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フランス生命倫理の展開

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(1)

  MEMO 臨RS

 

OF

 

SHONAN

INSTITUTE

 

OF

 

TECH 旧OLOGY   Vol

31

No

1

1997

ン ス

展 開

上  野  芳   久

LE

 

DEVELOPPEMENT

 

DU

 

BIOETHIQUE

 

EN

 

FRANCE

Yoshihisa

 

UENo

 

11semble

 que 

le

 problem  sur 

le

 

bio6thique

 est maintenant  ce que tout 

le

 monde  

doit

 penser

 

Mais

malheureusement  

le

 syst さme  national  

du

 

bio6thique

 n

est pas encore  

bien

 

d6velopp6

 au  

Japon

 

Au

contraire

 en  France  les trios lois dites 《10is bioξthiques》ont  6t¢ adopt6es 且e 29 

juillet

 1994 apr 色s une

longue

 p6riode 

de

 gestation dupuis  le premier  avant

prolets datant de 1988

 

Je

 pense qil y a beaucoup

de

 choses  en  nous  

Japonais

 peuvent  apprendre  

dans

 

la

 pens6e

 

le

 philosophie

 

le

 modalit6

 et 

le

 syst6me bio6thiques  franCais

 Voici rhisoire du bio6thique frangais

        <目    次 >

L

は じ め に 2

本      文  

1.

第二次 大 戦前 (

〜1944

 

II.

第二次 大戦 後(

1945〜

)     戦 後 第 1期(1945

1980)    戦 後 第

2

期(

1981〜1995

)    戦 後 第 3 期 (1995

3.

お わ りに

1。

は じ め に  フ ラ ン ス の新 刑 法典

1994

3

1

日 か ら施行された が, そ の後,

1994

7

29

日法は, その新 刑法 典の第

5

部に 「生 命 倫理に関す る犯罪」規定 を 追 加 し た

.一

体どの よ う な経緯 か ら

この よ うな条文が 制定 さ れ るに至 っ たの で あろうか

こ の素 朴な疑 問こそが

本 稿 執 筆の動 機で あ る

 

生 命倫理に関 する世 界の動 き を 振り返っ て みる と

そ れ が問 題と さ れ始め たの は意外に最 近の こ とで あ る

ロ ッ パ

次 大の 残 虐 行 為が生命倫理 とい う問題の討の は じ ま り だっ た とさ れ る1)

ア メ リカ で は

世 界 初の バ イ オエ シ ッ クス研 究機関で あるヘ スティ ン グス ・セ ン タ

が設立 さ れ たの は

1969

年であっ た が

より強烈に生 命倫理の 題が国民にきっ け ら れた の は タス キギ

事件の報 道 (1972 年 )を契 機と して で あっ た と さ れ る2 )

これに 対し て 日本で は,石井部 隊 問題 な ど古 くから欧 米 と同 じよ うな問 題は存 在 したもの の

生 命 倫 理の 問 題が本 格 的に語 ら れ る よ うになっ たの は さ らに最 近の こ とで ある3,

この よ う に問 題 と され 始め たきっ かけこそ各 国で異なっ て い た が

生 命に関 する技 術が発 達 し

情報 伝達 網の発 達 し た現 代で は, も は や問題はアメ リカ, ヨ

ロ ッパ, 日本な どに限 定さ * 教 養課 程  助 教授  平 成

8

年  

10

31

日受付 1 た と え ば タレ

ア ン ブロ セ リ (中川米 造訳) 『医の倫理 」文 庫クセ ジ

5頁 (白水 社

1993 年 1月) 2) 木 村 利人 「タス キ ギ

事件 」『イ ミ ダス

961293

人体 実 験3

31 『イ ミ ダス

9521099 頁

木村 「人体実 験」 『同

96』1293頁参照

一 117一

(2)

湘 南工科 大 学 紀 要 第

31

巻 第 1 号 れ ず

人 類 共 通の問 題と な っ て い るように思 わ れる

こん な状 況の中で

と り わ けフ ラン ス は

第二 次 大 戦 後 間 もない 時期か ら臓 器 移植に関 す るデ クレ を 出 した り

生 命 倫 理に関 す る高い問 題 意 識 と世 界に先 駆 け た 動 き を 示 して き た国 で ある

フ ラン ス の生命 倫理 をめる動き とそこで行わ れ た議論は, い ろい ろな面でま だ ま だ立ち遅れてい るわ が国の 生 命 倫 理に対 して大い に参 考になると思わ れ る

 フ ラン ス生 命倫理 法の最 大の特 徴の

刑法 典規 定 が置かて い るこ とで あ る

本 稿の最 大心 もそこ にあ るの であ っ て より具体 的に言えぱ フ ラン ス は何故, 刑法 (刑罰 )で生 命 倫理をコ ン トロ

ル し ようとしたの か, そ れ が ど れ ほ ど の効果を持っ と い え るのか とい う点が関心事で あ る

しか し

本稿で は よ り広 く

すなわ ち刑法に限 定 せ ず 民 法

行 政 法な ど他の法 分 野 まで

法 分 野に限 定せず 医 学

生 物 学

哲 学

倫 理 学な ど他の学 問 分 野 まで含めた 生 命 倫 理 全 般の動 きに着 目 し

その経 過 を た どっ てみ るこ とに したい

そ うする ことに よっ て初めて上 記の疑問も解け るであろう し

また

そ う しなけ れ ば 解 け ないであろう と思 わ れるから である

本稿に

フ ラン ス 刑法以外の フ ラ ン ス 法に興味を持つ 方々 にも利用 し ていた だ け れ ば と願いつ つ あ え て広く 「フ ラン ス 生 命倫理 の展 開 」とい う タ イ トル を 付 し たの は, そ の よ うな理由に よ る

 な お

形 式

約 束事 等にっ い て は

かつ て本 紀要に掲載した拙 稿 5編4,と 同 じ

詳 し く ち らを 参 照 して い た だ き たい

念の た め 二, 三指 摘して お く と, 年 ・ 月まで し か判 明 し な か っ た事 項にっ い て は

そ の年

月の頭に置い てあ る (前 後 は不 問 )

ま た

8

文 字 分 を 空 けて書 き 出 した事 項 文は

フ ラ ン ス以 外の 国 (含日本 )での出 来 事 を 意 味 する

 訳 語にっ いて は

な るべ く既の訳に し たが っ た

例えば

Code  de la sant6  publique  

l

こは保健医療法典のもあ るが, 公衆衛生 法に した

各 文 献でバ ラバ ラな訳 語をその ま ま書く と混 乱 する の で

を 心掛け た が (し た がっ て

原文の

部 置き換え た と ころ も あ る が ), 必ず し も 完全で は ない

 ま た, 明 ら か な誤記等は修正 し た もの の, な るべ く原文を そ の ま ま引用 する ようにした

し か し, ス ペ

ス の都 合で 要約せ ざ る を得な い箇 所や

見 や す くす る た めに多少 文 章を加工 せ ざ る を得ない所も あ っ た こと を お こ と わりして お く

したがっ て

い う までもない こ とだが

原 論 文 を 引 用 する ときに は

原 文 献に 直 接 当たっ て下さ るよ う お願い し たい

 参 照 した文献につ い ても, 最 後に列 挙し, 引用 略語 部 分をゴ チ ッ クで示す とい う従来の 形 式は同じである

ただ し

本 稿は内容的に前稿と は独立 し てい るので利 用 者の便宜 を考え,新しい文 献だ け でな く,前 稿ま での文 献も再 掲 載して おい た

4) 相 模工大 紀 要21 巻

24 巻 (1987 年 3月

1990 年3月 )

本 誌28 巻 1号 (1994 年 3月 )

118

(3)

フ ラン ス 生 命 倫理 の展 開 (上 野 芳 久 )

2 .

本 文 L  第二 次 大 戦前 (

1945

年以 前)

1662

1791,

 

9.25

1804 年

1810.

 

2,15

王令(→

179L9 .25,1810.2.15,1992.7.22

) (末 道

毒 殺

156

頁 ) 〔本 王 令の 内容〕  

毒物 を もっ て人の生命に危害 を 加え た者は死 刑

すな わ ち

毒 物を供与し た者ばか りで なく,毒    殺に供 せ られる ことを 知りなが ら毒物を準 備し配付し た者も(共 犯と して で は な く)正 犯

結 果    の発 生 如 何にか か わ ら ず 既 遂に達す る

 

毒殺が準備さ れて い るこ と を知っ て い る者, あ るい は

毒物が求め ら れ調 達さ れ たこと を知 っ て    い る者は

告発 する義務を負う

違 反す れば共 犯と して処 罰さ れ る

(毒 物に よ る犯罪が

忌 む    べ き

危 険な犯 罪で あ るこ と は も ちろん

更に

そ れ を発 見 し証 明 する こ と が当 時の科 学で は非     常に困 難で あっ た とい うことも

こ のよ うな立 法に影 響して い たこ と が考えられ る

末 道 )  

さらに

有 毒で はある が死 亡 するに は至 らない よ うな物質を 用いた場 合 (1810 年 刑 法 典 318 条    に該 当 ) も 予 定され て い た

〔毒殺 罪の歴 史 〕  ・ ロ

マ 法 時以後:謀 殺, 毒 殺を特に 区 別 して重 罰を もっ て処す る伝 統  

フ ラ ン ス古 法 時 代:同 様

毒 殺

謀 殺の罪は重 大な犯 罪 (crime  atroce )とされ

結 果が発 生       し なくとも既 遂と同 様に処 罰 されて いた

(本 王 令 )  

1791 年刑法典  :殺と殺は重 罪

未 遂 処 罰 規 定 も置か れて い た

 

・1810

年刑法 典   :殺は重 罪で死 刑 (た だ し

81

年死 刑 廃 止→ 無期懲役

謀殺異 な

死       の結果の 発 生 と無 関 係に既 遂が成 立 (

301

条 )

 

近 年の正作 業  : の ように フ ラ ン スで は〕毒 殺罪 規定は非常に歴 史と伝 統をもっ て       い た が改 正 作 業 過 程で は削 除さ れ る予 定だっ た (

→1992.7.22

 

1992 年 刑 法 典   ;エ イ ズ との 関 係で毒 殺 罪 規 定が復 活し た (→ 1992

7

22

フ ラン ス初の刑 法 典 〔1791 年 刑 法 典 〕 (

1662 年

,→

1810

2

15,1992.

7

22) 〔毒殺罪〕 (末 道

毒殺 156 頁 )  ・毒 殺重 罪せ ら れ

こ の 2罪に限り未 遂 処 罰 規 定が置かれて い た

 

毒殺罪 を毒物に よ る殺人と規 定する

方, 毒物を使用

供 与する行 為をも毒殺 罪と同視して い    た

 

し か し

毒 殺が実 行さ れ る前

も し く は食 物 ・ 混 入さ れ た物が発 見さ れ る

  

実行 を中止 した 場 合に は

被 告 人は罰 さ れ ない

(本 誌

21

1

57

内 田

中村

197〜8

頁) 初め て夫 婦 間の人工授 精 〔IAC )が行わ れた (

1897 年 ) (高 橋

動 向 188 頁

野 村 597 頁 )

IAC

Insemination  artificielle  avec  le sperme  du conjoint cf

 IAD

1883

8

271

こ の技術

性 的 結合不 可 能

困難夫 婦妊に適用された

し か し

新鮮な精子を使用す る 必要が あ るこ と か ら

そ れ ほ ど広くこの技 術が 用い ら れて い たわ け  で は ない

20 世 紀 半 ばに長 期 間にわ た る精子の凍 保 存が可能になっ て

人工授 精が か な り広く  行 われるようになっ た ようである

(野 村)

れ は法 典 制 定の年で ある が〕 民 法 典に は人工 授 精につ い て規 定は な かっ た

第二次大 戦後の   改 正 委 員 会で は

人 工 授 精 子につ い て も議 論 され

親 子 法 中に置 く改 正 草 案 も作 成 され た が

立 法   化されなかっ た

72年の親 子 法 改 正で も触 れ られなかっ た

しか し

法 的 な 考 察 は1950 年 代 か ら  あっ た

(野 村 600 頁)

ナ ポ レ オン刑法典の定 (

2.22

公布

1811.1.

1施行) (

→1992.

7

 

22

) (本誌

21

1

58

頁)

119

(4)

湘 南 工 科 大 学 紀 要 第

31

巻 第 1 号 【

1

】 死体に対する犯罪にっ い て の対応 (→

1992.

7

 22 ) (新 倉

比 較

82

頁)

臓 器 摘 出 と 関係犯 罪 ) 死 体そ の す る 接的 侵害行為を処 罰す る

 

規 定は ない

た だ

犯 罪死体の

359

条 )と並んで 墳 墓・墓 所に対する侵害 (

360

条 )が

 

「人身に対する重罪お よ び軽 罪 」の章の第 6節 第 3款 「埋 葬 (inhumations )に関す る罪」にあ る

〔墳 墓

墓所にする侵 害〕 (新 倉

比 較法

82

頁 )

 

条 文:「墳墓 (tombeaux )ま た は 墓所 (s6pultures に対 する侵 害を行っ た者は 3 月以 上

1

年以

  

下の拘 禁お よ び

16

フ ラ ン以上

200

フ ラ ン以下の罰 金に処 する

た だし

こ の犯 罪と競 合す る 重

  

罪ま たは軽罪に対する刑の適用を妨 げない

」(→ 1985 年 「

500

フ ラ

15,

000

フ ラ     ン以 下に改 正 )

 

立 法 理 由死 後 も な お人 死体 )保 護 も法律の使 命であっ て

墳墓の侵害

  

骸(

les

 cendres  

de

 mort }へ の攻 撃

死 者に対 する冒 漬 (profanation)を 処罰する

要が ある

 ・ 判例通 説:

  

「侵 害 」= 死 者 誹 毀 罪 「言 語に よ冒 涙 」 を 除

冒 漬 行 為 (ex

   

医師

 

が死 因糾 明の た め

労 働 災 害で入 院 後 死 亡 した身寄りの ない 人の体を開腹を し た場      合

その解剖は死 体の 冒漬にあた らず 本 罪 不 成 立 )

  

「s6pultures 」= 墓 所 あ 埋 葬 を 意 味 する が , 埋葬前で あっ て も葬儀の準 備 (appret  

fun6r・

   

aire)はこれ に含ま れ る (ex

死 体に屍 衣がか け られて い る場合は

埋葬 前であっ て も

葬 儀 準

   

備の開始が あり本罪成 立)

しか し死亡 直 後か ら葬 儀 準 備に至る まで は 不可 罰 (ex

妊娠 し た

   

女性の死 亡 が胎 児に洗 礼を施 す 目 的で帝 王 切開した場合は, ま だ葬 儀準 備に着 手し      ておらず 不成立)

〔死 体 犯 罪の態に よ る各国の立法的差異と特 徴〕 (新 倉

比較79 頁 以 下 ) (1) 日 本 (190 条):死体その の に対する直 接 的 侵 害 行 為 を 犯 罪 とする国

  

宗 教 的 な もの に結びっ け て死体 犯 罪の広汎な処罰規定があ る (その系 譜につ い て は

83

頁以       下 )

  

死体か らの摘 出が死 体損 壊罪 (

190

条 )として現に処 罰さ れ た例は な い

   ・

臨床例のい角膜や腎臓の摘 出 移 植 行 為は

角 膜 腎 臓 移 植 法 が 制定されて い るの で

刑 法上

     法 令  行為と して不可罰 (刑法

35

条 )

(2) 西ドィッ

168

条)死 体に関 する権 利 者の保 管に対 する侵害行為を犯罪と す る国

   ・

死者の安 息の妨 害と して規 定さ れ

宗 教 的な もの に結びっ け られて い る

   ・「死体・死体の

遺 灰遺骨の不正奪 取 罪 (168 条 )」が死 体 臓 器 摘 出と関 連が あ る と さ れて

   

い る

すな わ ち, 臓器摘 出に伴い

死 体に対 する権 限 者 (例

通 常は親 族

親族が ない と き は      老 人ホ

院 な ど保 管を不正に侵 害する場合には じ めて本 罪が成 立 する

   

した がっ て

病 院が死体に対する権限者かつ 死体の所持者で ある場 合

その病 院の医 師が臓 器      摘 出 をし ても168 条は不成立 (通説 )

他方, 本人の承 諾がある場 合は 「不 正な侵 害 」で な      く

本 人の意 思 表 示 が ないとき親 族の承諾がある場合は 「侵 害 」にあ たらないとさ れて い る

3

) フ ラ ン ス (360 条 ):死 体その ものに対 する侵害行 為を犯罪と す る規 定のない国    

死 体 犯 罪 規 定は モ デ ス ト で ある ことが フ ラ ン ス刑

の特 色とい っ て よ い

   

宗 教に関 する犯 罪 と別け て規定さ れ た ことも特色の ひとっ

2

】 堕 胎に対 する犯 罪につ い て の対 応 (→ 1920

 7

29

1974

1L28

) ・

317

条   項 自 己堕 胎 罪い た

堕 胎は す で 1791 年

編 重 罪  お よ び その処 罰にっ い て

第二章 個 人に対 する重 罪

第 17条 )

(上 野 ) 〔歴史 〕  ・生 殖っ か ないを禁じ る とい う考え方は

ロ ッ パ で は カ ト リッ ク の倫 理をべ

120

(5)

フ ラ ン ス生命 倫理の展開 (上野芳 久 ) 1859 年

1866

1883.

 

8.27

1884

年 同年

4.25

1897 年 1909 年    ス と して い た が

初 期の神 学 者 た ちの 態 度 は ま ち ま ちで

教 会 が 公 文書で避妊 や 中 絶 を禁止 す る    よ う にな るの は 12

3 世紀か ら

ル イ 15 世時代ま で, 母 親

共 犯は死 刑

 

18世 紀 終わ り頃 から出 生 率 が 低 下

原 因と して は

  フ ラン ス革 命に よ る教 会離れ

  フ ェ ミ    = ズム の 高 揚,   避 妊 の早 く か らの普 及な ど が あ げ ら れて い る

し か し

当 時は ま だ出 産 奨励策    は と ら れてお らず

妊 娠 中 絶も さほ どきび しく取 り締ま られ て い な い

 

〔自己〕堕胎 罪は本 刑法 典に さかの ぼ るが, 実 際の裁判では陪審 員 た ち がっねに寛 容な態 度 を と    り

多 く は 無罪と な っ て い る (以 上

290

,QUID

96

1484

頁)

3

】 毒 殺 罪 規 定 (←

1662

年 ,

1791,9,25,

→ 1992

7.22

) (末道

毒 殺 157 頁)  

「遅 速の いずれ を論ぜ ず

人 を殺害す る こ とので き る物 質の効果に よ り, 人の生命に加え た

切    の危 害は

物 質の使 用ま た は方 法,お よ び

その 効果 の如何にか か わ ら ず毒 殺と す る

」(

301

条)  

すな わ ち本 罪は毒 物の供 与

使用だけで 成 立 する

既 遂の 成 立発生は無 関係とい    うこ と に な る

こ こに

謀 殺 罪 (死の結 果の発 生が構 成 要 件に規定さ れて い る犯罪 )と の大き な     違いが あ る

      ダ

ウ ィ ンの 『種の 起 源 』 (中村

生 命

26

頁)        

ウ ィ ン は

生 命の進 化だけで なく

既に生 命の起 源を念 頭に置い て いた 〔生       命 科学の源 〕 (

1930 年 代

1936 年 )

      メ ン デル

Gregor

 

Johann

 

Mendel ,

,1822〜84

「植 物 雑 種の研 究 」を学 会 誌       に発 表 (鈴 木 善 次

平 凡 社 大 百 科 事 典 14巻 852 頁 85年 6 月 )        

反 響はな く

1900 年に至る まで そ の価 値は認め ら れ な か っ た (鈴 木 )

       

形 質遺伝を解 明し

遺 伝 子の存 在 を 予 感 し

メ ン

ウ ィ ンの進 化 論       (・

1859 年 )か らワ トソ ンとク リッ ク の DNA 分 子 論 (

+1953

 4

25へ の推 移       を画 し た (マ テ イ)

夫以外の第三者の精子に よ る人工授 精 (

IAD

)は民法

231

条に定める離 婚 原因の 「重 大 な 侮 辱 」にあ た る (ボル ド

民事裁判 所 ) (← 1804 年

1884

,1897

,1956.

5.28

) (野村

600

頁 )

。IAD =lns6mination

 artificielle avec  

le

 sperme  

du

 

donneur

〔1880 年 代 社 会の人工授 精へ の姿 勢 〕 (大 村

法 協

642

頁 ) (

→1945

年)  

裁 判 所 (1880 年ボ ル ド

大 審裁判所):「人工授精は自然法に嫌 悪の念 を抱か せ る

そ れば, ま    さ しく社 会 的な危 険 と な り うる もの で あり

婚 姻の尊 厳を ま も る ため に は, こ の ような技術が科    学の領 域 か ら実 用の領 域に移 され ない とい うことが重 要である

」と非 難  

医 学 界 (パ 医 学 部 ):人工生 殖に関 する学 位 論 文の受理 を拒絶し

そ の却 処 分を命 じ た

  ・宗教 界 (

1897

年ロ

皇庁): この技術の利 用 は 違 法であ ると宣 言

(→

1974.L17

      ア メ リカで 初めて IAD が行 わ れた

た だ し

公 表 さ れたの は

1909

←1804

      年

→ 1897 年 ) (高 橋

動 向 188 頁

大 村

法 協 642 頁 ) 人工授精を非 難し, 民法

6

条を根拠に その施術 者の報 酬 請 求 を 否 定 した 判 決 ( ←

1804

1884

年, →

1897

年) (野村

602

頁注

15

カ ト リッ ク教 会

人工授 精 (

IAC

)を公 式に禁止 (←

1804

年, →

1909

年 ) (高 橋

動 向 188 頁 )

禁 止の理 由

人 工 授 精 は性 的な交 わ りな しに生 殖 をなす こと

そ れ がマ ス タ

シ ョ ンを前 提   と し

自 然の法 を 破る か ら

(cf

1974

1

17)

こ の結 果

人工授 精の発 展に ブ レ

キ が か かっ た が

数 人の医 師は秘 密 裡に これ を継 続し た

人工授 精 (IAD )が行わ れた ことが公 表さ れた (

1884 年 ) (高 橋

動 向188 頁 )

IAC と同様に) 自然の法 を 破る もの

姦 通によ る生 殖 をなす 破 廉 恥な行 為

と   非 難され

施 術は 1927 年ま で に 100 件に達せず (

1897 年

,→

1949 年 )

121

(6)

湘 南工 科 大 学 紀 要   第 31 巻   第 1 号 1920

 

7.23

7.29

1923。

 

3.27

1930 年代

1936

年 妊娠 中絶の扇動と避妊の宣 伝を禁 止 する法 案の提案→ 即日可 決← 1810

2.

15 【

2

】 , →

7.

 

29

1974.

1L

 28小 沼

239

, 辻

・290

頁 ) 〔背景 〕 (辻

290〜291

頁)

・1918

年に第

次 世 界 大 戦が終 結す る と ともに

こ の 戦争で 130 万 人を超え る人命を失っ た フ ラ

 

ンスに とっ て, 人口政策は急を要 す る もの となっ た

.→

本 法 案 が とうとつ に提 出さ れ

ほ と ん ど議   論さ れない ま ま

その 日の うちに圧 倒 的多数で可 決された

〔下院で の論 〕 (小 沼

239 〜240

頁 )

   

対派の主 張:(

2

人の左 派議員 )      大 多 数の議 員は

すで に逃 げ 腰を み せてお り, 審議を早々 にすま せて し ま お うと して い る

     堕胎を禁止 しその行為に出た者に制 裁を加えて みて も効 果は ない

そ れ よ り も女 性や夫 婦      の生 活 条 件 を 改善 向上さ せ る ことのが先決で あ る

   

成 派の主 張:堕胎は民 族の維 持 反映を お び や かす (信念に も似た危 機 感が あっ た ようす)

  。

当時の 議で は, 議 員の過 半 数が旧 軍 人からな っ てい た (

240

頁)

堕胎に関する法

成 立〔←

7。23、

1923.3.29 ,1974.11.

28

}(小 沼・堕胎

239

頁 )

下 院を通 過し た法 案は

審 議 ら しい審 議 もな く元 老 院 を 通 過 し, 採択さ れて法律と して成 立 し た

本 法 , 通 称 「

1920

年 法 律 」 と呼 ば れる

〔影響 〕  

これ 以 後

避 妊 具はい っ せい に薬 局か ら姿を消し 法に背い た多 くの人た ち が投 獄 さ れた (辻     290 頁)

  ・その後

50

余年に わ たっ て, 幾た び かの修正 を受 けて きた が

それらの修 正は堕 胎 禁 止 立 法の内

  

容や範囲を抜 本 的に改め るもの では な か っ た(→ 1975

1

17)(小沼

239

頁)

 

こ う し て 〔本 法に より〕 堕 胎に対 して 法 的 制 裁 が 加 え られるこ とになっ た 堕胎= 国家す る重 罪

軽 罪 裁 判 所管 轄

とす (→

194L9 .14

〕(

QUID

 

96

1484

頁 )       カ リフ ォル ニ 大 学

分 校 ラ イフサ イェ ンス

ビル を建設 (中村

生命       26頁 )

        。

構 内に散在 してい た動物 学, 植物 学, 微生物 学

生理学な どの教室が 〔

っの ビ       ル に〕 入居し て研 究を開 始

(これ ら が相互に学 問 的 共 通 性を見いだすだけの基       盤 がで き あ がるの は

1950

年 代に なっ て分子 生 物 学が確立 して か らだ が)ライ       フサ イエ ン ス とい う名の も とに

生 物を研 究の対 象とする学 問の総 合 化 を 目 指        した (→

1936

年 )

       

オパ

『生 命起 源 』 (中 村

生 命 26 頁 )← 1859

→ 1983

2

23        。 生 命起 源え た科 学 者

ンが最初で はないが)〔こ のは〕生命と       い う概 念へ の科 学 的ア プロ

チ の開 始 と もい え る

       

こ の本の基 礎

1922 年ロ シ ァ植 物 学 会で の 生 命 す る

       

〔生命 科 学とい う言 葉 〕 (23 頁

)        

生 物 を研 究 する学問の

徐々 に定着して きた もの

       

現 在 使 わ れて いる生 命 科 学 とい う言 葉 とその内容の直接的 発端は,

1930

年代に       生 まれてき た

生 命の科 学

と考えて よい

その中に は

2

つ の流れ が

29

      頁 )

       1) 生 物 学の総 合化とい う完 全に自 然科学的な流れ (←

1930

年 代 ) 〔ア メ リ

 

 

 

 

 

 

 

0

       2) 〔オパ

以 後〕生 命の本 質へ の科 学 的ア プロ

チ とい う や や 思想的な       ものも含ん だ流れ 〔旧ソ連〕

一 122一

(7)

フ ラ ン ス生命 倫理の展開 (上野芳久 )

1940.

 

7,11

!941

 9

14 12

31

1942.

 

2.15

1943

 

4.17

7

30 1944

 9

 9 ヴィ シ

政府(

R6gime

 

de

 

Vichy

) (国 家 首 席ペ タン元 帥 )

フ ラン ス が ナ チス

ド イッ軍に 占領さ れて いた頃

堕 胎に対 する制 裁が最 盛 を き わめた

ペ タン政 府時裁 判所

堕胎を受けた婦人に死 刑を宣 告し たこともある (→ 1943

7

 

30

                            (

1920

7

29

→ 1975

1

17上 , 小沼 ・堕胎

240

頁) 堕 胎 罪 を 「国 家 秩 序

国 家

フラン ス人 民 を害 する犯 罪 」 と する法 律 (←

1923.3.

27,

1942.2.15

QUID

96 版 1484 頁 ) 死体の埋葬, 発掘等に関する法文を法典 化する デ クレ (島田 ・臓 器 移植

29

頁)

体 解剖原 則と し

町村 長の死亡宣告か ら

24

時間 経 過後で

死が生じ た市 町 村の長の前  の許 可がなけ れば行うこ とがで きない (

26

条)

た だ し , この原 則は, 病 院にお け る手術に は適用さ れ ない (

27

条)

(→ 1943

4.17,1947.

9.

26

) 堕胎 罪を 「国 家の安全に対す る重罪 」と同視し, 例 外裁判 所の管轄, 死 刑 も可とする法 律 (

←194L9 .

14,

1943.

7

30

QUID

96

1484

頁 ) 病 院に関 する デ ク レ (← 1941

12

 

31,

→ 1947

9.

26島 田臓 器 移 植

29

頁 )

病 院お け る解 剖は い か な るの下に可能で あっ たのか, とくに遺族の異 議 ある場合に解 剖が   認められるか を め ぐり

これ以 後

規 制 内 容を異とする デ ク レが相 次い で制 定さ れた

遺 族の異 議 ある場 合 を 除いて

解 剖 は科 学 的 目的において行 わ れ る (42 条 )

マ リ

ルイ ズ

ジロ

い う女 性が堕 胎 罪で死 刑 を執 行 さ れ た (

1940

7

11

,→

1970

6

27) (

QUID ’

96 版 1484 頁 ) 臨 時 政府(

Gouvernement

 provisQire) (

将 軍

一 123一

(8)

湘南工科 大学紀 要 第

31

巻 第 1 号

11.

第二 次 大 戦 後 (

1945

) 戦 後 第

1

期 (

1945〜

81年 ) 〔保守党政 権時 代〕 1945 年 1945

 8

 8 1946

10

13      10

25 1947

 

8.

19 戦 後社 会の は じ まり 〔戦 後社 会の工授 精へ の姿勢 〕 (大 村

法 協 642 頁 ) (←

1883.

27,

1960

年 代 )

 

・ 第二次 大 戦 後 しば ら く

な お

否 定 的 な 見 っ た

1949

年に は

フ ラ ン ス学 士 院

  

は否定 的な見 解 を 発 表 して いた し

マ教 皇 ピエ

12

世も同様の見解を示 して いた

1975 年

  

に なっ て も

仏 語産婦 人 科 学 会は制限 的な見解を とっ て い た

 ・ 家 族 や 性関 す風 潮 が 変 化 する の は

1960

年 代 後 半 以降  フ ラ ン ス で人 工 授 精 が 公 然 と行 わ    れるように なるの は 70 年 代に入 っ て か ら

.1973

年が画 期 的な年と なる (

CECOS 設 立→    1973 )

〔戦 後の臓 器 移植の流れ〕 (島田

臓器 移植

29

,30

頁 )

 

臓 器 移 植 が 臨床的に利用さ れ る よ うに な っ たの は第二 次 大 戦 後であり

たとえば 角膜移植につ    いて は

1940

年代

腎 臓 移 植にっ い て は

1960

年 前 後か ら

心 臓 移 植が現 実の もの とな っ たの は    

1960

年 代に入っ て か らで あ る

       

国 際軍 事裁判 所 (TMI )の設 置 (→ 1946

10

25

1947

8.

 

19

>( ンブロ セ リ

97

頁       以下 )        

使 命:ヨ

枢 軸 国重 大 な 戦人 をた だ

そ し て適 切 り方       で裁き

罰 する こと

       

管 轄:(次の犯罪の う ち)「個人 的な責 任を問え るもの」に限 定        

犯 罪:  平和 を 乱 す犯 罪,   戦 争犯 罪

  非人 道的犯 罪

        

しかし, 本裁判所は 〔軍 事裁 判 所なの で〕平時に行われた国際犯罪 〔非 人 道 的犯

        

罪 〕を裁くに は不 適 当

.1939〜45

年にか けて の犯罪を 裁 くことは で きても,

         1933〜39

年の間に行わ れた犯 罪には手 が 出 せ ない

い っ そう悪い ことに は

        

者の犯 罪を裁 くこ との で きる裁 判 所は ひ とつ も ない の で あ る

(→ 1946

10

25

第四共和政 (

IVe

 

R6publique

ア メ リ カ軍 事 裁 判 所の設 置 (

1945

8

8

→ 1947

8.

19 ンブロ セ リ

102

頁以 下 )

ニ ュ ル ン ベ ル ク裁 判 を 継続する裁 判

国 際軍 事裁 判所き え な かっ た犯 罪 者の審 議が行 われ た

「国 際 軍事裁判 所で裁か れ た 以外の戦 争犯 罪 人や同 様の違 反 者 を

裁 判 所によ っ て  追 及 する ために

,一

様な法 的基盤を ドイツ に作 り あ げる こ と」 (管 理 委 員 会 規 則  

10

条 )

番 問 題にされ たの は 「被 験者 」の題 (

102

頁 )  ア メ リカ軍 事裁判 所の判決

ニ ュ ル ン ベ ル ク綱 領

(ア ンブロセ リ

103,105,116

頁 ) 〔経 緯 〕 (← 1945

8

8

1946.10.25

 

ニ ュ ル ン ベ ル ク裁判は

さ まざま な訴訟例に取 り組む前に

将 来にわ たっ て も尊   重 さ れ るべ き 医の理の基本原 則を規 定してお くの が よい と判 断し た

〔意 義

位 置づ け〕  

・一

国の軍 事 裁判が, 非人 道 的犯 罪を犯 し た者を裁 くにあたっ て

審 理の さい の証

一 124一

(9)

フ ラ ン ス生 命 倫 理の展 開 (上 野 芳 久 )     言と尋 問か ら

ま た

始まっ た ば か りの医 学 実 験の歴 史か ら

医の倫理の 十原 則   を定め た

.→

医 学の歴 史 上

法 律の歴 史 上

ま た 西 洋 文 化の歴 史 上

前例をみ な   い

117

頁)   ・初 め被 験 者自 由意 思に よ る同 意とい う原理 が表 明された (cf

1931 年 ド イ   ツの基本 方針:科学な要 請と医 師の た な義 務か ら出 発しており

医 師は

個   人の 生命と健康に責 任を持っ が

被 験者の 自 由意思に は重 き を 置いてい ない)     (

121

頁 )

 

こ の新 原 則に よ

医 者 と患 者の関 係は根 本 的に変 化 し

それ が

次第に現代   社会に定 着

今な お そ れ が続い て いる

(122 頁 ) 〔医 学 実 験が許 容さ れるた めの 10 力条

ニ ュ ル ン ベ ル ク綱 領

〕 (117 頁

) (1)被 験 者の 自 由 意 思によ る 同 意 を 得るこ と

2

) 実 験 結 果は社 会の利 益に役 立つ ものであるべ

同 様の結 果が

他の方 法に よ っ て も得ら れる もの であっ て はならない

3

) 実 験の根 本は

動 物 実 験の結 果に基づ き かっ病 気の来 歴 と研 究 課 題 をふ まえ  て い るべ きで あり

得 ら れ た結 果に よっ て実 験の正 当 性が証 明され る もの で な け   れ ば な ら ない

(4) 実 験におい て必 然 性のない苦 痛 や 肉 体 的

精 神 的 損 傷はすべけ る   ある

(5) 被 験 者の死や廃 疾を引 き起こす 可 能 性が ある と信 じ る に足るア

プ リオ リ な  理 由 が ある場 合に は

実 験 を す るべ で は

例 外は研 究 する医 師自身が実験台  の場 合

6

〕 実験は

そ れ が解決 する と思わ れ る問題の, 人類福 祉 的観点からみた重要 性を 越え た危 険 性を

も た ら す もの であっ て は な ら な ない

7

) ど ん な些細なこ とで あっ て も

傷 害や廃疾, 死を もた らす可能性の あ るすべ て  の発事か ら被験者を守る よ うにす るべ あ る

8

) 実 験 は資 格を有 する人 間に よっ て行わ れ な くて は な ら ない

実 験の指 揮者あ  るい は そこ に参加して い る者すべ て に

最大 限の適 性と実 験 中の細心の注 意が要  求さ れ る

9

) 被験 者は

実 験 中に お いて も, もうこれ以 上耐え ら れ な い と い う, 精 神 的

肉 体 的限 界に達 した と自分で判 断し た合に は

験を中断 する自 由をもつ べ きで   あ る

(10) 実 験 を する科 学 者が

継 続 すれば被 験 者に傷 害 や 廃 疾

死 を もたらす 可 能 性 が   ある と判 断し た ときはいかな る場 合でも実 験 を 中 断で きるよ う に備えて お くべ  で ある

〔問 題 点 〕 (122 頁以 下 )   〔上 記の〕 医の倫理の諸 原 則は

諸 国で必 ずしもま だ実 現さ れて い な い

〔今 後   は〕 医の理 の諸原 則を, 法律や政 治, 社会の な か に組み込まなくて はならな   い

(→

1949

年世 界 医師会

,1964

年ヘ ル シ ンキ宣言

,1966.12.16

)   ニ

ル ンペ ル ク 綱 領 は 広 く翻 訳 さ れ た が

特に フ ラ ン ス 語で は短 く省 略さ れ

被   験 者のわ り に 「病人 」とい う言葉が用い ら れ た

合 法性に関す る指 摘は なく,   第 7

10 条の死の危 険とい う語は抹 消さ れ た (

123

頁)

  ニ

ル ンベ 綱 領

医 師 特 別 治 療 」 (収 容 所 お け る すべ て の虐 殺を    示 す 暗 号 ) 〔とい う犯 罪 〕に関 与 して い たことに触 れて い ない

一 125一

(10)

湘南工科大 学 紀 要  第 31 巻  第 1 号

1947.

 

9.26

10.20

1949 年

1949

7.

 

7

        ニ ュ ル ンベル ク綱 領 は

全 体 主 義 イデオロギ

との か か わ りあい を

充分に考慮       に いれて い るか ど うかわ か らない

       〔刑の執 行〕(104 頁 )        

被 告 人 23人の う ち

20人は医 師

       ・

16

戦争犯 罪

非人 道 的 犯罪

的組 織へ の加 担の に問わ れ,

7

人が死       刑, 9 人が懲 役刑

上訴は

切認め られず, 処刑は主と して

48

年ラ ンズベ ル ク       でわ れ た

1941

年デ クレ

27

条を改正 する デ クレ (←

1941.12.31,1943,4,17

(島・臓 器移 植

29

頁) ・遺 族異 議あ る場合におい て も

病 院の意 思が 「公の利 益が そ れ を命 ずる」 と評 価し た場 合には

 すべ て の解 剖を行うこと が で き る, と定め た

(→

10.20

) 臓 器 摘 出にす る デ クレ

9.26 ,

1976.11,

16(飯 塚

立法

225

頁 , 林

1361 号

71

頁)

存 中本 人反 対表 明が な け れば, 摘 出は法的に可能と なっ た

〔背 景〕(

→1976,12,22

)(丸 山

比較 法

13

頁 )  ・ 本 格 的 臓器移 植 と し最 初1こ行わ れ たの は角膜移植とい っ て よい と思わ れ る が

これ は

1940

   年 代 中 頃に臨床 的治療 方法と し て確 立さ れ た ようで あ る が, 法 律の側 もこれ に対 応して ,

1940

   年 代 後半以降

死 体か ら の臓器摘 出に関 する法令が, か な りの国で制 定 され る よ うに なっ て く

  

こ のに は

,1947

年カ リフ ォル ニ ア州 法や本デ クレ の よ うに

象 臓器 を 限定して い    ない もの もあっ たが

1949 年の フ ラ ンス の法 律

1952 年の イギ リス の法 律

1957 年の イ タ リ    ア の法 律

,1958

年の 日本の法 律のように

角 膜 移 植に的 を絞っ た ものが 多 かっ た

〔病 院に お け る解 剖で遺 族の異 議 ある場 合に解 剖が認め ら れ るか ?〕  

9月

26

日 デ クレを 廃 止 して (っ ま りは

1941

年の デ ク レ

27

を改正 して)

こ の問 題に関 する    争い に終 止符を打っ たデ クレ  

許 可さ れ た病 院に おいて は

病 院

施 療 施 設の医 師が 「科 学 上の利 益 また は治 療 上の利 益 がそれ    を 命じ ると判断する場 合に は

解剖お よび摘 出は, 遺族の許可がなく と も直ちに実施すること が    で きる」 と規 定 した

(← 1947

9

26 )(島

臓 器 移 植30 頁 ) 〔臓 器 移 植の拠 規 定 とし ての意 味 〕  ・ 上規定は ,

1978

年デ クレ (→

1978.

3.

31

)で廃 止され る が

そ れまで は, 治療 目的の摘 出を認    めて い たの で

臓 器 移 植根 拠 規 定と して の意 味を持っ て いたこ とに な る

そ う だ とすれ ば

   〔螢 述の〕 臓 器 摘 出 法 (→

1976.12.22

制 定 前

遺 族承 諾 も

死 者 本 人明 示提 供 意     思 も

摘 出の要 件と して規 定されて な か っ たことになる

しか し

本デク レ に対 して は

その適     法 性に問 題があるこ とが 指 摘されてい た

(島田

臓 器 移 植30 頁 ) ボ

ボ ワ

ル 『第二 の性 』 (

1971

4

 5

女 性の条 件にっ い て の こ の シ モ

ボ ワ

Simone

 de Beauvoir  1908

〜1986.

4の   先 駆的分 析がア メ リ カの フ ェ ミニ ズム の理 論 的さ さ えに なっ た (辻

解 説293 頁 )

人 工 授 精 (

IAD

)の合 法性につ き反対意 見 (

←1804

,1883.

8,27,1897

,1909

年) (高 橋

動向 188 頁 )

医 師 規律 国家 会に よ り調査された道徳

政 治 科学アデ ミ

は, 反 対の意見を 公表した

しか し

後〕 医学 団 体は不妊 夫 婦に お け る男 性の不妊の重要性にっ い て考 慮し は じ め た (

 

1957

年 ) 任意の眼球 提 供者の援 助によ る角 膜移 植の 実施を許可する法律 第

890

号 (島田

臓器 移 植 29 頁) 。「角膜 移 植

keratoplastie

の実施を目的 と する , 人間に対する解剖 摘 出は

死者が遺言条項に よっ  て その 眼球をこの 移 植 手 術実施を行いま た は そ れ につ き便 宜を計る 公的 施 設 ま た は指 摘 事 業 団

126

(11)

フ ラン ス 生 命 倫 理の 展開 (上野芳 久 ) に遺 贈して い た場 合に は

死 後 直ちに死 亡と同

の場 所でうこと がで き る

」 (単

1

条   項 )

こ こ で は

死 者 本 人の遺 言に よ る明示の 提 供 意 思が摘 出要 件と さ れており, 〔後 述 す る〕 臓 器 摘 出 法 (

1976

12,

22) 上の要 件 とは異 なる

現 在で も角 膜 移 植はこ の法 律に よっ て規制さ れて い る

(以 上

島田

臓 器 移 植 29頁 )

角 膜 移 植の臨 床 化は 1946 年で あ るか ら

フ ラン ス の 角 膜 移 植 法は迅 速に制 定された とい える

事 実

先 進 諸 国の中では かなり早い

日本は

1958

年 制 定 (

1979

年 角 膜腎 臓 移植 法に改廃 )

(唄

比 較法 10

11頁 リス ト参 照 )

1994 年法 (移 植

殖 法

20

1

号 )に よ廃 止さ れ た

1994,7,29L

8月 日本の最初の人 工授 精の例 (

→1983.10.14

) (大 村

法 協 637 頁 ) 10月 世界医師会 (第

3

ロ ン ドン

た な医の倫 理の国 際 法 規 を 作 成 (

1947

8

19

→ 1964

.6

月 , 1968

8,9

で修正) (ア ンブロ セ 1丿122 頁 )

し か し

ル ン ベ ル ク綱 領の存 在に も か か わ らず 〕 医 学 実 験 や 健 康な被 験 者 の 自発 的 同意につ い て は

言 もふ れられて い ない

1950

年 牛の子の冷 凍 保 存の実用化 (高 橋 ・動 向

188

頁 ) (→

1953

年 ) 1951

1,25

民 法 改 正委員 会, 人工授 精に関する草 案を検討→ 採 択 (加 藤

ジュ リ

104

58

頁 ) ・問 題 なっ たの は 人工授 精の 方 法によっ て懐 胎さ れ たこ と が 立証 さ れ た と き は嫡 出 否 認の訴 を 認容で きない とする案 (民法 上は

人工授精の後

の気が変 わる と否 認の訴 ができ る が

それで は妻や 子 が犠 牲にさ れて し ま うの で否 認を禁 じ よ う と し た)(

1804

1976

6

30)

・採択と同 時に

行 政 的・ 刑事 的見地か ら

人工授 精規制をえ る と う希 望れ た (←

1949

年 )

1953

年 バ ンとシ ェ ア

マ ン

人 間の冷凍 精 子に よ る妊 娠に初めて成 功 (高 橋

動 向188 頁 ) (

1950 年

,→

1983

5.2

1953.

4

25 ワ トソ ン とク 1丿ッ ク

DNA の構 造 を 「ネ イチ ャ

」 誌に発 表 (マ テイ

3

頁 )

これによ り二人は遺 伝コ

ド理解へ の道 を 開い た

遺 伝が (っ た学問で は ない のに)新しい学の よ うに言わ れ る の は

最近になっ て膨 大な量の発 見が な さ れ た か ら

→ 人類 46 染色 体持 つ こ との最終 的証 明 (

56

年)

ダ ウ ン症を引き 起 こす

21

番 目の染色体 異 常の発 見 (

59

年 )

1956

5

28 妻が夫に人工授 精を 繰 り返 し 要 求 し た場 合 (結 局

子 は 生 ま れ な か

た よ うで あ る)

それ が離 婚 原 因に な る と し た判決 (リヨ ン裁) (

1883.8.27

)(

600

1957

年 産 婦 人科組 合 連 合

「人工授精の医学的 ・社 会 的 研 究 」

マ と会 議開 催 ← 1949

1960

年 代 ) (高 橋

動 向

188

頁 )

1958.10.

 

5

第五共 和 政 (

Ve

 

R

ublique )

1960

年代 人工生殖にする社会の姿 勢の変 化 (大 村

法 協 644 頁 ) (

1883

8

27

1945 年)

題 が人工生 殖を認め る方 向へ か わ せる

因とな っ た

1

) 避 妊

中 絶 問 題との 関 連: 60 年 代 後 半 か ら70年 代 末にか けて社 会 的 大問題に

避妊につ いて

127

(12)

湘 南工科 大 学 紀 要   第 31 巻   第 1 号

1964.

 

6

1966.12.

16

1967. 12

月 12

  6

1968.

 4

24

 は 67 年に, 中絶につ いて は 75 年, 79 年に法 律が制定 さ れ自由化が進め ら れ た が, これ ら をめ  ぐっ て大論 争が展 開さ れ た (→

1971.4.5,1972.10,11,1974.11.28,1975.L17

等)

そ の過程  で

避 妊の権 利

生 ま ない 自由が 確立さ れ た が

こ れ は生 殖の人為的コ ン トロ

ル の 第

歩だ っ た

2

) 養子 問題との関 連養 子制度は, ナポ レオ ン民 法が導 入し た後

1

世紀以上フ ラ ン ス の習俗にな  じ ま な か っ た が

60

年 代になっ て社会の関心 を集め

66

年 養子 法 改正後 社会に浸透 し は じめ  た

工 的な親子 関係の及で, 親 子 関 係に対す る従 来の見 方が変 化 し た (意識の変化 )

  人工生殖子の関係 (自然子 養 子ど ち ら に近づ け て考え る か)の問題が発 生し た (法 技術 的

  法 政 策 的局 面 )

養子は需 給バ ラ ン スが崩れ手 続も複 雑なの で

人 工生殖 子 を 選ぶ傾向が生 じ た   (社 会 的 ・事 実 的 局 面 )

世 界 医 師 会 総 会 (第 18 風 ヘ ル シ ンキ) (→ 1968

8

9

ヘ ル シ ンキ宣 言 (← 1947

8

19

1949

10月

→ 1975

10

 5) (ア ン ブロ セ リ122 頁

檻 島

人体 実 験 5 頁)

ニ ュ ル ンベ ル ク綱 領の存 在に も か か わ らず〕非人 道的犯罪に懲 り た様 子も な   く

問 題 を 蒸 し返 し

被 験 者の 自発 的 同 意に代 わ る もの と して

研 究の主 唱 者 と  は別の 立 し た討 議委 員会の設 置を提 案し て, ひ ん しゅ くを買っ た (ア ン ブ ロ  セ リ)

・同意原 則広く代 諾を認め

歩後 退した が

治療 目的実 験   実験のが導入 さ れて, 後 者を よ り厳し く規制す る とい う原 則が明確に さ れ  た (構 島)

国 連, 「市民と政治の権利に関 する国 際 規約」 を採 択 (←

1947.8.

 

19

) (ア ンブロ セ リ

122

頁, 梛 島

人 体実 験

5

頁 )

7 いか なる人に対 して も

拷 問 また は

残 虐で非 人 道 的なあるい は人 間の   尊厳 を  傷つ ける

刑罰も し くは取扱い を おこなっ て はならない

特に 被験 者  の 自発 的 な 同 意 な しに

医 学 的

科学的 実験を 施 して はな ら ない

式 的に  は人体実 験 を禁止

し か し , 「被験 者」 を用いた科学的

医学 的実験の条件を, 法 律で定めてい る国  は殆どなかっ た (当 時 )

(→ 1975

,10.

5,

1988

12.20,1994.7.

25 ジェ ル ボ

法案, 国民 議 会に提 出さ れ る (島田

臓 器 移植

30

頁,

35

頁注

9

))(←

1947.10.20

背 景臓移 となっ た

1960

年 代に入ると摘 出要件に関 する議論が活発 化した

そ ん な流れの中で

議 会に提 出さ れ た議 員 提 出の 法 律 案

ル ボ

GERBAUD

)は

提 案 議 員の  名

内容器提 供者の書 面に よ る提 供の意 思ま た は権利 承 継 人の書 面によ る許 可

死後の摘 出 要件  とする案

批 判:し かし

これ を立 法 化 した とすれ ば

事 実 上 臓 器 移 植はほと ん ど行わ れ ない こ とにな る と批  判さ れ

こ の法律案は結 局 成立し な か っ た

(→ 1976

 7月

同 12

22)       南ア のバ

ド博 士

世 界 初の心 臓 移 植を実 施 (→

1968.8.8

) (基 知

96

964

      頁) 死の定 基 準を示す保 健省通達第 67 号 (

1978

 3

31北 村

ジ= リ125 頁

130 頁 注 35

6)

の認 定に関して〕 従来唯

存在し た 公 式 文 書

通 達 (しか も官 報 不 登 載 )なの で全 く法 源 性に  は欠け る が

脳死(mort ・c6r6brale ま た は限 外昏睡 (coma  dpass6認と考え ら れ る死の認 定

参照

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