近江八幡とかわらミュージアム
著者 市川 訓敏
雑誌名 阡陵 : 関西大学博物館彙報
巻 67
ページ 2‑3
発行年 2013‑09‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00023860
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はじめに近江商人のふるさととして知られ、豊かな自 然に囲まれた滋賀県近江八幡市。その名前の由 来ともなった日牟禮八幡宮周辺は、国の「重要 伝統的建造物群保存地区」の選定を受けており、
その一角に近江八幡市立かわらミュージアム が、周囲に溶け込むように建てられている。も ともとこの地には、寺本仁兵衛氏の「瓦工房」
があり、その跡地を近江八幡市が購入、後世に 八幡瓦の魅力を伝え遺そうとして、その基本計 画を全国に公募し、建築家の出江寛氏の構想が 選ばれることになった。
かわらミュージアム
「かわらミュージアム」は、八幡堀と寺本家 などの旧村に挟まれた敷地を利用、八幡堀の対 岸には、瓦屋根と漆喰壁の蔵や町屋が連なって 美しい佇まいを残しており、しかも、国の「重 要伝統的建造物群保存地区」であるという制約 を見事に克服し、周囲の景観と調和していて、
気をつけないと、そこにミュージアムがあるこ とも気づかないほどである(ミュージアムを示 す標識も目立たぬように配置されている)。
ミュージアムは、全国にも珍しい瓦専門の展 示館であるが、敷地に一歩入った所から、ミュ ージアムは始まっており、表玄関へのアプロー チの道は、古瓦などを綿密な計算のもとに敷き 詰めた規律のある「楷書」の道であり、出江寛 氏は、世阿弥の言うところの「閑華風の道」と 名づけられた。そして、北へ抜ける自由奔放な
「草書」の道と交わる中庭の「鯉の広場」を行 書の心に見立てられた。歩くと足に心地よい。
そうした敷地内に、10棟からなる瓦づくしの 建物が建てられ、漆喰でかためられた白壁と、
24,000枚の昔ながらに黒く焼きあげられた屋根 瓦(一枚一枚に色むらがつけられている)との コントラストのなかで、広場のしだれ桜や百日 紅、もみじなど四季折々の草木が彩りをそえる ように設計されている。再び、出江寛氏の言葉
を借りると、「瓦が歳月を重ねて深みを増し、
漆喰に陰影のかかる頃、その白と黒の境界は溶 けて、水墨画のトーンに落ち着いていくだろう」
ことが期待されている。誰しも、そうした草木 の咲き乱れる季節に再び来訪したい気にさせて くれる。
八幡瓦が、この地の地場産業になったのは、
近江八幡市総合政策部文化観光課の佐竹章吾氏
近江八幡とかわらミュージアム
市 川 訓 敏
中庭から見たエントランスホール 閑華風の道
八幡堀から見たかわらミュージアム
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(前館長)によると、近江八幡周辺には神社仏 閣や近江商人の屋敷・土蔵などが多く、需要が 高かったこと、また、重い瓦の運搬などに八幡 堀や水郷などを利用できる水運の便があったこ と、そしてなによりも、良質のかつ質の異なる 粘土を豊富に採取できたことで、江戸中期に京 都伏見からこの地に移り住んだ瓦職人たちがそ のまま定着したということである。
今日では、機械化が進んだことで、かつての 瓦工房は姿を消したが、館内に展示されている 良質の屋根瓦、技術力の高さを示す彩色をほど こした瓦人形、芸術作品と言える鬼瓦など、往 時の瓦製造を偲ぶに十分なものがある。
ミュージアムの一部は、かわら以外のさまざ まな展示に利用され、来訪当時は、「自然とい きものに魅せられて〜美しい細密画・杉野由佳 の世界〜」を開催中であった。またコンサート やワークショップ、子どもたちのものづくり体 験や地域学習、職員研修などにも活用される社 会貢献に資する施設であることも、地域に溶け 込んだ「かわらミュージアム」の別の一面とし て印象深かった。今回の来訪で、便宜をはかっ ていただき、かつさまざまなご教示をいただい た佐竹章吾氏、事務長の小森健行氏に、この場 を借りてお礼申しあげたい。
ハイド記念館
先の出江寛氏も言及されているが、ここ近江 八幡は、キリスト教徒であり建築家であったウ ィリアム・メレル・ヴォーリズが終生住みつづ けた場所であり、ヴォーリズ建築が町のあちこ ちに点在している。近江八幡に来たからには、
ヴォーリズ建築の一端にでも触れたいと思い、
ヴォーリズ建築の第一号である旧近江八幡 YMCA 会館(現、近江兄弟社アンドリュース 記念館)、旧八幡郵便局舎などを回るとともに、
近江兄弟社学園のハイド記念館を訪れることが でき、館長の永芳和子氏から親しくお話を聞け たのは幸運だった。
ハイド記念館は、一柳満喜子(一柳末徳子爵 の三女)が大正11年に開いた清友園から発展し た幼稚園の建物であり、建築費を寄附したメン ソレータム社の創業者ハイド家を称えてハイド 記念館と呼ばれている。今日の近江兄弟社学園 の原点であり、満喜子夫人の教育事業と、それ
をサポートしたメレル・ヴォーリズのかかわり 方は、敬服の外はない。
建物は、ぬくもりのある木造の外観に加えて、
内部は部屋を広くとり、高い天井と大きな窓が 特徴で、子どもたちの目線で窓の外の景色を楽 しめる設計になっていて、簡素な中にも、さま ざまな工夫が施されている。ヴォーリズや満喜 子夫人、幼稚園関係者らが、あれやこれやとい ろいろなアイデアを出し合いながら建物をつく っていた様子が想像されて楽しい。いつまでも 建物に居続けたいと思うのはヴォーリズ建築の 特徴なのか、同志社のアーモスト館(新島襄の 母校アーモスト大学との友好関係から建てられ た学生寮)や関西学院の時計台など、神戸女学 院の建物群、神田駿河台の「山の上ホテル」や 京都四条大橋西詰にある東華菜館など、人びと に愛され、今日の日本建築に大きな影響を残し た洋風建築としては、ヴォーリズ建築は特筆す べきものであることを、あらためて思った。
ハイド記念館では、生徒たちが吹奏楽の練習 に余念がない様子だったが、永芳館長から校舎 を案内していただき、またヴォーリズ、満喜子 夫妻についてもお話が聞けた。
お話をうかがいながら、ドイツの社会学者マ ックス・ウェーバーが描いた、巨富を擁しなが ら自分のために一物をも持たず、ただよき「天 職」の遂行というエートスに突き動かされて生 きた初期の資本家たちの姿が思い起こされた。
「資本主義の精神」とは、このようなものだっ たのかと思いながら、校舎を後にした。機会を 与えていただいた、近江兄弟社学園及び永芳館 長にあらためて感謝申し上げたい。
博物館運営委員 法学部教授 ハイド記念館