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牧人 司祭的テクノロジー としての教師養成 -

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(1)

13

牧人 司祭的テクノロジー としての教師養成

19

世 紀 イ ギ リス教 育 史研 究 その

2

6

上 野 耕三郎

モ ニ トリア リズ ムの教 師 か らの脱 皮

こなれた ことばが見つか らないので, あえて教育 テクノロジー とい うこと ばを使 うが

,19

世紀 の教育 テクノロジーを対象 とした一連 の拙稿 は,い まだ

さ ま よ

核心 には到達 してお らず,その廻 りを妨径 っている( 1 ) 。に もかかわ らず,ここ であえて大風 呂敷 を広 げれば, このテ クノロジーの展開 と く 人格)く 子 ども)

とい うような知 との関連 を解 きあかす ことに拙稿 の主たる関心 はある

。20

世 紀初頭 に至 るまでの このテクノロジーの歴史 を射程 に入れた ときに, ひ とつ の画期点 は

1830

年代 にあった ことはまず間違 いない。したが って,一連 の拙 稿 もまたその時代へ と焦点づ け られている。今 回 は

1830

年代 に大 きな転換 を みた教師養成 を分析 の姐上 にのせ てみ よう。 それ に接近す るため は, それ以 前 のモニ トリアル ・㌢ステムの もとでの教師養成 の概観か ら入 る方が近道で あろう。 まず は

1

9世紀 イ ングラン ドとウェールズにおける教師養成』の著 者 リッチの言 うことを聞いてみ よう

「 教師

(teacher)

を育 て る

(cultivate)

, あるい は合理的見地 か らその職 00( )00( )000 業 にアプローチす るように導 く考 えは何 もなかった。人間性 について学ぶ

000000く )0000

必要 はまった くなかった。すなわち, 『システム』の知識が必要 な ものすべ てであ り,・ ‑‑。 さらにそのシステムか らの逸脱 はもっ とも危険 な異説 と

(1

)小樽商科大学 『 人文研究』第

85,86,87,88,90

輯掲載の拙稿。

(2)

14

文 研

91

み な され た。

マ ス ター

(masters)

を養成 す る こ とは, モニ トリアル学校 の組 織 と管理 につ いて修練 を積 む こ とで はなか った こ とに留意 すべ きで あ る

か れ らの 実践 は本 部 学校 でモニ ターで あ った こ とで あ り, かれ らに よって教 え られ た クラス と少年 モニ ター に よって教 え られ た クラス との間 で の競 争 を, わ くわ くす る冒険 的 な競 技 にす るに は, かれ らの知 識 と技能 の水 準 はあ ま り に も低 か った。 かれ らの トレーニ ング に は

3

つ の要素 しか なか った。 かれ

らは生徒 として学校 を通過 し, モニ ター として学校 を通 過 し, シス テム の マ ニ ュアル の研 究 のた め にか れ ら自身 で クラス をつ くった

(2)。」

たぶ ん リッチ の頭 の なか に は

20

世紀 に向 けて発 展 し, く進歩 〉 して ゆ く教 師養 成史観 とで もい うべ きものが支配 して い たので あ ろ う。た とえば,「 教 師 を育 て る, あ るい は合理 的見地 か らそ の職 業 にア プ ロー チす る よ うに導 く考

0 000 00( )00 00( 〉000 000 0 0

え は何 もなか った。人 間性 につ いて学 ぶ必 要 はまった くなか った

」とい うよ うな価値判 断 を含 んだ指摘 にそれ は渉 みで て い る。 だか ら, リッチ にお いて は, モニ トリア リズムが克服 され る過 程 は,機械 的 な シス テムか ら人 間性 あ る教 師 へ の転 換 として措 かれ る こ とにな る。

(2)R.W.Rich,TheT71ainingof Teacher:sinEnglandand Walesduring the NineteenthCentu

7 y

,1933,pp.16‑17.

リッチは内外学校協会 の教師養成部門にも 同様 の厳 しい評価 を下 している。「 訓練 はあ きらかに 『システム』の訓練であ り, それ はもっぱらバ ラ・ロー ドでの学校でお こなわれた。創始者 自身 によって組織 され,もっ とも完全な形で運用 されているシステムを示 している,ことばの厳格 な意味での,そのプランのモデル学校が ここにはあった。訓練 を受 けている人々 はモニター として この学校で働 き,かれ らの唯一の仕事 は自分 の自由になる短い 時間内で,で きるか ぎりその機械的操作 に精通す ることであった。かれ らは自ら を教育す るためにやって きたので もな く, 一般的な教授技術 を学ぶためにやって きたわけで もない。そうで はな くて,大人数 の子 どもたちに学習の機械 的初歩 を 教 え込むのを容易 にす るために,ランカスターによって考案 された特殊 な秘訣 を 習得す るためにやって きていた。それ は本質的に『 実地学習

(learningbydoing)

メソッ ドであった

。」 (Zbid.,p.7.)

(3)

牧人司祭的テ クノロジー としての教師養成

「『 モニ 000

お ける Oも 。 ト 。 つ oリ O と 。 ア o レIノ ﹄

15

000000000 00 0

0

0000000C ) メ ソッ ドにたいす る 『 一斉 ( 教授

)

』メ ソッ ドの勝利 に も顕著 な要素 は,教 師 の教養

(culture)

と技能が国民教育 シ ステムで至上 の重要性 を もつ, とい う認識 である。モニ トリアル学校 で は 重要 なの は教師で はな くシステムで あった。国民協会 において は協会 の本 部学校 で教育 を うけた教 師 は,協会 の学校 に赴任 が きまった際 に は,『シス テムの美 しいそ して効率 的な単純 さ』か ら逸脱 す る ことは許 され なか った。

ラ ンカス ター方式 の学校 で は 『 教師 は何 も言わず黙 って見守 る者 そ して監 視者 で あ るべ きで ある

教師が命 じる ことはな され るべ きで あ るが, この システムで教 えれ ば権威 は人柄 によるもので はない ことがわか る。教 師 と

●●

同様 に生徒 が このシステムでいか に行動 し学 ぶか を理解 すれ ば,教師 のぼ

●●●

んや りとした, 自由裁量 による,不確 か な判 断 によってで はな く, その シ

●●●

ステムが作用す ることがわか るであ ろう。』 重要 なの はメカニズム を運用す る責任 を負 ってい る人 間で はな く, メカニズムで あった。 ・ ‑‑ ( 教師養成 において も)教師 を教育 す る, あるい は教授 の理論 的 そ して実践的研 究 を 通 してその職 の知 的マスター とな る ことは問題 とな らなか った。すなわち

『システム を学 ぶ』 とい う問題 で しかなか った

(3)

。」

だが,斎藤 が言 うように 「中産 階級 の立場 か ら見 て,民衆教育 は常 に 「 民 衆教育」 の境界 を越 えて はな らぬので あるか ら, その直接 の担 い手 た る 「 教 員」 において この二 つの契機 ( 「 専 門的知識 ・ 技能」 と 「 人格 的な資質 ・ 教養」

とい う二つ の契機 ‑l 上野) は教員概念 の抜 き差 しな らぬ要因 として同時的 に 存在 して い る こ とが 強 調 され ね ば な らぬ。一 方 ので す ぎ は他 方 に よって チ ェ ックされね ばな らぬか らで ある

それ ゆえ 「 教 師 の人格 的な資質 ・ 教養」

を積極面 とおいて 「 専門的知識 ・技能」 の即物 的側面 を克服 さるべ きもの と して とらえる方法 において,逆 に 「 専 門的知識 ・技能」 の成立 を もって 「 近

(3)Zbid.,pp23.

(4)

16

91

代教員養成学校 の起点 として説 明す る方法」 において, またわが国の教員養 成史 の先行諸研究 にほぼ共通 して見 られ る師範教育 ( 職業教育)対反 師範教 育 ( 一般教養), そ して師範教育 内で の知識技能伝達 の教 師対徳 ある教 師 とい う図式 において, それが教員養成 の歴史 的諸局面 を捕捉 し, そ こでの教師 の あ り方 を批判 す るのに きわめて有効 な もので ある ことは否定 で きない。教員 ( 養成)史がす ぐれ て現代 的課題 にかかわ ってい る ことか らして当然 な ことで あ ろう

しか し同時 に考 え られ る ことは, イギ リスの場合 ,近代教員 の誕生 とそれ を規定 してい る民衆教育 の問題性 が それ に よって どれだ け明 らか にさ れ るか は疑 問であ る とい えよう( 4 ) 。 」な らば,従来 の教員史 の研究視 角 は転換

されね ばな らない はずで ある。 す くな くとも,教師 の 〈 人 間性〉あるい は ( 人 格〉 とい うような概念が,無規定,無媒介 にひ と り歩 きし, その視 角か ら教 師養成 を語 る, とい う危 うをについて は無頓着 で はい られ ない.敏師 の ( 人 間性 )や 〈 人格)をイデオ ロギー的 な もの と規定 す るか どうか は別 に して も,

ここで語 られてい る教師 の 〈 人 間性〉 も く 人格 )も歴史 の外 にある もので も, またそれ を超 えた概念 で もない ことは確 かで あ ろう

それ は歴史 の コンテ ク ス トのなかで織 りあげ られた もので あ り,最低 限 く 統治〉 の問題 と絡 めて考 える ことが必要で あ ろう

とすれ ば, ( 人 間性〉 と く 統治〉とは相 反す る もの であ る, と考 える必然性 はさ らさらない。 したが って, その ような前提 を認 めた上 であ るな らば, リッチの指摘 もあなが ち的 を外 してい る とも言 えない

ことになる。

すで に他 の稿 で指摘 した ように,モニ トリアル ・システム は,競争 とクラ ス分 け とい う手段 を用 い,教育 メカニズムが 自己運動す る もので あった。 し たが って,必然的 に教師 の役割 はきわ めて限定 され た もの とな る

その シス テムで は 「 教 える ことがモニ ターの仕事 で はない。少年 たちが 自分 の クラス

(4

)世界教育史体系

30

『 教員史 』 ( 賓藤新治執筆部分) ,講談社,昭和

51

,89‑90

貢。

(5)

牧人司祭的 テクノロジー としての教師養成

17

あるい は分 団

(division)

で相互 に教 えてい るこ とを監督

(see)

す る

(5)

」こと がモニ ターの仕事 である

自動 的 な教育 メカニズム に必要 な もの はマニ ュア ル に基 づいた コー ドで あ り, そのメカニズムがすべ らか に作動 す るの を監視 す るために, メカニズム内 に組 み込 まれた歯車がモニ タ」で あった。 また教 師 はモニ ター を含 む上級 クラスの生徒 たちの教授 をみずか ら担 当す る ことは あったが, そのほ とん どの時間 は学校 内 システム ‑秩序 を形成 ・維持 す る こ とに用 い られていた。モニ トリアル ・システムの創始者 のひ と りベルが述 べ てい るように,「( 男児孤児院 の)マス ターの誰 ひ とりとして第‑ クラスの少 年 たち と同程度 に は文字 ( の学習) で進歩 はみ られ なかった。 かれ らの義務 は教 える ことで はな く, その組織 の さまざ まな部 門 を監督 す るこ とで あ る。

毎 日の仕事 が な され てい るか を見張 り,学校 の内外 で少年 たち を世話 し,教 節

(teachers)

あるい は生徒 たちの間でな され る不規則,関心 の散漫 さ,忠 慢 を指摘 す る ことで ある( 6 ) 。」で あ るな らば, モニ トリアル ・システムの もと での教 師養成 が, それ ほ ど意識 され ず に済 まされ て きた こ とも理 解 で きよ

う 。

擬 制 的親 そ して倫 理 的 ・美 的模 範 と して の教 師

だが よ く知 られてい るように

,1830

年代 にはい る とモニ トリアル ・システ ムの名声 も一挙 に地 に墜 ちて くる。 それ は貧 困,社会秩序 の撹乱 な どが教育 問題 として語 られ,編 み上 げ られ る過程 と一致 していた。 その戦 略的 シフ ト のなかで,モニ トリアル ・システム は もはや新 たに織 り上 げ られ た教育 問題 の救世 主 た りえなか った。 こうしてそれ は枢 密院教育委員会 や視学官 を中心 とす る政策立案側 か ら俄烈 な批判 にさ らされ,新 たなテ クノロジー によって 置 き換 え られ,乗 り越 え られてい くこ とにな る。

1830

年代 に はい り脚光 を浴 び る ことにな るの は道徳 化 の テ クノロ ジーで

(5)JosephLancaster,op.cit̲,p.46.

(6)Andrew Be

l l

,AnExperimentinEducation

, ・ ・ ・ ・ ・

,1797,p.18.

(6)

18

人 文 研 究 第

91

あ り, 教師 とい う言わば全知 の人 間が このテクノロジーの中心 に座 っていた0

3R'

Sを教 える ことをテ コに して,望 ましい行動原則や有用な習慣 を教 えるモ ニ トリアル ・システム とは対照的 に,

1830

年代 の教師 に求 め られた資質 は, 一方で は子 どもの裡 に埋 もれている性質や性 向を対 象化 し, それに沿 いなが ら道徳的 な人間 を形成す ることであ り,他方で は知識愛 を導 きの糸 として, 実際的理解力 を身 につ けさせ ることであった。 これ らの 目標 の達成 はいずれ も教師 との関係 を抜 きにして は語れ ない ものであ り,教師 と生徒が とり結ぶ きわめて ソフ トな非強制 的関係 は,学校 とい うメカニズムに とって決定的な 意味 をもつ ようになった。 もう少 し言 うな らば, ひ とりひ とりの生徒 はこの プロセスのなかで対 象化 され

(

「 道徳的観察」によ り 「 本 当の性格 と性 向」を 発見 され),知識 として編 み上 げ られてゆ く。そ して今度 はその方向性 を逆 に して,編 み上 げ られたその知識が矯正的基準 として生徒 たち自身 にたい して 発動 され る。このプロセスの要 に位置 し,それ を統括 す ることがで きたの は, 擬制 的親

(inlocoparentis)

そして倫理的 ・美的模範者 としての教師であっ た。労働者階級 の倫理的 ・美的模範者 とな るためには, かれ らには学問的教 養 と道徳的威信 とを附与 す る必要が あった。 と同時 に,労働者貧民 の子 ども たち と共感 とい う秤で結 ばれ るべ き教師 は,子 どもたち と同 じ下層階級 出身 で凄) るべ きであった。

「 選抜 された生徒が初等学校 の有能 なマスター となれ るように,方法 の知

識 や教授技術 の ような知的能力 を身 につ けることと,下層階級 の習慣 か ら

か け離れていない生活 の質素 さ とを統一 しなけれ ばな らない。私 たち は次

の ような ことを望 んでい る。 自分 自身 の階級 にたいす る多大 な共感 をかれ

らに鼓舞す ること。生徒 の主要 な名誉 は,無知 とそれ に附随す る悪徳 の悲

惨 さか らその階級 を助 け出す のを手伝 う, とい う考 えを生徒 の心 に植 え付

けること。 さもしい 目的へ と導いてい く商業社会 での人 間同士 の競争 の影

響 か らかれ らを引 き離 す こと。生徒 の前 に不安定 なそ して窮迫す る大衆 の

満 たされない欲望 を提示 し, その精神的,道徳的病気 を癒す ことをめざす、

(7)

牧人司祭的テクノロジーとしての教師養成 慈善 を生徒 のなか に吹 き込 む こと( 7 ) 。」

19

学 問的教養 と道徳 的威信 と労働 者貧民 へ の共感 をひ とりの人 間 の裡 に人格 化 した教 師, そ うい う教 師 を古典 的 な大 学 や文 法学校 の卒業 生 の なか に見 出 す こ とはし ょせ んか な え られ ない望 みで あった。

克 己の精神

ケイが

1839

年 にタ フネル とい っ しょに大 陸‑ オ ラ ンダ,プ ロ シア,パ リ, スイス‑ の教育視 察 をお こな った際 に, と りわ け強 い感銘 を受 けたの はふ た りの人物 で あ る。す なわ ち,フェ レンベ ル ク とヴェル リが その人 で あった。

ケイ はヴェル リの トレーニ ング ・ス クールで二 日間 を過 ご したが, かれ の考 え と実践 に深 くうたれ た様 子 で, かれ の ことば をその報告書 のなか に書 き留 めてい る

「 私 た ち は農夫 の息子 で あ る。したが って,自分 たちの務 めに無知 で あっ て はな らない。知識 が私 たちの生活 の純朴 さを侮 る こ とを神 は禁 じてい る。

大地 は私 たちの母 で, その胸 か ら食 べ物 を入手 す るが,私 たち農 夫が 日々 の食 べ物 を得 るた めに労働 す る ときに は,母 な る大地 か ら学 ぶ こ とが多 く

(7)FirstReportontheT71aining SchoolattheBattey:sea,tothePoorLaw Commissioners,inJamesKay‑Shuttleworth,FouyPeriodsofPublicEduca‑

tion,1862(rep.1973),p.309.

「 貧民の子 どもたちを教 えるという仕事 よりも,な ん らかの高い仕事 にかれ らが就 くことになっているならば,そしてその日的にか かわって,精神 そしてマナーか ら卑 しい生 まれのあらゆる痕跡 を,それ と一緒 に 可能 ならば,かれ らがたち混 じって働 くべ き階級 に対する共感のあらゆる痕跡 を 消す ことが好都合であるならば,私たちの大学か ら,その最高の形態の もとでの み教育 に親 しんでいる人々の間か ら, 教師を選択するのが好都合である。しか し, 初等教師になるとい うかれ らの目的か らいえば,かれ らの長上のなかで学び尊ぶ

ことは,かれ らの心のなかで初等教師の性格 と,そして教 えることの優秀 さにか

ん してのあらゆる形態 と結びついた ものであるべ きことは明 らかである

」(

̀Mr. Moseley'SReportontheBatterseaTrainingSchool

',inMCCE,1845

,

Vol

.

2,p.19.)

(8)

2()

91

ある。 本 に は自然 との直接 の対話 の よ うな知識 は何 もない。 大地 を耕 す人々 は自然 との最 も密 な交流 を も

私 の言 うこ とを信 じようが信 じまいが, これが農夫 の生活 を甘美 に し, その労働 を宝 とす る考 えで あ る。私 はそれ を知 ってい る。 とい うの も,私 の手 は労働 で荒 れてい る。人 の運命 はたい

●●

へ ん平等 で あ り,賢明 さ とい うもの は外部 にあ る ものが悲 しみの原 因で は な く, 内部 にある ものが そ うであ る, とい う真理 を発見す る ことで ある。

良心が神 の御前 で は積 れが な く,天 国の生活へ と準備 させ る労働生活 に満 足 す るだ けで はな く,楽 しむ ことを も学 ぶな らば,農夫 は王子 よ りも幸せ

となるで\ あろう( 8 ) 。 」

農民 の家族生活 を中核 として, その廻 りに教場 での生活,農耕生活 を配 し たヴェル リのセ ミナ リーでの生活 に深 く心 を動 か され たケイ は,バ ター シー で それ を再現 しようと努 めた。 それ は 「この国で はしば しば無祝 され て きた と信 じ られ て い る もの‑ 知 性 の啓 発 とは区別 され た,心 と感 情 の教 育

(9)

を中心 に据 え,克 己

(selfdenia

l )の精神 を隅々 に まで浸透 させ よ う

●●●

とした もので あった。 したが って 「ノーマル ・ス クール の主 な 目的 は学校教

●●●●●●●●●

師 の性格形成 で ある

(theformationofthechwacteroftheschoolmaster).

これ はバ ター シー ・ス クール の組織 にお ける私 たちの努力 を導 いた主要 な考 000000000000000000000000

えで あ り, この国のそれ以前 の もの とは違 った基礎 によってい る

‑‑そ こ で はあ らゆる目的 は, 自分 の仕事 に宗教 的 に専心 し,貧民 の教育 にの りだ し

00000⊂ 〉000

てゆ く知 的 キ リス ト教徒 としての学校教 師 の性格形成 に従属す る, そ うい う 機関 をそれ らはめ ざしていた( 1

0)。」

そ もそ も初 等学校 の教 師 の社会 的 な地位

(8)F3'PlStRepo71ontheT71ainingSchool,inJamesKay‑Shuttleworth,Four Periods,p.307.

(9)

1bid.,p.305.

ケイによれば,対照的に ドイツの教師養成学校では教育ではな く,教授 に多 くの関心が払われている。したがって,スイスの教員養成学校 を範 と仰いでいる。

(

10)SecondRoriontheScho

ol s

fortheT71

2

iningofPa71DChialSchoolM a

g t e 7 1 5

atBatter

s

e

a

,inJamesKay‑Shuttleworth,FourPeriods

・ ・ ・ ・ ・

,p.399.

(9)

牧人司祭的テクノロジーとしての教師養成

21

はけっ して高 くはなか った。 それ ばか りか,公営学校 の教 師 は地域 コ ミュニ テ ィの外か らの介入者 として, しば しば敵意 を もって迎 え られた こともまた 事実 である

しか し,その ような 自 らの社会的地位 に拘泥す る ことな く,「 奉 仕 と自己犠牲」 に満 ち溢 れた教育者的精神 を人格化 した教 師 こそが理想 とさ れた。 ケイ 自身が ギ ゾ‑の ことばを借 りて述 べた ところに したが えば,教 師 の理想像 とは 「自分 の権利 に無知 で はないが, それ よ りも自分 の義務 につい て よ り深 く考 える人,すべての人 の手本 とな り,助 言者 として奉 仕す る人, みだ りに自分 の置 かれた条件 を変 えようとす るよ りは自分 の置かれた状況 に 満足 す る人 , なぜ な らそれのみが善 な ることをなす力 を与 える ものであるか ら。神 と同胞 へ仕 える,初等教育へ の奉仕 に一生 を捧 げる ことを決意 してい る人( l l ) 。」 世俗 的欲望 に とらわれ るこ とな く,そのひたむ きな忠誠 心 の見返 り を求 めず, 自らの定 め られ た過酷 な運命 を甘受 し, ひたす ら教育 に全身全霊 を捧 げる, そ うい う聖職者 としての教 師が求 め られ た。

したが って,教 師 の養成 で は トレーニ ング ・ス クール入学以前 の生育歴 に も大 きなウェイ トが置かれ,徒弟 の選抜基準 はまず もってその性格 であ り, 学力が主要 な基準 で はなか った。「ノーマル ・ ス クール には宗教 的 な親 に よっ て育 て られ た成人 に達 した学生,かれ らの性格 や資質 について は もっ とも満 足 のい く証言が得 られ る学生 のみの入学 を認 めるこ とにす る。学生 の入学以 前 にな され る調査 は,可能 な らば,すべての場合 に入学以前 の習慣,職種, かれが居住 してい る世帯 の性格,交友 関係 に まで及 ぶ。すべての場合 に, そ れ以前 の仕事 が貧民 の教 師 の務 めへ の深 い愛情 を もってい る, とい う保証 を 与 えるような若 い男性 が好 ましい( 1 2 ) 。」

(ll)F.Smi th,TheL

l j

Teand Wo71kofSirJamesKay‑Shuttlewo7ih,1923,p.110. (12)Second RePod on theSchools

・ ・ ・ ・ ・ ・

,in JamesKay‑Shuttleworth

,

Four

Periods

・ ・ ・ ‑,

p.398.

国民協会の本部学校での教師養成においても,教師の資質 と して重視 されるものは教師 となる者の 「自己史」であり 「 生活様式

であった。

「 かれ らの生育史や以前の生活様式 を調査することに最大の注意が払われる。道

徳的あるいは宗教的性格 に欠陥のような ものがみられる場合 は,マスターは入学

を認められない

」(R勿ort1834,q.118.

) 「 入学希望者 はかれが最後 に住んでいた

(10)

22

91

「 生徒 の性 格 形 成 の次 に くる もの は,私 た ち の判 断 に よる と,生徒 の知 性 の 一 般 的発 達 で あ る

(1

3 ) 。」 だが, 「 知 性 の一般 的発 達 」 もあ くまで も限定 つ きの もの で あ り,ス トレー トな解放 を保 障 す る もので はなか った。とい うの も「 奉 仕 と自己犠 牲 」 の教 育 者 精 神 に よって裏 打 ち され ない限 り,知 的上 昇 は知 的

な虚 栄 心 ,優 越 感 ,利 己 的野 望 を育 む危 さ を学 んで い た か らで あ る

「自分 の知 識 と能 力 につ い て 自惚 れ を もつ こ とが いか に簡 単 か は,友 人 や 廻 りの者 が持 って い る基 準 に よっ て 自分 の知 識 を測 る こ とを思 い お こせ ば, 明 らか で あ ろ う

短期 間 の養成 コー ス に よって, か れ は自分 自身 が突 然 に教 師 そ して手 本 に まで上 昇 した こ とに気 づ く。 か れ の心 に宗教 的原則 が充 分 に惨 み渡 って い な い な らば, あ るい はか れ の性格 に無 遠 慮 な欲 得 ず くの トー ンが あた え られ た な らば, か れ は早 熟 の虚 栄 心 , 反抗 的精神 あ る い は利 己 的欲 望 を示 す こ とで,教 育 の名 を磯 す で あ ろ う

か れ は貧 民 の子 ど もた ち の優 しい そ して慈 悲 深 いガ イ ドで はな く,金 銭 ず くの人 とな り,

教 区あるい は教会地 区の牧師がサイ ンした証明書 を提 出 しなけれ ばな らなO。か れ らはまたその道徳的振 る舞 いそ してキ リス ト教的品行 について,かれ らを少 な くとも

1

年間知 っている

3

人 のレスベ クタブルな所帯主か らの証明書,それ らは 希望者が住 んでい る教 区の牧 師が副署 してい る証明書 を提 出 しなけれ ばな らな い。証明書 の記載 内容 は次 の通 り。年齢,勤 め口,家族 お よび係累,教育 ・ 仕事 歴,最近 の住所 お よび居住年数,道徳 的習慣 お よび性格,外見お よび健康状態, 気質お よび性 向,教会 に定期 的 に通 ったか否か,聖餐拝受者 か否か,日曜学校 で 雇われていたか否 か

」 (̀TheRev.HenryMoseley'SReportontheBattersea TrainingInstitutionforMasters',in

MCCE

,1846,V

o

l

.

1,492.)

同様 の ことは セ ン ト・マー クス ・カ レッジの入学資格 について も言 える。「 第 1に洗礼証明書, 第 2 に入学応募 の 日時 をさかのぼること少な くとも一年 の間,親 あるい は保護者 の同意 そ して賛同で国教会 の礼拝 に出席 した とい う,当人 の親 あるい は保護者 に よる証言,第 3に書式 に基づいた健康証明書,第 4に牧師か ら推薦書」( MCCE,

1844

,V o

l

.

2,p.583.)

入学以前 の性格 を調査す ることは実際 にはなかなか無理で あ り,生徒 たち も卑 しい階層か ら一般 に選 ばれてお り,生徒 の資質 は必 ず しも期 待す るほ どの もので はなか った。彼 らは小売商人,小役人,奉公人,職人 の息子 である。ほ とん どの者 は教 区学校以外で教育 を受 けてお らず,学力 もそれほ ど高

くはない状態であった

。(SecondRepo710ntheSchools

‑‑

,inJamesKay‑

Shuttleworth,FourPeriods

・ ・ ・ ・ ・

,ppAO040

1 . )

( 13)

Zbid.

,p

AO8.

(11)

牧人司祭的テクノロジー としての教師養成

23

その心 は無心論者 の懐疑 に沈 み, その心 には社会的不満 の うじがわ く。か れ は無知 と怠 けのお とな しさを,野蛮 なそ して鼻持 ちな らない,学問 をな

まか じった者 の落 ちつ きのな さへ と変 える

(1

4

)。」

とすれ ば, この危 さを挫 き,教育者精神 が渉 み込 んだ教師 を形づ くる場, メカニズムの重要性 は言 うまで もない。バ ター シーでの生活 を一言で言いあ らわすな らば, それ は克己

(selfdenia

l )の精神 の具体化 であった。朝

5

時半 の起床 か ら夜

9

20

分 の就寝 に至 るまで,食事時間 を除 き一 日の生活 は祈 り

と農作業 と学習で少 しの隙間 もないほ どに埋 めつ くされていた

「 注意 を集 中 す る習慣 そ して もの ごとに心 を傾注す る習慣 が形成 され るまで,生徒 に自学 あるい はひ とりでや る仕事 の時間 を許 す ことは望 ましい ようには思 えない。

正 しい習慣 を形成 す るには絶 えまない監視 が必要である

‑‑ したが って, 一 日は家事 や戸外 での労働,祈 り,食事, そ して授業 と切 れめな く占め られ る。 正 しい習慣 を形成 す る初期 の段階で は,( 自己指導 の力が得 られ るまで は) 生徒 は常 にマスターの監視下 におかれ るべ きである。‑‑ 自己指導 の習慣が 形 成 され る前 に生 徒 の 自由 にな る多 くの時 間 を与 え る こ とは危 険 で あ る( 1 5

)

」「 絶 えまない活動がバ ター シーの生活 での基調であった。( それ以前 の トレーニ ング機関で は) それ らは性格形成 の手段 とい うよ りもいた しかたの ない もの と見 な されていた。 ‑‑絶 えまのない監視 が知 的 そして道徳的 こと が らの両方 での唯一 の安全装置 で あった

(1

6 ) 。」実際 にバ ター シーで は休 日も 自由時間 もな く,規則違反 をす ぐに当局へ と注進 にお よぶのを義務 とす る監 督生が配 され,宿舎で も戸外で も学生 の一挙手一投足 は常 に監視 され, けっ して校長 あ るい はそのアシスタ ン トの監視 の眼か ら逃れ ることはで きなかっ

(14)Zbid.,ppAO1402.

(15)FirstReportontheTrainingSchool

・ ・ ・

,inJamesKay‑Shuttleworth,Four Periods

・ ・ ・ ・ ・

,p.336.

(16)R.W .Rich

,

op.cit.,pp.6768.

(12)

人 文 研 究 第

91

こうい うことで あ ろう

バ ター シー にや って来 る生徒 ・学生 たち は一 方で は理想 として,他 方で は現実 に強 い られて,労働者 階級 か ら募 って こな けれ ばな らなか った。 当然 の ことなが ら,生育歴‑ 育 った家庭環境 や地域環境 な ど‑ は必ず しも教職 にふ さわ しい もので はなか った。 したが って, その ような生活 圏か ら切 り離 し,生徒 ・学生 たち を空間的 に囲い込 み,教師 とし て 自己形成 を遂 げさせ るのが トレーニ ング ・ス クールの役割 であった。 その ため には学校 の内部 は生徒 ・学生 を収容 す るためだ けで はな く, 自 らを教育 す るように構成 され なけれ ばな らない。生活 圏の残浮 を一掃す るだ けで はな

とき

く,教育 とい う点 に収赦 させ るように,一瞬一瞬 の時間 と活動 は規律 づ け ら れ な けれ ばな らない。 もはや学校 の時 間 は途切れ る ことのないなん らか の活 動 に よって埋 め尽 くせ ば こと足 りる とい うような 「 消極 的」な もので はな く, 生徒 ・学生 たちの内面 の道徳 的矯正 の過程 で 「 積極 的」 な意味 を もつ もの と

して変容 を遂 げてい く

いわ ば時間 の尽 きざる活用 こそが そのめざされてい た ところで ある。積極 的 な時間意識 あ るい は規律 の権力が,生徒 ・学生 たち の一瞬一瞬 の活動 を捕捉 しよう とす る

そ うい う網 の 目の ような規律 の働 き

は,道徳倫理 を惨 み こませ,精微 に形 づ くられた時間割へ と結晶化 す る

もち ろん この絶 え まのない監視 は通学制 の トレーニ ング ・ス クール で は けっ して実現 され えない もので あった. 「 バ ター シーで のケイ ・シャ トル ワー スの実験 は, イギ リスの教 師養成 カレ ッジの発展史 で もっ とも重要 な事件 で あった。 とい うの も通学制教師養成 カ レッジが出現 す るまで,すべての もの

( 1 7 )内外学校協会のノーマル ・スクールの寄宿舎では整理整頓の厳格な規則があ

り,夜 は他の者 との談話 は禁止 されている。時間厳守が厳 しく言われ

, 1

日4 回

の点呼が とられ,厳格な時間害的こよる活動が組 まれていた.食事時間には管理者

の食堂への出入 りに際 しては起立,食事中の振 る舞いについては規則が厳格で

あった。廊下での歌声,不必要な音 を出す ことは禁止 され,徒党 を組むことは密

告の対象 となり,上級生による責任体制が敷かれていた

o(MCCE,1846,Vol

.

2

,

pp.337‑339.

(13)

牧人司祭的テクノロジー としての教師養成

25

が それ に範 を もとめたか らで あ る

良 きにつ け悪 しきにつ け, それ は典型 と

して寄宿制 カ レッジを組織 した。 それ以前 のイ ングラン ドの養成機 関 はある 程度 は寄宿制 で あったが,寄宿 は単 な る便宜上 の ものであった。バ ター シー で はカ レ ッジで の生活 は明確 な教育 的手段 と見 な され て い た。何 年 に もわ たって この種 の共 同生活 は教師 の教育 お よび養成 で もっ とも高い価値 を もつ もの とみな された。 イ ングラン ドの教 師養成 カ レッジは 『 共 同意識 』 のタイ プ を発 展 させ た。バ ター シー の創始者 は教 師養成 カ レ ッジ を本 質 的 にセ ミ ナー と考 えた.そ こで は教職志望者が世 間か ら隔離 され るべ きとされた

(18)。」

朝 5時半 の起床か ら夜 9時 20分 の就寝 に至 るまでの,息抜 く暇 もないほ ど 時間の尽 きざる活用が めざされた一 日の生活 は,精神 の集 中 を必要 とし,不 慣 れな生徒 の心身 に は大 きな緊張 を もた らす。 その緊張 を解 きほ ぐすために も農作業 は必要 とされた。農作業 は生徒 の心身 に好 ましい影響 を与 えるばか りで はな く, それ に従事 す るこ とで生徒 の就 くべ き職業 にふ さわ しい精神 が 自ず と形づ くられ る,と考 え られた。「とい うの も生徒 は克己 の生活 へ と準備 す る ことが必要であったか らで あ る

自分 自身 の レベ ルで農夫 に まじって生 活す る一一 一住居 に一緒 に住 む‑ 質素 あ るい は粗末 な食事 を一緒 にす る‑

そ して教 師 で あ りガ イ ドで あ るが,農 夫 と同 じ人 間 で あ るか の よ うにみ え る

(19)

ことが求 め られていたか らで あ る

こうして教 師の精神性が高 く誼 われ,清貧 さ一一食 事 の質素 さ,衣服 の質 素 さ,勤勉 さ,寄宿舎 の簡 素 さ‑ を自 ら求 め,一種 ヒロイ ック とも言 える 気持 ちで その禁欲 さに耐 えることが望 ましい 自己形成 へ の途 で あった。宿舎

で もで きる限 りの 自給 自足 の生活 が めざ され,料理人 として既婚夫人 が雇用 され る以外 はいわ ゆる宿舎 の仕事 は生徒 が全部分担す る ことになっていた。

これ は 「みす ぼ らしい状態 のなかで も務 めを果 たせ るように, そ して人生 の

(18)R.W.Rich,op.cit.,pp.7576.

(19)FirstRepoYiontheTym'ningSchool‑,inJamesKay‑Shuttleworth,Four Periods

・ ・ ・ ・ ・

,p.312.

(14)

26

91

試練 や浮 き沈 み に こころを勇気づ ける」 ようにす るためである

家畜 を飼 う ことも, 「 農夫 の生活, そ して農夫 の運命 に対 す る真 のそ して身近 な共感 を」

感 じるためで あった。 また 月受業 をそれが対象 とす る人 々 の実際 の状態 と粗 織 に適合 させ る ことによって,教訓 に富 んだ もの にす る ことがで きる

知 的 な ものに較 べて労働者 の 日々 の苦役 を侮蔑 す るような ことはな くな る」か ら で あった

(20)0

時 には この修道院的 自己修 養 の厳 しさか ら解放 す るために,生徒 たち を徒 歩 による遠 出へ と連 れ出 した。「その ような遠 出 は学校 の通常 のルーテ ィー ン

を遮 るが, 有 益 で あ り,私 たち 自身 と教 師 と生徒 ・ 学 生 とのあい だの交流 で の 変化 に富 んだ楽 しみ を与 える

(2

1 ) 」 もので あった。しか し,それ も自然 そ して農 村 の人々 の現実 の生活 に触 れ ることで, そのなか に飛 び込 んで ゆ く貧民 の教 師 としてすべ きことに精通す るための もので あった。 その際 に は校長 は 「 農 民 の教師 に附随す る義務 」, た とえば畑 の管理, 枝 お ろし, 接 ぎ木, 「 貧民 の家 庭 経 済」,「 健 康 管 理 の手 段」,そ して資 本 と労働 の関 係 につ い て講 じ も し

(22)0

こ とば と文 化 の 問 題

トレーニ ング ・ス クール は,生徒 ・学生 を自 らの生活 圏か ら引 き離 し,一 種独特 の修道院的 な規律 の もとで生活 させ る ことで,主体 ( す なわち教師) 形成 をはか るテ クノロジーで あった。 ところで, 「ことば」の習得が主体 の形 成 ときわ めて密 な関係 にあ り,かつ文化 と切 って も切 れ ない関係 にあ るな ら

ば, 「ことば」の問題 は避 けて通 ることはで きなか った はずで あ る

トレーニ ング ・ス クールで 「ことば」 の教育 が実際 に どの ようにな され ていたか は, うかがい知 る ことがで きない。 しか し,文化 にか らめて 「ことば」 を考 えて

(20)Zbid"pp.312‑313.

(21)Lbid"p.319.

(22)R.W .Rich,op.citリp.70.

(15)

牧人司祭的テ クノロジー としての教師養成

いた ことを,次 の ような指摘 か ら垣 間み る ことがで きる。

27

「 英語 に熟達 す る ことのみが労働者階級 を英 国

(English)

文明の最良 の影 響へ近づ くことを可能 にす る

これな くして大衆 を教 える ことは不可能 で

はないにして も, たいへ んむずか しい ことに教育 あ る者 は気づ く。

労働者階級 と深 くつ きあってい る者 は,サ クソンの起源 でない ことばを その人々が理解す るのが どれだ けむずか しいか を, そ して ラテ ン語 あ るい はギ リシャ語 か ら派生 して きてい る ことばが繰 り返 し用い られてい る こと で,労働者 階級 に向 け られた話 がかれ らにはしば しば理解 で きない ことを 経験 的 に知 ってい る

しか し, 中産階級 あ るい は上流階級 の 日常 の こ とば はその ような ことばで満 ちてい る

私 たちの教会 で の決 ま りきった ことば の多 くはこれ らで満 ちてお り,説教 はかな らず これ らを用 いてい る多 くの 実例 を含 んでい る

この類 のフレーズ は教育 ある階級 の ことばで はたいへ ん 自然 な もので, それ らを全部抜 いて しまうことは街学的で無味乾燥 な も のになるし,洗練 された人々 をうんざ りさせ る

したが って,両 階級が混

じってい る場合 に は, それ らを使 うの を避 けることは不可能 であ り, この 不便 を回避 す る唯一 の方法 は,下層階級 にその意味 を教 える ことで あ る

このために私 たちが採用 してい る方法 はエデ ィンバ ラ ・セ ッシ ョナル ・ス クールで最初 に導入 され た ものである

すなわち, あ らゆる複合語 は分析 され, それ ぞれの部分 の切 り離 された意味が指摘 され, その結果,現在 で は英語 でわれわれ の生 徒 が理 解 で きない こ とば はほ とん どない。共通 の ルー ツ と語源学 の原則 に精通す るこ とによって,文 明 の要請が 日々導入 し てい る新 しい複合語 はほ とん ど即座 に理解 され る。英語 の完全 な知識以上 に考 えの明瞭 さに貢献 す る もの はない し, コモ ン ・ス クール に よ り有益 に 導入 され る もの もない と信 じてい る。 そ してそれ を欠 けば教養 のない教 師 やデマ ゴー グに力 を与 え,教養 ある人 か らその影響 力 を奪 って しまう。

同様 の指摘 は文体 に もいえる

教育 ある者 は大衆 が理解 困難 な構成文体

を用 い る

したが って, われわれの初等学校 で はことばの意味が論理的 シ

(16)

28

91

ステム に・ も とづ いて教 え られ るべ きであるばか りで はな く,かれ らの能力 にふ さわ しい題材 について書 いてい る最良 の著作家 か らの抜粋 に親 しまな けれ ばな らない。 その偉大 な精神 はみずか らの考 えを純粋 で シンプル なス タイルで国民 に遺 したが, ほ とん どの人々 の知性 で は理解 で きない, とい うこの国の汚名 をこの まま黙 って放任 してお くべ きで はない( 2 3 ) 。」

ここで は英 国文化 が称揚 され,労働者 階級文化 が それ よ りも下位 に属 す る 文化 とされてい る。 だが, 「ことば」が文化 を継承 す る もので ある とすれ ば, 労働者 階級 に どの ような 「ことば」 の, そ してその子 どもたちを教 える教 師

には どの よ うな 「ことば」 の教育 が な されたか は,文化形成 の問題 と深 くか かわ っていた はずで ある

残念 なが ら詳細 はわか らないが, す くな くとも教 師 は階級上昇 は否定 され るわ けで あるか ら, 「ことば」の獲得 はきわ めて微妙 な もので あった はずで\ あ る。

擬 制 的 家族 と しての トレー ニ ン グ ・ス ク ール

既 に他 の稿 で も繰 り返 し指摘 しておいた ように, この時代 の望 ましい初 等 学校 は家族 をモデル に構成 されてい る. もち ろん トレーニ ング ・ス クール も

またその例外 で はなか った。学校 は睦 まじい家族

(awellOrderedfamily)

, 中産階級的な家族 を範型 としていた

教 師 は家父長的親 で あ り,教 師 と生徒

との関係 は擬制 的 な親子関係 として捉 え られてい る。

「 私 たち は学校 をひ とつの家 とみな し,その家族 的関係 を簡単 に描写 す る ことへ と移 ろう

もっ とも明 らか な真理 は

3

つの側面 にあ る

‑ 家族 は相互 の愛,信頼 そ して尊敬 によって調和 的 に生 きる ことがで きる

私 たち はテ ユータ‑ を

(23)FirstReportontheTym'ningSchool

・ ・ ‑・

,inJamesKay‑Shuttleworth,Fouy Periods

・ ・ ・ ・ ・

,pp.339‑340.

(17)

牧人司祭的テクノロジー としての教師養成

29

近づ きがたい権威 の位置へ と置 くことをめざ しはしなかった。かれ らを親 の席へ と座 らせ, その生徒 か らの心か らの尊敬 と服従 を受 け取 り,若 い人 の兄 として行動す る ことがで きるようになることをめざした。 ある一定期 間私 たちの うちのひ とりの住居 はかれ らとほ とん ど隣接 し,家族 の うち と

けた

(familyintercourse)

雰囲気 をあた える ことが重要である

そ うす る ことでテユータ‑が授業 を行 な うことがで き,規律 を維持 し, その預か っ ている生徒 たちの友人 そ して指導者 となることがで きる

(2

4 ) 。」

だか ら,「 教師 は思想 そ して感情 において も農民 の父親 の義務 を果 たす よう 準備 され るべ きである。 」食事 に際 して も教師 は生徒 と同席 し,「 部屋. の真 ん 中 に座 って,食 べ物 を切 り分 けるの を手伝 いなが ら,生徒 と同 じ食べ物 を摂

る。食事 の時 は (はしたなさや過度 の難 しさを避 けなが ら)親 しげな会話 を 奨励 すべ きである

(25)。」

こうして知 らず知 らず の うちに生活 の試練 と浮沈 に

も耐 えられ るような望 ましい習慣 を生徒 たちが形成す るのを助 ける

ましてや家父長 たる校長 の役害掴まいっそ う大 きな もの となる

「 かれ ( 校長)の規律 のや さしさ, そ して生徒 のためを思 う情愛的気遣 い が, 校長 との まった く遠慮 のない コ ミュニケーシ ョンを奨励すべ きであ る0 校長 の余暇 の多 くは生徒 ・学生 との私的 なイ ンタビューに使 われ るべ きだ

し,生徒 ・学生 の心 に行動 の高 い原則 を渉 み込 ませ るのに用い られ るべ き である

権威 の冷 たいそ して よそ よそ しい雰囲気が,寄宿舎 にお ける秩序 や規則正 しさや服従 を外見上 は維持 しているようにみえて も, もし校長が 生徒 の愛情 といわない まで も,尊敬 と信頼 をかちえていないな らば, これ らはごまか しの兆候 で ある。‑‑校長 との関係 のみを考 えれ ば, あ らゆる 過 ち は余 りに警戒心 の強 い権威 を怖 れ るか らで はな く,心配す る友人 に心

(24)Zbid.,pp.3231324̲ (25)Zbid.,pp.313,324,325.

(18)

30

人 文 研 究 第

91

の痛 み をあた えた り心配 をか けた くない とい う気持 ちによって抑 え られ, 矯正 され るべ きで あ る。か くして, マスター は範 をたれ る ことによって良 心 は次第 に高 め られ, その純粋 さゆ えに尊敬 され, そ してそのや さ しさゆ えに愛 され,劣等 な感情 は高 い源か ら引 き出 され た動機 によって置 き換 え

られ る( 2 6 ) 。」

倫理 的 ・美的模範 た る家父長 的校長 の人柄 が学校 の隅々 にまで浸透 した一 種独特 な雰 囲気 のなかで,生徒 ・学生 は教育者精神 のあふれた教 師 としての

自己形成 を遂 げるように仕組 まれていた。

少 な くともここまで述 べて きた ことか らも,個々 の生徒 の精神奥深 くにま で はい り込 もう とす る, いわ ゆ る教育 的 まなざ しが トレーニ ング ・ス クール に も浸透 してい るの を容易 に読 み とる ことがで きよう

この心理 的 ・道徳的 まなざ しを牧人司祭的 テ クニ ック と言 うこともで きよう

(27)

。既 に この点 につ いて は他 の稿 で触 れてお り, ここで は立 ち入 る余裕 もないが,牧人 司祭 的 な テ クニ ックは当然 の こ となが ら, その対象 (ここで は トレーニ ング ・ス クー ルの生徒 ・学生) を凝視 して理解 を示 す。 じっ と見 つめて比較考量すれ ば,

「この生徒 ・ 学生 は‑‑・ で ある」 とい う知が生 まれて くる。 そ して この知 は今 度 は逆 に生徒 ・学生 に働 きか け, 自己確認 を迫 るわ けで ある

生徒 ・学生 に

とって は, この心理的 ともい える教育 的 まなざ しは対 象 とされ た者 の表層 に とどまらず,魂 の奥深 くにはい り込 もうとす るので,逆 に きつ くな る。 ただ しその対象 とされ た生徒 ・学生 が 「きつ さ」 を感 じとるか どうか はまた別問 題 で ある。 とい うの も,人 に自己確認 を迫 り,主体 を形 づ くるそのテ クニ ッ

クは, けっ して暴力的な もので はな く, いた って ソフ トだか らで ある。

(26)Second Report on the Schools・

‑,in James Kay‑Shuttleworth

,

Four Peribds

・ ・ ・ ・ ・ ・ ,p

.405.

(27)

牧人司祭権力については

M.

フーコー 「 〈 性〉と権力 」 「 現代 思想

」78

6

月号

( 『 哲学の舞台』朝 日出版社 に再録)参照。

(19)

牧人司祭的 テクノロジー としての教師養成

31

試 験

この ようなテ クニ ックの一端 は試験 システム に読 み とる こともで きよう

バ ター シー の トレーニ ング ・ス クールで は,学生 と生徒 の学力が試験 をす る 程度 にまで高 まった場合 には,一週間 の各曜 日に,さまざ まな科 目‑ 文法, 語源学,算術 ,計量,代数,力学,地理 そ して聖書 の知識‑ が割 り振 られ, テ ユー タ‑の監督 の もとで,一時間 にわた る筆記試験が実施 され る。 それぞ れの問題 にたい して他 の問題 と比較 して難易度 に応 じて標準点

(meannum‑

bers)

ともい うべ きものが,

3

,

4

,

5

,

6とい うように設定 され る。それぞ

れの標準点 にたいす る最高点 は この場合 それ ぞれ

6

,

8,10,12

とな り,最

点 は 1となる

試験 記録簿 には各生徒毎 に評価点数 が記入 され, 週末 には点数 が加 算 され, 一週 間 にな され た試験 の 日数 で それ を割 る こ とに よって平 均 点 が算 出 され

同様 に して, 月末 に は遇平均点 の総点が

4

で割 られ, この結果, それぞ れの少年 の知 的進歩 が一 目瞭然 となる( 2 8 ) 。

この週毎 の試験 を一層大規模 にしたのが四半期毎 の試験 である

通常 の課 業 をいっさい停止 して, すべての授業科 目にかん して筆記試験 が科 目毎 に

3

時間 にわ た り, それ も 3日あ るい は 4日にわ たって実施 され る。 この試験 に

たい して もほぼ同様 の採 点評価 が な され, それぞれ の生徒 の名前,年齢 , ト レーニ ング ・ス クールへ の入学時期 を含 む一 覧表 と照 らし合 わす ことに よっ て,各生徒 の知 的進歩が明示 され る ことにな る( 2 9 ) 0

現代 で は試験 は日常化 してお り, それが問題化 す るの はしば しば 「 抑圧 す る」 もの として批半田こさ らされ る ときであ る

だが テ クノロジー として試験 は 「 抑圧 す る」 ことを本質 とは していない。 それ は匿名 のマス としての生徒 をひ とりひ とり 「 階層秩序 的な視線」に晒 す ことによって, 「 可視性」を帯 び

(28)FirstRepo71ontheT71aim'ngSchool

・ ・ ・ ・ ・

,inJamesKay‑Shuttleworth,Four

Periods

・ ・ ・ ・ ・

,pp.33033

1 .

( 29)

Ibid.,pp.361365.

参照

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