氏 名 糸井 史陽 博士の専攻分野の名称 博士(医工学) 学 位 記 番 号 医工博甲 第387号 学 位 授 与 年 月 日 平成29年3月23日 学 位 授 与 の 要 件 学位規則第4条第1項該当 専 攻 名 人間環境医工学専攻 学 位 論 文 題 目 特異的な形態的特徴を有するヒト成熟卵および受精卵の 正常性の解析 論 文 審 査 委 員 主査 教 授 若山 照彦 教 授 黒澤 尋 教 授 楠木 正巳 教 授 岸上 哲士 准教授 大槻 隆司 准教授 野田 悟子
学位論文内容の要旨
ヒト生殖補助医療において卵子・受精卵・胚の質は、主に形態的特徴を指標に評価が行われて いる。ヒト生殖補助医療では、特異的な形態的特徴がある卵子や受精卵の一部で臨床成績が低い ことや産まれた児に先天異常の発生頻度が高くなる可能性があるため移植に用いることは避け るべきとの報告がある。しかし、少ないながらも正常な妊娠および出産例が報告されていること から、完全に妊孕性が失われているわけではない。そこで、本研究では、形態的な特徴がある卵 子や受精卵の正常性を解析することを目的とした。まず、第一章では、ヒト卵細胞質に観られる 形態的特徴の一つであるaggregation of smooth endoplasmic reticulum(SER)という細胞小 器官が観られる成熟卵(MII)に IVF もしくは ICSI を行い、胚発生や臨床成績から正常性を調 べた。次いで、第二章では、IVF または ICSI 後に観察される前核が 1 個の受精卵(1PN)につ いても、同様に正常性の解析を行った。第一章 IVF および ICSI における aggregates of smooth endoplasmic reticulum を有する成熟 卵由来胚の正常性の解析
これまでICSI における SER に関する報告はあるものの、IVF の SER による影響を検討した 報告はない。そこでIVF および ICSI において SER のある MII(SER+MII)が一つでもある周 期(SER+周期)と一つもなかった周期(SER—周期)で患者背景、胚発生率、臨床成績および
新生児成績を比較した。その結果、ゴナドトロピンの総投与量および血中エストラジオール(E2) とプロゲステロン(P4)濃度が総 SER+周期で総 SER—周期よりも有意に高かった。また、平均 採卵数および平均MII 数も SER+周期で SER—周期よりも有意に高かった。さらに、SER+の IVF 周期における総ゴナドトロピン投与量、E2、P4、平均採卵数および平均 MII 数が、SER—の IVF およびICSI 周期よりも有意に高かった。これは、SER 形成の一つの要因として、これまでの報 告と同様に卵巣刺激が影響している可能性が考えられた。次いで、胚発生については、2PN 率、 3 日目良好胚率、胚盤胞形成率および良好胚盤胞率には、SER+周期と SER—周期で有意差は無 かった。しかし、受精方法別で確認してみると、2PN 率は SER+の IVF(71.9%)と SER—の IVF(73.7%)で SER—の ICSI 周期(80.5%)よりも有意に低かった(P<0.05)。胚盤胞形成率 は、SER—の IVF 周期(67.4%)が、SER+の ICSI 周期(58.3%)および SER—の ICSI 周期(61.0%) よりも有意に高かった(P<0.05)。さらに、良好胚盤胞率は、IVF の SER+周期と SER—周期で それぞれ33.0%と 33.3%であり、ICSI 周期よりも有意に高かった(21.5 %, 26.1%; P<0.05)。 これは、SER の影響というよりも媒精方法が影響していたと考えられる。ただ、胚盤胞まで成 長したSER 由来胚を凍結融解後に移植すると、媒精方法に関係なく SER—周期と臨床妊娠率や 着床率、さらには出生児の予後に有意差はなかった。また、SER+周期における出生児の先天異 常の割合は1.4%であり、SER—周期(1.4%)と同等であった。次いで、受精および胚発生率に ついて、4 群間(ICSI SER+MII、IVF SER+MII、ICSI SER—MII、IVF SER—MII)で比較し た。4 群間で受精率(64.2-81.8%)と 3 日目良好胚率(37.6-46.5%)に有意差は無かった。一方、 良好胚盤胞率は、IVF の SER—MII(33.7%)が他の 3 群よりも有意に高かった(21.1-26.6%; P<0.05)。何故、SER—MII において媒精方法間で良好胚盤胞率に差があるのか不明であるが、 前述の通り媒精方法の違いが胚発生率に影響している可能性が考えられた。ただ、SER+周期の ICSI および IVF 由来の胚盤胞の臨床成績は、SER+MII や SER—MII に関係なく差は無く、 SER+MII 由来胚盤胞における新生児における先天異常も認められなかった。
結論として、1)媒精方法が IVF でも、IVF 後 5 時間で卵丘細胞を除去することで細胞質内の SER の有無を確認できる。2)SER 周期において SER+MII は、SER—MII に影響を及ぼさない ことが明らかとなった。3)SER は、胚発生にネガティブな影響を与える可能性があるかもしれ ないが、中には胚盤胞まで発生する可能性のある胚がある。4)それらの胚盤胞を移植することで 新生児成績は、SER—MII 由来の胚盤胞と差がないことが明らかとなった。 第二章 IVF および ICSI における 1 前核胚の正常性の解析 IVF または ICSI 後の 1PN については、多くの場合それらの胚は移植の対象とならず廃棄さ れているが、一部の報告では妊娠例がある。しかし、これまでの報告の多くは症例報告であり、 受精方法別の胚発生率および臨床成績を比較した報告はほとんどないことから、IVF および
ICSI 後に得られた 1PN の胚発生率、胚盤胞を移植した臨床成績および新生児成績を解析した。 その結果、1PN 胚の出現率は、IVF(5.7%)および ICSI(4.7%)で、以前の報告と同様であっ た。それらの胚発生率について、1PN 胚の 3 日目良好胚率は、IVF(19.8%)と ICSI(17.5%) で有意差は無かったものの、2PN の 3 日目良好胚率と比べると有意に低かった(P<0.05)。ま た、1PN 胚を胚盤胞まで培養したところ、培養 5 日目の胚盤胞形成率および良好胚盤胞率は、 IVF 周期でそれぞれ 21.4%と 7.7%で ICSI 周期(10.7%、0.7%)と比べ有意に高かった(P<0.01)。 しかし、2PN 由来胚と比べると有意に低かった(P<0.01)。これは、これまでの報告と同様に IVF における 1PN は、ICSI の 1PN に比べて 2 倍体のものが多かった可能性が考えられる。さ らに、1PN 胚を分割期胚で十分に着床する可能性がある胚なのか選別するのは難しいことを示 している。 次いで、IVF または ICSI における 1PN 由来胚盤胞を胚移植した。凍結融解胚移植は、791 周期のうち36 周期(IVF:33 周期、ICSI:3 周期)で 1PN 由来胚盤胞を移植した。その結果、 IVF の 1PN 由来胚盤胞の着床率(33.3%)および臨床妊娠率(33.3%)は、2PN 由来胚盤胞の IVF 周期(39.0%、35.9%)および ICSI 周期(46.7%、41.1%)と比べ有意差は無かった。また 出産については、IVF の 1PN 由来胚盤胞 33 個を子宮内膜を調整した 33 周期に移植し、9 人が 出産に至っている。しかし、ICSI の 1PN 由来胚盤胞 4 個を 3 周期に移植したところ着床に至 らなかった。さらに、IVF の 1PN 由来胚盤胞を移植し産まれてきた児について、IVF および ICSI の2PN 由来胚盤胞と比較したところ、出産時の新生児の妊娠週数および体重に差は無く、さら に9 人の新生児に先天異常は認められなかった。これは、IVF 周期における 1PN 胚は胚盤胞で 移植をすることで正常な染色体を有した胚の選別が出来る可能性を示した。 これらの結果から、IVF における 1PN 由来の胚盤胞は、臨床的に有用であること、およびこ れまで移植に適さないと考えられていた1PN 胚を用いることによって妊娠の機会が増える可能 性が示唆された。
論文審査結果の要旨
近年、異常胚を移植してしまったために流産し、母体へ悪影響を与えてしまうことを減らすた め、排卵卵子の選別基準が厳しくなってきている。その結果、流産率は減少してきたが、産仔へ 発生する能力を有するにもかかわらず異常胚と判定され廃棄されてしまう胚も増えてしまった と考えられている。本学位論文では、卵子内に見られる小胞体の凝集異常(SER)および1前 核形成に着目し、異常と判定された胚の正常性、出現理由、産仔への影響を詳細に検討した。 第 1 章では、体外受精の場合、卵子の小胞体の形態的異常を調べる前に受精に供され、受精判定ができるこころには判定不可能になっている点について検討を行い、体外受精でも受精判定 と同時にSER を調べることが可能であること、患者の臨床成績データのホルモン値との関係か ら、SER の形成の一つの要因としてホルモン投与による卵巣刺激が影響していることを明らか にした。 第2 章では、受精後に卵子及び精子由来の前核が 2 つできる場合を正常と判定し、1 つの前核 しかない胚は単為発生などの異常胚と判定され廃棄されている点に着目し、1 前核胚の正常性を 検討した。その結果、体外受精における1 前核胚は、顕微授精で見つかる 1 前核胚に比べて胚 盤胞への発生率が高く、正常と判定された 2 前核胚と差が見られなかった。これは、体外受精 の場合の1 前核胚は 2 倍体のものが多い可能性を示している。さらに、これら 1 前核胚を移植 して9 人の新生児が生まれたが、いずれの児にも先天異常は見られなかった。 最終試験は生命工学科の教授4 名、准教授 2 名の計6名で行い、糸井氏に対して厳しい質問 を多数行った。その結果、本博士論文では小胞体を利用した卵子の品質調査であるにも関わらず 小胞体の生物学的な知識が不十分であること、第2 章と第 3 章では対象とする患者の分類方法 が異なっていたが、その理由が説明できなかったこと、ヒトを対象とした研究ではあるものの他 の動物種について同様な現象の有無を調べていないことなど、全体にわたって知識の偏りが見ら れた。しかし公聴会の発表では、学会発表や講演の経験が多いためか、膨大なデータだったのに もかかわらず非常にわかりやすく説明していた。また公聴会の参加者から多数の質問があったが、 ほとんどの質問には素早く的確に答えることができ、専門分野に関しては十分な知識を有してい ることが明らかだった。 一方博士論文については、標記の不一致や専門用語の略字が説明なく頻出しており、専門外の 読者への配慮が見られなかった。またヒトを対象とする研究であるにも関わらず倫理委員会の承 認についての記述が無いことが指摘されたが、発表したすべての論文には記載されていたことか ら研究自体には問題が無いと判断され、本博士論文に追記するように指示された。その他、表が 英語に統一されていないこと、導入部で使われたいくつかの図の引用が明確でないこと、文献の ページ数が書かれていないものがあることなど、いずれも重大なミスではないが修正すべき点が 多々指摘された。これらすべての指摘を最終稿で修正しておくように指示された。 糸井氏は本研究の成果を、第一著者として英語の論文 3 本にして発表している。また国際会 議や招待講演での発表も多数行っている。さらに別の研究でも第一著者の英語論文 1 本、共著 論文を多数発表している。したがって糸井氏の業績は博士号取得の内規を大きく上回っている。 本博士論文で発表した第一著者の論文はすべて本人が責任著者として投稿しアクセプトされて いることから、英語の論文執筆力もあきらかに有している。 これらのことを総合的に討論した結果、糸井氏は博士として十分な知識と技術を有しており、