釈
尊
私
観
袴
谷
憲
昭
︵ 駒 沢 大 学 ︶ 本学会における今年度の共通の発表テ l マは﹁釈尊観﹂であるが、筆者の論題は、それに唯だ一字﹁私﹂を加え たのみであるから、敢えてかかる微妙な違いを選んだ由縁をこそまず始めに断っておかねばなるまい。 極普通に考えれば、私に向って﹁釈尊観﹂を述べよという問いが投げ掛けられた場合、私が釈尊に対して日頃考 えている私なりの観方や関わり方を述べるのが最も当り前な答え方である以上、なにも﹁私﹂などという字を﹁観﹂ の前に大げさに書き立てる必要はないはずである。しかし、今の学会が、必ずしもそんな尋常な答えを期待してい るわけではあるまいということになれば、話は忽ち厄介なことになる。通常の意味で﹁観方﹂や﹁考え方﹂という 言葉を使うならば、それは、私が対象をむかえていかに思いめぐらし、 いかに関わりあっているかということを表 わしていなければならないT
︸が、今日の文献学を主流とする我々の学問は、客観的な正確さを獲得せんがために、 そういう対象との関わりをむしろ断とうと望んでいるから、 ﹁ r h ゴ 4 ﹂ の出る幕などはほとんどないといってもよいほ ど で あ る ︵ 2 ︶ 。 このような状況で、﹁釈尊観﹂などというものがテ l マになれば、それに対する利巧な答え方は自ず と 決 っ て く る 。 ﹁私﹂の出番を極力避け第三者の眼を通して﹁釈尊﹂について述べるか、 第三者の﹁観﹂ずら取ら 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 九釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 二
O
ず当の﹁釈尊観﹂の基礎となる文献や言語の客観的分析に終始するか、大勢は、結局そんなところへ落ち着かざる を え な い ︵ 3 ︶が、利巧ぶらずに愚直にまともに答えようとすれば、当然、事態は﹁私﹂なしではすまされまい。勿論 充 分 で は あ り え な い が 、 筆 者 の 論 題 は 、 そのような、﹁私﹂なしではすまされない極普通の答え方にできるだけ尋 常に努めてみたいという、﹁私﹂なりの姿勢をはっきり示しておこうとしただけのものにほかならない。 さ て 、 過去の偉大な思想家に思いをめぐらそうとして、﹁私﹂を前面に押出さざるをえないとすれば、 まず私に 気にかかってくることは、その思想家が時聞をどのように捉え言葉をとのように扱っていたかという点なのである。 そのような﹁私﹂なりの観方からすれば、 釈 尊 は 、 ﹁ 無 常 ︵ 由 民n
2
8
5
− 同 ︶ ﹂ と い う 時 間 の 動 き そ の も の か ら 決 し て 眼を逸らすことなく、それをあるがままに観据えた強靭で透徹した智慧の立場から、逆に﹁無常﹂という現実から 知らず識らずのうちに外れてしまって既成の問題に関して簡便な言葉による解答を求めてくるものたちに対しては、 ﹁ 無 記 ︵ 同4
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当E
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︶﹂というきっばりした態度によって、あたかも物体のように客観化された言葉を容易に 操る人の性癖を否定しながら、なおかつ﹁無常﹂に即して尋常で柔軟な言葉を語りかけ続けていった人に違いない と思われてくる。しかし、﹁無常﹂や﹁無記﹂に基づいて、このような﹁私観﹂を述べると、﹁無常﹂はともかくと し て 、 ﹁ 無 記 ﹂ に つ い て は 、 それが釈尊の根本的立場であったかどうかは文献学的に結論づけられたものではない と の 批 判 ︵ 4 ︶が返ってくることは充分予測されうるのであるが、 それを無視するわけではないにせよ、﹁私観﹂と断 った以上、本稿では、この種の問題を正面切って論ずることはせず、この点に関しては、筆者も、先学の見識に従 って、﹁無記﹂を釈尊の根本的立場とみる見解にひとまず与した上で事を進めることにしたい。 ﹁ 無 記 ﹂ と は 、 い う ま で も な く 、 その当時インドで行われたと考えうる二律背反的命題に対し、 釈尊が﹁直接の解 答 を 斥 け た ︵ 白
4
司 書a p
国4
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− 無 記 ︶ ﹂ 事 態 を 指 す 。 その命題の立て方は諸文献聞においてかなりの相違が認め られ、そこに、先のような文献学上の困難な問題も介在してくるわけであるが、 かかる文献のうち、所語初期仏教 資料については、一二校充恵教授によって網羅的に蒐集され、整理分類されて提示されている︵ 5 ︶ の で 、 今 は か か る 資 料 批 判 的 な 立 場 を 離 れ 、 むしろ一般的な命題の立て方を理解してもらうべく、後代の文献から、最も周知され整備 された型での﹁十四無記﹂を紹介しておけば次のとおりである︵ 6 ︶O 付 ︵1
︶ 世 界 は 永 遠 で あ る ︵ 凹 忠4
主 。Z
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︶ 、 ︵2
︶ 世 界 は 永 遠 で な い ︵ 包 鼠g
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、 ︵3
︶世界は永遠でもあり 永 遠 で も な い ︵ 釘 守 呉 国 恥 ロ 依 卸 小g
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︶ 、 ︵4
︶世界は永遠でもなく永遠でないのでもない︵ロ陰g
釘 町 民 。 ロ m w h F M 山 恥 4 白 件 何 回 仇 v n 白 −o w
回 目 同 ︶ 。 ∞ ︵5
︶ 世 界 は 有 限 で あ る ︵ 白 ロS
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M ︶ 、 ︵6
︶ 世 界 は 無 限 で あ る ︵EE
件 当 官Z
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︶ 、 ︵7
︶世界は有限でもあ り 無 限 で も あ る ︵ 同 三 同 誌 信 恥 ♀E
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雪 印 召 恥B
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w ︶ 、 ︵8
︶ 世 界 は 有 限 で も な く 無 限 で も な い ︵ 白 色4 E
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ロ ロ 宮E
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︶ 。 同 ︵9
︶如来は死後に存在する︵害当主S
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担 宮 ザ 宮g
召B
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同 恒 伊 丹 ︶ 、 ︵ 叩 ︶ 如 来 は 死 後 に 存 在 し な い ︵ ロ 阻 害 君 主S
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仙 何 回g
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宮 店 召 自 由 司 君 主 、 ︵ 日 ︶ 如 来 は 死 後 に 存 在 も し 存 在 も し な い ︵ 宰 雪 国 広255
理 由 民S
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副 官 宮 廿 宮g
召 自 由 ﹃ 同 信 仰 同 ︶ 、 ︵ ロ ︶ 如 来 は 死 後 に 存 在 す る の で も な く 存 在 し な い の で も な い ︵ 白 色S
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雪 国 己E
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昨 日g
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帥 ・ 関 白 白g
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宮 司 同 召 宮 田 円 曲 恒 間 同 ︶ 。 同 開 ︵ 臼 ︶ 霊 魂 と 肉 体 は 同 一 で あ る ︵ 曲 目 ] 同g
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岳 民 町 田 昌 ︶ 、 ︵M
︶ 霊 魂 と 肉 体 と は 別 異 で あ る ︵ 白 ロ 苫 コ 4 0 . 口 百 円n
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円 ヤ 門 官 ロ ︶ 。 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 右のようなけ|帥にわたる二律背反的命題に対して、釈尊は直接解答するのを斥けたわけであるが、その命題の 立て方に関して文献問にかなりの不一致がみられるにもかかわらず、 かかる﹁無記﹂の態度のうちに、釈尊の根本 的立場を読み取ろうとする学者はむしろ多いとさえいえるかもしれない。しかし、多くの学者が同じ﹁無記﹂に注 目したからといって、その解釈まで必ずしも同じだというわけにはいかない。そのような従来の解釈の相違を追っ て い け ば 、 かなりの量になるかもしれない︵ 7 ︶が、それらを網羅的に取上げて言及することは、もとより本稿の目的 ではない。そのうえ、従来の﹁無記﹂に対する解釈は、これから述べようとする筆者の﹁私観﹂からみれば、その 種々の相違にもかかわらず結局は大同小異とみれないこともないので、ここでは、筆者なりに避けては通れぬ代表 的解釈のみを取上げて論評してみることにしたい。 この際、真先に取上げるべきは、和辻哲郎博士の解釈だと思われる︵83 ﹂れは、﹁無記﹂に関する従来の解釈を 総合的にしかも批判的に扱いながら、それらとは一線を画する独自の見解を始めて明白に提示したものだからであ る。この点は、恐らく今日でも変らず、それ以降の大同小異の解釈の中でもやはり群を抜いているといわねばなら ない。﹁無記﹂を釈尊の根本的立場と見倣す和辻哲郎博士は、﹁形市上学的問題に対する沈黙の意義﹂としてこの課 題を受け止め、釈尊が寸無記﹂によって﹁哲学的思索を斥けた﹂と主張するベック︵出・
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︶ 、 ワ レ ー ザ ー ︵ 冨 ・ 羽 田 − E−
m m 叩 吋 ︶ 、 オ ル デ ン ベ ル ク ︵ 悶 ・0
5
巾 ロσ
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同 ︶ な ど の 見 解 を 批 判 し ︵ 9 ︶、釈尊は、二律背反的命題を、﹁実践的理由からでは なく、真の認識に関する理由から斥けた︵叩︶﹂として、次のように結論づけている五︶。 ﹁ 経 典 に 描 か れ た る ブ ッ ダ ﹂ は 、 前掲のごとき問題に答えなかったとともに、 その答えぬ理由を言わば二律 背反に基づけているのである。我々はこの記述の中からとの程度に歴史的ブッダを見いだすべきかは問うまい。ただしかしこの記述を根拠としてブッダが哲学的思索を斥けたとは言い得ぬ、 という事だけは主張したいと思 ぅ。経の描けるブッダは哲学的問題を避けたのではない。前掲のごとき形而上学的問題が真の哲学的問題でな いゆえに答えなかったまでである。従って真に哲学的問題たり得るのは、無我、 五趨、縁起等において取扱わ れた問題にほかならぬ。 ところで、右の引用文を注意深く読めば分るように、和辻博士は、ここで、 いかなる形而上学的問題も真の哲学 的問題とはなりえないと言っているわけではないので、博士が、形而上学全般を釈尊から完全に締め出してしまっ たとは直ちに考えられないのであるが、 他 の 箇 所 で は 、 ﹁無記﹂を巡る毒矢の比喰のうちに﹁形而上学的問題が真 の認識の道ではないという意味﹂を汲み取ろうとしたりしている︵ぎので、 博士の解釈から、﹁釈尊は真の認識や真 の哲学とは取り組んだが形而上学そのものは捨て去ったのだ﹂という結論を導き出したとしても止むをえないとい える側面があるのである。事実、和辻博士以降に示された諸学者の見解は、明らかにかかる側面を強めたと見倣し h ﹁ ノ 4 G
。
例 え ば 、 釈尊や原始仏教の思想研究に関して画期的な業績を著わされた水野弘元博士や中村元博士は、﹁無 記﹂に関する見解を次のように述べておられる。 釈尊が形而上学的な問題を排斥された理由としては、第一にはこのような形而上学的な問題は、我々の認識 や経験の彼方にあるのであるから、我々は絶対にこれを解決することが出来ないからである。︵中略︶第二の理 由 と し て は 、 かりに一歩譲って、このような形而上学的問題が解決され得たとしても、それは我々の不安苦悩 の解脱には何等の役にも立たないからである臼︶。 ゴ l タマ・ブッダば形而上学的問題に関する論議を避けて、人間存在の深奥さを見通した八四種の真理﹀の 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 二 四 説ーーそれは実践的性格のものであるーーをたもつべきことを教えているのである
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。 ゴ l タマ・ブッダは、当時の諸哲学説と対立する何らかの特殊な哲学説の立場に立って新たな宗教を創設し たのでもなく、また新しい形市上学を唱導したのでもない。かれは二律背反に陥るような形而上学説を能う限 り排除して、真実の実践的認識を教示したのである。それは﹁法を観る﹂立場である。それは人生の如実相を 教えるとともに、人聞の実践すべき真実の道であることを標携している︵時三 これらの見解が、釈尊の﹁無記﹂を形而上学そのものの否定だと見倣す視点を強めていることは明らかであるが、 また、それに伴って、その理由を苦悩の解脱や実践的認識という実状に訴えようとする度合をも強めていることは 見 逃 せ ま い 。 この度合が強まれば、﹁無記﹂における返答拒絶の理由を﹁実践的理由からではなく、 真の認識に関 する理由から斥けた﹂とする和辻博士の最も採るべき解釈さえむしろ後退させられてしまうことになると思われる からである。しかし、こういう後退現象を引き起さないためには、博士自身が、もっと明確に言葉を選んでおく必 要があったのではないかという気持が痛切に湧いてくる。和辻博士の件の解釈を辿っているうちに、博士が﹁釈尊 は偽の哲学を避けたが真の哲学を斥けたのではない﹂とか﹁釈尊は偽の認識を避けたが真の認識を斥けたのではな い﹂とでも言いたげに振舞っているように感じられてくるのは、筆者のほうが醸臨としているせいであろうか。し か し 、 もしこのように理解することが必ずしも誤りでないとすれば、 ﹁釈尊は偽の形而上学を避けたが真の形而上 学を斥けたのではない﹂と言ったところで五十歩百歩であろう。とはいえ、なにも筆者は、人の解釈を五十歩百歩 の表現に落しめて喜ぽうとしているわけではなく、こうした言い方をしたほうが、なにが真の哲学であり、なにが 真の認識であり、なにが真の形而上学であるかという根本的問題と正面から誤魔化さずに向き合うことができるのではないかと思っているにすぎない。 そ れ を 、 ﹁釈尊は形而上学を避けたが哲学を斥けたのではない﹂などという ような言い振りになりかねないような方向に解釈の余地を残すと、形而上学を不当に軽んずるばかりか哲学につい でもなにを考えているのかわからないような独断と偏見の横行を許すことになりはしないかという思いに駆られて くるのである。もしも、 か か る 一 一 一 口 い 振 り に 独 断 や 偏 見 が 含 ま れ て い な い と す れ ば 、 どこかで形而上学と哲学との違 いがはっきりと示されていてもよいはずであるが、筆者自身はそのような明白な区別に出合ったこともないし、ま たそういう区別が必要であるとも考えたことはない。全くの単純素朴さをもって、釈尊が哲学を斥けたのでなけれ ば、形而上学も斥けはしなかったと考えているだけである。だから、先に引用した言葉尻を捕えて、それを逆に授 じ曲げるような気持は全くなくて、 た だ 卒 直 に 、 ﹁釈尊は当時の思想界に対して自らの新しい形而上学を唱導した のであり、それが無常という観方であった﹂と見倣すことにしたいと思う。このような筆者の見解は、例えば、和 辻博士の﹁真に哲学的問題たり得るのは、無我、五描、縁起等において取扱われた問題にほかならぬ﹂というよう な 捉 え 方 と 、 一体どこが違うのかと誘る向きもあるいはあるかもしれない。もとよりその気になれば、 いかなる辻 棲も合わせることは可能かもしれないが、ここで最も大きな違いと見るべきは、和辻博士の場合には、釈尊が形而 上学を唱導したと明言したことは一度もなかったということである。また、先に筆者が、和辻博士以降の﹁無記﹂ の解釈について大同小異というような表現を用いたのも、まさしくこの一点にかかわるものであることは言を侯た ない︵日︶。なお、従来の解釈の中には、釈尊が形而上学を唱導したなどと言うどころか逆に形而上学を否定したと極 付けるほうが多かったわけであるから、その形而上学否定の理由をもって、釈尊をカントに擬えようとする傾向も また強かったわけである。さすがに、 西洋哲学に通じていた和辻博士は、互いの思想史的特質を考慮することもな 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 二 五
釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 一 一 六 く釈尊をカントに擬えようとする傾向にははっきりと警告を発していたのであるが、博士とて両者の類似を完全に 否定し去ったわけではなく言外にはむしろ類似を認めてもいいような含みすら漂わせている︵立。その結果、博士以 降の解釈の中には、決して数は多くないけれども、両者の類似を明確に指摘する見解も披涯されるようになってい ったのだと思われる。ここでは、参考までに、その代表的なものを掲げておくことにしたい
2
1
この形而上学否定の仏陀の立場は、恰かもカントが彼以前の哲学説としての唯物論や唯心論などをば、経験 の彼方にある問題であるから、解決不能の形市上学であるとして、これを排斥したのに似ている。カントが更 に我々の経験の外にある物自体をも、その存在は想像したとしても、これに対する言明や研究を避けたのもそ の た め で あ る 。 さ て 、 カ ン ト ︵ 同 ・ 同 国 ロ 門 ︶ が 、 従 来 の 形 而 上 学 ︵ 宮 広 告S
回 目 宵 ︶ を 批 判 し 、 そ の 批 判 ︵ 同 ユ ECJT 通して新たな形而上学 の確立を図りながらも、 物 自 体 ︵U
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自 由 同 n F ︶ は 認 識 す る ︵ 巾 持8
5
5
こ と 、 が で き な い と し た ︵ 印 ︶ こ と は 、 今更筆者 ごときが言う必要もないほど周知のことであろうが、物自体は認識できないという意味での形而上学の不可能|| このカントの提起した困難な問題をまともに受け止め、このカント的方向を逆転することによって形而上学︵日恥仲間・Z
3
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︶の本当の可能性を追求したのがベルグソン︵国・回2
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ロ︶であった︵怨ことはむしろ現今では忘れ去られて いるかもしれないので、この点をここでいくら強調しても強調しすぎることはあるまい。しかも、前述したような ﹁釈尊は当時の思想界に対して自らの新しい形而上学を唱導した﹂という﹁私観﹂を認めてもらった上で、釈尊を 敢えて西洋哲学史上のだれかに比較するとすれば、それはカントではなくベルグソンでなければならぬと思われる のであるが、それはともかくとして、今は、釈尊の﹁無記﹂をかなり大きく取り扱いながらこの二人の哲学者にも関 説 し て い る ム ル テ ィ ︵ 吋 ・ 戸 ︿ ・ 富 民 昨 日 ︶ 教 授 の ﹃ 仏 教 の 中 心 哲 学 ﹄ 吋 宮 内 向 ミ ミ 旬 、 ﹄ ミ
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ミ
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N W N h 与ささ悼を批判 的に取上げてみることにしたい。本書は、その関連分野においてはかなりの評価を得た書物と思われるにもかかわ らず、筆者からみれば、当初からあまり賛同できるものではなかった五︶が、今回、新たにベルグソンに関する言及 を読むに至り、その適切さを欠いた評価を黙って見過しておくわけにはいかず、敢えてここに取上げてみようとい う気になった次第である。 ム ル テ ィ 教 授 は 、 彼以前の﹁無記﹂に関する代表的三つの解釈l
即 ち 、 実 践 的 と 解 す る も の ︵ 門 官 官 出 注 目 日 ︶ 、 不 可知論的と解するもの︵己5
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2
芝 、 拒 絶 的 と 解 す る も の ︵ 己 出 口 市 宮 己 認 ︶ を 批 判 し て 次 の よ う に 述 べ る ︵ 辺 ︶ 。 この三つやそれと類似した解釈は仏陀の教えや仏教諸学派の教義と一致してはいない。我々は、哲学、即ち 実在に対する究極的な評価を含まない生き方などもちえない。人の心は宙ぶらりんでどんどん後まわしになる ような状態に長いこと留まっていることはできないのである。 そんな状態には動物のほうこそ留まってはいられないと思うのであるが、 こういう処世的な視点から、同教授 は、釈尊の﹁無記﹂のうちに﹁哲学的意識のまったく高度なレベル︵山正ミ広岡v
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− え 耳 目z
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凹 門 戸0
5
5
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︶ L を読み取ろうと努めながら、最終的には次のように結論づけている︵包。 かくして、仏陀の沈黙︵ H 無記︶は不可知論とは解しえない。なぜなら、 不可知論は一種の懐疑と断念の態度 であるが、仏陀の返答は決然としたものだからである。また、仏陀の態度は判断保留にほかならないとか、彼 は真理を公けにすべきもっとも適切な機会を待っていたのであるとかいうことも真実ではない。仏陀は、なん らの条件もつけず公開未公開といったようないかなる区別もつけずに真理を説き、拳を握りしめた︹ケチな︺ 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 七釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 八 教師のようになにものも引込めておきはしなかった︵包、と明白に説かれているからである。更に、仏陀の沈黙 は形而上学︵
5
2
者﹃盲目門的︶についての無知なのでもない。仏陀は当時の哲学的思弁に通じていたのみならず、 彼自身もかなりレベルの高い形而上学者だったのである。仏陀は、その透徹した分析によって、理性︵河g
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ロ ︶ の独断的手続を破棄し越えた立場に到達したのであった。 彼の思弁的形而上学官官E
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宮 市 自 己 昌 喜 田 宮 ︶ の 拒 絶は熟慮して堪えぬかれたものであり、批判定吾庄田昌︶それ自体が彼の哲学なのである。 右の表現中には、 ﹁思弁的形而上学の拒絶﹂などという言葉も使われているが、 一 見 し た と こ ろ 、 形市上学を釈 尊から完全に締め出そうとする姿勢はそれほど顕著ではない。しかるに、更にその傾向を精一杯好意的に解釈して、 ムルティ教授が釈尊に形而上学を認めていたと推測したとしても、その場合の形而上学とはカント的な批判哲学で なければならないこと、 ムルティ教授の論述上明らかである。教授は﹁︵釈尊の︶無記︵同4
県立とがカントの有名な 二律背反や中観派の四句分別︵円三s
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︶に類似していることに我々は必ず驚かされるにちがいない︵およ と し て 、 これら三者の類似を、 むしろカントを中心に積極的に押し進めているほどであるから、このカントの批判者たるべ ルグソンのことなど、真面目な意味では始めから眼中になかったのかもしれない。とすれば、そういうベルグソン 評を正面切って取上げる必要もないわけであるが、釈尊がその当時にあって全く新たな形而上学を提示したと信じ、 その形而上学提示の意味合を、 西洋哲学における、 カントを含んだベルグソン以前の哲学に対して、ベルグソンの 形而上学が果した役割と同質のものでなければならないと信ずる筆者の﹁私観﹂からすれば、その意味合をまとも に考えもせずに批評がましく論及したものがあれば、 いかに些細なものであろうと見逃すわけにはいかない。 ム ノ レ ティ教授が、実際ベルグソンに言及しているのはたかだか二箇所だが、そのいずれもベルグソンの著作に直接触れることはなく、そこにはむしろ邦捻的調子の方が色濃い。特に、次に示す箇所はほとんど邦捻そのものと言っても よ い ほ ど で あ る ︵ お ︶ 。 反概念主義にもかかわらず、中観派の悟性的直観︵仲宮古芯ロ
2
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白 ご ロZ
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ロ ︶ ︵ 幻 ︶ は 、 直 観 に 関 す る ベ ル グ ソ ン 的見解と混合されてはいけない。ベルグソンにとって、理性は事物を空間化し、運動である実在、生命原理で あ る 生 命 の 躍 動 ︵ 恥 な お 叉 H a O J T 凍 て 付 か せ る 。 ベ ル グ ソ ン に よ れ ば 、 実 在 ︵ 昨 日 回 目 悶 S H ︶ は 、 ただ共感して自らを それと同化させることによってのみ了解されうる。 ベルグソンが示唆する実例や進化過程に関する彼の解釈か ら み て 、 彼にとっての直観とは本性上本能的なもの︵言ミミミ言。であり、 その立場は劣合理的なもの︵言、や 遣ささ町︶なのである。︹だから︺、ベルグソンは我々が鳥や昆虫のレベルまで沈み込むのを望んでいるのだと言 つでもそれほどひどい誤りにはなるまい。ベルグソンはこの能力を獲得したり理性を抑制したりするためのい かなる方規も指示してはいないのである。他方、中観派の般若︵耳目吉山︶は本能的なものではなく、また、 か なる生物的な力︵E
O
件 付 伊 丹 巾 ︶ と 同 一 視 さ れ る こ と も あ り え な い 。 それは、超合理的なもの︵曲名p
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広 。E
] ︶ な の で あ る 。 筆者の単なる誤解ではないことを示すために、必要な一節を全て引用したが、その榔捻の仕方は、例えば、ラッ セ ル ︵ 切 − K F ・岡山5
2
3
が 、 ﹁ ベ ル グ ソ ン に と っ て は 、 進 化 と は 、 一方では知性でその最高頂に達するが、 ﹂ れ は 数 学 者において完全な発展に到達し、 もう一方の本能では、 その最高段階は蜜蜂と蟻とそれからベルグソンに見られ る︵お︶﹂と言ったというような話を思い起させる。しかし、世間話や舞台裏での中傷ならまだしも、公けの書物にそ れに類する話を堂々と書き記す神経には脱帽するほかはないが、もしただの中傷でないとすれば、 どこでベルグソ 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 九釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶
。
ンがその直観を鳥や昆虫の本能に類する容易な能力だなどと言ったかを明示する必要があるのである︵却︶。ベルグ ソンの直観が決してそんな容易なものではないことは、愛情をもって少しでもベルグソンを読みさえすれば誰にだ ってわかることであろうから、 ムルティ教授はベルグソンを読まずに口を利いているとすら思われでも致し方ある ま い 。 さ て 、 ベルグソンの直観︵Z
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−
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5
に つ い て は 、 既に筆者なりに言及したこともある︵初︶ので、 ﹂こではこれ以 上述べないが、右所引の中傷めいた箇所はともかくとして、他に誤りとしてはっきり指摘しておいたほうがよいと 思われる言い振りを一つだけ取上げておきたい。 ムルティ教授は、右の箇所で、ベルグソンが理性を抑制すべきも のと見倣したかのように扱っているが、 彼が理性や悟性︵E
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悶g n
巾︶をそのように見倣していた事実はない︵色。 彼はむしろ悟性の正常な働き︵︼四件g
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回 二
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− − 丘 町 −E
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をはっきりと認め、 その功利的な生態をあばいた 上で、それを形而上学に持ち込んではいけないと言っただけで、それを抑制しろとか放棄しろなどとは言ったこと もないのである詰︶。このような悟性と直観との質的な働きの違いについて明白に弁えた上でなければ、運動︿ B o z − 4 0 B 8 3 や変化︵n v
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巾S83 の問題について当人はベルグソンを遺込めた気になっていても、その実はただ己れ自 身が通常の悟性的働ぎにしがみついているだけといった状態を曝らしている場合も意外に多い。 ムルティ教授が、 ベルグソンに言及するもう一つの箇所は、先の場合よりはかなり真面目ではあるにしても、 まさしくかかる弱点を 露にしているように思われる。 教 授 は 、 ナ l ガ lルジュナ︵龍樹︶の移動言。E
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と 休 止 ︵ 吋2
3
についての弁証法 的問題に関連した箇所で、 ゼノンに言及し更にベルグソン的考え方を取上げながら次のように述べている︵8
0
アキレスと亀、あるいは飛んでいる矢などといったあの選ばれた実例に含意されているゼノンの論証は、任意の二点聞における空間が無数の不連続点よりなっているということであり、またこれらの点がある特定の時 間内に算え上げられたり完全に仕上げられたりすることはありえないということなのである。ベルグソンばり の 入 手 ∞
2
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ロ︶なら、これに対し次のように答えるかもしれない。このようなことは時間や運動の不当な空 同化であり、運動は、その各々が静止し枯渇している不連続で引離されてしまったいくつかの実体に細切れに そ れ は 理 解 さ れ ︵ 門 言 内 ミ ミ h N ︶えないけ されることはありえない。 運動とは一つの押し流れていく行動である。 れどもただ﹁感じられ﹂その中で生きられることはできる。中観派の論証は、このようなベルグソン的立場に 対してもまた暗黙の答えを含んでいる。もしも運動が、生きられ感じられる表現不可能な一つの全体だとすれ ば、仮定上、 我 々 は 、 いかなる二つの運動も比較できないことになるし、 過去、末来、現在という区別をな すこともできないことになる。かくして我々は、ある移動が早いか遅いかを知ることさえできないのである。 ︵ 中 略 ︶ 概 念 ︵n
g
B
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仲 間 ︶ な し に は 空 間 も 時 間 も 事 物 も す べ て 見 分 け の つ か な い ぼ ん や り し た 魂 ︵ 出 口 町 昆 王 宮 雪 山 田 町 目 出σ
戸 内 B g m ︶の中にかき崩れていくであろう。 ﹁すべてがぼんやりした魂の中にかき崩れていく﹂ベルグソンの場合とは異って、 中観派に従いさえすれば、 つの運動を比較したり一一一時を区別したりすることが容易になるなどと筆者もムルティ教授に賛同して思っているわ け で は な い が 、 ﹂こではそれを不同に付すとしても、ベルグソンが、 運動は理解され︵n
g
B
守邑︶えないと見倣し たとか、概念︵n s
n a
g
︶を不当に低く扱ったとかいうような一言明は全くの事実無根として避けられねばならない。 先にも述べたように、ベルグソンは、倍性の正常な働きをあくまでもはっきりと認めているのであって、理解や概 念をただ闇雲に葬り去ろうとしているわけではない。 その悟性の正常な働きにおける ﹁ 理 解 ︵n o
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回 目 片 足 ・ 知 る ご と 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ は 、 事 物 ︵ 円 吉 田 刊 明 ︶ か ら 概 念 ︵
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へ行くことではなく、概念から事物へ行くことであって、 つまりは、出来合 の概念を持ってきてそれを調合し結合して実在的なものの実用的等価物︵5
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色 町 三 官 弘EEE
広島を得ょう とすることなのであるa
︶。この働きが正常であるということは、勝手に葬り去ることもできないということなので あ る が 、 ただし、時間や運動をその本当の持続において捉えるためには、この正常な働ぎを逆に使わねばならない というところに厄介な点がある。後は、その困難に耐えさえすれば知覚能力の拡大2
5
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ロ 氏 自 色g
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含 含 回 出 店 開 405 は充分可能なのだ︵お︸。それは決して暖昧なものではない。しかし、ここで、あくまでも悟性の正常な働 きにしがみつこうとする眠から逆の場合を見ると、すべてが比較の視点を失って﹁見分けのつかないぼんやりした 塊の中にかき崩れていく﹂ように見えるほかはないのである。しかし、 ムルティ教授のように、そういう立場に固 執しながらものをいう人もいることをベルグソンが知らなかったわけではない。ここで、そういう人に対するベル グソンの危曜の念を辿っておくことも無意味ではあるまい︵お︶ O そ れ に し て も 、 形 而 上 学 ︵ 自 公 告 ︸ 同 志 向 宮 町 ︶ が 直 観 ︵ZE
− − 。 ロ ︶ に よ っ て 事 を 運 ば ね ば な ら ず 、 直 観 の 対 象 は 持 続 の 動 き ︵ E S o v − − 志 円 同 町 宮 内 凶 口 広 巾 ︶ で あ り 、 持続が本質上心理的なものだとすると、 我々は哲学者を専ら自分自 身 の 静 観 ︵ 円 。 丘 町 田 志 向 件 目 。 ロ ︶ の 中 に 閉 じ 龍 め る こ と に な り は し な い か 。 哲 学e
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ぽ︶というものは﹁睡気のさ した羊飼が水の流れを見ているように︵g
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巳 四 円 ︶ ︵ 釘 ︶ ﹂ た だ 生 き 行 く 自 分 を 眺 めていることになりはしまいか。さういう言い方をすると、私がこの研究の始めから絶えず警告して来た誤り に陥いることになる。それでは、持続の独特な本性を見損うと共に、形而上学的直観︵ごロZ
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︶ の本質上の能動的な特質を無視することになる。 そ れ で は 、 私の説く方法のみが、 観 念 論 ︵E
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︼ 宮 呂 町 ︶ と 共 に実 在 論 ︵ 円 合 − 25 巾︶を超越させ、我々よりも劣りかつ優った、 しかもある意味では我々の内部にある対象の存在 を確認させ、それらの対象を困難なく一緒に共存させ、分析が大問題の周囲に漂わせている数々の暗黒を消散 させるものだということが見えてこないのである。 このような懸念が既に当人によってはっきりと表明され、 形 而 上 学 が 、 ﹁睡気のさした羊飼が水の流れを見てい るように﹂対象を﹁見分けのつかないぼんやりとした塊の中にかき崩す﹂のでは決してない能動的なものであると 積極的に述べられている以上、当人の懸念以上の指摘も含まれないムルティ教授の批判なぞは然したる意味もない といわねばならない。なお、右の引用文中﹁我々よりも劣りかつ優った、しかもある意味では我々の内部にある対 象 の 存 在 令 市 弘 田 仲 間 口 円 四 円 。
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の テ i マ で も あ っ た ﹁ 姿 ︵ 吉 田 町 内 ︶ ﹂ 、 即 ち ﹁ 観 念 論 者 が 表 象 合 唱 広 忠 早 急 。 ロ ︶ と 称 す る も の よ り 以 上 で あ る が 、 実在論者が事物︵n
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︶ と称するものより以下である存在﹁事物﹂と﹁表象﹂との中間にある存在258
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︾ 巾 件 目 白 ︽ 円 昌 弘 田 町 三 国 巴 O ロ ︾ ︶ ︵ お ︶ L を指すと思われるが、 ﹂の主著は筆者にもまだ難解 な箇所が多く確信をもって言えることは少ないけれども、その﹁姿︵吉恒常︶﹂とは、哲学者たちの論争を知らない極 普通の人の常識︵R58
呂田同ロロ︶で考えられうるものを基点に置いたものであることは間違いない。そういう﹁姿﹂ をぼんやりしたものと極付けることはできないのである。また、右の引用文では、ベルグソンが、形而上学︵ B 肌g
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吾ぽ︶とをほとんと同じ意味に用いている点にも注意を促してもらいたいが、多いとはい 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 陪 ︶釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 四 えない紙幅が次第に余計な方向に逸れていきそうなので、話題を本稿のムルティ教授の引用に及ぶ前後の時点にま で 一 戻 一 す こ と に し た い 。 ム ル テ ィ 教 授 は 、 ナ l ガ lルジュナの移動と休止についての弁証法
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がゼノンの移動に対する論駁を思 わせるとし、更にその論駁が移動のみならずゼノンが実在と認めた休止にも及び、 かかる徹底した批判を通じて理 性の二律背反的性格︵己拓自己 H M O B−
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ロ︶に気づいていたのがナ l ガ l ル ジ ュ ナ で あ る と す る ︵ 扮 ︶ 。 このような博士のナ l ガ l ルジュナに対する位置づけは、その用いられている言葉遣いからみても明らかなように、 ﹃純粋理性批判﹄同ミ忠除、ミ若宮町おて尚喜 S N H−
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の第二部門、第二部、第三篇、第二章において﹁純粋理性の 二 律 背 反 ︵ 豆 町 ﹀ ロ 片 山 口 。 BU。
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︶﹂を克明に論じたカント︵紛︶と完全に重ね合わされたものなのである。 筆者は、先にも示唆したように、釈尊やナ l ガ l ルジュナをカントに見立てるほど誤解の甚しきものはないとすら 思っているが、それはともかく、筆者は、哲学史の流行や評価がどう変ろうと、行動に際して悟性の命ずるままに 身につけた習慣がそのまま思索に移される結果もたらされる二律背反は悟性を逆転することによって逃れることが で き る と な し 、 ゼノンによって提起されカントに至るまで引き継がれることになった運動や変化に関する問題の性 質を始めて根本的に見抜いた哲学者こそベルグソンではなかったかとの考えを持ち続けている。この点は、 ム ル − ア ィ教授が引き合いに出すのと全く同じゼノンやカントに触れながらベルグソンの言い振り、が全く異ったものになっ ていることからも窺い知ることができるのではないかと思う。ゼノンやカントに対するベルグソンの批判的位置か らいっても、彼らに対する言及はかなり多い方に属するが、今はそういう箇所の中から一つだけ煩を厭わずに長文 を引いてみることにしたい五三形而上学というものは、実際のところ、変化や運動に関するエレアのゼノンの議論から生まれた。ゼノンこ そ運動や変化と呼んでいるものの背理に注意を喚気して哲学者たちをプラトンを真先に引張って変化しな いものの中に辻棲の合った真の実在︵広田正念を求めさせたのである。 そ し て 、 カントは我々の感覚︵∞
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巾 ︶ が 事 実 上 、 本 当 の 時 間 、 つまり絶えず変化する時間の中に、 持続する持続の中にはたらいで いると信じたからこそ、また、 一 方 に お い て 、 カントは我々の感覚や意識の通常与えられている条件の相対性 ︵その上さらにカントの努力の超越的な術語よりも遥か以前に確立した相対性︶を見定めたからこそ、彼は、感覚や意識 の視覚︵丘回目。ロ︶と全く別の視覚なくしては形而上学が不可能だと判断したのである。ーところがその視覚は人 聞のとこそ探しても一つとして痕跡さえ見出せないというのである。 しかし、最初ゼノンが、次いで形而上学者一般が、運動とか変化とか考えたものは変化でも運動でもないこ と、彼らが変化の中から取上げているのは変化しないものであり運動の中から取上げているのは運動しないも のだということ、彼らが運動や変化の直接で十分な知覚︵U
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。ロ︶のつもりでこの知覚の結品化、実践を日 的とする固体化、を考えていることを確立することができるならば、ーまた一方でカントが時間そのものと思 ったものが流れもせず変りもせず続きもしない時間だということを示すことができるならば、その時こそ、 ゼノンが指摘したような矛盾から脱却し、 カントが我々の日常の認識にはっきものだと信じていた相対性から 遊離するためには、時聞から脱却する必要はないし︵我々は既に時間から脱却していたのだ︶、変化から遊離する必 要 も な い ︵ 我 々 は 余 り に も 変 化 か ら 遊 離 し す ぎ て い た の だ ︶ 。 かえって逆に、変化と持続の本来の動きを取り戻さな ければならないのである。 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 五釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ ノ 、 え− 0) ﹁変化と持続の本来の動ぎを取り戻すこと﹂こそベルグソンのいう形而上学にほかならないが、﹁無記﹂ と いう決然とした態度によって時間や変化から脱却する必要も遊離する必要もないことを一不し、﹁無常﹂を観ずること によって変化や持続の本来の動きを取り戻そうとした釈尊は、 カントのように形而上学の不可能を訴えたのではな く、むしろベルグソンのように形而上学の可能性をはっきりと身をもって示したといえるのである。勿論、釈尊の うちに、﹁その貫道する物は一なり﹂ とでも言いたいようなベルグソンとの精神的同質性を認めるのは筆者の ---i 私 観 L によるのであって、ベルグソン自身は釈尊に対して己れの形而上学と共感しうる面があるなとと示唆したこと はもとより釈尊の名前にすら言及したことはない。だから、ベルグソンが、あたかも寸フッダの存在は呼び声︵同署名 であった﹂と言ったことでもあるかのような記述︵包に出合うとびっくりしてしまうのであるが、多少仏教に言及す ることのある彼の最後の主著可道徳と宗教の二源泉﹄
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足立忌ミミねな hHRHNE ミ ヌ 内 含 誌 を 見 て も 、 彼の仏教一般に対する評価は必ずしも高いとはいえず、その知識も関心もむしろ極めて薄いとすらいってもよいか と思われる。しかし、それはなにもベルグソンが悪いわけではない。今世紀前半には︵あるいは今でさえてベルグソ ンの注意を引くような文体で仏教について述べられた書物が欧米にはなかったということも考えられるし、それに 第一、世界のあらゆる思想に通じていなければ、哲学や宗教に関する書物が書けないということもないからである。 否、むしろ、ベルグソンこそ、そんな風にして出来上った書物を最も嫌った人だと言うべきであって、彼はあらか じめいろんな思想に通じておいた上でそれらを整理しただけの、 ﹁一つの建築の材料として我々の利用する前から あった観念の巧妙な配置︵ERg
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︶ L にすぎないような書物は全く残していないことを思い知らねばならない。 し かも、この点を本当に思い知ったならば、 ベルグソンを好き勝手に持出してきて、彼を外側から釈尊と比較するよう な真似は到底できまい。そうするのを極力避けようとすれば、 どうしても両者の内側に入り込もうと努めねばなら
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ふ JttwB 明 日 吋 そういう努力を筆者は ﹁ 私 観 ﹂ と呼んでみたまでであって、 筆者自身はそれを独り善がりで身勝手な私 意だとは決して思ってもいないのである。そんな﹁私観﹂によって両者の内部に入り込もうとしてみると、釈尊の ﹁無常﹂の形而上学が、ベルグソンの﹁時間﹂の形而上学に自ずと呼応しあっているように観えてくるのであって、 筆者は賢しらに両者の比較などを試みようとしているわけでは決してない。 だが、非常に困ることは、筆者がこのように﹁私観﹂を強調すると、それはあくまでも筆者個人の恋意的な解釈 にほかならず、そのような﹁私観﹂がそもそも﹁無我﹂を説く仏教に適うはずがないというような、悟性の正常な 働 き ︵ ぽ 可 雪 印 口 同 M O B S − 含 コ ロ 丹 市E
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叩︶に訴えた詰聞がすぐにでも跳ね返ってきそうな気がすることなのである。 まるでこの場合の﹁私﹂と﹁我﹂が概念上も全く同じだといわんだかりの噛み付き方は大いにありえようが、実は そうすることによって倍性の正常な働きに順じて﹁時間﹂の外へ出てしまっていることにはなかなか気付きたがら ないものだということに厄介な側面があるといわなければならない。 し か も 、 このような傾向は ﹁ E 川 ﹁ 己 晶 π 一 一 三 日 ﹂ と い h つ 事態を知っていでさえ抜き難いものなのである。 例 え ば 、 ここに、﹁十四無記﹂中でも示されるこつの二律背反的 命題﹁世界は永遠であるa e
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︶﹂と﹁世界は永遠でない︵払弘S
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︶ ﹂ と が あ る と し よ う 。 いうまでもなく、この 二つは他の場合同様釈尊によって ﹁ 旺 凶 コ い ’ 週 日 吉 口 ﹂ という答え方によって斥けられたわけであるが、 一 方 で 釈 尊 は ﹁ 鉦 公 廿 巾 ︵g
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凶 ︶ ﹂ の 形 而 上 学 を も 説 い た の で あ る 。 し か る に 、 概 念 上 よ り い え ば 、 ﹁ 永 遠 で な い ︵ 同 釘 守 色 白 ︶ ﹂ と い う こ と も ﹁無常︵自石田︶﹂ということも同じような意味ではありうる︵台。ならば、同種の命題に対し、釈尊は、ある場合に 釈 尊 私 観 ︿ 袴 谷 憲 昭 ︶ 七釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ /¥ は﹁無記﹂をもワて臨み、他の場合には寸無常﹂の形而上学を積極的に説いたというような矛盾した態度に出たこ とになる。もとより、 かかる矛盾を指摘することも悟性の正常な働きからすれば当然のことなのであるが、この場 合も、﹁無常﹂を ﹁永遠でない﹂ことと同列に置くことによって﹁時間﹂そのものである﹁無常﹂からは抜け出て しまっているのである。 恐らく、釈尊は、﹁無記﹂という決然とした態度によって、 固定化されたものどうしを比 較し、あるものを他のものと同列に置いたり、あるものを他のものと同類の概念として集めたりする悟性の正常な 働 き を 逆 転 し て 、 ﹁時間﹂から決して外れないように、 持続そのものである﹁無常﹂の流れを内側から強靭な智慧 ︵ 吉 田
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−冒と旨︶によって観据えることを教えようとしたのだと思われる。ならば、これが、悟性を逆転し直観によ って持続そのものである﹁時間﹂の内側にとどまろうとしたベルグソンの形而上学と同質のものと映じてきたとし て も 、 それを単に筆者の勝手な思いつきと極付けることはできまい。 ﹁私観﹂が独り善がりの恐意的なものではな いことを強調するあまり、 多少繰言めいてしまったが、﹁私観﹂もまた﹁時間﹂の内側にとどまる限り、 時間と共 に絶えず練り直されねばならぬのである。釈尊が形而上学を説いたと安心してしまえるようなものは、もはやここ でいう形而上学ではないことを思い知らねばなるまい。 さ て 、 ﹁釈尊は形而上学を斥けた L という従来の見解に対して、 敢えて﹁釈尊は形而上学を説いた﹂という 「 私 観﹂を提起したが、それが単に奇を街ったものではない限り、箇々の文献に関する従来の解釈に対してもかなり異 った見解が一不されて然るべきである。しかし、それは箇々の場合に即したかなり具体的なものでなければ意味をな さないであろうから、本稿ではそのいちいちにわたることはできない。 ﹂ こ で は 、 ほんの二例ほどについて、﹁私 観﹂による解釈の一端を示唆的に簡略に述べておくにとどめたい。﹃ 法 句 経 ﹄
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むきさもお舎には、例えば、次のような有名な一頚があるお︶。 すべての作用は無常であると、強靭な智慧によって観据えるとき、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこ そ人が清らかになる道である。 このような一煩も、もし﹁釈尊は形而上学を斥けた﹂という立場から読むならば、これは形而上学とは全く関係 な い も の と な り 、 ただ無常であり苦である現実から逃れることがとりもなおさず実践的な道であるというような解 釈になってしまうかもしれない。しかし、ここには明白に﹁無常﹂の形而上学が説かれているとみるならば、人は ﹁無常﹂が観えずに悟性と共に﹁無常 L から出てしまうから苦しんでいることになる。 そ こ で 、 ﹁ 無 常 ﹂ を 観 据 え ることが﹁苦しみより遠ざかり離れる﹂ことであるとすれば、 ﹁苦しみより遠ざかり離れる﹂とは、 実 は ﹁ 盤 広 吊 ﹂ という時間の中に戻ってくることではないのか。そうならば、これは決して現実から逃れることにはなるまい。だ が、形而上学を斥けたという方向で考えると、 現実から逃れるという解釈に道を聞くことになり、 ﹁ 苦 ﹂ を 越 え て ﹁ 滅 ﹂ へ 到 達 す る と か 、 ﹁無常﹂や﹁無我﹂や﹁苦﹂を越えて﹁浬繋寂静﹂へ到達するというような解釈が大手を 振って闘歩するようになるのである︵包。かかる問題点を追っていけば、決して単なる一頭だけの問題には止まらな いわけであるが、深くは追わずに次の例に移ろう。 ﹁ 旺 川 コ い F & 釦 ﹄ れ 十 ヨ コ n H F を扱った文献でありながら、 ぞれが直面している事態を比喰的に表現しようとした二系統の文献が知ら れているが、その一つが前出の毒矢の比鳴であり、他方が﹁群盲撫象﹂として知られる比倫である石︶。今は、後者 を例に取っていささか﹁私観﹂を加えたい。この話は、通常は、生盲が象の部分に触れるのみでその全体を知らな いように、形而上学者が部分的真理しか知らないで各々勝手なことを主張している様子に警えたものと解釈されて 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 九釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 四
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いる。この解釈に殊更誤りがあるわけではないが、この話が形而上学全体を否定したものと解すなら事情は大いに 異 っ て く る 。 ﹁ 私 観 ﹂ に よ れ ば 、 この比倫は本当の形而上学の必要を示唆しているようにさえ思われるからである。 この比喰は、筆者には、直ちに、 ベルグソンの述べる、。ハリを写した外国の画家のスケッチ、 一つの詩のばらばら に さ れ た 文 字 、 ジグソー u パ ズ ル ︵ ロ ロ ]2
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円 相 ︶ の 片 々 な ど の 比 轍 ︵ 必 ︶ を 思 い 起 さ せ る の で あ る が 、 こ れ ら の 比喰によって、ベルグソンは、形而上学にとって最も重要な全体の直観がまず与えられていればその部分に及ぶこ とは可能であってもその逆は不可能であることを明示しようとしている。これは﹁直観からは分析︵日悟性︶へ移れ る け れ ど も 、 分析から直観へは移れない︵号コロZ
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− 可 田 町 昨 コ ロ 宮 山 ・ 己。ロ︶︵必︸﹂というベルグソンの根本的な考え方に直結する重要な比倫なのである。そういうものと酷似した比輸を 全く反対の形而上学否定の比聡と解することは、筆者の﹁私観﹂からすれば到底できそうにもない。 ところで、このように﹁私観﹂を強調した場合に、現今の学界で厭み嫌われることがもう一つくらいはありそう で あ る 。 恐らく、学界の通念というものは、﹁私観﹂を加える前に、 まず客観的な資料の検討がなされねばならな いと要求するかもしれないし、特に釈尊についてなにかを言おうとする今のような場合には、釈尊の言葉に近い資 料が客観的に選別されるのが先決だと当然のような権利を突き付けてくるかもしれない。格別そういう主張に誤り があるとは思えないが、 そういう通念に染っているうちに、 ﹁私観﹂を取り除きさえすれば客観的成果が﹁私観﹂ を雑えずに自ずと現われてくると思い込ませるようになるところに現今の学会の避け難い体質が横たわっているよ うに思われる。恐らく、そういう考えの背景には、研究の方法さえ正しければ、成果は個々人の﹁私観﹂とは関係 なく臼ずと挙るはずのものであって、客観的で実証的な成果が得られないのは正しい方法が適用されていないからであるという方法論が深く根を張っているのだ。釈尊の言葉に対してもかかる方法論が依然正論であることは論を 侠 た な い が 、 し か し 、 それにしても、﹁私観﹂を雑えずに釈尊の言葉を読むことなど果してありうるのであろうか。 この間いは決して避けては通れぬと感ずるところに﹁私観﹂を練る道が残されているように思われる。 最後に、右の問題に根本的に係っていると忠われるベルグソンの言葉を、 かなり長文にわたるが、敢えてそのま ま引用して本稿を閉じることにしたい。因に、これは、ベルグソンが彼の形而上学における方法とでもいうべき直 観についてかなり具体的に﹁私観﹂を述べたものである︵担。 この︹直観的︺能力︵
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には少しも神秘的なところはない。 誰でも文学的著 作 ︵g
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同店︶の修練をして成功を収めた人ならば題材を久しく研究しあらゆる資料を蒐集しあ らゆるノlトを取ってから、 いよいよ自分で著述の仕事に取掛かるには、 何かが必要だ、 ということを承知 し て い る 。 一遍に題材の核心に飛び込んで出来るだけ深い処へ一つの衝動︵5
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宮 Z 目 。 ロ ︶ を 求 め に 行 く た め のしばしば苦しい努力が必要である。その衝動を得た後は成行きに任せればよい。この一度受けた衝動が精神 ︵ −5
℃江畔︶を走らせる途の上に、それまでに集めた資料ばかりでなく、なおいろいろと細かい事が見つかる。街 動が自分自身を展開し自分自身を分析するために使う一言葉は、算へ立てると際限なく続く。進めば進むほどそ れが幾らでも発見される。何処まで行つでもすっかり述べ切ったということにはならない。しかも人が自分の 後に感ずる衝動を捉えようとして突然振り返ると衝動は姿を消す。 そ れ は 物 ︵ ロ 5 n F O 田市︶ではなくて運動に対 する促し2
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居 合 同 事3
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︶は何かそれと同じ種類のものらしい。 この場合文学的著作 釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 四釈 尊 私 観 ︵ 袴 谷 憲 昭 ︶ 四 ノートや資料に当るのは実証科学︵包
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帥 ロ こ が 名 門 広 ︶ に よ っ て 集 め た 観 察 と 経 験 の 全 体2
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志 氏 自 門 町 田 ︶ で あ る 。 と い う のは、人が実在︵︼回忌由民丹念の様々な表面的示現と長い間つき合ってその信頼を得て置かなければ、実在から、 直観、即ちその実在のもつ最も内的なところとの精神的な同感︵凹ヨ喜洋医師田司王宮巾ロ巾︶を得ることはできない。 しかも目に立つ事実と親しむだけではいけない。事実の量を集めて一緒に溶かし、 そ の 溶 解 ︵ 同5
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ロ ︶ 中 で 、 観 察 者 ︵ 同 四 国 各 田 市 ミ 丘 町 ロ ヨ ︶ が 自 分 た ち の 観 察 の 奥 底 に 知 ら ず 知 ら ず 貯 え た 観 念 、 予め頭で作りまだ熟していない すべての観念公S
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な印︶を、互いに中和させる自信を得るところまで行かなければならない。こうして 初めて既知の事実︵E
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凹 ︶ か ら 生 の ま ま の 材 料 ︵ 戸 田 自 国 昨 今 互 志σ
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︶が浮び出て来る。 これは確かに方法について語ったものであるが、知りさえすれば容易に人手に渡り、得た人がいつでも同じ成果 を挙げることができるような安易で便利な方法では決してない。まるで﹁詮ずるところ学聞は、ただ年月長く倦ず おこたらずして、 はげみっとむるぞ肝要にで、学びゃうは、 いかやうにでもよかるべく、さのみかかはるまじきこ と也﹂︵﹃うひ山ぶみ﹄︶という宣長の言葉でも聞こえてくるような思いがするのである。 ︵ 1 ︶ 次 註 所 掲 の 小 林 著 と 共 に 、 本 居 宣 長 ﹃ 玉 勝 間 ﹄ ︵ 岩 波 文 庫 ︶ 上 、 一 一 一 一 六 頁 、 ﹁ か む が へ と い う 詞 ﹂ 参 照 。 ︵2 ︶ 小 林 秀 雄 ﹃ 白 鳥 ・ 宣 長 ・ 言 葉 ﹄ ︵ 文 芸 春 秋 社 、 昭 和 五 十 八 年 ︶ 、 一 五 八 一 五 九 頁 、 一 一 一 一 一 一 一 二 頁 参 照 。 ︵ 3 ︶ 本 年 、 六 月 九 日 ・ 十 日 に 行 わ れ た 研 究 発 表 で も 、 論 題 は ほ と ん と こ の よ う な こ 方 面 に 分 か れ て い た と 思 わ れ る 。 筆 者 は 、 そ の 実 状 を 踏 ま え て 現 今 の 学 会 の 風 潮 に つ い て 概 略 し て い る だ け で あ っ て 、 箇 々 の 成 果 に 対 し て 大 局 的 見 地 か ら 生 意 気 に も 評 価 を 下 し て い る わ け で は 決 し て な い 。 ︵ 4 ︶例えば、平川彰﹁原始仏教の定義の問題 L ﹃ 仏 教 研 究 ﹄ 創 刊 号 ︵ 昭 和 四 十 五 年 ︶ 、 六 頁 参 照 。︵ 5 ︶一一一校充恵﹃初期仏教の思想﹄︵昭和五十三年︶、四五|五七頁。なお、本書中に﹁無記﹂に関する資料論が収められてい ることについては、研究発表当日、高崎直道博士より御教示頂いた。記して謝意を表したい。 ︵ 6 ︶ここでは、﹁島町宮︿血−