東 吳 大 學 日 本 語 文 學 系 碩 士 論 文
指導教授:朱廣興 教授
漢字語意の特徴について
—日中同形語の研究をめぐって—
Semantic features of Chinese characters
—Study in isomorphic language of japanese and chinese—
研究生:陳瑞苓 撰
中文摘要 現今,中日同形語之相關研究,大都是主張因國籍不同而造成漢字語意不同的 論述。因而呈現出同形語乃是由於國籍、文化差異、中文及日文兩種不同語言所產 生的研究現狀。然而對於漢字為何會形成不同認知的真正原因,則完全未加以探索。 本研究即在探討上述中日同形語之異國文化影響論是否正確。 有關中日同形語之異國文化影響論,賀光輝、顧鳳祥(2004)指出,即便使用 共同語言的中國及台灣,亦因政治、經濟、文化之不同,使得漢字語意產生差異。 另外,2010 年 12 月 27 日台灣的華視新聞亦有相同報導。並舉「台灣人說窩心, 是形容很溫暖很感動,但大陸的窩心,卻是很不愉快的意思。」為例佐證。由此可 證,同形語並非因所謂的日本及中國之異國文化影響而生,而是受到地區影響形成 的。 由於漢字並非以文法形式來顯示字與字之間的關係,所以,無論其結合與否, 所形成的語意均受週遭環境影響而產生變化。故而漢字之間並無必然的關係。因此, 漢字會受地區影響,並依環境、文脈以及談話狀況等外在因素,而產生認知上的變 化。所以,漢字的組合,是文法無法分析的結果。例如,無性別區分的「老」與「頭」, 結合為「老頭」,成為年老男性之後,即產生具有性別的意涵。這是因為漢字之間 沒有必然關係,因而當它和其他漢字結合之後,字的概念即融合為新概念。而這些 漢字組合的認知,則均由地區的共識產生。亦即社會通念。 總言之,同形漢字之所以會產生各種不同語意,乃因擁有上述特徵,以及受到 地區影響,並非因為國籍不同使然。而其所生成之語意也僅是在地區共識下所產生 的結果。 因此,今後在不同地區看到同形漢字時,切勿以自己既有的認知結果,來認知 其他地區所形成共識之語意,而是必須將之視為新單字加以認知。先行理解該地區 的共識之後,再進而認知該漢字之語意,方為正確的漢字認知方式。
Abstract
Nowadays, most researches of Chinese or Japanese homographs suggested that different meanings were caused by different nationalities, cultures and languages. But, none of them have discussed the true causes of different cognition. This study aimed to explore whether foreign cultural influences on Chinese or Japanese homographs is correct.
According to cultural differences theory, Guang-Hui He and Fengxiang Gu (2004) have pointed out even Chinese mainland and Taiwan using the same languages may exist different meanings of same word due to the different politics, economics and cultures. In addition, CTS News had the same report on December 27, 2010 — “窩心 means very warm and impressed in Taiwan, but unpleasant in mainland.” It is clear that homographs are not caused by differences in Chinese and Japanese cultures but regional influences.
As the relations between Chinese characters are not revealed in grammar, no matter they combine or not, the meaning all affected by environmental impacts. Therefore, there is no certain relation between words and the changes in cognition affected by external factors, such as regional influence, environment, context and conversation, etc. Moreover, the combination of words can’t be analyzed by grammar, for example, gender-free words “老” and “頭” form “老頭” means old man. This is because there is no certain relation between words, as it combines with other words, a new concept is produced. However, the cognition of this combination is caused by regional consensus, i.e. social common sense.
In a word, it was because of the features mentioned above and regional impacts, not the different nationalities that homograph Chinese characters can produce various meanings. Moreover, those meanings were the results of regional consensus.
Therefore, if we saw homographs in different areas, we should not rely on our existing cognition to understand their meanings, but treat them as new words. The best way to learn Chinese is to understand regional consensus first, then cognitive its meaning.
謝 辞 本研究を遂行し学位論文をまとめるに当たり、終始暖かいご指導 とご鞭撻を賜りました、指導教官である朱廣興教授に心より深く感 謝しております。朱教授のお蔭で、この論文を完成させることが出 来ました。また、この研究を通して、漢字の特徴及び漢字語意は地 域によって異なる認知が生まれることが良く分かりました。本当に とても良い勉強になりました。言葉が無いほど感謝しております。 そして、論文の書き方を啓蒙して頂いた大学院の鄭壹芬先生、多 くのご助言を頂いた林文賢先生に深く感謝しております。永眠した この二人先生に感謝の気持ちを持ちながらこの論文を捧げます。 最後に、大学院の入試受けを励ましてくださった上司の田中正総 経理に心より感謝しております。そのお蔭で、大学院に入れ、素晴 らしい勉強が出来たのです。田中総経理は仕事上や日本事情を多く 教えて頂き、人生の大先輩としてもずっと支えて頂きました。この 論文に関しても、数々のご助言を賜りました。この紙を借りて再び 感謝の意を申し上げます。
目 次
第 1 章 序論 ...1 1.1 研究動機及び目的 ...1 1.2 研究範囲及び方法 ...11 1.3 本論文の構成 ...12 第 2 章 先行研究 ...13 2.1 異国文化影響説について ...13 2.2 漢字の認知に役に立たない結果論 ...23 2.3 日・中における「中」の定義について ...28 第 3 章 漢字の特徴 ...33 3.1 漢字は表意文字 ...34 3.2 漢字には屈折及び語尾の変化がない ...39 3.3 漢字の語彙とは偶然の組み合わせ ...46 第 4 章 漢字への認知 ...53 4.1 漢字と漢字との間には必然的な関係がない ...53 4.2 分析できない漢字の「構造」 ...60 4.3 漢字の地域性 ...68 第 5 章 結論 ...77 5.1 まとめ ...77 5.2 漢字に関する教育への提言 …...81 参考文献 ...82第 1 章 序論 1.1 研究動機及び目的 言語とは、地域の生活者がコミニケーションをするために使う道具である。 そして、それを表記するのは文字というものである。 世界中において、多くの地域で同じ漢字を文字表記として用いる言語は少な くない。その中に中国語は言うまでもなく、日本語にも漢字を多く使用してい る。日本語における漢字は中国語と同じであるとは言え、全ての同形の漢字は 同じ意味とは限らない。この部分について、日中同形語(以下は同形語と略す る)として研究されている。今まで同形語についての研究は殆ど国が違えば漢 字は異なる意味が生じると言う論説である。しかしながら、果たして同形の漢 字が違う意味に成ることは国の違いが原因で生じた結果なのか、若しくは、漢 字自身の特徴がもたらした必然的な結果であろうか。もし後者が原因であるな らば、たとえ中国語においても、国が同じても違う地域であれば環境の違いに より異なる結果になるであろう。 従来、台湾、香港、中国の三地域は、同じ中国語を使用している一つ漢字文 化圏の人と視されている。故に、日中同形語についての研究は、殆ど日本語及 び中国語の両言語より生じた同形語を中心として研究されている。さらに、そ の意味の異同を追究することを重点としており、国(日本及び漢字文化圏)及 び文化の差異が原因と考えられている。そして、 「由於中國與日本在社會、文化、制度、生活習慣等諸方面的不同,中日同 形詞所指對象也有差異1。(中略)如“教官”一詞,現代漢語中“教官”指
1下線は筆者によるものである、以下は同様。
舊時軍隊及學校中擔任教練的軍官,而日語中的“教官”所指為國立學校及 研究單位的教員,無“軍事教官”之意。這類詞意差異産生主要源自兩國社 會、文化、行政制度等方面的不同。」(毛 1999 , p.46) <中国と日本では、社会、文化、制度、生活習慣などの各方面が違うこと により、日中同形語がおのおの意味している対象も異なる。(中略)例えば、 “教官”という単語、現代の中国語の中で、“教官”は昔の軍隊及び学校 の中で教育を担当する士官を示している。しかし、日本語の“教官”では、 国立大学及び研究部署の教師を意味している。“軍事の士官”という意味 は全くない。このような語意の差が生じるのは、両国の社会、文化、及び 行政の制度などが異なるからである。>2 のように、同形語を研究するとき、全て日・中、つまり国を二つ単位としてい る。即ち、漢字が違う国へ導入されることによって、語意に差異が生まれてく ると視されている。 しかし、中国及び台湾、さらに中国の各地域においても漢字への認知の差異 が存在している。 例えば、「土豆」は、中国ではじゃが芋を意味している。台湾では落花生を意 味するのとは異なる。中国と台湾は、この字に対して全く異なった意味を持っ ている。即ち、同じ華人の社会であっても、漢字の意味に違う認識が形成され ている。これは、中国や日本といった国の違いが原因で、同形語が生まれてく るではなく、漢字は地域によって異なる認識がなされ、そして自然に別の意味 になるのである。
2 <>は筆者が翻訳した訳文である、以下は同様。
また、女性に「小姐」という言葉を言ったら、上海ではただ単に女性を意味 するが、北京では水商売の女性という意味がある。この例から、同じ民族、文 化である中国で、中国語を用いる地域でも、各地域により認知の結果は異なり、 漢字の用い方に違いがあることが分かった。 それにもかかわらず、この現象を無視されたまま、これまでの研究は、 「日本と中国は漢字文化圏の中に所属し、共に同じ漢字を使っているので 日中両言語には同形語が存在する。ところが両国で使われている漢字は読 み方に異同があり、両言語における漢字の意味も全く同じだとは言いかね る。同形の漢字でも意味が同じもの、意味が重なっているもの、全然違う ものがある。」(曽根 2005)3 のように、確かに日・中同形語にぴったり焦点を合わせて行われ、中・台同形 語には言及していない。つまり、同形語の問題は同じ漢字を用いている中国と 日本という国の違いが起因だと位置付けされている。そのため、中国及び台湾 についての同形語は、今まで殆ど研究されていない。唯、雑談の話題とされて いるのみで、この点に目を向けていない。これは、皆は、華人なら全て同じ、 同形語という問題は中国と日本にしか生じないものと思われているからであろ う。 しかしながら、前で取り上げた例のように、中国及び台湾、さらに中国の各 地域においても漢字語意の差異が存在している。地域がずっと離れ、社会風土 も違い、政治体制や経済状況が違ってくると、そこに当然外国語のような別の 「言語」というものが生まれてくる。しだがって、漢字は国に影響するという
3 http://sky.ap.teacup.com/bsgk20/19.html 国際交流広場「日中同形語」曽根博隆 2005
よりも、地域の共同認知の差異に影響されて語意が異なってくるという方が適 切だと思われる。 漢字は、前述のような地域性のほか、用いられる環境或は語中の置かれる位 置により、語意に変化が生じてくる。下記の例を見てみよう。 1a 你愛人好嗎? (中国)4 <旦那さん(奥さん)は元気ですか。> 1b 我的愛人再見。 (台湾) <さようなら、恋人。> 1c 愛人ができた。 (日本) <妻や夫以外に深い愛情関係のある人がで きた。> 愛人と言う漢字表記について『中日辞典』には「“愛人”は新中国成立後に 定着した言い方なので、台湾・香港や在外中国人社会では“太太tàitai”(奥さん)、 “内人nèiren”(家内)、“先生xiānsheng”(主人)などが使われる。」5と書かれ ている。 「愛人」は華人社会で中国地域のみ配偶者として認知されている。しかし、 台湾では、恋人や人を愛する意味と認知されている。「愛」と「人」の其々の意 味が結合して認知されたのではない。だから、分析する意義は無い。何故なら、 それは各地域で既に共同認知されているからである。ところで、日本語で「愛 人」と言えば、昔は愛する人や人を愛する意味であった。しかし、今では人を 愛するという意味はなく、愛する人という意味よりも、むしろ特別の関係にあ る異性、つまり情婦、情夫として使われている。
4 本稿であげた、出ところが表記されていない例文はすべて筆者の作例である。 5『中日辞典』(1992)p.7
例 1a~1c により、 「愛人」 中国:配偶者。 台湾:恋人や人を愛すること。 日本:通常特別の関係にある異性。情婦、情夫。 同じ「愛人」という漢字表記であるが、地域によりおのおの意味が異なって いる。 2a 有了武漢長江大橋,從北京到廣東就不用在漢口倒車了。(中国) <武漢長江大橋ができてから、北京から広東へ行くのに漢口で乗り換 えなくてもいいようになった。>6 2b 倒車時若不注意後面的車子,會很危險。(台湾) <車をバックする時、後ろの車に注意しなければ、危ないよ。> 中国では「倒車」を乗り換えと認知されていることによって、台湾では車を バックすることとは別に意識されている。 例 1a~2b は、同じ形の漢字を表記されている言語だが、用いられる環境によ り、異なる運用になされ、そこで、意味が異なってくるのは当然だと言えよう。 3 A さん:這件衣服的款式最近很流行,明天穿出去不曉得會不會跟別人一樣。 <この服のデザインは最近流行っていて、明日これを着れば、他人 と同じ服になるかしら。> (翌日、A さんは友人に下のように話した。) A さん:唉!撞衫了! <あ~あ、同じになっちゃった。>
6『中日辞典』(1992)p.289
撞衫は台湾でよく使われる言葉である。当日着た衣服が他人と同じ時に、大 部分の台湾人がそういう場合に不快感を感じることを意味している。 台湾人は「撞」が持っているぶつかると言う意味で、物にぶつかった(重な った)と言う意味を転用して、不快感を表す。また、「衫」は服を指している。 つまり、衣服が他人と同じ時に「撞衫」と表現する。このパターンで、靴が同 じ場合は「撞鞋」<靴が重なった>、鞄が同じ場合は「撞包」<鞄が重なった >…などと援用されている。一方、中国では、「撞衫」と言う言葉はないし、こ れに対する同じ認識も勿論持っていない。 この言葉は、台湾の生活環境から、創造された新語である。新たな字を作る ことなく、既存の漢字を改めて組み合わせ、その心境を描写している。もし、 この環境が分からない限り、この場合の「撞衫」の意味も理解できないと思わ れる。 4a 我要去買東西。 <買い物に行きます。> 4b 這條道路連結東西二向。 <この道路は東西を結んでいます。> 前者の「東西」は、物を意味し、後者は、東及び西の方向を指している。こ の二つの文の中の「東西」は、完全に違う意味を指していることは、前後文を 見ないと、何れが何れの意味であるのかを確認し得ない。 5a 大家さんに部屋代を払う。 5b 彼は書道の大家だ。 5c 20 代続いた大家7。
7『日中辞典』(1987)p.1101
たとえ単に「大家」という漢字のみで、前後文がない場合なら、これは果た してどういう意味を指しているのかは、判明できない。しかし、このように前 後の文があれば、「貸家の持ち主」、「ある分野で、特にすぐれた見識・技能をも っている人」及び「金持ちの家。また、社会的地位や身分の高い家柄。」8という 意味が判明できることになる。 中国語であろうが、日本語であろうが、漢字を言語の表記とする限り、4a~5c の例のような同形な漢字で違う意味になるのは避けれないのである。たとえ同 じ地域、同じ言語にある同じ形の漢字でも、文中に置ける位置より、その語意 は異なってくる。即ち、全体の文脈で当該字が示す意味を判明することである。 望月八十吉も中国語の文脈依存性を認めている。 ⑮對於我們的評價很正確。 ⑯對於我們的評價,他很不滿意。 下線を施した部分は、文脈から切り離されると、<われわれに対する評価 >ともとれるし、<われわれの評価に対して>ともとれる。そのいずれで あるかは文脈によって決定される。文脈といっても、この場合は後続の語 句によって決定されるのであるから、文が終ってしまわないと分からない と言える。9 漢字は文脈より語意を認知する以外に、言語を表現する環境も語意に変化を 与える。これについて、朱(2012 , p.101)は「言語環境を知った上での認知手段 を、新しい用語で『語境認知』と称してきた。」と述べている。例を見てみよう、
8 http://dic.yahoo.co.jp/「Yahoo!JAPAN 辞書のサービス」 9『中国語と日本語』(1974)p.34
6a 我已經在要去公司的路上了。 <もう会社へ行く途中。> 6b 路上有一個大洞。 <道路には大きい穴が出来た。> 同じ「路上」であるが、用いられる環境、即ち語境より違う意味と認知され ている。語境から切り離されると中国人でも真の語意を判明できない。 7a 先喝口水再説。 <一口の水を飲んでから、話をしましょう。> 7b 想到他的料理,讓我口水直流。 <彼が作った料理を思い出したら、唾が出てきた。> 前者の「口水」は、「口」と「水」二つの単語であり、一口の水ということを 指し、後者は、一つの単語であり、唾を意味している。同じ漢字が並んでいる が、その前後によって二つの単語と成ったり、一つの単語と成ったりする。そ して、それぞれ違う意味であるのは言うまでもない。つまり、どれとどれが一 つの組みなのかが判断できる。それによって、語と語の区切りも判断できる。 それは、語中に置かれた位置から判断する以外に方法はない。 以上の例から、地域性を持ち、さらに用いられる環境及び語中に置かれた位 置により、語意に変化が生じる漢字は文法によって分析できないことが分かっ た。ゆえに、違うところで違う意味として認識されても、不思議なことではな い。つまり、同じ漢字の組み合わせであっても、必ず同じ認知結果とは限らな い。したがって、漢字語意が変化するのは、国というよりも、むしろ、地域に 影響されているというべきである。即ち、地域及び全体の環境などの外的要素 に影響されたためと言える。
例えば、例 3 の「撞衫」を見てみよう。台湾のほかのアジアの漢字文化圏社 会、若しくは漢字を勉強している人には、恐らく「撞衫」を「撞」はぶつかる、 「衫」は服という意味、即ち、「撞衫」は服にぶつかる事を指す、と自分が持っ ている既存の認知で解釈するだろう。しかしながら台湾における本当の意味は 衣服が他人と重なった「撞衫」は、言葉の構造より分析出来る漢字の組み合わ せではない。ならば、その地域の人に聞き、そして認知する以外に方法はない。 いわば、言葉の構造よりこの字への理解が出来るのではなく、地域における環 境及び社会一般に通用している常識または見解を理解する必要がある。このよ うな地域の共同認識から認知していなければならない現象を「社会通念」と称 する。 朱(2012)も語境認知より漢字の語意を認知する論説を主張している。 「『語境認知』が『文法認知』ともっとも異なっているのは、『言葉の法則 によって縛られることがない』というところにあると考えてもいいだろう。 逆に言うと『言葉の法則のかわりに社会通念によって縛られる』ことにな るので、同じ漢字表記でも必ずしも同じ意味として認知されるとは限らな いということである。つまり、社会通念が違えば、同じ漢字の組み合わせ 漢 字 文 脈 会 話 状 況
地域全体
「社会通念」
も違う意味として認知されたとして不思議なことではないのである。」10 例 4 の「東西」は「物」か「東・西の方向」を指しているか、そして例 5 の 「大家」は「貸家の持ち主」か、「ある分野で、特にすぐれた見識・技能をもっ ている人」か、或は「金持ちの家。また、社会的地位や身分の高い家柄。」を意 味しているか。これを認知する手段はそれぞれ語の環境によるしかない。即ち、 「社会通念」で認知しなくてはならない訳てある。 前述した内容より、同形の漢字が違う意味に成ることは国の違いが原因で生 じた結果ではなく、漢字自身の特徴がもたらした必然的な結果であると言う事 実が分かった。よって、同形語についての研究は結果を見るだけではなく、同 形語で見た漢字の意味が違うということは、一体どのような意味をもっている のか、また漢字自身の語意にはどのような特徴を持っているのか、若しくは漢 字を認知するにはどの特徴があるのかを探求するべきであろう。 本稿では、まず、漢字は国及び異文化の影響で語意が異なったことをもう一 度考察してみたい。次に、漢字は地域に影響され、そして、環境、文脈及び会 話状況などの外的要素、つまり社会通念によって認知が変わるという特徴を究 明する。最後に、漢字を組み合わせてもその周りの環境によって左右される実 態をもっと明らかにしていきたい。文法によって分析できないので、どんな関 係になるのか、どういう認知をすれば良いのかは、確定できないという特徴を 考察してみたい。
10『文法認知と語境認知』(2012)p.101
1.2 研究範囲及び方法 本稿では、日本、中国、台湾などの三地域において、漢字語意はどのように 各地域の環境に影響され、そして、環境、文脈及び会話状況などの外的要素に よって認知が変わるかを探求してみたい。 上記の問題に関する資料としては、中日辞典、日中辞典、現代中国語辞典、 台湾・中国及び日本で発行されている新聞などの文献を参考にし、三地域の漢 字用例を取り上げ、上述した漢字の特徴を考察したいと思う。
1.3 本論文の構成 本稿は全五章で構成されている。 第一章では、本稿に至った研究動機及び目的、研究範囲及び方法を述べ、論 文の構成の説明を加えた。 第二章では、先行研究を踏まえ、従来の同形語に関する研究では、全て日・ 中、つまり国を二つの単位としている。即ち、漢字が違う国へ導入されること によって、語意に差異が生まれてくることに疑問を持ちながら、例を示してそ の疑問を解明する。そして、先行研究における他の問題点を取り上げ、それよ り同形語の様々な現象を引き起こしたのは、実を言えば漢字語意の特徴からで あることを確認する。 第三章では、表意文字である漢字は、字と字を結合するために外形が様々な 変化をするという文法形式がない。さらに、漢字の分解及び結合に一定の規則 もない。即ち、漢字の組み合わせは必然ではなく偶然である。上述した漢字の 特徴を本章で考察する。 第四章では、漢字と漢字との間には必然的な関係がない、組み合わせると、 文法によって分析できないという特徴を考察する。それで、漢字語意は各地域 に影響され、さらに、環境、文脈及び会話状況などの外的要素によって認知が 変わる。即ち社会通念で漢字の語意を認識することを解明する。 第五章では、本研究における漢字語意の特徴を概観し、考察した結果を総括 する。そして、その結果に沿って漢字に関する教育に提言してみたい。
第 2 章 先行研究 これまでの研究では国々の文化の違いが影響を与えたという考えを基盤とし て、同形語の定義、意味の相違や誤用などという現象に着目し、それに関して 調査・分析や検討を行うことに限られていた。しかし、前述したように、漢字 は環境、文脈及び会話状況などの外的要素に影響されたことが原因で、語の概 念が変わるという特徴についての研究があまり見られない。 本章では、先行研究における問題点を取り上げ、そして例を示して、漢字語 意の特徴が同形語の様々な現象を引き起こしたことを確認する。 2.1 異文化影響説について 全ての同形語についての研究は異文化の影響が原因と考えて行ってきた。つ まり、漢字の特徴には言及していない。更にそれは漢字が日本及び中国、即ち 国の違いが原因で成した差異と視されるのみである。 ところが、古田(1990)の研究を要約すると 中国語は孤立語に属し、文法 的な機能は語順によって示されるものである。なお、日本語は膠着語であり、 実質的意義を示す単語(または語幹)に、文法的意義を示す語(または接辞) を付けることによって、その文法的機能を果たすものである。11 このような言語形態が違う中国語及び日本語は、そもそも比較できないもの であるにも拘らず、前にも述べたように地域及び社会環境の違いによって、物 事や事情の認識も異なってくる。即ち、同じ形に表記された漢字でも、異文化 の影響が原因でなく、各地域の共同認識の差異によって、違う意味を与えられ
11『日本語概論』(1990)p. 11
る事だと思われる。如何に同じ文化である中国及び台湾でも、同形の漢字で意 味が完全に違う場合が多く見られる。例えば、「叫雞」について、中国ではオン ドリという意味で、台湾では売春婦を買うことを指している。そして、「高考」 について、中国では大学の入学試験という意味で、台湾では政府上級公務員試 験ということを指している。これは異文化の影響ではなく、二地域の共同認識 の差異により、漢字の認知が違ってくるのであろう。 続いて異文化説についての研究における例を見てみよう。 国により漢字語意が違ってくる論説を主張する中国の研究者毛峰林は下記の ように述べている。 「由於經歴了漫長的歴史發展,加之中日兩國社會、文化背景以及語言系統 的不同,相當多的中日同形詞在詞意上還是在詞功能上呈現出種種差異。(略) 如常見者還有“知事”(日語意為省級行政單位最高行政長官、非漢語所指舊 時縣級行政長官)、“警官”(日語意為一般警員、非漢語的警察中長官之意) 等等。」12 <長い歴史の発展を経験してきた、さらに日中両国における社会、文化及 び言語システムが違うため、数多くの日中同形語は語意或は語の機能に 様々な差異が現れてきた。(中略)よく見られるのは“知事”(日本語は省 レベルの行政部署の最も上の官員を指しているが、中国語には昔県レベル の行政官員を意味することとは違う。)、“警官”(日本語は普通の警察官を 指しているが、中国語には警察官の中のエグゼクティブを意味することと は違う。)等々。>
12『西安外國語學院學報 第 7 卷』(1999)p. 45、46
しかしながら、賀光輝、顧鳳祥は日本及び中国ではなく、中国及び台湾でも 異なる政治、経済、文化により、漢字語意に差異が生じてきたと考えられてい る。 「兩岸雖然使用共同的語言文字,但畢竟五十多年的隔絕,使得兩岸用語在 各自的社會中隨著不同的政治、經濟、文化的發展變遷,而産生某種程度上 的差異,其中差異最大的,就是詞彙用語了。(略)『下海』在大陸指非商業 本行的人轉行經商,在台灣則為貶義詞。」13(2004 , p.7) <中国及び台湾は同じ言語、文字を用いているけれども、やはり五十年の 隔絶によって、二地域の言語はそれらの社会における異なった政治、経済、 そして文化の発展によって、ある程度の差異が生じて来た。その中に最も 差異が現れたのは語彙である。(中略)『下海』は中国では商業が本業では なかった人が転職して商業を本業とすることを指しているが、台湾では蔑 称する語彙である。> 賀光輝、顧鳳祥が述べたように、中国及び台湾は同形の漢字であるが違う意 味の場合は少なくない。例えば 1.1 で挙げた例、 你愛人好嗎? (中国) <旦那さん(奥さん)は元気ですか。> 我的愛人再見。(台湾) <さようなら、恋人。> 「愛人」は、中国では配偶者を意味し、台湾では恋人や人を愛することを意味 する。中国と台湾は、この字に対して全く異なった意味を持っている。喩え同
13『貿易雜誌 160 期』(2004)p. 7
じ民族、文化である中国及び台湾でも、即ち、同じ華人の社会であっても、漢 字の意味に違う認識が形成されている。 また、「小姐」という言葉は、上海では単に女性を意味するが、北京では水商 売の女性という意味がある。これは、中国及び台湾のような海に隔された二つ の地域でなくても、国土が非常に広い中国では、各地域で生活習慣のみならず、 文化も違ってくる。故に、同じ漢字に異なる意味を与えることも当たり前であ ろう。 更に、中国と台湾、中国国内の各地域における同じ漢字表記に異なる認知が 形成されているだけでなく、日本においても同様な現象がある。 1a 日米関係 1b 新潟の米 1a の「米」はアメリカのことを指している。然し、1b はお米を意味する。同 じ日本語にある同じ表記の漢字であるとは言え、このような異なる語意も生じ る。即ち、日本語自身としても同形語が形成する。確かにアメリカのことを「米」 として用いたのは、昔日本では外国の地名を当て字で漢字表記していた時に、 アメリカを「亜米利加」と書き、そして一字に短縮して表わす時に、「米」を使 って「米国」などと言ったようであり、つまり「米」を借用するのである。し かしながら、これも日本地域での共同認知により成した結果ではなかろう。当 て字てもよいし、借用てもよい、「日米関係」においた「米」はもう食物の米と 関係なく、完全に別の意味に成ったのである。これは、日本の事情を理解しな いかぎり、「日米関係」とは日本及びアメリカとの関係と認知し得ないと思われ る。
上述した幾つかの例から見ると、国の違いが原因で、同形語が生まれてくる のではなく、漢字は地域によって認知の差異が生まれる。また、環境・文脈に 影響され、語意も異なってくることが分かった。国に影響されたのではないと 思われる。 然るに、大河内康憲はまた国の違いが原因で、同形語が生まれてくるという 論説を主張している。 「同形語(中国語で“同形詞”)とは何か。一言でいえば『政治、文化』の ように日・中で字面が同じ単語であるが、この呼び方が中国で使われだし たのは比較的最近のことのように思う。もち論日本での呼び名は中国語を うけている。概念の定義は違うが、従来“日語借詞”と呼ばれてきたもの が主なとしてこれに相当する。これを拡大して、この“日語借詞”と古来 中国語にある語(同じょうにいえば日本における漢語借詞)とを合わせ、 いずれがいずれを借用したかを問わず、双方同じ漢字(簡体字は問わない) で表記されるものを同形語と呼ぶようになったと思われる。」14 それから、方(2004)も「日中同形語とは、文字通り日本語と中国語におい て『同じ形』をしている語である。日本語と中国語では表記において共に漢字 を使用しているから同形漢字表記語が多く考察される。(P7)」と同形語は日本 語及び中国語の間でしか生じないと考えている。 然し、台湾における華視テレビ局が2010年12月27日のニュース華視新聞は、 中国と台湾両地域とも中国語を用いているけれども、使っている語彙が非常に 大きな差となっていると報道していた。
14「日本語と中国語の同形語」『日本語と中国語の対照研究論文集』(1997)p. 411,412
「很多人都去過大陸旅遊,不知道你有沒有發現,兩岸民眾講的雖然都是中 文,不過用詞習慣卻差很多,比如台灣人說窩心,是形容很溫暖很感動,但 大陸的窩心,卻是很不愉快的意思,還有大陸的土豆,指的是馬鈴薯,台灣 的土豆卻是花生,用語的差異有的時候很有趣,但也可能造成誤會。」15 <多くの台湾人が中国へ遊びに行って気づいたでしょうか。両地域の人々 は中国語を使っているけれども、使っている語彙に非常に大きな差がある ことを。例えば台湾人が「窩心」と言った場合は、心に暖かく感じる、或 いは感動するという気持ちを現している。しかし、中国では非常に不愉快 であるといった意味である。また、中国では「土豆」はじゃが芋のことを 指しているが、台湾では落花生という意味である。語彙使いに差異がある と面白いかもしれないが、誤解を招く可能性もある。> これによって、日本と中国、若しくは日本語と中国語、即ち国の違いか言語 の違いが原因で同形語が生ずるではなく、地域により生まれたと言うことを証 できるであろう。 それに、大河内が言及した借詞の現象は、中国における日本からの「日語借 詞」及び日本における中国からの「漢語借詞」のみ発生するのではない。台湾 と日本においても借詞の現象は多く見られる。例えば、 2a 夫妻房事圓滿。 <夫婦の性生活が円満。> 2b 房價大漲,民眾為房事所苦。 <不動産の大幅な値上がりで、人々は家を買うこ とに悩んでいる。>
15 http://news.cts.com.tw/cts/international/201012/201012270639543.html
中国語の「房事」は元の意味は「男女性交的事」16<男女が性交渉すること> を指している。単に一文字の「房」は家の意味もあれば、部屋の意味もある。 よって、不景気で家を買うことが難しくなった時、媒体がその状況を報道する ため、「房事」を引用してキャッチフレ-ズとして「家を買う事」を報道した。 それから、「房事」の新たな語意が誕生した。 3a 洞開大一點,比較好滴水。<水が滴りやすいため穴を大きくしてくだ さい。> 3b 好滴,我馬上去。 <はい、すぐ行きます。> 3b の「好滴」は実は「好的」<はい>ということである。「好的」の発音は「hăo-de」 ともすれば「hăo-di」ともする。最初は若者達が可愛さや甘える気持ちを表すた め、「的(di)」と同じ発音の「滴(di)」を借用し、親近感を伝えたのである。 それが頻繁に使われて、遂に「好滴」=「好的」という社会通念になった。台 湾人は「好滴」を見たら自然に「はい」という意味を認知できる。 因みに、3a 例文における「好滴」は、一見一つ語彙に見えるが、「滴る」と「や すい」と二つ語彙である。これも文全体を見て、文脈からしか判断出来ないの である。 また、台湾語に同音の漢字を借用し、語意を表す場合も数多くある。 4a 俗擱大碗 (台湾語)<安くてボリュームがある> 4b 俗氣 (中国語)<俗っぽい> 4c 風俗 (中国語)<風習>
16「重編國語辭典修訂本」のホームページ
「俗」は台湾語での発音「sho」は台湾語における安いの発音と同じであるた め、その字を借用して、安いことを示すのである。 5a 伊無頭路 (台湾語)<彼は仕事が無い> 台湾語における彼と彼女とも「i」と発音し、そして仕事は「tâu-lōo」と発音 する。台湾語を表現する場合、同じ若しくは類似発音の漢字を借用して伝える ことである。よって、「i」と発音する「伊」及び台湾語で「tâu」を発音する「頭」 と「lōo」を発音する「路」を用い、彼と仕事のことを示すのである。 そして、日本語自身も借詞の現象は少なくない。 6a 収穫されたばかりの美味しい新米。 6b 新米社員。 「新米とは本来、今年収穫した米のことで、米穀年度に基づく定義によると 獲れた年の翌 10 月 31 日までの米を意味するが、これとは別に物事に不慣れな 新人のことも新米という。 新人のことを新米と呼ぶ語源は複数ある。江戸時代、奉公人は前掛けを着用 していたが、新しく雇った者は新しい前掛けをしていたことかた新前掛けと呼 んだ。これが新前と略され、更に訛ってシンマイと呼ぶようになり、新米の字 が当てられたというもの。」17と日本語俗語辞書が記述した。これは日本語にお いて数多く漢字を借用する例の一つである。 つまり、日本語から若しくは中国語から借用することによって同形語が生ま
17 http://zokugo-dict.com/12si/sinmai.htm「日本語俗語辞書」
れるとは限らない。中・中、中・台、更に日・日においても借詞より同形語が 生ずるのである。所謂、既存の漢字で、同音の借用、同形の漢字を衍義、或い は漢字の組み合わせによって、新たな文字を創造しなくても語意上では、無限 に拡大できる。 一方、同形語の同形における定義・範囲について如何なる設定をすれば良い かを追求する研究者も居る。 張(2003 , p.3)は「同形語に関する研究で、現代日本語の漢字語は、中国の簡 体字表記、香港の香港繁体字表記或いは台湾の繁体字表記と比較すればよいと いう比較基準をはっきりさせていない。」と指摘している。そして、「日本語の 『空気』は中国の『空氣』とも香港や台湾の『空氣』とも字形が異なっている」 という例を挙げた。 更に、荒川(1979 , p.8)は同形語の「同形」に関して「問題はどこまでを『同 じ』と考えるか、『視覚的同一性』の範囲をどこまで広げるかということになる。」 と述べている。 然しながら、漢字は、画数が減ったことが原因でその特徴を失うことはない。 即ち、簡体字でも、繁体字でも、漢字そのものの本質及び機能は変わっていな い。ただ単純に、ある地域で使いやすいために字体を簡略化したためである。 大河内も前掲した内容で「双方同じ漢字(簡体字は問わない)で表記される もの」と同形語を研究する際には簡体字は問わないと考えている。 ゆえに、同じ漢字であり区別の必要がないと思われる。ただ、中国では繁体 字から簡体字を使うようになった結果、前後の文やその文中の前後の意味に、 より多く頼ることになったと思われる。例えば、
7a 保濕潔面粉 <保湿スキンクリーニングパウダー> 7b 小麥麵粉 <小麦粉> 前後文字がなければ、前例はパウダー、後例は小麦粉と言うことが判明できな いだろう。 本稿は繁体字及び簡体字を一文字と視する。何故なら、それはそもそも同じ 文字の変形であるから。中国の文字改革が行われたことより書き方が異なるに 過ぎないゆえに、もう一つ新たな文字が生まれたとは言えない。よって、本稿 では繁体字及び簡体字の比較については省略しておく。 第一章及び本節で挙げた例から同形語の生成は国若しくは言語の違いが原因 ではなく、地域・語彙を用いる環境・文脈に影響され、同形の漢字は語意が異 なる認知結果になってくることである。国に影響されたのではないことは明ら かになったと思う。 それにもかかわらず、今まで同形語についての研究は殆ど国が違えば漢字は 異なる意味が生じると言う論説である。全て異文化に影響された結果として研 究されている。そして殆ど「結果論」という結論になった。結果を研究するだ けで、その結果に至った原因を探求しなかった。こういう研究は漢字を認知す るには役に立たないし、意味が無いのではなかろうか。
2.2 漢字の認知に役に立たない結果論 前節で述べたような現在まで同形語についての研究は殆ど「結果論」という 結論になっている。既に生成した漢字語意の結果に対した分類、分析、比較そ して異同の割合をまとめるという研究は、漢字語意の認知には役に立たないの みならず、漢字の特徴を明らかにすることもできない。このような研究を様々 な研究者が個人の感覚で同じ意味の同形語の数及び違う意味の同形語の数、更 にその割合を説明している。しかし、同じ意味か否か、若しくは完全に同じ意 味か否かということは、個人の漢字への認知及び理解に関わっている。それ故、 このような研究による結果は意味が無いし役にも立たない。それに様々な主観 意識に充溢しているであろう。 望月(1974)は日・中両国語間の同形語の比率について、下記の表を作り上 げ、注目すべき点を説明した。 品 詞 項 目 同形語 類 推 可 能 語 類 推 不可能語 計 類 推 不可能語 の 割 合 天候 20 15 1 36 3%弱 社会・団体・宗教 30 6 6 42 14%強 植物 7 28 6 41 15%弱 地理 13 9 5 27 19%弱 抽象名詞その他 22 5 10 37 27%強 政治・法律・経済 63 17 31 111 28%弱 思想・感情 29 3 14 46 30%強 動物 25 21 30 76 39%強 (中略) この表で注目すべき点は次のとおりである。 1 天候関係の語彙は,類推不可能な語が極端に少ない。 2 植物では類推不可能な語が少ないのに,動物ではかなり多い。
3 中国語では過去の大家族制を反映して親族呼称が複雑になってい るが、そのため類推不可能な語が多い。 (中略)18 この統計数値は、主観的な認知の結果であり、漢字の認識には意義がない。 また、呉(2006)は「一字日中同形語の研究」において、「開」という例を挙 げ、日本語と中国語の意味上の共通点及び相違点を比較した。19
18『中国語と日本語』(1974)p.216、217 19「一字日中同形語の研究-日本語能力試験 4 級動詞を中心に」(2006)p. .31
そして、大河内(1997)は同形の漢字例を幾つかを挙げて、「日本語では意味 領域が狭く、抽象的に偏ること」を示した。その中の一つの例を見てみよう。 「『潔白』の例を見よう。日本語における代表例は: ~な人柄、~な人物、~な心、身の~ などであるが、中国語では: ~的品格、~的心靈、~的牙齒、~的雪、~的雲彩、~的台布、 ~的床單 などとはるかに範囲が広い。日本語は『清廉潔白』の意味に限られるが、 中国語では『白い』ということに広く使われる。もち論“清廉潔白”(潔は 潔の簡体字)や“潔白無瑕”のような常用の結合の存在からうかがえるよ うに、日本語と基本的に変わらないのだが、それにとどまらず、もっと広 い「白さ」の領域で成立している。」20 日本語の漢字使いは詞の属性で機能を果たし、中国語では語意で機能を示す。 更に、前章で述べたように、漢字は地域の社会通念により、語意に影響を与え る。故に、同様な漢字表記を使用すると言っても、漢字への認知及び用い方が 異なることは謂うまでもないことである。従って、同形語における意味上の共 通点及び相違点を比較、意味領域が狭いか広いかなどの研究は、漢字の認知に は役に立たないと思われる。 更に、晏(1997)は学習者が従来の理解として同形語に対して認知すること により誤用になることを指摘した。 「同形類義語は、『意味が一部重なっている』という『中国語と対応する漢
20「日本語と中国語の同形語」『日本語と中国語の対照研究論文集』(1997)p. 416,417
語』における定義から、更に、『日本語に他の意味がある同形語』、『中国語 に他の意味がある同形語』、『日中とも他の意味がある同形語』という 3 つ のタイプに分類することができる。 例えば、『日本語に他の意味がある同形語』に属していると考えられる『反 対』と“反對”(以下、同形語を提示する場合、日本語は『』によって、中 国語は“”によって、両語を区別する)は、日中とも『戦争に反対する(反 對戰爭)』のような使い方で、『ある物事や意見に対して逆らうこと』とい う意味を共有しているが、他に日本語では『ある物事や方向と対立、逆の 関係にある』の意味にも用いられる。そして、『反対の手』(另外一隻手) 『靴を右と左を反対に履く』(鞋子左右穿相反)などが用例として挙げられ るが、『反対』を“反對”の意として理解していた中国話者には、従来の理 解を覆えされるような用法であろう。」21 他には、竹田(2005)も同形類義語について下記のように叙述した。 「『検討』『質問』『緊張』『保険』四つの語彙を中心にして、例文を分析し ながら、考察を加えてきた、その誤用が生じた原因を整理すると次のよう に考えられる。 a 日本語の漢字に干渉される。 b 中国語に対応する言葉をそのまま自国語の意味で理解して、母語(日 本語中の同形語)の漢字で代替する。 c 漢字表現の背後にある歴史、社会、文化の相違からくる言語慣習の 誤用。 以上、日中同形語の中の一部語彙について限られた範囲で分析した。」22
21「日中同形語の考察-その相違と日中辞典の記述から見た問題点について」(2006)p. 11、12 22「日中同形類義語」について『人間文化研究科年報』第 20 号(2005)p. 340
分類法、若しくは干渉及び誤用などの研究について、地域で共同認識が違う ため、同じ表記である漢字語意及び読み方も違ってくる。故にこのような研究 は実質的な意味がない、しかも重箱の隅を穿る事になるのではないだろうか。 統計数値と意味の比較、それに干渉及び誤用などの研究は、端的にいえば既 存の結果を論じる結果論と言えよう。結果論というからこそ、喩え違う研究者 が同じものを見て、比較をし、統計数字の比率を計算すれば、必ず異なる結果 が現れると推測できる。そもそも其々が自らの感覚で比較をし、そして同形の 漢字における違う意味を説明するに過ぎない。それは、主観的な認知の結果で あり、漢字の認識には意義がない。そして、このような結果になった原因を探 求していないのみならず、漢字の特徴についての研究も見られない。ゆえに、 漢字の理解には役に立たないだけではなく、漢字の特徴を明らかにすることも できないと思われる。
2.3 日・中における「中」の意味について 同形語に関する研究は殆ど日・中、つまり国を二つの単位としている。国が 違えば漢字は異なる意味が生じると言う論説である。即ち、漢字が違う国へ導 入されることによって、語意に差異が生まれてくると視されている。そこで、 日本語及び中国語を各一つの単位として同形語を研究するのが現状である。 その中の一人晏瑪莉(2006)は「日本語と中国語は、異なる言語の系統であ りながら、両者とも漢字を用いている点が共通している。漢語は本来中国語で あったが、明治維新を大きな境目に、日本と中国の語彙の交流の事態は、両言 語の語彙を相互に借用するなど、複雑な様相を呈している。こうした背景によ って、日本語と中国語の間に多くの日中同形語が生まれた。」23と述べてある。 然しながら、中国語との比較と言えば、この中国語は果たして中国の中国語 であるか、台湾における中国語であるか、一体どれを指しているのであろうか。 何故なら、第一章で挙げた例「倒車」のように、中国では乗り換え、台湾では 車をバックする、其々違う意味を持っている。台湾及び中国両地域とも中国語 を用いるとしても、同形の漢字には異なる語意が生じるといった現象があるか らである。この部分、即ち中国と台湾における同形語の比較研究は無視されて きました。 この現象に対して、李愛華も「中国語は一つではない」を認めている。 「一般には、中国と台湾は両方とも『中国語』を母語とするから、台湾人 学習者を対象とした研究結果を中国の日本語学習者の誤用にも適用できる
23「日中同形語の考察-その相違と日中辞典の記述から見た問題点について」長榮 大学修士論文 晏瑪莉(2006)p.Ⅰ
と思われがちである。しかし、簡体字を使用する中国大陸の中国語と繁体 字を使用する台湾の中国語は字体は異なるだけではなく、意味・用法が異 なることもある。(中略)つまり、同じ漢字圏学習者であっても同じ漢語を 見て、同じ意味を考えるとは限らないということが示唆されている。」24 また、李(2006)も台湾と中国との間には言語及び文字に相当の差異が生ま れていると考えている。 「海峽兩岸的同胞,原來都是炎黃子孫,血脈相連,有其不可分割的歷史文 化淵源;但是由於政治因素,使兩岸隔離了五十多年,彼此的語言文字產生 了不少的差異。其中有些屬於地理方言的,如『土豆』台灣話是指『落花生』, 大陸則是『馬鈴薯』;有些是出於新事物或是新概念,如台灣直接譯(Laser) 為『雷射』,大陸則意譯為『激光』;台灣稱『錄影機』的,大陸稱為『錄像 機』之類。」25 <台湾及び中国両地域の同胞は、元々炎帝神農氏と黄帝の子孫であり、血 が繋がっていて、分割できない歴史と文化の淵源である。しかし、政治が 原因で、両地域が五十年隔絶することになった。そしてお互いの言語文字 には相当の差異が生まれてきた。その中に地方方言に属するものがあり、 例えば『土豆』は台湾では落花生を指しているが、中国では『じゃが芋』 である。そして新たな物事若しくは新概念に属するものもあり、例えば (Laser)について、台湾では直接英語の発音と類似の漢字『雷射』と訳し、 中国はその意味を取って『激光』と訳する。また、台湾で『錄影機』と称
24「中国人日本語学習者による漢語の意味習得-日中同形語を対象に」『筑波大学 地域研究 26』 李愛華(2006)p. 188,189 25『兩岸現代漢語常用辭典』(2006)における李鍌が書いた序である。
するビデオデッキは、中国では『錄像機』と名付けた。> それでは、同じ言語を用いている中国及び台湾における同形語を見てみよう。 8a 熊:拜託,你做事情【毛手毛腳】,活動怎麼會辦得好? (中国) <貴方はそそっかしい人なので、イベントを担当するなら上手に出来 ないでしょう。> 8b 猴:我是正人君子,我從來沒有對女生【毛手毛腳】喔! (台湾) <私は品行方正な人間だから、女性にセクハラしないよ。> 例 8 は『兩岸每日一詞』(2012)で挙げられた例である。その説明を要約する と「『毛手毛腳』は台湾では男女間の軽薄なセクハラ行為を指している。然し中 国ではそそっかしいことを意味している。」26 9a 賣了力氣也不討好兒,真窩心。 (中国) <力を尽くしたのにありがとうひとつ言われないのはどうも悔しい。 >27 9b 她總是讓人覺得好窩心。 (台湾) <彼女はいつも暖かく感じさせますね。> 「窩心」は中国では「悔しい、いまいましい、不公平な扱いや侮辱を受けて も晴らすことができない気持ち」28を表すである。台湾は、優しく、暖かく感じ させることを意味している。窩は窩の簡体字である。
26『兩岸每日一詞』中華語言知識庫(2012)p. 35 27『中日辞典』小学館(1992)p. 1513 28『中日辞典』小学館(1992)p. 1513
10a 他對看電影並不是很感冒。 (中国) <彼は映画にあまり興味が無いです。> 10b 我對這件事很感冒。 (台湾) <私はこのことについてとてもいやと思います。> 台湾では、人若しくはことに「很感冒」というのは、とても嫌らしい感じを 表すのである。反対に、中国では「很感冒」とは、人・こと・物にとても興味 を持っている、或は感心するという意味を指している。 11a 车子进环岛时不必打灯。 (中国) <車はロータリーに入るときはウインカーをつける必要が無い。> 11b 他要騎機車環島旅行。 (台湾) <彼はバイクで台湾一周旅行をします。> 同じ漢字表記である「環島」は、中国はロータリーと言う意味で、台湾では 島を一周することを示している。然しロータリーのことを「環島」とするのは 中国の北の方が多く、南の町はそれを「转盘」で表わすため、南の人が北へ行 くときに、「環島」を見ても意味が分からないのである。 8a~11b の例より、中国や日本といった国の違いが原因で、同形語が生まれて くるではなく、漢字は地域によって異なる認識がなされ、そして自然に別の意 味になるのである。喩え同じ中国語を用いる台湾及び中国両地域、同じ華人の 社会であっても、同形の漢字に異なる語意が生じることがある、所謂、同形語 が生成するのは言うまでもないことと思われる。それで、中国と台湾は同形の 漢字に語意が相違になることは、如何なる意義を成しているのであろうか。つ まり、日中における「中」の定義には問題があり、またそれはどのような意義
を現しているか、これはもう一つ問題に成っている。これについて次章で考察 したい。
第 3 章 漢字の特徴 世界中において歴史が最も長い、使用人口は最も多い文字は漢字である。周 知通り、漢字は表意文字に属する。視覚に訴える漢字は、図形文字であり、そ の図形は漢字への理解に役に立っている。つまり、最初の字書『説文解字』で 記載されたような、漢字は「象形」及び「指事」という性質を持っているから である。 山本(1994)は「象形」及び「指事」に関して、下記のように述べてある。 「『象形』とは、『形を象る』、即ち『目に見え る、形のある物の特徴をとらえ、写しとった』 という意味である。本来絵と同性質のものだ ったと言ってよい。それが固定化されて現在 の漢字になって来たのである。」 「『物事の性質を指し示す』という意味なので 『指示』ではない。形があってもそれを文字 としてかたどれないもの、抽象的なものなど を、何とか漢字にしようとした努力の結果で ある。」29 即ち、字の形で意味と物事を表すのである。 言語の表記とされた漢字は一文字一文字が各々の意味を表している。つまり、
29『漢字遊び』(1994)p.177、178
漢字一字が意味単位になり、個々の文字は全て独自に物事の意味を演じること ができる。意味は漢字にある。これは、表意文字の大きな特徴である。本章で は、漢字一字一字が意味単位であることに伴っなってきた特徴について解明し たい。 3.1 漢字は表意文字 山本(1994)が「漢字は一字一字が表意文字、すなわち、漢字=言葉と言っ てもいい」30と述べたように、約五万字の漢字はそれぞれ意味があり、言葉の機 能を持っている。更に、表意文字である漢字は外形が変化しないで、異なる意 味を示せるのみならず、違う言葉の機能も果たすことができるという特徴があ る。例えば、 1a 田中さん御一行 3 名様。 1b 第三ページの一行目。 2a 星期天要去教會。 <日曜日は教会へ行きます。> 2b 教會妳我就輕鬆了。 <貴方が出来るようになったら、私は楽になり ます。> 「一行」は一緒に行動する人々という意味にもなれば、文字の一列という意 味にもなる。そして、2a の「教會」は教会を指しているけれども、2b の場合は 一見一つの語と見えるが、実は「教」の教える、及び「會」の出来るという二 つ語になっているのである。つまり、出来るまで教えるという意味を示してい る。漢字は文法によって分析できない特徴を持っているため、その組み合わせ
30『漢字遊び』(1994)p.112
は必然性がないし、品詞及び文法の構造の概念より分析することも出来ない。 いわば、文中における語彙の仕分けや意味など全て文脈より判明するのである。 それ故、「教會」という組み合わせは、2a の「教会」と一つ語彙にも成れば、2b の「出来るまで・教える」と二つ語彙にも成る。これは分析した結果ではなく、 文全体の語感より判断できたのである。 漢字には屈折及び語尾の変化が無いから、変化をし無いままに様々な語の機 能として働く。ゆえに、例 2a のような名詞になる場合も有れば、2b の動詞にな る場合もなる。だから、「教」は必ず名詞或は動詞であるとは言いかねる。それ は、偶々他の漢字と結合をし、その結合された言葉において偶然にある種類の 詞の役割を担ぎだしたことにすぎない。即ち、詞の種類として固定できない。 何故なら、漢字はどういう詞で働くのではなく、漢字自身に意味がある故に、 詞の種類に拘束されないというよりも、どの詞の種類にも属しないからである。 この現象は、中国語だけではなく、日本語にも存在する。 3a 文句はありません。 (相手に対する言い分や苦情。不服。) 3b 挨拶の決まり文句。 (文章中の語句。) 4a 無性に家が恋しい。 (ある感情が激しく起こるさま。むやみに。)31 4b 無性生殖。 (下等動物などで,雌雄の区別のないこと。)32 5a 沒油了,去加油。 <ガソリンが無くなったので、ガソリンを入れます。> 5b 明天的考試,加油喔。 <明日の試験、頑張ってよ。>
31 http://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E6%80%A7%E3%81%AB「kotobank.jp」 32 http://dic.yahoo.co.jp/「Yahoo!JAPAN 辞書のサービス」3a、3b、4b の説明及び 4a の例
6a A:再一碗? <お代わりがいりますか。> B:謝謝,不用了。 <有難う、もう結構です。> 6b 等妳不用了,再借我。 <使わない時、貸して下さい。> つまり、例 3~6 のように、二つ漢字を結合すると、如何なる関係が生まれる、 そしてどのような意味を表すかは予想できないことである。それは、複数の漢 字が結合することによって、単純に語意が融合し、全く新たな語意が生じたこ とになったからである。従って、A+B=C のような、どの字プラスどの字は必 ずイコールという固定された意味ではなく、様々な意味が生成できる。 また、例 5b の「加油」について、ガソリンを入れたら力が出る、という意味 を転用して頑張れの代名詞になったようである。しかしながら、譬え 5a、5b の ような前後文が無い、ただ「加油」しかいない場合は、中国語話者てもどうい う意味を指しているのか判断できない。何故なら、漢字には文脈依存性がある ため、文脈がないならば語意を判明し得なくなるのである。一方、「加油」は「頑 張れ」という華人社会の社会通念を理解していない人なら、文脈が有っても認 知できないであろう。 漢字の多変的な字義について張(2007)も述べである。 「漢字的意義一直處於運動和變化之中,三千年悠久的漢字歷史積了豐富多 變的字義。」33 <漢字の意味はずっと動いている及び変化している状態になっている。三 千年に及ぶ長い漢字の歴史は豊富多変な字義を累積している。>
33『文字中國 漢字的功能』(2007)p. 125
また、藤堂明保も漢字は組み合わせによって、様々な意味になることを認め た。 「漢字の造語力に注意せねばならない。江戸の末から明治にかけて、数多 くの西欧の学術用語や新しい事物に対して、漢字を組み合わせて訳語をこ しらえたことは、前述のとおりである。その事情は今日でも大差はない。 漢字は一字ずつが字義を含むから、その組み合わせによって、わりあい短 い形で、さまざまの複合した意味を表示することができる。」34 漢字自身が意味単位であるのみならず、複数の漢字が組み合わさることによ り、融合した様々の語意が生まれる。更に、張が述べたように、漢字は「多変 な字義」という特徴を持っている故に、その組み合わせより生ずる意味は固定 ではない。例えば、「学校」という漢字表記について解いて見よう。「学校へ行 きます。」のような日本語には、仮名及び助詞など他の表記、また文法要素もあ るため、それを学生が勉強する場所という意味が固定できる。然し、「小學校長」 のような中国語には漢字しかない故に、「學」と「校」と二つ文字は繋がってい るとは言え、「学校」との意味を固定できない。「小學(小学校)」及び「校長(校 長)」となり、小学校の校長という意味になった。つまり、日本語における漢字 は複数種類の表記の中の一種類であるため、もし他の表記と一緒に現る場合は、 他の表記に牽制され、そして一つ意味単位として解しえるのである。然るに、 中国語を表す表記は漢字一種類しかない、だからどの字、若しくはどの二つか どの幾つかの字が一つ意味単位になっていることは判明し難いのである。 佐藤(1989)は「漢字と日本語とは意味の一致しない点があるだけでなく、
34『漢語と日本語』(1979)
中国語と日本語とは文法上の性格を異にし、日本語における動詞・形容詞など の活用語尾や助動詞・助詞など、漢字で書き表すことのできないものがある。」35 と述べている。漢字で動詞・形容詞や助動詞・助詞などを書き表せることがで きないからこそ、すべで漢字である文書に対して、意味単位を仕分け難い為、 全体の意味はより判断し難くなるであろう。 まとめて言うと、漢字は意味を表す性質を持ち、所謂表意文字である。そし て、「象形」及び「指事」という概念を用いて字が作られた為、視覚に訴えるこ とになっている。更に、文法で字と字の関係を判断するではなく、視覚でこの 字は何の物事と関係があり、そしてその意味を理解・想像或は推測する。即ち、 文法により文の構造で意味を制限するではない。これは漢字の特徴である。英 語と日本語のような特殊な形式でお互いの関係を示す機能を持っていない。そ れゆえ、外形の変化が無くても様々な語意が生まれることは表意文字である漢 字の一つ特徴である。
35『漢字講座=3 漢字と日本語』(1989)p. 18
3.2 漢字には屈折及び語尾の変化がない 前節で叙述したように、漢字は屈折及び語尾という外形の変化が無くても 様々な語意が生まれる。言い換えれば、一文字の場合であれば、どういう意味 であるのか理解しえないし、その語意自身は非常に落ち着かないのである。例 えば、「上」という漢字はどういう意味であろう。それは、はっきり断言できな い。ただ「上」は「うえ」に似ているような概念であると思うけれども、実際 はどうであろうか。もし、他の文字と結合すれば意味上は如何になるであろう。 7a 牆上 <壁> 7b 上菜 <料理を持って来てくれる> 7c 上山 <山を登る> 7d 上藥 <薬を付ける> 7e 上廁所 <トイレへ行く> 7f 車上 <車の中> 7g 上車 <車に乗る> 7h 上課 <授業を受ける;教える> 「上」であれば、必ず「うえ」という意味とは限らない。7a~7h の八個の例 における「上」は、「うえ」という意味を示しているのは、一つもない。中国語 の場合、「上」は牆と結合すると完全に融合して壁を指している。後ろに菜をつ けると持って来てくれるとなる。そして、前に山が付いて来ると、登るのこと になる。また、藥を後ろに置いたら付けるとの意味をする。更に、廁所をその 後ろに繋げると今度は行くという行為を表すことになる。それから、車を前に すると中になり、後ろにすれば乗るになり、課にすれば受けるか教えるとの語