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分析できない漢字の「構造」

ドキュメント内 基 本 資 料 (ページ 65-73)

第 4 章 漢字への認知

4.2 分析できない漢字の「構造」

というと、中国語の話者が共通の習慣でこのように認知しているからであり、

分析することもできない。

続いて、「頭」は他の漢字と結合すると、「あたま」との意味を守れるか、或 は変化されて「あたま」と完全に関係がないことを示すようになるかを見てみ よう。

18a 大頭 <大きい頭>

18b 看頭 <見る価値がある>

18c 1個鐘頭 <一時間>

18d 罐頭 <缶詰>

18e 芋頭 <里芋>

18f 饅頭 <蒸しパン>

更に、日本人が「むすめ」と認知する「娘」という漢字は、中国語での概念 は如何になるであろう。単一「娘」の場合は「お母さん」のことを指している。

然し他の漢字と組み合わせると、お母さんと全く関係ない意味が生じてくる。

19a 娘 <お母さん>

19b 娘子 <奥さん>

19c 娘子軍 <女子軍団>

19d 姑娘 <お嬢さん>

19e 嫁娘 <新婦>

19f 娘娘 <皇后、王妃など、地位が高い皇帝の奥さんのこと。>

例18のb~fの語意はいずれも「あたま」と関係がないということで、なぜ「頭」

が付いているであろう。そして19の組み合わせを見れば、「娘」は「お母さん」

であり、19bのような「子」と結合して「娘子」となったら、なぜお母さんの子 供ではなく、「奥さん」になったのか。そして、もう一つ「軍」をプラスして19c の「娘子軍」になると元々「奥さん」という意味は完全に無くなり、「女子軍団」

という意味になった。また、二つの「娘」が繋がった場合は、何故お母さんの お母さんという「祖母さん」ではなく、皇帝の奥さんになったのか。つまり、

19b~19f の組み合わせでは全て「娘」が付いているけれども、いずれも「お母

さん」の意味を含んでいない。「娘」が付いても、「お母さん」という意味とは 限らない。これは漢字が必然的な関係がない故に、他の漢字と結合すると、字 の概念も融合され、新たな概念が生まれたのである。つまり、何故「小姐」は お嬢さんの意味になったことが分析できないように、この漢字組み合わせの認 識は、すべで地域の共通概念から生まれたのである。即ち、社会通念である。

劉、汪、周(2009)も漢字の組み合わせを社会通念より認識することを認め でいる。

「詞義還具有社會性和民族性的特點。一個詞的意義,不是由個別人任意規 定的,是社會全體成員在使用過程中約定俗成的,而一旦約定俗成以后,任 何人都無法隨意改變,人們必須按照全社會成員所確定的詞義去理解和使用 詞語,這正是詞義的社會性的顯著表現。」43

<語意は社会性及び民族性という特徴を持っている。一つの語の意味は、

個人が勝手に決めたのではなく、社会全体の人が使用する間に社会習慣に なったのである。一旦社会習慣になった後は、誰も随意に変更できない。

皆は社会全体の人から確認された語意でその語を理解して用いる、これは

43『現代漢語概論』(留學生版)2009)p.72

語意の社会性を確実に現すことである。>

いわば、漢字の組み合わせは形式で認知するではなく、社会通念より認知す るのである。だから分析できないことも不思議ではないと思われる。

そして、日本語である「愛着・到着」、「長男・長音」、「空港・空車」、「小憩・

縮小」、「少時・多少」などのような語では、同じ漢字であっても、前後文字に よってそれぞれ違う意味を持っている。これも前述した中国語の例のような、

漢字が結合することより生み出した意味は分析できないのである。例えば、日 本語の「留守」は字面から見ると残って守るということであるが、然し、日本 人はこれを居ないと認知してきた。その結果「留守」は居ないという意味にな った。

また、「結束」という漢字を分析すれば、日本語の団結という意味は一束にな るという意味に最も合うが、しかし中国語では「終了」という認知がなされた。

更に、「小人」については、中国語は「卑劣な人」と認知していることに対して、

日本語は「子供」と認知されている。それから、同じ中国語においても、「環島」

は、中国ではロータリーを意味している。台湾では島一周を意味するのとは異 なる。ここから、漢字は確かに地域の環境に影響され、そして、分析できない という特徴がある。単純に地域の共通認知によって、色々なものとして認知さ れていくと思われる。

したがって、漢字を理解するなら、同形語から漢字の語意がなぜ違うかでは なく、漢字語意の特徴からなぜ同形語が生まれたかということを探求したほう が役に立つと考えられる。従来の同形語の研究者は、同形の二語の意味が同じ かどうかという考察姿勢で、語意に主観的な判断をするにすぎないのではなか

ろうか。

つまり、必然的な関係がない故に、周りの環境、文脈、また共同認識より漢 字の組み合わせを認知するわけである。

「千葉大病院」は「千葉大学の付属病院」であること、及び「小姐」はお嬢 さん、そして「土豆」は、中国ではじゃが芋、台湾では落花生などのことは、

社会の認知である。社会認知ということは、漢字自身は分析できないとのこと である。すなわち、いずれの漢字がいずれの意味に属することかは分析できな い。いわば、「小姐」は「小さいお姉さん」として分析できない、「小姐」はお 嬢さんである。同じように、「留守」も残って守る、若しくは居ないほうが正し いといったような分析はできない。漢字がこのように分析できないことは、こ の地域の人間がどのように漢字を理解しているのかが、主な原因である。

一方、「大きい人」は仮名が付いている日本語の品詞である。完全に漢字の表 記ではないので、環境には影響されない。しかし、「大人」という漢字なら、こ のような分析ができなくなる。「大人」という組み合わせは、周りの漢字と新た に結合でき、そして「大人物」や「大人気」のような違う意味になる。「大人」

と言う字があっても、必ず大人という意味になるとは限らない。全体の意味を 一つに合わせているからである。「大」が付いても、「大きい」という意味とは 限らない。

ゆえに、どのような漢字でも組み合わすことが可能である。そして、漢字を 組み合わせることによって、字と字の概念が結合するのではなく、新たな語意 を融合することになる。

つまり、「概念と概念との結合(牽制)は、性質の結合とは全く違い、概念の 牽制し合うによって一部分の概念が消えるか新しい概念を形成するなどいろい ろな結果を生み出すことになる。」(朱1993 , p.201)

従って、新たな漢字と漢語を創造しなくても既存の漢字で、漢字を組み合わ せることによって、新語意の表現もできる。このような既存の漢字で無限に字 義を増やすことができると言えよう。

そこで、既存の漢字であっても、新たな組み合わせであっても、漢字の組み 合わせは形式より分析できるのではなく、社会通念によって認知するのである。

そして、文脈、場面及び語を用いる環境も認知の手段として重要な要素である。

ここでは、具体例を挙げて見よう。

20a 書道に熱中する。

20b 熱中症対策。

21a そんな大人気ないまねをしないてください。

21 b お弁当が大人気。

22a 競馬に夢中になる。

22 b 夢中遊行症。

23a 粉絲料理。 <春雨>

23 b AKB48的粉絲。 <ファン>

24a 看緊你的荷包。 <財布>

24 b 我要荷包蛋。 <目玉焼き>

25a 牛角。 <角>

25b 角度。 <角度>

25c 角落 <隅っこ>

26a 買東西。 <物>

26b 東西南北。 <東西>

27a 他差一點就趕不及上課。 <もう少し>

27b 還差一點就集滿十點了。 <あと一点>

譬え「大人気」という漢字組み合わせ、前後文がない場合なら、明確にその 意味を確認できないと思われる。そして「そんな大人気ないまねをしないてく ださい。」と「お弁当が大人気。」のような文脈や場面などがあれば、前例の大 人らしい思慮分別に欠けている、と後例のとても人気があるという意味を認知 できるわけである。例27も同じように、その文脈によって、27aのもう少しと 27bのあと一点ということが解しえるのである。

それから、3.3で挙げた例、中国語の「花香」とか、「香花」とか、日本語の「科 学」とか、「学科」とかは、一体どう認知したらよいのか、それも場面及び文脈 からの認知しかない。因みに、場面を間違ったら同じ漢字を用いる人間でも誤 解してしまう。例えば、

28a 女兒是我的小心肝。

<娘は私の宝物です。>

28b 菸抽太多,小心肝變不好。

<タバコをすいすぎると肝臓が悪くなるので、気をつけてください。

母が娘を可愛がっている場面と友人からの忠告場面を間違ったら、誤解する ことになり、笑われたり、嫌がられたりする可能性がある。

つまり、漢字自身は固定している意味がないという特徴を持っている。それ は水のような、色々な形の器に入れると水の形がその器によって異なってしま う。即ち、漢字の語意が影響する器は既に述べたような文脈、場面、語の環境 である。つまり、漢字はこのような器により、或は他の漢字と結ぶと、牽制し 合うことによって、始めて具体的な意味になるのである。所謂「社会通念」で 漢字の語意を認識するのである。

従って、方(2004)が「『今日は結構暑い』と『文章の結構は複雑だ』のよう に、同じ単語でも品詞性の変化により、意味が大きく変わることがある。」44と 述べたような品詞性の変化により、漢字の意味が変わるのではないと思われる。

意味が落ち着かないと言う特徴を持っている漢字は、文の中に入れる前には誰 もがその意味を理解いえないことはいうまでもなく、その詞性を判断すること も有り得ないであろう。漢字の組み合わせが、文中でどのような品詞になるか は、文脈、場面、語の環境などにより文全体の意味を認知して、それて意味単 位とした語彙の仕分けが出来、最後にこの語彙は文中に演じた詞性を判明する ことである。つまり、認知してからの結果より漢字の組み合わせの詞性を確認 するのである。方が主張した品詞性の変化により、意味が変わることではない。

こういう論説はあくまでも認知してからの結果論と言えよう。よって、このよ うな研究や分析は、語意に対して主観的な判断がされることと、文法範疇及び 意味範疇の混同になってしまうにすぎない。漢字への認知には役に立たないと 思う。

44『中日同形詞之研究』東呉大學 修士論文(2004)p.19

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