医療化社会の思想 と行動 (倫理学)
現代社会の倫理的諸問題 とその評価
五十嵐 靖 彦
1.現代倫理学の問題状況
倫理 とはそれ を逸脱す る と人間社会の秩序を乱す ことになる として非難 もしくは処罰 され、また 理想的に合致す る と賞賛 もしくは顕彰 され る根拠 となる道理、または原則の ことと考 え られ る。従 っ て、倫理学 とは こ うした原則を根拠 として様々な人間の行為や、それ を行わ しめている心情や価値 観の是非善悪 を評価 し、 ときに責任を問 う、 といった学問である。行為や心が けの価値評価 とい う 性格 上、その対象は特定分野や領域 に限った ことではな く、政治 ・経済 ・芸術 ・技術 ・スポーツ ・ 遊び ・日常生活な どのあ らゆる分野での人間活動に及ぶ。倫理学 をその対象を限定す ることによっ ては特徴付けることが出来ないわ けである。 とはい うものの、 古代ギ リシアのソクラテスが噂矢 と いわれ るその2500年に も及ぶ長い伝統 を振 り返れば、それぞれの時代にその社会な らではの主要な 問題関心があった ことは否定できない。例 えば、ギ リシアの諸ボ リスが崩壊 した後 の‑ レニズム時 代には、政情不安定や帰属意識の喪失か ら 「魂の安心立命」 とい う、それ こそ生き方に係 る倫理的 な関心が焦点になった し、また、キ リス ト教 中世では、「信 と知」、「自由意志 と恩寵」、「摂理 と悪の 存在」のそれぞれの関係調整な どが 中心テーマ となった。人間の罪責性 とその造 り主である全知全 能全善なる神 とは、尋常の考えでは解 きがたい二律背反に見えたか らである。 もっ と例 を挙げれば、
15世紀以降の近代資本主義社会 の形成 ・発展期 には、 「労働の価値」や 「合理的な国家の組織原理」
が社会哲学者たちの焦眉の課題 とな った。 自由で平等な市民 による努力や活動 によって こそ価値が 創出され るのであ り、それ を否定す る不合理な旧体制を打破 しよ うではないか、 とい う機運が盛 り 上が ったか らである。今 日の 自由主義 の倫理原則 も基本的にはこ うした価値観 の反映である。
では、 こ うした意味での特殊現代的な倫理問題 とはなにであろ うか0
科学技術の高度化 とい うこと抜きには現代社会の諸問題 を語れないだ ろ う。情報化、国際化、大 衆化 ,高齢化、少子化等、現代社会 の社会学的特徴にはすべて これが遠 因 として影 を落 としている。
倫理学的観点か らして も高度技術文明に起因す る様々な倫理問題がある。
先ず環境問題がある。すでに1962年に レイチ ェル ・カーソンは 『サイ レン ト・スプ リング』 とい う書物 を著 し、殺虫剤や除草剤の多用に起因す る 「いのちの息吹が消えた不気味な春」について語 っ た。それか ら40年余 り経 った今 日では、はるかに多 くの化学物質 ・産業廃棄物 によって、単にア メ リカ の片 田舎 の こ とに とどま らず、酸性雨 ・オゾ ン層の破壊 ・温 暖化 ・砂漠 化 ・熱帯林減少 ・野 生生物の絶 滅 ・環境ホルモ ン等、地球規模での環境汚染、生態系の破壊が進んでいる。特定地域 に限定 され原因 も比較的特定できる公害 と異な り、環境問題はグ ローバルな範 囲に及んでお り、原因 もまた高度化 学工業文明その もの と深 く絡 まっている。解決のための様々な国際的取 り組みや提 言がな されてい るが、 この傾 向その ものをお しとどめる決定的な対策のめ どは立っていないのはそのためである。
更に、情報化社会特有の問題がある。数年前ホームペー ジを利用 して毒物 を頒布す る とい う事件 があったが、情報化社会ではこれ以外 に も情報破壊 ・盗用 ・著作権侵害 ・商業的詐欺行為 ・プライ バ シー侵害等、多 くの違法 ・非倫理的な機器 の使い方がある。 また犯罪ではないに しろ、過剰に飛 び交 う電波の混線 による トラブルや事故が起 こ りかねない状況 にある。総合的な情報倫理の確立や
セキュ リティのための適正なガイ ドライ ンの作成が早急に求め られ るゆえんである。
いまひ とつは、特 に医療分野 にお ける生命操作技術の長足 の進歩に起因す る諸問題である。病気 の回復 と生命 の延長は我々のいつに変 らぬ願いだが、その点では現代医学は病因論、診断技術、治 療手段いずれにおいて も以前よ り遥かに高い水準 に達 してお り、多 くの難病 を克服 している。 これ は これで医療費の高騰や高齢社会化な ど新たな問題 を産むが、それは別 として、我々が多大な恩恵 を受 けていることは否定できないだ ろ う。だが、技術の高度化による選択可能性の拡大は、反 面で は従来の常識や価値観 との衝突を招 くことに もな ってお り、だか らこそ 「生命倫理学」 とい う、生 命操作技術一般 の行使 を倫理的価値の観点か ら吟味 しよ うとす る学際的な問題関心が提起 されたの である。言 ってみれば、「できるか らといって、や っていい とは限 らないのではないか」とい うわ け である。 とりわ け問題になるのは、生命誕生の神秘の扉を開いた生殖医療革命、死 の再定義を迫る ことにな った脳死 ・移植 医療、個体のみな らず種の同一性 を脅か しかねない遺伝子組み換 え技術等 の、先端的な医療技術分野においてである。
生殖医療では、男女産み分 け、遺伝上の親 ・産みの親 ・育ての親 とい うやや こ しい世代関係、 ク ローン人間の誕生 といった可能性 を開いた し、移植医療では生命 中枢が脳 にあるか心臓 にあるか と い った哲学的な問題 を産んだ。また、遺伝子工学の発達 した未来には望む子供を設計す る とい うデ ザイナーチャイル ドさえ可能 になっているのであるO
倫理学の対象は多々あるに しろ、 とりわ けこ うした高度 に発達 した様々な科学技術 に伴 う倫理的 妥 当性の吟味、それが現代倫理学の特殊的な課題 と言えるのではないか。 こ うした現代社会 にあっ て倫理的判断を迫 られている特有な問題はおびただ しい数に上 るだ ろ う。 とて も網羅的に扱 うこと は出来ないだ ろ うか ら、本稿ではその うちか らい くつかを例示的に とり挙げ、それ らについて考え られ る可能的な評価 を示 し、む しろそ うした評価の根拠 についてい ささかの考察 を加 えたい。本研 究会 の性格上、多分に特 に生命倫理の分野 に力点を置 きたい。
2.現代社会の倫理問題
先 ごろア メ リカの大 リーガーのサ ミー ・ソーサ選手が、飛距離が伸び ることか ら使用が禁止 され ているコル ク入 りバ ッ トを使用 した ことが、偶然バ ッ トが折れた ことでわか り問題にな った。恐 ら く何 らかの制裁が科 され るもの と思われ る。スポー ツ界での こ うした不正の類似例 として、オ リン ピックな どの競技大会で、使用が禁止されている筋肉増強剤や興奮剤 を服用 し、後で ドー ピング検 査 で発覚す る とい うのがある。時にはメダル剥奪 ともなる。選手には名誉や金銭がかか っているの で是非 とも記録を少 しで も伸ばそ うとす る心理が当然働 く。過失 ・故意含めて毎回かな りの頻度 で こ うした事例がある。広 く言 えば こ うした問題 は、新技術 の助 けを借 り他選手 を出 し抜 こ うとす る 行為である。 これ については、「こ うした薬剤や新技術の使用が何故いけないか、い っそ禁止を取 り 外 した ら」 とい う意見 もあるが、それは別問題で、全 く規定がないな らともか く当面のルールブ ッ クで禁止 されているのだか ら、 こ うしたルールに違反 して可能な技術 を応用 し、他の選手を欺いた
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アンフェアな行為を働いたのだか ら、そのモ ラル を厳 しく非難 して しかるべ きだ ろ う。 こ うしたス ポーツにかかわる倫理問題は、現 に禁止 されているか、 と、その禁止の合理性 の問題 とをきっち り 分けて考えればその処理は比較的容易であるO これ と類似の問題はスポーツ界に限 らず、例 えば、
麻薬取 り締 ま りや売春、一夫一婦制な ど実に多い。「何故悪い、認め られ る国 もある じゃないか」と 言い張 って もだ めである。現に当該の国で禁止 されているのだか ら、歴史的合理性があるのであっ て、その是非の検討はその行為の責任を とってか らの ことであろ う。
実は高度技術社会では こ うした明文化されたルールブ ックがない ときに新技術 を駆使 したフェア ともア ンフェア ともにわかに判断がつきかね る様々な行為が行われかねないだ けに厄介なのである。
医療界では特 に こ うした一種 の 「冒険」が行われやすい。
わが国では10年ほど前、臓器移植 を前提 として 「脳死 は人の死であるか」が大いに議論 された。
当然の前提 とされていたせいか刑法その他の法規 には 「心臓死 をもって人の死 とする」 といった規 定がなかっただ けに判断が分かれたのである。議論 の未、粁余 曲折があったが6年前 「臓器の移植 に関す る法律」が制定 され、移植医療は始 まっている。これ まですでに20数例の脳死移植があった。実 は今 もって疑問を呈す る人 もいるわ けだが、法律的には定め られた手順を踏 めば脳死者か ら臓器 を 摘出する行為は違法 ・ア ンフェアではない ことにな っている。 ど う改正す るかは別 として一応 この 件は決着 している と言える。
安楽死や尊厳死 について も、種々考 え方があるに しろ、その許容条件 について明確な判例が出て いる以上、現行法上その行為の可罰性 の有無に関 しては解決済み といわねばなるまい。人工妊娠 中 絶について も、水面下の実態は ど うあれ、表向きは母体保護法で認 める事例以外は違法 とされてい る。法の判断が まだ示 されず、国民世論 も必ず しも一方に偏っているわ けで もない新技術について こそ倫理的評価が難 しいのである。い くつかの例について賛否両論 を挙げた上、 コメン トを加 えて いこう。なお、 ここに挙げる意見は、学生のディベ ー トや答案か ら採取 した もの (それ を基本に多 少ア レンジした場合 もある)や筆者が案出 した もの、文献で散見 した もの等か らな っている。
事例 1.
「性染色体の微妙な重 さの違いか ら遠心分離器 を使 って男女を産み分 ける生殖技術は是か非か」
これについては、可 とす る意見、否 とする意見両方があ りうる。
可 とする意見
(1) 血友病や色盲などのある種の遺伝病は特定の性にだけ遺伝するのでそれを避けるためなら許される。
(2) 望む人がいた ら自由にや らせた らいい、法規制や倫理的 しぼ りをか けるべ きでない、それで もっ て他人が危害を受 けるわ けではない し。
(3)例えば、能や歌舞伎界では、男性 に世襲 され る。そ うい う特殊な場合には認めていい。
コメン ト :この うち(2)はい ささか問題だが (なぜな ら、後述す るが、 自由主義で言 う他者無危害の 原則は必ず しもオールマイティではないか ら)、他はなるほどもっ ともである。ただ し、(3)に関 して
は、「特殊な場合」の線引きが難 しい。排除す るわ けではないが、その仕事に向いてる性別 と言 うも のはあるはずだか ら。
否 とす る意見
(1)子は授か りもので妄 りに人為的に介入すべきでない。不妊治療な らともか く、 こ うした産み分 けは治療ではな く整形美容や強化技術 と同列である。
(2)各 自の希望に委ねた ら50対50の男女のバ ランスに狂いが生 じるか も知れない。
(3)性別はその子 自身が引き受 けるべ き運命の よ うな もので、親が決定す るのはエゴ とい うものだ。
コメン ト :この うち(2)は、あ くまで可能性であって、案外望みが相半ばす る といった結果になるか もしれないので、い ささか説得力に欠ける。自然の しくみでは、受胎の瞬間には断然男性が多いが、死 亡率 も高 く成熟期に男女同比になる とい う説 もある。賛否両論 を検討すれば絶対禁止 とい うわ けに もいかない よ うである。
事例2.
これは必ず しも新技術の行使 とい うわ けではないが、それに関連することとして 「臓器移植で ド ナーが レシピエ ン トを指定す ることの可否」 とい う、実際あった出来事があるO
可 とす る意見
(1) レシピエ ン ト指定は、死 にゆ く者の遺言の よ うな ものであ り権利の一種である。
(2)脇器 を (法で禁止 されているが) もしもか りに金に換算する とすればかな りの高額 となるはず であ り、みず知 らずの人に提供す るのは もったいないO
(3)臓器はその持ち主の所有物だか ら財産権 の行使 として指定 して差 し支えない。
(4) もともと臓器提供は、善意か らな り立つ行為だか ら、指定は 自己決定権の範囲 として認めていい。
コメン ト :これ らの意見は、い くつかの誤解 に基づいている。まず、身体が 自己の所有物であ り、
その処分が 自己決定権 に属す る、 とい う見解。身体は決 して 自己の所有物ではないO しいて言 えば 管理権、制御権はあるに して も譲渡権、処分権、使用権 を含む完全支配権 は もっていない。それ を もち うるのは外物 についてのみである。また、 レシピエ ン ト指定が、遺言権の範囲か ど うかは不確 かである。財産な ら誰に相続 と指定 もできよ うが、そ うでないのだか らいわば越権ではないだ ろ う かQ法では 「これ これ の臓器 を提供 します」 までを遺言 として認めているO (2)と(4)も、一見 もっと もだが、あれ ほど念入 りに否定 した金銭授受や、善意の行為、礼意ある扱い といった法の精神に逆 行す る意見 といわねばな らないO
否 とす る意見
(1)待機患者の立場か らいけば、 もっ と別 の原理で (病状、待機時間、適合性な ど)公平に順位を 決めるべ きである。
(2) ドナーが レシピエ ン トを指定す る とい うことは、後々人間関係 (ドナーの遺族 とレシピエ ン ト) の上で、禍根 を残す (恩にきせる、ゆする等)恐れがあるか らやめるべ きである。
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(3) 移植医療 とい うのは、フェア、ベス ト、オープンの3つが完全に満た されては じめて成 り立つ 医療である。 レシピエン ト指定では到底 これ らが保たれないだ ろ う0
コメン ト :この事例に関 しては非 とす る意見の方が説得 力があるよ うにみ える。移植 医療に限 らず、
医療一般において肝要な ことは、金の切れ 目が命の切れ 目にな り兼ねない市場原理 に晒 されない こ とである。その点か らすれば レシピェ ン ト指定は、コ‑デイネイ シ ョンの意義 を無効 とし、ドナー・
レシピエン ト関係を個人間の関係 に矯小化 しかねない。 これが一般化すれば移植が情実や取 引、 自 由競争に晒 され ることに もな りかねず、臓器移植法その ものをな し崩 しにす る恐れな しとしないだ ろ う。 もっ とも、厳密に言えば、生体肝移植や腎移植では指定を認めているではないか、 とい う反 論 もあ りうる。た とえて言えば、生殖医療で夫婦外人工授精 (A ID)を認めているのに夫婦外配 偶子を用いた体外受精を認めない産科婦人科学会公告はおか しいのではないか、 とい うの と類似の 立論であるo これについては生体間移植は、特 に肝臓に関 しては、わが児に提供 して こそ 自分の苦 悩が軽減 される親子間移植か らスター トしたのであ り、脳死移植 とは性格が違 う、あえて言えば、
献血 と同 じく身体の管理権 の行使である、 とい う再反論ができるだ ろ う。 とはいえ、論駁 しきれて いるとは言えない部分 もあ り、難 しい ところである。
事例3.上記2例 とは、趣 を異にす るが、「合理的な殺人装置 としてのギ ロチンによる死刑執行につ いて、 この技術は倫理的に見て ど うか」 とい う問題設定 もあ りうるだ ろ う。 (これは形を変 えれば、
痛みな く静かに死ねる自殺装置を考案 した科学者の倫理的評価に転用できるか もしれない。) これについて も次のよ うな意見が想定 され る。
可 とする意見
(1) もしその国で死刑が認め られているのであれば、火あぶ りや拷問死な どよ り苦 しむ時間が少な いだ け人道的で全 く問題はない。
(2) フランス革命 とそれ に続 く恐怖政治の時代な どのよ うに処刑者が多数でた際の臨機 の処置 とし ては誠に効果的で妥当である。
(3) 当時は、斧による首切 りが行われていた時代であ り、そ うした背景 を考 えれば残虐度はむ しろ 少な く、死刑囚はむ しろ望んだのではないか。
否 とする意 見
(1)能率的に人を殺す装置 とい うのは、 ど うみて も野蛮で残虐で生命の尊厳‑の侵害ではないか。
(2) 100%仕損 じがない よ うに見えるあの装置はや られ る方 に とっては、心理的に耐 えきれないほ ど の恐怖感をあおるのではないか。
(3)電気椅子や薬殺に比べた ら前時代的で残虐である。
(4) どんな殺 し方であれ死刑制度その ものに反対だ.
コメン ト :死刑制度がある とすれば、何 らかの方法で執行 しなければな らないが、その方法はその 時代の技術水準や刑罰思想に制約 され る.車引きによる八つ裂き もあれば火あぶ り、釜茄で もある0
その他、銃殺、縫死、薬殺、電気椅子 もあろ う。 これ らの方法の うちどれが 人道的で どれが残虐か とはにわか に決め られないだ ろ う。問題はそれ を どのよ うに使 うかである。火あぶ りとい って も燃 えに くい生木 による ものな ら苦痛が長引 く点で残虐 となる し、銃殺だ って急所をはず して何発 も銃 弾を打 ち込めばそれ こそ一 寸刻みの死の与え方 となる。ギ ロチ ンはその点か ら言えばそれ らの余地 を残 さない点で人道的 といえるか もしれない。心理的恐怖感を考慮に入れていない とい う点は別 と して、可 とす る意 見はいかに ももっともと思われ る。この間題 に関 しては、この装置を必要 と考え、考 案 した科学者個人の心のあ り方 とこれを使用 して死刑 を執行 した行為 とを分 けて考えない といけな いよ うな気がす る。執行その ものは倫理的に非 とされないが、「能率的な人の殺 し方には ど うい う方 法があるか」 を必死 に考え、発明 した当の技術者の心情 には与 しえないOそ うした動機 は、 ど うみ て も人道や生命の尊厳 に反す る と思 えるか らである。た とえ当局か ら要請 されて もその種の新技術 の研究や開発は辞退す るのが科学者の良心ではないだ ろ うか。
事例4.最後に もう一例、人間の尊厳にかかわ る新技術 を挙げたい。
「クロ‑ン人間の産生」についてである。昨年 (2002年)の暮、ア メリカだ った と思 うが、ある宗 教団体が設立 した研究所で クローン人間を誕生 させた と報 じられたQ除核 した未受精卵に女性の皮 膚細胞の核 を移植す る方法だ った らしい。 女児でイヴ と名付 け られた と言 うが、DNA検査 を して いないので真偽の程は解 らない。 これ について も賛否取 り混ぜて色々な意 見がある。以 下主な意 見 を紹介 してみたい。
可 とす る意 見
(1)遺伝 子配列がオ リジナル と同一 とい って も、双生 児にみ られ るよ うに環境要 因によって性格や 個性 は微妙に異なってお り、特別視 しなければ さほど問題ではない。
(2)医療上い くつかの メリッ トがある。例えば、ある種の不妊カ ップルや子供の欲 しい同性愛者 に 希望を与えた り、移植医療 に有益であった りす る。
(3) 人間の成長の上で遺伝子要因 と環境要 因が どのよ うに影響 を与えるかを研究す るためのテス ト ケースにな り得 る。
コメン ト :賛成す る意見はさすがに余 り見 られない。遺伝子条件が同 じであって も環境要因いかん で別人格 にな りうるか らよいのではないか、 とか、 ごくまれな希望者に道 を開いておいた ら、 とか い うものだが、このケースに関 して果た して刑事事件の よ うに、「疑わ しきは罰せず」で行けるか ど
うかは疑問である。
否 とす る意 見
(1) 自然に生 まれた双生 児は ともか く、人為的に作 られた コピーは唯一無二の個性的存在 (風貌、
性格、能力、資質、思想、感性等) とい う人間の尊厳条件に反す る。
(2)例えば臓器提供者 として クローンを作ることは人間を手段や道具 とみなす ことであ り、尊厳に 反する。
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1■
(3)私が死んで も私の分身 として私のクローンが生き続 ける とした ら、命が一般にないが しろにさ れかねない。同 じ人が二人 といないか らこそ別れや死が悲 しいのであ り、そ うい う悲劇が織 り込 まれているのが人生なのである。
(4) クローン技術には科学的にまだ未知な部分が残 っている.例 えば、真宗教団体の研究所では何 百 と失敗 を繰 り返 してや っ と誕生 した と発表 した し、また、イギ リスのクロ‑ン羊 ドリ‑は通常
よ り半分の6歳で老化 し死んだ。その他隠れた先天疾患があるか も知れない。
(5) これ までの不妊治療は生殖への人為的介入ではあって も、精子 と卵子の遺伝子の交わ りとい う 最小限の歯止めは守 っている.クローンは、それ を取 り去 った点でおそ るべ き神城‑の侵入であるo (6) 遺伝子の多様化が生殖の本義であ り、それがまた種 の繁栄 につなが る とい うのに、誰かのコピー
で子孫 を作 るのは こ うした 自然の淀にそむ く自滅行為である。
(7) クローン人間に対 し特別視す るな といって も現段階では無理で ど うして も奇異の 目で見 られ、
社会的に差別 されかねない。
(8) 動植物の場合は個体毎の個別性はあま り顕著でないか らコピーで も問題にな らないか もしれな いが、 こと人間に関 してはコピーである とい うだ けで尊厳が失われ る。
(9) オ リジナル (親)が 自分のコピー (千)を 自分 とは別の独立 した別人格 とみなす とは思えない し、子 も自分が コピー と知 った らシ ョックでま ともではい られないだ ろ う。
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奴隷や兵士、また、移植臓器提供者 として どん どんクローン人間を工業的に大量生産す る方 向 に進 まない とも限 らないので今の段階で禁止すべ きである。コメン ト :見 られ るよ うに実に多 くの反対論がある。 中で 目を引 くのはなん といって も尊厳 を論拠 とす る意見である。人間の尊厳 とは改めて言 うまで もないが、唯一無二性、 目的 自体性等か ら発す る人間個人のか けがえのない至上の価値性 のことだが、 クローン技術は これをな し崩 しにす る とい うものであるO (4)は、未知な部分、危険可能性があるか ら禁 止すべ き、 とい うもので 「疑わ しいか ら罰す る」の立場で、テクノ ロジーアセスメン トでは影響力の大き さか らして これが正 しいのでは ないか。 また。 (6)も傾聴に値す る意見である。 自然法則的には混血 による遺伝子の多様化が種 の保 存に貢献す る とい うのは事実である。 クローン技術は、遺伝子の継承 とい う点か ら言 えば単純再生 産 もしくは縮小再生産 に他な らないか ら、人類史的には背信行為 といわざるを得ない。その他、社 会的差別、人間本性等 を理由に した意見 も見 られ る. こ うした、反対論 の大きさか ら考 えればクロー ン技術の導入には慎重でな ければいけない と思われ る。
以上、高度テクノ ロジー社会が生み出す様 々な新技術に関 して、特 に生命操作技術に偏 っていた が、その導入の可否について賛成反対のいわゆる倫理的評価 を加 えてきたわ けだが、ではいったい そ うした倫理的評価 を下す ときの評価の基準、または、根拠 とな っている原則 とは ど うい うものだ ろ うか。
3.倫理的評価 とはなにか
まず 「評価」 とは、 当然のことだが、 「ある事柄が苦いか悪いか」の価値の感得の ことであって、
「ある事柄がなんであるか」 にかかわるいわゆ る 「事実認識」 または 「存在認識」ではない とい う ことは確認 しておかねばな らない。哲学 史的に言えば、 こ うした事実判断 と価値評価の違い、価値 認識 の客観性、諸々の価値質の分類 と序列、価値認識の存在認識 に対す る優位等、価値哲学の諸問 題は、古 くは新カン ト派 (西南学派)が、またマ ックス .シェーラー も詳細 に展開 した ところであ る。 ここではこ うした専門学史的内容には立ち入 らない ことにす る。要す るに、この両者(「それは
なんであるか」を知 ろ うとす る態度 と 「ある事柄が よいか悪いか」とい う有意味性 にかかわる認識) は世界に対す る人間の等根源的な二つの異なる態度である とい うことである。
われわれはその都度、何 らかの実践的関心か らある事柄 の事実認識 を獲得 し、それ に基づき評価 を下 し、実践活動‑ とつなげて 日々を送 っているわ けだが、その場合の評価 の基準は ど うい うもの だ ろ うか。勿論個人差はあるだろ うが、大筋では、当該社会でおのずか ら伝統 を踏 まえて形成 され た 目に見えないルールブ ックが、常識な り価値観な り倫理感な りの形で血肉化 しているのではない だ ろ うか。
そ うした倫理についての感覚に基づいてある事象に関 して、それは善い、賛成だ、 とか、いけな い とかの評価 を下 しているわ けである。その点か ら言 うと、 こ うした倫理観 に相当す るものは、 当 面 自由主義の倫理原則 とい うものであろ う。そ こで、い ささかいまさらの感が しないで もないが、
我々の常識 となっているこの原則について解説的説明を加 えておきたい。
倫理 とは、先に も触れた よ うに、行為や心情の是非善悪の基準の ことだが、古来それ については、仏 教倫理、キ リス ト教倫理等、種々の考え方がある。だが今 日世界的に承認 され 普及 している基準は、近 代市民社会 において形成 ・確立 された、 自由主義の倫理原則だ ろ うと思われ る。 この原則 とは、簡 単に言えば、「他人に危害や迷惑 をかけない限 り、何 を行 って も良い。た とえ他人か らみて愚か に見 えよ うとも干渉御無用 に願いたい。但 し自分の行為の結果 については責任を負 う。」とい う、いわゆ る他者無危害 の原則 (principleof"Don‑tdoham to others")である。その根底には、人間の尊厳や 自主独立性の尊重、人権‑の配慮 とい った近代 市民倫理の理念が控 えている。 ここには政治権力や 宗教的権威な どの理不尽な弾圧か ら個人の 自由 (自律性、 自己決定権) を最大限に守ろ うとす る価 値観が濃厚に見 られるが、 これは宗教改革や啓蒙運動 ・市民革命等 を通 じて獲得 された貴重な成果 であ り、 ロックやカン ト、 ミル等によって形象化された ものである。わが国において も基本的人権 とい う形で さまざまな権利が憲法で保証 されている (第三章 国民の権利及び義務)。国際化がすす み、民族性や宗教色 を強調す るのでは交流が困難にな り、 ローカル性か らの脱却 とグ ローバル化が 求め られ るよ うにな っている20世紀半ば以降の今 日、以前 にもま して このよ うな 自由主義 の原則の 有効性が増 していることは事実である。我々は ともあれ 自由主義的センスを持 っていれば 「非難 さ れない」市民生活を過 ごせ る と言 うものだ ろ うし、制度的にもそ うした しくみができているのであ る。ただ しこれ に も以下に見るよ うな、留保 もしくは難点があることを見落 とすわ けにはいかない。
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自由が最大限保証 されている我 々だが、 よ り子紬に検討す る とこの 自由には さまざまな重荷があ ることに思いを致 さねばな らない。 まず、「責任 を負 う」とい う場合、この責任には故意的な 自己責 任のみな らず、過失責任や無過失責任、 さらには共同責任、不作為責任まで も含 まれ ることが第‑‑ である。無過失責任 についてはすでにわが国で も特 に欠陥商品を販売 した企業の製造物責任が問わ れるよ うになっている。いわゆ る厳格責任である。行政等の不作為責任が問われた判決 も出ている。
近年では、プ ロバイダ責任制限法 (ホームページ掲示板な どで人権侵害があった場合、ある種 の条 件の下で特定電気通信役務提供者、いわゆ るプ ロバイダの責任 を問 う) とか、健康増進法 (25条で 公共的場所では管理者は受動喫煙の防止策 を取 らねばな らない とうたっている) とかで管理責任 を 問 うよ うにな っている。「危害」や 「迷惑」の範囲は人々の欲望や権利意識 と相関 して どん どん拡張 してい く可能性があるわ けである。次に、それ と関連す るが、「他人に迷惑をかけない」で 自由を行 使する とい うことは存外難 しい ことに も気付か され る。 とい うのは、生命 ・身体の穀損 ・財産侵害 ・ 心理的嫌が らせ ・権利侵害 ・名誉穀損等な ど、他者‑の種々の迷惑のかけかたがあるか らである。
加えて、愚行権 にもある種 の逆説が潜んでいる。「愚かな」行為の 自由 といって もそれ はあ くまで他 人か らみての ことであって、 自分でそ う思 っているはずはないであろ う。なぜな ら、意図的に悪や 堕落を求め自ら破滅 しよ うとす る人は例外的であ り、人生に生きがいを求め、賢 く生きたい と思 う のが通例だ ろ うか らである。であってみれば、 自由の行使 にあたっては、単に悪 を犯 さなければ よ い とい う消極的心掛 けではな く、「善 く生きる」とい うソクラテス以来の倫理的希求‑の顧慮 も不可 欠であろ うD
その点か らすれば、 自由主義の倫理原則は、あ くまでや ってはいけない ことの基準 を示す消極的 基準であ り、推奨すべき行為規範ではないのであるoそれ によれば、無政府状態 をかろ うじて避 け
られるだ ろ う、最低限の原則 といわねばな らない。
最後 に、昨今環境問題や生命倫理の立場か らの問題提起 もある。例 えば、「他人に迷惑云々」とい う場合の他人には、未来世代が含まれ るのだ ろ うか。共時的には誰 に も迷惑 をか けない行為で も彼 ら、今現存 しない未来世代の人利 ことって致命的迷惑 となることもあろ うO また、 自分が望むか ら といって、男女産み分 けや 中絶、代理母、安楽死等の実行を求めるのは是認 され るであろ うか。個 人の 自由だか らとい って生命 を安易に操作す ることには問題があるのではなか ろ うか。 これ らは 自 由主義の原則‑の反省 を迫 る問題状況であろ う。
このよ うに考 える と、 自由主義の倫理原則 とい うのは、決 して完結 した ものではな くて新たな状 況に合わせ、次第に 自由の幅を狭 め られ、いずれ は別の原理 (おいそれ とそれが見つかる とも思 え ないが)に とって代わ られ る可能性 を持つ当座の道徳 とい う性格 を持 っていることは否定できない だ ろ う。
ところで、 自由主義 の倫理は、現代社会 に生きる人間の行為や心情全般にかかわ るおお もとの原 則だが、その下に各領域 に関す る各論的な部分原則 とい うものがあるだ ろ うことは予想がつ く。生 命操作技術一般に関 してのそれは特 に生命倫理 と呼ばれ るものであ り、諸々の倫理 コー ドに表現 さ
れている。病院などで倫理委員会 とい うのがあるが、そ こでは常識化 している自由主義の市民的倫 理感に加え、 これ らのコー ドに基づいて、医学研究や臨床上の様々な手順や方法について倫理面か
らの審査を しているわけである。
倫理 コー ドには、ニュルンベルク綱領 (1947年)、48年のジュネーブ宣言、64年の‑ルシンキ宣言 (その後5回改正)、73年の看護婦の規律な ど数々ある。遺伝子解析関係ではア シロマ宣言 (75年)、ヒ トゲノム と人権に関する権利宣言 (97年)等がある。わが国独 自の基準 として も関連学会や関連省 庁等の規定 した数々のガイ ドラインがある。医学研究 ・医療における倫理審査 とは基本的にはこれ らの宣言やガイ ドライ ンの条文に沿い適切性を審査することだ と思われるが、 しか しだか らといっ て実際の審査に当たって これ らの宣言類のいちいちの条文を参照 してチェックする とい うの も現実 的ではない。要はその精神に反 していないか、 とい うことだ ろ う。その精神 とは私の考えるに結局 は当該個人の人権‑の配慮 と社会的 コンセンサスの2つに帰着す るのではないか と思 う。
(1) 人権尊重 とは、苦痛度や危険性が小 さい、患者の利益になる、将来の社会的利益 よりも当の患 者個人の人権擁護を優先 させている、他にもっと手軽で適切な選択が見当た らない、プライバ シー の保護等であるが、実験や研究な どでは直接には当の患者や被験者の利益にな らないこともある か ら、結局は当事者が十分納得 した上で治療や研究が行われていること、つま り、インフォーム ド・
コンセン トが適切に行われているか否かのチェックとい うことになるはかない。それを確認する のが倫理委員会の第1の任務であるか と思われ る。医療側は十分な情報開示を行い、患者側はそ れを理解 し判断する能力があ り、強制 されない状態で意志決定が行われ ることが必要条件であ り、
これに沿 って審査は、治療手技やその危険性、効果を立証す る先行研究や研究プロ トコル、また 説明内容を記載 した文書、承諾書、辞退書な どを子細に点検 した上で 自由意志による合意の有無 を確認するわけである。
(2) 社会的 コンセンサス とは何か とい うと、可能な技術を使 って患者のニーズに応 じる とい うこと は大事だが、されば といって危険度 の小 さい処置について医療側 と患者側が合意すれば何で も や っていい とい うわけには行かないのではないか、 とい うことである。安楽死を始め として代理 母、先にみた男女産み分けや 中絶など、問題を含む技術 もある。可能だか らといってすべてが許 容 されるもので もあるまいOイ ンフォーム ド・コンセン トだ けではこれ らをチェックできないわ けである。それをカバーするのが社会的コンセンサス とい うことだが、それは、結局は当該社会 の法的規定や倫理的常識に照 らして大方の賛同が得 られ るか どうか とい うハー ドルである. とは いって もその評価は難 しい。明文化された法律や判例がある場合は ともか く、倫理感 となると人 によって様々だ し、同じ個人において も暖昧 さが伴 うか らである。加えて、新 しい治療手段、テ クノロジー とい うのは常識や既成判断の手に余るものが多 く、だか らこそ新 しいのであ り、ほ と ん どが拡張判断を求め られるか らでもある。従 って審査の結論 自体 も時 と共に変わ って行かざる を得ない面があるO
こうした難 しい社会的 コンセンサスの評価のために必要なことは、以下の3点をいつ も心に止め
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てお くことではないか と思 う。
① 病気の種類 によっては (特 に難病 ・奇病 ・不妊等)少数者 しかかか らない病気があること。特 にあ る種 の遺伝性 の病気 は・特定 の家系 に しか受 け継がれ ない、とい う特徴があ る。だか らとい ってそ の処置 に関 して、 自分達 には縁がない とい った単純な多数決 の論理で判断 してはな らないのでは ないかo死や病 気は誰 に も訪れ る ものであ り、その訪れ方 に違いがあるだ けで しかないか らである。
② 新 しい科学技術 は急速なテ ンポで開発 され る とい うこ と。 柔軟 な判断 力で対応 して行かなけれ ば、進歩 を足止 め させ ることになる。勿論そのすべ てが問題がないわ けではない こ とは、かつて の ロボ トミー手術 を想起す るだ けで十分だ ろ う。 ある科学技術が新 たに開発 された とき、その導 入の倫理的 可否の決め手 に関 して、加藤 尚武氏 (現在鳥取環境大学長)は、「その技術が将来極大 に発達 した ときに起 こるだ ろ うことを想定 し、問題 を含んでいた ら、現在 に立 ち帰 って今 の段階 で しか るべ き措置 (阻止す るな り、条件 をつ けるな りす る)を とる こ と」 としてお られ る (『脳 死 ・ク ローン ・遺伝子治療』pHP新書)O これ は大いに参考 になるのではないかO
③ 最後 に、何 と言って も倫理委 員会が 自由な議論が行 える雰 囲気であるこ とが大事である。 当事 者 とは直接利害 関係 のない第3者で構成 され てお り、各 自が個人 の資格 で 自己の良心 に従い真剣 に議論す る とい うこ とが、一定の社会的常識や法律 関係、 当該文化圏の倫理感 を正 しく反映でき る上での基礎条件 とな る と思われ る。
これか らの医療 の展望 を考 えれば、 医科学が ます ます進歩 し、実験 ・研究特 に遺伝子解析や 治療 にかかわ る新 しい試みが多 くな って くる とともに、患者 中心 の医療への要求 も高 まって くるだ ろ う。
それに伴い難 しい倫理的判断 を迫 られ る事例 も多 く出て くる と予想 され る。医療化社会 にあ っては、
医療の門外漢 といえ どもこ と自分 の身体や生命 にかかわ る ことだ けに明敏 な評価眼を磨いていかな くてほな らないのではないか。
以上本稿では現代社会が提起 している種 々の倫理 問題 を概観 した上で、それ らの うちのい くつか についての評価 もしくは考 え方の一例を示 し、最後 にそ うした評価 の もとにな ってい る根拠 につい て考察 してみた。
参考文献
レイチェル ・カーソン、青樹築‑訳 『沈黙の春』新潮文庫、1974 盛永 ・森下他編 『生命倫理事典』太陽出版、2002
加藤尚武 『脳死 ・クローン ・遺伝子治療』、PHP新書、1999 加藤尚武 『合意形成 とルールの倫理到 ]、丸善ライブラリー、2002
倉持 武 『脳死移植のあしもと‑哲学者の出番です‑』、松本歯科大学出版会、2001
五十嵐靖彦 「医療資源 としての人体の利用について」、『セ ミナー医療 と社創]、第16号、1999 五十嵐靖彦 「人間の尊厳 と現代医療」『セ ミナー医療 と社会」]、第23号、2003
五十嵐靖彦 『愛 と知の哲学』、花伝社、1999