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民事訴訟における自由心証の法理 : ナーゲルを中心にして

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(1)民事訴訟における自由心証の法理(中村). 自由心証 の 目 的. 結語.     轍  序. 村. 雅. 麿. 儀禽αq窃簿昌魯8望薯色の30qo﹃︶から自由心証主義︵O霊呂怒欝留﹃ヰ色象守矩虫ω零宥島讐躍︶. 中. 民事訴訟における自由心証の法理   ーナーゲルを中心にしてー. ヨーロ ッ パ 諸 国 に お け る 自 由 心 証. 序. ドイツにおける自由心証. 五四   曙   法定証拠主義︵汐言Nな. 一153一. 繭   岬     一       鞠 一.

(2) 説 論. への移行は、歴史の発展に対応している。高度に成長発展した現代社会においては、複雑な生活事象ないしは法現象を、. すべて網羅的に法律に規定することは不可能である。紛争処理手続の一環たる民事証拠法も、この例外ではない。現代社. 会において、より一層自由心証主義が要請される所以である。ところで、沿革的にこれをみるに、必ずしも平坦ではな い。自由心証を内容的に考察する前に、その歴史的発展を概観してみよう。.  ローマの訴訟手続は、通常訴訟手続︵。a2鼠§。箋目︶と特別審理手続︵Φ図窪8象鋸欝8αQ昌一。︶たる職権審査手続とに. 大別されるが、その通常訴訟手続においては、共和政時代︵㎝8−8蝉ρ︶すでに今日におけるとほぼ同様の自由心証主義. が行なわれていた。しかし、その後帝政時代︵8中ρー︶に至り、官憲の権力の増大につれて、職権審査手続が通常訴訟. 手続を圧し、第四世紀以後の後期帝政時代には、この手続のみが行なわれるようになったため、裁判官の恣意的判断に制 限を加えようとして、法定証拠主義が登場するに至った。.  一方、ゲルマンの訴訟手続においては、個々の証拠方法について形式を法定しておき、その形式をみたすか否かによっ. て当事者の紛争の勝敗を決する、いわゆる形式的証拠主義が行なわれていた。しかし、これは、全体としては、実質的真. 実探求の思想に基くものであり、一般的民族信念により高い蓋然性があると認められるところに従うものであった。かく                   パじ て、ゲルマンの証拠法は、実質的証拠主義︵法定証拠主義︶に移行していった。.  イタリア・カノン法は、この冒ーマ法とゲルマソ法の両法律思想を融合して成立したものであり、さらに、これがヨー. ロッパ諸国に伝播した。ドイッにおいては、第十五・六世紀の間にこれを全面的に継受し、ドイッ的要素が加味されて、. ドイッ普通法︵OΦ旨ω宣窃幻8鐸︶を形成するに至ったのである。この過程において、実質的証拠主義︵法定証拠主義︶が. 確立され、裁判官の専断を防止するのには役立ったが、千差万別で複雑な具体的事件の処理には応じ切れなくなり、第十 八・九世紀におけるドイッ各邦の改正立法に至るのである。.  フラソスも、イタリア・カノン法を部分的に継受し、法定証拠主義を採用していたが、一七八九年の革命を経て、イギ. 一154一.

(3) 民事訴訟における自由心証の法理(中村). リス法にならった自由心証主義を採るに至った。.  一八七七年のドイッ旧民事訴訟法は、このドイッ普通法とフランス法とを継受・融合し、その第二五九条に自由心証主                            ︵二︶. 義を明規し、これが現行ドイッ民事訴訟法第二八六条に受け継がれている。わが旧民事訴訟法第二一七条は、この系統を.  田中前掲書、ω・磐2謎9び$ド国巷‘幹一亀∼認即一s7冒ま旨茜N三甘88器器9ρ這臼㍉S囚餌マN貰080げ8鐸①α8. 分けられるは、田中和夫・証拠法の基礎理論︵法学理論編一四七︶・一九五三年・二四頁。. る実質的証拠主義とに大別し、さらに、後者を、裁判官の客観的確信による法定証拠主義と、主観的確信による自由心証主義とに.  証拠主義を、形式を満たすことによって立証に成功したとする形式的証拠主義と、証拠に基く裁判官の確信により事実認定をす. 引くものであり、現行民事訴訟法第一八五条に連なっている。. ︵一︶. ︵二︶. §義鷺o器ψωΦω︵㈱S∼一8︶. ヨ置口 ツパ諸国における自由心証.  国蝕簿陣畠2鼠巴は、その近著﹁識1・ッパ民事訴訟における証拠法綱要﹂ ︵9①9巷紆凝①α8望蓄邑8簿ω一B窪8ー. ℃臥ω9窪N三な8器聲国冒①器9富指茜一魯冨鼠。ω酔&昼一8S︶において、裁判官の自由心証の理論︵良①↓竃&①<8α段. ︷邑窪膏穿①岳畠窪望壌。一署辞α戯琶伊q︶は、口頭主義、直接主義および公開主義の三つの原則を綜合してのみ理解される. とし︵ω◎認︶、これらの原則に需及された︵ψ紹∼δ後、フラγス、スペイン、イタリァ、スウェーデン、イギリス、ド イッおよびソ連における自由心証を比較法的に検討されている︵ω.認∼。。㎝︶。. 醐 フランスの場合 イタリア・カノン訴訟︵蝕Φ冨幕鉱零ぎ騒αざき鮭零冨汐自$ω︶を部分的に継受した革命前の中.         パロコ. 一155一. 二.

(4) 説 論. 世フランス民事訴訟法は、法定証拠の体系︵oα窃帯3分ω鴨ω2駐3。口望ぎ落の︶をとっていた。そこにおける法定証拠理. 論︵一護馨◎α血霧9昌畠。望毒聾ぎ。冨︶は法が裁判官のために一定の手続を定め、裁判官はその手続を使って自己の心証. を形成すべきことおよび法の定めた証明︵拠︶力︵ω睾昏寄ω3によって必ず認定しなければならないということを意味. していた。このような法定証拠主義が、一七八九年のフラン革命を機に、その自由主義・合理主義の影響を受けて、まず                                            ︵四︶ 刑事訴訟ついで民事訴訟において、自由心証主義に移行したことについては前述した通りである。フランスにおけるこの                                    ︵五︶ 移行過程は、いわゆる﹁内的確信﹂ ︵8薯凶&畠瞳簿嘗Φ︶によって導かれた発展段階として把握することがでぎる。.  自由心証が特に認められるのが、人証︵N⑦轟窪富竃芭ないしは証言︵浮罐窪窪ωω諾Φβ︶の評価と鑑定︵O暮p。。算窪︶の. 評価の場合である。人証の評価の場合は、裁判宮がどのようにしてその確信 ︵欝①震Φ薦§磯︶を得るに至ったかについ. ての理由もあげる必要がないし、また、その評価が破殿院の側からの如何なるコソト揖ール︵㎞a。ぎ旨3濠ω舞窪¢浮叩. ω妥8号。富ω︶も受けないという意味において、自由心証につき﹁最高の権限﹂ ︵ω。薯Φ議器O碧聾︶が付与されている。. 一方、フランスの裁判官は、鑑定人の表示した鑑定意見に拘東されない︵︾罫。。器。も撃ρ︶が、証言の評価の場合のよう. な最高の自由︵ωo黛段讐。津①跨舞︶は与えられていない。鑑定と異なる判断をする場合は、その理由を述べなければなら. ないからである。しかし、専門家の鑑定が専門家でない裁判官にとって極めて重要なものであるという事実は認識されて. いる。その外、検証︵︾罐8ω3①冒怨Φ奉芭の結果も、裁判所はもちろん自由に評価することができる。しかし、その他. の点では法定証拠理論︵oq①ω9昌畠Φ望壽馨竃。ユ①︶が適合するので、フラソスにおいては自由心証がはじまったとみるべ                    ︵六︶. きではないという批判も出て来る所以である。. ニ スペインの場合  スペイン法も、フラソス法の影響を受けながら、証拠評価︵望壽坤馨辞象陰凝︶の際の裁判宮のい.         ︵七︶. わゆる﹁内的確信﹂も象鉱&8一馨冒①..は論議されず、スペイン特有の﹁健全な批判﹂も9尽R詮8..︵ひq。ω毒畠民葺葵︶. による証拠評価が問題にされている。スペインの裁判官および裁判所は、証書の証明力を健全な批判の法則により評価し. 一156一.

(5) 民事訴訟における自由心証の法理(中村). なければならない︵︾罫O$いρρ︶ので、その主観的確信は決定的な役割を演じない。鑑定︵留9奉窃慈&凝①暮霜o一¢︶. も、多少のニュアンスの違いはあるが、証言の場合とほぼ同様、健全な理性の法則︵象。男紹Φ言αR閃霧琶傷魯<①議きε. により評価され、ある種の自白︵騨即も。溝婁3ω后一90ユ伊、、︶も健全な批判による評価︵島。≦賛象鵬琶αqoq昏幾幕ン恕. ,欝R釜B..︶に劣る。その他の場合は、書証︵9ざ呂窪ぽ墓芭に関する法定証拠理論が妥当する。.  ここに﹁健全な批判ないしは理性の法則﹂なるものが、どのような性質のものであるか詳らかでないが、スペインの裁 判宮は、その心証形成につき、今なおかなりの拘東を受けているようである。. 三 イタリアの場合  フランスにおけるも8ξ鼠窪陣9営①..の形式と同様ではないが、イタリア法においても自由心証.         パ ロ. が支配的である。イタリアの裁判所は、法律に別段の規定がない限り、 その理性的な判断︵<Φ盗9象鵯のq簿亀︶により. と比較してみるに、多少の差異が認められる。イタリアにおいては、法定証拠理論は、一九四二年の訴訟法からも完全に. 証拠を評価しなければならない︵︾拝一一〇9象8蜜9︶が、これを、ドイッ民事訴訟法第二八六条の規定︵吻鵠①N勺O︶                    ︵九︶. は追放されていない。 ドイッ法とイタリァ法の本質的な差異の一つは、証拠が予審判事︵庁弩鼻ぎ拐旨算R︶によって. 取調べられることである。殊に、これは人証について言い得る。予審判事が判決をする裁判所の構成員でもある場合は、. 裁判官の多数が証人の直接の印象を失うことになり、証言の自由心証︵証拠評価︶には、主として︸人の裁判官のみが影. 響力を持つことになる。したがって、この限りで直接主義︵9且9①一び四詩Φδに反することになるが、証拠評価もしくは. 心証︵国霧。陣ω窯山門良αqqβひq︶は、けっして不合理︵葺&o葛一︶または恣意的︵且目ざ急9︶であってはならない。つまり、論. 理法則︵O。、。叶Nα。同ピoαqεや経験法則︵卑貯穿§鴨愚欝。︶に従わなければならない。また、裁判所は、事実関係︵ω87. 奉浮9 。εを認定するにあたり、 その見解︵︾鼠鑓霧§鮫︶を理由づけなければならない。理疵ある理由づけ︵頴置①民。od?. ⑯.薗昌魯βαq︶は破棄理由︵昏。舞ぎ房鴨琶α︶となる。検証および鑑定の場合は、ドイッ法との間に顕著な差異は認められな. い。書証の領域では、他の訴訟法におけると同様、法定証拠理論︵一罐幕望竃聾竃&①︶が妥当する。強制された宣誓お. 一157一.

(6) 説 弘 薩冊. よび補充宣誓︵α段薯鴨ω9。冨冨9富﹃卑αqぎN琶鵯①δは完全な証拠となり、この二種類の当事者宣誓︵評博象菖に. は、フランス法およびスペイン法とは反対に、裁判官の自由な評価は認められない。かくて、イタリアにおける自由心証. の例外は、他のヨーロッパ諸国におけるよりも広範囲であり、かつ重要であることが9署亀葺も①岳一〇により法的に確 認されている。. 四 スウェーデンの場合  スウェーデソにおける自由心証の原則がもっとも貫徹されているように思われる。当事者尋.          ︵一〇︶. 間︵評醤Φ貯Φ導呂導§σQ&、富坤お毒磯︶についても、ドイッにおける実状よりもさらに進歩的な形式で貫かれている。当事. 者の陳述は、証言同様、裁判官の自由心証に服し、古い形式の法定証拠理論に規律されていた諸々の当事者宣誓︵霊旨坤畳. N壷ユR鴨ω99臼ΦFq霞ωΦω鼠ε凝ωΦ菖も全く捨象されている。書証︵q爵養号暮霧Φ芭は、 一定の公文書が事実上. 大ぎな証拠力をもつ場合は別として、公文書・私文書︵黙①算ぎ冨a・鷲貯讐oq詩§ユ。︶を問わず、もはや、法定の証拠. 価値︵αq。の9昌9Φ望幕δ壽邑は認められてない。このように自由心証が大幅に認められている関係上、裁判官の主観的. な裁量の自由︵鶏三簿牙。田B窃ω臼珠肘色竃δが重要なのではなく、個々の事件における心証︵証拠評価︶の客観的な理由. ︵oぴ軸爵広奉O艮且Φ鴎費臼①浮妻Φ一男欝象ひq毒鵬︶が決定的︵①濤ω魯虫号鼠︶でなければならないことが強調され、この客観. 的に理由づけられた自由心証をどのように理解すべきかの問題をめぐって、活発な論議が展開されている。利口で総明な. 人︵匹茜震9ぎ鱗普儀蒔Φ同寓き昌︶が一般に確信し得る場合に裁判官も確信し得るものとされ︵竃魯N︶、また、証拠が不. 十分な場合でもなお心証を得ることができるものとされている。 叫方、スウェーデンの裁判官は、証拠資料︵切睾駐、. ヨ9§芭︶の論証的分析︵象ωざ邑奉︾鍔専8︶をしなければならず、感情的直観的な証拠評価ないしは心証︵鵯旨日筈9。導9. 一簿魯貯Φ零壽一筆儲こ蒔きαq︶ははっぎり避けているようである。かくて、裁判官は、事実認定をなすにあたり、重要な経. 験則︵田貯評§鵯路欝。︶および入手できるすべての補助事実︵霞募貯簿窪︶を掛酌して、その意見を作成するとともに、. 法律事実︵幻8繹段爵εB︶の存在の正当性を支えている事情︵q暴蔓包①︶の証拠価値および前に確認した事項と一致しな. 一158_.

(7) 民事訴訟における自由心証の法理(中村). いと思われる事情を裏づける反証︵OΦαqΦ菩霜。芭の証拠価値をも考慮しなければならない。 このようにして、少なくと. も部分的には、直観的心証が再考されるようになっている。.  スウェーデソの裁判実務がどのような状態にあるかは詳らかでないが、高等裁判所琵無鼠9.、または最高裁判所転凝,. ω900募8一..が第一審の証拠評価を審理する場合につき、訴訟法は明文の規定を設けている、すなわち、旨o坤鋒..︵頃9,. Φ誉算︶は、新たな証拠調べがその面前でなされたかまたは証拠価値が下級裁判所により認定されたのとは異なるとい. う全く特別の理由︵ぎ霧︶がある場合でなければ、第一審の証拠評価︵心証︶と異なる判断をすることは許されない. ︵欝マ9㎝器幻団︶。このような趣旨の規定は最高裁判所に関しても存し、詣凝の寅∪。霧8一、、︵鼠ω霞。匿富O。膏馨︶は、. 高等裁判所で証拠調が行なわれなかったにもかかわらずその判決が下級裁判所の判決と異なるときまたは証拠価値が高等. 裁判所の認定したのとは異なるという全く特別の理由があるときに限って、高等裁判所の証拠評価︵心証︶と異なる判断. をすることが許される︵昏㌻翻㈱に閑ζd︶。このような特別の理由︵幕ω。且ΦりΦ.︾三幾︶は、心証の結果が証明の結果と. 符合しないとぎにのみ認められる。        コご 五 イギリスの場合 イギリスにおける心証︵証拠評価︶の問題は、陪審︵冒曙︶の役割とその歴史的発展との関連におい. てのみ理解される。陪審は、一定の主張︵浮富唇9轟︶が証拠により証明されたかどうかを判断する任務を負っているの. であるが、このような判断をなすにつき、イギリス法は、陪審員︵甘3びO窃畠蓼器ま︶の常識.、8臼日8ω目器、.と経験. ︵①巻&聲8騨貯鐸琶鵬︶に訴えている。したがって、若干の場合、中世的法定証拠理論︵菖#Φ一葺①島9巴罐亀Φ望名。ぞ. 爵8二Φ︶がなお固執されているのであるが、原則として自由心証主義に基いている。若干の例外とは、書証の証拠力の. 場合等、証明の達成につき、単一の証人の証言または当事者の陳述だけでは十分でない場合である。このような場合に、. いわゆる補強証拠、、8畦9実蝕霞..の理論が働く。すなわち、当事者の陳述または証人の証言は、証明されたむ。&。ω魯.、. ︵鷺ミ&︶という結論が出される前に他の事情︵d馨鼠&Φ︶によって補強され︵富ω鼠碁幹︶なければならないので、裁判. 一159一. oq.

(8) 説. 論. 官は、陪審員に、補強証拠につぎ説明している法規を指示しなければならない。 しかも、このような証拠評価規則︵oロ午                                                  ︵闘二︾ 薯o一署辞島閃§鵯吋譜8には、法定のものと裁判官の権限により創られたものとがあることに注意しなければならない。こ の限りにおいて、自由心証主義は制限されているのである。.  このような陪審制度︵貰ざO窃9ぎ3器ロ望の富旨︶やその証拠評価につき批判がなされなかったわけではない。陪審員. は、複雑な弁論について行く訓練がなされないので、しばしば偏見や感情に陥りやすく、その判定が裁判官の判定と異な. る場合は、むしろ裁判官の判定の方が正しいように思われる︵ωユ。身︶とか、真実を確認する場合は、まず辛抱強く注意. することが必要なので、真実を知りたいなら、心の中からすべての自己中心的な感情、先入観、偏見、恐れおよび欲望を. 除去することに努め、物事をありのままにみるようにしなければならない︵窪。ざ自︶ということが指摘されている。同. 様に、陪審員の感情的な証拠評価もしくは心証︵鴨鴎爵誘富8算Φ望蓄一署弩象騎巨⑯︶を戒めて、裁判の訓練が正義の修練. 急言諺8ω閃8算の箕。。冨拐羅岳。ω9三ΦαRO。器魯凝寄客.、であること︵霧践凝︶や裁判の鍵が経験︵熟練︶であるこ と︵=oぎ8︶などが強調された。.  陪審員または裁判官の心証の客観面︵〇三爵馨①ω魯。︶は上級審の審理に付され、証明の結果︵o ご。毒蕾お・ぼ芭と心証. の結果︵国茜Φぼ富αR瀬壽凶畢辞&αqq躍︶が著しくくいちがう場合は、証明の結果が客観的に評価されていないとして、. 破棄されてきた。要するに、イギリス法における自由心証主義もまた、客観的に理由づけられもしくは認定された心証 ︵o豆魯ユ6訂讐言畠$&・o幕暮響3田名昏名穿島oq琶αq︶を前提にしているのである。      ︵=二V. 六 ソ連の場合  ソ連における内的確信︵一嘗Ro掌R舘轟§の︶と社会主義的法意識︵ω。臥島ω蔚畠窃幻8鐸呂睾島富・ε. との関係を、正確に理解することはなかなか難しく、なお将来の研究にまたざるを得ないが、蜜αq9の叙述を追ってみる ことにしよう。.  ソ連の民事訴訟法典は、中世の法定証拠理論によるすべての拘東を解き︵︾罫鵠きω﹄瑠OqR霧男劣︶、裁判所は、. 一160一.

(9) 民事訴訟における自由心証の法理(中村). する。しかも、この評価は、裁判官の主観的確信によるのではなく、法律と社会主義的法意識とによってなされる。法律. 公判︵蔚誉馨段9彦硬亀︶に現れた全事実関係の全般にわたる完全で客観的な弁論に基くその内的確信により、証拠を評価                                         ︵[四︶. と社会主義的法意識との指導的思想︵冨穽鴨魯艮窪︶に基く心証と解されている内的確信は、法律が正確に定めた客観的. な判断基準︵蜜瑞鶉書︶に基いて形成される。O且雷3旨o誘獣とΩΦω一鋳は、もちろん現在のソ連の民事訴訟法典の施行. 前ではあるが、裁判官が、客観的真実︵◎三。ぎ一奉≦魯旨Φδに達するため、恣意的契機︵鼠濤母膏冨ω鼠。ヨ①導︶に左右. されることは許されず、マルクス主義的弁証法︵欝鴛臥呂零冨U芭。鮮一犀︶に従わなければならないことを強調した。ま. た、のぎω客臓ωは、法の正確な適用が、自ら︵窪8箏妥8ξ︶、マルクス・レーニソ主義︵鵠9。藁一弩−ピφ三艮馨︶の公的な. 解釈により、裁判所により判決されるべき事件︵問題︶の実体的真実︵臼碧。N芭霞暮げ︶を発見することであるのに反し、. 裁判所による証拠の誤った評価は、不合理な判断︵§言の藻圃亀ぎ鼠嘗︶を導ぎ、法規範に公式に違反するのみならず、さ. らに加えて、客観的な真実の明自な曲解︵冨一饗鑓①窟箋Rの一畠9。蕊島牙⑦吋銘俸欄︶を意味すると述べている。 かくて、. さしあたり、ソ連における自由心証は、すべての西洋諸国において多かれ少なかれ、求められているような、客観的に理. 由づけられた自由心証とは別のものだと解されているということが確認されるに過ぎない。これに関連して、器①爵鋤臼導段. は、証拠評価︵心証︶の際、裁判官から主観主義も昌審察器旨磐.、が排除されなければならないことを要求している。. また、裁判所による証拠評価の際、裁判官の世界観︵誌。詳毬ω。蕊釜謎︶およびそれに基く法意識が重要な役割を果すと述. べ、さらに、裁判官にはただ一つの世界観のみが明瞭に存し、それによって解釈することが許される。そして、その限り. においてのみ、裁判宮は、その内的確信を客観的理由︵o豆。蓋話ω蜜。§嘗︶により説明することができるとしている。.  ところが、鑑定については、ソ連の訴訟法も、それが裁判所の裁判におよぼす影響を認め、専門家︵鑑定人︶の鑑定と. 意見を異にする場合は、判決に理由づけをなさなければならないと規定し︵貯鉾お︶、鑑定の重要性を明確にしている。 一方、裁判所が鑑定人に賛成する場合は、何らの理由づけも必要でないと解されている。. _161一.

(10) 説 論.  ついでながら、不思議なことに、新ポーラソド民事訴訟法典は、心証︵証拠評価︶の問題につき、未だ多くの保守的な. 規定を残している。その第二⋮二条によれば、裁判所は、証拠の信用性および価値を、全資料の全面的考慮に基くその確. 信により判断することになっている。しかも、社会主義的法意識には言及していないのである。. ︵三︶ 蜜ひq①一︸器ρ一●ζ笹一ダ一●ご陣①も8︿陣&8凶具ぎ①、.募儀象巴藷”一Φ切霧①一の些8﹃凶①置写餌鼻邑。ゲ・. ︵四︶ ︵六︶ しかし、フラソスでは法定の原則︵oq①ω9昌昌o閃畠巴︶が廃止され、自由心証がはじまったと安易に判断すべきでない.   とし、 自由心証は、 証言および推定のためのみの例外原則とみなす学者もいる。 ︿oq一。2甜9鎚ρψ鳶 ︵冨¢︾pヲに舎   ℃o睡oρギΦ瑳ρ2p㎝鱒ω一8長ω・曽。︶. ︵五︶ イタリアの社会学者頴三は、この発展段階をもΦ旨首9琶o、.なものと呼び、Oo容冨は、それには学問的な発展が認められ.   ないとし、かつ、そこでは、裁判官の主観的判断︵霊三爵賦おqびR器罐琶ひq︶のみが考慮されていて、その恣意的判断︵且一蜀辞.   ぎ冨国旨8ぎ箆彦αq︶ を避け得ないのではないかと危惧し、誤謬の危険予防のため、客観的に理由づけられた心証︵〇三Φ痒オ   ぴ畠急β88一W⑦名巴の毒辞血蒔琶鵬︶を要求している。︿屯ー2品9舞ρψお︵>昌B●昌Nけoo●︶. ︵七︶ 2謎①一矯鎧ρ卜民慧﹂タドU冨ωo名蝕ω需帥識蒔¢昌鵬蒙9α霞もき”o該証8..ρβα島o冨鵯ざωo名o凶ω浮8江o冒ω冨且g    ︵ω。母︶. ︵八︶ 2甜9ますGo.臣Φじ o①類①一ω毛欝α蒔琶鵬営悼巴幽窪︵ω.謹∼謡︶。. ︵九︶ この現定は、本質的には、ドイッ民事訴訟法第二八六条と一致するものであり、ただ、その差異は、法律上の例外︵oq窃09一8ぽ   ︾ロ誓魯目①︶にあると、OΦ切o寂が述べていることにつき、︿αq一●2お99●9﹃↑. ︵一〇︶乞夷⑦江びすト9。瀬幕圃箋旨&㎎§αq日ω3幕αg︵ω●胡∼蕊︶ ︵二︶蜜oQ。江獣亀。伊冨ω℃8げ一⑦3山霞瀬壽坤撃鋒岳oq毒鵬置国お訂且︵ω.ミ∼刈。︶. 。辞R ︵一二︶。h9・ωω窪穿箆窪8﹂8刈もゲ碧。臭O。畦。げ。円蝕8︵署﹂8∼一。。ω︶“、.類ザ窪8貸oぴ。蚕紳坤呂頴ω器盤幕α器9ヨ9. 一162一.

(11) 民事訴訟における自由心証の法理(中村). o o昌8名旨昌08ωω鋤ユ督びoω9霧箆oび網o    o︷﹃ヨ簿8b≦9闘o口o財断麟昌良ロ凶o協貯9首即ω90げ陰 o昌ω℃℃o=彗o嘗瀞g口巴。O昌.    暮。o浮①二一き9嶺箒ロ8瑛09建江8冨お盤冨住器9。欝暮8﹃o眺質帥&。p些。贋①讐。の什。帥暮一8響g誓げ。。器鼠ω。象昌.    8且凝8薗8ロ。一琶。昌ぎ時富魯ω窪8噂げ暮も3︿箆a含①胃①8暮一。霧冨<Φげ①窪富ぎ登爵①8琴一琶88彗9び。    器ω毘88一〇ひq巴oq3§αω、.︵や一爵︶. ︵一三︶2譜。こ匿●su一。琶①お寧①§罐§騎§儀鼠ωω。誉一菖ω魯。国Φ。蓼び霜島什ω晋ぼα震gω輿︵ω・。。鱒∼。。ω︶. ︵輔四︶ 2一9富箏旨霧は、この社会主義的法意識を、すでに発展した社会関係の生産物としての、かつ、同時に、共産主義の発展に緊.    急な進化の法則︵国暮&畠置躍詔窃魯8︶を貫徹するために必要な道具としての社会主義法の本質による法意識、と解して ooo    いる。2卑頓①一︸o﹂●ψo 矯わ昌ヨ●置Oぴ●. ドイツにおける自由心証. 嗣 ドイッにおいては、一八七七年から、裁判官の教養︵O Oま猛αQ︶、廉潔︵﹃審鵯憲貯︶および独立性︵寒魯露凝一鳴望亀曜                                     ︵一五︶ q畠︶を信用して、自由心証主義︵汐貯Nゼα震津忽魯守奉一署黛山蒔琶鵬︶を採用した︵独旧民訴二五九、現二八六条︶。ドイッ. における裁判官の自由心証は、これをほぼそのまま継受したわが法︵旧民訴二一七、現一八五条︶と共通の性格を有してい. ることはいうまでもないが、スウェーデンにおけるような大幅な自由ではない。他のヨー・ッパ諸国におけると同様、法定. 証拠理論︵一①αq巴①ω霧①算冨鼠①︶によって規律される場合が残されている。すなわち、弁論調書および判決 ︵㈱㈱一碑o。置. N娼O︶、公文書および私文書︵㈱総嶺∼鳶o。電O︶、送達証書︵駿おo。悶る8F曽ごN℃O︶等、 一定の証書の証明力に関す. る法定の証拠法則︵鴨ω9昌9。切象Φ罵罐eがそれである。 これらは自由心証の限界︵O器醤臼α巽じo霜①凶鴇鋒傷蒔蓉Φq︶. として把握することができる。ヂこのような法定の場合以外は、裁判官の自由な判断に委ねられる。.            ︵一六︸. 一163一. 三.

(12) 説 論. 二 ところで、ここに自由とは、完全な自由㌔呂蒔坤鉱、.を意昧するのであろうか。また、フランスにおけるも8誌&9. 勘馨導①.、やスペインにおける㍉琶醤o㎏葺8、、︵αq舘弩号漆a鮮罐瞬・鴨段&①<R謹艮紳︶とはどのような差異があるので. あろうか。自由心証は恣意的、感情的ないしは直観的な判断︵且一一窪島島ρσq禽欝お幕8馨oo麟ぎ窪識毒浮錺3。置蓉oq︶. を意味しないということについては異論のないところであるが、裁判官が心証を形成するにあたっては、合理的な論理法. 則︵O①。 。Φ幹N伽①㎏ピ。αq騨︶や経験法則︵国周団静吋煽躍器四欝︶に依拠するだけではなく、その人格︵O鼠吋爵什R︶、教養︵じ oま藍躍︶、. 教育︵卑.幽魯毒αq︶、気質︵↓馨鷲械鋤睡Φ算︶、人生観ないしは世界観︵ピ魯窪甲詳≦巴富参9雲§ΦQ︶というような、いわば不. 合理な事象︵臨、吋働鉱。濤鋤一Φぎ茜魯αq。︶にも依存せざるを得ないことは、これを認めなければならない。 つまり、客観的な. 視点︵oε爵馨①O①。8窪碧§犀①︶と主観的な要素︵ω魯詑aε田騨黛窪︶とが、何らかの関係において、協働することに. なるのである︵劇。ぎ。・ご爵同ぼ堕O鼠号羅門︶、確実性の認識︵感得yb象窃密蕊毘魯乱の.、は、むしろ主観的なもので、裁. 判官により異ならざるを得ないということもでぎよう。このような自由心証の宿命的性格が、今日ドイッにおいて、裁判 官によりそれをしばしば乱用せしめる原因の一つになっている。.  かくて、ドイッ民事訴訟法は、自由心証の合理性を担保するために、裁判官の心証形成に重要な役割をはたした理由を. 判決に挙示することを要求し︵紹o。。︾びの四什、Hω暮旨N℃O︶、これを上級裁判所の審査に服せしめている。しかし、裁判は. あらゆる場合に論理的に説明できる性質のものではないので、個別的には、裁判官が自己の心証の理由を言葉で表現する. ことが困難もしくは不可能な場合がしばしばある。それでもなお、法が理由挙示を要求しているのは、裁判官に、その内. 的判断︵卿匿段φ国簿零ぎ置毯σq︶に役立った明白な事情および役立たなかった事情を十分に考慮しかつ説明すべきこと、す. なわち、証拠調の全結果︵3ω鵯醤の河茜Φぎδ号村響奉冨競葛ザヨ。︶および弁論の全趣旨︵α角σq①舞巨。置富#畠霞<①7. 富鼠ξ轟︶を斜酌すべきことを強制し、能う限り、その内的判断に、客観性︵〇三①簿三§︶と合理性︵短ぎ葛葺簿︶を持た. しめようとする趣旨である。このような強制が、裁判官自身に、その当初の感情的直観的判断を、論理的規準に基いて再考. 一・164一.

(13) 民事訴訟に.おける自由心証の法理(中村). せしめる契機ともなっているのである。ここで、最初に提起した﹁自由心証における自由とは、完全な自由㌔呂蒔#鉱...                ユセマ. を意味するのか﹂という命題にたちかえると、 ﹁裁判官は完全に自由ではない﹂もR覆9§葺艮9け&凝ぼ。窪とい. うことになる。このような自由心証主義の下における裁判官の責任は、この原則が裁判官を信頼することによって採用さ. れたものであるが故に、法定証拠主義の下における場合よりも一層重くなったということができよう。. 三 自由心証の材料として、 ﹁証拠調の結果﹂のほかに﹁弁論の全趣旨﹂をも認めた関係上、当事者の弁論態度︵畠︾暑. 鼠。色器男碧鼠ぎαRぎ導彗亀き晦ω一9び魯ぎ艮︶や証人の証言態度が間題となる。立証責任を負担している当事者の相. 手方が、悪意または過失により、重要な証拠の使用を困難または不可能にした場合、裁判所は立証者に有利に判断するこ. とができる。たとえば、裁判所は、相手方が自分に不利な内容の証書をいん滅したということを理由に、立証者は証明を. 達成したとみなすことができるし︵罐一・総鼠鴫O︶、立証責任を負担しない当事者が、彼だけに知られている事故目撃証. 人の指定を拒絶したことを理由に、彼に不利に判断することもできる。また、真実義務︵薯”窪冨詩℃密。算︶に違反したか. どうかも重要なきめ手になるし、要証事項自体を、証拠調をせずに、他の証拠方法と関連させ経験則に基きもしくはすべ. ての訴訟資料の評価に基き、証明されたとみなすこともできる。なお、裁判官は、宣誓しない証人を宣誓した証人以上に 信用することができる。.         コ マ.  次に、証言および鑑定の評価の場合も、裁判官の自由心証が認められている。鑑定人がその検査を承認された学問上の. 方法によらずになしたという根拠もなく、反対の鑑定も何ら疑問のきっかけとならないときは、裁判官は、まさしくその. 鑑定に従う以外にないのであるが、反対の証言および反対の鑑定があっても、単なる事実の説明︵窪島R留9き葺お︶、                                        ︵一九︶ 場合によっては自己の生活経験︵冨富涜巽富驚琶磯︶に基いて、その判断をなすことも許される。. 四 自由心証に関連して次に問題になるのが、経験則に基き損害賠償法の領域で発展させられた、いわゆる第一次見込証. 一165一.

(14) 説 論.                                                     ︵二〇︶ 拠︵蓋然性証拠、一応の証拠︶︵望毒鉱ω分ωR9窪>誘oケ虫諺℃譲魯窃90巨8算φ諺ぴ霧oぴ㌣誉犠盲息−ωo類塁︶である。これ. は、具体的な損害賠償事件訴訟において重要な役割を果すのであるが、いつも同じ方法で審理される典型的な事件の経過. ︵な審魯ROΦω9魯8の魯貯民︶が間題になるとき、蝋定の事件とある損害との間に、一応︵器協Rω富ω♂鐸︶因果関係があ. るということを証する証拠のことである。これにつき判断したドイッ大審院および連邦裁判所の判例として、切。旨富三貯 は、次のようなものをあげている。. 液中のアルコ!ル濃度︵含有量︶から運転不適当ということが確認された場合、飲酒に事故の原因があると認められる。ここでは、いつ.  自動車が街路樹を礫ぎ倒した場合、運転手に事故の有責原因が見込まれる︵ゆの頃ooる器︶。自動二輪車の運転手が事故を起し、その血. も同じ方法で審理される酪酊による事故︵q蕊聾o置♂蒔Φぎp↓噌q艮9冨δに特有の典型的な事件の経過が問題になっているからで. 。る旨︶。氷面に敷藁を敷かなかった行為︵不作為︶は、敷藁を敷く義務違反を推定せしめる︵幻〇一一ωる逡︶。 新築現場の ある︵ωO鎖一〇. 通行人が落下物にあたった場合、防護設備がなされていなかったということが推定される︵国ε壌一曽Oひ8︶。狸紅熱にかかった子供. からなお伝染する危険があるにもかかわらず、病院で同じ部屋に入れられた子供が狸紅熱にかかった場合、物の通常の経路に従って、そ の狸紅熱罹病は他の子供による伝染︵感染︶にその原因を帰せしめることができる︵肉O一留℃器①︶。.  主張︵屡甜零。旨ユ凝窪︶の正当性につき、見込証拠︵︸誘。ぽ置ω冨壽芭が提出された場合、他の重大な可能性が生ず. る事情を示して、見込証拠の根底をくつがえすことがでぎる。この場合、原告は、その負担している立証責任の故に、自. 己の主張している請求につき、十分な証拠を提出しなければならない。かくて、見込証拠については、立証責任の転換で はなく、自由心証の特別の場合であることを認識すべきである。. 五 最後に、ドイッにおける自由心証につき、注意しなければならないことは、損害の発生もしくは額または債権の額に. 一166一.

(15) 民事訴訟における自由心証の法理(中村). 関する訴訟手続たとえば、逸失利益︵①艮鴨凝窪霞9且暮︶をめぐる訴訟やいわゆる些事訴訟︵留鴇邑一冥8窃ω︶において. は、裁判官の自由裁量の範囲が、通常の場合︵㈱応。o。①賠O︶よりも拡張されている︵紹。。刈鴫O︶ということである。.                                               ︵一二︶.  乞甜Φ㌍器ρ一●図餌㌻H<●9望oヰΦ一①悔o箋o一¢類酵象oq§㎎首Uo暮ω魯富&︵ψお∼ooN︶簡鐸磐. 。㎝ N艶①ン国。目旨窪富びN三一鷺8Φのωo巳謹b騎葛60。膏鐸ω<R貯ωωまoRωαqΦωΦ欝琶αZ。ぴ①贔Φω。樽N①p峯︾焦一弘80。”ω。ωo. ︵一五︶ ︵一六︶. 。。∼o Z濃Φ斜董α●ω●o 。一り9Φ。 。 RN名き堕ω㊦ぼΦOΦα四鼻弩塁Φ旨&o寄一p協穿誹讐o冒角αぴoε急2凝儀R①蒔魯8段ぴ−.  ω①旨ざ民ぴ90”ρω・一㎝ど嶺鱒ピo図涛op傷oの国o魯一ωしWの昌住G o℃↓o臨<一一圃矯Nぞ出冥o器ω段09ρω●O㎝“ピo馨り器ρω﹂ま。. ①蒔窪R閤g賃o一一〇島多. 。。︾昌ごω●頴どdB墨嵩さ﹃建くRβ①置睾塁g寄 一〇霧一く窪9Φ一量畠ヒ馨●脚︼WR昌舞費冒ωN三言﹃oN①幹①。9りo. ︵一七︶. ︵一八︶. 一W。き匿鼠ρ鎚ρω●一弩∼一㎝鱒2諾9置山●ω.o 。ρ..㌣ミ今誉魯ゐく置S8.. 。ど9・90β8り畠.署。鐸一総℃藤o. ︵一九︶  No一一①訴きρω.ωo ◎ヨ2鎚αq。一﹂獣俳ω.o。一り. ︵二〇︶. ︵二一︶  い①馨矯鎚ρω。虞①嚇ω①きザm包紗欝ρω﹄9引ピ¢図涛oβ﹂び置。ω・O㎝●. 自由 心証の目的.  形式的法定証拠理論︵3§巴。αqΦω9昌9。浮毒馨ぎ&。︶によっては、常に形式的な真実︵ま§巴。≦mぼ冨δしか達成され. ないということについては異論がないが、自由心証により達成されるべき真実︵U器鼠こRh邑窪望蓄一撃鐸象σq仁認弩                   ︵二二︶ Ra。箒鼠窪≦”訂冨δがどのようなものであるかは、解決困難な問題である。. 一167一. 四.

(16) 説 論. 剛 まず、ドィッにおいては、同民事訴訟法第二八六条の規定するモ.....蹄吋壽冴a禽息9こ昏蓄写......。をめぐつ. て、いろいろの解釈がなされている。この真実︵≦魯誉簿︶の問題につぎ、ドイッの判例は、長い間、﹁合理的で、生活関. 係を明確に観察する人がなお疑いをさしはさまないような﹂覧饒ぎ嘗くR昌貯豊騎Φぴ象①卜魯Φ誘蕃栂び弛9融ω簿一鋤擁讐Φ吋。¢。富諾−. 。且霞置魯ω9き9署&。犀..高度の蓋然性︵ΦぎぎげR9毘く§薫§携。げ窪ぎ算卑︶であるとし、また、﹁あらゆる合理的. な疑いを排除する程度の蓋然性﹂・ゑ旨噺&窪奉遷段坤蒔§N蓄幕訂島零げ一霧Φ民R9呂く象≦魯富魯。巨8算①濤..︵ωO国N. 蜀ψ。。員零貯亀ぎ臼鐸一9ご劉︶や﹁実生活に役立ち得る程度の確実性﹂︸魚目臨辞鼠ω鷺爵蔚9ωピ害窪び冨8浮舞窪. O轟山く曾望惹穿卑、、︵ωの出N8ψ5無勢d昌亀<o臼界8這貫︶を要求している。さらに、刑事訴訟における実体的真. 実︵臼讐$密瀞名蝉ぼ冨δに関してではあるが、﹁確実性に近い蓋然性﹂りゑき≦筈誘9①三ざげ竃ぎ象①鳥Φ吋O。惹穿Φ詳昌菩。ー ぎ臼臼什、、︵ωO矯鞍2㎏名お9幹o。ω⋮幻Oωけふ9幹一象︶としている。. ≦拶嘗。 ao冨ぎぎ蒔卑、、︵沁89冨茜・ω。容嘗?望訂鼠震2奮。︶、﹁生活経験により事実上確実性と同程度の高度の蓋然性﹂.  一方、学説においては、 ﹁実生活に役立ち得る程度の蓋然性しも冒︷驚富ω短畏器魯①ピ3Sげ﹃窪。浮曽吋魯O.包く8. 、曽晋ω。ぎ冨憶鱒蝕く。爵タ・鋤簿ω。鼠呂&犀鼻α葛霞葛g寅H①冨誘Φほ斡岸鑓轟慧霊のg儀醇oΦ葱爵Φ答αq一魯蒔聾翼... ︵b累3富。7討暮Rぎ魯︶、 ﹁実生活に役立つ程度の蓋然性、つまり、疑いを完全に排除でぎなくても、疑いをさしはさま. せない程度の蓋然性﹂為器捜&器冥爵蔚畠Φ冨び窪び肘窪9冨叫窪鯨&Φ︿象名節ぼの9鉱良魯冨熔留厩儀。旨N毛①院Φ一〇り3ー. 蓄蒔窪鵯窯990ぎ包ぎ&一凝鷺旨器9蔚の§.、︵望Φ貯山9器も魯ε、または、﹁通常人がもはやその真実︵性︶を疑わな. い程度の高度の蓋然性﹂蚕惨ぎ冨吋03山く窪零餌ξω畠蝕急。詳Φぎ。。oα島落ぎぎ門3蝉醇鼠Φ拐9旨Φ寓撃αR零昌3葺. 塁。注①..︵熟凶。。N窪鼻︶と解されている。ところが、≦器器旨2霞は、﹁独立した蓋然性﹂①冒角㌔Rω9房慈鼠韓窪名mぼ茸. ω9色急魯ぎ評..に警告を発し、高度の蓋然性を真実とみなすのは誤りであるとしている。. 二 次に、スウェーデソにおける主張は、全く中間的なもの︵幕暮噌8のように思われる。同民事訴訟法は、 ﹁提出され. 一168一.

(17) 民事訴訟における自由心証の法理(中村). たものすべてについての良心的な審理により、訴訟で証明されるべきものを確定する﹂と規定している︵国帥マo。醗一閑ω︶。. これにつき、一詔8置は、訴訟における証明の目的は、 ﹁司法的真実﹂ =唱豊慰楓い脳爲偽艦§浪“、.であると述べている。新しい. スウェーデンの理論においても、証明にょり多かれ少なかれ高度の蓋然性にまで至ればよいとの見解が主張されている ︵ωo猛ぼ堕国犀〇一α賄︶。. 三 イタリアにおいても、蓋然性につき十分な証明がなされるべぎであることが要求され︵O鋤一餌旨鋤昌儀吋。一︶、事実に関し、 真実に近い確信が達成されなければならないと主張されている︵b同一。仲。,O拶。件門。︶。. 四 フラソスでは、ω一8包が、同民事訴訟法第二六四条︵貯鉾NRρ冒ρ︶の﹁真実の表示い倉鋤旨窯。、§一。昌α①一勉く・.ま.、. に言及して、それは、結局﹁法律的真実﹂ ㌔曾蒙一葺強2Φ.、を狙うものであると述べていることが注目される。. 五 イギリスの民事訴訟においては、いわゆる優越した蓋然性︵ま霞且βΦ且。譲僧冒ω。冨巨け穿Φδ1蓋然性の優越. ︵鷺8。民忠§8亀震3暮臣け鴫︶tが要求されている︵98ω︶が、貴族院︵浮5①9ぎ包ω︶はプレストン・ジョンズ事. 件︵零婁。マ冒露ωダ零婁8山自聲お餌︾ρω曾︶において、証明は、﹁すべての合理的な疑いをさしはさませない程. 度に﹂ ・.ぴ2。鼠毘器器8魯一①&さけ..なされなければならないと判決した。しかし、婚姻事件においては、それよりも              ハニのう. 高い程度の証明が要求されている。. 六 ソ連においては、自由心証によって達成されるべき目的たる真実は、どのように理解されているのであろうか。ソ連. の法学者達は、近年特に、この問題に関心を寄せているようである。すなわち、民事訴訟においては、実体的真実︵B僧什,. 鼠呂①≦9穿冨δが確定されなければならないのであって、単なる法律的真実︵楠a算野訂名四岸冨δが確定されるようで. はいけないとか︵≦誘畠汐畳︶、証明によって達成されるべきは客観的真実︵〇三爵牙①ミ効ぴ円ゲ。εである︵〇三四Nα。導。吋の罫. 9a畏︶とか主張された。共産主義体制の初期においては、確かに実体的真実の要求は緩和されず、多かれ少なかれ高度. の蓋然性で満足せざるを得ないのではないかということについては、疑問がもたれた。ところで、今日でもなお、ソ連の. 一169一.

(18) 説 論. 哲学者および法学者は、民事訴訟においても刑事訴訟においても、事実の確定︵評密9窪8器琶ビロ㎎︶につき、実体的真. 実が達成され得る筈だということを確信しているようである。しかし、それが、弁証法的方法︵α芭。釜零富寓。99。︶や. マルクス・レーニン主義︵竃震一弩5,ピ窪慧馨器︶で理由づけられ、支持されるとしても、実際上は、高度の蓋然性︵晋 ぎげR9&︿8≦魯39。剛島魯寄δのようなものしか達成され得ないのではあるまいか。.  結局、証明にょっては絶対的真実︵菩ω9暮・白9ぼげ舞︶には到達し得ないということは疑いがない。 ﹁証明の必要が、. 既に判決における弱さの現れであり、人間独自の方法で解決されなければならない人的問題である﹂ ︵竃。鼠8。絶対的. 真実は、人的性質︵導窪8窪。富2緯畦︶を拒んでおり、人の到達し得ない極限領域にあるといえよう。. 七 法定証拠理論︵碧器巨一9Φ望奉聾ぎ。幕︶は、その形式的要件により、前もって見積もられた法定的真実︵鴨ω9昌9Φ. 妻聾旨。δに至らしめることが可能であり、法的安全性︵寄昌誘昏冨浮。εの長所をもつが、すべての事情は前もって見. 積もることができないので、生活の多様性︵<芭筐三霧冨富霧︶に応じ切れない。これに対し、自由心証理論︵黛。醤8膏. く呂αRヰΦ剛憩望蓄一署辞島讐凝︶は、個々の事件のすべての事情を同時に包括することがでぎ、たとえ絶対的真実には達. し得ないにしても、法定証拠理論によるよりは、それに接近することができる。裁判官の自由心証︵島Φ坤昏誉鐸Φ忌9Φ. 切薯①一霜弩島αq琶㎎︶は、今日至るところで承認されているが、それは、多かれ少なかれかなりの範囲にわたって、法定証                                    ハニ レ 拠理論の残津を留めている。 ﹁客観的に理由づけられもしくは認定された自由心証﹂の概念︵ω罐ユ鷺。ぎRo三。蓋くぴ孚. 鵯弩α9窪&R&9怠⑦旨9ω霜Φ一累静α蒔欝αq︶をめぐる論争は、まだ終ってはいないのである。.  自由心証によって達成されるべき実体的真実といわゆる蓋然性との関係についての一応の結論は次章でのべることにす る。. 一170一.

(19) 民事訴訟における自由心証の法理(中村). 話ド蜜鴨鮮欝P一●葺y一く●o。●U器葺けOR詮。一魯ωΦ名。一署辞象磐凝跨Φ護o一。げ①包。N芭︵ω●ooω∼o。㎝︶●. また、前者においては、、びoぎ鮫。。。 p 膏ゆa8帥げ巴き89冥o鼠び筥な..9、、話器8魯マ器瀞臨&.、で、後者においては 、、霊3.、窮、儀器識の凱&げ20民3器oロ答冨α2耳..でなければならないとしている。. も三Φ霊くげ禮急&g。田①壽一ω慧急αq§αQ..︵29。豊︸ψお︶:b三Φ算凶く鼠。呂。旨Φ︵富一Φ︶ω。還一ω憲邑。Q琶閃、、︵凶げ峯ω●. 語. o㎝︶等の用語が用いられているが、同趣旨のものと思われる。 おりo. 結.  ところで、この﹁実体的真実︵性︶﹂︵目g 。響置ぴ≦魯旨Φδは、いわゆる﹁蓋然性﹂︵譲効ぼω9Φ巨害算魯も3匿喜菖︶. れなければならないものとされている︵2甜9鎧ρψo。ρ。。偶︶。. と思う。この点、ソ連では、民事訴訟におけると刑事訴訟におけるとを間わず、実体的真実ひいては客観的真実が達成さ. 主義がその理念であり、両訴訟の性格の差異に応じて、実体的真実性に程度︵9貫山詔器①︶の差を認めるのが妥当である. として弁論主義や自由心証主義を採用しているのであるから、このような質的な差異を認めるよりも、ともに実体的真実. に形式的真実といっても、かつての法定証拠主義の下におけるそれとは異なるのであり、また、今日、両訴訟とも、原則.  民事訴訟では形式的真実が、刑事訴訟では実体的真実が、その理念となっているといわれることがある。しかし、ここ. ︵二四︶. げ集な︶が、刑事の場合は﹁非常に高い程度の蓋然性﹂ ︵誘昌ゲ蒔げα紹8①9冥oげ筈臣な︶が認定されなければならないとし、. 訂玄憲$きαび亀o呂3”8葛望03賃耳において、90器は、民事の場合は﹁低い程度の蓋然性﹂︵巴o名R儀罐3①a冥o富.  03ωω讐oマ息幹マO倉9£またや露︵出︶↓冨づ霧畦09梓げo&曾ご9ご昌げ9毛8昌℃嫉090口¢矯60β号審昌89胃?. )). と像ぼ同じものであるとみることができよう。絶対的客観的真実への接近の度合に応じて、真実性︵名鋤ぼ箒ぎ﹃8一ξ︶、. 一171一. 五. ((.

(20) 説. 論. 確実性︵O①蕊浮①登8簿”ぼ蔓︶、 蓋然性︵妻魯お9晋ぎ算。登℃吋3筈臣な︶、可能性︵竃ααqぎ算葺oP3段び罠鉾夢宕量−. び臣な︶に分けることができるとすれば、訴訟において人知のおよび得る領域としては、蓋然性ないしはせいぜい蓋然性. と確実性との境界領域の段階までであろう。実体的真実における﹁実体的﹂ ︵目暮践色ρB簿践巴o﹃鶏富富呂&とは、. このような趣旨を示す性格づけ︵O臣謀§R巨鵬︶以上の意味をもたない。前章で述べた通り、英・仏・独・伊・ソ・スゥ. ェーデンの諸外国における学説および判例は、このことを如実に示している。しかも、だいたいにおいて、同じ蓋然性の. 領域で強弱もしくは程度の差をつけることによって、刑事訴訟における自由心証の追求目的たる真実と民事訴訟における. それとを区別しているということができる。しかし、イギリスにおいて刑事訴訟における蓋然性を説明するときに用いら. れる㌔o藁圧ひqゲα畠お¢、、、、段お..こ廿薯o呂器錺o轟三〇αo暮け..︵90聲8ゑε曽︶等が、ドイツにおいては、 聾魯R9蝕. く8.、:乙a8語旨欝塗鴨ロN名&9窪ωω3瀞留民R9毘く8.、等として、むしろ民事訴訟における蓋然性を説明するの. に用いられ、刑事訴訟においては、さらに高い段階の程度と思われる﹁確実性に近い蓋然性﹂︸ゑ四ぼω3Φ巨8算Φぎ象。. も ∼o。α︶は、なかなか興味をそそる現象で αRO①且浮魯塁箒ぎヨBけ、、という概念が用いられていること︵2お9置斜ρo。。. ある︵前章参照のこと︶。将来の研究課題とするのに恰好のテーマといえよう。.  自由心証の理念は、民事訴訟におけると刑事訴訟におけるとを問わず、実体的真実ないしはいわば蓋然的真実︵臼舞&、. 亀Φ。9名簿ぼの9島葛魯。譲”ぼ箒鍔舅簿蝕巴9鷺&ぎ一Φ霞暮げ︶の発見であり、その間の差異は程度︵9匿﹂。贋8︶の差. とみるべぎだということについては、前述した通りであるが、これを論証するには、なお多くの障害をのり越えなければ ならない。.  民事訴訟における自由心証を、刑事訴訟におけるそれと比較してみるに、その対象︵Oφαq8の審注︶、判断資料︵O慧亀裟亀︶、. 限界もしくは制約︵9窪器o拝田8鐸ぎざ凝︶等の面で、かなりの差異が認められる。自由心証の対象面では、事実. ︵↓象ω8箒︶と主張︵浮富巷呂鑛︶の問題があり、これに関連して、事実問題と法律問題の区別︵ご旨。冨。冨箆琶磯N且ω3聲. 一172一.

(21) 民事訴訟における自由心証の法理(中村). ぎ3譜Φq民閃8算ω坤お。︶が論ぜられなければならない。ついで、自由心証の判断資料の面では、民事訴訟においては、. 刑事訴訟の場合と異なり、証拠調の結果︵国茜3巳ωoぎR。§巴臓8守奉一の窪ぎ魯B。︶の外に、弁論の全趣旨︵鵯路昌R. 一昌葺ユ震<①旨き9琶ひq︶が認められている。この間の事情の差異に着目して、民事訴訟における自由心証主義は、O建旨,                                                    ハニ レ 器9儀R坤魚窪望語一塁薗三蒔毯αqではなく、その実体は、むしろ9琶α鴇尽ユR剛鼠雪譲聾旨魯鴇酵島讐凝であると. いわれる所以である。さらに、自由心証の内在的限界に関しては、いわゆる論理法則︵O。ω。貫号Nピ品涛︶と経験法則. ︵蝉富冒毎αqω器Sおよびそれらに基く判断の上訴審によるコγトールの問題があり、外部的制約の問題としては、証拠能. 力や証拠価値の制限のほかに、国家制度としての訴訟そのものにひそむ時間・労力・費用等の宿命的制度的限界等が考え られなければならない。.  これまで、ナーゲルを中心にして、自由心証を若干の角度から検討してみたわけであるが、主としてその理念面に終始. しており、不十分のそしりを免れない。将来の課題として、今後に残された間題はあまりにも多いが、能力のおよぶ限 り、徐々に追究して行きたいと思っている次第である。. ︵二五︶中村英郎・法律上の推定と自由心証主義との関係・ジュリスト別冊法学教室⑤一六五頁。. ︵一九六八、 一、三︶. 一一173一.

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参照

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