『ヴァイシェーシカ・スートラ』
10.7
を巡る
解釈について
平 野 克 典
1.
問題の所在
ヴァイシェーシカ学派
(V学派)の体系を理解する上で
apekṣā(必要なもの,待た れるもの)は一つの要点であり,すでに宮元
(1976)と
Nozawa(1995)による論考
が あ る
1).
V学 派 の 学 匠
Praśastapāda(ca. 550–600)2)の
Padārthadharmasaṃgraha (PDhS)の「結合[関係]
(saṃyoga)の章」においても
apekṣāと関連した議論があ
り,その中で同じく
apekṣāに関連した
Vaiśeṣikasūtra(VS)10.7と
VS 10.18が自説
の根拠として引用されている.
VSに限らず簡潔を旨とするスートラの意味の確
定はしばし困難を伴う上,視点によって多様な解釈を許す.本稿の目的は,
VSの注釈書
Vaiśeṣikasūtravṛtti(Vṛtti),及び
PDhSの注釈書を参照しつつ,
VS 10.7が
PDhSの 自 説 の 根 拠 と な っ て い る 点 か ら
VS 10.7中 の
sāpekṣaと
nirapekṣa (anapekṣa)の意味を明らかにすることにある.
2.
VS 10.18
を根拠とする属性と運動の新造
結合は属性の一種であり,実体相互を結び付ける「関係」
(sambandha)である.
PDhSは「結合[関係]の章」において,「そして,それ
(結合)は実体と属性と
運動を[新造する原因である]」
(no. 166: sa ca dravyaguṇakarmahetuḥ)と記した後
3),
結合が実体を新造する場合,結合は「[他を]必要とするものではない
(待たない もの)」
(nirapekṣa)とし,属性と運動を新造する場合,結合は「[他を]必要とす
る も の
(待 つ も の)」
(sāpekṣa)と い う 区 別 を 示 す.
apekṣā,
sāpekṣa,
anapekṣa(nirapekṣa)
は
Nozawa(1995, 836–837)によって以下のようにまとめられている.
(
1)
xが結果
zを生起するために協同因
(cooperative cause)を必要としない場合,
xは
anapekṣaあるいは
nirapekṣaと呼ばれる.
(
2)
xが結果
zを生起するために協同因
yを必要とする場合,
xは
sāpekṣaと呼ば
(
3)
yが一連の協同因の最後に位置する場合,あるいは
yが他の協同因を必要と
しない場合,
yは
zに対して
anapekṣaあるいは
nirapekṣaと呼ばれる.
まず上記(
2)の具体例となる,結合が
sāpekṣaとして属性と運動を新造する
場合を
PDhSに確認しよう.
一方,[結合が]属性と運動を新造する場合,[結合は他を]必要とするものである.「火 の特殊性(熱)は[地の原子と]結合した[火]に内属しているので,[地原子に色などを 生じせしめる原因となる]」という[VS 10.18の]言葉があるからである5).地原子と火が結合
xすると,火に内属する熱
yによって地原子の色が変化する.
つまり,新たな色
zが地原子に新造される
6).このように,新たな色
zの新造は
結合
x単独ではなされ得ず,それ故,結合
xは協同因である熱
y(apekṣā)を必要
とするもの
(sāpekṣa)と称される
7).
3.
VS 10.7
の
sāpekṣa
と
nirapekṣa
では次に,結合が実体を新造する場合を
PDhSに確認しよう.
[結合が]実体を新造する場合,[結合は他を]必要としないものである.「[未来時の場合 と]同様に,『[結果が]ある』という[現在時の認識は,他を]必要とする諸物と[他を] 必要としない諸物から[生起する]」という[VS 10.7の]言葉があるからである.(PDhS,no. 167: dravyārambhe nirapekṣas tathā bhavatīti sāpekṣebhyo nirapekṣebhyaś ceti vacanāt.)
冒頭の下線部を上記(
1)に則し説明すると
8),糸
aと糸
bの結合
xが二糸体
zを
新造する場合,結合
xは単独で新造をなすことから協同因を必要としないもの
(nirapekṣa)と称される.しかし,
VS 10.7がどうして冒頭下線部の根拠になるかは
明瞭ではない.それ故,
VS 10.7中の
sāpekṣaと
nirapekṣaが意味する所を確認し
ておこう.
VS 10.5,
6,
7は各々順に過去,未来,現在の三時における結果
(kārya)に対す
る認識を説明している
9).
Vṛttiは
VS 10.7を次のように注釈している.
各々以前の結合を必要なものとしてもつ拡げられた諸糸10)(70本)を知覚している者は, 各々後に順次[拡げられた諸糸と]糸(30本各々)の結合があるとき,[それら拡げられ た諸糸71本を他を]必要としないものと理解する.そのような場合に,絹の布などの完成 途中の結果を見ているその者には,結果である実体が発生しつつある時,[完成途中の布 切れに]すでに発生した[結合]と未だ発生していない結合を注視することによって,「[今]結果がある」「[今]結果が発生する」という認識が起こる11). 100
本の糸で一枚の布が完成すると仮定して,本数を適宜当てはめ上記注釈を説
明する.諸糸
100本は
2つに分けられる.すでに結び付いた
(織られた)状態にあ
る諸糸
70本と,未だ結び付いていない
(織られていない)状態にある諸糸
30本で
ある.前者は拡げられた諸糸
70本とも称され,完成途中の布切れ
(以下○70と表記)という形を取っている.○
70に後者諸糸
30本のうちの
1本との結合が発生した時,
諸糸
71本から成る布切れ
(以下○71)が新造される.結び付いた状態にある「○
70と
糸
1本」
(以下○70+1)が「[他を]必要としないもの」
(anapekṣa)と称される
12).そ
して,○
71に「すでに発生した結合」と,その後順次発生するであろう糸
29本
各々との「未だ発生していない結合」を注視することで,布は完成してはいない
が「結果
(100糸から成る布)がある」という現在時の認識が生起することを
Vṛttiは述べていると思われる.なお,
Vṛttiに言及されてはいないが,未だ布切れと
結び付いていない糸
29本が「[他を]必要とするもの
(待つもの)」
(sāpekṣa)とな
ろう.
anapekṣaである○
70+
1を上記(
1)に則して分析すれば,
xである○
70+
1が協同因
yを必要とすることなく○
71zを生起することになる.また,
sāpekṣaであろう糸
29本を(
2)に則して分析すれば,
xは糸
29本各々となるが,
apekṣāに相当する協
同 因
yと, 結 果 に 相 当 す る
zは 不 明 で あ る. 先 行 研 究 は 当 該 の
anapekṣaと
sāpekṣaの協同因
yに「結合」を当てた解釈を示し
13),両者の結果
zに相当する
ものを言及していない.仮に結果
zに○
71を当て先行研究の
anapekṣa解釈を分析
すると,○
70+
1xが結合
yを必要とすることなく
(を待たず)○
71zを生起することに
な っ て し ま う. し か し, ○
71zは「結 合
yを 必 要 な も の と し て も つ も の」
(saṃyogāpekṣa)である故
14),必然的に○
70+
1xは「結合
yを必要とするもの」とな
る.従って,当該の
anapekṣaは,○
70+
1xは○
71zを新造する上で「結合以外の協同
因
yを必要としない諸糸」と理解されるべきものと思われる.
一方,
sāpekṣaに関しては,下線部「すでに発生した[結合]と未だ発生して
いない結合」という記述から,結果
zに「結合」を予想させる.その点を踏まえ
つつ,次に
PDhSの諸注釈書による該当箇所の注釈を見よう.
4.
NK, Kir
の解釈
Śrīdhara(ca. 950–1000)の
Nyāyakandalī(NK)は
PDhSの当該箇所を以下のように
注釈する.
こ[のVS 10.7]は意味する....いくつかの諸糸は結合してあり,またいくつかの[諸糸] は結合することなくある時,それら[諸糸]から「布はある」という認識は生起するだろ うという意味である.このスートラでは,現在時の観念の原因として述べられている結び 付いた諸糸(○70+1)に対して,「[他を]必要としない諸物」という語は用いられている. それ故,実体の新造に関しては,結合は[他を]必要としないと知られるというのが [スートラの]意味である15). NKは,結び付いた諸糸
(○70+1)を「[他を]必要としない諸物」とする解釈を示
す.それ故,その
anapekṣa理解は
Vṛttiと同様に「結合以外の協同因
yを必要と
しない諸糸」と考えられる.一方,
Udayana(ca. 1050–1100)の
Kiraṇāvalī(Kir)は
以下のような解釈が示す.
実体(全体,布)が作られるべき時,そ[の実体]の諸部分(諸糸)はまさに結合のため に他の原因を必要とする.[部分間に]結合が生じた時,[諸部分は実体を新造する上で] 何にも[必要とし]ない.それ故,[結合は他を]必要としないとは,結合は[実体を新造 する上で]何の用もない協同因を必要としないという意味である16).上記
Kirは次のように説明できよう.○
71が新造される時,結び付いていない諸糸
30本のうちの
1本は,まさに○
70との結合のために運動を必要とする.その糸
1本
の運動によって○
70との結合が生じた時
17),○
70+
1は○
71を新造する上で何も必要と
しない.すなわち,諸糸は結合以外の協同因を必要としない.結合を主語に換言
すれば,結合は○
71を新造する上で他の協同因を必要としないものとなり,
VS 10.7が
PDhSの根拠となる所以を理解できる.
Kirによる
VS 10.7の
anapekṣa理解を(
1)に則していえば,
xである○
70+
1は結
合した状態にある.すでに結合がある故,○
70+
1は○
71zを生起するために結合以
外の協同因
yを必要としない
(待たない)となる.また,その
sāpekṣa理解を(
2)
に則していえば,諸糸
29本のうちの
1本
xは○
71との結合
zを生起するために運動
yを必要とする
(待つ)となる.この理解に基づき,上記
Vṛtti,
NKを読み解くこ
とは可能である
18).
5.
結論
従来,
VS 10.7中の
sāpekṣaと
nirapekṣa(anapekṣa)は各々,「結合を必要とする
諸物」と「結合を必要としない諸物」と解されてきた.しかし,両術語の
apekṣāに結合を想定した解釈は
Vṛttiや
PDhSの注釈書に確認できない.
Kirに従えば,
当該の
sāpekṣaは「運動を必要とする
(を待つ)諸物」と解される.運動を
apekṣāとして諸糸間に結合が生起し,その直後に布切れが新造されるのである.また,
nirapekṣaは「結合以外の
apekṣāを必要としない
(待たない)諸物」と解される.
すでに諸糸間に結合がある故,諸糸は他の協同因を必要とすることなく布切れを
新造するのである.そして,この
nirapekṣa理解の妥当性は,
PDhSの自説「結合
は実体を新造する上で[他を]必要としない
(待たない)」の根拠に適した内容と
なっている点からも支持されよう.
1)宮元(1976, 217; 2008, 79)は「契機」,「待つ対象」を,Nozawa(1995)はrequirementを apekṣāの訳語にあてる. 2)本稿での論者の年代はPotter(1995, 9–12)に拠る. 3)ārambhaに 対 す る「新 造」 と い う 訳 語 に 関 し て は, 宮 元(1985, 587–595) 参 照. 4)例えば,2つの数一x(ekatva)は数二z(dvitva)を新造するために,2つの数一に対す る認識yを必要とする.2つの数一に対する認識yはapekṣābuddhi(cognition as require-ment)と呼ばれ,数二zはbuddhyapekṣa(having cognition as requirement)と呼ばれる. Nozawa(1995, 837) 参 照. 5)PDhS, no. 167: guṇakarmārambhe tu sāpekṣaḥ saṃyuktasamavāyād anger vaiśeṣikam iti vacanāt. 6)結合が運動を新造する例に,手と我との結合xが手に運動zを新造する場合,我に内属する努力yを必要とする,がある.Vy, vol. II, p. 65,15–16;NK, p. 142,6参照. 7)新たな色zにとって,地原子は内属因であ り,結合xは非内属因であり,熱yは機会因である. 8)Nozawa(1995, 836–837)の 区分に従えば,同下線部は(3)にも合致するかもしれないが,(2)から(3)を導く文献 上の根拠がNozawa(1995)には言及されていないため,筆者は(3)の理解に確証を得て いない.従って,本稿では(1)に合致するものとしておく. 9)これら3つのスー トラはウパースカラ本にはない.VS 10.5 (p. 73,6):「『[かつて結果は]生じた』という直接
知覚は説明された」(bhūtam iti pratyakṣaṃ vyākhyātam),VS 10.6 (p. 73,10):「『[いずれ結果 は]生じるだろう』という[認識は,]別の結果においてすでに経験されたことに基づいて [生じる]」(bhaviṣyatīti kāryāntare dṛṣṭatvāt). 10)諸糸69本と糸1本が諸糸70本から
成る拡げられた諸糸zを新造する場合,諸糸69本と糸1本は結合を必要とする.また,そ
の前段階の諸糸69本から成る拡げられた諸糸zを諸糸68本と糸1本が新造する場合,諸糸
68本と糸1本は結合を必要とする.そして,各段階の諸糸zは各々「[以前の]結合を必要
なものとしてもつもの」(saṃyogāpekṣa)と称される. 11)Vṛtti, p. 73,15–17: yadā prastāritāṃs tantūn pūrvapūrvasaṃyogāpekṣān upalabhamānaḥ paścāt paścād uttarottaratantusaṃyoge sati anapekṣān upalabhate tadāsya paṭṭikādyavāntaraṃ kāryaṃ paśyata utṣadyamāne kāryadravye niṣpannāniṣpannasaṃyogaparyālocanayā bhavati kāryam, utpadyate kāryam iti jāyate buddhiḥ.
12)「○70と糸1本」と「諸糸71本から成る布切れ○71」は「部分と全体」の関係にあり,V学
派において両者は区別される. 13)訳語の相違はあるが,金倉(1971, 91; 92, n. 6), 中村(1979, 150; 151, n. 1),Nozawa(1995, 835, n. 4),宮元(2009, 251–252)は,VS 10.7中の
nirapekṣaを「結合を必要としないもの」,sāpekṣaを「結合を必要とするもの」と解してい
る. 14)本稿注10参照. 15)NK, p. 142,15–21: asyāyam arthaḥ yadā katicit tantavaḥ saṃyuktā vartante katicic cāsaṃyuktās tadā tebhyo bhavati paṭa iti pratyayaḥ syād ity arthaḥ. atra sūtre vārtamānikapratītihetutvenābhidhīyamāneṣu tantuṣu saṃyukteṣv anapekṣaśabdaprayogāt saṃyogo dravyārambhe nirapekṣa iti pratīyate iti tātparyam. 16)Kir, p. 144,8–10: dravye kar-tavye tadavayavāḥ saṃyogārtham eva kāraṇāntaram apekṣante, sati saṃyoge na kiñcid ity anapekṣah
saṃyogaḥ sahakāritayā na kiñcid apekṣate ity arthaḥ. 17)結合の三種類のうちの1つであ る「[2つの実体のうちの]いずれか一方の運動によって生じた[結合]」(anyatarakarmaja) に相当する.PDhS, no. 168参照. 18)VyとNKには「結果」に対する考え方の相違 はあるが,Vy(vol. 1, pp. 64,25–65,2)も同理解に基づき読解可能である.その相違について はNozawa(1995, 834–835)参照. 〈略号表〉
Kir: Praśastapādabhāṣyam with the Commentary Kiraṇāvalī of Udayanācārya. Ed. J.S. Jetly. Gae-kwad s Oriental Series 154. Vadodara: Oriental Institute, Reprint, 1991.
NK: The Praśastapāda Bhāshya with Commentary Nyāyakandalī of Śrīdhara. Ed. V.P. Dvivedin. Sri Garib Dass Oriental Series 13. 2nd edition. Delhi: Sri Satguru Publications, 1984.
PDhS: Padārthadharmasaṃgraha of Praśastapāda. In Bronkhorst and Ramseier 1994. Vṛtti: Vaiśeṣikasūtravṛtti of Candrānanda. In VS.
VS: Vaiśeṣikasūtra of Kaṇāda: With the Commentary of Candrānanda. Ed. Jambuvijaya. Gaekwad s Oriental Series 136. 2nd edition. Baroda: Oriental Institute, 1982.
Vy: Vyomavatī of Vyomaśivācārya with the Praśastapādabhāṣya. Ed. Gaurinath Sastri. 2 vols. M.M. Śivakumāraśāstri-granthamālā 6. Varanasi: Sampurnanand Sanskrit University, 1983, 1984. 〈参考文献〉
Bronkhorst, Johannes and Yves Ramseier. 1994. Word Index to the Praśastapādabhāṣya: A Complete
Word Index to the Printed Editions of the Praśastapādabhāṣya. Delhi: Motilal Banarsidass.
Nozawa, Masanobu. 1995. On the Vaiśeṣikasūtra 1.2.3. Asiatische Studien 48(2) 1994: 833–844. Potter, K. H., ed. (1977) 1995. Encyclopedia of Indian Philosophies, Vol. II: Indian Metaphysics and
Epistemology: The Tradition of Nyāya-Vaiśeṣika up to Gaṅgeśa. Reprint, Delhi: Motilal Banarsidass.
金倉圓照1971『インドの自然哲学』平楽寺書店. 宮元啓一 1976「ヴァイシェーシカ学派の数体(sāṃkhyā)論」『東洋学報』57(3/4): 213–240. ̶ 1985「ārambhavāda覚え書き」『平川彰博士古稀記念論集 仏教思想の諸問題』春秋 社,587–595. ― 2008『インドの 多元論哲学 を読む―プラシャスタパーダ パダールタダルマ・サング ラハ ―』春秋社. ― 2009『ヴァイシェーシカ・スートラ』臨川書店. 中村元 1979「ヴァイシェーシカ学派の原典,第二部パダ−ルタ・ダルマ・サングラハ」『三康文化研 究所年報』10/11: 157–316. (令和元年度科学研究費補助金基盤研究(C)課題番号16K02173による研究成果の一部) 〈キーワード〉 saṃyoga,apekṣā,sāpekṣa,anapekṣa,nirapekṣa (公益財団法人中村元東方研究所専任研究員,博士(文学))