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一つの世界市場論の論理について : 再び木下悦二 教授の見解に対して

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一つの世界市場論の論理について : 再び木下悦二 教授の見解に対して

その他のタイトル On unity of World market

著者 杉本 昭七

雑誌名 關西大學商學論集

巻 6

号 2

ページ 145‑164

発行年 1961‑06‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021695

(2)

145 

︱つの世界市場論の論理について

木下悦二教授が﹁二つの世界市場論﹂にたいして提起された諸問題ほ︑世界市場の概念︑資本主義世界市場の内

容︑社会主義世界市場の特質等︑広汎な領域にわたるものであった︒これらの諸問題のうち︑社会主義世界市場の

性格に関する教授の見解︑すなわち︑社会主義世界市場における諸国間の関係を︑自主的発展の道をあゆんでいる② 後進諸国と社会主義諸国との間の市湯関係と同一視して︑民主主義的世界市場の概念に両者を包摂される見解につ

いて︑すでに私は︑社会主義世界市場における価格形成の問題︑ならびに社会主義世界経済の特質︑との二つの点③ から批判的検討をこころみた︒現在においても︑私の基本的立場は変更する必要を感じない︒したがって︑小稿の

目的は︑前の論文においては取り扱わなかった若干の点を検討することにある︒その第一は︑木下教授の論理全体

を貫ぬく基軸となっている世界市場の概念︑したがってまた︑世界経済の概念の内容について︑第二には︑世界市

場と社会経済体制との関係について考察することであり︵これら二つの問題に対する理解のしかたが︑木下教授の

ー—再び木下悦二教授の見解に対して—~

つの世界市場論の論理について

(3)

146 

' ︑

. . 

二資本主義世界市場の意味

則の性格を明確にすることによって、第一•第二の問題をうらづけることである。これら三つの問題を考察するこ

さらに第三は︑社会主義世界市場の特質︑とくにその際︑社会主義世界市場における価値法

﹁︱つの世界市場論﹂を批判しようと思う︒

つぎの順序で考察する︒

木下教授における世界市場と世界経済

レーニンにおける世界市場

レーニソにおける国際市場

レーニンにおける国際経済と世界経済

木下教授の見解とレーニンの見解との対比

社会主義世界市場の特質

世界市場と世界経済

木下教授における世界市場と世界経済

マルクスが考えている世界市場を︑

単に特定の立場に立って国内市場を越えて外なるものとしているばかりではなく︑すべての国の国内市場にとって

(4)  (3)  ③  . .  l l   世界市場と世界経済

つぎのように解釈される︒﹁マルクスの考えている世界市場は︑ 五六

(4)

147 

ある︒木下教授による﹁世界市場は国内市場を含まない﹂という理解は︑現段階の所謂﹁民主主義的世界市場﹂の

主張の根拠︑同時にまた﹁二つの世界市場論﹂批判の重要なよりどころとされているため︑第一にこの問題に取り

経済﹂および﹁世界経済体制﹂に関する見解をみよう︒教授によれば︑これらの概念はつぎのことを意味している︒

一定の社会経済体制という意味である︒だからこれは社会主義が︱つの世界経済体制となった第二次大戦以後はじ

めてそれとの対比において資本主義世界経済体制という範疇も生れたとみてよいように思われる︒それに対して世

界経済はといえば︑もともと国際間の経済関係を世界市場とか国際貿易とかの市場経済論的把握のみでは不充分と

つまり一九世紀未の資本主義の帝国主義段階への移行の時期︑この商品貿易に比し資本輸出の役割が

とくに大きくなり︑資本主義が一つの世界体制となった時期に︑用いられはじめた概念である︒ところで今日︑資

本主義と社会主義との二つの経済体制が世界的に対立しているとはいえ︑これらを包含して世界的規模で絡みあっ

ている経済的関係は︑単に市場経済的概念のなかにおしこめてしまうことが出来る以上に豊かである︒このことは すなわち﹁世界経済と世界経済体制とだが︑世界経済体制とは︑ くまなければならない︒しかし︑この問題に入るまえに︑ の世界市場論﹄の基礎となった見解が︑

一国の範囲を越えて︱つの世界的拡がりをもった マルクスにしたがって指摘されているので 外なるものとして︑把握されているといえよう︒すなわち︑国際商品流通の総体として︑あるいはそれぞれの国を構成単位として形成された商品流通領域として︑把握していることが理解できるであろう︒世界市場は︑こうして国内市場の一分子をも含まぬものなのである︒さきの﹃たがいに相互関係をもった国内市場の総体﹄という﹃二つ

マルクスからはるかにへだたった見解ではないか︑との疑問が生ずるわけ

そして︑そのうらづけとして︑世界貨幣の二︑三の特徴を︑

﹁世界市場﹂概念の把握と関連して︑木下教授の﹁世界

(5)

148 

いのか? らにいれたらよいのか? は解決であろうか? たいどこにあるのか?

(2) 

れら諸概念の取り扱い方をみることにする︒

﹁国内市場と外国市場との境界はいっ

たとえば社会主義国の後進民族国家に対する経済援助についてみても明らかといえる︒したがって今日でも両体制を含む全世界的規模での世界経済を論じることができるのである︒﹂つまり︑世界経済体制とは︑

社会経済的内容を前提とした諸国間の関係であり︑これにたいし︑世界経済とは︑市場論的範疇に入りこみえない

国際関係ーーーたとえば︑資本輸出︑現段階の後進国に対する社会主義国の経済援助等ーでもって結合されている

諸国間の関係をいうのであり︑この場合生産関係の同質性︑国の社会経済的内容は問題ではない︑とされる︒

以上みてきた木下教授による︑世界市場︑世界経済︑世界経済体制の把握を前提として︑

自体︑そしてまた︑そこから生じる経済学的あるいは論理的諸問題を検討するために︑

レーニンにおける世界市場

レーニンによってなされた﹁世界市場﹂に関する指摘をいくつか挙げてみよう︒まづ﹃ロシアにおける資本主義

の発展﹄の中において︑国内市場と外国市場との関連についてのべている︒

国家の政治的境界をとるとすれば︑それはあまりにも機械的な解決であろう0

中央アジアは国内市場であるが︑

ペルシャは外国市場であるとして︑ 4る把握の方法それ

ヒヴァやプハラはどち

シベリアは国内市場であり︑中国は外国市場であるとして︑満州はどちらにいれたらよ

このような問題は重要な意義をもっていない︒重要なことは︑資本主義は︑その支配の範囲をたえず拡

大することなしには︑また新しい国々を植民地化し非資本主義的な古い国々を世界経済のうずのなかに引入れるこ

となしには︑存在し発展することができない︑ということである︒⁝⁝⁝⁝主要な地方的生産物の︱つである木材

レーニンによるこ

(6)

,49 

資本主義の世界的規模への発展︑

﹁国際商品流通の総 は︑最近まで主としてイギリスにいっていた︒したがって︑この点では︑ヨーロッパ・ロシアのこの地方は︑アのための国内市場ではなくて︑イギリスのための外国市場となっていた︒﹂このレーニンの叙述においては︑国内市場と外国市場との区別といったことは重要な意義をもたないとされ︵ただし︑国民経済の否定の意味ではない︶︑

したがって︑自国の市場に対しては勿論︑他国の市場に対して資本が支配をめざ

す志向︑世界市場支配の志向︑世界市場概念が強調されている︒ここでは︑国内市場と世界市場とが対比されて扱

われているのではなく︑資本の要求が全世界の市場の支配と再分割をめざし︑その際︑国内市場は世界市場の構成

要素として包含されている︑と理解されよう︒資本の必然的性向ー│利潤動機にもとづく︑原材料・食糧供給地の⑧ 確保︑販売市場の確保等ーーが︑全世界の﹁︱つの経済的有機体﹂化をもたらし︑世界市場の拡大と分割戦をもた̀︑︑︑︑̀︑︑︑︑らす側面が︑論理の基礎におかれているのである︒このように︑資本の論理を基軸におけば︑国内市場と切断され

た世界市場というものを中心には考えられず︑世界市場は国内市場を当然内包しなければならない︒

さらに︑第一次大戦に際してのべられた﹁戦争についての檄﹂の中での世界市場の概念の用い方もこのことを教

えている︒﹁実際には︑これは︑植民地の分割のため︑他民族の隷属のため︑世界市場における利益と特権のために

︐ 

おこった︑二つのグループにわかれた強盗的大国のあいだの戦争である︒﹂この場合︑世界市場を︑国内市場と分

離したものとして考えることができるだろうか︒帝国主義諸国間の不均等発展は︑新しい力関係に応じた世界の分

配︑あらゆる国内市場の再分配を目ざして戦争をひきおこしたのであり︑世界市場の内容を︑

"

体として︑あるいはそれぞれの国を構成単位として形成された商品流通領域として﹂︑国内市場を含まぬ国際関係

の中だけに限定することは許されない︒このような概念の歪曲は︑帝国主義戦争の経済的内容あるいは役割の正し

(7)

150 

せまりくる との叙

(3)  いま一っレーニンの指摘をみよう︒それは一九一九年十月執筆された﹁帝国主義と社会主義の分裂﹂のなかにあ

︑ ︑

﹁国際的カルテルによる世界の︵経済的︶分割がはじまっている︒世界市場全体を支配し︑

れを分けあっている|~戦争がそれを再分割するまで|ーこのような国際的カルテルの数は、すでに一00をこえ

1 "

︵傍点はレーニン︶︒この場合も同じく︑世界市場の内容から国内市場を除外して説明できるだろうか︒

﹁世界市場全体を支配し﹂︑﹁それを︵世界市場を︶わけあっている﹂のである︒

これ以上例示する必要はない︒レーニンの用語と対比した場合︑世界市場の内容を︑あらゆる国内市場を含まな

﹁二つの世界市場論﹂者が︵筆者も含めて︶︑世界市場を︑

hu

の経済体制のたがいにむすばれた諸国内市場の総体﹂と規定することを主張する以上︑すでにソ同盟成立後︑社会

主義生産関係の生成によって生じた︑

レーニンにおける国際市場

ソ同盟成立以後における︑ しなければならない︒ ソ同盟と資本主義諸国との経済関係の把握の仕方を︑レーニンによって検討

ソ同盟の資本主義諸国との市場関係に関するレーニンの指摘を示そう︒一九ニ一年四

月十一日の﹁全ロシア労働組合中央評議会の共産党グループ会議での利権についての報告﹂のなかに︑﹁現在われ

hu

われはそれを︑国際市場での買手として︑支払手段を持っているにもか4わらず︑入手できないでいる︒﹂

一九二二年開かれた﹁ロシア共産党︵ボ︶第十一回大会﹂の報告の中で︑ 一定の生産関係にもとづくことを前提として︑﹁一定 い国際間の市場諸関係とする木下教授の規定は︑レーニンの規定とは異質のものに思われる︒

る ︒ い理解を困難ならしめるであろう︒

﹃むつまじく﹄そ

(8)

151 

︱つの世界市場論の論理について︵杉本︶

ロシア市場と国際市場1

われわれはこの市場に従属しており︑この市場

3U   と結びついており︑この市場から抜けだすことはできないー│がおこなう重大な試験である︒﹂とのべている︒

レーニンがソ同盟と資本主義諸国との市場関係を︑﹁世界市場﹂ではなく︑﹁国 際市場﹂と呼んで区別していたことをしることができる︒

レーニンの﹁国際市場﹂概念の用法をみることによって︑

盟成立以降における﹁国際市場﹂概念との同質性を明らかにしたい︒

レーニンは︑﹁ソヴニト権力の当面の任務﹂の中でつぎのようにいっている︒﹁無政府的にうちたてられた資本主

義社会の基本的な組織力となったものが︑

. .  

一定の生産関係︑社会経済的内容にしたがった ﹁存在しているのは︑全ロシア的市場と国際市場の諸条 ついでわれわれは︑資本主義生産様式が︑いまだ単一の

一九一七年のソ同

ふかく自然発生的に成長する国内市場と国際市場であったから 一九一七年四月のロシア社会民主労働党第七回全国協議会における︑﹁土地問題についての討論の

ときのニヌ・エス・アソガルスキーヘの答弁﹂のなかで︑

件であると︑私はいう︒﹂といっている︒さらに﹃ロシアにおける資本主義の発展﹄においては︑﹁巨大な国民的お よび国際的市場のための生産も︑原料および補助材料の購入にかんして行われる国内の種々の地方との︑

hu  

いろな国との密接な商業的つながりの発展も︑

. . . . . .  

﹂とのべている︒

これら三つの﹁国際市場﹂は︑

いづれも国内市場との対比において把握されており︑国内市場と対比されるもの が﹁世界市場﹂と名付けられていないことに注目すべきであろう︒したがって︑

国際市場の総体を世界市場として扱っているといえよう︒ すべてを包括していた時期における︑ 右の二つの引用から︑われわれは︑ 財政危機がおこなう重大な試験であり︑

またいろ

レーニンにおいては︑国内市場と

諸国内市場ならびに国際市場の総体が世界市場であり︵といっても世界市場の経済学的内容が︑国内市場と国際市

(9)

5 2  

いままで︑木下教授による世界市場と世界経済の概念把握︑そして︑

(5) 

済関係の総体として把握すべきものといえよう︒ ものといえよう︒このように考えると︑ 国際経済の復興に取りか4るであろう││これがわれわれのプランだ︑と言明しているのである︒⁝⁝ソヴエト権

力はこの期間につよまった︒そして︑自分もつよまっただけではなく︑世界経済全体の復興計画をもって現れているのである︒国際経済と電化計画との結びつきは︑科学的にただしく設定された︒﹂

の混乱にさいして︑

の市場範疇に含みえない内容をもつ諸関係は﹁国際経済﹂という概念で説明されており︑この把握の方法は︑木下教授の﹁今日でも両体制を含む全世界的規模での世界経済を論じることができるのである﹂という理解とは異なる

木下教授の見解とレーニンの見解との対比

ま ︑

,1 , 

ている︒だから︑国際市場は異なる生産様式をもつ諸国間の市場関係をも意味しうるのである︒このように考える

ソ同盟成立後のソ同盟と資本主義諸国との間の市場関係11

を一単位とするそれらの間の市場関係としての国際市場︑これら両者の関連をも一貫して理解しうるのである︒

レーニンにおける国際経済と世界経済 国内市場をふくまない諸国間の市場関係が国際市場として把握され

および︑同じ生産様式をもつ諸国の各国

0年十二月六日におこなった﹁ロシア共産党︵ボ︶モスクワ組織の活動分子の会合での油説﹂

﹁国際経済﹂という概念を用いている︒すなわち﹁いまやロシアが全世界のまえに現れて︑われわれは

(4) 

と ︑

ソ同盟が提起した経済復興のあり方をのべたこの演説において︑ 場との算術的総和であることをいみしない︶︑

第一次大戦後の世界資本主義

ソ同盟と資本主義諸国との間

レーニンにおける﹁世界経済﹂概念は︑あくまで同一生産様式諸国間の経

レーニンの世界市場︑国際市場︑国際経済

, 

ノ•ヽ

(10)

153 

︱つの世界市湯論の論理について てその際︑国際市場︑国際経済は︑ されうるのである︒他方︑

レーニンにおいては︑

. ,

および世界経済の諸概念の内容についてのべてきた︒右におこなってきた比較を要約するとつぎのようになろう︒

木下教授の見解によると︑世界市場は国内市場をふくまない諸国間の市場関係であり︑世界経済は市場範疇をこえ

た要因をもつ諸国間の経済関係一般であり︑したがって︑世界市場も世界経済も各国の生産様式とは無関係に規定

一定の生産様式を前提とする国内市場ならびに国際市場の総体が

世界市場であり︑同じく一定の生産様式を前提とする各国の経済ならびに国際経済の総体が世界経済である︒そし

一定の生産様式を不可欠の前提としないために︑同一生産様式諸国間にも︑異

なる生産様式をもつ諸国間にも︑適用されうるのである︒私はこのレーニン規定を正しいものと考える︒

ここで木下教授の規定に対する主な疑問点を指摘しておこう︒

第一点は︑木下教授の規定のように︑世界市場︑世界経済から社会経済的内容をとりさってしまうならば︑どの

ようにして世界市場︑世界経済の論理的・法則的把握ができるのだろうか︑ということである︒木下教授の規定に

したがえば︑世界市場あるいは世界経済の論理的・法則的把握を実際上否定することになり︑単なる比較生産費説⑳ の形式あるいは交易条件の分析などの質的規定のない量的側面の分析のみが︑内容として残るにすぎないことをい

みする︒世界市場︑世界経済はまった<法則性のない歴史的・具体的なものとなる︒

第二点は︑世界市場から国内市場をはぶくことによって︑資本の要求それ自体を︑つまり資本主義的法則の内容

をゆがめることになっていることである︒世界市場の拡大︑深化は︑資本主義自体の必然的産物であり︑とくに帝

国主義段階では︑あらゆる国内市場そのものの国際独占による再分配がおこなわれるのであって︑それは国際的な

話しあいや政策によって生じるものではない︒資本それ自体が世界市場を拡大し︑再分配することを要求するので

(11)

154 

あり︑資本に国境がない以上︑国内市場を含まない世界市場を問題とするわけにはいかない︒

第三点ほ︑プラソとの関連での問題である︒

マルクスの経済学のプラン﹁四生産の国際的関係︒国際的分業︒国

⑫ 際的交換︒輸出入︒為替相場︒国世界市場と恐慌︒﹂

規定ではどのようになるのだろうか︒両者は同一視されることになろう︒

第四点は︑論理的問題である︒世界経済の概念をとってみよう︒商品・貨幣・信用等以外の市場範疇に含まれえ ない諸関係︑たとえば社会主義国の非社会主義後進諸国への技術・経済援助の存在という現実から︑教授は︑現段 階における全世界の複雑な経済的結合をすべて世界経済の概念に包摂される︒成程︑

済体制の枠をこえて拡がっているのは事実である︒しかし︑教授の﹁世界経済﹂概念は︑社会主義諸国間の関係︑

資本主義諸国間の関係︵帝国主義諸国間の関係︑帝国主義国と後進国との関係︶︑

国と後進国︑社会主義国と帝国主義国︶をすべて並列的にふくんでいて︑これらの諸関係の間の相互関係を分析す

る方法は与えられない︒それは︑ 4る経済関係の網の目が経

両体制諸国間の関係︵社会主義

ただ相互に関連をもっというにとどまり︑これら多くのからみあいのうち︑どれ が世界史の動向を規定する甚本的関係であるかが不明確である︒現段階の世界の基本的関係は︑社会主義世界経済 の発展と矛盾︑資本主義世界経済の発展と矛盾との両者のなかにあり︑これら両者の発展方向と力関係︑矛盾を基 軸として両体制諸国間の諸関係が決定されるのである︒これら三者は︑形式的には同列に位置づけられようが︑発 展法則として︑矛盾の展開として様々な諸関係を位置づけるのが本来の科学の任務であるとすれば︑両体制間の諸 関係の合法則的把握は︑同一体制内部の発展と矛盾の分析にもとづいておこなわれるべきであること︑を明確にす

︑ ︑ る必要がある︒両体制諸国間の関係は︑それ独自の規定的発展法則をもつものではない︒﹁二つの世界市場論﹂は︑

︱つの世界市場論の論理について

という編別構成における四と国との関連は︑木下教授の概念

(12)

155 

両体制諸国間の経済分析を不毛にした︑という批判が︑木下教授の研究の出発点であったわけであるが︑この批判

部における︑二つの性格を異にする市場関係の対抗として﹂把握する︑と主張しても︑その動向の法則的把握ほ否

定されているからである︒﹁二つの世界市場論﹂によれば︑両体制間の経済諸関係は︑過渡期の法則として︑資本主

義世界経済と社会主義世界経済との両者に基本的に規定されるものとして︑位置づけられ︑社会主義国と帝国主義

﹁国際経済﹂あるいは﹁国際市場﹂として分析することができる︒例えば︑

n3  

後進諸国における現在の資本主義国からの信用供与︑経済援助などの際︑﹁利子が以前より若干低下したりして﹂

一時的あるいは部分的な譲歩を強いられている︒それは︑資本主義世界体制の中の資本主義的法則の一

n3

 

定の制限をいみする﹂現象があらわれているのは︑

で資本主義世界経済の発展と矛盾が︑相互に規定しているのであり︑その結果である︒あらゆる国際関係を生産様

式から切断して並列することは︑内在的な発展法則の否定へと導かざるをえない︒

木下教授は︑資本主義的世界市場の資本主義的とはいかなる意味をもつか︑と問題を提出され︑つぎのようにい

﹁資本主義のつくり出した世界市場における商品流通は︑産業資本の循環に組み込まれているのであり︑

そこに流通する商品にしても貨幣にしても︑すべて商品資本となり︑貨幣資本となっているのである︒かような意

味で︑世界市場は資本主義的世界市場なのである︒しかしながら︑それらが商品資本となり︑貨幣資本となるのは

産業資本の循環に組みこまれた限りにおいてであり︑この循環の一部を構成するGW

W

G︑ ー 国︑社会主義国と後進国との関係は︑

一方で社会主義世界経済の経済力と後進国援助の性格が︑他方 はむしろ﹁︱つの世界市場論﹂に妥当するものである︒何故なら︑﹁︱つの世界市場論﹂が現実を﹁世界市場の内

(13)

15b 

4る転態が行われるのは︑それが資本であるからではなく︑貨幣であり︑商品であるからである︒したが

って︑世界市場にあらわれるすべての商品や貨幣は︑その出生において必ずしも商品資本であり︑貨幣資本である

必要はない︒また産業資本の循環以外のところに入りこめないというのでもない︒それが商品であり︑貨幣である

限り︑如何なる生産様式の生産物であろうと変りないし︑また如何なる社会へも入りこむことができるわけである︒

換言すれば資本主義的世界市場といえども︑市場という側面においては単純な商品流通を媒介しているわけである︒

そのうえ︑とくに世界市場では︑必ずしも構成国での生産手段の私的所有を前提していない︒まして私的資本家的

所有をも前提していない︒それぞれの国の内部での生産様式の相違にもか4わらず︑世界市場での商品交換が存在nしうるのであって︑世界市場に対する資本主義的という規定は本質的なものではない︒﹂

るように︑木下教授は︑産業資本の循環のなかにいろいろの生産様式︵商品生産である限り︶の商品が入りこみう

る︑というところから︑商品であり貨幣であれば︑いかなる生産様式の生産物であろうと関係なく︑世界市場にお

いては同質のものとして交換される︑として︑生産様式の差異を抹殺し︑そこから﹁資本主義的世界市場﹂の﹁資本

主義的﹂という規定は本質的なものではない︑と結論されるのである︒そしてこれが同時に︑社会主義諸国間の市

場関係ならびに社会主義国と後進諸国の市場関係との質的同一性を主張される際の論理的前提となっていることは︑

容易に理解される︒さて︑木下教授は︑この論理を導かれる際︑流通を基軸に考察されており︑流通から出発され

るのである︒このことに注意しなければならない︒そして教授は︑それを﹃資本論﹄第二巻の叙述に依拠しておら

れる︒木下教授が引用された叙述にすぐ続けてマルクスはつぎのように述べている︒﹁商品

(P m) ほ ︑ G│Pm

る行為が終れば商品たることをやめて︑生産資本Pとしての機能形態をとる産業資本の定在様式の一っとなる︒だ

以上の引用から理解され 六六

(14)

157 

面を主要な側面と捉えることはできない︒ がそれとともに︑その商品の由来は消えうせている︒その商品はもはや産業資本の実存形態としてのみ実存し︑産業資本に合体されている︒とはいえ︑その商品を填補するにはその再生産が必要だということに変りはなく︑そのかぎりでは︑資本制的生産様式はその発展段階の外に横たわる生産諸様式によって制約されている︒だが︑資本制的生産様式の傾向は︑あらゆる生産をできるだけ商品生産に転化させることである︒そのためにとる重要手段は︑さに︑あらゆる生産をかように資本制的生産様式の流通過程に引き入れることである︒そして発展した商品生産そ

S l  

⑫ のものは資本制的商品生産である︒﹂

出生の性格がすべて消減し︑資本の循環過程の構成要素となることをいっている︒しかし︑

は︑ここから資本の性格が捨象されるということを導くことではなく︑逆に生産過程において資本の刻印をうける︑

まさにそのことである︒

つまり︑資本主義生産様式は︑必然的に他の生産方法をほり<づして︑資本の支配下にい

れるという法則的把握をおこなっているのであって︑まさに資本主義的生産の歴史的・必然的な方向を示している

のである︒だからこの場合︑資本主義が他の生産方法を資本主義のための市場にかえる側面︑資本主義的世界市場

̀ ̀  

の性格そのものが重要な位置をしめており︑木下教授が理解されるように︑市場としての共通性を一般化している

ればならない︒木下教授は︑資本主義的生産様式の矛盾と展開︑その歴史にもとづいて概念を把握することを放棄

され︑観念的な拙象を行われ︑何ものも法則的に説明しえないまでの一般化をおこなっておられるのである︒この

抽象の方法に︑木下教授の論理のもっとも重大な欠陥があるように思われる︒

以上︑木下教授の論理の中核である諸概念について検討し︑若干の疑問を提起した︒これらの疑問点を社会主義世

﹁世界市場に対する資本主義的という規定は本質的なもの﹂と考えなけ マルクスが強調するの

マルクスは︑商品はそれが資本の循現過程に入りこむやいなや︑その

(15)

158 

界市場の問題に則してうらづけてみたい︒これが次項の課題である︒

木下教授は︑社会主義世界市場の新らしい内容とは何かと設問され︑

内容を︑貿易参加国がともに社会主義国であるという社会制度に直接むすびつけているが︑これでよいのか︑として︑つぎのようにのべておられる︒﹁社会主義諸国間の経済計画の相互調整と協力の関係は︑決して超国家的機関

によって行われているのではなく︑平等の権利をもった国同志の自発的な協力関係である︒この点で︑

地計画と国際分業は異なる︒⁝⁝社会主義諸国間では独立国相互間の商品交換を媒介として行われ︑ここでは価値⑳ 法則が作用している︒﹂したがって︑社会主義世界市場の特徴とされている現象は︑﹁社会主義陣営の諸国と自主的⑫ 発展の途を歩もうとしている後進諸国との間にも︑やはりみられるのではなかろうか﹂︒すなわち教授においては︑

﹁平等の権利をもった国同志の自発的な協力関係﹂が存在するかどうかが世界市場の性格の基準となっているので

あり︑換言すれば所謂平和五原則という政策の有無がその中心におかれているのである︒そして︑この際木下教授

の論理の基礎となっているのは︑資本主義的世界市場にたいする教授の理解︑すなわち資本主義的流通過程を交換

一般にまで抽象して資本主義的という規定を放棄された︑それと同一の論理である︒教授の説明をみよう︒﹁社会主

義諸国の経済関係もその基本形式が︑国際商品交換である限りにおいて︑ここでは価値法則が作用している︒たと

えそれが社会主義的商品であろうと︒社会主義的であるのは︑それが社会主義的生産様式の生産物であるという意

t"

5 

n3  

味であるからにすぎず︑世界市場に登場した限りでは一個の価値物であり︑価値の実現を求めているのである︒﹂

社会主義世界市場も商品交換である限り︑商品市場一般に解消され︑社会主義的というのは単なる出生を示すまく

1つの世界市場論の論理について︵杉本︶

﹁二つの世界市場論﹂では︑この新らしい

(16)

159 

このような教授の見解にしたがうならば︑社会主義世界市場における価値法則生成の必然性は説明されうるとし

ても︵ただし︑社会主義世界市場のそれではなく︑市場一般のそれ︶︑

またその歴史的趨勢︑社会主義世界市場における価格形成過程の推移︑さらに計画化法則と価値法則との関連とい

った諸問題はどのように解明されるのだろうか︒これら諸問題の論理的把握は不必要だとされるのだろうか︒

また教授は︑社会主義的商品を商品一般にまで一般化されたため︑教授の論理の中で︑生産様式によって規制さ

れる側面と市場面が分離され︑二元論的把握となって︑生産と市場の統一的説明が不可能になっているのである︒

この点について︑すでに私はつぎのように疑問を提示しておいた︒

﹁教授が﹃世界市場が第二の規定の側面を代表

するのに対し︑世界経済体制が第一の規定の側面をあらわすものといってよいであろう﹄と主張される時︑生産と

流通との相互関係は自明のこととして第一の規定に含まれているといわれるかもしれない︒そうだとすれば︑世界

経済体制には世界市場が含まれているわけであるから︑世界経済体制に含まれている世界市場は社会経済的内容を

含み︑世界市場そのものは商品流通上の範疇ということになるのであろうか︒第一の規定における世界市場はどの

ように位置づけられるのであろうか︒木下教授の主張は︑市場が商品流通の範疇であることを強調されるあまり︑n

生産と流通との関連をたちきってしまう結果になっている︒﹂社会主義世界市場は︑社会主義生産関係にもとづく

^

社会主義世界経済1それは社会主義の基本的経済法則にしたがって︑社会主義圏全体︵社会主義国の総体だけで

はなく︑現段階では東欧圏︑

アジア圏という経済的地域を重要視する︶の立場からの計画的発展を

すすめ︑国際的な生産力水準の乎準化︑生産力の著しい発展を達成することに中心課題があるーーとの関連におい らことばにすぎないと理解されるのである︒

社会主義世界市場における価値法則の役割︑

(17)

160 

ある︒そして国家はただ国営企業の生産物のみを取扱い︑ している︒すなわち︑

﹁これは外国貿易のため︑外国に諸生産手 一方に︑国家的・全人民的所有形態があり︑他方に︑コルホーズ的・協同組合的所有形態が てのみその性格を規定しうるのであり︑そして小商品生産の破壊︑市場分割と再分割︑後進国の掠奪︑従属化という内容をもつ資本主義世界市場は︑資本主義世界経済の法則たる利潤追求によってはじめてその性格を規定されうるのではなかろうか︒木下教授が流通から︑交換から出発されることの中に根本的な誤謬がひそんでいる︒このこ

商品生産一般に価値法則は存在し︑資本主義的生産様式の社会にも価値法則は存在し︑社会主義社会にも価値法

則は存在する︒だから︑社会主義社会に現存する価値法則の内容を明確にしなければならない︒

社会主義における価値法則に関して︑その法則の客観性が認められたのは︑

主義の経済的諸問題﹄以後であろう︒彼は︑社会主義における商品生産の必然性を二つの所有形態の存在から説明

コルホーズは生産物を商品としてでなければ手放したがらない︒このコルホーズ形態の企業と国家的所有形態の企

業との交換関係から︑商品生産は必然的なものとなる︒これがスターリンの主要命題であるが︑彼はさらに﹁同志

ア・イ・ノートキンヘのスクーリンの回答﹂においては︑価値法則の必然性を外国貿易からも禅いている︒すなわち︑

彼は︑社会主義のもとでは生産手段を商品範疇にいれることはできない︑と強調したあと︑それでは﹁なぜ生産手

段の価値︑原価︑価格などが問題になっているのか﹂と問題を提起し︑

段を売る仕事をするのに必要である︒この場合︑

生産手段は現実に売りわたされる︵保留なしに︶ コルホーズ生産物はコルホーズだけが取扱う︒この場合︑

つまり外国貿易の部門では︑ スターリン著﹃ソ同盟における社会

わが生産手段は現実に商品であり︑

のである︒このようにして︑外国貿易上の取引の部門では︑

とを価値法則との関連で以下あきらかにしよう︒

七〇

(18)

161 

そこには当然労働の異質性が存在し︑ 2企業の生産する生産手段は︑本質的にも形式的にも︑商品の特性をもっているのである︒﹂︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑段は本来商品ではないが︑国際交換が存在するために商品となるというのである︒この必然性の説明に注意しなければならない︒というのは︑木下教授のつぎの言葉に︑類似の論理をみることができるからである︒﹁社会主義諸国の経済関係もその甚本形式が︑国際商品交換である限りにおいて︑ここでは価値法則が作用している︒﹂は︑社会主義生産関係の成熟度︑生産力の発展段階とはまったく無関係に︑国際間の交換関係︑国際市場の存在という形態から︑価値法則の必然性がとかれている︒

だから︑その後ソ同盟で展開された価値法則論争において︑

スクーリソ命題が流通主義的理解であるとして批判

され︑社会主義生産そのもののなかに価値法則が生じる必然性を求める傾向が主流となってきたのは当然のことで

n2  

ある︒社会主義において価値法則が存在する必然性はつぎのように理解されよう︒社会主義社会とは共産主義社会

の低次の段階である︒そこでは︑生産手段の私的所有が存在しないため︑労働は直接社会的性格をもっているとは

生産力水準がいまだ必要に応じた分配を許すほど高くはなく︑

過渡的段階として所有形態の相違が存在する︒このように生産力︑また労働の社会的性格︑所有形態はいまだ充全

な展開をとげるに至っていないため︑直接の分配ではなく︑等価的連関の形態が不可欠となり︑そこで資本主義社

会からの遺産としての価値法則が利用されるのである︒この際︑叉︑資本主義の不均等発展法則から必然化される

各社会主義国の発展の段階の相違︑資本主義国との共存︑国境の存在等々も︑社会主義において価値法則を利用す

ることをうながす要因である︒このように社会主義の価値法則は︑社会主義の生産力の発展︑社会主義生産関係の

成熟との関連で把握されなければならない︒か4る社会主義社会の性格との関連にもとづいてはじめて︑価値法則 といっている︒生産手

(19)

162 

が可能になるのである︒ の役割の推移︑計画化法則と価値法則との関連とその変動過程が統一的に理解され︑生産と市場との一元論的把握

社会主義社会に存在する価値法則を︑交換関係から導き︑価値法則として共通であると一般化して︑商品生産一︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑般の価値法則と同一視される木下教授の見解からは︑社会主義社会の価値法則としての把握は不可能であり︑社会

主義にも価値法則が存在するという結論以外には何も生れないのではないだろうか︒

木下教授の論理全体に大きな疑問を感ずるのである︒

﹁︱つの世界市場論﹂を主張される木下教授の論理を検討し︑その論理にそって多くの疑問を提起してき

た︒しかしながら︑私の主張も多くの点で今後に問題を残している︒その際とりわけつぎの二つが中心課題となる︒

第一点は︑国際市場︑世界市場の具体的内容と論理的関連を明確にすることである︒同様な作業が国際経済と世hu2 界経済との関連についてもなされなければならない︒

第二点は︑両体制間の経済関係の問題である︒即ち︑両体制間の経済関係の問題は︑二つの体制それぞれの内的

条件にもとづいて基本的には把握されるとしても︑その際後進国と社会主義国︑後進国と帝国主義国との関係の法

則的把握が︵具体的な次元での法則であろうが︶なされなければならない︒このことこそ︑まさに木下教授の出発

点であったわけであるから︑この問題を解明しなくては︑問題そのものは依然として残っている︒国際市場︑国際

経済の問題であると指摘するだけでなく︑具体的に追求されなければならない︒

我々は︑この現実の要請からはるかに遅れた分野に新しいメスを入れられた木下教授の問題提起を今後さらに検

(20)

163 

討し続けなければならないのである︒

田木下悦二﹁﹃二つの世界市場論﹄についての若千の疑間﹂﹁研究と資料四﹂大阪市立大学経済研究所︑一九五八年︑

木下教授は︑民主主義的市場という語は領域を固定するから望ましくないといっておられる︵前掲論文︶︒しかしここでは︑

社会主義世界市場との対比において使用しているのである︒

拙稲﹁﹃二つの世界市場論﹄に関する一試論﹂﹁商学論集﹂関西大学︑五巻五号︑一九六

0年十二月︒

木下悦二︑前掲論文︑五

0

木下悦二︑前掲害評︑九六ー九七ページ︒

レーニン﹃ロシアにおける資本主義の発展﹄レーニン全集大月書店版三巻六一一九

I

六 ︱ ︱

0

ページ

国民経済と世界経済︑また国民経済の意義については︑松井清﹃国民経済と世界経済﹄弘文堂︑一九五

0年参照のこと︒

レーニソ﹁ツィソメルヴァルト左派の決議草案﹂一九一五︑八︑二〇執銀︑レーニン全集︑ニ︱巻︑三五五ページ レーニン﹁戦争についての檄﹂一九一五年夏執鍛︑レーニン全集︑ニ︱巻︑三七九ページ 木下悦二︑前掲論文︑五

0ページ

レーニン﹁帝国主義と社会主義の分裂﹂一九一六年十月執筆︑レーニン全集︑二三巻︑一︱ニー一︱︱︱一ページ プレソシング﹁賓本主義世界市場の理論の若干の問題﹂内田稜吉編﹃最大限利洞の法則﹄所収一七ニページ レーニン﹁全ロツア労働組合中央評議会の共産党グループ会議での利権についての報告﹂一九ニ一︑四︑十一︑レーニン全

集︑一=二巻︑三六六ページ

レーニソ﹁ロシア共産党︵ボ︶第十一回大会﹂一九二二︑三︑二七

l

四︑二︑レーニン全集︑一

i

0ページ

レーニン﹁ソヴェト権力の当面の任務﹂一九一八︑三ー四月︑レーニン全集︑二七巻︑二四ニページ レーニン﹁ロシア社会民主労働党第七回全国協議会﹂一九一七︑四︑レーニン全集︑二四巻︑二九四ページ レーニン﹃ロシアにおける資本主義の発展﹄レーニン全集︑三巻︑五八

0ページ

レーニン﹁ロシア共産党モスクワ組織の活動分子の会合での演説﹂一九︱

1 0

︱二︑六レーニン全集三一巻︑四五八ページ 木下悦二︑前掲書評︑九七ページ 木下教授はこの点では︑社会主義世界市場における比較生産喪説の意義についての名和説に近いといえよう︒

(20) (19)  (18)  (17)  (16)  (15)  (14)  (13)  U2l  (11)  (10)  (9)  (8)  (7)  (6)  (5)  (4) (31  (2) 

︱つの世界市場論の論理について︵杉本︶

参照

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