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漢字は表意文字

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第 3 章 漢字の特徴

3.1 漢字は表意文字

山本(1994)が「漢字は一字一字が表意文字、すなわち、漢字=言葉と言っ

てもいい」30と述べたように、約五万字の漢字はそれぞれ意味があり、言葉の機 能を持っている。更に、表意文字である漢字は外形が変化しないで、異なる意 味を示せるのみならず、違う言葉の機能も果たすことができるという特徴があ る。例えば、

1a 田中さん御一行3名様。

1b 第三ページの一行目。

2a 星期天要去教會。 <日曜日は教会へ行きます。>

2b 教會妳我就輕鬆了。 <貴方が出来るようになったら、私は楽になり ます。>

「一行」は一緒に行動する人々という意味にもなれば、文字の一列という意 味にもなる。そして、2aの「教會」は教会を指しているけれども、2bの場合は 一見一つの語と見えるが、実は「教」の教える、及び「會」の出来るという二 つ語になっているのである。つまり、出来るまで教えるという意味を示してい る。漢字は文法によって分析できない特徴を持っているため、その組み合わせ

30『漢字遊び(1994)p.112

は必然性がないし、品詞及び文法の構造の概念より分析することも出来ない。

いわば、文中における語彙の仕分けや意味など全て文脈より判明するのである。

それ故、「教會」という組み合わせは、2aの「教会」と一つ語彙にも成れば、2b の「出来るまで・教える」と二つ語彙にも成る。これは分析した結果ではなく、

文全体の語感より判断できたのである。

漢字には屈折及び語尾の変化が無いから、変化をし無いままに様々な語の機 能として働く。ゆえに、例2aのような名詞になる場合も有れば、2bの動詞にな る場合もなる。だから、「教」は必ず名詞或は動詞であるとは言いかねる。それ は、偶々他の漢字と結合をし、その結合された言葉において偶然にある種類の 詞の役割を担ぎだしたことにすぎない。即ち、詞の種類として固定できない。

何故なら、漢字はどういう詞で働くのではなく、漢字自身に意味がある故に、

詞の種類に拘束されないというよりも、どの詞の種類にも属しないからである。

この現象は、中国語だけではなく、日本語にも存在する。

3a 文句はありません。 (相手に対する言い分や苦情。不服。) 3b 挨拶の決まり文句。 (文章中の語句。)

4a 無性に家が恋しい。 (ある感情が激しく起こるさま。むやみに。)31 4b 無性生殖。 (下等動物などで,雌雄の区別のないこと。)32 5a 沒油了,去加油。

<ガソリンが無くなったので、ガソリンを入れます。>

5b 明天的考試,加油喔。

<明日の試験、頑張ってよ。>

31 http://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E6%80%A7%E3%81%AB「kotobank.jp」

32 http://dic.yahoo.co.jp/「Yahoo!JAPAN辞書のサービス」3a3b4bの説明及び4aの例

6a A:再一碗? <お代わりがいりますか。>

B:謝謝,不用了。 <有難う、もう結構です。>

6b 等妳不用了,再借我。 <使わない時、貸して下さい。>

つまり、例3~6のように、二つ漢字を結合すると、如何なる関係が生まれる、

そしてどのような意味を表すかは予想できないことである。それは、複数の漢 字が結合することによって、単純に語意が融合し、全く新たな語意が生じたこ とになったからである。従って、A+B=Cのような、どの字プラスどの字は必 ずイコールという固定された意味ではなく、様々な意味が生成できる。

また、例5bの「加油」について、ガソリンを入れたら力が出る、という意味 を転用して頑張れの代名詞になったようである。しかしながら、譬え5a、5bの ような前後文が無い、ただ「加油」しかいない場合は、中国語話者てもどうい う意味を指しているのか判断できない。何故なら、漢字には文脈依存性がある ため、文脈がないならば語意を判明し得なくなるのである。一方、「加油」は「頑 張れ」という華人社会の社会通念を理解していない人なら、文脈が有っても認 知できないであろう。

漢字の多変的な字義について張(2007)も述べである。

「漢字的意義一直處於運動和變化之中,三千年悠久的漢字歷史積了豐富多 變的字義。」33

<漢字の意味はずっと動いている及び変化している状態になっている。三 千年に及ぶ長い漢字の歴史は豊富多変な字義を累積している。>

33『文字中國 漢字的功能2007)p. 125

また、藤堂明保も漢字は組み合わせによって、様々な意味になることを認め た。

「漢字の造語力に注意せねばならない。江戸の末から明治にかけて、数多 くの西欧の学術用語や新しい事物に対して、漢字を組み合わせて訳語をこ しらえたことは、前述のとおりである。その事情は今日でも大差はない。

漢字は一字ずつが字義を含むから、その組み合わせによって、わりあい短 い形で、さまざまの複合した意味を表示することができる。」34

漢字自身が意味単位であるのみならず、複数の漢字が組み合わさることによ り、融合した様々の語意が生まれる。更に、張が述べたように、漢字は「多変 な字義」という特徴を持っている故に、その組み合わせより生ずる意味は固定 ではない。例えば、「学校」という漢字表記について解いて見よう。「学校へ行 きます。」のような日本語には、仮名及び助詞など他の表記、また文法要素もあ るため、それを学生が勉強する場所という意味が固定できる。然し、「小學校長」

のような中国語には漢字しかない故に、「學」と「校」と二つ文字は繋がってい るとは言え、「学校」との意味を固定できない。「小學(小学校)」及び「校長(校 長)」となり、小学校の校長という意味になった。つまり、日本語における漢字 は複数種類の表記の中の一種類であるため、もし他の表記と一緒に現る場合は、

他の表記に牽制され、そして一つ意味単位として解しえるのである。然るに、

中国語を表す表記は漢字一種類しかない、だからどの字、若しくはどの二つか どの幾つかの字が一つ意味単位になっていることは判明し難いのである。

佐藤(1989)は「漢字と日本語とは意味の一致しない点があるだけでなく、

34『漢語と日本語』(1979

中国語と日本語とは文法上の性格を異にし、日本語における動詞・形容詞など の活用語尾や助動詞・助詞など、漢字で書き表すことのできないものがある。」35 と述べている。漢字で動詞・形容詞や助動詞・助詞などを書き表せることがで きないからこそ、すべで漢字である文書に対して、意味単位を仕分け難い為、

全体の意味はより判断し難くなるであろう。

まとめて言うと、漢字は意味を表す性質を持ち、所謂表意文字である。そし て、「象形」及び「指事」という概念を用いて字が作られた為、視覚に訴えるこ とになっている。更に、文法で字と字の関係を判断するではなく、視覚でこの 字は何の物事と関係があり、そしてその意味を理解・想像或は推測する。即ち、

文法により文の構造で意味を制限するではない。これは漢字の特徴である。英 語と日本語のような特殊な形式でお互いの関係を示す機能を持っていない。そ れゆえ、外形の変化が無くても様々な語意が生まれることは表意文字である漢 字の一つ特徴である。

35『漢字講座=3 漢字と日本語』(1989)p. 18

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