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漢字と漢字との間には必然的な関係がない

ドキュメント内 基 本 資 料 (ページ 58-65)

第 4 章 漢字への認知

4.1 漢字と漢字との間には必然的な関係がない

漢字自身はどのように結合する、そして、結合したらどのような意味になる のかは決定できない。何故ならば、漢字の組み合わせは、文法によって関係を 確認することができないため、必然的な関係を持っていないのである。例えば、

中国語の「她動了①開心手術之後,很②開心。」、文中に二つ「開心」があるが、

①の「開心」は心臓の手術をするという意味で、②の「開心」は嬉しいという 意味である。文全体は「彼女は心臓の手術を受けて、嬉しかったです。」という 意味である。同様の組み合わせであるとはいえ、②の「開心」は一つ語彙にな っているに対して、①における「開心」は「開」の手術する及び「心」の心臓 と二つの語彙となっている。「開心」と言う漢字組み合わせは必ず「開心」とし て意味単位になるとは限らない。分解されたり、別の漢字と結合したり、そし て、各々の意味になるのである。つまり、必然的な関係を維持できないのであ る。ここでは、証として、例を挙げておこう。

1a 感情糾葛的事,你只要手放開心也就開了。 <放す;心>

1b 那位小開心情很好。 <坊ちゃん;機嫌>

2a 他經過復健之後早已可以行動自如了。 <動き>

2b 阿美最怕爬行動物。 <這う;動物>

3a 明天去台北。 <明日>

3b 氣象播報員正在說明天氣概況。 <説明;天気>

4a 她從前很瘦。 <昔>

4b 小明從前門進來。 <から;前>

5a 他天天去運動。 <毎日>

5b 今天天氣真好。 <今日;天気>

6a 果然如此。 <やはり>

6b 吃完水果然後去洗手。 <果物;そして>

7a 真是白癡。 <馬鹿>

7b 他一臉慘白癡愣愣的望著鴨蛋的考卷。 <真っ白;ぼーとする>

8a 今天好難過。 <辛い>

8b 馬路上車很多,好難過去。 <難しい;渡す>

9a 這是個好機會。 <チャンス>

9b 我坐飛機會頭暈。 <飛行機;~になる>

10a 他是天才。 <天才>

10b 我昨天才回來。 <昨日;~ばかり>

これは中国語における「白癡造句法」という文字遊びである。このような例 は数え切れないほど作れるので、これで終わっておく。上記の「白癡造句法」

より、漢字表記は、文法によって分析できない特徴を持っているため、その組 み合わせは必然的ではない。よって、周りの漢字と様々な組み合わせが可能で あることを明白に説明できた。それ故、結合した漢字には品詞及び文法の構造 の概念より分析することも出来ない。即ち、文中における語彙の仕分けや意味 などを判明するのは全て文脈からである。例えば、中国語にある「天才」とい

う組み合わせは天才の意味を示すことも可能であるが、表記の全体の中に現れ た「天」及び「才」は別の漢字と新たな組み合わせをすることも可能である。「天 才」は「てんさい」として理解されている場合でも、分析した結果ではなく、

文全体の語感、つまり文脈から、若しくは環境から認知した全体の意味より取 り切ったものにすぎない。「天才」が一つの意味単位として確認できるはずはな いのである。

漢字は「必然的な関係がない」と言う特徴がある故に、同じ組み合わせが、

必ずその結合形式とは限らない、それをすぐ分解できるし、別の字と結合もで きる、そして完全に違う意味になる。つまり、周りといろいろな結合が可能に なり展開できるのである。

必然的な関係がない漢字の組み合わせには、語彙の確認が出来ないことは中 国語だけではなく、日本語にも現れるのである。これについて、朱(前掲)は 下記のように指摘している。

「『大阪大病院』を『大阪大』+『病院』の組み合わせであると認知するの は、単にその『意味概念』を知っているからの説明にすぎなく、『大阪大』

+『病院』がそれぞれは語彙として確認されたわけではない。

『関西大震災』についても同じことが言える。『関西大震災』は、意味とし て『関西+大震災』と認知されるだけのことであり、別に『関西』+『大 震災』が語彙として確認されたわけではないのである。

語彙の確認できないので『品詞』による構造分析も出来るはずがない。い わば各漢字の間に『必然的な関係』がなくなり、『必然的な関係がない』と

いう結果になってしまうのである」41

「大阪大病院」と「関西大震災」以外の具体例をまた挙げよう。

11a 高木さんは俳句の大家だ。

11b 我が家は10人の大家族で、毎日の洗濯物が大変多い。

12a 定価は3,000円。

12b 予定価格は3,000円。

13a 格差社会。

13b 価格差の原因はどこにあるのか。

14a 大都会。

14b 京都会場。

15a 体感温度。

15b 一体感になる。

16a 内証にする。

16b 国内証券。

そして、再び3.3で挙げた例を玩味しよう。

出張日当。

誕生日当日。

41『文法認知と語境認知』(2012)p.57

第一歩を踏み出せる。

東神奈川駅前第一歩道橋。

大中小の鍋一個ずつください。

大中小学校。

「大阪大病院」と「第一歩道橋」とは、如何に認識されたのであろうか。「大 阪」+「大病院」であるか、「大阪大」+「病院」であるか。そして、「第一歩」

なのか、「第一歩道橋」なのか。普段文法形式より語彙を定める日本語は、この ような漢字しかない場合に、漢字自身は必然的な関係がないという特徴で、認 知しえなくなるであろうか。然し、そうでもない。この場合は日本人は共同認 識で認知しにいくのである。即ち、その場面若しくは環境より「大阪大病院」

は「大阪大」+「病院」として認知される。そして、「第一歩道橋」を見て、自 然に常識によって、共同認識によって、「第一」「歩道橋」と認知し、「第一歩」

「道橋」とは認知しない。何故なら、意味が成していないからてある。

また、中国語でよく文字遊びとして挙げられている「下雨天留客天天留我不 留」は、七種類の変化が出来ると言われているが、ここでは、三つの組み合わ せを挙げよう。

17a 下雨天留客天,天留我不留。

<雨の日には、お客さんが長居します。神はお客さんが長居すること を望んでいますが、私はお客さんに長居して欲しくありません。>

17b 下雨天留客天,天留我?不留。

<雨の日には、お客さんが長居します。神は私が長居することを望ん でいますが、私は長居したくありません。>

17c 下雨天留客天,天留我不?留。

<雨の日には、お客さんが長居します。神は私が長居するかどうかを 見ていますが、私は長居します。>

漢字しかない中国語は、文法形式により語彙を仕分けすることができないた め、場面や環境から漢字の組み合わせを認知するのである。然し、必然的な関 係がないので、同じ組み合わせであっても、個人の認知や心境によって、文全 体の解釈も個人によって異なるのは不思議なことではない。

申(1994)も漢語は形式に束縛しない故に、視点より異なる構造のセンテン

スを組み合わせすることを述べている。

「我們用西方的句法分析眼光來看漢語的句子,就會發現漢語的句子界線沒有 形式的約束。如果說西方語言的句子是以動詞為中心搭起固定框架,以『形』

役『意』的,那麼漢語的句子卻不需要這樣一種框架。它以意義的完整為目的,

用一個語言板塊( 詞組 )的流動、鋪排的局勢來完成內容表達的要求。因而 漢語句子是以『神』統『形』的。漢語句子因表達功能的不同而有視點的不同,

而視點的不同又組織成不同的句子格局。」42

<西洋の文法分析の目で漢語の文句を見れば、漢語のセンテンスにおける 語彙を仕分けする境界線は形式に束縛しないことが気づくようになる。も し、西洋の言語のセンテンスは動詞を中心として固定の枠を築き、「形」で

「意味」が決まるのであれば、それに反して、漢語のセンテンスはこのよ うな枠を必要としない。漢語は意味の完全性を目的として、一つの漢字の 組み合わせの動き、及び位置付けを用いて、要求された伝達内容を完成す

42『語文的闡釋』1994)p.415

る。従って、漢語のセンテンスは「神<意味>」より「形」を確認するの である。漢語のセンテンスは意味を伝える機能が違うため、視点が異なっ てくる。そして、視点の違いにより異なる構造のセンテンスを組み合わせ するのである。>

いわば、文法形式がない中国語は、漢字間は必然的な関係がない故に、周り といろいろの組み合わせができる。よって、様々な意味も生まれてくる。また、

言葉を用いる環境、若しくは場面などにより、同じ組み合わせの漢字でも異な る意味を与えることになる。これは、所謂同形語の正体と思われる。今までの 研究で論じたような国、或は文化により、同形語が生じたのではないと思われ る。

従って、異文化や国の違いにより干渉及び誤用などの研究は、漢字の認知に は役に立たない。前述したような漢字の特徴をより徹底的に探求することは、

漢字を認知するには最も重要なことであろう。

ドキュメント内 基 本 資 料 (ページ 58-65)

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