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『 ポ ッ プ ・ ス ピ リ チ ュ ア リ テ ィ ─ ─ メ デ ィ ア 化 さ れ た 宗 教 性 ─ ─

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全文

(1)

う交錯したのかを具体的に堀下げた興味深い研究と評価できる︒

  編者は巻頭の序章的論文の最後に︑﹁国家神道﹂の研究に関し︿官﹀︵国家的・政治的︶/︿公﹀︵公共的・社会的︶/︿民﹀︵私的・個人的︶の各位相の複合的・重層的な絡み合いを解きほぐすという課題を述べている︒今回の論文集には︵︿官﹀セクターに関する論文はやや少ないものの︶各位相での﹁国家神道﹂や宗教的ナショナリズムが分析されている︒ただ︑それらの位相の複合的・重層的な絡まりを解きほぐすという点では︑まだ必ずしも十分とは言えないかもしれない︒少なくとも︑﹁国家神道﹂︑﹁国体論﹂を巡る思想史的研究と︑社会におけるそれらの﹁現場﹂を扱った諸論文の位相間の複合的・重層的な絡み合いは見えにくい︒とはいえ﹁国家神道﹂や宗教ナショナリズムには様々な位相があり︑それらの間のダイナミズムをしっかり分析する必要があるというメッセージはしっかり伝わってくる論文集である︒執筆者は中堅・若手の研究者たちであり︑今後の研究の展開が楽しみである︒ 堀江宗正著

﹃ ポップ ・ スピリチュアリティ

││ メディア化された宗教性 ││

岩波書店  二〇一九年一一月刊四六判 xviii+三〇四頁 二五〇〇円+税

小  池    靖   本書は︑現代的宗教性のあらわれのひとつである﹁スピリチュアリティ﹂について長年研究している著者が︑特にその最近のブーム︑様態に関して︑実証的に分析を試みたものである︒

  本書の各章の構成は以下となっている︒ はじめに第一章 スピリチュアリティとは何か││概念とその定義第二章 二〇〇〇年以後の日本におけるスピリチュアリティ 言説第三章 メディアのなかのスピリチュアル   ││江原啓之ブームとは何だったのか第四章 メディアのなかのカリスマ   ││江原啓之とメディア環境第五章 スピリチュアルとそのアンチ   ││江原番組の受容をめぐって第六章 現代の輪廻転生観││輪廻する︿私﹀の物語

(2)

宗教社会学で扱われるようになったとし︑この書でのスピリチュアリティについては︑次のように定義している︒   スピリチュアリティとは︑⑴通常は知覚しえないが内面的に感じられるものへの信念と︑⑵それを体験して変化をもたらそうとする実践の総体であり︑⑶宗教文化的資源の選択的摂取︑⑷個人主義や反権威主義と行った態度が︑程度の差はあれ︑ともなうものである︒ ︵一六頁︶

 組織宗教には警戒心を抱くが︑自分の霊的関心をマスメディアを通じて探求する現代の人間像が反映しているかのようである︒

  二章では︑スピリチュアリティ言説を分析し︑近年のスピリチュアリティとは︑癒しであり︑現世志向であり︑現世利益というよりも心理利益を求めるものであると示唆している︒用語としての﹁スピリチュアル﹂とは︑漢字の﹁霊﹂の持つイメージを避け︑見えないつながりをあらわすものだという︒抽象名詞としてのスピリチュアリティは︑日本では学問の世界を超えては一般化しなかった︒しかし江原啓之はスピリチュアル・カウンセラーを名乗り︑日本人の宗教性に合致する仕方でシャーマニスティックな実践をポピュラーに広めた︒それは﹁民俗的宗教性が外来思想の助けを借りて浮上する﹂事態でもあるという︵三七頁︶︒

  三章・四章では二〇〇〇年代の江原ブームの分析がさらに続く︒江原の世界観とは︑守護霊を霊視したりしながらも︑ポップ心理学の知識をも援用したカウンセリングの一種であり︑クライエントの成長を志向しているものだという︒宗教ではない 第七章 パワースポット現象の歴史   ││ ニューエイジ的スピリチュアリティから 神道的スピリチュアリティへ第八章 パワースポット体験の現象学   ││現世利益から心理利益へ第九章 サブカルチャーの魔術師たち   ││宗教学的知識の消費と共有参考文献あとがき  目次を一瞥すると︑江原ブーム︑輪廻転生︑パワースポット⁝⁝と︑二〇二〇年における現在進行形のブームとしてはやや旬が過ぎたトピックであるかのような印象も受けるが︑読みすすめると︑そうした懸念は杞憂であったことがわかってくる︒以下︑内容を検討してみよう︒

 スピリチュアリティへの関心は︑精神世界︑オカルトブーム︑ニューエイジ運動といった呼称でも表現されてきた︒スピリチュアリティ概念ももはや︑当事者からは避けられている︑との観測も﹁はじめに﹂で率直に書かれている︒しかしこの本では︑スピリチュアリティをむしろ分析概念として用いて︑特に現代において︑ある種の宗教性が︑メディアなどにのせてポピュラーに︑そしてグローバルに展開してゆく様子に注目している︒それを堀江はポップ・スピリチュアリティと呼んでいる︒

  一章では︑スピリチュアリティ概念がまずは心理学で︑次に

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  六章は現代の輪廻転生観の話に移ってゆくが︑実際にはブライアン・ワイスなどに由来する︑前世療法の日本における内実を論じている︒そうした現象において見られる現代の輪廻転生とは︑異文化間での輪廻を前提としており︵日本人なのに前世は中世ヨーロッパの騎士であるなど︶︑前向きなポジティブさが基調となっており︑また︑催眠的療法の中で浮かび上がってくる個人の体験的リアリティに基づくものであるという︒前世療法のクライエントも女性が多いと言い︑従来の祖先崇拝なども含め︑女性と死後の世界との関わりを長い目で見ると︑それは︑近代以前の﹁祭祀する家父長制的主体性﹂が︑近代以後の﹁供養する母性的主体性﹂を経て︑現在﹁輪廻する⁝⁝︿私﹀としての主体性﹂を獲得していったプロセスであると見事にまとめている︵一四四︱一四五頁︶︒と同時に︑現代日本の前世療法における輪廻観と西洋スピリチュアリティにおける輪廻観にはグローバルな共通性はあるものの︑それらはあくまでも現代人にとっての﹁ひとつのオプション﹂にすぎない︑とも留保している︒

  七章・八章はパワースポット・ブームについてのものである︒パワースポットという視点は︑一九八〇年代に天河大弁財天社︵天河神社︶を宗教学者・鎌田東二が再発見したことにもさかのぼるという︒スピリチュアルなパワーがあると信じられている場への関心は︑国内外で高まり︑現在では︑脱文脈化︑観光化︑メディア化の流れの中にあるらしい︒堀江は︑パワースポット体験を綴ったブログ記事を丁寧に収集し︑五感にうったえるパワースポット体験が︑その後の現世利益を志向すると からこそ幅広い層に︵少なくとも一時期は︶アピールした江原ブームを︑堀江は次のようにまとめている︒

  江原は﹁宗教﹂をすり抜け︑さらに﹁霊﹂という言葉を﹁スピリチュアル﹂という語感で和らげながら︑﹁霊を信じるが無宗教﹂というメンタリティにアピールし︑﹁カルトはバッシング︒オカルトはブーム﹂というメディア環境のなかで安定した地歩を固めることに成功した ︵五六頁︶

  ニューエイジの世界と宜保愛子的なテレビ霊能者の世界は︑ともにポピュラー文化における﹁目に見えないスピリットへの信奉﹂という点で習合しうるが︑江原はそれを数年でやってのけたと言えるのかもしれない︒

  堀江は︑江原に対し信奉的でも否定的でもないと述べてはいるものの︵五七頁︶︑他の題材に比べ︑江原の世界観に随分共感的であるようにも思われる︒四章では江原のかつての冠特番﹁天国からの手紙﹂の様子を六ページにわたって引用し﹁その光景は圧巻﹂であったとまで評価している︵七八頁︶︒五章では江原へのバッシング現象についても論じているが︑インターネット上の批判者の多く︵男性が多い︶は︑言わば実証主義の観点から︑江原の主張をインチキであると批判しているものの︑江原のファン︵女性が多い︶は︑霊の有無にはこだわらず︑その助言が人生にとって有用であれば良いという︑言わば実用主義に立っていると分析している︒換言すれば︑ファンにとっての江原の﹁魅力﹂とは﹁霊の有無にこだわらず︑やさしい口調で現実的問題に答えて︑自己反省・感謝・愛の重要性に気づかせてくれる﹂ものだという︵一〇七頁︶︒

(4)

アな姿勢であろう︒また︑過去のデータベースから構築される現代のアニメについては︑依然として﹁本質論的な構造主義﹂によるほうが上手く捉えられるとも堀江は示唆する︵二六八頁︶︒確かに︑永遠不変な唯一のテクストを守り続け︑しかもその解釈を単独のinstitutionだけが担っているといった︵主に一神教的な︶伝統宗教のあり方は︑文化全般からすれば極めて異例で︑まれな存在である︒相互参照と終わりのない改変・創造こそが︑ポップな文化では主流であるとも言えよう︒スピリチュアリティ現象とファンタジー・アニメの双方を︑物語生成の場として相対化し︑相互の関係を明確化することを今後の研究課題のひとつだとして堀江は暗示している︒この章の研究的視座は非常に説得力のあるものである︒

  以上がこの書の概略である︒過去二〇年ほどの日本におけるスピリチュアリティ現象の実態を丁寧に追い︑また︑おそらく当事者の意識とも矛盾しない︑ほぼバランスのとれた記述・分析がなされていることは高く評価できる︒また︑ブログやSNS︑ツイートといったインターネット上のデータを︑グーグルなども用いながら独力で可能な限り公平に集めておこなった調査は︵非常に苦心したであろうことは推察されるが︶︑今後こうした分野を研究する学生︑研究者にも大いに参考になるであろう︒

  この書は︑大筋でゆるやかに当事者に共感しながら︑宗教学という枠のみにとらわれない研究をおこなっているという点においても︑島薗進の新霊性運動論の正統的な後継研究だと考えられる︒ただし︑文明論的な視点は堀江のこの書では希薄であ いうよりもむしろ︑パワースポットを訪れた事そのものに由来する自己の﹁心理利益﹂を得る行為なのだと解釈している︒

  ニューエイジ的なパワースポットへの関心は︑近年ますます神道的スピリチュアリティと結びついてきているという︒なおここでも︑既存の神社にも言及している江原によるパワースポット紹介本﹃スピリチュアル・サンクチュアリ﹄シリーズを取り上げ︑それが︑従来の神道の現世利益志向からオーセンティックな信仰へのリフレーム︵再解釈︶であるかもしれない︑と好意的に解釈している︵一七九︱一八〇頁︶︒確かに︑そもそもパワースポットにやしろを建てたものが神社だとすると︑神社神道が現代におけるパワースポットへの関心と習合してもまったく不思議はないだろう︒

  終章である九章ではまた大きく題材が変わり︑アニメなどのサブカルチャーにおける魔術︑魔術師といったテーマの広がりを論じている︒若年男性を主なターゲットとした現代日本のアニメにおいては︑男性主人公と︑使役される関係にある萌え絵の女性キャラクターが登場し︑戦闘シーンを繰り広げるものが人気であるという︒そうした作品ではしばしば︑宗教学やオカルトのデータベース的知識も活用しながら︑魔術が重要なファンタジー要素として登場する︒また特徴として︑脱二元論的で多神教的な世界観を持つものが多いという︒

  堀江はここで︑アニメにおける魔術の関心は﹁スピリチュアリティへの関心とは相当に違う﹂ということや︵二五二頁︶︑この章が宗教研究というよりもサブカルチャー研究に近いということを譲歩としてはっきりと述べている︵二六四頁︶︒フェ

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ではなく︑音楽を聴くこと︑ボランティア活動に従事することなども︑個人にとってのスピリチュアルな活動であると書かれている 4︒﹁マラソンは彼/彼女にとってのスピリチュアリティだ﹂というような言い方も不可能ではないだろうが︑そうだとすると︑明確な当事者も居て調査もそう困難ではないであろうマラソンについての研究発表を︑なぜ宗教学会ではほとんど見かけないのだろうか?  こうした疑問に対して︑スピリチュアリティ研究はどのように戦略を立てていくべきなのだろうか︒

  また︑近年﹁軽い宗教 5﹂﹁無自覚の宗教性 6﹂といった概念が花盛りであるが︑スピリチュアリティ現象の隆盛は︑脱世俗化のあらわれなのか︑それとも︑明確な集団や境界線を持たない雑多な霊的関心の拡散こそが︑まさに世俗化の証左なのだろうか︒こういった諸論点も︑現在の研究者たちにとってのこれからの課題となるであろう︒

  ポスト・スピリチュアリティの時代における人間の精神状況はどうなってゆくのか︒おそらくそこにインターネットやスマートフォンは大きな役割を果たすであろうが︑そのような意味も含めて︑この書は︑今後の時代精神を考える上での優れた︑そして大きな問題提起の書となっていると言えよう︒

注︵

︵   1︶島薗進﹃精神世界のゆくえ﹄東京堂出版︑一九九六年︒

稿︑二〇〇七年︒ ity Movements and Culture.’”国際宗教社会学会発表草   “‘The New Age Movement’ or ‘New Spiritual-2︶島薗進 とした島薗のベン図も思い起こされる︒ 1 ては︑新宗教や伝統宗教の一部でさえ新霊性運動の要素である る︒神道がスピリチュアリティの重要な要素となった今となっ

  また︑いわゆる神道非宗教論が一方的に国家からのみ押し付けられたとするのは一面的であって︑宗教法人法などの法務を除けば︑現代日本の一般の消費者にとって﹁自分がいまおこなっている神社での行為はまさに宗教である﹂といった意識・言説は︑見つけるほうが難しいのかもしれない︒さらに言えば︑神道とはそもそも︑﹁救済宗教﹂であるというよりもむしろ︑﹁スピリチュアル消費﹂としての性格をより強く持つものであった︑という解釈も可能なのではないか︒

  右に述べたことと共通するが︑島薗は﹁新霊性文化﹂の概念も提示したが 2︑確かにスピリチュアリティ現象は︑それを﹁宗教﹂だととらえるから全てが新しく見えてくるのであって︑様々な要素の自由な取捨選択や︑さらに書籍やインターネットを通じたグローバルな相互影響は︑音楽や映画などの﹁文化﹂一般ではごく自然に展開していることである 3︒この点において︑スピリチュアリティ研究は宗教研究としての地位を確保することに潜在的な困難さを抱えているとも言える︒

  この書への批判的な論点としては︑ポップ・スピリチュアリティという広い概念ならば︑他に見るべき領域はないのか︑取り上げるべき題材がなぜこれだけなのかという疑問は︑様々な立場の人々から提起されうるかもしれない︒ポピュラー文化に目を向けてみると︑例えば︑版を重ねているビジネス書の大ベストセラー﹃7つの習慣﹄では︑聖書を読むといったことだけ

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 一九九〇年代以降︑ソヴィエト・ロシア史研究が従来のそれとは異なるものへと変容してきたことは︑つとに指摘されてきた︒その変容のひとつの理由は︑公文書館︵アーカイヴ/アルヒーフ︶史料の公開がソ連解体前夜の八九年より本格的にはじまり︑外国人研究者も多種多様な史料にアクセスすることが可能になった︑いわゆる﹁アルヒーフ革命﹂にある︒もうひとつの理由は︑西欧で展開をみた社会史︑心性史︑さらにミクロヒストリーやオーラルヒストリーの手法によって個人・家族の歴史を再構成するというアプローチなど多様な歴史研究がソヴィエト・ロシア史研究にも広くとりいれられたことである︒

  著者はその変容の只中にあって旺盛に各地のアーカイヴに足を運び︑ロシア国内外の研究者と精力的に学術交流を深め︑またインタビュー調査を実施してきた︒その成果が本書に結実している︒

  本書で扱われる時代は︑ロシア革命前夜から一九六〇年代までと幅広いが︑とりわけ後期社会主義期の文化が事例篇では扱われる︒なおソ連における後期社会主義とは︑スターリン体制後ペレストロイカ前までの約三〇年間を指す︒以下では︑本書の構成と概要を示した後にコメントを付す︒

一  本書の構成︵﹁はじめに﹂を除く︶と概要第一章 ソヴィエト・ロシアにおける宗教政策の展開と宗教の社会的変容第二章 ソヴィエト・ロシアにおける宗教・社会主義・世俗化第一節 神なき後の社会主義か││宗教と世俗をめぐる概念 ︵

︵ 頁︒ から﹂︵﹃宗教と社会﹄六︑二〇〇〇年︶︑一三三︱一三七   3︶小池靖﹁ニューエイジとセラピー文化││文化論の視点

︵ グベアー出版︑一九九六年︒ 川西茂訳︶﹃7つの習慣││成功には原則があった﹄キン   4︶スティーヴン・R・コヴィー︵ジェームス・スキナー/

︵ 究﹄九一︵二︶︑二〇一七年︶︑二五五︱二八〇頁︒   5︶山中弘﹁消費社会における現代宗教の変容﹂︵﹃宗教研   6︶稲場圭信﹃利他主義と宗教﹄弘文堂︑二〇一一年︒ 高橋沙奈美著

﹃ ソヴィエト ・ ロシアの聖なる景観

││  社会主義体制下の宗教文化財︑  ツーリズム︑ナショナリズム ││

北海道大学出版会  二〇一八年二月刊A5判  ⅶ+四一七+三一頁  七五〇〇円+税

井  上  ま ど か   ﹁現地調査を重視するスタイルの研究﹂を着実に積み重ね︑博士論文をもとにしつつ︑その後の研究関心の広がりとともに論考として世に問うてきたソ連の宗教研究史や聖地研究を包含して上梓されたのが本書である︒

参照