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ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報10 (ページ 87-90)

葉 には山水土瓶が作 られるようにな り、土瓶の蓋 に落 し蓋が登場する。

(2)小

野相馬焼の編年

消費地での確認作業が十分でないため、窯跡採集資料 を主体 に編年柔 を呈示する (図16)。

小野相馬焼 は、碗、皿、鉢、香炉・火入、仏飯器、髪水入 といった、淡青灰色ない し淡青Fk 白色 を基調 とす る灰釉製品 と、信鉢、灯明皿等の鉄釉・暗緑褐色系の灰釉 を用いた製品か ら樗 成 される。初期 の製品は18世紀前葉 まで遡ることが確認で きるが、今後の調査の進展によって、

大堀相馬焼同様、生産の開始時期 を17世紀末 まで繰 り上げる必要が生 じる可能性が高い。18世 紀中葉 〜後葉の時期 に最 も生産規模が拡大 した と考えられるが、19世紀 に入 ると、大堀相馬系 鉄絵製品や館 ノ下系の甕類へ生産方針の転換が図 られた結果、急速 に衰退する。主体 となるの は、見込の釉 を蛇の 目状 に剥いだ小皿や折縁大鉢、香炉 ・火入、片口鉢、摺鉢、灯明皿であ り、

18世紀代の碗 を主体 とする大堀相馬焼 と競合する部分は少なかった。消費地でのあ り方でいた ば、新地町十二所

A遺

(図

17)の

ような生産地 に近い遺跡か らは、生産 されている器種が一 通 り出土するが、仙台城の ように生産地か ら離れた遺跡では、小型の器種 に出土が偏る傾向かゞ み られる。次 に主 な器種 に関 して、その変遷 を述べ る。

見込蛇の 目釉剥 ぎ小皿は、全体 に作 りが丁寧でシャープな ものか ら、次第に底部の厚みが増 し、粗雑 なものへ と変化する。折縁 の大皿や大鉢 は、口縁部が斜めにタト傾する形態から、タト傾 したのち上方 に短 く直立する形態へ と変化する。香炉 ・火入は、直線的な体部が僅かにタト傾す る形態か ら、体部が緩やかにカーブ して日縁部が僅かに内傾する形態へ と変化する。橋鉢 には、

日縁部が玉縁状 に肥厚する もの

(A類

)、 日縁部直下 に稜線 を持 ち、日縁部 に灰釉が上掛けさ れる もの

(B類

)、 外面 に突帯が

1条

巡 るもの

(C類 )が

み られる。橋鉢 の一部 に関 しては、

釉薬の用い方や、 ロクロの盤面か ら起 こす際の縄紐 の使用 など、福 島市飯坂 に所在する岸窯 (鈴木・堀江

1996)の

悟鉢 との共通性が認め られ、両者の技術 的関連性 を指摘で きる。

(3)相

馬陶器生産の技術系譜

これ まで述べ て きたように、18世紀代の相馬陶器 には、瀬戸 ・美濃産陶器 を模倣 した大堀相 馬焼 の碗皿類や、岸窯製品 との技術的関連が考え られる小野相馬焼の信鉢 などが存在する。小 野相馬系灰釉製品については、製品自体の特徴か ら、モデルとなった製品の産地や技術的系譜 を追 うことは困難である。大堀相馬焼、小野相馬焼 ともに素焼 きを行った後、本焼 きを行 って お り、素焼 きの段 階を経 ない瀬戸・美濃産陶器 とは、製作工程上大 きな違いがある。また一方 で、小野相馬焼 については、初涼期の窯跡で陶器 と共 に「東海式」軒平瓦が生産されている点 で、瀬戸・美濃 を含 む東海地方の窯業技術 との関係が想定で きる。以下では、これらの相馬陶 器を生産 した窯の構造 と窯詰技法 を検討 し、改めて相馬陶器の技術系譜 を考える。

η

0      10

1‑Cm

17 

福島県相馬郡新地町十二所

A遺

跡出土の小野相馬焼

(2〜

8,11〜18は飯村1984原 図に加筆)

Fig 17 0no‐ sotxma watt tom JuniShO A site at Shindhi ton・ n,Fukl潟hima prefecture

 

窯の構造

相馬陶器の窯跡で、発掘調査 により窯の構 造が明 らかにされた例 としては、大堀相馬焼 を生産 していた長井屋窯跡(大竹憲治他1989) と山神窯跡 (大竹憲治他

1982)の

二例が挙 げ られるのみである。 また、江戸時代の窯が現 存す る例 としては、相馬市 中村の相馬駒焼 田 代窯がある。他 に近代 に属するが、館 ノ下焼 に関 しては、本町

B窯

(長沢古窯跡

)や

C窯

跡 (今野窯跡

)を

もとに、窯の構造の

概要が判 る (図18・

19、

4)。 これ らはい ずれ も連房式登窯であ り、焼成時 に炎が通炎 孔 を通 り横 に走 る「横狭 間」の構造 を持つ と い う共通点が見 られ る (田代 窯 につ いては

「斜狭 間」 に近い可能性 もある)。 天丼部の残

る田代窯、本町

C窯

では、かまぼこ型の天丼が確認で きる。焚 口お よび燃焼室の構造の判 る長 井屋窯跡の場合、焚 回は幅約

35cm、

奥行約30cmあ り、そこか ら急 に開 き、三角形の燃焼室 (胴 木間

)に

なる。いずれ も窯尻 に「捨 間」 と呼 ばれる部屋が付 き、 この部分では通常、製品の焼 成が行 われない。焼成室の関数 は、

7か

8室

の窯 (田代窯・長井屋窯跡 。本町

B窯

)と

3室

の窯 (山神窯跡 ・本町

C窯

)の

大小二つのタイプが認め られる。未調査 の窯跡 に関 して も、現況か ら考 えて焼成室が10室を超 えるような大規模 な例 は認めがたい。焼成室の規模 は、

部屋数の近い田代窯、長井屋窯、本町

C窯

3者

を比較す る限 り、時代が下 るにつれ大型化す る傾向が看取 される。窯体の傾斜 は、田代窯、大堀相馬系窯、小野相馬系窯が13度〜15度と比 較的緩やかなのに対 して、館 ノ下系窯では35度前後の急傾斜 をとる。それ と関連す るが、田代 窯 ・大堀相馬系窯・小野相馬系窯 には人工のマ ウン ドにより傾斜 を確保す る例が多 く認め られ るのに対 して、館 ノ下系窯は全て丘陵の急 な斜面 を利用 し、完全 に人工のマウン ドの上 に窯 を 構築する例 は皆無である。

次 に上述 した相馬陶器の窯構造 に関 して、瀬戸・美濃地方の連房式登窯 と比較検討す る。両 者の根本的な相違点は、その狭 間構造 にあるといえる。すなわち、瀬戸 ・美濃地方の連房式登 窯では、唐津系 に属す る最古段階の元屋敷窯 とその系譜 を引 く清安寺窯 (横狭 間)、 定林寺東 窯 。大川東

3号

窯 (斜め狭 間

)等

の少数の例 を除 き、縦狭 間構造が一般的である。瀬戸 ・美濃 地方の連房式登窯の焼成室の間数は12室か ら24室程度の ものが一般的であ り (安藤勝昭1981・

相 馬 陶 器 生 産 窯 の 構 造 と規 模 Tab.4  List sho郡ing the structばe and scale

of kilns of Souma ね匡

e

     客 田    窯長 井 屋 窯山    窯 本  C  窯 採 来 年 17C前〜現 在 18C〜明治 初 19C初〜前 栞 明26〜 昭22頃 製     編 相馬駒焼 大堀 相馬 焼 大堀 相馬焼 籠 ノ下焼 窯 の 型 式 連房 式登 窯 連 房式登 窯 連房 式 登蕉 連房式 登 窯 狭 FHI Fle造 貨狭 間 ? 積狭間 横 狭 間 横狭間 傾  H度〜15度 18度 〜15度 15反

焼 成 室 数 7室 8室 3室 3か ら7に 増室

第 二室 幅 奥行

晰不

2室

幅 奥 行

m m

3室

 

提 行 第 4室

 

擬行

(捨) (旧 捨 間?)

5室

 

餐行 (36m) (17m)

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報10 (ページ 87-90)

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