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毀誉褒貶の光源氏──『源氏物語』の読者──

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毀誉褒貶の光源氏──『源氏物語』の読者──

著者

奥村 英司

雑誌名

鶴見大学紀要. 第1部, 日本語・日本文学編

55

ページ

1-14

発行年

2018-03

URL

http://doi.org/10.24791/00000168

Creative Commons : 表示 http://creativecommons.org/licenses/by/3.0/deed.ja

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毀誉褒貶の光源氏 一

毀誉褒貶の光源氏

──

『源氏物語』の読者

──

 

 

 

「文学」とは何かを問うとき、 「作者」 「本文」は対象化することができても、 「読者」を論の俎上に乗せることは難 し い。 「 読 者 」 と は 過 去 か ら 現 在・ 未 来 に わ た っ て 無 数 に 存 在 す る 個 で あ り、 そ の 一 人 一 人 が 恣 意 的 に 作 品 に 向 か い 合 う と 考 え ら れ る か ら だ。 「 読 者 」 は 一 見 自 由 自 在 に ふ る ま う こ と が 出 来 る よ う で あ り な が ら、 一 方 で 当 然、 作 品 「 本 文 」 か ら 規 制 さ れ る 存 在 で あ る。 作 品 を 離 れ た 放 埒 な ふ る ま い は も は や 読 書 で は な く、 そ れ を「 読 者 」 と い う こ と は で き な い。 「 読 者 」 な し の「 文 学 」 は あ り え な い が、 「 作 者 」「 本 文 」 な し に ま た「 文 学 」 は あ り え な い。 「 文 学 」 は 個 の「 読 者 」 の 内 な る 現 象 で あ る が、 「 本 文 」 の 内 に 読 者 の あ り よ う は 籠 め ら れ て お り、 そ の あ り よ う を 論 ず る こ とは可能なはずだ。

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二 本 稿 は、 『 源 氏 物 語 』 前 半 の 転 換 点 と な る「 葵 」 巻 を 出 発 点 と し て、 光 源 氏 と い う 主 人 公 の 記 述 あ り よ う か ら、 そ こ に 籠 め ら れ た 読 者 の 視 点 を 射 程 に 入 れ つ つ 考 察 し て い く こ と で、 「 本 文 」「 作 者 」「 読 者 」 三 位 一 体 の あ り よ う と し ての「文学」を問う。 「 葵 」 巻 冒 頭 は、 御 代 替 わ り の 後 の 政 治 状 況 の 変 化 が、 光 源 氏 に 心 理 的 な 圧 迫 を 与 え て い る と い う 記 述 か ら 始 ま っ ている。巻の主要な話題は、いわゆる「車争い」と、その後の葵の上出産と死去、紫の上との新枕であるが、二つの 話題はそれぞれに独立した挿話が時系列の中で統合されているといった体であり、ここで描かれる主人公としての光 源氏像は、通俗的な愚劣さと超越的な美質という相反する面をもち、毀誉褒貶ともいうべき評価の揺れを見て取るこ とができる。

光源氏の人生の転換点を描く「葵」巻。冒頭から光源氏の鬱屈した心情が語られる。 世の中変りて後、よろづものうく思され、御身のやむごとなさも添ふにや、軽々しき御忍び歩きもつつましう て、ここもかしこもおぼつかなさの嘆きを重ねたまふ報いにや、なほ我につれなき人の御心を尽きせずのみ思し 嘆く。 (2・一七) (本文は小学館新編日本古典文学全集により、分冊数・頁を示す) この一文に、 一   御代替わりによる政治状況の変化で光源氏の心は塞ぎがちである。 二   先帝譲位に際して昇進している。 (後に「大将の君」と呼称) 三   多くの忍び所への夜離れが続き、女達を嘆かせている。

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毀誉褒貶の光源氏 三 四   その報いであるかのような藤壺の冷淡さに、源氏の嘆きも深まっている。 と 言 っ た 情 報 が 書 き 込 ま れ て い る。 譲 位 に よ っ て 右 大 臣 方 の 勢 力 が 優 勢 に な っ た と は 言 え、 「 花 宴 」 巻 で 右 大 臣 が 自 邸の宴に源氏を招いていたことからも、それなりに目を掛けられていることは推測され、直ちに光源氏が冷遇される 状況になったわけではないし、藤壺の表面上冷淡な態度は従前からの事であるはずだが、ここではそれを他の女達の 嘆きの報いとして関連づけている。つまり、ここでは客観的な状況の描写と言うより、主情的、主観的な描写がなさ れ、読者に光源氏という主人公の鬱屈した心情が突きつけられる。同時に、藤壺の冷淡さを「嘆き」の「報い」とし て 関 連 づ け る の は、 光 源 氏 に よ っ て 冷 淡 に 扱 わ れ て い る 女 達 の 心 情 こ そ、 読 者 が よ り 共 感 し や す い も の で あ り、 ( 藤 壺のような高嶺の花にはなれなくとも、多くの愛人の一人くらいにはなれるかもしれない、という意味で)同様の悲 嘆を源氏が感じている、というのはそうした女達に共感する読者の憂さ晴らし、といった側面もある。 『 源 氏 物 語 』 で は、 一 つ の 出 来 事 が 多 面 的 に 捉 え ら れ、 別 の 相 貌 を 表 す よ う な 描 写 が 行 わ れ て い る と い う、 こ れ は 一例となろう。光源氏の鬱屈と、女達の悲嘆は、対立した関係にありながら、読者はその一方だけに感情移入するこ とを許されない。政治的な状況に照らせば、忍び歩きを慎むのは当然なことだが、それが多くの女達の心を揺さぶっ ているということも看過しがたい。これまで、光源氏は基本的に女性関係には消極的であり、その一方で厄介な相手 に は の め り 込 む と い う「 癖 」 を 持 つ、 と さ れ て い た。 し か し、 「 葵 」 巻 に お い て は、 多 く の「 忍 び 所 」 の 存 在 が 暗 示 され、その代表としての六条御息所がクローズアップされていく構図になっている。 御 息 所 は「 前 坊 」 の 娘 を 生 ん だ 年 上 の 女 性 で あ り、 そ の 地 位 や 世 評 は 別 格 と 言 え る 相 手 で あ る。 し か し、 「 年 上 で 気の置ける相手」という御息所の属性は葵の上と共通するものがある。葵の上との不仲が、光源氏の女性渉猟の一因 と記されてきただけに、同じような相手に言い寄り、しかもその後に疎遠になるという過程には矛盾を感じさえもす

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四 る。そもそも、御息所の本格的な物語への登場の場面で、既に娘斎宮とともに伊勢下向を決意していたというのだ。 まことや、かの六条御息所の御腹の前坊の姫宮、斎宮にゐたまひにしかば、大将の御心ばへもいと頼もしげなき を、幼き御ありさまのうしろめたさにことつけて下りやしなまし、とかねてより思しけり。 (2・一八) こ の 一 文 で、 「 か の 」 と あ た か も 読 者 既 知 の 人 物 で あ る か の 印 象 を 与 え つ つ、 御 息 所 の 置 か れ た 状 況 を 十 二 分 に 説 明している。既出の「六条わたり」の女との共通性を感じさせつつ、新たな人物像が呈示されていると見ておく。読 者に一体この人は何者なのかという疑問を生じさせないのは、冒頭で物語に語られざる多くの通い所に共感させられ て い る か ら で あ り、 人 物 の 詳 細 は よ く わ か ら ぬ な が ら、 光 源 氏 か ら 冷 淡 な 扱 い を 受 け て 苦 悩 す る 女 君 の 心 情 レ ベ ル で、 読 者 に 納 得 さ せ て し ま う 筆 致 で あ り、 こ れ は 桃 園 式 部 卿 宮 の 姫 君 朝 顔 に つ い て も、 「 帚 木 」 巻 で 光 源 氏 が 歌 を 贈 った事のみ記述されていはしたが、御息所の置かれた状況を批評的に捉えるという、これも読者の視点を持って登場 する事でその唐突さを緩和している描写にも連関する。 かかることを聞きたまふにも、朝顔の姫君は、いかで人に似じと深う思せば、はかなきさまなりし御返りなども をさをさなし。 (2・一九) 文章のみで表現される虚構の人物をどのように理解していくか。外面的な描写をどれだけ重ねるかより、その内面 を読者に共感させることがその早道となろう。光源氏との関係に苦悩する御息所の心情に共感しつつ、またそうした 態 度 を 批 評 的 に 捉 え、 絶 妙 の 距 離 感 で 光 源 氏 と 関 わ ろ う と す る 朝 顔 の 心 情 を も、 同 時 に 理 解 す る こ と が 求 め ら れ る。 御息所の悲劇は、読む「私」の悲劇であると同時に、御息所という「他者」の人生でもある。多面的複眼的な視点が 形成されつつ作品世界に取り込まれてゆく仕組みをここに見ておきたい。 さ て、 「 葵 」 巻 冒 頭 部 分 か ら、 六 条 御 息 所 と の 関 係 に つ い て 父 桐 壺 院 か ら 叱 責 を 受 け た 場 面 の 後 の 記 述 が 以 下 で あ

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毀誉褒貶の光源氏 五 る。 また、かく院にも聞こしめしのたまはするに、人の御名もわがためも、すきがましういとほしきに、いとどやむ ごとなく心苦しき筋には思ひきこえたまへど、まだあらはれてはわざともてなしきこえたまはず。女も、似げな き御年のほどを恥づかしう思して心とけたまはぬ気色なれば、それにつつみたる様にもてなして、院に聞こしめ し 入 れ、 世 の 中 の 人 も 知 ら ぬ な く な り に た る を、 深 う し も あ ら ぬ 御 心 の ほ ど を、 い み じ う 思 し 嘆 き け り。 ( 2 ・ 一九) 順序としては、先の「かかることを~」の直前の記述である。院の叱責を受け、理性的には御息所に対する態度を 改 め る の が 相 手 の た め、 ひ い て 自 身 の た め で も あ る と 思 い な が ら も、 明 確 な 態 度 の 変 更 を 見 せ る こ と は し て い な い、 というのである。光源氏の内面では、それを御息所が年長であることを恥じている、そのことに対する気遣いとして 合理化されているのだが、院の耳にも入っているということは、既に世間中に知れ渡っているのと同じであって、光 源氏に逃げ場はない。御息所の側から何か行動を起こす余地はないのだから、その源氏の態度は御息所への愛情の希 薄さを示しているという以外何ものでもない。 光源氏はなぜそこまで頑ななのか、彼の心情が語られることはない。人物の心情・心理を丁寧に記述するこの物語 では、しばしば思考の過程を丹念に追うことで人物の行為を必然化しているのだから、ここで読み手は空白から何を 読み取るべきなのか。頭ではわかっていても行動に移すことが出来ない、という体験は誰しも持つものであり、凡人 たる我々読者と同じ地平に、ここでの光源氏はあるのだろうか。巻頭に記された御代替わり以降の鬱屈した気分がこ こにも作用している、ということは言えるだろうが、御息所への思いやりや、父院や世間の評価に対しての顧慮とい ったものを持ち得ないここでの光源氏は、いかにも凡庸な人物とみられる。

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六 一方で、光源氏の子を懐妊した正妻葵の上の側はどうか。 大 殿 に は、 か く の み 定 め な き 御 心 を 心 づ き な し と 思 せ ど、 あ ま り つ つ ま ぬ 御 気 色 の 言 ふ か ひ な け れ ば に や あ ら む、深うしも怨じきこえたまはず。心苦しきさまの御心地になやみたまひて心細げに思いたり。めづらしくあは れと思ひきこえたまふ。誰も誰もうれしきものからゆゆしう思して、さまざまの御つつしみせさせたてまつりた ま ふ。 か や う な る ほ ど、 い と ど 御 心 の 暇 な く て、 思 し お こ た る と は な け れ ど、 途 絶 え 多 か る べ し。 ( 2・ 一 九 ~ 二○) 朝顔同様に御息所の事を耳にした葵の上は、光源氏の「定めなき御心」を「こころづきな」く思いはしたが、その 浮気ぶりを隠そうともしない態度に諦めて強い嫉妬を表すこともなかったのだ、という。これまでの光源氏は、忍び 所の存在を隠していたために、それを見現してやろうという頭中将の追跡すら招いていたはずだ。それが、葵の上に 対 し て 女 性 関 係 を 隠 そ う と も し な い と い う の は 従 前 の 描 写 と の 乖 離 を 感 じ さ せ る。 一 方 で、 懐 妊 の 兆 候 に 感 動 を 覚 え、葵の上の事が気かがりになると、他の女達の元に通う足は一層遠のくようになった、という。正妻の懐妊によっ て浮気な夫が愛人を訪ねることを止める、といういかにも凡庸な文脈の後に、葵の上と御息所の「車争い」が描かれ る の だ か ら、 こ れ は、 多 く の 女 性 を 我 が 物 と し て 支 配 下 に 置 く と い う、 「 い ろ ご の み 」 性 の 衰 退 で あ り、 超 越 的 な 美 質 を 持 っ た 主 人 公 の 頽 落 と み る ほ か な い。 正 妻 と、 第 二 位 の 地 位 に あ る 愛 人 と が、 公 衆 の 面 前 で 暴 力 的 に 対 決 す る、 という(葵の上側からの一方的なものではあるが)あるべからざる事件の前で、光源氏はもはや傍観者であるしかな いのである。

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毀誉褒貶の光源氏 七

葵祭に先立って行われた新斎院御禊の当日、行列の中に光源氏の姿があった。 ほどほどにつけて、装束、人のありさまいみじくととのへたりと見ゆる中にも、上達部はいとことなるを、一と ころの御光にはおし消たれためり。大将の御仮の随身に殿上の将監などのすることは常のことにもあらず、めづ らしき行幸などのをりのわざなるを、今日は右近の蔵人の将監仕うまつれり。さらぬ御随身どもも、容貌姿まば ゆ く と と の へ て、 世 に も て か し づ か れ た ま へ る さ ま、 木 草 も な び か ぬ は あ る ま じ げ な り。 壺 装 束 な ど い ふ 姿 に て、女房のいやしからぬや、また尼などの世を背きけるなども、倒れまろびつつ物見に出でたるも、例はあなが ちなりや、あな憎と見ゆるに、今日はことはりに、口うちすげみて髪着こめたるあやしの者どもの、手をつくり て額にあてつつ見たてまつり上げたるもをこがましげなる賤の男まで、おのが顔のならむさまをば知らで笑みさ かえたり。 (2・二四~二五) ここでの光源氏は、一転して超越的な美質を取り戻したかのように描かれる。光源氏の容姿が直接描写されるので はなく、周囲の人物達との比較や、見物人の態度からその卓越した美貌を類推させる体である。 一   装束をこらした上達部に比して光り輝くばかりの美貌は圧倒的である。以下要点をまとめると、 二   特殊な場合のみ許される右近の将監を随身として与えられている。 三   他の随身も容姿の整った者達でありそれが光源氏の世評を反映している。 四   女房や尼などが転倒せんばかりに光源氏に夢中になっているのももっともだ。 五   田舎者や下賤の者まで、源氏の美しさに醜く顔をゆがめて笑っている。

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八 行列を見る語り手の視点は、そのまま読者の視点となる。読者は、光源氏に背を向けて、行列の見物人に視点を移 していくことになる。物の道理も解さぬ下賤の者が、光源氏の美貌を礼賛する、という類型がここには繰り返されて い る。 「 仇・ 敵 」 ま で も が そ の 容 貌 に 笑 み を 浮 か べ て し ま う と い う 幼 少 期 の 光 源 氏 を 彷 彿 さ せ る 描 写 で は あ る が、 物 語はそうした光源氏を巡る葵の上と六条御息所との確執へと筆を進めていく。 いわゆる「車争い」の事情を知った光源氏の反応は次のようなものであった。 大将の君、かの御車の所争ひをまねびきこゆる人ありければ、いといとほしううしと思して、なほ、あたら、重 りかにおはする人のものに情けおくれ、すくすくしきところつきたまへるあまりに、みづからはさしも思さざり けめども、かかるなからひは情けかはすべきものとも思いたらぬ御掟に従ひて、次々よからぬ人のせさせたるな らむかし、御息所は、心ばせのいと恥づかしく、よしありておはするものを、いかに思しうむじにけん、といと ほしくて参でたまへりけれど、斎宮のまだ本の宮におはしませば、榊の憚りにことつけて、心やすくも対面した ま は ず。 「 な ぞ や、 か く か た み に そ ば そ ば し か ら で お は せ し か し 」 と、 う ち つ ぶ や か れ た ま ふ。 ( 2・ 二 六 ~ 二七) 「 車 争 い 」 は、 葵 の 上 が 意 図 し た も の で は な い に し て も、 性 格 上 普 段 か ら 御 息 所 と 融 和 し よ う と い う 気 持 ち が な い ということが従者達にも影響したのであろう、とその主因を葵の上の性格に帰そうとしている光源氏の、当事者意識 の希薄さを見ておきたい。ようやく訪ねた御息所には、娘斎宮の潔斎を口実として冷たくあしらわれる光源氏は、た だお互いが仲良くやってもらいたいと呟くしかない。 超越的な美質を世間に誇示した新斎院御禊の場面から一転して、ここには関係の悪化した妻妾の争いに、何の有効 な 対 処 も と り え な い、 凡 庸 な 男 の 姿 が 描 か れ る。 問 題 は、 そ の 凡 庸 さ に 見 切 り を つ け て 伊 勢 下 向 を 決 意 し た 御 息 所

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毀誉褒貶の光源氏 九 が、 一 方 の 超 越 的 な 美 質 に と ら わ れ 執 心 を 強 め て い る、 と い う 皮 肉 な 構 造 に あ る。 「 車 争 い 」 か ら 生 霊 事 件 と い う 物 語の展開が重視される中で、光源氏への毀誉褒貶が強調され、主人公の美質に疵をつけている点は否定できない。 妻妾同士の争いという事態に無力な光源氏、という構図は生霊事件まで維持される。とくに御息所に冷淡な態度と して表れている。 大 将 殿 に は、 下 り た ま は む こ と を、 も て 離 れ て、 あ る ま じ き こ と な ど も 妨 げ き こ え た ま は ず、 「 数 な ら ぬ 身 を 見 まうく思し棄てむもことわりなれど、今は、なほいふかひなきにても、御覧じはてむや浅からぬにはあらん」と 聞 こ え か か づ ら ひ た ま へ ば、 定 め か ね た ま へ る 御 心 も や 慰 む と 出 で 立 ち 出 で た ま へ り し 御 祓 河 の 荒 か り し 瀬 に、 いとどよろづいとうく思し入れたり。 (2・三一) 御息所の伊勢下向という意向を知りながら、明確に引きとどめることもなく、 「数ならぬ身」 「いふかひなき」と自 身を卑下しながらも、自分の愛情を最後まで見届けないのは御息所の気持ちの浅さゆえだ、と断ずる光源氏に、読者 の視点からも愛想を尽かしてしかるべきなのに、その姿を見ることで決心するはずだった御禊の行列の日、車争いの 屈辱はありながらも御息所の光源氏に対する執着はかえって深まり、苦悩に拍車をかけている、というのだ。読者が 思い入れのない第三者的な視点にとどまることがないとしても、光源氏の凡庸さが強調されればされるほど、この御 息所の執着もまた理解不能なものとして映ることになる。その視点が、御禊の場面で光源氏に背を向け、見物する側 に向けられたときから、読者は御息所の見ているものを見る事が出来なくなっている。光源氏が事態において傍観者 的になっていくのと同様、読者もまた御息所への共感を失っていくという構図なのである。そうした傍観者としての 光源氏がより明確に現れるのが以下の場面。 うちとけぬ朝ぼらけに出でたまふ御さまのをかしきにも、なほ振り離れなむことは思し返さる。やむごとなき方

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一〇 に、いとど心ざし添ひたまふべきことも出で来にたれば、ひとつ方に思ししづまりたまひなむを、かやうに待ち きこえつつあらむも心のみ尽きぬべきこと、なかなかもの思ひのおどろかさるる心地したまふに、御文ばかりぞ 暮 つ 方 あ る。 「 日 ご ろ す こ し お こ た る さ ま な り つ る 心 地 の、 に は か に い と い た う 苦 し げ に は べ る を、 え 引 き 避 か でなむ」とあるを、例のことつけと見たまふものから、 「袖ぬるるこひぢとかつは知りながら下り立つ田子のみづからぞうき 山の井の水もことはりに」とぞある。御手はなほここらの人の中にすぐれたりかしと見たまひつつ、いかにぞや もある世かな、心も容貌もとりどりに、棄つべくもなく、また思ひ定むべきもなきを苦しう思さる。御返り、い と暗うなりにたれど、 「袖のみ濡るるやいかに。深からぬ御事になむ。 浅みにや人は下り立つわが方は身もそぼつまで深きこひぢを おぼろけにてや、この御返りをみづから聞こえさせぬ」などあり。 (2・三四~三五) 出産が近づくとともに物の怪に苦しめられる葵の上の病状は重く、一方で六条御息所もまた病気平癒の加持祈祷を し て い る と 聞 き、 久 方 ぶ り に 逢 瀬 を 持 っ た 翌 朝 の 描 写 で、 去 り ゆ く 光 源 氏 を、 「 う ち と け ぬ 朝 ぼ ら け に 出 で た ま ふ 御 さまのをかしきにも」と見送りながらその美貌に執着する御息所の視点に、読者の視点が重なりながら、一方で正妻 に子が生まれたという状況を考えれば、自身の立場はいよいよ悪化し、物思いは深まるばかりだろうという、客観的 な判断も交えられる。葵の上の病状悪化によって次の夜は来ることが出来ないという光源氏の文を、 「例のことつけ」 と一蹴しながら、 「見たまふものから」の逆接が効果的に用いられ、 「袖ぬるる」の歌に連接していく。 光源氏の文に和歌が記されなかったのかどうかは不明で、形としては御息所側からの贈歌という記述になっている が、これはこの歌の重さを強調したものであろう。田の泥に自らはまり込んで抜け出せなくなっていく「田子」とし

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毀誉褒貶の光源氏 一一 て、自身を客観的に捉えながらも、また自らはどうしようもないという絶望さえ感じさせるこの歌で、読者は一気に 御息所の心情に感応することができる。行列の奥に押し込められ、人々の視点から遮断された御息所が、物語の表面 に 浮 上 し て く る こ の 場 面 で、 一 方 光 源 氏 は そ の 心 の 一 端 も 理 解 す る こ と が で き な い。 「 御 手 は な ほ こ こ ら の 人 の 中 に す ぐ れ た り か し 」 と 筆 跡 を 称 賛 す る し か な い 彼 に、 御 息 所 の 歌 に 籠 め ら れ た 絶 望 を 理 解 す る ゆ と り は な い。 「 い か に ぞやある世かな」と、とりどりに美質を持った女性達を誰も見捨てる事は出来ない、という好色者の一般論を反芻す るしかない光源氏は、物語全体においてももっとも凡庸な男として描写されている。語り手の批評や皮肉もここに挟 まれる余地はない。ただ言葉遊びのような返歌の魅力のなさも、物語中随一と言うべきではないか。超越的な光源氏 も、ただ御息所の執心を助長し、状況を悪化させるためのものでしかない。 正妻と愛人との直接的な争い、感情のもつれの原因の中核にいる光源氏が、第三者的な批評を述べるしかないとい う状況において、光源氏の視点は読者の視点とも重なる。大局からみれば、我が子を懐妊した正妻が物の怪に苦しめ られているという状況に置かれた光源氏が、いささか現実逃避的になるのは無理からぬことである。左大臣家では既 に物の怪の正体として六条御息所の名が挙がっているのに、光源氏自身は、その噂を信じられないでいた、車争いか ら物の怪出現という作品中最も劇的な展開にあって、光源氏はただ傍観者的に眺めているしかないという、物語の主 人公性を揺るがしかねない事態であることは間違いない。作品の虚構空間から、主人公が読者と同じ現実的な場所に 疎外されている。読者はその光源氏に共感はできないが、ただその視点を通して、物の怪出現という非現実に向き合 うのである。

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一二

御息所が夢で葵の上らしき女性を襲う、という記述によって、読者にも物の怪の正体が御息所であるということが 知らされる。ただ光源氏のみが真相を知らぬまま、物の怪との対面の場面が描かれる。 なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず変りたまへり。いとあやしと思しめぐらすに、ただかの御息所なりけ り。 あ さ ま し う、 人 の と か く 言 ふ を、 よ か ら ぬ 者 ど も の 言 ひ 出 づ る こ と と、 聞 き に く く 思 し て の た ま ひ 消 つ を、 目 に 見 す 見 す、 世 に は か か る こ と こ そ は あ り け れ と、 疎 ま し う な り ぬ。 あ な 心 憂 と 思 さ れ て、 「 か く こ そ の た ま へ ど 誰 と こ そ 知 ら ね。 た し か に の た ま へ 」 と の た ま へ ば、 た だ そ れ な る 御 あ り さ ま に、 あ さ ま し と は 世 の 常 な り。人々近う参るもかたはらいたう思さる。 (2・四○) この記述によれは、周囲が御息所の物の怪を疑う中で、光源氏はそれを否定してきた、という。現実から目を逸ら せ て き た 光 源 氏 に と っ て、 自 ら そ の 正 体 を 確 認 し た 衝 撃 は は か り し れ な い。 「 あ さ ま し 」「 心 憂 」「 あ さ ま し と は 世 の 常」という心情語の連続に動揺が表れている一方で、近侍する女房の存在を意識するところにわずかに平静が保たれ てもいよう。 読者は光源氏の目を通してこの事態を体験する、その一方で既に御息所側の記述を目にしているのだから、これが 光源氏の主観による錯覚や幻想ではなく、客観的な事実として把握することになる。これまでのあまりに御息所に冷 淡な態度や、他人事のような光源氏のふるまいは、ここでの衝撃とともに一気に消え去ってしまうだろう。 かつての東宮の妻にして大臣家の娘たる御息所が、ついには物の怪になるまでに追い込まれてしまう。人間の強い

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毀誉褒貶の光源氏 一三 執 着 心 の な せ る わ ざ で は あ る が、 そ う し た 執 着 心 を 喚 び 起 こ し た の は 他 な ら ぬ 光 源 氏 の 超 越 的 な 美 質 で あ る。 そ し て光源氏にもう少し配慮があればこの事態は避けられたかも知れない。光源氏のみが御息所を救い得たとも言えるの である。だが当該巻での光源氏は、外面的な超越性と、内面の未熟あるいは凡庸さに引き裂かれる事によって、ここ にいたるまで傍観者であるほかはなかった。物語はこの後、紫の上との新枕・須磨明石流離による明石一族との出会 い と い う 展 開 を み せ る。 物 語 の 根 幹 を な す「 紫 の ゆ か り 」「 明 石 一 族 」 の 物 語 へ と 展 開 す る た め に、 葵 の 上 と 六 条 御 息所という年長の女達が排除されるという構図である。光源氏に対する毀誉褒貶とも言うべき描写は、強固な物語の 枠組み、展開に奉仕するという一面があることは否定できない。 これまで、正妻でありながら不仲だけが強調されてきた葵の上、断片的な記述はあったものの本格的に作中に登場 するのはここが初めての六条御息所。これまで埋もれてきた女君達が作品の表層に浮上し、強烈な印象を残していく と い う 展 開 が、 「 葵 」 巻 前 半 部 の 総 括 で あ る が、 葵 の 上 に つ い て は そ の 内 面 が 記 述 さ れ る こ と は ほ と ん ど な く、 生 前 心を通わせることのなかった光源氏が、葵の上の死後追悼する場面がしめやかに描かれるのも不自然である。一方の 御息所は短い登場でありながら、その内面描写や和歌、物の怪となっての言葉を通して、光源氏と関わったがゆえの 悲 運 を 説 得 的 に 印 象 づ け て い く。 「 色 好 み 」 の 主 人 公 と し て 多 様 な 女 性 関 係 を 生 き る 光 源 氏 が、 そ の 女 性 同 士 の 確 執 の中ではただ無策のまま傍観するしかないという現実は、物語が神話から現実のリアリティに大きく旋回した証左と いうこともできよう。 読 者 も ま た こ の 展 開 に 翻 弄 さ れ、 物 語 の 主 人 公 に 共 感 し 耽 溺 す る 事 が で き る か ど う か を 問 わ れ る こ と に な る だ ろ う。 超 越 性 は、 現 実 を 凌 駕 す る 英 雄 像 を 形 象 す る が、 そ の 凡 庸 さ は 人 間 臭 さ と し て 感 情 移 入 を 容 易 に す る 面 も あ る。 女 達 が も う 少 し 仲 良 く や っ て く れ れ ば よ い と 嘆 く 光 源 氏 の 姿 は、 同 時 代 の あ る 種 の 男 達 の 偽 ら ざ る 心 情 で あ っ て も、

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一四 恋の物思いの末に物の怪にまでなってしまう御息所の凄絶なありようと対比すれば、彼の魅力は色あせたものにしか 見 え な い。 こ こ か ら 須 磨 退 去 ま で 顛 落 の 続 く 主 人 公 を、 自 業 自 得 と 冷 笑 す る か、 そ の 悲 運 に ひ た す ら 心 を 寄 せ る の か。光源氏を巡る毀誉褒貶とも言うべき物語の揺れの中で、読者は大いに悩まされることになる。 そのような記述を読者に仕掛けた主体を作者と呼びうる。この時の作者は、歴史上の人物たる紫式部という意味で はない。そのような仕掛けの存在は読者の読み解きによって浮上するからであり、本文があらかじめ存在する、とい う意味においては書き手の行為であるが、それを作者があらかじめ意図したものと認定する必要はない。天地自然を 創造した神がどこかにいると想定するように、姿無き作者の存在を作品の向こう側に想像する、その終わりなき繰り 返しこそが文学なのだと考えておきたい。

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氏名..

 渡嘉敷島の慰安所は慶良間空襲が始まった23日に爆撃され全焼した。7 人の「慰安婦」のうちハルコ

るものとし︑出版法三一条および新聞紙法四五条は被告人にこの法律上の推定をくつがえすための反證を許すもので

この届出者欄には、住所及び氏名を記載の上、押印又は署名のいずれかを選択す

再生活用業者 ・住所及び氏名(法人の場合は、主 たる事務所の所在地、名称及び代