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租税法律主義と遡及立法の禁止 ― 法の支配の観点から ―

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全文

(1)

1.はじめに

 納税者から,租税法の遡及適用は憲法84条に 違反するとした訴訟が福岡,千葉,東京で提起 された。3つの訴訟は,事案の概要・争点・当 事者の主張が概ね同一であるにもかかわらず,

福岡では,第一審の違憲判決のあと,控訴審の 合憲判決で結審となり,また,千葉および東京 では,第一審から上告審までのすべてで合憲判 決となった。訴訟の結果は,納税者の敗訴で あった。争点となった租税法の遡及適用につい て,租税法学では,租税法律主義は遡及立法(1)

の禁止を包含していると解されている。だが,

憲法学では,租税法律主義が遡及立法の禁止を 包含しているか否かについて,租税法学におけ るほどの盛んな議論がなされてきたとは言えな いであろう。3つの訴訟で納税者が敗訴した事 実を目の当たりにして,憲法学は,租税法律主 義と遡及立法の禁止についてどのように考える のだろうか。

 本稿は,3つの訴訟のうち,千葉で訴訟が提 起された事案を示した上で,特に福岡(2)での第 一審判決と控訴審判決,千葉(3)での第一審判決 から上告審判決までにふれながら,租税法律主

義と遡及立法の禁止について考察する。

2.事案について

【事案の概要】

 納税者は,平成16年1月30日に住宅を譲渡 したことにより長期譲渡所得の計算上生じた 損失の金額を他の各種所得の金額から控除す る損益通算が認められるとして,所轄税務署長 に対し,平成16年分所得税に係る更正の請求を した。その後,所轄税務署長から,平成16年4 月1日に施行された改正後の租税特別措置法31 条1項後段の規定(それまで認められていた土 地建物等の譲渡損失を他の各種所得の金額から 控除することを廃止する旨の規定)は,平成16 年法律第14号「所得税法等の一部を改正する法 律」(以下,「本件改正法」という。)附則27条 1項によって同年1月1日以後に行う土地建物 等の譲渡にもさかのぼって適用されているとし て,納税者の更正の請求には更正すべき理由が ない旨の通知処分を受けた。そのため,納税者 は,本件改正法附則27条1項の規定は憲法84条 が原則として禁止する遡及立法にあたり,した がって,上記通知処分は違法であるとして,そ の取消しを求めた事案である。

*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程6年(指導教員 後藤光男)

論 文

租税法律主義と遡及立法の禁止

― 法の支配の観点から ―

片 上 孝 洋

(2)

【改正の経緯】

 本件改正法は,平成16年2月3日に国会にそ の法律案が提出され,同年3月26日に成立し,

同年同月31日に公布され,同年4月1日に施行 された。

【争点】

 本事案は,それまで認められていた土地建物 等の長期譲渡所得の計算上生じた損失の金額を 他の各種所得の金額から控除する損益通算を廃 止した本件改正法を,平成16年4月1日の施行 時期より前の同年1月30日に行われた納税者の 住宅譲渡について適用することは,憲法84条が 包含する遡及立法の禁止に違反するか否か,が 争点である。

3.租税法律主義の内容

(1)本事案での当事者の主張と裁判所の判示  納税者は,憲法84条が規定している租税法律 主義は,国民に不利益を及ぼす租税法の遡及適 用を禁じていると解すべきである,と主張して いる。一方,課税庁は,「租税法律主義を定め る憲法84条は,刑罰法規の溯及を絶対的に禁止 する憲法39条と異なり,溯及適用を明示的に禁 止していない」〈福岡高裁判決〉と主張してい る。

 憲法84条と遡及立法の禁止の関係について,

下級裁判所は,「租税法規不溯及の原則につい て,憲法上明文の規定はないものの,憲法84条 が規定している租税法律主義は,国民に不利益 を及ぼす租税法規の溯及適用を禁じていると解 すべきである」〈福岡地裁判決〉と判示してい る。一方,最高裁判所は,「憲法84条は,課税 要件及び租税の賦課徴収の手続が法律で明確に

定められるべきことを規定するものであるが,

これにより課税関係における法的安定が保たれ るべき趣旨を含むものと解するのが相当である

(最高裁平成12年(行ツ)第62号,同年(行ヒ)

第66号同18年3月1日大法廷判決・民集60巻2 号587頁参照)」と判示して,憲法84条が規定し ている租税法律主義は,遡及立法の禁止を包含 しているか否かについて明示的に言及していな い。

(2)憲法学および租税法学の見解

 日本国憲法が憲法30条と憲法84条で規定して いる租税法律主義は,どのような内容を包含し ているのかについて考えてみる。

 まず,憲法学における租税法律主義は,どの ような内容を包含していると考えているのであ ろうか。主要な憲法の体系書のなかで,租税法 律主義の内容として「課税要件法定主義」を 挙げる見解(4)とそれに加えて「課税要件明確主 義」を挙げる見解(5)が示されている。課税要件 法定主義とは,「租税の種類や課税の根拠のよ うな基本的事項のみでなく,納税義務者,課税 物件,課税標準,税率などの課税の実体的要件 はもとより,賦課,納付,徴税の手続もまた,

国会の制定する法律によって定められること」

[伊藤

1995

:

476]を意味する。そして,課税要 件明確主義とは,「課税要件および賦課・徴収 を定める手続は,だれでもその内容を理解でき るように,明確に定められなければならない」

[中村

2012

:

336]ことを意味する。たしかに,

憲法学者は,租税法律主義の内容として「遡及 立法の禁止」を挙げていない。しかし重要なこ とは,憲法は租税に関して法律で定める範囲を 明記しておらず,憲法の理念からみて,憲法学

(3)

者が租税法律主義の内容を解釈しているという 点である[大石

2009

:

261]。

 次に,租税法学における租税法律主義は,ど のような内容を包含していると考えているので あろうか。租税法学界を見渡したとき,租税 法律主義の内容として「課税要件法定主義」・

「課税要件明確主義」・「合法性原則」・「手続的 保障原則」・「遡及立法の禁止」・「納税者の権利 保護」の6点が挙げられている。たしかに,憲 法学が租税法律主義の内容として「遡及立法の 禁止」を挙げていないにもかかわらず,租税法 学は,その内容として「遡及立法の禁止」を 挙げている。しかし,「租税法律主義の内容と して何を盛り込むかという点については必ず しも一様の答えがあるわけではない」[佐藤英 明

2007

:

55

-

56]。租税法律主義の内容であると 考えられる法律原則を漏れなく列挙することを 試みたとしても,その手法は,平板なものに堕 するだけで極め手を欠くおそれがある。それゆ え,租税法学者は,租税法の特徴として強調さ れるべきもので,重点の程度が特に大きいと考 えられる上記の6点を取捨選択していると言え るであろう。ただし,重要なことは,その取捨 選択する際に,租税法学において,「租税法律 主義の内容は,課税要件法定主義と課税要件明 確主義の2つが大きな柱」である[水野

2011

:

8]と考えており,それらの「沿革を見た場合,

その中心が課税要件法定主義にあることは,明 らかである」[佐藤英明

2007

:

64]という点で ある(6)

 憲法学者と租税法学者の示す見解のなかで,

憲法30条と憲法84条が規定している租税法律主 義の内容として「遡及立法の禁止」を挙げてい るとすれば,それは,学説上の原則を示してい

るにすぎないとも考えられるであろう。日本国 憲法は,憲法39条で刑罰法規の遡及適用を絶対 的に禁止することを明定していることに鑑みれ ば,「憲法84条は,課税要件及び租税の賦課徴 収の手続が法律で明確に定められるべきこと」

〈最高裁判決〉,つまり「課税要件法定主義」お よび「課税要件明確主義」を包含しているのみ で,租税法の遡及適用を明示的に禁止していな い,と解すべきなのだろうか。

4.租税法律主義の目的と法的機能  租税法律主義を規定している憲法84条が遡及 立法の禁止を包含していると解する理由につい て,下級裁判所は,「なぜならば,租税法律主 義は,国民の経済生活に法的安定性,予見可能 性を保障することをその重要な機能とするもの であるところ,国民に不利益を及ぼす溯及立法 が許されるとするとこの機能が害されるからで ある」〈福岡地裁判決〉と説明している。

 そこで,憲法と租税法律主義の関係からみ て,租税法律主義が有する予測可能性および法 的安定性の機能から遡及立法の禁止を導出する ことによって,どのような問題が生じているの かについて考えてみる。

(1)租税法学における租税法律主義の目的  租税法学において,国民の財産権を保障する という租税法律主義の果たすべき目的は,すで に歴史的な使命を終えている(7)。そのため,租 税法学者は,税負担が増大する傾向にある一 方,経済活動に関連して税制がますます複雑多 様化しつつある今日の状況の下では,租税法律 主義によって国民の経済生活における予測可能 性および法的安定性を保障することが重要に

(4)

なってきているため[田中二郎

1990

:

68

;

品川

2004

:

10

-

11

;

水野

2011

:

7

;

谷口

2012

:

10],租税 法を公布の日より前にさかのぼって適用する ことは,その趣旨に反するもので,一般的に は,租税法の遡及立法は認められないと解すべ きである[田中二郎

1990

:

85

;

品川

2004

:

18

;

2011

:

9

;

谷口

2012

:

30],との見解を示して いる。下級裁判所の遡及立法の禁止に関する説 明は,この見解を論拠としている。だが考えて みれば,この見解は,日本国憲法の内において 租税法律主義の果たすべき憲法上の目的につい て述べているのではなく,租税法律主義の果た すべき経済的機能が指摘されているにすぎな い(8)。さらに,看過できないのは,租税法律主 義の経済的機能である国民の経済生活における 予測可能性および法的安定性の保障を重視して きたことが,本事案のような遡及立法の問題を 引き起こした要因となっていることである。な ぜならば,下級裁判所は,遡及立法が許される 合理的な判断基準の一要件として,国民の経済 生活における租税法律主義の機能として最も重 要である納税者の予測可能性が十分に保障され ることを示しているからである〈福岡地裁判 決〉。下級裁判所は,租税法律主義を国民が経 済生活を営むための経済的機能として捉えてい るため,遡及立法は諸事情を総合的に考慮して 判断すべき経済的自由権の問題であることを示 唆している〈福岡地裁判決〉。さらに,最高裁 判所は,憲法適合性の判断を下す上で,「租税 法規の変更及び適用も,最終的には国民の財産 上の利害に帰着する」経済的自由権の問題であ ることを前提として,「法律で一旦定められた 財産権の内容が事後の法律により変更されるこ とによって法的安定に影響が及び得る場合にお

ける当該変更の憲法適合性については,当該財 産権の性質,その内容を変更する程度及びこれ を変更することによって保護される公益の性質 などの諸事情を総合的に勘案し,その変更が当 該財産権に対する合理的な制約として容認され るべきものであるかどうかによって判断すべき ものである……(最高裁昭和48年(行ツ)第24 号同53年7月12日大法廷判決・民集32巻5号 946頁参照)」と判示している。最高裁判所は,

財産権の保障よりも,納税者の租税法上の地位 に対する合理的な制約による課税関係の法的安 定性を重視しており,国民の予測可能性は,諸 事情を総合的に勘案する一事情にとどまる。そ のため,予測可能性を論拠とする遡及立法の禁 止に対する国民の期待はさらに薄くなる。この ように見れば,租税法律主義の内容を考える上 で,その歴史的な端緒である恣意的あるいは専 断的な課税から国民の財産権を保障するという 論拠に代えて,国民の経済生活における予測可 能性および法的安定性の論拠をとりあげている ことは,すでに意図されていた結論を引き出す ために論拠のすり替えを試みているとも考えら れそうである。

 租税法学および裁判所において,租税法律主 義の果たすべき予測可能性および法的安定性と いう機能の論理は,租税法を定めるにあたっ て,それらの機能によって,憲法上の「何」が 保障されるべきかについて言及していない。端 的に言えば,遡及立法の禁止を論証する上で,

租税法律主義の果たすべき目的をその機能より 優先して考えるべきである。

(2)憲法学における租税法律主義の目的  憲法学は,憲法との関係からみて,租税法律

(5)

主義の果たすべき目的をどのように考えている のであろうか。

 憲法学は,「近代立憲主義憲法は,個人の権 利・自由を確保するために国家権力を制限する ことを目的とするが,この立憲主義思想は法の

支配(

rule of law

)の原理と密接に関連する」[芦

2011

:

13]と理解している。「法の支配」は,

法で国家権力に「縛り」をかけることによって,

恣意的あるいは専断的な国家権力を排斥し,国 民の権利・自由を保障することを目的とする原 理である。日本国憲法は,第11条で「基本的人 権は,侵すことのできない永久の権利として,

現在及び将来の国民に与へられる」と言明し,

基本的人権が実定法を超越した自然法上の権利 であることを宣言している。さらに,日本国憲 法は,実質的に終章である第10章「最高法規」

の冒頭に第97条を掲げて,基本的人権が永久不 可侵の権利であることを再び宣言している。こ のような章と条文の構成から解釈して,憲法の 究極の目的は基本的人権を保障することにあ る,と観念され,それが憲法の実質的な最高法 規性の根拠となっている。日本国憲法に第10章

「最高法規」が設けられた憲法上の意義を鑑み て,「法の支配」の原理が日本国憲法の指導理 念であることを示している[伊藤

1995

:

63]。

 上述した内容を踏まえた上で,憲法が国家権 力に「縛り」をかける法であれば,憲法の「何」

が国家権力を制限するのか,という問いに対し て,「人権」である,と答えることに,われわ れは異議を唱えないであろう。憲法の究極の目 的である「人権」を保障するために,国家権力 を拘束する憲法上の「枠」が設けられている。

憲法学は,租税の源である国民の財産権を保障 するために,国家権力を拘束する憲法上の「枠」

として租税法律主義が日本国憲法に定められて いる,と考えている。租税法律主義は,「法の 支配」の原理から派生した原則である,と解す れば,あくまでも租税法律主義の果たすべき目 的は,それを内包する憲法の究極の目的である

「人権」,そのなかでも,殊に「財産権」を保障 することにある(9),と考えるべきである。

 憲法学の立場からみれば,租税法律主義の果 たすべき目的は,国民の財産権を保障すること である。憲法を頂点とする国法秩序の観点か ら,租税法律主義の果たすべき目的は,租税法 のなかで,租税および,課税あるいは納税につ いての予測可能性および法的安定性が確保され ることによって,結果的に達成される関係にあ る,と論ずるべきである(10)。なぜならば,租 税の概念について,憲法84条は,「租税」とし か定めておらず,「租税」としてどのような種 類のものを認め,その内容をどのように構成す るのかは,法律の規定に従属することになり,

また,納税の義務について,憲法30条は,「納 税の義務」としか定めておらず,どのような具 体的義務を負うのかは,法律の規定をまっては じめて定まるからである[美濃部

1956

:

96

;

1978

:

293]。端的に言えば,法律が存在し ない限り,「租税」という概念は存在せず,ま た「納税」という行為は成立し得ない。「租税」

と「納税」にとって,法律が事前に存在するこ とが不可欠である。換言すれば,租税に関する 事項をすべて立法事項とすることが,課税の領 域において,憲法の究極の目的である「人権」,

殊に国民の「財産権」の保障を実現させる手段 であることは,疑う余地がない。それゆえ,租 税法は,課税による国民の財産権への侵害を根 拠づける,いわゆる侵害規範であるから,租税

(6)

法律主義は,租税に関する事項を法律で完結的 に規定することを要請している。租税法のなか で,租税および,課税あるいは納税についての 予測可能性および法的安定性が確保されている ことと,それによって国民の財産権を保障する ことは表裏の関係にある,と考えるから,憲法 学は,租税法律主義の内容として「課税要件法 定主義」および「課税要件明確主義」を挙げて いるのである。憲法学の立場は,「今日の租税 法律主義の意義としては,経済活動等に対する 法的安定性や予測可能性を保障することが重要 であり,そのため,課税要件法定主義や課税要 件明確主義が重視される」[水野

2011

:

7]とい う租税法学の立場とは一線を画すると考える。

 さらに,憲法84条が規定している租税法律主 義は,租税に関する重要な事項を形式的な意味0 0 0 0 0 0 の法律0 0 0で定める「形式面での原則」でしかない,

と解してはならない。そのように解すれば,法 律で遡及適用の時期を明確に定めさえすればよ いということになる(11)。このような考え方は,

租税法律主義は「法の支配」の原理から派生し た原則である,という憲法学の立場からみれ ば,租税の源である国民の財産権を保障するた めに,立法権を拘束する憲法上の「枠」として 租税法律主義を定めている憲法84条を空文と化 すことになる。したがって,「法律の定めると ころ」(憲法30条)と「法律又は法律の定める 条件」(憲法84条)に言う「法律」は,当然「遡 及立法」を含意していないと考える。その論拠 として,「法の支配」に言う法の属性について 考えてみる。

 「法の支配」は,国民の権利・自由を保障す る目的を果たすために,法で国家権力に「縛 り」をかける,と言ってみたところで,法が法

として機能しており,その法に多くの人びとが 従うことができなければ,実効がない。「法の 支配」が成り立つためには,法が一定の条件を 満たしている必要がある。その条件とは,法の 一般性,公示,明晰性,恒常性,非遡及性,無 矛盾性,遵守可能性などが挙げられる(12)[深田

2007

:

30

-

31

;

長谷部

2011

:

149

-

151]。これらの 条件は,法の創設のしかた,法の実現や運用の しかたについての形式的な要請ではあるが,法 の定めがあってはじめて要請されることがらで はなく,それに加えて,国家権力に対して一定 の制約ともなり得る。この「法の支配」に言う 法の属性については,「6.予測可能性につい て」のなかで言及する。

5.遡及立法と予測可能性

 憲法学の立場からみれば,租税法律主義の果 たすべき目的は,国民の財産権を保障すること である。憲法を頂点とする国法秩序の観点か ら,租税法律主義の果たすべき目的は,租税法 のなかで,租税および,課税あるいは納税につ いての予測可能性および法的安定性が確保され ることによって,結果的に達成される関係にあ る,と論ずる。憲法学は,納税者が国民から予 測可能性を奪うことを本件改正法が憲法84条の 遡及立法の禁止に違反する理由として挙げてい ることに賛意を表すことができるであろう。

 予測可能性をめぐる法廷論争のなかで,納税 者は,「本件改正の内容は複雑であり,法案成 立については不確定な要素が多く,原告等一般 の納税者にとっては理解,予測をし難いもので あった。……法案はあくまで法案であって,将 来そのとおりの法律が成立するかどうかは不確 定」〈福岡地裁判決〉であると主張している。

(7)

納税者の主張に対して,下級裁判所は,「平成 15年12月17日,本件改正の内容を具体化した与 党の平成16年度税制改革大綱が公表され,同月 18日,我が国の主要な新聞紙上にその内容が掲 載され,その後,租税及び不動産の専門誌等に おいても報道されていたことが認められるか ら,同日の時点で,平成16年の所得税から土地 建物等の長期譲渡所得について損益通算が廃止 されることが予測できる状態になったことが認 められる。そして,一部の新聞には,上記損益 通算の廃止が平成16年1月1日から適用される ことが報道されていたほか,所得税が期間税で あり,……過去の税制改正において,年度途中 の改正の内容が年度開始時に溯って適用される ことが数回あったことからすれば,前記損益通 算の廃止が年度開始時に溯って適用されること も,ある程度予測可能な状態であったというこ とができる。以上から,……納税者において本 件改正の予測可能性が全くなかったとはいえな い」〈福岡高裁判決〉と判示している。下級裁 判所の予測可能性に関する法的理解は,租税法 学における「租税法律主義は,法的安定を図り,

将来の予測可能性0 0 0 0 0 0 0 0を与えることをその一つの狙 いとしているものであるから,……法律の制定0 0 0 0 0 又は改正がつとに予定されており0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0,従って,一 般にも予測可能性が存し,著しく法的安定を害 するとか納税者に対し著しく不当な影響を与え るというような結果をきたさない範囲内におい て,溯及効を認めることが許されると解してよ いであろう」〔傍点

:

引用者〕[田中二郎

1990

:

85]との見解に依拠し,遡及立法に対する憲 法適合性の判断基準を「税制改正の予測可能 性」の有無とその程度に収斂させている(13)と 考える。たしかに,田中二郎による「租税法は,

……国民の財産権を保障し,将来の予測可能性 を与え,経済生活の安定を図る必要がある。こ の見地から,租税法律主義が採用されている」

[田中二郎

1990

:

68]との見解は,租税法のな0 0 0 0 00で,租税および,課税あるいは納税について の予測可能性および法的安定性が確保される,

という憲法学の立場に立っていると考える。し かし,遡及立法に対する憲法適合性を判断する 場面になると,予測可能性および法的安定性を 租税法の外0 0 0 0 0に求めていることは,整合性に欠け る。したがって,下級裁判所および租税法学の 予測可能性に関する法的理解は,憲法学のそれ とは異なっている。

6.予測可能性について

 そもそも,予測可能性とは,「何を」意味し ており,それを「何に基づいて」判断するのか,

といった問題が提起される。

 納税者からみて,予測可能性とは,「住宅を 譲渡したことにより長期譲渡所得の計算上生じ た損失の金額を他の各種所得の金額から控除す る損益通算が認められること」を「公布,施行 されている租税法に基づいて」判断することで ある。一方,課税庁および下級裁判所からみて,

予測可能性とは,「住宅を譲渡したことにより 長期譲渡所得の計算上生じた損失の金額を他の 各種所得の金額から控除する損益通算が認めら れないこと」を「本件改正法が公布される前の 税制改正大綱や法律案に基づいて」判断するこ とである。

 あらためて,予測可能性について考えてみ る。予測とは,「根拠にもとづいて,前もっ ておしはかること」[大野・田中

1995

:

1424],

「事の成り行きや結果を前もっておしはかるこ

(8)

と」[松村

2012

:

3744]を意味する。可能性と は,「どの程度実現できるかどうか」[大野・田 中

1995

:

252],「物事が実現できる見込み」[松 村

2012

:

746]を意味する。これらを字義どお りに解釈すれば,予測可能性とは,人が意図し た事が本人の意図したとおりに実現できる見込 みを,事の成り行きや結果に関する根拠に基づ いて判断することである。このように理解する 予測可能性の観点から,(1)租税に関する「事 の成り行きや結果」とは何を意味するのか,そ して,(2)租税に関する「根拠」とは何を指す のか,について考えてみる。

(1)租税に関する「事の成り行きや結果」

 租税に関する「事の成り行きや結果」につい て,納税者にとっての一番の関心事は,一般的 に,法律が制定,あるいは改正される予定の有 無やその内容よりも,自らが取得した財産,あ るいは稼得した所得に対する税負担の有無やそ の程度にあると言えるであろう。したがって,

租税に関する「事の成り行きや結果」とは,「自 らが取得した財産,あるいは稼得した所得に課 される税負担とその限界」を意味すると考え る。

(2)租税に関する「根拠」

 租税法律0 0主義の観点から,租税に関する「事 の成り行きや結果」を判断するための「根拠」

とは,租税法が公布される前の税制改正大綱や 法律案を指すのか,あるいは租税法を指すの か,が重要である。

 ① 「法の公示」条件の観点から

 租税法の特色は,その成文性にある。「租税0 0

法は0 0,国民の納税義務を定める法であり,その 意味で国民の財産権への侵害を根拠づける,い わゆる侵害規範(

Eingriffsnorm

)であるから,

将来の予測を可能ならしめ0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0,法律生活の安定 を図るため,成文の形式をとる0 0 0 0 0 0 0 0ことが要求され る」〔傍点

:

引用者〕[金子

2012

:

29

-

30]。「租税0 00」は「成文の形式をとる0 0 0 0 0 0 0 0」という論拠は,法 の規範的機能に求めることができる。法は,人 びとが一定の行為を行ったり差し控えたりする ための理由を指図することによって,人びとの 行為の指針となったり評価基準となったりする

[田中成明

1983

:

203

;

2005

:

33]。そのため,法 の具体的な指図内容は,法律の条文で明確に規 定され,かつ,公布されていなければならな い。公布と法の効力の関係について,「公布さ れていない法は拘束力を有しない」という古い 法原則がある。この法原則は,立法権の観点か ら,公布の手続が法に効力を付与する条件であ り,法の本質に属するものであることを示して いる[ホセ

1976

:

9]。もし国民が事前に法律を 知らなかったならば,それに従うことも,自ら の行為が合法であるか否かを判断することもで きないであろう。また,もし法律が公示されず 秘密裡に運用されていれば,国家権力の恣意専 断を排斥することも,国民の社会生活に安定し た予測可能性を確保しつつ,国民の権利・自由 を保障することもできないであろう。公布の手 続は,「法の支配」が成り立つための「法の公 示」条件を満たすものである。したがって,租 税法律0 0主義の観点から,租税に関する「事の成 り行きや結果」を「何に基づいて」判断するの か,と問われれば,租税法――厳密に言えば,

公布,施行されている租税法――に基づいて判 断する(14),と答えるのが法理にかなっている。

(9)

 ② 租税法の厳格解釈の観点から

 北野弘久は,「租税法律主義の原則は,憲法 上の原理である。この原則は,租税立法上の 原理であると同時に,税法の解釈・適用上の 基本原理である」[北野

2007

:

89]と述べてい る。税法の解釈上の基本原理の観点から,中川 一郎は,「租税法律主義は,租税に関する事項 を法律をもって完結的(

abschlie β end

)に規定 することを要請しているから,税法の解釈に当 たっては,このことを前提としなければならな い。すなわち,実際には,……税法解釈として は,法規に表現されていることのみをその対象 とするのである。……税法の解釈は,法文ど おりに厳格になされなければならない」[中川

1977

:

61]との見解を示している。そして,税 法の解釈・適用上の基本原理の観点から,谷口 勢津夫は,「法文から離れた自由な解釈が許容 されるとするならば,そのような解釈に基づく 税法の適用は,法律に基づく課税とはいえず,

したがって,租税法律主義が税法の解釈を通じ て潜脱され破綻してしまうことになる」[谷口

2012

:

39]と指摘している。租税に関する事項 を解釈する対象は,租税法であって,税制改正 大綱や法律案ではない。さらに,租税法を解釈 するにあたって,租税法の法文,およびそこに 表現されている文言のみをその対象とする。租 税法を解釈する場面でさえ,文言どおりの厳格 な解釈手法が要請されている。したがって,租 税法の厳格解釈の観点から,租税に関する事項 を判断する対象を,財務省や与党が発表する税 制改正の原案である税制改正大綱は言うに及ば ず,修正されることなく法律として成立するこ とさえ不確定な法律案にまで広げることは,立 法権を拘束する憲法上の「枠」として租税法律

主義を規定している憲法84条を空文と化すこと になる。

 ③ 小括

 予測可能性の有無とその程度を判断するにあ たって,下級裁判所は,本件改正法成立日以前 に,マスメディアの報道によって,国民に税制 改正大綱や法律案が十分に周知されていたか否 かに言及している。また,情報伝達媒体の進歩 と普及によって,誰もが税法改正の有無やその 具体的内容を知り得る状況におかれているた め,予測可能性を殊更重視する必要性もないの ではないか[佐藤謙一

2008

:

87],との見解が ある。だが,これらの言及や見解は,入手可能 な情報や過去の経験などから,各種の取引にと もなう租税リスクを予想し,そのリスクが現実 のものになってもその影響を最小限に抑えるよ うに工夫する,または,本人の意図したとおり に実現できない可能性の高い経済行動や投資を 選択しないようにする,という経済学0 0 0における 予測可能性を想定している。租税法律0 0主義の観 点から上述した①と②の内容によれば,租税に 関する「事の成り行きや結果」を判断するため の「根拠」は,租税法が公布される前の税制改 正大綱や法律案ではなく,公布されている租税 法である(15),と考える。それゆえ,「住宅を譲 渡したことにより長期譲渡所得の計算上生じた 損失の金額を他の各種所得の金額から控除する 損益通算が認められること」を「公布,施行さ れている租税法に基づいて」判断するという納 税者の主張は,法理的理解にかなっている。納 税者の主張からみれば,下級裁判所が予測可能 性に言及している箇所は,自らの判決を下すた めに必要であったとしても,租税法律0 0主義から

(10)

逸脱した内容であり,特に重要でないと考え る。

 さらに,上述した(1)と(2)の内容を踏ま えた上で,予測可能性を「いつの時点」におい て判断するのかについて考えてみる。

(3)予測可能性を判断する時点 ―「法の非遡 及性」条件の観点から

 法は,人間の行為を問題とし,人間の行為を 規律する行為規範である[森泉

2006

:

6]。また,

法は,ある一定の行為が合法であるか否かを判 断するための事実上の法的評価規準として機能 する[竹下

1977

:

80]。だが,それらの大前提 として,法が前もって定まっていなければなら ない。つまり,法の効力をその成立以前になさ れた行為に適用してはならないことが特に重要 である。なぜならば,誰も,行為を行った時点 に立ち返って,その行為を行った後からできた 法に従うことはできるはずがないからである。

同じ理由により,公布,施行されている租税法 に基づく予測可能性は,国民の行為時において 判断されることが求められている。これは,「法 の支配」が成り立つための「法の非遡及性」条 件からの要請である。人は,ある行為を行う前 に,公布,施行されている法律に基づいて,そ の行為が本人の意図したとおりに実現できると いう見込みを推し量って,行為の遂行を意思決 定している。そのような過程を経て意思決定を している以上,人は,自分の成した行為は合法 である,と判断している。だが,行為の遂行後 に公布された法律を過去の行為に適用すること によって,すでに合法的な行為であると下した 判断を覆すことは,そのように判断した人から

予測可能性と法的安定性を奪うと同時に,「法 の支配」が機能不全に陥ることになる。それゆ え,「法の支配」は,立法府に対して,法律を,

それが公布された日以降の行為に適用するが,

それが公布された日より前の行為に適用しては ならないことを要請している。「法の支配」の 原理から派生した租税法律主義は,「法の非遡 及性」条件の観点から,当然,「遡及立法の禁 止」を包含していると解すべきである(16)

 上述してきた内容を踏まえれば,租税に関す る予測可能性とは,「何を」意味しており,そ れを「いつの時点」において,「何に基づいて」

判断するのか,といった問題に対して,「自ら が取得した財産,あるいは稼得した所得に課さ れる税負担とその限界」を「財産を取得,ある いは所得を稼得した時点」において,「公布,

施行されている租税法に基づいて」判断するこ とである,と答えることが妥当である。

7.遡及立法に関する裁判所の判断につ いて

 ここまでの考察を踏まえた上で,遡及立法に ついて,裁判所が判断した内容を検討してみ る。

 福岡地方裁判所は,「溯及適用とは,新たに 制定された法規を施行前の時点に溯って過去の 行為に適用することをいうと解すべきである。

……溯及適用に当たるかどうかは,……新たに 制定された法律が施行前の行為に適用されるも のであるかどうかで決せられるべきである。な ぜならば,……納税者は,その当時存在する租 税法規に従って課税が行われることを信頼し て,各種の取引行為等を行う……からである」

(11)

と判示している。

 千葉地方裁判所は,「実質的に考えても,本 件譲渡がされた時点においては,その譲渡によ る損失を他の各種所得の計算上において損益通 算できるとする改正前の措置法が効力を有して いたのであり,一般納税者としては,その損益 通算による利益をも予め考慮して譲渡に及ぶこ とが通常予想される」,また「納税者は,通常,

その当時存在する租税法規に従って課税が行わ れることを信頼して各種の取引行為を行うもの である」と判示している。

 福岡高等裁判所は,「納税者は,現在妥当し ている租税法規に依拠しつつ,現在の法規に 従って課税が行われることを信頼しながら各種 の取引を行うのである」,また「租税法規不溯 及の原則は,現在の租税法規に従って課税が行 われるとの納税者の信頼を保護することを通じ て,国民の予測可能性,法的安定性を保護する ことをその目的とする……,納税者は当該取引 等の時点における租税法規に従って当該取引等 に関する納税義務が成立するであろうと信頼す るのが通常である」と判示している。

 裁判所の判示によれば,納税者は,「各種の 取引行為等」を行うか否かを「当該取引等の時 点において」,「その当時存在する租税法規に基 づいて」判断している,という趣旨である。こ の趣旨は,租税法律主義は「法の支配」の原 理から派生した原則であるという観点に立て ば,「法の支配」が成り立つための「法の非遡 及性」条件 ――法律を,それが公布された日 以降の行為に適用するが,それが公布された日 より前の行為に適用してはならないこと――

の要請に適合している。それゆえ,戸松秀典に よる「国民の経済取引の実態場面では,取引の

時点で存在しない租税法規定を遡って適用する など,憲法84条が全く予定しないこと」[戸松

2010

:

44」である,との指摘は,当を得ている。

そうであるにもかかわらず,どうして,裁判所 の下した結論として,遡及立法は憲法84条の趣 旨に反し違憲となるものではないというべきで ある,となるのか,甚だ不思議である。その不 思議な結論の要因を探ってみる必要があろう。

 裁判所は,「租税は,今日では,国家の財政 需要を充足するという本来の機能に加え,所得 の再配分,資源の適正配分,景気の調整等の諸 機能をも有しており,国民の租税負担を定める について,財政・経済・社会政策等の国政全般 からの総合的な政策判断を必要とするばかりで なく,課税要件等を定めるについて,極めて専 門技術的な判断を必要とすることも明らかであ る。したがって,租税法の定立については,国 家財政,社会経済,国民所得,国民生活等の実 態についての正確な資料を基礎とする立法府の 政策的,技術的な判断にゆだねるほかはなく,

裁判所は,基本的にはその裁量的判断を尊重 せざるを得ない」(最高裁昭和60年3月27日大 法廷判決・民集39巻2号247頁参照)(同判決を

〈福岡高裁判決〉,〈東京高裁判決〉,〈最高裁判 決〉が引用)と解し,「このことは,租税法規 の適用時期についても当てはまるものである」

と判示している〈福岡高裁判決〉。たしかに,

立法府の民主主義的手続の正当性を尊重すると いう司法府の姿勢からみれば,租税法の適用時 期をいつにするかは,「立法府の裁量」の問題 であることを認めてもよいであろう。しかし,

租税法律主義は「法の支配」の原理から派生し た原則であるという立場からみれば,租税法の 適用時期は,それが公布された日より前の時点

(12)

を含まない,と解することは自明の理である。

8.租税法の不利益遡及禁止について  下級裁判所は,「憲法84条が規定している租 税法律主義は,国民に不利益を及ぼす租税法 規の溯及適用を禁じていると解すべきである」

〈福岡地裁判決〉と判示している。

 そこで,憲法と租税法律主義の関係からみ て,遡及立法の禁止は,国民に不利益を及ぼす 租税法の遡及適用を禁止しているのかについて 考えてみる。

 国民に不利益を及ぼす遡及立法を禁止してい ると考える立場から,租税法は,納税者の利益 となる場合には遡及効を認めたとしても既得権 の侵害又は法的安定を害さないと解されるか ら,公平負担の原則に反しない限り,納税者に 有利となるような租税法の遡及立法まで禁止さ れるものではないとの見解がある[下村

1972

:

47

;

北野

2007

:

98

;

谷口

2012

:

30]。一方,国民 に利益を及ぼす遡及立法をも禁止していると考 える立場から,憲法84条が規定している租税法 律主義は,「各種の取引行為が行われた時点に おける租税法」に基づいて課税,あるいは納税 が行われることを要請している。つまり,租税 法律主義は,租税の賦課を「法律0 0」で定める単 なる手続法的な形式的原則である,と解するの であれば,国民に利益を及ぼす遡及をも違憲と なってしまうであろう[中里

2012

:

133]との 見解がある。そこで,これらの見解を検討して みる。

 立法府は,租税法案を審議するなかで,公平 負担の原則を考慮した上で,その法案を可決 し,租税法を成立させているはずである。実態 はともかく,公平負担の原則は,租税法のなか

に体現されていると考える。また,遡及立法に よって過去の取引や事実に対する課税要件を変 更することは,必ずしも国民に利益を及ぼすこ とになるとは限らず,既得権や法的安定性をも 害することになる。さらに,租税法は,特定の 者の財産権を侵害しているのではなく,国民の 財産権を侵害していることから,中立性を確保 している。したがって,国民の財産権を保障す るために,租税法律主義は遡及立法の禁止を包 含しているという立場に立てば,遡及立法が国 民に利益を及ぼすか,あるいは不利益を及ぼす かを問うことなく,遡及立法の禁止を首尾一貫 しなければならない(17)。だが,本事案におい て,最高裁判所は,諸事情を総合的に勘案し,

遡及適用することに合理性があるときは,憲法 84条の趣旨に反し違憲となるものではない,と 判示しているため,遡及立法の憲法適合性を判 断する上で,その立法が国民に利益を及ぼすか 否かということを殊に重視する必要がなくなっ た。遡及立法に合理性があれば,その立法を合 憲とする可能性が明示されたことは,国家権力 が合理性を濫用し,遡及立法を濫造する危険性 に結びつくこともあり得るであろう。その危険 性を回避するためには,憲法84条が規定してい る租税法律主義は,理由の如何を問わず,遡及 立法を禁止しているとの立場を貫き通さなけれ ばならない。

9.遡及立法に関する諸見解について  ここまで述べてきた内容を踏まえた上で,次 の遡及立法に関する諸見解について考えてみ る。

 中里実は,本事案について,「租税法律主義 や溯及といった形式的観点のみから考えるべき

(13)

ている。だが,租税に関する予測可能性を完全 に保障しようとすれば,立法府は租税法の改正 を行わなければならない。租税法は,きわめて 多数の納税者を対象として,公平かつ普遍的に 課税することを企図して,租税に関する事項を 法律で完結的に規定することが要請されてい る。租税法は,この要請を満たしているものと いえるが,全体を通じてみると,必ずしも完璧 に満たしているわけではなく,その規定に欠陥 があることも看過しがたいであろう。それを理 解しているから,納税者が「国民は,その時点 で存在する法律を遵守し,その法律の下で社会 生活を送ることが原則であり,……法律とは,

国民の社会生活の秩序を維持するため,国民に 知らしめ,遵守させるべきもので,だからこそ 必要に応じて立法,改正作業が行われるのであ る」〈福岡地裁判決〉と主張しているように,

国民は,租税法の規定に欠陥があれば,その欠 陥を補完するために租税法の改正が行われるこ とを承知しているのである。前述したとおり,

租税に関する予測可能性とは,「自らが取得し た財産,あるいは稼得した所得に課される税負 担とその限界」を「財産を取得,あるいは所得 を稼得した時点」において,「公布,施行され ている租税法に基づいて」判断することであ る。国民は,租税に関する予測可能性を害さな い限り,税制改正された租税法を遵守し,その 租税法の下で社会生活を送ることに異議を唱え ないであろう。さらに,租税法の改正と公平負 担の関係の観点から,仮に租税法の規定に欠陥 があり,それによって,租税負担の公平を失す るような不合理な結果を招いているとすれば,

その欠陥を補完するために,立法府が適宜必要 に応じて立法や改正作業を行わなければならな 問題ではなく,予測可能性の確保や公平性の確

保という実体的観点から,法的安定性と具体的 妥当性のバランスを考えて,諸事情を総合的に 考慮して判断すべき問題である。本判決〔引用 者注:〈最高裁判決〉〕は,そのような観点から 下された,司法権の本質が表れたものといえよ う」[中里

2012

:

135]と述べている。だが,立 法府は,国家財政,社会経済,国民所得,国民 生活等の実態についての正確な資料を基礎とし て,実体的観点から「予測可能性の確保」や「公 平性の確保」のあり方を含めて租税法案を審議 しており,その審議を経て採決を行った結果と して,その法案が可決され,租税法が成立して いる以上,租税法のなかで,「予測可能性の確 保」や「公平性の確保」は体現されていると考 える。したがって,本事案に関して,「予測可 能性の確保をどの程度追求するかという問題」

は,立法府のなかで解決済みである。さらに,

司法府は,本事案に関して,あらためて諸事情 を総合的に考慮して判断すべきではなく,租税 法のなかに納税者の行為規範となる予測可能性 に関する条項の存否という形式的観点で遡及立 法の憲法適合性を判断すべきであると考える。

 碓井光明は,「予測可能性の確保を絶対的・

排他的な原則とすることが不適当なことはいう までもない。人びとは,租税効果も考慮に入れ て,財産を取得し,勤労し,投資している。も し,この予測可能性を完全に0 0 0保障しようとする ならば,およそ税制改正はできないという結果 になりかねない」[碓井

1989

:

124]と述べてい る。碓井光明と同様に,下級裁判所は,「租税 法規に対する個人の予測可能性を完全に満たさ なければならないとすれば,そもそも租税法規 の改正はできない」〈福岡高裁判決〉と判示し

(14)

立てば,予測できていた事態への対応が遅れた 立法府が,慌てて帳尻を合わせるために,期間 をとおして公平な負担を確保するというもっと もらしい名目をもって,遡及立法を用いること による不測の負担を国民に負わせてはならな い。立法府が立法目的を維持するためには,遡 及立法以外の立法手法をとらなければならな い。税制改正された租税法を,それが公布され た日より前の行為や事実に適用することは,国 家権力を拘束する憲法上の「枠」としての憲法 30条および憲法84条を空文と化し「法の支配」

の原理に背馳することになることを忘却しては ならないのである。

〔投稿受理日2012. 12. 22 /掲載決定日2013. 1. 24〕

⑴ 遡及立法の定義について,新たに制定された法 律が過去の時点にさかのぼり,過去の行為や事実 に適用することを遡及適用といい,遡及適用を認 める立法を遡及立法という。

⑵ 第一審:福岡地裁平成20年1月29日判決,平成 20年(行コ)第236号,判例時報2003号43頁。控訴 審:福岡高裁平成20年10月21日判決,平成20年(行 コ)第5号,判例時報2035号20頁。なお,本文で は判決書に言及する場合,第一審を〈福岡地裁判 決〉,控訴審を〈福岡高裁判決〉で示している。

⑶ 第一審:千葉地裁平成20年5月16日判決,平成 19年(行ウ)第15号,裁判所HP。控訴審:東京高 裁平成20年12月4日判決,平成20年(行コ)第236 号,裁判所HP。上告審:最高裁平成23年9月22日 第一小法廷判決,平成21年(行ツ)第73号,民集 第65巻6号2756頁。なお,本文で判決書に言及す る場合,第一審を〈千葉地裁判決〉,控訴審を〈東 京高等判決〉,上告審を〈最高裁判決〉で示してい る。

⑷ 課税要件法定主義のみに言及する著作には,[宮 沢 1978: 713; 伊藤 1995: 476; 芦部 2011: 350-351; 大石 2009: 261]などがある。

⑸ 課税要件明確主義にも言及する著作には,[中村 2012: 336; 辻村 2012: 490]などがある。

い。租税法の規定に欠落があることによって,

公平負担の原則からみれば,納税すべき行為で あるにもかかわらず,立法時に事前の予測が不 可能であったために租税法にその行為に課税す るための規定が存在していないという事態が明 らかとなった時,同じ事例が再発しないように 立法作用の動機を形成することになる。このよ うにして直ちに公平な負担という実質的正義を 実現することはできなかったが,租税法の規定 に欠陥があったために租税法が改善され,それ によって実質的正義の実現へと着実に歩を進め ていくことができるのである。

10.おわりに

 本稿では,租税法の遡及適用の合憲性をめぐ る3つの訴訟で納税者が敗訴した事実を目の当 たりにして,租税法律主義と遡及立法の禁止に ついて考察してきた。本稿の考察から,司法府 は,租税法の適用時期をいつにするかは,「立 法府の裁量」の問題であると考えているようで ある。しかし,立法府は,国家財政,社会経 済,国民所得,国民生活等の実態についての正 確な資料に基づいて租税法を定立できる立場に あり,それに加えて,暦年の開始前に税制改正 の立法手続を終わらせることができる立場にも ある。いつの時点で立法府が税制改正の立法手 続に着手するかは,「立法府の裁量」の問題で はなく,「国会の運用」の問題にすぎない。し たがって,所得税のような期間税について,暦 年の開始後に税制改正の立法手続に着手する場 合,その時点で,たとえ立法目的を阻害する事 態が発生していたとしても,立法府は,立法目 的の維持を優先するために,遡及立法によって その事態を収拾してはならない。国民の立場に

(15)

⑿ 英米諸国の法律家たちの間では,法が満たすべ き条件を「法の支配」の「形式的法律性(formal

legality)」として考えているものが多い。深田三徳

は,その代表的な見解として,L. L. フラー,J. ラズ,

R. S. サマーズのものを取り上げて,詳細に考察し

ている[深田 2007: 34-41]。

⒀ 板倉圭吾は,「最近の国内判例は……,『改正の 予測可能性』に収斂しているが,これは,日本の 現行実務・通説・判例が『3ヶ月遡及立法常態ア プローチ』を追認するために採用しているとも解 し得るものであり,憲法の要請内容についての歴 史的沿革から演繹的に裁判所が導出したものでは ないと思料される」[板倉 2012: 85]と述べている。

⒁ これに関して,山下学は,「法律は公布されるこ とから法的安定性と予測可能性を租税法に与える」

[山下 2010: 395]と述べている。

⒂ 租税法律主義の観点から予測可能性が税制改正 大綱や法律案に及ばないとの見解を高橋祐介[高 橋 2003: 101],品川芳宣[品川 2008: 81]は示し ている。

⒃ 三木義一は,「憲法が遡及禁止で要請している内 容は,一旦成立した租税債務及び行為時の課税標 準の事後立法による遡及的変更である。行為時を 基準とするのは,その時点で債務が成立するから だけではなく,納税者が行為時に納税義務の有無 を考慮して自己の処分権限を行使するからである。

自らの処分行為に伴う税負担とその限界をあらか じめ法律で定めて,予測可能性を保証するところ に最大のポイントがある」[三木 2007: 279]と述 べている。

⒄ 岩﨑政明は,遡及立法が納税義務者の利益に変 更するものであるとしても,納税義務者の法的安 定性や予測可能性を害することになるから,「租税 法律主義を厳格に解するならば,納税義務を加重 するものであれ軽減するものであれ,一切の租税 法規について遡及立法を禁止すべきことになろう」

[岩﨑 2009: 40]と述べている。

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⑹ この点について付言すれば,「課税要件明確主 義」の論拠である法的安定性および予測可能性は,

一般的な法の基礎原則であり,租税法のみに向け られた特有な法論理ではないため[忠 1979: 50- 51],たとえ租税法律主義の内容として課税要件明 確主義を挙げていなくても租税法律主義の根幹を 揺るがすほどの重要性はないであろう。

⑺ 下村芳夫は,「近代市民社会において租税法律主 義が有した私有財産権の保障という機能は,私有 財産権そのものがもはや国民にとっては絶対的な ものでなく,社会公共の見地から制限されること が是認されるにおよんで,その存立の基礎が修正 変化を受けたというべきであろう」[下村 1972: 8]

と述べている。

⑻ 南博方は,「租税法においては,個々の財産権の 保護というよりは,私経済秩序の維持=法的安定 性の確保という理念が他の法領域におけるよりと0 くに0 0強く要求され,そのため,構成要件を詳細か つ明確にしておく必要がある」[南 1983: 8-9」と 述べている。

⑼ 「法の支配」の原理の観点から,山田二郎は,日 本国憲法が法の支配の原理に立脚しているという 理解を前提として,租税法の領域で基本原理とさ れている租税法律主義を捉えると,租税法の枠組 みやその解釈・運用が,国民の財産権を保障でき ているのかが問われることになると述べている

[山田 2007: 3-4]。

⑽ 忠佐市は,「納税者の財産権の保障の論理につい て考えてみる。……それを租税法律主義の目的と して考える立場に立つときは,それは一般的な法 の基礎原則としての予測可能性および法的安定性 の期待が満足されることによって,それと表裏の 関係において財産権の保障が確保される関係にあ る」[忠 1979: 119]と述べている。

⑾ 志賀櫻は,「憲法84条は,『法律又は法律の定め る要件によることを必要とする。』と規定するのみ であるから,租税の賦課は形式的に法律に根拠が ありさえすればよく,その法律の内容における憲 法的要請を考察する必要はないと理解するのであ ろうか」との疑問を呈して,「憲法84条の文言にい わゆる『法律』の内容について,形式的法治国家 と実質的法治国家との対立を視野に入れた詳細な 議論がなされているということもないように思わ れる」[志賀 2010: 39]と述べている。

(16)

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中川一郎編 1977『税法学体系(全訂増補版)』,ぎょ. うせい

参照

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