Komazawa University 『
唯
信
鈔
』に
つ
い
て
松
本
史
朗
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 私 は 、 『 唯 信鈔
』 の 著 者 は 、 聖 覚 で は な く 親 鸞 で あ ろ う と 思 っ て い る 。 ま た 、 『 唯 信 鈔 』 ば か り で な く 、 『 自 力 他 力事
』 『 一 念 多 念 分 別事
』 も 親 鸞 の著
作 で あ ろ う と 考 え て い る 。 私 は す で に 『 後 世 物 語 』 が 親 鸞 の著
作 で あ る こ と を 論 証 し得
た と 思 っ て い る の で 、 も し も 『 唯 信 鈔 』 等 に 関 す る 私 見 が 正 し い と す れ ば 、 親 鸞 が 晩 年 関 東 の弟
子達
に 書 き 送 っ た 和 文 の 小 品 群 は 、 す べ て 親 鸞 の 著 作 で あ っ た と い う こ と に な る の で あ る 。 親 鸞 は 、 『 御消
息
集
』 略 本第
一 通 〔 広 本 第 六 通 ) で 、 た 冥 詮 ず る と こ ろ は 「 唯 信 鈔 」 ・ 「 後 世 物 語 」 ・ 「 自 力 他 力 」 、 こ の 御 文 ど も を よ く よ く つ ね に み て、 そ の 御 こ x う に た が へ ず お は し ま す べ し 。 ( 『 真 聖 全 』 二 、 六 九 五 頁 ) と 述 べ て い る の で 、 こ の 書 状 の 真 偽 を 疑 わ な い 限 り、 親鸞
が 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 研 究 紀 要 第 五 十 七 號 平 成 十 一 年 三 月 『 唯 信 鈔 』 『 後 世 物 語 』 『 自 力 他 力 事 』 を 他 人 の著
作
と規
定 し て い る の は 明 ら か で あ る が 、 そ れ に も か か わ ら ず 、 こ こ に 述 べ ら れ た 三 著 作、 及 び 、 『 一 念 多 念 分 別事
』 を 、私
は親
鸞
の 著作
と 見 る の で あ る 。現
在 、 こ の よ う な 『 唯 信 鈔 』 等 の 親 鸞 撰述
に関
す
る 私 見 を 充 分 に詳
論 す る 余 裕 が な い が 、 私 見 の 要 点 の み を 以 下 に 記 す こ と に し た い 。使
用 す る 略 号 等 は 、 以 下 の 通 り で あ る 。 『 真 聖 全 』 11 『 真 宗 聖 教 全 書 』 『 法 全 』11
『 昭 和 新 修 法 然 上 人 全 集 』 『 浄 全 』11
『 浄 土 宗 全 書 』 『 続 浄 全 』 11 『 続 浄 土 宗 全 書 』 『 定 本 全 集 』 11 『 定 本 親 鸞 聖 人 全 集 』 『 真 蹟 集 成 』 11 『 親 鸞 聖 人 真 蹟 集 成 』二
五NII-Electronic Library Service 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) 一 『 唯 信 鈔 』 の 著 作 に つ い て ま ず 『 唯 信 鈔 』 の 聖 覚 撰 は 、 極 め て 疑 問 で あ る 。 こ の 問 題 に 関 す る 一 般 的 な 見
解
と し て は 、 宮 崎 円遵
氏 の 『 親 鸞 聖 人 書誌
』 ( 真 宗 典 籍 刊 行 会 、 一 九 四 三 年 ) 〔 以 下 『 親 鸞 書 誌 』 〕 に 、 『 唯 信鈔
』 に関
し て 、 次 の よ う な 説 明 が 見 ら れ る 。 聖 覚 が 本 書 を 述 作 し た の は、 承 久 三 年 八 月 五 十 五 歳 の こ と で あ る が、 宗 祖 は 早 く よ り そ の 生 涯 を 通 じ て 屡 々 こ れ を 寫 伝 し 、 御 消 息 に 見 え る 如 く 門 弟 に 推 奨 し て 味 読 せ し め ら れ た . さ れ ぽ 宗 祖 の 今 鈔 の 書 寫 真 蹟 の 現 存 す る も の も 尠 く な い 。 聖 覚 は 吉 水 教 團 の 有 力 者 で あ つ た が 、 今 鈔 の 今 に 伝 は る の は 宗 祖 の 寫 傳 に よ る の で、 余 他 の 系 統 に は 伝 ら な か つ た や5
で あ る 。 宗 祖 が 初 め て 今 鈔 を 書 寫 し た の は 、 寛 喜 二 年 五 十 八 歳 の 時 で 、 聖 覚 が 今 鈔 を 述 作 し て 後 九 年 で あ る 。 当 時 宗 祖 は 関 東 在 住 中 で あ る か ら、 何 人 か ゴ 京 都 か ら こ れ を 送 致 し た の で あ ら う 。 寛 喜 の 真 蹟 寫 本 は 現 在 高 田 派 専 修 寺 に 襲 蔵 さ れ れ て ゐ る 。 奥 書 に は 草 本 云、 承 久 一. 一 歳 仲 秋 仲 旬 第 四 日 安 居 院 法 印 聖 覚 作 也、 寛 喜 二 歳 仲 夏 下 旬 第 五 日、 以 彼 草 本 真 筆、 愚 禿 親 鸞 書 寫 之 と あ り、 そ の 表 紙 に は 、 「 釋 覚 然 」 「 釋 信 證 」 の 袖 書 が あ る か ら、 宗 祖 が こ の 両 門 弟 に 附 与 さ れ た も の で あ る 。 ( 『 親 鸞 書 誌 』 二 一 四 − 二 一 五 頁 ) 一 一 六 し か し 、 ” 『 唯 信鈔
』 が 現 存 す る の は 、 親 鸞 の 写伝
に よ る の で 、 他 の 系統
に は 伝 わ ら な か っ た ” と い う の は 、奇
妙 な こ と の よ う に 思 わ れ る 。 尤 も 、 『 明義
進 行 集 』 巻 三 に 、 聖 覚 の 著 作 と し て 『唯
信 鈔 』 を挙
げ 、 『唯
信 鈔 』 か ら の 引 用 を 示 し て 〔 1 ) い る こ と は 、 確 か で あ る 。 し か し 、 こ の 言 及 や引
用 も 、 親 鸞 の 写 伝 に も と つ く と す れ ぽ 、 「 余 他 の 系 統 に は 伝 ら な か っ た や う で あ る 」 と い う 宮崎
氏 の 理 解 を 訂 正 す る 必 要 は な い で あ ろ う 。 最 近 、 平 雅 行 氏 は 、 そ の 著 『 日本
中 世 の 社 会 と仏
教 』 ( 塙 書 房 、 一 九 九 二 年 ) 〔 以 下 『 日 本 中 世 』 〕 の 第 九 章 「 嘉 禄 の 法 難 と 安 居 院 聖 覚 」 に お い て 、 松 野 純孝
博
士 の 『 親鸞
』 ( 三 省 堂 、 一 九 五 九 年 ) 〔 以 下 『 親 鸞 』 〕第
六 章 に お け る 詳 細 な 研 究 を 承 け て 、 聖覚
(=
六 七一 二 一. 一 五 ) の 生 涯 に つ い て 検 討 し 、 そ の 中 で 、 一 二 二 七 年 ( 嘉 禄 三 年 ) の
専
修 念 仏 の 弾 圧 に 聖 覚 が 積 極 的 に 加 担 し た と い う 見 解 を 示 さ れ た . つ ま り 、 → 二 一 . 一 年 ( 承 久 三 年 ) に 『唯
信 鈔 』 を 著 し た と さ れ る 聖 覚 が 、 一 二 二 七 年 に は 、 専 修 念 仏 の 弾 圧 に 加 わ っ て い た と い う こ と に な る の で あ る が 、 わ ず か 六 年 前 に 『 唯 信 鈔 』 を 著 わ し た 聖 覚 が 、 『 選 択 集 』 の 印 板 焼 却 に ま で 関 わ っ た こ と に な る 。 ( 『 日 本 中 世 』 一、 一 五 六 頁 ) N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty と い う 平 氏 の 言
葉
に 示 唆 さ れ て い る 通 り 、 氏 の 論証
が 『 唯 信鈔
』 を 尊 重 す る 人 々 、 特 に 浄 土 真 宗 系 の 人 々 に と っ て 、 【 種 の衝
撃
を も た ら し た こ と は 、 事 実 で あ ろ う 。私
は 、 聖 覚 が 専 修念
仏
の 弾 圧 に 加 担 し た と い う 平 氏 の 論 証 を 否 定 す る つ も り は な い 。 お そ ら く 、 聖 覚 は 、事
実
こ の よ う に 行 動 し た の で あ ろ う 。 た だ し 私 は 、 聖 覚 は 『唯
信 鈔 』 を 書 い て い な い で あ ろ う と 考 え る の で あ る 。 私 が 、 聖覚
の 生 涯 に 対 す る 松 野 博 士 や 平 氏 の 詳 細 な 研 究 か ら 読 み 取 っ た の は 、 聖覚
が 当 時 の 仏 教 界 の寵
児 と い っ て も よ い 程 の 有名
人 で あ っ た と い う こ と で あ る 。 こ の 点 は 、 親鸞
と は 全 く 対 照的
で あ る こ と に 注 意 す る 必 要 が あ る 。 聖 覚 が ど こ で 導 師 や 講 師 を 勤 め た か は 様 々 の 史 料 か ら詳
し く 知 る こ と が で ぎ る 。 そ れ 故、 一 二 二 七 年 に 、 聖 覚 が専
修
念 仏 の 弾 圧 に ど の よ う に 具 体 的 に 加 担 し た か ま で が 明 ら か に な っ た の で あ る 。 し か る に 、 仏 教 界 の 注 目 を 一 身 に 浴 び て い た で あ ろ う 聖覚
が 『 唯 信鈔
』 を 著 し た こ と を 伝 え る 史 料 は 、 親 鸞 の 奥 書 き 以 外 に は 皆 無 な の で あ る 。 こ れ 程、 奇 妙 な こ と は 無 い で あ ろ う 。 前 掲 の宮
崎
氏 の 解釈
に よ れ ば 、 「 何 人 か が 京 都 か ら こ れ を 送 致 し た 」 た め に 、関
東
在 住 中 の 親鸞
が 、 関 東 で こ れ を 書 写 し た と さ れ て い る が 、何
故、 当 時 一 級 の 知 識 人 であ
る 聖 覚 の 著 作 が 、 京 都 か ら 関東
の 親 鸞 の も と に 送 ら れ た の に 、 京 都 の 周 囲 の 人 々 は こ れ を書
写 し 伝 え な か っ た の で あ ろ う か 。 考 え 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) ら れ る 一 つ の 可 能 性 と し て は 、 聖 覚 と 親鸞
が 無 二 の 親 友 と も 言 え る 間 柄 で あ っ た た め 、 聖覚
は 自 ら の 著 作 を 親鸞
の み に 送 り 、 他 の 誰 に も こ れ を 見 せ な か っ た と い う こ と が考
え ら れ る が 、 境. 遇 も 、仏
教 界 で の ス テ イ タ ス も 全 く 異 な る 二 人 の 間 に 、 こ の よ う な 親 密 な 関 係 が あ っ た と は 、 と て も考
え ら れ な い 。 平 松 令 三 氏 は 、 こ の 点 に つ い て 、 そ の 著 『 親 鸞 真 蹟 の 研 究 』 ( 法 蔵 館、 一 九 八 八 年 ) 〔 以 下 『 真 蹟 研 究 』 〕 で そ れ に し て も、 百 何 十 里 の 距 離 を へ だ て て 、 聖 覚 の 自 筆 本 が と ど け ら れ た と こ ろ に 、 や は り 聖 人 と 聖 覚 と の な み な み な ら ぬ 関 係 を、 思 わ ざ る を 得 な い 。 ( 『 真 蹟 研 究 』 一 四 四 頁 ) と 言 わ れ て い る が 、 私 に は こ の 「 な み な み な ら ぬ 関 係 」 が 信 じ ら れ な い の で あ る 。 さ ら に 、 聖 覚 が 、 宮 崎 氏 が 言 う よ う に 、 「 吉 水教
団 の 有 力者
」 で あ っ た か ど う か も疑
問 で あ る 。 こ の 点 で 、 平 松 氏 の 次 の コ メ ン ト は 重 要 で あ ろ う 。 『 唯 信 鈔 』 の 著 作 聖 覚 法 印 は、 親 鸞 聖 人 と 同 じ く 法 然 上 人 の 門 下 で 、 聖 人 に と っ て 兄 弟 子 だ っ た と 考 え ら れ て い る 。 「 考 え ら れ て い る 」 と い う の は 、 こ の 当 時 の 史 料 で 彼 を 「 法 然 の 弟 子 」 と 明 記 し た も の が な い、 、 た と え ば、 元 久 元 年 法 然 上 人 が 比 一 一 七NII-Electronic Library Service 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) 叡 山 へ 送 っ た 七 ケ 条 起 請 文 に は、 法 然 門 ド の 二 百 余 名 が 連 署 し て い て 、 一 門 の 状 況 が 知 ら れ る の だ が、 聖 覚 の 名 が そ こ に 見 え な い 、 と い う こ と な ど か ら、 断 定 は で き な い の だ け れ ど も、 彼 自 身 、 表 白 文 の 中 で 法 然 上 人 を 「 我 大 師 」 と 敬 称 し て い た り 、 そ の 他 の 状 況 か ら、 ま ず 法 然 門 下 と し て ま ち が い な い 、 と 考 え ら れ て い る か ら で あ る。 ( 同 右、 一 四 一 頁 ) 即 ち、 『 七 ケ 条 起 請 文 』 つ ま り 、 『 七 ケ 条 制 誠 』 に 聖 覚 の 名 が 無 い こ と は 、 何 と 言 っ て も 注 意 さ れ る べ き で あ る 。 ま た 、 〔 2 ) 聖 覚 が 法 然 を 「 我 大 師 」 と 呼 ん だ と い う 『 聖 覚 法 印 表 白 文 』 に し て も、 こ れ を 伝 え る の は 、 親
鸞
系
統
の み で あ る 。 又 、 松 野 博 士 は 、 『 明 義 進 行 集 』 や 『 四 十 八 巻 伝 』 の 記 事 に よ り 、 ( 3 ) 法 然 と 聖 覚 の 関 係 を 示 さ れ て い る が 、 両 書 の 成 立 は =一 五 〇 年 代 の 『 尊 号 真像
銘 文 』 や 『 唯 信鈔
文意
」 等 の 親鸞
の 著 作 活 動 の後
の こ と で あ ろ う 。 さ ら に 、 書 誌 的 に 見 て も 、 『唯
信 鈔 』 に は 、 多 く の 疑 問 が あ る よ う に 思 わ れ る 。 ま ず 、 宮 崎 氏 は前
掲 の 論 述 で 「 宗 祖 が 初 め て 今 鈔 を 書 写 し た の は 、 寛 喜 二年
五 十 八 才 の 時 で 」 と 述 べ 、 そ の 証 拠 と し て 専 修 寺 所 蔵 の 所 謂 「 信 証 本 」 と い わ れ る 真蹟
本 の 奥 書 き を 示 さ れ て い る が 、 こ の 点 に つ い て は 、 平 松 氏 に よ っ て 疑 問 が 提 出 さ れ て い る と思
わ れ る 。 即 ち 、 氏 は 、 次 の よ う に 言 わ れ る 。 一 八 奥 書 に よ れ ば 、 こ の 本 は 寛 喜 二 年、 聖 人 五 十 八 歳 の 時 の 書 写 の 如 く で あ る が 、 筆 跡 は よ く 暢 達 し て い る も の の 、 そ の 筆 致 は 枯 れ て お り、 と て も そ の よ う な 壮 年 期 の も の と は 思 わ れ ず 、 『 唯 信 鈔 文 意 』 の 筆 跡 と 完 全 に 一 致 す る の で 、 聖 人 八 十 五 歳 の 康 元 二 年 に 、 『 唯 信 鈔 文 意 』 と 一 組 と し て 書 写 さ れ た も の と 考 え ら れ る。 従 っ て 寛 喜 二 年 の 奥 書 は、 書 写 の 底 本 と し た 本 に 記 さ れ て い た 奥 書 と い う こ と に な る 。 ( 『 真 蹟 研 究 』 → 四 六 − 一 四 七 頁 ) つ ま り、 『 唯 信 鈔 』 「 信 証 本 」 は 、 親 鸞 五 十 八 才 の 寛 喜 二 年 二壬
. 一 〇 年 ) に 書 写 さ れ た も の で は な く 、 専 修寺
蔵 真蹟
『唯
信 鈔 文 意 』 「 正 月 二 十 七 日本
」 と と も に 、親
鸞 八 十 五才
の康
元 二 年 ( 一 二 五 七 年 ) に 書 写 さ れ た と い う の で あ る 。従
っ て 、 “ 五 十 八 才 ” で は な く “ 八 十 五 才 ” の と き の書
写
で あ っ た と い う の で あ る 。 た だ し 、 平 松 氏 の 前 掲 論述
の 末 尾 の 一 文 を 見 る と 、 氏 は、 親 鸞 が 寛 喜 二 年 に 『唯
信 鈔 」 を 書 写 し た こ と自
体 を 疑 っ て は お ら れ な い よ う で あ る 。 つ ま り 、 そ こ で 「 書 写 の底
本 」 と し た 本 と あ る の は 、 ” 親 鸞 自身
が す で に 寛 喜 二年
に 書 写 し た 本 ” と い う 意 味 で あ ろ う 。 し か し 、 氏 が そ の 存在
を 想 定 す る ”寛
喜
二 年 の 親 鸞 自 身 の 『唯
信 鈔 』 の 真蹟
書 写 本 ” は 、 現存
し て い な い の で あ る 。 親 鸞 真蹟
と さ れ る 『 唯 信 鈔 』 の書
写 本 の う ち奥
書
を 有 す る N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty も の は 、 も う 一 点 あ る 、
専
修 寺 所 蔵 の 「 ひ ら が な 本 」 で あ る 。 こ れ は 、 文 暦 二年
( = = 二 五 年 ) 六 月 十 九 日 奥 書 き 本 と も 言 わ れ る も の で あ る が 、 こ の 奥 書 き に つ い て は 、 松 野博
士 に よ っ て 疑 問 が 提 起 さ れ て い る 。 錯 綜 し た 問 題 で あ. る の で 、 博 士 の 論 述 を 、 以 下 に そ の ま ま 示 す こ と に し た い 。 唯 信 鈔 の 撰 述 年 次 に つ い て 一 つ の 問 題 が あ る 。 三 重 県 専 修 寺 蔵 の も う 一 本 の 親 鸞 真 筆 本 「 平 仮 名 唯 信 鈔 」 奥 書 ( 高 田 学 報 六 所 収 写 真 版 に よ る ) に は、 本 云 承 久 三 歳 仲 秋 中 旬 第腎
晏
居 院 法 印 鯉 ( 寛 喜 二 歳 仲 夏 下 旬 第 五 目 以 彼 ) 真 筆 草 本 書 寫 之 文 暦 二 歳 耙 六早
九 ・ 愚 禿 親 鸞 書 之 と あ る 。 右 の う ち、 カ ヅ コ は 原 本 に な く 、 私 が 今 便 宜 上 付 け た も の で あ る 。 そ れ は こ の カ ッ コ の 部 分 が 墨 色 が 異 な っ て い て 、 の ち に 書 き 込 ま れ た も ち ろ ん 親 鸞 自 ら の 書 き 込 み で あ る が も の で あ. る か ら で あ る 。 今 試 み に 、 こ の カ ッ コ の 箇 所 を 伏 せ て み る と 、 本 云 承 久 三 歳 仲 秋 中 旬 第 四 日 以 安 居 院 法 印 聖 覚 真 筆 草 本 書 寫 之 と な っ て 、 承 久 三 年 八 月 十 四 日 に 安 居 院 法 印 聖 覚 の 真 筆 草 本 を 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) も っ て 、 こ の 唯 信 鈔 を 書 写 し た と い う こ と に な る 。 そ う す る と、 承 久 三 年 八 月 十 四 日 は 唯 信 抄 の 撰 述 年 次 で は な く 、 そ れ 以 前 に 撰 述 さ れ て い た 唯 信 抄 を 誰 か が 転 写 し た 年 次 を 示 す こ と に な る 。 ( 『 親 鸞 』 二 九 七 − 一、 九 八 頁 註 〔23
〕 ) つ ま り、 「 寛 喜 ⇒年
… 」 の 書 き 込 み を 省 い て奥
書
き を読
む と 、 承 久 三年
2
二 二 一 年 ) が 『 唯 信 鈔 』撰
述 の年
で は な く て 、 書 写 の年
に な っ て し ま う と い う の であ
る 。 こ の 議 論 が 、 『 唯 信鈔
』 の 成 立 に 関 し て 大 き な 疑 問 を 提 起 し て い る こ と だ け は 、 確 実 で あ ろ う 。 ま た 、 私 よ り 見 て 不審
に 思 わ れ る の は 、 文 暦 二年
二 二 → 二 五 年 ) 六 月 十 九 日 の 「 愚 禿親
鸞 書 之 」 の 語 で あ る 。 「 書 之 」 と は 、 普 通、 書 写 で は な く、著
作 し た こ と を 意 味 す る語
で は な か ろ う か 。 例 え ば 、 道 元 の 『 正 法 眼 蔵 』 に つ い て み る と 、懐
奘
等 が 書 写 し た 場 合 、 「 書 写 之 」 と書
く の が通
例 であ
っ て 、 そ れ を 「 書 之 」 と 書 く こ と は あ り え な い 。 親鸞
は 、 『 西 方 指 南 抄 』 真 蹟 本 の 六 冊 中 の 四 冊 の 奥 書 き に も 、 「 書 之 」 と 書 い ( 4 ) て い る が 、 こ こ で も、 「 書 之 」 は 、 単 な る 書 写 と い う行
為 以L
の 意 義 を も っ て い る と 思 わ れ る 。 い ず れ に せ よ 、 『唯
信 鈔 』 の撰
述 、 書 写 の年
代 に 関 し て 、 疑 問 が 皆無
と い う わ け で は な い で あ ろ う 。 ま た こ こ で 私 の 素 朴 な 疑 問 を 述 べ て お け ぽ 、 親 鸞 は 、 何 一 一 九NII-Electronic Library Service 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) 故、 自 己 の
著
作 、 ま た は 書 写 に つ い て 、 そ の奥
書
ぎ に 年 令 を 記 す の で あ ろ う か 。 こ れ は 極 め て 珍 し い こ と で 、 法 然 ・ 道 元 ・ 日 蓮 の 著 作 に こ の よ う な 例 は見
ら れ な い と思
わ れ る 。 今 日 の 感 覚 か ら 言 っ て も、 著 者 が 論 文 や 著 作 に 脱稿
の 年 月 日 を書
く こ と は あ っ て も、 自 己 の年
令 を 記す
こ と は な い 。 こ れ は 、 日 本 や 諸 外 国 の 作 家 ・ 文 学者
も す べ て 同様
で あ ろ う 。 で は 、 親 鸞 は 何 故 に 自 己 の 年 齢 を 、 し か も 七 十 才代
、 八 十 才 代 と い う 非 常 に 高令
な 年 令 を 明 記 し た の で あ ろ う か 。 こ れ を親
鸞
の 性 向 と 言 っ て し ま え ば そ れ ま で で あ る が 、 そ こ に は 何 等 か の 理 由 が あ っ た の で あ ろ う か 。 さ て 、 私 が 『唯
信 鈔 』 を 親 鸞 の著
作 と 考 え る の は 、 そ の 内 容 面 の 考 察 に も と つ い て い る の で 、 以 下 は こ の 『唯
信 鈔 』 の 内 容 的 、 思 想 的 問 題 に 議 論 を 移 す こ と に し よ う 。議
論 を 明 確 な も の に す る た め 、 平 氏 の 解 釈 の検
討
か ら 始 め た い 。 ま ず 、 『唯
信 鈔 』 に は 、 次 の よ う に 、 説 か れ て い る 。 ふ た つ に は 浄 土 門 と い ふ は 、 今 生 の 行 業 を 廻 向 し て 順 次 生 に 浄 土 に む ま れ て 浄 土 に し て 菩 薩 の 行 を 具 足 し て、 佛 に な ら む と 願 す る な り 。 こ の 門 は 宋 代 の 機 に か な え り 。 ま こ と に た く み な り と す。 た ゴ し こ の 門 に ま た ふ た つ の す ぢ わ か れ た り 。 ひ と つ に は 諸 行 往 生 ふ た つ に は 念 佛 往 生 な り 。 諸 行 往 生 と い ふ は 、 あ る い は 父 母 に 孝 養 し 、 あ る い は 師 長 に 奉 事 し、 あ る い は 五 戒 八 戒 を た も ち、 あ る い は 布 施 忍 辱 を 行 じ、 ら し て 浄 土 に 往 生 せ む と ね が ふ な り 。 一 二 〇 乃 至 三 密 一 乗 の 行 を め ぐ こ れ み な 往 生 を と げ ざ る に あ ら ず、 一 切 の 行 は み な こ れ 浄 上 の 行 な る が ゆ へ に 。 た ゴ こ れ は み つ か ら 行 を は げ み て 往 生 を ね が ふ が ゆ へ に 自 力 の 往 生 と な つ く、 行 業 も し お ろ そ か な ら ぽ 往 生 と げ が た し 、 か の 阿 彌 陀 佛 の 本 願 に あ ら ず、 攝 取 の 光 明 の て ら さ ざ る と こ ろ な り 。 ( 『 真 聖 全 』 二 、 七 四 〇 頁 ) こ こ で は 、 「 浄 土 門 」 に 「 ふ た つ の す ぢ 」 が分
れ て い る と し 、 そ れ を 「 諸 行 往 生 」 と 「念
仏 往 生 」 と し た 上 で 、 「 諸 行 往 生 」 が 説 明 さ れ て い る 。 こ こ で 、 「 こ れ み な往
生 を と げ ざ る に あ ら ず 」 と 言 わ れ て い る の は 、 「諸
行 往 生 」 が 認 め ら れ て い る こ と 、 つ ま り 、” 諸 行 に よ っ て 往 生 で き る ” と い う こ と が 認 め ら れ て い る こ と を 示 し て い る 。 ま た 、 「 か の 阿 弥
陀
仏 の 本 願 に あ ら ず 」 と は 、 「 諸 行 」 が 阿 弥陀
仏 の 本 願 で な い こ と 、 つ ま り、 ” 諸 行 非 本 願 ” と い う 立 場 を 示 し て い る 。 従 っ て 、 以 上 の 二 点 を 合 す れ ぽ 、 こ こ に は 、” 諸 行 往 生 ” と ” 諸 行 非 本 願 ” が と も に 認 め ら れ て お り 、
”
諸
行 は 本 願 で は な い が 、諸
行 に よ っ て 往 生 でき
る ” と い う 立 場 が 説 か れ て い る と い う こ と に な る 。 そ れ 故 こ の 点 で は 、 記 述 に 対す
る 平 氏 の 、 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 諸 行 を 弥 陀 の 本 願 で は な い と の 立 場 を と り な が ら も、 す べ て 往 生 行 で あ る と し 自 力 往 生 ・ 諸 行 往 生 の 可 能 性 を 認 め て し ま っ て い る 。 ( 『 日 本 中 世 』 三 六 六 1 ⊥ 二 六 七 頁 ) と い う 評 価 は 正 し い と 思 わ れ る 。 た だ し 、 「 認 め て し ま っ て い る 」 と い う 平 氏 の 言 葉 は 、
暗
に ” 認 め る ” こ と が 、 不適
切 で あ る と い う 意味
を 含 ん で い る 。 つ ま り 、 平 氏 は 、 少 な い 史 料 だ け に 判 断 は む ず か し い が 、 以 上 の 聖 道 ・ 諸 行 ・ 雑 修 に 対 す る 姿 勢 の 中 で 、 法 然 の 思 想 と の 対 比 上 、 特 に 注 目 す べ き は 諸 行 往 生 の 容 認 と い う 事 実 で あ ろ う。 な ぜ な ら こ れ は 、 念 仏 以 外 の 諸 行 が 非 往 生 行 で あ る こ と を 論 証 し よ う と し た 法 然 の 『 選 択 集 』 と は 、 思 想 的 立 場 が 決 定 的 に 異 質 だ か ら で あ る 。 ( 同 右、 一. 「 六 七 頁 ) と 言 わ れ る よ う に 、 『 唯 信鈔
』 の 「 諸行
往 生 の 容 認 」 と い う 立 場 は 、 『 選 択集
』 の 「 諸 行 が 非 往 生 行 で あ る こ と 」 、 つ ま り、 ” 諸 行 に よ っ て は往
生 で き な い ” と い う 『 選 択 集 』 の 立 場 と は 異 質 で あ る と さ れ る の で あ. る 。 こ の 平 氏 の 『 選 択集
』 ( 5 ) 理 解 が 不 適 切 で あ る こ と に つ い て 、 私 は す で に 論 証 し た 。 即 ち 、 『 選 択 集 』 の 第 十 二章
に 、 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) こ モ ノ ト 縦 雖 レ 無 二 余 行 一 、 九 七 六 頁 ) 怯・ 孝 養 奉 嘉 、 海 一 往 生 業 一 也。 ( 『 真 聖 全 』 一 、 等 と あ る の は 、 「孝
養 奉 事 」 等 の 諸 行 に よ っ て 往 生 で き る と い う 立 場、 つ ま り 、 「 諸 行 往 生 の 容 認 」 を 示 し て い る で あ ろ う 。 ま た 、 『唯
信 鈔 』 の 「 め ぐ ら し て 」 と い う 語 に つ い て 言 え ば 、 『 選 択集
』 が 、 “ 雑 行 を 廻 向 す る こ と に よ っ て 往 生 で き る ” と い う 立 場 を 説 い て い る こ と は 、 明 ら か で あ る 。 即 ち、 法 然 は 、 『 選 択 集 』 第 二 章 で 、 若 行 後 雑 行 即 心 常 間 断 。 右、 五 三 八 頁 ) と い う 『観
経疏
』 集 』第
二章
で 、 雖 可 迴 向 得 生 、 衆 名 疎 雑 之 行 也 。 〔 同 ( 6 ) の 言葉
を 二 回 引 用 し 、 ト イ フ ハ ス ル ァ ハ 回 向 者、 修 一 雑 行 一 者、 九 三 七ー
九 三 八 頁 ) ズ フ ル ヲ 必 用 一 回 向 「 之 時、 ま た 自 ら も 、 『 選 択 成 二 往 生 之 因 一 。 ( 同 右 、 と 述 べ て い る 。 従 っ て 、 基 本 的 に は 、 『唯
信 鈔 』 の 所 説 は 、 『選
択 集 』 の 立 場 と 矛 盾 す る も の で は な い と 考 え ら れ る 。 コ 畠 一NII-Electronic Library Service 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) ま た 、 親 鸞 自 身 も、 『 一 念 多 念 文 意 』 で 、 お ほ よ そ、 八 萬 四 千 の 法 門 は、 み な こ れ 浄 土 の 方 便 の 善 な り 、 こ れ を 要 門 と い ふ 、 こ れ を 假 門 と な づ け た り。 ( 『 真 聖 全 』 二 、 六 一 五 頁 ) と 述 べ て い る 。 こ こ に 見 ら れ る 「 み な こ れ 浄 土 の 方 便 の
善
な り 」 と 『 唯 信鈔
』 の 「 こ れ み な 往 生 を と げ ざ る に あ ら ず 、 一 切 の 行 は み な こ れ 浄 土 の行
な る が ゆ え に 」 と は 、 趣 旨 が 一 致 し 、 表 現 も 類 似 し て い る と 思 わ れ る 。 た だ し 、 『 唯 信 鈔 』 で 注意
す べ き 点 は む し ろ、 た だ こ れ は み つ か ら 行 を は げ み て 往 生 を ね が ふ が ゆ へ に 自 力 の 往 生 と な つ く、 行 業 も し お ろ そ か な ら ば 往 生 と げ が た し 。 と い う “ た だ し 書 き ” に あ る の で あ り 、 こ こ に 、 法 然 と は 異 な る 『 唯 信 鈔 』 の 著 者 の 独自
性 が あ る の で あ る 。 即 ち 、 「 自 力 」 「 他 力 」 と い う 語 に つ い て 言 え ば 、 こ れ は 『 選 択 集 』 で ( 7 ) 各 一 回 し か 用 い ら れ て い な い 。 そ れ は 、 『浄
土 論 』 か ら の 引 用文
中 に 見 ら れ る も の で 、 そ の 引 用 文 を 含 む 当 該 の 『 選 択 集 」 の 論 述 を 示 せ ば 、 次 の 通 り で あ る 。 一 二 ニ ク ノ ニ ク く ま ゆ コ ノ ヲ ウ 且 雲 鸞 法 師 『 往 生 論 註 』 云 。 「 謹 案 二 龍 樹 菩 薩 十 住 眦 婆 沙 一 云 、 ム ル ヲ リ ノ ニ ハ ヘ ニ 菩 薩 求 二 阿 眦 跋 致. 、 有 二 二 種 道 一 。 一 者 難 行 道、 二 者 易 行 道 。 難 ハ ク ア ノ ム ル ヌ ヲ ん ト ノ 行 道 者、 謂 於一五
濁 之 世 、 於 無 佛 時 . 、 求 ・ 阿 眦 跋 致 一 為 ノ 難 。 此 ニ ノ リ ロ こ ヒ ア ヲ テ サ ノ ノ ヲ れ ノ ハ ル ノ 難 乃 有 二 多 途 一 。 粗 言・ ・ 五 三” 以 示 二 義 意 。 } 者 外 道 相 善 離 二 菩 薩 ブ ハ ハ ニ メ ア ヲ ニ ハ ノ ス ノ ヲ エ ハ 法 一 、 ⇒ 者 声 聞 自 利 障 二 大 慈 悲 一 、 三 者 無 顧 悪 人 破 二 他 勝 徳 一 、 四 ノ ク ス ヲ ニ ハ ダツ キ ノ ノ 者 顛 倒 善 果 能 壊 二 梵 行 一 、 五 者 唯 是 自 力 無 一一 他 力 持 一 . 如 = 斯 等一 事 ル キ し ノ ヘ パ ノ ノ ハ チ ソ キ ガ バ ク テ ノ ヲ 觸 日 皆 是 。 譬 如 二 陸 路 歩 行 則 苦 一 易 行 道 者 、 謂 但 以 二 信 佛 因 縁 一 ス ゼ ノ ト ご メ ニ チ ノ ム ヲ ノ ノ ニ メ テ ル 願 レ 生 「 浄 土 「 。
乗
一 佛 願 力 便 得 二 往 二 生 彼 清 浄 土 。 佛 力 住 持 即 入 ち ハ チ ナ リ ヘ パ ノ ト メ ヨ チ か ル ・ 大 乗 正 定 乃 聚 一 。 正 定 即 是 阿 毘 跋 致 。 謦 如永
路 乗 / 船 則 楽 」 。ザ
屯響
葬
、 肌蠡
道 門 也 . 易 往馨
、 既 是塗
門 也 . 難 ノ モ ト ノ ジ 行 ・ 易 行、 聖 道 ・ 浄 上、 其 言 雖 レ 異 其 意 是 同 。 ( 『 真 聖 全 』 一 、 九 三 二 頁 ) つ ま り 、 法 然 は 、 『 選 択集
』 の 地 の 文 で は 、 「 自 力 」 「 他 力 」 の 語 を 全 く 用 い て い な い の で 、 『 観 経 疏 』 で 「 自 力 」 「 他 力 」 の 語 を 全 く 用 い な か っ た 善 導 と 同 様 に 、 法 然 も 「 自 力 」 「 他 力 」 の 区 別 を 強 調 し な か っ た と私
は 考 る の で あ る が 、 い ず れ に せ よ 、 法 然 が 認 め た 「 自 力 」 「 他 力 」 の 区 別 と は 、 次 の よ う な も の で あ る こ と が 、 記述
末 尾 の 法 然 自身
の語
に よ っ て 、 明 ら か で あ る 。 聖 道 門11
難 行道
11
自 力浄
土 門11
易 行 道11
他 力 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University し か る に 、 『 唯 信
鈔
』の “ た だ し 書 き ” に お け る 「
自
力 」 の 用 法 は 、 こ の 『 選 択 集 』 の 区 別 と は 、 明 ら か に 異 な る の で あ る 。 即 ち 、 『 選 択 集 』 に お い て 「 自 力 」 は 、 「 聖 道 門 」 を 意 味 し て い た の に 、 の “ た だ し 書 き ” で は 、 「浄
土 門 」 中 の 「諸
行
往 生 」 に つ い て 「自
力 」 の 語 が 使 わ れ て い る の で あ る 。 ま た 、 『 唯 信 鈔 』 で は 、に 続 け て 、 と げ ざ る に あ ら ず 」 と い う 「 諸 行 往
生
の 容 認 」 と 明 確 に矛
盾 す る こ と に な っ て し ま う か ら で あ っ て 、 著 者 の本
音 は 、 “ 「 自 力 」 に よ っ て は 往 生 で き な い ” と い う 考 え 方 で あ っ た の で は な い か と 思 は れ る 。 ” 「 自 力 」 に よ っ て は 、 往 生 で き な い ” と い う考
え 方 は 、 法 然 作 と さ れ る 『 念仏
往 生 要 義 抄 』 に 、 Kom 三1z三1w三1 Unlverslty ふ た つ に 念 佛 往 生 と い ふ は 阿 弥 陀 の 名 號 を と な え て 往 生 を ね が ふ な り 。 こ れ は か の 佛 の 本 願 に 順 ず る が ゆ へ に 正 定 の 業 と な つ く 。 ひ と え に 弥 陀 の 願 力 に ひ か る る が ゆ へ に、 他 力 の 往 生 と な つ く。 ( 『 真 聖 全 』 二 、 七 四 〇 頁 ) と 言 わ れ る こ と か ら 、 そ の 著 者 が 、 「 諸 行 往 生 」 と 「念
仏 往 生 」 を 「 自 力 の 往 生 」 と 「 他 力 の 往 生 」 と 見 な し て い る こ と は 、 明 ら か で あ る 。 し か る に 、 そ の 『 唯 信 鈔 』の “ た だ し
書
き ” に お け る 「 自 力 」 と い う 語 と 、 「 往 生 と げ が た し 」 と い う 語 を 直 結 し て み る と 、 こ こ に は 、 ” 「 自 力 」 に よ っ て は 、 「 往 生 とげ
が た し 」 ” と い う 立 場 が 浮 び 上 が っ て く る の で あ る 。 確 か に 、 『唯
信鈔
』 の 著 者 は 、”
往
生 す べ か ら ず ” と い う 語 を 用 い て 、 “ 「 自 力 」 に よ っ て は 、往
生 で き な い ” と ま で は 言 っ て い な い 。 し か し 、 こ れ は 、 そ の よ う に 言 え ば 、 「 こ れ み な往
生 を 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) 他 力 の 念 仏 は 往 生 す べ し 、 ず 。 ( 『 法 全 』 六 八 二 頁 ) 自 力 の 念 仏 は ま た く 往 生 す べ か ら と い う 語 に お い て 、 明 確 に 示 さ れ て い る が 、 私 は こ の書
物 を 、 『 選 択 集 』に お け る 「 自 力 」 と 「 他 力 」 の 区 別 に 合 致 ( 8 ) し な い が 故 に 、 偽 撰 と 考 え て い る の で あ る 。 し か る に 、 「 念 仏 」 に 「 自 力 」 と 「 他 力 」 を 区 別 し 、
“ 「 自 力 の 念 仏 」 に よ っ て は 、 往 生 で き な い ” と い う 考 え 方 は 、 隆 寛 作 と さ れ る 『 自 力 他 力 事 』 に も 、 次 の よ う に 認 め ら れ る の で
あ
る 。 念 佛 の 行 に つ き て 自 力 他 力 と い ふ こ と あ り 。 こ れ は 極 楽 を ね が ひ て 彌 陀 の 名 号 を と な ふ る 人 の 中 に 、 自 力 の こ ふ ろ に て 念 佛 す る 人 あ り 。 ま つ 自 力 の こ Σ う と い ふ は、 身 に も わ ろ き こ と を ぽ せ じ、 口 に も わ ろ ぎ こ と を ぽ い は じ、 心 に も ひ が ご と を ば お も は じ と、 加 様 に つ 瓦 し み て 念 佛 す る も の は 、 こ の 念 佛 の ち か ら 一 二一 二NII-Electronic Library Service 『 唯 信 鈔 』 に つ い て 〔 松 本 ) に て 、 よ う つ の つ み を の ぞ き う し な ひ て 、 極 楽 へ か な ら ず ま い る ぞ と 、 お も ひ た る 人 を ば、 自 力 の 行 と い ふ な り 。 加 様 に わ が 身 を つ 」 し み と エ の へ て 、 よ か ら ん と お も ふ は め で た け れ ど も、 ま つ 世 の 人 を み る に、 い か に も
く
お も ふ さ ま に つ エ し み え ん こ と は 、 き は め て あ り が た き こ と な り 。 そ の う へ に 、 彌 陀 の 本 願 を つ やく
と し ら ざ る と が の あ る な り 。 さ れ ぽ い み じ く し え て 往 生 す る 人 も、 ま さ し き 本 願 の 極 楽 に は ま い ら ず、 わ つ か に そ の ほ と り へ ま い り て、 そ の と こ ろ に て 本 願 に そ む き た る つ み を つ ぐ の ひ て の ち に 、 ま さ し ぎ 極 楽 に は 生 ず る な り 。 こ れ を 自 力 の 念 佛 と は ま う す な り 。 ( 『 真 聖 全 』 二 、 七 七 〇 頁 ) し か も 、 こ の 『自
力 他 力 事 』 も、 後 論 す る よ う に 、 隆 寛 の著
作 で は な く、 親鸞
の 著 作 と考
え ら れ る の で 、 『 自 力 他 力 事 』の 「 自 力 の 念 仏 」 と 『 唯 信
鈔
』 の 「 自 力 の 往 生 」 と い う 語 は 、 殆 ん ど 同 義 で あ る と 思 わ れ る 。勿
論 、 『唯
信 鈔 』 の 「自
力 」 「 他 力 」 の 用 法 と 、 『 自 力 他 力事
』 や 『 念 仏 往 生要
義
抄 』 の 「 自 力 」 「 他 力 」 の 用 法 と は 、表
面 的 に は 相 違 し て い る こ と は 認 め ざ る を得
な い 。 即 ち 、 『 唯 信 鈔 』 は 、 聖 道 門 浄 土 門宀
轢
期
健
二 四 と 説 く の に 対 し 、 『 自 力 他 力 事 』 『念
仏往
生 要 義 抄 』 で は 、 念 仏自 力 の 念 仏 「 他 力 の 念 仏 と 説 く か ら で あ る 。 し か し 、 い ず れ に お い て も 、
” 自 力 に よ っ て は
往
牛 で き な い ” と い う 観 念 が 、 そ の 所 説 の 根底
に あ る こ と は 確 実 で あ る と 思 わ れ る 。 し か る に 、 こ の “ 自 力 に よ っ て は 往 生 で き な い ” と い う 考 え 方 は 、 法 然 よ り 後 、 特 に 親 鸞 系 に お い て 、 強 く 主 張 さ れ た も の だ と 思 わ れ る. . 例 え ば 、 弁 長 の 『 徹選
択 集 』 に は 、 問 日 、 有 人 云、 他 力 往 生 者 是 往 生 正 行 也 。 自 力 往 生 者 全 非 二 其 正 行 一 也 。 是 義 如 何 。 答 日、 当 世 之 人 人 盛 談・ 此 義 一 。 其 本 文 何 処 乎 。 善 導 和 尚 不 レ 立 二 自 力 他 力 之 名 目 。 又 非 一 曇 鸞 道 綽 所 立 之 自 力 他 力 之 義 一 。 彼 十 住 毘 婆 沙 論 意、 約 三 菩 薩 求一 阿 稗 跋 致 一 立噂 ・ 自 力 他 力 一 。 曇 鸞 道 綽 依 二 此 意 一 也 。 我 身 無 行 不 ノ 唱 二 稱 名 一 、 偏 取 一 信 心 一 以 之 為 一 他 力 皿 、 全 無 二 其 本 文 一 . 、 小 智 之 輩 立 二 此 邪 義 一 、 自 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 迷 迷 他 尤 罪 業 之 至 也 。 早 早 起 一 改 悔 之 心 「 。 ( 大 正 八 三 、 三 〇 ド ー 三 一 上 ) 急 急 翻 〆 邪 而 帰 ノ 正 。 と あ り 、 「 自 力 往 生 者 、 全 非 其 正 行 也 」 と い う 考 え 方 が 、 当 時 流 行 し た こ と を 伝 え て い る 。 勿 論、 弁 長 は こ の よ う な
考
え 方 を 、 「 邪 義 」 と し て 否 定 し て い る の で あ る が 、 こ の 「 邪 義 」 を 弁 長 が 「 不 唱称
名、 偏取
信
心 、 以 之 為他
力 」 と 規 定 し て い る こ と か ら 見 て 、 こ こ に は 、親
鸞 の ” 信 心 正 因 ” 説、 あ る い は 、 他 力 説 と 極 め て 近 似 し た考
え 方 が 、 批判
さ れ て い る こ と は 、 明 ら か で あ ろ う 。 ま た 、 こ の よ う な 観点
か ら 見 る と き 、 記 述 の 「 自 力 往 生 者、 全非
其 正 行 也 」 に は 、 や は り “自
力 に よ っ て は 往 生 で き な い ” と い う 考 え 方 が 認 め ら れ る と 思 わ れ る 。 つ ま り 、 「 全 非 其 正 行 也 」 と は 、 単 に ” 往 生 の 正 行 で は な い ” と い う だ け で は な く 、 “ 全 く 往 生 の 正 行 で は な い ” と い う こ と を 意 味 す る で あ ろ う 。 つ ま り 、 「 全 非 」 に は 、 往 生 を 全 否 定 す る 語 感 が 感 じ ら れ る 。 と す れ ぽ、 「 自 力 往 生 者 全 非 其 正 行 也 」 と い う 表 現 は 、 『 唯 信 鈔 』 の 「 自 力 の往
生 と な つ く 、 行 業 も し お ろ そ か な ら ぽ 、 往 生 と げ が た し 」 と い う語
と 、 ほ ぼ 同 趣 旨 と 見 る こ と が で き る で あ ろ う 。 ま た 私 が 、 こ の 「往
生 とげ
が た し 」 と い う 『 唯 信鈔
』 の 言葉
は ” 自 力 に よ っ て 往 生 す る の は 難 か し い が 、 し か し 、 自 力 に よ っ て往
生 す る こ と も で ぎ る ” と い う こ と を 意 味 し て い 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) る の で は な く、 む し ろ “ 自 力 に よ っ て 往 生 す る こ と は で き な い ” と い う こ と を 説 い て い る と 考 え る 理 由 の 一 つ は 、 『 末 灯鈔
』第
「 二 通 に 、 信 心 あ り と も、 を と な ふ と も、 全 』 二 、 名 號 を と な へ ざ ら ん は 詮 な く 候。 ま た 一 信 心 あ さ く ば 往 生 し が た く さ ふ ら ふ 。 六 七 三 頁 ) 向 名 號 ( 『 真 聖 と述
べ ら れ る こ と に あ る の で あ る 。 す で に 別 に 考察
し た よ う 〔 9 ) に 、 こ こ で 、 「 信 心 あ さ く ば 往 生 し が た く さ ふ ら ふ 」 と い う の は 、 親 鸞 が “ 信 か 名 号 か ” の 問 題 を 故 意 に 不 明瞭
な も の と し て い る の で あ っ て 、 親鸞
の 真 意 は、” 信 心 が な
け
れ ば 往 生 で き な い ” と い う ”信
心 正 因 ” 説 な の で あ る 。 そ れ と 同 様 に 、 『 唯 信 鈔 』の 「
往
生 と げ が た し 」 と い う 表現
の背
後
に あ る の は 、“ 自 力 に よ っ て は 往 生 で き な い ” と い う 『
唯
信 鈔 』 の著
者 、 即 ち 、 親鸞
の 根 本 的 な 確 信 で あ ろ う 。 こ の よ う に 考 え れ ぽ 、 『 唯 信鈔
』 に は 、 む し ろ 親鸞
独 自 の 考 え方
、 つ ま り、” 信 心 正 因 ” 説 が 説 か れ て い る と 見 る こ と が で き る で あ ろ う 。 さ て 、 親
鸞
の ” 信 心 正 因 ” 説 は 、” 名 号 か
信
か ” と い う 問 題意
識 な く し て 生 じ な か っ た と 思 わ れ る が 、 “ 名 号 か 信 か ” と い う 問 題 は 、 親鸞
に お い て は 、 ” 名 号 ( 念 仏 ) か 三 心 ” か 一 二 五NII-Electronic Library Service 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) と い う 議 論 の 枠 組 に お い て 扱 わ れ る こ と が 多 い 。 つ ま り 、 松 野 博 士 の 表 現 を 用 い れ ば 、 親 鸞 は 、 三 心 を 深 心 ( 信 心 ) の 一 心 に “ つ め た ” の で あ っ て 、 こ の 三 心 を 一 心 に つ め て 、 一 心 の 信 心 を 強 く 打 ち 出 し た の は 親 鸞 で あ っ た 。 そ れ は い わ ゆ る 三 心 一 心 の 問 答 を 試 み て 、 三 心 を 一 心 の 信 心 に 結 帰 さ せ て い る こ と で 明 ら か で あ る 。 ( 『 親 鸞 』 二 三 八 頁 ) と い う 博 士 の 説 明 は 、 全 く 適 切 で あ ろ う 。 つ ま り 、
摘
さ れ た よ う に 、 『 教 行 信 証 』 「 信 巻 」 に は 、 ヲ 彌 陀 如 来 雖 〆 發 一 ヨ. 心 一 セ ル じ 為L
歟 。 ( 『 真 聖 全 』 ノ テ ス ヲ 、 涅 槃 員 因 唯 以 二 信 心 一 、 二 、 五 九 頁 )博
士 が 指 ノ ニ ノ テ ヲ 是 故 論 主 合 / 三 と あ り、 こ こ で 「 三 心 」 は 「 信 心 」 の 一 心 に つ め ら れ て い る の で あ る 。 ま た 、 「 涅槃
真 因 唯 以 信 心 」 と い う 表 現 に 、 「 信 心 」 を 往 生 の 正 因 と す る ” 信 心 正 因 ” 説 が 説 か れ て い る こ と は 、 言 う ま で も な い 。 こ の 親 鸞 の “ 信 心 正 因 ” 説 は 、 『 教 行 信 証 』 「 行 巻 」 末 尾 の 「 正 信 念 仏 偈 」 に も 正 定 之 因 唯 信 心 。 速 入 寂 静 無 為 楽 、 一 二 六 ( 『 真 聖 全 』 二 、 四 五 頁 ) 必 以 信 心 為 能 入 。 ( 同 右 、 四 六 貞 ) と い う 語 に 示 さ れ て い る 。 記述
は 、 親
鸞
が そ れ ぞ れ曇
鸞
と 法 然 の 説 と し て述
べ る 語 で あ る が 、 し か し そ こ に は む し ろ 親鸞
自 身 の ” 信 心 正 因 ” 説 が 示 さ れ て い る の で あ る 。 ま た 、 最 も 明 快 な ” 信 心 正 因 ” 説 は 、 『 末 灯鈔
』第
一 通 の 、 信 心 の さ だ ま る と き 往 生 ま た さ だ ま る な り。 ( 同 右 、 六 五 六 頁 ) と い う 言 葉 に 見 ら れ る で あ ろ う 。 し か る に 、 『 唯 信 鈔 』 も ” 名 号 ( 念 仏 ) か 信 か ” の 問 題 を 、 “名
号 か 】. 一 心 か ” と い う 問 題 と し て 論 じ る の で あ る 。 即 ち 、 まず
、 次 の よ う な 一 節 が あ る 。 つ ぎ に 念 佛 を ま ふ さ む に は 三 心 を 具 す べ し 、 た ゴ 名 号 を と な ふ る こ と は た れ の 人 か 一 念 十 念 の 功 を そ な え ざ る 。 し か は あ れ ど も 往 生 す る も の は き わ め て ま れ な り、 こ れ す な わ ち 三 心 を 具 せ ざ る に よ り て な り 。 『 觀 無 量 壽 經 』 に い は く 「 具 三 心 者 必 生 彼 國 」 と い へ り 。 善 導 の 釈 に い は く、 「 具 三 心 必 得 往 生 也 、 若 少 一 心 即 不 得 生 」 と い へ り 。 一. 一 心 の 中 に 一 心 か け ぬ れ ぽ 、 む ま る 乂 こ と を え ず と い ふ 。 よ の 中 に 彌 陀 の 名 號 を と な ふ る 人 お ほ N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty け れ ど も 、 往 生 す る 人 の か た き は、 り と こ 」 ろ う べ し 。 ( 『 真 聖 全 』 二 、 こ の 三 心 を 具 せ ざ る ゆ へ な 七 四 六 レ ] 四 七 頁 ) こ こ で 、 傍 線 を 付 し た 部 分 に あ る 「
往
生 す る も の は き わ め て ま れ な り 」 と か 「 往 生 す る 人 の か た き 」 と い う の は 、 親 鸞 が 例 の 曖 昧 な 表 現 を 用 い て い る の で あ っ て 、 親 鸞 の 真 意 は あ く ま で も、 “ 名 号 を 称 え て も 、 三 心 が な け れ ば 、 往 生 で き な い ” と い う も の な の で あ り、 し か も、 こ の 「 三 心 」 と は 、 次 に 見 る よ う に 、 「 信 心 」 を 意 味 し て い る か ら 、 こ こ で は 、 ” 信 心 が な け れ ぽ 往 生 で き な い ”“ 信 心 が あ れ ぽ 往 生 で き る ” と い う “ 信 心 正 因 ” 説 が 説 か れ て い る こ と は 確 実 で あ る 。 で は 、 『 唯 信 鈔 』 は ど の よ う に 三 心 を 信 心 ( 深 心 ) の 一 心 に つ め る の で あ ろ う か 。 次 の よ う に 述 べ ら れ て い る 。 佛 力 を う た が ひ 、 願 力 を た の ま ざ る 人 は 菩 提 の き し に の ぼ る こ と か た し 。 だ ゴ 信 心 の て を の べ て 誓 願 の つ な を と る べ し 。 佛 力 無 窮 な り 、 罪 障 深 重 の み を お も し と せ ず 。 佛 智 無 邊 な り 、 散 亂 放 逸 の も の お も す つ る こ と な し 。 た だ 信 心 を 要 と す 。 そ の ほ か お ば か へ り み ざ る な り 。 信 心 決 定 し ぬ れ ば 三 心 お の ず か ら そ な わ る、 本 願 を 信 ず る こ と ま こ と な れ ば 虚 假 の こ L う な し 、 浄 上 を ま つ こ と う た が ひ な け れ ば 廻 向 の お も ひ あ り.、 こ の ゆ へ に 三 心 こ と な る に に た れ ど も、 み な 信 心 に そ な わ れ る な り 。 ( 『 真 聖 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) 全 』 二 、 七 五 〇 頁 ) こ こ に 、 「 た だ 信 心 を 要 と す 」 と い う 語 が 見 ら れ る が 、 こ れ こ そ 『 唯 信
鈔
』 全 体 の 中 心 テ ー マ で あ り 、 『唯
信 鈔 』 の 書 名 の 由 来 と も な っ た も の で あ り、 か つ そ の 著 者 で あ る親
鸞
の ” 信 心 正 因 ”説
を 何 よ り も 端 的 に 示 す 語 で あ る と 思 わ れ る 。 さ て 、 再 び平
雅
行 氏 の 議 論 に戻
れ ぽ 、 氏 は 次 の よ う に 言 わ れ る 。 『 唯 信 鈔 』 に つ い て 更 に 指 摘 し て お く べ き は、 一 念 義 へ の 態 度 が 想 像 以L
に 厳 し い こ と で あ る 。 例 え ば 聖 覚 は 、 ま つ 専 修 念 仏 と い ふ て 、 も ろ も ろ の 人 乗 の 修 行 を す て 」 、 つ ぎ に 一 念 の 義 を た て 」 、 み つ か ら 念 仏 の 行 を や あ つ 、 ま こ と に こ れ 魔 界 た よ り を え て 、 末 世 の 衆 生 を た ぶ ろ か す な り と 、 一 念 義 の 流 布 を 魔 界 の 仕 業 と ま で 語 っ て い る 。 顕 密 仏 教 的 浄 土 教 の 枠 内 に あ っ た 聖 覚 が 、 自 力 念 仏 ・ 諸 行 往 生 ・ 聖 道 得 悟 を 否 定 す る → 念 義 を 厳 し く 非 難 し た と し て も、 も は や 不 思 議 は な か ろ う 。 そ し て 十 月 十 五 日 の 聖 覚 ら の 要 求 内 容 の 一 つ に 、 一 念 義 の 中 心 人 物 た る 幸 西 の 逮 捕 と 流 罪 の 実 現 が 入 っ て い た こ と を 思 え ぽ、 聖 覚 が 弾 圧 へ と 積 極 的 に 動 く 可 能 性 も 十 分 あ っ た と 言 わ な け れ ぽ な ら な い 。 こ の よ う に 『 唯 信 鈔 』 そ の も の の 中 に 、 聖 覚 が 弾 圧 へ と 動 く コ 一 七NII-Electronic Library Service 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) 可 能 性 を 見 て と る こ と が で き た 。 頁 ) ( 『 日 本 中 世 』 三 六 七 ー 三 六 八 こ こ で 平 氏 は 、 『 唯 信
鈔
』 よ り あ る 文章
を取
りE
げ る こ と に よ っ て 、 そ の 著 老 と さ れ る 聖覚
が 」念
義 ” を厳
し く 批 判 し た と い う こ と 、 及 び 、 そ の 聖 覚 の “ 一念
義 ” に 対 す る 批 判 的姿
勢 が 聖 覚 を専
修 念 仏 の 弾 圧 へ 積 極的
に 加 担 さ せ る 思 想 的 根 拠 に な っ た と い う こ と を 主 張 さ れ て い る 。 こ の 平 氏 の 解 釈 ( 10 ) は 、 残 念 な こ と に 袴 谷 憲 昭 氏 に よ っ て も 無 批 判 に 承 認 さ れ た の で あ る が 、 基 本 的 な 誤 解 に も と つ い て い る 。 と い う の も、 平 氏 が 取 り 上 げ た 文章
が 、 『 唯 信 鈔 』 の 著 者自
身 の 立 場 を 示 す も の で は な い か ら で あ る 。 ま た 、 『 唯 信 鈔 』 の 著 者 を ” 冖念
義 ” の 批判
者 と 見 る 平 氏 の 右 の 解 釈 は 、 氏 よ り も 遥 か 以 前 に 示 さ れ た 松 野博
士 の 詳 細 な 研 究 を 踏 ま え て お ら ず 、 あ る 意 味 で は 、 そ こ か ら 大 き く後
退 し て い る 。 と い う の も 、 松 野 博 士 はす
で に 、 次 の よ う に 言 わ れ て い る か ら で あ る 。 す な わ ち 、 → 念 義 の 理 ま こ と に し か る べ し 」 と、 い る 。 聖 覚 に よ る と、 一 文 な の で あ る か ら 、 「 往 生 の 業 一 念 に た れ り と い ふ は 、 そ の 一 念 往 生 の 立 場 の 正 当 性 を 認 め て 」 念 義 の 「 乃 至 } 念 」 と い う の は 経 典 の 正 し い と せ ね ぽ な ら な い 。 そ れ は 経 典 の 一 二 八 文 を 信 じ な け れ ば 仏 語 を 信 じ な い こ と に な る か ら で あ る と い う の で あ る 。 し た が っ て 、 「 一 念 を す く な し と お も ひ て 偏 數 を か さ ね ず ば 往 生 し が た し と お も は ぽ 、 ま こ と に 不 信 な り と い ふ べ し 」 と、 多 念 義 的 立 場 の 不 当 を 述 べ て い る 。 こ の 意 味 で は 彼 は 一 念 義 の 立 場 に あ っ た と 言 わ ね ぽ な ら な い. 、 し か し 、 彼 は 一 念 義 の 立 場 か ら 称 名 の 念 仏 を 不 信 と し、 不 要 と す る こ と に は 同 じ え な か っ た. 、 こ の よ う な 考 え 方 を 「 魔 界 た よ り を え て 末 世 の 衆 生 を た ぶ ろ か す 」 も の と 批 難 し て い る 。 聖 覚 に は 口 称 の 念 仏 も ま た 仏 法 な の て 、 そ う し た 念 仏 行 を や め る こ と は 同 時 に ま た 仏 法 を 信 ぜ ざ る 不 信 で あ る と 思 わ れ て い た か ら で あ ろ う 。 そ こ で 、 彼 は こ こ か ら 「 一 念 決 定 し ぬ と 信 じ て、 し か も 一 生 お こ た り な く ま ふ す 」 こ と を 専 修 念 仏 の 「 正 義 」 で あ る と し た の で あ る 。 こ れ は 「 上 一 形 を 取 り 」 、 「 下 一 念 を 取 る 」 源 空 の 「 念 仏 往 生 」 の 立 場 と 同 じ も の で あ る 。 こ の 立 場 は、 す で に 見 て き た よ う に 「 上 一 形 を 取 」 る 「 盡 形 の 稱 念 」 鴇 「 イ ノ チ ツ ク ル マ デ 」 の 多 念 義 的 色 彩 が 強 い よ う に 見 え て 、 そ の 実 は 全 く 逆 に 「 下 冖 念 を 取 」 る 一 念 義 的 立 場 に 著 し く 重 心 の あ る 立 場 で あ っ た 。 さ れ ば 聖 覚 の こ う し た 「 正 義 」 の 立 場 も、 点 を 置 い た こ と は い う ま で も な い 。 と い う よ う な 多 念 義 的 こ と ば を 使 っ て い る よ う に 見 え る が 、 で に 述 べ た よ う に 、 「 偏 數 を か さ ね ず ば 往 生 し が た し 」 多 念 で は な く 一 念 に 力 聖 覚 が 右 の 「 恚… 形 の 稱 念 」 す と す る 多 念 義 の 思 想 を 、 「 ま こ と に 不 信 な り と い ふ べ し 」 る こ と で 明 ら か で あ る 。 と 言 っ て い N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 散 乱 増 。 睡 眠 増 の 地 体 懈 怠 の 念 仏 を 打 ち 出 し た 聖 覚 が 、 多 念 義 よ り は 一 念 義 の 思 想 系 列 に 属 し て い た こ と は 、 き わ め て 当 然 で あ っ た は ず で あ る. . ( 『 親 鸞 』 三 〇 一 三 〇 二 頁 ) こ こ で 、
松
野 博 士 は 『 唯 信 鈔 』 の 著 者 ( 伝 統 的 に は 聖 覚 と さ れ る ) の 立 場 を “ 一 念 義 ” の 系 統 に 位 置 づ け ら れ て い る が 、 こ の 松野
説 に 私 は 全 面 的 に 賛 成 す る 。 平 氏 が何
故
「 聖 覚 が 、 多 念義
よ り は 一 念 義 の 思 想 系 列 に属
し て い た 」 と い う 松 野 説 を 無視
さ れ た の か 、私
に は 解 せ な い の で あ る 。 た だ し 、 私 は 、 松 野 博 士 が 前掲
の 論 述 で 述 べ ら れ た 全 て の 論 点 に 賛 同 し て い る わ け で は な い 。 つ ま り 、 私 が 破 線 を 付 し た 部 分 に 示 さ れ る博
士 の 説 に 私 は 同 調 で ぎ な い 。 つ ま り 、 ” 「 魔 界 た よ り を え て末
世 の 衆 生 を た ぶ ろ か す 」 と 批 難 し て い る ” と い う の は 、 『唯
信
鈔
』 の 著 者 が 何 等 か の 見 解 を 批 難 し て い る と い う の で は な く て 、 『 唯 信鈔
』 で 批 判 の 対象
と な る あ る 論 者 が 何等
か の 見 解 を 批 難 し て い る 言 葉 だ と 私 は 見 る の で あ る 。 即 ち 、 「 魔 界 た よ り を え て末
世 の衆
生 を た ぶ ろ か す 」 と い う の は 、 『 唯 信鈔
』 の 著 者 自身
の 立 場 を 示 す も の で は な い が 、 こ れ を著
者 自 身 の 立 場 と 見 る 松野
説 が 、 平 氏 に よ っ て 無 批判
に 継 承 さ れ 、 『唯
信 鈔 」 の 立 場 を “ 一 念 義 ” に 対 し て 批 判 的 な も の と 見 る 平 説 が 成 立 し た と 言 え る で あ ろ う 。 換 言 す れ ぽ 、 平 氏 は 、 松 野 博 士 が お か さ れ た唯
一 つ の 過 『 唯 信 鈔 』 に っ い て ( 松 本 ) 失 に の み 全 面 的 に 依 拠 し て 自 説 を 成 立 さ せ た の で あ る 。 で は 、 『 唯 信 鈔 』 の 関 連 部 分、 つ ま り 、 結 論部
分 の テ キ ス ト と 私 の 現 代 語 訳 ・解
釈 を 示 す こ と に し よ う 。 つ ぎ に 、 念 佛 を 信 ず る 人 の い は く、 往 生 浄 土 の み ち は 、 信 心 を ( H ) さ き と す 。 信 心 決 定 し ぬ る に は 、 あ な が ち に 稱 念 を 要 と せ ず 。 『 經 』 に す で に 「 乃 至 一 念 」 と と け り 。 こ の ゆ え に 、 一 念 に て た れ り と す 。 偏 數 を か さ ね む と す る は、 か へ り て 佛 の 願 を 信 ぜ ざ る な り 。 念 佛 を 信 ぜ ざ る 人 と て 、 お ほ き に あ ざ け り ふ か く そ 〔 12 ) し る と 。 ま つ 、 専 修 念 佛 と い ふ て 、 も ろ も ろ の 大 乗 の 修 行 を す て L 、 つ ぎ に 、 一 念 の 義 を た て x 、 み つ か ら 念 佛 の 行 を や め つ 。 ま こ と に こ れ 魔 界 た よ り を え て 、 末 世 の 衆 生 を た ぶ ろ か す な り 。 こ の 説 と も に 得 失 あ り 。 往 生 の 業 一 念 に た れ り と い ふ は 、 そ の 理 ま こ と に し か る べ し と い ふ と も、 偏 數 を か さ ぬ る は 不 信 な り と い ふ 、 す こ ぶ る そ の こ と ば す ぎ た り と す 。 → 念 を す く な く し と お も ひ て 、 偏 數 を か さ ね ず ば 往 生 し が た し と お も は ば 、 ま こ と に 不 信 な り と い ふ べ し 。 往 生 の 業 は 一 念 に た れ り と い ゑ ど も、 い た づ ら に あ か し い た づ ら に く ら す に、 い よ い よ 功 を か さ ね む こ と 要 に あ ら ず や と お も ふ て 、 こ れ を と な え ば 、 ひ め も す に と な へ 、 よ も す が ら と な ふ と も、 い よ い よ 功 徳 を そ へ 、 ま す ま す 業 因 決 定 す ぺ し 。 善 導 和 尚 は 、 「 ち か ら の つ き ざ る ほ ど は つ ね に 稱 念 す 」 と い へ り 。 こ れ を 不 信 の 人 と や は せ む 。 ひ と へ に こ れ を あ ざ け る も、 ま た し か る べ か ら ず 。 一 念 と い え る は 、 一 . 九NII-Electronic Library Service 『 唯 信 鈔 』 に つ い て ( 松 本 ) す で に 經 の 文 な り 。 こ れ を 信 ぜ ず ぽ 、 佛 語 を 信 ぜ ざ る な り 。 こ の ゆ へ に、 一 念 決 定 し ぬ と 信 じ て 、 し か も 一 生 お こ た り な く ま ふ す べ き な り。 こ れ、 正 義 と す べ し 。 念 佛 の. 要 義 お ほ し と い ゑ ど も 、 略 し て の ぶ る こ と か く の ご と し 。 ( 『 真 聖 全 』 二 、 七 五 四