倉 田 稔
文 章
日 序
Ⅰ 文章論 は じめに 1.名文
3.
実用文 と芸術文5
. なぜ短 い文 が良 いか7
.視覚 ・聴覚9
.文章 の見直 しl l .
文章 の終 り1 3 .
文体1 5 .
読 点1 7 .
接続語1 9 .
文章 の書 き方。一般 的2
1.精神論23 .
その他 の諸問題2 5 .
日本語作文教育ⅠⅠ 翻訳 の技法 はじめに
1.単語
3
.語順 ・配列5
. あ る翻訳実践7
.違 う仕組 みの表現吹
請
2.
口語,文語4.
明解6.
単語 の選択8.
主語1 0 .
主観1 2 .
文体 とオ ノマ トペ1 4 .
意見 と事 実1 6 .
修飾語1 8 .
助詞 ・接続詞 の 「が」2 0 .
論理,論理的。2 2 .
パ ラグラ フ24 .
全体 の書 き方2.
直訳 ・意訳4.
分か らな さ6.
ある経験則8.
や さ しい表現序
9.
習慣的表現1 0 .
学術 用語l l .長い文の切 り離 し 1 2 .
専門論文1 3 .
コンピュー タ二 と翻訳1 4 .
結語ここで は,論文 向 けの文章,社会 ・人文科学的文章 について論ず る
。
その 上 また,論文 ので はな く,文章 の書 き方の論 である。
議論 を2
つに分 け,Ⅰ
は通常 の議論,ⅠⅠは外 国語 と関係す る議論 とす る。外 国語 を下敷 きにした 日 本語論文 の文章が,かな りの問題 をな してい るか らであ る
。
Ⅰ 文章 論 は じめに
井上 ひ さし氏 には, 『自家製 文章読本』とい う素晴 らしい作品があ る。 こ の 「自家製」 とい う標題 が,実 は意味深 いので あ り, その句 を使 った理 由が 我々 に大切 な ことを教 えて くれ る
。
井上 は,言語 の 目的 は何 か と問 い,「伝達 と表現である。」 と答 える。
「伝達 とは,算数 の問題文 や商業文や記事文 な どの ように,お互 いの共通 の 常識 に働 きか けなが ら送信 と受信 を完成 させ る ことで ある」。そ して,伝達 を 旨 とす る文章 を書 く場合 は,すで に出来上が っている手本 を十分 に摂・取 した 方がいい。 その文章 の形式 を学べ ば,誰 にで も伝達 は可能 で ある。伝達用 の 文章修業 のために,文章入門書が数多 く用意 されている, と言 う。
「しか し言語 を表現 のために用 い る とな る と, これ は未来永劫 むずか しい。
共通 の常識 によ りかか っていて は表現 の質が粗悪 になる。逆 に,共通 の常識 を軽 くみ る と一人 よが りの送信 に終始 して, ほ とん ど読 み手 に受信 して もら えない とい う悲喜劇 も起 り得 る。」
ここで表現 のための言語 とは,小説 な どの言語 と解 す るべ きである。
「表現 のための文章修業 は,個人個人 が 自分の趣味 に したが って,自力で横
み重ねてゆ くほか はない。 つ ま り画一的 な読本が あるはず はないのである。」
だか ら,後者 の文章 について は,「各 自,自分用 の文章読本 を編 まれ るのが よろしい」(1)。 こうして井上 は,「自家製」本 を書 いたわ けである。
井上 はここで,表現 のための文章 の画一的な読本 はない と,小気味 よ く否 定 し去 った。 これ は,重大 な指摘 であるし,正 しい。本論 で は,数多 く用意 されてい る本 に,屋上屋 を重ねて善 くのだが, もち ろん伝達 のための文章 を 対象 とす る。つ ま り社会 ・人文科学的な文章 で ある。
さて,文章読本が,谷崎潤一郎,菊池寛(2),川端康成(3),伊藤整(4),三島由 起夫(5),中村真一郎(6㌧ 丸谷才一 ら,によって書 かれてい る。いずれ も小説家 である
。
しか し今述べた ように,小説 の文体 は,論文 とは違 い, ここでの参 考 にはな らない。 だか ら,必要 な限 りで利用す るだけで ある。文章上達 の方法 は,誰 で も言 うように,「古来 の名文 と云 われ る もの を,出 来 るだけ多 く, そ うして繰 り返 し読 む ことです。」(谷崎)「文章上達 の秘訣 は
‑‑・名文 を読 む こ とだ‑‑。作文 の極 意 はただ名文 に接 し名 文 に親 しむ こ と」,それ に尽 きる(丸谷), とされ る。 これ らも正 しい。 しか しここで は,こ こだけで上達 を狙 わねばな らないので, それ は言わないで,先 を急 ごう。
I.名文
日本 の最 も有名 な文章論 の一 つ は,谷崎潤一郎 の 『文章読本』 (昭和
9
年) で\あ ろう(7)。 ここで彼 は,名文 とは美文 で はない と,教 える。 これ は正 しい。木下 は言 う。「文章 の うまさ・美 しさは,余 り重要 な もので はない
。」( 8)
ここで「うまさ」 とい う語 は誤解 され るか もしれない。 ある意味で 「うまさ」は必要 だか らで ある。 日本 の社会科学 で も美文 ・名文 はあるO 高橋誠一郎 の書 は美 文 であ り,大塚久雄 の本 は名文 である。
2.口語, 文語
谷崎 は書 く。「‑・‑既 に文字 で書かれ る以上 は,口で話 され る もの とは自然 違 って」くる(9)。 これ も正 しい。文章が うま く書 けない と言 う人 に向か って,
「で は,喋 るようにして書 けば よO 」と教 える人が いる。一般 的 には間違 いで ある
。
口語 と文語 (もち ろん現代語) とは違 うもので ある。
ただ し,後述 す るが ‑ 注(10)を見 よ‑ ,ある一面で は,限定 をつ けれ ば,間違 いで はない のであ るが。例 えば,私 の例 で恐縮 だが, ある委員会 で発言 をテープで取 られた。 それ をまず再現す る としよう :
「さて,今 日申 し上 げたい一つ 目は,歩道 の問題 なんです。これ は生活 して い る人々 に とって は重要 な問題 であ りまして,全般 に歩道が少 ない とい う声 が多いわ けです。他 の国 を持 ち出す必要 はあ りませ ん けれ ども, ヨーロ ッパ のほ うで は歩道 のない道路 は道路 とはみな さない とい うような常識 を持 って い ます。 日本 は世界第 二位 の豊 か な国 になった と言 われてお ります けれ ど
ち,歩道 の問題 はまだ後進 国の ように思われ ます
。」
これ で は,書 か れ る文 章 に はな らな い。 その上, この録 音 テープ に は,
「ア‑」 とか, 「エー」とか, 「その‑」も,入 ってい るはずである。 そんな も のを文章 にで きない。 この口語 を文章 にした ら, こうなるはずである。
「述べ たい第一 は,歩道 の問題 で ある。歩道 は,生活者 に とって は重要で あ る
。
だが,全般的 に,歩道が少 ない とい う声がある。 ヨー ロ ッパで は,歩道 のない道路 は道路 とは見 な さない とい う常識 がある。 日本 は世界第二位 の豊 かな国 になったが,歩道 はまだ後進 国であ る。」つ ま り口語 と文語 とは違 うのである
。
それ に, この発言で さえ も,書かれ た文 に近 い はずである。
一般 には, 日常会話 であれ ば, もっ と くだけて,長 いであ ろう。 この例 で は,書 く文 になった ことによって,3 0%
も短 くなって い る.
そ して,余分 な,無意味 な,主観 的な表現が削 られてい る。
井上 ひ さしは,書 く。「会話態 よ りも講話態 (座談会 な ど),講話態 よ りもゆ るやかな講話態 (ス ピーチ,講演 な ど)へ と発語速度が落 ちてゆ くご とに,請 し言葉 は書 き言葉 に近 くな る」(10)0
話 す ようには書 けない, とい うの は,井上,丸谷,谷崎 も言 っている
。
話 す ように書 け とい う代表 は,佐藤春夫で ある。大 き く言 って,間違 いである。なお, 「見 た とお りに書 け」とい う勧 め もあるが,本来 それ も不可能 なので ある(ll)0
3
.実用文 と芸術文谷崎 は言 う。 「文章 に実用 と芸術的 との区別 はない」。 ただ し彼 は, この前 提 を,「韻文でない文章,すなわち散文」 としている。 そして,「最 も実用的 な ものが,最 もす ぐれた文章 で」ある, と言 う(12)。 これ は近代思想で ある
。
この説 は,原則 的 にかな り正 しい方向 に近づ いている。
しか し,すで に井上 の論 じた ように,実際 は違 うのであ る
。
区別 はある。
文章 は,表現文 ‑芸術文 と伝達文 ‑実用文 とに分 れ る。芸術文 は,新 聞記事, 広告,商業文,手紙,論文 な どの実用文 とは違 う
。
む しろ谷崎 の発 言 は, よ い伝達 をす る とい う意味で,実用的文 を努力 目標 とす るべ きだ, とい うこと であ ろう。
芸術文 と実用文 とで は,表現方法が異 な る。 また論文 も,新聞記 事 や広告 ・商業文 ・手紙 とは違 う。「これ らの実用文 にはそれ ぞれ固有 の形式 が あ り,特有 の修辞 法が ある。
」(13)4
. 明解川端康成 は 『新文章読本』で,「文章 の第一条件 は,‑‑簡潔 ・平明 とい う こと」で ある, と言 う
。
谷崎 は,ついで重要 な考 えを言 う。「現代 の口語文 で は,専 ら『分 か らせ る』
『理解 させ る』 とい うことに重 きを置 く
。」
この発言 は重要であ る。
あるい は 本質的で ある。さらに進 んだ議論 を紹介すれ ば,こうである。「はっ きりと読 者 に伝 わ るの は,出来 るだけ無駄 を切 り捨 てて,不必要 な言葉 を省 く」 ことだ。また言 う。「実 に口語体 の大 いな る欠点 は,‑‑ 放漫 に陥 りやすい ことで あ り」, ゆえに 「口語体 の放漫 を引締 め,で きるだけ単純化す る こと」(14)が必 要 だ, とす る。 これ も方向 として は正 しい。 ただ しこれには限度が あって, 電報文 (例 えば,「デ ンタノム」‑ 「電話 を頼 む
」)
や土地家屋販売宣伝文 の ように, まった く無駄 な言葉 を省 いて しまうわ けにはゆかない。
「形容詞 を極 力省 いた簡 潔 明瞭 はすべ ての文章 の理想 とす る ところ」 で あ る(15)。形容 詞 は,主観 的で あ る場合 が多 い し,無駄 ・あ るい は余分 にな る こ とが多 いか らであ る。「見 か けはいか に語嚢 が豊 かで,含蓄 あ りげで,彩 りに 富 んで い よう と,基本 の ところで論理 に狂 いが あって, どんな情景 を措 き, どんな感想 を語 り, どんな判 断 を示 そ う としてい るのか,読者 に きちん と伝 わ って こない ようで は文章 を名 の る資格 はない
。
」(16)明快 とい うの は, や さしい, とい うこ とで もあ る。 とい って も, 内容 が な い と,駄 目で あ る。小難 しい文章 が いい文章 だ と思 うバ カ らしい解釈 もあ る。
有名 な小説家 も小難 しい文 章 を書 くこ とが あ るか ら,注意 をす る必 要 が あ る。
編集者 で あ る,おか め ぐみ さん は言 う。「俗 に編集者泣 かせ とい うのが い くつか あ りまして,一 に悪筆 ,二 に悪文 ,三 四が な くて五 に校正魔 。/二 についてですが 『悪文』 とい うの はち ょっ と刺激 が強す ぎるか もしれ ませ ん か ら 『わか りに くい』文章 といってお きましょう。著者 自身 に は解 り切 った ことだか らつい気楽 に書 いて しまうので し ょうが,読者 に は理解 しに くい こ とが多 いのです。言葉 とい うもの はむづか しい もので, 自分 の思 うことや感 じる ことを他人 に解 って貰 うために は,工 夫 や ら苦心 や らが相 当 に要 ります。
小説 を書 く人 たち はそのへ ん をよ く承知 していて,読者 を引 っ張 ってい くよ うな文章 を書 く‑ す くな くとも害 こう とす る ‑ よ うですが,学者 とい われ る人 たち は, あ ま りそ うい うことを考 えない らしいですね。印税 で生活 してい る人 とそ うで ない人 との違 いか も知 れ ませ んが,版元 に とって は読者 はお客 さまで, お客 さまは神様 ですか ら,相手 が た とえ学生 で あって も,一 ペ ー ジ読 んで投 げ出す ような本 は出 した くないわ けです
。」( 17)
明快 に書 くための心得 として,次の点が あげ られ る。
1
.一文 を書 く度 に, その表現 が一義 的 に読 め るか どうか,他 の意味 に と られ る心配 が ないか どうか を,吟味 す る。読者 が それ を どうい う意味 に とるだ ろうか と, あ らゆる可能性 を検討 す る。理解 で きるように善 くだけで はな く,誤解 で きない ように書 く。 暖味 な点 を残 さない。 あ る文 が 正確 に言 う と何 を意味 す るかが分 らなか った ら, その文 を省 く。
2.
はっ きり言 える こ とはズバ リと言 い切 り, ぼか した表現 を避 ける。 幾 らか不 自然 に思 えて も,で きる限 り明確 な,断定的 な言 い方 をす る(18 ) 0
ここで沢 田 は,きわ めて興 味 あ る事実 を述 べ る。「日本人 が 自分 の考 えを ま とめて有効 に表現す る訓練 を受 けて こなか った
。」( 19)
木下 も言 う。日本 人 は, 「折 あ る ご とにぼか し こ とば を挿入 す る言語 習慣 が深 くしみつ い て い て,容 易 な こ とで は くはっ き り言 い切 る〉文 章 は書 けない の で ある。」(20)と。
その まずい例 を,木下 は挙 げる。「‑‑ で あ ろう
」
「‑‑ と言 って よい ので はないか と思 われ る」
「‑‑・感 じがす る」
「‑‑ と見 て もよい」 「‑ ‑
と思われ る
」
「‑‑ と考 え られ る」 な どで ある。 そ して加 えて,「ほぼ」「約
」
「ほ ど」
「ぐらい」
「たぶん」
「ような」
「らしい」, であ る。
金 田一 も言 う。「日本人 ははっ きり文章 が終 って しまう と,何 か切 り口 上 の ような,そっけない ‑ 今 の ことばで い えば,ドライな感 じがす る
と考 えていやが った。」(
2
1)3.
な るべ く短 い文 で文章 を作 る。 明快 ・簡潔 を目指 す。無駄 な語句 を避 ける。
長 い文 を避 ける。名文 を善 くに は,短 い文 で書 くとよい (小泉信三)。短 い文 は,天才 的 人物以外 に は善 くの によい。分 か りやすい文章 が書 けるか らで ある
。
長 い文章 で分 か りやす い文章 が書 けるの は,名人 だ けであ る。
な るべ く原稿 用紙 の
3
行以 内で書 いてみ る。一文2 7
字以 内で書 いてみ た らどうか と,小竹氏 は提言 した。明確 な文 が書 けない ときは,書 き手 の思考 が明確 で∵ない ときである (小竹豊治)。文 は, どうや ら,短 くす る と良 さそ うであ る。
短 い文 は,美文,名文 に はな らない ことが多 い。 しか し名文 ・美文 を ね らうわ けで はないので,短 い文 の方が よい, とい うことにな る。
4.
文 を頭 か ら読 み下 して,その まま理解 で きるか どうか を,考 えてみ る。読 み返 さない と分 か らない とい うの は,駄 目で あ る(22)0
5.
なぜ短 い文が良 いか。短 い文 を書 くと, なぜ分 か りやす くなるのか,逆 に,長 い文 を書 くとなぜ 分か りに くくな るか。 それ に はい くつか理 由が あ る
。
1.
「文が長 くなる と,文 の統一 とい うことを忘 れ て しまう書 き手がでて」くる(23)。信 じ られ ない ことだが, こうい う人 は結構 多数 い るので あ る
。
2.
主語 と,述語動詞 の間 に,長 々 し く文 を入 れて しまう。 こうす る と, 読 み手 は主語 を忘 れて しまう( 2
4)。金 田一 は言 う。「日本語 で長 いセ ンテ ン ス を書 くと,最初 の主語 を受 ける述語動詞 ははるか うしろにい く。
そ う してその間 に沢 山の小 さいセ ンテ ンスの卵 の ような ものが割 って入 る形 にな る。
これで は聞 く人 ・読 む人 は,話 の中心思想 が分 か らないで はな はだ苦 しむ。 われわれ の 日本語 で は, つ とめて短 いセ ンテ ンスで文章 を 書 かな けれ ばな らない。」( 25)
3.
その文 に関係 ない ことが らを, その文 に入 れ て しまう。4.1
つ の内容 を1
つの文 にす るべ きなの に,別 々 の2
つの内容 の もの を 1つの文 に して しまう。
だか ら分 か らな くな る。5.
文 が進 む うちに,主語 が変 わ って しまった り,主語 が分 か らな くな る。
そのため読 み手 は意味が分 か らない。「主語 が行 くえ不 明 の文,述語 だ け が二 回 も出て くる文 ,主語 が二 つ もあって どち らが本 当の主語 か不 明 な 文,述語が見 あた らない文」,これ らは分 か りに くい文 なのだが,長 くす
る こ とで, そ うなって しまう
( 26)
0上 の項 目は,逆 に利用 すれ ば,短 い文 を作 る方法 ともな る
。
6.
単 語の選択川端康成 は言 う。 「単語 の よ き選択 はよ き文章 の基礎 で あ る
。」( 27)
そのた め に, で きるだ け普通 の用語, 日常 用語 を使 う。新奇語,造語 は,使 わ ない。か たい漢語や むずか しい漢字 は,必 要最低 限 しか使 わ ない。
谷崎 は,用語 について,選 び方 を箇条書 きにす るo
l.
分 か りやすい語 を選ぶ。2.
なるべ く昔か ら使 いなれた古語(28)を選 ぶ。3.
適 当な古語が見 つか らない時 に,新語 を使 う。4.
古語 や新語 も見 つか らない時で も造語 は慎 む。5.
依 り所 のある言葉 で も耳遠 い, むずか しい成語 よ りは,耳慣 れ た外来 語や俗語 の方 を選ぶ(29)0そ こで谷崎 は, それ ゆえ同義語 を沢 山知 っている必要が ある とし, しか し 最適 な言葉 は唯一 つ しかない,と言 う
。
後者 つ ま り,「最適 な言葉 は唯一 つ し かない」 とい うことは,川端 も主張す るD これ は, ヨー ロッパで言 う本来 のレ トリック‑修辞,で ある。
7
.視覚 ・聴覚谷崎 は言 う。「口語文 といえ ども,文章 の音楽的効果 と視覚的効果 を全然無 視 して よい はず はあ りません。」視覚的効果 は,誰 で も実際 に考 える。活字 に
なる時,句点 は多 いか少 ないか,改行 ・行 あけ ・活字 の大 きさ ・太 さ,隔字 体 にす るか,傍点 を振 るか, な どを誰 もが考 える。 校正 の時 に, そ うしてい
るであ ろう
。
文章 は主 に,音楽的で あ り,音楽 と似 ている。 だか ら書 き手 は,聴覚的効 果 を考 える。読 み手 は文章 を一気 に読 めない。前か ら後へ時間 を使 って,時 間 とともに読 み進 めて行 く。だか ら音楽 を聴 くの と似 てい る。「言語表現 あ る い は言語芸術 とい うもの は,‑‑時間的 に展開 してゆ くものなのであ る
。」(
時 枝誠記)8.
主語谷崎 いわ く,「日本語 において は,少 な くて も詩や小説 の文章 には主格 を置 かないのが普通 であった
。」( 30)
日本語 だけで はな く,ラテ ン語 も,主語が ない 場合が ある。 ハ ブスブル ク帝国時代 に貴族 は,「私 は」I
chを使 わなか った。しか し,学術論文 の際 に は,主語 や主格 をいれて もよい。 ただ し人称代名詞 は,不必 要 な場合が あ る
。
その ような不必要 な主語以外 で あれ ば, む しろ主 語 は入 れ た方が いい。主語 を入 れ る と, 日本語 的 に はな らないが, 明確 になるか らで あ る。
その上,わか りに くい文 の典型 は,主語 が どれだか分 らない もの,主語 ら しい ものが沢 山あって分 らない もの, で あ る
。
そのため,主語 を確定 しておくことは必要 とな る
。
9
.文章 の見直 し自分 の書 いた文章 は, どうして も見直 しをす る必要が あ る
。
これ を しない といい文章 は書 けない。 その方法 に は次 の ものが あ る。1.書 きなが ら見直す。 これ は誰 で もや っている方法で あ る
。
2.
他人 の 冒 となって見直 す。 これ は,1
と3
に関係 す る。
3.
他人 に読 んで貰 う。
例 えば,福沢諭吉 は, 自分 の文章 を女 中 さん に読 んで聞かせ,彼女 が分 か らない こ とが あ る と,彼女が分 か る まで文章 を 分 か りやす くした,とい う。大塚金之助先生 は,文章 を夫人 に読 んで貰 っ た と言 う。 もち ろんそ うい う立派 な奥 さん を持 っていない人 は,他 の方 法 で それ な りに努力 しな けれ ばな らないだ ろう。4.
時間 を置 いてか ら見直 す。例 えば一週 間後 に読 み直 す。か な り時間が たつ と冷静 にな るか らで\ある。5.
何度 で も書 き直 す。例 えば, アダム ・ス ミス( Ad a m Smi t h)
は,8
回 書 き直 した(31)。書 き直せ ば書 き直 す ほ ど,文 はよ くな る。その上, ワープ ロの登場 で, これ はや りやす くなった。
6.
声 を出 して読 む。 これ は,前述 の谷崎 の言 う音楽 的効 果 にかかわ る。 彼 は言 う。「た とい音読 の習慣 がす たれか けた今 日において も,全然声 とい う もの を想像 しないで読 む こ とはで きない。」 これ は重 要 だ し,正 し い。黙読 していて も頭 の中で は音 を出 してい るか らで あ る。 具体 的作法 について谷崎 は提案す る。「文章 を綴 る場合 に,まず その文句 を実際 に声
を出 して暗唱 し
( 32)
,それがす らす らと言 えるか どうか を試 してみ る こ と が必要 で あ り‑‑, もしす らす らと言 えない ような ら,読者 の頭 にはいりに くい悪文 であ る ときめて しまって も間違 い はあ りませ ん。」(33)
1 0 .
主観論文, と くに学生 の論文 の文章 で多いのだが, 「私 は, ・‑‑思 う」とい う文 が沢 山入 ってい る。 これ は二 つの点 で, よ くない。
第一 は,暖昧 さの問題 で あ る
。「 A
はB
で ある」 とい う文 と,「 A
はB
で あ る と,思 う」 とい う文 とは,違 うのである。論文 で は, 出来 る限 り正確 な こ と, そ して事 実 を描 くべ きなので,一般 的 に言 って も, 「‑‑・と思 う」
文 は, 排除 しよう。 書 き手 が よ く調 べていないので, 「‥‑・と思 う」とい う文 を書 い て逃 げてい る場合 が,概 して多 い。第二 は, それ 自体 の問題 で ある。主観 と客観 の違 いの問題 で あ る。 「水 は, 酸素 と水素 か らなる」 とい うの と, 「水 は酸素 と水素 か らな る と,私 は思 う」
とい うの は,違 う
。
「と思 う」の文 は,印象が弱 い こと,頼 りない こ と,不正 確 さ, に加 えて,主観 を述 べ てい る こ とで あ る。
客観 を述 べ て はいない。株屋 に電話 して 「□□会社 の株 は今 い くらですか」 と聞 き,窓 口の証券会 社員が,「今,
1
株2 0 0
円だ と,私 は思 い ます」 と言 った ら, 困 るので あ る。客 は, その彼 の思 いで はな くて,客観 的 な事実 としての値段 を聞 きたいわ け であ る。事 実世界 を描 くべ き論文 で,主観 を述 べ られて も困 る。
ガ リレオ は,ローマ法王庁 の宗教裁判 で,「地球 が動 く」とは言わ なか った。
「地球 が動 く,とい うことが考 え られ る」と答 えた。それで殺 され る ことな く, 投獄 され るに とどまった。 この違 いが あ る。つ ま り殺 され るか どうか とい う
ほ どの違 いが あ る。
そ こで, 「私 は, ‑‑思 う」とい う意味 の表現, つ ま り主観 的表現 を,論文 で は出来 る限 り止 め るべ きで ある。 これ に似 た多 い例 は, 「‑‑‑気がす る」で ある。「気 がす る」で,論文 を書 かれて はた まらない。その他 ,「‑ー‑感 じる。」
「‑‑・だ ろうと思 う
」
「・‑‑よ うに思 える」
「‑‑・言 えよ う。 」
「・‑・・ので はないか と思 う」な どが あ る
。
ひ ど くな る と, 「‑‑‑で はないか とい う気 がす る」と い うもの もある。ついで なが ら,主観 的表現 を重 ね る困 った クセ もあ る
。
「‑‑ したい と思 う
。
」‑ 「したい」 とい うの は, もうすで に 「思 ってい る」 ことで ある。「‑‑考 えて見 たい と思 う。」‑ ここには主観的表現が, ご丁寧 に3つ も あ り,救 い ようが ない。
第三 に,そ もそ も,論文 で は,書 き手 の思 うこと,内容 を書 くわ けだか ら, 思 ってい る内容 にたい して,またその上,「私 は,思 う」として も無駄 で あ る
。
最後 に. 「‑・‑思 い ます。」 の文 は,.1口語 や手紙文 な どで,多用 され る。 日 本語 で はそ うせ ざ るをえな くな る。 断定 的な文 は,話 しに くい し書 きに くい のであ る。 しか し論文 で は,性格 が違 うので あ る。
lJ.文章 の終 り
論文 で,現在形 は,「‑‑ で ある」調 に統一 す る もの とされ る。過去形 で は,
「‑‑・た。」 で終 る
。
この理 由 は,「で あ ります」 とか 「で ござい ます」で は, 長 す ぎるか らで あ り, また, 「です」
「ます」 は, 口語 的 だか らだ とされ る。ただ し, くど くな った ら,「た」調 の代 わ りに'L「で あった」調 な どを入 れべ き で あ るる。 つ ま り聴覚 の問題 で あ り, いつ も 「た
」
「た」
「た」
「た」と,機 関 銃 の ように書 くわ けにゆかない。 この聴覚 問題 は,文章 の終 り部分 だ けに は 限 らない。1 2.文体 とオノマ トぺ
文体 とい うもの は,芸術 文 で あって も, あ る一人 の作家 の生涯 において変 化 す る。 その上,作家 は, 内容 に よって もそれ に照応 した文体 を新 し く採用
・創造 す る場合 が あ る
。
さて論文 で は,二種類 あ る。
理論 的 ・抽 象的文章 と, 具体 的叙述 的描写 的文章 であ る。前者 は数学 ・物理学 に近 い作 品で あ る。後 者 は具体 歴史 的作 品 あ るい は現実社会調査 な どであ る。
これ らで は,文体 は違 って来 る
。
内容 によって文体 も変 わ るのである。オノマ トペ, つ まり擬態語 ・擬声語 は, どうなるか。文学 で は, これ は品 が悪 くな るので使 わないほ うが よい, とされて きた。 だが 「オノマ トペ には 物事 を具体的 に,直接的にあ らわす働 きが ある。感覚的効果 も著 しい
。」( 34)
聴 覚 ・視覚 に訴 えるか らで ある。文学 で は, これ を使 って十分 よいだ ろう。
こ れ をうま く使 った一人 は,小林 多喜二 であ る。オノマ トペ を使 うか どうか は, 文が上 品か, そ うでないか, で はな くて,抽象的か具体 的かの違 いなのである。
さて,論文 で は,文学 ほ ど使 われない。 だが,上 で述 べた ように,具体 的 描写 の文章で あれ ば,使 って もよか ろう。
13.文体
文章意識 を伴 わない透明 な文章 にな らなけれ ばい けない,とい う説がある
。
「文章 とい うもの は,‑‑・自分 の言葉 をもって対象 にせ ま り,対象 を とらえる のであるが, それが出来 あが った ときには, む しろ文章 の方 は消 え,対象が そ こに はっ きりと浮 か び上 が って くる とい うよ うにな らな けれ ばな らない
‑‑ ・
」 (野間 宏)しか しこれ は,重要で はない。例 えば,マル クス とエ ンゲルスの作 といわ れ,実 はマル クスの作 品であ る 『共産党宣言』 は,名文 であ るが,文章 自体 の素晴 らしさ,残像 が残 る もので もある。冒頭 の,「ヨー ロ ッパ に幽霊が出廻 っ ている,‑ 共産主義 とい う幽霊が
。
」とい う文 で あるが, これ は,な くて も よい ものである。 しか し, まず は有名 な文句 となっている。 この くらいの文 章意識 を感 じる無駄 な, しか し立派 な文 を書 いて も,悪 くはない。 しか し普 通 は文章 に自信 のない人 は書か ない方が, もち ろん よい。1 4.意見 と事実
論文 は,叙述 ・描写 の論文 を除 けば,結局 は自然科学的な ものが よい。す る と,木下氏 のい うように,事実 と意見 を きちん と分 ける,事実 の裏打 ちの
ない意見 を記述 す るの は避 ける(35),べ きだ, とい うこ とにな る。で は,事 実 を記述 す るに は どうす るか。 こうだ とされ る。
1.
書 く必要 のあ る事実 だ けをか く。
2.
それ をぼか さないで, で きるだ け明確 に書 く。3.
文 はな るべ く名詞 と動詞 で書 き,主観 に依存 す る修飾語 を混入 させ ない。
4.
事実 を書 いてい るのか,意見 を書 いてい るのか を, いつ も意識 す る。両者 を明 らか に区別 して書 く。
5.
事 実 の記述 に,意見 を混入 させ ない。6.
レポー トの主体 は,意見 でな く事実 であ るべ きだ。この第
6
点 について,氏 はきわめて興味 あ る問題 を出す。 それ は次 の例 が 示す ように,事 実 はどれで, どれが意見 か, とい うもので あ る(36)0ジ ョー ジ ・ワシン トンは米 国 の最 も偉大 な大統領 で あった。
ジ ョー ジ ・ワシン トンは米 国の初代 の大統領 であった。
上 が意見 で,下 が事 実で あ る。 つ ま り 「偉大 な」 とい うの は,書 き手 の意 見で あ る。事実 で はないか らで ある。 こうい う教育 はアメ リカで は行 な って い るそ うだが, 日本 で はや っていない。
J5.読 点
書 かれ た作 品 は,字 ・語 ・句 ・文章 ・分節 (‑パ ラグラフ)・節 ・章 ・編 ・ 那,にな る。そ こで は,句 の後 に,点 (読点),文章 の後 に,丸 (句点)を打 つ。
句読 点 は,字 と同 じか, それ以上 に大切 で ある (本多)。実 は,読点 (、)こ そが そ うなので ある。句点
(
。)の打 ち方 は,誰 で もか な り分 か っている。金 田一 は言 う。 「日本語 で は,文 ‑‑ は, かな りはっ き りした単位 で あ る。
小学校 で生徒 に作文 を書 かせ てみ る と, 、 を打 つ場所 は六年生 になって も なか なか うま くゆか ないが, 。 を打 つ場所 は,二年生 になれ ば,たいてい
正 しい ところに打 て るよ うにな る とい う
。」( 37)
落語 で有 名 な文 が あ る。
1
今 日は雨が降 る天気 で はない。これ は,丸 を打 て ば,先ず はっ き りす る。
2
今 日は雨が降 る。
天気で はない。しか し,文
1
は, テ ンによって違 った解釈 もで きる。3 今 日は,雨が降 る天気, で はない。
日本語 は分か ち書 きを しないので,点が必要 にな る
。
しか し, テ ンの打 ち 方 は誰 も教 わ っていない し,普通 はで きる人 が いない。さて,読点 は,理論 的 に打 つべ きで あ る。 例 えば, 美 しい花 を もつ娘
とい う句 が ある
。
これが,美 しい花 か,美 しい娘 なのか,分 か らない。文法 学者 は,美 しい花, と理解 して くれ る。 しか し読者 は全員, 日本語文法学者で はない。 だか ら,
美 しい花 を、 もつ娘
美 しい、花 を もつ娘 とい う風 に読点 を打 て ば,分 か る。 ただ し実際 は,語順 を考 えた方が よい。美 しい娘, と言 いたい時 は,
花 を もつ美 しい娘
とす るべ きであ る。 日本語 で はまず初 めに語順 を考 えて,伝 達 す るべ きで あ り,読点 は, それで もで きない時 に打 つ方が よい。 また,
五 と三 の二倍 は
とい う文 は,
1 6
だか1 4
だか,全 く分 か らない。五 と三、 の二倍 は あ るい は 五 と、三 の二倍 は
の, どち らか に しない と,答 は違 って しまうだ ろう
。
点 の打 ち方で,意味が 変 わ る, あ るい は分 か らな くな る ことを,知 るべ きなのであ る。文
1
山田 さん は結婚 した田中 さんの先生で あ る。とい う文 も,点や丸一 つで意味が違 って しまう。 あるい は話 をす る時 に, 息 を入 れ るか入れ ないかで変 わって しまう。
文 2 山田 さんは結婚 した。 田中 さんの先生で ある
。
文
3
山田 さんは,結婚 した田中 さんの先生である。文
1
は,良 く読 めば,文3
だ と理解 して もらえる。
しか し,読者 は困 って, 文 2かな, と思 うことが あ る。文
1
は,不親切 なので ある。 点 を打 つべ きだ。古来有名 な句,弁慶が な, を紹介 しよう
。
弁慶 がな ぎなたを持 って
とい う句 が,弁慶 が な, で,行 が変 わって しまった場合 である。
弁慶 がな/
ぎなたを持 って
とな り,弁慶 がナ, 「ぎなた」を持 って, と読 んで しまう
。
ぎなた ッテ, いっ たい何 だ, と不思議 に思 うまで,文 は分 か らない。 だか ら弁慶 が, な/ ぎなた を持 って
と,点 を打 たなけれ ばな らない。昔 は点 を打 たなかったのであ る。
点 を打 つ には,
1.
主語 あ るい は主部 の終 り,2.
同格 の重文 の ときの, それぞれの単文 の間,3.
挿入句, な どに打 つ とよい。句読点 を正 し く打 つ ことは,かな り正確 な文章技術 を持 って はじめて可能 な ことなので ある(大野晋)0
青柳友子 は書 いている。「もう一つ,私 は
Ⅹ
Ⅹさんの文章 で, こん ど初 めて 気がついた ことが ある。/
句読点 の使 いかたが,実 にうまい ことで ある。‑‑・
/ ムダな句読点が ない,必要 な部分 に抜 ける ことが ない。句読点 の ことな ど, 大 した問題 で はない ようだが, け してそ うで はない。/文章 を書 くとき,人
はつい自分 の しゃべ りかたの癖 と同 じに,句読点 を打 つ。/ これだけ きちん とした句読 点 を打 て るの は,
Ⅹ
Ⅹさんが受 けた教育 や生活環境 がマ トモだっ た ことを物語 っている。」(38)Ⅹ
Ⅹさん とは,小説家で ある。小説家が小説家 をはめてい るので,可笑 しい 事 この上 ないが,言 っていることは正 しい。「句読点 の ことな ど大 した問題 で はない ようだが・‑・‑」 とも言 ってい る。 文章 を書 く専門家 中の専門家が こん な ことを言わ ざるをえないほ ど,わが国で は句読点 の重要性が認識 されてい ないのである。 句読点 をきちん と打 てないの は,マ トモな教育 を受 けていな い と,彼女 は言 ってい るO だが一般 には, そのマ トモな教育 は, 日本 で は行 われていない ことも確かである。小学校 か ら大学 まで,それ を教 えていない。だいたい教 える側 の はずの先生が,で きないのである。
点 は,戦前 は新聞で も手紙 で も打 たなか った場合が ある。点 の打 ち方 の下 手 なの は, そ こと関係が あるか もしれない。
点 の意義 は他 に もある。文章 の読 み手 は,声 を出 していな くて も,頭 の中 で は声 を出 して読 んでい る。 したが って,点が全然 ない と,息切 れ して しま う
。
だか ら長 い文章 で は,少 な くて も,息 をつ く前で点 を打 つべ きだ, とい うことになる( 38a)
01 6.
修飾 語文章 の まざれ をな くすためには,
1.
語順 を正 しい文法規則 に従 って書 く。そ こで一番問題 なのは,修飾語 である, だか ら,
2.
修飾語 を置 く位置 を,修飾すべ き語 に密接 させ る(39)0修飾す る言葉 と, され る言葉 との,良 い規則 を,本 田 は引 き出す(40)0 1.両者 の足巨離が離れ過 ぎない。
2.
句 を先 に,詞 を後 に,書 く。3.
長 い修飾語 ほ ど先 に,短 いほ ど後 に,書 く。4.
大状洗,重要内容 ほ ど,先 に書 く。これ らの法則 は,点 を打 つ場所 を考 える時の前提条件 ともな る。
1 7.接続語
文 間つ ま り,文 と文 の間 は必 要 だ と言 われ る。 文 と文 の間 は,接続語 でつ な ぐか, つなが ないかの, どち らかであ る。 つなが ない と余韻 がでた り,含 蓄 がで る
。
それ は文学 で は有効 で あ る。
しか し論文で は, はっ きりさせ るた めに,接続語 で文 と文 をつ ないだ方が よい。明確 にな るか らで ある。
それ ら は, 「そ して」
「また」
「しか し」
「が」「けれ ども」
「また は」
「あ るい は」 「お
よび
」
「もし くは」
「つ ま り」
「要す るに」「だが」, な どで あ る。接続 言 の意義 を,井上 は述 べ る。「接続 言 は思考 の操舵手 である。前 の文 ま で の論理 を,接続 言 は次 の文へ と橋渡 しす る。 それ ばか りでな く論理 を運転
させ, ときに は次 の論理 と対比 させ た りもす る。 さ らに接続言 は,思考 の転 轍機 であるばか りでな く,語調 のカ ンナ ともな る。巧 みに用 い られ た接続言 はゴツゴツ と骨張 った語調 をやわ らか く和 らげ る
。
接続言 を多用す る と,文 章 のすべ りが よ くな り,速度感 が 出 る。」
(4
1)ただ し過度 に多用 す る と, くど くな る
。
な くて もよい もの は書 かない方が よい。1 8 .助詞 ・接続詞 の 「
が」清水幾太郎 は,有名 な 『論文 の書 き方』(42)で,接続詞 「が」を使 わない よう に と,推 めてい る。 その 「が」 とは,文 の終 りに くる 「が」 で あ り,無意味 の 「が」 の ことで あ る
。
重文 の中の前 の文 が終 る ときの 「が」 で ある。 日本 人 は, あるい は, 日本語 で は, この 「が」が多用 され る。順接接続語 で もな けれ ば,逆接接続 語 で もない「が」,で あ る。
これ は,清水 の言 うように,止 めた方が よい。 日本人 は,喋 る時 に多用 してい る。電話 で, こう受 け答 える。
「ハ イハ イ, 山田ですが, ‑‑」
この時, 「が」 は無意味 で ある。 口語 で あ る。
「モ シモ シ,鈴木 です けれ ども・・・‑・」
この 「けれ ども」 も,意味が ない。文章 で は, この無意味 の接続詞 はカ ッ トしたい。
多 くの場合,主文 の主語 には, 「が」 で な く 「は」が よい。例 えば, 私 は,犬が歩 いてい るの を見 た。
これ を逆 にす る と, よ くない。
私 が,犬 は歩 いてい るの を見 た。
助詞 「は
」
「が」
「に」 の違 い は,大切 さで あ る。私 は,君 を愛す る。
とい うの は,本来 の 日本語 で はない。
私 は,君が好 きだ。
とい うの は, 日本語 で あ る。好 きとい う動詞 は, 「が」 を支配 す る。
キ リンは,首が長 い。
これ な どは,外 国語 に直訳 しに くい。(もし訳 す る とすれ ば
,be t r e f f e n
あ る い はa sf o r
を使 って, 「キ リンに関 して は, その首 は長 い」 とな る。)逆 に 日 本語へ の訳 で は, こうい う表現 を使 う とうま く訳せ る。 だか ら,「は」 は,倭 利 で ある。1 9.文章の書 き方。一般 的
文章 の書 き方 について,木 下氏 の言 う技法 ・態度 を,紹介 しよう。
1.
書 きたい こ とを一 つ一 つ短 い文 に ま とめ る。
2.
それ らを論理 的 に きちっ と, つないで行 く。3.
(主語 を書 か な くて もよいが,)主語 をはっ きりさせ る。
あ る問題 を論 ず る ときに,
1.何 が問題 なのか, 明確 にす る
。
2.
それ について確実 に分 か ってい る点 を,明 らか にす る。3.
良 く分 か っていな くて,調べ る必要 が あ る もの を,明 らか にす る。
つ ま り分か らない もの を確認 す る。 そ して必要で あった ら,調 べ る。少 し くどい と思 って も,論理 の環 を省 かない。何度 も前 に戻 った りしない。
不意 に余計 な支流が流れ込 んだ り,迂 回 した り,行 く先がわか らな くな った り, とい うことは しない。
2 0 .
論理 ,論理 的。論理 的 に出来 ていれ ば,文章 は読 んでや さ し くな る。 これ は正 しい。非論 理的 だか ら,分 か りに くいので あ る
。
この ことを違 った表現 で,丸谷 は言 う。「文章 の調子 に とって は,個人個人 の生理 や体 質 よ りももっ とず っ と大切 な ものが ある。 それ は人 間 の思考 とい う普遍 的 な もので, その普遍 的 な もの に合致 す るように言葉 をつ らね るか ら こそ,文章 は他人 に理解 して もらえる。つ ま り伝達がで きる。」(43)これ は,請 理的 あ るい は,文法 的 に正 し くあれ, と言 い替 える こ とがで きる
。
日本語 は論理 的で ない, とい う主張が あ る。 どうだ ろうか。 これ は間違 い で ある。 日本語 も論理 的で あ る。 ただ し日本語 は妙 に細 かい感情 的 な ことを 表現 で きる とい うことで, あたか も論理的で ない よ うに思 われて しまうだ け で ある。英語 ・ドイ ツ語 な どと くらべ て, で あ る。 これ は, 日本人 が あ るい はアジア人 が感情 的 に微妙 にで きてい るので, そ うい う表現 ・言葉 が多 いか らそ うな る。 む しろ社会 のあ り方 に よってい る。例 えば,親 に 「孝行」す る, とか,学校 の 「先輩」 とい う語 は, ドイツ語 にない。 「義理」 も英語 にない。
日本人 つ ま り書 き手 が,論理 的でな く, 日本人 的 に感情 的 に書 くか ら,論理 的で ない ようにな る。 社会 と歴史 の問題 で あ る。
日本語 が論理 的で ない, とい うよ りも, イエス ・ノーが はっ きりしない場 合 もあ る。 書 き手 の態度 の問題 であ る
。
ドイ ツ語 を例 に とれ ば,代名詞 が文 中の どの名詞 と対応 してい るかが,比 較 的 よ く分 か る,英語 よ りもよ く分 か る
。
4つの格 と 3つ の性 と単数 ・複数 の区別 が あるか らで あ る。 それで も7種類 の指示代名詞 しかないのだが。英 語 は,単数 ・複 数,3
つの格 しか ないので, ドイ ツ語 よ りも対応 す る言葉 を 特定 で きに くい。 もっ とも日本語 よ りも特定 しやすい。 その ような違 いが ある
。
しか し,少 し丁寧 に書 けば,日本語 で もこれ らの言語 に追 いつ くだ ろう。
さて ドイ ツ語 は, た とえて言 う と,単 に煉瓦 を積 み重 ねて建物 をつ くるよ うな もので あ る
。
日本語 は,煉瓦 のあいだ に砂粘土 を入 れて しっか りつ ない で い るような言語 で あ る。助詞 や助動詞 で細 か な微妙 な表現 をす る, また は で きる場合 が多 い。2l .精神論
文章 を書 く際 の,精神論 とい うべ きものが あ る
。
石川 淳 は言 う。書 くに 値 す る内容 で なけれ ば書 くな。多 い知識 で,少 ない文章 を書 く。あ るい は沢 山の取材 をす る。そ うす る と, よい文章 が書 ける。
優 れた内容 で も,文章 が しっか り書 けていな けれ ば,無意味 となる(44)0 文章 は,練習 に よる(45)0
分 か っていないの に, あ るい は分 か った積 も りで書 く人が, い る
。
自分 だ け分 か るが,読者 に分 か らない こ とを書 く人 が い る。「‑‑・いか に書 くか とい う問題 は何 を善 くか とい う問題 と不 可分 の関係 に あ る‑‑。 とい うよ り, どうして も書 きたい,人 に知 らせたい とい う内容 が あ るか らこそ, それ を誤 りな く, そ して快 くうけいれ て もらうため に言葉 を 選 び,構成 を考 え,文章 を練 る とい うことが生 じるので」あって,「その逆 で
はない。」(46)
22.
パ ラグラフパ ラグラフ (‑分節)を作 る と,読者 が読 みやす く,要点 をつか みやす くな る。 パ ラグ ラフは, ある小 主題 , トピックス, あ る一 つ の考 え, の前後 で, 作 る もので あ る(47)。 また論 点が,局面 が変 わ る とき,パ ラグラフを作 る
。
沢 田 は,「一段‑思想 が原則 」で あ る と言 う(47a)0パ ラグラフの書 き始 め は,‑字下 げで あ る。短 いパ ラグ ラフを沢 山作 らな い方が よい。小説家 で そ うい う人 が多 いが, それ をよ く知 らないか, あ るい
は原稿枚 数 を増 や して原稿料 を稼 ごう とす るか の どち らかで あ る。
パ ラグラフを作 らない と,作 品 にメ リハ リが な くな る。 その上,読者 は く たびれて しまうので\あ る。
パ ラグラフで文 を切 るの は : 1.次 の主題 に移 る とき, 2.文 が長 く渡 る とき,
3
.対話文 ・会話文 を書 くとき(48)で あ る。少 な くて も200字 か ら 300字 くらいで作 る と, よさそ うであ る。
23. その他 の諸問題
文章 の書 き方で,基礎技術 について,本 多 の書 は詳 しい。 ここや は個 々バ ラバ ラに, い くつか の点 だ けを記 す。
内容 の正確 さのために, あ るい は事件記事 を書 くときに, 出来事 を書 くと きに
,5W +H
が必要 であ る。誰,いつ, どこ,何,なぜ, どんなや り方 ‑ ど の よ うに, を書 く必要が あ る。
代名詞 は,余 り使 わないが よい。例 えば,「それ は」な どで あ る。名詞 で書 く。論文 で は,代名詞 をな るべ く名詞 で書 いた方が,正確 にな り,分 か りや す いか らで あ る。 もち ろん,絶対 に分 か る時 は,代名詞 で もよい。
語句 と語句 の接続 をはっ き りさせ,代名詞 の受 け方 (係 り方)をはっ き りさ せ る(49)。 そ うすれ ば,文 はそ う とう分 か り良 くな る。
言葉 を統一 す る。例 えば, 「及 び・‑‑」 を使 った ら, 「お よび・・‑・」 に しな い, な どで あ る。
受身 の文 も, な るべ く使 わない。弱 い表現 にな るか らで ある。
「‑‑ と,言 える。」等 の,他力本願 的 な表現 も, なるべ く避 ける。
「 A
はB
で あ る。」とい うの と,「AはBであ る と,言 える。」とい うの は,違 う。 これ で は,暖味 になって しまい,無責任 的表現 であ る。主語 もはっ き りしていな い し,受身で もあ る。事 実 の調 べが しっか りしていない時, また は, はっ き りした事 実 か ら逃 げ よう とい う時 に,使 えるだ けである。「‑・‑と,言 え よ う。」とい うの は, よ り一層悪 い。未来形 になってい るか らで あ る。
併記 で きる事項 は,
1
,2
,3
と数字 を振 る と分 か りやす い。中黒 ‑中点, つ ま り [・] な どを使 ってみ る。
漢字 だ けで書 く言葉 を,二 つ続 けて使 わ ない。読 み に くくな るか らであ る。
同 じ表現 を続 けて使 わない。紋切 り型 を使 わ ない。 これ をす る と,読 み手 は嫌気 が さす。 そのために, 『類語事典』 を使 用す る。
谷崎 は,「‑‑・的」 の乱用 を戒 めてい る。形容詞化 す る この 「的」 でな く,
「の」 で沢 山だ, と言 う
。
これ はか な りよい指摘 で あ る(50)0ヘーゲル (51)は,例 をあげるな, と述 べ たが,場合 に よって は,挙 げる と分 か りやすい。 「・‑‑の ような」とか, 「・‑‑くらい」, の語 で あ る
。
しか し,痩 味 にな る恐れが あ るか ら,注意 すべ きだ。2 4 .
全体 の書 き方論文 の書 き方 と,文章 の書 き方 とは,違 うもので あ る
。
文章 は,論文 のた めの材料 あ るい は部分 であるか らであ る。
この節 は,それ ゆえ,「文章 の書 き 方」 とい う本稿 の範 囲か らはハ ズれてい る。 しか し,長 い分量 の文 については妥 当す るだ ろう。
構成表 を作 る ことも,有利 であ る。 つ ま り論文 のア ウ トライ ンを作 る。
木下 は,次 の ように言 う。
1. どうい う順序 で善 くか とい う原則 を決 めて書 く。 そ して,
2.
途 中で その原則 を破 らない こと, その原則 を守 れ なか った ら,方針 を 立 て直 して,始 めか ら書 き直す。自分 が答 えに辿 りついた粁余 曲折 の道 をその まま書 かないで,見 つ けた最 も簡 明 な道 に沿 って書 く。外観 か ら細部 へ と書 く。 事件 は,原則 として時間 的進 みの順序 で書 く。
内容項 目を,例 えば,
ABCACBABC
とい う順 に書 く人 が,か な りい る。これ を単 に
AAABBBCCC
とす るだ けで も良 くなって しまう場合が,非常 に 多 い。論文 の区分 は,三段,四段,五段が ある とされ る。保坂弘司(52)は, また向 井 も, 四段 ‑起承転結 を勧 めてい る
。
それに対 して沢 田 は反論 してい る。 起 承転結 は,漢詩 の構成 だ とい う(53)。 ア リス トテ レス は 『詩学』で,文章 は, 初 め, 中,終 わ り,で構成 す る, と言 う。昔 の 日本人 は,起承転結 を強 く勧 めていた。 しか し現在 で は, その必要 はない。漢詩 の美学 だか らである。 も ち ろん,や らない よ りはよい。起承転結で うま くゆ くの は,随筆 の類 であ る。25.
日本語作文教育「意見や主張,あるい は分析 や解釈 のための文章 に くらべて,もの ごとの様 子 を説明 した り,情報 を伝 えた りす る文章 は軽 くあ しらわれがちだが,文章 作法 か らいえば,説明文 や情報文 を きちん と書 く,読 んです ぐ理解 で きるよ
うに効率 よ く書 くとい うことのほうがむ しろ基本 で ある
。
文章 の総量 の うえ で もこち らのほ うが圧倒的 に多いのだ し,だいいち,もの ごとの成行 きをす っ きりと説明で きない ようで は,主張 も分析 も説得力 を もっ ことがで きない。事実 をはっ きりさせ る ことに大 きな比重がかか ってい るノンフィクシ ョンの 分野 で は, とりわ け肝要 な文章心得 であ ろう。」(54)
「特殊 の才能が ある人 でな けれ ば書 けない文章で はな くて,普通人 な らだれ で も書 け る文 章 とい う こ とが,今 日で はた いせ つ な問題 に なって きま し た。」(55)
木下氏 は, 日本 の学校 の作文教育 は文学 に偏 ってい る, と書 く。特 に小学 校 で,短編小説 か名 随筆 の ように表現が うまい もの を,教師 は誉 め る。 しか し,これ は表現 の文章であ り,伝達 の文章 とは違 うのである。 「正確 に情報 を った え,筋道 をたてて意見 を述 べ ることを目的 とす る作文 の教育 ‑ つ ま り 仕事文書 の文章表現 の基礎 にな る教育 ‑ に,学校が もっ と力 を入れ る」べ
きである, と言 う(56)。実際 その通 りである。小学校 で,随筆家 や小説家 を育 て上 げる必要 はない。文学的 な作文 を書 く生徒 は限 られてい る
。
普通 の人 は,社会 に出て,仕事 で は普通 の文章 を書 くことが必要である
。
報告 とか,業務文 な どであ る。 この基礎 を学校 で は教 えるべ きであ ろう