笏研究論文笏
ウィリアム・モリスのユートピア論
山田まりこ(一九八二年度卒大江ゼ︑︑︑)
はじめに
ウィリアム・モリスと日本
モリス解釈の系譜
W・モリスのユートピア
モリスによる理想社会
﹃ユートピアだより﹄を形成したもの
モリスの社会主義理論の立場
モリスとベラミ
むすび
はじめに
﹁ユートピア﹂︑この言葉を私たちは日常的にしばしば耳にす
るようになった︒L・マンフォードはユートピアを﹁逃避﹂のユ
ートピアと再建のユートピアに分類①し︑ユートピアの概念をよ
り身近なものにしている︒理想都市物語は︑古くはプラトンの時
代から始まる︒それらは一見︑人々の願望︑理想︑夢を描いたよ
うであるが︑﹁逃避﹂にせよ﹁再建﹂にせよ︑実際は苦悩にみち
たその時代のあるいはその社会のアンチテーゼであることが少な つ
くない︒
ユートピアの時代批判︑将来への予見といった面は︑その示唆
を鋭く感じとる者にとって重要な意味をもってきた︒しかし︑ユ
ートピアの思想は架空の物語として表現されるにとどまっており︑
実際には︑社会思想として重要な位置を占めることはなかったよ
うである︒
ユートピアには社会思想的側面とは別の︑不変的な意味がある︒
それは童話が子供のファンタジーであるようにユートピアは大人
のファンタジーであるということだと思う︒ユートピアは希望で
あり︑人間の存在とともにあり続けるものだからである︒
一八〇O年代のイギリスは︑他の諸外国が革命的動乱に揺れて
いたのに対して︑それほど変革のなかった︑唯一革命の起らなか
った国として興味をひく︒しかし︑その内部では一九〇〇年代へ
の過渡期としてその基礎形成が成されていた︒その重要な時代と
ほぼ同時期に生きたウィリアム・モリス(HOQQQ蒔i8)に興味を持
った私は卒業論文で﹃ユ⁝トピアだより﹄を通してイギリス社会
を︑あるいはモリスの生き方を考察しようと試みた︒以下はその
一部に訂正加筆したものである︒
ウィリアム・モリスと日本
日本におけるウィリアム・モリスの研究はトマス・モアについ
で古い②︒日本へのモリス紹介は意外にも早かった︒そして近年
ふたたびモリスは注目されている︒モアの場合とちがってモリス
については︑彼の﹃ユートピアだより﹄という小説がまず研究さ
れるというのではなく︑社会思想家としての側面が最初に注目を
ひいた︒
例えば一八九二(明治二五)年一〇月﹃早稲田文学﹄の﹁海外
文学欄﹂に﹁未来の英国勅選詩宗は誰そ﹂と題した一文があり︑
﹁⁝又ウヰリヤム・モーリスは一種の微妙なる歌人にして彼れ
が一流に於ては真成の詩家たちに恥ぢざるものなり志かれども
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ彼れが社会的民主党の一人なることは人も知りみずからも度々
ヘヘヘへ公言せり彼れもまた恐らく宮廷に入ることを得ざるならん
⁝③﹂(傍点引用者)
と書かれている︒同じ明治二五年一一月の﹃国民之友﹄では﹁詩
人の題目﹂と題して︑
﹁⁝彼の社会党の詩人モリスの如きロウゼッチ以下第二流の詩
ヘヘヘヘヘへ人たりと雖も︑其進軍の風︑無主無僕等の詩が︑如何に英国の
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ社会党を作り出せしかと思はば︑後世の歴史に於ては︑一つの
記念像とせざるを得ざる也④﹂(傍点引用者)
と述べられており︑同文中で詩人はその詩題を︑人生︑自由︑社
会︑人物などにも及んで大思想を吐露し社会人心に進むべき方向
を示すべき任務を帯びていると論じている︒翌一八九三(明治二
六)年七月の﹃国民之友﹄では︑海外思潮欄の﹁英国に於ける社 会党の勢力Lにおいて︑
﹁倫敦の社会党がヒンドマン及びウィリアム・モリス氏等の首
唱によって⁝三氏の名を以て英国社会党綱領なるものを発表し
たり︒新綱領の要点は八時聞条例︑小児の賃金労働禁制︑貧窮
童児を保育すること︑政府の事業に傭はるる成年者の給金の相
応なる最低額を定むること等の八ケ条なり︒この党の勢力や今
や倫敦及び大都会の地のみならず遠く地方の小市邑までも行き
渡らんとす︒現時英国政治界の動揺商業界の不振は此の復活せ
る同盟の勢力の熾んなるに負ふもの甚だ多しと言ふ⑤︒﹂
と記されている︒おくれて一九〇三(明治三六)年一二月六日の
﹃平民新聞﹄では︑﹁社会主義の詩人ウヰリアム・モリス﹂という
見出しの記事が掲載されている︒
他に文学界では︑夏目漱石が一九〇七(明治四〇)年五月の﹃文
学論﹄⑥において︑小泉八雲が一九二六(大正一五)年五月の﹃東
西文学評論﹄⑦においてそれぞれモリスについて論じている︒さ
らに一九一六(大正五)年︑芥川龍之介が東京帝国大学英文学科を
卒業する際︑卒業論文においてモリスを扱ったことは有名である︒
論じられた年代をみていくと︑大正時代の後半期に最も盛んに
紹介されており︑次いで一九三四(昭和九)年にふたたび盛んに
取り上げられている︒
大正時代の後半期におけるモリスの紹介は︑当時の世界的なデ
モクラシー思潮の波頭に乗ってもたらされたものであったという
ことができよう︒
一九一四年に勃発した第一次世界大戦は思想的にみてドイツの
軍国主義に対するイギリス︑アメリカの民主主義の勝利を意味し
.1
たものであった︒ロシア革命もこれに加えることができるだろう︒
このために思想界が世界的に揺り動かされ︑それに伴って急進的
思想を先駆として︑デモクラシーのための運動が開始された︒日
本のインテリゲンチアもまたその戦列に加わり︑明治末期に逼塞
させられた社会改造の思想がふたたび抬頭し始めた︒このような
状勢の申で︑モリスの社会主義が大きくクローズアップされたの
は自然の成り行きであったと言えるだろう︒モリスの紹介の内容
として新社会︑社会改造といった方面のものがかなり多いのは︑
この間の事情を物語っている︒
ただ︑一九二〇(大正九)年八月の﹃早稲田文学﹄⑧の時評欄
で︑﹁走馬燈的思想の変遷﹂と題して宮島新三郎氏が︑﹁⁝而して
モーリス果して今後何箇月の生命あるか︑甚だ心元ない感じがす
る⁝⁝﹂と書いていることも一言しておきたい︒
詩壇では明治四〇年頃から口語自由詩などの運動がおこってい
たが︑第一次世界大戦の始まった大正三年の頃から詩の民衆化の
動きは一層強まった︒いわば前述の社会思想の詩文への反映であ
った︒詩人としてのモリスもその根底に流れる思想にふれずして
は語られなかったのである︒以上のような社会的状態を受皿とし
て︑モリスは盛んに紹介されたのであった︒
一九三三(昭和八)年までのモリスの日本への紹介は次頁の表
のように整理されている⑨︒
一九三四(昭和九)年︑モリス生誕百年記念として東京日本橋
丸善株式会社階上においてモリス文献絵画展覧会が開催され︑そ
の目録を中心とした﹃モリス書誌﹄⑲が発行された︒さらに︑こ
の時期を前後して生誕百年に際してのモリスに関する論文が多数 現われた︒例えば︑昭和九年三月二三日から二五日にかけて﹃都
新聞﹄は﹁誕生百年に際してモリスを憶ふ(大槻憲二)﹂を掲載し
ており︑﹃芸術殿﹄四月号では山口太郎が英国におけるモリス誕
生記念祭の催しについて詳細に報じている︒さらに︑﹃学燈﹄第
三十八年第四号では︑表紙にモリスの肖豫があげられ︑その裏面
に東京丸善株式会社階上で開催された誕生百年祭記念文献絵画展
覧会を報告している︒まだ﹁ヰリアム・モリスの頁﹂を設けて外
国新刊のモリス研究書やモリスの著作を紹介している︒そして︑
五月の﹃谷島屋タイムス﹄第八二号では︑新村出博士の﹁血籍散
語﹂から﹁モーリスと本阿弥光悦﹂の一節を引いて掲げ︑また中
村精は﹁我が国に於けるモリス研究の諸相ーモリス誕生を記念し
てl﹂を発表⑪している︒
イギリス本国では︑生誕百年記念式典に際し︑首相ボールドウ
ィンみずから式辞をのべ︑モリスの遣した﹁美の遺産﹂を讃えた
という︒しかし︑この頃英本国でのモリス評価は︑社会主義者と
してではなく︑単に偉大で高貴な詩人︑工匠として広く人々に知
られていたにすぎない︒
モリス解釈の系譜
モリスの最初の伝記は︑彼の死の三年前の一八九三年︑アイマ
ァ・ヴァランスによって出版された︒それは社会主義的見解を重
視したものであった⑫︒
モリスの死後あらためて伝記執筆を行ったのは︑J・W・マッ
ケイルである︒E・バーンジョーンズの協力のもとに︑当時判明
のモリス関係資料を利用したもので︑慎重な準備のもとに出版
日本 に お け るモ リス研 究 丈 献(1901〜33) (一)年 次 別
分 野別 著 者別 (二)
(三)
1 工芸美術
文学
社会思想
評伝
北沢新次郎厨川白村大熊信行佐藤清北野大吉矢口達布施延雄堺利彦大槻憲二加田哲二本間久雄
一62一