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密教研究 Vol. 1940 No. 73 006中川 善教「大乗起信論に顕はれたる仏性 P82-101」

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(1)

大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 八 二

唯 識 家 に 於 て は 行 佛 性 の 邊 に 約 し て 、 衆 生 の 機 類 を 分 つ て 五 と 立 て 、 そ の 中 に 無 佛 性 の 一 類 有 つ て 畢 竟 不 涅 槃 な り と 貶 し て ゐ る が 、 唯 識 宗 に 於 て 諸 法 縁 起 の 根 元 と 説 く 阿 頼 耶 識 を 諸 法 縁 起 の 相 な り と 説 き 、 唯 識 宗 に 於 て 凝 然 と し て 諸 法 を 作 さ 貸 る 眞 如 を 縁 起 の 本 髄 と 説 く 、 即 ち 相 對 的 な る 唯 識 系 學 派 の 後 を 受 け て 起 り 來 れ る 、 絶 對 的 な る 唯 心 系 學 説 の ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ に 於 て 、 佛 性 が 如 何 に 顯 現 せ る や を 考 究 せ ん と す る の で あ る 。 蓋 し 、 人 間 性 を 如 何 に 考 察 せ る 論 説 が 存 せ る や 、 人 間 の 向 上 性 を 如 何 に 考 覈 せ る 思 想 が 行 は れ あ る や を 知 る は 、 以 て 一 國 倫 理 の 程 位 優 降 を 察 す る を 得 べ く 、 又 國 民 思 想 の 基 準 淵 源 を も 窺 ひ 知 る 可 き を 思 ふ か ら で あ る 。 一 無 明 廣 大 淵 弘 な る 摩 詞 術 甚 深 の 理 趣 を 、 前 後 五 分 九 千 八 百 字 に 托 し て 繁 に 過 ぎ ず 簡 に 失 せ す 、 間 然 す る 所 な く 解 行 並 べ 開 示 せ ら れ た る ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ に は 、 如 何 な る 法 益 が 説 か れ て 有 る で あ ら う か 。 ﹁ 勸 修 利 益 分 ﹂ に は 信 謗 の 益 損 を 示 し て 、 此 の 論 を 毀 謗 し て 信 ぜ な か つ た な ら ば 、 無 量 劫 の 長 き に 亙 つ て 大 苦 悩 を 受 く る 罪 報 を 獲 る の で あ る か ら 、 よ ろ し く 仰 信 す べ く 誹 謗 す べ き で な い 。 誹 謗 は 自 ら を 害 し 他 人 を も 害 し て 二 切 三 寳 の 種 を 斷 絶 す る か ら で あ る 。 一 切 如 來 は 此 の 法 に 依 つ て 涅 槃 を 得 た ま ひ 、 一 切 菩 薩 は 此 の 法 に 因 つ て 修 行 し て 佛 智 に 入 り た ま ひ 、 過 去 の 菩 薩 は 已 に 此 の 法 に 依 つ て 淨 信 を 成 じ た ま ひ 、 現 在 の 菩 薩 は 當 に 此 の 法 に 依 つ て 淨 信 を 成 じ た ま ふ の で あ る と 云 ひ 、 ﹁ 立 義 分 ﹂ に は 用 大 を 明 す 下 に 、 一 切 諸 佛 本 所 乗 故 。 一 切 菩 薩 皆 乗 此 法 一 到 如 來 地 故 。 と 説 か れ て あ る 。 已 運 當 運 の 二 運 韓 倶 に 此 の ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄

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所 説 の 法 に 依 つ て 、 淨 信 を 成 す る を 得 た の で あ る 。 又 ﹁ 勸 修 利 益 分 ﹂ に 、 如 來 甚 深 の 境 界 に 於 て 正 信 を 生 ず る こ と を 得 、 誹 謗 を 遠 離 し て 大 乗 道 に 入 ら う と 欲 す る な ら ば 、 當 に 此 の 論 を 持 し て 思 量 し 修 習 し て 究 竟 じ て 能 く 無 上 の 道 に 至 る で あ ら う 。 若 し 是 の 法 を 聞 き 已 つ て 怯 弱 を 生 ぜ な い 人 で あ る な れ ば 、 こ の 人 は 定 ん で 佛 種 を 紹 ぐ こ と が 出 來 る し 、 必 す 諸 佛 に 授 記 さ る ゝ で あ ら う 。 又 こ の 法 を 一 食 の 間 正 し く 思 す る な ら ば 、 そ の 功 徳 は 三 千 大 千 世 界 の 衆 生 を 化 し て 十 善 を 行 ぜ し む る に も 過 ぎ て ゐ る の で あ る 。 等 と も 説 か れ て あ る 。 こ の 已 當 爾 蓮 の 法 は 如 何 に し て 得 る こ と が 出 來 る の で あ ら う か 、 ﹁ 修 行 信 心 分 ﹂ に は 止 と 観 と が 説 か れ て あ る 。 文 に 若 修 止 者 對 治 凡 夫 住 着 世 間 能 捨二 乗 怯 弱 之 見 。 若 修 観 者 對 治 二 乗 不 起 大 悲 狭 劣 心 過 、 遠 二 離 凡 夫 不 修 善 根 。 以 此 義 故 是 止 観 門 共 相 助 成 不 相 捨 離 。 若 止 観 不 具 則 無 能 入 菩 提 之 道 。 止 と 観 と は こ の 法 を 逮 得 す る に 就 て の 方 便 に 四 信 五 行 有 る 中 の 、 修 行 門 の 第 五 に 位 す る 。 即 ち ﹁ 信 心 分 ﹂ に 、 修 行 有 五 門 能 成 此 信 。 云 何 爲 五 。 一 者 施 門 、 二 者 戒 門 、 三 者 忍 門 、 四 者 進 門 、 五 者 止 観 門 。 と あ る 。 信 心 に 就 て は 同 じ く ﹁ 信 心 分 ﹂ に 、 依 未 入 正 定 聚 衆 生 故 説 修 行 信 心 。 何 等 信 心 、 云 何 修 行 。 略 説 信 心 有 四 種 。 云 何 爲 四 。 一 者 信 根 本 、 所 / 謂 樂 念 眞 如 法 故 。 二 者 信 佛 有 無 量 功 徳 、 常 念 親 近 供 養 恭 敬 發 起 善 根 願 求 一 切 智 一 故 。 三 者 信 法 有 大 利 益 、 常 念 修 行 諸 波 羅 蜜 故 。 四 者 信 僧 能 正 修 行 自 利 利 他 、 常 樂 親 近 諸 菩 薩 衆 求 學 如 實 行 故 。 と 説 か れ て あ る 。 か く の 如 く 諸 佛 修 行 の 芳 蜀 を 慕 ひ て 信 心 し 修 行 す る 所 以 の 者 は 、 苦 を 脱 せ ん と 欲 す る に あ る 。 し か ら ば そ の 世 間 の 苦 相 は 何 に 由 つ て 存 せ る や 。 ﹁ 修 行 信 心 分 ﹂ に 云 く 、 一 切 衆 生 從 無 始 世 來 皆 因 二 無 明 所 薫 習 一故 令 心 生 滅 。 已 受 一 切 身 心 大 苦 。 現 在 即 有 無 量 逼 迫 、 未 來 所 苦 亦 無 分 齊 。 難 捨 難 離 而 不 覺 知 。 無 明 に 因 つ て 薫 習 せ ら る ゝ が 故 に 、 身 心 の 大 苦 を 受 け る の で あ る 。 そ の 無 明 と は 何 者 で あ る か 。 ﹁ 解 釋 分 ﹂ に は 、 以 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 八 三

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大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 八 四 不 達 法 界 故 心 不 相 應 、 忽 然 念 起 名 爲 無 明 と 定 義 さ れ て あ る 。 忽 然 と は 始 起 に 翻 對 せ る 時 間 の 表 現 に し て 、 法 界 の 平 等 一 味 の 眞 理 に 了 達 せ ざ る が 故 に 、 能 見 所 見 心 王 心 所 の 差 別 以 前 の 、 心 に 即 す る 無 始 以 來 恒 存 せ る 勢 用 を 無 明 と 名 づ け る の で あ る 。 こ の 無 明 は 極 微 細 で あ つ て 、 更 に こ の 他 に こ の 無 明 の 根 源 と な る べ き 染 法 は 存 し な い の で あ る 。 依 つ て 一 切 染 因 名 爲 無 明 と 説 か れ 、 又 、 一 切 煩 悩 依 於 無 明 と も 説 か れ て あ る 。 か く の 如 く 一 切 煩 憐 の 所 依 で あ る 無 明 は 、 爲 二 無 明 一 所 / 染 有 二 其 染 心 一 で も あ る 。 そ の 染 心 は 煩 悩 の 碍 謂 は ゆ る 煩 悩 障 で 、 よ く 眞 如 根 本 智 を 障 ふ る も の で あ る 。 無 明 と は 智 の 碍 謂 は ゆ る 所 知 障 で 、 よ く 世 間 自 然 業 智 を 障 ふ る も の で あ る 。 文 に 、 染 心 義 者 名 爲 煩 悩 碍 、 能 障 眞 如 根 本 智 故 。 無 明 義 者 名 爲 智 碍 、 能 障 世 間 自 然 業 智 故 。 誠 に こ の 無 明 は 、 無 明 之 相 亦 無 有 始 と 説 か れ 、 以 從 本 來 念 念 相 績 未 曾 雑 念 故 説 無 始 無 明 と 云 は る ゝ 如 く 無 始 以 來 の 存 在 で あ る 。 こ の 無 明 に 依 つ て 、 是 故 一 切 衆 生 不 名 爲 覺 。 無 明 に 依 る が 故 に 覺 と 不 覺 と が 分 別 せ ら れ 、 浮 法 よ り の 心 生 滅 を 覺 と し 、 染 法 よ り せ る 心 生 滅 を 不 覺 と し 、 無 明 の 故 に は 不 覺 有 り 無 明 を 除 い て 覺 を 得 る に 至 る の で あ る 。 以 上 ﹁ 解 鐸 分 ﹂ に 説 か れ て あ る 如 く 、 無 始 以 來 纒 縛 せ る 無 明 に 依 つ て 、 本 來 無 念 の 心 體 が 分 別 の 念 を 起 し 、 生 滅 差 別 の 一 切 の 事 象 を 現 す る の で あ る 。 こ ゝ に 於 て か 覺 と 不 覺 と の 二 の 相 が 現 は れ 來 る の で あ る 。 然 ら ば 如 何 な る か 覺 な る 如 何 な る か 不 覺 な る 、 し ば ら く こ れ を 論 の ﹁ 解 釋 分 ﹂ に 観 た い 。 二 覺 と 不 覺 心 生 滅 者 依 如 來 藏 故 有 生 滅 心 。 所 謂 不 生 不 滅 與 生 滅 和 合 非 非 異 名 爲 阿 黎 耶 識 。 此 識 有 二種 義 、 能 撒 一 切 法 生 一 切 法 。 云 何 爲 二 。 一 者 覺 義 、 二 者 不 覺 義 。 所 言 覺 義 者 謂 心 體 離 念 相 、 離 念 相 者 等 虚 空 界 無 所 不 偏 , 法 界 一 相 。 即 是 如 來 平 等 法 身 。 依 此 法 身 説 名 本 覺 。 眞 如 反 流 門 と 生 滅 流 韓 門 と の 根 元 な る 阿 黎 耶 識 に 二 の 義 分 あ る 中 、 法 界 一 相 な る 偏 ぜ ざ る 所 無 く 虚 空 界 に 等 し き 、 離 念 な る 阿 黎 耶 識 の 心 原 を 覺 せ る を 本 覺 と 云 ふ 。 こ の 本 覺 に

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二 種 の 相 有 り 、 曰 く 智 淨 相 と 不 思 議 業 相 と で あ つ て 、 本 覺 の 染 に 随 へ る に 依 つ て こ の 二 種 の 相 を 生 す る の で あ る 。 智 淨 相 者 、 謂 依 法 力 熏 習 如 實 修 行 満 足 方 便 故 、 破 和 合 識 相 滅 相 績 心 相 顯 現 法 身 智 淳 淨 故 。 不 思 議 業 相 者 、 以 依 智 淨 能 作 一 切 勝 妙 境 界 。 所 謂 無 量 功 徳 之 相 常 無 断 絶 随 衆 生 根 自 然 相 應 種 種 而 現 得 利 益 故 。 相 は 二 種 に 分 つ と 雖 も 、 而 も 本 覺 と 相 違 せ る も の で は 無 い の で あ る 、 そ の 虚 室 と 等 し き 覺 の 體 相 に 四 種 の 義 の 有 る こ と を 、 淨 鏡 に 譬 へ て 在 纒 の 本 覺 に 就 て は 如 實 空 鏡 と 因 熏 習 鏡 を 、 出 纒 の 本 覺 に 就 て は 法 出 離 鏡 と 縁 熏 習 鏡 と を 論 に 説 か れ て あ る 。 一 者 如 實 空 鏡 、 謂 遠 離 一 切 心 境 界 相 無 法 可 現 非 覺 照 義 故 。 二 者 因 熏 習 鏡 謂 如 實 不 空 、 一 切 世 間 境 界 悉 於 中 現 不 出 不 入 不 失 不 壤 常 住 一 心 。 以 一 切 法 即 眞 實 性 故 。 又 一 切 染 法 所 不 能 染 。 智 體 不 動 具 二 足 無 漏 熏 衆 生 故 。 三 者 法 出 離 鏡 、 謂 不 室 法 出 煩 惱 碍 智 碍 、 離 和 合 相 淳 淨 明 故 。 四 者 縁 熏 習 鏡 , 謂 依 法 出 離 故 偏 照 衆 生 之 心 令 修 二 善 根 随 念 示 現 故 。 そ の 在 纏 と 出 纏 と の 差 は 有 り と 雖 も 、 か く の 如 き 勝 義 を 有 す る 本 覺 と は 、 如 來 具 有 の 本 然 恆 存 の 眞 理 即 ち 如 來 の 法 身 に 名 づ け た る も の で 、 随 つ て 本 覺 を 具 有 し た ま ふ は 即 ち 如 來 法 身 の み で 、 そ の 他 は 本 覺 を 具 現 せ る こ と は 無 い の で あ る 。 本 覺 を 具 現 せ る こ と 無 き 異 生 は 、 須 く 信 心 し 修 行 し て 以 て こ れ を 得 ざ る 可 か ら す 。 信 心 し 修 行 し て 得 た る 修 得 の り 覺 を 始 覺 と 言 ふ の で あ つ て 、 こ の 修 得 の 覺 の 得 ら る ゝ は 元 來 性 得 の 覺 の 存 在 す る に 依 る の で あ る 。 し か も 始 覺 が 進 ん で 究 竟 覺 に 到 ら ば 、 何 等 本 覺 と 別 な る こ と 無 き に 至 る の で あ る 。 か く て 、 本 覺 と 始 覺 と は 本 來 平 等 同 一 の 覺 に し て 、 何 の 差 も 認 む る 能 は ざ る も の で あ る 。 即 ち 文 に 、 本 覺 義 者 對 始 覺 義 説 。 以 始 覺 者 即 同 二 本 覺 。 始 覺 義 者 依 本 覺 故 而 有 不 覺 、 依 不 覺 故 説 有 始 覺 。 又 以 覺 二 心 原 故 名 究 竟 覺 、 不 覺 心 原 故 非 究 竟 覺 。 此 義 云 何 。 如 凡 夫 人 覺 知 前 念 起 惡 故 能 止 後 念 令 其 不 起 . 雖 復 名 覺 即 是 不 覺 故 。 如 二 乗 観 智 初 發 意 菩 薩 等 覺 於 念 異 念 無 異 相 。 以 捨 鹿 分 別 執 着 相 故 名 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 八 五

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大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 八 六 相 似 覺 。 如 法 身 菩 薩 等 覺 二 於 念 住 念 無 二 佳 相 。 以 離 二 分 別 鹿 念 相 故 名 随 分 覺 。 如 菩 薩 地 盡 満 足 方 便 一 念 相 應 。 覺 心 初 起 心 無 初 相 、 以 遠 離 微 細 念 故 得 見 心 性 。 心 即 常 住 名 二 究 竟 覺 。 と 説 か れ て あ る 。 已 に 微 細 の 念 を も 遠 離 し て 心 性 に 悟 入 せ る 、 第 十 地 の 菩 薩 盡 地 の 究 竟 覺 は 、 六 度 萬 行 の 方 便 を 窮 満 し て 生 相 の 位 に あ る 妄 念 も 無 く 、 随 分 に 心 性 を 覺 せ る 入 地 前 九 地 の 法 身 菩 薩 は 、 佳 相 に 在 る 位 の 無 明 を 離 し 、 已 に 我 執 は 室 じ 畢 る と 雖 も 未 だ 法 執 を 涙 亡 し 能 は ざ る 、 相 似 の 覺 を 有 せ る 聲 聞 縁 覺 の 二 乗 及 び 初 發 心 の 菩 薩 の 三 賢 の 位 地 は 、 異 相 の 位 の 無 明 を 覺 せ る 分 際 で あ り 、 十 信 に 在 る 凡 夫 人 の 如 き に 至 つ て は 心 性 の 無 念 な る を 覺 知 せ す 、 滅 相 に 至 り 終 り た る 位 の 不 善 を 覺 知 す る に 止 ま る 境 界 で あ る 。 以 上 の 覺 の 義 を 圖 を 以 て 示 さ ば 、 次 の 如 く で あ る 。 始 覺 と 本 覺 と は 本 來 同 一 に し て 異 無 き こ と を 論 に 、 實 無 有 始 ・ 覺 之 異 。 以 四 相 倶 時 而 有 皆 無 二 自 立 。 本 來 平 等 同 一 覺 故 。 と 説 か れ て あ る 。 本 來 自 性 清 淨 の 本 覺 が 、 無 明 に 纒 縛 せ ら れ て 現 す る 相 を 不 覺 と 云 ふ 。 論 に 、 所 言 不 覺 義 者 謂 不 如 實 知 眞 如 法 一

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故 不 覺 心 起 而 有 其 念 と 云 ひ 、 又 、 當 知 無 明 能 生 一 切 染 法 、 以 一 切 染 法 皆 是 不 覺 相 故 と も 云 は れ て あ る 。 無 明 に 因 つ て 現 じ 來 る 根 本 の 不 覺 に 待 對 し て 、 そ れ と 相 應 不 離 の 關 係 に 於 て 枝 末 の 不 覺 が 有 り 、 此 の 枝 末 の 不 覺 に 無 明 業 相 と 能 見 相 と 境 界 相 と の 三 種 の 相 が 読 か れ て あ る 。 依 不 覺 故 生 三 種 相 、 與 彼 不 覺 相 應 不 離 。 云 何 爲 三 。 一 者 無 明 業 相 、 以 依 不 覺 故 心 動 説 名 爲 業 。 覺 則 不 動 動 即 有 苦 、 果 不 離 因 故 。 二 者 能 見 相 、 以 依 動 故 能 見 、 不 動 則 無 見 。 三 者 境 界 相 、 以 依 能 見 故 境 界 妄 現 。 離 見 則 無 境 界 。 こ の 三 相 は そ の 相 微 細 で あ る か ら こ れ を 三 細 と 樽 へ 、 境 界 縁 有 る を 以 て の 故 に 生 す る 六 種 鹿 動 の 相 を 六 鹿 と 名 づ け る の で あ る 。 六 鹿 の 相 を 説 け る 文 に 云 く 、 一 者 智 相 、 依 於 境 界 心 起 分 別 愛 與 不 愛 故 。 二 者 相 績 相 、 依 於 智 故 生 其 苦 樂 、 覺 心 起 念 相 應 不 断 故 。 三 者 執 取 相 、 依 於 相 績 縁 念 境 界 住 持 苦 樂 心 起 着 故 。 四 者 計 名 字 相 、 依 於 妄 執 分 別 假 名 ま. ﹁ 相 故 。 五 者 起 業 相 、 依 於 名 字 尋 名 取 着 造 種 種 業 故 。 六 者 業 繋 苦 相 。 以 三 業 受 果 不 自 在 故 。 本 有 の 覺 髄 に 無 明 妄 念 が 作 用 し て 、 微 細 の 三 相 よ り 六 種 鹿 強 の 相 へ と 展 開 し 來 る の で あ る 。 無 明 不 覺 に 依 つ て 心 動 じ た る 無 明 業 相 に 依 存 し て 誤 ら れ た る 能 見 相 を 轉 じ 來 り 、 必 然 に 又 誤 ま ら れ た る 所 見 の 境 界 相 あ り 、 依 他 起 の 似 法 た る 境 界 を 縁 と し て 起 惑 し 、 起 し た る 惑 に 依 つ て 業 を 造 作 し 造 業 に 依 つ て 苦 果 を 感 じ て 、 三 者 あ だ か も 環 に 端 無 き が 如 く 輪 廻 の 因 果 律 を 巡 逐 す る に 至 る の で あ る 。 こ の 不 覺 の 義 を 圖 せ ば 次 の 如 く で あ る 。 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 八 七

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大 乗 起 信 論 に 顯 は 九 た る 佛 性 八 八 こ の 覺 と 不 覺 と の 上 に 同 の 相 と 異 の 相 と を 見 る の で あ る 即 ち 論 文 を 抄 出 す れ ば 、 覺 與 不 覺 有 二 種 相 。 云 何 爲 二 。 一 者 同 相 、 二 者 異 相 。 言 同 相 者 譬 如 種 種 瓦 器 皆 同 微 塵 性 相 、 如 是 無 漏 無 明 種 種 業 幻 皆 同 眞 如 性 相 。 言 異 相 者 譬 如 種 種 瓦 器 各 各 不 同 、 如 是 無 漏 無 明 、 随 染 幻 差 別 。 性 染 幻 差 別 故 。 生 滅 門 よ り こ れ を 観 ず れ ば 、 種 種 の 瓦 器 に 種 種 の 差 別 の 相 有 つ て 異 な る が 如 く 、 諸 法 に 種 種 差 別 現 象 の 相 有 り 、 覺 と 不 覺 と の 二 義 有 る 中 、 覺 に 就 て 本 ・ 始 の 異 を 擧 げ 、 不 覺 に 就 て 根 本 と 枝 末 と の 別 を 建 立 は す る け れ ど も 、 し か も 眞 如 門 よ り こ れ を 観 す れ ば 、 恰 も 瓦 器 を 微 塵 に 粉 碎 す と 雖 も 、 そ の 一 々 の 破 片 に 於 て 本 來 の 土 の 性 質 は 毫 末 も 損 減 無 き が 如 く 、 諸 法 の 本 體 そ の も の は 一 切 平 等 で 、 善 惡 ・ 染 淨 ・ 漏 無 漏 等 の 業 用 は 幻 の 如 く 、 そ の 差 別 の 相 は 何 れ に も 得 可 き や う は 無 い の で あ る 。 無 漏 の 上 に 建 立 す る 本 覺 ・ 始 覺 は 染 法 に 随 ふ の で あ る か ら 、 あ だ か も 無 漏 に も 差 別 の 異 相 が 有 る か の 如 く で あ り 、 無 明 に 建 立 す る 根 本 ・ 枝 末 の 二 の 不 覺 は 、 そ の 本 性 と し て 染 法 に 依 つ て 差 別 さ れ て ゐ る か ら 、 無 明 に も 差 別 の 異 相 が 有 る か の 如 く に 見 ら る ゝ も 、 無 漏 の 随 染 ・ 無 明 の 性 染 は 倶 に 幻 の 如 き も の で 、 畢 竟 覺 と 不 覺 と の 異 は 求 め て 途 に こ れ を 得 る 能 は ざ る も の で あ る 。 依 つ て 論 に 云 く 、 念 無 自 相 不 離 本 覺 。 猶 如 迷 人 依 方 故 迷 、 若 離 於 方 則 無 有 迷 。 衆 生 亦 爾 依 覺 故 迷 、 若 離 覺 性 則 無 不 覺 。 以 有 不 覺 妄 想 心 故 能 知 名 義 爲 説 眞 覺。 若 離 不 覺 之 心 則 無 眞 覺 自 相 可 説 。 東 が 有 る か ら 西 に 進 む の は 誤 り で あ る 。 東 を 離 れ て は 西 は 存 在 し な い 。 随 つ て 路 に 迷 ふ と 云 ふ こ と は 解 消 さ れ る 。 覺 が 有 る か ら 不 覺 が 有 る 。 不 覺 の 存 在 を 離 れ る な ら ば そ こ に は も 早 覺 の 存 在 性 は 消 滅 し 終 る の で あ る 。 認 識 以 前 に は 覺 も 不 覺 も 倶 に 存 在 を 許 さ れ な い の で あ る 。 三 阿 犂 耶 識 反 流 門 の 覺 と 階 流 門 の 不 覺 と が 、 本 來 同 一 に し て 異 な る も の に 非 ざ る 所 以 の 者 は 、 こ の 二 の 覺 は 倶 に 阿 犂 耶 識 に 具 は れ る 所 の 二 義 に 過 ぎ な い か ら で あ る 。 前 に 引 き た る 文 の

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如 く 、 謂 は ゆ る 不 生 不 滅 と 生 滅 と 和 合 し て 一 に 非 ず 異 に 非 ざ る を 名 づ け て 阿 犂 耶 識 と 爲 し 、 こ の 識 に 覺 と 不 覺 と の 二 の 義 が 有 つ て 、 能 く 一 切 法 を 據 し 一 切 法 を 生 す る の で あ る 。 と ﹁ 解 釋 分 ﹂ に 説 か れ て あ る 。 こ の 阿 犂 耶 識 が 動 轉 し て 意 と 意 識 と に 爲 る の で あ つ て 、 そ れ が 生 滅 因 縁 の 相 な の で あ る 。 こ れ を 論 に 、 生 滅 因 縁 者 、 所 謂 衆 生 依 心 意 ・ 意 識 轉 故 。 此 義 云 何 、 以 依 阿 犂 耶 識 論 有 無 明 。 不 覺 而 起 能 見 能 現 能 取 境 界 起 念 相 績 故 説 爲 意 。 と 説 い て あ る 。 阿 犂 耶 識 の 心 體 に 依 つ て 、 意 と 意 識 と を 動 轉 し 來 る 中 、 先 づ 意 に 就 て 論 に こ れ を 説 い て 云 く 、 此 意 復 有 五 種 名 。 云 何 爲 五 。 一 者 名 爲 業 識 、 謂 無 明 力 不 覺 心 動 故 。 二 者 名 爲 轉 識 、 依 於 動 心 能 見 相 故 。 三 者 名 爲 現 識 、 所 謂 能 現 一 切 境 界 猶 如 三 明 鏡 現 於 色 像 、 現 識 亦 爾 。 随 其 五 塵 對 至 一即 現 無 有 前 後 、 以 一 切 時 任 運 而 起 常 在 前 故 。 四 者 名 爲 智 識 、 謂 分 別 染 淨 法 故 。 五 者 名 爲 相 綾 識 、 以 念 相 應 不 断 故 、 住 持 過 去 無 量 世 等 善 惡 心 之 業 令 不 失 故 、 復 能 成 就 現 在 未 來 苦 樂 等 報 無 差 違 故 、 能 令 現 在 已 逕 之 事 忽 然 而 念 未 來 之 事 不 覺 妄 慮 。 第 一 の 業 識 と 云 ふ の は 、 無 明 の 力 に 依 つ て 、 阿 犂 耶 識 中 に 不 覺 心 ・を 動 轉 せ し 位 を 謂 ひ 、 第 二 の 轉 識 と 云 ふ の は 、 前 の 業 識 の 位 の 不 覺 心 を 動 轉 せ し に 依 つ て 、 能 見 の 相 有 る を 謂 ひ 、 第 三 の 現 識 と 云 ふ の は 、 能 く 一 切 の 境 界 ∵ を 現 起 す る 識 で 、 五 塵 の 境 界 に 對 す れ ば 随 つ て 其 の 境 界 を 現 起 し て 、 然 も 前 後 せ す 巻 舒 濫 す る こ と 無 く 、 時 と 處 と を 問 は す 一 切 の 時 に 任 運 無 作 用 に し か も 其 の 境 界 の 相 を 現 起 し て 、 常 に 現 前 に 在 る こ と 猶 し 淨 明 の 鏡 の 色 像 を 映 現 す る が 如 き を 謂 ひ 第 四 の 智 識 と 云 ふ の は 、 前 に 陳 べ た 第 三 の 現 識 に 於 て 已 に 五 塵 の 境 界 を 現 じ た の で あ る か ら 、 次 に そ の 現 じ 來 り た る 境 界 を 分 別 せ ざ る 可 か ら す 、 そ の 分 別 す る も の 即 ち こ の 第 四 の 智 識 の 作 用 で あ る 。 第 五 の 相 績 識 と 云 ふ の は 、 境 界 を 分 別 す る 念 と 境 界 と 断 絶 せ ざ る を 以 て 、 過 去 無 量 一世 等 善 悪 の 業 を 住 持 し て こ れ を 失 せ ざ ら し め 、 復 能 く 現 在 と 未 來 と 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 八 九

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大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 〇 の 苦 樂 等 の 報 を 成 就 し て 差 違 す る こ と 無 か ら し め 、 能 く 現 在 に 於 て 、 曾 て 已 に 經 し こ と を 忽 爾 と し て 念 じ 、 未 來 の 事 を 覺 せ す し て 妄 り に 慮 ら し む る 識 を 謂 ふ の で あ る 。 此 の 五 種 の 名 に 由 つ て 現 は さ る ゝ 意 の 五 義 に 依 つ て 、 三 界 は 虚 僞 に し て 唯 心 の み の 所 作 な る 義 が 成 ず る を 得 る の で あ る 。 即 ち 論 に 五 義 に 由 つ て 然 る 所 以 を 次 第 に 明 し て 云 く 是 故 三 界 虚 僞 唯 心 所 作 。 離 / 心 則 無 六 塵 境 界 。 此 義 云 何 、 以 一 切 法 皆 從 心 起 妄 念 而 生一 切 分 別 即 分 別 自 心 、 心 不 見 心 無 相 可 得 。 當 知 世 間 一 切 境 界 皆 依 衆 生 無 明 妄 心 而 得 佳 持 。 是 故 一 切 法 如 鏡 中 像 無 體 可 得 唯 心 虚 妄 。 以 心 生 則 種 種 法 生 心 滅 則 種 種 法 滅 故 。 意 の 五 義 中 の 相 績 識 は 即 ち 又 意 識 に し て 、 六 塵 の 境 を 分 別 す る 作 用 を 有 し て 前 六 識 に 相 當 し 、 分 別 事 識 叉 は 分 離 識 と も 名 づ け ら れ 、 論 に 次 の 如 く 説 か れ て あ る 。 復 次 言 二 意 識 者 即 此 相 績 識 。 依 諸 凡 夫 取 着 轉 深 計 我 我 所 種 種 妄 執 随 事 擧 縁 分 別 六 塵 名 爲 意 識 。 亦 名 分 離 識 。 又 復 説 名 分 別 事 識 。 此 識 依 見 愛 煩 惱 増 長 義 故 、 意 の 第 五 義 の 相 績 識 と 今 こ の 意 識 と は 識 體 別 無 し と 雖 も 、 前 の 第 五 の 相 績 識 は 細 分 の 法 執 の 分 別 相 應 依 止 の 義 門 に 就 て 説 い た も の で あ り 、 意 識 は 見 惑 修 惑 に 依 つ て 増 長 し て 、 事 に 随 ひ 擧 縁 し て 六 塵 の 境 を 分 別 す る 鹿 動 の 相 に 就 て 説 い た も の で あ る 。 以 上 論 所 説 の 如 く 、 阿 犂 耶 識 根 本 の 體 を 心 と 名 づ け 、 そ の 心 が 無 明 に 因 つ て 動 轉 し て 意 と 意 識 と を 現 す る を 、 圖 を 以 て こ れ を 示 さ ば 、 不 覺 に 依 る が 故 に 生 す る 三 箇 の 細 相 と 、 境 界 縁 有 る を 以 て の 故 に 生 す る 六 種 の 鹿 相 と の 、 九 の 動 相 中 の 初 の 五 相 と 意 の 五 義 と は 、 同 じ く 其 の 無 明 に 因 つ て 轉 起 し 來 れ る 如 ぐ 、

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義 も 亦 同 じ で あ る 。 即 ち 、 一 に は 、 不 覺 に 依 る を 以 て の 故 に 心 動 す る を 名 づ け て 業 と 爲 す 無 明 業 相 と 、 無 明 の 力 不 覺 に し て 心 動 す る が 故 に 名 つ く る 業 識 と 。 二 に は 、 動 に 依 る を 以 て の 故 に 能 見 な る 能 見 相 と 、 動 心 に 依 つ て 能 見 の 相 有 る 轉 識 と 。 三 に は 、 見 を 離 れ ば 境 界 無 き に 、 能 見 に 依 る を 以 て の 故 に 境 界 妄 に 現 す る 境 界 相 と 、 猶 し 明 鏡 の 色 像 を 現 す る が 如 く に 、 能 く 一 切 の 境 界 を 現 す る が 故 に 名 つ く る 現 識 と 。 四 に は 、 境 界 に 依 つ て 心 起 つ て 愛 と 不 愛 と を 分 別 す る 智 相 と 、 染 淨 法 を 分 別 す る が 故 に 名 つ く る 智 識 と 。 五 に は 、 智 に 依 る が 故 に そ の 苦 樂 の 覺 心 を 生 じ 、 念 を 起 し 相 應 し て 断 ぜ ざ る 相 績 相 と 、 過 去 の 無 量 世 等 の 善 悪 の 業 を 佳 持 し て こ れ を 失 せ ざ ら し め 、 能 く 現 在 と 未 來 と の 苦 樂 等 の 報 を 成 就 し て 差 違 無 く 、 能 く 現 在 已 逕 の 事 を し て 忽 然 に 而 も 念 じ 未 來 の 事 を 不 覺 に 妄 慮 せ し め 、 念 相 應 し て 断 ぜ ざ る を 以 て の 故 に 名 つ く る 相 綾 識 と 。 各 そ の 義 を 同 じ く す る の で あ る 。 こ れ は 無 明 に 因 つ て 動 轉 し 來 る 上 の 爾 箇 の 相 を 説 い た も の で あ る か ら 、 爾 者 義 等 し き は 本 よ り そ の 處 , 即 ち そ の 源 を 一 の 阿 犂 耶 識 に 發 せ る 二 の 水 流 に 他 な ら ぬ の で あ る 。 因 縁 に 依 つ て 生 起 す る 次 第 の 義 を 以 て 、 細 よ り 鹿 に 至 つ て 説 か れ た 五 意 ・ 意 識 に 對 し て 、 鹿 よ り 細 に 至 る 治 断 の 序 を 以 て 説 か れ た も の に 六 種 染 心 が 有 る 。 文 に 、 染 心 者 有 ハ 種 。 云 何 爲 六 。 一 者 執 相 應 染 、 依 二 乗 解 脱 及 信 相 應 地 遠 離 故 。 二 者 不 断 相 應 染 、 依 信 相 應 地 修 學 方 便 漸 漸 能 捨 得 淨 心 地 究 竟 離 故 。 三 者 分 別 智 相 應 染 、 依 具 戒 地 漸 離 乃 至 無 相 方 便 地 究 竟 離 故 。 四 者 現 色 不 相 應 染 、 依 色 自 在 地 能 離 故 。 五 者 能 見 心 不 相 應 染 、 依 心 自 在 地 能 離 故 。 六 者 根 本 業 不 相 應 染 、 依 二 菩 薩 盡 地 得 入 如 來 地 能 離 故 。 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 一

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大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 二 執 相 應 染 は 六 鹿 の 中 の 執 取 相 と 計 名 字 相 に 當 つ て 、 二 乗 の 解 脱 と 及 び 三 賢 の 位 に 依 つ て 離 せ ら る ゝ も の で あ る 。 不 断 相 應 染 は 五 意 の 中 に は 相 績 識 、 六 鹿 の 中 に は 相 績 相 と 名 づ け ら れ 、 初 地 の 位 に 於 て 究 竟 し て 離 す る の で あ る 。 分 別 智 相 應 染 は 五 意 の 中 の 智 識 、 六 鹿 の 中 の 智 相 で 、 第 二 地 を 初 と し て 第 七 地 に 至 つ て 究 竟 し て 離 す る の で あ る 。 現 色 不 相 應 染 は 五 意 の 中 の 現 識 、 三 細 の 中 の 境 界 相 が こ れ で 、 第 八 地 に 依 つ て 離 せ ら る ゝ も の で あ る 。 能 見 心 不 相 應 染 は 五 意 の 中 の 轉 識 、 三 細 の 中 の 能 見 相 で 、 第 九 地 に 依 つ て 能 く 離 す る の で あ る 。 根 本 業 不 相 應 染 は 五 意 の 中 に は 業 識 、 三 細 中 に は 無 明 業 相 で 、 第 十 地 の 満 心 金 剛 喩 定 の 中 に 極 微 細 の 習 氣 都 て 盡 き て 、 心 性 を 見 る こ と を 得 て 能 く 離 す る 所 で あ る 。 こ れ を 圖 す れ ば 、 六 染 の 中 前 三 は 心 と 心 數 と 異 つ て も 、 染 淨 の 差 別 に 依 つ て 心 王 が 染 を 縁 す れ ば 心 所 も 染 と 、 知 相 の 心 王 の 縁 す る 相 と 所 縁 の 縁 ぜ ら れ た 相 と が 相 應 す る 所 の 鹿 相 の 染 で あ り 、 後 三 は 心 に 即 し て 心 法 と 相 應 せ ざ る 所 の 細 相 の 染 で あ る 。 こ

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の 前 後 の 鹿 細 の 中 に 又 鹿 細 を 分 つ の で あ る 。 交 に 、 鹿 中 之 鹿 凡 夫 境 界 。 鹿 中 之 細 及 細 中 之 鹿 菩 薩 境 界 。 細 中 之 細 是 佛 境 界 。 と あ る 。 依 つ て 、 と な る の .で あ る 。 犂 耶 の 染 縁 に 乗 じ て 起 動 し 來 る と こ ろ 、 千 波 と な り 萬 波 と 變 じ 、 そ の 及 ぶ と こ ろ 甚 深 廣 大 途 に 停 止 す る 所 を 知 る 能 は な い の で あ る 。 か く の 如 く 阿 犂 耶 の 根 本 心 體 よ り 轉 起 せ る 識 は 、 凡 夫 二 乗 の 所 知 の 境 界 で は 本 よ り 無 く 、 菩 薩 の 究 竟 地 と 雖 も 未 だ こ れ を 知 り 盡 す こ と 能 は す 、 唯 佛 の み の 窮 了 し た ま ふ 所 で あ つ て 、 無 明 の 爲 に 纒 縛 せ ら れ て 染 汚 有 り と 雖 も 、 根 本 心 體 は 本 然 と し て 自 性 清 淨 な る も の で あ る 。 文 に 云 く 、 依 無 明 熏 習 所 起 識 者 、 非 凡 夫 能 知 亦 非 二 乗 智 慧 所 覺 。 謂 依 菩 薩 從 初 正 信 發 心 観 察 若 證 法 身 得 少 分 知 、 乃 至 菩 薩 究 竟 地 不 能 知 盡 。 唯 佛 窮 了 。 何 以 故 是 心 從 / 本 已 來 自 性 清 淨 而 有 無 明 。 爲 二 無 明 所 染 有 其 染 心 。 雖 有 染 心 而 常 恆 不 變 。 是 故 此 義 唯 佛 能 知 。 所 謂 心 性 常 無 念 故 名 爲 不 變 。 以 不 達 一 法 界 故 心 不 相 應 、 忽 然 念 起 名 爲 二 無 明 。 染 心 の 起 る も 淨 心 の 起 る も そ の 淵 源 は 盡 く 一 の 阿 犂 耶 識 に 在 つ て 、 阿 犂 耶 識 が 染 縁 の 爲 に 生 滅 門 に 出 で て 不 覺 と な る か 、 淨 縁 の 爲 に 眞 如 門 に 止 ま つ て 覺 と な る か の 差 異 に 過 ぎ な い の で あ る 。 そ の 二 者 は 終 に 非 一 に し て 又 非 異 な る の み 。 四 眞 如 無 明 に 因 つ て 心 體 動 じ て 染 法 と 爲 り 、 無 明 滅 し て 淨 法 存 す る こ と は 、 宛 も 風 に 因 つ て 水 動 い て 波 生 じ 、 風 停 ま り 止 ん で 即 ち 波 無 き が 如 く で あ る 。 水 を 離 れ て 波 無 く 覺 性 を 離 れ て 無 明 の 相 は 見 得 な い 。 論 に 、 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 三

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大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 四 無 明 之 相 不 離 覺 性 、 非 可 壤 非 不 可 壤 。 如 大 海 水 因 風 波 動 、 水 相 風 相 不 相 捨 離 、 而 水 非 動 性 若 風 止 滅 動 相 則 滅 漁 性 不 壤 故 。 如 是 衆 生 自 性 清 淨 心 因 無 明 風 動 。 心 與 無 明 倶 無 形 相 不 相 捨 離 而 心 非 動 性 。 若 無 明 滅 相 績 則 滅 智 性 不 壤 故 。 又 、 心 性 無 動 則 有 過 恆 沙 等 諸 淨 功 徳 相 義 示 現 。 若 心 有 起 更 見 前 法 可 念 者 則 有 所 少 。 如 是 淨 法 無 量 功 徳 即 是 一 心 更 無 所 念 。 是 故 満 足 名 爲 法 身 如 來 之 藏 。 と 説 か れ て あ る 。 動 性 に 非 ざ る 一 心 は 即 ち 法 身 如 來 の 藏 眞 如 で あ る 。 阿 黎 耶 識 が 動 轉 し て 生 じ た る 生 滅 流 轉 門 よ り 眞 如 反 流 門 に 入 る 可 き は 、 心 は 本 來 起 無 し と 徹 見 す る に あ る 。 論 に 、 無 明 迷 故 謂 7 心 爲 念 心 實 不 動 。 若 能 観 察 知 心 無 起 即 得 随 順 入 眞 如 門 故 。 と 云 ひ 、 譬 を 以 て 、 人 が 東 へ 行 く つ も り で 西 へ 進 ん で お る の は 、 そ れ は そ の 人 が 路 に 迷 つ て ゐ る か ら で 、 實 際 に 方 角 が 東 が 西 に 西 が 東 に 變 つ た の で は 無 い 。 衆 生 の 心 を 謂 う て 念 と 爲 す の も 亦 爾 り 無 明 の 迷 の 爲 で 、 實 際 に 心 が 動 い て 妄 念 と な つ た も の で は 無 い の で あ る と 説 か れ て あ る 。 如 人 迷 故 謂 東 爲 西 方 實 不 轉 、 衆 生 亦 爾 。 無 明 の 爲 に 染 せ ら れ て 染 心 有 り と 雖 も 、 而 も 心 性 本 然 の 髄 は 常 恆 に 變 化 無 き こ と は 、 唯 佛 能 知 。 所 謂 心 性 常 無 念 故 名 爲 不 變 。 で あ る 。 以 て 知 ん ぬ 、 心 と は 甚 深 に し て 唯 佛 の み 能 く こ れ を 知 り た ま ひ 、 諸 の 飴 の 聲 聞 辟 支 佛 及 び 外 道 等 執 着 名 字 の 者 の 、 了 知 す る 能 は ざ る (海 東 疏 ) 自 性 清 淨 な る も の で あ る 。 自 性 清 淨 心 と 云 ひ 如 來 藏 心 と 云 は れ る 一 心 と は 何 者 で あ る か 。 論 に は こ れ を 、 是 故 一 切 法 從 本 已 來 離 言 説 相 離 名 字 相 離 心 縁 相 、 畢 竟 平 等 無 有 變 異 不 可 破 壤 。 唯 是 一 心 故 名 眞 如 。 以 一 切 言 論 假 名 無 實 、 但 随 妄 念 不 可 得 故 。 一 切 の 法 は 無 始 巳 來 言 説 の 相 ・ 名 字 の 相 ・ 心 縁 の 相 を 離 れ 畢 竟 平 等 に し て 變 異 有 る こ と 無 く 破 壤 す 可 か ら ざ る も の で 唯 一 心 の み な る が 故 に 名 づ け て 眞 如 と 云 ふ の で あ る 。 そ の

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言 説 の 相 ・ 名 字 の 相 ・ 心 縁 の 相 を 離 れ た る 所 以 の も の は 、 一 切 の 言 説 ・ 名 字 と 云 ふ も の は 假 有 に し て 實 無 き も の で あ り 、 又 妄 念 所 庫 の 境 に 非 ざ る が 故 で あ る 。 言 説 ・ 名 字 ・ 心 縁 の 義 に 非 ざ る 所 以 の も の は 、 眞 如 に 相 有 る こ と 無 き が 故 で 、 即 ち 言 説 の 極 ま る 所 途 に 言 に 因 つ て 言 を 遣 る に 至 る の で あ る 。 言 は な い の で は 無 い 言 へ な い の であ る 。 言 つ て は 既 に 假 智 の 境 界 で あ り 、 名 字 に 托 す れ ば も 早 假 詮 に 堕 し た る も の で あ り 、 妄 心 若 し こ れ を 縁 す れ ば 執 着 の 差 別 心 に 過 ぎ す し て 、 無 量 の 性 功 徳 の 萬 が 一 に も 當 ら な い の で あ る 。 實 に 一 切 法 は 悉 く 皆 眞 な る を 以 て の 故 に 、 眞 如 の 體 の 遣 去 す べ き な く 、 一 切 法 は 皆 同 じ く 如 な る を 以 て の 故 に 、 こ れ が 眞 如 と こ と さ ら に 立 つ 可 く も 無 い の で あ る 。 故 に 一 切 法 の 不 可 説 不 可 念 な る を 眞 如 と 假 り に 言 説 を 用 ひ た 迄 で 、 一 切 法 を 離 れ て 眞 如 無 く 、 眞 如 を 離 れ て 一 切 法 の 存 在 は 許 さ れ な い 。 文 に 、 言 眞 如 者 亦 無 有 相 、 謂 言 説 之 極 因 言 遣 言 。 此 眞 如 體 無 有 可 遣 以 一 切 法 悉 皆 眞 故 。 亦 無 可 立 以一 切 法 皆 同 如 故 。 當 知 一 切 法 不 可 読 不 可 念 故 名 爲 二 眞 如 。 依 つ て 、 一 心 と は 如 來 を 藏 す る 心 で あ り 、 自 性 の 清 淨 な る も の で あ り 、 即 ち 眞 如 な る も の な の で あ る 。 一 心 な る 眞 如 と は 然 ら ば 如 何 な る も の で あ ら う か 。 論 に こ れ を 説 い て 、 眞 如 自 體 相 者 一 切 凡 夫 ・ 聲 聞 ・ 縁 覺 ・ 菩 薩 ・ 諸 佛 無 有 増 減 、 非 前 際 生 非 後 際 滅 畢 竟 常 恆 。 從 本 已 來 性 自 満 足 一 切 功 徳 。 所 謂 、 自 體 有 大 智 慧 光 明 義 故 、 偏 照 法 界 義 故 、 眞 實 識 知 義 故 、 自 性 清 淨 心 義 故 、 常 樂 我 淨 義 故 清 涼 不 變 自 在 義 故 、 具 足 如 是 過 於 恆 沙 不 離 不 断 不 異 不 思 議 佛 法 乃 至 満 足 無 有 所 少 義 故 、 名 爲 如 來 藏 。 亦 名 如 來 法 身 。 凡 夫 . 二 乗 ・ 菩 薩 . 佛 と 千 差 萬 別 し て も 廣 大 な る 眞 如 の 體 は 何 等 の 増 減 無 く 、 し か も 不 生 不 滅 の 畢 竟 常 恆 な る も の で あ る 。 そ の 相 に 就 て 見 れ ば 、 大 智 慧 光 明 義 偏 照 法 界 義 眞 實 識 知 義 自 性 清 淨 心 義 常 樂 我 淨 義 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 五

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大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 六 清 涼 不 變 自 在 義 を 具 せ る 本 際 よ り こ の 方 自 性 と し て 一 切 の 功 徳 を 満 足 せ る も の で 、 か く の 如 く 恆 河 の 砂 の 數 に も 過 ぎ た る 、 眞 體 に 離 れ す 無 始 よ り 相 績 し 眞 體 と 同 一 味 に し て 容 易 に 思 議 し 能 は ざ る 佛 法 を 具 足 し て 、 些 も 欲 く る 所 無 き 義 の 故 に 、 在 纏 に 約 し て 如 來 藏 と 云 ひ 顯 現 果 上 の 出 纏 に 約 し て 如 來 法 身 と 名 づ け る の で あ る 。 即 ち 衆 生 の 自 性 清 淨 心 な る 本 覺 の 覺 體 即 ち 眞 如 は 、 妄 念 の 起 勤 即 ち 無 明 の 風 に 因 つ て 流 轉 門 に 轉 じ 來 つ て 差 別 相 を 現 じ 、 三 細 六 鹿 と 微 よ り 漸 く 鹿 に 及 ん で 展 開 し 來 る こ と 有 り と 雖 も 、 し か も 本 來 不 壤 絶 對 平 等 の 法 體 で 不 壌 不 減 無 始 無 終 本 然 常 住 な る も の で あ る 。 有 漏 雑 染 具 縛 纒 結 の 衆 生 を そ の 儘 に 法 身 ・ 如 來 と 構 す る は 、 そ の 本 覺 の 邊 に 依 つ て 、 内 に 深 く 如 來 の 徳 能 を 藏 せ る 眞 如 發 現 の 身 な る に 依 る の で あ る 。 論 に 眞 如 熏 習 め 義 に 自 體 相 熏 習 と 用 熏 習 と 有 る 中 、 第 一 の 自 體 相 熏 習 を 、 從 無 始 世 來 具 無 漏 法 。 と 説 か れ て あ る 。 か く の 如 く 本 有 恆 存 の 眞 如 よ り 發 現 せ る 吾 人 、 本 來 如 來 を 藏 せ る 我 等 な り と 知 ら ば 、 速 に 無 明 の 染 垢 を 除 き 、 直 ち に 涅 槃 寂 静 地 に 趣 か ざ る 可 か ら す 。 論 に 自 信 己 身 有 眞 如 法 發 心 修 行 。 本 來 成 佛 の 我 等 が 何 が 故 に か 發 心 修 行 を 俟 た ざ る べ か ら ざ る や 。 論 に 自 ら こ れ を 問 答 し て 曰 く 、 問 日 、 上 説 二 法 界 一 相 ・ 佛 體 無 二 。 何 故 不 唯 念 眞 如 復 假 求 學 諸 善 之 行 。 答 日 、 譬 如 大 摩 尼 賓 罷 性 明 淨 而 有 鑛 穢 之 垢 、 若 人 雖 念 寳 性 不 以 方 便 種 種 磨 冶 終 無 得 淨 。 如 是 衆 生 眞 如 之 法 體 性 室 淨 而 有 無 量 煩 惱 染 垢 、 若 人 雖 念 眞 如 不 以 方 便 種 種 熏 修 亦 無 得 淨 。 以 垢 無 景 無 偏 偏 一 切 法 一 、 修 一 切 善 行 以 爲 對 治 。 若 人 修 行 一 切 善 法 自 然 蹄 順 眞 如 法 故 。 も と く 淨 妙 な る 眞 如 の 法 體 の 上 を 覆 へ る 、 無 量 煩 惱 の 染 垢 を 佛 は ん が 爲 に 、 宛 も 實 石 の 本 來 具 有 せ る 光 を 顯 は さ ん が 爲 に 研 磨 を 用 ふ る 如 く 、 一 切 善 行 を 修 し て 煩 惱 を 佛 ひ 遣 る の で あ る 。 然 も こ ゝ に 眞 如 三 昧 な る 有 つ て 、 こ の 三 昧 に 入 つ て 具 に 佛 法 身 と 衆 生 有 漏 身 と 無 二 な る を 知 り 得 る の で あ る 。 論 の﹁ 修 行 信 心 分 」 に 云 く、

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於 一 切 時 常 念 方 便 随 順 観 察 久 習 淳 熟 其 心 得 住 。 以 心 住 故 漸 漸 猛 利 、 随 順 得 入 眞 如 三 昧 。 深 伏 煩 惱 信 心 増 長 速 成 不 退 。 唯 除 疑 惑 ・ 不 信 ・ 誹 誘 ・ 重 罪 ・ 業 障 ・ 我 慢 ・ 懈 怠 、 如 是 等 人 所 不 能 入 。 復 次 依 是 三 昧 故 則 知 法 界 相 。 謂 一 切 諸 佛 法 身 與 衆 生 身 平 等 無 二 即 名 一 行 三 昧 。 當 知 眞 如 是 三 昧 根 本 。 若 人 修 行 漸 漸 能 生 無 量 三 昧 。 法 身 と 異 生 身 と は 霄 壤 の 差 有 る 如 く 見 え て 、 倶 に 眞 如 よ り 顯 現 せ し 者 な れ ば 、 平 等 に し て 無 二 な る を 知 り 得 た る 吾 人 は 、 豈 一 瞬 だ を も 徒 爾 に 過 し て よ い で あ ら う か 、 須 ら く そ の 本 來 の 面 目 を 開 顯 す べ く 、 努 力 々 汝 、 こ れ を 致 さ ね ば な ら な い の で あ る 。 五 佛 性 以 上 説 く 所 を 総 略 し て 圖 せ ば 、 不 覺 の 義 に 、 根 本 不 覺 の 無 明 と 根 本 不 覺 に 封 す る 三 細 六 魚 の 九 相 と が 有 る 。 不 覺 の 義 の 随 流 門 に 反 す る も の に 反 流 門 の 覺 の 義 が 有 り 、 中 に 於 て 本 覺 と 始 覺 と を 分 つ 。 こ の 覺 と 不 覺 と の 二 義 は 、 も と 阿 黎 耶 識 の 妄 縁 と 眞 縁 と に 由 つ て 生 じ 來 つ た る 所 で 、 染 縁 に 因 つ て 不 覺 と 爲 り 、 淨 縁 に 因 つ て 覺 と 爲 る 阿 黎 耶 識 は 、 本 來 自 性 清 淨 な る 一 心 如 來 藏 で あ り そ の 一 心 如 來 藏 は 即 ち 自 性 清 淨 な る 衆 生 心 で あ る 。 然 り 而 し て 「 立 義 分 」 に 説 け る 如 く 、 こ の 衆 生 心 は 即 ち 摩 訶 衍 そ の も の で あ る 。 摩 訶 衍 者 総 説 有 二 種 。 云 何 爲 二 、 一 者 法 二 者 義 。 所 言 法 者 謂 衆 生 心 、 是 心 則 振 一 切 世 間 法 出 世 間 法 。 依 於 此 心 顯 不 摩 訶 衍 義 。 何 以 故 、 是 心 眞 如 相 即 示 摩 訶 衍 體 故 。 是 心 生 滅 因 縁 相 能 示 摩 訶 衍 自 體 相 用 故 。 謂 ふ 所 の 法 な る 衆 生 心 即 ち 心 眞 如 は 、 ﹁ 解 釋 分 ﹂ に 依 る に 、 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 七

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大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 八 心 眞 如 者 即 是 法 界 大 総 相 法 門 體 。 即 ち 法 界 大 総 相 法 門 の 體 な る 離 言 眞 如 で あ る 。 又 衆 生 心 は 如 來 を 藏 す る 心 で あ つ て 、 そ の 本 體 は 嚴 然 と し て 摩 訶 衍 の 一 法 で あ る 。 依 つ て 、 己 身 を 擧 げ て 眞 如 な り と 雖 も 、 唯 無 始 已 來 の 無 量 無 偏 恆 沙 の 無 明 有 つ て 我 見 愛 染 煩 惱 を 績 起 し て ゐ る の で あ る 。 こ れ 論 の 中 に ﹁ 修 行 信 心 分 ﹂ 左 設 け て 、 涅 槃 に 趣 向 す る 方 法 を 示 し た る 所 以 で ゝ も あ る 。 然 ら ば 如 何 な る 階 次 を 經 て 涅 槃 に 趣 向 し 得 る か と な ら ば ﹁ 解 釋 分 ﹂ に 於 て 發 趣 道 相 を 分 別 す る 中 に 説 く 三 種 の 發 心 の 第 一 信 成 就 発 心 は 、 不 定 聚 の 衆 生 の 発 心 に し て 、 信 心 を 修 行 す る こ と 一 萬 劫 を 經 て 信 心 成 就 し 発 心 す る の で あ る 。 或 は 復 一 萬 劫 の 中 に 於 て 縁 に 遇 う て 發 心 し 正 定 聚 に 入 る の で あ る 。 文 に 云 く 、 信 成 就 発 心 者 依 何 等 人 修 何 等 行 得 信 成 就 堪 能 發 心 。 所 謂 依 不 定 聚 衆 生 。 有 熏 習 善 根 力 故 信 業 果 報 能 起 十 善 厭 二 生 死 苦 、 欲 求 無 上 菩 提 得 値 諸 佛 親 承 供 養 修 行 信 心 、 逕 一 萬 劫 信 心 成 就 故 、 諸 佛 菩 薩 教 令 二 発 心 。 或 以 大 悲 故 能 自 發 心 。 或 因 正 法 欲 滅 以 護 法 因 縁 能 自 発 心 。 如 是 信 心 成 就 得 發 心 者 入 正 定 聚 。 畢 竟 不 退 名 住 如 來 種 中 正 因 相 應 。 若 有 衆 生 善 根 微 少 久 遠 已 來 煩 惱 深 厚 、 雖 値 於 佛 亦 得 供 養 、 然 起 人 天 種 子 或 起 二 乗 種 子 。 設 有 下 求 大 乗 者 根 則 不 定 若 進 若 退 。 或 有 供 養 諸 佛 未 逕 一 萬 劫 於 中 遇 縁 亦 有 発 心 。 所 謂 見 佛 色 相 而 發 其 心 。 或 因 供 養 衆 僧 而 發 其 心 。 或 因 一乗 之 人 教 令 發 心 。 或 學 他 發 心 。 如 是 等 發 心 悉 皆 不 定 。 遇 悪 因 縁 或 便 退 失 堕 二 乗 地 。 次 に 第 二 の 解 行 発 心 の 位 は 正 定 聚 に し て 、 初 の 正 信 よ り 己 來 第 一 大 阿 僧 祇 劫 を 満 じ 六 波 羅 蜜 を 修 行 す る の で あ る 。 丈 に 、 解 行 発 心 當 知 轉 勝 。 以 是 菩 薩 從 初 正 信 一已 來 於 第 一 阿 僧 祇 劫 一將 欲 伊満 故 、 於 眞 如 法 中 一深 解 現 前 所 修 離 相 以 知 法 性 體 無 慳 貧 故 随 順 修 行 壇 波 羅 蜜 。 以 知 法 性 無 染 離 五 欲 過 故 随 順 修 行 尸 羅 波 羅 蜜 。 以 知 法 性 無 苦 離 瞋 惱 故 随 順 修 行 屠 提 波 羅 蜜 。 以 知 法 性 無 身 心 相 離 慢 怠 故 随 順 修 行 砒 黎 耶 波 羅 蜜 。 以 知 法 性 常

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定 體 無 亂 故 随 順 修 行 襌 波 羅 蜜 。 以 知 法 性 體 明 離 無 明 故 随 順 修 行 般 若 波 羅 蜜 。 第 三 の 證 發 心 と 云 ふ の は 淨 心 地 か ら 乃 し 菩 薩 究 竟 地 に 至 る 迄 で 、 こ の 位 に は 眞 如 を 證 す る の で あ る 。 文 に 、 證 發 心 者 從 浮 心 地 乃 至 菩 薩 究 竟 地 。 證 何 境 界 、 所 謂 眞 如 。 以 依 轉 識 説 爲 境 界 。 而 此 證 者 無 有 境 界 、 唯 眞 如 智 名 爲 法 身 。 初 發 心 位 不 定 聚 の 一 類 は 應 身 佛 を 見 得 る と 説 か れ て あ る 。 又 爲 凡 夫 所 見 者 是 其 鹿 色 。 随 於 六 道 各 見 不 同 、 種 種 異 類 非 受 樂 相 。 故 説 爲 應 身 。 第 二 第 三 の 發 心 の 菩 薩 は 報 身 佛 を 見 た て ま つ る こ と を 得 る . 謂 諸 菩 薩 從 初 發 意 乃 至 菩 薩 究 竟 地 心 所 見 者 、 名 爲 報 身 。 法 身 佛 に 就 て は 論 に 、 謂 諸 佛 如 來 唯 是 法 身 智 相 之 身 。 第 一 義 諦 無 γ 有 世 諦 境 界 離 於 施 作 。 と 云 は れ て あ る 。 法 身 佛 は 即 ち 唯 無 漏 相 績 の 理 體 で あ つ て 有 漏 智 所 見 の 境 で は 無 い の で あ る 。 果 位 は 畢 竟 因 位 に 在 つ て 談 す る 能 は ざ る 所 で あ る 。 以 上 の 三 種 發 心 を 圖 示 す れ ば 次 の 如 く に な る 。 正 定 聚 の 菩 薩 の 修 行 の 年 數 は 三 大 阿 僧 祇 劫 に 限 り 、 地 を 超 え て 速 に 成 佛 す と 説 き 、 或 は 無 量 阿 僧 祇 劫 を 經 て 當 に 成 佛 す べ し と 示 す の は 、 次 で の 如 く 怯 弱 の 衆 生 或 は 復 懈 慢 の 衆 生 の 爲 の 方 便 説 に 過 ぎ な い の で あ る 。 論 に 云 く 、 或 示 三 超 地 速 成 正 覺 以 爲 怯 弱 衆 生 故 。 或 説 我 於 無 量 阿 僧 祇 劫 當 成 佛 道 以 爲 懈 慢 衆 生 故 。 能 示 如 是 無 数 方 便 不 可 思 議 。 而 實 菩 薩 種 性 根 等 、 發 心 則 等 、 所 證 亦 等 、 無 有 超 過 之 法 。 以 一 切 菩 薩 皆 逕 三 阿 僧 祇 劫 故 。 但 随 衆 生 世 界 不 同 有 所 見 聞 根 ・欲 ・性 異 、 故 示 所 行 亦 有 差 別 。 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 九 九

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大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 一 〇 〇 上 の ﹁ 覺 と 不 覺 ﹂ の 章 に 在 り し 如 く 、 機 類 を 分 つ て 凡 夫 と 二 乗 ・ 初 發 意 菩 薩 と 法 身 菩 薩 と 盡 地 菩 薩 と の 四 を 立 て 、 そ の 覺 す る 所 を 次 第 の 如 く 、 不 覺 ・ 相 似 覺 ・ 随 分 覺 ・ 究 竟 覺 と 名 づ け る の で あ る が 、 覺 心 初 め て 起 つ て 心 即 ち 常 住 な る 究 竟 覺 と は 、 何 を 究 竟 せ る 覺 な る や 。 論 に は 以 覺 心 原 故 名 究 竟 覺 不 覺 心 原 故 非 究 竟 覺 と 説 か れ て あ つ て 、 眞 如 を 證 す る が 故 に 究 竟 覺 で あ り 、 眞 如 を 證 せ ざ る が 故 に 究 竟 覺 で 無 い の で あ る 。 但 し 相 似 ・ 随 分 二 覺 の 正 定 聚 の 菩 薩 は 、 未 だ 究 竟 覺 に 到 ら ず と 雖 も そ の 位 を 退 堕 す る こ と は 無 い の で あ る 。 依 つ て 論 に は 、 悪 趣 に 退 堕 す る こ と 有 り と 説 く 契 經 を 會 し て 、 如 修 多 羅 中 或 説 有 退 堕 悪 趣 者 非 其 實 退 。 但 爲 初 學 菩 薩 未 入 ﹂ 正 位 而 懈 怠 者 恐 怖 勇 猛 故 。 と 云 ふ 。 尤 も 信 成 就 發 心 不 定 聚 の 位 に は 退 堕 が 有 る 。 遇 悪 因 縁 或 便 退 失 堕 二 乗 地 。 前 來 の 丈 に 依 つ て 明 ら か に 、 ﹃ 起 信 論 ﹄ は 二 乗 の 位 地 を 厭 ぴ 趣 求 す る こ と 唯 一 大 乗 に 在 る こ と を 知 り 得 る の で あ る 。 し か も そ の 修 行 の 階 序 を 説 き 或 は 涅 槃 に 趣 向 す る 位 次 を 示 す は 、 因 位 の 一 分 に 約 し 善 巧 方 便 の 爲 に 説 く 所 で 、 第 一 義 諦 の 見 地 よ り す れ ば 、 理 と し て 實 に は 総 て こ れ 本 來 常 住 な る 大 覺 の 佛 身 で あ る 。 故 に 論 に 契 經 を 援 引 し て こ れ を 示 し て 云 く 。 如 是 無 漏 無 明 種 種 業 幻 皆 同 眞 如 性 相 。 是 故 修 多 羅 中 依 於 此 義 説 、 ﹁ 一 切 衆 生 本 來 常 住 入 於 涅 槃 菩 提 之 法 。 非 可 修 相 非 可 作 相 畢 竟 無 得 。 ﹂ 修 す 可 き 相 に 非 す 作 す 可 き 相 に 非 ざ る 所 以 の 者 は 、 一 切 法 從 本 已 來 自 涅 槃 。 で あ る か ら で あ る 。 依 つ て 以 て 知 ん ぬ 、 ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ に 詮 顯 さ る ゝ 所 の 佛 性 は 一 切 衆 生 に 悉 く 佛 性 有 り と 説 く 一 性 成 佛 性 で あ る 。 已 成 の 佛 格 遙 に 高 し と 雖 も 、 我 等 具 縛 の 凡 夫 に 在 つ て 全 く 縁 無 き も の で は 無 い の で あ る 。 當 相 の そ の 儘 に 盡 く 如 來 で あ る 我 等 で あ り 、 無 始 以 來 恆 に 法 身 を 藏 せ る 我 等 で あ つ た の で あ る 。 し か も 我 等 を 除 い て は 何 處 に も 存 し な い 佛 性 な の で あ る 。 衆 生 心 を 除 い て は 眞 如 は 存 在 性 を 有 し な い の で あ る 。 高 祖 大 師 が ﹃ 心 經 秘 鍵 ﹄ に 於 て そ の 劈 頭 に 、

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佛 法 非 遙 心 中 即 近 。 眞 如 非 外 棄 身 何 求 。 と 喝 破 し た ま へ る も の 今 と 符 節 を 合 し 、 ﹃ 起 信 論 ﹄ に 於 て は 未 だ 顯 は に ﹁ 迷 悟 在 我 則 発 心 即 到 ﹂ と 説 い て は お ら な い け れ ど も 、 そ の 眞 意 は 即 ち こ の 大 師 の 聖 句 に 盡 き る と 信 す る の で あ る 。 佛 教 が 印 度 に 興 つ て 既 に 印 度 に 亡 び 、 支 那 に 傳 は つ て 一 時 の 盛 行 を 見 る と 雖 も 今 や 支 那 に 衰 へ 、 獨 り 我 が 國 に 於 て の み 本 來 の 面 目 を 發 現 し 來 り 、 い よ く 好 秀 の 粹 を 發 揮 せ ん と す る 所 以 の も の は 、 そ の 根 元 に 於 て 、 萬 邦 に 比 類 無 き 我 が 國 體 と 佛 教 の 理 想 構 成 と が 合 致 し た る が 爲 で あ る 。 即 ち 、 高 き も 低 き も お し な べ て 同 じ く 陛 下 の 赤 子 な る 自 覚 に 立 て る く に た み が 、 億 兆 擧 つ て 、 眞 理 界 よ り 下 降 ま し ま せ る 一 天 萬 乗 の 大 君 を 中 核 と し て 総 親 和 の も と に 、 そ の 聖 旨 を 罷 す べ き を 理 想 と せ る 君 民 一 體 の み 國 ぶ り は 、 盡 く 佛 性 を 具 有 す る 同 人 格 の 一 切 有 情 が 、 本 體 界 の 一 眞 理 に 適 ふ べ き を 中 心 に し て 、 十 善 業 道 を 初 入 と し て 生 活 進 趣 す る 佛 凡 一 如 の 様 に 合 致 せ る が 爲 で あ る 。 も と よ り 、 佛 教 東 漸 の 頭 初 に 於 て 、 英 適 聖 徳 皇 太 子 が 小 乗 教 を 捨 て 玉 大 乗 佛 教 を 選 は せ た ま ひ し を 和 と し て 歴 代 皇 室 の 厚 き 御 信 仰 と 辱 き 御 庇 護 、 乃 至 先 賢 古 徳 の 國 體 に 對 す る 深 き 認 識 と 、 佛 教 と の 同 和 へ の 努 力 の 、 與 つ て 力 の 大 な り し は 勿 論 で あ る が 、 広 と も と 高 踏 な る 佛 教 の 教 理 そ の も の が 、 我 が 日 本 の 國 體 と 合 致 せ る に 依 る の で あ る 。 佛 教 の 理 想 と 國 本 と が 合 致 す る は 、 即 ち 大 日 本 帝 國 が 眞 理 の 代 辯 者 と し て 立 て る に 由 來 で る の で あ る 。 ﹁ 日 域 大 乗 相 應 地 ﹂ と は 、 誠 に い み じ く も 麗 し き こ と ば な る か な 。 這 般 の 消 息 の 一 斑 を 徴 せ ん と 欲 し て 、 魯 鈍 を 省 み す 、 太 邦 へ 佛 教 輸 入 の 最 初 に 夙 に 渡 來 せ る ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ に 於 て 、 佛 性 の 如 何 に 顯 現 せ る や を 知 ら ん と 企 て 、 聊 か 叙 述 を こ ゝ に 運 ん だ の で あ る 。 述 ぶ る 所 悉 く 論 の 丈 誰 に 據 つ て 毫 釐 も 私 の 意 を 雑 へ ざ る を 期 す と 雖 も 、 恐 ら く は 論 意 を 謬 解 し 幽 旨 を 錯 誤 せ る も の 、 一 再 に し て 猶 停 ま ら ざ ら ん か を 惧 る ゝ も の で あ る 。 伏 し て 論 主 の 、 破 三 昧 耶 の 罪 を 冥 恕 せ ん こ と を 乞 ひ 奉 り 、 仰 い で 見 諦 の 阿 闇 梨 耶 の 、 示 教 に 吝 な ら ざ ら ん こ と を 冀 ふ 次 第 で あ る 。 昭 和 十 四 年 五 月 念 四 稿 大 乗 起 信 論 に 顯 は れ た る 佛 性 一 〇 一

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