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NM7‑6区

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報10 (ページ 37-41)

X=‑1987

0       10rn

NM7‑5区 瓜 三 善

NM7‑4区 ぐ 豆

:嶽

NM7‑3区 く :I

15 

仙台城二の丸跡第

7地

点 と第13地 点の関係

Fig。 15 Distribution Of feawes at小 咄7 and alM13

では、二の九造営 に伴 う大規模 な整地層の下層か ら、伊達宗泰の屋敷に関わると考えられる遺 構群が検 出 されているが、 これ らの遺構 の方向は、北か ら30度前後西偏す る (年8)。

2号

溝 ・

3号

溝 の方向は、 これ とは若干ずれ、

N‑24〜

25度―

Wの

方向で占め られる二の九期 の遺 構群の方向に、む しろ近い。ただ し、伊達宗泰の屋敷の範囲が不明で、今回の調査地点が宗泰 の屋敷の内側か、それ より外側か も判 らない。 また、伊達宗泰の屋敷内であったとして も、諸 施設の全 てが同 じ方向であった とは限 らない。そのため、第

9地

点の宗泰の屋敷 と推定 される 遺構群 と方向が合 わないことが、

2号

溝 。

3号

溝が二の九造営以前 に遡る可能性 を否定す るこ とにはならない。 ここでは、

 1号

溝の段階 と大 きく土地利用方法が変わることを重視 して、2 号溝

,3号

溝 は、二の九造営以前 に遡 る可能性が高い と考 えてお きたい。

次 に、今 回の第13地点の検 出遺構 と、隣接 す る第

7地

点の検 出遺構 を合 わせて検討 したい。

%

図 15に 、両地点 で検 出 された二 の九期 の可能性 のある遺構 を示 した。第 13地 点

1区

か ら北側 の、第

7地

6区

8

区で は、 ピッ トが発見 されてお り、柱 穴 になる可能性 の高 い ものが含 まれて い る。確 実 に組 み合 う柱 穴 を示す こと は困難 であ るが、 これ らが一連の柱穴 で あ つ た と仮 定 した場 合 の一 つ の柔 が 、図15に 示 した ものであ る。 この案 では、各 ビッ トが、 1間

(6尺 5寸 =σ

16仙

台城二の丸跡第131tL点周辺の絵図伽)

J公造制仙台城郭木写之略図」宮城県図書館所蔵)

197cm)の

倍数の間隔で、ほぼ並ぶ こ

  Fig 16 A pictШ

3 1map around the atta of l13(1)

ととなる。第13地点

1区

の ピッ ト1を 基準 とする と、第

7地

点の

6区

の ピッ トは北 に

3間

7 区の ピッ トは北 に

7間

 8区

の ピッ トは北 に11間の ところにほぼ相 当す る。柱列の方向は、

N‑22.5度

Wと

なる。 これ までの調査で検 出 された二 の九 内の遺構 の方向は、

N‑24〜

25 度―

Wの

方向 をとる ものがほとんどで、二の九建物群 は、 この方向を基準 に造営 されたと考え

られる。 したが って、図15に復元案 を示 した建物跡 は、二の九の造営基準 よ り、東 に振れてい ることとなる。 この場所 に置かれていた と推定 される「七十間御兵具蔵」 の方向については、

「詰之門」 よ り西側の、狭義の二の九の範囲内 と、この「七十間御兵具蔵」の両方 を描いた絵 図で検討することがで きる。 この両方 を描いた絵 図は、「肯山公造制仙台城郭木写之略図」(図

16、

17世紀末頃、宮城県図書館蔵、以下「木写之略図」 と省略

)と

「享和二年之御家作御絵図」

(図

17‑4、

1802年、宮城県図書館蔵、以下「享和三年図」 と省略

)の 2枚

だけである。「木写 之略図」 では、「七十 間御兵具蔵」 は、二の丸建物群 よ り、 さらに西 に偏 して描かれている。

「享和二年図

Jで

は、建物が全て方眼の上 に猫かれてお り、「七十間御兵具蔵」は、二の九内の 建物群 と同 じ方向で描かれている。 したがって、今回検出 した遺構 に基づ く復元柔 とは、いず れ も方向が合わないこととなる。

「七十間御兵具蔵」 を描いた絵図 としては、上述の「木写之略図」 と「享和二年図」の他に は、明確 な成立年代 は不明であるが、「仙台藩封内神社仏閣等作事方役所修繕 に属スル場所調」

の中に

2枚

と、「御

4多

覆帳」の中に見 られる (図

17‑1・

2・ 3、 いずれ も宮城県図書館蔵)。

蔵の内部の間仕切 りなどの細かな所 を見比べ ると、これ らの絵図では、少 しづつ異なる点が認 め られ、建て替 え、あるいは改

4グ

が加 えられている可能性が高い。「七十 間御兵具蔵」は、17 世紀末頃の「木写之略図」か ら見 られ、その後幕末 まで存在 したと考えられることから、その 間に全 く建 て替 えや改修が無かったことは考え難い。 したがって、図15に復元案 を示 したが、

"

御修 覆帳

2.作

事 方役所修繕 二属 ス ル場所調

4.享

和二年 図

17 

仙台城二の丸跡第13地 点周辺の絵図鬱)(全て宮城県図書館所蔵)

Fig 17 Pictllre maps around the area of lWW113(2)

これ らの柱穴 には複数時期の ものが存在 し、別の組み合わせが成立する可能性 も考えられる。

この ように、絵 図 との対比 については問題が残 るが、位置関係か ら見ると、「七十問御兵具 蔵」以外 に相当する建物 は考 え難い。そのため、これ らの掘立柱柱穴 には、「七十間御兵具蔵J

を構成す る柱穴が含 まれているもの と考えてお きたい。

2区

1号

溝 は、絵図では対応する記 載は認め られないが、位置関係か ら見て「七十間御兵具蔵」 に関係する溝であろう。

6.ま

とめ

仙台城二の丸跡第13地点の調査 は、極めて狭い調査区であったため、検 出 された遺構 は少な いが、 ピッ トゃ溝が検出された。 ピッ トについては、隣接する第

7地

点検出の ピッ トと組み合 い、掘立柱建物 を構成する可能性がある。その場合、二の丸正問である「詰之門

Jの

東外側 に 置かれた「七十間御兵具蔵

Jに

相 当す る可能性が高いが、方向な どの点で問題が残 っている。

2区 で検出された東西方向の 2号 溝・ 3号 溝 については、二の九造営以前 に遡る可能性があるゃ 出土遺物は極めて少ないが、その中でも瓦が多数を占めている。このことは、調査地点が、蔵 などが置かれた場所であることを反映している可能性がある。

第 7地 点の調査の際に判明 していたことでもあるが、今回の調査地点の周辺は、明治時代以 降の盛土が薄 く、現地表か ら二の丸の遺構面までがきわめて浅ぃ。それにもかかわらず、二の 九期の遺構の策存状態は良好であることが、あらためて確認 された。周逆での工事 に際 しては、

十分 に慎重に封処する必要がある。

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第 Ⅲ章   青葉山地区分布調査

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