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刑法から経済刑法へ

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(1)

著者 京藤 哲久

雑誌名 明治学院大学法科大学院ローレビュー = Meiji

Gakuin University Graduate Law School law review

巻 19

ページ 13‑30

発行年 2013‑12‑31

その他のタイトル From Criminal Law to Economic Criminal Law URL http://hdl.handle.net/10723/1765

(2)

I 財産犯と経済刑法

1 刑法と社会

刑法の保護の対象は,個人的利益,社会的利益,

国家的利益の三つに分類されるのが一般である。

この分類は,人が,財産を有し,社会と関わりを もち,そして国や地方自治体のサービスを受ける ことで,その社会生活が成り立っているという現 実を反映している。刑法の保護の対象の三分類が 示唆するように,我々の社会生活は,直接的であ れ,間接的であれ,刑法となんらかのかかわりを もっている。

我々の社会生活を支える基礎をなすのは,昔も 今もそして将来も,社会の再生産を支える経済活 動である。この我々の社会生活の基礎をなすとこ ろの経済活動の発展の影響を受け,刑法の姿も変 容してきた。従って,経済活動の変容と刑法のか かわりを解明することは,我々の社会,そしてこ の社会を成り立たせるための不可欠の装置である 国や地方自治体の役割を理解することに通じるこ とから,学問的にも興味の尽きない対象である。

そして近年,その理論的な解明は実践的にもます ます重要な課題となってきている(1)

2 社会の変化と刑法の変容

歴史上,刑法はどのように発展してきたのであ ろうか。

財産の私有を認めてこれを保護するという社会 制度は経済社会発展の原動力であるが,これを護 るため,古くから,人は国家をつくり,政府をつ くり,法制度を整え,そして刑罰を用いてきた(2) 財産は古くから刑罰で保護されており,今日,刑

法典の財産犯規定として,精緻に体系化されてい る。

財産犯中,窃盗罪が歴史上もっとも早くに登場 する犯罪であることは誰もが想像できることであ る。その後,詐欺罪や横領罪がここから分離,拡 張するかたちで登場してくる(3)

また,偽造罪も経済社会の発展と深いかかわり をもっている。貨幣経済の発展に伴い「通貨偽造 の罪」が登場し,手形等の有価証券の発展に伴い

「有価証券偽造の罪」が加わり,そして,クレジ ットカード,電子マネーの普及に伴い「支払用カ ード電磁的記録に関する罪」が登場してきた。偽 造犯罪は,決済のための手段の多様化に伴い,現 在も分化の途上にある。

このように,刑法典の中に,社会の歴史の発展 の跡が刻印されているのを見ることができる。

しかし,今日,刑法典中のこうした犯罪だけで は,今日の高度で複雑な経済活動を営む社会を保 護できなくなっており,特別法上の犯罪は無視で きない存在となっている。

そのため,刑法典以外の特別法上の罰則規定に よる経済活動の保護にも目を向けておく必要があ る。これを対象とするのが「経済刑法」という学 問分野である。日頃,社会的影響の大きさゆえに 新聞等で取り上げられる犯罪のかなりの部分がこ の経済刑法絡みの事案であることは,現代社会に おける経済刑法の役割の重要性を物語っている。

経済刑法の研究は,経済社会における刑法の役 割を深く考えることになることから,その視点は,

伝統的な財産犯,偽造罪の理解の仕方にも跳ね返 り,財産犯の理解を深めることにも役立つだろう。

『明治学院大学法科大学院ローレビュー』第19号 2013年 13−30頁

刑法から経済刑法へ

京 藤 哲 久

(3)

3 財産犯,偽造罪の解釈と経済刑法の解釈 刑法典中の財産犯,偽造罪は,経済活動と関係 の深い犯罪である。そこで,財産犯,偽造罪につ いて,経済刑法の視点から少し概観してみよう。

ア 財産犯の解釈

まず,詐欺罪,横領罪,背任罪等の財産犯によ る財産の保護と民法による財産の保護との関係に ついて見てみよう。

財産犯(領得罪)には,①窃盗罪,恐喝罪,強 盗罪のような粗暴犯的な犯罪もあれば,②企業活 動や取引行為の過程でも問題となる詐欺罪,横領 罪,背任罪のような知能犯的な犯罪もある。また,

③体系的には間接領得罪に位置づけられる,やや 特殊な性質の犯罪である盗品等関与罪(4)もあり,

これは盗品市場の発生を抑止する機能も果たして いる(5)。もっとも,財産犯の解釈論上は,①に属 する恐喝罪と②に属する詐欺罪とは,瑕疵ある意 思に基づく犯罪(交付罪)として,共通性がある と理解されている。刑法典上も,詐欺罪と恐喝罪 とは同じ章(刑法37章)にある。

粗暴犯とされる窃盗罪・強盗罪と恐喝罪につい てみると,これらにあたる行為に対する民法上の 扱いが異なっていることに興味が湧く。もちろん,

窃盗犯人,強盗犯人,恐喝犯人に所有権が認めら れないのは当然で,被害者は自らの所有権に基づ いて,取り戻せる。以下の問題は,窃盗犯人,強 盗犯人,恐喝犯人が事情を知らない第三者に売り さばいた場合(この場合,この第三者には,動的 安全の保護の観点から,当該動産に対する物権法 上の保護を与えるべき一定の理由が備わっている し,それゆえに,本来の所有者との間でどのよう に利益調整するかを考える必要が生じる),被害 者は,その第三者に対して被害物を取り戻せるか という問題である。

民法192条の即時取得の例外をなす民法193条は

「盗品又は遺失物」を対象としている。その結果,

窃盗罪,強盗罪等による被害(被害者に落ち度が ないと考えられる被害)については,民法は静的 安全にも配慮しており,2年間は取り戻すことが できる(民法193条の例外規定にあたる)(6)。他方,

恐喝罪については,これらの犯罪による被害物は

「盗品」にはあたらないから,民法193条の例外規 定は適用されず,もはや取り戻すことはできない。

このように,恐喝罪は粗暴犯であるといっても,

民法上は,強盗罪と異なる扱いを受けている。

このような取り扱いの差は,窃盗罪や強盗罪が

「意思に反する罪」と位置づけられているのに対 して,恐喝罪は詐欺罪と並んで(瑕疵ある)「意 思に基づく犯罪」と位置づけられるという財産犯 の構造に対応している(「遺失物」については,

被害者に落ち度がないといってよいか少し微妙で あるが,被害者の意思的要素が財物の移転,領得 に関係していないという点では,窃盗罪や強盗罪 と同様の扱いをしているものと考えてよいだろ う)。

また,客体が有価証券法理の働く手形等である なら,その授受には動的安全の要請が強く働く結 果,より強い公信力が認められるし(「事由ノ何 タルヲ問ワズ……ノ占有ヲ失イタル者アル場合ニ 於テ」),盗品等の例外規定も適用されないから

(商法519条を媒介させた解釈),手形等について は,詐取,喝取された場合はおろか,窃取,強取 された場合でも,すなわち,「盗品」「遺失物」に あたる場合であっても,被害者は,(所持人が裏 書人から悪意重過失でこれを取得したという場合 でない限り),これを取り戻すことができない

(所持人は手形上の権利を行使できる)。

一口に,財産は法で保護されているといっても,

民法と刑法との関係について見るだけでも,その 関係は実に複雑で,簡単には割り切ることができ ないものである。民法と刑法の関係は,正確を期 するなら,法律効果の強弱で単純に割り切れる同 心円のような関係ではなく,むしろ交差する円の ような関係にある。また,この交叉する関係は,

時代により,国により異なっている(犯罪が未遂 にとどまる場合,損害がないため民法上は不法行 為を構成しないとしても(7),損害発生の危険が認 められるなら刑法上は未遂罪として犯罪になる。

また,製造物に欠陥があり損害が発生した場合,

民事法上は欠陥があるとして損害賠償責任が認め られうるとしても,過失がないため刑法上は犯罪 が成立しない(8))。

(4)

このような関係を理解しておくことは,両者が 交錯する問題を適切に解決するためにも必要なこ とである。両者を関係づけることなくばらばらに 理解していると,刑法の最終手段性(ultima ratio)

が強調されるあまり,民法と刑法の関係を同心円 のような関係にあるものと誤解してしまいがちだ が(そのような記述は今日もしばしば見受けられ る),このような理解は両者の関係をあまりに単 純化するものである。また,law as it isにも反す る。観念的な枠組みにとらわれていては,経済刑 法の現実の姿を見誤ってしまうだろう。

財物の法的保護を例に,刑法と民法の保護の仕 方について,更にいくつか例を挙げて説明をして おこう。

刑法の窃盗罪や詐欺罪の規定により処罰される のは,財物の所有権自体の侵害ではなく(所有権 は観念的なものであるから,これ自体は物理的に は奪えない),所有権があることにより認められ る財物に対する支配可能性(これがあるから,人 は現実に使用,収益,処分できる)を奪うことで ある(支配可能性は利用を妨げさえすればよいの だからこそ,これに対する「侵害」を観念するこ とが可能になる)。詐欺罪についてみると,その 成否を左右するのは財物等の客体の利用可能性が 奪われたか否かであるから,締結された契約の民 法上の有効・無効,取消の有無が詐欺罪の成否を 左右するわけではない(民法上,契約が不成立や 無効でも,詐欺罪は成立している)(9)

これに対して,私的自治の働く民法では,(自 分が相手方になした意思表示を内容とする)法律 行為は自らをも拘束するため,その意思表示の内 容に従い相手方の抱いた合理的な期待を保護する 仕組みが用意されている。拘束を認めてよい場合 には意思内容に沿った契約の履行を求め,拘束か らの解放を認めてよい場合には解除を認めるとい ったように,債権法(契約法)の仕組みを用いて 保護がはかられている。また,本人を拘束する根 拠を合意に求めることができない場合には,物権 法の枠組み(物権的請求権)や不当利得返還請求 権といった別の仕組みを用いて保護がはかられて いる。取引相手なら債権的な請求が,そうでなけ

れば物権的請求権や不当利得返還請求権が考えら れる(両者の関係は,割り切った見方を取らない 限り,複雑な様相を呈している。)。

民法では,「物」の返還の場合には,こうした 制度を駆使して取り返しが可能なことが多いが,

物とは異なる取り扱いを受ける「金銭」の場合に は,この両者の狭間に落ちて,処理が難しくなる。

よく例に出されるように,①AがBからパソコン をだまし取りCに売却した場合,BはCに対して 所有権に基づく物権的返還請求権を行使して,パ ソコンを取り戻すことができる。他方,②Aがサ ラ金Cからの借金を返すため,Bから金銭をだま し取りその金でCに弁済した場合,Bには金銭に 対する所有権が認められないから,BはCに対し て所有権に基づく物権的返還請求権を行使するこ とはできない。認められるかどうかやってみない とわからないが,通常は,この場合,BはCに対 して不当利得返還請求権を根拠に訴訟を提起する ことになるだろう。

また,契約相手を取り違えたような場合はどう なるか。行為無能力者制度の適用の制限が問題に なる現物売買については別の考え方もあるだろう が,一般には,民法上は,特定人に対する権利で ある債権関係が重視されているのだから,契約相 手の属性は重視せざるをえないだろう(貸金業者 甲は,乙法科の先生の山田太郎には融資するが,

乙法科の学生の山田太郎には融資しないというこ とは十分に考えられる(逆の場合もある。)。)。他 方,刑法上は被害者たる相手方を取り違えたとい うだけで,ただちに犯罪の成立が否定されること になるわけではなく,法定の範囲内での食い違い にとどまるなら,法定的符合説(具体的法定符合 説)の法理に従って,犯罪の成立が認められる(10) イ 偽造罪の解釈

次に,有価証券偽造罪,支払用カード電磁的記 録に関する罪,不正指令電磁的記録に関する罪等 の社会的信用に対する罪について概観しておこ う。

a 偽造罪と行使(供用)罪の関係について見 ると,偽造罪の章は,(目的犯である)偽造罪と,

(偽造されたものの)行使罪から成り立っている。

(5)

歴史を振り返ると,貨幣経済のはじまりととも に,昔から,通貨の偽造は重大な犯罪とされてき た。やがて商品交換の発達に伴い経済取引は大き く発展し,手形小切手のようなあらたな決済手段,

信用手段が登場すると,有価証券の偽造が犯罪化 された(刑法典中の偽造罪により規制することを 予定しているから,手形法,小切手法の中には罰 則規定が存在しない)。そして,近年の電子決済 システムの登場に伴い,電磁的記録(デジタルの 情報であるから,本来,本物と偽物という区別が 妥当する対象ではないにもかかわらず),その不 正作出(=偽造に相当),同供用(=行使に相当)

が偽造罪の構成要件に取り込まれた(支払用カー ド電磁的記録に関する罪)。

近年の立法がこの情報化社会が生起する問題に 及び腰の姿勢で対応していったこともあり,(文 書偽造罪を含む)偽造罪の体系は複雑な様相を帯 びることになってしまった。コンピュータの登場 は取引社会に大きな変容を促し,この変容は現在 進行形である。こうした変化の途上にある現実を 反映する結果,刑法典には今日の財産をめぐる法 制度が「物の体系」から「情報の体系」への法制 度の転換途上にあることが強く刻印され,それゆ えの混乱も生じている。

コンピューターウイルス(イカタコウィルス)

をファイル共有ソフトに流し,感染者のパソコン 内のデータを破損させたという事件があった。

2010年,警視庁ハイテク犯罪対策総合センターは 器物損壊容疑で容疑者を逮捕し,ウイルスによる データ改変行為を器物損壊で摘発し,1,2審と も有罪となった。その後,2011年には「不正指令 電磁的記録に関する罪」が成立したから,このよ うな行為は,現在では,刑法168条の2の不正指 令電磁的記録作成罪,同供用罪で処罰されること になる。

b さらに,偽造罪と詐欺罪との関係について も見ておこう。

偽造罪,行使罪は詐欺罪と深く関係している。

しかし,両者の関係は,通貨と有価証券,文書と では異なっている。

偽造有価証券行使罪と詐欺罪は牽連犯の関係に

ある(文書偽造罪と詐欺罪の関係も同様)。他方,

偽造通貨の行使罪については,収得後知情行使罪 のように,同罪が成立すると(刑罰は収得後知情 行使罪のほうが軽いにもかかわらず)詐欺罪の成 立が排除される。偽金をつかまされたとしても,

本来,その者が詐欺をしないという期待可能性が ないとはいえないが,それにもかかわらず,現在 のところ,詐欺罪は成立しないと理解されている。

そう解釈しないと刑法152条の収得後知情行使罪 を設けて刑を軽くした意味がなくなってしまうか らである。

このように,有価証券と通貨とでは,偽造と行 使という行為相互の関係は同じであるにもかかわ らず,刑法上,統一的な取り扱いがなされていな い。それには,もう少し深い理由があるだろう(11)

では,電磁的記録についてはどうか。

不正作出された電子記録債権を手にした者(有 価証券に類する)と不正作出された電子マネー

(通貨に類する)を手にした者については,電子 決済法制として共通の制度に服すべきものと考え られ,現行法上は,上記の通貨と有価証券のよう な別異の処理をしていない。そもそも,電磁的記 録(デジタルデータ)は複製しても「本物」とま ったく異ならないのだから,手にした者が損失を 被るということにはならないはずである。(客体 としては本物と偽物との区別ができない)電磁的 記録については,(客体に本物と偽物の区別のあ る)偽造罪,行使罪の古典的な体系を修正しなが ら使い続けることに基本的な無理があるという見 方も可能だろう(12)

c また,通貨について見ると,客体の物理的 性質は同一だが,客体の社会的性質は異なってい る場合がある。その逆の場合もある。

金属としての金と貨幣としての金は,物理的性 質は同じだが社会的性質は異なる。また,通貨と しての金貨と通貨としての紙幣,銀行券(信用貨 幣)とは物理的性質は異なるが,社会的性質は同 じである。

前者は異なる規制に服するが(貨幣は利息(法 定果実)を生む等(もっとも,金兌換制が廃され ている今日,貨幣としての金(金貨)は存在して

(6)

いないが)),後者は同じ規制に服している(通貨 偽造罪等)。刑法の規制は,基本的に客体の社会 的性質に沿って行われている。

混乱してしまいそうだが,それも無理もないと ころがある。偽造罪,不正作出罪についての現行 法の仕組みは対症療法的な対処の結果であって

(悪いことに,現在の判例で対応したものを前提 として立法されているから(この立法態度は,専 門家にしか理解できない立法を作り出すもので,

民主主義国家における立法のあり方としては批判 されるべきだろう。体系性という観点からは,現 行法ははなはだ見通しの悪い法制度になってきて いる),過渡期のものであること,従って,体系 性という観点からは問題を抱えていることに留意 しておく必要がある。

ウ 経済刑法の解釈

このように社会における法的規制総体のなかで 財産犯や偽造罪の合目的的なあり方が検討される べきであろう。経済刑法については,なおさら,

社会における法的規制総体のなかでその合目的的 なあり方が検討されるべきだろう。

財産犯の場合,民事法との関わりを考慮する必 要があるとしても,財産犯規定が,直接,人々の 財産を保護するという法益保護の観点からの検討 により適切な規制のあり方を導きうる。

他方,経済刑法の場合には,特別法による複雑 な規制が関与していることを無視できないし,そ の一部として刑罰法規が存在する。従って,いわ ば変数がいくつか増えたような方程式を解くよう なもので,当然のことだが,当該特別法による規 制の仕方との関係を意識しながら,適切な規制の あり方を検討して行く必要がある。ここに,刑罰 法規により個人,社会,国家の利益を保護すると いっても,財産犯の場合とは異なる固有の難しさ がある。社会倫理的な観点を持ち込んでも,議論 がいたずらに混乱してしまうだけである。学問の 対象として検討する以上,構造の把握のため単純 化が必要になるが,単純化のし過ぎは避ける必要 がある。

すなわち,経済刑法の各論では,個々の問題に ついて関連法規による規制の基本的な考え方,制

度の概略を示しながら,検討を加えることが求め られるのであって,犯罪論の見地を特別法に適用 するという姿勢では,経済刑法の核心部分に迫る ことができない。一人がすべてを理解することは 難しいからその作業には限界はあるが,少なくと も,そのような視点で,経済刑法を検討すべきで ある。

また,経済刑法は時代的制約を受ける分野であ る。今日では,経済活動を統制するのではなく,

経済活動を支援するという視点からその法的動態 を解明することが,経済刑法の各論的課題となっ ている。

対象が絶えず変化するといっても,目先の変化 にとらわれて右往左往するのではなく,その変化 のなかから,歴史的価値のある趨勢としての変化 を見据えるなら,経済刑法には現代の課題が凝縮 されている。

以下,今日の経済刑法の主要な分野について,

検討に際して必要不可欠と思われる視点について 簡単に概略しておこう。

4 競争刑法——競争の機能の保護——

近代社会の歴史を見るなら,資本主義の発展が 市場の寡占化,独占化を促してきたことは否定し がたい歴史的事実である。そして寡占企業,独占 企業は,価格をコントロールする力をもつので,

この「力の濫用」を規制しておかないと,市場を 通じて行われる価格形成メカニズムは有効に機能 しなくなってしまう。ここに,市場に期待される 競争の機能を発揮させるためのやむを得ない手段 として,刑法による保護が必要となる歴史的根拠 がある。

今日の経済社会では,経済刑法の要をなすのは この競争刑法である。

競争の機能を保護する競争刑法の役割について 考える際,重視すべきは,刑法は市場を制約する

(=市場における価格メカニズムの働きを制限す る)ために介入するものではなく市場の価格形成 メカニズムを通じて資源の最適配分を可能にする 市場として成り立たせるために介入するものであ るという視点である。すなわち,今日の競争刑法

(7)

は,市場の制約をめざす統制経済時代の価格統制 を担保するための罰則とはその意味が根本的に異 なっている(13)。経済法で学ぶように,市場経済 を維持するために独占禁止法(経済憲法)が,刑 罰を含む様々な規制を行っていることの基本的な 性質をよく理解しておく必要がある。

市場経済の発展にとって独占禁止法の登場は必 然的なもので,独占禁止法は,市場経済の味方で あって,市場経済の敵ではない。この意味で,独 占禁止法の適用除外規定は,理念上は,市場経済 を通じてのコントロールがより洗練されたかたち で働くなら,次第に減少して行くべき性質のもの である(14)

ア 市場の機能の直接的保護

この競争刑法の主要な罰則は,市場の価格形成 メカニズム(競争)の機能を直接保護の対象とす るもので,①独占禁止法上の罰則(私的独占の罪,

不当な取引制限の罪),②金融商品取引法上の罰 則(相場操縦罪,インサイダー取引の罪等)(15)

である。

これらは,価格メカニズムに直結する規定だか ら,その処罰範囲の確定には経済学(産業組織論)

の知見が欠かせない。独占禁止法の重要犯罪が公 正取引委員会の専属告発を要件としている理由 は,このような理解を取り込まないとその合理性 が見いだせないだろう。

イ 市場の機能の間接的保護

価格形成メカニズムが機能する前提条件を破壊 する行為を処罰することで,間接的に競争の機能 を保護の対象とするものとして,以下の二つのも のが重要である。

第一は,「不正競争防止法」の混同惹起行為,

誤認惹起行為である(これらは罰則の対象となっ ている)(16)

第二は,金商法,会社法等の開示規制に違反す る行為の罰則規定である。

開示規制に対する罰則が必要になるのはどうし てだろうか。厳密には,金商法と会社法とでは,

開示規制のもつ意味が異なるだろうが(前者の根 拠は(潜在的)投資家に対するもので,後者の根 拠は株主,債権者等のステークホルダーに対する

ものである。),その根底には,次のような共通の 思想があると思われる。

商品,サービスに関する情報が偽られているの では,購入者に自己責任を求めることはできない。

自己責任を問うには,あらかじめ正しい情報が提 供されている必要がある(前提となる事実が偽ら れると的確な判断ができないし,競争の機能を歪 めることになる)。この意味で,今日の開示規制 の強化は当然の流れであり,この流れを押しとど めることはできない。これを受けて,開示規制違 反行為の罰則は,近年,極めて重くなっている。

重くなっていることの根本の理由は,競争刑法の 視点から考えるなら,理解可能である。

開示規制の強化の結果,正しい情報が提供され ていた場合には,自分で判断して損したのだから,

自己責任であって,損しても文句は言うなという ことになる。ディスクロージャーの拡大,徹底は,

自己責任を問うための根拠として機能するという 側面がある。自らの判断で risk takeしたのだか ら,ちゃんと責任を取って損失も被りなさいとい うことになる。

ウ 商品化の阻止——市場の限界——

この社会には,商品化,市場化になじまない 財=物品,サービスがある。社会は,法を用いて,

このような性質の財が市場化されるのを排除する 必要がある(市場の役割を過度に信奉すると,

「過ぎたるは及ばざるが如し」,「正の極みは不正 の極み」ということになってしまいかねない。現 実の社会はそれほど単純化できない。)。このため に刑法が利用されることがある。

もっとも,何が商品化になじまないかについて は,その社会の,その時代の価値観が反映する。

個々人の考え方も様々である。多様な価値観を許 容する今日の日本の社会では,その線引きは難し い。

市場の競争に委ねることが不適当な例(と私が 考えるもの)をいくつか挙げておこう。罰則によ って禁止するのが適当という場合もあるだろう。

通常,これらは経済刑法の対象とは意識されない が,経済刑法の視点から見るなら,その理由は商 品化になじまないからということになる。

(8)

① 臓器売買 市場化するほうが臓器移植に効 果的であるという異論はありうるが,人間の 臓器の市場化には,倫理的な観点からの抵抗 があるだろう。途上国に行けば,現実には臓 器を購入できるという現実があるが(近年,

新聞に,電子機器を購入したいばかりに腎臓 を売った中国の若者についての報道(2011 年),中国で,臓器売買を組織した闇ブロー カーを摘発し,医療従事者18人を含む容疑者 137人を逮捕し,臓器提供者127人を救出した という報道(2012年),中国の武漢市で腎臓 を違法に売買し,移植していた犯罪グループ

(腎臓提供者の募集から移植手術までの役割 を細かく分担していた)が摘発されたという 報道(2013年)があった。)。

② 公共工事等の受注 公共工事を賄賂で「購 入」してよいだろうか。高額の賄賂を提供し ても公共工事が自分のところに落ちるなら,

そこには価格メカニズムが働く。しかし,こ れを放置していたのでは,業者はかかった経 費を回収するため価格にその分を上乗せして くることになるのだから,結局,国民は,高 い税金を支払う羽目になる。汚職の罪だから 公務員を収賄罪で処罰することは理解できる としても,公務員でない贈賄側が,収賄罪の 共犯とされず,贈賄罪で処罰されていること の理由には,こうした考慮があるだろう(刑 法各論における理由付けでは,刑が軽いこと の説明はできているが,なぜ処罰されるのか についての説明はできていない。)。また,不 正競争防止法の外国公務員に対する贈賄行為 の処罰も同じことで,競争条件の平等を重視 するアメリカの強いイニシアチブのもとにと りこまれた経緯が示すように,取引企業の競 争条件の平等という考慮が働いている。

また,次のような問題については,犯罪化 の対象とは考えにくいが,違法性阻却が考え られないかという場面で,商品化の阻止とい う経済刑法の視点が関係してくるだろう。

③ 新型インフルエンザウィルス 途上国で は,新型インフルエンザウィルスを「生物資

源」として,ワクチン開発の技術力のある国 や機関への無償の提供を拒否するようになっ ている。蔓延すれば(パンデミック),世界 的に大きな惨事をもたらす新型インフルエン ザウィルスを売買の対象として市場化するこ とは適当だろうか。途上国に対するワクチン の供与の仕組みは必要であるとしても,これ を市場化することは適当な解決法であろう か。

5 企業活動の保護

ア 会社法罰則,破産犯罪と企業活動

企業の保護は,その成立,存続,消滅の各局面 で問題になる。

会社法罰則(従前の「商法」罰則を引き継いだ もの)は,会社の成立,存続の局面で問題になる 行為を規制しているし,また,破産犯罪(破産法 における破産犯罪等(ex. 詐欺破産罪))(17)は,

会社の消滅の局面で問題となる行為を規制してい る。

会社の生成,発展,消滅の各段階に即して,成 立段階では発起人,その他の株主の利益の調整が,

存続段階では株主,債権者の利益の調整が,破産 手続開始後の消滅段階では(もはや株主の利益は 考慮の外に置かれる結果)債権者間の利益の調整 が主たるテーマになる。

会社法罰則の中心は,被害者である会社の利益 を保護するための特別背任罪である。これは,加 重処罰規定であるという点を別とすれば刑法の背 任罪でも処罰可能な行為である。会社法罰則から 特別背任罪,その周辺の罰則と位置づけうるもの を除くと,会社法固有の罰則というのは意外に少 ない(18)。会社法罰則の強化は今日の特徴である が,それにもかかわらず,会社制度を機能させる ために刑罰で担保するという考えではなく,私的 領域の枠内で,すなわち会社のガバナンスの強化 により会社制度を担保するというのが制度設計の 基本思想ではないだろうか。

イ 企業活動の諸側面とその保護 a 企業秘密の保護

秘密の刑法的保護は重要なテーマになっている

(9)

が,この問題は,刑法による情報の保護という論 点も絡んでいる。

この点については,今日,「不正競争防止法」

(営業秘密の保護),「不正アクセス行為の禁止等 に関する法律」(入口段階での規制)が重要な役 割を果たしている。

既述のように(注16),不正競争防止法平成21 年改正以降の営業秘密侵害罪の処罰対象は,もは や不正競争防止法内の犯罪構成要件といえないほ どに拡大してきており,刑法典に移すのがふさわ しい内容となっている。経済刑法の対象というよ り,むしろ,情報犯罪として刑法各論のテーマと なるべきものだろう。同法の改正の結果,現在で は,情報を盗るなら不正競争防止法で軽く,物を 盗るなら財産犯の射程内で重いという関係ではな くなっている(19)

b 企業の名誉,自由の保護

① (侮辱罪)法人に対する侮辱罪の成立を認 めた判例(最決昭58・11・1)が重要である。

この判例の結論から,侮辱罪の法益は,(自 然人の名誉感情ではなく)人に対する社会的 評価と理解されている。

② (恐喝罪)ユーザーユニオン事件判決は,

自動車メーカーにかけあった弁護士が恐喝罪 で起訴された事件だが(東京高判昭57・6・

28),企業の保護と一定の企業活動を批判す る市民運動との関係を考える際には,今でも 参考になる事件である。こうした視点から,

その処罰範囲について慎重な検討が必要にな る犯罪として,そのほか,業務妨害罪,住居 侵入罪,名誉毀損罪,信用毀損罪等があげら れる。

③ (脅迫罪,強要罪)法人に対する強要罪は 成立するかという問題も考えられないわけで はない。脅迫罪,強要罪は意思決定に介入す る犯罪だが,意思活動という法益は自然人に 固有のものと考えられるから,今日でも否定 説が通説だが,肯定説(西田典之)もある。

c 企業の財産の保護

① 刑法典には,一般の財産犯(窃盗罪,詐欺 罪,背任罪(→会社法の特別背任罪は背任罪

の特別規定),横領罪)がある。

② 特別法には,組織的犯罪処罰法(事業経営 支配罪,組織的詐欺罪(その他,業務妨害,

信用毀損,恐喝,建造物損壊等も加重処罰さ れている。)がある。

同法の組織的詐欺罪の成立が認められる事 案が,近年,増えている(20)

また,同法の(不法収益等を用いた)事業 経営支配罪(組織的犯罪処罰法9条)は,興 味深い犯罪類型である。このような行為はな ぜ犯罪化されているのだろうか。原理的には,

株式を買い占めて経営者を交替させること は,それ自体は,禁止されるべき事柄ではな い。禁止されたら,M&A, TOBなどが許され ないことになってしまうだろう。ところが,

こうした行為を罰しているのが,同法の事業 経営支配罪である。

この犯罪にはどのような合理的理由がある のだろうか。マネー・ローンダリング罪(資 金洗浄罪)等を含め,裏世界の金が表の経済 秩序に侵食してくることを阻止する必要があ ることから,このような行為も犯罪化されて きているのである(マネー・ローンダリング 罪は,リサイクリング罪(Recycling)と呼 ばれることもあり,不法収益等の犯罪に由来 する収益の循環を阻止し,これを没収するこ とで,組織犯罪対策の実をあげようとするこ とを目指している)。事業経営支配罪は刑法 の現代的変容を象徴する規定の一つである。

③ 会社法罰則(特別背任罪,会社財産を危う くする罪,利益供与罪等)も,先に触れたよ うにここに位置づけることができる。

会社法罰則の一つである利益供与罪には,

総会屋対策のための規定である側面と会社の 財産に対する加害の側面とがある。

この犯罪は,会社による犯罪か,それとも 会社に対する犯罪(会社は被害者)か。

この問題を考える際,両罰規定の存在にも 注目する必要がある。会社による犯罪が問題 なら,両罰規定が存在するほうが合理的で,

その存在は,当該罰則の性格付けを考える際

(10)

の目安ともなる。

この点に着目すると,金融商品取引法には 両罰規定が存在するが,他方,会社法の主要 罰則には両罰規定が存在しないことに気付 く。ここには,二つの法律の基本的な性質の 違いが反映していると理解することができる だろう。

利益供与罪を含め会社法の主要罰則には両 罰規定は存在していない点を重視するなら,

会社法の主要罰則は,基本的には,特別背任 罪(会社に対する犯罪である)の周辺類型と 解すべきことになる。この点についての態度 決定は,会社法罰則の隅々に影響してくる基 本的な問題である(特別背任罪と会社財産を 危うくする罪との罪数関係の処理等)。

ウ 侵害の態様

企業に対する犯罪を,侵害の態様という観点か ら分類するなら,①外部からの侵害として窃盗罪,

詐欺罪,恐喝罪等の財産犯が,②内部からの侵害 として,横領罪,背任罪等の財産犯,特別背任罪,

利益供与罪等の会社法罰則がある。

もっとも,この区別はあくまでも行為態様のお おまかな区別にとどまる。①②が融合する場面も ある。

背任罪については,近年,融資の相手方である 外部の者(本人(=会社)のために事務処理をす る者ではないから,本人から委託された任務に違 反するという義務違反の要素はない)について,

内部者と通じたとして,背任の共同正犯として処 罰する判例が増えている(この場合,特別背任罪 と背任罪との関係には刑法65条2項が適用される と解するのが今日の一般的な考え方であるが,特 別背任罪の社会法益的側面に着目する考え方も登 場している(同法65条1項が適用されるというこ とになるだろう(21)。))。どのような場合に共犯が 成立するかは,財産犯の大きな論点になっている。

6 消費者刑法——消費者・一般投資家の財産 的利益の保護——

消費者刑法の主要罰則は,①出資の受入れ,預 り金及び金利等の取締りに関する法律(出資法),

②無限連鎖講の防止に関する法律,③特定商取引 法の諸罰則である。

これらの罰則の多くは,詐欺罪では十分に規制 できないという理由から登場したものと位置づけ ることができる。

詐欺罪は財産犯の伝統的な犯罪類型の一つで,

基本的に,市民法的な性質を有している。そして,

市民法のもとでは,事実を偽らない限り詐欺罪の 成立はなかなか認められない(22)。詐欺罪による 規制が難しいのはそのためである。

ねずみ講(無限連鎖講)を例に取るなら,ねず み講は加入者の射幸心につけ込んでいるが,加入 者に対して「事実を偽」って錯誤に陥れているわ けではないという場合もある。より一般的に言う と,伝えられた事実に偽りはなく,被害者の側が 軽率な判断をしてしまって被害にあった場合,そ もそも財産犯による保護がなされるのだろうか。

詐欺罪の規制が難しい理由はここにある。もち ろん,詐欺罪も消費者刑法化し(23),一定の範囲 では詐欺罪の成立を認めるようになっている。し かし,古典的な犯罪類型である詐欺罪の基本的な 性質を無視することはできないから,そこには自 ずと限界がある。

また,事実関係を立ち入って調べてみないと詐 欺罪にあたるか否かがわからないことが多い。そ こで,これらの特別法罰則は,詐欺罪での起訴を 念頭におきながら,当該事件の突破口として,入 り口段階で介入可能な手段として活用されること も多い。

ア 一般投資家の保護

消費者と投資家は,一見すると,おおいに異な る存在である。

しかし,一口に投資家といっても様々あり,機 関投資家と一般投資家とでは,その性質が大きく 異なる。そして,消費者の保護と一般投資家の保 護には,情報弱者としての共通点がある。この点 に着目するなら,両者の取り扱いには,似通った 側面がある(投資家=金持ち=プロではない。)。

一般投資家が,多くの場合,アマ=情報弱者で あることは否定しがたい。一般投資家のなかには,

預金と出資の基本的区別すらあいまいな人もいる

(11)

だろう。規制緩和の流れのなかで,銀行業と証券 業の垣根がますます低くなってきているだけにな おさらである。それなら,一般投資家には消費者 と同様な保護が必要であるという考え方には合理 性がある。

証券市場に大衆の資金を投入して市場の拡大を はかるというのは,今日の金融の大きな流れであ る(大衆から金融機関を経て企業の手にというプ ロセスを通じて資金が調達されるのではなく(間 接金融),大衆が株式や社債を購入することによ り,大衆の資金が企業に直接投入されて(直接金 融),資金が調達される)。企業のほうでは,事業 への投資のためアマの資金をもっと必要としてい る。そして,社会的評価の高い企業にとっては,

理屈のうえでは,直接金融によるほうが間接金融 よりも低コストで資金調達が可能である。そのた めには,アマが安心して投資できる金融商品市場

(有価証券市場)を育成する必要がある(なかな か育たないが)。

そのためには,一般投資家が安心して投資でき るよう,証券市場における一般投資家の十全な保 護が必要になる。金商法の仕組み及び罰則は,こ うした視点から構築されている。しかし,一般投 資家の保護は,規制が多くなることを意味するか ら,どうしても,これに対処するため,投資家に とっても企業にとっても余計な費用がかかるとい うことになる。これをうまく両立させようと,金 商法は,プロとアマを区別したうえで,両者の移 動を可能にする複雑なプロアマ規制をもってお (24),そのうえで罰則を設けている。この複雑 な規制を解きほぐすのは容易ではなく,経済刑法 の興味深い研究対象の一つである(25)。また,罰 則には,法典の基本構造が反映するので,罰則の 方から全体をながめることで,複雑な金商法の構 造が見えてくるという部分もある。

投資者の保護という側面(金融商品取引法1条 の目的規定に明示された)と自己責任(risk take)

の前提を確保するという側面は重なることが多い が,異なることもある。前者は,「愚かな」投資 者をも保護すべきかという問題について,自己責 任原則を超えた保護を可能にする手がかりとして

働きうるだろう。

イ 自己責任の根拠と限界

消費者や一般投資家に自らの取引について自己 責任を求めるのは,自立した市民で構成される市 民社会の基本的なあり方である。自己責任を求め る前提として,情報開示と自身の自己決定が十分 に保護されている必要がある。

そのため,わが国の法制度が,自己責任の強調 と歩調をあわせて,近年,とみに情報開示に対す る規制を強化してきていることについては,先に 触れた。この考え方の前提にあるのは,売り手側 の情報開示が十分になされているなら,消費者や 一般投資家は取引の結果についてリスクを取るべ きであるという考え方である。

他方,民法の領域では,売手側,融資側の責任 が重くなる傾向がある。民法の領域では,動産売 買で動産に瑕疵がある場合の責任について,昔は,

買主が注意すべきものとされ,売主の責任は軽か ったが(「目を開かぬ者は財布を開く」「買主をし て注意せしめよ(caveat emptor)」),次第に,売 主が注意すべきものとされ,売主の責任が重くな っ て き て い る (「売 主 を し て 注 意 せ し め よ

(caveat venditor)」,レンダー・ライアビリティ

(lender liability)も同様の発想)。このような傾 向に逆転現象は起きていないように思われる。

この一見矛盾する方向を向いた現象を取り込み ながら,経済刑法的な規制も加わって,そのある べき姿を探求することは知的興味をそそられるテ ーマである。

ウ 適合性の原則

少し,横道に入ることになるが,興味深いテー マなので,消費者,一般投資家の保護との関係で 重要性を増している,適合性の原則,断定的判断 の提供の禁止について,経済刑法の視点から,触 れておこう。両者は境を接している。

a 適合性の原則を厳密に定義するのは難しい が,要は,商品を理解出来ない人に売っては ならないという発想をベースにした考え方で ある。様々な法律に似た規制があるが,どれ も似たような内容の規制である。

例えば,金商法40条1号では,「顧客の知

(12)

識,経験,財産の状況及び金融商品取引契約 を締結する目的に照らして不適当と認められ る勧誘を行つて投資者の保護に欠けることと なつており,又は欠けることとなるおそれが ある」業務を禁じている。

適合性の原則違反に対して,債務不履行又 は不法行為として損害賠償が課されることが あるとしても,今のところ,罰則は科されて いない。

似たような規制として,「断定的判断の提 供の禁止」がある(金商法,宅地建物取引業 法,商品先物取引法,金融商品販売法等)。

これは,相手の意思決定に不当な影響を与え るから禁止されている。

適合性の原則の場合には判断能力のない人 にはおよそ取引することを禁じているし,判 断能力のある人には,断定的判断の提供を禁 止するなどして,その判断が適切に行使でき るように,不当な働きかけを禁じている。

b この適合性の原則,断定的判断の提供の禁 止は,間接正犯と境を接している。間接正犯 の論理が妥当するような,相手の意思を完全 に支配している段階にまで至れば,財産犯

(詐欺罪等の被害者を利用した間接正犯型の 財産犯)の成立の余地がある。

7 租税刑法・補助金「詐欺」

——税収の確保と使途の適正の確保——

ア 租税刑法 ——逋脱犯と単純無申告罪——

戦後の税制の構造的な変化(賦課課税方式から 申告納税方式へ)は,租税犯罪の性格を変化させ たと言われている)。

戦前のように,国民すべてではなく,一定の者 のみが納税義務を負っている制度のもとでは,租 税を免れることを犯罪と考えることには抵抗があ った(1925年以前の制限選挙の時代には,一定額 の納税又は財産の所有が選挙権の要件だった)。

誰にも納税義務があるわけではない時代には,租 税を免れることを一般の刑法犯と考えることは難 しい。皆が納税義務を負っているわけではないの に,納税義務を負う自分が,(税金を払って国に

尽くしているのに)どうして刑罰まで科されるの かという気持ちになるのは理解できないわけでは ない。

しかし,戦後,シャウプ税制勧告に基づく申告 納税制度の導入により,所得があれば,国民は誰 でも申告して納税をする義務があるという制度に 切り替わった。これを契機として,租税犯罪は刑 法犯化したといわれる。

戦後,行政刑法の特殊性(かつては,刑法38条 は適用されない等の規制があり,特殊な性質があ ると考えられていた(26))が強調されなくなって いるのは,このような税制の切り替わりと無関係 ではない。さらに,最近では,脱税に対する社会 的非難は一層強くなり,悪質な事案には実刑を科 す事例が増え,実質犯化してきている(27)

罰則についてみると,租税刑法の中心的な犯罪 は逋脱(ほだつ)犯である。これは詐欺罪に似た 犯罪と理解されている。しかし,今日の納税の中 核をなす申告納税方式の場合,(秘匿行為は必要 だが)納期限の徒過だけで逋脱犯は既遂となる。

詐欺罪の,欺罔錯誤交付という因果のプロ セスを経るべき構成要件とは異なり,少し特殊な 構造をもっている(28)

従来,租税刑法の分野では,形式犯である「単 純無申告罪」の新設後は,所得を秘匿して租税を 免れる「逋脱犯」(これは重い犯罪である)と申 告しないだけの「単純無申告罪」(形式犯)とを どのように区別するかが大きな論点となってきた

(所得を秘匿するつもりで申告しないという場合 は考えられる)。

近年の変化として,2011年には「無申告ほ脱犯」

という新たな中間的犯罪類型が設けられ,逋脱犯 の体系はさらに変化している(もっとも,無申告 ほ脱犯の刑は両者の中間とされたが,その立法態 度の合理性ははなはだ疑わしい。ソーセージと法 律はつくるところを見ないほうが良いということ だが,実質犯と形式犯の間を取るという論理は浅 はかで,理解しがたい。)。

イ 補助金「詐欺」

補助金「詐欺」についても触れておこう。

補助金「詐欺」という言葉は誤解を招きやすい

(13)

が,「補助金等に係る予算の執行の適正化に関す る法律」29条違反の罪は,補助金の適正な運用を 担保するための罰則で,これは詐欺罪の一種では ないと考えるべきだろう。

補助金には様々なものがあり,一概には片付け られないが,原則として,補助金の交付は給付行 政の典型で,権利侵害にはあたらない以上,ここ には行政法の侵害留保の原則は働かない。従って,

根拠づける法律がなくても補助金の給付は可能で ある。そのためもあり,税金を適正に使わせるた め,補助金の運用を適正化する強い社会的要請が ある。

法律の名称からも明らかだが,この目的のため に同法が制定され,罰則はこれを担保するための ものである。その結果,たとえ入札業者の間で談 合等があったとしても,有資格者に交付されて補 助金が目的にかなった方法で使用されるなら,同 法違反の罪は成立しないということになる。この ような犯罪は詐欺罪とは明らかに性質が異なる。

判例(最決平成21・9・15同法29条違反の罪は 不正の手段と因果関係のある受交付額について成 立するとして,交付を受けた補助金全額について 同法29条違反の罪の成立を認めた原審判断を否定 した。)の態度は明確でないところがあるが,犯罪 の成立が否定される部分があることを考えると(詐 欺罪については,交付させた全額について成立す るというのが判例の伝統的な考え方である),この 考え方を前提としていると理解できよう(同法29 条違反の罪の場合,因果関係が認められるならつ ねに犯罪が成立するということにはならない(29)。)。

Ⅱ 経済刑法の性格とその必然性

1 財産犯規定による規制の限界

経済活動の規制に刑法典の財産犯による規制だ けでは不十分な理由はどこにあるのだろうか。す なわち,経済刑法はどうして必要になるのか。現 代における経済刑法の必然性とその歴史性につい て,一通りの説明を加えておこう。

経済刑法は財産犯とどこが違うのだろうか。

まず,財産犯とは対象が異なっている。経済刑

法は,財産犯が保護しない市場の機能を保護して いる。市場の保護は,個々人の個別財産(背任罪 以外の財産犯),全体財産(背任罪)を保護する 財産犯の射程外である。

次に,財産犯とは介入範囲が異なっている。経 済刑法は個々人の財産的利益をも保護している が,その場合であっても,財産犯よりも踏み込ん だ規制をしている。

経済刑法による規制を加えるのは,情報弱者で ある消費者(や一般投資家)を保護するためのも のもある。ここには財産犯の延長線で説明がつか ないものが含まれている(愚者の財産であっても 救済に値することは否定できない。)。市民法によ る保護の尽きるところに経済刑法の一分野である 消費者刑法が登場する。

市民法にはどのような限界があるのか。民法や 刑法のような市民法は市民の通常の判断能力を前 提として,法的保護を与えている。そして民法に は,判断能力に欠ける点があったら,これをサポ ートして判断能力の欠を補い完全にしようとする 仕組みが存在する(ex. 成年後見制度)。同様に,

刑法でも,判断能力の減退に起因して財産を失う のを防止するための規制が必要であるだろう。も っとも,いい大人にとって,あなたは「知慮浅薄」

だから保護してあげるといわれると,保護しても らえるとしてもプライドは傷つくからつらいもの がある。

消費者刑法は,この市民法の限界を超えて介入 する必要があるという現代的要請から登場してき たものである。

2 経済刑法はなぜ必要か(なぜ,登場したか)

現代社会では,経済刑法に限らず,刑法による 保護が期待される領域が拡大し,その結果,市民 刑法ではカバーできない領域が増大している。

例えば,環境の保護についても市民刑法で保護 するには限界があり,環境の保護のため,「環境 刑法」という新しいジャンルが登場している。環 境刑法の分野では,経済刑法よりも問題がさらに 先鋭化しており,伝統的な法制度の「人間中心主 義」の問題性が鋭く問われている。アマミノクロ

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