経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名 アジア経済
巻 12
号 9
ページ 73‑88
発行年 1971‑09
出版者 アジア経済研究所
URL http://doi.org/10.20561/00052524
Ⅰ 日中関係資料集と『戦後資料 日中関係』
1971090075.TIF
t i ・中間の医史認識の落差について
ー
ι i J 1 1 .
'ι
推, fi
吋;)d t W
,油井優藤;;}『戦後資料 I l中 I Y J
係』(fi木正,
rm古社, 1970i!リをめくってI :1! / 【l'IA 、日 tI ' iI
Y
'\町f;;¥:'Uf I I 川内1r.n II 十. t >
よ"トト正し'i¥i::il, ji/l }l̲l ii ,’•i 、 よ . IL'.,お正qノj5:1 '.!. 'Lr11'! ::・r I'd'~
: :
' I' /1:; ' '.1 ,'、,,,虫、 III 「1i¥iどI ', 'I'的(
] '!l ., f:七1,1し|!【ドl¥'I千二l
'.!. 1i1I i ,'i',, にい的 (!i空 YI \•、 1 , 1, I'll'ι iV
i
・,:''ゎ.I"' ,iJ,,'.,.〆VI 'I小一'',,. , ' 1
iし IIやわ 'J , Ii, I内 ゴ
ー II ・ , '.',J .', •i 1111, ) ,r, ',.ti/'i:i
¥' ・'I fr 1(1 '',I令 1, 1 W,I 1Y ~i 11
I. 1,1, ¥,:(,J,1,', ,,,,~11:111,[11!}J γ1, ,11, l'i t I〜<hi 三 'iI'. 111 l人, Iけl','(I
:L ・ ' ' 11'1 ' ' ¥'r 1
VI 11 I・,此l{JI I !i• ' )8 , ; ; j川、i、J;,i
j . ( , i / ,
Vil 洲l l :1t I 1:1. :11。 日
l. :・,. :,',, i 11 :‑.! J i'i : I ' −見j、ぜl!,, ヤJf'11:',:、 fI, . ' ! ゴ!!)
'.?. 111 山・叫.fI: J; 1::1:m
I
日;ド関係資料集と『戦後資料 日中間係』最近いくつ/・J0) r:l中関係を扱・:,た資料集支たは 7詐去者が出版された。おもなものを掲け、ると次の
どおりであゐ3 日中戦争史関係は除くc
i 1 I 「特集・[J;j支[w]JS[(IJ条件jl『判iii):,1%8fト$
月),竹内好氏の解説が付されて」、るコ
己主t'J
f'.OJ
t 巨
逸12) ,1f IU武
ι J
「庁十日発三にみるi[Eドl認,;殺J
(if中 1t:JJJ, E11oqユ4J])、]3) 外務'f'1LJ1I lj ぷt~{-d1't
I i ' ! : : !
!?関係正本資料集 l !);!<)〜(i9年,1 (i?,.?111会、 19701!4 J]内)(41 子iJI I;ιHi, q,111(;出敗、池井{長編
l
I'没後資料 IP↓−iW l f
系r(
II 本,,f~,;" i'I- 1970,r.CJJJ)ハi:i) 民主主義研究会議iiIJ!日 本 ・ 中 共 交 流 年 誌 (Jιl‑19午〜 1%7年)ム
(61 t:1 I下
1 1
~.~ 促進議員連盟 r11 中関係資料集.:1I [l)(i7(ji。)
(7) 外的行アジマ)寺中\11,,W:編「中共士、
J n
草要三l
漁民L
19:;:̲2{下12月ヵ、1・,l['Z}Jきれ,現在Hi集主 でit' , ) l
反されノてい心。1s1 ti中貿易促進議員連盟『
n
‑t,条約にかんす るllJ会審議1
〔19fi9'1'舟月)。(9) アジア政経学会編
r
中華人民共和国外交資i n
総 覧.fJ (‑(10) 口:本回
i
探問題研究}刃『新r r r
誌資料1
長成」192年カ、)(1970 今二ま vぞに,第 1 巻 (194:'i ~ •17
1fを収録)かん第 4巻(1%3〜55年 7月)まで が出比反されている。
(11) 続本武治,)!!聖子重
f f
:編『台湾経済総合研究J 資料編(アジア経済研究所, 1968年)。1971090076.TIF
(12)両市恵之助,富山栄吉『日中問題入門』
(む波書店,
1 9 6 2
年J O J J
。)(13) 日本中国友好協会編『日中友好運動の歴史』
( I I
本中国反行協会,1 9 6 6
年3JJ)。(凶山口一郎『近代中国対日観の研究』(アジ ア行済研究所, 1970千円。
(1)から(6)までの第
1
グループは日中関係諸資料 の資料集である。第2ゲ、/レ−"7° (1)(7)(8/Lt日中関係 資料を合むが,編集目的が第1
グノレープと異なっ ている。第 3グループの(9)〜(11)は一般資料の中;こ 盤要な日中関係資料を含むものである。(11)はとく ルその年表が有益である。一つの内外の事件,事:J f
(が国l
刑罰係全作わせて有機的じ関述〆1けられて いる。第 4グループの同〜(14
)は研究者,啓蒙替に J,,.r!,する。日中1 i 1
係を扱った雑誌翁文仕たくさんあ るが,ここにはあげない。ここむ書評として取り上げる『戦後資料 口中 関係』は慶応大学教投石川忠雄氏を中心としたグ ループが編纂したも山である。 7ポ♂;
i , r ,
字を{点っ てなおかつ500
ページにおよぶ莫大な資料集で,収録点数じつに
595h
におよぶじ日本政府,1 1
本 の各政党の対中国政策の資料およびその他の日本 側資料をまとめたものは,従来,なかった。 ζれ じの資料iま散砲しrやすV、ので,一冊の資料集にま とめられたことは関係者に多くの便宜を与えるも のであろう。しかしその反面, J[i接話が多けれt ‑ f
多いほど,明確な編集方針と編集技術上の改善が なされないかさり,問題の処在を読右1
こ十分伝え ることはできなくなる。以下において,本書の特 徴とともに,称i
集方量l
,編集技術の紹介と批判をしてみたい。
I I
本 書 の 構 成 と 特 徴本書は三つの部分からなっている。第
1
部は「戦後日中関係の時期区分」,いわば解題部分にあ たり,編集方針が述べられてし、る。第 2部が本体 で資料集成,第3部は収録されていない資料を含 めた時系列の「日中関係重要資不ト覧表
J
である。1. 解題部分にみられる総集方針
編集者は,今日の日中関係の基本構造は
1 9 5 0
年2
月の「中ソ友好同盟条約jと1 9 5 1
年9
月の対日 溝和条約および52年 4月の日華条約によって規定されていると考える。次のように述べる。
「この時期(1
9 4 9
〜5 2
年一一引用者注〉には,中国 叙~か,,すれば, 1950年 2 月に調印された中ソ友好 同盟相五援助条約こそ日中関係を規定する諸要因 のなかでもぜ》とも基本的なものであった。一・ー・中 国は,中ソ友好同盟相互援助条約の第1
条におい て,ゾ連とのあいだに 締約出の双方は共同で一 切の必要な措置をとることにカをつくすことを保 証し,斗れi
こよってf l
本あるV't土直接・間援に侵 略行為のうえで日本と結託するその他のか方、なる 国家の新たな侵略と平和の破嬢をも制止すること 期すふのいず,tこん締約国のL、ずれか A方が日本あ るいは日本と同盟する国の慢略・襲撃を受け,そ れ に トyて戦争状態になった場合は,締約i
誌の他 の一方はただちに全力をつくして箪事その他の援 助を与える と規定したのであった。一方,戦後日本の対外的撰択は,
1 9 5 1
年9
月に調 印されたサンフランシスコ講和条動ならびに日米 安保条約と,翌52年4月,台湾の蒋介石政権とのあ いだに結んだ日華平和条約によってなされ,今日 にいたるまでの日中関係の基本構造がここに形成されたことは周知のところである」(傍点引用者〉。
この基本視点から,
1 9 4 9
年10月1日の中華人民
共和国成立時以後の資料が収録されている〈注1 ¥
49
年以後を5
期にわけで解説がつ付られている。この時期区分は「問題の一応の整理のために」行
1971090077.TIF
なわれたものであって,他の区分もロ
1
能であると述べているJ
第1
W l
c1c1.19〜19524'‑) 上j中関係の基本構造の 確立期。第2期(1953〜1957年前半〕 中国側の対日政策の 変化と二れに対する
f l
本側jの反応仁上,て,緊張|現係が緩和され, (積み上打、
h t t l
が定 着した時期とする。第3期(1%7年後半〜19日午前半〉 「二の時期は 中岡の対日姿勢が公面白りに硬化L, 11本銀I]で は中闘に反発する岸内閣の姿勢が露骨にあら われて,日中関係が企箇的に断絶した時期で あったん断絶は19:i8~ t月の貿弘協定の破 棄をさしている。二こでは,中間
l l l i l
の姿勢が 全面的に硬化し,岸内閣が反発したという形 で描かれる。この解説は,この期の日中間の 緊張は, 1957年6JJυ〕 ;~:首相の台 rPJ, r h
r1nに端を発しているとUウ
J
旨J
国国内の緊張一一具体的には1957年後半の反 右
M
闘争,57
年末,う らの大躍進運動に求めようとするふしがある。
第4期(1962年後半〜1965年前半) 中 闘 は 保 守 党の政治家を含めて,民間レベルの人事交流 に力をiヰL、だ時期であり,日本政府
l
土、政経 分離のもとに,保守党による貿易拡大を承認 する一方, 1964年「古田書簡」で台湾への本 格的経済進出の契機を作った。これにより,その後日〕日本の対中|五プラント総出は大きな 障害にぶつかることになる。また,日本政府は 中国共産党代表の日本共産党大会出席のため の渡航申請を拒否したことなどから、中国の 対日批難ボ,強化して行なった時期どちえる。
第5期(L965年後半〜現在) 国内で文化大革命,
国際的にはヴエトナム戦争の進展,中ソ対立
の激化などにともない,中国共産党と日本共 産党との間に大きな亀裂が生じたことが指摘 される。さらに, 1969年の日*共同声明によ り,日中貿易は拡大したにもかかわらず,そ れを支える日中間の政治的基盤が不安定にな ってきたこ止が指摘される。中国側の対11批 難,警戒心;
t
ますます強まったとする。2 .
資料集部分の特徴収録分類似
t
!と収録点数はつぎのとおり。第 1期(1例9〜1952年〕
(1) 戦後処理 2
(2) 日本「解放」工作
9
(3) 対日講和問題9
(4) 日中口弘 () (5) 日中友好運動 1計 27
S i }
2期(1リs
:,〜1957年前半)(1) 日本人戦犯・在留邦人引揚問題 お (2) 国交正常化を含む両国の姿勢
l
40うち,六回11i閣 (4)
鳩山内閣 位帥
石橋内閣 (3) 伴 内 閣 (3) (3) 日中貿易 1:3 (4) 漁 さフ母ド; 12 (5) 日華関係 6 (6) そ の 他 3 言十 82 漁業関係と r1華関係の分類項ロが新たにはい る。第
1
期では52年4月の日華条約を日華関係と して独立させず,第 3項の対日講和問題に入れて いる。第1
期では第5
項にとり出されていた「日 中友好運動」の項は第 2期ではなくなる。そのか わり,第2項の「国交正常化を含む両国の姿勢」に入れている。鳴山内閣時代にそれがみられ,的自 中国交正常化問題,(ロ)日中諸団体の動き,川その他
となっている。(ロ)が「日中友好運動」に相当する。
第
3
期(1957年後半〜1962年前半〉(1) 日米安保改正問題を含む両国円安勢 190 う ち , 岸 内 閣
( 1 2 1 )
池田内閣 制
(2) 日中貿易 (3) 日中漁業 (4) 日華関係
(5) そ の 他
29 1 0
4 2;;i
235
「日中友好運動」の扱いは2期と同じくとくに 取り出されていない。第
1
項の政治姿勢に分類さ れ,以後この方式がとられるυ第 4期 (I川2年後半〜l凶 作2前半〉
(1) 交流積上げと両国の姿勢 ろ
t
,,池田内閣佐藤内 ~J (2) 日中貿易 (3) 日中漁業
1 1 3
(9司:
倒
1 8
2
U ト 1 3 3
この期には「日華関係」がない。第
6
期(19 6 5
年10月〜19 6 9
年) (1) 文化大革命と両国の姿勢う九、両国の政治姿勢 日中諸国体の酌向 (2) 日中貿易
(3) 日中漁業
(4) 日制調係 2
計 1 0 0
多分校正時点に出されたものと思われる新しい 資料 3点が故後に収録されている。中華人民共和 国と朝鮮民主主義人民共和田との共同コミュエケ
と貿易関係 2コミュニケがそれである。
以上の概略から編集上の特徴は次のとおり。
( 1 )
資料は19 4 9
年10
月の中華人民共和国成立か ら始まっているとと。それ以前ほ中国制2点, 日本側2
/;くあるが,それらについては注I
参 照。( 2 ) 1958
年以降の収録点数が売急増する。とれは1 9 5 8
年の貿易中断にかかわる資料,1960
年の 安保改定にともなう資料がおびただしく出さ れたためであろうが,他の理由は次の特徴(4)l
こ関連するつ(回収録資料の問題項目別分類は第 2期の方法 が貫ぬかれている。つまり,最も大きい政治 問題にかんする両国の姿勢,貿易,漁業,日 華関係の四つを柱にしてL、る。「両国の姿勢j
のなかに,政府,民間の資料がともに入れら れており,よく言われる中国の外交政策の方 法一一政!{:!外主と人民外主ーは分類項
R
に はいらなk、。主たその他の項目,たとえば,領土問題,講和問題,学術主流,スポ]ツ交 流,遺骨送還,在日中国人問題などはない。
広い意味の政治問題を除けば,貿易と漁業し かない。
6 3 4 5 7
7
担担任
1
(4) 収録資料は中国共産党,中国政府関係者の 対日発言と日中間の諸協定を中心に編纂され ており,日本の民間レベルでの臼中関係とく に国内の友好運動の資料,台湾区国民政府と の政府間・民間レベノレの日中関係資料は存在 最に比べて収録点数は事Aしく少ない。資料の 主体別点数は次のようtこなっている。
中華人民共和国・中国共産党の対日発言297 日本・中国(大陸区)諸協定
146
日本政府・政党関係8 7
日本民間の資料Ⅲ 「戦後」の理解について
1971090079.TIF
f−;湾
I i i
]民政府の対日発;':\'介山
1 1 : I
叶Lベルの対日明係資料~I ;t,:・台湾諸協定 そ の 他
0
10 分煩;
t
,十日け的であって変動は可能である3し かし /ピ,1',たL、の重点が免ir
>れるしもとより、資本|はf主的多寡ではなく質つ:EI)重要資料が 収録さjしているか百かこそ問題となるり
i
をに 述べる七うに三G')点をl
ラ!差しても, 11本!J,]1勾(I)反り
j ' ‑ ' f ' .
凶JC'l' ι
録、日台閣係資料の収駄の実 態;立大き,~1:問題がある υ この !'ill 分の資料は編 集計の! i U
にははい,c,てこなかったらしし〜本資朴正の特徴を一三ご表現けしは,中華 人民共hilt・!lド国共産党の対日発言集, R
q~
諸協定
j f :
心すぎないのではなL、/←ろうか。3, 付録資料年表、その他について
11) 付録白料年表は1949年己)j
t ,
11のl
市広売 目政府の対草侵略日本人戦犯釈M r .
に閃T
る中共中 央 委u
会しり;:i lりl
」から始ま I), 1970{f 1」 )
19f l
の「日中覚芹貿易締結
i
二; , !! u ‑ t
る}li],l;'.'.l斗ミ議活J
:主で の官'l ' l t
,をぬ載してし、るJ 本書にl l ' x ' . i
よされた資料 れみた九ず司未収録資料も資料¥ i
が掲載されてお り,利用訂;ことぺてはきわめてf
更利である。しか し,前J頁山持徴 13 )で述/、たように, 1000:t~ におよ ふ制裁資料組1 ' 1
:土時系列であって?ユ及口りljに;土分' J : H
されてU、;\二詰:しく
i
成Fかさせて1ぜ、;;::,0(2) 本資件集成は師、丈主義をと什て1、,ない。 本書
i t 日 " J J i
で参巧丈献を7
点あ,r ,
これを出礎 資料にしていふと述べている。そして比例で,i
出 典に示した資料の訳文を尊重し,明らか/.(誤M,
;以記i
ノ ニ
1',、て,!Jみ訂正乞行」なったと述べ口、る。また, (仁
1 1 1
告人民共和国につL、ては略どして 中 共 を使用し,中華民i
司を指す場合はI t !
府 を使用した。北京政府側の資料・本文は原文のまま で あ る ふ 原 文 主 義 を と ら な い こ と か ら の ち に 述 ベるよう/,( \;、くつかの欠陥が生み
/ 1 1
されてL、る。(ilニ:l) !液河にU,19491il0Jl l日以前の資料が4
, ; , ̲ ; l , : f i :
rうれてL、ろ今中r T : J H U J n
t;v J ,
1949‑'f'. 2 JJ 4 I i「l有,;,:,−/,'凶政I:;CJ Xt
f
付}Fli¥11 1三人単UL¥fh:牧にかん−j:/'J寸tJ七 ,j, '1:::t ( l J , v J , r
けIf]J , f i
/]2011 'f:析手干上;rド:文t
! l ,;,'~' ff!士 ( t、トくi ¥ f :
Vi,]{I t (l:島 •!})J ,
I l本JWJ2 /:。匝 「戦後」の_
f i r !
解 に つ い て本部以降で編集方針・編集技術上の問題につい て|問題点を指防
L
,批判する。.'tず日中関係にかかわるいくつかの疑問を提出 し亡みようc そして本資料集成がどのような資料 をf目立してくれるかを考えてみよう。次の四つの 疑問はごくー一般的なものである。
(]) 討中間の戦争状態
i
土法的にいっ始まり現在 どうなっているか。(2) 「裕介石総統に恩義がある!という。どの 上うな疋i、義か。
(3) [「1本は中間に多大な人的・物的損害を与 えた
J
というc どのくらいの損害か。(4) 昨年, H本人と結婚した中国人女性が日本 政府にビサの延長を申し込んだが,一時期拒 否された。日中間の問題としてどうしてこの
ような問題が起こるのか。
結論から先に述べると,本資料集は莫大である にもかかわらず,これらの疑問にたいするト分な 資料を提供してくれない。以下におL、てこれらの 疑問にかんする重要な資料が欠如しつつあること を示しつつ,編集方針,編集技術にJル て批判を 行なう。
l. ヤJl,タ体制と日中関係
本資料集成は Ti談後資料 [l中問題』という題 名にもかかわらずラすでに述べたように, 1941)年
今Hの
i i
中関係のti;本構造は1950ff2月の中ソ}反 対はI
『l
条約, 51年9J J
の対日議干n
条約および52年 1 ) Jの口華、「干II条約に上って決定されてL、る左ち ゴ月4 n
(/)新卒社論文から始まる。i 1 1 [ 1
関係、においてf:l本の「i機後Jが49Ifから始上るとはどうし、
えと)Q とくに, [中ソ反対1
, ‑ , J
盟十fl:L1;長助条約こそ I Iq 1
関係を規定する諸要I}:]のなかでもマpと七広本 的なも(/}」({女子/,,,;y.高)であるとちえている。}J ! J
} () 日本でJ土一般に!戦後i
it 1 ~H:i'fL ;)ミl, 三ど日中
f ¥ c J
係l
こJjL、亡l
土喝 J見{l:点、「1 r t 1 をI
h c1 /J, 府J115fl
;~,,, 1/ [ i
主ると7.gl:設さJ
Lて)、らり九ノ } レ グl ' !汁 l〕
十 一u つ
~I ・中内外に才;し、て,iJ:見の十ll t( (/) ;)、司
l
戦irわ11」
f
l
中関係の基本懐j査を決定的に授 定してし、るものはヤル守体制または東西冷戦備造 であるとf
呼釈でさる。このたえはf l
本関係の主{苫本 liltj)1/を千三える助合に,司;十づ士なものであるごとを 以下で述ぺてみたい。)/,J知山上うに,中、ノ友好同盟条約は二つ締結さ
J , t
こり];((tl}のもの;U945'.f‑R
月14[ l
の「ゾヴイ工I
・
社会主義共和国連邦とI11革民
1 1 1
どの間の友好おI
i
寸長でi
{えffa大きいJ 中手作人民共和国は[
l
本との!日j(上依然としてが、 li1J ;こ •rVfriJ、@で主〉る三とと、、 :!
, ; g
、i
:議(ごた「I,t;で[し ~J
1 f 1 I l l I V
!;率、にお,, 'て;,1i¥jを! i.il'.Wlil三(1¥J千医人l·~北京l[Jilv'Jfix:i;:) ;'J,i , h t , ・ ; t
ふとL、 九時代;::上定合無'.(J:,1法 にしている人々が多い,rj −JJf ︑
Tu −
F1 \
口、的;こ
i
土llF,2干f‑,j J J (I)1 1
=4¥条約以徒品 l戦 役lで あるどー与えている人身もいるη1 ,
l,f : l n l
百万・木戸;で一j!伎の,;
r . , i
;二 無;0
:,;;在に見!i(tL
たどすl l
ば司('I:ソ条約百
q
と匝1 t ¥ 1
ト「る)である。日ゴ\
1 1 l f 1
はキ;資料集成が取り上ifてし、る19Soif2J J
の「ソヴィ γ トi'[:会主義共和i
ljど中華 人民共和I i i
去の間の友好同盟及び相一圧媛iめに!Ml
する条約iよび同
m i
条 約i
でのことIti~~ 勿!なれu1m を1~lr" IJJ民 政 府 の 什lを除L、
f
こ多< ('〕i1111'! 人が、明{1;♂)上lL{11::1 it (1{(~)~ と L て法的に i政争吠j色であ/.'.:,
〆:;
:
I t
先生で!おるだけに、日本政iffぷL、
Lちく l ‑c
、るロパ二/「二L、l,
¥, '
この二二/),士き 竹内好氏は2条約の織承の これ
i
土するどい指摘であ(rfrソ条約f';j;'.!ど略的、す ζ〉)であるの わめて知{灯、Lており、
似l]jfiiを強調するが,
ぴ)「|本人・l 「戦後|は十でに,19fド主
f
三は5こ'.ij二(ト! ' 'ごし、らと,I t !
,:,在してL、ると 古工条約制;れ' f l
泊込,・,t
合主このfij,(!)白件先nlJ,CliJ'.¥,1\察庁ik、どうして すii
t f ,
る1/1,2\ 先 のIIのlで,行者は解題部分から長い そこに編??によって引用され
i J l r
討を行な/〉たが,このような
ι T I
哉のl
九差点寸ミまれてき/:二分を,1
主本資料に -ix~.i ,.、て埋解ーできる上うに;In\ 繁してこそ、
耐集:Jj"JJ真{ilfi;',;発伴、できるであろう ている部分は
r J 1
ゾ条約第2の出 i条である。t土中ゾ条約t
( } lの第 3条に相当する。第 3
条は次 のような丈7j'てある。「締約百はH本にたいするi除争の終結後におい て[l本
i
斗をして侵略及び平和の破壊を繰返すこと をイJ可能江んしむるため,H I
l主にあらゆる措置を みずみごとを訴がJttりつ締約I T
]の− −方が日本国に 依る怯略及び平和H波壊の結来として日本田に対T
と:.軍事行動に捲込まれたるときは,他方の締約同 は,京市行部jに捲込まれたる
J
亥締約国にJ r
L 正lI . k l
の有する子段を以って軍事
i
:の及び他の援助及び を19lD年から始めて両者カ・
n 1 1 ' 1
主j係円「戦後i
11
4 , :
,,、ド論来日[;び> I il没後J
資料シJIースcl)企阿i;二
ι
、ってL、心力、らというよUli±iどlJごあれ ば,あまりにも皮1 1 1
的とある。 1949if,こ中本人民1ィ、るのは噌
日中関係の J戦{をjがそ
お!Jこ ~mu を七たさとJ を、乙たい。 t r~(i 仁川、細長 ,J)
!戦役
J i
二/二L
、寸るで;え}J/士電解思;;l l
分から占h
時三i ' f
ハ,l r
rr‑1同1 f
系iニ対ーする弘、本的G
ぇJjに工るものと をけどれるJ すでに紹介したように,雨if 1 ' i : : t ,
、たとた一えれば,
f
仁才)'~ム, 11\11\古山、~共和国治情比v̲したか「〉ラ 二から始支
1971090081.TIF
支持を与うベし。本条は日本聞に依る之以上の侵 略の防止にJふきての長任が両締約国の要求に従い 閤際連合機構に課せらるる時に至るまで引続き効 力を有す
J o
q i
ソ条ポJ第2の第1
条とのぎi
は,第1
の治3
条 では「日本閲による侵略jのみをあげているのに たけし,日三の第l:'(: f土「日本i
弓又は凶接に若しくは間接に日本固と侵略行為について連合する他
ゴ
)[I
l
の侵略一と第川1 1
をあげて:、る点であら。こ れは当時の政治情況からアメリカを指してヤることはのちの劉少奇説明にも出てくる悦3)η
Ilの1 n編集者俳壇れらの,
J i
市部分にある中ソ条約第
2
の第1
条にかえて,中ソ条約第1
の第3
条を入れ込んだらど凡なるかゾ内容のH J
似性から 日中関係の基本構造は19 4 5
年8
月のソ連・中華民 同友好条約によって移成されだとu、う論理泊三成立 ってしま九この論理は歴史の推移か(, ¥, 、かに無 意味なものであるかについては説明を墜しないで あろう。類似内容をもらなが['.》中ソ条車 'J;;f;lが日 中関係の基本構造を規定する「もっとも基本的な も(!)」とf
仁らなか〆) /こ。同様に,中ソ条約議2も 編賓が強制するほど「もっとも基本的たも内jで はないのではないか。歴史的にふり返ってみると,
q i
国のf a ! A
政策は1 9 5 7
年岸内閣の登場と中閣の対ソ自主性の拡大と によって変f
じする。上j本側では,岸首相の台湾訪 問, 58年の長崎国旗事件, 60年代にはいって安保 改定,さらに台湾への経済進出の拡大,アメリカ との経済;: : t r : c . ' L
,軍国主義の拾頭等々。中国側では 58年大躍進政策によるソ連路線からの離脱, 60年 7J J
のソ連の対中国杭3斉・技術援助協定の倣棄,中ソ対立から対決,文革を経て,中国は自己の運 命を自分で決定できるようになった。つ去り,外 交
i
師でみれば,中、/反立子条約ヨ:;2が日q 1
関係基本構造を決めていたのは50年代前半にすぎない。
r p
ゾ友好条約第2の構造が対日政策に最も明白 な姿で議場するのは54年10
月の「中華人民共和国 とソヴィヱト干上会主義共¥11国連邦政府の河本との 関係についての共同宣言J
(本書84ページ,以下ペ ージ数のみを示したものは本資料集成の出典倒所〉で はなv介、。中[J i
]がソ連との関係で対日政策立 弘 実行の独自性をもちえなかゥたという意味におい てである。こので,[干はやがて日ソF r l l
の,先;こ戦争 終結賞言,後に講和条約という方式へつながって いく。中国の19 5 5
年から57年始めまでにいたど'.>[ El 交回仰の考え)Jはこの方式に近いものであったようにみえる。たとえば, 55年8月1
7
日周思来総理 と日本の新聞・放送関係中国訪問団との意見交僚 は次のとおりである。 「日勝講和条約の廃棄がか ならずしも,r t 1
II 両国関係の正常化を促進してゆ くための前提となるのではなく,中i
I 両国関係の 正常化を促進してゆくうえの目標であり,同時に その結果である土理解して上いかとたずねたのこ れにたいして周恩来総理は,大体そのように理解してよL、と答えた
J
(53ページ)。56
年自刃19
日f l
本元市入団との会見では局総理は「中国は屡々述 べている通り北京の飛行場は日本の鳩山首相と盤 光外!日には何時でも開放して待っていますj 〔6:lページ)と述べている。
この上うに考えると
50
年2
月の中、/条約第2と
ヤルタ体制との関連が問題になるであろう。評者 は中ソ条約第1
はスターリシ・トルーマンのヤル タ秘密協定を,q 1
同が事後的に実質的に承認させ られたものと考える。中ソ条約第2はニつの側面 があり,一つはすf社会主詫ITJ中国をヤルタ体fl,IJに 組み込むこと,第2は,中国からみれば,少しで はあるが対ソ自主 けを田?反する第一歩であったと 考える。これはいわば大胆な仮説の段附であるが,79
こ内ように
・ , r e
えたjJ方、;符が通る。対ソI」二日生の
r
,川区の側i
耐え1915年8J‑J ]5 ! !のと長 徳 総 司 令 が 米1
夜、/ :1凶;::.j ' . f s
》t
.:元 ÷ 7
ぎを継承する ものであるの米徳覚書;土日本降伏i か 勺 4
→べての同|際的取iために,--,きう解 !i~ 区民権の [i,J,i;f: をえてな L 、 ものにた L 、しては,発言権 2~ 留保すと〉と i七ぺて L 、 る)三れを,加藤祐三氏
i
土,中JJ;j叫tノ〉「二二に}ザ!
らカミに i下、/‑Ji̲ij子l司:
i
兄条すくなくとも角平1?1.r玉と
1
々占領i
也!三にかkする力、ぎ り権利をW l f
快するとL、う部分的不j式認の態F ¥ t
去II/] である」(ト4 とらえてL、るが,このfrVi'.釈J U J l
史の ミ~·実にそって L 、る。ヤ/レゲ協定
l
土(ロ)でソ速に大連南港の優先的隊主主 を擁護し 旅)l[fi[立の抱f
町長のi 1 i j
復 を 約Lラ(ハ1
で[fl 東清鉄道I l l
南ii高山鉄道の L{1ソ合弁会社に仁る運f t '
ソ速の優先利益を保障LてL、るコさらに宅戦 争 直 後H本軍の接収にあたって、ィ;主i
土東北地[手:fと,米 1-1~J !
: 1 ̲ l ) J
内 の 華 北 .‑Ip'夜 で 目 民 吃JU
見'W
の 段 収を支援し たコこうなてくると、 50年!.'J J
のq 1
ソ 条約第三i t
来日豆、東北地区にたい?と:,rドI
1c̲Jの};り 強ν、主権そソ述にi l k
必さ斗士る効栄をも ,jじ: 1951 年 中ゾf
−;弁 各 企 業 の ノ 連 株 , 大j主治,f ' . t i r : i i : I .
1! 1 ! 1 1 ( : . i ' i i ¥ ¥ ' i
さ:lU二.,これは対、y自主将t!ri]jUσ パl~二歩て守 ある。 195di'F以後は吋ゾ自主権び)完全t . , : ! 1 1
]復へと 向かうのである。それを完成したのはレうまでも なく丈化大革命であったっ以上の l~;ii 刀為ら中ソ条約者; 2 が'}- f]にいたゐ f1 中間係の正本構造を規定する諸要
l F I
の中で!もっ とも基本的なもの」と汚えることには疑問かある。2 .
中 園 革 命 民 族 解 放 闘 争 と 日 中 関 係 ごく常識的であるが,日本間係♂)t J
;本構造を規定している
1 £ 1
も重要九、要素;土日本市二国主iたがれ二な った15年日略戦争とそれと闘った1 1 1 1
耳の民族解放 闘争に求めるべきであると汚える、この,,;_,:、を中心80
にすえて 日
q i
関係資料をお占んだ1 1
,のに竹内P H t
の[特集
l
且交Hi
包の条件[があるU!5 \,竹内lU
土 Ii
本 の 位m1tに伴うL ! i ¥ £ . 1
国 内 のfhj伝的発!誌を軸に,でのろえで
U 0 I F ? i ' H t l f
系企"r;J,在してl l
rドWW
五士論じて L心 。 紙rlli,iの|望日系でl;,J)本本資料しか11',:j,Jしては いが,その1 1 1 T
;どに~)けた解題i主要領よく問題点を えぐり出してし、る。とくに, II本 の 敗 戦 が お お む ね予見されらJようになって以後,中国[̲Ij内の1i没後!,/存!.出がJ9・13年向上亡党側から『中[J:Jの命jfilJが, 45 :
;
. 1 )j
q
,共党H
りからE
沢東のL i
主命政府論』カ子H
~ it, 「三び)士、
t
合:ずらごつの思想の争いが,戦後 のr 1 1 I t :
!全焼定したばかりでなく,今日なお尼をつ!いていゐわけだ、jと指摘する。そして,雨煮の忠 }i¥・政治闘争がのちに(
i s l
際i
沼{系とくにヤルタ体出店 内r J 1
にキllみ込t
j;[てし、く過程が拙かれてい;,SoI
i
本の中国侵略は三ノ) (/)形態をとった。 l的以下 下関条約に上る,{r . " 5
(})領有(円本j権が及ぶ領土門r m
と1!て).抗2郷土11n21f 満州国 という姥悩 同 家 建 立 のjJュに第3期 はl!J:15Jfll月 の 葉 東 防 共 政 府 以 後EJ.10ff3J ‑ l
のj ' f ] ι . r r c f f r
前年i f ¥ ‑ U
怖政権方式であ るコこの|首], . J支も公式に'1 1 :
単kを:l'tif]してし、なヤ。これに t:. いし中!t~
{ ! U l
は中華、/1プfエ ト 臨 時 革 命 政 府が l!l:\2~f,jJ l
15 !1 対口百'I設を布;~·, ;()与介:行のL t l
民 政 府 のjJ(工江i段布告をず−Jと行なわなノト−Jfこυ
19,11:ff¥2月8f1 fl本が米・1廷にr):戦布告するに及 んで翌日の9れに有
i 1
与した。ヘ;格',:f t
を中心とした 民核解放闘争勢力の成長にともなって,J
充口統合 戦 線FにおL、て[T J
・共の衝突が発生すーるようにな t:= , ,fl本 の 敗 戦 がj[r/3くにし た が っ て と の 対 立 は深:!::−,ていった。日本の敗戦とその後の国・共 対立はfl1 [ 1
の人的結びつきに大きな変化を七たらし
f
こOi二i本 敗 戦 後 の
J f ' J
・共対立は勝手1]の果実をだれがJ
足るかをめぐ fて深刻化した。 Eト15ifo8J J
11 fl宅1971090083.TIF
延安」也[_{v'川、:
b
詑11]~ii 上店 l、ゴ;人以南:二 il本市J〕1:\;}と f!l'~l'iJ; を,f打じ fこ r 1,,J: 11
i '
年介 11; t l
i!ij村守;:大に午~;-全 i玉川、 在i
・ J i f d!Jn(/ 1 l :
ムどL ¥ J
,!J{,Pr1t、j ; J : , , .
J百rti T
にIJti1ふべさこととj邑j):L ./ょ こJlにも と/ぺ、ご NI l三::11H 1 . U , k ,
t [,,¥HJ',宇:にようくぜこ: IN'i:J,',‑ ,
,s:f,JJC' > こと)ん、 II 木市〔/}』 l;J\f/Jf(i\;j~!;‑(j
h , C . '
ふカA二i)に!凶l:JJ日i'.JjjtliJi「!???をどノペこと、 i)し 1 l手f, i z
I二;J;.('ll.t-~' ; L ‑: '.、ゐいくノノ乙 ι)/(ft!¥11i 』/; iill了・ f t ', } )
r
e
:二/存した,−,二i;l全11;1,,1仁、" lj寸,,'L1 [ 1 1 l '•)•
7) ; fl]ず;
:七てそ(/)J 出:士二'f ふこと 7;守口 ~L"i,tてLと、J ',‑6、"J )
: l :
,)、 lilf{'5iじと「i本ff,'.と山本格的なが i,i[/;・‑./,frtる
(,')である J :i!f fl' 1‑1とはりjlトF. / ii\与:111土品tl/,
f ' J
成聖子主J(c.7J,i己批'' 7 くt'\日;,\,fiとえJt/1: j ふ ,'.~,-!> JIIi本軍 と,,>'f:if ‑: , '" / ,,;l人「》jしゐυ1:fぅ;;,;のH本i可iir;。政僚と 作介:行政権と/:;;共c'lため山 き
i k τ i
てに1 5 , r
ゎ)J ;Ip :" /始工)ている。(
' I t
ti'(,!( : .t IJ : , I
'卜;J
封β'(';'−nrνt、〈干f1i11‑ l;/j jじ
r
'frill心'I一i奇I L
を;[与f「{i匝支?告か「,f王j] ~i lてI,、三ii8 I l十jJ;,:;光
!
Mリ,!!軍と青V巾 .1十l半j(/)口 イ二it
I /
−
主,itたG')でJ「るC 19‑Vi年:−:
J J
!., 11 ,') :('i f「{iI I J . .
j̲l'.:I 1>[f)可,'j(;こ;1;.く!ハ、わ1),ろ"}[ iこわい、心に1止をも
ぺい1 ん/••! L .,l (;!_これに,・/ !̲( 政治的文月fl~ のなカも
士れる日、要
i
;'込あら〉1fflt1.菜市;二L、f二日本illh'.it 10りJ)と推,t十"−').1
: .I、るえ", I的介イ!の )j 引で-'~-忠合京 J
f
二 千L‑‑JC'IJ半十、卜な:(/.;−f「{1)2議,i111i;エここIi・ん
I L
:',て'. '{)リ そjLを I l本政!(「のH r
持者;上、政治i ' t c J
f二干l]fljL一日、るよう /: ‑ し!Jhし『 もしこの足l、i議riiliiが裕子「イ{・国民政府 iイニ;・,{せん./lゐ土す,/t(J, i弓t}i.こ[111¥:;ti交月百び)}Jが7
之 んでL、h、/リJlた主f
[子;l
,与t
非i
京:ii:ごH本人,;I
見;)j』T
: '‑
I'll 1j L fて,t11干jj,11¥;二与JL,てur1.己:;;,)
l王"rj̲̲J̲I./)'l:tごh
,
ゐ :11,i思J,志il;ii乙−\Jl':tく{f{Eし(:
; 3川、そJが今rl川口堰条約
J
家主,仁[!華人民共和[J]どのほ交疋常化Iえ;寸前を支える大きなプ]をも,,
ぐLる こ山,.~IJl からも, 19,lS{fミ民月 15 日前後を7 ,'!, <ゐIIrド!立
i
係資料i
土、 ぜび読全jしなければなら れL、予本tf料集が,j弓{f‑lJc , 1 9
年を欠終させたのこ との1 1 i k
さはこの上うな点を読者の限から奪う: W J
!れをもつことであらQ
!!け6年GIl lj¥Jt問は本格的内戦にはい〉た。こ Lに1:れK' ', ,
t r
:中li7J11本軍指令部;;n i
写介石[玉[民 政月:fとグ)綾子;::t
士十・ t
す強Jわて1いす' . t
二。このi
品主主!
侍
f
「{1土;IIノド人将校を軍事顧問1 1 1
として迎え 入jLるc 」;;見によると:l6名という//Ig' 0
19;')'.2年に' u o
名ばかりレ允という資料もあゐ山lIi 0 L寸ミれ にし亡土、 I::!中戦争開に1000一万人以上の巾国人が 終';\:·-~ ilた土いう 殺害の当事者である日本軍部 上i,:,'i部とI f . n
してL、e,た国民政府とは111[寸人のlf艮 に ど ん な 政l{J'とう寸Jyたであろうか。}枚iぬが|間近 ,‑̲,',.: −,た[1 J
民政!日は1D49年 i月日本軍指導部を釈 佼L、Ii
本〆・・−+,1}えしたc こjしにたし、 L'' : P
共中央 it:))] J!11 f 南京,,tl[J 政府の対草花略 ~1 本人戦犯 収肢にかんする yt;Iリi
j全/\', L,抗議しf
二υ 本書i
土二山氏
n
−の収姑ん¥ら始ま/‑ c
L、ゐ。q q r J
人民にと−,て士さi
二位略集団の責任??をw
·Ji1~n11:H Hど L仁位jえ入れるどはどういうことなの
んヘ'
i
乏m(t:'£:受けた中 II~ 人かんす- hrf, 11:本軍人が 二の仁うな形で/)、点、, ) ) i)台L、企t
,)ことはE
さ略の 継続と,‑ f ( '
‑Jとるであんう。この上うな台湾出民政 )(f正H本とt叶尽係の (‑ 4 :
ヒイi土,かれらにとっては{三 時の延長,拡大とうつるであろう。民族解放闘争;主主はこのような事態を克服する闘争であ./
t
こ〉 l <t,19,~, t!l-ljft 人民共干11[JJ<!)成立はヤルケ体;i}IJにた レL, l i ' . c
初W
>不協和!晋であ〉た。しかし、中凶の 外交政治は 1%7年士でi
Eとんど東西冷戦鴎造のわ くのな山口e n ‑
たわれたようどοi
弓!勾の発展はこの わくをJJぎ鮫/》てい− 'f
二。すでに述べたように大¥//i'jffi口、殺がそれである。
81
1971090084.TIF
iVi ii; '.¥, ,ji; JL¥ ;t,:, Ll9、 J
i占的P'J,: I【,;!'C
r ,
Ii /l J j'f,r:',九:(I』〔19:,::,1・),(iOぺ ノロ 二〆。
(ii' 8)
C i
9) (ii 10) 1%0存{己(こit L;、ir L 4
心主主 il
l六日号、−J JPノ
山山
﹀y r山 ︑
i
︸ 1 11
︸︸ t 二p︽ ︑
︵ .
l 亡して司 it L、I)jムんで" ' ') '亡し、る
♂γt)' '、ゴi
t
11 ·~入び〉佐藤一←ケソン
l d
リ11正,{i去と' ::、所j;'.'.,\、間連:をれ')と Jhl潟4る,:1.え
ヮと""、よ2之、' ‑6ー し ーレ
I! 2
ド・台湾 b l
民 政 府 と の 関 係 資 料iりE時以前の資料が収録されていfよし、ので, 11,] 11~1攻 1r.r が大陸ドーにいたときの資料は一つも収録さ
I V : f !
;「'.J ・
( ,'.' '("折日
U ・
i‑, IJドボ[1J主誌のh,iif(カ:1 1 q . , i
ィtふ:/ゐ,,',
II ,, ',
J z f
HW
円1¥11,1・.!l.1:•Hf1i 山ゐ九/;,,・, J・,
II本は f / Iiむ山;' / ,·主 i'i~
H ,
:1i1J ;/主 ー/•,ル‘ r') f〕,よ,,」
れとし、Jないυその不可れにJ) b、亡はらfFl'.iで'&べた。
ここでは台湾I{\i~ 民JI支刊と日本どの問係資料の収 録1,~(兄に J 川、てト,'!, N 中るわ 60()j丘いll'¥l:Dsk資料(})う
F
・ t i t [ i i J
:之、j,',: j ' ' 、一一 I r 17' 半一,,:, 人 Yトーf/ /̲
ゐ}jJ!,JlこJt:ふを世台八行/こ山一りあ心。
L i
+
I f匂,
・ .
)鮮II札L;',: h0 1・,,
レ ケ 作;fjiJ!J;II 1¥11弘行系企hi,,
ι
しjこ主/こノ マ 1
、 \ 九 〉 ζ司
fl • f
,
関係資料はわずか1三しかない。持\・1t土:とうして日本と台湾との関係資料を軽視するので あろうかつ?欠にお七なものについてどけ
i
主べる"t,, 二
~' ~H
一人f1fk ' 仁' 、< くI '
11 kl,f[ .;¥,:/l;住民}! ,
{ U l i i f i i
ヒ乞みと〉史iヰl
が必必\ゎ:),くに唱役目,.1JMJmitWiくためにけ、 I!ltY守以内fiを : t Lご',、と, ¥illl1i1iと『
目撃条約のとり扱い
本氏キHIミ/1兄 •- KW に i;v:対さ jt亡いる
i
IJ i l H J I
係の)か,{、j・属議定之、支tf<,宅公文がJ¥ll.録されていな〜、0
1ゴ
;i下JiこI見庄の日
L f l
関係全国英f H
こしてL、る1;in守は上j 手作条約であることにJパ、ては何人も異論はないで あ7パ。 1,,]条約により目r t 1
間の、戦争状態は終息し たとし、う号えと,:PIEi人よそに不i 1
';任された政続と,,;杯IIをとが;んだ行為
1 1
体が敵対的であるとし、うちえ か衝突しとしゐカsらである。 1%三年4 ! 1
当時の古 間内閣は将来のことをもす号慮、して条約の通用鉱閉i
を台湾、/i ? f
l部品と将来国民政府の主権下にはヤるど〕し
t
三二 資料が195三ff4 )]の「i事条約でから。c : :
1 ) 'fit,司、 , 49ι! I '・ !、日2"l , L:十ソ,r '( I, '1
),1,1,1:;:J{Y'Yfli 1 ' ) ;1Sii•I 'i,乙II . 0 l;〆" I;
: ' :
r
1 1 1 ,:, ,,九/i ;I, : ; 七 : ,1:111 " ' ' ',
'.' .'), ・,:,ウifヤ?!イ,・,11押,f1,:., II宅li I 11• :ャ 1' ,1: 、.,
r ; ・ , ,
+'r .
.t ;'; ;'i"1 lち,, ' ' .,,,, '' i¥J ?, t' ::̲ , ,':, ' " '・ Lノ,"r I !,ii';',, ,I;・;・ lγ;1 1リ19;!〜i川沿っ ぃ、II'.;i.'う,i
f 町 ,lj, ' : : ' ' , ' J ト ' o ,,
' , r : ( ' '
[ I ¥ I 1:,; l ,, c λ j
I
111 ..「' , ' , 二),!;:t 担7,::・1.(1949'.f'
lei' ,.2 i' i l f、
1l;: p 『が・1'、六,! Ii
・
l1i¥/c:'.示J:.,.~こ!れ i1'.',jι /;,I,. lη ' i.ご l•!,; 1"! ;I̲ . ,i刊 行 方 JI, ム :
?ミ;';,,:,,'I:せることLtできなv、のでふるJ
イ
! I (J'小1,J.,
:,,1 企;<•!(\, !,
{もて2) γl i 1:;r I Hi8': x ',,::,、 18
(; I , ) : 「'"、' ! ,1~日系ザ.13 i'J ,t,' ';, ・ t I守 FJi'\.・,干
,,', ! 1%:,11 ? JI ].j I; ( i, i'I : ','fl':':
ι h
『'i''付 •{,.ii Ii 地域に!IJi‑,た。 三れを本文l
二入れず, 交換公文ど いう形て[J J
氏政府と妥協した。 11本政府は最近日(
, 条約て予,j臥すなわ九日本と全中国との法的戦争
l)Y ,;,,,
l' l、/!', ii,
このよ 状態以純白、したとL、う解釈を与えてし、る。
, 1
::J'/,J司 ι;i
(,F l 1, :;r:lii:
, r :
I •!1 :同 y,(' ' ,j, ' TrT'よc'. ノI'I. ')' I肝f九:恥十f
ぷ (I , 't'. :l ,1,J、]リ71' I、) f',.1、
もっとも基本的な 資本
i
をどらして法としたのか理解に苦しむ。ll辛条約;こか人するもう ムつの重要な資料i;t' 196時三(i片 8I! Iこ行なわれた敬介石総統の
i
l本人うに議論が多岐にわたるとき,
11i,j品ぷ文n
( ; i
fi) り1))1tii , 1ii.Ji'J,,およ, ββ〜67 / 門川
, I'. [' J日iffi. ,'¥
, :
イlj ( ))[ i/, i11 ',. lワ19: )1, J.~fi ”F 1
4
J 1h
古田元首相が 記者団iこ対す談話である。 196,1年,
)'di ,'L' )'ti!';
ι
1 (巳,,,れ今 1%7'1二),5:l, ; , c . T J
(; I 7)
82
/ '
1971090085.TIF
G月iこは{,'湾 日本
1 1 ¥ l
(1)定期航路の開設, 10)1に は 日 本 台 湾 乍イのセ路の開設, :=ii年には何応欽が日本を訪 問LIll日本軍将校と交流してL、る(il2¥
52年;土台キ;が台湾かム掠、!i;:
L
た白銀の返還、Fl 中 'f'nJ.ri·二愉 ti ',入銀行のむ_;\予を N~J 】たい \'T の*"nk か
:~~ ;')中;二 i‑l:,
f
存介ィi
総 統 I‑̲t: ¥ 、し汗簡を従/ I ' , ,
出jがそれ灯、
i
哉の\J~ I) .I主主!V '.、之、とし、行、
Hヰ;t!hじ中川、 v'>寸「ご}ント
r r
命1 1
',含1:闘がjにがJけてこのよ うえL経過で円 台関係の経済ー人事の交流が深まっ てヤーyたり 5!J{¥''.~けには日華航空協定が調印され
i
湾tf'H業公司が円 台{t
弁会計の設立を決定,これは夜、的芹簡で おとうか「3公
r ・ , i
J〜き十.Ht
千でな,..ことを[主将i
してき日本政府i上刷会答弁で。
2 '
t:'' f i
f「1 ‑ 1
:土ドijt,完t活山中で三v)r 二;jlにf
二L、L可1‑
これらの資:料
i i
:−.全く収録されてい1cい。 民間レノ、ル(りで、の交流機関の成、ヱf
こffi'i;t IH/if条約の補充t);.t:理 解LC'、と:,'f''j'J>t,t,イ
13)
経済・人F争の交流深化に{'\'trし、1952年7R29上l
1 1
~I 文化経済協会が設立される。 5'.l年には日本の 三の
k
うは必要介、;(与,;災話はl l ' < ( r , , f e
されてし
・ L
,、'r1 1 ¥ J t
郎分の,. u
礎資料今覧去のi十lに 資料名ずられぺてL、な,, ',.ハいでに l9644 '
:=i jj;‑¥0fl占
r n
元角相がiJh群店、訂長にF
流したいわゆる六 が( :
されてL、3国会議員の訪れが行なわれるようになった。 54年 11 けには
i ' 1 f i r B
多円,字型f
哲人氏などの学術交流も日本各界線苦訪問
r n
が台湾をh 1 1 1
,る。 fi6{fH
)j宅円本(開)
t n
来Iii止I;iL'.' f i
< i:とえば『i i ,
II新聞J、
l ! c l f i
日4 ‑
f¥ fl : ,Iい主たはイ−,i ' f J f l ¥ 1 ] ( / )
,;己"lH
−−収 録するに航すると考えるが、やは::t i l l
題にされてIR1十簡にJ, , . . ザ
〜 主に一
11中反共座談会を
J I
尽らくにし、たった。訪日立し,
九に
5 1 , r
1 JJ同月すの軍事f 1 : :
友回が日本を訪問し た!,J;{Plj 資半↓!二して l~l(-;5 (ド !OJJ ゴ日た
f
︑U 唱
i A
ド
IJ J
11︑
,j Jlにfl・華経済協力委 この上うff背予ごと,
/!ご
行旧古筒問題
i
二,,,,、と山淡,h~ ;古川えの:・JjI氏;よいJ
( . : ‑ . : . U : F
:丹市1
が 台 湾 釘l h f / ¥ 1
L愈行政院長と共同声明 が怒友 .~,Ji. た' l,iJコミ二L二ケl土本吉−H4ベージに収 録されてし、 0., tl華協力委員会の記録は 1961年 i )Iの第(i i " !
総会、 67年 HJ乃の12[fr]総会のコミュニケを除くと、{也は収録されていないη1957年10月
r d J
東京で開会する運びとなり 民会が発足し、
5 1
:されごL、ζ'f:すきれ司、日本・台湾区画民政府間の他の未収録霊安 資料l;'Jい
2
処刑,釈放にか
︸ ︶ YPA
JF会
i
pE
︑ ︑
︸ i i t ︐
i 仁 ︑
んす一る;;c1主ki
t
寸/\て;士L、〉てLt , .' ' . , , f , 1
汚[い II本人i\没犯のiJHrl111)
‑;"l¥i t 7
J j
2云H I. J.ii'v少1 . ' J ‑ f I t
、401',かj t l f t t t J
,~J
L、d
長併のl l
・2
が台作共同戸明が収録され 21 1のi ; ¥
, i i i
て'* ifr夫;をi: i宝t ( \、る、ていfょL、のはどう
L t
二ことか。貿易問(系F 1917
i f .
9 }J '(ill育連会はけii貨切1 2 1
: Z . t H J
注干II条約問題をめくる国民政府の発言,資 料t.U.i もに49年以前であり,本資料集成がこの部 分を務としてL、るので未収録であることは説明を 要し/\いJ ll華条約締結後も沖縄領有権の問題は}!・台間に起こ〉てL、るむ
i
リ:'l1:t1:グレスが訪日 L, 2H!日#以」i : : J ) , l / I
品の/悩Jl)(f在がf]本に返還されるこその他の長要資料
1 1 f ? H
ら日十pl1iたをおjl定L
ている仁 195()¥f9月には第 1[i1J f,{;{"J易協定か*
の日市条
. f f
兄を提出 L.三;Jiは年間
f t
従if
忘ドルに及ぶ 京で調印さ,/1(て"もので、川午tiFl山第三次日台協定にキ
w
求されて さらl
こ1
何 β年 :'iJ J J
:はf H ¥ £ I f
百らOOOTi
ド'" の貿易協定が調印されて、、あれ泊三次協定l
J it,:;tそ;︐ ︐ ︑
ノー
︑ ︑
ぞ れ 以 外it七くん;
されて\.、るカゐ •.f\ l ~円、\•;ーン),
\'れ とれにたいし, 12月24日,同民政
これも宋収録。未収
J t f
i士抗議声明を出してし、るつ とがi ' J
と主った。4