MEMO 臨RS
OF
SHONAN
INSTITUTE
OF
TECH 旧OLOGY Vol
.
31,
No.
1,
1997フ
ラ
ン ス生
命
倫
理
の
展 開
上 野 芳 久
*LE
DEVELOPPEMENT
DU
BIOETHIQUE
EN
FRANCE
Yoshihisa
UENo
11semble
quele
problem surle
bio6thique
est maintenant ce que toutle
mondedoit
penser.
Mais
malheureusement
le
syst さme nationaldu
bio6thique
n’
est pas encorebien
d6velopp6
auJapon
.
Au
contraire
,
en France les trios lois dites 《10is bioξthiques》ont 6t¢ adopt6es 且e 29juillet
1994 apr 色s unelongue
p6riodede
gestation dupuis le premier avant−
prolets datant de 1988.
Je
pense qゴil y a beaucoupde
choses en nousJaponais
peuvent apprendredans
la
pens6e,
le
philosophie,
le
modalit6,
etle
syst6me bio6thiques franCais.
Voici rhisoire du bio6thique frangais.
<目 次 >
L
は じ め に 2.
本 文1.
第二次 大 戦前 (〜1944
)II.
第二次 大戦 後(1945〜
) 戦 後 第 1期(1945〜
1980) 戦 後 第2
期(1981〜1995
) 戦 後 第 3 期 (1995〜
)3.
お わ りに1。
は じ め に フ ラ ン ス の新 刑 法典は1994
年3
月1
日 か ら施行された が, そ の後,1994
年7
月29
日法は, その新 刑法 典の第5
部に 「生 命 倫理に関す る犯罪」規定 を 追 加 し た.一
体どの よ う な経緯 か ら,
この よ うな条文が 制定 さ れ るに至 っ たの で あろうか一
こ の素 朴な疑 問こそが,
本 稿 執 筆の動 機で あ る.
生 命倫理に関 する世 界の動 き を 振り返っ て みる と
,
そ れ が問 題と さ れ始め たの は意外に最 近の こ とで あ る.
ヨー
ロ ッ パ で は,
第二 次 大戦中の 残 虐 行 為が生命倫理 とい う問題の検討の は じ ま り だっ た とさ れ る1).
ア メ リカ で は,
世 界 初の バ イ オエ シ ッ クス研 究機関で あるヘ イスティ ン グス ・セ ン ター
が設立 さ れ たの は1969
年であっ た が,
より強烈に生 命倫理の 問題が国民に突きっ け ら れた の は タス キギー
事件の報 道 (1972 年 )を契 機と して で あっ た と さ れ る2 ).
これに 対し て 日本で は,石井部 隊 問題 な ど古 くから欧 米 と同 じよ うな問 題は存 在 したもの の,
生 命 倫 理の 問 題が本 格 的に語 ら れ る よ うになっ たの は さ らに最 近の こ とで ある3,.
この よ う に問 題 と され 始め たきっ かけこそ各 国で異なっ て い た が,
生 命に関 する技 術が発 達 し,
情報 伝達 網の発 達 し た現 代で は, も は や問題はアメ リカ, ヨー
ロ ッパ, 日本な どに限 定さ * 教 養課 程 助 教授 平 成8
年10
月31
日受付 1) た と え ば タレー
ル・
ア ン ブロ セ リ (中川米 造訳) 『医の倫理 」文 庫クセ ジュ
5頁 (白水 社,
1993 年 1月) 2) 木 村 利人 「タス キ ギー
事件 」『イ ミ ダス’
96』1293頁,
揖島・
人体 実 験3頁.
31 『イ ミ ダス’
9521099 頁,
木村 「人体実 験」 『同’
96』1293頁参照.
一 117一
湘 南工科 大 学 紀 要 第
31
巻 第 1 号 れ ず,
人 類 共 通の問 題と な っ て い るように思 わ れる.
こん な状 況の中で,
と り わ けフ ラン ス は,
第二 次 大 戦 後 間 もない 時期か ら臓 器 移植に関 す るデ クレ を 出 した り,
生 命 倫 理に関 す る高い問 題 意 識 と世 界に先 駆 け た 動 き を 示 して き た国 で ある.
フ ラン ス の生命 倫理 をめぐる動き とそこで行わ れ た議論は, い ろい ろな面でま だ ま だ立ち遅れてい るわ が国の 生 命 倫 理に対 して大い に参 考になると思わ れ る.
フ ラン ス生 命倫理 法の最 大の特 徴の一
っ は,
刑法 典に規 定 が置かれて い るこ とで あ る.
本 稿の最 大の関心 もそこ にあ るの であ っ て, より具体 的に言えぱ, フ ラン ス は何故, 刑法 (刑罰 )で生 命 倫理をコ ン トロー
ル し ようとしたの か, そ れ が ど れ ほ ど の効果を持っ と い え るのか とい う点が関心事で あ る.
しか し,
本稿で は よ り広 く,
すなわ ち刑法に限 定 せ ず 民 法・
行 政 法な ど他の法 分 野 まで,
否,
法 分 野に限 定せず 医 学・
生 物 学。
哲 学・
倫 理 学な ど他の学 問 分 野 まで含めた 生 命 倫 理 全 般の動 きに着 目 し,
その経 過 を た どっ てみ るこ とに したい.
そ うする ことに よっ て初めて上 記の疑問も解け るであろう し,
また,
そ う しなけ れ ば 解 け ないであろう と思 わ れるから である.
本稿に,
フ ラン ス 刑法以外の フ ラ ン ス 法に興味を持つ 方々 にも利用 し ていた だ け れ ば と願いつ つ , あ え て広く 「フ ラン ス 生 命倫理 の展 開 」とい う タ イ トル を 付 し たの は, そ の よ うな理由に よ る.
な お,
形 式・
約 束事 等にっ い て は,
かつ て本 紀要に掲載した拙 稿 5編4,と 同 じなの で,
詳 し くはそ ち らを 参 照 して い た だ き たい.
念の た め 二, 三指 摘して お く と, 年 ・ 月まで し か判 明 し な か っ た事 項にっ い て は,
そ の年・
月の頭に置い てあ る (前 後 は不 問 ).
ま た,
頭8
文 字 分 を 空 けて書 き 出 した事 項 文は,
フ ラ ン ス以 外の 国 (含日本 )での出 来 事 を 意 味 する.
訳 語にっ いて は
,
な るべ く既存の訳に し たが っ た.
例えば,
Code de la sant6 publiquel
こは保健医療法典の訳もあ るが, 公衆衛生 法に した.
各 文 献でバ ラバ ラな訳 語をその ま ま書く と混 乱 する の で,
統一
を 心掛け た が (し た がっ て,
原文の訳語を一
部 置き換え た と ころ も あ る が ), 必ず し も 完全で は ない.
ま た, 明 ら か な誤記等は修正 し た もの の, な るべ く原文を そ の ま ま引用 する ようにした.
し か し, ス ペー
ス の都 合で 要約せ ざ る を得な い箇 所や,
見 や す くす る た めに多少 文 章を加工 せ ざ る を得ない場所も あ っ た こと を お こ と わりして お く.
したがっ て,
い う までもない こ とだが,
原 論 文 を 引 用 する ときに は,
原 文 献に 直 接 当たっ て下さ るよ う お願い し たい.
参 照 した文献につ い ても, 最 後に列 挙し, 引用 略語 部 分をゴ チ ッ クで示す とい う従来の 形 式は同じである.
ただ し,
本 稿は内容的に前稿と は独立 し てい るので利 用 者の便宜 を考え,新しい文 献だ け でな く,前 稿ま での文 献も再 掲 載して おい た.
4) 相 模工大 紀 要21 巻〜
24 巻 (1987 年 3月〜
1990 年3月 ),
本 誌28 巻 1号 (1994 年 3月 ),
一
118一
フ ラン ス 生 命 倫理 の展 開 (上 野 芳 久 )
2 .
本 文 L 第二 次 大 戦前 (1945
年以 前)1662
年1791,
9.25
1804 年1810.
2,15
王令(→179L9 .25,1810.2.15,1992.7.22
) (末 道・
毒 殺156
頁 ) 〔本 王 令の 内容〕・
毒物 を もっ て人の生命に危害 を 加え た者は死 刑.
すな わ ち,
毒 物を供与し た者ばか りで なく,毒 殺に供 せ られる ことを 知りなが ら毒物を準 備し配付し た者も(共 犯と して で は な く)正 犯.
結 果 の発 生 如 何にか か わ ら ず 既 遂に達す る.
・
毒殺が準備さ れて い るこ と を知っ て い る者, あ るい は,
毒物が求め ら れ調 達さ れ たこと を知 っ て い る者は,
告発 する義務を負う.
違 反す れば共 犯と して処 罰さ れ る.
(毒 物に よ る犯罪が,
忌 む べ き,
危 険な犯 罪で あ るこ と は も ちろん,
更に,
そ れ を発 見 し証 明 する こ と が当 時の科 学で は非 常に困 難で あっ た とい うことも,
こ のよ うな立 法に影 響して い たこ と が考えられ る一
末 道 )・
さらに,
有 毒で はある が死 亡 するに は至 らない よ うな物質を 用いた場 合 (1810 年 刑 法 典 318 条 に該 当 ) も 予 定され て い た.
〔毒殺 罪の歴 史 〕 ・ ロー
マ 法 時代以後:謀 殺, 毒 殺を特に 区 別 して重 罰を もっ て処す る伝 統・
フ ラ ン ス古 法 時 代:同 様に,
毒 殺,
謀 殺の罪は重 大な犯 罪 (crime atroce )とされ,
結 果が発 生 し なくとも既 遂と同 様に処 罰 されて いた.
(本 王 令 )・
1791 年刑法典 :謀殺と毒殺は重 罪.
未 遂 処 罰 規 定 も置か れて い た.
・1810
年刑法 典 :毒殺は重 罪で死 刑 (た だ し81
年死 刑 廃 止→ 無期懲役に).
謀殺と異 なり,
死 の結果の 発 生 と無 関 係に既 遂が成 立 (301
条 ).
・
近 年の改正作 業 : 〔上記の ように フ ラ ン スで は〕毒 殺罪 規定は非常に長い歴 史と伝 統をもっ て い た が改 正 作 業 過 程で は削 除さ れ る予 定だっ た (→1992.7.22
).
・
1992 年 刑 法 典 ;エ イ ズ との 関 係で毒 殺 罪 規 定が復 活し た (→ 1992.
7.
22 ).
フ ラン ス初の刑 法 典 〔1791 年 刑 法 典 〕 (←
1662 年,→
1810.
2.
15,1992.
7.
22) 〔毒殺罪〕 (末 道・
毒殺 156 頁 ) ・謀殺と毒 殺は重 罪に処せ ら れ,
こ の 2罪に限り未 遂 処 罰 規 定が置かれて い た.
・
毒殺罪 を毒物に よ る殺人と規 定する一
方, 毒物を使用・
供 与する行 為をも毒殺 罪と同視して い た.
・
し か し,
毒 殺が実 行さ れ る前,
も し く は食 物 ・ 飲料に混 入さ れ た毒物が発 見さ れ る前に,
犯罪の実行 を中止 した 場 合に は
,
被 告 人は罰 さ れ ない.
(本 誌21
巻1
号57
頁,
内 田=
中村197〜8
頁) 初め て夫 婦 間の人工授 精 〔IAC )が行わ れた (→
1897 年 ) (高 橋・
動 向 188 頁,
野 村 597 頁 )。
IACニ
Insemination artificielle avec le sperme du conjoint (cf,
IAD→
1883.
8.
271・
こ の技術は,
性 的 結合が不 可 能・
困難な夫 婦の不妊に適用された.
・
し か し,
新鮮な精子を使用す る 必要が あ るこ と か ら,
そ れ ほ ど広くこの技 術が 用い ら れて い たわ け で は ない.
20 世 紀 半 ばに長 期 間にわ た る精子の冷凍 保 存が可能になっ て,
人工授 精が か な り広く 行 われるようになっ た ようである.
(野 村)・
に れ は民法 典 制 定の年で ある が〕 民 法 典に は人工 授 精につ い て規 定は な かっ た.
第二次大 戦後の 改 正 委 員 会で は,
人 工 授 精 子につ い て も議 論 され,
親 子 法 中に置 く改 正 草 案 も作 成 され た が,
立 法 化されなかっ た.
72年の親 子 法 改 正で も触 れ られなかっ た.
しか し,
法 的 な 考 察 は1950 年 代 か ら あっ た.
(野 村 600 頁).
ナ ポ レ オン刑法典の制定 (2.22
公布,
1811.1.
1施行) (→1992.
7.
22
) (本誌21
巻1
号58
頁)一
119一
湘 南 工 科 大 学 紀 要 第
31
巻 第 1 号 【1
】 死体に対する犯罪にっ い て の対応 (→1992.
7.
22 ) (新 倉・
比 較法82
頁)・
(臓 器 摘 出 との 関係で死体犯 罪が問題に なるが) 死 体そ の もの に対す る直 接的 侵害行為を処 罰す る規 定は ない
.
た だ,
犯 罪死体の隠匿 (359
条 )と並んで, 墳 墓・墓 所に対する侵害 (360
条 )が「人身に対する重罪お よ び軽 罪 」の章の第 6節 第 3款 「埋 葬 (inhumations )に関す る罪」にあ る
.
〔墳 墓・
墓所に対する侵 害〕 (新 倉・
比 較法82
頁 )・
条 文:「墳墓 (tombeaux )ま た は 墓所 (s6pultures )に対 する侵 害を行っ た者は, 3 月以 上1
年以下の拘 禁お よ び
16
フ ラ ン以上200
フ ラ ン以下の罰 金に処 する.
た だし,
こ の犯 罪と競 合す る 重罪ま たは軽罪に対する刑の適用を妨 げない
.
」(→ 罰金は 1985 年 「500
フ ラ ン以上15,
000
フ ラ ン以 下」に改 正 )・ 立 法 理 由:死 後 も な お人 (つ まり死体 )を保 護するこ と も法律の使 命であっ て
,
墳墓の侵害,
遺骸(
les
cendresde
mort }へ の攻 撃,
死 者に対 する冒 漬 (profanation)を 処罰する搭
要が ある。
・ 判例通 説:「侵 害 」= (死 者 誹 毀 罪にあたる 「言 語に よる冒 涙 」 を 除く)死者‘こ対する
一
切の冒 漬 行 為 (ex.
医師
が死 因糾 明の た め
,
労 働 災 害で入 院 後 死 亡 した身寄りの ない 人の死体を開腹を し た場 合,
その解剖は死 体の 冒漬にあた らず 本 罪 不 成 立 ).
「s6pultures 」= 墓 所 あるい は埋 葬 を 意 味 する が , 埋葬前で あっ て も葬儀の準 備 (appret
fun6r・
aire)はこれ に含ま れ る (ex
,
死 体に屍 衣がか け られて い る場合は,
埋葬 前であっ て も,
葬 儀 準備の開始が あり本罪成 立)
.
しか し死亡 直 後か ら葬 儀 準 備に至る まで は 不可 罰 (ex.
妊娠 し た女性の死 亡直後, 神父が胎 児に洗 礼を施 す 目 的で帝 王 切開した場合は, ま だ葬 儀準 備に着 手し ておらず 不成立)
.
〔死 体 犯 罪の形態に よ る各国の立法的差異と特 徴〕 (新 倉・
比較法79 頁 以 下 ) (1) 日 本 (190 条):死体その もの に対する直 接 的 侵 害 行 為 を 犯 罪 とする国・
宗 教 的 な もの に結びっ け て死体 犯 罪の広汎な処罰規定があ る (その系 譜につ い て は83
頁以 下 ).
・
死体か らの臓器摘 出が死 体損 壊罪 (190
条 )として現に処 罰さ れ た例は な い.
・
臨床例の多い角膜や腎臓の摘 出 移 植 行 為は,
角 膜 腎 臓 移 植 法 が 制定されて い るの で,
刑 法上,
法 令 行為と して不可罰 (刑法35
条 ).
(2) 西ドィッ (168
条):死 体に関 する権 利 者の保 管に対 する侵害行為を犯罪と す る国・
死者の安 息の妨 害と して規 定さ れ,
宗 教 的な もの に結びっ け られて い る.
・「死体・死体の一
部・
遺 灰遺骨の不正奪 取 罪 (168 条 )」が死 体 臓 器 摘 出と関 連が あ る と さ れてい る
.
すな わ ち, 臓器摘 出に伴い,
死 体に対 する権 限 者 (例.
通 常は親 族,
親族が ない と き は 老 人ホー
ム,
病院 な ど)の保 管を不正に侵 害する場合には じ めて本 罪が成 立 する.
・
した がっ て,
病 院が死体に対する権限者かつ 死体の所持者で ある場 合,
その病 院の医 師が臓 器 摘 出 をし ても168 条は不成立 (通説 ).
他方, 本人の承 諾がある場 合は 「不 正な侵 害 」で な く,
本 人の意 思 表 示 が ないとき親 族の承諾がある場合は 「侵 害 」にあ たらないとさ れて い る.
(3
) フ ラ ン ス (360 条 ):死 体その ものに対 する侵害行 為を犯罪と す る規 定のない国・
死 体 犯 罪 規 定は モ デ ス ト で ある ことが, フ ラ ン ス刑法の第一
の特 色とい っ て よ い.
・
宗 教に関 する犯 罪 と別け て規定さ れ た ことも特色の ひとっ.
【2
】 堕 胎に対 する犯 罪につ い て の対 応 (→ 1920.
7.
29,
1974.
1L28
) ・317
条 項に 自 己堕 胎 罪を置い た.
なお,
堕 胎罪は す でに 1791 年刑法典にもあっ
た (第二編 重 罪 お よ び その処 罰にっ い て・
第二章 個 人に対 する重 罪・
第 17条 ).
(上 野 ) 〔歴史 〕 ・生 殖に結びっ か ない性行為を禁じ る とい う考え方は,
ヨー
ロ ッ パ で は カ ト リッ ク の倫 理をべ一
一
120一
フ ラ ン ス生命 倫理の展開 (上野芳 久 ) 1859 年
1866
年1883.
8.27
1884
年 同年.
4.25
1897 年 1909 年 ス と して い た が,
初 期の神 学 者 た ちの 態 度 は ま ち ま ちで,
教 会 が 公 文書で避妊 や 中 絶 を禁止 す る よ う にな るの は 12〜
3 世紀か ら、
ル イ 15 世時代ま で, 母 親・
共 犯は死 刑.
・
18世 紀 終わ り頃 から出 生 率 が 低 下.
原 因と して は,
フ ラン ス革 命に よ る教 会離れ,
フ ェ ミ = ズム の 高 揚, 避 妊 の早 く か らの普 及な ど が あ げ ら れて い る.
し か し,
当 時は ま だ出 産 奨励策 は と ら れてお らず,
妊 娠 中 絶も さほ どきび しく取 り締ま られ て い な い.
・
〔自己〕堕胎 罪は本 刑法 典に さかの ぼ るが, 実 際の裁判では陪審 員 た ち がっねに寛 容な態 度 を と り,
多 く は 無罪と な っ て い る (以 上,
辻290
頁,QUID
’
96
版1484
頁).
【3
】 毒 殺 罪 規 定 (←1662
年 ,1791,9,25,
→ 1992.
7.22
) (末道・
毒 殺 157 頁)・
「遅 速の いずれ を論ぜ ず,
人 を殺害す る こ とので き る物 質の効果に よ り, 人の生命に加え た一
切 の危 害は,
物 質の使 用ま た は方 法,お よ び,
その 効果 の如何にか か わ ら ず毒 殺と す る.
」(301
条)・
すな わ ち本 罪は毒 物の供 与・
使用だけで 成 立 する.
既 遂の 成 立に死の結果の発生は無 関係とい うこ と に な る.
こ こに,
謀 殺 罪 (死の結 果の発 生が構 成 要 件に規定さ れて い る犯罪 )と の大き な 違いが あ る.
ダー
ウ ィ ンの 『種の 起 源 』 (中村・
生 命26
頁)・
ダー
ウ ィ ン は,
生 命の進 化だけで なく,
既に生 命の起 源を念 頭に置い て いた 〔生 命 科学の源 〕 (→
1930 年 代,
1936 年 ).
メ ン デル (
Gregor
Johann
Mendel ,
墺,1822〜84
),
「植 物 雑 種の研 究 」を学 会 誌 に発 表 (鈴 木 善 次・
平 凡 社 大 百 科 事 典 14巻 852 頁 85年 6 月 )・
反 響は少な く,
1900 年に至る まで そ の価 値は認め ら れ な か っ た (鈴 木 ).
・
形 質遺伝を解 明し,
遺 伝 子の存 在 を 予 感 し,
メ ン デル は,
ダー
ウ ィ ンの進 化 論 (・−
1859 年 )か らワ トソ ンとク リッ ク の DNA 分 子 論 (一
+1953.
4.
25)へ の推 移 を画 し た (マ テ イ),
夫以外の第三者の精子に よ る人工授 精 (IAD
)は民法231
条に定める離 婚 原因の 「重 大 な 侮 辱 」にあ た る (ボル ドー
民事裁判 所 ) (← 1804 年,
→1884
年,1897
年,1956.
5.28
) (野村600
頁 )。IAD =lns6mination
artificielle avecle
spermedu
donneur
〔1880 年 代 社 会の人工授 精へ の姿 勢 〕 (大 村
・
法 協642
頁 ) (→1945
年)・
裁 判 所 (1880 年ボ ル ドー
大 審裁判所):「人工授精は自然法に嫌 悪の念 を抱か せ る.
そ れば, ま さ しく社 会 的な危 険 と な り うる もの で あり,
婚 姻の尊 厳を ま も る ため に は, こ の ような技術が科 学の領 域 か ら実 用の領 域に移 され ない とい うことが重 要である.
」と非 難・
医 学 界 (パ リ医 学 部 ):人工生 殖に関 する学 位 論 文の受理 を拒絶し,
そ の焼却 処 分を命 じ た,
・宗教 界 (1897
年ロー
マ 教皇庁): この技術の利 用 は 違 法であ ると宣 言.
(→1974.L17
) ア メ リカで 初めて IAD が行 わ れた.
た だ し,
公 表 さ れたの は1909
年.
(←1804
年,
→ 1897 年 ) (高 橋・
動 向 188 頁,
大 村・
法 協 642 頁 ) 人工授精を非 難し, 民法6
条を根拠に その施術 者の報 酬 請 求 を 否 定 した 判 決 ( ←1804
年 ,1884
年, →1897
年) (野村602
頁注15
)。
カ ト リッ ク教 会,
人工授 精 (IAC
)を公 式に禁止 (←1804
年, →1909
年 ) (高 橋・
動 向 188 頁 )・
禁 止の理 由=
人 工 授 精 は性 的な交 わ りな しに生 殖 をなす こと,
そ れ がマ ス ター
ベー
シ ョ ンを前 提 と し,
自 然の法 を 破る か ら.
(cf.
1974.
1.
17)・
こ の結 果,
人工授 精の発 展に ブ レー
キ が か かっ た が,
数 人の医 師は秘 密 裡に これ を継 続し た.
人工授 精 (IAD )が行わ れた ことが公 表さ れた (←
1884 年 ) (高 橋・
動 向188 頁 )・
(IAC と同様に) 自然の法 を 破る もの,
姦 通によ る生 殖 をなす 破 廉 恥な行 為,
と 非 難され,
施 術は 1927 年ま で に 100 件に達せず (←
1897 年,→
1949 年 ).
〜
121一
湘 南工 科 大 学 紀 要 第 31 巻 第 1 号 1920
.
7.23
7.29
1923。
3.27
1930 年代1936
年 妊娠 中絶の扇動と避妊の宣 伝を禁 止 する法 案の提案→ 即日可 決(← 1810.
2.
15 【2
】 , →7.
29
,1974.
1L
28)(小 沼・
堕胎239
頁 , 辻・290
頁 ) 〔背景 〕 (辻290〜291
頁)・1918
年に第一
次 世 界 大 戦が終 結す る と ともに,
こ の 戦争で 130 万 人を超え る人命を失っ た フ ランスに とっ て, 人口政策は急を要 す る もの となっ た
.→
本 法 案 が とうとつ に提 出さ れ,
ほ と ん ど議 論さ れない ま ま,
その 日の うちに圧 倒 的多数で可 決された.
〔下院で の議論 〕 (小 沼239 〜240
頁 )対派の主 張:(
2
人の左 派議員 ) 大 多 数の議 員は,
すで に逃 げ 腰を み せてお り, 審議を早々 にすま せて し ま お うと して い る.
堕胎を禁止 しその行為に出た者に制 裁を加えて みて も効 果は ない.
そ れ よ り も女 性や夫 婦 の生 活 条 件 を 改善 向上さ せ る ことの方が先決で あ る.
成 派の主 張:堕胎は民 族の維 持 反映を お び や かす (信念に も似た危 機 感が あっ た ようす)
.
。
当時の 議会で は, 議 員の過 半 数が旧 軍 人からな っ てい た (240
頁).
堕胎に関する法,
成 立〔←7。23、
→1923.3.29 ,1974.11.
28
}(小 沼・堕胎239
頁 )・
下 院を通 過し た法 案は,
審 議 ら しい審 議 もな く元 老 院 を 通 過 し, 採択さ れて法律と して成 立 し た.
・
本 法は , 通 称 「1920
年 法 律 」 と呼 ば れる.
〔影響 〕・
これ 以 後,
避 妊 具はい っ せい に薬 局か ら姿を消し, 法に背い た多 くの人た ち が投 獄 さ れた (辻 290 頁).
・その後50
余年に わ たっ て, 幾た び かの修正 を受 けて きた が,
それらの修 正は堕 胎 禁 止 立 法の内容や範囲を抜 本 的に改め るもの では な か っ た(→ 1975
.
1.
17)(小沼239
頁).
・
こ う し て 〔本 法に より〕 堕 胎に対 して 法 的 制 裁 が 加 え られるこ とになっ た 堕胎= 国家に対す る重 罪,
軽 罪 裁 判 所の管 轄,
とする法律 (→194L9 .14
〕(QUID
’
96
版1484
頁 ) カ リフ ォル ニ ア大 学バー
クレー
分 校, ラ イフサ イェ ンス・
ビル を建設 (中村・
生命 26頁 )。
構 内に散在 してい た動物 学, 植物 学, 微生物 学,
生理学な どの教室が 〔一
っの ビ ル に〕 入居し て研 究を開 始.
(これ ら が相互に学 問 的 共 通 性を見いだすだけの基 盤 がで き あ がるの は1950
年 代に なっ て分子 生 物 学が確立 して か らだ が)ライ フサ イエ ン ス とい う名の も とに,
生 物を研 究の対 象とする学 問の総 合 化 を 目 指 した (→1936
年 ).
オパ
ー
リン,
『生 命の起 源 』 (中 村・
生 命 26 頁 )(← 1859,
→ 1983.
2.
23) 。 (生 命の起 源を考え た科 学 者はオパー
リンが最初で はないが)〔こ の本は〕生命と い う概 念へ の科 学 的ア プロー
チ の開 始 と もい え る.
・
こ の本の基 礎=
1922 年ロ シ ァ植 物 学 会で の 「生 命の起源」 と題す る講演〔生命 科 学とい う言 葉 〕 (23 頁
〜
)・
生 物 を研 究 する学問の中で,
徐々 に定着して きた もの.
・
現 在 使 わ れて いる生 命 科 学 とい う言 葉 とその内容の直接的 発端は,1930
年代に 生 まれてき た“
生 命の科 学”
と考えて よい.
その中に は2
つ の流れ がある (29
頁 ).
1) 生 物 学の総 合化とい う完 全に自 然科学的な流れ (←1930
年 代 ) 〔ア メ リカ〕0
2) 〔オパー
リン以 後の〕生 命の本 質へ の科 学 的ア プロー
チ とい う や や 思想的な ものも含ん だ流れ 〔旧ソ連〕一 122一
フ ラ ン ス生命 倫理の展開 (上野芳久 )
1940.
7,11
!941.
9,
14 12.
311942.
2.15
1943.
4.17
7.
30 1944.
9.
9 ヴィ シー
政府(R6gime
de
Vichy
) (国 家 首 席ペ タン元 帥 )・
フ ラン ス が ナ チス・
ド イッ軍に 占領さ れて いた頃,
堕 胎に対 する制 裁が最 盛 を き わめた.
・
ペ タン政 府時の裁 判所は,
堕胎を受けた婦人に死 刑を宣 告し たこともある (→ 1943,
7.
30
},
(・
−
1920.
7.
29,
→ 1975.
1.
17)(以上 , 小沼 ・堕胎240
頁) 堕 胎 罪 を 「国 家 秩 序,
国 家,
フラン ス人 民 を害 する犯 罪 」 と する法 律 (←1923.3.
27,
→1942.2.15
) (QUID
’
96 版 1484 頁 ) 死体の埋葬, 発掘等に関する法文を法典 化する デ クレ (島田 ・臓 器 移植29
頁)・
死体 解剖は原 則と して,
市町村 長の死亡宣告か ら24
時間 経 過後で,
死が生じ た市 町 村の長の事前 の許 可がなけ れば行うこ とがで きない (26
条).
・ た だ し , この原 則は, 病 院にお け る手術に は適用さ れ ない (27
条).
(→ 1943.
4.17,1947.
9.
26
) 堕胎 罪を 「国 家の安全に対す る重罪 」と同視し, 例 外裁判 所の管轄, 死 刑 も可とする法 律 (←194L9 .
14,
→1943.
7.
30
)(QUID
’
96
版1484
頁 ) 病 院に関 する デ ク レ (← 1941.
12.
31,
→ 1947,
9.
26}(島 田 ・臓 器 移 植29
頁 )・
病 院にお け る解 剖は い か な る要件の下に可能で あっ たのか, とくに遺族の異 議 ある場合に解 剖が 認められるか を め ぐり,
これ以 後,
規 制 内 容を異とする デ ク レが相 次い で制 定さ れた.
・
遺 族の異 議 ある場 合 を 除いて,
解 剖 は科 学 的 目的において行 わ れ る (42 条 ).
マ リー
ルイ ズ・
ジロー
とい う女 性が堕 胎 罪で死 刑 を執 行 さ れ た (←
1940.
7.
11,→
1970,
6,
27) (QUID ’
96 版 1484 頁 ) 臨 時 政府(Gouvernement
provisQire) (首班 ドゴー
ル将 軍)一 123一
湘南工科 大学紀 要 第
31
巻 第 1 号11.
第二 次 大 戦 後 (1945
年一
) 戦 後 第1
期 (1945〜
81年 ) 〔保守党政 権時 代〕 1945 年 1945.
8,
8 1946.
10.
13 10.
25 1947.
8.
19 戦 後社 会の は じ まり 〔戦 後社 会の人工授 精へ の姿勢 〕 (大 村・
法 協 642 頁 ) (←1883.
&27,
→1960
年 代 )・ 第二次 大 戦 後 しば ら くの間は
,
な お,
否 定 的 な 見方が強か っ た.
1949
年に は,
フ ラ ン ス学 士 院は否定 的な見 解 を 発 表 して いた し
,
ロー
マ教 皇 ピエ12
世も同様の見解を示 して いた.
1975 年に なっ て も
,
仏 語産婦 人 科 学 会は制限 的な見解を とっ て い た.
・ 家 族 や 性に関 する風 潮 が 変 化 する の は1960
年 代 後 半 以降 フ ラ ン ス で人 工 授 精 が 公 然 と行 わ れるように なるの は 70 年 代に入 っ て か ら.1973
年が画 期 的な年と なる (ニ
CECOS 設 立→ 1973 ).
〔戦 後の臓 器 移植の流れ〕 (島田・
臓器 移植29
頁,30
頁 )・
臓 器 移 植 が 臨床的に利用さ れ る よ うに な っ たの は第二 次 大 戦 後であり,
たとえば 角膜移植につ いて は1940
年代,
腎 臓 移 植にっ い て は1960
年 前 後か ら,
心 臓 移 植が現 実の もの とな っ たの は1960
年 代に入っ て か らで あ る.
国 際軍 事裁判 所 (TMI )の設 置 (→ 1946
.
10.
25,
1947.
8.
19
>(ア ンブロ セ リ97
頁 以下 )・
使 命:ヨー
ロ ッ パ の枢 軸 国の重 大 な 戦争犯罪人 をた だちに,
そ し て適 切なや り方 で裁き,
罰 する こと.
・
管 轄:(次の犯罪の う ち)「個人 的な責 任を問え るもの」に限 定・
犯 罪: 平和 を 乱 す犯 罪, 戦 争犯 罪,
非人 道的犯 罪・
しかし, 本裁判所は 〔軍 事裁 判 所なの で〕平時に行われた国際犯罪 〔非 人 道 的犯罪 〕を裁くに は不 適 当
.1939〜45
年にか けて の犯罪を 裁 くことは で きても,1933〜39
年の間に行わ れた犯 罪には手 が 出 せ ない.
い っ そう悪い ことに は,
後者の犯 罪を裁 くこ との で きる裁 判 所は ひ とつ も ない の で あ る
.
(→ 1946.
10.
25
) 第四共和政 (IVe
R6publique
) ア メ リ カ軍 事 裁 判 所の設 置 (←
1945.
8,
8,
→ 1947.
8.
19)(ア ンブロ セ リ102
頁以 下 )・
ニ ュ ル ン ベ ル ク裁 判 を 継続する裁 判・
国 際軍 事裁 判所で裁き え な かっ た犯 罪 者の審 議が行 われ た.
「国 際 軍事裁判 所で裁か れ た 以外の戦 争犯 罪 人や同 様の違 反 者 を,
裁 判 所によ っ て 追 及 する ために,一
様な法 的基盤を ドイツ に作 り あ げる こ と」 (管 理 委 員 会 規 則10
条 )・
本裁判で一
番 問 題にされ たの は 「被 験者 」の問題 (102
頁 ) ア メ リカ軍 事裁判 所の判決一
ニ ュ ル ン ベ ル ク綱 領一
(ア ンブロセ リ103,105,116
頁 ) 〔経 緯 〕 (← 1945,
8.
8,
1946.10.25
)・
ニ ュ ル ン ベ ル ク裁判は,
さ まざま な訴訟例に取 り組む前に,
将 来にわ たっ て も尊 重 さ れ るべ き 医の倫理の基本原 則を規 定してお くの が よい と判 断し た.
〔意 義・
位 置づ け〕・一
国の軍 事 裁判が, 非人 道 的犯 罪を犯 し た者を裁 くにあたっ て,
審 理の さい の証一 124一
フ ラ ン ス生 命 倫 理の展 開 (上 野 芳 久 ) 言と尋 問か ら
,
ま た,
始まっ た ば か りの医 学 実 験の歴 史か ら,
医の倫理の 十原 則 を定め た.→
医 学の歴 史 上,
法 律の歴 史 上,
ま た 西 洋 文 化の歴 史 上,
前例をみ な い.
(117
頁) ・初 めて被 験 者の 自 由意 思に よ る同 意とい う原理 が表 明された (cf.
1931 年 ド イ ツの基本 方針:科学的な要 請と医 師の 新た な義 務か ら出 発しており,
医 師は,
個 人の 生命と健康に責 任を持っ が,
被 験者の 自 由意思に は重 き を 置いてい ない) (121
頁 ),
・
こ の新 原 則に よっ
て,
医 者 と患 者の関 係は根 本 的に変 化 し,
それ が,
次第に現代 社会に定 着,
今な お そ れ が続い て いる.
(122 頁 ) 〔医 学 実 験が許 容さ れるた めの 10 力条一
ニ ュ ル ン ベ ル ク綱 領一
〕 (117 頁〜
) (1)被 験 者の 自 由 意 思によ る 同 意 を 得るこ と.
(2
) 実 験 結 果は社 会の利 益に役 立つ ものであるべ きで あり,
また,
同 様の結 果が,
他の方 法に よ っ て も得ら れる もの であっ て はならない.
(3
) 実 験の根 本は,
動 物 実 験の結 果に基づ き かっ病 気の来 歴 と研 究 課 題 をふ まえ て い るべ きで あり,
得 ら れ た結 果に よっ て実 験の正 当 性が証 明され る もの で な け れ ば な ら ない.
(4) 実 験におい て必 然 性のない苦 痛 や 肉 体 的・
精 神 的 損 傷はすべて避け るべ きで ある.
(5) 被 験 者の死や廃 疾を引 き起こす 可 能 性が ある と信 じ る に足るア・
プ リオ リ な 理 由 が ある場 合に は,
実 験 を す るべ きで はない.
例 外は研 究 する医 師自身が実験台 の場 合.
(6
〕 実験は,
そ れ が解決 する と思わ れ る問題の, 人類福 祉 的観点からみた重要 性を 越え た危 険 性を,
も た ら す もの であっ て は な ら な ない、
(7
) ど ん な些細なこ とで あっ て も,
傷 害や廃疾, 死を もた らす可能性の あ るすべ て の偶発事か ら被験者を守る よ うにす るべ きで あ る.
(8
) 実 験 は資 格を有 する人 間に よっ て行わ れ な くて は な ら ない.
実 験の指 揮者あ るい は そこ に参加して い る者すべ て に,
最大 限の適 性と実 験 中の細心の注 意が要 求さ れ る.
(9
) 被験 者は,
実 験 中に お いて も, もうこれ以 上耐え ら れ な い と い う, 精 神 的・
肉 体 的限 界に達 した と自分で判 断し た場合に は,
実験を中断 する自 由をもつ べ きで あ る.
(10) 実 験 を する科 学 者が,
継 続 すれば被 験 者に傷 害 や 廃 疾,
死 を もたらす 可 能 性 が ある と判 断し た ときはいかな る場 合でも実 験 を 中 断で きるよ う に備えて お くべ き で ある,
〔問 題 点 〕 (122 頁以 下 ) 〔上 記の〕 医の倫理の諸 原 則は,
諸 国で必 ずしもま だ実 現さ れて い な い.
〔今 後 は〕 医の倫理 の諸原 則を, 法律や政 治, 社会の な か に組み込まなくて はならな い.
(→1949
年世 界 医師会,1964
年ヘ ル シ ンキ宣言,1966.12.16
) ニュ
ル ンペ ル ク 綱 領 は 広 く翻 訳 さ れ た が,
特に フ ラ ン ス 語で は短 く省 略さ れ,
被 験 者の代わ り に 「病人 」とい う言葉が用い ら れ た.
合 法性に関す る指 摘は なく, 第 7,
10 条の死の危 険とい う語は抹 消さ れ た (123
頁).
ニュ
ル ンベ ルク綱 領は,
医 師が 「特 別 治 療 」 (= 収 容 所に お け る すべ て の虐 殺を 示 す 暗 号 ) 〔とい う犯 罪 〕に関 与 して い たことに触 れて い ない.
一 125一
湘南工科大 学 紀 要 第 31 巻 第 1 号
1947.
9.26
10.20
1949 年1949
年7.
7
ニ ュ ル ンベル ク綱 領 は,
全 体 主 義 イデオロギー
との か か わ りあい を,
充分に考慮 に いれて い るか ど うかわ か らない.
〔刑の執 行〕(104 頁 )。
被 告 人 23人の う ち,
20人は医 師.
・16
人が戦争犯 罪,
非人 道 的 犯罪,
犯罪的組 織へ の加 担の 罪に問わ れ,7
人が死 刑, 9 人が懲 役刑.
上訴は一
切認め られず, 処刑は主と して48
年ラ ンズベ ル ク で行わ れ た.
1941
年デ クレ27
条を改正 する デ クレ (←1941.12.31,1943,4,17
)(島田・臓 器移 植29
頁) ・遺 族の異 議あ る場合におい て も,
病 院の意 思が 「公の利 益が そ れ を命 ずる」 と評 価し た場 合には,
すべ て の解 剖を行うこと が で き る, と定め た.
(→10.20
) 臓 器 摘 出に関す る デ クレ (舮9.26 ,
→1976.11,
16)(飯 塚・
立法225
頁 , 林・
1361 号71
頁)・
生存 中の本 人の反 対の表 明が な け れば, 摘 出は法的に可能と なっ た.
〔背 景〕(→1976,12,22
)(丸 山・
比較 法13
頁 ) ・ 本 格 的 臓器移 植 と して最 初1こ行わ れ たの は角膜移植とい っ て よい と思わ れ る が,
これ は1940
年 代 中 頃に臨床 的治療 方法と し て確 立さ れ た ようで あ る が, 法 律の側 もこれ に対 応して ,1940
年 代 後半以降,
死 体か ら の臓器摘 出に関 する法令が, か な りの国で制 定 され る よ うに なっ て くる
.
こ の中に は,1947
年カ リフ ォル ニ ア州 法や本デ クレ の よ うに,
特に対
象 臓器 を 限定して い ない もの もあっ たが,
1949 年の フ ラ ンス の法 律,
1952 年の イギ リス の法 律,
1957 年の イ タ リ ア の法 律,1958
年の 日本の法 律のように,
角 膜 移 植に的 を絞っ た ものが 多 かっ た.
〔病 院に お け る解 剖で遺 族の異 議 ある場 合に解 剖が認め ら れ るか ?〕・
9月26
日 デ クレを 廃 止 して (っ ま りは1941
年の デ ク レ27
条を改正 して),
こ の問 題に関 する 争い に終 止符を打っ たデ クレ・
許 可さ れ た病 院に おいて は,
病 院=
施 療 施 設の医 師が 「科 学 上の利 益 また は治 療 上の利 益 がそれ を 命じ ると判断する場 合に は,
解剖お よび摘 出は, 遺族の許可がなく と も直ちに実施すること が で きる」 と規 定 した.
(← 1947.
9.
26 )(島田・
臓 器 移 植30 頁 ) 〔臓 器 移 植の根拠 規 定 とし ての意 味 〕 ・ 上記規定は ,1978
年デ クレ (→1978.
3.
31
)で廃 止され る が,
そ れまで は, 治療 目的の摘 出を認 めて い たの で,
臓 器 移 植の根 拠 規 定と して の意 味を持っ て いたこ とに な る.
そ う だ とすれ ば,
〔螢 述の〕 臓 器 摘 出 法 (→1976.12.22
)の制 定 前に も,
遺 族の承 諾 も,
死 者 本 人の明 示の提 供 意 思 も,
摘 出の要 件と して規 定されて な か っ たことになる.
しか し,
本デク レ に対 して は,
その適 法 性に問 題があるこ とが 指 摘されてい た.
(島田・
臓 器 移 植30 頁 ) ボー
ボ ワー
ル 『第二 の性 』 (→
1971.
4.
5.
)・
女 性の条 件にっ い て の こ の シ モー
ヌ・
ド・
ボー
ボ ワー
ル (Simone
de Beauvoir 1908〜1986.
4)の 先 駆的分 析がア メ リ カの フ ェ ミニ ズム の理 論 的さ さ えに なっ た (辻・
解 説293 頁 ).
人 工 授 精 (IAD
)の合 法性につ き反対意 見 (←1804
年,1883.
8,27,1897
年,1909
年) (高 橋・
動向 188 頁 )・
医 師 規律 国家 会議に よ り調査された道徳・
政 治 科学アヵデ ミー
は, 反 対の意見を 公表した.
・
しか し,
〔その後〕 医学 団 体は不妊 夫 婦に お け る男 性の不妊の重要性にっ い て考 慮し は じ め た (→
1957
年 ) 任意の眼球 提 供者の援 助によ る角 膜移 植の 実施を許可する法律 第890
号 (島田・
臓器 移 植 29 頁) 。「角膜 移 植keratoplastie
の実施を目的 と する , 人間に対する解剖 摘 出は,
死者が遺言条項に よっ て その 眼球をこの 移 植 手 術の 実施を行いま た は そ れ につ き便 宜を計る 公的 施 設 ま た は指 摘 事 業 団一
126一
フ ラン ス 生 命 倫 理の 展開 (上野芳 久 ) に遺 贈して い た場 合に は
,
死 後 直ちに死 亡と同一
の場 所で行うこと がで き る.
」 (単1
条 項 )・
こ こ で は,
死 者 本 人の遺 言に よ る明示の 提 供 意 思が摘 出の要 件と さ れており, 〔後 述 す る〕 臓 器 摘 出 法 (→
1976.
12,
22) 上の要 件 とは異 なる.
・
現 在で も角 膜 移 植はこ の法 律に よっ て規制さ れて い る.
(以 上,
島田・
臓 器 移 植 29頁 )・
角 膜 移 植の臨 床 化は 1946 年で あ るか ら,
フ ラン ス の 角 膜 移 植 法は迅 速に制 定された とい える.
事 実,
先 進 諸 国の中では かなり早い.
日本は1958
年 制 定 (1979
年 角 膜腎 臓 移植 法に改廃 ).
(唄・
比 較法 10〜
11頁 リス ト参 照 ).
・
本法は,
1994 年法 (移 植・
生殖 法20
条1
号 )に より廃 止さ れ た (→1994,7,29L
8月 日本の最初の人 工授 精の例 (→1983.10.14
) (大 村・
法 協 637 頁 ) 10月 世界医師会 (第3
回,
ロ ン ドン),
新た な医の倫 理の国 際 法 規 を 作 成 (←
1947.
8.
19,
→ 1964.6
月 , 1968,
8,9
で修正) (ア ンブロ セ 1丿122 頁 )・
し か し,
〔ニ ュ ル ン ベ ル ク綱 領の存 在に も か か わ らず 〕 医 学 実 験 や 健 康な被 験 者 の 自発 的 同意につ い て は一
言 もふ れられて い ない.
1950
年 牛の精子の冷 凍 保 存の実用化 (高 橋 ・動 向188
頁 ) (→1953
年 ) 1951.
1,25
民 法 改 正委員 会, 人工授 精に関する草 案を検討→ 採 択 (加 藤・
ジュ リ104
号58
頁 ) ・問 題 となっ たの は, 人工授 精の 方 法によっ て懐 胎さ れ たこ と が 立証 さ れ た と き は嫡 出 否 認の訴 を 認容で きない とする案 (民法 上は,
人工授精の後,
夫の気が変 わる と否 認の訴 ができ る が,
それで は妻や 子 が犠 牲にさ れて し ま うの で否 認を禁 じ よ う と し た)(←
1804,
→
1976.
6.
30),
・採択と同 時に,
行 政 的・ 刑事 的見地か ら,
特別法で人工授 精に規制を加え る とい う希 望がの べ られ た (←1949
年 )。
1953
年 バ ンゲとシ ェ アー
マ ン,
人 間の冷凍 精 子に よ る妊 娠に初めて成 功 (高 橋・
動 向188 頁 ) (←
1950 年,→
1983.
5.2
}1953.
4.
25 ワ トソ ン とク 1丿ッ ク,
DNA の構 造 を 「ネ イチ ャー
」 誌に発 表 (マ テイ3
頁 )・
これによ り二人は遺 伝コー
ド理解へ の道 を 開い た.
・
遺 伝学が (実は昨今に始まっ た学問で は ない のに)新しい学問の よ うに言わ れ る の は,
最近になっ て膨 大な量の発 見が な さ れ た か ら.
→ 人類が 46 の染色 体を持 つ こ との最終 的証 明 (56
年),
ダ ウ ン症を引き 起 こす21
番 目の染色体 異 常の発 見 (59
年 ),
1956.
5.
28 妻が夫に人工授 精を 繰 り返 し 要 求 し た場 合 (結 局,
子 は 生 ま れ な かっ
た よ うで あ る),
それ が離 婚 原 因に な る と し た判決 (リヨ ン裁判所) (←1883.8.27
)(野村600
頁)1957
年 産 婦 人科組 合 連 合,
「人工授精の医学的 ・社 会 的 研 究 」をテー
マ とする会 議を開 催 (← 1949 年,
→1960
年 代 ) (高 橋・
動 向188
頁 )1958.10.
5
第五共 和 政 (Ve
R
的ublique )1960
年代 人工生殖に対する社会の姿 勢の変 化 (大 村・
法 協 644 頁 ) (←
1883,
8,
27,
1945 年)・
次の問題 が人工生 殖を認め る方 向へ 向か わ せる一
因とな っ た.
(1
) 避 妊・
中 絶 問 題との 関 連: 60 年 代 後 半 か ら70年 代 末にか けて社 会 的 大問題に.
避妊につ いて一
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湘 南工科 大 学 紀 要 第 31 巻 第 1 号