資本制社会における社会政策機能の二重性 (2) : 貧困化要因の作用に関するクチンスキーの所説を中 心として
その他のタイトル Twofold Functions of Social Policy in Capitalism (II)
著者 河野 稔
雑誌名 關西大學商學論集
巻 4
号 4
ページ 277‑301
発行年 1959‑10‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00021754
(A
)
み よ
う ︒
資 本
制 社
会 に
お け
る 社
会 政
策 機
能 の
二 重
性 ②
︵ 河
野 ︶
クチンスキーは︑貧困化要因が並立的にも作用するがまた対立的に相互に相殺作用をしつつ労働者状態に影響す
る
(S .1 0)
と の べ
︑ 両 作 用 を と も に と り あ げ て い る
︒ 前 二 節 に わ た る 要 約 的 叙 述 を み ら れ て も わ か る と思う︒しかし︑彼の見解の主点は︑相殺作用に向けられているし︑本稿の企図からいっても相殺作用の方を重視
する必要があることは︑
クチソスキーは︑多数の要因を包括的にとりあげている︒その理由はこうである︒労働者状態は多くの要因 によって影響をうけ︑資本家は様々の要因を利用する︒かくて︑
ー
に顧慮することによって一般的に正しい像をうることができる︒彼によると︑こうした﹁包括的・現実的研究﹂の
みが︑異なった作用手段による搾取を明らかにし︑
四 クチンスキー説の検討 いうまでもない︒このような視角からクチソスキーの二重作用説の若干の特徴を検討して
一︑二の要因だけでなく︑すべての要因を包括的
かくて労働者状態の変化を洞察しうるのである
( s .
59 )
︒
こ の
点 は
︑
河
ー貧困化要因の作用に関するクチンスキーの所説を中心として
1資本制社会における社会政策機能の二重性②
野
稔
278
(B)
ゆる側面を統計的に把握することは不可能である﹂と断じて︑数字に加えるに理性.感情をもって理解することを
③
強調する
( s . 2 1 1 )
︒
本稿ではこの問題に深く立ちいる必要はないが︑私は︑
チンスキーの見解を認める︒蓋し︑多くの要因は並立的にも相殺的にも作用し︑同じ要因でも時にその作用を変化 するからである︒しかし︑すべての個々の要因の変化やその結合状態を個別的にとりあげるに止まれば︑いろいろ の側面の個々の要因をめぐる変化は︑明らかになるであろう︒これほ総体としての労働者状態の変化を理解するに
必要ではあるが十分ではない︒もちろん︑
クチンスキーは︑個別的考察にもとづいて総体としての労働者状態にか んする綜合的判断をくわえている︒しかし︑ここで︑彼が︑状態の悪化という結論をくだすとき︑総括的な量的測 定問題にも答えうるだけの理論的な用意をすべきである︒いかんながら︑我々は︑この点で︑クチンスキーの所論 に満足できない︒総体としての労働者状態を十分に明らかにするためには︑個々の要因を総括して︑結局において︑
量的に︑少なくともその傾向を示さねばならぬ︒かくて︑私は個々の要因の動きをとらえるとともに︑それらを反 映するに足る若干の重要な要因を指標としてとりだし︑これを使って総体としての労働者状態の量的傾向をつかむ 試みが必要だと思う︒この点では︑それを不可能視するクチンスキーの見解に疑問をもつ︒
クチンスキーは﹁改善・阻止﹂と﹁悪化・促進﹂の両作用をいずれも認める︒既にみたように︑実質賃金の
上昇︑労働時間の短縮︑災害保護策︑ スキーは次の如く答える︒
そうした複雑な作用をする要因を包括的にとりあげるばあい︑測定にたえうるものであろうか︒いいかえれば︑
こうした方法でもって︑総体としての貧困化過程の進行を量的に証明しうるであろうか︒この問題についてクチン
衛 生
改 善
策 ︑
住宅事情の改善︑ 教養・教育の改善策等いずれも 多数の要因を包括的にとりあげるク
社 会
保 険
︑
﹁統計的にとらえうる貧困化過程の側面はある﹂としても︑ ﹁絶対的貧困化過程のあら
資 本
制 社
会 に
お け
る 社
会 政
策 機
能 の
二 重
性 ③
︵ 河
野 ︶
資 本
制 社
会 に
お け
る 社
会 政
策 機
能 の
二 重
性 図
︵ 河
野 ︶
態の一側面が悪化する︵たとえば︑労働時間の延長︶︒ かくて︑何よりもまず︑労働の側からこの側面の改善︵た
﹁改善・阻止﹂作用をもつ︒しかし︑彼はすべての要因が改善・阻止作用をもっという主張に反対する︒こうした
﹁労働者状態の総体としての悪化を隠蔽し︑絶対的貧困化を否定する﹂ものとして︑
③ないところである
( s .
60
‑2 )
︒ れをかくす術であり︑そこには労働階級に幻想を与え︑彼らの真の課題を欺くおそれがある︑
クチンスキーのとら
彼はまた﹁悪化・促進﹂作用を認める︒実質賃金の労働力価値以下支払︑労働時間の延長︑労働強度の増大︑災 害の増大︑健康状態の悪化︑住宅状態の悪化︑失業の増大︑教養・教育の相対的・絶対的低下等いずれもこれに属 す︒しかし︑彼は﹁改善・阻止﹂作用を否定して︑可能な限りすべての側面の﹁悪化・促進﹂をひき出そうとする
﹁絶対的改善を含む貧困化の進行に無知であり﹂︑﹁現状を正しく 山
みず︑現実をまげる﹂ものであって︑彼のとらないところである︒彼は︑
一層説得力をもち効果的である︑と考えている︒この点について︑私もまた何らの異論をさしはさ 改善は︑個別的・一面的・部分的かつ僅少であって総体的・全面的ではなく︑貧困化のテンポを緩和し︑こ
と い
う 見
解 が
︑
ク チ
ンスキー説の一つの特徴である︒その理論的根拠は二つある︒前二節の叙述から明らかなように︑日根底に︑資本 による無限の利潤追求が存在している︒口改善策の成立の必然性これである︒資本の搾取方式に照応して労働者状 とえば︑労働時間の短縮︶要求がでて資本に圧力を行使する︒クチンスキーは︑改善策成立の必然性として︑この
圧力を何よりもまず重視するが︑
しかし︑これのみで成立するとは考えない︒資本の側が︑この圧力に対して︑労
(C)
む 余 地 は な い ︒
明 す
る こ
と が
︑
﹁個々の改善を認めつつ他の悪化﹂を説 主張に反対する︒彼によると︑この種の見解は︑ 見
解 は
︑
280
も と
づ い
て ﹂
( a u f
G r
n u
d d
i e s e
r M
a s
s n
h a
m e
n )
( s .
1
39 )
車 心
化 を
は か
る ︑
かくて︑改善作用はまさに直接機能
﹁ 必
然 的
な 前
提 条
件 ﹂
( n
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w e
n d
i g
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o r
b e
d i
n g
u n
g )
(D)
働者を確保する必要から︑また︑圧力を部分的に認めることによって止むなく若干の損失を甘受しながら︑これを
より広い側面の搾取を強化し︑ 固 に︑改善策は成立する︒このばあい注目すべきことは︑圧力が労働者状態の全側面にかかわるものとして出るより
も︑個々の側面について登場することである︒かくて︑改善策もそれに照応する個別的な側面に止まらざるをえな
い︒また︑労働の圧力を認めることは︑ いずれにしても資本の損失であるし︑無限の利潤追求の立場からみても︑
部分的かつ僅少な程度に止まる︒そして︑個別的︑部分的性質をもつ改善策を利用して︑ 一層広い領域で搾取を強
化し︑労働階級の僅かの一部分の層を改善することにより︑総体としての労働階級の搾取を強化することになる︒
解もまた我々を納得せしめるものである︒ 一層大きな搾取のための﹁かくれみの﹂であるというクチンスキーの見
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
﹁改善・阻止﹂作用と﹁悪化・促進﹂作用の結合のしかたについて︑
現を用いる︒たとえば︑改善策は︑悪化策の
︑ ︑
︑
る︑資本家は悪化を実現するために改善策を﹁利用する﹂
( b e n
u t z e
n )
クチンスキーはしばしば次のような表
(S .1 39
)︑
) ︵
S. 14 4)
悪化を伴う︑等々である︒
v e r m
t e 1 t
l s v
o n
S
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s n
a h
m e
n
(S .8 3)
で あ
﹁ こ
の 方
策 ︵
改 善
策 ・
・ ・
筆 者
︶ に
﹁ 保
護 策
の 媒
介 に
よ っ
て ﹂
( d
u r
c h
とみていいし︑これによって生起する悪化作用は間接機能とみていい︒クチンスキーの発想法によると︑労働者状
態の悪化←︵労働の側の圧カ・強制と資本の側の必要決意︶←改善策←悪化となるが︑既にみたように︑彼はまた︑
悪化策←改善策という結びつきも認める︒この関係も前述と大差なく︑悪化を通じて改善を伴うとみてもいいと思 改善策が個別的・一面的・部分的であり︑ 利
用 し
︑
別 の
︑
損失の奪回もしくは一層大きい利益を獲得しうると決意したとき
資 本
制 社
会 に
お け
る 社
会 政
策 機
能 の
二 重
性 ②
︵ 河
野 ︶
四
資本制社会における社会政策機能の二重性図︵河野︶
クチンスキーは︑経済周期内の要因の結合に言及している︒この限りでは短期の考察を看過していないが︑彼が
経済周期内の要因の作用や結合をとりあげるのは︑周期平均の傾向をとらえることを目的としている︒そして各周 よって異なるであろうか︒また︑長期と短期ではどうなるか︒
五
ばあいにも前述の三つのうちいずれか︱つのみを示すのか︑あるばあいには①を︑他のばあいには②を︑あるいは
また︑⑧を示すといったように要因の結合いかんによって異なるであろうか︒つぎに︑同じ結合でも時期や段階に またもし前者八後者なら⑧﹁相殺以上﹂となり︑ ﹁悪化・促進﹂の結果をともなう︒また︑いかなる要因の結合の という問題である︒もし前者
11
後者なら①﹁完全相殺﹂となり︑ ﹁改善・阻止﹂でもなく﹁悪化・促進﹂でもない ﹁改善・阻止﹂をもたらすか﹁悪化・促進﹂をもたらすか う︒なお彼は︑労働者状態の悪化から寵ちに︑常に改善策が出るとは考えていない︒ 要求を意識的に抑え︑まさにそれによって労働運動内部の改良主義者や裏切者の立場をつよめている﹂ キー・ブルジョア統計の利用について・経済評論・一九五六年九月号・︱二八頁︶︒
︵ ク
チ ン
ス
悪化←︵労働の側の圧カ・強制と資本の側の不要・抑圧決意︶←悪化策となる︒悪化策は︑なによりも悪化・抑圧
作用をもつ︒これを通じて︑抑圧は更に促進され︑労働運動内部の改良主義を強化するが︑どのみち︑はやかれお
そかれ改善策を伴わざるをえないであろう︒いずれにしても︑改善と悪化の両作用の結合のしかたについて︑条件
⑧と結果︑手段と目的ないし直接と間接の関係があるというクチンスキーの見解を認めざるをえない︒
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
︑
﹁改善・阻止﹂作用と﹁悪化・促進﹂作用の結合の量的問題をみよう︒いいかえれば︑それは︑前者の強さ
と後者の強さを比較して︑両者の結合は︑結果として︑
という結果を伴う︒もし前者>後者なら③﹁部分的相殺﹂となり︑ いくらかの﹁改善・阻止﹂の結果をともなう︒
(E)
このばあいは︑労働者状態の
︑ ︑
︑ ︑
﹁資本家はときには労働者の
註⑲
六 ー
七 頁
︶ ︒
短期的考察は省いた︒ 期乎均を比較して長期的にみるとき貧困化が進行すると説く︒従って︑彼の重点が長期におかれていることは明ら かである︒だから︑ある要因の結合が結果としてどうなるか︑ とき︑長期の周期平均の比較による傾向としてとりあげることが中心となる︒この意味で︑本稿でも経済周期内の
こうした視点からみても︑同一の要因の結合は時期や段階によって異なった結果を示すか同じ結果を示すか︒本
稿第二︑三節︵本誌第四巻第三号︶をみてもわかるように︑ クチンスキーは︑資本主義の初期︑第二︑独占段階につ
いて︑ほとんどすべての要因の結合に関しても︑同じ傾向の量的結果を指摘している︒実質賃金と労働強度・時間
の結合や労働時間と労働強度•生産性の結合をみても、それぞれ、同じく前者
A後者となって労働者状態の絶対的
悪化という結果を伴い︑しかも独占段階は第二段階にくらべ著しく悪化が進行するとみている
︵ 同
・ ︱
︱ ︱
ー 五
頁 ︑
十 頁
災害保護策と労働強度の結合も最近八十年間ほぼ均衡状態を保ってきたとのべているところをみ
ると︑第二段階と独占段階との間に本質的に異なった結果を積極的に示してはいない︵同・七ー八頁︶し︑経営内健
康改善策と労働強度の結合についても︑両段階ともに︑健康状態はほとんど改善されなかったか悪化したという同
じ結果を指摘している︵同・︱一ーニ頁︶︒経営外衛生対策と住宅事情の結合については︑第二段階も第二次大戦後の
独占段階もともに悪化の結果を伴うし︑第二次大戦後は第二段階より悪化が促進されるとのべている︒しかし︑第
二次大戦までの独占段階では︑衛生対策の改善とともに住宅事情も部分的には改善されたため︑他の段階と異なっ
て︑この結合による労働者状態の改善がみられるといってるのは︑珍しい例外的事実といってよい︵同・︱ニー三頁︶︒
いかなる要因の結合にも︑﹁完全相殺﹂か﹁部分的相殺﹂か﹁相殺以上﹂かのいずれか︱つのみを示すかどうか︒
資 本
制 社
会 に
お け
る 社
会 政
策 機
能 の
1
一
重 性
図 ︵
河 野
︶
﹁ 改
善 ﹂
と な
る か
︑
﹁悪化﹂となるかを問題にする
9 ‑
ノ
資本制社会における社会政策機能の二重性図︵河野︶
一 面 性 ・ 部 分 性 か ら ︑ 的・僅少な作用をもつ︒かくて︑ この点についても︑ るし︑あるときには﹁部分的相殺﹂を意味する叙述もみせる︒しかし︑殆どあらゆるばあいに︑ ︐ ﹁完全相殺または相殺以上﹂か︑さもなければ﹁相殺以上﹂とのべている︒
い ず れ に し て も ︑ クチンスキーの見解は明瞭とはいえない︒あるばあいには﹁完全相殺﹂ととれる表現をしてい
クチンスキーは﹁完全相殺﹂か﹁相殺以上﹂という見解をとっているといって間違いなく︑と
りわけ︑後者に大きな比重をおいていることも事実である︒しかし︑これは我クを十分に説得しうるかどうか疑問
に思う︒なるほど︑この種の見解の底には︑無限の利潤追求が貫いている︒また︑
七
ク チ
ン ス
キ ー
は ︑
﹁改善・阻止﹂は部分的・一面
﹁悪化・促進﹂が一層広い領域で一層強く作用するであろうと一応は考えられよ
う︒それでもなお︑我々はいくらかの疑問を残さざるをえない︒①﹁改善・阻止﹂は︑たとえ部分的・一面的であ
り僅少であるとはいえ︑労働階級の圧力によって歴史的に積み重ねられてきている︒たとえば︑労働時間の短縮に
しても資本主義第二段階以降今日にいたる歴史をみると︑しばしば﹁改善﹂の事実をつみかさね︑適用範囲も拡大
されてきている︒こうした改善の積みかさねによって僅少な作用は次第に大きくなる︒②無限の利潤追求と改善の
﹁悪化・促進﹂が﹁改善・阻止﹂より大きいことは一応理解できる︒しかし︑ いかなる時期
や段階にも常にそうなると断定しうるであろうか︒利潤率の低下法則を認めるものは︑資本主義のいかなる時期に
も︑この法則が貫徹し実現することを認めるであろうか︒貧困化法則を認めるものは︑時と処とを問わず︑その継
続的な︑十分な貫徹と実現を認めることになるだろうか︒そうではなくて︑利潤率の傾向的低下法則を認め︑絶対
的貧困化の傾向的法則を認めることは︑こうした法則の作用にもかかわらず︑利潤率が時に上昇し︑貧困化が時に
阻止され富裕化が現れることもありうることを否定するものではない︒法則の作用は諸種の事情にもとづいてその
284
することはできない︒かくて︑無限の利潤追求を前提にして︑
﹁悪化・促進﹂の要因として︑非 ﹁悪化・促進﹂は﹁改善・阻止﹂より大きくなる傾
資本制社会における社会政策機能の二重性図︵河野︶^ u
u 貫徹ないし実現を阻止されることもありうる︒
あ り
う る
し ︑
﹁ 改
善 ・
阻 止
﹂ は
︑
﹁改善・阻止﹂作用よりも大きくなる傾向
ほんらい個別的・一面的・僅少な作用をする特質をもっとしても︑時にはかなり
大きくなることもありうる︒とりわけ︑労働階級の力の前進を考えれば︑そうしたばあいも絶対に現れないと断定
向をもちつつも︑逆のばあいもありうるといわねばならぬ︒⑧クチンスキーは︑
常に多くのばあい﹁労働強度﹂の増大をとりあげている︒我々は︑この要因が労働階級の状態を悪化せしめるもの
﹁強度﹂の測定が困難なこ のうち︑きわめて重要な地位をしめることを︑なんら否定するものではない︒しかし︑
とは︑周知の事実である︒かくて︑強度の増大が改善を相殺ないし相殺以上にするといっても︑これだけは量的な
論証が容易でなく︑十分に我々を説得しえないといわねばならぬ︒④クチンスキーは︑個々の要因の結合をとりあ
げ︑それぞれ改善八悪化←結果としての総体的悪化という発想法をとっている︒しかし︑こうした個別的考察を積
み重ねても総体としての悪化を十分に論証することにならない︒個別的考察により個々の要因の結合状態は理解で
きる︒こうした手法を多くの側面で用いることにより︑労働者状態は多方面から把握される︒それにしても︑ここ
から直ちに総体としての悪化という結論を導き出すことは論理の飛躍である︒このばあい︑労働者状態の総括的な
量的傾向をもとらえるに足る統一的・総括理論を必要とする︒クチンスキー説の弱点の一っは︑ここにある︒個々
の要因の結合にしても常に悪化>改善になると断定することに疑問をもっとすれば︑総体としての悪化にも当然疑
問をさしはさむことは止むをえない︒たとえ︑総体としての悪化傾向を認めるとしても︑これを阻止するような時 をほんらいもってはいるが︑ ﹁改善・阻止﹂の積みかさねによる作用は︑ ﹁悪化・促進﹂よりも大きくなることも
﹁ 悪
化 ・
促 進
﹂ 作
用 は
︑
八
クチソスキーによると︑
︑ ︑
善﹂の作用が一時的だという意味である︒その理由は︑前述のごとく︑
らである︒もし﹁完全相殺﹂または﹁相殺以上﹂なら︑改善の作用は一時的であって消減することになる︒
的相殺﹂なら改善作用は多少とも継続するといわねばならぬ︒クチンスキーの見解は︑ほとんどのばあい﹁完全相
殺﹂か﹁相殺以上﹂といってよいから︑改善作用の持続性を認めないことになる︒もっとも︑
っても︑それがかなりの程度のものであれば︑改善作用も一時的経過の後には︑その作用の相当部分が失われると
みてもよいであろう︒いずれにしても︑改善作用が持続的でなく一時的にとどまる傾向をもつことは︑悪化作用を
(F) ぅ
゜
資本制社会における社会政策機能の二重性図︵河野︶
期が現れないとはいえないからである︒また︑ も
の で
あ る
︒
九
﹁ 部 分 的 相 殺 ﹂ と い
﹁ 部
分
﹁悪化﹂作用が﹁改善﹂作用を相殺するか それは
﹁ 改 ﹁ 改
クチンスキーは︑労働者状態をみるときは︑すべての要因を総括し
てとりあげるべきことを看過してはいない︒しかし︑このばあい︑彼は自ら統計的に把ええない側面があることを
指摘している︒そうだとすれば︑総体としての労働者状態が悪化するといっても︑それは量的に十分論証しえない
﹁悪化﹂が﹁改善﹂より大であり︑従って︑結果としての﹁悪化﹂︑﹁総体としての労働者状態の悪化﹂という︑
クチンスキーの見解に対して︑我々は︑そうした作用を示す傾向をもつことを一応は認めるが︑それにもかかわら
ず︑作用とその実現を混同するわけにはいかぬ︒彼が﹁完全相殺﹂又は﹁相殺以上﹂とのべるとき︑我々は︑そう
した傾向を認めつつも︑作用とその実現を同視する見解をとらない︒ただ︑ここで我々が確認したいことは︑
︑ ︑
︑
善﹂と﹁悪化﹂の間には﹁相殺的﹂関係があること︑これである︒この点だけは誰でも否定しえないところであろ
﹁ 改 善 ﹂ は ﹁ 持 続 的 で な く ﹂
(S
.1
43
)
﹁ 一
時 的
﹂
(S
.1
48
)
で あ
る ︒
286
摘するとともに︑結合の量的問題にかんしては︑ 用の傾向と作用の実現を区別する必要があろう︒ るに︑改善の一時的作用傾向は悪化作用を認める限り当然であり︑ 一時性・持続性の程度は︑改善作用と悪化作用
資 本
制 社
会 に
お け
る 社
会 政
策 機
能 の
二 重
性 図
︵ 河
野 ︶
結びつけるばあい︑当然認められる︒ただ相殺が部分的に止まることもありうるとすれば︑改善作用の一時的傾向
に も
か か
わ ら
ず ︑
いくぶんほ持続的性格をももちうるといえよう︒そして︑悪化作用を伴うが故に改善は再び登場
するのであって︑ある時点の改善作用は︑悪化作用によって相殺されることにより︑再び︑新たに登場する︒要す
の程度による︒悪化が部分的相殺となれば︑改善もそれに照応して︑ いくぶんでも持続性をもちうる︒ここでも作
以上クチソスキーの二重相殺説を若干検討した︒彼が④多数の要因を包括的に考察し︑⑱﹁改善・阻止﹂と﹁悪
化・促進﹂の両作用を認め︑c﹁改善・阻止﹂を個別的・一面的・部分的であり総体的・全面的でないとのべ︑⑲
﹁改善・阻止﹂と﹁悪化・促進﹂の両作用の結合のしかたにつき︑条件と結果︑手段と目的︑直接と間接の関係と
して把えたことは︑我々を納得せしめるものであったが︑多くの要因の個別的考察を積み重ね︑包括する程度に止
まって︑文字通り︑統一的・総括的に測定しうる形で示す試みを不可能視したこと︑⑱改善作用が悪化作用により
﹁完全相殺﹂され︑または﹁相殺以上﹂の事態をもたらされるという見解︑これにともなう改善作用の一時性の主
張︑こうした見解に対して︑我々は労働者状態の統一的・総括的な︑量的測定をもみたすに足る理論を欠く点を指
一 方
で ︑
クチンスキーの主張するような作用の傾向を認めるが︑
他方で︑この傾向が常に実現ないし貫徹されるかの如く説いている彼の見解が作用とその実現を混同していると考 えざるをえない︒それにしても︑我々が︑ここに﹁相殺的﹂二重関係が厳存する点を確認できたということは︑き
わめて重要な論点であるといえる︒クチンスキーは︑こうした二重的相殺作用の関係にもとづいて︑貧困化過程は
1 0
(4) (3)
( 2 )
註 山
資本制社会における社会政策機能の二重性図︵河野︶
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
完全な弁証法でなくても︑弁証法的であることだけは否定できない︒
クチソスキーはこうのべている︒﹁資本主義のさまざまな発展期に労働者階級の搾取方式が変り︑それにつれてプロレク
リアートの絶対的貧困化のさまざまな要因が前面にでてきた⁝⁝﹂︵クチソスキー・ブルジョア統計の利用について・経
済評論・一九五六年・九月号・一1一六頁︶︑﹁資本家は︑あるいはこの要因を︑あるいはあの要因を︑照応する生活事情の
悪化と労働階級の貧困化を伴う搾取の上昇のために︑いかに利用したか⁝⁝﹂
(S .1 95
)︒
﹁
. .
.
我々は︑労働者状態が彼
らの物質的状態の︑あるいはこの変化にもとづいたり︑あるいはあの変化にもとづいていかに悪化するかを知る︒労働者
状態の変化を確認するために︑一︑二の最も重要な要因のみを研究するのでは十分でない︒マルクスとニンゲルス︑レー
ニンとスクーリソは︑一切の要因を顧慮することが必要であると教えた︒何となれば︑我々は︑そうしてすらも︑労働者
状態の変化の︑正に完全な像をではなく︑やっと一般的に正しい像をうるにすぎない﹂
(S .6
0)︒
たとえば︑岸本教授は︑クチンスキーと仝じく︑絶対的窮乏化法則は統計的に完全には実証できないと論じ︑それにもか
かわらず︑この法則の貫徹を十分に確認する態度を表明された︵岸本英太郎・窮乏化法則と社会政策・ほしがき・四頁︶︒
クチソスキーによると︑この種の見解は︑日常経済闘争のみを志向し︑政治闘争を否定することになる︒またそれは︑資
本主義を肯定し︑社会主義を否定するもので︑日和見主義︑改良主義の経済的基盤となる
(S .6 0‑
ー
62
)︒
クチソスキーは︑この見解を次の如く批判する︒たとえば︑この見解は︑実質賃金が上昇している事実があるのに︑これ
を低下と主張し︑ブルジョア統計のみが上昇といってるにすぎないとのべる︒こうした主張では︑悪化面について説得力
をもちえない︒労働者は事実に反するかかる主張に対して不信となる︒かくて︑それは労働者の闘争の武器にならない︒
この見解は︑クチンスキーによると︑日和見主義︑改良主義をたすける卑俗急進主義であって︑日常経済闘争の任務を否
定し
︑
1見︑政治闘争を主張する如くみえながら︑実は経済闘争の任務を果しえないから政治闘争の任務をも果しえない
ものとなる
( s .
60ー
62 )︒クチソスキーは︑また︑この種の論者のプルジョア統計に対する態度を批判している︒すな
わち︑彼等の先入観に適合したときのみ官庁統計を利用し︑適合しないときは︑その理由も研究しないで捏造というのみ
であって︑これは進歩にとり大損害を及ぽす誤った態度である︵
S. 20 9)
︒なるほど︑官庁統計は絶対的貧困化の進行す
る事実︑すなわち︑失業の上昇︑生計費の上昇︑カロリー消費の低下︑災害の上昇︑相対的賃金低下︑をより少く表示す
る︒だが︑きわめて大きな程度にこれを変更することは誤りであり無知である︒全般的危機のもとで一彩の実質賃金の低
﹁ 完
全 な
弁 証
法 ﹂
︵
S. 62 )
で あ
る と
い う
が ︑
288
(8) (7) (6) (5)
資本制社会における社会政策機能の二重性図︵河野︶
下でも重大な生活の差別を意味する︒貧困化状態の変化は︑ほんらいわずかの程度を示すものであって︑大きな程度の変
更は誤りであり︑貧困化に無知である
(S .2 10
ー
1 1 )
︒
改善策の成立の必然性として︑クチンスキーは︑労働の圧力のみならず資本の側の事情も重視している︒本稿は社会政策
の実施機能をとりあげているので︑成立の必然性については詳述することはできなかった︒しかし︑本稿でも︑たとえば︑
災害保護策や健康・衛生の改善策の成立について、クチンスキーのこうした見解を簡単ながらとりあげておいた(本誌•第
四巻
第一
1一号七︑一ー頁参照︶︒忠も社会政策の成立の必然性としてクチソスキー説と基本的には同じく労働の圧力と所有
の事情をともに重視する見解をとっている(たとえば、拙著・「社会政策の歴史理論研究」•第四章第
1一一節一九七ーニニ
四頁参照︶︒服部教授も︑このクチンスキー説を注目する必要のあることを指摘されている︵服部英太郎・社会政策理論と
﹃窮乏化法則﹄︑経済研究第七巻第二号・九三頁参照︶︒
ハイマソもこれを﹁部分的﹂性質をもっとのべている
( E d u a r d H e i m a n n , S o z i a l e T h e o r i e d e s K a p i t a l i s m u s ,
S .
1話拙著﹁社会政策の歴史理論研究﹂七七頁︶︒
クチンスキーは︑労働階級の僅少の一部分のみを改善して全労働階級︑全勤労者を悪化せしめる事情を詳述している︵と
くに
S. 35ー7)︒彼はまた︑﹁社会保険は労働階級の個々の階層の状態を絶対的に改善するために都合によっては利用され
うるが︑それは全労働階級の状態の絶対的改善に寄与しえない﹂
(S .1 49 )
とのぺ︑社会保険が労働階級に何かの幻想を
与えたり︑労働階級の真の課題を欺いたりしないよう関心をもつべき必要を指摘している
(S .1 48 )︒クチンスキーは︑
︑︑
︑
またこうものべている︒﹁労働者状態の総体的悪化を隠蔽するために個々の改善を強調することは︑常に彼ら︵企業家・・・
︑︑
︑
筆者︶の絡繰なのである﹂
( S . 6 0 )
︒﹁労働者状態の教化は︑常に一面的
( e i n s e i t i g )
であり︑常に生産状態によって制
限され:9
. . .
﹂る︵
S. 15 2)
︒貧困化をかくす衛は︑﹁労働者の側からする圧迫にある方面では譲歩することによって︑労
働者の生活条件の個々の要素を改善することである︒それは︑このような改善のかげにかくれて︑他の方面で搾取を強め︑
それによって労働者の窮乏をひどくするために︑おこなわれる﹂︵クチンスキー・ブルジョア統計の利用について・経済
評論•一九五六年九月号・―二六頁)。「貧困の過程の弁証法は、まさに、労働者階級の搾取の強化が労働者の生活の個々
︑︑︑︑︑︑の側面の改善を不可避的にともなうことにある﹂︵仝︱二八頁︶︒私は︑この関係を︑﹁直接と間接﹂の弁証法的二重性としてとらえている︵拙著﹁社会政策の歴史理論研究﹂とりわけ第
貧 困 化 要 因 の 作 用 に か ん す る ク チ ン ス キ ー の と り あ げ か た は
︑ そ れ を 総 体 と し て の 労 働 者 状 態 の 貧 困 化 の 一 環 と し て
︑ 個 々 の 側 面 と し て み る こ と で あ る
︒ 彼 が
︑ た と え
︑ こ う し た 個 別 的 考 察 を 総 括 し て
︑ の 労 働 者 の 貧 困 化
﹂ の 像 を え が く 試 み を し て い る と し て も
︑ そ の 試 み に 成 功 し た と は い え な い し
︑ む し ろ
︑ 彼 が 個 別 的 側 面 の 種 々 相 を え が く こ と に 重 点 を お い て い る こ と は
︑ 明 ら か で あ る
︒ こ の 点 は 本 稿 の 第 二
︑ 三 節 か ら 容 易 に
UO) (9)
資本制社会における社会政策機能の二重性図︵河野︶
五 む す び
四章第三節第一項ニニ八ーニ六九頁参照︶︒
彼は︑たとえば次の如くのべている︒﹁諸要因のうち多くのものほ運動して労働者状態の部分的軽減
( t e i l w e i s e r E r l e i ,
︑︑︑︑︑︑︑︑︑
c h t e r u n g )
U . 導き︑他方︑他の要因は︑それより一層激しく労働者の生活水準を圧迫する﹂
(S .1 0)︒﹁資本主義の全般
的危機の時期には︑勤労者は労働日の短縮のための闘争において大きな成果をおさめたが︑しかし独占資本はこの労働時
︑︑
︑︑
︑
間の短縮を労働強化によってそれ以上にうめあわそうとこころみている﹂︵クチンスキー・ブルジョア統計の利用につい
て・経済評論・一九五六年九月号・︱二八頁︶︒﹁資本家は︑労働者の全体を欺くために︑彼らを鎮静せしめるために︑こ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑れまでより一層大きい力で一層多くの労働者を搾取するために︑労働階級の僅かな一部分の状態を改善する用意をしてい
る ﹂
(S .3 5)
︒彼はまた︑経営内衛生状態が︑多くの改善策にかかわらず︑一部はまさにこの改善策の故に︑労働強度の︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑増大を伴うことにより︑﹁再び︵改善による資本の捐失が⁝筆者︶補填されるかそれ以上に相殺さえされる﹂
(S .1 39
) ︑
﹁ほとんど改善されなかったか又は悪化すらした﹂と確認している
(S .1 39 )︒資本主義の第二段階では﹁雇傭が上昇す
︑︑
︑︑
るばあいにほ︑災害への一層強い傾向がある・・・﹂
(S .1 46
)等々︒こうしたクチンスキーの表現からみて︑彼が﹁完全相
殺﹂もしくは﹁相殺以上﹂を強調し︑そのなかでも後者に最も力点をおいていることは︑明らかである︒
貧困化法則の作用とその実現ないし貫徹とを概念上区別する見解の一.例として︑新川士郎・﹃労働者状態史﹄の教えるこ
と・経済評論・一九五六年九月号・一四九頁を参照されたい︒
一般的に﹁総体として
290
(A
)
知られるであろう︒また︑彼のとりあげた貧困化要因の多くが︑社会政策であることも明らかである︒労働者状態
にかかわる問題すなわち労働問題は︑広汎な領域をもつこと︑そのなかで成熟した問題のみが社会政策として成立
するから︑社会政策は広汎な労働問題のなかから成立する個別的なものであること︑成立した社会政策は結局にお
いて労働問題にいかなる機能を及ぼすかという視角からとりあげられるべきであること︑したがって︑社会政策は
の 正
し さ
は ︑
労働問題を基礎として考察さるべきこと︑こういった労働問題と社会政策の関係とりわけ社会政策のとりあげかた
③クチンスキーの所説から当然ひきだせる︒
しかし︑本稿は︑こうした方法にもとづきながら︑とくに社会政策の実施機能の側面を問題にしている︒そして︑
我々は︑貧困化要因の相殺的二重作用にかんするクチンスキーの所説が︑完全な弁証法ではないとしても︑弁証法
的であるという点を確認したうえで︑資本制社会の社会政策実施機能の二重性を明らかにしたい︒以下︑資本制社
③会における社会問題の中核としての労働問題に関連して︑保守的社会政策実施機能の二重性を︑経済的側面を中心
に︑また政治的側面もあわせて︑簡単にのべる︒
我々は︑かって︑階級社会一般を前提として︑社会政策実施の経済機能につき︑次の如き趣旨をのべた︒﹃生
産力発展過程に生起する社会問題は某本的には所有対労働の利害配分の対立問題であって︑そのうち成熟した問題
に対して成立する社会政策は︑いわば︑こうした利害配分上の対立問題を対象とする広義の﹁分配・再分配﹂機能
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
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︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
をもつ︒この分配・再分配機能は︑対象療法的に︑必要最小限度の︑労働力の大いさの範囲内の︑調整機能であ
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
り︑こうした機能により成熟した社会問題を一時的に鎮静し︑異常化した再生産過程を一時的に正常化す︒しかる
に、こうした機能を前提とし、これを通じて、生産•利潤の追求、搾取の強化を促進する。これにより分配・再分
資本制社会における社会政策機能の二重性③︵河野︶一四
資本制社会における社会政策機能の二重性図︵河野︶
一五
配機能は相殺され︑同じ社会問題は再び成熟し︑あるいは︑この生産・搾取強化に照応して新しい社会問題が発生
・ 成
熟 す
る ︒
一時的に正常化した再生産過程は再び異常化す︒前の機能を社会政策の﹁直接機能﹂と呼び︑これを 通じて生起する機能は﹁間接機能﹂である︒前者を﹁分配機能﹂と特徴づければ後者は﹁生産機能﹂といえる︒両
④
機能の間には︑かくて︑相殺的二重性の関係があり︑それは弁証法的である﹄︒
さの範囲内﹂を﹁労働力の価値以下の範囲内﹂におきかえれば︑資本制社会の社会政策についても︑そのまま妥当 する︒労働時間の短縮や災害保護策︑衛生対策︑社会保険制などが︑すべて︑直接・分配機能をもち︑これを通じ て︑間接に︑相殺的な生産・搾取機能の促進を伴うことは︑ここであらためてのべるまでもなく︑
大し、これを前提とする間接•生産機能は強化される傾向をもつ。再生産過程が順当でないばあいには、直接・分 配機能は停滞もしくは低下し、これを通じて、間接•生産機能は一層促進される傾向をもつ。前者を政治的表現を かりて﹁譲歩型﹂と呼び︑後者を﹁抑圧型﹂と呼ぶ︒社会政策が︑どちらの型をもつにせよ︑
ク チ ソ ス キ ー の
いずれにしても︑直
接・分配機能によって社会問題は一時的に鎮静化され、再生産過程は一時的に正常化すが、間接•生産機能により
再び成熟化し異常化れ﹄︒
資本制社会の社会政策は︑譲歩型の機能を示すとき︑直接には貧困化を阻止し︑労働者 状態を改善するが︑それにもかかわらず︑これを通じて︑間接には貧困化を促進し︑労働者状態を悪化せしめる︒
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
前の機能は後の機能により相殺される︒両者の結合には相殺的・弁証法的二重関係がある︒抑圧型のばあい︑直接 には貧困化を阻止し労働者状態を改善せんとする労働側の圧力を抑制する︒これを通じて︑間接には貧困化は一層
促進され︑労働者状態は一層悪化する︒そして︑直接には分配の抑制により労働問題を一時的に鎮静しながら︑こ 所説をみても明らかである︒我々はまた次の如くのべた︒ ﹃再生産過程が順当なばあいには︑直接・分配機能は拡
こ う
し た
見 解
は ︑
﹁ 労
働 力
の 大
い
れにより間接には︑生産・搾取の強化策を一層すすめて︑再び労働問題を成熟せしめる︒ここにも弁証法的二重性
6
が あ
る ︒
経済機能は必然的に政治機能を伴っている︒この点について我々は次の如くのべた︒
﹃経済上の分配機能の拡大
は︑政治上の譲歩機能を伴う︒分配機能の抑制・停滞・低下は︑抑圧機能を伴う︒ここで譲歩といい抑圧といい︑
政治機能は﹁強制﹂を意味する︒かくて︑譲歩型社会政策が直接に分配機能を拡大するとき︑それほ政治的に譲歩 機能として現れる︒しかるに︑これを通じて︑間接に生産・搾取機能が現れ前者の機能を相殺する︒これは政治的 に抑圧機能として現れる︒故に︑政治的にみると︑譲歩機能により労働問題が一時的に鎮静されながら︑これを前 提として︑抑圧機能により労働問題は再び成熟する︒政治的にもこうした弁証法的二重性がある︒抑圧型社会政策 が直接に分配機能を抑制・停滞・低下せしめることにより労働問題を一時的に鎮静せしめるときは︑政治的には抑 圧機能として現れるが︑これにより生産・搾取の一層激しい強化策が促進され労働問題が再び成熟せしめられると きには︑抑圧機能の一段の促進が現れるといってよい︒ここにも弁証法的二重性がある
f
制社会の社会政策についても︑何らの変更もなく︑そのまま妥当する︒経済的二重性に必然的に照応する政治的ニ
⑧
重性を看過してはならない︒ ︐
社会政策実施機能の二重性から社会政策形態の問題をひき出してみよう列社会政策は一種の政治である︒し
︑
たがって︑それは経済的・政治的機能に照応した政策形態をもつ︒本稿の企図からみて︑資本制社会の社会政策形 態を︑ここで詳述するのは適当でないから︑簡単に要点を指摘するにとどめる︒①直接機能が分配の拡大と政治上 の譲歩を内容にするとき︑その社会政策は﹁譲歩形態﹂をとる︒これに対して︑直接機能が分配の抑制・停滞・低
(B)
資本制社会における社会政策機能の二重性②︵河野︶
こうした見解は︑資本
一六資本制社会における社会政策機能の二重性②︵河野︶
を示す機能内容をもっとき︑この社会政策は譲歩形態をとる︒逆に︑種々の度合の︑
一七
下と政治上の抑圧を内容にするとき︑その社会政策は﹁抑圧形態﹂をとる︒②といっても︑現実的には︑両形態の
内容となる機能ほ︑純粋に分配拡大・譲歩機能であったり︑百︒ハーセソト分配の抑制・停滞・低下と抑圧の機能で
あるというよりは︑むしろ両機能の組みあわせのうちでいずれか一方の比重が大きく︑他方が小さいといった姿で
﹁分配拡大・譲歩機能﹂>﹁分配の抑制・停滞・低下と抑圧の機能﹂の組合せ
﹁分配の抑制・停滞・低下と
抑圧の機能﹂>﹁分配拡大・譲歩機能﹂の組合せの機能内容をもつ社会政策は︑抑圧形態をもっといえる︒⑧現実
的には︑こうした各種の度合の組みあわせをもちつつも︑結局において︑譲歩形態の社会政策は︑多かれ少なかれ︑
直接に︑分配の拡大と譲歩機能を示し︑これを前提にし︑これを通じて︑間接に生産・搾取の強化と抑圧の機能を
伴う°直接機能により労働問題は一時的に鎮静し︑貧困化は阻止され︑労働者状態は改善されるにもかかわらず︑
間接機能により労働問題は再び成熟し︑貧困化の促進と労働者状態の悪化を伴う︒抑圧形態の社会政策は︑程度の
差こそあれ︑結局︑直接に︑労働側の分配の拡大︑状態の改善︑貧困化の阻止要求を抑制するか分配機能を停滞も
しくは低下せしめ︑政治的抑圧機能をも伴って︑労働問題を一時的には鎮静せしめる︒しかし︑こうした直接機能
を通じて間接には生産・抑圧機能が一層促進されるのであって︑労働問題は再び成熟せざるをえない︒④同一形態
の社会政策も︑その内容たる経済・政治機能を変化せしめ︑ばあいによっては形態を転化することもありうる︒た
とえば︑最低賃金制をみよう︒これは︑ほんらい譲歩形態の社会政策の︱つである︒その直接機能は︑適用範囲や
最低賃金率いかんにより多かれ少なかれ制約をもっとはいえ︑最低生活を保障し︑最低賃金率の引き上げを通じて
総体としての賃金水準を上昇せしめ︑あわせて労働組織を︑ひいては資本の組織をも発達せしめる︒かくて︑こ 現れる︒たとえば︑各種の度合の︑
294
資本制社会における社会政策機能の二重性②︵河野︶
の面からする労働問題の鎮静と調整がはかられる︒それは分配拡大・譲歩機能を︑ほんらい主要な内容とする︒ま た、こうした直接機能を通じて間接には、生産•利澗の追求策、搾取強化策と抑圧の機能を促進する。生産性の上
昇と労働強度の増大策の結合や物価のひきあげ︑雇傭問題の発生などこれである︒しかるに︑この直接・分配拡大・
譲歩機能は変動する︒イギリスをみても一九 0 九年にはじまる最低賃金制は︑その後次第に適用範囲をひろげ︑
わゆる苦汗産業のみならず︑炭坑・農業にもこの制度が及び今日に至っている︒これに対する TUC の態度をみる
一 九
00 年から二五年まではこの制度の熱狂的承認と一般化
( u n i v e r s a l i z e )
を欲求した︒この態度は︑第二
第二次大戦までは︑現存制度の承認︑新しい産業への適用の拡大も欲したが︑これを一般化すことに反対する︒そ
して︑第二次大戦後から現在に至る間には︑これを止むなき害悪としてのみ承認し︑適用範囲については拡大より
むしろ減少を欲するにいたっている︒これに対して︑経営者の態度をみると︑当初はこの制度に強く反対したが最
近はむしろ満足し︑これを支持する傾向をみせている︒このような労資の興味ある態度の変化は何を理由としてい
るか︒直接・分配拡大・譲歩機能が低下したことが︑多くの理由のうち最大のものである︒すなわち︑ 次大戦後までつづいているとはいえ︑ 一九二四年以来もはや多数者のものとはなりえなくなった︒
﹁ 設
定 さ
一九二六年から
と ︑
一八
し
、
れる最低賃率
( m i n i m u m r a t e )
が︑実際は最大限
( m a x i m u m )
になかったことである﹂︒これをみても︑少なくとも︑イギリスの最低賃金制が譲歩形態の︱つであるにしても︑そ り 圧する﹂︒﹁戦後︑規制される産業の賃金増加は︑イギリス一般産業の賃金増加におくれる傾向がある︒これは戦前 u d U . なる傾向をもっため︑事実は︑労働階級を抑
の直接・分配・譲歩機能を当初より低下ないし抑制せしめつつあることを認めざるをえない︒そして︑右の事実の
評価いかんによっては︑同じ名称のこの制度が譲歩形態から抑圧形態に転化し︑直接機能は分配の抑制・停滞・低
(C)
資 本
制 社
会 に
お け
る 社
会 政
策 機
能 の
二 重
性 図
︵ 河
野 ︶
下と抑圧機能をもつにいたったと判断せしめるかもしれない︒⑥社会政策の諸形態は共存する︒譲歩形態の共存と
抑圧形態の共存のみならず︑同一の時と処で譲歩と抑圧の両形態が共存する︒有名なビスマルク社会政策をみても
一方では抑圧形態の﹁社会主義者法﹂
( S
o z
i a
l i
s t
e n
g e
s e
t z
) │
︱ 八
七 八
年 ー
が ︑
では譲歩形態の﹁社会保険法﹂
一 九
﹁ 社
会 主
義 的
または共産主義的傾向をもつ団結︑集会︑金庫︑出版物﹂を禁止して労働者の組合運動や政治運動を抑圧し︑他方
e .
( S
o z
i a
l v
e r
s i
c h
e r
u n
g s
g e
s e
t z
) ー̲︱八八一年ーが分配拡大・譲歩機能を行使した︒
かくて︑社会政策機能をみるときは︑それぞれの社会政策形態について検討するのみならず︑あらゆる形態の︑と
りわけ譲歩形態のみならず抑圧形態もあわせて︑社会政策の綜合的な機能分析を必要とする︒⑥社会政策は︑実施 1 主体の相違にもとづいて経営社会政策︑国家社会政策︑国際社会政策︑各種の団体社会政策等の諸形態をとる︒こ
のような各種の社会政策形態は︑形態の相違にもかかわらず︑共通して︑直接機能と間接機能をもつ︒ただ︑こう
した機能は︑わずかに適用領域の差と程度の差をもつ傾向があるにすぎない︒たとえば︑国家社会政策の機能が経
^引
営社会政策の機能より適用領域も広く︑かつ程度も大きいことは一見して明らかである︒
前述の︑機能論とこれからみちびき出した形態論にもとづけば︑伝統的に支配的とみなされてきた社会政策
I I
︐ u 譲歩説は認められない︒この問題の検討は︑既に若干こころみてもいるので︑ここでは譲歩説をとれない主要な
理由を簡単に指摘するにとどめる︒①この問題は︑ほんらい社会政策の対象論︑形態論および機能論の区別と綜合
にもとづいて展開さるべきであるのに︑譲歩説ではこの点の配慮が十分ではない︒②譲歩形態の社会政策も︑直接
には分配の拡大・譲歩機能をもちながら︑これを通じて間接には生産・搾取の強化と抑圧の機能を促進する︒この
意味で︑譲歩形態の社会政策は︑分配と生産の︑譲歩と抑圧の両機能をもつ︒⑧譲歩形態をとる社会政策の直接機 直ちにわかるように︑
296
(D)
我は社会政策
11