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光源氏即位の予言 : 『源氏物語』第一部構想試論

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Kyushu University Institutional Repository

光源氏即位の予言 : 『源氏物語』第一部構想試論

岡田, 貴憲

九州大学大学院人文科学研究院 : 准教授

https://doi.org/10.15017/4772790

出版情報:文學研究. 119, pp.45-66, 2022-03-14. 九州大学大学院人文科学研究院 バージョン:

権利関係:

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はじめに

『源氏物語』のいわゆる第一部中、桐壺巻・若紫巻・澪標巻でそれぞれ語られる三つの予言をめぐっては、・

第一部三十三帖の物語の骨格が、桐壺・若紫・澪標にある三つの預言で構成される物語であるとするならば、第一部三十三帖は、古代伝承物語の型を基礎においた物語であるといつてよいことになるであらう。

(阿部秋生「源氏物語の三部構成説」)・

予言は物語の長編的構想の根幹であった。若紫巻と澪標巻の予言は桐壺巻の予言に奉仕するものとして、あるいは敷衍するものとしてあったと考える。

(日向一雅「光源氏論への一視点」)のように、藤裏葉巻で頂点を極める光源氏の命運を、それらの予言が軌を一にして支えている、との理解が行われている。本稿は、このうち若紫巻でなされた夢解きによる予言の解釈を修正し、これ以降の巻に「光源氏即位の文脈」が底流しているという見地を示すことで、『源氏物語』第一部の予言構想に対する通行の理解を修正することを目的とする。 (1)(

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  光源氏即位の予言 ― 『源氏物語』第一部構想試論 ―

田   貴   憲

光源氏即位の予言

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一  夢解きの予言の不審 若紫巻の中盤で藤壺への逢瀬を遂げた源氏は、後に悩まされた奇夢の意味するところを、夢解きの者に解かせる。その結果、源氏は次のように予言を受け、やがて藤壺懐妊の報に接することで予言内容との符合を悟る。中将の君も、おどろおどろしうさま異なる夢を見たまひて、合はする者を召して問はせたまへば、①及びなう思しもかけぬ筋のことを合はせけり。「②その中に違ひ目ありて、つつしませたまふべきことなむはべる」と言ふに、わづらはしくおぼえて、「みづからの夢にはあらず、人の御事を語るなり。この夢合ふまで、また人にまねぶな」とのたまひて、心の中には、③「いかなることならむ」と思しわたるに、この女宮の御事を聞きたまひて、④「もし、さるやうもや」と思しあはせたまふに(下略)

(若紫・①二三三~二三四頁)予言内容の前半にあたる傍線部①は、『河海抄』に「をよひなうとは光源氏天子の親となり給へき兆歟」と記されて以来、現在に至る注釈書が総じて「源氏が帝の父になるという内容」(『新編日本古典文学全集』)に解するが、この通説に従う時、傍線部③の源氏の反応に不審を残す。皇妃密通の自覚を持つ源氏は、子の即位という具体的な予言を受けた時点で藤壺の不義の子懐妊をただちに連想しうるはずだが、ここではその可能性すら考慮せず、実際の報に接して傍線部④で符合を悟るまでの間「いかなることならむ」とただ思案している。従来の研究はその異様さを看過しており、ごく一部に、予言内容を曖昧とすることで傍線部③から傍線部④への流れを合理化する立場が、「及びなう」とあるので、皇位に関することかと察せられるが、むろんこれだけでは十分分からない。源氏も「心のうちには、いかなることならむ」と思い廻らしていたところ、藤壺懐妊の噂を聞いて、「もしさるやうもやとおぼしあはせたまふ……」とあるので、夢の予告するところは、天子の父になることだったのだと判明するのである。

(清水好子「光源氏論」) (

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5)   文学研究第百十九輯

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のようにみられるものの、予言を受けた源氏の発言「この夢合ふまで、また人にまねぶな」に対する湯淺幸代「物語を切り開く磁場」の「予言の成就まで口止めが成されるということは、やはり成就が望まれる内容であったことになる」との指摘や、次のような詳細に記される夢解きの例からは、予言内容の具体性が要請されるため、従えない。・

あやしさに、夢合はする人に合はさせはべりしかば、「いとかしこき夢なり。その見えけむ人は、上達部の御子生みて、つひにその子の徳見むものぞ。もし、自然に中絶ゆることやあらむ」となむ合はせし。

(『うつほ物語』俊蔭・①六九頁)・

ある者の言ふ、「この殿の御門を四脚になすをこそ見しか」と言へば、「これは大臣公卿出できたまふべき夢なり。かく申せば、男君の大臣近くものしたまふを申すとぞ思すらむ。さにはあらず。きんだち御行先のことなり」とぞ言ふ。

(『蜻蛉日記』下巻・二七八頁)傍線部①が、「ここで謎として読者に与えられる」(『岩波文庫』)と指摘されるように朧化表現であるのは確かだが、源氏自身は具体的な予言を受けた上で傍線部③の反応を示したと考える必要がある。その場合、源氏の反応に不審を残す通説の予言内容は適合性を欠く。他方、予言の後半にあたる傍線部②では、理解の前提となる「違ひ目」について、その意味および「つつしませたまふべきこと」との関係に整理を要する。「違ひ目」の語義を用例に即して詳説すると、事態の順当な推移を単に阻害する要素ではなく、予期に反し異なる結果をもたらす転機のことと解かれる。たとえば、かう年経て帰りたまひて、その御心ざしをも遂げたまふべきほどに、かかる違ひ目のあるをいかに思すらむ(下略)

(絵合・②三七〇頁)との箇所で、斎宮退下後の自らへの秋好入内という朱雀院の予期に、反する結果をもたらした冷泉帝への入内が「違 (

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光源氏即位の予言

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ひ目」とされ、あるいは、六条院にいささかなる事の違ひ目ありて、月ごろ、心の中に、かしこまり申すことなむはべりしを(下略)

(柏木・④三一六頁)との箇所で、源氏出家後の自らへの女三宮降嫁という柏木の予期に、反する結果をもたらした密通が「違ひ目」とされるのがその例で、傍線部②の場合は、予期とは異なる形での予言内容の実現をもたらす転機が「違ひ目」ということになる。仮に傍線部①への通説に基づき、「違ひ目」を経て子の即位が実現するという推移を考えるならば、本来は父子の順当な帝位継承、すなわち源氏の皇籍復帰・天皇即位からの譲位が予期されるところ、「違ひ目」の存在ゆえに、不義の子の即位という異なる結果がもたらされる、と理解するほかない。そして後の結果から見れば、この「違ひ目」は自ずと藤壺密通に限定される。よって、「この夢が実際に指していた事は、まだこの時点では起こっていない。右大臣の六の君、後に読者に朧月夜と呼ばれる女性との密事であった」(『源氏物語の鑑賞と基礎知識』)と言われる朧月夜密通は、子の即位にむけた単なる阻害要因としてしか機能しないために「違ひ目」とはみなせない。また、・光源氏の「たがひ目」は、須磨流謫という形となってあらわれる。

(仲田庸幸「光源氏の「たがひ目」に見る文芸的意義」)・

「違ひ目」は「行きちがひ」の意で、文脈上「つつしませ給ふべきこと」と、内容上同一事件をさしていると解してよかろう。

(武原弘「源氏物語の短篇手法について」)などに散見する、「違ひ目」を須磨流離とする立場や、「違ひ目」と「つつしませたまふべきこと」を同義とみる立場も、予言の実現過程における「違ひ目」の意味に考慮が及んでいないため取れない。後に源氏の須磨流離として現実化する「つつしませたまふべきこと」は、あくまで「違ひ目」を要因として一時的に要求される事態に過ぎず、 (

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それは流離までの経緯が後の薄雲巻に、事の違ひ目ありて、大臣横さまの罪に当たりたまひしとき、いよいよ怖ぢ思しめして、重ねて御祈禱どもうけたまはりはべりしを(下略)

(薄雲・②四五一頁)と語られることからも知られる。なおこの箇所にも「違ひ目」を「須磨・明石への退去」(『源氏物語の鑑賞と基礎知識』)とする誤解がみられるが、須磨流離の表現は波線部であるため、「違ひ目」は行文上、その要因に該当する。「違ひ目」を右のように整理すると、子の即位が予期とは異なる形で実現する、という予言を受けた時、皇妃密通の自覚を持つ源氏は、譲位によらず不義の子が即位するという推移を想像しえたのではないかと考えられ、再び傍線部③の反応に不審が生じる。傍線部①で子の即位を予言された段階で、源氏は自身が即位後に譲位する可能性と、密通による皇子誕生の可能性とを予想できるが、さらに傍線部②で「違ひ目」を予言されることで、予言の順当な実現を示す前者を排除できるのであるから、ここで源氏はむしろ後者の可能性の高さに想到しなければならない。この理屈に矛盾する傍線部③の反応は、通説が予言内容を誤読していることの証左として受け止められる。

二  光源氏即位の文脈 そこで、源氏の傍線部③から傍線部④に至る反応の変化を頼りに、予言前半にあたる傍線部①の条件を絞り込むと、藤壺懐妊への連想を容易には導かず、かつ、不義の子の誕生を経て実現可能となる、間接的な内容を想定することが適切と考えられる。その観点から支持されるのが、田中隆昭「光源氏についての予言と宿曜」が次のように示した、予言内容を源氏自身の即位とする異説である。桐壺巻の予言と若紫巻のこの夢とが呼応しているのはもちろんである。高麗の相人のことばの後半部分が、こ (

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光源氏即位の予言

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の夢解きの後半部分「その中に、違ひ目ありて、つゝしませ給ふべきことなむ侍る」に対応する。そうであるなら、前半部分もお互いに対応しあっており、「およびなう、おぼしもかけぬすぢの事」を強いて具体的に示すとすれば、源氏自身が天皇になるということではないのか。この場合に源氏が受けるのは、「違ひ目」の存在ゆえに、通常の皇籍復帰とは異なる形で源氏の即位がもたらされる、という謎を含んだ予言であり、通説と違い「子」に関する内容を含まないことから、皇妃密通への連想が求められず、傍線部③の反応に不審を残さない。かつ、傍線部④についても、藤壺懐妊の報に接した源氏が、朱雀帝治世では実現できない皇籍復帰の可能性を、帝位に就く不義の子を通して現前するものと推測した結果、予言内容との符合に至った、という論理が成り立つ。この異説は、前述の不審を解消する点で有効であると同時に、予言内容に対する「つつしませたまふべきこと」の必然性という面からも通説に優る。通説に則った理解では、貴種流離譚の栄華を至高のものとするために藤壺事件を設定したあの論理の必然として、光源氏と藤壺女御の密通と冷泉帝の誕生という〈罪〉を背負って光源氏が流謫するのだという論理を〈前本文〉を用いながら〈本文〉自体で形成して行こうとする方法が見られるのである。

(三谷邦明「藤壺事件の表現構造」)のように、不義の子が即位することへの滅罪として須磨流離を位置づけるが、密通から生まれた皇子が賢木巻での立坊によって、源氏の流離を待たずして帝に最も近い地位にあること、そして右大臣方による東宮廃太子の画策も、朧月夜密通の露見がなければ回避できた可能性のあることは、子の即位という予言の実現過程において、須磨流離の必然性が乏しいことを示す。対して源氏の即位を実現する過程においては、臣籍降下の原因でもあった右大臣方を弱体化することが不可欠なため、その結果をもたらす須磨流離に必然性がある。実際に作中では、源氏の須磨流離が亡き桐壺院の怒りを買う (

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ことで朱雀帝が神罰に触れ、右大臣方の権勢が弱まり、結果として政界に復帰した源氏への冷泉帝の譲位を可能とする状況が整う。通常の皇籍復帰とは異なる形での予言実現にむけて、「つつしませたまふべきこと」が必要とされることは、それが予言中に「違ひ目」との関係で言及されている事実からも見逃せず、異説に理があることの傍証となる。ただし、田中論文が異説の根拠を、「国の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷のかためとなりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」と言ふ。

(桐壺・①三九~四〇頁)と桐壺巻に語られる、高麗相人の予言との対応関係に求める点には、本稿は与しない。これと同様の指摘は前掲の湯淺論文にも、「この夢告は、高麗相人の予言同様、光源氏の帝王相とそれに伴う凶事(「乱れ憂ふること」)を表すもの」と確認できるが、「違ひ目」を要因とする「つつしませたまふべきこと」が、即位の実現過程で須磨流離として現実化する、源氏の私的な凶事であるのに対し、高麗相人の予言に示された「乱れ憂ふること」は、藤井貞和「桐壺の巻問題ふたたび」が、「乱れうれふる事やあらむ」には、敬語がつかわれていない。光君じしんの乱愁(=須磨に流されるといったような)でなく、内乱のようなものを指すとみるのがよいであろう。と述べるように、即位後に生じる公的な凶事として区別される。かつ、後の匂兵部卿巻での、昔、光る君と聞こえしは、さるまたなき御おぼえながら、そねみたまふ人うちそひ、母方の御後見なくなどありしに、御心ざまももの深く、世の中を思しなだらめしほどに、並びなき御光をまばゆからずもてしづめたまひ、つひにさるいみじき世の乱れも出で来ぬべかりしことをも事なく過ぐしたまひて(下略) (

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(匂兵部卿・⑤二五~二六頁)との回想は、それが源氏の臣籍降下によって回避されたことを明記しており参考となる。そもそも高麗相人の予言は、単に源氏に備わる「帝王の相」を見出だすだけでなく、帝位に就けば「乱れ憂ふること」が起こるが臣下の相は持たないとする、不安定な将来像を指摘するものであるため、源氏の即位への推移を示す夢解きの予言とは直接に対応させるべきでない。よって本稿では、高麗相人の予言においては明確でなかった源氏の具体的な即位の可能性を、構想として新たに提示したものが夢解きの予言である、とする立場を取る。異説に従う場合、不義の子を通して実現する源氏の皇籍復帰・天皇即位という夢解きの予言は、最終的に薄雲巻において次のように語られる、冷泉帝からの譲位検討として具現化に近づくこととなる。一世の源氏、また納言、大臣になりて後に、さらに親王にもなり、位に即きたまひつるも、あまたの例ありけり。「人柄のかしこきに事よせて、さもや譲りきこえまし」など、よろづにぞ思しける。秋の司召に太政大臣になりたまふべきこと、うちうちに定め申したまふついでになむ、帝、思し寄する筋のこと漏らしきこえたまひけるを、大臣、いとまばゆく恐ろしう思して、さらにあるまじきよしを申し返したまふ。

(薄雲・②四五五~四五六頁)内実は、源氏を実父と知ったことが冷泉帝の動機としてあるが、表面上は源氏の卓越性を根拠とする譲位が検討されており、深沢三千男「光源氏の運命」が、日本で皇統の乱れの例を見出し得なかった帝は、臣籍降下後親王になり即位した例を見出し得て、遂に源氏への譲位を決意する。源氏も皇位継承のあるべき姿は勿論十分弁える所であろう。だからあからさまな即位要請を拒むべき条理の持合せはあるまい。源氏は唯故院の意志を持出すのみであるが、それは根本的には不条理で最後的解決とはなり得ない。 (

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と指摘する通り、源氏の拒絶は正当性を持たない。臣籍降下した親王の、皇籍復帰を経ての即位が理論上可能なことは、宇多天皇の史実からも知られ、即位後には廃太子などの「乱れ憂ふること」が予期されるにせよ、自らが固辞しなければ源氏は即位できる状態にあった。それは源氏が自身の選択次第で、かつての予言を実現できたという事実に他ならない。このように、若紫巻における夢解きの予言に対する異説からは、予言を発端とする「光源氏即位の文脈」が薄雲巻に至るまで底流しており、最後は源氏の判断によってその文脈が閉じられている、という新たな見地が開かれる。そしてこの見地から再考すべき問題が、澪標巻における予言回想の場面で示される、帝位に対する源氏の認識である。

三  光源氏と帝位の「宿世」

須磨流離を経て政界復帰を果たした源氏は、澪標巻の冒頭から程なく、かつて藤壺密通によって生まれた不義の子である冷泉帝の即位を見届ける。さらに、流離のうちに明石の君との間に儲けていた明石姫君の生誕報告を受けた所で、源氏は自らの将来に関して過去になされていた予言を、次のように回想する。宿曜に「御子三人、帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは太政大臣にて位を極むべし」と勘へ申したりしこと、さしてかなふなめり。おほかた、上なき位にのぼり世をまつりごちたまふべきこと、さばかり賢かりしあまたの相人どもの聞こえ集めたるを、⑤年ごろは世のわづらはしさにみな思し消ちつるを、当帝のかく位にかなひたまひぬることを、「思ひのごとうれし」と思す。みづからも、もて離れたまへる筋は、「さらにあるまじきこと」と思す。「あまたの皇子たちの中にすぐれてらうたきものに思したりしかど、ただ人に思

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しおきてける御心を思ふに、⑥宿世遠かりけり。内裏のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の言、空しからず」と御心の中に思しけり。

(澪標・②二八五~二八六頁)これまで作中に記されていない、子供の栄達をめぐる宿曜の予言を唐突に想起した源氏は、その内容が実現に近づいていることを、冷泉帝即位・明石姫君生誕という事実に照らして予測し、さらに桐壺巻でなされた高麗相人らの予言を回想するに及ぶ。その内容に対する傍線部⑤の反応で、源氏は相人らの予言した「上なき位にのぼり世をまつりごちたまふべきこと」つまり「帝王の相」を、「年ごろ」は「思し消ち」てきたことを独白するが、それは、いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、事にもあらず思し消ちてもてなしたまふなるべし。

(桐壺・①三五~三六頁)との箇所で、桐壺更衣の死を嘆く桐壺帝に対し弘徽殿女御が「思し消」す例や、今日はこの御事も思ひ消ちて、あはれなる雪の雫に濡れ濡れ行ひたまふ。

(賢木・②一二九頁)との箇所で、桐壺院一周忌を迎えた藤壺に対し源氏が「思ひ消」す例から帰納して、心中に常在する強い感情を抑圧する行為と言い換えることができ、源氏の帝位に対する野心の抑圧がこの表現に見出だされる。これと合わせて考えるべきが傍線部⑥の感懐で、ここは「帝位から遠い宿世」(浅尾広良「研究の現在と展望」)の意でなく、逢ひ見たてまつるべき宿世は遠かりけれど、この若君の生れ給へる契り思ふに、さすがにいみじう深かりけり。

(『浜松中納言物語』巻第四・二九七~二九八頁)との類例、すなわち女と契りを結ぶ「宿世」が自身から遠かったことを男が認識する構図に照らして、帝位の「宿世」が源氏にとって遠かった意に解釈され、源氏が抑圧してきたのは帝位を「宿世」とみなしてきたがゆえの野心だった、と理解される。この理解は、抑圧の理由である傍線部⑤の「年ごろは世のわづらはしさに」が、澪標巻の次のような「年ごろ」の用例から、朱雀帝治世の年月における不遇と解されることでも支えられる。 (

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・若君の御乳母たち、さらぬ人々も、年ごろのほどまかで散らざりけるは(下略)

(澪標・②二八四頁)・年ごろ世に憚りて出で入りも難く、見たてまつりたまはぬ嘆きをいぶせく思しけるに(下略)

(同三〇〇頁)つまりここには、源氏がもともと帝位を「宿世」とみなしていたがゆえに、須磨流離の間には抑圧しながらも野心を失わなかった、という事実が明かされているのであり、その事実が当該場面を初出とすることから、源氏がいつから帝位への野心を抱いてきたのかが論点となる。この論点を扱った草苅禎「『源氏物語』「澪標」巻における「宿世遠かりけり」の意味するもの」は、伊井春樹「光源氏の栄花と運命」による、光源氏は自分の運命の秘密について、ある日思いがけなくも死を前にした父桐壺帝の口から聞かされるにいたった。といっても物語にはその事実は書き留められていないが、後の記述からみて高麗人の相人による観相のことばが、そのまま伝えられていたはずである。それは桐壺帝の光源氏への個人的な遺言であって、物語にはもっぱら公的な朱雀院への遺言がくり返し公開される。との仮説を踏まえた上で、次の見解を示している。源氏が自らの宿世を頼むためには、何か強力な根拠がなければならない。それを私は、桐壺院によってなされた遺言のうちにあると思うのだ。光源氏の宿世観は、そのまま桐壺院の遺言に重なり、それを信じて私かな思いを持ち続けていたのであろう。だが前述のように、桐壺巻でなされた高麗相人の予言は単に「帝王の相」を見出だすものでなく、むしろ森一郎「桐壺巻の高麗の相人の予言の解釈」が、「国の親となりて……」は天子、「乱れ憂ふる」は国乱をも含んで、光君が天子になるべきでないとする天のさとしとしての天変地異や光君が天子になればその身をほろぼして破滅することを予兆することば 000であり、この (

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予言前半は“天子になるべきでない帝王相”をいったものと考えている。と述べるように、源氏の野心とは相反する内容と取られることから、疑問が残る。高麗相人の予言の含意については諸説あるが、論点である源氏の認識を決定づけるのは、あくまで予言を受けた桐壺帝の措置であり、次の記述から、それは源氏の即位の途を閉ざすための不可逆的な決断だったと考えられる。帝、かしこき御心に、倭相を仰せて思しよりにける筋なれば、今までこの君を親王にもなさせたまはざりけるを、「相人はまことにかしこかりけり」と思して、「無品親王の外戚の寄せなきにては漂はさじ、わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ、行く先も頼もしげなめること」と思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせたまふ。際ことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王となりたまひなば世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜のかしこき道の人に勘へさせたまふにも同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべく思しおきてたり。

(桐壺・①四〇~四一頁)高麗相人の予言以前、すでに桐壺帝は自身で行った倭相に基づいて源氏への親王宣下を保留しており、「乱れ憂ふること」の予言、および後に依頼した宿曜の勘申との一致に鑑み、慎重な考慮を経て源氏の臣籍降下を決定している。この措置は、臣下の相を持たないとする予言後半への期待を仮に含むにせよ、本質的には「乱れ憂ふること」の回避を求めて予言前半を重んじたものに違いなく、措置を受けた源氏は、以後どの段階で予言内容を知ったとしても「天子になるべきでない帝王相」ゆえに臣籍降下された事実に直面する。そうである以上、源氏が高麗相人の予言に示された「帝王の相」のみに頼って、帝位を自らの「宿世」とみなしてきた、と考えることは困難である。この問題に関連しては、・

桐壺帝が光源氏即位の可能性をかなり信じていたとすれば、なぜ葵上と源氏との縁組が成立したか、説得力のある解釈が出来る。(中略)左大臣は高麗人の予言を知っていた、一歩踏み込んで言えば、帝は左大臣に高麗人 文学研究  第百十九輯

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の予言を伝え、二人の間で、光源氏即位の密約をしたとする外あるまい。

(高橋和夫「源氏物語の方法と表現」)・

予言そのものは、玉座への道行きと臣下の相が否定されるという相互矛盾をかたるだけで、光源氏の運命の終局を、具体的に浮かび上がらせるものにはなっていない。したがって、そこから桐壺帝が臣下の道をたぐり寄せつつ、帝王相への期待を切り捨ててはいない、という解釈も引き出されて、それが昨今、有望視される傾向にある。

(河添房江「光る君の誕生と予言」)のように、桐壺帝が臣籍降下の判断を下しながらも、「帝王の相」を持つ源氏の即位に密かに賭けていたとする意見があるが、紅葉賀巻での皇子誕生に際する、源氏の君を限りなきものに思しめしながら、世の人のゆるしきこゆまじかりしによりて、坊にもえ据ゑたてまつらずなりにしを、あかず口惜しう、ただ人にてかたじけなき御ありさま容貌にねびもておはするを御覧ずるままに、心苦しく思しめすを、かうやむごとなき御腹に、同じ光にてさし出でたまへれば、瑕なき玉と思ほしかしづくに(下略)

(紅葉賀・①三二八頁)との桐壺帝の所感は、「瑕なき玉」である皇子との比較を通して、源氏の即位が不可能という見通しを明確に示している。皇籍復帰による「帝王の相」の現実化を桐壺帝が期待していたとする解釈は、前掲の臣籍降下に際する慎重な考慮を形骸化することにも繋がるため、従えない。まして源氏自身にとっては、思うに、源氏は帝王の相の予言を知っていたにもせよ、当初そのことにほとんど無頓着であったにちがいない。みずからの類稀な容姿や能力に恃むところはあったろうが、臣下となった自分に即位の道は閉ざされており、帝王の相を信じたところでどう生きることがその実現につらなるかは知るよしもなかったからである。

(日向一雅「光源氏論への一視点」(前出)) (

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と指摘されるように、予言内容から即位の可能性を期待することは不可能であり、むしろ財政的事情などによる臣籍降下の通例よりも、皇籍復帰を望めない境遇であることが、予言に基づく臣籍降下という事情からは悟られたはずである。右の考察からは、草苅論文の言う「源氏が自らの宿世を頼むため」の「強力な根拠」を高麗相人の予言に求めることができず、源氏の帝位への野心の始まりとしては、別の時点を定めることが必要と判断される。そして、本稿で示した「光源氏即位の文脈」の見地によってこの論点を再考する意義は、まさに若紫巻における夢解きの予言を、野心の始まる時点として定められるところにある。異説に従い、源氏自身の即位という内容を夢解きの予言に読み取った場合、それは源氏が「帝王の相」に期待を持ちなおす契機として機能し、以後源氏が帝位を「宿世」とみなすための「強力な根拠」となる。これによって、澪標巻で示される源氏の帝位への認識は、薄雲巻へと続く「光源氏即位の文脈」の表出として読み直される。

四  予言の取捨選択と読み替え

桐壺巻での臣籍降下によって即位の途を閉ざされた源氏は、それが高麗相人の予言した「乱れ憂ふること」の回避を求める桐壺帝の不可逆的決断だったと知り、元来掛けていなかった「帝王の相」への期待を一層失っていた。しかし、若紫巻での藤壺密通に伴う夢解きの予言により、帝位に就く不義の子を通して自身の皇籍復帰が可能になると推測した源氏は、「帝王の相」の現実化を信じ、帝位を自らの「宿世」として認識するに至ったと考えられる。ここから作中に底流する「光源氏即位の文脈」は、源氏の不遇時代にも持続し、前述のように薄雲巻における冷泉帝からの譲位検討に至って、源氏の判断で最終的に閉じられることとなるが、問題の澪標巻の予言回想場面は、そ 文学研究  第百十九輯

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の文脈の転換点として位置づけられる。当該場面で源氏は、冷泉帝の即位を「思ひのごとうれし」と思い、そこに高麗相人の予言の実現を認めて「相人の言、空しからず」と評価する一方、自身の即位を「もて離れたまへる筋」とみなして「さらにあるまじきこと」と自制し、帝位の「宿世」から遠い身だったと結論づけている。高麗相人の予言した「帝王の相」の非実現を示す後半に、前半との矛盾を一見孕むこの結論について、藤井貞和「「宿世遠かりけり」考」は、帝位に即くことなく、しかも帝王の相をあらわすような「予言」の実現とはどんな内容であろうか。すでに明らかであろう、実の子を帝位に即けること、それによって、当帝の父となることであったと考えられる。と述べ、冷泉帝の即位により、臣下ならぬ地位が即位せずに達成されたゆえの両立を認めるが、むしろここには、子の即位が源氏の帝位への野心に取って代わるという分岐を看取できる。要するに源氏は、冷泉帝即位を高麗相人の予言の実現として受け入れることによって、須磨流離の間も心中に抑圧してきた帝位への野心を、当初から自身に縁の無かった「宿世」だと合理化し、夢解きの予言の実現を自主的に断念しているのである。「光源氏即位の文脈」が薄雲巻まで続いていくにも拘わらず、源氏がこの時点で夢解きの予言の実現を断念することは、三人の子の栄達を示した宿曜の予言が当該場面で語られることと無関係でないと考えられる。宿曜の予言内容のうち、冷泉帝の即位だけは夢解きの予言と対立しないが、その他はいずれも源氏の即位と共起できない。特に明石姫君の入内の途が源氏の即位に伴って閉ざされることは、生誕の報を受けたばかりの源氏に困難な選択を迫る。結果、宿曜の予言を優先させる判断を取ったことが、夢解きの予言の実現断念に繋がっている。この選択を考える上で参考としたいのが、『源氏物語』における宿曜の重視と、当時の予言の権威差に対する認識である。藤本勝義「源氏物語における宿曜」は、「道長の時代、すなわち紫式部の時代までには、宿曜の目立った活躍はなく、もっぱら陰陽道が幅をきかしていた」中で、『源氏物語』においてはむしろ宿曜への信頼が優越していた (

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22)

光源氏即位の予言

(17)

ことを、桐壺巻の例から、倭相、高麗の相人という名のある者の観相だけでも十分であったわけで、宿曜を加えるのは、賢帝の桐壺帝が宿曜を信頼しているということであり、積極的な意味が考えられるのである。と指摘する。また、藤本勝義「平安朝の解夢法」は、予言者についての古記録の記述にみられる差異を、「二中歴」(第十三)に「陰陽師」として、(中略)そうそうたる名前が二十七人記されている。又、「宿耀(曜)師」として、(中略)三十人の名があげられている。かれらは「小右記」等にも名前が出てくる著名な人物が多い。さらに、「易巫」として、弘法、浄蔵ら二十六人の名が記され、一方、「相人」として、洞昭ほか

栄達の追求へと源氏が意識を変化させる巻として更新され、「光源氏即位の文脈」はこの転換点をもって、薄雲巻に の予言がともに実現へと向かい始める巻ではなく、共起しえない予言の取捨選択により、帝位の「宿世」から子の が、ここで作為的に取捨選択の対象とされたことを意味する。当該場面を含む澪標巻の位置づけは、出揃った三つ 出された可能性は、語られなかった予言への唐突な言及に鑑みて考慮に値し、それは夢解きの予言と宿曜の予言と 提示された即位の構想から、子の栄達という方向へと源氏を向かわせるにあたり、信頼と権威で上回る宿曜が持ち に存在したとされる宿曜の予言が、当該場面で初めて明かされることは示唆的と言える。若紫巻の夢解きの予言で こうした宿曜の重視、および夢解きとの権威差の認識が源氏の選択を裏付けている可能性を思えば、すでに作中 占夢を権威付けるものが確固として存在することはなかった」と述べる。 と明示し、「夢解きの姿が稀に見られても、市民権を得ているとはほとんど考えられぬように、解夢の拠所となり、 ら見出すことは、まずできない。 らの、いかにも法師など、それらしい名に比して、正体不明といった名前である。(中略)彼らの名を記録類か がある。しかし「夢解」として名があげられているのは、(中略)わずか五人にすぎない。しかも、「宿曜師」

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人の名 (

23)   文学研究第百十九輯

(18)

おける閉塞へと進むこととなる。しかし、ここで取捨選択の対象となった夢解きの予言は、源氏の認識としてはその実現が断念されたものの、物語の構想という面においては、未だ棄却されていないのではないか。確かに、「光源氏即位の文脈」は、冷泉帝からの譲位を忌避した源氏の判断により薄雲巻で閉じられる。けれども、理にかなわない源氏の辞退に納得することのなかった冷泉帝は、藤裏葉巻に至って行われた源氏四十の賀で、帝位に代わる最上の待遇を源氏に授けている。その秋、太上天皇になずらふ御位得たまうて、御封加はり、年官、年爵などみな添ひたまふ。かからでも、世の御心にかなはぬことなけれど、なほめづらしかりける昔の例を改めで、院司どもなどなり、さまことにいつくしうなり添ひたまへば、内裏に参りたまふべきこと難かるべきをぞ、かつは思しける。かくても、なほ飽かず帝は思しめして、世の中を憚りて位をえ譲りきこえぬことをなむ、朝夕の御嘆きぐさなりける。

(藤裏葉・③四五四頁)この源氏の准太上天皇位獲得をめぐっては、桐壺巻の高麗の相人の予言が藤裏葉巻の光源氏准太上天皇就位を志向する長篇構想の原点というのが通説(下略)

(森一郎「源氏物語の構想論について」)と指摘されるように、桐壺巻の高麗相人の予言にその構想の発端が求められてきたが、源氏が同予言の実現を澪標巻で受け入れている事実を踏まえて、『藤裏葉』の准太上天皇とは何であるのか。「予言」の後半部に、それが対応しているらしく見える(中略)高麗の相人の「予言」が、前半部と後半部とに遊離して、二段階の実現をみた、ということが結果から指摘できる、というのにとどまる。

(藤井「「宿世遠かりけり」考」(前出)) (

24)

光源氏即位の予言

(19)

と、未実現だった予言後半部「朝廷のかためとなりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」のみとの対応をここに見出だす見解が出されている。さらに近年は、土方洋一「高麗の相人の予言を読む」のように同予言を「それ自体読み手の前に投げ出された一個の〈謎〉として在る」とする見方が有力視されているが、その場合に当該構想の発端をどこに求めるべきかについては、未だ定解をみない。これに対し本稿の見地では、准太上天皇という最上の待遇が、薄雲巻で閉じられた「光源氏即位の文脈」の延長線上に定位されていることが予想される。ここから考えられるのが、問題の夢解きの予言「およびなう思しもかけぬ筋」が、源氏の即位と准太上天皇位獲得との、両義を含みうる表現として機能している可能性である。源氏は夢解きの言葉を即位の予言と捉え、澪標巻で取捨選択に臨んでその実現を断念したが、それはあくまで源氏の認識の問題に過ぎず、物語構想の次元では、この予言は源氏の准太上天皇位獲得として読み替えられ、藤裏葉巻まで命脈を保ったのではないか。源氏の断念した予言が、実はその意思の外で准太上天皇位獲得という形で代替的に実現している、とするこの見方が成り立つならば、若紫巻の夢解きの予言には、藤裏葉巻に至る准太上天皇構想の発端としての意味が付与される。ただし、それは必ずしも若紫巻の段階における構想の存在を意味しない。重要なのは、夢解きの予言が両義を含みうる表現として常に読み替えを許容してある点であり、それが当初からの意図か否かは検討を要するものの、帝位に代わる最上の位である准太上天皇位を源氏が獲得するという構想が組まれた段階で、夢解きの予言にその発端が求められた可能性は少なくとも指摘しうる。若紫巻の夢解きの予言から始まった「光源氏即位の文脈」は、宿曜の予言に接した源氏の取捨選択により閉塞へ向け転換する。しかしここで断念された源氏の即位の予言は、源氏自身の意思の埒外で准太上天皇位獲得の予言へと読み替えられ、物語構想の次元で実現へ向かい始めた。「光源氏即位の文脈」が源氏の判断によって薄雲巻で閉じ (

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(20)

られる一方、予言の読み替えに基づく准太上天皇位獲得の構想は藤裏葉巻で実現をみる。このような予言の取捨選択と読み替えが起こる基点としてあるのが、澪標巻の予言回想場面なのではないだろうか。

五  おわりに 本稿では、若紫巻における夢解きが正しくは源氏自身の即位を予言していたという異説の立場から、同予言を発端とする「光源氏即位の文脈」が、冷泉帝からの譲位検討がなされる薄雲巻まで底流しているという見地を示し、源氏によって夢解きの予言と宿曜の予言との取捨選択が行われる澪標巻に、その文脈の転換点が見出だされることを述べた。そして文脈の転換に伴って、源氏の断念した夢解きの予言が読み替えられ、准太上天皇位獲得という新たな物語構想の発端となって、藤裏葉巻における代替的実現へと向かっている可能性を示した。従来澪標巻は、以後の巻に向けた源氏の変貌を表す物語上の境界とみなされ、とりわけ伊藤博「「澪標」以後」の、私は澪標以後の源氏の変貌を指摘し、そこで志向のベクトルが逆転したといったが、それは(中略)多分に予言の要請という外的契機によって、その置かれた位置の要請するエネルギーの方向に身を委ね、急激に過去と切断した気味合いがあったようだ。との指摘により、予言の存在は重要な契機として認知されてきた。ここに新たに見出だされる、予言の取捨選択および読み替えの基点という役割は、この巻における源氏の変貌をめぐって更なる考究を可能とするのみならず、『源氏物語』第一部の予言構想に対する理解をも修正することに繋がる。『源氏物語』の桐壺巻・若紫巻・澪標巻における三つの予言は、源氏の「帝王の相」を示しつつ帝位の途を閉ざす原因となる高麗相人の予言、「帝王の相」の現実化の可能性を示し「光源氏即位の文脈」を開く夢解きの予言、三人 (

26)

光源氏即位の予言

(21)

の子の栄達を示し「光源氏即位の文脈」に転換を求める宿曜の予言、と三者が必ずしも軌を一にはせず、予言を受けた者に選択を迫る形で語られている。その中で源氏が予言の取捨選択を行う一方、源氏の感知しえない次元で、読み替えられた夢解きの予言が源氏の新たな命運を導いていくこと、それこそが『源氏物語』第一部において目指された予言構想だったと考えられる。

  1

)阿部秋生「源氏物語の三部構成説」(『源氏物語研究序説』東京大学出版会、一九五九年)。

( 造

』桜楓社、一九八三年。礎稿の初出は一九八〇年)。

  2

)日向一雅「光源氏論への一視点

「家」の意志と王権と

」(『源氏物語の主題

「家」の意志と宿世の物語の構

  3

)『源氏物語』ほか散文作品の引用は『新編日本古典文学全集』(小学館)により、私に本文を整定して掲出する。

    4

)引用は玉上琢彌編『紫明抄河海抄』(角川書店、一九六八年)による。

( 出は一九七九年)。

      5

)清水好子「光源氏論」(山本登朗ほか編『清水好子論文集第二巻源氏物語と歌』武蔵野書院、二〇一四年。礎稿の初

( と再構築』竹林舎、二〇一四年)。

      6

)湯淺幸代「物語を切り開く磁場

予言・夢・密通

」(助川幸逸郎ほか編『新時代への源氏学Ⅰ源氏物語の生成

( は一九六〇年)。

  7

)仲田庸幸「光源氏の「たがひ目」に見る文芸的意義」(『源氏物語の文芸的研究』風間書房、一九六二年。礎稿の初出

( 大学国語国文学会)』第二号、一九六六年一一月)。

  8

)武原弘「源氏物語の短篇手法について

第一部における三つの予言を中心に

」(『国文学研究(梅光女学院短期

( 年)。

    9

)田中隆昭「光源氏についての予言と宿曜」(『源氏物語引用の研究』勉誠出版、一九九九年。礎稿の初出は一九九三

有精堂出版、一九八九年。礎稿の初出は一九八〇年)。

10  

)三谷邦明「藤壺事件の表現構造

若紫巻の方法あるいは〈前本文〉としての伊勢物語

」(『物語文学の方法Ⅱ』   文学研究第百十九輯

(22)

11  

)藤井貞和「桐壺の巻問題ふたたび

源氏物語の構想をめぐって」(『国語通信』第一四九号、一九七二年九月)。

12  

)深沢三千男「光源氏の運命」(『源氏物語の形成』桜楓社、一九七二年。礎稿の初出は一九六八年)。

( 年)。

13      

)浅尾広良「研究の現在と展望」(王朝物語研究会編『研究講座源氏物語の視界2光源氏と宿世論』新典社、一九九五

( という表現を考える上で参考となる。 れ、身の上の幸、不幸いづれにせよ、その成行きをいふ」との指摘は、仮想していた「宿世」の非実現を示す「遠し」 八五年)による、「要するに「宿世」といふ言葉は、それが現在時点の現実であれ、仮定のことであれ、未来のことであ

14  

)石田穣二「源氏物語に見る「宿世」の語について」(『源氏物語攷その他』笠間書院、一九八九年。礎稿の初出は一九

( 九一年一二月)。

15  

)草苅禎「『源氏物語』「澪標」巻における「宿世遠かりけり」の意味するもの」(『立教大学日本文学』第六七号、一九

16    

)伊井春樹「光源氏の栄花と運命」(源氏物語探究会編『源氏物語の探究第二輯』風間書房、一九七六年)。

( を想定する。 かへすがへすのたまはす」(賢木・②九七頁)と記されるが、同仮説ではさらに隠れた遺言として高麗相人の予言の伝達

17  

)桐壺帝の遺言は賢木巻に「大将にも、朝廷に仕うまつりたまふべき御心づかひ、この宮の御後見したまふべきことを

18  

)森一郎「桐壺巻の高麗の相人の予言の解釈」(『源氏物語考論』笠間書院、一九八七年。礎稿の初出は一九八三年)。

( 月)。

19  

)高橋和夫「源氏物語の方法と表現

桐壺巻を例として

」(『国語と国文学』第六八巻第一一号、一九九一年一一

20  

)河添房江「光る君の誕生と予言」(『源氏物語の喩と王権』有精堂出版、一九九二年。礎稿の初出は一九九二年)。

( 年)。

21    

)藤井貞和「「宿世遠かりけり」考」(中古文学研究会編『論集中古文学1源氏物語の表現と構造』笠間書院、一九七九

( 一九八七年)。

22  

)藤本勝義「源氏物語における宿曜」(『源氏物語の想像力

史実と虚構

』笠間書院、一九九四年。礎稿の初出は

23        

)藤本勝義「平安朝の解夢法」(『叢書想像する平安文学第5巻夢そして欲望』勉誠出版、二〇〇一年)。 年)。

24  

)森一郎「源氏物語の構想論について」(『源氏物語の表現と人物造型』和泉書院、二〇〇〇年。礎稿の初出は一九九五

光源氏即位の予言

(23)

( 年)。

25  

)土方洋一「高麗の相人の予言を読む」(『源氏物語のテクスト生成論』笠間書院、二〇〇〇年。礎稿の初出は一九八〇

年)。

26  

)伊藤博「「澪標」以後~光源氏の変貌~」(『源氏物語の基底と創造』武蔵野書院、一九九四年。礎稿の初出は一九六五   文学研究第百十九輯

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