37 細部というアポリア 「細部という
難 アポリア問」、そのような章題を冒頭に掲げた文章は、もともとは一九八五年七月にウルビーノで開かれたシンポジウムでの口頭発表であり、翌年に雑誌で活字化され、さらに単行本『イメージの前で』(一九九〇年)に付録 のかたちで収録された「細部という問題、面という問題 )(
(」であるのだが、そのなかでジョルジュ・ディディ=ユベルマンは、まずは哲学的な常識において、細部は、「近接、分割、総和」という三つの操作によって、「網羅的な描写」
すなわち全体の把握という知の理想に至るための「破片」となるとしたうえで、芸術作品を解釈するための細部の問題に移っていく。ところが、この領域においては、対象を熟知するために知るべき「細部」といった常識的なとらえ
方より、はるかに複雑で戦略的な前提が求められるにもかかわらず、「「了解された」実証主義」と「「誤解された」フロイト主義」の共謀関係のせいで、結局は全体の覇権が蘇ってくる。すなわち、すべての見えるものは描写されう
るし、描写することがよく見ること、さらには知ることを意味するという実証主義、そして、すべてを語ってもらい、すべてを解釈するというフロイトの分析方法において、細部をシニフィアンではなくシニフィエとして解釈しよ
うとするフロイト主義、その両者が結びついた図像学的方法は、細部を「観察における単なる精緻さ 000の帰結」とみな
細部というアポリア
バルト、ディディ=ユベルマン、そして……
谷 昌 親
細部というアポリア
し、あくまで全体と関わる要素と位置づけることになるのである )(
(。
それに対してディディ=ユベルマンは、フロイトが本来は細部を「観察における屑 )(
(」と考えていた事実にこだわろ
うとする。そのとき彼が援用するのはガストン・バシュラールだ。すぐれた批評家・思想家であり、その博士論文において科学論を扱っているバシュラールは、観察科学の領域においてすら主体の分裂が起きると述べる。細部の認識
と体系的認識のあいだに葛藤が生じるのだ。つまり、「認識主体は、よりいっそう全体化するために見えるものを切断するが、自分自身がそうした分離の効果をこうむってしまう )(
(」というわけだ。この「引き裂かれた意識」の問題を
バルザックの『知られざる傑作』と関連づけたうえで、「物そのものがその表象のなかに到来するのを待ちうけてい
る者のもとに、形象なきものが舞い込む」とし、さらに、そうした引き裂かれた意識はラカンが主体構成の次元において「疎外」と名づけたものを想起させるとディディ=ユベルマンは述べるのである )(
(。
要するに、全体に回収されない細部をディディ=ユベルマンは語ろうとしているのであり、そこから彼は、絵画作品における細部の問題へと論を展開していく。まずは、ブリューゲルの《イカロスの墜落のある風景》を例にとり、
画面の中心部近くといはいえ、かなり小さく描かれている海中に没したイカロスの身体(実際に見えるのは海面に出ている足だけだ)のまわりに、いまだ空中を舞いつつ落ちてきている羽根というきわめつきの細部に注目し、白っぽ
い絵の具のアクセントが羽根に見えるのは「地 ぢ」との関係からであるとして、「絵画のあらゆる細部は多元決定されている )(
(」と述べる。さらに、フェルメールの絵画へと話を進め、《デルフトの眺望》の「小さな黄色い壁の面」、そし
て《レースを編む女》において画面の中央よりやや左下に描かれた赤い糸のほつれという細部に注目するのである。ここでのディディ=ユベルマンの議論にはあとで立ち戻る予定だが、このような細部へのこだわりをたどってくる
と、この「細部という問題、面という問題」という文章の後半になってようやく出てくる固有名詞を早くも想起せざ
39 細部というアポリア
るをえないとわれわれは感じてしまう。それはロラン・バルトという固有名詞だ。
*
周知のごとく、最後の著作となった『明るい部屋』(一九八〇年)でロラン・バルトは、写真を論じつつ、その
後、さまざまかたちで言及されることになる「プンクトゥム」という概念を提示していた。彼はまず、自分が写真を見る際に、政治的証言として受けとめたり、歴史的画面として味わったりするように仕向ける人間的関心のあり方
を、ラテン語の「ストゥディウム」(
studium
)という語で表わす。それは「あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する」のであり、バルトが写真に映った人物像に、その表情や身振りや背景や行為に共感するとすれば、それは「教養文化」を通してそうなるというのだ。だからこそ彼は、このストゥ
ディウムには文化的な関心のあり方という「共 コノテー示的意 ション味」 )(
(が含まれているとする。
ところが、写真を見るという行為には、ストゥディウムに加えて第二の要素があるとされ、それがやはりラテン 語の「プンクトゥム」(
punctum
)という言葉で示されるのだ。ストゥディウムの場合、写真の鑑賞者がそれを求めていくが、プンクトゥムは、「写真の場面から矢のように発し、私を刺し貫きにやって来る」のであり、だからこそ傷、小さな穴、鋭くとがった道具によってつけられた印を表わすこの語が選ばれたのだが、それだけでなく「点を打つ」という観念も含まれていることが重要で、というのも、「ここで問題になっている写真には、あたかもそうした
感じやすい痛点のようなものがあり、それが点を打ち、ときには斑紋状になってさえいる )(
(」からだ。刺し貫くといった意味合いが大事なのは言うまでもないが、それに劣らず不可欠なのが、広がりを持たずに点のごときものとして
刻印されるという性質だ。実際バルトは、「小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目」といった言い方をあえてしてお
細部というアポリア
り、プンクトゥムが細部にかかわるものであることを示唆している。もうひとつ注意すべきは、本来「プンクトゥム」という語には含まれていない「偶然」の要素が盛り込まれていることだ。「プンクトゥム」は「骰子の一振りの
ことでもある」とバルトは付け加え、それは「写真に含まれつつ、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然 )(
(」なのだと強調する。つまり、プンクトゥムとは、なんらかの偶然の作用が働いている細部と
いうことになる。
実際、ロラン・バルトは「細部」という言葉を使うことをためらわない。というよりも、むしろ積極的に「細部」
という言葉でプンクトゥムについて語ろうとする。「たいていの場合、プンクトゥムは「細部」、つまり、部分的な対
象である )(1
(」と断言しているのだし、その「細部」がどのように機能するかについて、次のような説明もおこなっている。
ごく普通には単一のものである写真の空間のなかで、ときおり(…)なんらかの「細部」が、私を引きつけ
る。その細部が存在するだけで、私の読み取りは一変し、現に眺めている写真が、新しい写真となって、私の目にはより高い価値を帯びて見えるような気がする。そうした「細部」が、プンクトゥム(私を突き刺すもの)な
のである )((
(。
一方、「偶然」が重要な要因であることを強調するのも忘れていない。
ある種の細部は、私を「突き刺す」ことができるらしい。もしそれが私を突き刺さないとしたら、それはおそ
41 細部というアポリア
らく、写真家によって意図的にそこにおかれたからである。(…)私の関心を引く細部は、意図的なものではない。(…)それは、撮影された事物の場に、不可避でもあり無償でもある補足物として存在する )((
(。
細部であり、偶然が作用している、その結果、プンクトゥムは「不可避でもあり無償である補足物」になるという
わけだ。実際、バルトが例に挙げる写真では、そのような細部が問題にされている。ジェームズ・ヴァン・ダー・ジーが撮影したアメリカ黒人一家の写真において、バルトは、自分を突き刺すもの、つまりこの写真のプンクトゥム
として、右側に立つ女性の豊かな腰、小学生のようにうしろで組んでいる手、そしてとりわけ「ベルト付きの靴」を
挙げている )((
(。また、ウィリアム・クラインがニューヨークのイタリア人街で撮った子供たちの写真では、モデルガンらしきものを隣にいる大人から突き付けられて笑っている男の子の「歯並びの悪い歯」がバルトにとってのプンク
トゥムとなる。さらに、ケルテスが撮った若き日のトリスタン・ツァラのポートレートでは、ドアの縁枠に置かれた、「爪があまりきれいでないその大きな手 )((
(」に惹かれてしまう。バルトが眼にとめるのは、「中心からはずれた細
部 )((
(」ばかりなのだ。ルイス・W・ハインが撮影したニュージャージー州の小学校の二人の虚弱児童の写真では、その二人の子供のややいびつな頭やいかにも虚弱児らしい横顔には目もくれず、ひときわ小柄な男の子の着ている服の
「ひどく大きな襟」、そしてその男の子の背後に立つ女の子の左手の「指の包帯」へと彼の視線は向かう。あるいはナダールが撮った、二人の黒人水夫に囲まれたイタリアの探検家サヴォルニャン・ド・ブラザのポートレートでも、中
心に腰かけた探検家その人ではなく、その左後方に立っている水夫のひとりの「腕組み」に彼は注目してしまう。まさに「補足物」としか言いようのない周辺的な細部にバルトはプンクトゥムを見出しているのだ。
細部というアポリア
*
ロラン・バルトの考えるプンクトゥムがいかなるものであるかが徐々に明らかになりつつあるが、この考察をさらに進める前に、プンクトゥムの一種の前身として彼が提示していたと思われる「第三の意味」あるいは「鈍い意味」
について検討しておきたい。一九七〇年に『カイエ・デュ・シネマ』誌に発表し、「S・M・エイゼンシュテインのいくつかのフォトグラムについての研究ノート」という副題を持つ論考「第三の意味」において、彼は映画における
意味作用の解明を試みるなかで、ストゥディウムとプンクトゥムにかなり近いものが映画の画面のなかに共存するこ
とをすでに明らかにしようとしていた。
まず彼は、意味の働きを三つのレヴェルに分ける。第一の意味は、「情報伝達のレヴェル」あるいは「コミュニ ケーションのレヴェル」であり、「セット、衣装、登場人物、それらのさまざまな関係、また、私が(あいまいにであれ)知っているこのエピソードにそれらを組み入れることなどによって私にもたらされる知識のいっさい )((
(」がこれ
に含まれる。いわば明示的な意味である。
第二の意味は、「象徴的なレヴェル」であり、バルトはエイゼンシュテインの『イワン雷帝』の冒頭近くで、戴冠 儀式の際に黄金の硬貨が皇帝の頭上から降り注がれるシーンを取り上げ、それが「黄金、富の主題」として機能し、シニフィエとして挿入されているとする。それは「意味作用 0000のレヴェル )((
(」とされる
ところが、それら二種類の意味にもましてバルトが読み取り、受けとめるのは、「明白ではあるがあちこち移動する、手に負えない第三の意味」なのである。それは「指示的モティーフのコピーであることを越え、問いかけを課す
ような読みを強いる」だけに、シニフィエというよりはシニフィアンであり、「エピソードの劇的な意味と混同され
43 細部というアポリア
ることもない」意味なのである。バルトは「「詩的」把握」といった表現もさらりと挿入したうえで、それは「意味 00
形成性 000のレヴェル )((
(」なのだと述べる。『イワン雷帝』の問題のシーンの場合、そうした「第三の意味」は、「二人の延
臣たちの化粧の濃さ、つまり一人は濃く、押しつけがましい化粧を、もう一人は滑らかで上品な化粧をしている」、といったことであり、さらに、「一方の男の「愚かしい」鼻であり、他方の男の細く縁取られた眉であり、色あせた
金髪、生気のない青ざめた顔色、一目でかつらとわかるようなその髪型の低俗な不自然さ、石膏色の顔色を隠すために白粉を塗りたくったような化粧仕上げ、などである )((
(」と説明される。この第三の意味も中心からはずれた細部であ
ることは明らかだろう。
つまり、第二の意味と第三の意味の関係は、ほぼストゥディウムとプンクトゥムの関係に対応するのである。第二の意味は、注がれる黄金、権力、富、帝王の儀式などを表わす象徴的な意味であり、作り手が意図的に示そうとし、
「象徴という一種の一般的で共通した語彙のなかから採取されるもの」であるだけに、「閉じられた自明性 000」に属し、それゆえにバルトは「自然な意味 )(1
(」(
le sens obvie
)と呼ぶことを提案する。一方の第三の意味は、「私の理解がどうしてもうまく吸収することのできない追加分として「余分に」生じる、頑固であると同時にとらえどころのない、すべすべしていながら逃げてしまう意味」とされる。要するに、「物語という純粋な、真っすぐなよく切れる、合法的
垂線よりもより大きい 00000」かたちで存在し、「意味の領域を全面的に、つまり無限に開示してゆく」もの、つまり、「文化、知識、情報の外側に広がっている」意味なのであり、だからこそ「取るに足らぬもの」とみなされかねない。分 析的な理性にとっては、たんなる「言葉の遊び、滑稽なこと、無益な消費、の類」に属しているし、精神的、あるいは美的カテゴリーとは関係がなく、「カーニヴァルの側にある」とされるのだ。そうした第三の意味は「鈍い意味 )((
(」
(
le sens obtus
)と名づけられる。細部というアポリア
バルトはこの「自然な意味」と「鈍い意味」をエイゼンシュテインの別の映画『戦艦ポチョムキン』のうちにも見出す。ここでバルトが注目するのは、ポチョムキンの水兵たちが反乱を起こした直後のシーンだ。オデッサの市民た ちが集まり、この事件について語り合っている。握りしめた拳をとらえたクロースアップのショット(実際にバルトが見たのはむしろフォトグラム)を取り上げたうえで、エイゼンシュテインにとっての「自然な意味」は「革命 )((
(」だ
と述べたのち、泣いている老女をとらえたショットに「鈍い意味」が見いだせると説明する。それは、悲しげな顔つきや、胸に拳を置いた身振りといった、むしろ「自然な意味」に属するものではないことは明らかだ。バルトの視線
は老女の額のあたりに引きつけられる。一見すると悲しみの表情という「自然な意味」を示しているかに見える、閉
じられたまま突き出た口と目深にかぶられたずきんの関係が、むしろその「自然な意味」とのあいだに「かすかな対位法 )((
(」をかたちづくっているというのだ。さらに、『戦艦ポチョムキン』の同じシーンではありながら、別のショッ
ト(フォトグラム)において、バルトは女性の頭の後ろで束ねられた巻き髪に焦点を合わせていく。
悲しみは(中略)この巻髪で「具現化」され、感染を断ち切り、拒否している。羊毛でできた肩掛けのもつ民衆主義(自然な意味)は、その巻き髪のところで止まる 000。そしてここから物 フェティシュ神となった髪と、表現への否定で 000
はないがあざけり 00000000が始まるのである。鈍い意味のすべて(その調子を狂わせる力)は、この巻き髪の過剰なまでの量にかかっているのである )((
(。
こうした例を挙げたうえで、バルトは「鈍い意味」のなかに一種のエロティシズムがあるとし、それは美と対立す る、というよりもむしろその対立を越えた外側にあり、「境界、倒錯、不安、おそらくはサディスム )((
(」などを含んで
45 細部というアポリア
いると考えるのだ。一方で彼は、「鈍い意味」について、「シニフィエのないシニフィアン )((
(」とも説明しており、記号学の限界の彼方で精神分析学との架橋がなされる地点にそれを見出そうとしているかのようだ。
るようなあり方が引き継がれているはずである (() 「」学た記号学と精神分析のうはざまに成立す味意いしそのと延長上に現れてきた思も、われるプンクトゥム鈍に
(。そのことも含めてさらにプンクトゥムについて検討する前に、いま
一度、ディディ=ユベルマンの細部をめぐる議論に立ち戻ってみよう。
*
前述のように、ブリューゲルの《イカロスの墜落》で細部が多元決定されていることを確認し、その時点ですでにイカロスの羽根を「絵具の白いアクセント )((
(」と見なしていたディディ=ユベルマンは、フェルメールの二枚の絵の分
析へと移ってからも、「色彩の層 )((
(」にこだわる。まず《デルフトの眺望》を取り上げ、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第五篇「囚われの女」においてベルゴットがこのフェルメールの絵を見つめる場面を引きつ
つ、「最後に、ほんの小さな黄色い壁の面という、このかけがえのない物質に気づいた )(1
(」という一節に注目する。プルーストはなによりも「物質 00と塗り 00」 )((
(を問おうとしているというのだ。ディディ=ユベルマンが言うには、この「黄
色い壁」は実は屋根の傾いた平面であり、それを壁として見てしまうのは、黄色い色彩があくまで「面」として絵のなかでこちらと向かい合おうとするからなのだ。そこから彼は、「細部」ではなく「面」に注目すべきだと主張す
る。「フェルメールの絵における黄色は、色彩としてひとつの面であり 00000000、衝撃的な絵具の領域であり、「かけがえのない」トラウマ的な質量因として見なされた絵具なのである )((
(」。
フェルメールのもうひとつの絵画《レースを編む女》についても、ディディ=ユベルマンは「面」を見ようとす
細部というアポリア
る。画面の中央よりやや左下に見られる赤い糸のほつれた塊に注目する彼は、それは「糸」を模倣しているが、「糸」として「描写」されてはおらず、むしろ「絵具として描かれている )((
(」と断言する。つまり、「黄色い壁」同様、ここ
には「絵具の面」があるというのだ。それが「絵具の面」として見られるべきなのは、細部の場合は「あらゆる物質を洗い流されている」のに対し、形態統御の能力を失った絵筆が与えた「色彩の侵入」となっていて、「その物質的
な しかし目もくらむような 不透明性を突きつける )((
(」からだ。それは表象にとってはひとつの事故のようなものにほかならず、だからこそ、「現働態にある不気味なもの(
Unheimliche
)の効果を幻覚的にもたらす )(((」。このよう
にして、バルトの場合とはやや方向性が異なるとはいえ、ディディ=ユベルマンの場合も細部についての問題設定か
ら出発した考察に精神分析学的な側面が盛り込まれてくるのである。そうした精神分析学的側面は、「絵具の面」が引き起こす表象の事故が「至高の事故」と呼ばれ、フロイト的な意味での「徴候 )((
(」とされることで、さらに明確にな
る。ただディディ=ユベルマンの場合、もともと記号学的な分析を、否定するところまではいかなくても乗り越えようとしている部分があり、絵具の物質性へのこだわりは、アメリカの美術批評家クレメント・グリーンバーグが有名
な論文「モダニズムの絵画」(一九六〇)で、絵画というメディアを構成する本質的な要素として「平面的な表面、支持体の形体、顔料の特性 )((
(」を挙げ、モダニズムのもとで絵画がみずからを批判し限定づけ、非本質的な要素を放棄
していくなかで基本的なものとして残るものとして、とりわけ平面性に注目しつつも、物質としての絵具にも言及していたのを引き継いでいると言えそうだ。要するに、ディディ=ユベルマンはグリンバーグ由来のフォルマリズム批
評に精神分析学を接ぎ木しようとしているのである。
実は、ロラン・バルトも絵具の物質性に完全に無関心だったわけではない。サイ・トゥオンブリを論じた一文のな
かで、絵具は道具ではないとしたうえで、画家が絵具を、何かに奉仕するものとしてではなく、「栄光に包まれて顕
47 細部というアポリア
現した絶対的な素 マチエール材」として前面に出してくるとしたうえで、「たとえキャンバスから意味が生じようと、鉛筆や絵具はあいかわらず「物」、頑固な物質である )((
(」と述べているのだ。しかしながら、バルトは絵具をむしろ「出来事」
と見なす方向に進んでいくことになり、やはりディディ=ユベルマンとは微妙に姿勢が異なる。それはむしろディディ=ユベルマンの立ち位置がもたらした差異であり、彼は、博士論文であり最初の著作となる『ヒステリーの発
明』(一九八二年)において写真を題材にしていただけに、『明るい部屋』から示唆を受けつつも、ロラン・バルトを批判しつつ乗越える可能性をこの細部をめぐる論考のなかで示そうとしていたのだ。たしかに、バルトは細部を全体
の一部と見なすような凡百の研究者や批評家とは明らかに異なるが、細部の物質性をさほど重要視しているようには
見えないその方向性を多少なりと否定する必要があったのだろう。
バルトの場合、写真や映画を対象としているだけに、細部をめぐる論考から物質性の側面が抜け落ちるのはいたし
かたないとも言える。もっとも、たとえばジョナス・メカスは映画について論じるなかで、「映画は、たとえ最も観念的で、抽象的なものであっても、その本質は具体的」で、「動きと光と色の芸術」であるとして、「映画という物
質」に注目し、「画家が絵という物質や絵具 00を意識するようにならなければならなかったように、彫刻家が、石 0や木 0
や大理石 000を意識しなければならなかったように、映画も成熟してくると、映画という物質 光 0や動き 00やセルロイド 00000
やスクリーン 00000を意識しなければならなくなった )((
(」と述べている。しかし、メカスが論じているのはいわゆる実験映画であり、バルトのようにごく一般的な写真や映画を検討対象としている場合に、その物質性を論じるのはそもそもむ
ずかしいと言える。だが少なくともバルトは、プンクトゥムをあくまで点的な細部のみに限定していたわけではない。プンクトゥムの一種の面的な広がりにも言及していたのである。
プンクトゥムはなによりもストゥディウムに対する否定的な働きかけをおこない、写真の単一性を乱す。つまりプ
細部というアポリア
ンクトゥムは、「ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来る )(1
(」のである。そしてこのストゥディウムとプンクトゥムのいわば対立から派生してくるのが、プンクトゥムの一種の周辺性ということになる。バルトはプンク
トゥムについて「その位置が限定されていてもいなくても、補足的なものである )((
(」という言い方をしている。先に引用した箇所においても、バルトはプンクトゥムを「補足物」と呼んでいたが、その時点ではむしろ空間的にごく限定
された具体的な細部を思わせるものだった。だが、プンクトゥムはあくまで細部であるにしても、必ずしも空間的な細部でなくてもかまわず、ストゥディウムの中心的な性質に対して周辺的な性質を帯びるという意味で「補足的なも
の」になる場合もある。コーン・ウェシングが撮影した《ニカラグア、街路をパトロールする兵士たち》という写真
において、画面奥から手前へと歩いてくる二人の兵士と通りの角に立つもう一人の兵士がとらえられている一方で、兵士たちと直交するかのようにその背後を左から右へと移動しつつある二人の修道女たちの姿が見える。そのように
たまたまうしろ通りかかった修道女たちの存在をバルトは「細部」と呼び、いかにも政治的あるいは社会的なテーマが読み取れるこの写真に、ストゥディウムだけでなくプンクトゥムも存在することを強調する一方で、そのプンク
トゥムを感知するためには「ページいっぱいに示された映像を真正面から受けとめること )((
(」さえできればいいのだと述べているのである。
あるいはまた、デュアン・マイケルズが撮影したアンディ・ウォーホルのポートレートの場合を考えてみるといい。ウォーホールが両手で顔を隠してしまっているという変わったポートレートだが、バルトはその手、とりわけ
爪を注視する。それは、「へら状にそり返り、やわらかで黒みがかっている爪という、いささか胸くその悪くなる素材」であり、そこにバルトはプンクトゥムを感じるのだが、そのプンクトゥムは、「依然として「細部」でありなが
ら、写真全体を満たしてしまう )((
(」というのだ。
49 細部というアポリア
さらにバルトは、ケルテスの写真《一九二一年》の場合、画面の中央で子供に手を引かれている盲目のバイオリン弾きではなく、その二人の足もとに広がる土へと視線を向け、「この道の土の肌理は中部ヨーロッパにいるという実 感を私に与える )((
(」と吐露したうえで、「私は、かつてハンガリーとルーマニアに旅行したとき横切った村々を、いまふたたび全身で感じ取る )((
(」と述べるのだ。
たとえ出発点はいわゆる細部であっても、それは、マイケルズの撮ったウォーホールの写真の場合のように「写真全体を満たしてしまう」のであり、バルトはそれを「真正面から受けとめ」る。そして、ついには道の土の肌理のよ
うな、少なくとも空間的には細部といいがたいものにまでプンクトゥムを感じるのである。そこには、彼が「換喩
的」と呼ぶ働きが生じている。
プンクトゥムは、どれほど電撃的なものであっても、多かれ少なかれ潜在的に、ある拡大の能力を持つ。この能力は、往々にして換喩的に働く )((
(。
この換喩的な働きはプンクトゥムについて考える際にきわめて重要な要素である。ディディ=ユベルマンも、バル
トがプンクトゥムの「拡張力」に触れていたことを強調しているが、まさにこの働きがプンクトゥムを単なる細部から引き離してくれるのだ。そのように「真正面から受けとめる」といった姿勢を示し、土の肌理のようなものにも反
応するとき、バルトはただ視覚だけを作動させているとはいいがたい。もともと彼は視覚優位のあり方には否定的で、すでに言及したサイ・トゥオンブリについての文章においても、不器用にしか見えないような文字をその絵画に
書き込み、「手の欲動」に導かれているトゥオンブリは、「絵画を視覚から解放した )((
(」と断言していた。そしてその独
細部というアポリア
特の身体性を発動させて生まれてくる作品について、戦 タクティック術的といった意味合いも込めつつ、「タクト」すなわち「手触り、触覚」と解せる言葉を使って語っている )((
(。バルトに近い感性を多分に備えていたと思われるジル・ドゥルーズ
は、やはり絵画を論じる際に、視覚的空間を「遠いヴィジョン」ととらえ、それとの対比で近接性に裏打ちされた触覚的空間に注目しつつ、「ヴィジョンが近接した場では、空間は視覚的ではない、というかむしろ、眼それ自体が、
視覚的ではなく触覚的な機能を持つのだ )((
(」と述べていた。換喩的な働き、あるいは触覚性こそがプンクトゥムを成り立たせていると言っても過言ではない。
その一方で、ケルテスの写真の場合のように、ある種の写真はバルトの記憶を刺激し、過去に受けた印象をふたた
び「全身で感じ取る」といった事態を生じさせもする。触覚性が今度は記憶の働きと結びつくわけだ。それが、『明るい部屋』の第二部で展開される、いわゆる時間的なプンクトゥムについての考察を導き出す。自分自身の母親の写
真に収斂していく、まさにプルースト的とも言えるこの第二部について詳しく論じる余裕はここではないが、このような私的な記憶の一種の特権化が、イメージ論という観点からは一種の蛇足でもあり、むしろ分析を阻害していると
して批判の対象ともなりうる。だがその一方で、ジャック・デリダのように、「プンクトゥムとしての〈時間〉とプンクトゥムの換喩的力とを暗々裏に結びつけているもの )(1
(」に思いを馳せつつ、そうした時間性にかかわるプンクトゥ
ムも換喩の働きのなかで考えるという可能性を『明るい部屋』は切り開いているとも考えられる。デリダは、次のように断言している。「プンクトゥムの換喩。これがどれほど人々の眉を顰めさせるものであろうとも、これこそが語
ることを可能にするのであり、唯一無二のものについて、彼[バルト]について、そして彼に向かって語ることを可能にするのである )((
(」。
51 細部というアポリア
*
時間的プンクトゥムについてはまたあらためて論じる必要があるが、少なくとも、プンクトゥムが、その名前や「突き刺す」といったバルト自身の説明から想像させるとのは異なり、必ずしも点に近いあり方をしておらず、むし
ろ換喩的に働くところにこそその本質はあり、それゆえに触覚的な作用をもたらすことは明らかになってきたのではないかと思われる。そうした意味では、あくまで「細部」ではありつづけるにしても、プンクトゥムをめぐるバルト
の考察は、色彩の面にこだわるディディ=ユベルマンとさほど乖離しているわけではない。問題はむしろ、ディディ
=ユベルマンがその色彩の面を「徴候」と見なしてさらに論を進めようとしたのに対し、バルトは、「第三の意味」を執筆した際の記号論から精神分析への道筋をかすかにたどりつつも、『明るい部屋』においてはむしろ、現象学的
な見方に立ちつつ、まさに現象学的用語を使って写真のノエマを「それはかつてあった」に見出すことで、存在論的に論じようとしている点だ。『明るい部屋』の冒頭近くで、「私は写真の「存在論」を企てたいという欲求に駆られ
た )((
(」と明言している。そして、第二部に入るとそうした存在論への志向をあらわにさせ、次のように書いていた。
写真とは文字どおり指向対象から流出したもの(
émanation
)である。そこに存在した現実の物体から、放射物が発せられ、それがいまここにいる私に触れにやって来るのだ。伝達に要する時間は大して問題ではない。消滅してしまった存在の写真は、あたかもある星から遅れてやって来る光のように、私に触れにやって来るのだ。撮影されたものの肉体と私の視線とは、へその緒のようなもので結ばれている。光は触知できないものである
が、写真の場合、光はまさしく肉体的媒質であり、一種の皮膚であって、私は撮影された男や女とそれを共有す
細部というアポリア
るのである )((
(。
このように写真をとらえるのである以上、プンクトゥムは換喩的に働くものでなければならないだろう。ところで、現象学から存在論への架橋をしつつ写真を論じるというこの試みのなかでバルトは、献辞に挙げられているジャ
ン=ポール・サルトの『想像力の問題』(一九三六年)を参照しているはずだ。サルトルは、知覚する意識と想像する意識を区別し、知覚の対象は現実に目の前にいる存在だが、意識が想像力を働かせるとき、その対象は不在である
として、「意識が持つ「非現実化する」するという並々ならぬ機能、すなわち「想像力」、そしてそのノエマ的な相関
者としての想像界 )((
(」について考察した。おそらくバルトは、サルトル的な知覚と想像力のどちらにも属さない一種の第三項として写真を考えようとしたのだ。事実、サルトル自身も、写真ではなく肖像画について触れた箇所で、バル
トの写真論に近い考え方を提示している。たとえば、ピエールという人物を描いた肖像画を見る場合、われわれがそのピエールという人間を実際に知っているなら、それは単にピエールについての「心的イメージ」を喚起するのでは
なく、「ピエールその人」として見る者に働きかけ、「骨肉を備えたピエールとして知覚的総合をおこなうようにわれわれをいざなう )((
(」ことになる。さらにサルトルは、そのピエールが、肖像画のある場所からはるかにはなれた場所に
いる場合を想定して次のように述べる。
この「われわれから遠く離れたところにいる対象」をわれわれは見ている。しかし、他方で、その人のあらゆる肉体的特徴はわれわれの眼の前にある。対象は不在として提示されているが、印象としては現にここにあるの
だ )((
(。
53 細部というアポリア
ついでサルトルは、たとえばシャルル八世のようなすでに亡くなった人物が描かれている肖像画を例に挙げ、そ
の「曲がった肉感的な唇」がはるか昔に塵になってしまったことを知っているにもかかわらず、その唇が「私の感受性に直接働きかける」結果として、「われわれは想像的状態にあるようになる、すなわち、亡くなったシャルル八世
がそこにいる、われわれの眼の前に現存している )((
(」という事態に至ると言うのだ。しかもその際、「イメージとモデルのあいだに想定される第一の絆は流出(
émanation
)」であって、「本人のほうが存在論的優位性を有する。だがそ の本人が化身し、イメージに降りてくる )(((」とされる。これはまさに指向対象から発せられた放射物がいまここにいる
われわれに写真というかたちで触れに来るという、バルト独特の写真についての考え方につながるものであり、「流出」(
émanation
)という語の使用も共通している。このようにして、サルトルの『想像力の問題』がバルトの写真論に及ぼした影響が明らかになってきたのだが、その過程で、われわれはさらに別の固有名詞を想起せざるをえなくなる。『明るい部屋』のなかで一度だけ映画との比 較がなされる折に引かれるアンドレ・バザンの名前である。バザンもまた、サルトルの『想像力の問題』の影響を受けつつ、写真を論じていた )((
(。現在は『映画とは何か』第一巻の冒頭に収められている「写真映像の存在論」は、もと
もとは一九四五年に『絵画の諸問題』という一種の論文集に寄せられた文章だった。そのなかでバザンは写真を次のように規定している。
写真〔イメージ〕はぼけていたり、歪んでいたり、色褪せたりしていて、資料的な価値を有していないかもし
れないが、その発生系統からして、モデルの存在論に関係している。写真とはモデルそのものなのだ。そこから
細部というアポリア
アルバムに収められた写真の魅力が生じてくる。灰色になったりセピア色になったりしているこれらの影は、幽霊的で、ほとんど見わけもつかず、もはや家族の伝統的な肖像画ではないが、持続のさなかに停止させられてし
まった生の、心をかき乱すような存在なのであり、芸術の威光によってではなく、無感動な機械のおかげでその運命から解放されたのだ )(1
(。
この引用文のなかでとりあえず「存在」と訳した言葉にフランス語では
« présence »
が使われていることに注目すべきだろう。サルトルの『想像力の問題』から先に引いた、「対象は不在として提示されているが、印象としては
現にここにある」あるいは「亡くなったシャルル八世がそこにいる、われわれの眼の前に現存している」という文において、「現にここにある」あるいは「現存している」と訳したのは、
« présence »
の形容詞形である« présent »
だったのである。バザンは、以後の映画論においても、日本語ではむしろ「存在感」とでも訳すべき意味合いでこの« présence »
を使うことになるが、その源泉もサルトルの『想像力の問題』にあったのだ。そして、この
« présence »
という語の使用は、触覚性の問題に触れるなかで出てきていたジル・ドゥルーズの名前を引き寄せる。ドゥルーズの場合は一般には「現前」まはた「現前性」と訳されることが多いが、いずれにせよ« présence »
という語を『感覚の論理学』でキーワードのひとつとして使っているのだ。「現前性(présence
)、現前性(présence
)、それがベーコンの絵を前にしたときに最初にやってくる言葉だ )(((」。そもそも触覚性の問題はこの
« présence »
と関係していたとも考えられるのだ。さらに、ドゥルーズを経由して、われわれはミシェル・レリスの名前にたどりつく。ドゥルーズは、『感覚の論理 学』を執筆するにあたり、レリスのベーコン論を読んでおり、
« présence »
の語の使用もレリスから受け継いでいる55 細部というアポリア
可能性が高いからだ。レリスはベーコン論で次のように語っている。
生きた存在(
présence
)を転写しようとすること、それにとって本質的なものであるあの生命を取り逃がさずに、そのまま転写しようとすること、それは定着させずにその存在を定着させること、逆説的ではあるが、定着 できないもの、それどころか定着されるべきでないもの、というのもそれは殺すことになってしまうからだが、そうしたものを定着させようとすることだ )(((。
そのように
« présence »
にこだわるレリスは、実はそれを細部との関係でも考えていた。マネの絵画《オランピア》に言及し、頸のリボンという細部こそが「オランピア」の裸体をさらになまめかしくしていると主張する一方で、自分の文章がそうしたリボンのごときものであってほしいと吐露しているのである。
オランピアの頸のリボンさながらに、わたしが白い紙に記していく黒い文字の連なりは、たえず、存在感(
presence
)を喚起するものでなければならないだろう )(((。
細部をめぐる逍遥はついにはわれわれをドゥルーズやレリスのもとにまで導いた。だが、バルトがドゥルーズや レリスからも影響を受けていたとまで言うつもりはもちろんない。しかし、芸術作品について考える際、細部の働きをどうとらえるかは重要な問題であり、おそらくは触覚性の問題系と密接にからみあった
« présence »
に注目することで、バルトのプンクトゥムも、ディディ=ユベルマンの「色彩の面」もさらなる広がりと深みを持ちうる
細部というアポリア
はずなのだ )((
(。事実、フェルメールにおけるとりわけ赤い色彩の面について論じたのち、ディディ=ユベルマンはこう結んでいる。「……絵具の面は表象(
Vorstellung
)の事故として、そして現前化(Darstellung
)の至高性とし て、絵において強烈に出現するのである )(((」。ここで「現前化」と訳したフランス語は
« présentation »
だが、この« présentation »
のなかにも« présence »
がそれこそ「現前」しているにちがいない。いまやわれわれは、ドゥルー ズに倣い、次のように呟かずにはいられない、すなわち、「現前性(présence
)、現前性(présence
)、それが細部の問題を前にしたときに最終的にやってくる言葉だ」と。注(
( 、『イメージの前で』江澤健一郎訳、法政大学出版局、二〇一二年。ルマン「細部という問題、面という問題」 l.(((1Minuit, image, Devant pan», de question détail, de «Question Didi-Huberman, Georges ()’ジョルジュ・ディディ=ユベ
( 訳書を併記した場合の扱いはすべて同じ。 Ibid., p. (((-(((. ()同書、三八六三九〇頁。引用に際しては、既訳を参照しつつ、必要に応じて手を入れた。以下、注に原書と
( Ibid., p. (((. ()同書、三九〇頁。
( Ibid., p. (((. ()同書、三九二頁。
( Ibid., p. (((. ()同書、三九二三九三頁。
( Ibid., p. (((. ()同書、四〇一頁。
( すず書房、一九八五年、三八頁。 Gallimard, .((, p. (((1Seuil, Le Étoile, lde Éditions claire, Chambre La Barthes, Roland (’)ロラン・バルト『明るい部屋』、み
( Ibid., p. ((. ()同書、三九頁。
( Ibid. ()同書、三九頁。
(1Ibid., p. ((.)同書、五八頁
57 細部というアポリア
(
( ((Ibid., p. ((. )同書、五六頁。
( (( Ibid., p. ((-(1. )同書、六一六二頁。
( だが、その問題は今回は論じないことにする。 ((ル修トゥムのあり方について正ンを加えることになるのバクプトのは、『明るい部屋』第一部終る盤において、この写真にお)け
( ((Ibid., p. ((. )同書、五九頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、六四頁。
( ((Roland Barthes, Lobvie et lobtus, Seuil, ((((, p. ((. )’’ロラン・バルト『映画論集』、ちくま学芸文庫、一一頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、一二頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、一五頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、一四頁。
( (1Ibid., p. ((. )同書、一六頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、一八頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、二〇頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、二四頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、二七二八頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、三〇頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、三四頁。
けだが、それでもやはり映画というメディアを意識せざるをえなかっただろう。事実、写真の場合はひとつの作品にストゥディウ と映画というメディアの違いに起因する部分が大きいように思われる。たしかにバルトはフォトグラムを見ながら分析しているわ 屋』のあいだには十年ほどの時間が流れていて、その間にバルト自身の考えも変化したという可能性があるが、これはむしろ写真 ろ場合とされていることだ「う。味第三の意味」と『明るい部の意のな賞者(観客)を迎えに画面ほうからやってくるのは自然鑑 部が鑑賞者を突き刺しにやってくるとされるのに対し、鈍い意味の場合は、むしろ鑑賞者(観客)がそれを求めていくのであり、 ((鈍い意味とプンクトゥムを比較してみると、当然ながら異なる特徴も浮上してくる。最大の相違点は、プンクトゥムの場合、細)
細部というアポリア
ムとプンクトゥムの双方を見出しているのに対し、映画の場合、別々のショット(フォトグラム)に自然な意味と鈍い意味を見出そうともしている。物語という強い意味作用をもともと持つ映画において、そうした自然な意味の働きかけをかわしながら鈍い意味を見出すためには、写真の場合と違い、鑑賞者(観客)が能動的になる必要があることにバルトも意識的だったのである。(
( (()ジョルジュ・ディディ=ユベルマン、前掲書、四〇二頁。
( (()同書、四一二頁。
た時を求めて (1Marcel Proust, . (((, p. , ((((PléiadeGallimard, tome perdu, temps du recherche la A III, )“”マルセル・プルースト『失われ
( (第五篇囚われの女』井上求一郎訳、ちくま文庫、一九九三年、三二二頁。
( ((Georges Didi-Huberman, op.cit., p. (((. )ジョルジュ・ディディ=ユベルマン、前掲書、四一二頁。
( ((Ibid., p. (((. )同書、四一五四一六頁。
( ((Ibid., p. (1(. )同書、四二四頁。
( ((Ibid., p. (((. )同書、四二一頁。
( ((Ibid., p. (1(. )同書、四二六頁。
( ((Ibid., p. (1(. )同書、四三二頁。
( (()クレメント・グリンバーグ『グリンバーグ批評選集』藤枝晃雄訳、勁草書房、二〇〇五年、六四頁。
( 二頁。 ((Barthes, Roland obvie et lobtus, op.cit., p. (((. L房、みすず書一一九八六年、平一訳、集浩崎沢』論)美ト『ルバン・ラロ’’術
( (()ジョナス・メカス『メカスの映画日記』飯村昭子訳、フィルムアート社、一九七四年、一九九頁。
( (1Roland Barthes, La Chambre claire, op.cit., p. ((. )ロラン・バルト『明るい部屋』、三八頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、六八頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、五七頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、六〇頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、五九六〇頁。
((Ibid., p. ((. )同書、六〇頁。
59 細部というアポリア
(
( ((Ibid., p. ((. )同書、五九頁。
( ((Roland Barthes, Lobvie et lobtus, op.cit., p. (((. )’’ロラン・バルト『美術論集』、九二頁。
( ((Ibid., p. ((1. )同書、一〇七頁。
( いがないだろう。 プ主のこのでー』トラのは、千『り、おてし開展張タガの違間てえ考とのもズ論ールゥドくなはでリを議』様同もていおにの学理 トー』宇野邦一他訳、河出書房新社、一九九四年、五五〇頁。ちなみに、ドゥルーズはフランシス・ベーコンを論じた『感覚の論 ((. ((((((1p. , Deleuze, Minuit, Plateaux, Mille Guattari, Félix Gilles ドジル・)ゥガラプの千リ『タス・ルクッェフズ、ーリ
( 四七頁。 (1)ジャック・デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉Ⅰ』土田友則、岩野卓司、國分功一郎訳、岩波書店、二〇〇六年、一
( (()同書、一三二頁。
( ((Roland Barthes, La Chambre claire, op.cit., p. ((.)ロラン・バルト『明るい部屋』、七頁。
( (( Ibid., p. (((-(((. )同書、九九一〇〇頁。
( 全集第十二巻)平井啓之訳、人文書院、一九五五年、六頁。 ((Sartre, , L(. p. /(((((((1, folioGallimard, Imaginaire, Jean-Paul トル想ルサ』(題問の力像ール『トルサル・ポ)ンャジ”“’=
( ((Ibid., p. ((. )同書、四七頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、四九頁。
( ((Ibid., p. ((. )同書、四九頁。
( ((Ibid. )同書、五〇頁。
((『影響については、アえンドレ・バザン研た与)力サルトルの『想像のに問題』がバザン究
( présence。》について」《 映ロルマ」論在存の像の「真写サてしとトスセプンラー、ル村中ンザバレ・ドンア之「秀ト」、ンザバの前以ンザバル、の 潤)、之「パ堀訳てにリドダる。い郎れさかアら明で考論のつ三のー・ン以の太健藤須」(論在存ュドシッィテェフー「ュリ下 (たれさ載掲に)月三年八一〇二』(
(1et . ((p. ,1 ((((Cerf, du Éditions Les Langage, Ontologie : I. ? cinéma le que est-ce QuBazin, André )’アンドレ・バザン『映
細部というアポリア
画とは何か(上)』野崎歓・大原宣久・谷本道昭訳、岩波文庫、二〇一五年、一八頁。(
( ス・ベーコン感覚の論理学』宇野邦一訳、河出書房新社、二〇一六年、七二頁。 ((Bacon, , Gilles Deleuze, Francis . ((p. ((((Logique différence, de Éditions sensation, la de la )ジル・ドゥルーズ『フランシ
( ン』岡谷公二訳、人文書院、一九九九年、一七五頁。 ((Leiris, Au Michel .((, p. (((1Fata Éditions images, des verso Morgana, )(ミシェル・レリス『ピカソジャコメッティベイコ
( 訳、人文書院、一九九九年、二七一頁。 ((Leiris, Gallimard, Le . p. , (((((1(Olympia, Michel dcou au Ruban の親昌谷』ンボリの頸リアピンラオス『レ)ェシミ’ル・
( も、細部についての問いは大きな展開を遂げていくのだが、それについてはまた稿をあらためて論じたい。 ((細」文章であり、その後、「徴候と期いう視点をはらみつつ「の初部」という問題、面という問題は)ディディ=ユベルマンの最
((Georges Didi-Huberman, op.cit., p. (1(. )ディディ=ユベルマン、前掲書、四三〇頁。