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特集 滋賀大学からみた近江 特集1 「滋賀大学からみた近江 」

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Academic year: 2021

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しがだい 6

滋賀大学からみた近江

〈見る/見られる〉という関係

ちかごろ大学という場所は、学外からのさまざまな注視をうける位 置に、進んでみずからをおくようになりました。大学は、わたしたち の生きる社会や世界を観察し、それを解釈したり説明したりする場で あるわけで、わたしたち大学で研究するものたちの視線はつねに〈外 へ〉向いています。そのうえで、そうしたわたしたちの見方がどのよ うに〈外から〉見られているのかをめぐる自覚がいまもとめられている、 ということとなるのでしょう。ここには、いわば〈眼差しの交差〉と いう事態があらわれています。 広報誌の本号では、もういちどあらためて、わたしたちの眼を〈外へ〉向けてみるとしましょう。その視線の先は、 わたしたちの大学がある滋賀ないしは近江となります。わたしたちは、職場や住まいのある滋賀または近江と、研究 や教育の現場として、あるいは調査や遊楽の場所としてかかわっています。そのとき、なにを、どのように見ている のか、その一斑を披露してみようというわけです。 まず初めにわたしは、わたしが仕事をしたり遊んだりしている場所が、どのように見られていて、それがどのよう にあらわされているのかを過去のパンフレットや写真をとおして示して、あれこれと考えてみることとします。

地図のなかの非現実

まずは、彦根キャンパスのある彦根やそのすぐ近くにある琵琶湖の描かれ方を見るとしましょう。「近江名所案内 全図」(地図1)と題された1903年発行の1枚の地図は、鳥瞰図の技法を用いて、琵琶湖の全域とその周辺の名所を 一眸のもとに眺められる構図を採っています。琵琶湖畔に山よりも大きく描かれ、また(ここには掲げませんでした

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特集 1

滋賀

賀大

大学

学か

から

らみ

みた

た近

滋賀大学からみた近

阿 部 安 成

(経済学部助教授) 地図1 地図2−1

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しがだい 7 が)地図の左上に仕込まれた別枠のなかに入れられた金亀城(彦根城)のようすを見ると、そこが近江のなかで特筆 すべき名所なのだと教えられた気分になります。北野社のすぐ近くに学校がないのは当たりまえのことで、わたし たちの滋賀大学経済学部の母体となる彦根高等商業学校がその地に立つのは、この地図が発行されてから20年のち のこととなります。 この地図の裏面に記された「緒言」を読みましょう。そこには、現実の世界が1枚の平面にうつしかえられて地図 というテキストとなるときの、1つの妙が記されています。この地図の特色は、紹介する近江の名勝旧跡に多くの人 びとが出掛けられるよう、その手引きとなるところにあり、そのためにも、必要な情報がなにであるかをはっきりさ せようとして、省略したところや誇張した部分もある、と緒言はいいます。この必ずしも現実のままではない点が、 「普通地図」と趣向を異にするのだ、と地図作成者は自覚しています。普通の地図とは、1/25,000などの縮尺が用い られた図面のことで、そこでは描かれた対象の大きさや長さは縮まっているけれども、そこに描かれた世界は現実の とおりなのだ、となるのでしょう。この名所案内全図にはそうした縮尺とは違った現実をめぐる改変がある、その一 方で、案内全図のなかに描かれた社寺建造物のようすには作成者みずからが「実地を描写」した「正確」さが保証さ れている、というのです。 この地図は、その目的が名所案内であり、漫ろに遊び歩くためのおおまかな導きになればよいのですから、そのなそぞ かで、現実にあるものがなかったり、実際よりは大きく描かれた建造物があったりしてもかまわないのです。現実と 創作が入り混じっているとの自覚のもとでつくられたこの名所案内全図は、琵琶湖とその周辺の名所を際立たせる ために、そこをまるで箱庭のなかにうつしかえたように造形した非現実の世界を展開したのです。 この現実世界の変形を糾弾するひとは、だれもいないでしょう。この図を手にするものは、なにも正確な縮尺の地 図をもとめているのではなく、観光するときにどの名所を見ればよいのかを知りたいのですから。しかもこの案内 全図は鳥瞰図です。この図を見るもののほとんどが(そしておそらく、これを作成したもの自身も)、現実にこの視 点を取ることができない。もとより鳥瞰図はフィクションなのです。そうではあっても、名所案内にふさわしい世 界が描かれていれば、それは説得力(べつにいえば、リアリティ)をもつのです。

蚕食される鳥瞰図

横にひろげると93cmほどにも伸びる折り畳みの地図には、「近江鉄道沿線名勝之栞」(地図2−1、2−2)の題 がついています(1928年発行)。絵巻物さながらの横長の地図には、そのほぼ中央部に横一直線の黒い太線が走って います。これが近江鉄道の路線です(この時点では彦根から鳥居本を経由して米原へ至る路線は「電車未設線」となっ ている)。 地図を見ると、彦根では彦根城に楽々園、玄宮園、そして築港が示され、彦根から彦根口へと至るあいだでは、大 洞弁才天、井伊神社、佐和山神社、石田三成旧城址、佐和山、五百羅漢、天寧寺が紹介され、彦根と米原のあいだに は鳥居本と磨針峠が示されています。琵琶湖へと目を向けると、そこには鮎名物、鮒名物と文字で記され、誓御柱が そびえる多景島も描かれています。過去へと歴史の時間を遡って思いをはせる場所、できてまだそう時間を経てい ない新奇のスポットへと人びとを誘い、あわせて琵琶湖ならではの名物を勧めるこの栞は、折り畳めばポケットへでいざな も入れて持ち運びができる案内地図となっています。 地図裏面の案内文は、彦根駅から出掛ける名勝ガイドに始まります。まずは彦根城――「雄藩井伊家の居城、封建 の夢を伝える名城。天守閣に攀れば、大湖の展望を此処によじのぼ 聚むるの観あり。特に中秋の名月、晩春残雪の壮観に至つあつ ては近畿に冠たり」と、そこからの眺望の麗しさと、それを提供する場としての彦根藩の遺産が讃えられます。佳境 は高所にあり、ということです。より広角の視野をもって、より広く景色を眺めようとするときに、空を飛ぶ鳥の眼 を得られたら、それはなにより幸いとなるでしょう。 けれども、その鳥の眼であっても、数百キロの距離を視界におさめることはできないでしょうし、鳥瞰図ではあっ てもそれほどの距離を1枚の地図としてしまったら、折り畳んでも懐中には入らないでしょう。鉄道会社が彦根や

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地図2−2

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しがだい 8

滋賀大学からみた近江

多賀大社を名勝として案内するのだから、時間と人員をめぐる輸送力を考えれば、より遠くからより多くの人びとを 集めようとします。路線図は、黒太に引かれた近江鉄道だけでなく、黒白斑に書かれた省線(いまのJR)も使えば、 近江鉄道沿線の名勝は東京や金沢、山田や奈良、神戸、大阪、京都ともつながっていると描いています。ただし、そ こまで見通すことは鳥にもできません。それほどの距離を描くにはこの地図は小さすぎます。だから東京や神戸へ と至るこの地図の両端は、簡略化して描かれるとともに、雲によって曖昧に暈されています。この雲の効果は、絵巻ぼか 物や絵地図のなかの1つの約束事です。 さて、この栞がつくられたきっかけがなんだったのかを、地図裏面の「案内記発刊の辞」に見ましょう。この案内 を発刊した1928年は、近江鉄道が「全線電化を実行」した年だったのです(絵地図のなかで近江鉄道を走る列車には ない煙が、省線のそれには描かれている。つまり省線にはいまだ汽車が走っている)。そしてさらに、ちかく着工す る予定の彦根―米原間、鉄道敷設免許出願中の貴生川―伊賀上野間の路線が実現すれば、北陸や東海道の両方面から 多賀大社や伊勢神宮に参拝する乗客の増加が見通せる、これを機にあらたに沿線案内をつくった、というのです。 この栞のなかでは、人びとがもっとも集まるべき場所は、横長の地図のほぼ中央に黒々と太く引かれた近江鉄道に ほかならないのです。未完成路線などがあるとはいえ、そこを点線で示すことによってすでに、近江鉄道の各駅と東 京も金沢も1筋の線でつながっています。東京や金沢と、多賀や山田とは1本の鉄道でつながるのです。この鉄道 網の一部となるのではあれ、近江鉄道がこの絵地図の主題となるのであれば、近江といったときにまず多くのひとが 思いうかべるであろう琵琶湖の全景が、ここに描かれなくてもよいのです。全線電化となった近江鉄道の勢いを示 そうとすれば、それは横長の絵地図のなかで曲線とするよりも、太く一直線にその路線を引く方がよいでしょう。そ れを見た目によい鳥瞰図におさめようとしたとき、しかし、長々と横に延びてしまったその視界のすべてを描くこと は困難です。そこでこの栞には、近江鉄道沿線の見せたい名勝が選ばれて載ることとなったのです。必要なものだ けを、この鳥瞰図は描いているのです。

全景をとらえる試み

ここでわたしたちの視線を、彦根キャンパスに向けるとしましょう。滋賀大学経済学部とその母体となった彦根 高等商業学校は、みずからをどのように写し出していたのでしょうか。時間の順に見てゆきましょう。『彦根高等商 業学校一覧』という学校案内とでもいうべき基礎資料には、その巻頭に校舎やキャンパスを写した折り込み写真が入 るようになります。1枚の写真が複数年度にわたって使われ、彦根高等商業学校の全期をつうじて3様の写真が、 『彦根高等商業学校一覧』に掲載されました。最初の1枚は、その冊子の第六年度(1928年)の版に、巻頭の折り込 み写真として入りました。 その1枚は(写真1)、(おそらく)彦根城のどこかから彦根キャンパ スを眺めています。校舎は山並みのように重なりあい、そのすべてを見 渡すことができないながらも、お濠に面した講堂から運動場へといたる 線には、彦根における唯一の高等教育機関としての威容があらわれてい ます。いまとなってはもう見ることのできないオーミケンシの大煙突 も、まだ若々しい姿として視野に入ってきます。学校のシンボルといっ てよい講堂の正面と側面の2面が見えて、いくつかの校舎の壁面も見渡 せ、さらにキャンパスの後景に琵琶湖が見通せるこの視界は、滋賀県の 琵琶湖のほとりにある彦根高等商業学校をとらえるにあたって、最良の 視点からの眺めといってよいでしょう。 この写真は、第十年度(1932年)には、上空から彦根キャンパスを見 下ろす構図(写真2)にかわり、第十五年度(1937年)までそれが使わ

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写真2 写真1

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しがだい 9 れます。最初の1枚が、ひとが立つことのできる地点からの撮影だったのに対して、この2枚めは、生身のひとの力 能を超えたところから眺めた航空写真となっています。わたしたちは鳶になって飛ぶこともできず、また当時の生 徒や教官にとってキャンパス上空を飛ぶ航空機に乗ることがたやすくはないとなれば、この写真は見るものをはっ とさせる構図をもっている、とひとまずはいえるでしょう。 けれども、さきの写真とくらべると、どこか眺めが不安定ではないでしょうか。講堂はよく写っています。しかも そのまえには、奉安庫らしいものも見えます。彦根高等商業学校を知るための情報が数多く写されています。しか し、琵琶湖やお濠の切り取り方は中途半端です。おなじく鳥瞰の構図といっても、地図1・2とくらべると寸詰まり と感じられてしまいます。上空から俯瞰するという視点をうまく活かしきれていないのです。見たままが撮れるで あろう、そしてそれが期待される航空写真より、フィクションである手書きの鳥瞰図の方が、わたしたちにそれらし さを見せているといえるでしょう。 鳥瞰や俯瞰といっても、ただ上から見ればよいのではありません。わたしたちの経済学部には、1970年代に撮影さ れたといわれている航空写真パネルが2枚あります。1枚は彦根キャンパスがその視界におさまり、お濠とオーミ ケンシ工場と琵琶湖が入った俯瞰写真(写真3)、そしてもう1枚はさらに上空からもっと広角に彦根市街をとらえ た超航空写真(写真4)となっています。 写真3が、それよりまえに撮られた写真2を意識していたかどうかは不明ですが、両者はほぼおなじ視点から撮影 されています。これもやはりわたしの心象では安定しない。この写真のおもしろさは、お濠がいまよりも多くの蓮 で埋まっていたとわかることくらいです。 写真4を見ると、芹川を境として、依然として足軽組屋敷をふくむ旧城下の方にひとが多く住んでいることがわ かったり、ああ昭和新道はかつて外堀だったこともあって、やっぱりまっすぐだな、とわかったり、いろいろなおも しろさが伝わってきます。琵琶湖をひっくりかえしたような内堀に囲まれた彦根城が、なにより、ここがどこなのか を教えています。ところが、わたしたちのキャンパスも校舎も、まるで点描画の1点ほどになってしまっていては、 これは学長室に飾ったり広報の表紙に載せたりするにはふさわしくない写真だといわなくてはなりません。

〈見る〉ことの政治学

広い範囲を視界に入れようとすれば眼の位置はどんどんと高くなり、そこからの画面のなかではよほどの大きさ をもつものでないかぎり、見ようとする対象物として確認することができません。まえに論議した「普通地図」では、 建造物が点としてすら記されない縮尺となるばあいもあります。鳥瞰図ならば、その縮尺の度合いがどうであれ、記 したいものを描けばよい。カメラのレンズと、縮尺地図を製作する眼と、鳥瞰図を描こうとする鳥のそれに喩えられ た眼とでは、ずいぶんとその働きが異なるのです。ピントをずらしてしまうカメラレンズはお払い箱となるでしょ うし、間尺のずれた縮尺地図は実用向きでないとしてやはり捨てられてしまいます。そうした精密さや正確さとは べつななにかが鳥瞰図にはもとめられます。べつにいえばそのなにかが、鳥瞰図が人びとを魅了する理由となるの でしょう。ひとまずここではそれを、現実の変形と示しておきましょう。その変形のされ方に、人びとの生きる現実 があらわれている、あるいは、そこに現実世界が人びとによって生 きられる様相があらわれているといってもよいでしょう。 さらにいえば、鳥瞰図が現実のままでないのとおなじく、写真や 地図も現実をそのままにあらわしてはいないのです。写真も地図も 鳥瞰図もそうした図像は、さまざまな眼差しが交差する場となって います。わたしたちが得ている人文社会科学は、この交差を〈政治〉 とよんでいます。

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写真3 写真4

参照

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