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『宗教研究』133号 日本宗教学会第12回大会紀要

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(1)

――目次――

1,

「おさしづ」(天理教原典Ⅲ)における矛盾について, 深谷忠政, Controrercy in the original text of

Tenri-sect, Tadamasa Fukaya, pp.1-3.

2,

宗教教育の実施と価値思索, 藤本一雄, The method and valuation of religious education, Kazuo

Fuzimoto, pp.3-5.

3,

宗教哲学の領域, 藤田富雄, The sphere of the philosophy of religion, Tomio Fujita, pp.5-8.

4,

仏教における輪廻の主体の問題, 春日井真也, The prolem of the subject of samsara in Budahism,

Shinya Kasugai, pp.8-10.

5,

宗教と神秘思想, 神林隆浄, Religion and mysticism, Ryūjō Kambayashi, pp.10-13.

6,

キリスト教における死の理解, 菅円吉, Understanding of death in Christianity, Enkichi Kan, pp.13-15.

7,

禅における仏土の問題, 光地英学, The problem of Buddga land in zen, Eigaku Kōchi, pp.15-17.

8,

宗教における超越と内在, 諸井慶徳, Transcendence and immanence in Religion, Yoshinori Moroi,

pp.17-20.

9,

宗教哲学の方法論, 仁戸田六三郎, Methodology in the philosophy of religion, Rokusaburo Niheda,

pp.20-22.

10,

神道における罪と責任, 小野祖教, Sin and responsibility in Shinto-Religion, Sokyō Ono, pp.23-26.

11,

カーディナーにおける宗教の問題, 岡田重精, The problem of religion in Kardiner, Jūsei Okada,

pp.26-29.

12,

現法涅槃について, 佐藤密雄, On the Diṭṭa-dhamma-nibbana, Mitsuyū Sato, pp.29-31.

13,

神道の国内性と世界性:天皇制の過去と将来, 津田敬武, Nationality and universality of Shintoism,

Keibu Tsuda, pp.31-34.

14,

仏教における否定と肯定の観念, 田村芳朗, Negation and affirmation in Buddhism, Yoshiro Tamura,

pp.34-37.

15,

宗教教育の基礎的考察, 雲藤義道, A fundamental examination of the religious education, Gidō Undō,

pp.37-39.

16,

機法一体の一考察, 結城祐昭, A Consideration of “Kiho-Ittai”, Yūshō Yūki, pp.39-42.

17,

信仰と倫理の問題, 幸日出男, Belief and ethics, Hideo Yuki, pp.42-44.

18,

キィルケゴールにおける罪の問題, 米沢紀, Sin in Kierkegard, Nori Yonezawa, pp.45-47.

19,

古典における神学, 西角井正慶, Theology in Japanese Classics, Masayoshi Nishitsunoi, pp.47-49.

20,

二分依他性:摂大乗侖における, 田中順照, The two sections of Paratantra, Junshō Tanaka, pp.49-51.

21,

近世的神格とその社会的基盤:上州碓氷八幡の宮座, 相葉伸, Modern divinity and its social basis,

Shin Aiba, pp.52-55.

22,

イエス伝研究の諸問題, 赤司道雄, Problems in the recent studies of the Life of Jesus, Michio Akashi,

pp.55-57.

23,

炭鉱従業員の宗教的態度, 古野清人, Religious behavior of mine laborers, Kiyoto Foruno, pp.58-63.

24,

上代支那の請雨儀礼について, 池田末利, About the rituals in the prayer for rain in ancient china,

Suetoshi Ikeda, pp.63-66.

25,

成立道教と民衆道教, 窪徳忠, Positive Taosim and folkloric Taoism, Noritada Kubo, pp.66-69.

26,

正確なる仏誕二千五百年祭, 加藤精神, Exact date of the 2,500 anniversary of Buddha’s birth, Seishin

Kat

ō, pp.69-70.

(2)

28,

教行信証阪東本について, 森西洲, On the Bando edition of “Kyōgyōshinsyō”, Saishū Mori, pp.73-75.

29,

高木神考, 森田康之助, Takagi God, Yasunosuke Morita, pp.75-78.

30,

日本宗教者の自由の用語例, 宮本正尊, Terminology of Freedom among Japanese religious people,

Shōson Miyamoto, pp.78-80.

31,

神社における宗教儀礼:八幡宇佐宮行幸会の構造, 中野幡能, Rituals in Shinto shrine, Hatayoshi

Nakano, pp.81-86.

32,

律令時代における禰宜祝の地位, 西山徳, The status of the priest, Isao Nishiyama, pp.86-88.

33,

中世末期における陰陽道, 野田幸三郎, On the Ommyodo (way of divination), Kōzaburō Noda,

pp.88-90.

34,

第二イザヤにおける義の意義について, 中沢洽樹, The meaning of Righteousness in Second Jesaia,

Kōki Nakazawa, pp.91-93.

35,

ユダヤ戦争前後におけるタンナイムのメシア思想について, 大畠清, On the idea of Messiah in

Tannaims around Jewish War, Kiyoshi Ōhata, pp.93-95.

36,

出雲地方における墓制の変遷:八束郡を中心としての一試論, 土谷博通, The change of the tomb

system in Izumo area, Hiromichi Tsuchiya, pp.95-99.

37,

所問経(Paripṛcchā)の性格について, 高崎直道, The character of Paripṛcchā, Jikidō Takasaki,

pp.99-101.

38,

最澄の宗教の成立, 鶴岡静夫, The establishment of Saicho’s religion, Shizuo Tsuruoka, pp.101-104.

39,

羽黒修験の入峰修行における鎮魂思想について, 戸川安章, The way to settle the soul in the training to

enter into the mountain among Haguro Shugen, Anshō Togawa, pp.104-107.

40,

奈留島のキリシタン, 田北耕也, Kirishitan at Naru Island, Kōya Takita, pp.107-109.

41,

ユニテリアンの開祖チャンニングについて, 丹沢洋子, On Channing, the founder of the Unitarian

Church, Yōko Tanzawa, pp.109-112.

42,

イスラエル宗教史における「聖輿」について, 民秋重太郎, God’s ark in the history of the religion in

Israel, Jūtarō Tamiaki, pp.112-114.

43,

古代ギリシアにおける神と人間, 柳沼重剛, God and man in ancient Greece, Jūgō Yaginuma,

pp.114-116.

44,

祭司と予言者との関係:イスラエル宗教史における, 山崎亨, Relation between the prophet and priest

in the history of religion in Israel, Tōru Yamazaki, pp.117-119.

45,

神道祭祀の諸形態, 岩本徳一, Various forms of Shinto rituals, Tokuichi Iwamoto, pp.119-121.

46,

新約聖書における人間, 柳田友信, Man in the New Testament, Tomonobu Yanagida, pp.121-124.

47,

神学における宗教類型, 谷口美智雄, Religious types in theology, Michio Taniguchi, pp.124-126.

48,

未開人の不滅観, 阿部重夫, Immotality among primitive people, Shigeo Abe, pp.126-129.

49,

デカルトの神について, 有田潤, God in Descartes, Jun Arita, pp.129-133.

50,

クランマーの聖餐論に関する一考察, 後藤真, The theory on sacrament in Granmer, Makoto Goto,

pp.133-136.

51,

日本農村における宗教の伝播と社会の関係, 原田敏明, Circulation of religion and society, Toshiaki

Harada, pp.136-138.

52,

ルターにおける「愛」, 今井晋, The idea of love in Luther, Shin Imai, pp.138-141.

53,

社会階層と宗派機能:明治基督教伝道の一端より, 井門富二夫, Social classes and function of

religious sects, Fujio Ikado, pp.141-144.

54,

親鸞の教義構成上の態度について:宗教の真理性の問題に関連して, 石田充之, Subjectivity in

(3)

55,

宗教の内部的批判と外部的批判, 飯野紀元, On the theory of religion by Brightman, Kigen Iino,

pp.146-149.

56,

菩薩戒について:その受戒と捨戒とを通して, 石田瑞麿, On the Bodhisattva precepts, Mizumaro

Ishida, pp.149-151.

57,

非吠陀アーリャン思想系統における数論的特殊性, 木村日紀, The doctorinal special nature of

non-Vedic Aryan thought, Nikki Klmura, pp.151-154.

58,

仏陀の認識論とカントの認識論, 河合陟明, Epistemology in Buddha and Kant, Shōmei Kawai,

pp.154-157.

59,

真諦所伝の唯識説, 勝呂昌一, the Vij【nの上に ̄】apti-mātratā-vāda transmitted by Paramārtha,

Shōichi Suguro, pp.157-160.

60,

創造の啓示による神認識について:ブルンナーのバルト批判を中心として, 近藤定次, On the

recognition of natural revelation, Sadatsugu Kondō, pp.160-162.

61,

証悟測定の方法と其の儀式:禅宗清規の研究の一部として, 来馬琢道, The method and ritual of

determining attainment, Takudō Kuruma, pp.162-164.

62,

現成公案(道元)における宗教の問題, 増永霊鳳, The problem of religion in Dogen’s “Genjō-Kōan”,

Reihō Masunaga, pp.164-167.

63,

マルクスにおける内面性の問題について, 村田義人, The growth of atheism in Marx, Yoshito Murata,

pp.167-170.

64,

ハリバドラの境論について, 真野龍海, On Haribhadra’s Theory of Visaya, Ryūkai Mano, pp.170-173.

65,

バヴィヤとバィシェーシカ学説, 宮坂宥勝, Bhavya’s and Vaisésika philosophy, Yūshō Miyasaka,

pp.173-177.

66,

日蓮教学における佐前佐後の新研究, 中濃教篤, A new study on “Sazen, Sago” in Nichiren’s

Teaching, Kyōtoku Nakano, pp.177-180.

67,

仏教に説く補特伽羅の意義について, 宅見春雄, On the significance of Pudgala as taught in Buddhim,

Haruo Takumi, pp.180-181.

68,

宗教的人格の研究, 野村暢清, A study on the religious personality, Nobukiyo Nomara, pp.181-185.

69,

所謂合致集団の宗教的ニ重性, 棚瀬襄爾, The double character of the religion in the united group, Jōji

Tanase, pp.185-186.pp.187-190.

70,

儀礼変容の一考察, 竹中信常, A study on the changing of rites, Shinjō Takenaka, pp.187-190.

71,

ヂャイナ教・仏教接触の一場面, 山田龍城, One aspect of Jainism’s contact with Buddhism, Ryujō

Yamada, pp.190-192.

72,

宗教新興の因由, 鶴藤幾太, Causes of new rising of religions, Ikuta Tsurufuji, pp.192-195.

73,

不安の機制, 石津照璽, Mechamism of anxiety, Teruji Ishizu, pp.195-198.

74,

天孫降臨の神勅について, 福井康順, On the oracle of the advent of the Sun Goddess grandson, Kōjun

Fukui, pp.198-199.

75,

住信の浄土思想, 松野純孝, Jushin’s Pureland thought, Junkō Matsuno, pp.199-202.

76,

青森県における「ミコ」の業態, 小田原尚興/山村俊明, Miko’ in Aomori-ken, Hisaoki Odawara and

Toshiaki Yamamura, pp.202-204.

77,

シャマニズム文化圏の問題, 小口偉一, The problem on the cultural range of shamanism, Iichi Oguchi,

p.205.

78,

真言行と呪術, 加藤章一, “Shingon-gyō” and magic, Shoichi KATŌ, pp.205-207.

79,

マックス・ミュラーの宗教学的方法について, 戸田義雄, Chracter of the science of religion in Max

(4)
(5)

一,あ き

しづ

。一八天理教原典Ⅰ︶に

ける矛盾について

深谷忠致

う た﹂︵ 御 神楽歌︶﹁おさしづ﹂︵ 御 指図︶の三 つ がある。

祖及 その 高

現存公刊され

よいと 思 -/

ることがこれ

、これが﹁お

る 。

ぅ 理由は 、

う た﹂はか一て

るとも考え ろ

ことはない。

ぎ ﹂﹁みか

因 があると 思

の 立場を一

たものである

研究報告

の 信仰者の日 常 的実践についての具体的指図である。

れた神意を

とをその人の

於ける矛盾

ていうことが 出来る。

よ る神によ

係 に根 接 する ものであるということが出来るであろう。

を 無限に自

に 自覚した時

る 時は却って 死 となり死を決意した時は生となるのである。

の頗倒 とい ぅ 信仰の厳さと共に喜びがあると思 う 。 ﹁おさしづ﹂に表われた矛盾によって 、

れば自由自 在

が 考え得ら れる。

なる神の真 実の思惑︶への覚醒 285

(6)

隈慨 し、 間 の自由が成立 す る ⑤ 将 粟の発展 筆が示 ・される。

者 守護者と しての 親 なる神の楽みがあるのであって 、

1 の神人称

千 - ヰめ - り - フ ≦

しく信仰的

のである。

天理教の神の 特色を見ることが出来るのである・ , -

であるが、

﹁みか ぐ 55

所以があると 田め l う 。 用例 ①神の絶対性

3. 托

% ,8 . お " 十も一つ百も一つの理をみよ。 " 一年一日一年百年もおなじ理さとそ。

ど どんな 事 あってもいのかんは神の萱 , / Ⅰ " ②人間の逆対応性

の 覚醒

しと

廿 + め

とこうつ 24 と 相違する "

の こらせ

のつよ

紐 ・ 6 . ぬ ④決意と実・ 践

んな談じ 20 もないとも云はす、すなとも云はん "

がらえて 理

の 理がわ かり、みなわかりない。 の 将来の発展

ぎぃ処よ 一 一

(7)

宗教本育の実施と価値思索

藤本一雄

0

つ日

。 コ

白ヰ

宗教々育

浅い者にこ

国 ゆえ、この

教育﹂を 学

日本として

案を立てなけ

ればならない。

ならぬと

の外の国々

には、二国以

社会現状の困

右様で、新聞

犯罪者

いしと異ロ

研究報

ュさ い 処へ も よってしてはならん。

国内は求刑 的

沼に憩いてい

と見られ

る 。

みの極に 立

せよ﹂と

般 人には 不

我が国に

ばならないと

独立国は名の

も 見られる 占 が 中々に多い。

境 に育った

ち 就学 迄 の 朕

,トソゾ の 学

せられている

た 教育が到る

限り、形だ け

と 見なけれ は ならない。

、 何とかし

して能く教え

果 が期待され 一 一 288

(8)

結構しか考え

、それの最上

つて来る。

がしっかり

勝たれなり﹂

れてその云 う

我儀 にして 仕

る 。子に嘘を

無 信仰生活

活 者である。

な っく。 子

これが童心に

たって構はな

切な ﹁人の

なければ、 立

立たしめるこ

ばならぬ。

に心なき せ

た 宗教家であ

成るは当然で

の際にどんな

う ぬが、ど う 四

基礎を設けた げればならない,

授ける方法

ね 。欧米各国

国民養成に心

二回平均、 宗

- は行はず、

か、 執れにし

る 。学校や社

としては日本

現在社会科に

らず、しかも

状 におる。 ス

民の実状であ

下は、 余りに も慨 かしい次第でおる。

夫 れムⅠ 自

ても、事実法

、無価値の賭

みぬき 、 却友

込は立だな い

住む部屋 タ ・ c, 。 ん

何としても 為

(9)

政若 えの好感は持ち得ないでおろ

,宗教々育と 時に論じても仕方はないが、民心に安慰おらしめ 教 、教育皆な同一である。 昔の四国や最近迄の伊豆初島に盗難が無かった

今日なお 鍵 錠を用い

処もおる日本特有的美

性を善 と見なければならぬ教育上の立場からも、 性 ﹂の華厳思想の﹁ 仏 ﹂の字を﹁ 神 ﹂に変えて

でない善良な大和民族の一員 吾 等である。指導の もなる人心の特性を利用し、己が責任の価を死

感謝の念に日暮しする人たるを理想として立つこ 数 々育の目標でおり価値である。 この作業に当っては、関係する人,悉くが、 随 おるが、未完成な人間ながら、共に学び共に向上 のでなければ、即ち学校まかせの態度であっては も期待出来ないに近

難事と考えなければならな も 、使用者の心一つに、価値目的が定まると認識 垂問題の難点一切はその教える人を得るか否かに ﹁憎悪怨恨の階級 斗 争を基盤とした日新宗教 L れが普及に厳重酷烈な科学的方法を使用して学生

﹂ソ連の教育法は、﹁宗教的信仰と科学的方法 以て、﹁教育の根木﹂としている。﹁ソ連教育の実 五日。くは、これを、﹁初期の

Ⅱスト教師特有の 惑 、そんな物を備えたロボットを造り出す計画工

研究報告

分 無理な註文では する心で指導ずる 、前述の効果さえ い。千百の好教材 ずる必要がある。 潜むは づ でおる。 を科学と称し、こ に説法式説明をす を結合する﹂事を 状﹂の ま者 0, ト %

強制信仰的使命

にあるこの制度

事実、地方に る目的は、政治景 これらの問題と同 よ れ に鑑みても、人の ﹁一切衆生養石仏 ても、決して無理 仕方一つで何れに 観念し 、 常に報恩 とが、宗教々 授宗 五

の あ 理

キ方立づま

板井 ろ性

注し

宗る厳

課補

っ教

つと

般彼意

領掌

ての て

試のの

なのか運命

な定て

宗でで

啓宗

性に点 性論る

示教

けて

しにをに

地史部

代ュ

と代の学にのう

ける

@-

の 歴 Ⅰ 底くキ宗イ の -"

る そ て を る

的確元始

(10)

公平に批判す

する 所に よ れ

域 である文化

神学の一部門

発達と共に 、

が謂 狭義の宗

教学が宗教 規

るのに対し、

範 概念を究

にしょう,こす

験 科学とし ノ, -

教学への要望

せんとする 試

宗教哲学のな すべ き 課題ではあるまいか

らゆる宗教

する体系化の

が 、具体的 個

す る過程とし

は 、あらゆる

を 把握しなげ

して古木 教 現象

階 づけの問題 由

? ソか,

敦史・宗教

宗教哲学と相

れらを ずズ、て

究 が進むに っ

遂げるべ き も

を 考えた場合

て、 果して 如 何なるものがあり得るであろうか。

講学のよ う

極 的な実在者

善 によって 信

りする所には

に 白下教の存在

して研究の対

主張するとこ

出発点は究極

的な体験にあ

は 原理的に七丁

、哲学に 放 い

の 真理を承認

人 には、その

いうことを 意

(11)

するから、自己の体験的確信を強調した時

が強くなることは否めない,この意味に

的な実在者に対する信仰の側からする宗教規

対し、宗教哲学は哲学者個人の体験に於ける

体系化てあるということになり、立場を異に

己の確信の体系的告白である点に放いて客観

哲学との区別は殆んどない。更に近代の宗教

教の信者であった為に、自己の宗教的体験を

ると解釈するから、

イソヒ

・ロマ

的な宗教

告白的色彩を帯びてくる。宗教哲学の発生

場からの要請に

くものであったと共に、白木

のが護教性を帯びざるを得ないのである。

的であり、その哲学が未だ十分神学から

哲学者の神学論に過ぎぬと非難されるのも

。故に従来の哲学者の陥り勝ちであった

ねばならない。

宗教が八間の生活現象の一

であるとすれ

と異,

0

所以を明かにしなければならぬが、

問題として論じられてぎた。宗教の本質は

明かにされぬばならない。この限りに於ては

対象及び出発点を同じくするが、更に宗教学

特質と類型と、宗教の木質の具体的な反映

超えてこれらを成立させている宗教一般の

研究報告

、それが他の生活現 これは従来宗教の木質 宗教現象そのものから 、宗教哲学は宗教学と の明かにした宗教現象 と考えるから、これら 本質

、究極の全体的 には、宗教哲学者の も て 、神学が超越的究極 象の体系化 プ ・ - あるのに 自己確信の側からする するにせよ、等しく 自 性 を欠 き 、神学と宗教 哲学者が多くキリスト キリスト教的体験であ 哲学がキリスト教の信 そのものが、護教的立 教 哲学者の態度そのも つて、宗教哲学者が 謹 放せられていない、 正 理由のないことではな 教的 体験の偏重を避 げ 292

展る概白り

実と教

富れ 宗

在中つ花瞼合オてにまけ

はろ

実は系

れ 現 教

存指的

末 ュ

構て 面の

こ経でら

(12)

春日井真也

しが

・ ト ﹂の明か

動かし難い事

的と考えてい

ある。この事

予想せしめ

原始教団の事 実 、として疑 う 事は出来ない。

して新生を

く 東洋精神史

% の 葉 思想と

一切の生物は

愛の精神を確

マナ﹂時代

しかし﹁ ウパ

た学説として

仏教教 説

ぃ 縁起 説 を取

の 構造の理解 を 深める事が出来ると考える事が出来る。 一 、資料の整備に於ける諸問題

は 存在せな

に 於ては﹁ 輪

とい 円 ,字の

の ︶の幸福﹂

める輪廻の比

十二見に 於 /. 、

解は四十四種

仏教に於ける輪廻の主体の問題

る 事になるの である。

は 印度という風土 的 環境と政治

の 迷夢に沈 倫 考察を要する問題 プ :はおるまいか

動は 車に精神の世界に 於プ - 絶

る 一点に集注されて、人間社会

て - 印度の仏教 ニ言 h. ねヲ, 0 プ - あ,つ

学派の影響の へ /

(13)

乗る。 二 、印度精神史に於ける輪廻説の位置 古 ﹁ ウパ ニシャド﹂に現はれる輪廻 説 はすべてが 同

説 が極めて普及している事が知り得る。 三 、輪廻 説 形成の社会的背景 印度精神史に於て重要な比重を占める輪廻 説 を教

研究報告

捜 したものは ﹂では﹁フラ の関係から五 来る,王族の 時代の一般社 い事など、

ても作用論

す 考えている 世間右辺無辺 する二種など 教教理を明確 と見る事が出 一系統のもの する知識を王 に於ても死後 語る輪廻 説は パニジャド﹂ 。また 新 ﹁ ウ 木に於て輪廻

制が

0 千 -

内面

貴め

訴え ぅ かを考究すべぎである。 四 、仏教の思想体系形成の諸要素の決定

事が

﹁ ウ

と共

起し

対す

世界

とヂ

於て

でヰめ

とし

00 ノ

五皿

窓で

へ ビ正の

名詞 九 仏教成 多い。 仏 。八二シャ た 享は意 る反 批判 観の弱点 ヤイナ を は正実︵ る 。霊魂 常住無作 て有 つの 講親 は眼 は色白香 あると見 る,これ 会 に発達 外形的に あるか、 的には 印 中に王族 たてあろ 294

(14)

語根に義務 分

講読 に 於ける

る 一種の外的

料 として﹁ ヂ

よ、 ヰ ん ・ レ 0

説 0 ム 口複

えの計算の

学の影響の下

発表に譲る︶

して成立し

教義の普遍性

ァ 諸民族移動

% 成を行って

れて阿育王 時

に 仏教の盛衰

見られる如き

教 拡大の場合

論 として考え

用 せられるか を 理解する事は興味深い。

度 こ そ 呼

結は

言常ザ還ツ ら る 4 ム万全 世

"

告示

5

し、

致 古本 一明君 得る し千 ・

現 の と

を霊雨

教 は

では神力

も と と ギ

ぁ表

さ確哲

そ中

, 思 、 より

現の

里も

ヒる

巻 ㌍ オ目 ,ロ、

る薫 る

程る、

ばと行場

相の合

はア滅

ト れ

仏教

実記

を 裏 輪 事

てで 神あ

し 系

要が 廻が

仏な史 っての

伽ッ

転は考での代の

羅 ト と サ

えあ

がに

(15)

、ものの裏

ずる共通性

か 、秘密 と

、 正に今の

二種ありと

場ムロ が あ

説法して 居

0 度合が同

遮 ぎる障壁

ほし謙 るこ を 秘密と称して居る。

人て 師の側

居るが、 弟

略 々 、乏 れに

論異るけ れ も 、

酊の語義能に使用の目的は同じである。

が 区別し 鄭

。サンク ヤ

娑 羅門哲学

れる。仏教

翼の如く 、

学 に類似 L

研究報告

相中の(

仏子に

と が 一 ら

るな神か

を百味

まれて居る。

も神秘思想

態度を示して

視せられる

にもイヱス

なるものであ

ソス

を神と見

カソト

此の二大哲人

神の啓示、洗

居る部分は

在す我が父

態度に出た

たのも止む

の問題とな

至った。スピ

して身を隠

祈を

す時、

感激して、

一一

イ %9 。

(16)

ィ伸 るる 神 くあ ぬ

方は

私有

一一一

キリスト教で

に 背いた アグ

は 見捨てられ

れることも、

た 関係上、長

ヱス を人間界

者は唱 ぅ るこ

椅 有す。こと 神学者は喜ばないのである、

悩 妄想の眠 プツグ /l

自覚せよと 説

如来で有る 筈

覚し得ない 憐

に 導かんとす

覚位に界る最 も 必要にして、欠く可からざる要件と成って居る。

ではなく、

性の発達生長

にしても、

ろ うか、 若し

者の理念とは

有るまいが -

(17)

トり

、キリマ

明かで ムめ

的 意味に

研究報告

菅月

亡ヒ 口

キソ

スト教に於ける死の理解

ポ テ ィ シ ャル

ことは、 菩

部 では法身 と Ⅰ ルグ @ ヰ 7 / タ @ タ

るが、淫薬と

法 実相とは 軸

実 境を指すの

するものでは

ム める。 血明煩

ある。法身 と

見の眼を開く

法身体 は、外

人類と密接 不

見上は神秘的

其のものに 外

ことと想われ

づ -

上人

i J , ,

T

一一一一

所に従え

の際、死は る人間の丈 る 。第一、 外の悪を封・ すぎないの つて起る自 に販するの 田 Ⅱ ぺ Ⅰ止め マ の。 であるか。 於ける死なのか、其の点に関してキリスト 明白が漂っている様である。例えば今、新約 の 十四 げ 丁には日われ 竺 兄弟を愛 す ・ るにょ け を 知る , 愛せぬ老は死のうちに居る。おお ょ 八な 殺 ず者なり。凡キ - 人を殺す老の 、キ - の由

反知,

0 目とおる:此処では確かに肉体の死 捨てたま んり、 支によりて 愛 ということを 知 は 死は肉体の死を意味していると云 うか、或 めている。然らばキリスト教に於ては肉体的 宗教的 死 とは如何なる関係を持つのであろう ると云われる時の死は生物学的なものと意味・ 教 的なものを意味するのか。 教の教理に於て常に 聖書のヨハネ第一書 プ :兄ょ り 生命に移り - て兄弟を楢 む 者は即 に永遠の生命なぎを ポ - はない。然し直ち 主は我らの為に生命 りたり・・・⋮ ニ 。此処 は少くとも、それを 花 又は生物学的 死 と か 。死は罪の結果 d. ﹂ するのが、それとも

完あ

" 目 てて @ " 亡イ 一 '- '- 政 ち

し三下

(18)

げる如く 、人 間の死も動物の死も同じ ぺ ・・、あるのか。

0 人アダム

伝説なるもの

に 自然法的に

現象として 取

して取扱われ

甲 に法則的 必

歴史的存在と

てしまう事は 出来ない。

︵ C コ コい 由宙こ

それは人間

の 創造した 天

間の限界を /

、人間の中に

神 自身が死の

い 。何となれ

き るべく造ら

って生きる カ

否 、 神 白身が

所にのみ

交りの中で、 一四

持たぬ人は 、

ている人で ムめ

持つていよう とも既に死んでいる人である。

スト 教 的見

が 死は人生に

学的に見ない

死 をば 、 神と

物 として対象

との交りの 観

分は因果の流

一つの行為で

え見掛上、宗

ない。そして

か 第一原因な

ると云った

然 現象として

然 現象として

る 。

恐怖は 、一

を 知る事から

らである。 而

(19)

旗人、依り 所

糞 で代表され

の 価値とした

ものが死と共

者、キリスト

ある。而も神

ら ・それは 実

に 於ても 亦、 人間の死は神の死である。

者、即ち神を

の老の 力 の 眼

く 所の神を指

て 神でない者

を 軸に販せし

事 が起る。 そ

な 死は、量的

に 、人間が限

たらんとする

もある故に 、

が 人間性の特

ない。 人 問の

又 生物学的側

ける死は 、生

研究報告

30 , )

る る と

にれ事

ぅ は

保存ばあ

反死

るの

様 す

い出に准哉

莱際

だ々去来同

世知

で 表 神の

の、

で人神

はし

二はえなに

限無

同種

じに

び 付 困 は るか 所 の

吻験 で関く

叡果

。 人 きた

の 間 ぎの 自由

の法

二郎

介は努 しは有閑のつち

に 間 と

神力何な後

保せをノ、

起の

とて教

、 檸の仏

に仏土

- Ⅲ 叩 ⅠⅠ 哩

上 れ 客 と 於 、

とのⅠ

約ニ

@

@TD

観 っ ・ -

二の実

思 る

様に在

44

ょ、

地なの の浄 1 の 巳現

、 る土

忠士

起 地

根数原

三 - 土 い

浄や浄

が土

(20)

のみ,、分り 卍、

る ,何 % 一 ・ 華

の偶ヤ 、随感

にしている。

をなす,ものと

は ﹁凡愚 は白

を願 う ち、悟

恒に 安楽なり

去ること 遥 Ⅰ

浄土の存在を

浄土を見 ん ・ こ

ば 他ならぬ 蝉 の 唯心浄土観の主張である。

内面に絶対

内面の絶対性

成仏である。

はその、心性に

王瞑 する。 元

大乗仏教に至

般若を受け、

度 に発展せし

なす仏土の本 一六

的な形而上生

境地毛:あろ

仏土は無相を

教 にて説く 浄

色 を有する。

上ろもので

ての 説 / 、、 台

定則肯定の絶

6 千、ある。 元

ているのが 大

法 と一体をな

お る,万法 一

大千世界が ,て

り 、真実人体

莱の浄土であ

は 汎神論的 考

ある。これは

仏、り 巻に﹁ い

ちいさ @@m@ わは ・ n,. ﹂

あるとなし 綿

(21)

を 、 もれ

いる世

上そ思当

十を山にこ山駅舎

想蕊 しこ

想一 ﹂ @ 汗

釈尊 浄

華経優

鷲山 説

とって

界 を指

ずは ね

ずしも

はこの

す 思想

。而も

の 十方

云い 得

陀 の 極

を 超越

土 を否

してい ぅ ところにある。

へ 五寸札 比

浄土忌

多少の

て (, よな

研究報告

一七

教 的対象に

諸井

慶徳

間 的に は現

在 この瞬間を

寿を体現ぜん

この世界

萎 草中にも 無

とするのであ

て 禅の精神を

つて、仏土を

て 動的内容を 帯びる。

の 浄土と、

る 。 一は 自己

浄土でお

。この右と 豆

今の自己でお

立場があると 云わねばならない

宗教に於ける超越と内在

(22)

二 つは 、内在

一概に 言

して人間以上

曲作用が営ま

内面に、通常

サて れの開展に 於て宗教的作用を行うことか 垂 Ⅰ う 。

就 ては、 従

遷を見る立場

又 他面、超越

しも十分の注

意が 払われていない。 にしか過ぎた

のが ㌧リコ・

ンヂス的 絶対

い 。即ちこれ も赤、一つの哲学乃至思想に過ぎない。

われる如く

ぃ 。即ちその

て 直ちに現れ

通じてなされ る 。

出て来る。 一八

ほ ない。即ち

見られるので ある。

ム来三宝

夫々に 就て、

多の事柄の興 味 深 き 示唆を受けるであろう。

的 信仰対象 は 殆ど見受げられるべくもないと思われる。

0% 簸 ﹂Ⅰ 目 ロゴ

伺わしめる。

Ⅰ ゴコ の でゴ のの オ

は 心、気息を

申コ

の でゴ ののす

のみ神と結び つ げられて用いられている。

,ズム の 昇

筒 アニミズム

の 轟が人間に

はない。 例え

ものも、かか

それならば 果

を 示すものを

(23)

に 当つての 前

吊に

於ては

ヒ から 宝へ

箸 である。 即

中に反面内在 的 性格が出て来ることとなつだのである。

げて現れ プし

" は 人間の霊

かかる用法は

た 立場とも 思

の 超越化、即

活の信仰に 立

わば最も ィェ

し たパ ロウ に

語られるに 当

のことは次の

、田ヒ mO Ⅰ音は

乃至キリスト

超自然的 襄の

福音書にも 現

ある。然るに

研究報告

之が 最も特徴

本来的には、

を ﹁生命ハミ や

ヱス ,キリス

である。かく

@ 目 て eG セ窯︵ 0 り

とヨョ Ⅰ

ての目方 リ セ父

がなされた さ

り 得るであろ イスラム

よって 、如

中にあって 我

場合を説明し

日トコ げく目ご コり

下った﹂ 日ゃ

エ スの啓示 接

ドは ︵心魂

はコ ㏄︵の珪で

ココ の︵ 口 なる 語

ア ッヲ ︶の 竪

﹂とを意味す 一九 304

(24)

の 主張を明白

スト 教 よりも

のものに 就プ ・ -

。寧ろキ便

ゆ があろの プ

る内在化の

度の内在性 ぺ -

越 になる場合

多い , 然るに

く 、内在的要

在 化は神秘主

と 内在性とは

ヰ 超越の関 仔

てある,この

はない。然も

る :之に対し

われる,但し

- ての内在 % 超 越 には直ちにならない事が多い。

大的Ⅰ体性

中のて リ ことその

ものてある

哲学

於ォ,

-

行う 念の 有名 は 出 して 人格

n,,-

具体 と こ 申 詞

某某桂

そ的の

をが先攻。

とにを

ぬ の

木具

しな

千古注

ホ 万 ; 」 一

行田全て即

質伸

此 教 諭

ri=2.

に咲

事 来るう オ ー こ ロ 呼ば ち既 が規 R

。 ,

りょの問 自体

はで擁れ成定宗

題 と し クつ 致 あ さ る 宗さ 教

を宗

甲去 一

ノ、な

なこ : こと 常 で 歴 什 神学 @ 万

ニ,

.

、 、

ァ し ・ - 学と

と具はあ

或て

人の

る 再会

即教

,は子羊 祖 しけ る 田

祖の学にのれ

じ題お

刀圭の

於存 を的

たに

る 良 B

否定 尤ツ Ⅰ・ こ 触れ 言 なは

股一す

構 思

た此

にと

相の的ける

幸 於 じ

(25)

有ナ

- ゼ

自己の

ているからで

福音書の三寸口

目垢

0 三三ヨ

に包摂され

てゐる占に

があると考えるのである。

れるもので

ものは示さ

教は啓示宗教

あると言

う場

ノ Ⅰけは

木 Ⅰ

人 Ⅲ

る亡示

教は成立しないものと考えられる,

帥に

於て

千オ 啓示

諭 し

し続けるこ

哲学的形而上

せば此の種の

の 仁田Ⅰロロ

0 。

ら ・

研究報告

306 す

二苦渋かな

干劣

・ わ 勾の

名玉るく

一 ヰ Ⅰ

Ⅰ 埼 る と よ で 一 こ

逆の

力、

(26)

自然的理性

工学の規定

、この規定

教 哲学的な

当のように 思われるのである。 一 一

理性に立脚

である神学か

テレスの 、 @,p

なるに及んで

考えられる。

墓戸 て 神に

理論体系は要

は神と精神を

はなく哲学で ある事を断言している。即ち

㏄く戸ヨ日 格こ

由 ︵ - 口目 ビプ e.

由っ ㌃ no ︶ a, ち ・ 円 ・せこ , ︶ ム ︶

ようとするの

を 啓示に依る 一一一一

であり、自然 的な理性に依るものであった ,

づ 0 の㏄ 缶コ n,

内臣 0 の 0 の井口ⅠⅠ

・口口 の ︵ 0 団 ・ レ ・ 円 ・ せコ ・ N. ︶

であるかを 物

分離せしめる

づゴ圧 2 曲目 中

づ ・ 口 ∼・︶

結果になる

る 所説から 知 り 得るであろう。即ち

由 の 目 0 Ⅰ コ 眉目 り,

0 目 さ ゴロ コり -

目の で Ⅱ 0 Ⅰの C 庁 O

口口の カゴノ 曲の

肚 0. ︶

。換言すれば

。スピ ノ が

て 彼に於ては

(27)

研究報

る 場合は 、上

に 還元出来な

思われる。 四

ればならな

ない。 カソト

巴ヴ 卸の r0r の・

なものである

て 、マスク・

のである。

0 口目Ⅰ。才色の

Oese 鯨お ・

目安

いコ の コ

曲 りぃ目 m ︶ eiC ゴ

︵再のⅠ mmwo コ

ⅡⅡの由の

開存在は語ら

があると次の 如く述べているが、

Ⅰの︶の ゴぃ仁 円目

トい ヌト Ⅱ ロの ゴ の 円ソ

Ⅰ あ 。曲の ヨ 0 コ ・

くのである, 308

古神

来道

神サこ

道於

ほ げ 放 る 一 ナし Ⅰ セ

い最

用ぎ て も

廿

@ サノ Ⅰ

甲の

祓的

( こ

よ 簾 と つ ろし

て の

罪一

や っ

礒は

が祓

ⅠⅠ へ

除で

かあ

L

(28)

の ・昔、 ィザナ

/ 、 為に ヅクジ

事 に由来する

、 祓の一種で キめプ の ,

継承され 下 -

と思 - ブリ 然し

題を含んで 居

柄 である。

と 信ぜられ

て 意味を有・ 丁

悪 二元の対立

それは 又

の間 題 であ っ

ろから、責任

るか、そ うい

とキ - の 立場を 検討しょうとするものである。 一

、木性が神 々、から流れ出ている人間でおる ,

々の意志を

よ う に行動し

ちょうな左ふ 江 ナ ・ - なければならない

- Ⅰ

らな Ⅱ

ヒ ・Ⅰ キりつノ

にし 千 - いる。 こ うい 5 人間の行為 こ - てが マコトである

間性の善 な

らない。

除する。

や人間が悪

つノ, - 許される

ころである

ものと せ り ム ﹂

間の世界であ

、禍事はもう

撰 康国又は根

。もち 来 ずもの

霊 であ , 0 。

の 禍事を黄

正善なる 世兎 として 保 拷しょうとするものである

明 でお っ 二四

(29)

にながら

志姜つめ人

々 反 く あ で

にない見聞

あ そ 一 ま 信 白 に 二 るれ

然流ら

仰 な つ と 無 て、

研院

にも整備したものである。

中引 はけ

白勺

寸も として了解は難・しくないであろう。

一 " 一

尋思

ば 真実にその

ない。主体は

かしめた当の ものこそ責任を追求されなければならない。

、救済され

られるべ き理 由 はない事になる。

お悪人とは

よ、 ナし L 。

ると思 う

免れる立場 にある。

の本は果し

のであるが、

ないか、この

みづからが 悪

ざるを得ない

倫理にもとる

ら な い 。 四

ものがある よ う に考えられる。

鈍磨させる 二五 310

(30)

フ に恩 @r,

ない限り、

悪 である 限

ればならない であろう。

らば、善を

らない。両者 は 人間の中で対等に戦 う 以外に出でない。

あって 、変

るであろう。

か 。 又 、悪

ことによって

性 の 悪と 烙印 すべぎであるだろう。

られるべき

みに求められ る 事柄ではないかと考えるものである。

イド主義 に

0 分野の開拓 に 特異な位置を占めている。

夏作用を検

ハ ーソナリテ

Ⅰ臣の由山井目打 円 。 臣 ︶

㏄ 宙 Ⅰ 目 0 け 甘 ㍉ 0 ︶

一般的名称﹂

固定した

様 態 ﹂を指す。

一次的と二

︶とは家族 構

子供に対する

生計技術等を

数 、民話、思

ある。一次的

要 なのは親と

一一Ⅰ

、ノ

ガーディナーに於ける宗教の問題

岡田重

(31)

強制しその 結

度 はやがて 基

くる。換言

験を子供に与

ステレ 一 ジョ

投射︵ 田 qo.

ぜの n0 日︶を つ

次 的制度﹂と ょ ばれるのである。

,ゾの統

ヨ ︵ 日 P ︵ ュ Ⅹ︶

反応のタイフ

ソの 体験の虹 意識的表現から引出されるとも言 う 事が出来る。

即ちⅢ幼時

コ ソをつくる

に 永続的な影

レ l ジョ ソ に

l ゾ ナリテ イ

度の相違によ

バ一ソ チ Ⅱ テ ィ 構造が見出されるとする事である。

判 修正しう

研究報告

史 ︵ FP ︵の ゴず ・

果は殆ど一致 すると言 う のである。

った 彼の二

に 多少の異動 と 混乱を示しているという事である。

か り 荷妓で 参照したものは、

の p のら 0 の

の 下中 一 "

0 間 題性は

ち 基礎的コソ

ため起され

せ ㏄ ャ降 0 日︶ がある。

する子供の

達された プ - フ

ソに基 いて、 二七 312

(32)

作用により 樹

の間を観念 構

体 に帰せしめ

一つである ど

的に ア ニミ 、ズ

中核的経験︵ 例 、怠惰に対する 罰 ︶

︶Ⅰ・ 。・ , @

超越者

す -0 筆 。︶

ている。 即

体系︵㌧ 缶 三ャ

従と罰 、服従

られ、それが

之はタ ナヱ 抹

教は親ヱ,の関 係の投射されたものとして在る。

題 となる。

もとでは 親へ

の 艶を伴 う庄ホ 二八

に 近いー ,垂

感情からは 異

憎悪や敵意

意識的抑圧, ビ

である。 或

とっ /. リヨ 舟ヰ は

のあり方は

げを 乞 5 条件

時の無能の伏

に 処の既製の

に 遭遇した 場 合 自働的に用いられる,

律 でな い

フラストレー

れるとするの

大に於ける フ

ヨ ︶に る 其に なる。

凝 義も挿ま

ての通常範囲、

しても、例、。 ん

るがギ

(33)

るもの、文体

段 と目的を誤 るもの て ・も・ある。

おるが、 現

づ Ⅱ卸 せヂ螢 ・ 隼 ゴロ・

於ける淫薬 が

陀の成道は正

0% 意 を現 法

已弁 ﹂しだ 仏

子達の教団は

考えられる。

来ることは 極

を 根絶して 現

第五の四 セ経

更に同十集 第

するとなすの

るものかおる

る 無上梵行の

,くものは経典

心 解脱慧解脱

は増 支部中に

法 淫薬の文字

居ることにな 二九

親接淫薬

ついて

佐藤留雄

中部第

口四 見 中の第

言 はれるもの

ば浬薬 なりと

するもの、 第

王摂 するもの

欲 菜乃至 禅楽

が、 此の点を

楽 主義者であ

研究報告

あり、その他

次の観点は

重要な意義をもち、示唆を含んで

ると思はれる。

る発生的

個人の両面か

乃至行動の

断面に於て

のみ取扱はれることの盲点を衝くものであろう。

314

(34)

る 。 一

㌔の - る 。 - 千 -. し

@ Ⅰ 、 @

死苦愛憎 お

ほ 愛を断じ ダ ・ -

になる。従 っ

なり、生死等

らないし、 仏

愛 足と 二 ・ - 解脱

ら 、客観的に

るにもか ュ は

年間を老病死

がおり宗族の

不幸造あっ

されて 必す し

成道後の仏陀

汚 して紐帯 の

の 自覚は王 観

淫楽とは無常

苦 でなくなろ 三観々念の転化に外ならないとせねばならない。

おるならば 三 O

るべし、 かィ

がないから 皿

抹 して五 % 袖

我として否定

な ば自己の怒

体でわること

せしめた過程

間 感情の実体

でも楽でもな

とするのは 人

するからであ

しめんと欲す

はざるを得 さ

念を実体視 ナ

で おるが、 五

てして、此の

位を認め、感

解脱は苦を感

た の随順でお - Ⅰ ツ - Ⅰ し ﹂ 一 ﹂ ュはィ ハ イ 。 一 一

て 此に随順

易 なものとも

(35)

の 仏教主 て

ある。然し

そのこと

存在化す

事実と l ︶ て 現じ難いことである。

はウパ

る ﹂ことに

界を ル一ス

は 直ちに 存

否定される

ぬ とする 者

の転廻 でな

消 と考え ろ

知ること

、 此の修道

曲 事実化 す

呪法楽 住

事実化して

法浬喋 とな

薬が 完全に 実化した時に現法理 薬が 成立するものⅩ 様 てある。

研究報告

事 Ⅰ

居がる

ので

れ ぐ

え我

在 な

究二

るに 乍第

316

神道の国内性と世界性

i

天皇制の

過去と将来

津田敬

た 奈良朝侍

は 遠く康史 時

第一世紀前後

ある。記紀の

るのである。

の時代は古墳

る 。 - ての墳墓

面 には、埴輪

代の人々は 、

拝んでいたの

神社の起原に 重要な役割を演じていると思 う 。

廟 とな呼ば

れる東照宮の

発達にも廟の 一一一一

% で、 - ての

﹂に改変する ことの具体的理解さの困難にある様である。

(36)

附加されだ場

の 要素として

然の帰結であ

にも認められ

を 記念するた

過ぎない。 キ

神社神道は 、

重大な問題を

教性 と世界性 が 認められる。

我が国体を

神を奉祀せる

られるのは、

木 国の象徴で

の 存する日大

として発達せ る 愛国心に基くものと解すべぎであろう。

となって 天

すると政治 組

人間であ

及び国民情 神

えて言えば 政

つィ 、天皇制 と 一一一二

が がりと相互

変化発達する 。ものであ -. 。

制度時代の

復古時代の天 史 が明かに 示 は 、過去の天 の 天皇制とな の 天皇制と切 しているのである。

られた経典

には、仏教を

加えたのであ

たのではな

,今後はキリ スト教によって培はれることも多いであろう。

は 完遂 す, 。

と 幸福に必要

0 。この事実

今後はこの 理

末 独自の民主

れを押し進め

本来の宗教的 317

(37)

力にょ らなければならない。

げればなら

後の国家的理

ばならないと 思う。

。この与え

れたのであ

の国家的祭祀

従って天皇の

それと同時に

国民は、 各 そ 。

本来神宮を遠

よって国民 会

て一 ヨロ,せんば 、伊

盤 である。 即

艮一体の関係

スム の神々を

に 神人一体の

へ ラクリタス

6 ヒといつた 思想と一脈相通ずるものがある。

某 天上の彼

て 努力を重ね

研究報告

従ってそれは

。かくて、

理想を求む

的理想の背

。それのみ

のうちに、

生かして行かなげればならない。

そのま二億

信じ・国民

らない。この

培はれて

もこ

ると

思、

︶。

された神社

設の上に

、更

進められて

出来る。即ち

につとめ、

Ⅱ リ

のである

0

である。

治的

民主主

二は社会的

すると共にす

一一一一一一

318

(38)

ぅ ことが 出

らも、常に 枇

仏教に於ける否定と肯定の観念

田村芳朗

力ょ:ること べ :

-. この三つの

つ力 とな ,化ト

ある。神垣の

に 対してと っ

教 の泥土正義

安全を期する

様である, 台

めである。 従

、最近 やうぬ

某国家的立場

理想の特殊性

つて天皇制に

独自の民主 工

誠ヰ - あるべ ,ざ 必要が十分理解されるであろう。

に執われる

とを挙げている。

するにあっ

者の中に

虚蛆

され。道徳を

ン ト

批判してい

罪 、離

段等

定の虚無Ⅰ 王 三四

て れは過去に

ら 批判が向 け

陥り易いもの

に 存する。 事

及び 終部 系統

られるのであ

に 出て来

として、分析

於ける 但 空虚

﹁仏の国土を

の 法は空寂に

解品

︶とて

示されて ぃ

リコ づき 5 目︶

(39)

対してもその

のような空見

が 、いわぬ る

して立て

の 意味に於て -

て ものであり

︵それが有で

生成躍動が

の 原理なるこ

て 有無両者の

︵ 日斡伍ゴせ俺ヨ川

しめるもので

に 進んで、 空

ての諸法実相

確立した︵ 観

とした諸法案 相の体系の中に包まれ生かされてくるのである。

げに止り 、

なお 空的 否定

観による諸法

かはての後に

未だ空見的で

か奴 ︵ づ Ⅰ い目 コ口 づ由ご

研究報告

三五

相の現実への

わゆる実相と

は 空観のこ

を 知るのであ

否走論 に対し

桂の生じた -

展開は説かれ

ほ ついて見て

して転調律 管

かるに後期に

︶色彩が濃く

出来るのであ

の 旗薄あるこ

恵一乗 宝性論

展開をなすも

して、これは

諭 されている

わゆる法身 常

丸一如の現実

ては、現実に

が、こ 忘では

(40)

すべて空観の

え とっ ぎ 進む

が 見られると

つ ま づ ぎが 生 じても来るのてある。

:有の軸 見

実存在に対し

も 一の 有 約款

常住、有なる

て 破せられ、

るめ てある

故に 、 反って

二元対立を否

つ たことは,

あるとはして

に 即自的な同

てこの絶対的

依然として 相

みとなって 右

したがつ てま

、相対的な現

ゆる煩悩 即菩

結果すること

現実を現実 そ

てそこより 離 3

通って反

罪悪性と

L.

落す

のとい、 ,

採り上げら

面 が忘失され

して寂静的な

おこすものと

力因 として

しても完結せ

史的生成発展

% 鸞

、道元、

きながら、

凡夫と久遠の

る動力的な

証の修なれ

根生成を説

邪正一如、

待妙は

善と

して、善なる

破邪顕正を行

説き、彼自

(41)

ま う

て数珠で

5 曲 と の U を 身 で

教観

分にあ

宗察課或宗

6

音焦土 難最る教す

題は教

な と

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示教

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生 たき 立 命 と 動 つ な し き て

た と 時な と も の 折 い

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化教

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322

Table  且  b,  被調査者の所属す る 宗派  ㌦  ミ憂ミ     真宗浄土     菓育禧宗  日蓮  芸  y     天理神道金光     共他  ナジ不明  計  中俺  @19      町     29     27¥21    7     4     4@   目        63     1     517  1  11  1  | 11 11  @  1 1  1  1  l  1  1  1 1 1  1           ・1 || |||| || 1 @ 9
表  にて乗るで  た  説  赤経き    そ  0  景     最  澄     は  に  た  を  の  に  の  の 示教    の  朝長    に         成 て  集る  契  行団  の  機  立 於重  っ  に  が  に  て要 護 な  た  、  大佐  国  も  か  何所  っ  の  の  を処穿 " での  て "  一  O   "- お芙 " 。  鶴    威  当接主 .  ど   文  乗 に

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