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研究ノート : 表現の自由をめぐる憲法と国際人権 法の距離 : 自由権規約委員会一般的意見34の検討 を中心に

著者 東澤 靖

雑誌名 明治学院大学法科大学院ローレビュー = Meiji

Gakuin University Graduate Law School law review

号 16

ページ 93‑111

発行年 2012‑03‑31

その他のタイトル Interval on Freedom of Expression between

Constitutional Law and International Human

Rights Law : Focusing on the General Comments

No.34 of the ICCPR Human Rights Committee

URL http://hdl.handle.net/10723/1087

(2)

1.はじめに

表現の自由(Freedom  of  Expression)は,各 国の憲法においてもそうであるように,国際人権 法においても他のすべての権利保障の試金石とさ れる権利である(Nowak:p.438) 。遡ればフラン ス人権宣言において「人の最も貴重な権利」とさ れていた思想及び意見の伝達の自由は

(1)

,国際人 権法の起源とされる世界人権宣言19条(1948年)

において「意見及び表現の自由」として採用され た。そして,日本も批准している自由権規約(市 民的及び政治的権利に関する国際規約)における 表現の自由(19条)は,この世界人権宣言と1953 年のヨーロッパ人権条約(人権及び基本的自由の 保護のための条約)10条の構造と内容を踏まえて 制定された(Nowak:p.440) 。

しかしながら,日本国内の事件において国際人 権法における表現の自由の法理は,国際人権法の 他の権利保障の分野に比較すると,それが活用さ れてきたとは言い難い。後に触れるように,最高 裁判所で表現の自由の保障が問題となった事件に おいても自由権規約やヨーロッパ人権条約の先例 が引用された例は少なくないが,最高裁は国際人 権法における表現の自由に特別の意味を見いだす ことを拒否してきた。日本の憲法学説も,表現の 自由に関してはアメリカの判例法理における豊富 な理論的蓄積に支えられながら,表現の自由につ いては自由権規約よりも憲法の保障が厚いのであ るから,裁判所において自由権規約における表現 の自由の保障が独自の役割を果たすことはないと いう理解が一般的であったように思われる(横

田:220頁) 。

他方で,自由権規約の保障する権利の内容は,

個人通報制度による個別事件の審査を通じ,ヨー ロッパ人権条約に次いで,豊富な先例が形成され ている。自由権規約のもとで締約国の履行状況を 監視する自由権規約委員会(以下, 「委員会」 )は,

締約国の定期報告書審査に関連して委員会の一般 的な性格を有する意見(一般的意見)を採択する ことが認められているが(自由権規約40条4項) , そうした一般的意見は,最近においては,委員会 の先例に基づく法理が示されるようになってい る。表現の自由については,委員会は,その活動 の初期に一般的意見10を採択したことがあった が,それはわずか4項目のみの簡単なものであっ た

(2)

。しかし,最近になって委員会は,一般的 意見10に代わる,一般的意見34を公表した

(3)

。 すなわち,委員会は,その第94会期(2008年10月)

において規約第19条(表現の自由)に関する一般 的意見10(1983)の改訂を行うことを決定し,報 告者に指名されたO’Flahertyが提出した草案を 第97会期(2009年10月)から第100会期(2010年 10月)にかけて検討した

(4)

。その後,草案を国連 人権高等弁務官事務所のウェブサイトで公表して 寄せられたコメントを考慮に入れながら,委員会 は,第101会期(2011年3月-4月)及び第102会期

(2011年7月)で検討を継続し,第102会期(2001 年7月21日)において,一般的意見34を採択し た

(5)

。この一般的意見34は,全52項目に及ぶ長文 のものであるが,個人通報事件の先例や締約国の 報告書審査の結果を踏まえて,具体的な事例に則 した法理を提示している。

以下では,この一般的意見34を参照しながら,

『明治学院大学法科大学院ローレビュー』第16号 2012年 93−111頁

研究ノート:表現の自由をめぐる憲法と国際人権法の距離

―自由権規約委員会一般的意見34の検討を中心に―

東 澤  靖

(3)

表現の自由の保障が意味する内容,そしてそれに 対する制限が正当化される場合について,自由権 規約と日本の憲法法理の異同を検討する。憲法に おける表現の自由については,最高裁判所を中心 として日本の裁判所が「公共の福祉」を理由に表 現の自由に対する制限を容易に認める傾向を持つ ことに対し

(6)

,日本の憲法学説がアメリカやドイ ツの憲法判例を参考にして,より密度の高い審査 を求めてきた。 本稿ではそのような状況に対して,

自由権規約における表現の自由の保障,とりわけ 委員会の示す解釈が,何らかの意味を持ちうるの かどうかを考える。

なお,以下では,頻繁に引用または参照する文 献は,文献名を末尾に記載し,その略称を文中で は注ではなく括弧内で示すこととする。

2.表現の自由の保障対象

形式面における自由権規約と憲法の異同

表現の自由に関する自由権規約19条と憲法21条 1項の文言を比較すれば,そこにはいくつかの形 式的な相違点を指摘することができる。第1に,

自由権規約19条は,表現の自由(2項)のみなら ず,「干渉されることなく意見を持つ権利」とい う,意見を持つ自由をも対象としている(1項) 。 第2に,憲法21条1項は,「言論,出版その他一 切の表現の自由」をその内容とし,自由権規約19 条2項は,表現の自由の内容を,「口頭,手書き 若しくは印刷,芸術の形態又は自ら選択する他の 方法により,国境とのかかわりなく,あらゆる種 類の情報及び考えを求め,受け及び伝える自由を 含む。」と定義している。第3に,自由権規約は 表現の自由に引き続く20条において,戦争宣伝及 び差別唱道を法律で禁止することを締約国に求め ている。このことは,もちろん特定の表現の禁止 を要求する規定を持たない憲法とは対照的であ る。以下では,そのような自由権規約と憲法との 形式的な相違を中心に,表現の自由の保障対象に 関する異同を検討する。

盪 意見を持つ自由

自由権規約19条1項が保障する「干渉されるこ となく意見を持つ権利」は,あらゆる意見を対象 とし,意見を選択・変更しあるいは表明しまたは 表明しない自由を含み,意見を理由に規約上の権 利を妨げられたり,犯罪とされたり,嫌がらせ,

威嚇,汚名を着せることを禁止することを内容と する(一般的意見34第9項,第10項)。この権利 に対しては,規定上,制限を許容する場合を定め る自由権規約19条3項の適用はなく,いかなる例 外または制限も許さない権利であるとされる(同 上,一般的意見10第1項) 。

表現の自由と意見を持つ自由とを同種の権利と して保障する規定の仕方は,世界人権宣言19条に 見られるものである。しかし,自由権規約には,

思想・良心及び宗教の自由を保障する18条が存在 し,意見を持つ自由は,それらの自由と重なり合 うとされている(Nowak:p.441) 。意見を持つ自 由と思想の自由との区別については,必ずしも明 確ではない(阿部:241頁) 。両者の関係について は,意見は思想・良心ほどのまとまりを持ってい ないものを含む(横田:215頁) ,あるいは「思想」

とは宗教的またはその他の信条に近く,「意見」

とは政治的信念あるいは世俗的な事項に関わるも の,などとの説明がなされているが(阿部:241 頁),表現の自由の条項に置かれた特別の意義を 主張する文献はないようである。

意見を持つ自由に対する制約の典型例として考 えられるのは,強制,威迫あるいは同様の不当な 方法により,本人の意思に反してあるいはその同 意を得ないで,意見の形成に影響を与えることで ある(Nowak:p.442) 。例えば,韓国の行刑運営 法の下で刑務所の処遇や仮釈放の誘因をもって受 刑者の政治的意見の変更を図るべく設けられてい た「思想改造制度」について,委員会は,意見を 持つ権利の違反を認めた

(7)

自由権規約の意見を持つ自由ならびにそれと重 なるとされる思想・良心の自由(18条)は,憲法 においては,思想及び良心の自由を定めた19条で 同様の保障がなされていると考えられる(横田:

219頁) 。しかし,その保障対象とされる思想及び

(4)

良心については,人格形成に役立つ内心活動など 一定の内心活動に限定しようとする考え方(限定 説)が有力であり

(8)

,最高裁もそのような立場に 立つ

(9)

。また,思想・良心に対する制約について も,最高裁は,思想・良心の強制,禁止または告 白強制と,思想・良心と異なる外部的な強制(間 接的な制約)とを区別し,後者に対し必要かつ合 理的な制限を可能なものと判断している

(10)

。こ れらの関係については,さらに検討を必要とする ところである。

表現の自由の内容

表現の自由の性格について,委員会は,人格の 完全な形成に欠かせないという自由と自由で民主 的なすべての社会の基礎である自由という側面を 持ち,両者は密接不可分であるとする(一般的意 見34第2項)。この表現の自由は,個人的な自律 としての市民的自由と,社会的な参加のための政 治的自由との複合的な性格を持つものとして説明 されることもある(Nowak:pp.438〜440) 。この ような理解は,しばしば自己実現の価値と自己統 治の価値として説明される憲法上の表現の自由に 対する理解と符合する

(11)

自由権規約のもとで保障される表現は,内容は

「あらゆる種類の情報及び考え」 (19条2項)であ る(一般的意見34第11項)。委員会は,そのよう な立場で,過去の通報事例を踏まえて,政治的談 話,自らへの取扱いや政治に関する論評,選挙運 動,人権に関する議論,報道,文化的及び芸術的 表現,教育,宗教言説,商業上の宣伝,極めて攻 撃的な表現も,後に検討する19条3項所定の制限 には服しながらも,保障対象に含まれるとしてい る(同上)。また同様の理由で,ポルノグラフィ ーも含まれる(Nowak:pp.443〜444) 。ここには,

かつてアメリカ憲法の判例理論に存在していたと される保護される表現と保護されない表現との区 別

(12)

は,存在しない。その意味では,憲法の表 現の自由においても一般に取られている,どのよ うな情報及び考えであっても表現の自由の枠外に おくことなく保障対象に含めた上で,それに対す る制約の是非を検討するという考え方

(13)

に近い。

なお,憲法の場合には,営利的な目的でなされる 営利広告が表現の自由の保障対象となるかについ て議論が存在し,最高裁もこの点について明言し ていない

(14)

。しかし委員会は,ケベック州での フランス語以外での広告禁止が問題とされた事件 で,商業的活動は表現の自由には含まれないとす る締約国側の主張を排斥し, 「委員会の意見では,

屋外広告の形態を取る表現の商業的要素は,保護 された自由の範囲から本件の表現を取り除く効果 を持たない。委員会は,また,上記の形態の表現 のいずれかが,特定の形態の表現は他よりもより 広汎な制限を受けるかも知れないという結果を伴 う,異なる程度の制約を受けるということにも同 意しない。 」と述べた

(15)

またその表現の手段についても, 自由権規約は,

「口頭,手書き若しくは印刷,芸術の形態又は自 ら選択する他の方法により」 (19条3項)として,

あらゆる種類の表現とその普及手段が含まれると する(一般的意見34第12項)。委員会は,そのよ うな立場で,過去の通報事例を踏まえて,書籍,

新聞,パンフレット,ポスター,垂れ幕,服装,

法的提出物,視聴覚表現,電子表現及びインター ネットを使った表現形式を例としてあげている

(同上)。この点は,「その他一切の表現の自由」

という条文を根拠に,保障の対象は発表する手段 を問わないとする憲法に対する理解

(16)

と同じで ある。

委員会は,そのような内容や手段に制限を設け ない表現の自由を前提に,一般的見解34において は,自由で検閲も妨害も受けないメディアの報道 の自由と公衆のそれを受け取る権利について詳細 な意見を述べている(13項から17項) 。

情報アクセス権

自由権規約が表現の自由の名の下に保障するの は,単に情報及び考えを他に伝えることだけでは なく,「求め,受け及び伝える自由」(19条2項)

である。求める自由と受ける自由について,一般

的意見34は,情報アクセス権(Right of access to

information)という表題のもとに,他の規約上

の諸権利と複合的な権利としてその具体例を示し

(5)

ている(一般的意見34第18項)。すなわち,政治 に参与する権利(25条)との関係では,メディア が政治に関する情報にアクセスできる権利や一般 大衆がメディアの伝える事項を受け取る権利があ る。私生活等への干渉などからの保護(17条)と の関係では,自己に関する個人情報を確認し,誤 った情報の修正を求める権利がある。また,被収 容者の権利との関係(10条)では受刑者が自己の 医療記録にアクセスする権利,公正な裁判を受け る権利(14条)との関係では刑事被告人の情報に 対する諸権利,その他規約上の権利一般に関する 情報を享受できる権利(2条),少数民族がその 生活様式や文化を著しく損なう政策について政府 に情報共有を求める権利(27条)なども,情報ア クセス権の一内容だとされる。さらに政府が持つ 公益情報へのアクセスを可能とするための情報公 開法のような手続も,情報アクセス権を実効あら しめるために必要とされる(一般的意見34第19 項)。情報アクセス権が締約国に義務づけるもの が,個人の情報へのアクセスを政府機関が妨げて はならないという消極的な側面に止まらず,情報 へのアクセスを積極的措置により可能とすること までを含むのかには議論があるが(Nowak:

p.447) ,委員会は特に区別は設けていない。上記 の一般的意見34においては,個人がなんらの手続 によることなしに公益情報を直ちに取得できる権 利を保障しているとは解されないが, 「締約国は,

また,各人が情報にアクセスする際に必要な手続 を,情報公開法のような方法によって,定めなけ ればならない。 」 (第19項)と述べていることから は,少なくともそのような情報公開の制度を設け ることが締約国の義務であるとの立場に立ってい るものと思われる

(17)

個人通報事件で情報アクセス権が問題とされた 典型的な事例としては,カナダ政府が議会の報道 施設の利用について,記者クラブの会員ではない メディアには暫定パスしか与えず,その結果,非 会員のメディアは議会傍聴時のメモの採取を含む 利便を認められなかった事件において,政府が民 間の記者クラブにそのような排除の権限を許して いることが,規約19条2項に違反すると判断した

ものがある

(18)

。また,ウズベキスタン政府が少 数民族のタジク語新聞の発行許可を取消し,再申 請も認めなかったことについて,新聞の発行者に ついては情報を伝える自由,新聞の読者について は情報や考えを受ける自由を侵害するものである と判断した

(19)

憲法は,以上に述べた情報アクセス権について は,それを明示的には認めていないが,情報を受 け取る自由や情報を求める権利,あるいは情報開 示請求権の意味での「知る権利」も,憲法の解釈 によって判例または有力な学説によって認められ ているとされる(横田:219頁)

(20)

。実際に,未 決拘禁者の拘置所内での新聞の閲読の自由が問題 となった事件で,最高裁は,「自由に,さまざま な意見,知識,情報に接し,これを摂取する機会 を持つこと」は,思想・良心の自由と並んで,

「表現の自由(中略)の趣旨,目的から,いわば その派生原理として当然に導かれる」と判断し た

(21)

。その意味では,情報を受け取る自由が表 現の自由に含まれることは判例上も確立してい る。しかし,情報を求める権利をめぐる判例の状 況は,より詳しく検討してみる必要がある。メデ ィアの情報アクセス権である「取材の自由」につ いては,最高裁は,著名な博多駅テレビフィルム 提出命令事件の判決で,報道が国民の「知る権利」

に奉仕するとの認識のもとに報道の自由は憲法21

条の保障のもとにあるとしながら,報道のための

取材の自由は「憲法21条の精神に照らし,十分尊

重に値するものと言わなければならない」と判断

した

(22)

。この判決は,取材の自由を憲法21条の

直接の保障対象には含めず,あくまで尊重に値す

る対象としてそれに対する制限が認められるべき

かどうかは「諸般の事情を比較考量して決せられ

るべきである」として,結論として提出命令を受

忍すべきものとした

(23)

。記者クラブに属しない

米国弁護士が刑事公判を傍聴する際にメモの採取

を裁判所に求めて拒否されたレペタ事件におい

て,最高裁は,情報等に接しこれを摂取する自由

は表現の自由から当然に導かれるとしたが,筆記

行為の自由は,「憲法21条1項の規定の精神に照

らして尊重されるべきであるといわなければなら

(6)

ない」と判断した

(24)

。この判決も,問題となっ た法廷でのメモの自由を憲法21条の直接の保障対 象には含めず,あくまで尊重されるべきものにと どまることから,「憲法21条1項の規定によって 直接保障されている表現の自由そのものとは異な るのであるから,その制限又は禁止には,表現の 自由に制約を加える場合に一般に必要とされる厳 格な基準が要求されるものではない」とした。こ のように,最高裁は,取材や法廷でのメモなど情 報を求める権利については,表現の自由の直接の 保障対象には含めずに,それに対する制限も緩や かな審査で足りるとしている。このような,二段 階の論法は,自由権規約の情報アクセス権をめぐ っては存在しない。

水平的効力

人 権 条 約 に お け る 水 平 的 効 力 ( H o r i z o n t a l Effects)とは,政府による権利侵害ではなく,

私人による権利侵害に対して保護のための措置を とる義務を,締約国に発生させる効果であり,規 約の「法律による保護を受ける権利」などの用語 から導き出される(6条1項,17条2項,23条,

24条など)。水平的効力は,あくまで締約国に一 定の措置を取ることを義務づける効力であるとい う点で,人権が私人間の法関係にも影響を及ぼす という意味での人権の「第三者効力」あるいは

「私人間効力」とは区別される(Nowak:p.39) 。 委員会は,意見及び表現の自由を尊重する義務 は,「締約国に対し,規約の権利が私人又は法人 間に適用される場合において,意見及び表現の自 由についての権利の享受を損なうような私人又は 法人によるいかなる行為からも個人を保護するこ とを求めている。」として,規約19条の権利にも 水平的効力が存在することを前提としている(一 般的意見34第7項)。その前提のもとで,すべて の人の表現の自由に干渉するようなメディアによ る支配を阻止するための効果的措置やメディアの 独占及び集中を防止することを締約国に求めてい る(同上第40項)。意見及び表現の自由における このような水平的効力の存在は,意見の自由につ いては「干渉されることなく」という文言が附さ

れていることから(Nowak:p.441)

(25)

,また,

表現の自由についてもその権利の規定の仕方と起 草 過 程 か ら , 認 め ら れ て い る と 解 釈 さ れ る

(Nowak:p.448) 。

自由権規約において表現の自由についてこのよ うな水平的効力を認めた起草過程での意図は,民 間の経済的利益やメディアの独占が情報の自由な 流通に対してもたらす害悪は政府による検閲と同 様のものであるので,そのような害悪を排除する ために政府が積極的な措置を取ることを義務づけ たものである(Nowak:p.448) 。このような起草 過程での問題意識は,後述する表現の自由に「特 別の義務及び責任」(19条3項)を課した理由と 同様である(Nowak:pp.449,458)。表現の自由 の水平的効力に関わる事例として,委員会は,前 述した政府が議会の取材について民間の記者クラ ブに非会員のメディアを排除する権限を許してい る こ と を 規 約 1 9 条 2 項 に 違 反 す る と 判 断 し た Gauthier  v.  Canada事件をあげている(一般的意 見34第7項注8)。また,委員会は,ジャーナリ ストや人権に関する情報の収集,分析あるいは報 告に関わる人々(裁判官や弁護士を含む)に対す る脅し,威嚇あるいは攻撃について,締約国が積 極的に調査し,加害者を訴追し,被害者が適切な 救済を受けられるようにすべきであるとしている が(同上第23項),このような締約国の義務もま た水平的効力に基づくものであると考えられる。

憲法において解釈上認められている私人間効力 あるいは間接的効力が

(26)

,こうした水平的効力 とは区別されることはすでに指摘したとおりであ る。他方で,憲法の人権条項には,政府による人 権侵害だけではなく,私人間での侵害を排除する ことを政府に義務づけたと解釈される条項が存在 する

(27)

。また,メディアの集中や巨大メディア による情報の流通制限を排除する義務を認めるよ うな法制は実際に存在する

(28)

。ドイツ憲法にお ける議論を参考にした,政府は個人の基本権を他 人による侵害から保護する義務を負うとする基本 権保護義務論

(29)

に立てば,憲法の人権保障規定 に水平的効力を認める可能性も生じる。さらに,

表現の自由においても,政府は国民が表現の自由

(7)

を享受するために必要な様々な施策を行う政治的 責務を負うとする見解

(30)

,21条には言論の多様 性と情報の自由な流れを確保するために政府が援 助 す べ き 積 極 的 責 務 が 含 ま れ て い る と す る 見 解

(31)

なども見られる。

しかし憲法の議論状況を踏まえれば,自由権規 約の意見及び表現の自由に認められているような 水平的効力は,憲法においてただちに承認される という状況にはない。政府による表現の自由に対 する干渉を極力排除しようとする憲法理論におい て,そのような政府の積極的義務を認めることが 干渉の口実を与えることになるという懸念も存在 すると考えられる。他方で,憲法解釈においても 政府が社会において情報の自由な流れを確保すべ き「責務」は否定されていない。それゆえ自由権 規約19条に基づく効果として,政府に対して「意 見及び表現の自由についての権利の享受を損なう ような私人又は法人によるいかなる行為」から個 人を保護するという水平的効力に基づく義務を課 すことも,規制を受ける者の権利に対する許容さ れない制限とならない限り,憲法の表現の自由に 抵触するものとはならないと考えられる。

この水平的効力が国内の実際の事件で問題とな るのは, 私人間で表現の自由が侵害された場合に,

政府が情報の自由な流れを確保するために必要と される立法や行政措置をとっていなかったことが 政府の違法な不作為であったとして国家賠償が求 められる事案である。そのような立法不作為や行 政措置の不作為に関する国家賠償法の判例は,表 現の自由に関わるものは見当たらないが,一般に 政府の責任を認めることに消極的である

(32)

。表 現の自由をめぐって,実際に政府の不作為の違法 性が争われるような事件が発生した場合には,憲 法に関するこれまでの判例と,委員会が認める意 見及び表現の自由に関する水平的効力との間に は,相応の隔たりが生じる可能性がある。

戦争宣伝・憎悪唱道の禁止

自由権規約における表現の自由が,憲法と抵触 する可能性が最も大きいと指摘されるのが,自由 権規約19条に引き続いて規定されている戦争宣伝

と憎悪唱道の禁止である(20条)。この条項に対 しては,憲法との関係で「『表現の自由』等と正 面から衝突することは明らかである。」との評価 もある(横田:222頁) 。確かに,特定の内容の表 現を表現の自由の枠外において一切の保障を与え ないのであれば,前述したようにどのような情報 及び考えであっても表現の自由の枠外におくこと はないという憲法による保障を制限する結果とな る。他方で,表現内容に基づく規制を原則として 禁止する「米国型表現の自由」とナチス・ドイツ の経験の上に立ってヘイト・スピーチ (憎悪表現)

を禁止する法律を持つヨーロッパ諸国やカナダを 対照させ,誰にとって保障が手厚いのかという問 題であるとして,むしろ「米国型表現の自由」が ヘイト・スピーチの引き起こす害悪に不十分な関 心しか向けていないことを指摘する論評もある

(阿部:238〜239頁)

(33)

自由権規約20条は,その起草過程において,一 方で戦争宣伝・憎悪唱道を制限するためには自由 権規約19条3項を適用すれば足り独立の条項とす る必要はないとする見解や,他方でそれらに対処 するためには刑罰による禁止を義務づける規定を 設けるべきだとする見解など,激しい議論の中で 設けられたとされる(Nowak:p.470) 。自由権規 約20条に対しては,少なからぬ西側先進国が留保 や解釈宣言を行っているが

(34)

,日本はそれをし ていない。

自由権規約20条により締約国に法律上の禁止を 義務づけているのは,具体的には,「戦争のため のいかなる宣伝」(同条1項)及び「差別,敵意 又は暴力の扇動となる国民的,人種的又は宗教的 憎悪の唱道」である(同条2項)。ここで禁止の 対象となる戦争宣伝や憎悪唱道については,表現 を禁止する対象としては不明確あるいは立法で限 定するとしても著しく困難だとの評価もあるが

(横田:223頁),委員会が締約国に求めているの は,それらの文言をそのまま用いて規制対象にす ると言うことではなく,「そこで規定された宣伝 及び唱道が公序に反することを明確にし,かつ,

侵害の場合に適切な制裁を定める法律が存在しな

くてはならない。 」 (一般的意見11(1983年)第2

(8)

項)

(35)

ということであり,立法による具体化は 締約国に委ねていると考えられる。委員会は,戦 争宣伝について「国際連合憲章に反する侵略行為 又は平和の破壊の威嚇又はこれをもたらすあらゆ る形態の宣伝」(同上)と説明するが,憎悪唱道 については条文の文言以上の説明を加えていな い。

これらの禁止と表現の自由との関係について委 員会は,かねてより自由権規約20条は,自由権規 約19条の表現の自由の権利と完全に両立するとの 立場を取ってきたが(一般的意見11第2項),実 際の通報事件での判断は数が少ないながらも一貫 したものではなかった(Nowak:pp.476〜47 9)

(36)

。カナダ政府が,国内の人権法に従い,ユ ダヤ民族の危険性を警告する電話サービスを行っ ていた団体を電話サービスから排除した事件で,

委員会は, 「 (通報者)が電話システムを用いて普 及させることを求める意見は,規約20条2項のも とでカナダが禁止する義務を負う人種的または宗 教的憎悪を明らかに構成する。それゆえ,委員会 の意見では,通報はこの請求に関して,選択議定 書3条の意味において規約の規定と両立しない。」

と述べて,通報自体を非許容とした

(37)

。しかし,

ナチスのガス室の存在を否定した大学教授を国内 法に従い処罰したフランスの事件においては,委 員会は,上記の先例を引用して憎悪唱道に関する 表現に関する通報が非許容だとするフランス政府 の主張を採用せず,逆に,自由権規約20条に言及 することなく,「表現の自由に対するいかなる制 限も以下の諸条件に累積して合致しなければなら ない。」と述べて自由権規約19条3項に定める基 準で審査し,本件の制限はそれらの条件を満たす ものだと判断した

(38)

。さらにその後の,出版や メディアで反ユダヤ的見解を表明してきた教師 が,同じ地区の学校の子ども親からの人権委員会 への申立をきっかけに調査を受け,ユダヤ人生徒 へのハラスメントを理由に非教育職に異動された 事件で,委員会は,通報は非許容だとするカナダ 政府の主張に対し,「そのようなアプローチは確 かにJ.R.T.  and  W.G.  v  Canada事件の決定で採用 されたが,委員会は規約20条の射程に入る表現の

制限もまた,表現への制限が許されるかどうかの 要件を設定した19条3項のもとで許されるもので なければならないと考える。」と述べて制限の正 当性についての審理を行い,結論として処分は規 約に違反しないと判断した

(39)

委員会は,一般的意見34に至って,両者の関係 を明確にし,自由権規約20条で禁止される戦争宣 伝・憎悪唱道を表現の自由の例外として排除する のではなく,同条を自由権規約19条の特別法であ るとの理解を示した(一般的意見34第51項)。す なわち,自由権規約20条は,それに該当する行為 に対して法律によって禁止する義務を締約国に負 わせるが,だからといってそれらの行為を表現の 自由の枠外とするわけではない。戦争宣伝・憎悪 唱道に対する法律上の禁止もまた,表現の自由に 対する制限が許される場合を定める自由権規約19 条3項に厳格に従って正当化される必要がある

(同上第50-52項)

(40)

。委員会は,この意見を述べ るにあたって,先に紹介した後の二つの事件の見 解のみを引用し,非許容とした最初の事件は引用 していない。委員会のこのような理解に立てば,

自由権規約20条の戦争宣伝や憎悪唱道も,自由権 規約19条3項所定の目的と手段によってしか制限 が正当化されないという点で,表現の自由として の保護を受ける点では,他の表現とは異ならない ことになる。

以上を踏まえて自由権規約20条の日本における 意義を考えたい。 いうまでもなく憲法においては,

戦争宣伝・憎悪唱道あるいはヘイト・スピーチの 禁止を義務づける規定はない。他方で,自由権規 約の締約国である日本は,戦争宣伝・憎悪唱道を 法律で禁止する条約上の義務を負っていることに なる。そのため,この義務を日本が履行すること は憲法21条と矛盾することになるとの指摘もある

(横田:225頁)

(41)

。しかし,ただちにそのように は言えるかは疑問である。

まず,日本の憲法理論が強く依拠してきたアメ

リカにおいて,ヘイト・スピーチに対する連邦最

高裁の解釈は一様ではなく,当初はヘイト・スピ

ーチを刑罰で禁止する州法を合憲とする立場か

ら,後にヘイト・スピーチも表現の自由の保護対

(9)

象とする立場に変遷しているという

(42)

。その意 味では, ヘイト・スピーチを規制すること自体が,

「米国型表現の自由」のもとでも一切許されない と言うわけではない。日本の憲法においては,そ れが採用する平和主義(前文)や戦争・武力の放 棄(9条)という原則のもとで戦争の禁止や平和 は憲法自身の持つ公序と評価できるのであり,一 定のはなはだしい戦争宣伝の禁止は,表現の自由 に対する正当な規制目的となり得るであろう。ま た,憎悪唱道についても,暴力の扇動にわたる表 現は従来も正当な規制目的として認められてき た。国民的,人種的又は宗教的な差別の禁止につ いても,政府による差別を禁止する憲法14条1項 の内容が社会における公序となることを承認し,

差別や敵意の扇動という一定の表現に対する,正 当な規制目的と考えることは十分に可能である。

他方で,委員会の立場に立てば,戦争宣伝・憎 悪唱道の内容の表現もそのこと故に表現の自由の 保障対象外となるわけではなく,その保障を受け た上で,それを制限する法律の正当性が一定の基 準のもとで審査されることになる。 そうであれば,

自由権規約19条3項のもとでの審査が憲法上正当 化されないような表現の自由に対する過度の規制 を認めるようなものでなければ,憲法21条との矛 盾という問題は生じない。そして,後に検討する ように自由権規約19条3項のもとでの審査は,日 本の表現の自由の制限に関する判例理論に比べて むしろ厳格なものである。また,従来の憲法理論 のもとでは問題とされなかった特定の表現内容に 対して,あらたに規制を設けること自体が,直ち に憲法21条違反とされるわけではない

(43)

以上を踏まえれば,日本においても表現の自由 の保障を強化しながら,自由権規約20条の義務を 具体的に実行する法律を制定することは,真剣に 検討すべき課題である。自由権規約上の義務は,

憲法によって保障された諸権利の内容についての 解釈だけでなく,権利の制限を正当化しうる目的 とは何かについての解釈についても指針を与える からである

(44)

。ただし,実際に戦争宣伝・憎悪 唱道を禁止する立法を行うに際しては,憲法理論 において一般に承認される明確性の原則に従い,

禁止される表現内容と行為手段について具体的な 定義規定を設ける,あるいは,公正な第三者機関 による命令や勧告などの事前の警告を与えてそれ に従わない場合にのみ制裁の対象とするなど,表 現を行う者にとって禁止対象の予見が可能となる 仕組みを設ける必要がある。

3.表現の自由に対する許される制限

自由権規約19条3項の構造

これまで検討してきた自由権規約19条2項の表 現の自由に対しては,同条3項において制限を課 すことができる要件が規定されている。 もともと,

自由権規約における人権の制限方式は,人権規定 ごとに個別的に規定されているが

(45)

,表現の自 由に対する個別の人権制限規定が同条3項であ る。なお,自由権規約には,その総則的な規定に おいて,他者の権利及び自由の破壊などを許さな い旨を述べる規定(5条1項),公の緊急事態に おける一時的な措置に関する規定(4条)も存在 するが,前者の規定は個別の人権制限規定と別個 に制限の根拠として用いられているわけではな く

(46)

,後者の規定も例外的で一時的な性格のも のであり,かつ,当該国民の生存が脅かされてい る間のみ継続しうるものと理解されている

(47)

。 それゆえ,それらの実際には用いられていない規 定に関してはここでは検討しない。

まず,自由権規約19条3項には,表現の自由の

「行使には,特別の義務及び責任を伴う。 」との規

定がある。自由権規約の他の権利にはこのような

規定は存在しない。この規定に対しては,ほぼ絶

対的な保障が認められるべき表現の自由にかかわ

る規定としては不適切であるとの批判も加えられ

る(横田:217頁) 。国際人権法において,権利の

行使に際して社会に対する義務を要求することは

世界人権宣言29条に存在し,また,ヨーロッパ人

権条約10条2項にも表現の自由の行使に際しての

義務及び責任が規定されている。自由権規約19条

3項におけるこの規定は,表現の自由が他者の権

利,とりわけプライバシーを侵害する可能性があ

ることから国際人権法の一般原則として他者の権

(10)

利を尊重する義務を特に述べたもの,あるいは,

マスメディアによる権力の濫用に対抗する趣旨で 規定され,また,前述の水平的効力,すなわち社 会における情報の流通を保障する締約国の義務を 補強する規定であると説明される(Nowak:

pp.458〜459)。委員会の一般的意見においては,

この規定については,それに引き続く権利制限の 要件を説明する前提として用いられているが,こ の規定自体に特別の意味を与えることはされてい ない(一般的意見10第4項,一般的意見34第21 項)

(48)

。そうであれば,表現の自由の解釈適用上,

この規定が表現の自由の制限を正当化する特別の 意味が与えられているとは言えない。

自由権規約19条3項によれば,表現の自由に対 する制限が許されるのは,その制限が,①法律に よって定められ,②所定の目的のいずれかのため に行われ,かつ,③その目的のために必要とされ る場合である。所定の目的は,(a)他の者の権利 又は信用の尊重,または,(b)国の安全,公の秩 序又は公衆の健康若しくは道徳の保護に限定され ている。

委員会は,後に検討するこれらの要件の適用に 加えて,自由権規約19条3項の制限規定の適用に おける総論的な留意点をいくつか示している。ま ず表現の自由に対する制限は,権利自体を危うく するものであってはならず,また,権利と制限と の間の関係及び規範と例外との間の関係を逆転す るようなものであってはならないとの注意を喚起 している(一般的意見34第21項)。また,委員会 は,多党制民主主義,民主的思想及び人権の擁護 を封じること,あるいは表現の自由を行使したこ とを理由に恣意的な逮捕,拷問,生命を脅かす行 為及び殺人などの攻撃を加えることは,いかなる 場合でも正当化されることはないとしている(同 上第23項) 。さらにこれは当然のことであろうが,

表現の自由を制限する法律は,自由権規約19条3 項の要件に従うだけでなく,規約の他の規定,趣 旨及び目的に反するものであってはならないとす る(例えば差別や体罰) (同上第26項) 。

以上の自由権規約の権利制限方式に比べて,憲 法ではその総則的規定である13条の 「公共の福祉」

が権利の制限規定として用いられており,包括的 なものと言うことができる

(49)

。この「公共の福 祉」が何を意味するかについては,各種の学説が 唱えられてきたが

(50)

,その内容を厳密に定義,

限定する最高裁判例は見当たらない。この包括性 と定義,限定の不存在の故に,国際人権法の観点 からは,最高裁判例における「公共の福祉」の用 いられ方などを理由に,「この概念が本質的に,

それを解釈・適用すべき裁判所の判断いかんで,

過度に人権を制約し,濫用される危険性をもつ原 理であることを意味する。 」

(51)

という批判が加え られることになる。委員会も,日本に対しては,

その定期報告書の審査において,次のように繰り 返し問題点を指摘し,改善を求めてきた。

委員会は,「公共の福祉」に基づき規約上の 権利に付し得る制限に対する懸念を再度表明す る。この概念は,曖昧,無制限で,規約上可能 な範囲を超えた制限を可能とし得る。前回の見 解に引き続いて,委員会は,再度,締約国に対 し,国内法を規約に合致させるよう強く勧告す る

(52)

委員会は,「公共の福祉」が,恣意的な人権 制約を許容する根拠とはならないという締約国 の説明に留意する一方,「公共の福祉」の概念 は,曖昧で,制限がなく,規約の下で許容され ている制約を超える制約を許容するかもしれな いという懸念を再度表明する。 (第2条)

締約国は,「公共の福祉」の概念を定義し,

かつ「公共の福祉」を理由に規約で保障された 権利に課されるあらゆる制約が規約で許容され る制約を超えられないと明記する立法措置をと るべきである

(53)

このような批判が妥当なものであるかどうかを 考えるためには,まず,個別的制限方式として,

自由権規約19条3項が規定するそれぞれの要件が

意味するところを検討する必要がある。

(11)

法律による制限

表現の自由に対する制限は,法律によるもので ある必要がある。委員会は,この法律の意味につ いて特段の定義をしておらず,議会の規則や法廷 侮辱罪を含める点で必ずしも議会立法には限定し ていないが,伝統,宗教あるいは慣習のもとでの 法は除外している(一般的意見34第24項)。非成 文法を用いるコモンロー諸国など各国の法制度の 違いを考えれば,一律に議会立法を前提とするこ とは困難であろう。他方で,委員会は,法律で定 めることを要求する実質として,「法律」とみな される規範は,自由を行使する者が制限の対象を 認識できるように,十分な精密さ(sufficient precision)を持つこと,一般に公開されている こと,適用する者に無制限の裁量権を与えるもの ではないこと,十分な指針を提供するものである こと,などを要求している(同上第25項)。委員 会での表現の自由に課された制限の審査において は,締約国は,当該法律とそれに定められている 措置に関する詳細を提示すべきだとしている(同 上第27項)。例えば委員会は,大統領選に立候補 した後に逮捕や自宅軟禁が繰り返された通報者に ついて,マダガスカル政府が通報に対応する説明 や具体的答弁を提供しなかったとして19条2項を 含む違反を認めた

(54)

憲法の人権規定においては,一部の例外を除い て人権に対する制限が法律によるべきことを明文 では定めておらず,一般的に人権を制限するため の根拠規定である13条の「公共の福祉」も法律で 定められるべきことは明文では要求されていな い。しかし,個人を拘束し負担を課すような法規 範を設定する権限は実質的意味の「立法」として 唯一の立法機関である国会に属する(43条)と一 般に理解されているので

(55)

,表現の自由を制限 する法規範も国会やそれに準じる民主的機関であ る地方議会(94条),あるいは行政機関が制定す るにしても立法機関の委任が前提とされる。その 意味で,憲法に従う限り,自由権規約の「法律」

の要件や,公開や無制限の裁量権禁止の要請が満 たされないことはない。また,委員会が実質とし て求める,十分な精密さ,言いかえれば表現の自

由を制限する場合の規範の明確性の原則は,表現 の自由に関しては,学説においてもまた判例にお いても一般に承認されている

(56)

。その意味で,

自由権規約の「法律による制限」の要件は,日本 において独自の意味を持つことはほとんどないか も知れない。しかし,最高裁は,表現の自由や集 会の自由の制限を行う法規の不明確性をしばしば 大胆な限定解釈を加えることにより救済してお り

(57)

,そのような限定解釈による手法が委員会 の十分な精密さという基準の下で受け入れられる かどうかには問題がある

(58)

限定された目的

表現の自由に対する制限の目的は前述したよう に限定されている。起草過程においては,制限の 目的を一般的な条項に留めるかすべてを列挙する かについて議論があったが,より項目の少ないリ ストに留めるという意図での妥協によってこのリ ストになったとされる(Nowak:pp.456〜457) 。 委員会は,制限の目的が権利規定ごとに列挙され ている事実のもとで,他の権利の制限の根拠とし て正当化される目的でも,自由権規約19条3項に 列挙されていない目的は,表現の自由を制限する 根拠とはならないとする(一般的意見34第22項) 。 また,制限する法律が列挙された目的のために制 定されたものであることは当然として, 委員会は,

実際の制限の適用においても,適用は列挙された 目的のためにのみなされるべきこと,制限は目的 達成のために直接に関係するものでなければなら ないと述べている(同上) 。

① 他の者の権利又は信用の尊重

他の者の権利または信用の尊重のために表現の

自由に対する制限が正当化される場合があること

は,名誉毀損やプライバシーの侵害などの事例を

想定すれば,特に異論のないところである。委員

会は,それでもそのような制限は慎重に策定され

なければならないと述べ(一般的意見34第28項) ,

たとえば,政府を批判し選挙のボイコットを呼び

かける声明に加わった者に対して,ベラルーシが

ボイコットを禁止する法律により罰金刑を課した

事件で,投票者に対する威迫や強制を処罰の対象

(12)

とすること正当な制限だが,ボイコットの呼びか けは制限の正当な理由にはならないとして自由権 規約19条2項違反を認めた

(59)

。また,「他の者」

とは特定の個人である必要はなく,委員会は,コ ミュニティの構成員としての他の人々を指すこと もあるとし(一般的意見34第28項),前出のカナ ダでの教師の異動に関わる事件で,「19条のもと で保護のために制限が許される他者の権利や名誉 は,他の者あるいはコミュニティ全体に関わるも のでもよい。」と判断して,ユダヤ教の信仰もそ れに含まれるとした

(60)

② 国の安全及び公の秩序

国の安全を表現の自由を制限する目的として認 めることについては,それを口実とした制限が世 界各地で広範に見られるが故に(阿部:249頁),

その漠然さの問題が指摘されることから(横田:

218頁) ,国家の全体に対する政治的または軍事的 脅威の深刻な場合にのみ許される(Nowak:

pp.463〜464) ,あるいは,国の存在自体あるいは 領土保全が脅かされるほど重大な事態でなければ ならない(阿部:249頁) ,などその意味を限定す る試みがなされている。公の秩序についても同様 の問題があり,権利制限の目的としては極めて危 険であるとの指摘もある(Nowak:p.464,阿 部:250頁) 。そのため,公の秩序の内容を,争乱 や犯罪の防止及び民主的社会が基礎とする人権尊 重に合致する普遍的に受容された基本原則などに 限定しようとする試みがある(Nowak:pp.464〜

465) 。国の安全と公の秩序は,個人通報の事例で はセットになって議論されることが少なくないと の指摘もある(阿部:250頁) 。

委員会は,一般的意見においては,国の安全や 公の秩序の概念自体を定義することはしていない

(一般的意見34第30項,第31項) 。国の安全を理由 とする制約については,細心の注意を払って自由 権規約19条3項の要件に従うべきこと, あるいは,

具体的には正当な公益情報の公開に対する抑圧や 自制,そうした情報発信を理由とする起訴は同3 項とは両立せず,また,国の安全を理由とする場 合に民間企業,銀行業務または科学の進歩に関す る情報を含めることは一般的には適切ではないと

述べる(同上第30項)。委員会はその際,韓国に おいて,400キロ離れたストライキを支持し政府 を非難する声明を出した労組代表が労使紛争調整 法違反で有罪とされた事件で,国家の安全や公の 秩序を主張する韓国政府が,通報者の行為がもた らす脅威の精確な性質(the  precise  nature  of the  threat)を特定せず,制限を正当化するに足 りる主張を提出しなかったとして規約19条2項違 反を認めた事例

(61)

を引用している。公の秩序に 関して委員会は,特定の状況下での公共の場にお ける演説の規制,公判手続における法廷侮辱の制 裁などを例としてあげるが,そうした制限も自由 権規約19条3項によって正当化されることを要求 している(同上第31項)。許可を受けないモール での演説を条例違反で罰金刑とした事件では,そ のような条例が公の秩序の保護のためのものだと しても,オーストラリア政府が,通報者の演説に ついて威嚇,不当な混乱その他モールの公の秩序 を危機に陥らせたとは示していないなどの理由 で,処罰は比例性を欠いたものであると判断され た

(62)

。また,スリランカにおける公の場での議 員による最高裁判決批判に対し,最高裁が法廷侮 辱罪として2年の厳重拘禁刑を課した事件で,法 廷侮辱罪は法廷の秩序と威厳を維持する裁判所の 権限の行使とされながらも,表現の自由に関して はそのような刑は不均衡だと判断された

(63)

③ 公衆の健康及び道徳の保護

公衆の健康は自由権規約における他の権利の制 限目的にもすべて存在するが,表現の自由との関 わりは大きくないとの指摘があり,実際には,か らだに有害なタバコ,酒,薬品などの宣伝におい て主張されることが想定される(Nowak:p.466) 。 公衆の道徳の保護を目的とする典型的な制限は,

ポルノグラフィーや冒涜的な表現に対する制限で あるとされる(Nowak:p.466) 。実際に公衆の健 康もしくは道徳の保護に関わる通報はまれである との指摘もある(阿部:251頁) 。

道徳の概念には普遍的な共通基準があるわけで

はないことから,道徳を制限の目的とする場合に

はそれぞれの締約国政府に裁量の余地(margin

of  discretion)を認めることにつながりかねず,

(13)

実際にそれを認めたかのような委員会の決定もあ るが(Nowak:p.466) ,裁量の余地または評価の 余地(margin  of  appreciation)の問題について は,後に検討する。

委員会は,その一般的意見で公衆の健康につい ては触れておらず,また,公衆の道徳についても 定義を行っていない。ただし,公衆の道徳の保護 を目的とする制限については,思想・良心・信教 の自由に関する一般的意見22(1993)の第8項を 引用して単一の伝統のみに由来するものであって はならないという原則に基づくべきこと,また,

人権の普遍性及び差別禁止の原則に照らして理解 されるべきことを述べている(一般的意見34第32 項)。後者の意味するところは,人権を否定する ような道徳,あるいは差別をもたらすような道徳 は,正当な制限の目的とはならないことを意味し ていると考えられる。

以上のような自由権規約において表現の自由の 制限を正当化する目的をめぐる委員会の解釈状況 を検討すると,いくつかの傾向が見て取れる。

第1に,委員会は,それぞれの制限目的につい て,それに何らかの定義を与えて内容を限定しよ うという作業はほとんど行っていない。その結果 として,締約国が,自ら行った制限を自由権規約 所定の制限目的をもって正当化しようとする場合 に,締約国の主張する内容が所定の制限目的に該 当するかどうかという厳密な検討は加えられてい ないようである。このことは逆に,制限の目的の 内容のみによって,締約国の政策を頭から否定す ることの困難さを示しているだろう。第2に,自 由権規約が制限目的として掲げる概念自体,広範 な概念であり,その用い方によっては,表現の自 由に対する過剰な制限を正当化する根拠となるお それは十分に存在する。国の安全,公の秩序ある いは公衆の道徳の保護といった制限目的は,それ が無制約に肯定されるのであれば,逆に表現の自 由に対する脅威となる。第3に,そうであればこ そ委員会は,それらの制限目的の適用において,

特定の類型の表現に対する制限を否定する,脅威 の精確な性質の特定を求める,自由権規約19条3 項への合致を強く求めるなどの形で,制限が許容

される範囲を限定しようとする努力を行ってい る。なお,委員会の見解において,表現内容に関 わる規制においては制限を行う締約国に「脅威の 精確な性質」,具体的には制限を加える表現の危 険の性質,程度及び態様の立証が求められるのに 対し,表現内容に中立的な規制においてはそのよ うな脅威や危険の審査は厳密には行われず,制限 手段の比例性が主に検討されているという指摘も ある

(64)

このように見てくると,先に指摘した表現の自 由に対する制限方式として,自由権規約のように 個別的なものとするか,あるいは,憲法の運用の ように包括的な「公共の福祉」を用いるかによっ ては, それほどの違いは生じないのかもしれない。

結局のところは, 表現の自由を制限するに際して,

政府が何らかの正当な目的を提示するか,そして 実際に行われる制限が,次に検討する必要性によ って正当化されるかどうかが,最も重要な問題と して検討されるべきことになるだろう。

もちろん,先に引用した「公共の福祉」に関す る委員会の日本に対する勧告には正当な理由があ る。自由権規約で保障された権利を制限する場合 には,自由権規約所定の制限事由を用いることが 締約国の義務であり,それを行うことをせずに国 内法である憲法の「公共の福祉」という概念のみ を用いるのであれば,それは条約上の義務に違反 することになる(阿部:246頁) 。実際に,最高裁 判決では,表現の自由に関わる事件に限らず,制 限が自由権規約に違反するものではないという結 論を導くに際して,「公共の福祉」によって正当 化されるという検討以上に,自由権規約に列挙さ れたどの制限目的に照らして正当化されるのかと いう判断は行っていない

(65)

。このような状況に 対して,「公共の福祉」の内容を明らかにするた めに,少なくとも自由権規約の制限事由を適用す べきだ

(66)

,あるいは前述の委員会の勧告のよう に, 「公共の福祉」の概念を定義し, 「公共の福祉」

による制約は自由権規約で許容される制限を超え られないとする立法措置をとるべきだ(前出注

(53)の最終見解) ,ということは十分理由のある

指摘である。ただし,そのことによって表現の自

(14)

由に対する制限の目的が実際上も限定されるとは 限らないことは,すでに指摘したとおりである。

必要性とそれを判断する審査基準

自由権規約19条3項は必要性を要件とするが,

「必要」の意味するところは,多義的でありその 解釈運用次第では,前述の広範な制限目的のもと で多くの制限を正当化してしまうことになりかね ない。そのため,この「必要」の文言の解釈にお いては,学説からそれを厳格に解釈すべきだとす る提案,あるいは具体的に制限目的と制限手段と の間の比例性を要求する提案がなされてきたとさ れる

(67)

委員会は,表現の自由に対する制限が,正当な 目的のために必要であったかどうかの判断におい て,必要性と比例性の厳格なテスト(strict  tests of  necessity  and  proportionality)あるいは比例 原則(the principle of proportionality)に従うべ きことを明らかにしている (一般的意見34第22項,

第34項)。この基準の下で委員会は,自由権規約 12条(移転の自由)に関する一般的意見27(1999 年)第14項で述べた内容を引用しながら,制限の 適切性, もっとも非侵害的な手段であるべきこと,

保護される利益との比例,法律の内容のみならず 適用における比例などの付随的な基準も述べてい る(同第34項)。また,必要性と比例性について は,締約国に,表現と脅威との直接的な関係を示 すことによって具体的かつ個別に示すべきことを 求めている(同35項)。これらの基準は,必ずし も体系的に整理されたものとは言えないが,委員 会が一般的意見34で引用している事例を以下紹介 する。

ベラルーシにおいて,市の中心部で世界人権宣 言を記念する集会の開催を申請したが郊外のスタ ジアムを指定されたため,市の中心部でリーフレ ットを配布した通報者が無許可集会であるとして 逮捕され罰金刑を受けた事件で,委員会は「表現 の自由は民主的社会において最高位の重要性を有 し,この権利の行使に対する制限はそれを正当化 する厳格なテストを満たさなければならない」

(7.3項)として,正当化の根拠を示さない締約国

に19条違反を認めた

(68)

前述のカナダのケベック州でのフランス語以外 での広告禁止の事例で,委員会は「カナダでのフ ランス語圏の集団の脆弱な地位を保護するため に,英語での商業的広告を禁止することが必要と は 考 え ら れ な い 」 と 判 断 し て 1 9 条 違 反 を 認 め た

(69)

。この1993年の委員会の見解は,自由権規 約19条3項に基づく審査基準をはじめて明らかに したとの評価もある

(70)

前述のカナダでユダヤ人生徒へのハラスメント を理由に非教育職に異動された事例で, 委員会は,

通報者に対して取られた「制限は,その保護的機 能を達成するために必要なもの以上には及ばなか った。 」として,19条違反を認めなかった

(71)

韓国において,絵画が利敵表現であるとして国 家保安法により有罪判決を受け絵画を没収された 画家の通報において,委員会は,「締約国は,通 報者の行為によって列挙された目的のいずれかに もたらされる脅威の精確な性質,またなぜ絵画の 押収や通報者の有罪が必要であったのかを,具体 的な形で示さなければならない。」と述べて,そ れをしない締約国の19条違反を認めた

(72)

委員会は,一般的意見34において,以上の総論 的な意見を踏まえて,政治的表現の制限に対する 懸念(第37項,第42項),公人に対する批判や政 治的反論に対する懸念(第38項),メディア規制 における遵守事項(第39項から第41項),インタ ーネットなどの情報伝達における遵守事項(第43 項) ,ジャーナリズムをめぐる遵守事項(第44項,

第45項),テロリズム対策における遵守事項(第 46項),名誉毀損の扱いにおける遵守事項(第47 項),宗教や歴史的事件に関わる表現規制の遵守 事項(第48項,第49項)など,各種の表現に対す る制限にかかわる見解を述べている。

憲法においては,表現の自由の制限に対する審 査基準として,精神的自由権の制限に経済的自由 権の制限に比べてより厳格な審査を求める「二重 の基準」の理論,表現を発表前に抑止することは

(原則として)許されないとする「事前抑制禁止」

の理論,表現の持つ危険性を理由とする制約に対

して用いられる「明白かつ現在の危険」の理論,

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