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A.Stifter の世界(1) -主として“Brigitta”について-

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(1)

A.

Stifter

世  界 (1)

-−一主として。Brigitta”についてー

-青

  野   永 (文理学部独文学研究室)

 A. Stifters Welt (レ)

hauptsachlich iiber

。Brigitta”--      von

Nagaharu

AONO

      〔I〕

 Emil Siaiger は, Stifterの世界の特色について,次のような見解を示している. Stifterの 。Studien”の初期の作品,特に。Das Heidedorf”や。Der Hochwald”と,後期の作品,特に 。Hagestolz”。,Abdias"。.Brigitta”との間には,ある種の手法の変化が見られる。このことは,

Stifterの世界が本質的に変ったことを意味しているのではなくて,より多様性に富んだ豊かさ,

つまり「人間的なもの」がより多くの場所を占めるようになったことを意味している。。Das Hei-dedorf"のdie GroBmutter や。,Der Hochwald”のder Alte などを拙く場合, Stifterは人 間の心の中に起伏する想いを覗こうとはせず,むしろ回帰性と単調性の中で捉えようとしているの

に対し, ,,Hagestolz”. ,,Abdias”, ,,Brigitta”の場合は,そこに登場する人物たちを,躍勁する人 物として捉えようとしている. Stifterは「探究しがたいもの」(das Unerforschliche)に対して, 生涯「畏敬の念」を持ち続けた詩人であった。徐々とした変化を見せながら,永遠に回帰する自然 の営みの中に,神の神秘と偉大さを見守り続けたのであった。初期の作品は,この眼に見える自然 や人間を,永遠に変らない,そこにあっては一切の差異か消滅してしまう「神の地所」(Gottes Grund)の世界において捉えた作品であり,その底を流れる単調性は,神と人間との融合を象徴し ている。 これに反して。Abdias”や。Brigitta”の人物たちは,神と破れた関係の中に置かれ,神 に向かう代りに,自分自身に向かう人間として捉えられている. Stifterの「心の世界」の描写は, この神との破れた関係を暗示しようとする意図から生れるのであって。jBrigitta”の場合もこの例 に洩れない(1)。  。Brigitta”のヒロインBrigittaと神との関係における「破れ」は,彼女が女性としての美しさ を拒否されている点にある。彼女の,およそ女性らしからぬ容姿は,いねば一種の「とげ」とも考 えられる。そして,誰からも眼をそむけられ,誰からも触れまいとされる「とげ」に,どのような 意味が秘められているか,どのような美しさが内包されているか, Stifterは,この世で最も醜い 女性と,この世で最も美しい男性との愛憎関係という特異なMotivによって,この問題を追求し ようとする。       ”  「人生には,すぐに明らかにならず,その根拠を速やかに示すことができないような事物や関係 が存在する場合が多い。それらは大低の場合,秘められたものの美しい,柔和な魅力で私たちの心 に働きかける。醜い顔の中に,私たちが即座にその価値を導き山1すことができない内面的な美しさ が,現われることが多いのである。これに反して,世間の誰からも最高の美しさを持っているとい

(2)

 26         高知大学学術研究報告  第18巻  人文科学  第3号

われる,いまひとりの人の姿は,冷たく,空虚な場合か多いのである‥‥‥‥結局,心が感じ取るさ

まざまな倫理的根拠が存在するという点に関しては,疑いの余地がない.しかし我々は,その根拠

を意識や計算のはかりで浮き彫りにし,観察することはできない.心理学はいくらかのことを明ら

かにし,説明して来たものの,なお多くのもIのが,心理学にとって謎であり,無縁の存在のま丿こ

なっている.それ故,我々にとって,神と霊たちがさまよっている明るい,究めることのできない

深渕が存在するといっても決して過言ではないと信じる.人間の心は恍惚の瞬間に,しばしばそれ

を飛び越え,文学は子供のような無邪気さでそれをあぱいてみせる.しかし,ハンマーと物指しを

持つ学問は,しばしばやっとその縁に立つだけであり,・多くの場合,手をつけることすらできない

でいる巾」.

 冒頭に示されるこの省察は,すでに。Brigitta”のThemaないしはMotivを暗示している.

それは神秘のヴェールをまとった内面の美が真の人間関係の支えとなり,導き手となり,つまると

ころは>

SchonheitとSittlichkeit,さらにはGottlichkeitの三者が,互に止揚される世界であ

るといえばよいであろうか.この世界はまた,単に秘められた内面の美しさを見出すだけではな

く,その姿に耐え,その美を開花させ,育てい

克服と償いとが要求される世界でもある.なぜなら,醜い姿こそかえって「限度と終りのない愛」

 (eineLiebe ohne Ma6

und Ende)を要求するから七あるf3). Roedlによれば,それは絶えず

回帰する日常の世界,素朴で根源的な世界へと立ち帰ることを意味している(4).

Stifterの好んで

描く「人生の晩夏的幸福」は,地上における,このような世界の現実化なのである.

 。Brigitta”はIch-Erzahlungの形式による回想の物語りの手法をとっている.物語りはまず,

 「私」が,かつての旅の途上で知りあったMa」orなる人物から,遂に故郷の土に定着し,人生の

目標に到達したという招待状を受け,好奇心に燃えながらハンガリーの原野を旅するところから始

まっている.このMajorはたぐいまれな容姿を持ち,素朴で思いやりのある気高さに満ち,かつ

鋭い美的感覚と永遠に若い魂の所有者であると同時に,自らを限定することのできない,どこまで

も未完成であることを求める放浪者として設定されている.「秘められた美」の探究者として,こ

のようなMajor は,まことにふさわしい資格を持っているといわねばならない.

 ハンガリーの平原は,どこまでも広大で荒涼としている.「私の足下には真黒い土と,おびただ

しい未開と豊満さ,そして太古以来の歴史にもかかわらず,おびただしい始まりと本源の状態が見

られた(5)」.やがて「私」が次第に,その広大さと単調性に馴れてきた頃,荒野の姿が一変する.

 「私か次第に高い場所に登るにつれて,みるみるうちに峡谷か広がっていった.途方もなく大きい

庭園の森が,その館から山なみの中へ走っていた.幾本もの並木道が畠へ向かって伸び.無造作に

適当な間をおいて耕地が開けていた.私はここに見られるとうもろこしほど,長い,肥えた,みず

みずしい葉を見たことがなかった.その支柱の間には,一本の草も見当らなかった(6)」−それは

Brigittaの経営する農場であったー

 この二つの平原の姿は。Brigitta”における重要な舞合と背景を作っており,

Stifterの丹念なリ

アルな筆致は,いっそうその対照を浮かび上らせている.

Wieseによれば,荒野としての平原は,

人間の手のいまだ加えられない「源初の風土」(Urlandschaft)であり,庭園や耕地などの平原

は,人間の業績および作品としての風土なのである(7).前者は,人間の前に置かれた大きい課題と

しての自然であり,後者は,人間の営みの姿としての自然なのである.

 ようやく Majorの館についた「私」は,彼の取組んでいる仕事の世界をつぶさに見分する.

 「私」の驚きは,かつての夢:みがちな,学問や詩作の世界をさまよい,社交界の花形ですらあった

貴族的なMajorから,農場開発に没頭する孤独で力強いMajorへの変り方であった.牛の群れ,

養馬場,牧羊場,菜園,とうもろこし畠,ぶどう園,さらには道路の建設,沼地の干拓作業など,

Stifterの描写は精緻を極めており,自然への人間の手が見事にその秘めた美しさを開花させる光

(3)

A. Stifter  の  世  灘 (1)     (青野) 27

景を,ゆるぎない筆致で描きあげている.本来この草原は,ひとつの大いなる「宝石」なのであ

り,その根源的な力と野性の豊かさが,完全な開花にいたるのは,人間の側からする愛の交わり

と,救済と保護(Bergung

und Hegung)の手によって初めて可能となるのである.ここでStifter

は,人間の持つ秘められた美を草原の持つ秘められた宝石にたとえているように思われる.

 「私」の旅の目的は,問わず語りに語るMa」orの告白から,労せずして達せられる.Ma」orの

幸福は,絶対的な支配権を持っている召使いたちの間で同じ服をまとい,同じ習慣を分かち合い,

彼らの尊敬を集めながら自然との一体感のうちに,単純で根源的な生活を送っているとの自覚から

きている(8).

 Majorは,本来自分が芸術家か学者になる使命を帯びていると信じ,50の坂に至るまで放浪を続

け,いまや一切のものを放棄してこの故郷の土に落ち着いたのであった.

Wieseは,このような自

由な諦めとしての生活転換を,ひとつの「償い」とみなしている(9). 事実,落着きと確信に満ちた

Majorの状態の中に,完全に澄み切らない一種のよどみが見られ,それが一抹の悲しげな影を与え

ていたのであった.

      〔n〕

  「人間性の中には,美という不思議なものが存在する.我々は例外なく,その甘美な姿に惹きつ

けられるのであるが,必ずしもその優美なもの(das

Holde)の所在をつき止めることはできな

い.……弐2k

まらないことが多い.……しかし,美はひとつの心が熱狂と恍惚のうちに脈動するところに,また

は二人の心が相接して燃えるところには,必ず存在する.なぜならもしそうでなければ,人間の心

は静止し,魂の愛は死んでしまうからである.……美は,我々が思いもかけぬところから咲き出す

のである.美の前にぬかづくことは,人間にのみ固有のものであり,人間をいっそう高貴にする.

美は,人生において報われ,讃美される一切のものを,幸福に打ち震える心の中にしか注ぎ込まな

い.美を持たない人間,美を知らない人間,もしくは旅が見ても,その人に美を見出すことができ

ない人間は,悲しい存在である.母親の心でさえも,自分の子供に,この光のたったひとつの微光

すら見出すことができないならば,子供から眼をそむけてしまうのであるtlO)」

 第三章を導入する第二のMotivともいうべき省察は,第一のそれよりも,いっそう具象的なイメ

ージを帯びている.前半の二章がどちらかといえば,

Motivとの密接な関係を離れ,具体的な展開

を見せないましむしろ綿密な環境描写と舞台設定ないしはHandlungの布石とに終始した感があ

るのに比べ・,後半の二章は,

Motivの具体的,劇的な展開を示している.ちなみに>

,,Brigitta”

は構成の点からいっても,それぞれの章が独自の意味あいと,テンポを持っており,全体として見

た場合には,寸分の隙もなく構築された交響曲的な美しさを待った作品といえる.ここではMurai

 (実はMajorの本名)という美貌の男性の>

Brigittaという醜い女性への愛と離反と償いの歴史

が物語られる.

 Brigittaは,生まれ落ちたときから,悪魔に息を吹きかけられたような女性であった.「娘の心

の根が,母の愛と,いう土壌を求め,それを見出さなかったとき,自分自身の心の岩の中へ突き進

み,そこで反抗しなければならなかった(ii)J

Brigittaの心を母親すら理解することができなかっ

たのである.姉妹たちは成長するにつれ,柔らかく,美しくなってゆくのに反し.

Brigittaは丈高

く,頑丈になっていった.音楽を習う代りに,乗馬を習い孤独を愛するのであった.このようなと

き, Muraiという若者が社交界に現われ,女性の人気をひとり占めにするが,

Brigittaの秘めら

れた美しさを感じとり,想い柴寄せるようになる.

Muraiの初めての告白は,

Brigittaに魂の涙

を流させ,再度の告白は,秘めていた胸の中を語らせてしまう.「……4つたしは,自分か醜い女で

(4)

 28      高知大学学術研究報告  第18巻  ・人文科学  第3号 あることを知っています.ですから,わたしは,この世で最も美しい女性が求めるよりも高貴な愛 を求めるのです‥‥‥‥その愛は限度と終りがあってはならないのです.このようなことは不可能な ことです.どうぞわたしを忘れて下さい.あなたは,・わたしのような女にも,心があるかどうか尋 ねてくださった,たったひとりのお方です.あなたに対してわたくしは,自分を偽わることができ ないのです(i2)J Brigittaは絶句する.彼女の姿は,たじろぐばかりの美しさを放ち,「光の天 使」となる.彼女の触れられたことのない唇は, Muraiに生涯一度の喜びを与える.彼女の美し さの本質が開花されてゆく.それは孤独ながらも.黄金の大河となって岸に満ちあふれる愛であっ た.この美しさを認識したのは. Muraiただひとりであったため,それはMuraiだゞ`ひとりの財 産となった.それはまた,荒野に隠された美しい宝を発見し,それを所有する喜びでもあった(13).  ところが> Muraiのこのような喜びの裏には「限度と終りのな¨い愛」が要求されているのであ り,このとき彼は耐え切れそうにない重荷を背負ったことを意味する.ここでStifterはいわば  「愛の極限状況」を設定することによって,人間の愛を探究しようとしているとみてよい.もとも とMuraiのBrigittaへの愛は,ひとつの危険,つまり限りなく愛するか,限りなく憎むかの無 限の振幅を持っていたのであるぐM). この際,見逃せない点は. Brigittaのたくましい,貞淑な, 汚れのない内面の美を発見した,天才的な感受性と野性味豊かなMuraiが,一方その美しさを守 り育ててゆく持続的な力を持ち合わせたMuraiと重なっているとは限らないという点である. 美を発見することと,美を育て守ることとは,全く別の問題なのである.それはSchSnheitと Sittlichkeitとの問題として置き換えられることかできる.  果たしてMuraiが. Brigittaの美を受けとめ,守り,育ててゆく力に欠けていることが明らか になってゆく.やがてMuraiは近郊の娘Gabrieleとの浮気が直接の契機となり. Brigittaの離 婚の申し出に「限りなくお前を憎む……」と告白しながら,息子Gustavと土地財産を彼女に残し たまぺ傷心の心を抱いて旅に出てしまう.  Wieseによれば,ここでStifterが問題としているのは,奇妙なことに「美しい」とみなされ る「醜さ」ではなくて,奇妙なことに「醜い」とされる「美しさ」なのであり,むしろ欠点は他 の人にあり. Brigitta自身にはないのである. Muraiはただひとりの「真の観察者」ではあった が,彼が「観察したもの」を一時的に再び忘れてしまったところに,彼の罪が存在するとしてい る(15). Wieseの指摘をまつまでもなく,このようなMuraiの罪の断定は,まことに峻厳なもの といわねばならぬ. Stifterは, SchonheitとSittlichkeitの媒介として,まるで運命的ともい える条件をMuraiに強いているのであって,その世界の厳しさの一端を見る思いがする.したが って. Muraiのその後に辿った放浪の旅,故郷への帰還,開発事業への没頭. Brigittaとの諦念 に支えられた友情関係などの年月は,そのま丿 は■ Stifterの最も愛好するThemaのひとつでもあり,そのほとんどの作品,特に。Der Hoch-wald”, ,,Abdias”. ,,Die Mappe meines UrgroBvaters”. ,,Granit”,さらには。Der Nach-sommer”などの諸作品の基調ともなっている.

       〔Ⅲ〕

 我々はようやく最後の章にいたって,

MajorとBrigittaの現在の生活に導かれる.ここで示さ

れる二人の関係は,人間関係一般の,ひとつのVorbildとみなすことができる.n場経営の先輩

でもあるBrigittaの姿は,初老の境地を迎えながらも.服はのろ鹿のそれよりも輝き,歯は雪の

ように白く,年の割にはしなやかな身体と昔に変らぬ力をもった女性として,また一方では,女性

らしい身だしなみを忘れず,

Majorに対する情愛こもる,配慮をいとわない,楚々とした女性とし

て示される(16). すでに愛憎の振幅に苦しんだかつての頑な,誇り高いBrigittaの姿はない.−

(5)

       .A.Stifter  の  世  界 (1)     (青野)      29 方,Muraiは,不気味な情熱や,うかされたような欲望や,あのしばしば噂さに上っていた磁力 も影をひそめ,創造の甘美さを知り,さまざまな体験を集めるための放浪の旅よりも,只今の善を 行うことに,はるかに大きい価値を見出している男性として示されている(17).  こ川こは明確にロマン主義的世界の克服が示されているのであって,二人の関係をStifterは次 のように描いている.「彼はこの初老の女性を,ねんごろさと,より高いものに対する傾倒を思 わせる尊敬の態度をもって取扱い,彼女はそのことに対する倫理的,内面的な喜びに満たされてい た.この喜びは,遅咲きの花のように,・彼女の顔のよに花を咲かせ,ほとんど信じられぬほどの美 しいいぷきを添えていた.それはまた,明るさと健康さのゆるぎないパ・ラの花でもあつた.」「彼 女は彼に同じような注意と尊敬を返した.ただ違つている点といえば,その配慮に,彼の健康と, こまごました生活必需品についての心づかいがこめられていることであつた.このような心づかい は,なんといつても女性のものであり,愛に伴うものなのである.そして二人の行勣は,この線を 一歩も越え出てゆかなかつた.(18)」  背離から放浪へ,そして定着への曲折を経て狼得した不勣の人聞関係は,Stifterの好む人生の 昨夏的幸福の姿であるが,それは自己克服と償いの永い体験が,畏敬の念と諦念に支えられている いぷし銀のような世界である.それはまた,こよなく美しい友情が,率直さと,同じ方向への努力 と教示に支えられて,それ以上は一歩も出ず,恐らくは人生の終局まで,いわぱ倫理的に微勤もし ない祭壇に立ち続けようとする世界でもある(19).WieSeの見解に従えば次のような世界といえ る.「なるほど人間の心には正しいもの,善良で美しいものが存在しているとしても,人間は自然 を,委ねられた課題とみなす,あの奉仕的,養育的態度に命を賭ける場合しか,それを見出すこと

(6)

 30      高知大学学術研究報告  第18巻  人文科学・  第3号.

い・ (23)」      ‘

 こゝではついに,赦しが人間の最も美しい行為として捉えられている.二人が導かれたことを確

認し合う「美の柔和な法則」(das

sanfte Gesetz der SchOnheit(24))の提示からも見られるよう

に,こ丿こはSchOnheitとSittlichkeitの見事な統一の世界かあり,冒頭に出された「倫理的根

拠」(sittliche Grunde)の意味を解く鍵が隠されているように思われる.しかしもはやここでは

そのような領域を越えて「神聖なもの」(das

GSttliche)との接触すらうかがわれるのである.

さきに紹介したRoedlの「より高次な,永続的な秩序」とする見解も,この点を指摘しているよ

うに思われる.

 StaigerはStifter を会衆に背を向け,もっぱら「神聖なもの」に顔を向けてミサを行なう司

祭にたとえている,-25).しかしこの司祭は,みじんも説教がましい態度を見せようとしない,あく

までつゝましい司祭なのである.二Brigitta”の場合もその例外でなく,強いていえばMajorの生

活の中に,エデンの楽園の伝説が暗示されているだけであって,しかもそれは重大な暗示であって

も,広大な原野の背景の中に吸収されつくした感すら与えている(26).

 ところでWieseは,すでに引用した「神と霊たちがさまよう明るい,測りしれない深渕」は,1

美の持つ神聖を逆説的に意味しているとし,これを。Brigitta”のThemaとして捉えながらも,

本来的な意味でのThemaは,むしろいまなお地上にあって被われている神的なまでに美しいもの

 (das gettlich Schone)を決定的に救助し,保護することにあるとみている.しかしこのような

ことは,「真実の観察」「正しい認識」そして「美しいものの愛に満ちた保護」によってのみ可能

であり,かくて堕落以前の人類の初源的世界が復興されるのであって,

Stifterの本来的な憧れの

方向は,労働世界のリアリズム的描写にもかかわらず,あの楽園のユートピア的な復活を目指して

いるとするのがWieseの結論である(27).    ∧

       〔IV〕

 それにしても 。Brigitta”の世界は,なんという澄み切った,健康で力強い,あふれるばかりの

希望に満ちた,持続的な,温い世界であろう.この世界は,二人の愛息Gustavの姿に象徴されて

いる.(彼の美しい眼には,未来に対する歓喜と,現在に対する限りない寛容があった.

(28)」現

代にあっては,このような世界はすでに神話としての意味しか持たないのであろうか.。Brigitta”

に示されている人間関係や,それを支える世界を,

Steffenが「私」の心を通して代弁しているよ

うに,不自然なありうべからざる姿とみなしたくなる気持を抑えることがむつかしいのも,また事

実であろう(29).

 しかしStifterは,いわゆるBiedermeier的な世界に沈潜しきるよりも,このような透明で,

より高次な,永続的秩序の世界から時代を見守り,時にはジャーナリズムや教育などの公的生活に

も入ることによって,そしてなによりも詩人であることによって,最も大切なものが失われてゆ

こうとする動乱の時代に警鐘を鳴らし,その救済の方向を指さし続けたのである.その意味から

Krellも指摘するように,

Stifterは文学作品にモラルの強化と感情生活の深化を要求し,ヒュー

マニズムの伝統とキリスト教信仰の精神の上に,自分の作品の根拠を置いたのである.現代の混

迷するヒューマニズムが立.ち帰るべき世界へのひとつの方向性として.

Staigerが「畏敬の念

に満ちた詩人J

Stifterに却って現代的な意義を見ているのも,

Krellと同じ観点に立っている

といえる(31)・  。Brigitta”の随所に見られるStifterの教育観,芸術観,文化観は,そのような

Stifterの一而を物語っており,現代にあってもその価値を失なっているとは思われない(32).

 Stifterは,その生存当時から第一次大戦まで,大方の世間の黙殺を買っていた.しかし当時に

あっても,心ある近親者たちは Stifterの作品に讃辞を惜しまなかったのである.。Brigitta”を

(7)

       A. Stifter  の  世  界 (1)     (青野)      31 沓いた頃のStifterが親しい人たちとの間に交わした二通の手紙が残っている.ひとつはStifter 自身の告白であり,彼の世界を知るための資料として,ひとつは,,Brigitta”に対する賞讃で あり,時代を越えて生き続ける Stifter評価の根拠を示す資料として価値を持っていると思われ る.   「……私は直ちに,私の才能に関する一切の点を否定しなければなりません.才能は取るに足ら ぬものであるかもしれず,たとえあっても,結局は資格もなく頂く神の賜物にすぎないからです. その賜物を,人間は謙虚に受けとることは許されても,それを誇ることは許されないのです.しか し私か自認の気持で,あるひとつのことに眼をとめることを許ぎれるとすれば,それは私の若さの 多くの欠点にもかかわらず,私の消えることのない善良な心だと思います.それは,あらゆる美し いもの,高いものを敏感に感じとってくれます.……私の作品の中にあって,他の善良な人たちに 働きかけるものも,結局は私のこの心だと思うのです.何故なら私の作品には,作為や意図といっ たものは,恐らく非常に少ないと思うからです‥‥‥‥この世には魂の宝石というものかあります. それは決して失なわれることがなく,どのような人生の苦境にあっても,ひとつの拠り所を与えて くれるものなのです.このような宝石とは,他人の持っている倫理的な美しさを観ることであり, 決して新らしさを失なわず,何千回めぐりあっても,まるで初めてのように人間の魂を恍惚とさせ るたったひとつのものを観ることなのです. (33)」   「あなたの文学の世界を批判することは,私ごとき浅学のものにとってふさわしくないと思いま すが,こんなにもしばしば私の心に音楽を奏でてくれるお方に,語りかけることを許される幸せを 喜んで捉えなければ愚かなことト巴われます.それ故あなたの。Brigitta”が私に与えてくれた印 象について串しあげたいと思うのですか,それは批評としてよりも,単にお近づきになりたいた めの手段として申しあげることを御承知下さい.私の受けた印象は。Der Hochwald”あるいは 。Feldblumen”を読んだ際のそれとは違ったものでした.何故なら,あなたはこんな’にも見事に, かつ感動的に,魂を持たない自然の動きを描写するすべも,また自然の持つ恐ろしさと美しさとに 極めて密接に連がついている人間の実態を証明するすべも心得ておられるからであ・り,にもかかわ らず,やはり人聞か私たちにとって最も身近な存在として示されているからなのです.そして人間 の心象としての春,夜,夏,冬の嵐といった風景,つまりあなたが。Brigitta”の中,でいろいろ探 究しておられる一切の人間心理の世界は,よりいっそう深く,かつ余韻を帯びて心に働きかけてい ると思われます.……当今の,さまざまな教養的要素と長い平和的関係に浸っている雰囲気は,博 物館が責任を負い切れないほどの作家たちを生んでいます.このような現代の子供たちは,母親を 栄光あるものにする子供たちではありません.彼等は永遠の子供のように,母親の服にすがり,母 親の行くところならばどこへでも,その後からよちよち歩きをしているのです.真の詩人的使命を 授けられた根源的な人間は,見たところ時代から離れているようですが,やがていっそう豊かにな り,幸福にさせる力を得,自ら獲得した宝物を持って時代へと立ち帰ってくるのです.このことを あなたは,はっきりと知っておられ,たとえ世間的な名声の中でなくとも,自分自身の胸の中で, 不滅なるものを獲得することに成功されたのです.あなたは,人聞かその永遠を見出すあの深みへ あなた自身の才能の助けを借りて到達されたのです. (34)」  註 木稿に関して用いたテキストおよび参考文献は下記の通りである.

Adalbert Stifter: Gesammelte Werke in sieben Banden, Insel-Verlag, Leibzig, 1939.  Bd I Studien I

 Bd n Studien n

 BdⅢBunte Steine, Erzahlungen.  BdⅣDer Nachsommer

(8)

ろ2 高知大学学術研究報告  第18巻  人文科学  第3号

 Adalbert StiftersLeben und Werk in Briefen und Dokumenten, Insel-Verlag, Frankfurt am Main, 1962.

 Emil Staiger : Adalbert Stifter als Dichter der Ehrfurcht, Lothar Stiehm-Verlag, Heideberg, 1967.

 Benno Wiese : Die deutsche Novelle von Goethe bis.Kafka! Interpretationen I, Diisseldorf, August Bagel-Verlag, 1963.

 Urban Roedl : Adalbert Stifter, Geschichte seines Lebens, Franke-Verlag Bern, 1958.

 Urban Roedl : Adalbert Stifter in Selbstzeugnissen und Bilddokumenten, Rowohlt Taschenbuch Reinbeck bei Hamburg, 1965.

 Ernst Frank : Liebe zu Stifter, Leben und Werk des Pichtersj Adam Kraft-Verlag, Augusburg, 1968.

 Otto Heuschle : MaB des Menschlichen, ein Stifter-Brevier, J. F. Steinkopf Verlag,・Stuttgart, 1963.

 Konrad Steffen : Adalbert Stifter, Deutungen, BifkhauserVerlag Basel und Stuttgart, 1955.  Leo Kre】lund LeonhardFiedler : Deutsche Literaturgeschichte, C. C. Buchners Verlag, Bamberg. 1963. 1. Staiger, S. 18∼19. 2. G. W. Bd n. S. 187∼188. 3. Ebd. S. 231. 4. Roedl, Rowohlt, S. 69. 5. G. W. Bd n. S. 193.       1 6. Ebd. S. 196. 7. Wiese, S. 199. 8. G. W. Bd n. S. 214. 9. Ebd. S. 202. 10. Ebd. S. 223. 11. Ebd. S. 224∼225. 12. Ebd. S. 231. 13. Ebd. S. 233. 14. Ebd. S. 234. 15. Wiese, S. 207: 16. G. W. Bd n. S. 242. 17. Ebd. S. 245. 18. Ebd. S. 245∼246. 19. Ebd. S. 246. 20. Wiese, S. 211.

21. Roedl, Geschichte seines Lebens, S. 188∼189.

22. G. W,。Bd n. S. 251. 23. Ebd. S. 252. 24. Ebd. S. 251∼252. 25. Staiger, S. 9. 26. G. W. Bd n. S. 215. 27. Wiese, S. 212. 28. G.ぺN. S.243. 29. Steffen, S. 108. 30. Krell u. Fiedler, S. 269. 31. Staiger, S. 8. 32. G. W. S. 216.

33. A. Stifters Leben und Werk, S. 140。

  An Therese Jager, べiVien, 2. Tanner, 1845.

34. Ebd. S. 145∼146. Von Heinrich Landesmann, Wien, 14, Marz, 1845.

参照

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