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説明文と随筆の文章における 主語の省略

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Academic year: 2022

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(1)

1.はじめに

文章には、必要な情報をできるかぎり明示し、あいまいさを排除して論理関係を明らか にすることが義務づけられているものと、必ずしもそうではないものとがある。日本語で は省略が頻繁に起こると言われるが、したがって、前者のようなタイプの文章では、省略 はかなり抑制され、後者のようなタイプの文章では、抑制が緩められると考えられる。本 稿では、その相違を探るため、前者から説明文、後者からは随筆の文章を取り上げ1)、述 語とならんで文・文章理解の基軸になると思われる主語2)の省略に焦点を当て、構造面で の比較を行った。

まず、先行研究の中から、久野 (1978)、砂川有里子(1990)による主題3)の省略に 関する分析を援用し、内省による考察も加えて、作業仮説として、主語の省略が一般的に よく起きる条件(以下「省略条件」とする)をまとめた。次いで、分析資料とした文章に おいて、主語の省略があれば、原則として前の文脈からその指示対象(以下「先行詞」と する)を特定、それらを「省略条件」と照合し、「条件」から外れる省略の特徴を、先行 詞の位置・成分資格等から分析した。以上の手続きを説明文・随筆ともに行い両者を比較 して、主語の省略にどのような傾向の違いがあるかを見た。

2.先行研究と主語の「省略条件」

2・1 先行詞の位置と成分資格

連続する文に同じ主語がある場合、第一文の主語を先行詞として後続の文で主語が省略 され得ることは、多くの研究が指摘しているが、砂川(1990)はさらに詳しい記述を行い、

先行詞は第一文の「主文の」(=主節の)主語である可能性が高いことを述べている。さ らに、第一文がいわゆる分裂文の場合を観察し、このときは先行詞が「基底の部分で主語 の位置」を占めるとしている。

(1) 女も手に職をつけなければいけない それが父の口癖だった。その教えを忠 実に守ったのは、邦子のほう。〔φ邦子は〕大学の時に英検の一級を取った。

主語の省略

惠谷 容子

キーワード

主語の省略・復元・先行詞・説明文・随筆

(2)

〔φ邦子は〕ついでにガイドの資格を取り、二年ほど航空会社に勤めたが、今 はフリーのガイド兼通訳業を営んで、なかなか忙しい。(砂川1990:17)

( は先行詞を表わす。本稿筆者付す。以下同)

次に、先行詞が主語以外の成分の場合であるが、これは久野(1978:103–122)に詳し い。久野(1978)は、連続する文に視点の統一があれば、第一文における目的格または与 格が先行詞になり得ることを説明している。(久野自身は述べていないが、用例には(6)

のように先行詞が共格(「〜ト」)のものもあげられている。)

(2) 太郎が僕に話しかけてきた。だけど、〔φ僕は〕知らん顔をして返事をしてや らなかった。

(3) 太郎が僕を待っていてくれた。〔φ僕は〕「待たせてすまなかったね」とあやま った。

(4) 太郎が花子を家まで送ってきてくれた。〔φ花子は〕家に上がってお茶でも飲 んでからお帰りになったらと誘った。

(5) 太郎は花子を病院に見舞った。〔φ花子は〕思ったより元気であった。

(6) 太郎は銀座で花子と会った。〔φ花子は〕数ヵ月会わないうちに目に見えて美 しくなっていた。

(7) 太郎は花子にプロポーズすることにした。〔φ花子は〕彼の将来の妻として理 想的な女性だった。(用例はすべて久野1978:103–122)

このうち(5)〜(7)のような場合については、砂川(1990)にも言及があり、文の内容が 先行詞の「状態や属性を描写」するようなものならば、主題の省略可能性が高いとしてい る。先行詞の成分資格は特定されていないが、用例を見ると、やはり目的格のものがあが っている。

(8) 友吉を、ゆうは顔だけは知っている。〔φ友吉は〕徳次郎親方の女房の弟とい うことだ。(砂川1990:18)

以上から、先行詞は、主語以外では「主語(主体)の行為の対象を表す格」である可能性 が高いと言うことができよう。本稿ではこれを簡略に「目的語」と呼んでおく。目的語の 場合もやはり、「主節の」目的語でなければ、先行詞として成立しにくいであろう。

(9) 太郎が銀座で花子と会ったとき、通りでは何か大きな催し物をしていた。*

〔φ花子は〕「ちょっと見て行きましょうよ」と言った。

最後に複文に関してであるが、久野(1978)は、(2)〜(6)のような連文が複文化する 場合、従属節の目的語が、主節の省略主語の先行詞になり得ることを説明している。4)

(10) 僕がわざわざ花子を訪ねて行ったのに、〔φ花子は〕会ってくれなかった。

(11) 太郎が病院に花子を見舞いに行ったら、〔φ花子は〕夏子や友子に会いたいと 言っていた。(久野1978:120、122)

2・2 一人称主語の省略 

久野(1978:119)は、話者には「潜在主題性」があり、常に話者や聞き手を主題とす る潜在先行文脈(すなわち非言語的コンテキスト)が存在すると述べている。そして、

「日本語においては一人称(そして二人称)の(代)名詞は最も省略しやすい要素」であ るとしている。一人称主語は、文章でも原則として提示しなくてもよいと考えられる。た

(3)

だし、他にも人物などが登場する文脈で行為主体の交替があるような場合は、提示すべき であろう。

(12) 妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き、自 分の口に入れる。それを繰り返している。私は、手元に引寄せていたバタ皿か ら、バタを取って、彼女のパン皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、

気が附かない。(B–1)

総称的な、あるいは不特定多数の主体を表す一人称主語(ときに二・三人称主語)も、省 略されるのが普通であろう。

(13) おそらく、〔φ私たちが〕日本語を外国人に教える場合にも、同じような知識 は必要にちがいない。(A–2)

(14) <文化人類学>では〔φ彼らは〕言語を<文化の乗り物>という。(同上)

また、書き手が文章中の他の行為主体と視点を同化させているとき、その主語は一人称 主語に準じて省略されるものと考えることができる。

(15) あるとき、科学者が、ヒキガエルがえものをとるところをカメラに収めようと してその前にミミズを置いた。そして〔φ科学者が〕カメラをのぞくと、もう ミミズはいなかった。ほかにだれもミミズにふれた者はいないし、ヒキガエル が動いた様子もないのに、ミミズはかげも形もない。まるで、蒸発してしまっ たかのようだ。〔φ科学者は〕再度ミミズを置き、急いでカメラをのぞいたが、

今度もやっぱりミミズはなくなっていた。(A–3)

2・3 主語の「省略条件」

2・1と2・2から、作業仮説としての主語の一般的な「省略条件」を、以下のようにま とめた。

① 直前文の主節における主語(分裂文では基底部の主語)が先行詞の場合、主語が 省略される。

② 直前文の主節における目的語が先行詞の場合、主語が省略される。(ただし、連 続する文の間で視点が一致している場合に限る。)

③ ②のような連文が結合した複文では、従属節の目的語を先行詞として主節の主語 が省略される。

④ 一人称主語は原則として省略される。ただし他の行為主体があり、行為主体の交 替がみられる文脈では提示される。その場合は①②にしたがう。(総称的・不特 定多数の二・三人称主語も同様。)

⑤ 書き手が文章中の他の主体と視点を同化させているとき、その主語は一人称主語 に準じて省略される。

3.分析にあたって

3・1 主語の省略の認定

主語の省略の認定については、以下のとおりとした。

ア.重文はそれぞれの節に分けて、複文は主節と主節にかかる従属節とに分けて、それ

(4)

ぞれの主語の省略を認定する。

イ.上の節にさらに重層的に埋め込まれた従属節については、今回は扱わない。したが って、一つの文全体が前後の文に従属し、それらに埋め込みが可能な「真性モダリ ティをもたない文」(野田1998[1989])は、分析の対象から外す。

(16) …婆さんは、珈琲を一口啜って言った。

―それは東京にある唯一の大学であるか。(B–4)

(17) 夫は妻の乱心を鎮めるために彼女に人形を当てがったが、以来二度と正気に還 らぬのをこうして連れて歩いている。多分そんな事か、と私は思った。(B–1)

(18) 一般に、一つの言語が時代とともに変化するときに、<音韻の面が一番変りに くく、文法の面がこれについで変わりにくい>。こう考えるのが言語学での定 説である。(A–2)

ただし、部分的にのみ前後の文に埋め込みが可能な文は、その部分を除外して分析す る。

(19) 異様な会食は、極く当り前に、静かに、敢て言えば、和やかに終わったのだが、

もし誰かが人形について余計な発言でもしたら、どうなったであろうか。私は、

そんなことを思った。(B–1)

ウ.同一文中において一つの主語が複数の節に共有されている場合、それらには主語の 省略があるとはみなさない。

エ.同一文中において一つの主語の省略が複数の節に共有されている場合は、それぞれ の節に省略があるとみなす。

オ.二重主語構文では、一つでも主語が認められれば、主語の省略があるとはみなさな い。

(20) ふつう、ヒキガエルは、動いている生きた動物だけをとり、死んだ動物には見 向きもしない。〔φヒキガエルは〕目がその場の様子を正確にとらえ、判断し、

重要な情報だけを脳に送る。(A–3)

カ.下のような時間を表す文は、もともと主語のない文であると判断し、主語の省略が あるとはみなさない。5)

(21) 最近、又狩猟期に入った。(B–2)

3・2 分析資料

分析資料は、以下の説明文と随筆各5編である。説明文は、書き手自身に関する言及が 文章中に現れることなく、ある事柄について客観的な解説が施されているもの、随筆は、

書き手が自分自身や身辺のことを事実にもとづいて記述した、解説や評論を目的としてい ないもの、という基準で選択した。いずれも引用部分がなるべく少なく、文数が40数文程 度以下のものとした。このうち、A–3とB–1〜3は、寺村秀夫他3名編(2000[1990])に文 章分析の資料として、A–4・5、B–4・5は、『外国学生用日本語教科書上級Ⅰ・Ⅱ』(早稲 田大学日本語研究教育センター1991・1997[1988])に、読解教材として収録されている。

ともに日本語教材として用いられ得るものという観点から選択した。

説明文:A–1「トップ・クォークの発見」『データパル'95‐96』(1995 小学館)

A–2「日本語の性格を知ろう」金田一春彦『日本語』(1980 岩波書店)

(5)

A–3「またとない天敵」金光不二夫『国語6 創造』(1983 光村図書)

A–4「進展する国際化」土屋六郎『世界経済の知識』(1980 有斐閣)

A–5「他人と遠慮」土居健郎『甘えの構造』(1971 弘文堂)

随筆: B–1「人形」小林秀雄『小林秀雄全集』第九巻(1967 新潮社)

B–2「山鳩」志賀直哉『灰色の月・万歴赤絵』新潮社(1968 新潮社)

B–3「抽出しの中」向田邦子『眠る盃』(1979 講談社)

B–4「外来者」小沼 丹『小さな手袋』(1976 小澤書店)

B–5「印鑑」団 伊玖磨『も一つパイプのけむり』(1982 朝日出版局)

仮説としては、説明文では、主語の省略のほとんどが「省略条件」に合致しており、一 方、随筆では、「省略条件」を外れる主語の省略が説明文よりも多く、先行詞の内容も多 様であると考えられた。

4.分析の結果と考察

4・1 主語の省略と「省略条件」を外れる主語の省略

説明文と随筆それぞれについて、分析の対象とした文数・節数、主語の省略が認められ た節数、「省略条件」を外れる主語の省略が認められた節数を以下に示す。

このうち、「省略条件」を外れる省略の先行詞の内容は、以下の通りである。先行詞が、

主語の省略がある文を基準としてどこの文にあるか、主節内か従属節内か、その文におけ る成分資格は何かについて示す。

(6)

4・2 考察

4・2・1 説明文

説明文では、「省略条件」を外れる主語の省略は、全269の節のうち、9つの節で認めら れた。その先行詞の位置は、1例を除いて、すべて主語の省略のある文(以下「当該文」

とする)と同一の文中か、その直前の文にあった。これはほぼ「省略条件」に即している。

成分資格は、主節の主語の一部、従属節の主語、「〜によって」という行為主体を表す格、

状況語、文全体という5つのパターンがあった。

このうち主語の一部が先行詞になるのは、次のようなものである。

(*〔 〕は「省略条件」を外れる省略、 はその先行詞を表す。丸数字は文の通 し番号)

(7)

(22) ⑰トップクオークの寿命は極端に短いので、*〔トップ・クオークは〕自然界 には存在しえないが、開闢直後の宇宙には存在していたはずであり、今後、ト ップ・クオークの性質が明らかにされれば宇宙の始まりについても貴重な知見 が得られることになるだろう。(A–1)

(23) ⑯レプチャ語を含むチベット・ビルマ諸語の性格は、いろいろな点で日本語に 似た点があり、日本語の系統や歴史を論ずる場合には、*〔チベット・ビルマ 諸語 は〕無視できない言語である。(A–2)

(24) ⑯しかも、この動作にかかる時間は、わずか十五分の一秒である。⑰そのため、

〔*この動作は〕人間の目には見えないのである。(A–3)

これらは、厳密に先行詞そのままの形でなく、その一部分が、主語として後続の節や文に 受け継がれ、省略されているもので、「省略条件」①(=直前文の主節の主語が先行詞の 場合,主語が省略される)を微妙に外れる形である。

次は、直前文の従属節の主語が先行詞になっている例である。

(25) ⑳例えば、ハエが近くを飛んでも、舌の届かない所であれば、目は脳に情報を 送らず、まるで目に入らないかのようにヒキガエルはじっとしている。Uとこ ろが、*〔ハエが〕いったん舌の届くきょりに入ったとたん、すばやく動く虫 でも一発で仕留めてしまう。

このように、直前文の主節でなく従属節の主語を先行詞に取ると、当該文での省略の適格 性は下がるように思われる。

次いで、文全体が先行詞になっている例をあげる。

(26) ④ある人が、それをアメリカ人に英語で報告するのに、「自動車にぶつかって」

という日本語を逐語的になおした形で説明した。⑤と、相手のアメリカ人は目 をまるくして、ソノヒトワナゼソンナムダナコトヲシタノデスカ、と聞いたそ うだ。⑥*〔それは〕無理もないことだ。(A–2)

(27) ①世界は狭くなった。②といっても地球が縮まったわけではなく、*〔それは〕

時間の上で狭くなったという意味である。(A–4)

これらは、当該文では、いずれも先行詞の内容に対する評価や属性を述べている。「省略 条件」からは外れているが、こういう形は説明文では珍しいものではない。2・1で、文 の内容が先行詞の「状態や属性を描写」するものならば、先行詞は主語でなくてもよいと いう砂川(1990)の分析を引いたが、これらは、それに準じるものとして「省略条件」内 の省略に加えてもよいかもしれない。

次は「〜によって」という格が先行詞になっているものである。当該文での省略の適格 性は下がるように思われるが、先行詞が行為の主体を表しているという点では、それほど 大きく「条件」を逸脱するものではないであろう。

(28) ⑫今回、トップクオーク存在の証拠をつかんだ実験は、アメリカ、フェルミ国 立加速器研究所の加速器「テバトロン」を用いて、日米伊を中心とする国際共 同実験グループによって九二年より行われた。⑬*〔国際共同実験グループ は〕直径二キロのリングのなかで、陽子と反陽子とを光速近くまで加速し衝突 させたとき発生する莫大なエネルギーを利用して、トップ・クオークを生成し ようとした。(A–1)

(8)

また、次のように、当該文から2つ前の文の状況語が先行詞になっているものがあった が、実は同じ文内の直後の節で、同じ語が使われている。「今日では」が「今日は」とな っていれば、並列する二つの節で同じ主語を共有しているところである。

(29) ④ところが今日では航空機を利用すれば、二日もあれば一周することができる。

⑤アメリカへ行くのと、東京から九州や北海道へ列車で行くのにかかる時間が 同じになった。⑥*〔今日は〕まさに日進月歩のスピード化時代であって、今 日では海外旅行も国内旅行も時間ではあまり変わらなくなった。(A–4)

以上から、分析資料の説明文では、「省略条件」を外れる主語の省略は、先行詞の内容 からみて、ほとんどが「省略条件」をそれほど大きく逸脱しない形であったと言うことが できる。

4・2・2 随筆

随筆における「省略条件」を外れる省略は、全247の節のうち、19の節で認められた。

先行詞の位置は、当該文からみて直前〜3つ前の文、直後の文、直前〜2つ前までの文を含 む広い領域、あるいは直接文章の表層にはない、など説明文と比べると多岐にわたってい る。成分資格も多様で、7つのパターンが見出された。

主語ないし主語の一部というものが最も多いが(ただし数はB–2に偏っている)、その 他に目的語、述語というものもある。

[主語または主語の一部](網羅的ではない)

(30) \もしかしたら、彼女は、まったく正気なのかもしれない。]身についてしま った習慣的行為かもしれない。^とすれば、これまでになるのには、*〔彼女 は〕周囲の浅はかな好奇心とずい分戦わねばならなかったろう。(B–1)

(31) ⑤この春、猟期の最後の日、吉浜の鍛冶屋という所に住んでいる福田蘭童君が 猟銃を肩に、今、撃って来たと、小綬鶏、山鳩、鴨などを下げ、訪ねてくれた。

⑥こういう鳥は戦後初めてなので、このお土産は喜んだ。⑦*〔彼が〕「もう 少し、撃って来ましょう」というので、私は、「それより、熱海へ鴨狩りに行 こうよ」と云った。(B–2)

(32) ④何しろ私の抽出しときたら、開けたてするたびにベロを出すのである。⑤仕 舞い込んだ手紙や薬の効能書きが、人を小馬鹿にしたようにはみ出してぶら下 がるから、それだけでカッとなり頭の地肌が痒くなる。⑥うっかり掻き廻すと 剃刀の刃や虫ピンで怪我をすることもあるので、〆切り前はなるべく開けない よう用心しなくてはならない。⑦祝儀不祝儀の袋なども大量に買い込んである のだが、〔*抽出しが〕そんな按配だからうまく見つかったとしても、角がヘ ロヘロで使いものにならない。(B–3)

(33) ⑱山鳩の飛び方は妙に気忙しい感じがする。⑲一羽が先に飛び、四五間あとか ら、他の一羽が遅れじと一生懸命に随いて行く。⑳毎日、それを見ていたのだ が、今はそれが一羽になり、〔*山鳩は〕一羽で日に何度となく、私の眼の前 を往ったり来たりした。(B–2)

[目的語]

(34) ①山鳩は姿も好きだが、あの間のぬけた太い啼声も好きだ。②世田谷新町の家

(9)

でも聴いたし、時々行った大仁温泉でもよく聴いた。③*〔山鳩は〕いつも二 羽で飛んでいる。(B–2)

(35) W幾月かして、私は山鳩が二羽で飛んでいるのを見た。X山鳩も遂にいい相手 を見つけ、再婚したのだと思い、これはいい事だったと喜んだ。Yところが、

*〔山鳩が二羽で飛んでいたのは〕そうではなく、二羽のが他所から来て、住 みつき、前からの一羽は相変わらず一羽で飛んでいた。(B–2)

[述語]

(36) Xこれには、白髪の婆さんも面食らったらしい。Yいや、*〔面食らったらしい のは〕その婆さんばかりではない。Zこれは他の三人にも初耳だったらしい。

(B–4)

次は、先行詞が当該文の直後の文全体にあたる例である。

(37) ⑧細君が目くばせすると、夫は床から帽子を拾い上げ、私の目が合うと、ちょ っと会釈して、車窓の釘に掛けたが、それは、子供連れで失礼とでも言いたげ なしぐさであった。⑨*〔人形が彼らの息子に違いないことは〕もはや、明ら かな事である。⑩人形は息子に違いない。(B–1)

当該文では先行詞の内容に関する評価を述べている。したがって、これは説明文(26)・

(27)の例と同じ系列に属するものと考えられるが、一種の倒置になっている点が独特で ある。さらに、先行詞が広い文脈領域に当たるものが2例あったが、これらも当該文では その内容に関する評価ないし性質を述べており、やはり上と同系列の省略で、先行詞が単 一の文を超えて文脈にわたったもの、という見方も可能であろう。

(38)(③〜⑧:学生と外国人の団体が、大隈会館でおしゃべりしたり庭を散歩した りすることの説明)⑨*〔これは〕学生にとっては英会話の練習に絶好の機会 なんだろうが、向こうの連中は一体どんな気でいるのかしらん?(B–4)

(39)(⑯〜⑲:妻が人形に食事をさせる描写)Z細君の食事は、二人分であるから、

遅々として進まない。[やっとスープが終ったところである。もしかしたら、

彼女は、全く正気なのかもしれない。]*〔これは〕身についてしまった習慣 的行為かもしれない。(B–1)

随筆ないし文学的な文章に特有と思われるのは、(40)のように発話内容が「 」で示 されているだけで、発話の主体を表す主語も発話の動詞も省略されているものである。

(40) ⑯「どうぞ、どうぞ」⑰江間さんがにこにこ笑って言われた。⑱紙包みに印刷 してある文字から、僕の脳裏には、かつて歩いたことのある、北京の前門に近 い文具の店が並んでいる瑠璃廠街の静かなたたずまいがよみがえってきた。⑲ 紙包みの中からは、褐色の石の立派な印材が出てきた。⑳*〔江間さんは〕

「お名前を勝手に彫らせるわけにはまいりませんでしたから、花の模様にいた しましたわ」U材には梅の花が咲いている模様が彫ってあった。(B–5)

また、読み手が省略を復元するために、もっとも複雑な認知的過程を経ると考えられる のは、先行詞が直接文章の表層にないものである。

(41) ⑨もはや、明らかな事である。⑩人形は息子に違いない。⑪それも、人形の顔 から判断すれば、*〔人形が彼らの息子になったのは〕よほど以前のことであ る。(B–1)

(10)

この省略の復元のためには、それまでの文脈の内容と当該文の述語との照合を大がかりに 行い、手がかりになる語を組み合わせて言語化しなければならない。このようなタイプの 省略は、説明文では現れにくいものであろう。

一人称主語は、多くの場合提示されないのが普通であるが、他の行為主体が直前文/節 の主語であるにもかかわらず、示さない例が数例あった。このような場合は、行為の内容 や主体同士の関係、周囲の語彙などから主体を特定していくことになり、やはり読みにお いては少々復元に手間取ることになろう。

(42) ⑤この春、猟期の最後の日、吉浜の鍛冶屋という所に住んでいる福田蘭童君が 猟銃を肩に、今、撃って来たと、小綬鶏、山鳩、鴨などを下げ、訪ねてくれた。

⑥*〔私は〕こういう鳥は戦後初めてなので、このお土産は喜んだ。(B–2)

(43) ^可恐いのは地下足袋姿の福田蘭童で、四五日前に来た時、*〔私が〕「今年 はこの辺はやめて貰おうかな」というと、「そんなに気になるなら、残った方 も片づけて上げましょうか?」と笑いながら云う。(B–2)

(44) ⑫二百八十円の距離に友人の澤地久枝女史が住んでいるので、陣中見舞いのよ うな顔をしてドアを叩き、ついでに切手を恵んでもらうのである。⑬彼女は実 に整理整頓のいい人で、*〔私が〕車を待たせている間に手品のように切手が 出てくる。(B–3)

以上のように、分析資料の随筆の文章では、「省略条件」を外れる主語の省略は、先行 詞の内容からみて、「省略条件」からの逸脱の幅が、説明文に比べて大きいと言えよう。

5.まとめと今後の課題

以上、説明文と随筆における主語の省略について考察した。今回の分析資料では、仮説 はほぼ検証されたとみてよいと思われる。先行詞の内容からみると、説明文の主語の省略 は、多くが「省略条件」に合致しており、「条件」を外れても、ほとんどの場合あまり大 きな逸脱ではないこと、一方、随筆では、説明文に比べると「条件」を外れる省略が多く、

そのパターンも多様で、逸脱の幅の大きいことが確認された。今回は分析資料の数が少な かったため、詳しい数値データによる分析や結論づけは控えたが、分析資料の量をあげれ ば、さらに傾向が明確になり、数値面からの考察も可能になろう。また、その際には、今 回以上にさまざまな先行詞のパターンも見出され、説明文・随筆ともに「省略条件」から の偏差も大きくなるものと思われる。しかし、今回の結果は、ある一定の傾向を示すもの として捉えることが可能であろう。

今回、課題の一つとして大きく浮かび上がってきたことは、文章の「ジャンル」にかか わる問題である。4から散見できるように、説明文に比べ、随筆の主語の省略は、作品に よる内容(先行詞の内容)のばらつきが大きい。これは、随筆とひと括りにしていても、

作品によって記述のされ方はさまざまであり、その中で扱われる話題の数、主語として取 り立てられる対象の数、その交替がどのように起こるか、一人称主語がどのような頻度で 登場するか、また、内容が時系列に沿ったものか、観察を主体としたものか等々、諸種の 条件によって省略の様相がかなり異なるからである。(もちろん、書き手の文体的特性に よる影響もあるであろう。)したがって、随筆という「ジャンル」による捉え方は、文章

(11)

の分析においては、あるいは大まかに過ぎるという可能性もあり、さらにきめ細かい分析 の枠組みを考慮する必要が考えられる。

今後は、さらに、主語以外の格成分の省略との相関、提題表現との関係、また書き手の 表現意図・目的との関連などをも視野に入れ、省略をさらに多面的に捉えていきたいと思 う。

11)一般的には、説明文は「事柄を説明する文。論理的に言葉を連ね、内容の正確な伝達を目指す文」、

随筆は「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章」(『広辞苑』第五版)などと説明さ れている。文章の形態によって両者を規定することはむずかしいが、内容はこうした通念によっ た。

12)「主語」とは、「述語」に対してその「主体」を表す文中の成分をさすものとする。助詞の形式 は「ハ」や「ガ」を典型とするが、その他でもこの条件を満たすものであれば形式を問わない。

13)「主題」とは、本稿でいう「主語」のうち、「〜ハ」の形を取るものをさす。

14)ただし、条件構文で先行詞が目的語でなくてもよい例もあがっている。

・太郎が花子の家に行って見ると、〔φ花子は〕丁度買物から帰って来た処であった。(久野 1978:119)

しかし、これを連文に戻してみると、後続文の主語の省略適格性は下がるようである。

・太郎は花子の家に行って見た。*〔φ花子は〕丁度買物から帰って来た処であった。

初めの例が適格なのは、このような条件構文では、主節で(従属節で語られる行為の結果としての)

発見や観察の内容を述べるという構文的前提があるため、従属節内で発見・観察の対象になり得る ものであれば、目的語でなくても先行詞として立つことができるようになるからだと考えられる。

(連文の場合は、そのような構文的前提の支えがないため、先行詞に働く制約が強いのであろう。) しかし、本稿は省略条件の規定が趣旨ではないので、どのような成分資格がこの状況に当てはまる のか網羅的に検証することはしない。このような複文では従属節の目的語以外の成分も先行詞にな り得ると考えるにとどめ、実例における適格性の判断は、そのつど分析者の直観に拠って行うもの とする。

15)市川孝(1968)、三上章(1970:162–168)「無主格文」の分析を参照。

参考文献

市川 孝(1968)「主語のない文」『文法』創刊号 久野 (1978)『談話の文法』大修館書店

佐久間まゆみ・杉戸清樹・半澤幹一編(1997)『文章・談話のしくみ』おうふう 砂川有里子(1990)「主題の省略と非省略」『文藝言語研究 言語篇』18

寺村秀夫・佐久間まゆみ・杉戸清樹・半澤幹一編(2000[1990])『ケーススタディ日本語の文章・談 話』おうふう

中村 明(1991)『日本語レトリックの体系』岩波書店 永野 賢(1986)『文章論総説』朝倉書店

野田尚史(1998[1989])「真性モダリティをもたない文」仁田義雄・益岡隆編『日本語のモダリティ』

くろしお出版

畠 弘己(1980)「文とは何か―主題の省略とその働き―」『日本語教育』41

牧野成一(1983)「省略と反復」中村明編『講座日本語の表現5 日本語のレトリック』筑摩書房 三上 章(1970)『文法小論集』くろしお出版

南不二男(1997)『現代日本語研究』三省堂

矢野安剛(1984)「英語の代名詞化と日本語のゼロ代名詞化―その平行性―」『早稲田大学教育学部学

(12)

術研究(外国語・外国文学編)』33

John Hinds(1987)Reader Versus Writer Responsibility : A New Typology. Writing Across Languages : Analysis of L2 Language. Addison-Wesley

謝辞  本稿をまとめるにあたりご指導いただいた、佐久間まゆみ先生はじめ諸先生方に、心より感 謝申し上げます。

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文章例 (A−1)トップ・クォークの発見

Ⅰ①われわれが住むこの世界は、いったいなにからできているのだろうか。②ギリシャ 時代以来、今日まで二〇〇〇年以上にわたって人類が抱き続けてきたこの基本的な疑問に、

新しい成果が一つ加えられようとしている。③物質のもっとも基本的要素のひとつトッ プ・クォークの存在が九九・七四%確認されたからだ。

Ⅱ④あらゆる物質は、原子とよぶ小さな要素から成り立っている。⑤その原子の内部を のぞきこむと、中心に原子核とよぶ重いかたまりがあり、そのまわりを電子が回転してい る。⑥さらに原子核は、陽子と中性子からできている。⑦二〇世紀なかば過ぎから、素粒 子をつくりだす大型加速器が製造され、陽子や中性子の仲間が続々と発見されてきた。⑧ 一九六三年、M・ゲルマンとG・ツバイクは、クォークモデルを提唱し、現実の粒子の多 様性をアップ、ダウン、ストレンジとよぶ三種類のクォークで説明した。⑨その後さらに、

チャーム、ボトムが発見され全部で五種類のクォークが実験的に確認された。⑩ところで、

現在もっとも信頼されている素粒子理論「標準理論」は、六種類のクォークを予言してい る。⑪七七年にボトム・クォークの存在が発見されて以来、世界の素粒子物理学者たちは、

六番目のトップ・クォークの発見を最大の課題にして研究を進めてきた。

Ⅲ⑫今回、トップ・クオーク存在の証拠をつかんだ実験は、アメリカ、フェルミ国立加 速器研究所の加速器「テバトロン」を用いて、日米伊を中心とする国際共同実験グループ によって九二年より行われた。⑬直径二キロのリングのなかで、陽子と反陽子とを光速近 くまで加速し衝突させたとき発生する莫大なエネルギーを利用して、トップ・クォークを 生成しようとした。⑭約一兆回の陽子・反陽子の衝突現象から、トップ・クォークが関係 しているとみられる現象を十二個観測した。⑮驚くべきことは、原子に比べるとけた外れ に小さいトップ・クォークが、陽子・中性子の一八五倍という重さをもつことだ。⑯それ は、重い金属原子一個にも匹敵するという超重量で、巨大な重さの謎が、理論物理学者に 投げ掛けられている。

Ⅳ⑰トップ・クォークの寿命は極端に短いので、自然界には存在しえないが、開闢直後 の宇宙には存在していたはずであり、今後、トップ・クォークの性質が明らかにされれば 宇宙の始まりについても貴重な知見が得られることになるだろう。

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参照

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