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東下り/須磨下り 『伊勢物語』『源氏物語』試論

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東下り/須磨下り 『伊勢物語』『源氏物語』試論

著者

奥村 英司

雑誌名

鶴見大学紀要. 第1部, 日本語・日本文学編 / 鶴見

大学

50

ページ

25-40

発行年

2013-03

URL

http://doi.org/10.24791/00000030

Creative Commons : 表示 http://creativecommons.org/licenses/by/3.0/deed.ja

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東下り/須磨下り 二五

東下り/須磨下り

『伊勢物語』

『源氏物語』試論

奥 

村 

英 

「 流 離 す る 主 人 公 」 の 原 型 の 一 つ で あ る ヤ マ ト タ ケ ル ノ ミ コ ト は、 結 局 の と こ ろ 故 郷 大 和 に 帰 る 事 は な か っ た。 彼 は決定的に「都」から排除されていたのであり、それゆえ悲劇の「主人公」たりえたのである。その継承者たる『源 氏物語』の光源氏は、須磨・明石退去から劇的に都に帰還し、以前より強大な権力を手中にしていく。その中間にあ る『伊勢物語』の「昔男」は、東国に新天地を求め都を去る。だがその結末は曖昧であり、物語全体に一代記的な流 れがあるとすれ ば 、いつの間にか都に戻っている。注意深く読め ば 、明示はされないが「男」が途中からいずれ都に 帰る人として描かれていることがわかる。ヤマトタケルノミコトとは違って、彼らは結局のところ「都」に戻るべき 存在なのであった。 「 東 下 り 」 と「 須 磨 下 り 」 は、 そ も そ も そ の 方 角 か ら 正 反 対 で あ っ て、 都 か ら の 距 離 も 違 う。 直 接 的 な 引 用 関 係 は

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二六 表 面 上 希 薄 で あ る。 だ が、 物 語 の 構 成・ 構 造 と い う 点 か ら み る と、 あ ま り 指 定 さ れ て き て は い な い 共 通 点 が 存 在 す る。そうした構造の共通点は、直接的な引用という問題とは異質ながら、両物語の主人公像や主題性の共通点・相違 点を浮き彫りにする。そうした目論見でまずは「東下り」を読み返していくことにしよう。

『 伊 勢 物 語 』 七 段 か ら 十 五 段 は、 東 国 を 舞 台 に し た い わ ゆ る「 東 下 り 」 章 段 と 呼 ば れ る も の で あ る。 そ の う ち 前 半 の九段までは、都にいられなくなった主人公の男が新天地を求めて東国に向かう、という内容であって、望郷が主題 となっている。だが、十段からは、短小な十一段を除いて、男と東国の女たちとの交渉が主となり、新天地を求める と い う 主 題 は 消 失 し て い る。 八 段 に「 と も と す る 人、 ひ と り ふ た り し て 」、 九 段 に「 も と よ り 友 と す る 人、 ひ と り ふ たりして」とあった同行者は十段以降登場せず、十一段にある「友だちども」と同一だとすれ ば 、友は都に帰り、男 だけが東国を旅し続けているとも読める。 前の「二条后章段」同様に、筋の一貫した物語として「東下り」を読もうとすると様々な問題が生じてくるわけだ が、 そ れ こ そ が『 伊 勢 物 語 』 と い う 作 品 の 特 徴 的 な あ り よ う 性 だ と い う こ と も で き る。 こ こ で は、 そ の「 東 下 り 」 を、前半の友と新天地を目指すという主題と、後半の東国の女との交渉という二段の構成と考えて『源氏物語』の須 磨/明石下りとも関わらせて考えていきたい。 まずは七段から順次考えていく。   むかし、男ありけり。京に ありわびてあづまに いきけるに 、伊勢、尾張のあはひの海づらをゆくに 、浪のいと 白くたつを見て、

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東下り/須磨下り 二七 いとどしく過ぎゆく方の恋しきにうらやましくもかへる浪かな となむよめりける。 こ の 七 段 で は、 先 述 の 八 ・ 九 段 に あ る「 友 」 の 存 在 に は 触 れ て い な い も の の、 「 京 に あ り わ び て あ づ ま に い き け る に 」 と、 「 あ づ ま 」 が 目 的 地 と し て 明 示 さ れ て い る。 「 あ づ ま 」 は、 広 く 取 れ ば 逢 坂 の 関 よ り 東 を 指 す か ら、 「 伊 勢・ 尾 張 」 も す で に「 あ づ ま 」 と い う こ と に な る し、 現 在 の 関 東・ 東 北 を 指 す と 考 え れ ば 、「 伊 勢・ 尾 張 」 は そ の 経 由 地 にすぎないことにもなる。その海辺で浪を見て、浪が「かへる」から「帰る」を連想するという、典型的な和歌の言 葉の上での発想であり、縁語「うら」が「うらやまし」という感情を引き寄せてくる。というよりこの七~九段にお いて、旅の景は望郷の念を引き出すものとして機能し、男は自然と望郷の念を惹き起こす景に目が引き寄せられるの で あ る。 そ う し た 望 郷 の 念 を 支 え る も の と し て、 「 京 に あ り わ び て 」 と い う、 帰 京 で き な い 事 情 が 存 在 し て い る と も いえる。 この「京」にいられない・戻れない事情として、その前段六段までの二条后との因縁を想定することもできる。最 も、藤原摂関家の后がねとの交渉が、ただちに都を出なけれ ば ならない事情と言いうるか、また、そうした個人の事 情 だ と す れ ば 、「 友 と す る 人 」 が 同 行 す る 理 由 は な い は ず だ と い う 疑 問 も 生 ず る。 そ こ で「 友 」 を「 供 」 と す る 解 釈 も 出 て く る 注1 。 こ の よ う に、 「 東 下 り 」 を、 物 語 全 体 の 中 で 整 合 性 を 持 た せ よ う と す れ ば 様 々 な 問 題 が 生 じ て く る と い う の が、 『 伊 勢 物 語 』 な の で あ り、 そ こ に 拘 泥 す る こ と は 物 語 の 本 質 を 見 誤 る こ と に も な り か ね な い が、 か と い っ て これらの章段を全く独立したものとして読むことにも問題があろう。 続く八段は以下の通り。   むかし、男ありけり。京やすみ憂かりけむ、あづまの方に ゆきて、すみ所もとむとて、ともとする人、ひとり

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二八 ふたりしてゆきけり。信濃の国、浅間の嶽に煙の立を見て、 信濃なるあさまのたけに立つけぶりをちこち人の見やはとがめぬ 前段の「伊勢・尾張」から「信濃の国・浅間の嶽」という飛躍的な道程は、通常の東国へ向かう道のりから外れて いるが、この際、旅を現実的に捉える必要もあるまい。前述のようにここでの景は和歌的な叙情を喚起するものなの であって、それを実景として捉える必要はないのである。 歌の解釈だが、 「をちこち」は「遠近」 、すなわち「をちこち人」は遠くの人や近くの人、の意と取る。 「見とがむ」 は、現代語の見とがめるより意味が広く、 「見のがさず目にはとめる」 「よく注意して目をとどめる」の意とい う 注2 。本 来 の 歌 の 解 釈 と し て は、 『 新 潮 日 本 古 典 集 成 』 の、 「 煙 を 噴 き 上 げ る 活 火 山 は、 「 男 」 に 異 様 な 山 と う つ る。 な の に 土 地の人は別に関心を示さない」とうのが穏当なところで、浅間山を遠く望むところから次第に近づいていくと、旅人 にとっては、その噴煙を上げる姿が異様に見えるが、土地に暮らす人たちはそれを気にしているのでもない、といっ た 感 慨 を 詠 ん で い る と み る。 「 を ち こ ち 」 は、 旅 人 の 視 点 の 移 動 に 即 し た 語 と い う こ と に な る。 だ が、 こ の 解 釈 で は 「やは」の反語を弱く取らざるを得ない。 その一方でこの煙を、秘めた恋心の喩として、それが世間にあらわになる、という解釈も行われてい る 注3 。この東下 り の 文 脈 で 考 え る な ら、 こ の 煙 は、 男 が 都 に 残 し て き た 人 た ち へ の、 い わ ば 通 信 の 煙 と み た 方 が よ い。 そ の 場 合、 「 を ち こ ち 人 」 は「 を ち か た 人 」 で あ れ ば 良 い わ け だ が、 実 際 に 都 か ら 見 え る は ず の な い「 浅 間 山 の 煙 」 を、 見 え て いるものとして幻想している、という解釈をすることによって、この段も一連の「望郷」の主題を担うものとして定 位することができるのではないか。 続く九段が「東下り」の中核となる章段。

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東下り/須磨下り 二九   むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに 思ひなして、京に はあらじ、あづまの方に すむべき国もと め に と て ゆ き け り。 も と よ り 友 と す る 人、 ひ と り ふ た り し て い き け り。 道 し れ る 人 も な く て、 ま ど ひ い き け り。 三河の国八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれ ば 、橋を八つわたせるによ りてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木のかげにおりゐて、かれいひ食ひけり。その沢にかきつ ば たい と お も し ろ く 咲 き け り。 そ れ を 見 て、 あ る 人 の い は く、 「 か き つ ば た、 と い ふ 五 文 字 を 句 の か み に す ゑ て、 旅 の 心をよめ」といひけれ ば 、よめる。    から衣きつつなれに しつましあれ ば はる ば るきぬるたびをしぞ思ふ とよめりけれ ば 、みな人、かれいひの上に涙おとしてほとびにけり。   ゆきゆきて駿河の国に いたりぬ。宇津の山に いたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに 、蔦かへでは茂 り、 も の 心 細 く、 す ず ろ な る め を 見 る こ と と 思 ふ に 、 修 行 者 あ ひ た り。 「 か か る 道 は、 い か で か い ま す る 」 と い ふを見れ ば 、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文かきてつく。    駿河なるうつの山辺のうつつに も夢に も人に あはぬなりけり   富士の山を見れ ば 、五月のつごもりに 、雪いと白うふれり。    時しらぬ山は富士の嶺いつとてか鹿子まだらに 雪のふるらむ そ の 山 は、 こ こ に た と へ ば 、 比 叡 の 山 を 二 十 ば か り 重 ね あ げ た ら む ほ ど し て、 な り は 塩 尻 の や う に な む あ り け る。   なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国とのなかに いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほ と り に む れ ゐ て、 思 ひ や れ ば 、 か ぎ り な く 遠 く も 来 に け る か な と、 わ び あ へ る に 、 渡 守、 「 は や 船 に 乗 れ、 日 も

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三〇 暮れぬ」といふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さるをりし も、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれ ば 、みな 人見知らず。渡守に問ひけれ ば 、「これなむ都鳥」といふを聞きて、 名にし負は ば いざ言問はむみやこどりわが思ふ人はありやなしやと とよめりけれ ば 、船こぞりて泣きにけり。 前 二 段 と 同 様 の 逸 話 を 四 話 組 み 合 わ せ た 構 成 で、 「 望 郷 」 の 主 題 が 継 承 さ れ て い る。 た だ し 物 語 の 描 写 は 詳 細 に な り、 人 物 の 心 理 な ど が 語 ら れ る。 こ の う ち、 「 富 士 の 山 」 の 逸 話 の み は、 前 段 の「 浅 間 山 」 同 様 に 、 和 歌 に 直 接 的 な 望 郷 の 念 は 現 れ ず、 季 節 に か か わ ら ず 冠 雪 し て い る と い う 景 の 特 異 さ の み が 詠 ま れ て い る が、 地 の 文 章 で「 比 叡 の 山」を引き合いに出すことによって、 「都」への回路を確保している。 他の三つは、いずれも都に残した「妻」なり「人」への思いを共通して詠んでおり、前二段以上の具象性を持つと ともにより物語的になっている。 「八橋」では、旅の感興を詠むため各句の頭に据えた「かきつ ば た」から都の「妻」 への思いが引き出されるというもので、七段の「かへる」という直接的な表現に比してより高度な言語遊戯になって い る の だ が、 人 々 が 涙 で「 か れ い ひ 」 を ふ や け さ せ る の は、 「 京 に は あ ら じ 」 と い う 決 意 の 深 層 に 望 郷 の 念 が 潜 み、 そ れ が 一 見 都 と 無 縁 の 旅 の 景 か ら 引 き 出 さ れ て し ま っ た か ら で あ り、 単 に 「 男 」 の 歌 の 技 量 の た め だ け で は な い。 「男」と「もとより友とする人」とは、一心同体の関係であって、深い共感の上に結びついている。 「宇津の山」では、都で見知った「修行者」と偶然出会い、歌を託すという内容で、 「修行者」は直接的に男と都と を 結 び つ け て い る の で あ る が、 こ れ も 偶 然 で は な く、 「 宇 津 」 =「 う つ つ 」 と い う 連 想 か ら、 現 実 で も 夢 で も 会 え な い「 人 」 へ 思 い を 詠 ん だ 和 歌 に よ よ っ て 導 き 出 さ れ た 状 況 と み る べ き で あ る。 「 道 知 れ る 人 」 も な く、 「 も の 心 細 く、

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東下り/須磨下り 三一 すずろなる目を見る」旅を支えているのが都に残した人への思いである、という逆説こそがこの旅の本質であった。 そ し て「 限 り な く 遠 く も 来 に け り 」 と い う 感 慨 と と も に た ど り 着 い た「 す み だ 河 」 で 出 会 っ た の は、 「 都 鳥 」 と い う名の鳥である。都を逃れ新天地を求めて東国にまで来たはずが、心理的には「都」に「かへる」という場所から逃 れられなかったのである。 「 東 下 り 」 章 段 の 前 半 は、 こ う し て、 都 か ら 逃 れ よ う と し て 地 理 的 に は 遠 く 離 れ よ う と し て も、 か え っ て 都 に 残 し た「つま=人」への思いが強くなる、という矛盾した構造を持った旅を描く。そうした都への思いの痛切さが、男と その同行者たち、さらに「船こぞりて泣けり」を、無関係な同乗者を含めたものとすれ ば 、その人々も含めた共感の 輪を作り出す、という物語である。ところが、続く十段からその雰囲気は一変する。

  むかし、男、武蔵国までまどひ歩きけり。さてその国に ある女をよ ば ひけり。父はこと人に あはせむといひけ るを、母なむあてなる人に心つけたりける。父はなほ人にて、母なむ藤原なりける。さてなむあてなる人にと思 ひける。このむこがねによみておこせたりける。すむ所なむ入間の郡、みよしのの里なりける。    みよしののたのむの雁もひたぶるに 君が方に ぞよると鳴くなる むこがね、返し、    わが方によると鳴くなるみよしののたのむの雁をいつか忘れむ となむ。人の国にても、なほかかることなむやまざりける。 都 で「 え う な き も の 」 と 思 い 詰 め た は ず の 男 は、 こ こ で は「 あ て な る 」 求 婚 者 と し て 描 か れ る。 「 藤 原 な り け る 」

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三二 母が娘の相手にふさわしいとこの結婚に熱心になる。この章段では、当事者の娘ではなく、母親と男との間の歌のや りとりが記されるという点が特徴的である。この母親に何の事情があるかはわからないが、娘に自身の願望を投影し て、 都 人 と 結 婚 さ せ た が っ て い る の は 明 白 で あ ろ う。 「 た の む の 雁 」 の 鳴 き 声 = 娘 の 声 を、 「 な る 」 の 伝 聞 で 押 さ え、 母親自身は第三者的立場に身を置くことによって、これを娘の代作ではなく自らの贈歌としている。従って男の返歌 もその母に対して詠まれることになり、結果として、娘に向けられているのか母親に向けられたものか判然としなく なっている、その曖昧さこそがこの章段の眼目というべきである。ゆえに、 「なほかかることなむやまざりける」も、 単に女に求愛したり、歌のやりとりをしたというのにとどまらない。娘に求婚しながらその母親との間にも思わせぶ りな歌のやり取りをしている、という過剰な好色性についての批評とみるべきであろう。 こ う し た 母 と 娘 の 姿 は、 例 え ば 『 源 氏 物 語 』 宇 治 十 帖 の 中 将 の 君 と 浮 舟 と の 関 係 を 想 起 さ せ る。 こ こ で は も う 一 つ、明石入道と明石の君の父娘を思い起こしておきたい。もっともこの十段だけを見たのでは、女の母と明石入道を 直 結 さ せ る わ け に は い か な い。 自 ら 播 磨 守 の 地 位 に 甘 ん じ、 娘 と 貴 人 と の 結 婚 に よ っ て 一 族 の 浮 揚 を は か る 入 道 は、 決して自分自身と娘を重ね合わせているのではないからだ。ここでは、もっと大きく、 「東下り」と光源氏の「須磨 ・ 明石」退去との構造的な相似を論じていきたい。 続く十一段は、前述の通り都の友人に歌を贈る、という内容。   むかし、男、あづまへゆきけるに 、友だちどもに 、道よりいひおこせける。    忘るなよほどは雲居に なりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで こ の「 友 だ ち ど も 」 は、 武 蔵 ま で 同 道 し た 友 人 の こ と か。 「 男 」 を 残 し 彼 ら は 先 に 都 に 戻 っ た も の と 読 め ば 、 十 段 以 降「 男 」 の 事 だ け が 語 ら れ る の も 理 解 で き る。 こ こ で「 め ぐ り あ ふ ま で 」 と 詠 ん で い る の は、 ど ん な に 遠 く 離 れ て

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東下り/須磨下り 三三 も、 「 男 」 も い ず れ 都 に 帰 還 す る と い う 事 で あ ろ う。 九 段 で 旅 の 果 て に い た も の が「 都 鳥 」 で あ っ た こ と か ら、 「 男 」 の旅は都への回帰を前提としたものとなった。あるいは、都から逃れようとしてついには逃れられなかった、と考え てもよかろう。十段において、 「男」が都の貴人として定位しているのも、彼がいずれ都に戻る人だからである。 この「東下り」章段は、十段以降、いずれ都に戻る男と関わる女の物語、という主題に転換しており、その典型が 十三段ということになる。だがその前の十二段はいささか趣を異にしている。   むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、ぬすびとなりけれ ば 、国の守にからめ ら れ に け り。 女 を ば 草 む ら の な か に 置 き て、 逃 げ に け り。 道 来 る 人、 「 こ の 野 は ぬ す び と あ な り 」 と て、 火 つ け むとす。女わびて、    武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり とよみけるを聞きて、女を ば とりて、ともに率ていにけり。 六段の「芥河」同様、女を盗もうとして失敗するという話である。 『古今集』春上に、 「春日野は」の初句で知られ る 歌 を、 「 武 蔵 野 」 に 置 き 換 え る こ と で 東 国 の 話 と し て い る の だ が、 も は や こ の「 ぬ す び と 」 と、 東 国 に 下 っ て き た 「 男 」 と の 間 に は 共 通 性 が み え な い。 女 を 盗 む と い う 場 合、 身 分 違 い の 恋 で あ る の が 普 通 で、 東 国 に 「 男 」 よ り 格 上 の 女 が い る と い う の も 不 自 然 で あ る。 た だ、 『 大 和 物 語 』 の「 安 積 山 」 の よ う に 、 都 か ら 東 国 ま で 逃 げ て き た と い う 可 能 性 は あ る だ ろ う が、 「 東 下 り 」 の 文 脈 か ら は 逸 脱 す る。 こ の 段、 「 国 の 守 に か ら め ら れ に け り 」 の 後、 「 逃 げ に け り」と記されるので、男は捕まりそうになって逃げおおせたのか、女を追いて逃げたが捕まったということなのか判 然としない。 「からめられにけり」は、最終的な結果であり、 「逃げにけり」はそれ以前、女を連れていたものが野に 女を置き去りにして一人で逃げた、ということを時間的に遡及して述べたものと考えておく。この一段の主題は、男

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三四 に 置 き 去 り に さ れ た 女 が、 「 つ ま も こ も れ り わ れ も こ も れ り 」 と 助 命 を 願 う と こ ろ に あ る。 歌 に よ っ て 自 分 の 存 在 を 示すことで野焼きを回避し、男の逃亡を手助けしているのであろう。男に見捨てられた女が、それでも男を救おうと する健気さ、というあたりを本段の主題と考えておく。 続く十三段は京の女との交渉を語る。   むかし、武蔵なる男、京なる女のもとに 、「聞ゆれ ば 恥づかし、聞えね ば 苦し」と書きて、うはがきに 、「むさ しあぶみ」と書きて、おこせてのち、音もせずなりにけれ ば 、京より、女、    武蔵鐙さすがに かけて頼むに は問はぬもつらし問ふもうるさし とあるを見てなむ、たへがたき心地しける。    問へ ば いふ問はね ば 恨む武蔵鐙かかるをりに や人は死ぬらむ や や 難 解 な 一 段 で、 男 が 手 紙 の 表 に「 む さ し あ ぶ み 」 と 記 し た 意 図 が わ か り に く い。 「 あ ぶ み 」 に「 逢 ふ 身 」 を 掛 け、武蔵国で通う女ができたことを告白するという解釈があ る 注4 。すると男の「聞ゆれ ば 恥づかし」は、そのような事 をわざわざ知らせるのも恥ずかしいことだ、という意になる。だが、この「恥づかし」を、京に いる女に 対する、武 蔵 国 住 ま い の 男 の 劣 等 感 と 考 え る こ と も で き よ う。 「 む さ し あ ぶ み 」 に「 文 」 を 響 か せ、 武 蔵 と い う 辺 境 に 住 む 男 か ら の 手 紙、 と い っ た 卑 下 を 読 み 取 る の で あ る。 そ の「 武 蔵 鐙 」 は、 和 歌 で は「 か く 」「 か か る 」 を 導 く 枕 詞 と し て 機 能する。女の歌は、男がいつかは都に帰るものとあてにしているにつけ、現状で何の便りもないのは恨めしいが、か といって手紙だけを送られるのも厄介だ、というような意となる。対する男の歌は、手紙を送れ ば 文句を言われ、送 ら ね ば 恨 ま れ る の で は、 自 分 は も う 死 ぬ し か な い、 と い っ た 内 容 で、 「 人 や 死 ぬ ら む 」 と い う 表 現 が や や 唐 突 な 印 象 を受ける。鐙を馬に掛けて乗り、落馬によって死ぬといった連想があるか。

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東下り/須磨下り 三五 東下りの一連の流れで言え ば 、かつて都の妻を偲んで嘆いた男の姿はここにない。東国暮らしがそれなりに身につ いて、これが愛人ができた事の告白であるとするならなおさら、都への帰還を諦めてしまったかのようなやり取りと 言える。都人としての「男」は、まさに死んでしまおうとしている。 一転して十四段の男は、都に帰るべき人、として描かれる。舞台は武蔵から陸奥の国へと進む。   むかし、男、陸奥の国に すずろに ゆきいたりに けり。そこなる女、京の人はめづらかに やおぼえけむ、せちに 思へる心なむありける。さて、かの女、    なかなかに恋に 死なずは桑子に ぞなるべかりける玉の緒 ば かり 歌さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、いきて寝にけり。夜ぶかくいでにけれ ば 、女、    夜も明け ば きつに はめなでくたかけのまだきに 鳴きてせなをやりつる といへるに、男、京へなむまかるとて、    栗原のあねはの松の人なら ば みやこのつとに いざといはましを といへりけれ ば 、よろこぼひて、 「思ひけらし」とぞいひをりける。 「 す む べ き 国 」 を 求 め て き た 東 下 り の 旅 は、 「 す ず ろ に ゆ き に け り 」 と そ の 目 的 性 を 喪 失 し て い る。 「 す み だ 河 」 同 様 に、 都 か ら 遠 ざ か る ほ ど 都 に 回 帰 す る と い う 構 造 が こ こ で も 見 ら れ る。 「 京 の 人 」 で あ る が ゆ え に 心 惹 か れ る 女 の 「ひなび」が対照的に強調される。 「なかなかに」の歌は、半端なことに恋死にすることもないのだったら、蚕にでも なるしかないこの我が命であるよ、くらいの内容で、 「なかなかに」は恋死にもできない中途半端な状態をいう。 「桑 子 に ぞ な る 」 は、 鶉 に 姿 を 変 え て 男 を 待 つ、 と 歌 っ た 百 二 十 三 段 の 女 を 彷 彿 と さ せ る が、 「 桑 子 」 を 選 ん で 詠 ん だ 様 は「 歌 さ へ ぞ ひ な び た り け る 」 と 批 評 さ れ る。 し か し、 よ り「 ひ な び た る 」 歌 は 二 首 目 の 方 で、 「 き つ に は め な で 」

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三六 「 く た か け 」 と い っ た 意 味 不 明 の 表 現 は、 東 国 訛 り と 思 わ れ、 地 方 性 を 演 出 す る。 男 が 都 に 帰 る 際 詠 ん だ 歌 は、 反 実 仮 想 の 形 式 を 踏 ん で い る の だ か ら、 人 な ら ぬ「 あ ね は の 松 」、 す な わ ち 女 を 都 に 連 れ て 行 く こ と は で き な い と 読 み 取 るべきなのに、女はそれを自分を思っている証左として喜んでいる。その素朴さこそがこの一段の主題となる。 一連の「東下り」章段の最後が十五段になる。   むかし、陸奥の国に て、なでふことなき人の妻に 通ひけるに 、あやしう、さやうに てあるべき女ともあらず見 えけれ ば 、    しのぶ山しのびてかよふ道もがな人の心のおくも見るべく 女、かぎりなくめでたしと思へど、さるさがなきえびす心を見ては、いかがはせんは。 陸奥の国の、何ということもない身分の男の妻となっている女に 通ってみると、そんな身分に ふさわしからぬ風情 が あ っ た、 と い う も の で、 十 段 の 女 の よ う に 都 か ら 落 魄 し て 下 っ て き た と い う よ う な こ と か。 そ の 女 の「 心 の お く 」 を見たいとは、男がその真相を知りたいということだが、女の返答は記されることなく、代わりに「さるさがなきえ びす心」と語り手によって断じられている。これはあくまで語り手の揶揄的な言い回しであって、女が本当はどんな 出 自 な の か は わ か ら な い ま ま だ が、 十 段 や 十 五 段 の 背 景 に 、 訳 あ っ て 都 を 離 れ 東 国 で 暮 ら す 女 性 た ち の 存 在 が あ る、 すなわち女たちの「東下り」譚が存在しているという事なのだろう。 以下、七段から十五段までの「東下り」章段について総括しておきたい。前半は、都にいられなくなった「男」と 友人たちが、新天地を求めて東国に下るのだが、都からどんなに離れても、都に残した人への思いを拭えず、その旅 の果てに「都鳥」を見るに及んで、どこまでも都から逃れることができない、または旅をするほど都に回帰する、と い う 物 語 に な っ て い た。 和 歌 の 言 葉 が「 望 郷 」 の 主 題 を 物 語 に 引 き 込 ん で い た の だ。 そ れ が、 「 男 」 は、 武 蔵 国 か ら

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東下り/須磨下り 三七 陸奥国まで、旅をしながら女たちと関わっていく、そのありようはあくまで都人としてのそれであり、曲折はありな が ら も い ず れ 都 に 回 帰 す る 男 と 関 わ り、 捨 て ら れ る で あ ろ う 女 た ち の 物 語、 と ま と め ら れ る。 中 に は、 男 が「 盗 人 」 と し て 捕 ま る と い う、 話 の 一 貫 性 を 乱 す 段 も あ る が、 『 伊 勢 物 語 』 全 体 が、 在 原 業 平 を 想 起 さ せ つ つ、 業 平 と は 無 縁 の物語をも取りこむ、という方法によっているのだからそれほど不自然な話ではない。 物 語 全 体 で は、 章 段 の 配 列 が 時 系 列 に 沿 っ て い る わ け で は な い の だ が、 「 東 下 り 」 に 関 し て は 概 ね 都 か ら 陸 奥 の 国 へと、空間的には遠ざかる方向性で配列されている。前半部では、何らかの事由で都から疎外された「男」が、都か らどれだけ離れても心情的には都を捨てきれない、その心情を形象しているのが和歌であるという構図である。後半 部 で は、 「 男 」 は「 都 人 」 と し て そ の 特 権 性 を い か ん な く 発 揮 し、 様 々 な 女 と 関 わ っ て い く、 そ の 様 は「 人 の 国 に て もなほ、かかることやまざりける」と評された。落魄し都落ちした女、純朴な東国の女などがその「都人」に惹かれ てゆく。都への回路を持たない八段、 「盗人」と断罪される十二段といった例外を挟みつつも、 『伊勢物語』東下りは 以上のような構造を持つと総括できる。

『 源 氏 物 語 』 に 語 ら れ る 光 源 氏 の 須 磨・ 明 石 行 を、 以 上 の よ う な 論 点 か ら 比 較 対 照 し て み る。 敵 方 右 大 臣 の 娘 朧 月 夜との関係が発覚したことを契機に、官位剥奪という事態に至り、光源氏はこれ以上の処罰を避けるべく、自ら須磨 下向を決意する。朝廷の正式な断罪が下る前の決断であったが、帰郷のためには勅許が条件となっている点では流罪 に も 等 し い と み ら れ る。 こ の 点、 「 住 む べ き 国 」 を 求 め 東 国 に 向 か っ た「 昔 男 」 と は 大 き く 異 な る が、 「 須 磨 」 巻 は、 在京中の人々との離別に大きく筆を割き、後半の仏道三昧の生活の中でも、紫の上をはじめとした都の人々や、行動

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三八 を共にする家人たちとの交流が物語の中核をなしており、主情的に描写されているという点においては共通している ともいえる。 「 須 磨 」 巻 末 か ら「 明 石 」 巻 頭 で の、 暴 風 雨 と、 故 桐 壺 院 の 霊 の 出 現 に よ っ て、 光 源 氏 の 都 へ の 回 帰 は、 可 能 性 と して示されるが、物語はそこで、隣地明石の前司を登場させ、いったん光源氏を都から遠ざけることになる。明石入 道にとって、自身の血縁にもつながる光源氏は、これ以上ない婿がねであって、自ら国司として都を捨てることと引 き替えに、娘に高貴な婿を迎えることで一族の再興を期した、その野望にうってつけの人物だったのである。 方や、光源氏にとっても入道は故事に通じた政治上の師とでもいうべき存在であった。 年は六十 ば かりになりにたれど、いときよげに、あらまほしう、行ひさらぼひて、人のほどのあてはかなれ ばに やあらむ、うちひがみほれぼれしきことはあれど、古昔のものをも見知りて、ものきたなからずよしづきたるこ ともまじれ ば 、昔物語などせさせて聞きたまふに、すこしつれづれの紛れなり。年ごろ公私御暇なくて、さしも 聞きおきたまはぬ世の古事どもくづし出でて、かかる所をも人をも見ざらましか ば さうざうしくやとまで、興あ りと思すこともまじる。 (明石・ 2 ・ 二三八) 入道が具体的にどの様なことを語ったのかは記されないが、その内容は「つれづれの紛れ」である以上に、都にあっ ては聞くことのできない貴重な内容であり、明石という都から離れた地で、権力闘争とは無縁の、かつてそうであっ た・ 今 も そ う で あ る べ き 政 道 を 学 ぶ 結 果 と な っ た。 い わ ば 都 を 離 れ る こ と に よ っ て 真 の 政 治 家 と 出 会 っ た の で あ り、 構図としては、旅の果てに都に回帰するという「東下り」と共通してもいよう。 「 東 下 り 」 と「 須 磨 下 り 」 の 共 通 点 と し て、 こ こ で は 一 つ だ け 指 摘 し て お き た い。 入 道 か ら、 自 身 の 娘 を 高 貴 な 人 物と結婚させたいという願望を打ち明けられ、光源氏は明石の君に求婚することになる。それは相手の明石の君にと

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東下り/須磨下り 三九 っては苦悩の日々の始まりでもあった。 いと口惜しき際の田舎人こそ、仮に下りたる人のうちとけ言につきて、さやうに語らふわざをもすなれ、人数に も思されざらんものゆゑ、我はいみじきもの思ひをや添へん、かく及びなき心を思へる親たちも、世ごもりて過 ぐす年月こそあいな頼みに行く末心にくく思ふらめ、なかなかなる心をや尽くさむ(明石・ 2 ・ 二五三) ここで言う「仮に下りたる人」 、すなわちいずれは都に帰還する男、は『伊勢物語』十段以降の男の姿であり、 「い と口惜しき際の田舎人」は、男に関わる女達だと言ってよい。明石の君自身は、そうした「田舎人」たちとは違うの だから、光源氏との身分差に苦悩するであろうことを予見しており、それは自分だけではなく両親も苦悩することに なる、と考えている。そうした思慮深さこそが、 「田舎人」との相違だと考えているのである。 あとさきを考えず一瞬の恋に身を任せ、和歌にその存在を託す『伊勢物語』の女達とは違い、明石の君はこの後長 き に 渡 っ て 身 分 差 を 意 識 し つ つ 一 族 の 興 隆 を 一 身 に 背 負 っ て 生 き 続 け る。 「 都 人 」 は 所 詮 都 で し か 生 き ら れ な い。 東 国の女達は「みやび」から遠いところにいながら、都の女以上にしたたかで情熱的なのだ。一見「東下り」の物語の 統一性を乱しているような十二段で、男が「盗人」として物語から排除されてしまうのは、一連の物語において「仮 に 下 り た る 人 」 で し か な い 男 の、 東 国 の 物 語 に お い て 結 局 は 居 場 所 が な い と い う 本 質 を 形 象 し て い る と も 考 え ら れ る。 流離と回帰、という「東下り・須磨下り」の構造は、主人公の成長を意味する「死と再生」を意味するものとして 捉 え る 事 が で き る。 だ が、 そ れ が「 色 好 み 」 の 主 人 公 の 物 語 で あ る 以 上、 「 鄙 の 女 」 と の 交 渉 が 生 ず る の は 不 可 避 で ある。その「鄙の女」たちによって、主人公のあずかり知らぬ苦悩の物語が開かれる。表面的な引用を超えた、本質 的な構造の一致を、 「東下り」と「須磨下り」の物語に見出すことができるのである。

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四〇 ○『 伊 勢 物 語 』『 源 氏 物 語 』 本 文 は、 小 学 館『 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 』 に よ り、 『 源 氏 物 語 』 に つ い て は そ の 分 冊 数・頁数を示した。 注 1  「伊勢物語古意」 『岩波日本古典文学大系』など   2  『講談社文庫』森野宗明の注   3  『校注古典叢書』片桐洋一の注など   4  『新潮日本古典集成』渡辺実の注など

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