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医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例

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(1)・!:.1=,j川J;有 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した. 過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果 関係を否定した事例 根本晋-. 東地刑16判平成18年3月28日(平成14年刑(わ)第2712号・業務上過失致死被 告専件) ・控訴・判例集未登載. -. CONTENTS一. 第1. 事. 実. 第2. 判. 旨. 1 2 3. 第3. (略). 3. 1-1.. 当裁判所の判断の概要. (略) 解. 説. 1. はじめに. 2. 医療過誤訴訟と過失の認定. 3. 過失における結果予見可能性の認定. (1)結果予見可能性に関する判断スキーム (2)本判決における結果予見可能性の判断スキーム (3)検. 討. (4)本判決における結果予見義務と結果回避措置の関係 4. 過失の相対イヒ. 99.

(2) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). (1)医療過誤訴訟と過失の相対化 (2)本判決と過失の相対化 (3)検 5. 討. 過失における結果回避可能性の認定. (1)事実的因果関係の認定との関係 (2)本判決における結果回避可能性の認定 (3)本判決において結果回避可能性(因果関係)を否定しつつ結果回避 義務(過失)を肯定したことの意味 第4. 第1事. ぁわりに. 実 本件は,下記の事実関係の下で争われた刑事医療過誤事件である。. 議. 起. 状. (中略) 下記被告事件につき公訴を提起する。 (中略) 公. 訴. 被告人(以下,氏名略)は,. 草. 実. (以下,住所略)杏林大学医学部付属病院. において耳鼻咽喉科医師として医療業務に従事していたものであるが(筆 者注-当時,被告人は,杏林大学と独協医科大学における研修を終え,両 校の主任教授より耳鼻咽喉科専攻医のスキルありとの認定を受けており, すでに1年8カ月の単独救急外来経験があった),上記病院内救命救急セン ター第Ⅰ. I. Ⅱ次救急当直医師として,平成11年7月10日午後6時50分こ. ろ,同救命救急センター第Ⅰ 搬送されてきた息児(氏名略). I. Ⅱ次救急診察室において,救急車によってL (当時4年。筆者注-4歳9カ月)に対する. 初期治療を行った際,救急隊員から同児が割りノ箸を畦えたまま転倒して軟 口蓋に受傷し,搬送中に曜吐した旨申告され,診察中も曜吐し,意識レベ. ルが低下してぐったりした状態であって(筆者注・†・過失の前提寺宝),割 100.

(3) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. り箸の刺入による頭蓋内損傷が疑われたのであるから(聾者注-予見義 塞),このような場合,付き添っていた同児の母親(以下,氏名略)から, 同児が受傷直後数分間意識喪失状態にあったことや,上記割・り箸の全部が 発見されていないことなどについて十分聴取した上,同児の上咽頭部をフ ァイバースコープで観察し,又は頭部をCTスキャンで撮影するなどして 頭蓋内損傷を確認した上,直ちに脳神経外科医師に引き継いで,頭蓋内損 傷による頭蓋内圧克進の抑制,割り箸除去等の適切な治療処置を行わせる べき業務上の注意義務があるのにこれを怠り(聾者注-結果回避義務), 軟口蓋を貫通した割り箸が同児の頭蓋内に刺入して頭蓋内損傷を生じさせ ていることに気付かないまま,同児の傷は単に軟口蓋の損傷のみに止まる 軽度o)刺創であるものと軽信し,十分な聴取や上咽頭部のファイバースコ ープによる観察又は頭部のCTスキャンによる撮影などをせず,刺創部に 消毒薬等を塗布し,抗生剤等を処方したのみで適切な措置をしないまま同 児を帰宅させた過失により,頭蓋内損傷による出血等を放置して同損傷を. 悪化させ,同月11日午前7時30分ころ,患児宅(住所・氏名略)におい て同児を心肺停止状態に陥らせ,よって,同日9時2分ころ,再度搬送さ れた前記杏林大学医学部付属病院において,同児を脳損傷・硬膜下血腫・ 脳浮腫等の頭蓋内損傷群により死亡させたものである(筆者注-死因・過 失行為と死Eqとの因果関係)。 罪. 業務上過失致死. 名. 及. び. 罰. 条. 平成13年法律第138号による改正前の刑法第211条前段. 101.

(4) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 第2. 判. 旨 主. 被告人は無罪。 哩 1. 1-1.3.(略). 2. 当裁判所の判断の概要 当裁判所の判断の骨子は次a)とおりである。. まず,過失の前提事実については,ほぼ検察官の主張どおりの事実を認 定することができる。 そして,このような前提事実があった場合,大学の医学部の付属病院の 耳鼻咽喉科の医師であり,本件当日,同病院の救命政急センターの耳鼻咽 喉科の当直医であった被告人としては,考えられる病態の一つとして, 「割り箸の刺入による頭蓋内損傷」を想定すべきである。すなわち,転倒 した際に割り箸が軟口蓋に刺さったという受傷機転を聞けば,通常は,割 り箸の持ち手側が地面に着き,反対側が口腔内に入り込んで軟口蓋に刺入 したことを想定することができるというべきところ,この場合,割り箸の 角度や転倒した際の体勢いかんによっては,軟口蓋に刺さった割り箸の先 には相当強度の力(直速力)がかかることは容易に想像できる。そして, 本件では,割り箸が刺さったが,その後,本人が抜いたとの情報も存在す るところ,軟口蓋がせいぜい厚さ1センチメートル程度の薄い器官である ことにもかんがみると,軟口蓋を貫通したのはもちろん,上咽頭後壁の筋 肉組織内に刺入し,場合によっては,頭蓋底に衝突したことも想定できな くはない。一方患児は意識レベルが低下してぐったりした状態であり,堰 吐も頻回にわたったというのであるから,頭蓋内に何らかの異変があった. ことを疑うことが可能である。以上を総合すれば,被告人としては,考え られる病態の1つ.として,割り箸が頭蓋底に強く衝突し,その衝撃により, 102. ..

(5) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. 脳の頭蓋底に接する部分等に出血を起こすなどの損傷が生じた可能性を想 定すべきである。検察官も指摘するように,診察とは,患者の全身状態や 受傷機転等の情報に基づいて,考えられる限りの病態を想定し,その病態 の中から真実の病態を発見するため,問診や各種の検査を実施しつつ除外 診断を行い・,想定される病態の範囲を絞り込みつつ,真実の病態発見に至 ろうとするプロセスであり,診察の初期において頭蓋内損傷が可能な病態 の1つとして想定されたときには,この病態が患者の死に直結し得る極め て危険なものである以上,必ず除外診断を行うべきなのである。ところが 被告人は,本件は軟口蓋の単なる裂傷に過ぎないと軽信し,傷口に消毒薬 を塗布し,抗生剤を処方しただけで患児を帰宅させてしまったものであり, もとより,後記の結果回避措置を講ずることもなかった。ところで,上記 のように,考えられる1つの病態として,. 「割り箸の刺入による頭蓋内損. 傷」を想定した場合には,その可能性を否定するために,付き添いの母親 に対し,患児が転倒したところを見ているのか,患児はどのように転倒し たのか,頭を打ったことはないのか,割り箸はどのくらい深く刺さったの か,割り箸は全部抜けたのか,抜いた割り箸はどこにあるのか,受傷直後 ないし搬送中の患児の様子はどうだったのか,などについて問診をすべき である。さらに,母親が転倒の瞬間を見ていなかったというときには,患 児に対しても,問診を試みるべきである。そして,問診の結果,母親から, 受傷直後の患児は意識喪失状態であったこと,救急車内での曜吐は一気に 吹き出すよう・なものであったこと,患児はぐったりとして・いて普段とは全 く違う様子であること,割り箸の全部が発見されていないことなどを聞き 出すことができた蓋然性は高いものと考えられる。ここにおいて,上記の 「割り箸の刺入による頭蓋内損傷の疑い」は,否定されるどころか,かえ って強まることになる(筆者注-予見義務)。 そこで,次の段階であるが,ここから先は, れる。. 2つの選択肢があると思わ. 1つは,ひとまず耳鼻咽喉科という自分の専門分野の範囲内におい 103.

(6) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). て,できる範囲で情報を集めてみることである。具体的には,ファイバー スコープにより上咽頭の観察を行い,これにより,傷の深さや方向を調べ ることになる。もっとも,本件においては,割り箸は上咽頭腔を通過して はいるものの,咽頭側壁に近いところを通っていることなどから,ファイ. バースコープ検査によって体内に残ったままの割り箸片(筆者注-7cm6 皿)を発見できなかった可能性は残る。そして,発見できた場合には,∼ 「割り箸の刺.入による頭蓋内損傷の疑い」はいっそう強まり,発見できな かった場合でも,疑いを否定しきれないということで,いずれにせよ,頭 部のCT撮影を行うということになる。もう1つの選択肢は,直ちに頭部 のCT撮影を行うことである。なお,頭部のCT撮影を行うについては, いずれの場合も,救急救命センターの脳神経外科の当直医に相談し,同人 に行ってもらうのが相当である。本件の場合,頭部のCT撮影により,頭 蓋内に空気が入っていることが判明するであろう。また,硬膜下血腫が発 見された可能性も否定できない。いずれにしても,患児は入院の村象にな ったものと認められる。そして,ここから先は,直ちに脳神経外科に引き 継いで,頭蓋内損傷による頭蓋内圧克進の抑制,割り箸除去等の治療処置 を講ずることになる。なお,この場合,頭蓋内に空気や血腫が存在してい ることから直ちに割り箸が左頚静脈孔から頭蓋内に刺入したものであるこ (磁気共鳴 とを判断することは容易ではない。そこで,さらに頭部の山RI 影像法)や血管造影を行って上記のような異変が生じた原因を究明する土 とが考えられる。他方,硬膜下血腫の量や意識状態の推移いかんによって. は,原因究明はさておいて後頭蓋寓の硬膜下血腫を緊急に除去する必要あ りとして直ちに関頭手術を行うことも考えられる。いずれを選択するにせ よ,また,一筋縄というわけにはいかないでは■ぁろうが,最終的には,軟 口蓋を貫通した割り箸が左頚静脈孔を通って頭蓋内まで刺人し,小脳にも 刺さっているという本件の事故の全貌が分かるものと思われる(筆者注結果回避義務)。 104.

(7) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. 最後に,結果回避可能性ないし因果関係について判断するに,患児の死 亡は,被告弁護側が主張するとおり,割り箸の左頚静脈孔蔵人に.より頚静 脈が穿通され,頚静脈洞内に血栓が形成されて,左頚静脈が完全に閉塞し たが,他のルートで静脈還流を完全に処理することができなかったために, 致死的な静脈還流障害が生じたことによる蓋然性が高いというべきであ る。そうすると,本件割り箸片により座滅した左頚静脈を再建することが. 患児の死を回避する唯一の措置であるところ,仮に被告人が患児を直ちに 脳神経外科に引き継いだとしても,脳神経外科医において左頚静脈を再建. することは技術的・時間的にみて困難であったと認められる。したかって, 患児の救命可能性はもとより,延命可能性も極めて低かったとの合理的疑 いが残るというべきである(筆者注-死因・過失行為と死因との因果関 盛.)。 以上の次第で,被告人には,予見義務や結果回義務を怠った過失がある というべきであるが,過失と死亡との因果関係の存在については,合理的 な疑いが残るので,被告人は本件業務上過失致死被告事件について無罪で ある。 3. 第3. (略). 解. 説. 1.はじめに. 本判決は,医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定し■っ つ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定.した事例に関する判断である1). 本判決は,患者取り違えや薬剤誤投与のように,そもそも「医療行為」の概 念の該当しない行為に起因する事故や,通常の医療事故のように,結果的にみ て,本来なすべき診察や治療をしなかったのみならず,してはならない別異の 診察や治療を行ってしまった場合(積極的作為型)ではなくて,結果的にみて, 105.

(8) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 本来なすべき診察や治療をしなかっただけセあり,他に何らかの作為を行わな. かった場合(消極的不作為塾)に関する,初の刑事医療過誤訴訟であった。消 極的不作為型医療過誤においては,積極的不作為型のように,. 「してはならな. らない別其の診療行為」という現実的な作為が存在しないため,この行為を捉 えて「過失」行為,つまり,注意義務違反に基づく犯罪実行行為と捉えること ができ′ないので,医師の内心における判断行為に基づく純粋な不作為を「過失」. 行為と捉え,これを違法性評価の対象車する必要がある。すると,消極的不作 為型は,積極的不作為型と異なり,事後の現実の作為が存在しないという意味 で,行為の違法性はかなり低い評価とならざるを得ないので,かりに当該不作 為を,なおも刑法上違法と評価し,犯罪実行行為と観念するためには,相当程 度に強度な作為義務の存在を認定し,なおかつ作為の可能性・容易性を認定し なければならないことになる2)。. 既往のような,解決困難な争点を抱えていた本件裁判の帰趨につき,わが国 における有罪率は9割を超えることも相侯って,社会の多数意見は被告人「有 罪」との憶測の中,東京地裁刑事第16部は,被告人は「無罪」との判決を言 い渡した。その内容は,被告人の診察行為に過失はあるが,患者死亡との因果 関係はないとするものであった。ただ,.この法律構成は,刑法における過失犯 理論や不作為犯理論との整合性に難があるほか,過失の前提事実に関する認定, とりわけ,診察当時における患児の容態の捉え方(意識レベルが低下してぐっ たりとした状態)についても,脳神経外科領域の医学常識に照らし,疑問を残 すことになった。. なお,ここで,本件刑事裁判の経緯について触れておく。 被告人・弁護側は,検察官の公訴事実を全面的に否認し,検察側が提出した 証拠のほとんどを,全部不同意もしくは一部不同意とし,検察側も,弁護側の 提出にかかる証拠の大半を同様に不同意として争ったため,立証活動の全過程 において,双方の証人が法廷で証言するという形で,攻撃・防御が繰り返され た。具体的には,書類送検を経て(2000年7月),在宅起訴(2002年8月),第 106.

(9) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. 1回公判(同年11月29日),検察側の立証が終了した時点で被告人質問を入れ (2004年5月),被告人が上申書を朗読し,争点を整理し,その後で弁護側立証 に入り,その間に生じた幾つかの新たな論点につき,再度検察側の立証を許し, それに対する弁護側の反論がなされ,それから患児の母親による被害感情の立 証を経て,再度の被告人質問,結審(2005年8月),論告求刑(同年11月),. 最終弁論(2006年1月),判決公判(2006年3月28日)という経過を辿り,節 一審公判の繋属期間は,実に3年8カ月という,異例の長期間に及んだのであ った。. 2. 医療過誤訴訟と過失の認定. 刑法は,不可抗力に起因する結果責任を否定するため,過失犯における非難 可能性の対象を行為者の注意義務違反に求め,過失犯の成立要件として,行為 当時における結果予見可能性,ならびに,この存在を前提とする結果予見義務 と,結果回避可能性,ならびに,この存在を前提とする結果回避義務が認めら. れることを必要とし,行為者が,かような義務に違反した場合に限り,過失犯 の成立を肯定している。このように,刑法は,過失犯の処罰をあくまで例外的 かつ限定的な事象と捉えている。 また,過失犯の成立が否定される場合としては,予見可能性の不存在により 否定される場合と,予見可能であるも結果回不可能として否定される場合の2 通りが考えられる。 .前者,つまり,結果予見可能性が存在しない場合は,当該行為に起因して悪 しき結果が発生していたとしても,法は行為者に不可能を強いるものではない ことから,当然に過失の成立は否定され,結果に対する過失責任も否定され る。. 後者,つまり,結果予見可能性ならびに結果予見義務が存在した場合であっ ても,行為当時において,悪しき結果を回避し得た可能性(〒結果回避可能性) が否定された場合は,もはや行為者の作為もしくは不作為の如何にかかわらず, 107.

(10) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 結果が変わった可能性,つまり悪しき結果を回避し得た可能性は皆無というこ とになるので,行為者が何をなすべきであったのか,つまり,行為者が尽くす べきであった注意義務の内容如何や,・行為者が当該注意義務を尽くしたのか否. か(-結果回避義務)について判断する前提を欠くこと一になり,この点につい て判断するまでもなく,過失の成立は否定され,結果に対する過失責任も否定 される(要するに、結果のない過失は観念できない,ということ)。 換言すれば,結果回避可能性の有無の判断は,事実的因果関係の有無の判断, つまり,医師の診療と患者に生じた悪しき結果との因果的法則性の有無の判断 と事実上重複する。要するに,悪しき結果が不可避であれば,医師の「過失」 行為に起因する・ものではないと認定して「因果関係」を否定し,併せて,論理 必然的に,医師の「過失」も否定すべきことになるのである。つまり,結果回 避可能性のないところに,結果回避義務を観念する余地はないのである。 既往の過失犯理論を,医療過誤訴訟についてみるに,前者,つまり,医師が 診察当時において,患者の死亡や後遺症の遺残という悪しき結果について予見 し得なかったと判断された場合であれば,その余の過失犯の成立要件を吟味す るまでもなく,医師の過失責任は否定される。けだし,医師の注意義務の上限 を画するのは,医学が経験科学であることに鑑みて,診察当時における臨床医 学の実践レベル(-医療水準)であり3),この水準に照らし,悪しき結果を予 想し得なかった場合であるので,医師の対する非難可能性は低いということが できる。. これに対して後者,つまり,医師が診察当時において,患者の死亡や後遺症 の遺残という悪しき結果について予見し得たと判断されたにもかかわらず,医 師の診察当時において,患者は致命傷を負っていて,すでに手遅れであり,ち はや手の施しようがなかった(例えば,死亡事例であれば,救命可能性が皆無 であった)場合であれば,医師が患者に対しては如何なる診察と治療をなすべ きであったのかを議論する前提を欠くので,この点について判断するまでもな く,過失の成立を否定し,悪しき結果に対する過失責任を否定するべきことに 108.

(11) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. なる。. 後者の具体例であるが,交通事故などで致命傷を負い,瀕死の状態で運ばれ てきた患者が,医師の診療後に死亡した場合,当該死の結果は,医師の診察以 前の事故に起因する因果の流れに過ぎないので,■医師の診療の如何は,結果に 対して何らの原因力を与えていないことを想起すると,容易に理解できろであ ろう。 ただ,後者の場合,医師の予見可能性が肯定されている関係上,医師の診療 内容如何によっては,刑法理論は格別として,医師に対する非難が決して低く ない場合も考えられ.るところである。もっとも,そのような遺族感情は,本来 慰謝料請求権の有無ないし賠償額の多寡の問題として捉えられるべきであり, 民事責任の追及によって解決されるべき筋合いの問題であることに留意する必 要がある。つまり,いわば「過失あり因果関係なし」、と認定すべき事例につい. て,裁判所が,生命侵害事例の10分の1程度の価額の慰謝料の支払を命じ去こ とがある。いわゆる「期待権侵害」の理論として捉えられるべき問題なのであ る4)。. 3. 過失における結果予見可能性の認定. (1)結果予見可能性に関する判断スキーム 刑法的な観点からは,. 「過失」が規範的な構成要件要素であること,つまり,. 客観的注意義務違反を意味することから,結果回避義務は,予見可能性の有無 や程度との相関関係で決められなければならない。つまり,法が,行為者がな すべきであった結果回避措置,ならびに,かかる結果回避措置をなすべき注意 義務を措定した場合,行為当時,当該行為者において,この結果回避措置を想 起するに足りる,結果の予見可能性を必要とすべきことは当然である。けだし, 行為者が,行為当時の事情に鑑みて,到底想起し得ない回避措置をなすべき注 意義務があるとしたのでは,法が不可能を強いることになり,法が,国民の行. 動の予測可能性を担保するための有為規範(行動の自由の限界を示す行動準則) 109.

(12) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). としての役割を果たし得なくなってしまうからである。 従って,法を適用する裁判所は,過失の認定をなすに際し,行為者(被告人) には,行為当時の事情に鑑みて,検察官が明示した結果回避措置をとるに足り るだけの認識が存在したのか否か,つまり,行為者が置かれでいた客観的別犬 況を前提として,当該状況の下において,行為者は,どの程度の判断材料を得 ていたのか否かを詳細に検討しなければならない。 この点について考える際には, キームが参考になる(以下,. 「薬害エイズ帝京大学ルート事件」の判断ス. 「薬害エイズ禍事件判決」という). 5)。この事件に. おいて,裁判所は,予見可能性の有無・程度を判断する証拠資料として,関係 者の供述調書の記載や証言および証人尋問調書の記載よりも,事件当時までに 公表されるなどして客観的な存在となっていた論文や学会報告などの,. 「確度. の高い客観的資料」を重視すべきであるとした。 その理由として,当判決は,事件発生から公判請求までにかなりの時間が経 過していること(約8年),また,事件の性質に照らし,関係者の証言につい ても,時の経過による記憶の減退や,. (マスコミの過熱・過剰・偏向報道によ. る)変容という問題を避けては通れか1こと,などを挙げている。このことか ら,関係者の証言よりも,当時公表されていた医学成書・症例報告・論文など の客観的資料を重視して,. 「非加熱製剤の使用によるエイズ雁息と患者の死亡」. という因果的結果を予見し得たのか否かを判断すべきとしたのである。. (2)本判決における結果予見可能性の判断スキーム 薬害エイズ禍事件判決に村し,本判決は,関係者の証言を重視した判決であ った。. つまり,予見可能性の畢礎事情となるべき,診察当時における患児の容態に ついては,検察側証人である母親の証言(意識減弱ないし喪失状態であったと する供述・証言)をおおむね採用し,弁護側の主張を裏付ける証拠となる,前 記「政急活動記録票」 110. (救急救命士の観察記録)の記載(意識清明をはじめと.

(13) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. して,患児のバイタルサイン-脈拍や瞳孔反応などの生命兆候が全て正常値の 範囲内であった事実)を重く見ることはなかった。 また,被告人の結果(頭蓋内損傷)予見可能性,およびこれを前提とする結 果予見義務の認定に際しても,検察側証人の耳鼻咽喉科専門医(個人医院経営. 者)の執筆した論文と証言をおおむね採用し,これを事故当時における臨床医 学の実践(「医療水準」すなわち医学標準)であるとして,被告人は,診察当 時において,患児が雁災していた「頭蓋内損傷」を予見可能であると認定し た。. かような検察側の立証活動に対し,弁護側は,アメリカ合衆国の著名な医学 者ラドコウスキーらによる,・口腔内損傷患者の診察方法に関する医学文献なら びに統計的なデータを用い6),わが国においては数少ない小児耳鼻科の専門医 (公立病院耳鼻咽喉科診療部長)がこれを詳細に説明したり,また,同証人医. 師が作成した資料やビデオを証拠として申請し,小児耳鼻科医療の実際を解説 したり,また,事故当時における医療水準を明らかにするなどして,今から7 年前の事故当時においては,患者が口腔内を損傷しているという事実のみに基 づいてCTスキャンや鼻咽腔ファイバースコープ検査を行うという医療水準は 形成されていなかったとする見解を述べたが,裁判所は,同医師の証言の大半 を採用しなかった。 のみならず,被告人の結果予見可能性の認定をなすに際し,その参考となる カルテの記載に閲し,一部については事後追記と認定し,. 「-被告人は,患児. (氏名略)が診察の翌朝に急逝したことに動転するとともに,前日の診察にお いて,問診等を通じて患児の意識状態を正しく把握することなく軽症であると 診断して帰宅させた点に落ち度があったことを自覚し∴これを取り繕おうとし たことによる′もの」と認めた。. (3)検. 討. 一般論として,行為者が結果回避措置を講じるためには,結果予見可能性の ililil.

(14) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 存在が必要であることは,既に述べたとおりである。もっとも,予見可能性の 存在が必要である■として,果たして,どの程度の予見可能性が必要なのかにつ いては,周知のとおり争いがあり,この程度を著しく低く捉える「危倶感説」 が有力に主張されている7)。 この見解は,交通事故や公害を惹起した行為の違法性評価において実益が認 められる見解である。つまり,この見解は,危険性の高い行為でありながら, これを違法と評価すると社会が麻痔してしまう範時の行為について,それらを 違法と評価せずに許容する,いわゆる「許された危険」の法理の射程を狭く捉. え8),行為者の過失責任を認めようとする考え方であり,その方途として,行 為者の予見可能性の内容を抽象化し,立証を容易にしているため,証明責任を 負担する検察官や,民事訴訟における原告の証明責任の負担を軽減する論理と されている。. また,上記訴訟類型のうち,とりわけ公害訴訟においては,被害の発生に至 る機序が解明困難であるため,行為者の過失行為の存否も不明になりがちであ るが,注意義務の内容を抽象化し,なおかつこれを低く捉えれば,その存在を 容易に証明できるというメリットがあり,訴訟における立証軽減の手法として 一定の評価を得ている考え方である。仮に,本判決が「危倶感説」を採用した のであれば,医療訴訟の領域に対する適用例の噂矢というべき事例ということ ができる。そこで,この点について検討する。 本件における検察官の訴因は,患児が割り箸で喉に怪我をし,救急車の中で 吐いたという些細かつ僅かな事実のみから,直ちに「頭蓋内損傷」を疑って CTスキャンや鼻咽腔ファイバースコープ検査をなすべき注意義務があるとす るものであった。しかし,検察官が指摘する事実と併せて,かかる僅かな疑い すらも打ち消すような反対方向の事実,つまり,患児のバイタルサインが全て 正常値の範囲内であることを前提として(これは,評価の入り込む余地のない 確定的な事実),被告人が診察中,患児には意識障害がなく,開眼・開口命令. にも従うことができ,しかも,女性看護師を介した救急救命士からの申し送り 112.

(15) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例 は,. 「割り箸は抜けています。」というものであり,さらには,母親は折れた割. 箸片の残りを持参せず(因みに,本件は,患児の両親が懇意にしている障害者 援助施設の園庭で開催された盆踊会場で発生したのであるが,患児が受傷直後 に自ら折って投げ捨てたとされる割り箸の残りは,警察・検察の捜査の甲斐な く,未だに発見されていない),被告人が母親に対し,患児の禁忌を調査する ため;暇息の有無など,いくつかの問診をした際にも,母親は受傷機序につい て全く回答せず,この点については,僅かに「割り箸で喉を突きました。」と 「連れて帰っていいでしょうか。」の二言のみであったという事実も並存したこ とを掛酌すると,診察時において,被告人が与えられていた情報は極めて限局 されていたということができる。 にもか75、わらず,裁判所は,上記の僅かな情報のみを基礎として,初診の段 階において直ちに頭蓋内損傷を疑うべきと判断した。この判断を分析するに, 過失の認定に係る判決文の仝趣旨に鑑みると,裁判所は,実際のところ「何ら かの異常」を疑ってCTスキャンや鼻咽腔ファイバースコープ検査をなすべき. であったと認定をしているように思える。つまり,. 「頭蓋内損傷(を疑って)」. なる起訴状の文言の一通常の意味を超えて,注意義務の範囲を広く捉え,被告人 の過失を認定しているものと考えられる。 以上の検討に鑑みると,本判決は「危倶感説」の判断スキームを採用して, 被告人の結果予見可能性を肯定しているといって差し支えない。しかし,危倶 感説の理論構成は,. 「過失」が規範的な構成要件要素であること,つまり,客、. 観的注意義務違反を意味することから,結果回避義務は,予見可能性の有無や 程度との相関関係で決められなければならないことの説明に窮すると批判され ている。即ち,行為者が一定の結果回避措置を講じる前提として,行為者に当 該結果回避措置を想起させるに足りる程度の,ある程度具体的な結果予見可能 性を必要とすべきところ,危倶感説のように,単に「危ない」といった程度の,. 抽象的な危険性を認識するのみでは,到底具体的な結果回避措置を想起するこ とはできないのではないか,との批判である。 113.

(16) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). 思うに,過失犯の構成要件は,行為者が遵守するべき注意義務(-作為義務) の内容が明記されていない開かれた構成要件であり,一般条項的劉生格を有す ることも否めない。すると,これを肯定すると,より一層,国民の行動の予測 可能性を害する恐れが強まるばかりか,事実上の結果責任を問うことと等しく なる。ゆえに,危倶感説の適用範囲を医療過誤訴訟の領域まで拡大することは, 経験科学としての医学の本質に反する恐れがあり■,にわかに賛成できない。・ この理を本件についてみるに,本件における結果回避義務は,. CTスキャン. や鼻咽腔ファイバースコープ検査を行うことであるが,.臨床医学の実践に鑑み ると,被告人に,ただ単に「何かおかしい」といった程度の危険性の認識があ るのみでは,一般の小児救急患者が呈する容態との区別が著しく困難であるこ. とから,本件事故当時の医療慣行に照らすと,到底自らの息考を上記の結果回 避措置と直結させることはできないというべきである。. また,訴訟法的にみても,裁判所力子文言の通常の意味を超える認定をするの であれば,裁判所は,検察官に対し,訴因変更を促すべきであった。そして, 訴因変更を認めた上で,新たな審判の対象をめぐり,検察側と弁護側に攻撃防 御をなさしめ,審理を尽くさせるべきであった。ただ,予見の対象を「何らか の異常」と捉えるとすると,抽象的に失し,訴因の不特定ゆえに審判の対象が 暖昧になるという批判もあり得るので,.端的に過失を否定するべきであった。 なお,この点に関連し,本判決は,予見可能性の存否を基礎づける重要な資 料となるカルテの記載の一部について,被告人は,患児死亡の事実を知って気 が動転し,自己の「過失」を取り繕う意図の下で事後追記したと認定したが; そもそもこの点を争点とするべき記載は,起訴状や目頭陳述書にみられず,審 判の対象とされていなかったのであるから,かような認定をすることは不告不 理の原則に反しないか。また,実際上も,問題とされたカルテの記載は,寧ろ 被告人にとっては不利な内容であったのだから,そのような記載を追記するは ずもない。この点についても,裁判所が,カルテの記載の信用性について充分 な吟味をしないままに, 114. 「過失」を取り繕うための方策と断じたことは,事実.

(17) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. 認定の在り方として,問題があるというべきである。 因みに,カルテの改窺・追記に有無については,本判決以前に,本件民事訴 訟の場において審理が尽くされており,原告側の文書提出命令の申立は,カル テの改患・追記の疑いなしとの理由により棄却されている。. (4)本判決における結果予見義務と結果回避措置の認定 既往の検討から,私見としては,本判決における「予見可能性」の判断スキ ーム,すなわち関係者の証言を重視しつつ,予見可能性の基礎事情を認定する という 手法には賛成できない。従って,本判決の如く,患児の「頭蓋内損傷」 を疑うに足りる医学的所見.兆候が皆無別犬況の下において,被告人が直ちに これを疑い(予見可能性・予見義務の存在),. CTスキャンや鼻咽腔ファイバー. スコープ検査に直結させる(結果回避義務の存在)認定古土は疑問がある(なお, 本判決は,回避義務の認定の前提となる,回避可能性-救命・延命可能性の認 定につき,これを否定している点で特殊であることは,後述する)。 思うに,医療過誤訴訟におけ-る過失判断,とりわけ「予見可能性」とは,行 為と結果との間の因果的法則性を認識し得るか否かの問題であるところ,医学 の素人が一般的に有している医療知識(「家庭医学書」レベル)と,医師が臨 床医学の実践として一般に有している医学的知見とは一致しないことが多く, 医療の専門家たる医師の間においても,大学病院の研究医と一般開業医では, 因果的法則性の知・不知や知見の程度を大きく異にすることがある。 これを本件についてみると,本件が発生したのは,今から約7年前(1999 年・平成11年7月)のことであるが,当時の救急医療の現場において,. 「転ん. だらCT」であるとか(因みに,本件患児に..は,頭部および身体に一切の外傷 が存在しなかった),. 「喉の奥を怪我していたらCT」などという医療水準は形. 成されていなかった(因みに,現在でも,単純に口蓋損傷患者に村してCTを オーダーしても,保険は降りない取り扱いになっている)。また,鼻咽腔ファ イバースコープについそも,幼稚園児や保育園児などの小児にこれを使用する 115.

(18) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). ことは,異物を子供の鼻腔に奥深く挿入する関係から,かなりの侵襲感が伴う. ため(因みに,ほとんどの子供が嫌がって泣き叫ぶ),_容易に使用しない医療 慣行が存在した(なお,小児に使用するファイバースコープは,成人用と異な る細いものであるが,当時は一般に普及しておらず,大学病院においても僅か しか常備していなかった)。. しかし,本件は,マスコミが大きく取り上げ,患児の両親もテレビ・雑誌・ 新聞に始終出演し,被告人の非を一方的に訴え続けたため,医学の素人たる国 「転ん. 民の多くは,科学的な根拠もないままに,結果の重大さのみに着日し, だらCT」あるいは「喉の奥を怪我したらCT」という図式について,何らの疑 問も感じなかったものと思われる。そして,検察官の訴因は,まさにその法律 的な具現化であり,裁判所の判決も,これに追随したものであ′る。ただ,この 一般人基準といもいうべきスキームによると,医学の素人が医学的な裏づけの ない危倶感を抱いているに過ぎないとき,本件に即していえば,. 「転んだ′り,. 口の奥を怪我すると,大怪我になるかもしれない」と考えているに過ぎないと きに,これをも過失認定の-資料として掛酌し,予見可能性を肯定し得ること になるが,一般人の素人的感覚を,医療水準を決める要素として掛酌すること が妥当なのか否か,疑問なしとしないところである。 かような弊害を避けるためにも,過失犯の構成要件がいわば開かれた構成要 件であり,一般条項的な暖昧さを有していることに鑑みて,先の薬害エイズ事 、. 件の判断スキームのように,その時点で望み得る最先端の医学的知見を前提と して,行為と結果との因果的法則性を判断すべきではなかったか。このように, 当時における最先端の医学的知見に裏付けられた注意義務であるからこそ,そ れが,万人が納得しえる医療水準となるのであり,医師の行為規範ともなり得 るのである。この意味で,弁護側が証拠として提出した「確度の高い客観的資 料」である前記米国の医学文献と統計的データや,現職の小児耳鼻科専門医の 証言が重視されなかったことは残念であった。また,医学と,その実践形式で ある医療が,症例の集積によって進歩する経験科学であることに鑑みても,本 116.

(19) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. 件のような空前絶後の症例について過失を認めることは,事実上結果責任を問 うことに他ならず,医学の進歩を否定し,萎縮医療・防衛医療を蔓延すること になりはしないかとの危倶を覚える次第である。. 4. 過失の相対化について (1)医療過誤訴訟と過失の相対化 過失の相対化とは,行為者の属性によって注意義務の有無や程度に差異を認. める考え方である9)。仮に,この考え方を医療過誤訴訟に対しても適用可能と すると,裁判所は,行為者たる医師の注意義務違反を認定するに際し,行為者 の属性や行為当時の状況を掛酌しなければならないから,行為者の医師として の経験年数や専門領域,ま■た,行為当時における行為者の所属が,救命救急機 関を併設する大学病院などの総合病院なのか,あるいはそれ以外の個人医院な のか,仮に総合病院であったとしても,病院の全機能がフル稼働している平日 の一般外来であったのか,あるいは病院の機能が限局された休日・夜間の救急. 外来であったのか,などの諸般の事情を考慮して,行為者の注意義務違反の有 無や程度を認定しなければならないことになる。 この考え方は,わが国における医師養成制度と整合的である。つ.まり,■医師 国家試験合格後は,一定の全科研修期間を経て,自己の専門領域を決定し,そ の後は専門領域に特化した経験を集積することに専念し,当該診療科の専門医. になることを目的とする制度に合致する。また,医学,ならびにその実践形式 としての医療の本質とも整合的である。つまり,医学・医療は専門領域が細分 化され,しかも専門領域ごとに極めて深化してい■るため,医師は,専門領域の スキル(知見・手技)を修得す-るので精一杯であり,他科との横断的なスキル を修得することが困難という実情にも合致するものである。 しかし,他方で,医師免許を附与する前提となる医師国家試験は,受験者が 志望する専門領域によって区別されfi・いところの,医師としての基本的知見の 有無を問う試験なので,これに合格すると,医師は,自己の専門領域を問わず 117.

(20) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). に診療をなし得,しかも,専門領域を事後的に変更することも可能であること と整合しない。つまり,医師がなす医療行為の対象は国民であるところ,医師 免許に対する国民の信頼の村象は,専門領域に限定されないからである。また, 実際にも,過失の相対化を肯定すると,医師に専門外の抗弁を認めることにな り,標模する診療科以外の診療に関する過失の認定が著しく困難になる。過失 の相村化をめぐる議論状況は,おおむね以上のようなものである。. (2)本判決と過失の相対化 本判決は,過失の相対化を否定し, ①医師には専門領域があり,他科についての知見は専門領域と比較して劣ると いう事実 ②患児が来院した先が,昼間の一般外来ではなくて,休日・夜間の政急外来で あったという・事実,を全く顧みることなく,耳鼻咽喉科専攻医である被告人 に,脳神経外科の診断領域に属する中枢神経系の異常を確実に察知し,. 「頭. 蓋内損傷」を予見すべきであると認定した。しかし,. ①については,脳神経外科医にコンサル卜する義務を認めf=のであるやゞ,これ では,先に述べたように, る,. 「普通と違う状態」,つまり,小児患者に散見され. (口の中に)怪我をして救急車で運ばれて緊張し,泣き疲れてぐったり. した状態であれば,直ちに「頭蓋内損傷」を視野に入れ,重症患者対応の, 第Ⅲ次救急外来の脳神経外科医に転医させる義務を認めたことと等しくな る。これでは第Ⅰ. ・. Ⅱ次救急外来など不要になるが,救命救急システム全体. の運営のあり方として,到底妥当とは思われない。 (丑については,昼間・平日の一般外来と夜間・休日の救急外来の機能に区別を 認めない考え方であるが,夜間に病院の機能をフル稼働させることは,人 的・物的観点から不可能である。因みに,被告人は,事故当日の夜間・休日 の当直中に23人の患者を診ていた(多いときは数十人に上る)。なお,杏林. 大学病院は,東京都下の全区域の患者を受け入れているが,それは,他の国 118.

(21) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. 立・公立大学病院や公立病院などが救急を行わなかったり,これを行ってい ても,患者の受け入れを平然と拒否することがあるからである(因みに,忠 児は,杏林病院に搬入される前に,荻窪病院と武蔵野日赤病院より搬入を断 られている)。杏林大学病院は,本件が立件された際に,東京都に対して意 見書を提出している。要するに,国や地方公共団体の方針に不備があるので ある。. (3)検. 討. 医療過誤事件は,交通事故事件と異なり,もともと健常者ではない者が当事 者となるため,患者に生じた悪しき結果が,患者が生来的に有していた素因に 起因するものなのか,医師の過失によるものなのかの判定が困難である。また, 患者の症状も千差万別であり,治療方法も効果も同様に千差万別である。とす るのならば,医師の専門を無視して注意義務を⊥律化するのは妥当ではなく, 行為の時点における具体的事情を考慮すべきであり,注意義務がある程度個別. 化・相対化されるのは止むを得ないというべきである。また,一般に,過失を 問う前提となる結果回避可能性の有無を認定するに際し,. 「行為時におし、、て一. 般人が知りえた事情よって異なる注意義務を認めているといえるから,医師の 専門なども考慮されて然るべきと考える。. 5. 過失における結果回避可能性の認定 (1)事実的因果関係の認定との関係 前記した通り,結果回避可能性の有無の判断は,事実的因果関係の有無の判. 断,つまり,医師の診療と患者に生じた悪しき結果との因.果的法則性の有無の 判断と事実上重複する。要するに,悪しき結果が不可避であれば,医師の「過 失」行為に起因するものではないと認定して「因果関係」を否定し,併せて, 論理必然的に,医師の「過失」行為の存在も否定すべきことになるのである。 この判断を裏返すと,因果の起点は,. 「医師の診療行為」よりも時系列的に 119.

(22) 横浜国際経済法学第15巻第卜号(2006年9月). 前に位置する,患者自身が生来的素因として有していた「不治の疾病」,ある いは「患者が雁災した事故」に求められていることに注意しなければならない。 より具体的にいうと,当該悪しき結果は,. 「第三者によりもたらされた災害」. 「患者自身による致命的自傷行為」により惹起されたものであることを黙. や,. 示的に示しているのである。. (2)本判決における結果回避可能性の認定 医療過誤訴訟において,裁判所が,問題とされた医療行為と悪しき結果の間. の因果関係(-悪しき結果の回避可能性)の認定をなすについては,医卓の専 門家による純粋な医学的アプローチに,全面的に依拠せざるを得ない。そのよ うな観点から,本判決における主な証拠資料・証拠方法は,剖検医(法医学). が作成した鑑定書・同書添付意見書(以下,鑑定書等という),供述調書,証. 人尋問調書,魂書添付資料,耳鼻咽喉科専門医・口腔外科専門医・脳神経外科 専門医の供述調書,証人尋問調書,調書添付資料などであった。 これらの証拠方法の中で,基本的に重視するべきものは,剖検医の作成に掛 かる鑑定書等である。けだし,剖検医は,司法・行政解剖により,患児の遺体 を実際に直接見分し,解剖しているからである。とりわけ,本書の添付写真. (アングルを含む)や図は,剖検医が死因の究PB'に際して関心を抱いた部位を とくに詳しく撮影・描写していることを証するものであるから重要である。そ して,関心を抱いたことについては,剖検医は,職務として必ず鑑定書に記載 し,反対に,関心を抱かなかったことについては記載しないと考えるのが,辛 実認定の手法として合理的である。本件刑事裁判においては,剖検医が作成し た本鑑定書等を基礎資料として,検察側と弁護側の各証人医師が,各自の医学 的見解を陳述したのであった。 剖検医・各証人医師は,患児の「死因」と「因果関係の存否・程度(-救命 率)」に関する医学的見解を求められたのである■が,因果関係の有無は死因の 捉え方に左右されるところ,鑑定書等は,死因として考えられる幾つかの要因 120.

(23) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつ?,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. を列挙するに止まり,その要因のうち何れが,患児の死亡に決定的な影響を及 ぼしたのかについての記載がなく,また,鑑定書の一部不同意に伴う・証人尋問 の際に,本付鑑定書を起案した剖検医は鑑定書等に記載のない死因に言及する など,一貫性に欠く証言をなしたため,証拠法的な観点からは,死因の認定に ついて「信用するに足りる」唯一の証拠とはなり得なかったことを付言する。 なお,本件鑑定書の作成期間については,約11ケ月間(1999年7月12日2000年6月5日)という長期間を要し,同書添付意見書の作成期間も,約8ケ 月(2000年12月8日-2001年7月10日)という長期間に及んだことを付言す る。. なおゝ. 死因に関する医学的見解であるが,大別して以下の2つの見解が対立. した10)。. (訂血腫説 検察側証人医師が主張した説である。小脳挫傷を出血源とする後頭蓋宿の 「急性硬膜下血腫」に起因して小脳に浮腫(平易にいうと■,血液が欝滞して脳. 実質がだぶだぶになること)が生じ,頭蓋内圧が克進したことにより,血液の 還流障害が発生し,浮腫が一層進行したことにより脳幹を圧迫するに至り,秤 吸中枢機能が停止したことに起因して死亡するに至ったとする見解である。 ②血栓説 弁護側証人医師が主張した説である。割り箸が左頚静脈孔(直径数ミリ)に 散人した際に,静脈が割り箸により閉塞され,血流が停止した結果,血液の凝 固が始まり,そこに血栓が形成され,不可逆的な静脈還流障害が生じ,これに よって小脳のみならず大脳にも脳浮腫を発生し,頭蓋内圧が克進したことによ り脳幹を圧迫するに至り,呼吸中枢機能が停止したことに起因して死亡するに 至ったとする見解である。 両説ゐ根本的な差異であるが,. ①説は,血腫を除去すれば「死因」である脳. 浮腫を抑制できるので,患児を救命することは可能であったと考えるのに対し, ②説によると,血栓は一度発生すると除去し得ず不可逆的に進行するから, 121.

(24) 横浜国際経済法学第15巻第1号・. (2006年9月). 「死因」である脳浮腫を抑制することはできないので,患児を致命することは 不可能であったとする見解である(本症例の場合,血液溶解剤の使用は,大出 血を誘引するので禁忌である)。 因みに,. ②説は①説に対し,僅か26gの血腫により脳実質の重量が270gも. 増加したことを合理的に説明できていない,それどころか,. ①説の主張者は,. 却って血栓も頭蓋内圧克進に寄与した可能性も否定できないと説明していると 批判し,異常な重量増加の原因は別に求められるべきとして,. ①説の主張者が. 血睦形成の事実を否定できないのであれば,その原因を不可逆的な血栓の形成 に求めざるを得ないとしたのである。 裁判所は,弁護側の主張に掛かる②説を全面的に採用し,因果関係を否定し たのであるが,医学的見解の優劣は然ることながら,検察側の捜査・立証活動 の甘さがもたらした当然の結果というべきであろう。検察側は,自ら証人とし て召喚した医師に村し,患児の具体的な容態,つまり,争いのないところでは, 受傷当時「意識清明」であった事実,受傷後に大声で泣き叫んでいた事実,自 ら割り箸を掴んで折って投げ捨てた事実,女性看護師に抱っこをせがんだ事実, (心肺停止)に陥る僅か1時間半前まで,受傷後12時間程度も意識が保た. CPA. れていた事実(「おもちゃ買いにいこうね。」に対して「うん」と領いた事実), などの重要な事実を殊更に秘匿して,医師の倶述を得たり,証言を得ようとし ていたのである。. (3)本判決において結果回避可能性(因果関係)を否定しつつ結果 回避義務(過失)を肯定したことの意味 過失犯理論の当然の帰結として,結果回避可能性(因果関係)のないところ に,結果回避義務(過失)を観念する余地はない。これを医療過誤訴訟の観点 から見ると,もともと悪しき結果を回避できなかったのであれば,医師が何を なすべきであったのかを論じる前提を欠くことを意味する。例えば,死亡事例 において,.敦命傷を負った瀕死の患者を受診した医師が,初診段階において対 122.

(25) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. 症療法を施したものの,当然の結果として患者が死亡した場合において,患者 の死亡に何らの影響を与えておらず,また,何らの死亡原因をもたらしたわけ でもない医師に村し,法律が敢えて医師は何をなすべきであったのかを論じる 余地がないことは自明である。実質的に見ても,致命傷を負った患者を最後に 診察した医師が刑事責任を問われるのでは,医師の間において,あたかもパパ 抜きのように,患者のたらい回しが常習化し,ひいては医師のなり手がなくな ってしまうであろう。 この理を本件につ′いてみるに,被告人は,争いのないところでは,救急救命 士が軽症患者と判断して当院第Ⅰ. ・. Ⅲ次救急外来に搬入した患児に対し,額帯. 鏡とペンライトを使用した視診・巻絹子を使用した薬剤の塗布と触診・既往歴 の聴取等の問診・次回来院に関する諸指示等を適切に行い,それ以外の不適切 な作為は何もしていないのである(消極的不作為型医療事故)。また,診療突 約は医療機関と患者の間の双務契約であるところ,患者側にも診療行為に対す る信義則上の協力義務があるというべきである。したがって,被告人が「どう しましたか。」と問いを発し,次いで,既往歴などの問診をしたのであれば, 患児の親権者である母親は,. (公判で証言したような危機感が真実存在したの. であれば,)たったの二言,つまり,. 「割り箸でのどを突きました」,. 「入院はし. ないのですか」のみならず,本件事故について知っている限りの事実を全て申 告する義務があるというべきである(反対に,申告しなかったのであれば,証. 拠法的な観点からは,危機感はなかっキと認定するべきである).さらには, (母親が公判で証言したような危機感が真実存在したのであれば,)夜分に患児. を再度病院に連れて行く義務があるというべきである(反対に,連れて行かな かったのであれば,証拠法的な観点からは,危機感はなかったと認定するべき である)。-以上によ・り,消極的不作為型の医療事故,とりわけ,本件のような 空前絶後の症例においては,積極的作為型と比較して,より一層のこと上記の 過失犯理論が妥当するというべきであり,本件においても,過失を正面から論 じる必要はなかったものと考える。 123.

(26) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月). では,裁判所は,上記の過失犯理論を知悉しつつ,なにゆえに敢えて被告人 の過失を認定したのであろうか。以下,私見に過ぎず,推定の域を出ないが, 本判決には異例の「附言」が付されており,被告人や大学病院の■体質を非難し ているので,その伏線であったというべきではないか。つまり,法の論理的整 合性よりも,医療現場に対する法の厳しい姿勢,つまり,今後,同様な事例に おける医療事故の発生を未然に防止するとし、う警告的な意義を優先させるとい う文脈において,はじめて理解される論旨と考える(筆者としては,果たして 同様な症例が生起し得るのか否か,疑問を禁じ得ないところである)。しかし, 「附言」の中には,医療現場からは到底是認できないくだりが散見される。 とりわけ,耳鼻咽喉科という診療領域を,. 「日常,人の死に直面しない」領. 域と断定していることには強い疑問を呈さざるを得ない。分かりやすいところ では,本診療科おいては,難治性の喉頭癌などの致死率の高い疾病について, 難度の高い外科的手術を日常的に行っており,被告人においても,本件事故の 前後に係らず,総合病院の常勤医・救急医として日々これに係り,多くの患者 を放っている。また,被告人の診療を「教科書的範晴を出ない」ものと断定し ている点も疑問である。空前絶後の症例であって,医学的観点から意識障害が 発現する原因のない症例について,なにゆえに「頭蓋内損傷」を予見できよう か。本件症例は,. 「教科書的範噂」どころか学会の最先端レベルの見識を有し. ていても,なおかつ予見できないものである。 筆者が疑問を呈した「附言」中の判決部分については,公判の過程において 特に問題とされたことはないので,到底証拠に基づいた事実認定とはいえない。 従って,これらの事実を前提とした「附言」は,仮にこれが警告的意味合いの ものであるとしたら,余り意味のないものといわざるを得ないように思われ る。. 124.

(27) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. 第4. おわりに. 本件において,裁判所は,端的に過失を否定すべきであった。つまり,現在 にあって与そ,本件の起訴の影響により,医療の現場においては,口腔内損傷 患者に対してCTスキャンや鼻咽腔ファイバースコープ検査を行うべきとする 医療慣行があるといえるが,. 7年前の事件当時においては,そのような医療慣. 行はおよそ一般化していなかった(弁護側証人として出廷した国立大学歯学部 口腔外科主任教授の証言を参照)。つまり,本件の立件以降,医療現場におけ る医療水準となったのである(つまり,起訴による一般予防効果は充分に果た されている)。そして,本件が前例のない症例であったことを考慮すると,当. 時としては,患児が雁災していた「頭蓋内損傷」を予見し得なかったとしても 止むを得ないと考えるべきではなかったか(つまり,起訴されれば足り,過失 を認定する必要はなかった。これではスケープゴードである)。本判決は,覗. 在の医療水準を7年前に遡らせ,当時の被告人の診察に対して過失を認定して いるものといわざるを得ない。 医療水準とは医学標準を意味するのだから,まずは臨床の現場においてこれ を形成し,後から法律がこれを追認し,医師一般の注意義務の内容とするべき なのである。ところが,本判決の論理によると,まずは法律がこれを決め,医 師はこれを所与の前提として遵守せよ,ということにもなりかねないのである。 これでは,医師の行為規範たる医療水準が全く機能しなくなるばかりか,法律 不遡及の原則にも反すると考える次第である。 以. 上. 【註 釈】 1)本稿が脱稿した時点において,判決正本(約150頁)は,交付まで,判決公判後数ヶ月を要 する関係で,いまだ裁判所より検察側・弁護側に手渡されていないo従って,本稿が評釈の. 対象とした資料は,判決要旨(A4版10頁)と,検察側の公判提出記録(弁護側か不同意と した証拠資料を含む),および弁護側の公判提出記録(検察側が不同意とした証拠資料を含 む)に限られる。 125.

(28) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月) 2)明治大学シンポジウム「医療過誤刑事責任-注意義務の明確化をめざして」における次の報 告(2006年4月28日),甲斐克則「基調報告 ヽ. 医療過誤刑事責任における注意義務違反につ. いて」,山室恵「医療過誤刑事責任-元裁判官の立場から」,飯田英男「刑事医療過誤の最近 の動向」,同大シンポジウム「医療と法. 医療過誤と刑事責任の現在」における次の報告. (2004年5月8日),甲斐「刑事医療過誤の近年の動向と問題点」,飯田「医療過誤と刑事責任 の現在」など。 3). 「医療水準」は,. 「臨床医学の実践」レベルを表わす概念であり,医師の注意義務の限界を. 画する基準として,主に民事医療過誤の領域において形成されてきた概念である。そこで, この概念を,刑事医療過誤における過失の認定に供し得るか否かであるが,前掲甲斐レジュ メによると,過失の認定が若干厳格化されることを除けば,ほぼそのまま刑事過失の認定に 供し得る旨記載されている。 なお,この「厳格化」なる文言の具体的意味であるが,民事責任と刑事責任の本質的差異 に求めることができる。つまり,民事責任の本質は,被害者救済と損害の公平な分担,つま り,損害に対する金銭的な填補(被害弁償)と,リスクを誰に負担させるのが公平なのかと いう観点から決められるため,責任があるのかないのかという二者択一的なものではなくて, 割合的な認定(一部認容)を許容し,いわば痛み分けによる紛争解決もあり得るのである (因みに,過失行為と死亡との因果関係が否定された事例について,なお若干の損賠を肯定 する余地を認める「期待権侵害論」についても,同様の文脈のもとに説明が可能となる。註 (4)参照)0 これに村して,刑事責任の本質は,行為者に対する道義的な非難,つまり,国家の刑罰権 の発動という,国民の基本的人権に対する重大な制限を伴う責任であり,しかも,いわば白 黒をはっきりとつける峻厳なものであるため,謙抑性(必要最小限性とultimaratio,つまり 最後の手段性)が求められる。くわえて,責任の重さに鑑みて,立証の程度についても,い わば「確信」の域に達することを要し,. 「疑わしきは被告人の利益に」なる無罪推定の原則. が採用されている。このような,法的責任の差異(弁償or懲罰)と寛厳により,医療過誤 という同一の行為について,民事責任と刑事責任における注意義務違反(過失)の認定基準 に差異が生じてくるのである。■また,間接的には,民事訴訟と刑事訴訟の目的論,つまり, 前者が紛争の解決,後者が真実発見を目的とすることも,影響を与えているといえよう。 以上のような,法的責任の差異に基づく認定基準の差異を前提として,民事医療過誤訴訟 における「医療水準」は,. 1960年代から70年代にかけて多発した,未熟児網膜症に対する. ■診療甲是非をめぐる一連の訴訟の場において形成された。つまり,いわゆる未熟児が出生し た場合,その成育を維持するため,保育器に収容して酸素吸入を施すのであるが,一定の確 率で網膜症を発症することが不可避であり,場合によっては失明に至る症例が散見された。 ただ,当時における眼科一小児科の学会レベルにおいては,光凝固法という先端治療法を施 せば,失明の危機を回避できることが知られ始めていたが,開業医のレベルにおいては未だ 周知していなかった。そのため,光凝固法を実施しないことに起因する未熟児網膜症が多発 し,医療機関の過失責任を問う訴訟が頻発したのであった。判決は区々に分かれていたが, 最終的には,光凝固法の有用性を確認した厚生労働省の通達を機縁として(1975年),かか 126.

(29) 医師が患者の頭蓋内に遺残した割箸片を看過した過失を肯定しつつ,当該過失と患者死亡との因果関係を否定した事例. る通達を境として,それ以前の事例を過失なし二 以後の事例を過失ありと認定することによ り,一連の訴訟に終止符を打った。 ・「医療水準」に言及した判例の噂矢は,東大輸血梅毒事件(最-小判昭和36年2月16日 集第15巻第2号244頁)であるが,その後,前記未熟児網膜症に関する一連の判例によって 精微化され,. 「医療水準」を正面から問題として,前述した光凝固法の実施は困難であった. 1として被告の過失を否定した判例として,未熟児網膜症高山日赤事件(最三小判昭和57年3 月30日判夕第812号177頁)と,未熟児網膜症昭和47年事件(最二小判平成4年6月8日民 集第49巻第6号1499頁)があり,反村に,光凝固法の不実施を根拠に被告の過失を肯定し た判例として,未熟児網膜症姫路日赤事件(最二小判平成7年6月9日判夕第1571号51頁) がある。. なお,ペルカミンS事件(最三小判平成9年2月25日民集第29巻第9号1417頁)は,医療 水準論の派生原則として,医師の研錯義務を認めた点で注目されている。つまり,医療水準 は医師の注意義務の限界を画する概念ではあるも,単なる臨床現場の医療慣行を表わしたも のではないので,医療慣行に従っただけでは免責されず,医師が医療慣行を超えようとする 研鐙義務を怠ったと認められる場合には,なお過失責任を肯定するべきであると判示した点 で,姫路日赤事件判決の趣旨を敷術した判決といえる。なお,医療水準に関する最新の文献. として,山口斉昭「医療水準-注意義務の基準」前掲伊藤・神田47頁。 4)期待権侵害論の淵源・沿革・比較法的考察については,高畑順子「『損害』概念の新たな一 視点-Perte. dtlne. Cbance論が提起する問題を通して-」法と政治第35巻第4号641頁. (1984),津野和博「機会の喪失理論について(1)」早稲田大学法研論集第77号99頁(1996), 同(2)同第78号95頁(1996),同(3)同第80号87頁(1997),同第81号163頁(1997), 高波澄子「米国における『チャンス喪失論』. (-)」北大法学論集第49巻第6号39頁(1999),. p同(二・完)第50巻第1阜138頁(1999)など. また,期待権侵害論に関する総論的な先行業績は多数存在するが,最新の文献としては, 小賀野晶-. 「医療事故訴訟における因果関係」伊藤文夫・押田茂責編. 医療事故紛争の予. 防・対応の実務-)スク管理から補償システム■まで-79頁(新日本法規2005),植草桂子. 「医療事故訴訟における損害論…延命利益・期待権・機会喪失等-」前掲伊藤・押田103頁 があり,現時点における判例・学説の動向を,図表を交えて分かりやすく整理している。 なお,最高裁判例のリーディングケース(請求認容)は,. 『切迫性急性心筋梗塞に、より死. 亡した患者について,医師が適切な初期治療を行っていれば,急性腸炎と誤診することなく, 患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があるとされた事例』 (最二小判平成12年9月22日民集第54巻第7号2574頁)である。本判例につき,平沼高明 「医師の過失と患者の死亡との間に因果関係が存在しない場合と医死の不法行為の成否」塩 崎勤編著「医療過誤裁判例の研究」. 17頁(民事法情報センター. 2005). 5)東地刑10判平成13年3月28日判時第1763号17頁(無罪・確定) 6)本件症例は,第Ⅲ次救急外来適応の,重篤な「穿通性頭部外傷」であるとともに,第Ⅰ 次救急外来適応の,軽症に属する「口腔内損傷(-. 「軟口蓋損傷」. ・. -口蓋垂,つまり,いわ. ゆる喉ちんこが垂れ下がっている部分の怪我)」であったのであるが,口腔内損傷患者を受 127. Ⅱ.

(30) 横浜国際経済法学第15巻第1号(2006年9月) 診した医師は,直ちに頭部外傷を疑うべきなのか否かにつき,. 「確度の高い客観的資料」と. して,次のような,アメリカ合衆国の医学者らによる諸文献・統計的データが存在する。 「軟口蓋損傷に関する16症例の報告」と題する論文の中において,内諜. ヘンゲラーらは,. 動脈に損傷がある場合,血栓が形成され拡大するまでは神経症状を示さず,. 24時間以上遅れ. て症状が発言したとの報告もあることから,咽頭部外傷の場合は少なくとも48時間は入院 させて観察し,神経症状のある場合は,血管造影を行う必要を説き,結論として,口腔内損 傷があれば頭部損傷を疑うべきと主張しているのに対し,ラドコウスキーらは,. 「小児にお. ける口腔咽頭の刺傷」と題する論文の中において,ハーバード大学附属ボストン小児病院に おける,過去10年間の経験症例77例中,脳血管障害や脳神経障害を引き起こした症例は皆 無であったことを説き,ヘルマンらも,. 「/ト児の口蓋損傷-131症例の検討」と題する論文の. 中において,オハイオ州シンシナティー市小児メディカルセンターにおける,過去17年間 の口腔内損傷患者について調査したところ,そのうち72%の損傷部位が側方に寄っていた にも係らず,脳血管障害や脳神経障害を引き起こした症例は皆無であったことを説き,口腔 内損傷があれば頭部損傷を疑うべきとするヘンゲラ-の見解に反対している。 杏林大学病院においても,患児の両親による提訴を受けて(2000年10月),提訴時以前の, ノ過去5年間にわたる口腔内損傷患者の当院受診例を緊急調査したが,脳血管障害や脳神経障 害を引き起こした症例は皆無であった。また,全国規模・世界規模における調査を試み, MEDuNEなどを利用して本件症例の類例を検索したが,割り箸のような非金属性の異物が 口腔より頭蓋内に侵入した症例はなく,当然のことながら,割り箸が口腔を経て軟口蓋を貫 通し,左頚静脈孔(直径数ミリ)を経て小脳に刺入した症例を発見することはできなかっ た。. なお,口艦内損傷患者につついて,入院を「必要」とするヘンゲラーの見解に閲し, AS,. Degroot. injuries:Acase. report. Hengerer. TR, and. River. RJ, etal:Internal of 16cases.. review. carotid artery thrombsis. IJaIYngSCOPe. Healy. (9) GB,. Penetrating. :991-4. DT.. Jones. Hospital,Boston,MA. trauma. Department. of the. Laryngscope1993. in children. Radkowski. orophalγnX. Of Otolaryngology,. Ⅲarvard. Medical. D,Mcgill. of 131. cases. Maxillofacial. 02 1 15.. 1993. Mar;26. Helmann. JR. Surgely,. Children-s. IntJPediatr. Shott. (2). :157163. SR, Gootee. Impalement. MJ.. HospitalMedical. injuriesof. Department Center,. the palate. of Pediatric Cincinnati,. OH. in childlen:review. Otolaryngology, 45229-2899.. 7)前田雅英「国民を守る義務と許された危険」研集第605号3頁(1999) 8)板倉宏「薬害エイズ第1審判決について」現代刑事法第27巻51頁参照 9)林幹人「刑法総論」. 298頁以下(2000)など。. 10)救命可能性の存否・程度は,医学的に見ると脳神経外科領域に属する判断事項である。この 点の立証につき,本件刑事裁判においては,最終的には,脳神経外科学会の重鎮である東大 系の医学者(弁護側・血栓説)と京大系の医学者(検察側・血腫説)の見解対立となり,結 128. TT,. School,Childlens. ラドコウスキーと同様に入院を「不要」とするヘルマンの見解に閲し, Otorhnolaryngol. soft palate. 94:157111575,1984.. これに対し,入院を「不要」とするラドコウスキーの見解に閲し, Sep;103. following. and.

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