、 米軍 より返還後、東北大学が移転 し、現在 に至 るのである。 仙台城二の九跡 と武家屋敷跡である川内地区の発掘調査 は、仙台市教育委員会、東北大学文 学部考古学研究室 によって、小規模 な調査が行われたことがあるが、組織的 。継続的に行 われ るのは、東北大学 に埋蔵文化財調査委員会が設置 された1983年度以降のことである。以来、委 員会 (1994年度か らは埋蔵文化財調査研究セ ンター

)に

よる二の九跡の調査 は、1991年度 まで に13地点 を数 える。 これ らの調査成果 については、『東北大学埋蔵文化財調査年報』 1∼ 9に おいて報告 して きた ところである。特 に、二の九跡 の調査成果 については、年報

9に

おいて、 それまでの成果全体 をまとめて検討 しているので、参照願いたい。

(28)

記念講堂

//

6030 ヽ ヽ

、 ヽ 聴 1l Locaton of llM13

blM13 i.e.Location 13 ofか肋omarv(s∝ondary dtadel of Sendai Casde) blM7 1.e.Location 7 of NhomarII

1/=趨

いド ヽ ヽ 、 、     イ ‘ ンド い い ヽ ヽ

ヽ ヽ

ヽい

いい

引 o ヽ 熊 図

11

仙台城二の丸跡第13地点調査区

(29)

(2)調

査地点の位置 調査地点は、東北大学記念講堂の南側の、公園 となっている場所である。園路が十字 に交差 する部分 に浸透桝 を設置す るの に伴い、2ケ所の調査 区を設けた。今 回の調査地点は、1986年 度 に、植樹 に伴 って調査 を実施 した、第

7地

点の

5区

6区

にはさまれた場所 にあたる(図11)。 この場所 は、狭義の二の九の範囲か らははずれ、二の九の正 門である「詰之門」 の東外側 に あたる。「詰之門」 の東側 には、「大手門」 か ら通 じる道路 を兼ねた、広 い空間が開いてお り、 その東側 には、「勘定所」が置かれている。 この「勘定所」の西端 には、「七十間御兵具蔵」 と 呼ばれる鍵 の手 に屈 曲す る細長い蔵が存在 し、「勘定所」西端 の塀の機能 も兼ねていた もの と 推定 される。今回の調査地点は、 この「七十間御兵具蔵」 の付近 にあたる。

(3)調

査方法 と経過 第

7地

点の調査成果か ら、調査 区の周辺では明治以降の盛土が極めて薄いことが想定 された ため、浸透桝設置 によつて掘削 される範囲については、全体 を調査す ることとした。そのため、 浸透桝設置予定箇所 に

2m×

2mの

調査 区を2ケ所設定 し、当初 よ り手掘 りで調査 を行 った。 北側の調査 区を1区、南狽1を

2区

と呼ぶ こととした。 1区の北側 と

2区

の南側 に、任意 に基準点 を設定 し、これ を基準 に実測作業 を行 った。基準 点の国土座標値 は、以下の通 りである。 原点

NM13-①

X=-193674316

原点

NM13-②

X=-193691.956

Y= 2161つ

44

Y= 2 167553

調査が進む とともに、

2区

の石組の溝 と思われる1号溝 に伴 う石敷が、現地表面か ら浅い所 では5 cm程の所 に存在す ることが明 らか となった。第I章において も述べ たように、通路の舗 装 に伴 い、基盤改良のため玉砂利 の下 をす き取 る計画であったが、遺構面 を広範囲に破壊す る 危険が高いため、す き取 りは行わず舗装面 をか さ上げす る措置 を取 った。

2.基

本 層 序 基本層序 は、

1∼

5層

が確認 された。 この内

2層

と3層は細分 される。基本層の土層の特徴 は、次の通 りである。

1層

表土 上部の砂礫層 と下部の黄色パ ミス層 に分かれる

2a層

10YR4/3

にぶい黄褐色 シル ト 粘性弱 しまり中 瓦 を含 む

2b層

10YR5/6

黄褐色 シル ト 粘性弱 しま り中 瓦や小礫 を多 く含 む 整地層?

2c層

5BG

青黒色 炭層 粘性 な し しま り中 径5 mm以下の砂礫 を含 む

3a層

10YR5/6

黄褐色 シル ト 粘性弱 しま り強 18

(30)

570m__ 565m_

N M 7躯

︲︲︲︲︲︲︲︲︲︲︲︲

院院

甥閉

M7 区 N 8 llllllllllll現表 土 lllllm聴

El三

9よ □ 二 の丸 造営 時 の整 地 層 麗霊園二 の 丸造営 以前 の 旧表 土 切 地 山 図

12

仙台城二の丸跡第7地点・第13地点層序模式図

Fig.12 Schematic proiltt of blb4t7 and卜 脱113

3b層

10YR6/6

明責褐色 シル ト 粘性弱 しま り強 小礫 を含 む

4層

10YR4/4

褐色 粘土質シル ト 粘性弱 しま り中 全体 に均質な層

5層

地山

10YR6/6

明黄褐色 粘土 斑状 ににぶい責橙色部分があ り、下部ほ ど白味が強い 調査の際 に邪魔 になるため、表面の玉砂利 は、広い範囲で除去 してお り、断面等 には表れて こない。その下の玉砂利直下の、道路基盤の整地層 を 1層 とした。2a∼

2c層

は、

1区

でのみ 確認 された。 この内の

2c層

は、え を主体 とす る層で、明治15年の二の九 を全焼 した火災 に伴 うもの と考 えられる。3a・ 3b層は

2区

でのみ確認 された整地層で、遺物がほ とん ど出上 して いないため確実ではないが、石組 の1号溝が この

3a層

上面 に造 られてお り、二 の九造成時、 もしくは二の九存続期の整地層 と考 えられる。

4層

は、

1区

でのみ確認 された。下面の5層と の境が、あ ま り明確 でな く、漸移 的であることか ら、二の九造営以前 の表土層 と考 え られる。 5層は地山のローム層である。 これ らの基本層序 を、隣接す る第

7地

点の調査 区 と対比 させ ると、図12のような関係が考 え られる。調査 区ごとでの変異が大 きく、直接的な対比 は困難 な部分が多いため、大 きな段階 ご とで対比 させた ものである。 19

(31)

3.検

出 遺 構

(1)1区

(図13、 図版1) 1区では、 ピッ ト

4基

が検 出 された。いずれ も

4層

上面か ら掘 り込 まれている。 これ以外 に は、

2b層

上面か ら掘 り込 まれた、 ピッ ト状 の落 ち込みが検 出されているが、明治以降 と考 え られるため、攪乱 として扱 った。 〔ピッ ト1】 調査 区南東寄 りで検 出 された、掘立柱柱穴である。切 り合い関係があ り、新 しい ものをピッ トla、 古 い もの をピッ トlbと した。 古い方の ピッ ト

lbに

は、柱痕跡が確認 される。断面図では、途中で途切れるが、 これはピッ ト

laを

避 けて断面 を切 ったため、柱痕跡 の一部のみが断面 にかか ったためである。 この ピッ ト

lbの

柱痕跡 と同 じ位置で、 ピッ ト

laの

上面で も柱痕跡が確認 されている。両者の関係 を十 分検討で きなかったが、位置関係か ら、同一の柱痕跡の可能性がある。その場合、 ピッ ト

la

の性格が問題 となる。 ピッ ト

lbの

柱 を抜 き取 るために、 ビッ ト

laを

掘 ったが、断念 して埋め 戻 し、柱 は地表面で切 り取 った とい うような複雑 なことを想定 しなければならな くなる。ある いは、 ピッ ト

la上

面で検 出 した柱痕跡が誤認 なのか も知れない。 ピッ ト

laは

北側が深 く、 この部分 は径40cm程 のほぼ円形である。深 さは65cmで、 ピッ ト

lb

の深 さにほぼ等 しい。 ピッ ト

lbは

隅丸長方形で、長軸95cm、 短軸60cm、 深 さ60cmを計 る。 ピッ ト

lbの

埋土 か ら、18世紀代 の もの と思 われ る陶器の福鉢が、

1点

出土 してい る (図 14-1)。 【ビッ ト2】 調査 区北東隅近 くで検 出された もので、北狽Jは調査 区外へ延びる。東端が ピッ ト3と 重複す るが、埋土が ピッ ト3と ほ とん ど変わ らないため、新 旧関係 は確認で きなかった。東西70cm程 度、南北40cm以 上、深 さ30clnで、平面形はほぼ楕 円形 を呈す る。 【ピッ ト3】 調査 区北東隅で検 出 された もので、東側 は調査 区外へ廷 びるが、南北 に細長い平面形である。 南北70cm以 上、東西30cm以 上、深 さ30cmを計 る。底面 に凹凸があ り、一定 しない ことか ら、柱 穴 とはな らない可能性が高い。 【ピッ ト4】 調査 区南西付近で検 出 された、不整形の ピッ トである。南側 は調査 区外へ延 びるが、南北70 cm以上、東西80cm以 上、深 さ30cmである。埋土 は

4層

に分かれ、 この内

2層

は焼土層である。 明治15年の火災の、後かたづ けに伴 う可能性 も考 えられる。 郷

(32)

A 引 h laセ

シヨ

G5聖

lbセ

シヨ

a5m 口 s 膊 件 測 隠 代 ヽ ぐ u < 伽 ﹃ ◇ ヨ 駅 0 日 Ш099 口 0と 曾 々 雲糸rを霜騨 1号溝理■ 1層 10YR5/41こ ぶい黄褐色 船性 な し しま り強 砂篠 と瓦 を含 む 1号溝埋± 2層iOYR5/6黄褐色 シル ト 粘性弱 しま り強 2号溝4■1層 10YR5/41‐ ぶい黄禍色 粘性弱 しま り中 2報4112層

黒篤譜霧篤ぎ鈴舗亀鎮絲 強

幽部

醐ヒ

2区

赤味がか る 絡性強 しま り強 3号溝埋■1層iOa4/4獨色 雅性 中 しま り中 ― 3号溝埋±2層ュOYR5/6黄禍色 粘性 中 しま り中

北壁セクシ ヨン 570m l号溝掘方 =卜1号溝埋±1 1号 溝埋 ±2 3a層上 面

+

︹引 躙 盤 い 甲 + 劇 日 劇 郵 N 引 劇 盤 中 ∞ ﹁ 引 劇 鮭 中 0 5層上 面 ω 引 製 整 中 、 へ Π ︵ ヽ ツ 劉 国 = 引 剌 鍵 中 N ギ 準点② 図

13

仙 台 城 二 の 丸 跡 第13地点 1区 ・

2区

平 面 図・ 断 面 図

F匙} 13 Plans and cross sodhOns of Grid l and 2 at alM13

21

l v

柱 痕 跡 Ptda理 土ュ層 IOW梨 ツ6黄褐色 粘土質 シル ト 粘性 中 しま り中 不均質 瓦 を含 む PIda理 ±2層10YR414褐色 粘土質 ンル ト粘性 中 しま り弱 連 土ユ層 に比べ均質

PIub理 ■1層 褐色 シル ト (7 5YR4た 粘性弱 しま り弱)と 明禍色雅土質 シル ト(7 5YR518

粘性 中 しま り中)力 ξプロツク状 に混 じる PIdb埋 ±2層 連■1層 に比べ櫂色 シル トの部分が多い PIt2埋■1屋iOYR5/8賞禍色 ンル ト 粘性弱 しま り弱 PIB狸■1層IOYR5/8黄褐色 ンル ト 粘性弱 しま り弱 PIt4埋■1層 il YRo/6黄 褐色 粘土質 シル ト 粘性 中 しま り中 pttr理 ■2層75W割 8明褐色 粘土質 ンル ト 粘世 中 しま り中

PIt4埋■att ioYR6/8明責掲色 粘■質 ンル ト 粘性 中 しま り弱

plt4埋 ■4層7 5YR314暗褐色 ンル ト 粘性弱 しま り弱

(33)

(2)2区

(図13、 図版

2)

2区

では、溝が

3条

検 出されている。 【

1号

溝】

3a層

上面か ら掘 り込 まれた、石組の溝 と思 われる遺構 である。西狽1の立 ち上が りを検 出 し ただけであ り、石 を積 んだ段差の可能性 も残 るが、隣接す る第

7地

5区

の遺構面の標高 との 関係か ら、段差 よ りは溝 の可能性 を考 えてお きたい。その場合、東側の立 ち上が りは調査 区外 に位置す ることとなる。南側 は、園路 の縁石設置の際 に破壊 されてお り、検 出 した長 さは1.4

mに

留 まる。20∼40cm程 度の大 きさの、やや扁平 な河原石 を1段並べ、 これ よ り小 さな石 をそ の上 に積 む とともに、隙間に詰め込 んで構築 している。溝の西側の

3a層

上面 には、石組 の上 面か ら続いて、円礫が分布 してお り、石敷 となっていた もの と考 えられる。幅は東側 を検出 し ていないため不明であるが、50cm以 上。深 さは20cmである。底面 はほぼ平坦で、石 などは敷か れていない。検 出 した長 さが短いため、確実ではないが、方向は

N-24度

Wで

ある。埋土 は

2層

に分かれるが、いずれ も小礫 を多量 に合 んでお り、埋 め戻 された ものである可能性が考え られる。 〔

2号

清】

3b層

の下面で検 出された溝で、

1号

溝 とは逆 に東西方向の溝 である。次 に述べ る

3号

溝 を 掘 り直 した もので、

3号

溝 とほ とんど同 じ場所 に造 られている。調査範囲が狭 く、両肩 はほぼ 調査 区一杯 になっているため、

3号

溝の肩が さらにタト側 まで上が って くるかによって も異 なる が、調査範囲内では、

3号

溝の埋土 を肩 としている。上幅140∼150cm、 下幅50cmの逆台形の断 面形状 を呈 し、深 さは60cmである。底面の レベルは、

3号

溝の底面 にほぼ等 しい。方向は、検 出 した長 さが調査 区の幅の

2mだ

けであ り、確実では無いが、

N-64度

Eで

ある。埋土 は2 層 に分れ、底面 に堆積 した2層は、グライ化 してお り、 自然堆積 と思 われる。

1層

中には、調 査 区西壁付近 を中心 に、大量の礫が含 まれてお り、一挙 に埋 め戻 された可能性が高い。 【

3号

溝】

2号

溝 とほぼ同 じ位置で検 出 された溝で、地山の

5層

上面か ら掘 り込 まれている。上幅140 伽程、下幅60cmの断面逆台形 を呈 し、深 さは40cmで ある。方向は、

2号

溝 と同 じ

N-64度

E

である。埋土は自然堆積 と思われる。 埋± 1層 か ら、小破片ではあるが、瓦質土器の悟鉢が1点出土 している (図

14-2)。

内面 のおろ し目はかな り粗 く、17世紀代 に遡 る可能性がある。

4.出

土遺 物 (図14、 表 2・ 3、 図版

3)

調査区が狭いこともあ り、出土遺物は少ない。 しか も、

1層

と明治15年以降 と考えられる 盟

(34)

2a∼

2c層

出土の ものが大部分 を占める。 これ ら以外か ら出土 した遺物 は小片が多 く、特徴 な どが半」るものはほとん どない。 陶磁器や土器で、特徴が判明 し図示 し得 た ものは、

1区

の ピッ ト

lb出

土の陶器の悟鉢 (図

14-1)と

2区

3号

溝埋±1層出土の瓦質土器の悟鉢 (図

14-2)だ

けである。 瓦 は出土量が最 も多い。 これは、調査地点が蔵が置かれた場所であることを反映す るもので あろう。 しか し瓦 も、大部分が 1層 出上の ものである。ある程度特徴が半U明す る資料 を図示 し たが、いずれ も 1層 出土の もので、出土層位か ら年代 は検討 し得 ない。軒丸瓦 は

9点

出上 して いる。三引両文1点 (図

14-3)、

九曜文

3点

(図

14-4)で

、他 は周縁 の部分 だけの破片で ある。軒平瓦で文様が判明す るものは

3点

ある。 これ までの仙台城出土瓦の分類 (年報

9)で

は、図

14-5は

三枚笹

lb+唐

la類

7は

唐草

2類

である。6については、三引両

+唐

車で あるが、唐車文が巻 く部分の片側 に、小 さな凹凸が表現 されてお り、 この ような唐草文 は、仙 台城 出土資料 では初 出である。図

14-8は

、平瓦 の凸面 に陽刻 をもつ ものである。 これ まで の出土例 では、桟瓦 に見 られ、「宮○○」 との形 をとる。

9は

九瓦であるが、玉縁 の部分が段 差 を持 たず、緩やかに細 くなっている ものであ り、仙台城出土資料では きわめて希 な ものであ る。 これ ら以外 の遺物 には、金属製 品や煉瓦 、 ガ ラス製 品 な どがあ るが、確 実 に江戸 時代 に遡 る と考 え られる もの はない。

5.考

察 1区の検 出 された

4基

の ピッ トは、全 て

4層

上面で検 出されてお り、明治15年の火災 に伴 う と考 えられる

2c層

に覆われている。 この内の ピッ ト

4は

、焼土が埋土 に入 つていることか ら、 明治15年の火災の後かたづけに伴 う可能性 もあるが、それ以外 については、二の九期 の遺構 の 可能性が高い。特 に、 ピッ ト1は 、明確 な柱痕跡が検 出されてお り、掘立柱柱穴である。

2区

では、出土遺物が無 く確実ではないが、

1号

溝が二の九期の遺構 の可能性がある。その 場合、下層で検 出 された

2号

溝 と

3号

溝の年代が問題 となる。確実 に時期 を決定で きる遺物が 出土 していないが、

1号

溝 とは方向がほぼ90度異 なることか ら、 この場所 の土地利用の方法が 大 きく変わっていることが考 えられる。次 に検討す るように、今 回の調査地点周辺では、二の 九造営以降、一貫 して「七十間御兵具蔵

Jが

置かれてお り、幕末 まで基本的な土地利用方法 は 変化 していない。そのため、

2号

構 と

3号

溝 は、二の九造営以前 に遡 る可能性がある。 この内 の

2号

溝 は、

3号

溝 を掘 り直 した ものであ り、両者 は同 じ性格の ものであろう。両者 とも、方 向は

N-64度

Eで

あ り、南北方向に直す と、北で26度西偏す ることになる。二の九の造営以 前 には、その場所 には伊達政宗の四男である伊達宗泰の屋敷が置かれていた。第

9地

点の調査 路

(35)

2

仙台城二の丸跡第13地点出土遺物集計表

Tab 2 Disttibution of various implements at hlM13

3

仙台城二の丸跡第13地点出土遺物観察表

Tab. 3 Notes on various irnplements at W/113 区 層 遺構 磁 器 陶 器 瓦 瓦 (カッコ内 は重豊 峰) その他 の遣杉 中 碗 小 碗 碗 不 閉 皿 別 明 碗 識 不 袋 物 碍   子 碗 不 明 小 中 鉢 福   鉢 千平 五 軒 丸瓦 平 預 1 雰 丸 瓦 そ の他 不 明 信│ 丸 形 筒 筒 罷 不 明 不 明 k採 檀瓦1 (133) 1区 層 位不 リ (0,01 (016) 下明1 (002) 銅製 品1 1区 (010) 28 (235) 理 雅 廟 陛 鱒 平 恢 践 不 鉄釘1 不 明鉄 製 品I ガ ラス 4 レンガ1 I区 (030) 下明3 (o9o) 決釧1 ガラス1 1区 (004) 不明1 (o ol 1区 2c届 (022) 不 明1 (004) 決釘 4 レンガ1 嗣製 品1 ガラス2 1区 (o lo) 不 明6 (005) 1区 (032) 1区 鬼 瓦, (014) 2区 層位 不 リ (le乱) 不 明7 (008) 2区 1層 鉄釘1 ガラス4 2区 1号溝 埋 土 (O04) (036) (016) 不 明9 (O ol) 不明鉄 製 品1 鉄釘1 2区 2号溝埋1層 (023) (055) 不 切3 (O02) 飲釘2 2区 3号溝 埋1層 計 9 (140) (l oo) (704) 図番号 登録番号 種類・器種 出上場所 特 徴 等 図版呑号 14- 1 C-001 陶器・構鉢 Pitlb埋1層 鉄釉(茶褐色)、 胎上やや粗、産地岸か?、 18世紀? 3-1 14--2 C-002 瓦質土器・循鉢 3号溝埋 1層 3-2 14- 3 T-001 軒丸瓦 2区 1層 三引両文、瓦当復元径16 0cm、 周縁幅1 6cm 3-3 14-

T-002

軒九瓦 2区 1層 九曜文、瓦当復元径17 2cln、 周縁幅1 7cm 3-4 14- T―-003 軒平瓦 2区 1層 三枚笹 lb十 唐草 la類 、瓦当垂長5 7cn 3-5 14-6 T―-004 軒平瓦 l区 1層 三引両+唐草、瓦当垂長4 8cm 3-6 14-7 T―-005 軒平瓦 2区

1層

唐草2類 3-7 14- T-006 鬼 瓦 Pitlb埋1層 3-8 14- T-007 桟瓦? 1区

1層

凸面に陽刻「六三」 3-9 14-10 T―-008 丸 瓦 2区

1層

長23 8cln 3-10 劉

(36)

│ 1 5

3

%′

β

︲十

一 図

14

仙台城二の丸跡第13地点出土遺物

Fな

14

ヽTarious implements iOm m/113

(37)

NM7-8区

NM7-7区

NM7-6区

X=-1987 0 10rn …

NM7-5区

NM7-4区

:嶽

NM7-3区

:I

15

仙台城二の丸跡第

7地

点 と第13地 点の関係 Fig。 15 Distribution Of feawes at小 咄7 and alM13

では、二の九造営 に伴 う大規模 な整地層の下層か ら、伊達宗泰の屋敷に関わると考えられる遺 構群が検 出 されているが、 これ らの遺構 の方向は、北か ら30度前後西偏す る (年報8)。

2号

溝 ・

3号

溝 の方向は、 これ とは若干ずれ、

N-24∼

25度―

Wの

方向で占め られる二の九期 の遺 構群の方向に、む しろ近い。ただ し、伊達宗泰の屋敷の範囲が不明で、今回の調査地点が宗泰 の屋敷の内側か、それ より外側か も判 らない。 また、伊達宗泰の屋敷内であったとして も、諸 施設の全 てが同 じ方向であった とは限 らない。そのため、第

9地

点の宗泰の屋敷 と推定 される 遺構群 と方向が合 わないことが、

2号

溝 。

3号

溝が二の九造営以前 に遡る可能性 を否定す るこ とにはならない。 ここでは、

1号

溝の段階 と大 きく土地利用方法が変わることを重視 して、2 号溝

,3号

溝 は、二の九造営以前 に遡 る可能性が高い と考 えてお きたい。 次 に、今 回の第13地点の検 出遺構 と、隣接 す る第

7地

点の検 出遺構 を合 わせて検討 したい。 %

(38)

図 15に 、両地点 で検 出 された二 の九期 の可能性 のある遺構 を示 した。第 13地 点1区か ら北側 の、第

7地

6区

∼8 区で は、 ピッ トが発見 されてお り、柱 穴 になる可能性 の高 い ものが含 まれて い る。確 実 に組 み合 う柱 穴 を示す こと は困難 であ るが、 これ らが一連の柱穴 で あ つ た と仮 定 した場 合 の一 つ の柔 が 、図15に 示 した ものであ る。 この案 では、各 ビッ トが、 1間

(6尺 5寸

16仙

台城二の丸跡第131tL点周辺の絵図伽) J公造制仙台城郭木写之略図」宮城県図書館所蔵)

197cm)の

倍数の間隔で、ほぼ並ぶ こ

Fig 16 A pictШ

3 1map around the atta of Ⅷl13(1) ととなる。第13地点1区の ピッ ト1を 基準 とする と、第

7地

点の

6区

の ピッ トは北 に3間7 区の ピッ トは北 に

7間

8区

の ピッ トは北 に11間の ところにほぼ相 当す る。柱列の方向は、

N-22.5度

Wと

なる。 これ までの調査で検 出 された二 の九 内の遺構 の方向は、

N-24∼

25 度―

Wの

方向 をとる ものがほとんどで、二の九建物群 は、 この方向を基準 に造営 されたと考え られる。 したが って、図15に復元案 を示 した建物跡 は、二の九の造営基準 よ り、東 に振れてい ることとなる。 この場所 に置かれていた と推定 される「七十間御兵具蔵」 の方向については、 「詰之門」 よ り西側の、狭義の二の九の範囲内 と、この「七十間御兵具蔵」の両方 を描いた絵 図で検討することがで きる。 この両方 を描いた絵 図は、「肯山公造制仙台城郭木写之略図」(図 16、 17世紀末頃、宮城県図書館蔵、以下「木写之略図」 と省略

)と

「享和二年之御家作御絵図」 (図17-4、 1802年、宮城県図書館蔵、以下「享和三年図」 と省略

)の

2枚

だけである。「木写 之略図」 では、「七十 間御兵具蔵」 は、二の丸建物群 よ り、 さらに西 に偏 して描かれている。 「享和二年図

Jで

は、建物が全て方眼の上 に猫かれてお り、「七十間御兵具蔵」は、二の九内の 建物群 と同 じ方向で描かれている。 したがって、今回検出 した遺構 に基づ く復元柔 とは、いず れ も方向が合わないこととなる。 「七十間御兵具蔵」 を描いた絵図 としては、上述の「木写之略図」 と「享和二年図」の他に は、明確 な成立年代 は不明であるが、「仙台藩封内神社仏閣等作事方役所修繕 に属スル場所調」 の中に

2枚

と、「御4多覆帳」の中に見 られる (図

17-1・

2・ 3、 いずれ も宮城県図書館蔵)。 蔵の内部の間仕切 りなどの細かな所 を見比べ ると、これ らの絵図では、少 しづつ異なる点が認 め られ、建て替 え、あるいは改4グが加 えられている可能性が高い。「七十 間御兵具蔵」は、17 世紀末頃の「木写之略図」か ら見 られ、その後幕末 まで存在 したと考えられることから、その 間に全 く建 て替 えや改修が無かったことは考え難い。 したがって、図15に復元案 を示 したが、 "

(39)

御修 覆帳

2.作

事 方役所修繕 二属 ス ル場所調

4.享

和二年 図

17

仙台城二の丸跡第13地 点周辺の絵図鬱)(全て宮城県図書館所蔵)

Fig 17 Pictllre maps around the area of lWW113(2)

これ らの柱穴 には複数時期の ものが存在 し、別の組み合わせが成立する可能性 も考えられる。 この ように、絵 図 との対比 については問題が残 るが、位置関係か ら見ると、「七十問御兵具 蔵」以外 に相当する建物 は考 え難い。そのため、これ らの掘立柱柱穴 には、「七十間御兵具蔵J を構成す る柱穴が含 まれているもの と考えてお きたい。

2区

の1号溝 は、絵図では対応する記 載は認め られないが、位置関係か ら見て「七十間御兵具蔵」 に関係する溝であろう。

6.ま

とめ 仙台城二の丸跡第13地点の調査 は、極めて狭い調査区であったため、検 出 された遺構 は少な いが、 ピッ トゃ溝が検出された。 ピッ トについては、隣接する第

7地

点検出の ピッ トと組み合 い、掘立柱建物 を構成する可能性がある。その場合、二の丸正問である「詰之門

Jの

東外側 に 置かれた「七十間御兵具蔵

Jに

相 当す る可能性が高いが、方向な どの点で問題が残 っている。 努

(40)

2区

で検出された東西方向の

2号

溝・

3号

溝 については、二の九造営以前 に遡る可能性があるゃ 出土遺物は極めて少ないが、その中でも瓦が多数を占めている。このことは、調査地点が、蔵 などが置かれた場所であることを反映している可能性がある。 第

7地

点の調査の際に判明 していたことでもあるが、今回の調査地点の周辺は、明治時代以 降の盛土が薄 く、現地表か ら二の丸の遺構面までがきわめて浅ぃ。それにもかかわらず、二の 九期の遺構の策存状態は良好であることが、あらためて確認 された。周逆での工事 に際 しては、 十分 に慎重に封処する必要がある。 29

図    目    次 図 1  東北大学 と周辺の遺跡 ………………・ 2   図 15  仙台城二の九跡 図 2  仙台城 と二の丸の位置 ・ ・……………。 3      第 7地 点 と第 13地 点の関係 ………… 26 図 3  仙台城二の丸跡 。            図 16  仙台城二の丸跡 武家屋敷跡調査地点 …………………・ 5      第 13地 点周辺の絵図 (1)・ ……………… 27 図 4  青葉 山地区調査地点 ・………………・ ・ 7   図 17  仙台城二の九跡 図
Fig。  10  Constant― temperature  覇 /ater bathes for PEG method
表 2  仙台城二の丸跡第 13地 点出土遺物集計表 Tab 2  Disttibution of various implements at hlM13 表 3  仙台城二の丸跡第 13地 点出土遺物観察表 Tab. 3  Notes on various irnplements at W/113区 層 遺構磁器陶器質器瓦土瓦  (カ ッコ内 は重豊 峰 ) その他 の遣杉中 碗小 碗碗不閉皿別明碗識不袋 物碍 子碗不明小中鉢福 鉢千平 五 軒 丸瓦平預1  雰丸 瓦そ の他不 明信│丸 形 筒 筒 罷不
Fig。 15 Distribution Of feawes at小 咄7 and alM13
+7

参照

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