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河野教授の学問を偲んで(河野稔教授追悼号)

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Academic year: 2021

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94 彦根論叢 第233号

さにはまったく頭が下がりました。私も委員のひとりだったのですがJ申し訳ないことな がら時々サボらしてもらいました。今日,経済学部が実施している新しいカリキュラムは, 河野さんの強い責任感に根ざした熱心さから生まれたものなのです。  その後河野さんは,評議員を経て学生部長になられました。実は,その時,私は,河野 さんをつかまえて,「学生部長というのは激職だ,若い老のやる仕事なので,もう還暦を 過ぎたわれわれがやるべぎ仕事じゃない。あまり無理なさらぬように」とこんこんと忠告 したのですけれども,責任感旺盛な河野さんです,「やはり選出された以上は」といわれ て,この激務を引き受けられました。そして,入試その他の非常に忙しい仕事をかなり無 理しつつ遂行されたのです。教授会ではいつも隣同士でしたから,時々私語して「どうで すか」と聞きましたら,「えらいんだ」ともらされるのが始終でした。どうもこの間の仕 事がかなり無理を強いたのじゃないかと思います。学生部長の任期を終えて直後に最初の 入院となり,それから1年余りで今度のご病気でした。やはり,この学生部長の激務の無 理が,かけ’がえのない河野さんの尊いお命を奪ってしまうきっかけになったのだと思われ て,ついつい責任感の強い河野さんにもたれかかって甘えていた同原のひとりとして,ま ことに申し訳ない次第と痛感しています。  昨年の11月はじめのことでした,研究棟の廊下ですれ違った際に,「このごろどうです か」とお尋ねしたところ,「いや,割合に調子いいんだ」と答えられましたがJこの短い 会話を交したのがお元気な河野さんとお話した最後になってしまいました。本当に残念な ことで,いまは悲しい気持がいっぱいですD心からご冥福をお祈り申し上げます。

河野稔教授の学問を偲んで

美  嫡

皓  河野先生の弟子ということでは,自他共に認めるというわけには参らないかもしれませ んが,私は,先生の弟子たることをすくなくとも自認し,かつ誇りに思っている者の一人 でございます。その立場から,謹んで河野先生の学問の一端に触れてみたいと思います。  先生は,ついこの間,昨年の11月まで,この隣の5番教室で被会政策原論の講義を担当 されておられました。それなのに,いまこんなお姿でここに御臨席いただくとは,全くも って胸ふたぐ想いが致します。  河野先生が本学に社会政策論担当教授として赴任されたのは1969年の春4月,そして私 が先生の下に呼ばれたのが同じ年の秋10月のことでした。今から16年前.先生は丁度今の 私の年ごろということになります。その時から私は,先生のもとに弟子入りさせていただ いたわけでございます。  当時のことで想い起こされることがさしあたり二つばかりあります。その一つは,河野 ゼミの学生たちのことです。他のゼミでも当時はそうでありましたが,とくに河野ゼミ

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9.r] には,体の運動部のみならず,心の運動部つまり学問研究に情熱を燃やす学生が少数なが ら精鋭で集っておりました。当時,日本の学生のインターゼミナール(つまり,ゼミ単位 で各大学の学生が一堂に会して研究報告と討論を行うという,いわば学生の学会の.ような ものでして,因みにそれは私の学生のころ一1954年一に創設されたものです)が開かれて おりまして,河野先生のゼミナリステソはそこに毎年のように出場する常連で,後には私 のゼミも合流し,その準備のために彦根のお寺を借りて合宿し徹夜で勉強したものです。 それも,もう昔話しになってしまいました。今ではもう学生の合宿といえば体の運動部の それしか連想できなくなってしまいました。残念なことです。河野先生も心残りなことだ と思っていらっしゃるにちがいありません。  ここにご会葬いただいた多くの学生諸君./ これから時論を飲みながらも学問や人間 の生き方について語り合えるような雰囲気を創り出していこうではありませんか。あるい は,運動部の練習のあとでも学問について語り合う場を創ろうでぽありませんか。そのこ とを河野先生のご霊前に誓おうではありませんか。  想い出されるもう一つのことは,河野先生の学問・学識の幅の広さ,それも,何でも知 っているというただの博識ではなく,そのすべてが社会政策論に体系化・統合化されてい るという意味での広さ,であります。河野先生が本学にみえられるまで担当者が空席にな っていたこともあって.図書館の社会政策関係の文献資料はかなり手薄になっておりまし たが,河野先生がまず手をつけられたのはその収集,充実ということでありました。私も お手伝いをさせていただきましたがその時驚かされたのは,先生の収集の範囲が,経済学 はもちろんのこと,哲学,開会学,政治学,歴史,経営,教育の分野にまで及ぶ広大なも ので,その内容もマルクス主義のそれに限らずリベラルな,まるで百科全書の観を呈して いたことであります。文献収集についての,このような幅広さぱ,実は,河野先生独自の 社会政策論体系の特徴が反映したものでありました。つまり先生には,あらゆる社会現象 と社会諸問題のすみずみ.にまで眼を光らせ,しかも,近代社会以前の歴史をも射程内に入 れ,それを総合し抽象化し,社会政策論の体系化を図るという壮大な構図が描かれていた のであ・ります。先生の主著『社会政策の歴史理論研究』はまさにその集大成でありまし た。そこで先生は,多種多様な社会問題を対象とする社会政策が成立する経済的究極の根 拠を,労働力と労働と.の矛盾に見出し,これに政治的契機を統合し,資本主義社会のみな らず階級社会一般の社会政策論の体系的構築に成功されたのであります。私たちは,広義 の経済学に比すべき,広義の社会政策理論の成立をここにみることができると思います。 これが河野先生の社会政策研究の第1期に当たります。同著の初版が1956年で,その後の 改訂を経て.第11回増刷が丁度,先生が本学に赴任された1969年となっております。  第2期は,先生が国際社会政策の研究に向われk1970年代であります。その最初の論文 ぱ『彦根論叢』(第166号,1974年)に発表された「最低賃金制度の創設にかんする国際 労働事務局の基本的見解」であり,それに続く四つの論文はいずれも,ILOを舞台にし てくり広げられる国際社会政策の成立過程を,1928年ILO総会の最低賃金制度創設に関

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96    Jttt…根言命叢  第233号 する条約と勧告を例にとり,これまでの高度に抽象化された一毅理論から一一一s転して,具体 的かつ克明に詳細に跡づけたもので,これらは先生の社会政策多元的主体論の具体的実証 であると言えましょう。  先生のこのような国際社会政策のご研究が契機となりまして,わが国で最も古い伝統を 誇る社会政策学会第67回研究大会が本学はじまって以来,はじめて,この彦根キャンパス で,総括討論座長河野教授のもとで開催されたのでございます。つい1年半前の1983年秋 のことでした。先生はこうして,社会政策学会と滋賀大学の歴史に一頁を刻まれたのであ ります。  河野教授は,いわゆるバッタリのない誠実な先生でした。どんな小さな研究会でもそう でしたが,この学会の時もまた,先生は実に用意周到,詳細かつ彪大なメ毛を作られて慎 重な準備をされた上で,事に臨まれました。私などは,「そんなに慎重に構えられていて は日が暮れてしまいます」などと無遠慮なことを申し上げ,先生にお叱りを蒙ったもので ございます。先生のこ発言や論文は,その意味で,まさに氷山の一角でございました。そ の底にどれだけ多くの準備と学識が潜んでいたことか,測り知れないものがございます。  さて第三期は,1980年代に入って,いよいよ.というべきか,ようやくというべきか,資 本主義社会における社会政策原理一狭義の社会政策原論一のご研究にとりかかられた 時期であります。『彦根論叢』第213号の「資本制社会における社会問題の経済的基本特 徴」にはじまる一連の論文は,資本蓄積が必然的に「人間生命の肉体的精神的諸能力の上 向志向的再生産に支障を来たすこと」,ここに社会問題発生の基本的特徴をとらえる,と いうもので,従来の伝統的な「労働力保全説」よりもっと包括的に,まさに現代の「総合 社会政策」Gesellschaftspolitikの本質を解明する鍵を与えてくれました。  しかしそれ以上の具体的展開は遂に,私たちの前に明示されることなく,先生は逝って しまわれました。先生の論文,氷山の一角の下にかくされた巨大な学識を,私たちはこれ から手さぐりで探さなければなりません。私たちに相談もなく勝手に逝ってしまわれた先 生/ やはりHが暮れてしまったではありませんか,と恨み言の一つも言いたくなりま す。先生はしかし,これからの研究は個人的職人的な個別研究だけ’でなく,有機体的共同 研究の必要性を強く説いておられました。いま,学生諸君をも含めて,河野先生に続く 「研究有機体」が先生の学問的遺産を受け継ぎ,乗りこえ,さらに創造的な発展を図るこ とを,ここにお誓い申し上げて河野先生の学問を偲ぶ言葉に代えさせていただきます。  河野先生,安らかにお眠り下さい。何故なら,先生のあとには百万の研究有機体が続い ているからです。

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