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後の君子を俟つ熊沢蕃山(承前) 近世日本における陽明学の展開3

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『就実大学大学院教育学研究科紀要 2020(第5号)』 抜刷 就実大学大学院教育学研究科 2020年3月10日 発行

高 橋 文 博

後の君子を俟つ熊沢蕃山(承前)

近世日本における陽明学の展開3

KUMAZAWA Banzan looking forward to wise men a sequel

Development of Yang Ming school in early modern Japan

(2)

就実大学大学院教育学研究科紀要 2020(第5号)

後の君子を俟つ熊沢蕃山(承前)

近世日本における陽明学の展開3

高橋文博

KUMAZAWA Banzan looking forward to wise men, a sequel

: Development of Yang Ming school in early modern Japan 3

Fumihiro TAKAHASHI

抄録

熊沢蕃山において、人はみな君子たるべきであり、その修養は聖人となるものと等しい。

だが、聖人の概念は、人びとにおける知的優秀性としての資質の差異を想定しており、そ うした資質の差異の想定は、五等の地位からなる社会秩序の想定と相関している。だが、

五等の地位は不変の秩序でありながら、知的優秀性の度合と位とが相応しない非本来的な 事態が、自然の勢としての天命によって生じ得る。蕃山は、現前の非本来的な社会におい ては、後世に、君子としての為政者があらわれることを俟ちながら、自らは君子たろうと して道の実行に励む境地を楽しむのである。

キーワード:五等の地位 時所位 自然の勢

4 「人みな聖人たるべし」

聖人は、蕃山にあって、「三皇・五帝・三王・周公・孔子は同じく聖人と承候」(「集義 和書」52頁)というように、過去の特定の人物に限られる。そうであるとすると、「聖人 学んで至るべし」という宋学以来の命題が問題となる。

蕃山は、このことについて、王陽明のよく知られた金の精錬の比喩を参照しながら、次 のように述べている。

聖人には神明不測の妙あり。しかりといへども、聖人の聖人たる所は一躰の性にあり て、不測の妙には心なし。故に時ありてあらはれ、時によりてあらはれず。伏犧は文 字經書數名もなき時に生れ給ひて、始て八卦を畫し、天地万物の理を盡し、心法治道 の淵源を開き給へり。神農は始て醫藥灸針の術を作し、美種をうへて耕作の業を敎給 へり。是聖知廣大の妙也。學て聖人に至る者は此妙を得る事あたはず。陽明子これを 金にたとふ。聖人の知は万兩の金の如し、平人の知は一兩の金の如し。分量各別なり といへ共、金の金たる所はまじはりなくして純色なるにあり。(中略)一兩の金なり

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ともましはりなくば万兩の金に合してたがふことなし。平人より聖人に至る者も又か くのごとし。心天理に專にして人欲のまじはりなくば、聖知の分量は心とする處にあ らず。聖人の聖人たる處の眞を得れば也。「中庸小解」344頁 (注1)

蕃山によると、「神明不測の妙」とされる聖人は、伏犧や神農のような、人間社会の文 明文化の基盤を作り成した「聖知廣大」なる存在である。この類の聖人は、特定の時に現 れる存在であって、人が学んで至り得るわけではない。人が学んで至り得るのは聖人の心 である。

聖人の心は、「心天理に專にして人欲のまじはりなく」というもので「聖人の聖人たる 處の眞」である。聖人であることの資格は、心が「人欲を去って天理に純である」ことで あり、君子のあり方と同じである(「集義和書」107頁)。このことは、人がみな聖人に至 り得る根拠として、「人の人たる実体は、聖人と異なることなし。人みな明徳あり」(「集 義和書」261頁)と、人はみな明徳を有することにもとづいている。

聖人と平人とでは違いはある。蕃山は、この違いを、王陽明の金の純度と分量の比喩に ならって説明している。巨大な純金も微量な純金も、純金であることにおいては等しい。

聖人の知は「聖知廣大の妙」と途方もなく大きく、平人に比して「分量各別」つまり分量 の多寡はあるにしても、人欲を去った天理としての知である限りは、平人の知と等しいと する。

(注2)(注3)

だが、蕃山にあって、人における知の分量の差異をみることは、五倫とは異なる社会秩 序の存立を認めることにもなる。

5 「上質素ニ下豊カナル時ハ国治天下平ナリ」

人の知の分量の差異を踏まえる蕃山の社会論を見るために、迂路とはなるが、「易」繋 辞下伝に拠ってする、蕃山における中夏の歴史理解をみることとする。

蕃山によると、伏犧以前にも、聖徳の人はいたであろうが、人々に欲がなく惑いもなかっ たから教は不要であり、聖人の存在があらわにならなかった。ところか、人々に物欲が生 じ、惑いが生じた状況で、伏犧が教えを立てることになった。

伏犠ノ時ハ、天地開闘ヨリホド久シク、人モ次第ニ多ナリ、物欲モ少ヅヽキザシテ、

人心ニマドヒ出来シカバ、伏犠コレヲカナシミタマヒテ、教ント思給フ心アリ。「集 義和書」111頁

伏犧は、天地万物の事物事象をみて、先ず八卦を作ったが、これが文字・経書の初めで あり、さらに、八卦を重ねて六十四卦とした。

(4)

コヽニヲイテ、天地万物ノ理コト/\ク備レリ。古者ハ此六十四卦ヲ見テ、心ヲミガ キ身ヲ脩メ家ヲトヽノへ国ヲ治メ天下ヲ平ニス。治・乱共ニ通ゼズト云コトナシ。「集 義和書」112頁

蕃山によると、易の六十四卦は、天地万物の理をすべて具えており、正心修身斉家治国 平天下の道を教えるものである。

ここには、人が生存への欲求をもつとともに過悪に陥るが故に、倫理が課せられる存在 であること、そして、易の道理が人間生活において決定的重要性をもつとする考え方が示 されている。

ところで、伏犧の後、人々の生業は漁労狩猟であったが、神農があられわれて農具であ る耒耜を作って耕作を教えたことから、農業が始まった。この耒耜は、益卦の象を見て作っ たのである。

天・地・人ナラビ益アルモノハ耕作ノ業ナリ。故ニ、民ハ国ノ本ナリト云。「集義和書」

113頁

蕃山にあって、農業が人間の生存における最も重要な営みである。ここには、耕作に携 わる農民が「国ノ本」であるとする民本思想がある。それだけではない。益卦は、「天下 国家ヲ利益スル仁政ノ象」(同上)でもある。

上ヲゴリ下クルシム時ハ乱レ亡ブ、損コレヨリ大ナルハナシ。上質素ニ下豊カナル時 ハ国治天下平ナリ、益コレヨリ大ナルハナシ。「集義和書」113頁

益卦の教えるところは、天下国家の安寧が、為政者の質素により、下民の豊富をいたす ことにあるとする仁政の原則である。これは、奢侈が困窮を生み、社会秩序の混乱をきた すという、蕃山における核心的な社会認識となる。

ここに想定されている社会的地位の上下関係も、易の原理に基づいている。易の卦は六 爻からなるが、それは、次のように地位の関係をあらわしている。

天子三公諸侯大夫士庶人ノ五位ハ天下古今不易ノ定位也。其上ニ師保ノ位アリ。其象 易卦ノ六爻ニ備ハレリ。「繋辭傳」408頁

六爻の最上位は「師保」であり、その下の五爻は天子以下の五等の地位に対応する。こ のような六爻の地位の位置づけを前提として、六十四卦のそれぞれにおいて、それぞれの 地位に対する易の教えが示される。ただし、師保の位は特異なものであり、社会を構成す る地位は、基本的には、五等である。社会の基本秩序を五等の地位とすることは、「孝経」

(5)

における五等の孝と対応する。蕃山にあって、「易」と「孝経」とは原理的な共通性がある。

ところで、五等の地位は「天下古今不易ノ定位」であり、歴史的社会的に不変のである が、その地位を占める人は、不定であり、入れ替わる。

此位ハヲリ機ノタテノ如シ。其位ニ居ル人ハヨコヌキノ如シ。位ハ定リテ居ル人ハ不

定。貴賤入カハリテイタルコト旅宿ノ賓客ノ如シ。明者ハカリソメニ天命ヲ以テ此 位ニ居コトヲ知テ愼ヲ不忘。愚者ハ永代ノヤウニ覺テ愼ヲワスル。同上

地位は、「カリソメニ天命ヲ以テ此位ニ居」ることであり、人がある地位を占めることは、

天命による一時的のことである。地位は固定しているが、それを占める人は、次々に交替 する事態は「旅宿ノ賓客ノ如シ」である。

天命によって五等の地位を占める人が入れ替わるとしても、それが、いかなる仕方で具 体化するかは、重大な問題である。

6 「孝の心法」

蕃山は、最初に、五等の地位を占める人の定まるあり方を、次のように述べている。

まづ人の初は農なり。農の秀たる者に、たれとりたつるとなく、すベて物の談合をし 指図をうくれば事調りぬる故に、其人の農事をば寄合てつとめ、惣の裁判のために撰 びのけたるが土の初なり。在庁所々ありて後、又秀たる者に、惣の士が談合しひきま はされて諸侯出来ぬ。又諸侯の内にて大に秀たるあり。其徳四方へきこへ、をの/\

及所は此人より道理出る故に、寄合てつかねとし、天子とあふぎたるものなり。

扨士の中より公卿・大夫と云ものを立、農のうちより工・商を出して、天下の万事備 り、天地の五行に配して五倫五等出来たるなり。「集義和書」147頁

このよく知られた蕃山の言述は、天下古今不易の定位である五等の地位の成立を語るも のである。人の初めである農人の中から「秀たる者」が「士」として選び出され、その士 の中から「秀たる者」が「諸侯」となり、その諸侯の中から「大に秀たる」ものが「天子」

となる。

こうして、天子、諸侯、公�・大夫、士、農・工商の五等の地位は、「秀たる」ことの 度合、つまり、資質の優秀性の度合にもとづいて成立する。そして、秀れた資質を有する 士以上の為政者は、農人たちが「談合」して選び出し、農人たちが彼らの「農事をば寄合 てつとめ」ることで、為政者は、農人としての務めを免除される。五等の地位を占める人 は、衆議における合意によって選定される。ここで重要なことは、五等の地位は、それぞ れ一定の責務があり、その地位はそれにふさわしい資質を有するものが占めるのだという ことである。

(6)

このようにして成立する五等の地位は、「天地の五行に配して」あるもので、自然と人 間を通底する秩序であり、蕃山にあっては、「孝経」の示す五等の地位と等しいものである。

蕃山は、「孝経」の示す五等の地位にともなう責務を、次のように述べている。

孝経の心法は、正心修身、天命の分を安じて、人々処所の位に随て、道を行なり。

天の、人を生ずること、物あれば則あり。天子の富貴にはをのづから天子の則あり。公・

侯・伯・子・男、をの/\則あり。�・大夫・士、其道あり。農・工・商、其務あり。

其行ふ所の大小は各別なれども、孝の心法はかはりなし。「集義和書」143頁

蕃山によると、「人々処所の位に随て、道を行なり」と、「位」に相応した道がある。「人 を生ずること、物あれば則あり」と述べるのも、人が一定の地位を占めるときは、その地 位に相応した道があることを意味する。天子から農工商に至るまでのそれぞれの地位に応 じた道とは、それぞれの地位に応じた社会的責務である。そして、地位に応じた社会的責 務の内容は異なるにしても、いずれも「孝の心法」である点で等しい。

ここで、それぞれの地位の道について「其行ふ所の大小は各別なれども、孝の心法はか はりなし」とあることに注意したい。五等の地位における責務は「大小」の量的差異はあ るが、「孝の心法」という点で同じなのである。これは、平人が至り得る聖人の心は、過 去の聖人の心とは、量的に異なるが等しいとしていたことと同様である。

そして、改めて注意すべきことは、五等の地位は古今不易の定位であるが、その地位を 占めるものは旅宿の賓客のごとく交替していることである。それは、現前の社会が、蕃山 の描いた初めの社会とは異なることを意味する。現前の社会では、上の地位を占めるもの が合意による選定によって優秀な人であるとはいえないのである。そこでは、五等の地位 に応じた道が行われないことになる。

7 「勢を不

忘の凡情」

現実社会において、為政者の地位を占めるものが優れた資質をもっていないことを、蕃 山は、十分に意識していた。そこで、次のような問答が生ずる。

問。天何ぞ不徳の人を命じて有道の人の上に立しむるや。

云。勢の自然也。自然の勢は天命也。故に、君子は自然にしたがひ、小人は力を以て 自然にもとり災をまねく者也。「集義和書」308頁

蕃山は、「不徳の人」が「有道の人」の上に立つ事態を「勢の自然也。自然の勢は天命也」

とする。天命が、勢の自然あるいは自然の勢であるとは、この天命は、「中庸」冒頭の「天 命」とは異なることを意味する。それは、人の制御しえない規定力、あるいはそうした規 定力によって生ずる事態を意味している。(注4)。

(7)

蕃山は、勢として存立する社会に対処する自らの態度を顧みて、次のように述べている。

予、むかしより、国家・天下のふさがり通ぜざるを聞ては、気の毒にも笑止にもおも ひて、道行はれば上安く下ゆたかなるべきものをと願ひしを、近比、其非をさとりし なり。「集義和書」237頁

蕃山は、かつては、天下国家に道が行われず、上下の困窮することに心を痛めて、経世 の志を抱いていたが、この頃は、それを非であると悟ったと、その理由を次のように述べ る。

一体の仁感じて惻隠の情発するは不已。然れども、しゐて思ふは非なり。畢竟、

吾人の位をこえて政道の事を思ふは、勢を不忘の凡情よりおこれり。「集義和書」

「惻隠の情」は「仁」の発露であるから誰にもある。しかし、人が、惻隠の情によって「し ゐて思ふ」こと、つまり、相応の「位」を占めていないで「政道」に携わろうとすること が、「勢を不忘の凡情」である。蕃山には、政事にあずかるのは、その任にあるものに 限られるとする考え方が明確にある。

予はたゞ古今の理をいふのみ。時に當るの政は知べからす。たとひ知るとも、其任な きものは、いふべきにあらす 「集義外書」135頁)

この「勢を忘れない」とは、「勢を忘れる」という望ましいあり方に背反する態度である。

そして、勢を忘れるという言葉の典拠は、蕃山も引く「孟子」尽心章句上第8章である。「孟 子」には、「古の賢王は、善を好みて勢を忘る。古の賢士、何ぞ独り然らざらん、その道 を楽しみて人の勢を忘る。」(「集義和書」237頁)とある。蕃山は、「勢を忘れる」賢王の あり方を、次のように述べている。

いにしへの聖王賢君は徳を尊び道ヲ楽び給ふ。故に、みづからの富貴をば物ともし給 はず。

君子の富貴は、ひろく衆をすくひ教をほどこすに重宝なるばかり也。故に、善人を好 ししたひ給ふに当ては、位をも忘れて礼を重くし給へり。「集義和書」237頁

蕃山にあって、「聖王賢君」にとって、自らの地位ないし富貴は、仁政という目的に役 立つ「重宝」な手段でしかない。だから、聖王賢君は、自らの地位ないし富貴を度外視し て、仁政に資する「善人」を敬して礼遇する。この聖王賢君の態度が「勢を忘れる」こと

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である。だから、民間にある「賢士」の態度は、次のようなものである。

賢徳ある士の、民間に居て人の勢を忘るゝことは、天を楽び命を知ゆへなり。畎畝の 中に居て堯舜の道を楽び、其位に素して行ひ其外を不願なり。「集義和書」238頁

「賢徳ある士の、民間に居て人の勢を忘るゝこと」、つまり望ましい態度は、「天を楽び 命を知」ることである。その具体的なあり方は、「畎畝の中に居て堯舜の道を楽び、其位 に素して行ひ其外を不願」ことである。

畎畝の中に居て堯舜の道を楽しむとは、「孟子」万章章句上第7章における「伊尹」の 態度である(「孟子」339−340頁)。また、「其位に素して行ひ其外を不願」は「中庸章句」

第14章の文言であり、蕃山は、これに「君子は道ある事のみ知て好惡する事なし。故に其 外をねがはず」と註解している(「中庸小解」304頁)

蕃山にあって、民間の賢士が「勢を忘れる」ことは、道の実践を楽しみ、自らの現に占 めている地位に相応する責務を実行することである。なお、ここにいう道とは五典十義で あり、地位は五等の地位であると解し得る。

ここで、注意したいことは、「孟子」における伊尹は、「湯」からの招聘を三たび受けて、

堯舜の道を楽しむ態度から、湯を「堯舜の君たらしむる」態度へと転じていることである

(「孟子」339−340頁)。だが、次に引くところにみられる蕃山における賢士は、為政者の 補佐には向かう態度はみられない。

一治一乱は、気化の盛衰あり、人事の得失あり。反覆相尋は理の常なり。富貴貧賤の、

上は下へうつりかはるは、寒暑の往来するがごとし。賢士これを見て何の心もなし。

故に、王公も敬をいたし礼を尽さゞれば、切々相見て其言を聞こと不能。上より求 給ふだにも召こと不能。いはんや我より上に求むべけんや。何ぞ国・天下の得失を 心とせんや。吾人共に少し問学ある者の、天下・国家を憂るは、惻隠の心をゑぼうし に着て、凡情の主たるなり。しかのみならず、みづからの性命の分を不知、天命の 勢を不知、わづかに古昔の事を聞ては今を非とし、これを以て変ぜんことを思へり。

甚非なり。其愚を不知者はあやうし。「集義和書」238頁

蕃山にあって、賢士は、王公からの丁重な敬礼がなければ、王公と会見して献言しない、

まして、自分から会見求めることはない。この点は、「孟子」における古の賢士の態度と 同じである。だが、両者には相異がある。

「上より求給ふだにも召こと不能」とするのは、招聘に応じた伊尹とは異なる。「富貴 貧賤の、上は下へうつりかはる」ことを「見て何の心もなし」とし、あるいは「何ぞ国・

天下の得失を心とせんや」という態度には、仁政への志向はみられない。

この相異は、一つには、「惻隠の心」に発して「天下・国家を憂る」ことを「凡情」で

(9)

あると否定するから来ている。このことは、その地位にないものが強いて為政の任に当た ろうとすることを非とすることとともに、個人的心情と社会改革の次元の相異をみる眼差 しがある。だが、相異の大きな理由は、「わづかに古昔の事を聞ては今を非とし、これを 以て変ぜんことを思へり。甚非なり」とすることであろう。それは、今の状況を古の理想 に変革しようとする志向を非とする認識である。

この認識は、存在するものの変化は「理の常」であるとする認識から来ている。存在す るものの変化の常態性の認識は、変化の不可避性と変化によって生じた事態の抗いがたさ の認識と相関する。自然としての勢としての天命を語ることは、変化によって生じた事態 の抗いがたさの認識から来ているであろう。

蕃山にあって、今の状況を古の理想に変えようとすることの非は、自然の勢としての天 命を知らないことにもとづく。それが、「みづからの性命の分を不知、天命の勢を不知」

ことであり、「勢を忘れざる」ことの意味である。だから、「勢を忘れる」ことは、その反 対のこと、つまり「天を楽び命を知」ることなのであった。

蕃山にあって、現実社会は望ましからざる状態にあり、しかも、存在するものは不可避 の規定力としての自然の勢に動かされている。そうであるとしても、彼は、ただ無為であ るわけではない。というのも、彼にあって、「易」から世界のあり方と変化の道理を知り、

それにもとづいて、変化に応ずるなんらかの方途を見出すことはできるからである。

8 「後世ハ、上タル人ノ楽ハミナ下々ノ困窮トナレリ」

蕃山にあって、「易」の道理は、次のようなものである。

易ノ理ヲ以テ見レバ、万事キハマリテ行ヒガタク為ガタクナル時ハ必ズ変ズ。明王賢 君ハ、其時運ト共ニ変通シテ、可行可為易知易従政教アリ。世ノ中キハマル時ハ、

多事多物ニシテ煩シクナルモノナリ。此ヲ変通シ宜クスルハ易簡ノ善也。易簡ナル時 ハ長久ナリ。易簡ハ即天地ノ徳也。民ノ父母タルノ道ナリ。故ニ天ノ福アリテ吉ナリ。

民ミナ其利ヲ利トス。「集義和書」、118頁

「易ノ理」の教えるところは、万事が行き詰まって対処の困難な状況は「必ズ変ズ」、つ まり、反転して状況を打開する時機だということである。この状況の打開は、「明王賢君」

が「可行可為易知易従政教」を実行することである。

ところが、明王賢君のいない状況が、蕃山の当面する事態であるから、これでは打開す る方策は明らかでないようであるが、必ずしも、そうではない。というのは、明王賢君が 示す政教の具体的内容は明らかでないにしても、実行可能で知り易く行い易いという形で、

その内容の方向性は示されているからである。その方向性は「易簡」である。

「易簡」とは、「易簡ハ即天地ノ徳也。民ノ父母タルノ道」というように、天地の働きに 根ざす仁政の道である。実際、蕃山は、当時の日本において、仏法に言及しつつ、次のよ

(10)

うに、易簡こそが最も妥当な方策であるとしている。

近比日本の水土により、山澤草木人物の情と勢とを見侍れば、易簡の善ならではあま ねからず、長久ならざる道理あり。佛法には不仁なるところありといへども、易簡な る處ありて、日本の水土相應せり。この故に千餘年に至てかく行はるゝ也。近年は仏 者の奢に、仏法のいのちなる易簡を失ひ侍れば久しかるまじ。「集義外書」174頁、

282頁にほぼ同文

ここで重要なことは、易簡の反対としてあらわれる事態は「奢」であると理解されてい ることである。これが重要であるのは、蕃山にあって、「今よの中、貴賤ともに困窮す」(「易 経小解」292頁)と、現前の世の中が行き詰まって「困窮」しているからである。そして、

世の中の困窮の原因は、奢なのである。

後世ハ、上タル人ノ楽ハミナ下々ノ困窮トナレリ。道徳ヨリ出ルト人欲ヨリ出ルトノ タガイナリ。天下ノ人心、正セイガクナキ時ハ、必ズ婬インガクヲコルモノナリ。天子諸侯・公�

大夫、婬楽ヲ好ム時ハ、人欲日々ニ盛ニナリテ奢生ジ、士貧ク民困窮ス。天下ミナ婬 楽ヲ好テ、人心邪ニナリ風俗ミダル。終ニ乱世トナル。「集義和書」121頁

蕃山にあって、後世には、次のような社会過程が想定される。「上タル人」が「道徳」

を離れて「人欲」に惹かれ、「婬楽」を求めることから、「奢」を生じて「士貧ク民困窮ス」

という事態となり、やがて「乱世」となる。そこで、この過程を反転して、為政者が奢を やめて易簡となると、社会の困窮を打開し得るわけである。

そうであるとすると、為政者に求められることは、人欲を去って天理に純になること、

つまり、君子になることになりそうである。そうであるとすれば、それはどのような意味 においてであろうか。

9 「道を知給へば天下の才知皆君の才知と成也」

蕃山にあって、政治の要諦は「知」、つまり、「君」が衆知を結集して活用することにあ る。彼は、次のように述べている。

天下國家政道の治躰は知也。知明かならずしては、仁勇も行はれず、故に大學の道、

先明德を明かにすといへり。君と師と知に先後あり、師は知を明にして先達て人をみ ちびく者也。君は知をかくして天下の諫言昌言をいれ、其兩端を取て中を用ひ給へば、

畢竟君の知に成就す。大知は愚なるがごとしといへる是也。君衆に先達て知を用る、

是を小知と云、終に國天下を平治すべからず。「孝經外傳或問」91頁

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「政道の治躰」つまり政治を行う方法ないし政治の大本は、「君」が「師」の知を活用す ることにある。活用する知は特定の師の知ではない。衆知を活用することが「君の知に成 就す」ることになる。しかも、政治の方法ないし大本としての知は、明徳の明である。と いうことは、政治の方法ないし根本は、道を知ることに收斂する。蕃山はいう。

玉みがゝざれば器とならず、人學びざれば道を不知。才は氣質によりて異なりとい へども、五常の知は貴賤共に固有の天性なればあらずといふ事なし。繼体の君才なし といへども、道を知給へば天下の才知皆君の才知と成也。道を知給はざれば、君才あ りといへ共、却て不祥となり、天下の才知埋れて、邪知姦侫時を得る者也。同、93頁

政治において人の「才」、したがって「氣質」が大きな意味をもつ。しかし、決定的に 重要なのは道を知ることであり、しかも、「君」が道を知ることである。君が道を知れば、

「天下の才知」が「君の才知」となることで、仁政の実現に至るのである。

蕃山にあって、君が道を知ることは、畢竟、明徳が明であることである。それは、人欲 を去って天理に純であること(「集義和書」255頁)、すなわち、君子であることにほかな らないのである。

10 おわりに

為政者が君子であることは、自然の天命に規定されるのであるから、可能ではあるにし ても、僥倖に属することである。それ故、蕃山は、藤樹あるいは朱子とは異なる意味あい において、後の君子を俟ち望むのである。だが、彼は、君子が為政者であることによる理 想の政教の実現を、遠大な歴史的地理的視野のもとで、冷徹に、次のような見通しを述べ る。

五六百歳このかたの世俗は、五六歳の童の時のごとし。先学校の政を以て是非善悪を 弁ふる知をひらきて、恥をしるの義を勧むべし。数十年数百歳を歴て、後の君子を俟 て、礼儀をおこさしむべき也。「集義和書」94頁 注5

蕃山にあって、仁政は礼儀の興隆をもつて十全なものとなる。その場合、次のような中 夏の礼儀が想起されているであろう。

伏義氏起り給ひしよりはじめて学ありといへども、いまだ礼儀・法度なし。神農民継 をこり給へども、耕作・医術の、民を養ふべき事を、さきとす。黄帝の時、礼楽の器 あらはれ、文章略見えたりといへども、いまだ期数の定なし。五帝の時、礼儀・法度、

大概ありといへども、易簡にして行ひ易し。人民の情にさかはず、徳化により善に勧 て人の欲するに随て制法出来ぬ。夏・商を歴て周に及び、文明の運極り、器物・飲食

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大にたり、無事至りでなすべきことなし。こゝにをいて、人情を溢れしめざらむがた めに、礼儀の防多く出来、数期こまやかにかたし。皆時・所・位に随て行ふものなり。

「集義和書」93頁

蕃山は、礼儀が時所位にしたがって定まるとしている。だから、彼としても、中夏にお ける「五帝の時」の礼儀がよいとも「周」のものがよいとも、確定はしえないであろう。

だが、彼は、日本社会は、礼儀があるべくしてないと考えている。

蕃山によると、日本社会は、五六百年このかた、人の発達段階でいえば五六歳の幼児の 状態であり、「善悪是非をしるにおよばず」という、古の「小学」に入る八歳以前の段階 にある。人が、ただ是非善悪を弁えるだけでは十全でないように、日本社会も「善悪是非」

を啓発するとともに「礼儀」を興隆するには、数十数百歳を経る必要があるのである。そ れが可能になるには、後の君子を俟たなくてはならない。

ここには、蕃山における自然の勢としての天命の観念にもとづく、冷徹な社会認識があ る。それは、社会の歴史的地域的差異の認識、つまり、中江藤樹から受け継いだ時所位論 にもとづいている。

この時所位論において捉えられた社会における差異と変化は、蕃山にあって、法ないし 風俗に属するものであり、既に見たように、法と道とは、位相を異にするものである。道 は、普遍的な五典十義であり、それは、人がみな明徳を根拠として実行し得るものであり、

そのことにおいて君子たり得る。

蕃山にあって、人はみな、明徳を有するが故に、君子たり得るとともに、学んで聖人に 至り得る。だから、彼は、人びとに君子を目指すことを求め、為政者が君子であることを 俟ち望むのである。だが、為政者が君子となること、そして、自らが為政者に献言し得る 位を得ること、このことは、自然の勢としての天命によることである。蕃山が、天を楽し み命を知ることを賢士の心得としたのは、そのためである。

次のように語るとき、蕃山には、人はみな心に宇宙論的根源を宿すが故に、君子として 独立不羈たり得ることへの確信がある。

天地の間に己一人生てありと思ふべし。天を師とし、神明を友として見時、外・人に よるの心なし。「集義和書」157頁

以上みてきたところによると、蕃山は、孝の形而上学にもとづいて、人が道を実行する ことにおいて君子となり、聖人となり得るとすることで、人びとにおける普遍性、尊貴性、

倫理的等質性を主張した。また、彼は、易の道理にもとづいて、存在するものの差異と変 化のもたらす社会の歴史的地域的差異性を見据えた。

この二つの面は、蕃山においては道と法の区別に対応するものであるが、藤樹における 大道の実義と時所位の概念を継承深化したものである。蕃山における独自性は、主に、時

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所位論を踏まえた、存在するものの歴史的地域的差異の認識にあると考えるが、本稿では、

その具体的内容に立ち入るには至らなかった(注6)。

「伏犧は文字經書數名もなき時に生れ給ひて」の下線「時」は、典拠の『増訂 蕃山 全集』第三冊所収「中庸小解」では「田」としているが、早稲田大学図書館所蔵の版本 電子データ「中庸小觧」に照らして改めている。

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ro12/ro12_01576/index.html)

王陽明が、「聖人学んで至るべし」の議論を、金の純度の比喩を用いて展開している のは、「伝習録」巻上「薛尚謙所録、希淵問条」である。「伝習録」149−153頁

蕃山における「平人」への視点に注意をうながしたのは山本命氏である。山本命『中 江藤樹の儒学』527頁

「自然」については、「自然にしたがひ給ふべきか、制作を先にし給ふべきか」(「集義 和書」195頁)、「自然に応じて作為なきなり」(同上)といった用例がある。自然は、制 作や作為に対立する人の営為の介在しないあり方であると解し得る。

「勢」については、「今の時處に叶たるいきほひもあり。吾人共に世の勢さけがたくば、

まかせても可也。」(「集義外書」181頁)という用例がある。勢は、抗しがたく受容するほ かない事態と解し得る。

蕃山は、現前の日本社会を、数十数百年のスケールで捉えており、また、その歴史的 地域的視野は伏犧以来の長大なものであった。彼が、「大学或問」の提言を、「和漢に通 ずべからず、古今にわたるべからず、今をすくふ活法なり。其人を待て行はるべし」(「大 学或問」409頁)と自ら述べるのは、言葉通りに受け取ってよいであろう。

藤樹と蕃山における時所位論の差異については、例えば、源了圓氏、玉懸博之氏が等 しく着目する「少づゝの權道」(「論語小解」133頁)といった概念も含めて、考究すべ きことが多い。源了圓『近世初期実学思想の研究』466頁、玉懸博之『日本近世思想史 研究』168頁。

引用文献

熊沢蕃山「集義和書」 日本思想大系『熊沢蕃山』所収、岩波書店、1971年 熊沢蕃山「集義外書」 『増訂 蕃山全集』第二冊所収、名著出版、1978年 熊沢蕃山「孝經外傳或問」「中庸小解」『増訂 蕃山全集』第三冊所収、名著出版、1979年 熊沢蕃山「論語小解」「易經小解」「繋辭傳」 『増訂 蕃山全集』第四冊所収、名著出版、

1978年

熊沢蕃山「泰伯傳」 『増訂 蕃山全集』第六冊所収「訂正一覧」、名著出版、1979年

「伝習録」 新釈漢文大系 近藤康信『伝習録』明治書院、1970年

「易」 新釈漢文大系 今井宇三郎『易經 上』明治書院、1987年

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山本命『中江藤樹の儒学』 風間書房、1977年 源了圓『近世初期実学思想の研究』 創文社、1980年 玉懸博之『日本近世思想史研究』 ぺりかん社、2008年

参照

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