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仏教通観

著者名(日)

井上 円了

雑誌名

井上円了選集

5

ページ

17-237

発行年

1990-03-31

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002892/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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⋮佛散通観.

… ∼ い W     菊 ︸信州の一農夷が、始め 島竺漣㌘蓑鰺速誓︷ は山工‘出ても山9W蘇痴鐵.薫♪ 一 { 竺大陽は人家の嚇ま︾出這、人げ拳O中R入5弘ヒ㊧叛・疹竈申Lたと“ム節 ⋮があるがぶ酪②佛敬を静するもの多︷は此良夫、や機矢の既にひとし∋様 ・︸;は蔓世の馨を批蓼る人の誓蹟店の下虫の識劉;し蒼 (巻頭) ば」,「があるです」を「があ のです」などと表記を改めた。  目次の項の見出しと本文の れとが異なっているが,原本 ままとした。  図の中には,説明文のみが るもの,赤の格子模様が初版 あって,再版にないなどの問 点があったが,作成・修正し o  底本のページは,初版の巻 とのままであったが,通し番 とした。

れる②その㈲あに題たωご号

1.冊数   1冊〔初版は上・下巻2冊〕 2.サイズ(タテ×ヨコ)   186×127㎜ 3.ページ   総数:406   自序: 4   目次:17   本文:385 4.刊行年月日   初版 上巻 明治37年6月10日      下巻 明治37年6月10日   底本:再版 明治39年9月10日 5.句読点   あり 6.その他   (1) 「せんければ」を「しなけ

       扁駒切   ,  .   ・ ”治揖治袷        盲連三ヨ        李†寺†   昂パ撚 蘇 海真右鬼

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×

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仏教通観 自 序  振古未曾有の義戦まさにたけなわならんとする今日において、国民たるもの、なんぞ悠然として哲学のごとき 閑文字を弄するを得んや。かかる時に当たりて、﹃仏教哲学﹄の著述を世に公にするものは、狂者にあらずんば必 ず偏人なりとは、けだし世人の通評なるべし。果たしてしかりとせば、余輩あに一言の弁解なくして可ならんや。 そもそも仏教は多岐多端に分かるるも、そのかなめは身を生死の外に立たしめ、心を不動の地に置かしむるに外 ならず。その理を講ずるもの、これ仏教哲学なり。今や戦国となりて海陸戦を交ゆ。これ勅語のいわゆる一旦緩 急、義勇奉公の秋にあらずや。義勇とは、義は忠節の意、勇は武勇の意に解して不可なかるべし。しかして武勇 のかなめは身を生死の外に立たしむるにあり、忠節のかなめは心を不動の地に置くにあり。しかれば今日はまさ しく仏教哲学を実現するの時なり。ただしその説くところ、由来高尚に過ぎて、通俗をして解し難く知り難から しめたるを遺憾とす。故にその解釈を通俗化して一般に普及の道を開くは、実に目下の急務というべし。これ本 書の発行あるゆえんなり。渡辺髭史は、余が先年哲学館において講述せるところを筆記し、これを薩底に蔵する や久し。近頃、時局にかんがみるところありて、更に通俗体に和訳し、余に告ぐるにこれを上梓せんことをもっ てす。余の浅学なるその講述のいまだ尽くさざるところ多きを知るも、今日の時機あるいは砲丸の一発にも価す ることあらんかと思い、髭史の筆記を親しく校閲修正し、これを大成して今や上梓するに至れり。故にその責め は著者にあること万々なり。けだし髭史は有髭にして、余は無髭なり。髭史の髭たるや、その深きこと半面を隠 し、その長きこと胸部に及ぶ。これを一見するに、ロシア人といえども三舎を避くるの風采あり。余が昨年ロシ 17

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アに遊びたる節、多髭の露人中に一人の無髭を見るは、あたかも茂林中に一株の禿木を交ゆるがごとく、自らな んとなくみそぼらしき心地せしことあり。このときもし髭史の髭を余に持たしめなば、さぞ意気揚然たるものあ りしならん。しかるに今や、余の拙劣なる講義が髭史の筆によりて世人の目に触るるに至り、図らずも無髭の余 をして有髭の思いをなさしむ。自ら一笑して本書に題す。   明治三七年五月中旬       妖怪窟主人題す 18

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第一章緒論

第一節 仏教と哲学との関係

仏教通観  信州の一農夫が始めて東京にきたり。日本橋区の一旅店に投宿し、たまたま伊豆七島の 漁夫とその室を同じ うし、一夕雑談を交えたる際、信州の農夫曰く、太陽は山より出でて山に入るものなりと。七島の漁夫曰く、太 陽は海より出でて海に入るものなりと。旅店の下女これを聞きて曰く、ご両人の説みな誤れり、太陽は人家の中 より出でて人家の中に入るものなり、と申したという話があるが、世の仏教を評するもの多くはこの農夫や漁夫 の説にひとしきように思わる。また世の批評を批評する人の説も、旅店の下女の裁判に類しておる。あるいは仏 教は厭世教であるといい、あるいは理外教であるといい、あるいは仏教は厭世教でもなく理外教でもないが、あ まり高尚深遠にしてしかも秩序も系統もないから、とても普通のものの研究すべきものではなく、たとえ研究し ても分かるものではないなどと申すが、これみな農夫か漁夫か下女の判断に比すべきものでありて、これらはみ な外観の話で、内容を知らぬから起こるのである。もっとも諸君が平常、小説や新聞を読むように、たやすく仏 教を解することはできぬにもせよ、諸君の想像せらるるように、むずかしくまた分かりにくいものでは決してな いので、またそれほどまでに世の人々が批評するようなものではもちろんない。世人がそのように批評をすると いうものは、すなわち﹁食わず嫌い﹂の類いで、群盲撫象を模すると少しもことならない。とにかく批評を下す 19

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前に、仏教は果たしていかなるものであるかを一とおり研究の上、堂々たる批評を願いたい。予がここに仏教哲 学大意を講ずるも、畢寛群盲のために一道の光明を与えんとの老婆心より出でたるものなれば、その心持ちにて 高覧を願いたい。  題がすでに仏教哲学というのであるから、仏教と哲学とはいかなる関係を持っておるかを研究するのが、本論 に入るの初階級と思いますので、ここに先着としてその関係を述べようとおもう。  なんでこの両者の関係を述べなければならぬかというに、この両者の関係につきては、世の学者間の一問題と なっておるところの、すなわち仏教は哲学であるか、あるいは仏教は元来宗教であるから、哲学などという智的 分子を含まざる単純の悟的宗教であるかというのであるが、これが一時大問題たるのみならず、全く解決にくる しんだので、宗教と哲学はここに大衝突を起こしました。その衝突の具合はどうであったかというに、前にも一 言述べておきましたが、なおこれを詳しくいいますると、かような問題であるのです。すなわち甲のいうところ をみるに、仏教はもと釈迦の説いたもので、釈迦は決して哲学というような頭の痛くなる理屈を教えたものでは ない。ただ多くの人々に安心立命という確固たる宗教の観念を与えるのが目的であった。基礎が宗教的に成り上 がっておるから、仏教は全然信仰の一現象である故に、哲学というような方面はちっともない、あくまでも宗教 であると主張してやまんのです。しかるに乙のいうのに、いやそれは大いに間違っておる、というものは、釈迦 の精神思想は安心立命という信仰であったには相違ない、しかし釈迦の説きし法そのものによって考究するに、 大は宇宙の現象より小は精神界の微に至るまで、ことごとく説明して余すところがないといってよろしい。しか もその説明が哲学的にできておるのは、なんびとといえども否定することができない。そしてその説明中、宗教 20

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仏教通観        分子の部分が多いか、哲学分子の部分が多いかというに、宗教分子よりも哲学分子はは        るかに勝れておる。これが仏教の哲学なるゆえんの証拠であるというように、両々相対        して下がらなかったが、この両者の議論は共にみるところの偏頗より起こったものに相       違ない。余はこの問題につきてかく答えようと思う。すなわち仏教は一部宗教たるに相       違ないが、それと同時に一部は哲学より成立しておるものと断言してはばからない。故        に仏教という一つの塊団はその内容、宗教と哲学との相結合してできたものというので        ある。今この三者︵哲学、宗教、仏教︶を図にて示すと上のようになるのです。       甲は哲学を表したもので、もっぱら智的方面に属すべきもの、乙は宗教を表示したも ので、もっぱら情的方面に属すべきもの、丙は甲乙二者、相結合するところを表明したもので、智情円融の有様 で、仏教の智徳円満とはこの二者契合のところをいうのです。故に仏教は哲学と宗教との結合したるものであっ て、その内容の豊富なる驚くのみである。故に哲学と宗教とは仏教以外にいくらも多くの種類をもっておること を承知してもらいたい。そこで余が講ぜんとするところは、哲学と宗教との二大区別あるうちで、いずれの部分 を講ずるのであるやというに、むろんその名のごとく哲学に属した部分を講ずるのである。宗教に関した部分は 世多く講じたもの、またそれぞれ専門家があってさかんに講義もし著述もたくさんありますから、ここにその部 分は省いておきます。まずこの仏教が、哲学と宗教とにいかなる関係を持っておるやを明瞭にしなければ、自然、 仏教と哲学との関係も不明瞭に陥ることと思いますので、ここに、  1 哲学と宗教との関係 21

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を述べておく必要がありますから、その大要を略述しておきます。  およそ哲学と宗教とはその名が異なっていますから、その性質もしたがって異なっておる。そこですべての学 問には定義というものがあって、定義とはすなわちその学問の性質、主義等を一定の義解の下に明瞭になるよう になっておるもので、今哲学といい宗教というも、そのいかなる義解を持っているかを、あらかじめ知らなけれ ばならぬ。定義が一定しませんと、あたかも風船のごとくおちつき場所がない。すべてなにごとによらず、おち つき場所の定まらぬほど困ったものはないので、おちつき場所が定まれば、なにごとでもなすことについて方針 が確立するものです。しかしおちつき場所が定まったとて、あながち方針が確立するものと定まらざるがごとく、 哲学、宗教の定義を定めたとて、両者の関係が明瞭になるとはきまっておらぬ。故に定義などについて弁舌を労 するより、むしろ両者の関係および異同を説明した方が、かえってこの問題につきて捷径であろうと信じまする によって、余はまず、  2 哲学と宗教の異同 につき述べようとおもいます。  まずこの問題に密接なる関係のあるものはなんであるやと問うたらば、なんと答えましょうか。余は本問題に ごく密着の関係を持っておるものを世界とするのである。余のいうところの世界とはもっとも広い意味の世界で、 人間世界のごとき一方の世界では決してないのだ。故に余は世界を大に分けて二種とするのである。それを哲学 上の術語で申しますると、一を可知的世界というので、可知的世界とはわれわれの智識をもって知ることのでき る世界ということで、俗にいう娑婆世界すなわちこの世である。この世界は諸君も知らるるとおり、われわれの 22

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仏教通観 世界であって、われわれの力によっていかようにもなる。たとえば人力車ができて便利だといったのが、それよ り便利な馬車ができて、市民は一時大いなる便利を得たが、このごろは電車が一層の便利になったが、この後は 空中飛行器でもできて、世界中自由に歩くことができるかも知れぬ。これはただに一例のみであるが、この他百 般のことどんなことでも、ほとんど人力をもって左右のできぬことはない。これが娑婆世界すなわち可知的世界 の常態である。つぎを不可知的世界と申して、われわれの力にて知ることのできぬ世界です。知ることのできぬ 世界とはどんな世界か、そのようなものなら世界という名称は与えることはできまいという人もあろうが、名称 はなんでもよい、必ずそういう世界があるとわれわれは信じて疑わんのです。その世界を実体世界とも、あるい は真理界とも申します。仏教でいうところの真如とか、ヤソ教のゴッドなどというものは、この世界の変名に過 ぎんのです。その実体界に対して可知界を現象界と申します。現象界という名称はむろん術語でありまして、通 俗にいいますれば実体界の印象が現存したという意味であります。故に仏教では現象界のことを水の波にたとえ てあります。水はいずれにあっても少しもその本体は変わらない、変わらぬところはちょうど本体界にひとしい。 その本体界なる水から現象界という可知界ができておるから波と少しも違わんので、波は風の強弱によって大波 小波異なるがごとく、現象界もまた時勢の変遷によって出没変化極まりないのです。それ故に現象界のあらゆる 事物は時間の上から申しても、また空間の上から申しても、みな有限のもので決して無限のものではない。いか に鬼をあざむくような大男でも、一度病魔の襲うところとなると、たちまち青苔一片の煙と化し去ってしまうも のであるから、人生のごときものは現象界中もっとも時間の短きもの、空間上の充塞も至って範囲の狭いもので す。有限中においても石や鉄より比較したときには、一層有限中の有限といわなければならぬ。しかるに実体界 23

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はすでに不可知界でありますので、到底われわれの智力でははかり知ることもできぬし、また制限を付すること のできない性質のものである。また有限世界は相対であって、無限世界は絶対であります。なぜといいますれば、 有限世界はすべての事々物々みな比較上、対待上より成立しております。たとえば甲の人は賢にして乙の人は痴 で、一はお役人様で一は平民で、あるものは剛にあるものは柔というように、互いに相対待しておるばかりでは ない。山の大小高低、海の深浅に至るまで、すべて二者対望して存するものであって、その差別のはなはだしき 一つや二つの脳髄にては知り尽くすことができませぬ。﹁森羅万象﹂ということばは、この相対界を形容したこと ばです。差別世界はこのように複雑極まる世界でありますのに、ひとり実体界は差別を離れた平等の体でありま す。平等体でありますからもとより比較すべきものはない。むかし東の空気と西の空気となにほどの差がありま すかと問うた人があったそうだが、空気そのものにおいてはもとより東も西も共に同じでありますごとく、実体 界は決して比例とか比較とか軽重とか大小とかいう相対的のものはない。故に仏教にては現象を事相といい、実 体を理性といっておりますが、事相とは事々物々の相貌という意味でありまして、理性とは万理の本性という意 味に用いたものです。更に仏教にては前者を万法といい、後者を真如といっておりますが、事相理性というより 一層具体的にことばを用いております。それ故ことばが異なっても意味は少しも違わんのであります。今この両 者の有様を表にて示しましょうならば、左のごとくになります。

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 かように表をもって示したならば、可知界と不可知界の区別はあまりに明瞭になって、ただに異なった点のみ 24

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仏教通観 をみて、いまだ少しも関係の点を発見することができますまいが、余が今まで講じてきた語につき子細にご研究 を願います。さすれば自然と両者の関係が分かります。また前に掲げた表によりましても、両者の関係が判然い たしましょう。もしお分かりにならないと遺憾ですから、更に両者の関係を水と波とに比してお話しいたしてお きましょう。すなわち本体界、不可知界は水のようなものであると前に申しておいたが、それと少しも違わぬの で、実体界の真相は大海の洋々たる水のごときものに相違なく、大小、醜美、喜怒、哀楽などという比較的のも のは少しもないが、さて現象界すなわち可知界とどういう関係があるやというに、本体界が水なれば現象界は波 である。そこでその波はいかにして起ききたって怒声を海上に放つかというに、それは風である。風のために本 体界の水は動揺する。動揺すればすなわち波という現象になることは明らかでありましょう。果たしてこの比喩 が通例ならば、両者の関係は火を見るよりも明らかにして、非常なる密接の関係を持っておりましょう。故に現 象界の有様を説明して﹁一波わずかに動けば万波従いきたる﹂と申してあるが、実に良き解釈と思います。この 説明で両者の関係はよくお分かりであろうと存じますが、そこで哲学と宗教とはいかなる区別を持っております か、その区別の点をお話ししなければなりませぬが、哲学と宗教とは元来、  3 基礎が異なっておる ので、哲学は可知的から不可知的に及ぼし、宗教は不可知的より可知的に及ぼすもので、両々相反しておるので す。これを図にしますると、つぎのようになります。  諸君はこの図によって、哲学と宗教との根本基礎の異なっておるのがご明瞭でしょう。一は左よりするものと 一は右よりするものと、その道程は京都へ行くものと仙台へ行くものとの状態をなしておる。しかし不可知的の 25

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       存在は哲学も許しておりますし、宗教はむろんこれを許しております。かように申        したならば、自家撞着のはなはだしい説ではないかとおしかりを被るかも知れぬが、        決して自家撞着ではないことを一応弁じておきましょう。それは可知的と不可知的        との基礎が明らかになれば了解ができようかと思います。まず哲学はどういう基礎        の上に成り立っておるかというに、智識という基礎の上にできていまして、絶えず        天地人三才の大いなる問題について、研究して進むものでありますから、その状態 は﹁疑﹂というものになっております。しかるに﹁疑﹂がもっとも哲学上には効能があるので、もし天地間の微 妙なる問題に遭うて、少しも疑いはなかったならば、更に進むということがなくなるに違いない。故に哲学は絶 えず疑いという智識を舟やいかだとして、現象界の可知的世界より漸次に実体界の不可知的世界に及ぼすもので あります。かようでありますから、哲学研究の出発点は可知的にあって、その終局は不可知的に終わるものです。 かの哲学の祖であるカントが、水という一現象をもって天地宇宙の解釈を試みんとしたのも、全く可知的より不 可知的に進んだものであるということは明らかに分かるでしょう。しかるに宗教は哲学とは全然その趣が異なっ ておる。宗教の基礎すなわち立脚点は実体という不可知的にあるので、その実体を究めんにはどういう梯子によ らなければならぬかというに、信仰という梯子によらなければ、実体界の到着はすこぶる困難である。困難では あるが、ひとたび正信を起こしてその方針に従って行けば、さしたる困難はありますまい。そこで不可知的に至 る信仰は、決して疑いというものを許しませぬ。疑っては駄目であるのです。疑わずして信ずるのですから直覚 でしょう。直覚であるからむろん研究ではないのです。しかしその方針は不可知的から可知的に運動するのが順 26

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仏教通観 序で、一般の宗教はそのようになっております。釈迦が四九年の間、横説縦説したというのも、要するに基礎を 信仰に置いた結果であります。かようにその方針、基礎が異なっておるから、宗教と哲学とは石と鉄とのごとく、 全然相反しておるもので、決して関係などというものは夢にも発見することができぬという人があるかも知れま せぬが、しかしそのように相反し相背馳しておるものではなく、ごく密着の関係を持っておるというのは、不可 知的の存在です。不可知的の存在は宗教はむろんこれを許してありまして、哲学は可知的より不可知的に進むと いうのも、不可知的の実体界あるを認識しておる結果たるに相違ない。かようでありますから、両者の関係の明 らかなることは、決して否定することができぬので、それはただに可知的、不可知的より許したのみではない。 そこで、  4 心理学上よりの区別 をしたならば、一層その関係が明瞭になることと思います。心理学の上から哲学と宗教とを区別しますると、わ れわれが哲学に対する心の作用︵はたらき︶と、宗教に対する心の作用とにその間相異の点あることを認めておる。 それは前にも申したとおり、哲学はわれわれの心の中で智力の作用に基礎を置き、常に天地間の道理を科学的に 研究して行くのが哲学の哲学たるゆえんでありまして、宗教はもっぱら感情に基礎を置き、信仰というレールに よって実体界に往復をなしておるもので、二者共にその様子は異なっておりますが、その間深き関係があります。 それはいかようの関係かというに、たとえ哲学は智力一点張りとは申すものの、その間感情の混じっておらぬこ とはない。それはかのソクラテスは哲学者にして教育者であったが、一度暴戻なるギリシアの法官のために毒杯 の下にたおるるときの行為などというものは、全く宗教的行動であったことに照らしても、哲学は決して感情の 27

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分子がないとはいえますまい。それと同時に宗教も基礎が感情であると申しましても、智力分子はまるで欠けて おらぬ。否、仏教などは智力分子がかえって多いくらいである。かの﹃唯識論﹄とか﹃倶舎論﹄のごときものは、 全然智的分子のみにてかたまっておるといってもよろしい。  これは大体の区別でありまして、今はつまびらかに講ずる余地がありませぬが、大体心理学の上にてわれわれ の心のはたらきを大別いたしまして、智と情と意との三つに区別することは、すでに世人の熟知するところであ りますが、今哲学と宗教とはその三区別のうち、哲学は智力に基づきまして、智力は疑い考うるという思想が基 礎となり、すべてあらゆる事柄を思考推理するものですから能動的であります。これに反して、宗教は感情が基 礎となって成立しておるものでありますからむろん受動的であって、わが心に他の刺激を感受領納する作用のあ るものです。故に智力の上に思想がありますし、感情から信仰というものができます。したがって思想は論理に よって生ずるもの、信仰は直覚によるものである。また論理は道理が本で、直覚は天啓が本です。以上を概括し ますると左表のような具合になります。

  哲学ー智力  思相→論理ーー道理、

  宗教ー感情  信仰ーー直覚ー天啓

 諸君がこの区別をご覧になったならば、両者の関係がいよいよ密接であることが明瞭になりましょう。そして また、この区別を前の区別と比較照合したならば、哲学と宗教との異同はいよいよ明らかになることとおもいま す。そこで哲学が可知的を始めとするは、智力を基礎とするわけであって、智識の及ぶところを可知的といい、 及ばぬところを不可知的といいます。しかして哲学は思想論理の力によりまして道理に向かって進み、もって不 28

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仏教通観 可知的世界の存在を推究するものであります。また宗教は感情上にただちに不可知的世界の存在を覚知するもの でありまして、不可知的なるものはわが心の力によりて探究することができぬ、もっともある程度までは探究も 研究もできますが、大体からいいますれば自ら心そのものの上に感知するので、これを啓示といいます。このよ うに哲学と宗教とはおのおの異同がありますが、これその大体の区別にとどまりて、その間に密着の関係を持っ ておりますことは決して忘却せんように願います。もしこの関係異同がよく分かりませなんだときには、畢寛本 書の講義が不明瞭に終わるものとおもわなければなりませぬ。  なお一層、哲学と宗教との関係を明らかにするために多少の弁を費しておきます。元来哲学は可知的世界を主 といたしますが、また不可知的世界をも論ずるものです。こう申しましたならば、諸君は大いに疑って問いなさ るでしょう、智力が本である哲学が、いかにして智力以外に存する不可知的世界を知ることができるやと。これ もっともの問いでありまして、元来不可知的であるからその内部にはいって研究するということは、容易にでき 得べからざることではあるけれども、断じてできぬとはもとより限らぬ。それは可知的より漸々進み行けば、不 可知的そのものの存在を知るのみではない、その不可知的の有様もどんな様子であるかは、多少推知することが できます。すなわちわれわれは、その不可知なるものはいかなるものであるかを探究して進み行くときには、不 覚不可知的の境に到達することができるものです。けれども外面に彷復して内部に入らんとしたとて、それは到 底できるものではない。われわれはむろん諸君の中でも、時にあっては不可知的にこのようなものだろうと、外 面より憶測判断を下すことがありましょう。あるいはこれが不可知的ならんと思考することがあるに違いないが、 それこれだろうと思い考えておるうちは少しも不可知的が分からんので、かえって可知的のまん中に彷裡してお 29

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るものであって、ただその理を無理往生に不可知的に当てはめるに過ぎませぬ。かようなわけでありますから、 いにしえより多くの学者がその説明に大いに苦しんだので、仏教においてもまたいろいろの議論があるのです。 仏教に小乗大乗と分かれ、半満別円などと区別がついてあるのも、要するにこの二大問題の解決いかんにあるの です。かの﹃維摩経﹄にあるところの有名なる維摩と文殊との問答のごときは、その一例であります。それはい かようなる問答であったかというと、あるとき釈迦の弟子数輩が釈迦の命令によって、維摩の病床を問うべく余 儀なくせられた。そこで実は、弟子等は維摩の病気を訪うのは気持ちがわるい。なぜというに、当時維摩は教界 にても居士であったが、すこぶる勢いがよかった。それ故、うっかり訪うて維摩にやり込められてはという懸念 があるもの故、進んで候病の任に当たろうとしないのも無理はないが、師の命令であるからやむをえず維摩の病 気を訪うことになった。果たせるかな、釈迦の弟子等は維摩に対しての候病の辞を始め、あらゆる談話が実に浅 見薄弱でありまして、大道の一班をも尽くすことが足らぬために、維摩は例の大弁を振るうて弟子等の述ぶると ころを論破し、到底その智力のなんの益にも立たぬことを弾斥した。ときに文殊がその弟子等が維摩のためにさ んざんやり込められたのを見て憤慨おくあたわずという具合で、たちまち文殊が代わりて維摩と大いに真理の存 否を討論せんとおもいまして、まず口を開いていうのに、不可知的の本体は到底われわれの思議することのでき ない絶言絶慮のものであることを喋々として議論した。文殊はいかに大言壮語、議論を試みても、維摩は黙然と してなんとも答えない。僧家でいうところの維摩の黙とはすなわちこれで、この黙の価は何千両か何万両である か分からぬ。かような有様であるから、文殊も自己の喋々に照らして到底不可知的の真相は言やなんかで言い尽 くせるものではないことを悟った。諸君はこの一条の説話を耳にしてなんと感じますか。公会の演壇に立って雄 30

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仏教通観 弁渾辞を弄するものならば、必ず大雄弁である、なかなか演説は上手だなどと評するであろう。もし今日に文殊 がおったならば、世人は文殊の大雄弁に拍手喝采するでありましょうが、しかし不可知的なるものは、到底雄弁 やお世辞で知ることのできるものではない。知ることのできぬから不可知的なのである。しからば、その不可知 的に至るにはいかにしたらよかろうか。それには実地の修業というものが入要です。実地の修業もなにもなくし て、口耳三寸の器械で不可知的はこうじゃのなんじゃのといったところ、それは言うだけ野暮で、言ううちは到 底不可知的を悟ったものではない。老子のいわゆる知者不言、言者不知といってありますのは、よくうがった言 でありまして、﹁至道難きことなし。ただ棟択を嫌う。﹂︵至道無難唯嫌棟択︶と六祖大師が喝破したのも、この不可 知的の本体は知識や学問では一歩も知ることができぬという主義で、大道を知るものは口先には決して出さぬ。 口先に出せば大道の真相がなくなってしまう。かようなわけであるから、維摩は黙して答えないのであった。ま さに当時教界第一流といわるる維摩は、維摩だけの議量を具していたと感服の外はない。しかし今の見地より推 すときは、維摩はまだまだ大道を尽くしておらぬとおもわるる。なぜなれば、維摩は大道の本体たる不可知的を 口先には出さなかったが、この黙が不可知的の実相だと心の中には思いはかったに相違ない。故に維摩の黙は心 にはかって黙したのであるから、まだまだ本黙ではない。もし余がこのときおったならば、ただちに眠りて無念 無想の境に入るほか手段がない。このように真の不可知的は口にも言うことができぬし、また心に思うこともで きぬもの、言亡慮絶とはこのことです。けれどもわれわれの心に思い口に述ぶるはもとよりやむをえぬので、た だわれわれは不可知的はどのようなものであるかと思議して、多少その様子が察せらるるのです。けれども進ん でその本体に入らんとすれば、ただちに反弾せらるるものです。このように哲学も宗教も共に不可知的に関係を 31

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持っておりまして、ただその方向だけが違うのですから、諸君はむしろその関係の大なるに注意して深く研究し てもらいたい。  再び心理学の上より宗教はいかなる関係をもっておるかをみましょうならば、元来宗教は信仰が全生命となっ ておりますので、宗教はなにかと問う人があったなら、信仰と答えても差し支えない。しかしながら少しも智力 はないとはいえない。必ず多少智力の作用を備えておるものであります。すなわちどんな宗教を信じましても、 多少心に会得した上でなければ信ずることのできぬもので、たとえば愚夫愚婦が天理教を信ずると仮定しても、 天理教は実になんの価値もない有害無益の宗教でありますが、愚夫愚婦等がその天理教を信ずるに至るまでも、 少しの智識を要しまた相当の思考を要したに相違ない。とにかく愚者は愚者相応に自己の心に領得して信じたも のに相違ないが、学者でもやはり愚夫愚婦と同じように信仰はいたしておりますが、その信仰の具合は違うので、 学者はその智力に訴え推理考究してのち、その真理たるを確認して信仰したもので、これと同じく智力を主とす る哲学も、また信仰によらなければならぬ。たとえば哲学で一の疑問を起こし、これを研究するときに、いやし くも得るところがあったならば、とにかくその説に信をおかなければならぬ。カント、へーゲルでも自己の説は 万世不変の大真理と信じたに相違ない。そこで諸君に大いなる注意を求めたきは、真理なりと信じた点である。 すでに信である上は宗教の信仰とその性質に少しも異なっておらぬ。かの懐疑学の祖先たるヒュームは、懐疑を 主張して一切の学説を破斥し、破斥した結果が、真理もなければ物もなく心もなく、なにもあるなしと主張した けれども、そのなにもないというのをヒュームが信仰しておったのだろう。やはり一種の信仰が成立しておるの です。この信仰はすなわち感情に基づくものでありまして、このように哲学と宗教とは大体の区別がありますけ 32

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仏教通観 れども、細かに詮索するときは密着の関係があることが分かりましょう。そして仏教はことに哲学と宗教とに密 接の関係をもちまして、その哲学と関係する点はあまたの宗教中その比例をみないほど密着の関係を持っており ます。以上大体、哲学と宗教とはいかようの関係を持っておるかをお話しいたしましたから、これより、  5 仏教上に哲学宗教一一者の成立せるゆえん を略述いたしましょう。仏教と申しまするとなんでも厭世臭いもので、じいさんやばあさんのなぐさみもので、 至極ありがたそうなものだと考えておらるる人が多く、仏教はいかなる組織にできておるや、その内容などを知 っておる人は千人に一名の割にも当たりますまい。なるほど仏教には厭世臭い部分やら、またはありがたい部分 のあることは明らかであるが、それはごく皮相の見でほんの仏教の影のみを見た話である。そこで仏教はいかよ うの学問から成り立っておるか、科学的であるか非科学的であるかというに、一は科学的であって一は非科学的 である。今ここにいいました科学的というのは哲学を指したもので、非科学的というのは宗教を指したもので、 哲学は理論で、宗教は実際である。理論と実際は仏教の二大部分であって、理論に属する部分は一宗一宗に立っ てある原理原則を理論の上から研究するものでありまして、この部分は哲学に属するものです。実際に属する部 分は信仰の方法または修行の行程規則を説くものであって、この部分は純然たる宗教に属するものです。とにか く仏教は理論と実際、すなわち哲学と信仰との二大部分よりできておるものでありますことは、決して疑うこと はできませぬ。故に仏教は哲学に深い深い関係をもっておるばかりではない、実に仏教は他の宗教とその根底組 織が異なっておることをご承知願いたい。  すでに仏教の組織ができた上には、その仏教はなにが中心となって、どのような目的を持っておるかというに、 33

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仏教の中心は真如にあるのです。しからば真如とはなんであるかというに、浬磐の実在を称したものです。すで に実在であるによって不可知的である。不可知的であるが、よく現象界のすべてのものを開発する不可思議の作 用をもっておるが、哲学としてみるときは、その真如は全体いかなるものかということを道理の上から研究する もので、道理上から研究すると、真如と方法との関係というやかましき問題ができますが、真如のことは﹃起信 論﹄を講述するときに詳しくいたすこととして、進んで、  6 仏教の目的 は那辺にあるかということを講じましょう。しかしここに注意しておくのは、仏教が浬藥を目的とするわけは宗 教であるから浬薬が目的なので、もし仏教を哲学としてみたときには真如が中心となるのです。すべてなにもの なにごとによらず、目的のないものはない。もし目的なくして世に存在するものがあったならば、人間ならば瓢 流の客、事業ならば無鉄砲とでも形容するほか仕方がない。仏教はそのような瓢流や無鉄砲ではないのだ。仏教 の大目的は、  7 浬 薬 に達するというのです。仏教各宗はたくさんありますが、この目的を出てませんのです。もしこの目的に背く仏 教があったならば、それは仏教ではない、外道異端と排斥せらるるところのものです。しからば、  8 浬磐とはいかなるものなりや を研究してみなければならぬ。まず浬磐の字義からお話し申しましょう。浬磐とはインドのことばにて、シナの ことばに翻訳すれば滅度ということになる。滅度という意味はすべて我他彼此または善悪の区別を滅し、かの岸 34

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仏教通観 すなわち真理の岸にわたるということで、仏陀の境界をいうのです。故に浬薬に達するということは仏陀と同  になることである。しかしそれは浬藥のはたらきであるが、浬粟そのものはなんであるかというに、浬磐のなに ものたるやを説明するには、ここに大体の上から三法印のことをおはなししなければならぬ。三法印とは一に無 常印、二に無我印、三に寂静印であって、法印とは、印はわれわれでも至極大切な肝要のものであるから、決し て他に渡しまたは濫用のできぬものと同じく、今三つの法印なるものは、ほとんど仏教の根本基礎ともいうべき ほどの大切な肝要のものであるゆえ法印と称したのですが、まず第一の無常印とはいかなることかというに、す べて法の現象で生滅しないものはない。石や鉄のような堅牢のものでも、時間の経過と共に必ず変化消長は免れ ない。すなわち生滅変遷して無常なるは著しき事実であるによって、もろもろの現象は決して常住不滅のもので はないことはご承知でしょう。それと同時に、無常印ということは天地の一部分の真理として否定することはで きませぬ。仏教にこの無常印があるために、楽天家より眺むると厭世教で活世界にはなんの益も立たぬかのよう にいえますが、しかし真理である上にはなんともしようがなかろうとおもう。ただ世は無常であるから、無常な るこの世にある上はいかに活動すればよきやを研究して、無常だから到底望みがないというような浅はかの考え をもたぬように教導するのが、目下の急務であろうと考えらるる。これは今日の僧侶方に望みましても、成功す るかどうかおぼつかない。つぎに第二の無我印とは我がないということであるが、なぜ我がないかというに、仏 教の根本義は、すべて相対的なることには生滅無常の免るるものはない、なぜ免れぬかというに、われわれの肉 身は仏教にては六二もしくは一〇〇の元素よりできておるものと説明してある。元来、元素の結塊は肉身である。 故にひとたび無常の殺鬼に襲わるるときは、六二の元素はみな離ればなれになってしまう。離ればなれになるべ 35

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きごくもろき肉身の中に、我というような常一・王宰的のものはあるはずはない。しかるに多くの人々は﹁オレ我﹂ ﹁オレがえらい﹂などというて、﹁我﹂なるものは五体のいずれにかに潜伏しておるかのように考えられておるも のがありましょう。そのようなものは仏教にては毛ほどもないと説明するので、試みに諸君が実地に経験してご 覧なさい。まずわれわれの肉身はいかにしてできたかというに、肉体と精神との二和合によってできたものに相 違ない。しかれば元来仮に和合したものに違いあるまい。根本の組織はかようであるから、我の存在などとは夢 にも見ることはできますまい。ために仏教はこの我を嫌悪すること毒蛇よりもはなはだしいのです。つぎに第三 の寂静印とは、寂は寂滅など仏教にては注釈するによってもろもろの煩悩妄執のなくなったところ、静は清静で あるからその煩悩妄執のなくなったところが静でしょう。故に寂は原因にして静は結果というても差し支えない が、ひるがえって古代インドの外道輩をみるに、当時の外道はみな﹁我﹂という考えのないものはなく、また浬 磐の考えのないものはなかった。そして浬築と申しても仏教のいうような浬藥ではなくして、現在世界をうち壊 して、なにか別な世界に浬薬というすこぶる奇麗な所でもあるかのごとくに考えておった。その奇麗な所はなん でも至極寂静な所で、とても想像やなにかに浮かばせることも書くこともできぬと考えたに違いない。故に外道 の浬薬にも寂静の意義はもちろん十分にありますが、仏教の浬築と比較しますと雲泥の差があるので、今その一 例を挙げてみようならば、外道は多く客観界に浬藥を求むるもので、一種の未来教です。しかるに仏教は主観的 に浬磐を考えようとしたもので、いわゆる外道浬薬は我という実在のものより考え出したので、未来の裁判に苦 しんだ結果がかように考えた。すなわちこの我ですが、この我をしていろいろと苦境に陣吟せしむる間は生死と いう二大関門があるのだ。そこでこの二大関門を打ち破って、安楽な浬藥に至るにはいかようにしたらよいかと 36

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仏教通観 いうに、それは我というものの周囲の関係を断ち切ってしまって、独存させなければならぬと考えた。故に外道 の浬築というものは我の独存にあるので、彼らの修行はしたがって我の独存を図るにあるというて差し支えない。 けれども仏教ではそんな浬薬は少しも浬磐ではない。かえって我の大反対の無我にならなければいけないと主張 してやまぬ。なぜかなれば、もし我があったなら、必ずそこには煩悩というはなはだいけないやつがつきまわる。 その忌むべきところの欲しい愛しい可愛い憎いの煩悩があれば、そのところに業というものがある。業という一 種のエネルギーがありますと、生死に流転することが免れない。そこで真の浬磐というものは、この生死輪廻の 根本を断ち切ってしまったものでなければならぬ。その断ち切ってしまったものはなにかというと、無我の境界 である。故に無我は仏教の大浬築、すなわち仏教の最大目的といわなければなりませぬ。これが仏教の根底であ って、浬築はすなわち釈迦の大悟界である。仏教が幾派の多きに分かれていても、この浬磐という大悟界の思想 を汲まぬものはない。そのいろいろな宗派に異なっておるのは、様子だけが異なっておるので、真の根本に至っ てはいささかの違いもないのです。  さてその浬磐はもとこれ釈迦の大悟界であるによって、余人はこれを外部からうかがったとて到底分かるもの ではない。たとえば水の冷淡なる味のごときもので、その水のほんとうの味はどんな味かと尋ねられても、こん な味であるといって、その味の加減を他の人に知らしむることはできますまい。浬藥界はそれと少しも違いない。 浬築界は元来、不可知的世界であるから、われわれは釈迦と同等の人にならなければそのほんとうの味が分から ぬ。これを﹁二面烈破す。﹂︵二面烈破︶とか﹁余人の見ざるところ﹂︵余人所不見︶とかいう形容詞でようやく言い 尽くしたものだ。かつて釈迦が多き弟子の中に一人を選抜して自己の大法を授けようとして、試みに金婆羅華を 37

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拍ぜられておったときに、多くの弟子のうちだれ一人として、その釈迦の真意を了解するものがなく、ただ師匠 さんがなにをしておるのだろうくらいの調子であったらしい。ときに迦葉という智徳兼備の高弟がおって、その 師匠なる釈迦の様子をご覧になって、なんともいわずただにっこり笑うた。そのにっこり笑うたのが実に千金の 価があるので、われわれが笑うのとは雲泥の違いどころじゃない。大法の極致たる浬藥の真相においては、もと より授くべきなく受くべきなく、また言うべく論ずべきがないによって、釈迦拮花し、迦葉微笑して、互いに以 心伝心の妙作用を起こしたものだ。畢寛この作用が迦葉において大いに熟練修実していたに相違なかった。それ 故釈迦はただちに﹁われに浬薬妙心実相無相の法門あり、摩詞迦葉に付属す﹂というおことばと共に、金欄の衣 を迦葉に授けられたのであったが、しかしこれは実地上の話であって哲学上の話ではないが、哲学的の解釈また は論理上の解釈をいたしますと、浬磐の本体を言い表さんために、いろいろなことばを設けてある。通例用いら れておることばには真如というのがある。真如とはもとより具体的の文字ではなく抽象的の文字で、真は真実、 如は如是の義にして、通俗にいえばそのままということです。そのままとは少しも疑いも嘘もない天真燗漫の有 様で、これを社会に応用すれば君臣父子、夫婦兄弟ちゃんとその関係区別を乱さずに相耕列し和合しておる有様 である。こういう点よりいえば、真如または浬磐というても、遠きに求めるには及ばなくなる。われわれの足の 下に真如の光が燦然としておるということができる。そこでこの真如について﹃義林章﹄には三一の異名を挙げ、 ﹃法華玄義﹄には一六の異名が挙げてある。唯心、中道、般若、一乗、一立体、一依、空性、如来蔵、仏性、自 性清浄心、法身、不二法門、不生不滅、不思議、非安立、円成実、真如、法界、法性、不虚妄性、真際、不変異 性、平等性、離生性、法定、法住、法位、不思議界、虚空界、無我、勝義︵以上﹃義林章﹄に出づ︶、妙有、真善、 38

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仏教通観 妙色、実際、畢定空、如々、浬磐、虚空、仏性、如来蔵、寂滅、中実理心、中道、非有非無、第一蔵論、微妙︵以 上﹃法華玄義﹄に出づ︶などといってあるが、みなこれは釈迦の大悟の有様を説明せんとしておこった異名であ る。このように種々の異名を生じたわけは、仏教研究者の視線がいかに浬樂問題に対し、大いなる注意を払いし かを知ることができると同時に、仏教根本の思想、釈迦の大理想のいずれにあるやを知ることができて、われわ れ修行者の方針が一定したといっても差し支えありますまい。すなわちわれわれは浬磐の楽地に至らんと望むも のである。浬磐のなにものたるやはこのとおりでありますが、その道理をいかようにしたら説明ができましょう か。しかり浬薬の実在はこれを道理の上から説明しなければならぬので、その説明がすなわち哲学です。まずシ ナ、日本の仏教中この真如について成立せし宗派で、いかように異名を付け、かつ解釈を施しておりますかとい うに、法相宗にては唯識といい、三論宗にては八不といい、摂論宗にては蕎摩羅識といい、地論宗にては阿梨耶 識といい、天台宗にては三体円融といい、華厳宗にては事事無擬といい、真言宗にては阿字本不生といい、また 大日如来、六大無擬ともいい、禅宗にては浬薬妙心といい、また正法眼蔵、仏心印といい、日蓮宗にては十界曼 茶羅といい、浄土真宗にては極楽、安楽、安養、浄土または無量光明土、阿弥陀如来と種々の異応がついてあり ますが、これみな釈迦大悟底の浬薬そのものに対する思想の開展であろう。  釈迦の大悟の境界たる浬藥は無量無辺、思議すべきにあらざるをもって、強いていろいろの名称は付したるも、 いまだその真価を尽くしたものではない。もしこの浬藥を宇宙についていわば、宇宙の第一義である。宇宙の第 一義はすなわち究寛的真理です。これの故に釈迦の大悟界の上よりいうときは、非説明的のものとなる。非説明 的のものである故、言語文章の有形のものにては、到底知ることができぬ。もし言語文章にて意識しようとおも 39

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わば、すでに第二義に落ちるもので、これを身に感得領納せんとおもわば、すべからく釈迦になろうて身命を賭 して端坐工夫しなければ駄目です。要するにわれわれの思想が有限なれば、言語文章みな有限ならざるものはな い。しかるに宇宙の第一義は無限にして絶対であるから、到底有限なる思想や文章をもって尽くすことはできぬ。 畢寛、不可思議不可商量になるもので、肇師が﹁理にあらざれば弁なきも、弁はいうことあたわざるところなり。﹂ ︵非理無弁、弁所不能言也︶とは実によく当たっております。これらのことは理論宗と実際宗を講ずるところにお いて再び講じましょうで、ここにはこれのみで略しておきます。 40

第二節 仏教研究の方法

 仏教を研究する方法については、昔と今とは大いに異なっておる。今の仏教研究の方法をみるに、大体は注釈 的研究、達意的研究、批評的研究、歴史的研究、比較的研究の五つに分かれておるようだが、そのうち最も学者 のとるところは歴史的研究でありまして、達意的研究のごときはすでに過去に属しておる。しかして注釈的研究 のごときは、今はほとんどするものがなく絶無という次第で、仏教のある一部の専門家が梢々やっておるに過ぎ ぬ。故に今日となっては﹁唯識三年倶舎八年﹂などという諺は、はやくいずれへか往き去ってしまった。  さて前段に述べましたごとく、仏教の上に道理を主として説く部分がありますことを申しておきましたが、元 来仏教は実行的のもので、決して理屈をいうべく世に出たものではない。しかるに今日となってみると、仏教は まるで理屈を並べる三百代言かのように心得ておらるる人もある。これは仏教にとってはなはだ痛惜の至りであ るが、なぜ実行的のものが理屈を並べなければならなかったかというに、それは当時の宗教界の上からみてなん

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仏教通観 とも仕方がなかったのだ。すなわち当時インドにおいては多くの外道しかも九十五種の外道が、おのおの自家独 特の論法をもって、さかんに自家領内の拡張に努めてやまぬときもあったから、釈迦もやむをえず理論をもって、 彼らの迷信を打破すると共に仏教の真理を彼らに与えたので、その仏教の真理なるわけを説明したのがすなわち 仏教に哲学の部分のあるところで、仏教が他宗教に比して堅牢抜くべからざる基礎のあるは、この哲学あるによ って大いに意を強うすることができる。かく申しましたなら、論者あって難詰するでしょう、今日はすでに当時 のような外道がおらぬ、おらぬからそのような哲学の部分など講ずる必要はあるまいと。予はこれに答えておか なければならぬ。それはなるほど外道はないが、外道の代わりにほとんど外道以上のいろいろの学問、宗教があ って、大いに仏教に打撃を与えておる。しかし一方からみれば仏教のほんとうの研究も始まっておりますが、と にもかくにも仏教の講究は、今日の学問、宗教に対して仏教の真理を示さなければならぬ。その有様はむかしイ ンドにおける外道と仏陀との関係と少しも異ならぬ。これもとよりしようがない。仏教には哲学的分子が多量に 含まっておる結果で、なんとも致し方はない。仏教の存在する上はどこまでも研究し練磨しなければなりませぬ。 ところが世間にこういうことをいうものがある。仏教はすでに三千年前のむかしにインドにて完成したものであ るから、仏教は仏教という一個の固体的のものであるから、もとより独立なものだ、であるから今日となって他 の学問を適用して、いかにも仏教を庇護するような具合に、くどくどしく説明などと大騒ぎをする必要はあるま いと。なるほど一応ごもっとものように聞こえますが、予よりみますと論者の言は時勢と境遇とを知らざる妄言 とほか受け取れぬ。なぜなれば、今日はむかしインドに行われたような外道の教えはないけれども、その外道に 代うるにヤソ教という大敵あり、理学とか科学とかいう実験上の学問があって、仏教の学問に食い込んでくる。 41

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先方はかようにして理屈の矢や弓で押し込んでくるから、仏教も哲学や法学を研究して、研究した結果を応用し て仏教の真理を証明する必要に迫っておるのは、先方の矢や弓の理論に対して、当方にてもその難に当たるだけ の鎗や鋒を磨かなければなるまい。予はかくのごとき方法によって仏教を説明するを名付けて発達的学風といい、 むかしの仏教家のように楊子をもって歯をほじくるような研究の仕方を注釈的学風というのです。注釈的学風に 重きを置く人をみるに、仏教は善も悪も少しも構わず、なんでも完全なるものと頭から断定してしまって、仏教 のある本に首きり入れて一生懸命に注釈だけを試みるのみで、いや倶舎のこの字はどうだの、あの字はなんだの と末の末にのみ拘泥して、他をちっとも顧みない。ためにその識見、往々偏見固晒に陥ってしまって、融通のき かぬ人物を造ることが多い。なるほど仏教部内の専門家にあってはもちろん必要で、決して無用視すべきもので はあるまい。けれども過ぎたるは及ばざるがごとしであるから、かかる頑迷は断然排しなければならぬ。かよう に仏教を研究し宣布したときには、せっかくの仏教も全く死んでしまうほか仕方がない。故に仏教の光輝をして ますます発揚せんとするには、今までのような注釈的学風を一変して発達的学風としなければならぬ。発達的学 風は進歩であって、注釈的学風は保守である。これを歴史に照らしまたは事実にかんがみるに、保守のさかんな るところは必ず滅び、進歩の大なるところは必ず栄うるは明らかで、かのインドのような保守国は滅びかかって おるし、合衆国のごとき進歩思想の国は隆々の勢いをもって進みつつあるをみても分かりましょう。故に発達的 学風によれる仏教は、諸学に照らして仏教の真理を比較討論するをもって一方は時勢に適し、したがってその精 神を発揮することができるから、外の学校に行ってベースボールの競技をやるに似てすこぶる活物となりましょ う。しかるに注釈的学風は前者とは大いに異なり、仏教内にとどまりて一字一句の注釈を専門とするに過ぎませ 42

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仏教通観 んから、あたかも土や石のごとく幾千年を経っても更に成長しない。故に内に籠城するのと少しも異ならぬから、 したがって仏教は死物となってしまうのである。今日以後の仏教研究者はすべからくこの点に注意しなければ、 撲を抱いて空しく眠っておるのと異ならざるを得まい。  以上において、予はもっぱら発達的学風は今後の仏教研究者ののっとるべきことであると説明いたしましたが、 その発達的学風をとりて仏教を研究しましたなら、  ー 仏教に妨害なきや というに、決して妨害などは少しもなく、かえって仏教を発揚することができることとおもう。元来注釈的と発 達的とはその考えが根本において異なっておる。前にも講じたとおり、注釈的は釈尊の説法をみること玉のごと くにおもい、仏教のあらゆる道理は残らず説き尽くして少しも欠けるところがなく、誠にまどかなものだとのよ うに信じておる。故に注釈的は大いに信仰の分子が含まれておって、釈尊の説といえば一字一句も加滅のできぬ 神聖のものと考えておるが、それに反して発達的はその名のごとく発達的に仏教を研究する学風であるので、仏 教というものは釈迦が始めて種子をちょっぽり下したもので、いくらでも成長発達のできるものである。故にこ れを花にたとうれば、前者の考えは仏教という美しい花が釈迦の時ことごとく開いてしまったから、もう再び花 が開くどころじゃない、落花の時じゃからわれわれはその花を拾うて花の醜美を見ればそれで十分だという考え、 後者は仏教は釈迦がわずかに種子のみを下しておいたのであるから、これからいくらでも成長発育が自由にでき るものであると大いに希望を持っておる。けれども前者はすでに絶望である。  かような次第であるから、仏教にはなんらの妨害はない。否、むしろ仏教に大貢献をいたしておるのです。し 43

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かるに世人は、ややもすると発達的の研究を悪しざまにいうものがあって、発達的学風のあるものを捕まえて外 道視して、おもむろに排斥せんとする風が行われておるが、はなはだ考えのない愚者の見解と思う。仏教の関門 をも通ったことのない人々は、仏教を目して退化の説であるというものがあるが、すべてものには表裏あり善悪 あり退化あり進化あり、互いに相対峙しておるのが万物の通則で、万物はまたこの相対差別によってできておる のである。故にその一部分一方面のみをみて、仏教は退化だの進化だのと一概に偏し去るは、はなはだ当を得た 説ではない。今仏教もある人々のいうごとく一方は全く退化説に違いないが、他の一方よりみるときは非常な進 化説であるのです。全体、退化進化とはいかなることを意味するかというに、進化とは初め単純であってのち複 雑になるので、退化というのは初め複雑であってのちに単純になるのである。今これを歴史的に研究してみても、 初めは社会の階級がごく単調でなんの差別もなかったのが、ようやくにして士農工商の四つとなったのが、それ からそれへと分業ができて、政府の組織ばかりでも数えきれぬほどになり、教育事業やら社会的事業やら、いろ いろ複雑なる組織ができたのは社会の進化です。進化というはただ社会のみではない。かの宇宙にも同じく進化 があって少しもやまない。すなわち星雲の渾沌たるものより千種万様の現象世界をなすに至ったのは、明らかな 進化といわざるをえない。また単純なる一粒の種子より幹となり枝となり、葉が生じ花が開き、実を結ぶのみで はない、科学的作用によって種々の植物が次第に繁籏するのはやはり植物の進化でしょう。そこでのちに立ち戻 ってお話しをいたしますが、釈迦が始めて仏教という美しい種子を下せりという説からして考えてみますれば、 もちろん仏教は進化せるものであって、その従来の歴史をみたならば、進化の原則を追うてきたものであること が明らかになりましょう。すなわち釈迦が在世のときは、もちろん一つほか仏教というものはなかったのが、一 44

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仏教通観 度ご入滅になって二〇〇年ほど過ぎるとまず仏教は二つに分かれ、それより次第に仏教がいろいろに分かれ分か れて、今日では十二宗三十余派にも分かれ、その上に新仏教などというような、仏教らしいような儒教らしいよ うな、ヤソ教らしいようなユニテリアンらしいような妙なものができた。これもにわかに仏教の一片に相違ない。 かくその組織が複雑になってきては、今後はなにほど複雑になるか予想するにさえ苦しむくらいである故、少し も退化などという分子を発見しないのになぜ、  2 仏教は退化説を唱うるや というに、これは見当が異なっておるのだ。前の、仏教は進化であるといったのは仏教を外部からみて断定した もので、退化であるというのは内部からみたものである。人は仏教の宗派がいくつにも分かれるから、仏教はな にほど進化するか分からぬというように、目を外部の運動にのみ注ぐからであるが、翻って内部をみたらどうで す。甲の仏教宗派と乙の仏教宗派と形こそ異なっておりましょう。本堂の造りようから衣の様子、読経の末枝に 至るまで異なっておりますが、根本主義に至って甲乙同一です。故に甲の主義が退化であれば、むろん乙の主義 も退化であることは明々白々です。しかしそれというも、仏教を批判し理解するその人の智力いかんによって、 たとえ内部であろうとも進化しないわけはない。そのことをのちにおいて講じまするが、今仏教の進化と退化と の二方面を、樹木に比して講じましょう。諸君も知らるるとおりかの種子は外部よりみるときは、花もなく葉も なく枝もなく幹もなく、極めて単純なものである。けれどもその内部よりみるときは、たった一つの種子の中に 枝となり葉となり花となり実となるべき、一切の原因はちゃんと包含してあるから、種子よりみたときは実に完 全であるということができるも、もし種子がおいおい生長してそろそろ複雑になり、根幹枝葉が相分かるるよう 45

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になりますと、葉は葉だけで用ができ、枝は枝にてそれ相応の用をなすも、その葉や枝の原因はもはやそのうち にそなわっておらなくなる。これがすなわち進化と退化との二適例であろう。仏教もこれと同じく内部よりみれ ば退化です。また物理学上に潜勢力と顕勢力との二つがあるが、種子の中には枝葉花実となるべき潜勢力を有す るもので、この力が一度外部に発現して枝葉花実となれば顕勢力となるもので、世の進化というのはこの外部の 顕勢力からみたものであって、もしその内部の潜勢力よりみたときには退化といわなければならぬ。そこで、  3 両学風の帰結 を一言申しておきます。注釈的学風はしょせん物理学上の潜勢力をとるものであって、発達的学風は顕勢力をと るものです。故に注釈的学風は退化であって、発達的学風は進化であるが、これは元来その見様が違うのみで、 どちらが是であるか非であるか、ほとんど弁別に苦しむものである。けれども今日の時勢に応じて仏教を拡張し ようと思うたならば、退化的学風では到底無効で、ぜひその発達的学風によらなければならぬ。なんとなれば、 退化的学風は保守で頑固で退嬰で、畢寛融通のきかないもの故、したがって活動の範囲が狭いから、仏教内部に のみ限って研究して決して他にわたらない。眼光豆大のごとしとはこれをいうので、進化的学風は進取的で開発 的で達意的で批評的であるから、仏教以外に対して自由討究をなすものである故、いやしくも仏教の隆盛を期す るものは、この進化的学風によって事業をしなければならぬ。多くの人の、仏教はどうもむずかしい、ちっとも 分からぬと嘆くのは、ただに注釈的の学風のみによったからであったに違いないから、今後の伝道方針と仏教研 究の方法は大いに注意しなければなるまいと思う。それについては、  4 両学風の結合をいかにすべきや 46

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仏教通観 を少々考えてみなければならぬ。この両学風を結合せんとするには、釈迦の説はどうも完全しない。すなわち主 観上には完全であっても、客観上には至極不完全である。換言すれば説法をされた釈迦には完全であって、説か るるところの一般の人々には不完全であるということが仮定できる。釈迦その人の思想中には仏教もとより完全 であろうが、これを外部に応用せんとするには一般の人々の智識にも応じなければならぬし、言語の制限はむろ ん受け、その結果は無限絶対の真理もまた有限相対となることは免れぬ。かつ説くところの一般の人々の思想が いまだ十分に足らざるところがあるから、説く方の釈迦の意を了解することが難しい。かの華厳会上これを聞く もの聾のごとく唖のごとしといってあります。であるゆえ予は説く方の釈迦にあっては完全であっても、聞くと ころの一般の人々にありては不完全であるというのです。たとえばある学校に先生ありと仮定して、その先生が 高尚な道理を知っておっても、相手の生徒すなわち説かるるところの人々の智識は、その高尚な道理をいるるこ とができなかったならば、両者の学風を調和し結合することができなくなるのと少しも違いない。果たしてしか らば、  5 両学風の調和を図ることを得ざるや というに、決してそのように困難のことはあるまいかと思う。すなわち能説の上にありては注釈主義をとって、 釈迦の説は金科玉条となし、説かるる方の一般の人々にとりては発達主義をとるときは、両学風は必ず相一致調 和することができるだろうと思う。  今これを釈迦所説の教理変理に照らしてみると、釈迦一代に説きし法は発達的学風を追うて説いたものであっ て、仏滅後数千年間にわたる歴史もまた全くこの風を追うて発達しておる。それはかような状態だ。釈迦一九歳 47

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ある架空のまちに見たてた地図があります。この地図には 10 ㎝角で区画があります。20