• 検索結果がありません。

序   記紀神話と統治

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "序   記紀神話と統治"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

― 67 ―

  記紀神話と統治

七世紀、朝廷の国家統治は大きく二度、危機を迎えている。一度 目は大化の改新、二度目は壬申の乱である。二度の危機の原因の基 盤には天皇家の権威弱体化と皇統の問題があった。必然的にそれら に対応して統治するには、より絶対的な権力を天皇家がもつ必要が あった。 古代において「神」と日常は不可分であり、延いては政治とも不 可分であった。そのような時代に王家が絶対的な権力をもつために は、 地 方 の 政 権 と「 神 」 を 中 央 化 し、 そ の 纏 め 役 た り 得 る 強 力 な 「 神 」 を 後 見 に も つ 必 要 が あ っ た。 そ の た め に は、 各 地 の 神 話 を 天 皇家に合わせて一本化し、その神話と統治制度を相互的に影響・変 化させあうことで、天皇家の思い描く国史を作ることが必要だった。 それを記載しているのが『古事記』と『日本書紀』である。 『 古 事 記

』 序 文 に は、 天 武 天 皇 が「 氏 族 の 保 持 し た、 神 話 を 含 む 旧 辞 は 正 実 に 違 う 」 と 明 言 し た と 記 載 が あ り、 『 日 本 書 紀

』 と 比 べ て も 収 載 す る 話 に 関 し て 特 に 情 報 の 選 別 を 行 っ た こ と が 窺 わ れ る。 また紀の神話では、最も望ましい形の正文とは別に異伝を伝えてい る。 こ れ は 記 編 纂 時 に 天 武 帝 が 棄 却 し た 伝 承 で あ る 可 能 性 が 高 く、 氏族達が伝えてきた古い神話性が比較的残されていると考えられる。 つまり、記紀神話は律令制度に基づいた宗教改革及び絶対神の創 造を目的とする話であり、その意図は記により強く反映されている。

  アマテラスの名義と記紀の在り方

そもそも、アマテラスとはどのような存在であったのか。彼の神 は 記 で は 天 照 大 御 神 で 名 を 統 一 す る が、 紀 で は 加 え て「 日 神 」「 オ ホ ヒ ル メ ノ ム チ 」「 オ ホ ヒ ル メ ノ ミ コ ト 」 の 名 を も つ。 こ れ ら は、 大きく「アマテラスオホミカミ」と「オホヒルメノムチ」の二系統 に分類できる。 アマテラスオホミカミの名は、名詞「アマ」+四段活用の他動詞 「テラス」 +接頭語 「オホ」 +接頭語 「ミ」 +名 「カミ」 と分解でき、 記紀・万葉

の例から「世界を照らす強大な霊力の神」の意に解釈で きる。日神としての属性と、中つ国統治への強い意志および至高神 たらしめようとする高度な文化的意向が強く反映された名と考えら れ る( 「 テ ラ ス 」 は、 放 出 能 力 に よ っ て 放 出 者 の 地 位 を 保 証・ 更 新 する働きがあり、被放出者となる対象と同等以上の存在であること 『古 事記』における「天石屋戸」神話の意義 アマテラスの役割と高天原統治

     

(2)

― 68 ―

を示す傾向が強い) 。 オ ホ ヒ ル メ ノ ム チ の 名 は、 接 頭 語「 オ ホ 」 + 名 詞「 ヒ ル 」

+

名 詞 「 メ 」 + 格 助 詞「 ノ 」 + 名 詞「 ム チ 」 と 分 解 で き る。 「 ヒ ル メ 」 は、 紀 の 第 一 書 第 七 段 で の み 登 場 す る ワ カ ヒ ル メ ノ ミ コ ト と 同 じ く、 「 ヒ 」 の 上 代 特 殊 仮 名 遣 い に お け る 音 韻 上 の 分 類 か ら は 甲 類 で、 太 陽を表す 「日」 や 「 霊

」 と同様であり、 「超常的な霊力を帯びた女性」 と 解 さ れ る。 「 オ ホ ヒ ル メ ノ ム チ 」 の 名 は、 巫 女 と し て の 要 素 が 強 く現れた「偉大で超常的な霊力を帯びた女性の神霊」と解釈できる。 以上より、 「アマテラスオホミカミ」 「オホヒルメノムチ」という 名からその文化神的神性に着目すると、紀が優先する名「オホヒル メ」を冠するアマテラスよりも、記で一貫して「アマテラスオホミ カミ」とされるアマテラスの方が文化的・政治的に高次元な存在で あることが分かる。 すなわち、記におけるアマテラスは思想的に完成した至高神像を 投影した天照大御神、紀におけるアマテラスは発展途上の頃の原始 的要素を残す太陽神と判断される。そして、この編纂姿勢およびア マテラスの神像は、イハヤ神話でも一貫して主張されている可能性 の高いことが予測される。

  「ミカシコム」と「コモル」

従来、この条は彼の神がイハヤに入った後の祭祀の描写を中心に 研究されてきた。しかし、本稿では場面性に着目して解釈を行う。 アメノイハヤ神話は、アマテラスの弟スサノヲが高天原で乱行を 働 く と こ ろ か ら 始 ま る。 高 天 原 は 豊 穣 を 祝 い 願 う 新 嘗 祭 の 準 備 に 入っていたが、スサノヲは乱行によって祭りを穢してしまう。この 祭は首長としての力や資格を更新することを目的とする。農耕社会 において、新嘗祭妨害はその領域の長たる者の社会的死すら招きか ねない重犯罪といえる。 そのような重罪を犯したスサノヲに対し、記でアマテラスは「見 畏 み て 」 イ ハ ヤ へ「 籠 も る 」。 ア マ テ ラ ス は な ぜ、 直 に ス サ ノ ヲ を 処罰しなかったのか。記でのみ使われる語「ミカシコム」に、その 理由の一端が窺われる。 記における「ミカシコム」の用例は、四例のみである。一例目は、 イザナキが黄泉国へ行き妻の姿を見た際に使われており、ここでイ ザ ナ キ は 妻 と の 永 遠 の 別 離 に 至 る。 二 例 目 は 天 孫 降 臨 の 条 に あ る。 ニニギノミコトが妃を探す中で出逢ったイハナガヒメを見た時の反 応に使われている。この後、皇孫は手に入った筈の恩恵を失い寿命 を負う。三例目は垂仁記の記事にある。ホムチワケが共寝をしたヒ ナガヒメの正体を見た際の反応と、その後悲しんだヒメ神が追って きた時の反応に使われ、やはりヒメ神との別離に至る。最後の四例 目は景行記で、ヤマトタケルノミコトに兄を殺された熊襲の族長の 弟の反応に使われている。弟はヤマトタケルに殺され、熊襲族は長 を失って朝廷の支配圏に組込まれると予測される。 共通するのは、 「ミカシコ」 まれる対象と 「ミカシコ」 んだ人物が、 最終的に対極の立場 ― 一例目では黄泉国と中つ国、二例目では永 遠と有限、三例目では出雲地方と大和朝廷、四例目では支配する者 とされる者に分かれている点である。 すなわち、記においてアマテラスがミカシコんだ時点で、彼の神 とスサノヲは対極の立場に分かれることが決定していたと思われる。 それは、アマテラスが、非秩序の象徴スサノヲに対する秩序の象徴

(3)

― 69 ―

と な る こ と が 確 定 し た こ と を 示 す。 こ の、 「 ミ カ シ コ ム 」 こ と の 効 果こそが記でアマテラスが何もせずにイハヤへ籠もった理由であり、 それは即アマテラスが場を統制することより優先度が高い行動だっ たと考えられる。 アマテラスは、記においてミカシコんだ後に「サシコモ」り、紀 では本文で「幽居」 、第一書で「閉著」 、第二書で「閉」す。 『古事記』でのイハヤトの条以外におけるコモルの用例は、 「コモ リ ク ノ 」「 コ モ リ ヅ ノ 」「 コ モ リ マ ス 」「 コ モ レ ル 」 の 四 つ で あ る。 前者二例は枕詞で、周囲を囲まれた地に対して用いる語である。三 例目は大国主の根の国訪問条で、野で火に囲まれた時、地中の穴に コモっていた間に火が頭上を燃え過ぎたという文脈で使われる。四 例 目 は 記 の 景 行 帝 の 条 で、 倭 建 が 能 煩 野 で 詠 ん だ 望 郷 の 歌 で あ る。 これらから、 「コモル」とは周囲を固められた場に滞在することで、 必然的に外界との接触が遮断される語と言える。 つまり、ここで敢えて「コモル」を用いているのは、話の展開上 アマテラスは、秩序を司る力(アマテラス)と秩序を乱す力(スサ ノ ヲ ) が 混 じ り 合 う 高 天 原 か ら、 「 ミ カ シ コ 」 ん で「 コ モ ル 」 こ と でそれらと決別し、スサノヲの力の及ばない場 ― アメノイハヤの 中へ入る必要があった、と考えられるのである。

  暗闇に包まれる高天原と中つ国

アマテラスが「ミカシコ」み「コモ」った影響については、その 後の記紀の描写の違いにも現れている。 アマテラスがイハヤに籠もると、記においては、高天原も葦原中 国 も 闇 に 包 ま れ て「 常 夜 」 の 状 態 に な り、 「 是 に、 万 の 神 の 声 は、 狭蠅なす満ち、万の妖は、悉く発」るとある。ここからは、世界に 対して秩序的な面で関わりをもつアマテラスの存在が窺われる。つ まり、記では、アマテラスという秩序性が失われたことで世界が混 沌状態になったことが強調されていると言える。 反して、紀本文では、 「発慍」り、 「幽居」したことで「六合」が 常闇になる。また第一書ではイハトを「閉著」し、天下が常闇にな る。第二書では「恚恨」んで、イハヤに「居しま」す(この書では、 イ ハ ヤ に 入 っ た こ と に よ る 世 界 の 変 化 は 書 か れ て い な い )。 第 三 書 では理由や過程は明記されず「閉居す」るに至って、アマテラスを イ ハ ヤ か ら 出 す と「 日 神 の 光 六 合 に 満 」 ち る と あ り「 ミ カ シ コ ム 」 描写も無い。つまり、紀は太陽力のみに焦点を絞り、単純に太陽光 が失われたことを強調していると言える。 以 上、 「 オ ホ ヒ ル メ ノ ム チ 」 の 名 を 持 ち、 太 陽 神 色 が 濃 い ア マ テ ラスを描く紀では、世界の秩序とアマテラスの行動は関係性がない。 反して、記のアマテラスは光が弱まることによる秩序の綻びが見ら れ、その行動と世界の秩序は連関していると考えられる。 これらは、既に確認した、記紀そのものの編纂姿勢およびそれぞ れが想定するアマテラス像と完全に一致している。すなわち、アマ テラスに思想的に完成した統一神を想定し、イハヤ事件の意義の主 眼を「秩序」に置く記と、原始的要素を残した太陽神を想定し意義 の主眼を「太陽力」におく紀の姿勢は、 「ミカシコム」 「コモル」の 語義およびアマテラスのアメノイハヤ入り後の世界の描写と完全に 連結しているのである。

(4)

― 70 ―

  イハヤトとは

では、記において秩序と非秩序を分かつ境界となり、紀において 太陽光を世界から遮断する役割を担った「イハヤト」とは、どのよ うなモノなのか。 「イハヤト」 の表記は、 記では 「天石屋戸」 、 紀では本文・第一書・ 第二書で「天石窟」 「磐戸」 、第三書で「天石窟」となっている。 従来の説では、紀で表記されるままに、石の洞窟か或いはそれに 準 じ る も の と さ れ て き た。 ま た、 少 数 で は あ る が、 「 イ ハ 」 と い う 語が堅固さ・永続性を連想させる表現でもあることから、記の「石 屋」の表記のままに頑健で立派な御殿のことを言うとする論もある。 本居宣長も『古事記伝

』で「天ノ石屋戸は、必しも実の岩窟には非 じ。石とはたゞ堅固なるを云るにて、……たゞ尋常の殿をかく云る なるべし」 とする。 どちらにしても、 先行研究では皆、 「石屋」 = 「石 窟」としている。 し か し、 諸 辞 典 を 引 い て も、 該 当 す る 時 期 内 の 漢 籍 に は「 石 屋 」 の語は発見できない。反して、 「石窟」は『晋書』 『魏書』に用例が ある。すなわち、イハヤの表記として記では敢えて「石窟」という 漢語を避け、 日本語として独自に 「石屋」 とした可能性がある。 『古 事 記 』 の 作 者 は、 漢 字 に 対 す る 造 詣 が 非 常 に 深 い 太 安 万 侶 で あ り、 当然「窟」と「屋」を使い分けたと思われる。そこで、記紀・風土 記

の「イハ(石) 」「イハ(磐) 」「ヤ(屋) 」「窟」 「ト(戸) 」の用例 を検証した。 まず、 「石」の用例は、 ㋑地名・人名・神名、 ㋺自然、 ㋩造形品・ 人工物、㋥神・神体の類、㋭半人工物の材質、㋬呪的な力と関係性

(9)

をもつもの、の六つに分類できた。 補足すると、㋩の項には「イハ」を基に人が作った石製の物を分 類した。記紀では 「鎮石」 「抛石」 「石像」 「石槨」 の例があった。 『風 土記』には、 「沈石」 (肥前国) 、「斗」 「乎気」 (播磨国) 、「石橋」 (播 磨国) 、「石神」 (播磨国) 、「碁石」 (出雲国) 、「天石盾」 (出雲国)と、 豊後国風土記日田郡に左の例が見られた。 昔者、此の村に土蜘蛛の堡ありき。石(石)を用ゐず、土を以 ちて築きき。斯れに因りて名を無石の堡(無石堡)といひき。 文脈から、 「ヲキ(堡) 」という通常石造りの建造物があったと分か る。 ㋭の半人工物というのは、自然石に人が手を加えて加工し、半自 然物半人工物のようになっていると判断できるものを分類した。記 紀には 「石窟 (①) 」「石室 (②) 」、『風土記』 には同じく 「石窟」 「石 室」と「作石」があった。前者二つは、一例ずつ左に挙げた。 ① 十 月、 到 碩 田 國。 ( 略 ) 其 聞 天 皇 車 駕、 而 自 奉 迎 之 諮 言、 茲 山 有大石窟。 曰鼠石窟。 有二土蜘蛛。 住其石窟。 (略) 以穿山排草、 襲石室土蜘蛛、 〔紀・巻七・景行天皇十二年冬十月〕 ② 汝 が 父、 一 辺 の 天 皇 命、 近 江 の 国 の 摧 綿 野 に 殺 さ れ ま し し 時、 日下部連意美を率て、逃れ来て、惟の村の石室(石室)に隠り ましき。 〔播磨国風土記・美囊郡〕 ①の記事では、前半三例が「石窟」と表記されているのに、後ろ で「 石 室 」 に 替 っ て い る 点 が 注 意 さ れ る。 こ こ に は 何 の 注 も な く、 当時の感覚では「窟」と「室」が限りなく近いモノとして捉えられ ていたと考えられる。②の記事は、 顕宗天皇三年十月 (紀・巻十五) の記事とほぼ同じ内容であった。

(5)

― 71 ―

以 上 か ら、 「 石 」 の 字 を 用 い た 熟 語 は 石 製 で あ る か 石 の 性 質 を 強 調しており、 「石窟」 「石屋」という表記は、石製、或いはその属性 をもつものを指す表現と言える。 「 磐 」 は、 記 で の 用 例 が な か っ た。 紀 の 用 例 は、 ㋑ 地 名・ 人 名・ 神 名、 ㋺ 自 然、 ㋩ 邪 神 の 類 に、 『 風 土 記 』 の 例 は、 上 述 ㋺ 自 然 と、 ㋥ 半 建 築 物 の 材 質( 「 磐 窟 」) に 分 類 で き る。 「 磐 窟 」 の 例 は 左 の 通 りであった。 昔者、纏向の日代の宮に御宇しめしし天皇、 (略) 「此の山に大 きなる磐窟(磐窟)あり、名を鼠の磐窟(磐窟)といひ、土蜘 蛛二人住めり」 〔豊後風土記・速見郡〕 記 事 中、 「 鼠 の 磐 窟 」 と あ る が、 先 述 し た 景 行 天 皇 十 二 年 冬 十 月 (紀・巻七)に「鼠の石窟」の語がある。 「石」と「磐」の性質は非 常に似通っていたと考えられる。 「窟」の表記は記にはなく、紀では「石窟」 (イハトの条、天孫降 臨の条、景行紀天皇十二年秋七月の条) 、「御窟殿」 「御窟院」 (天武 紀天皇朱鳥元年春正月の条) 、「窟」 (仁徳紀天皇是歳の条) 、継体天 皇八年春正月の条)が見られた。継体紀では「八年春正月、太子妃 春 日 皇 女、 晨 朝 晏 出、 有 異 於 常。 ( 略 ) 伏 地 之 蟲、 爲 護 衞 子、 土 中 作窟」とあり、表現から掘る作業が必要な「窟」はある種の穴に近 い も の だ っ た と 思 わ れ る。 『 風 土 記 』 に は、 「 石 窟 」( 豊 後 国 風 土 記 大野郡・海石榴市) 、「磐窟」 (豊後国風土記速見郡) 、「窟」があった。 こちらの「窟」は自然の窟と神話が付随する窟があるが、両者窟の 中には人々の暮らす世界と別の世界があるという思想が根底に見え る。 以 上、 「 窟 」 の 用 例 か ら、 そ れ は 穴 を 掘 っ た よ う に 地 や 壁 な ど の 周囲の面よりも凹んだ形状をしており、建造物と言えるほど人工的 な 施 設 で は な い と 考 え ら れ る。 『 和 名 鈔

』 に も「 土 屋 也 」 と あ り、 また土蜘蛛の例では「窟」一つ隔てた内外で反朝廷勢力対朝廷とい う構図が展開されることから、ある意味での境界であった可能性が ある。 「 屋 」 に つ い て 見 る と、 ㋑ 地 名・ 神 名 と ㋺ 建 物 と に 二 分 で き、 さ らに㋺は熟語と「屋」単独のものに分類できた。㋺熟語は、記紀に 「産屋」 、「忌服屋」 、「天石屋」 、「喪屋」 、「舎屋」 、「八尋屋」 、「屋宇」 、 「鉄屋」 、「宅屋」 、「倉屋」 、「室屋」 、「殿屋」の例があった。風土記』 では、 「膳炊屋舎」 、「岩屋」 、「高屋」 、「御屋」 、「屋形」 、「酒屋」 、「蚊 屋」 、「墓屋」 、「鳥屋」があった。一方、㋺単一語は「其~」といっ た形か、或いは目的・役割が指定されているものと、それ以外の建 造物の一般名称として用いているものとがあった。熟語の例の中で も、建造物を表す語と熟語である場合にはその建造物を空間的に捉 えた表記として使われているのみで、特殊な意味を持たない。しか し、建造物関係以外の語と熟語である場合、 「屋」 (特にヤと訓む場 合)は、その組み合わさった語の属性を備え、何らかの役・目的を も っ た 建 造 物 と な る。 「 産 屋 」・ 「 酒 屋 」・ 「 鳥 屋 」 な ど が 分 か り や す い が、 属 性 を 備 え た「 ヤ( 屋 )」 は 特 殊 な 場 を 形 成 す る 囲 い ― い わば境界としての機能をもつようである。つまり、単に建造物を言 うのではなく、内包された空間をも含めた全てを指して「ヤ(屋) 」 と表現している様子が窺える。 「ト(戸) 」は、狭義では扉として扱われ( 「戸無き八広殿を作り」 「戸の鉤穴より控き通り」等) 、広義では空間の出入り口として用い ら れ る( 「 御 陵 の 戸 に 奉 り 置 き て 」「 水 戸 」 等 )。 共 通 す る の は、 そ   イハヤトとは では、記において秩序と非秩序を分かつ境界となり、紀において 太陽光を世界から遮断する役割を担った「イハヤト」とは、どのよ うなモノなのか。 「イハヤト」 の表記は、 記では 「天石屋戸」 、 紀では本文・第一書・ 第二書で「天石窟」 「磐戸」 、第三書で「天石窟」となっている。 従来の説では、紀で表記されるままに、石の洞窟か或いはそれに 準 じ る も の と さ れ て き た。 ま た、 少 数 で は あ る が、 「 イ ハ 」 と い う 語が堅固さ・永続性を連想させる表現でもあることから、記の「石 屋」の表記のままに頑健で立派な御殿のことを言うとする論もある。 本居宣長も『古事記伝

』で「天ノ石屋戸は、必しも実の岩窟には非 じ。石とはたゞ堅固なるを云るにて、……たゞ尋常の殿をかく云る なるべし」 とする。 どちらにしても、 先行研究では皆、 「石屋」 = 「石 窟」としている。 し か し、 諸 辞 典 を 引 い て も、 該 当 す る 時 期 内 の 漢 籍 に は「 石 屋 」 の語は発見できない。反して、 「石窟」は『晋書』 『魏書』に用例が ある。すなわち、イハヤの表記として記では敢えて「石窟」という 漢語を避け、 日本語として独自に 「石屋」 とした可能性がある。 『古 事 記 』 の 作 者 は、 漢 字 に 対 す る 造 詣 が 非 常 に 深 い 太 安 万 侶 で あ り、 当然「窟」と「屋」を使い分けたと思われる。そこで、記紀・風土 記

の「イハ(石) 」「イハ(磐) 」「ヤ(屋) 」「窟」 「ト(戸) 」の用例 を検証した。 まず、 「石」の用例は、 ㋑地名・人名・神名、 ㋺自然、 ㋩造形品・ 人工物、㋥神・神体の類、㋭半人工物の材質、㋬呪的な力と関係性

(9)

(6)

― 72 ―

こが空間の内外を繋ぐ場であり、肉体的に完全遮断される可能性が あるということである。 「石」の例で紹介した「ヲキ(堡) 」の例は、豊後国風土記小城郡 にも「昔者、此の村に土蜘蛛あり、堡を造りて隠り、皇命に従はざ り き 」 と あ る。 日 本 古 典 文 学 大 系『 風 土 記

』 の 頭 注 に よ れ ば、 「 ヲ キ( 堡 )」 は 砦 で あ る と い う。 真 偽 は と も か く、 少 な く と も こ の 記 事から「堡」という施設は朝廷に抗える程度の、或いは隠れられる 程 度 の 能 力 を も つ 石 製 の 人 工 建 造 物 で あ っ た こ と が 窺 え る。 ま た、 孝徳天皇大化四年是歳 (紀・巻二十五) や、 斉明天皇二年是歳 (紀・ 巻 二 十 六 ) の 記 述 の も の と 推 定 さ れ る 石 製 の 遺 跡 が そ れ ぞ れ 見 つ かっており、天武朝時代には朝鮮式山城と呼ばれる石垣を備えた砦 も 造 ら れ て い る。 こ れ ら か ら、 「 石 屋 」 と 言 え る 石 造 り の 建 造 物 を 建てるには十分な技術が当時あったと分かる。さらに、平成九年新 潟県で発見された、朝廷が奈良時代に作ったと推定される遺構から 「石屋木」 「石屋殿」などと書かれた墨書土器が発見されている

。こ れは、 「石屋」 という表記が当時存在していた証拠となろう。つまり、 記紀において「石屋」と「石窟」が使い分けられていた可能性は非 常に高い。 以上、記でアマテラスが籠った「イハヤ(石屋) 」は、 ①「 ヤ( 屋 )」 が、 熟 語 の 形 を 取 る 場 合、 そ の 形 容 す る も の の 属 性を帯びた役割・目的をもつ建造物、及びその内包する空間を 含めた場を示す語であること ②石造りの建造物が当時存在していたと思われること から、内外を空間的に隔絶する役割・目的をもった石造りの人工建 造 物 で あ る と 結 論 さ れ る。 そ し て、 紀 の「 イ ハ ヤ( 石 窟 )」 は、 石 製であまり人工的でなく、自然なままの場に存在する穴状の空間を 言い、内部が外の空間と異なる場として観念されていた可能性の高 い施設である。 両者共に、外界から隔絶されたある種の異世界を擁する点で共通 するが、相対的に見ると「石屋」は「石窟」よりも精神的・技術的 に高次元な場であり、アマテラスを至上神たらしめようとする記の 意図が反映された場と言える。反して、紀の施設は原始的な場であ り、一貫してアマテラスを太陽神とする紀の姿勢の反映が見られる。 つまり、記でアマテラスが非秩序と決別して秩序神・統治神として 完 成 す る た め に コ モ ル 場 は、 「 石 窟 」 で な く「 石 屋 」 で あ る 必 要 が あったと考えられる。

  八百万神々とアマテラス

従来の論において、イハヤの中に籠もったアマテラスは、八百万 神々の執り行った儀式による効果で再び高天原に降臨すると解釈さ れている。そして、アマテラスが高天原の真の君臨者となるのはこ の時であり、それは八百万神々の儀式によってこそだとされてきた。 アマテラスがイハヤに籠もる前は、確かに神が一柱も登場しない。 アマテラスは父イザナキにその統治を命じられ高天原へ赴いており、 高天原では最高位にある神の筈である。しかし、農耕民にとって最 も重要な新嘗祭の準備にすら出てこない。そこには、八百万神々の アマテラスへの無関心さが漂う。すなわち、アマテラスが新嘗祭の 準備をしている時点 ― 正確には、アマテラスがイハヤに籠もるそ の直前までは、高天原はまだかの神による統治が達成されていない 状態だと思われる。

(7)

― 73 ―

注意しておきたいのは、アマテラスの下へ初めて八百万神々が集 まるのが、①アマテラスがイハヤに籠もった直後、②自主的にであ り、③いきなり儀式のための準備を始める、という点である。①は 紀にも言えるが、神々が集ったのがイハヤからアマテラスが出てき て か ら で は な い と い う 点 が 重 視 さ れ る。 ② は、 こ れ 以 前 の 非 協 力 的・無関心な態度から一転して、アマテラスに対し非常に積極的に 関わろうとする様子がある点が重視される。③は、その唐突さ・行 動力からはアマテラスが籠もったことへの動揺が全く見られず、イ ハヤに籠もった時点で、儀式の実施やその内容が決まっていたよう に見える点が重視される。 これは、紀における神々の様子と大きく異なる。紀本文では「時 に 八 十 万 神、 天 安 河 辺 に 会 合 て、 其 の 禱 る べ き 方 を 計 る 」 と あ り、 第 一 書 で は「 故、 八 十 万 神 を 天 高 市 に 会 へ て 問 ひ た ま ふ 」、 第 二 書 で は「 時 に、 諸 神 憂 へ 」、 第 三 書 で は「 天 石 窟 に 閉 居 す に 至 り て、 諸 神、 中 臣 連 が 遠 祖 興 台 産 霊 が 天 児 屋 命 を 遣 は し て 祈 み ま を さ し む」とある。これらは共通して、神々にとってアマテラスのイハヤ 入りが歓迎できないことだったことを示す。 このように比較すると、記では、アマテラスのイハヤ籠もりは負 の意味をもつことではなく、寧ろ積極的にアマテラスに関わる理由 になる出来事だと思われる。 すなわち、アマテラスが「石屋」に 見畏み籠もる

444444

ことでかの神が 秩序神へ変容し、高天原の支配者たる神として完成したことを受け、 記の八百万神々は高天原の統治神たるアマテラスを受け入れるに至 る。 そ し て、 「 天 石 屋 」 の 前 に 集 ま っ て、 ア マ テ ラ ス を 高 天 原 に 受 け入れ、歓待するための儀式を準備し始めた、と考えられる。儀式 の 準 備 に 取 り 掛 か る ま で の 展 開 の 滑 ら か さ、 神 々 の 動 揺 の 無 さ も、 秩序の化身として完成した天照大御神が「石屋」から出てくれば高 天原及び葦原中国に広がる無秩序な状態が解決することが分かって いたからこそである、と捉えることが出来よう。 反して、紀では、アマテラスの「石窟」入りは負の出来事として 神々に判断される。その負の事態を改善し、一種の異界とも言える 「 石 窟 」 か ら ア マ テ ラ ス を 出 す た め に 儀 式 を 執 り 行 う。 こ ち ら の 八 十万神は、太陽神アマテラスを「石窟」の世界から、高天原及び中 国たるコチラ側の世界へ引き戻すことが役目であった。結果的に儀 式は成功し、アマテラスによって陰ることのない太陽光の供給が約 束されたことを受けて、神々はアマテラスの神威を認めた、という 流れであると言える。

終章

  「天石屋戸」神話とアマテラス

以上、アメノイハヤの条における記紀の神話構造・場面性の異な ることが、 「石屋」 「石窟」という表記の違いから判明した。すなわ ち、この神話において最も重要な場を示す「イハヤ」という語の表 記は、記紀それぞれの思想を完全に反映しており、神話内における アマテラスの立ち位置を決定する重要な鍵であった。これは従来の 定説に反する。 記の石屋籠もりは高天原の主宰神たるに必要な秩序性を得る行動 であり、紀は、アマテラスが石窟に入った後の世界の描写から、太 陽神たるアマテラスの霊力の衰えを物語っていると考えられる。こ の こ と は、 「 石 屋 」 と「 石 窟 」 と い う 場 の 特 性 に 添 う よ う に、 八 百 万の神々の細かい行動描写が異なっていることからも窺うことがで

(8)

― 74 ―

き、実行される儀式の有する意味も異なると推察される。記での儀 式は、高天原の主宰神として不完全であったアマテラスが、石屋籠 もりを通して秩序神の化身たる存在へと完成されたことを受け、そ の 秩 序 神 た る ア マ テ ラ ス の 下 に 従 う こ と を 表 明 す る た め の も の で あった。紀での儀式は、太陽力の衰えたアマテラスの霊力を活発化 し、高天原に呼び戻して、その神性 ― 太陽光を世界にもたらさせ るためのものであった。このことは、先に考察した「アマテラスオ ホ ミ カ ミ 」「 オ ホ ヒ ル メ ノ ム チ 」 そ れ ぞ れ の 呼 称 か ら 窺 わ れ る、 記 紀のアマテラス像の違いからも推察することが出来る。 つ ま り、 『 古 事 記 』 に お け る「 天 石 屋 戸 神 話 」 は、 不 完 全 な 秩 序 神アマテラスという存在を秩序神・至高神たる天照大御神という完 璧な存在へと進化させ、国家神としての地位を確立させる過程を描 い た 物 語 で あ る と 結 論 付 け ら れ る。 そ の 根 底 に は、 『 日 本 書 紀 』 に おいて原始的なシャーマニズムを想起させる「 天石窟

444

神話」とは異 なった、天皇家による国家統治の思想が流れていることが窺われる。 よって、天皇家の皇祖神たるアマテラスが天照大御神として至高 の地位へと上り詰める物語である『古事記』の「天石屋戸神話」は、 国家における天皇の宗教的・政治的地位の絶対化を確立させる過程 を神話化した物語であったと結論付けられる。

⑴ 山口佳紀・神野志隆光校注・訳『古事記』(新編日本古典文学全集一)小学館、一九九七によった。なお、本文中の記の用例の原文及び訓み下し文は全てこれによっている。⑵  小島憲之ほか校注・訳『日本書紀一~三』(新編日本古典文学全集二~四)小学館、一九九四~一九九八を参照。本文中の書紀の用例の原文 及び訓み下し文は全てこれによっている。⑶  本文中の『万葉集』の用例は(万・巻・歌番号)で示した。なお、原文の漢字表記は佐竹昭広・木下正俊・小島憲之著『万葉集本文篇』塙書房、一九九八・二に、訓み下し文は、小島憲之ほか校注・訳『万葉集一~四』(新編日本古典文学全集六~九)小学館、一九九四~一九九六によった。⑷ 本居宣長撰、倉野憲司校訂『古事記伝』(岩波文庫)岩波書店、一九四〇・八~一九四一・九⑸

 ⑺秋本吉郎校注『風土記』(日本古典文学大系第 一九三一   ⑹狩谷棭斎著『箋注倭名類聚抄上巻・下巻』曙社出版部、一九三〇~ (播)は、それぞれ『出雲国風土記』・『播磨国風土記』を指す。 波書店、一九五八によった。なお、本文中の用例に付されている(出)・ び訓み下し文は、秋本吉郎校注『風土記』(日本古典文学大系第二)岩   『風土記』の本文中における用例は(風土記名・郡)と示し、原文及

利男「八幡林遺跡の性格をめぐって」『新潟史学』一九九四・五を参照。  ⑻相沢央著「八幡林遺跡と郡の支配」『新潟史学』一九八〇・六、小熊 八 2)岩波書店、一九五

参照

関連したドキュメント

第 2 期政権のガルシア大統領は、第 1

 最後に、南沙里や蘭嶼島のように最初から定住を目的として作られた集落

学的方法と︑政治的体験と国家思考の関連から︑ディルタイ哲学への突破口を探し当てた︵二︶︒今や︑その次に︑

小 肥出 章隆

[r]

[r]

第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である

[r]