談話室-香川大学学術情報リポジトリ

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82 話 室

私のうけた一般教育

糸 山 東 一

といわれる方でして,その方の「君達,化 学の勉強は化学科に釆たらイヤでもさせら れる。教養部での勉強は化学以外のことを やり給え」との言を100%信靡して,せっ せと社会科学の方面の勉強に.精を出して−い た次第でした。そして∴学部より出張講義 に来られていた先生方の経済学と政治学の 勉強をやっておったものでした。残念なが らなにしろこ昔前のことですので,講義の 内容ほさだかに覚えておりませんが,しか しユ・ニ・「クな講義であったことだけはおぼ えております。つまり,既成事実の羅列の みでほ.なく,法則とか理論が出てくると, 何故そのような法則ができたかとか,ある 理論の成立過程とかを丁寧に.話されていた ようでした。旧制高校生え抜きの老教授の 英語の授業もなかなか味い深いものがあり ましたが,それにも増して学部からの非常 勤の先生方の新鮮な講義に.は日をみはる思 いがしていました。 i この教養部での体験がいまもなお残って おるとみえ,何故か社会科学の方面に興味 をおぼえ,政治学から政治,政治史,歴史 の分野へと関心が移って行ったようなわけ です■。私の担当しております化学関係の講 義に・おいても,ややもすれば史的側面が大 きく出てくるのも,教養部時代の勉学の影 響かも知れません。 昔ほ.良かったなどと云うと,われながら 年をとったものだと思い、ます。しかし自分 私が一般教育を受けた時期ほ・,昭和28年 4月から30年3月までですから,ざっと2 昔前になります−。私達の世代ほ,教育勅語 といわゆる民主教育の両方を体験しており ますので,いわば貴重な世代と云えるかも しれません。もっとも,旧制中学に、入った 年は昭和21年でしたので,執銃訓練とか上 級生からの鉄拳制裁などの体験こそありま せんが,成長期に食塩難時代を生きた年代 ですので,生き方に対する態度は少々変っ てくるのではないかと思います。 私が一般教育を受けた場所は,旧制福岡 高校の二躇建の木造牧舎でした。もっと も,この本館の教室は50名収容程度の小教 室でしたので,ここでほ.数学しか受けてい ません。他の科目は学制が変ってから増築 された建物で受け,ニ,三クラス合併の授 業でした。教官陣は,旧制高校生え.抜きの 老教授と新進の助教授と講師,それから学 部からの非常勤の講師でした。私は記憶に 残っておるのは,後の方の部掛こ入る二人 の先生方です。現在,一人は経済学部長を 勤めておられ,あとの一人は御自身の専攻 が政治学だった関係上実際の政治の方に.転 進され,現在郷里の石川県選出の衆議院議 員とし七ご活躍されておると承っておりま す。私の専攻は化学ですが,何故か教養部 時代では化学の勉強は.試験前の一夜漬けで 済ませ,勉強はL・ておりません。理由は, 当時の教養部長は理学部化学科の妻木教授

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話 83 の専攻の勉学よりも,自由に.好きな勉学・ 読書が可能であった時代が,今から考える と非常になつかしく,また得難い時代であ ったと思います。

私のうけた一般教育

稲 葉 二 柄 かったものもいくつかあったから,実際に 受けた教育ほ更にそれよりも多い。 私は特別に多く受講し,欲張って単位.を あさった訳ではない。大学が教養課程を置 かなかったこともあり,受講の機会が多く あヶたということと,周辺の雰囲気がそう であり,私もそれに習ったし,あれも知り たいこれも聴きたいと思っている内に,自 然と多くの受講をすることに.なっただけで ある。実際,私には気をそそられる講義が 多かった。 一般教育を私は教養という側面でより は,むしろ専門科目の補説として,周辺学 問領域の概翠とじて受講するということが 多かったように.思う。国文学の辱攻であっ たので,人文科学の分野で気の向くままに できるだけ多く受講した。これが結果的に 前述の如く多くの修得単位.を生んだ理屈だ が,日本文学の講義などは,半ば他流試合 を挑むような気分で良い評価を得ることを 仲間と競ったりした。 家永三郎先生の「太平洋戦争史」の講義 は,当時非常な人気を呼甲,お隣りのお茶 の水女子大学からも,学生がもぐりで聴講 に・来る程であった。大教室に文字通り満席 となり,更には立って聴く者もあったか ら,黒板の見やすい好い庸を取るのは苦労 であった。それまで私達の前にほ太平洋戦 争または30年戦争の歴史的な経過とその意 味をまともに・論じたものが一冊も無かっ 「一般教育.」とか「教養科臥」とか言っ ても,それがどうであったか私に.とって何 であったか,単独にそれだけを離して考え るのは難しい。少くとも,私にとって大学 は,私の受けた教育の全体は,そして今の 私ほ,というような問いを無くしては本当 のところほほっきりしないように思う。し かし,このように.あからさまに.自分白身の ことを問いつめることは容易でないし,あ まりおもしろいことでもない。以下には一 般教育ということと関連して想起される播 く断片的な私の記憶を綴ることをお許しい たきだたい。 普段は戸棚の奥に.放ってある大学卒業証 書と教職免許状を出してみた。この二つの 証卦よ,卒業してすでに.10年余りの母校と 私とを今なお確かに結びつけており,その 関係をはずしては私に.は受けた教育も研究 も無いものに.なってしまう。しかし,その 母校もやがて筑波大学に・「統合」されて廃 学に.なろうとしている。これはまさに私の 受けた教育が廃止されることなのであろう。 教職免許状の裏書には私が大学で修得し た単位.の内訳が記されてある。総数174, ・一般教育44,教職専門14,教科専門80,そ の他36。「その他」とあるのは卒業に必要 としなかった単位.だが,これは−・般教育で

余計に修得したものである。つまり私は,

およそ・80単位.におよぶ一般教育科目の受講 をし,単位を修得した。単位を認定されな

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84 上 玉 啓 子 た。戦後については多くの議論と書物があ っただけにり この講義はあたかも歴史の空 洞を埋めようとしているかの如ぐであっ た。家永先生は後に.岩波より『太平洋戦争 史』を出版されたが,それを読んでみた 時,あのよく通るテノ・−ルで一種の抑揚を つけて語られた時ほどの感銘をどうしても 受け取れなかった。 教養として必要・必修とされた外国語や 人文科学以外の分野の一・般教育も当然のこ と受けたのだが,これらほ必要最少限のも のをかろうじて修得出来ただけで,′私自身 にもおもしろいと思ったものは無く,それ ゆえ記憶に残るものも無い。それのみか, 社会科学の分野では,卒業年度になっても 未修のものが一つ残り,卒業できるかどう かという,首のかかったその講義に.も,気 が向かないままに.大半の時間を欠席してし まい,最後になって大いに.冷汗をかかゎば ならなかった。特別な恩情をもって処置す るという形で救われたが,この恩人とも言 うべき方が,私が卒業した年都知事になら れた美濃部亮膏氏である。 書き続ければ思い出は際限がない。ここ で私なりのまとめをすると,私の受けた一 般教育は日本文学や日本歴史や哲学などに 集中して甚だ偏ったものであり,社会科学 や自然科学の分野でほ教養に.も知識にもな らぬ程度であった。−・政教育の本来の目的 が全き自己の完成をめざして外面的になさ れるべきものであるならば,私のそれは満 足なものではなかった。しかしこれは自ら 選んでそうしたのであり,限られた人文科 学の分野内では私は十分に意義のある教育 を受けられたと思う。

私のうけた一般教育

上 玉 啓 子 す。もう一つ,変った講義では歴史学があ げられます。前期はナポレオンのことばか りを後期にはいると先生がかわり,日本の 家文のことについてだけ話されるのです。 当時まだ大学生になったばかりの私は,ず いぶんとまどいを感じたものですが,歴史 学なら歴史学という学問を研究す−るという 意味,ある一・つの学問をするということは どういうことなのかを初めて知ったような 気がしたものです。そして,許象を聞くと いうことは,その先生のもっているもの, その先生が半生を通してこ体系づけたもの■ま たは.体系づけつつあるものを,私たちが吸 収してしまうということではないでしょう 私がうけた一般教養の中で印象に.残る ものといえばまず,「法学」の講義があげ られ・ます。法葡学の井上茂教授の講義は 150人の学生がマイクで聴くに.もかかわら ずいつもシ−・ンとしていました。大学の自 治に関する事件やその他当時最も学生間で 話題に.なる事件に関する許義でもあ、つた し,また実際の事件と理論とを結びつけて のあらゆる角度からの法解釈についての講 義は,今でも当時のノ・−・トをめくってみる と,ありありとその内容がうかんできま す。法学というのは私にはまるで専門外な のですが,そういう他分・野のことに興味を 待ったということが大切なのだと思いま

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85 か。また,著書「タテ社会の人間関係」で 有名な文化人類学の中根チエ先生(東京大 学教授)の講義は,私の未知の世界の経験 に.基づく理論体系と,それよりもまず,直 接そういう先生の講義をきけるということ がうれしくてたまらなかったのです。もち ろん本を読むだけでも知識は得られるのだ けれどそれだけではどうしても得られない ある種の感激と親しみを持つことができる のが講義をきくという最大の収穫なので す。これはどの講義についてもいえること で,不幸に.してその内容に.興味がもてなく ても,講義をきくということは,その先生 の思索活動の内容に・,接することができる ということなのです。そういうことには貪 欲であればあるほどよいと思うのです。し かし残念なことに.私もそれに気がついたの ほ大学を出て自分が教え.ることに.なってか らです。 もう一つ,私が感じることは,大学には いったら,あまり最初から専門のことにと らわれないで,できるだけ語学をやるとい いと思います。英語は私たちが中学生時代 からやっているのですが,受験勉強のよう なやり方ではなく何か原書を読むことをぜ ひしたらよいと思います。専門書でも小説 でも何でも自分が興味の持てるものを一冊 選んで読むのです。 もちろん大学で講掛こ期待をするのは当 然のことです。しかしそれ以上に.,自分で 何か■を探し出すことが大切なのです。それ をぜひこの時代にやらなぐては,社会に巣 立ってからでほできないことだと思いま す。そういう意味で,掛こ一般教養の講義 では,思索の指針に.なるもの,■また考える ということをとりいれた方法が特に重要と 思え.るのです。私もこの時代にはおおいに・ 悩み,不満を感じ,暗中模索の状態だった と思います。

ブロゼミ雑感

上 村 貞 美 まって冷や汗をかいたのは,・−・庶や二度で は決してない。学生のなかには,私語をす るのもいれは,大声で挑発的な(?)あくび をするものもいる。とにかく多数の学生を ひきつけて授業を進めるのは,新米の教師 に.ほ至難の業である。 演習の方に.も講義とほまた遮った悩みが ある。当初一般教育の演習を持たなければ ならないと聞かされたとき,これはたいへ んだと思った。 昭和44年頃から,全国の各大学でカリキ ュラム改革の一つとして,専門担当の教官 教師に.なってつくづくと感じるのである が,新米の教師にとって授業を受け持つこ とほ,なかなかたいへんなことである。現 在のところ,講義2つと演習1つを担当し ている。講義の方ほ法学通論と日本国憲法 の2つであるが,教育学部と経済学部の学 生のほとんど全員と,かなり多数の農学部 学生が受講するので,いきおい受講生の数 は極めて多く,今年などは,私が担当して いる分だけでも,帳簿上530人もいる。こ のように受講生が多いのは,新米の教員に とっては,かなりの負担である。言葉に.つ

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上 村 86 貞 美 が,主として一年生を対象に.して,プロゼ ミあるいは基礎ゼミの名で一般教育に演習 科目が提供されるようになってきた。私の 出身大学でも法学部所属の教官のいく人か が,このプロゼミを担当していた。当時大 学院であった私は,プロゼミを新しく設け たものの,なかなかうまくいかないいくつ かの事情を聞き知っていた。 そのせいもあって,自分・が一般教育の演 習科目を相当することに.は,かなりの不安 があった。しかも,プロゼミ というのは, 各学部の専門を担当している教師が,その 学部の学生を対象にして行う,いわゆるく さび型のゼミである,という先入観があっ たので,受講生ほ教育学部の学生であり, 経済学部や農学部の学生はいないと思って いた。したがって,テ・−・マも教育と法とが かかわりあう問題を扱うことにしていたの であるが,最初の授業の日に,受講生の大 半は経済学部の学生であることが判明し, テーマも変更しなければならないような事 態に.なってしまったのである。 こうして出鼻をくじかれてスタ・−卜した 私の担当している一般教育の演習科目も, 今日まで一・年半を経過した。講義の方ほ, 講義用のノ・−トが苔街され,一年一年経験 をつむことに.よって,徐々に.ではあるが進 歩しているのに㌧比して,演習の方は,相変 らずうまくいかない。 演習のやり方であるが,主として法学部 の学生を対象にして古かれたプロゼミ用の 宙物をテキストとして一便用している。問題 毎に24項目に分かれているのでそのなかか ら各自が一番関心のあるテ1−マを選択して その勉強の成果を報告し,その報告を中心 として討論するという形式をとって:いる。 レポ一夕・一に.なった学生(通常2名)は,自 分の関心のある問題でもあるし,前に.坐っ て発表しなければならないから,貸し与え た文献や指示した文献などを読んできて報 告す−る。ところが,それ以外の学生は勉強 してきていないせいもあって,はとんど発 言しない。今流に.いえばシラケてしまうの が,たびたびでゼミにならない。仕方がな いから,こちらが話しをし,結局のところ 一方通行に終ってしまう。これに.は無理か らぬ側面がある。受講生の中には一年生の 占める/くt−・センチt−ジが高い 。また二年生 以上であっても,一年生の時に.講義の方の 法学を履修したものは皆無である。講義と 演習の両方をとったところで,単位数には 算入されても,社会科学系列必修の3科目 に計界されるのほ一つだけだからである。 こうして演習に.参加している学生は,ほと んど法学の基礎的な知識がない状態なので ある。これでほ通り一べんに.テキストを 読んだだけでは内容が理解できるはずもな く,また発言しように.も発言できないであ ろう。 たしかになかに.は熱心な学生もいること ほいる。よく勉強して:きてレポ・−ク・−せ困 らせるような質問をす−る学生などほその典 型であろうが,しかしそうした学生は特別 の例外であって,なかにはテキストすら読 んでこないようなものもいるかもしれな い。 こんなにシラケリレのは,一般教育の演習 だけであろうか。専門のゼミでほこんなこ とほないのだろうか。またぐさび型のプロ ゼミー香川大では経済学部で2年生を対 象に開講しているようであるが−ではど うであろうか。学生ほ自分の将来専門とす る科目と関係がないために.余り関心ももた ないし勉強もしてこないのであろうか。そ もそ・も香川大の一般教育の演習のようなプ ロゼミとは違った演習は存在理由があるの

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87 談 話 ソトに指名されなかった学生は,相変らず 勉強してこないかもしれないが,回転が速 くなって今よりは勉強しなければならない ように.なるかもしれない。討論も活発にな り,ゼミの雰囲気も盛り上がれば一石二鳥 である。機を見てやろうと考えている次第 である。 だろうか。 いろいろとわからないことばかりである が,ともかくもなんとかあのシラケル状態 は打開しなければならない。そのために, レポ・−・タ1一以外に5名く−らいディスカッタ ントを事前に.指名しておき,必らず討論さ せるようにすれば,あのシラケル弊害は若 干綬和できるかもしれない。ディスカγタ

ある憲法改正論者の夢想

江 幡 裕 ついて考えてみたい。 同条第1項は「すべて国民は,法律の定 めるところにより,その能力に応じて,ひ としく教育を受ける権利を有する」と規定 している。この規定ほ最近の「’教育権論.」 の中において「教育を受ける権利(=学習 権)」,「国民の教育権」の概念の直接的な 法源として「高く評価され,「守るべき条項」 「基づくべき理念」と位屠づけられてい る。 ところで,小生は「法律の定めるところ に.より」,「その能力に応じで」,「ひとし く」という3つの修飾語文節のそれぞれに・ こだわりを感ずる。教育法解釈学の中で現 在様々な議論がなされていてここの修飾語文 節の解釈,相互の開運について−は複雑であ るが,その小生のこだわりを中心に・述べてこ みたい。「夢想」と題するゆえんである。 「■法律の定めるところにより…・…教育を 受ける権利を有する.」は,「法律の定め」 に.よって「敬育を受ける権利」の保障の形 態,領域,内実,さらに.は具体的な権利主 体が確定されることを意味していると解せ るし,また現実に.そうなっている。これ 「憲法・教育基本法体制を守れ」「憲法・ 教育基本法の理念に.基づいた国民教育を.」 という主張やスロ・一仁ガンに・接するたびに・, 現在進められている教育政策への批判・抵 抗・改革の意志の象徴的な表現,戦前の教 育勅語体制に対する戦後のそれの歴史的・ 教育制度論的な優越性の確認という側面で の正当さへの共感を覚えつつも,少なから ぬいらだちと違和感とを感じてしまう。そ して,密やかに.「いや,俺は意法改正論者 だ.′」などと口ごもったりする。 日本国意法が「神の啓示」の集成ではな く,1945∼46年という歴史的な時点におい て,政治的な過程の中で作成された歴史 的,政治的な「■法」であるかぎり,そのよ うないらだらやつぶやきも許されるであろ う。いなむしろ,教育勅語を偶像化し,そ れを越え.たところで教育を考えようとしな かったという誤ちを今,日本国憲法の下で くり返さないためにもそれは必要なことで あると思われる。 「劣1章天皇」をほ.じめいくつかの条項 が小生をして「憲法改正論者だ..′.」とつぶ やかせしめるが,ここではとくに第26条に

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江 幅 88 は,「近代人権」が実態はともかく法思想 的には国家以前的な人間の基本的な権利の 規定,保障,したがって国家の関与できな い,国家からフリ・−な市民社会生活の領域 の設定を理念としているのと比べて,大分 性格の異なる規定であると思われる。「■教 育を受ける権利」はそのような「近代人権 の体系」(近代市民法体系)の修正,変容の 結果として登場した「社会法体系」に属す る「社会権」であると位置づけられるが, それ故,この性格の違いは「社会権」であ るが故の違いなのであろう。国家を頂点と した公権力の作為に.よって保障される権利 である「社会権」の評価に・ついてほ従来か らさまざまな主張がなされているが,「’教 育を受ける権利」が「法律の定め.」すなわ ち国家権力の教育の領域への関与に.よって 具体的に確定され,保障される権利である ことについてはいっそう批判的な検討がな されなければならないと思われる。 たとえば,同条第2項ほ「義務教育」に 関して∴親の「就学させる義務」,「公権力 の義賂」としての「義務教育の無償」を個

別的にしか規定してこいないのであるが,現

在の同項の解釈は「蔵務教育」に・おける 「義務の主体」は親(=国民)でほなくて 公権力であるとするのが一般的である。と ころが,「国民は権利の主体」「国家,公 権力ほ義務の主体」という図式的理解に・お いては国民と国家との関連,義務の主体と しての現実の国家(日本国意法の下に.おけ る国家)は「教育を受ける権利」の保障に. ついてイ可ができて,何ができない国家であ ろのかについての歴史的,国家論的検討が まだまだ行われて−いない。この点について のいっそう批判的な検討が進むにつれて, 「法律の定めるところにより、・・‥教育を受 ける権利を有サーる」の規定の問題性ほいっ そう明らかに・されると思われる。 「その能力に応じて…‖…教育を受ける権 利を有する」も現在,法解釈的には混乱し ており,法解釈と法の実態との間に.は大き なギャップがある。実態としては最も典型 的には成績の良い者(能力のある者)には 高校,大学で「教育を受ける権利」が具体 的に保障されるが,そうでない者にはそれ が保障されないという形態を指摘すること ができる。そして,法解釈的には能力に劣 った者にもいっそうこ行き届いた配慮,教育 の機会が開かれなければならないとして, 障害児(老)教育の拡充が主張される。教 育はその本質において,外部からの働きか けによって未成熟な者,未発達な者,それ らの阻著されている者の人格の形成発達を 助けることであるなら,教育の体制は障害 児(者)教育が「普通(な)教育」であって, 能力の優れた者を選んで行う教育が「特殊 (な)教育」となってもよいのでほないか, それこそが教育本質論的に.「能力に.応じ で」ということではないかと「’夢想.」する のである。「教育における平静」に関して 「平均的平等」「\比例的平等」が2つの典 型とされてさまざまな理念が描かれている が,「逆比例的平等」という理念こそが教 育の体制の原則とならなければならないの ではないか・…と「夢想」は続くのであ る。この「夢想」ほ教育基本法第3条の 「教育の枚会均等」の規定に対して批判的 たらしめる。この規定では「教育上差別」 されることは「能九」に.関しては許される ことに.なってしまっており,また入試制度 に.典型なように現実に.は許されてしまって いる。 しかも,「能力に応じで」のこのような 現実は自民党長期政権の続いている日本に. 特有なものではなく,いくつかのヴ・アリェ

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89 てしまっている。憲法における権利規定の 形式性,抽象性はこの点と関しても指摘す イショソはありながらも,アメリカ,イギ リスのみならず社会主義諸国にも共通する ものであり,さらに公教育制度を比較史的 に通観してもー濁している事突である。 したがって,「儲力に応じて∴伸‖教育を 受ける権利を有する」の規定の持つ問題性 を,能力=学力という能力概念の矯小奇形 化の問題,入学志隣者の増大に応じた収容 能力の拡大などの問題を越えた,現在の公 教育制度に本質的な問題として把握されな ければならないのではないだろうか。すな わら,近代公教育批判。それがこの憲法改 正論者を把えて離さない問題意識である。 「ひ・としく‥…・教育を受ける権利を有す る」は,したがって,法解釈上のさまざま な理念を越えて,優れた者にはその優れた 度合に応じて(=比例して)教育の楼会を 保障し,劣った者に.は教育の機会を掃否す るか,あるいは特別な方策で部分的,例外 的(?)に教育の機会を保障するこ.とになっ ることができると思われる。 もの心ついたときから日本国意法の下で 育った者として,この道の多くの先達のよ うに大日本帝国意法,教育勅語の下におけ る教育の現実,理念との対比で日本国憲法 の下に.おけるそれを評価する方法態度に少 なからぬ「世代論的なこだわり」を感じ, また憲法,基本法体制を「理念」として設 定し,それとの対比で今日の教育現宋を評 価する方法態度に.対してもいらだちを感じ ながら,意法,基本法体制を対象化しよう とするとき,時として冒頭のつぶやきをも らしてしまうことがある。しかし,当然の ことながら,そのことと政治的な場面の中 でそれを自己の主張とすることとは全く別 のものではあるけれどもい…・ト。 (1975.7.10)

“時 間“

酒 井 卑 之

生身の肉体を持ちながらも,死骸も同然だ というのである。 黒沢明は「生きる」とは,ただ生命活動 を行っているということだけではなく,も っと深い意味をわれわれに.問いかける。 その2 ≠時間“ ボクは少なくとも「生きている」という 自信を持っている。忙しい毎日を送ってこは いるが,懸命に生きようとして.■いる。

だが,しかし,いつも何かに追われてい

るような,何かがボクの双肩に重くのしか

その1「生きる」 昨年の今頃だったか,上京した折に,黒 沢明監督の「生きる」という映画を観る機 会があった。それほ最初に,ある市役所の 市民課長をしている主人公の仕事ぶりを映 し出し,積み上げられた書塀に大儀そうに 判を押している彼をとらえ,「この男はも う生きてほいない」とまずナレ一夕・一に・云 わせる。 彼ほ役所の煩雑な機構の中で,それが生 みだす無意味な一Itしさに慣れきって,ただ

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酒 井 直 之 90

かってくるような,そして,その何かが常

にボクのシリをたたき「生きよ,もっとも っと精一杯生きよい′一」と命令しているよう

な裁…。挑んでもはねかえされ,無視しよ

うとしても忘れられず,全てに.絶望的な力 をもつ偉大な何かがボクをとらえて離さな い。 それが≠時間“なのである。黒沢明は, その絶対者“時間“に対し何らの抵抗もせ ず,無為に、それに.従っているこの主人公に 対し,まず死の宜告をしているのである。 その3“時間“のドレイ 「学生に対しては絶対に腹を立てない」 という教育信条を持っているボクが,先日 学生に腹を立でてしまった。 研究室の学生が行っている自主ゼミに一 度来て話して欲しいというので,与えられ たテ・−・マについてかなりの時間をかけ,自 分なりの意見をまとめ,実際に.参加してみ るとどうだ,そのテ・−マが未だ皆の中で決 っておらず,それをとりあげる是非を論じ ている段階であった。それも何ら建設的な 意見が出ず,互いに.批難しあったり,リ・− ダ・−の方も・まとまらぬのを,皆の消極さと して,一向に.まとまる気配がない。それに 意見を云わぬ者は何ら関係のないようなふ りをしてただそこに座っているだけ…・‥。 体育の専攻生が自主的にゼミをもち,いろ いろな問題を考えるのはおおいに.結構だ が,それではあまりに時間の無駄である。 もっとうまくすすめれば何ももめないでよ いような問題に鼻重な時間をさいている。 忙しい申,頻まれて参加したボクは,そ の無為な時間をイライラしながら耐えてい たが,ついに「これは時間の無駄だ.′ オ レはね,時間は何か楽しんでいるかまた ほ,何か学んでいるか,そのどちらかに便 いたいと思っている。しかるにこの時間ほ そのどららにも入らず…・…・.」といって部屋 を出て来てしまった。本当に腹を立でてい た。 でもその後,何かしら室虚なものを感じ てむなしかった。何も一時間くらい無駄な 時間を送らされたからといってこんなに怒 ることはないじゃないか。 ああ,ボクは“時間“のドレイだ.′≠時 間“に虐げられ,何の抵抗もできない可表 そうなドレイである。≠時間“というもの に.いつも偉いて御株嫌をとっているみじめ なドレイである。“時間“の偉大さに.接し, 常に.忌課を感じている弱いドレイである。 かといって,そんな“時間“なんか無視し て広ヽ、世界に.自由に飛びだせばいいのにそ れもできない宿命的なドレイである。 ああ,ポクは≠時間“のドレイだ.′ その4「酔いたまえ./」 フラソスの有名な詩人,シャルル・ポ・− ドレールの詩に「酔いたまえ.」というのが ある。この詩を読み≠時間“のドレイであ るボクは≠時間“から解放される術を知っ た。そうだ≠時間“を忘れることだ。その ためにはひっきりなしに酔っていること だ.′ 彼こそほ,現代のドレイ解放の父として 称賛されるべき人である。 酔いたまえノ 、シャルル・ボ1−ドレー・ル いつでも酔っていなければならない。 すべてほそこにある。 それだけが唯一の問題なのである。 諸男の肩をくだき,諸君を地面にかがみ こませるく時間>というものの恐ろしい 重荷を感じないためにも,ひっきりなし

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話 小 室 91 も普通の人の何倍も何倍も重く恐ろしく, 彼をして地の果てまでも押しやろうとする この“時間“に対し,彼はそれを忘れるた めに,汲初ほ.,快楽を求めた。20年間やめ ていた酒を飲み,バ・−・ダンスホー・ル・ス トリップ小屋を廻った。苦労してためたお 金を湯水のように使った。 …だが,所詮,そんなことでこの“時 間“からは,逃れられない絶望的な“ドレ イ“であった。1カ月がすでに・過ぎた。 あと5カ月の命という時に彼は,あるキ ッカケで最後の生甲斐を発見する。限られ た時間の中で,彼のできる分野で「何かを 作りあげる.」ということである。 彼ほ市役所に戻り,以前無視していた, 住民の陳情の絶えなかった,下水溜りを埋 めたでて二公園にするという計画を何とか宍 現すべく立ちあがった。 さまざまな困難を克服し,公園はついに 5カ月後完成された。 もう冬であった。雪のふりしきる夜,彼 にブランコにのって楽しそうに微笑を浮か べながら死んでいった。 「■命厚かし恋せよ乙女1…….」と唄いなが ら。 彼は巨大な敵“時間“に対して精一杯戦 って勝利を得た。「何かを作りあげる」す なわら「創造」という偉大な武器を持っ て十…・ この「創造」は彼を酔わせ,彼から死の 恐怖,“時間“の重圧意志れさせ,彼によ ろこびと満足感とやすらぎを与えた。 酔いたまえ,葡萄酒でも詩でも美徳でも そして「創造」でもよいのだ.′ その6“時間“の征服者 “時間“ほ征服されなければならない。 “時間“は無為に過してはならないし,ま に酔っていなければならない。 だが何で酔えというのか? 葡萄酒でも,詩でも,莫徳でも, 何でも好きなものでいいのだ。 とにかく酔いたまえ./ そしてもし,時おり宮殿の入口の石段の 上や濠端の緑草の上で,諸君の寝室の陰 うつな孤独のなかで 酔い心地がすでに.減少するか,消滅する かしてしまって,諸君がわれに返ること があったら, 風や,波や,星や,小鳥や,時計に.聞き たまえ, 逃れ行く全てのもの,うめきをあげる全 てのもの,ころがり走る全てのもの,歌 をうたう全てのもの,おしゃべりしてこい る全てごのものに聞きたまえ,今は何の時 刻かと。 すると夙は,波は,屋は,小鳥は,時計 ほ諸君に.答え.るであろう。 「今は酔っぱらうべき時だ.′′ <時間>にさいな・まれる奴隷とならない ためにも酔いたまえ。 ひっきりなしに酔いたまえ.′ 葡萄酒でも,詩でも,黄徳でも,何んで も好きなものでいい。.」 (平岡篤額・訳) その5「命短かし,恋せよ乙女‖・‥‥」 前述「生きる」の主人公ほ.,す‥でに胃ガ ンで自分の生命があといくばくもないこと を知り,絶望のどん底につき落される。 ならば,と自らの命を断つほどの勇気も なく,それをなぐさめてくれる肉親の愛も なかった彼は,それでどうしたか。 襲いかかってくる重苦しい“時間≠,それ

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∼ 92 酒 井 直 之 た,逆にそれにおびやかされていてもいけ ない。 ボク遵は“時間“を克服して自分のもと へ引き戻さなぐてはならない。

ボク達はすでにドレイではない。

むしろ“時間“の主人に.ならなくてはい けない。 その為には常に.酔っていなければならな いのだ。ボク達は“時間“を従え,その主 人となるための術を持たなぐてはならな い。 ボク達はそれを自分でさがさなければな らない。 芸術でも,創造でも,奉仕でも,教育で も何でもよい。 とにかく,ボク達は“時間“の征服者に ならなければならない。

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