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アチックミューゼアム日誌(-)

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Academic year: 2021

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(1)

◎ 資 料 紹 介

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌 (‑ ) 昭 和 一 〇 年 九 月 〜 = 一月

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ムQ誌(1)

神奈川大学日本常民文化研究所は︑澁澤敬三が主宰したかつてのアチックミューゼアム(昭和一七年に日本常民文

化研究所と改称︑昭和二五年に財団法人化︑昭和五七年神奈川大学へ移管・以下﹁アチック﹂と略記)以来・八〇年

になんなんとする在野の研究所としての歴史を有している︒その間に蒐集された多種多様な資史料のうち大きなコレクションは︑歴史の経過のなかで︑数カ所の資料保存機関に分割所蔵されている現状である︒

特に︑戦後財団化され︑澁澤敬三の実質的な後ろ盾がなくなってからは︑常に財政的な危機にさらされ︑研究分野

や運営の重点がほぼ十年の単位で変わらざるを得なかったことなどから︑具体的な研究所運営の様相はなかなかわか

りにくかった︒

本研究所も財団法人から運営に関する大量の資料を受け継いだが︑その引き継ぎ資料のなかにそれまでの研究所の

歴史を語る資料がすべて累積されていたわけではなく︑資料はその時々に運営の中心に関わっていた個人に分散所蔵

(2)

されている場合も多かった︒本研究所では︑それら個人の所蔵に帰していた研究所関係資料も収集することにつとめ斯ている︒

今回紹介する日誌もそのような資料の一つである︒この日誌は︑戦後の漁業制度改革に伴・つ日本常民文化研究所月

島分室の活動の中心人物であった宇野脩平氏の所蔵資料のなかに入っていたものである︒宇野脩平氏の活動について

は網野善彦氏の論都が詳しいので概略にとどめるが︑宇野氏は昭和一五年東洋大学を卒業後︑直ちに澁澤栄一伝記史

料編纂会に入り︑土屋喬雄氏の指導を受け︑同氏の推薦で昭和一七年から日本常民文化研究所の水産研究室へ勤務す

る︒その後召集復員後水産庁外郭団体の水産研究会研究員等を経て︑漁業制度資料の蒐集計画をすすめ︑財団化

された日本常民文化研究所月島分室をリードしていくようになる︒このような動きのなかで︑いつしか宇野氏の手元

にこの﹁日誌﹂がわたったものと推測される︒

日誌は・縦一四・○×横二〇・七センチイトル︑全九六葉の無罫のイトに童日かれている︒ノートは︑表紙が

レンガ色の厚紙︑中身はいわゆるザラ紙で︑紙質は良いとは言えず︑そのため傷みが激しい︒裏表紙に﹁東京伊東

屋﹂のラベルがあることから東京銀座の文具店・伊東屋製であることがわかる︒表紙には毛筆で﹁日誌昭和十年九

月百袖山浜田高木﹂と記されている︒昭和δ年九月百に童.き起こされ︑昭和一二年まではほぼ毎呈.

き継がれているが︑昭和=二年五月以降︑一カ月に丁三項目程度の記載となり︑昭和面年は百二〇日のみの記

載で︑日誌は終わっている︒

記入者は・当時アチックの出版業務を担っていた高木一夫と︑アチックの書生であった浜田国義︑袖山富吉である︒

鉛筆ペン・あるいは毛筆で︑日々の業務‑例えば印刷所とのやりとりなど出版業務や図書整理の進行具合など

ーを中心に記されているが︑そのほか所員︑同人の来所や宿泊︑時々の話題︑研究会や歓迎会開催のことなど︑そ

の当時のアチックの日常的な様子が︑研究活動を下支えしていた視点から記された業務日誌であるといえる︒

(3)

昭和一〇年は︑アチックの基本的な活動が軌道にのり︑数多くの出版︑調査などが計画﹁実施されており・それに伴う様々な事務処理が出来していたことが知られる︒

Aコ回は紙幅の都A口で︑昭和一〇年分を翻刻した︒また日誌という資料の性格から︑略記︑メモ的記載が多いため・

わかる範囲で註を施した︒この註については︑手持ちの資料を基に作成したが︑不明な点や誤った記載が多々あると思われる︒この点についてはA,後も調査をつづけ︑また大方のご指摘ご指導をいただき︑随時訂正・加筆していき

たいと考えている︒多くの情報をお寄せいただきたく︑ご協力をお願い申し上げたい︒(筆写●文責窪田涼子)

﹁戦後の日本常民文化研究所と文書整理﹂﹃神奈川大学日本常民文化研究所論集

返却の旅﹄(一九九九中央公論社)など︒ () ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日誌(1)

(史)

.兀A,

276543

︿

︿

使

(4)

猛畷舞凄 ・至君調

..

一!

;熱

鵡、証を 、 盤ズ

〆  

「日誌 」 の 表 紙(右)と 第1ペ ー ジ(左) (神奈 川 大 学 日本 常 民 文 化 研 究 所 蔵)

(表紙)

日一 月九 年十和 昭

袖 山

浜田

高 木

昭和十年九月一日(雨)(日曜日)

○高木︒

ノート組見本︑及村松家作物覚帳図版原稿を見て頂く︒

ノートの組は五十字二十行と決定︑万作覚帳は原本を

探してみたが依然なし︒大島来り午後松やにゆきかへ

)(10)(11)って夜は僧楽園に村上氏送別会あり︑再度かへって足半

写真編輯に従ふ︑十一時二又帰る

◎ 同 國 圏

日曜日だったから︑と言ふわけでもなかったが︑之と言

ふべき仕事をしなかったのを遺憾に思ふ只︑﹁文献

1:

(5)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌(1)

索隠﹂(五十澤氏指図)の発送準備と雑用やらで︑今日

を送る今朝から文庫内の掃除を袖山さんに代って受持

つ事にした︒(終り)

九月二日︑雨︑曇︑(火)

○高木︑

足半写真︿作﹀編輯

◆ 同 ⁝圏

終日︑書庫に頑張って︑カード書きと台帳への記入をな

す(但シ本日ヨリ)未だ馴れない故か︑遅々として捗

どらず︑夜業までして僅か武棚しか整理出来なかったの

は︑如何にも心細き次第P(終り)

(水)

◆ 圓 問圏

一日中書庫"カード書き丈ケタ方は︑麻布商工学校へ

行き編入試験を受けて来る︑兎に角︑増耶P⁝夜﹁文

献索隠﹂(五十澤氏指図)の発送準備を手伝ふ就寝十

二時過ぎ︒ ○高木︑

足半写真編輯︒

早 川 歴 覚 帳 ﹂ 地 図 原 稿 プ ・ 先 に 返 す ・ 訂 正 の 部 分 萱

五時帰る︒

九月四日(曇)

○高木︒

足半写真編輯了︒

川崎より有賀来り︑﹁村松家万作覚帳﹂初校全部渡す︑

表の校正共︒洋服地を頂く︑

○袖山

朝︿図書﹀より正午近く迄図書趨.後マンス噂原稿

作成︒午後お次︒

◆浜田︒

午前中︑神田の十字屋行教科書求めに

午後書庫にてカード書き︒

九月五日︒(曇)

◆圓國四

(6)

午前午后︑文庫にて高木氏指図のもとに︑図書整理︑

(但シタ刻暫時︑小川氏のアシナカの整理手伝す

◎昨晩から学校へ通ふ先生始め皆の方々に心からな

る感謝を捧げつ﹀(終り)

○高木︒

保谷村郷土資料写真編輯︒

九月六日︒(曇)︑

○高木︑

﹁保谷﹂写真︑及︑﹁万作覚帳﹂附録写真︑プロセスに

渡 す ・ 見 本 出 来 豊 と ︿ 決 ﹀ 仮 定 す ︒ 高 臨 よ り 原 稿

送還︒

◆ 國 園 ]

終日文庫にて︑カードより控帳への転記をなす︒

午前中図書整理︑

午後お次

九月七日(晴)土曜︑ 連日の陰雨やうやく晴れたるが如し︒

○高木︑

高橋氏より写真補遺一葉送付サル︒昨日浅川氏より足半

送付︑今朝礼状出す︑足半写真編輯更へ︒文庫にある織田文庫を書庫に移して︑張氏の整理に託す︑

◆はまだ

一日中書庫にてカード書き︒

九月八日(晴)日曜日

◆浜田

書庫ーカード書き︑

○高木︑書庫の四六判本の拾捨をして頂く︒

九︑月九日(晴)月

◆浜田

例に依って例の如く︑書庫に陣取って︑カード整理一

日々々と努力の結果が酬ひられ︑整理され行くは気持良

◎雲を掴む様な英語の稽子が︑漸く︑興を覚える様に

210

(7)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日誌(1)

なる︑袖山大兄に感謝しつ︾(終り)

圃 午 前 お 次

午後書庫

○高木︑

足半写真プロセスに渡す︑村上氏は十六日までに︑と言

へど︑十六日までには出来ず︑十八日といふ︒(小川氏

同道)保谷村校正着手︑

九月十日(曇・雨)風強し火曜日

◎はまだ

一日中書庫︑なり

○保谷村校正︑

小川氏足半写真ネーム作成︒

村松家再校全部入手︒

ノート︑初校出初ム︒

去る土曜日より先生を中心に民族学の対象︿提義﹀につ

いての論議頻りに行はる︒

九月十一日︑(曇+雨)水 ○保谷校正︒

ノート2︑山口氏初校二台了︒足半ネームプロセスに持

参︑小川氏同行︒川崎より有賀来り︑打合の結果︑﹁村

松家﹂の方は十四日ごろ迄に校了の約をす︒ノート2号

初校六十三頁にて了す︒

○はまだ

書庫なり

九月十二日(曇)

◎ 國 ⁝圏

書庫なり

◎高木︑﹁村松家﹂再校︒

木 曜

九月十三日(曇少雨)

村松家再校︑

足半ネーム校正出︑右残をプロセスに入れる︒H︑L︑

C︑八十斤︑五連也︒初一二〇斤とせしも︑後八十斤に

更む︒

(8)

足半本文校正今日6︑

◎ 團 圏

・午前文庫にて︑図書整理

・午後は市川氏の計算で算盤取りを手伝ふ

・夜︑例に依り学校へ︒授業なし︑全校生徒

乃木神社参拝して帰る

今日は乃木大将殉死の日なればなり終り

九月十四日︑曇︑後雨

○高木︒

民友社にノートニ号凸版渡す︒

﹁村松家﹂再校︒

夜 土 摩 有 骸 の 名 子 制 度 研 究 の 報 告 錘 あ り .

大島来る︒

口酬図圏11午前文庫︑午後書庫︑

一日中書庫

○高木︑休み︒歌集完成スついて善正寺詣︑

九月一六日晴月曜

はまだ︑

一日中書庫但シ︑仕事ハ午前ハ袖山さん二人で︒大

島さんのやった仕事ノ再調をなし︑書架棚ノ整理︒

午後︑カード書(一人)

(袖山さんお次)

高木︒

民友社にノート凸版原稿渡す︒プロセス︒足半の残を入

れた所八〇斤では不可といふのをよくきいてみると

日野やが信用がない事が分る︒

九月十七日雨︒

これで先月あたりから一と月ばかり天気のいい時が少い︒

高木︒

﹁村松家﹂再校︑泊り︒

212

(9)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌(1)

午前滝野川行き夜具取りに

午後書庫(本綴り)

九月十八日雨

一圏巴一日中書庫但シ︑(本綴をなす)

九月一九日(木曜)晴

秋晴れの上天気

浜田︑午前︑市川さんの計算算盤入れを手伝ふ

午後図書整理レッテル貼り

九月二〇日金曜曇

晴曇定めなき秋の空は昨日の快晴に引返へ今日は

又暗雲低く垂れ下って︒嫌味を与へる事︑甚だし

自然の変化の甚だしきに比して変わらないのは︒文

庫始めアチック︑諸氏の奮闘振りでは︑なからうか︒︒

怠者の我輩︑は︑只敬服あるのみ︒

國園"一日中書庫但シ︑レッテル(登録済)貯り今

月中には︑一階だげでも整理完結︒するつもりで頑張っ

○高木︒小川氏︑宮本氏 と三省堂工場に二赴ク︒

九月廿︼日雨天︑土

㊥文庫図書整理︑

圏 一 日 中 書 庫

レッテル貼り

女中部屋から︑病人二人も出したと云ふので︑台所は消

毒開始︑P⁝ために夕食は︑外でとる︑

○高木︒

足半初校々了︒三省堂蒲田工場に小川氏と共に赴キ一と

まつ完了ス︒

夜︑先生︑土屋氏︒磯貝︑宮本︑小川氏等東北に赴力

煙︒上野へ見送り・大島二逢フ・泊り・

九月廿弐日日曜日雨

今日も又雨

(㈱㊥一日中︑仕事せず

○高木︑

只 管 英 語 の 練 習

(10)

ノート校正︑

九月二十三日月︑曇︑

○朝プロセスに足半刷見本とりにゆき︑三省堂に渡す手

筈を定む︒

ノート再校︒

張氏書庫中︑織田文庫整理につき十進法に依る相談をな

す︒

中島製本出来︒更に渡す︒

浜田

一日中書庫︑カード書き︒︒

九月二十三日月曜雨

浜田︑書庫︑

小 松 さ ん 泊 り

九 月 二 十 四 日 火 曜 大 雨

浜 田 書 庫

秋 季 皇 霊 祭 で 誰 も 来 ず

文庫は只︑高木︑小松︑野澤三兄位のものだった

夜︑歌会あり

書庫雨漏り甚しく︑皆の心痛一方ならず

九月二五日水︑晴

久方振りに︑天日を仰ぎ得た︑

浜田︑書庫︑

○先生︑東北6御帰京

○﹁村松家﹂校了︒早くかへる︒

九月二十六日

浜田11書庫

○高木︒曝書︒奥様の御部やに絵巻類を干させて頂く︒

午後四時頃6川崎にゆき村松家校了にす︒

九月二十七日︑晴︑(金)

○ノート校了にす︒曝書︒昨日の如く奥様の御室に折本

のものを干す︒夜︑高橋氏見ゆ︒

浜田

214

(11)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌(1)

午 前 書 庫 {

午後文庫︑ 図書の徽を落す︒

九月二八日晴(土曜)

浜田一日中︑文庫図書の徽を落す︒

単式︑四半倍判︒

三百枚︑

九月二九日晴︑日曜

浜田︑文庫のガラス扉拭き

夜︑学校ノ短歌批評会へ参加す︑

○高木

彙報中︑古文書ノ件ニツキ御相談す︑

町田氏資料出版ニッキ町田氏御来訪︒

九月三〇臼晴(月)

浜田︒終日書庫

○高木︑ 古文書復刻ニツキ単式印刷へ見学ニユク︑

夜︑松井君来ル︑単式ヨリ川崎知合ノオフセット印刷所

に赴キシカバ桑山二松井君来訪アル由話スニ彼亦来ラ

ントイフ︑即チ連レ立チテ来ル︑

製本︑出来︑(直シモノ)

十月一日晴火曜

浜田⁝⁝今日も例に依って例の如く︑

夜︑学校は休み︑(市記念日) 書庫にて図書整理︑

十月二日雨水曜

浜田︑

終日書庫にて図書整理

泊り(高木︑五十澤両氏)就寝二時

○高木︑

朝プロセスに赴キ︑保谷村校正刷十七枚位受取り︑オフ

セット見積ヲキクニ五十銭也トイフ︒保谷村校正︒

︿オフセ﹀プロセス︑足半用紙残↓連余︑民友社二廻シ

テノートの写真用二用ヒントス︑

(12)

十月三日く三日V曇木曜

浜田︑⁝書庫

旧力ードの整理を始める︑(書架番号記入)

禧久兄来タル

○高木

﹁糸満調書﹂川崎に渡ス︑応接室に画冊用書架を具え︑

画冊類を収む︑

十月四︑

○高木

朝︑下柳歯科に赴キ︑ソレヨリ民友社二廻ル

民友社用件

○ノート刷部数確定︑

○古文書復刻について校正係の事︑甘利氏は春藤氏を推

ソレヨリ中島二赴ク

中島用件

○ノート製本代︑五折マデニ銭トス︑タゴシ﹁カガリ﹂ 見返しツキ︒

浜田11書庫昨日の如く旧力ード整理

拾月五日土︑晴

浜田一日中書庫

拾月六日日曜晴

浜田午前高木さんの指図で風俗画報の号数再調をな

す︑(夕方テニス)

○高木︒

午前中一寸仕事を見てから︑桑山へ赴キ︑齋藤に赴ク︑

上る︒杯アリ︑伴二半折ナド書キ遊ブ︒

拾月七日月曜晴

浜田︑終日︑アチックで市川氏の手伝ひ︑(アチックノ

ートニ号ノ調べ)

岩倉さん北陸ヨリ帰られる︒

就寝一時半︑

○高木︑

216

(13)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌 、(1)

今日より夜松井君をたのんで習字を初む︑

拾 月 八 日 晴 天 火 曜 浜 田 爵 群 氏 の 文 欝 発 講

拾 月 九 日 晴 天 水 曜 浜 田 { 簾 馨 図 書 整 理

本日よりアチックへ横内君来る

拾 月 十 日 晴 天 木 曜 浜 田 {藁 輝 議 鐘 響 ん で 気 達

午後は︒立教史学科と野球試合のため︑同人一同全部出

陣︑

勝負十一対十一︿対﹀引別け

十月十一日曇雨金曜 浜田︑午前午後文庫︑

后三時より︑昨日の選手たちの慰労会あり︑

木川さんより同人一同の写真が届いて︑美男投票や︑

アダナつけをして︑洪笑・曝笑裡に会を終へる︑

夕刻より夜に入り雨一しきり︑

○高木︒

ノート第四初校出来︒

三十二頁︑

織田文庫は張氏が整理に当ってゐたが︑略々完了したの

で︑目録を作る事にする︒

十月十二日︑土曜晴

高橋氏保谷村写真全部出来︑

浜田︑文庫にて図書整理︑

退

十月十三日日曜晴

○高木︑休み︑

浜田︑午前中を先生御机の後の棚の掃除に費す︑

(14)

午後テニス

夜アチックで奄美民謡と盆踊りを御覧に入れる

十月一四日月曜︑晴

浜田︑午前午後文庫

/糸満語彙写シ

○高木

保谷村再校︑

習字休み︑

十月十五日︑火曜︑くもり︑

○保谷村再校了︑

﹁喜︿鬼﹀界島調査﹂項目川崎に渡す︑

オキ調査原稿出来︑百七十余枚トナリヌ︑

浜田午前午後書庫

本日より張さんの手伝ひ

十月一六日水曜曇

浜田午前アチック押入掃除

午 後 書 庫 張 さ ん 手 伝 ひ

(64)(65)白耳義人来ル︑(︿マラン﹀ζ﹁・ζ霞碧)

保谷サクインカード︑泊り︑

十月一七日木雨

新嘗祭目黒の禧久兄宅へ行き冬物を取って来る(浜

田)

十月一八日金曜晴天

浜田午前書庫張さんの手伝ひ

午後書生さん達と一所に書斎ノ大掃除

奥様二御目に掛る

鬼界調査要目初校出来︑マンスリーについての相談会あ

り︑

十月一九日土曜晴天ハ 國國一日中母屋(食堂・ホール)の大掃除田島さんよ

り月謝貰ふ夕方アチックの運動会あり一等賞を受く

夜市川さんは御国へ出立

218

(15)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日誌(1)

中島秩の見本布を持ちて来る︑

アチック︑の称号書キ方の決定をなす︑

アチックこ・︑ユーゼアム

出版届書

一︑文書図書︿画﹀の題号

○○○(書名)

二︑著作ノ種類著述

三︑著作者氏名及住所

四︑原著作物︑ナシ

五︑著作所の名称及所在地

アチック

六︑印刷所ノ名称及在所

七︑発行年月日

八︑予約︑

右︑発行致候間︑出版法第三条ノ紀約二準拠し刷見本二

部相添及届出候也

年 月 日

発 行 者 ︑

著 作 権 者

幡 野 文 夫

内 務 大 属 殿

十月弐拾日快晴日曜

浜田学校の遠足日︑朝七時出︑夜七時帰る

高尾山登山

高木︑

夜岩倉氏と共に︑採訪準備のため伊東やに買物に赴ク︑

十月弐拾壱日快晴月

浜田一日中︑母屋大掃除手伝(応接間と︑正玄関)

高木︑

・岩倉氏︑鬼界出張準備をなす︒

.川崎に糸満聞書︑挿絵原稿渡す︒岩倉氏用原稿用紙た

のむ︒

.夜︑習字の会︒出席者は︑小松︑宮本︑野澤︑袖山︑

(16)

小川︒小生︑

・支那の骨董やさんといふ方見え︑珍しき品を見せて頂

く︑アチック一見され御帰は十二時︑小生泊り︒

拾月弐拾弐日快晴火

浜田︑一日中︑書庫︑

午後張さんの手伝ひ︑

午前書庫一階の大掃除をする

高木︑岩倉氏荷物の世話︑

拾月弐拾参日快晴水曜日

浜田一日中書庫張さんの手伝ひ

夜は学校休み(靖国神社祭)

高木︑夜︑岩倉さんと又買物︑

当夜︑先生金沢におたち︑

拾月二十四日木曜晴

高木︑︒立教史学部の十五名アチック見学あり︑夜︑

糸満調書と︑保谷の世話 浜田︑午前張さんの手伝ひ

午 後 佐 条 齋 来 た の で ・ 久 振 り に 島 言 葉 で 語 ㎜

り合ふ

夜岩倉さんお泊りだったので二人いろノ\語る

十月二五日金曜快晴

浜田一日中書庫張さん手伝ひ

高木︑

アチックに来た人︒

永井氏と氏︑外人にて玩具研究家あり︑見学し

たいといふ︒

文部省内愛育会より二人︒

夜︑採集目安改訂のため集会︑出席者は

高橋︑小川︑藤木︑磯貝︑岩倉︑櫻田︑宮本︑村上

(清)︑木川︑他二︑山本︑金子︒高木︒

略々︑項目の設定細目の列挙を了る︒之が草案は宮本︑

小川氏に託す︒

高橋氏に﹁保谷﹂の写真順序のため校正渡す︒

泊り︒

(17)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日誌(1)

十月二六日曇︑小雨土

浜 田 { 終 貝 鵜 難 翫 難 陰 物 置 に あ

︿○夜櫻田岩倉氏等と晩さん会をする﹀

︿十月二十七日︑日曜︑雨﹀

︿○高木アチックに見えたのは小川︑﹀

高木︒アチック見学︒クロニクルの記者と通約の方一

人︒山口氏の紹介也︒夜︑櫻田︑︿口井氏﹀岩倉氏の送

別をかねて晩餐会を催す︒

十月二十七日︑嵐後晴

アチックに見えたのは小川︑山本二氏︒

糸満聞書︑校了︑

夜泊り︒源氏︑桐壷力ード終了︑

十月二八日晴月曜

浜田一日中︑文庫図書整理︑ 夜教練査閲あり

高木︒

習字会あり︑松井君に水谷家旧蔵魚譜の題籏書いてもら

ふ︒泊る︒

十月二九日晴火曜

浜田一日中文庫

先生早朝御帰り

十月三十日

測一日中文庫︑カード整理佃市川さん︑早朝帰館

高木︒

岩倉氏の出発準備を市川氏に引つぐ︒

岩倉氏用原稿用紙︑メモ出来てといく︒齋藤︑松田︑今

井︑三氏来訪︑齋藤氏に国文学者伝記集成渡す︑

夜︑大島来る︑九時近く︑岩倉︑市川︑村上氏︑らと風

呂に赴ク︒今夜御同族会あり︒

(18)

十月三十一日

高木︑

岩倉氏準備終了︑ノート六︑

浜田力ード整理︑ 刷上げ︑刷見本出来︑

+一月一日[熱田神宮遷座祭]

浜田十時頃まで︑カード整理

(84V()其の後︑先生の指図に依る︑同圓囮の原稿を制本

す︒

高木︒

○出版届︑謄写版にす︒

○源氏索引制理浜田了︒

○夜大島来ル︒テニス︑磯貝︑小川︑宮本︑岩倉︑

小松︑五十澤︒夜帝大の学生多数参看あり︑同時に︑目

安の会議再開︒

十一月二日

浜田午前︑

午後︑ 土曜︑快晴

カード整理

書庫︑日本十進分類表を写し始める︑ 十一月三日日曜快晴

浜田︑午前六半起床

午前七時明治神宮へ行く︑

全校生徒揃ふて参拝︑

其後忽ちに︑丸ノ内の商工奨励館へ行き(徒歩)︑特許

品の展覧会を見る︑帰ったのは︑午後二時それから夜

十時迄︑十進分類の写書をなす︑就寝二時︑磯貝さんオ

泊り︒今日二食で俄慢した︒

十一月四日月曜日曇

浜田︑終日文庫

十進分類法の写書をなす

高木︒寒くなる︒

保谷写真ネーム原稿作成︒夜︑習字︒かへりに松井︑

十澤と︑支那そばをくって少し酒をのんだ︒

岩倉氏の荷物は本日運送やに托す︒

十一月五日火曜曇夜雨 五

222

(19)

ア チ ッ ク ミ ュ ーゼ ア ム 日 誌(1)

浜田終日文庫︑

岩倉さんの指図で大島(各島村法)の写書をなす︑

明日迄には終了のつもり

夜︑十二時迄︑袖山さんから英語教はる︑試験近づ

きしため︑

十一月六日

(剛∪午前中図書整理︒

高木︑昨日から今日にかけて岩倉さんと三味線をつくる︒

國圓一日中︑昨日の仕事︑予定通り出来ず︑

十一月七日晴

隠岐ー原稿︑

川崎に渡す︒昨日より袖山氏

午前南島誌の写書︒

午後渋谷に居る大島の人のところ行き︑蛇皮線

を借りて来る︑(川内氏)}面識もない人だった

ので骨が折れた

十一月八日金曜晴 浜田南島誌写書

夜学校で英語の試験あり

高木︒保谷索引完成︒

夜︑岩倉︑張二氏の送別会あり︑

を披露す 岩倉さん二人で大島唄

十一月九日土曜︑晴

高木︑

内田武志氏﹁静岡県方言誌﹂彙報として出版の御話あり︑

内田氏と地図組版について御相談いたし組見本を民友社

に注文即日出来

川崎にノート第三原稿渡す︒

浜田十進分類法ノ写書をなす張さん今晩出立される

十 一 月 十 日 晴 日 曜

浜 田 午 前 中 文 庫 の 掃 除

午 後 十 進 分 類 表 写 書

出勤者祝︑高木︑二氏だけ︑

(20)

十一月十一日︑月曜日︑

高木︑朝岩倉氏を東京駅におくり︑それより︑宮城前

へ︑市川︑木川両氏とゆき更に植物園を一見してから

帝大に赴き︑人類学教室に石器︑土器を見学︑帰途︑山

本氏に会ふ︒夜︑習字︒

本日洋服出来︒新調祝へをする(﹁﹁.)

ノート覚え︒

1 民具問答集︑

2︑内房北部

3

4

5

6

浜田午前文庫︑

十進分類表写完了

午後︑目黒へ鎮三男氏訪問したが不在

岩倉氏朝出立

十一︑十二日晴火曜日 浜田午前此の間借りた蛇皮線を返しに行く

午後目黒へ︑三男氏と面会に行く(不在)

就寝十二時半

(貼紙)離ゆ掛甕麟圧咄諮

載酎躯︹%)㎝.一N釦騨劇軸即

切ω鼻ら蚤舶諜蹴

︑︑爵聖諜蹴議臨譲

b︒ω

十一月十三日水曜日晴

浜田村上さん(俊順氏)の指図に依り︑物置きにある

人類学雑誌︑包装整理をなす因みに村上さんは昨夜︑

老母病のため︑国許へ出立の由P⁝

起床六時半

224

(21)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌(1)

鷺弊 讐 鯉 噸 峯、戟

.麟糠謹

,

暦 齢

㌃x筆 血耽

轟 蓼 夢轟 ・ 趣

;

藩 騨 鑛 糟

︑鵠 搬評漁辮轡

藩 轟,

「 \

   

警 肥

隊'調 ,レ

十 一 月八 日の 記 事 に あ る 「岩 倉 、 張二 氏 の送 別 会 」 時 の 写 真(持 嘉 一 郎 氏 提 供) 前 列 左 よ り 山本 二 三丸 、 小 松 勝 美 、 宮 本 馨 太 郎 、野 澤邦 夫、市川信次

二 列 目左 よ り 祝 宮 静 、 張 甲特 、澁澤敬三、木川半之丞 、岩倉 市郎 、内田武志 後 列 左

よ り 袖 山 富吉 、村 上 清 文 、 藤 木 喜 久 麿 、村上俊順 、五十 澤二郎 、山口和雄 、伊豆川 浅 吉 、 小 川 徹 、 高木 一夫 、 高橋 文 太郎 、磯 貝 勇

(22)

就寝一時

先生は今朝七時前で文庫へお出でになる

自己の六時半起床の無意義でなかりしを思ふ

十一月十四日木曜︑晴

浜田︑午前五色石二冊を製本す

午後テニス三時迄

本職怠まける

夜︑十二時迄︑オ次にて松田さんより英語を教はる

十一月十五日︑金曜︑

プロセスにて内田氏方言分布図概算をきく︒

地図を書く代︑三十円︑

製版︑原図︑十円

斜のあるもの︑五円︑

刷代︑二円

中島︑製本代︑

帳︑一円三十銭︑

クロース︑のもの︑五十銭 浜田午前

た)

午後 新入書籍ノ難(之まで袖山さんがやって居泌

織田文庫ノカード書き

(予定所要日七ケ日のつもり)

十一月一六日土曜︑晴夜雨

浜田一日中︑新入書籍整理

先生に高木︑市川両兄は︑みとへ︑ 櫻田さん帰らる︑

十一月一七日︑日曜︑雨又は曇

浜田︑日曜だったのと︑悪天気のためか︑午前中誰も見

えず

午前11昨夜︑宮本さんから依頼されて居た︑﹁アシナカ

雑誌﹂の照合をなす︑

午後︑織田文庫のカード作成

午後五時までやって︑百弐拾枚也

夜は︑学校のクラス会に出席

帰りて松田さんより英語習ふ︒

(23)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日誌(1)

夜︑先生に高木︑市川両氏帰らる︑

十一月一八日月曜︑晴天

浜田

午前午後︑文庫︒織田文庫のカード作成11作成数

三百枚

午後三時過ぎより五時近くまでテニス︑今日始めて奥様

の御相手をする高木さん︑袖山と︑四人なり

高木︑

保谷村写真ネーム張込み初め︒

ノート三校正出初ム︒

十一月一九日火曜日雨天

浜田︑織田文庫のカード作成作成数百枚

少なかりし理由︑午前十一時より午後三時過ぎまで

舎の鎮三男氏来館のためなり

十一月二十日水曜曇天

浜田終日織田文庫力ード作成 田

作 成 数 二 百 五 十 枚 也

民友社ト武蔵屋へ電話ヲ掛ケル

田島氏より訓戒を受ける

高木︒

保谷村写真校了︒

本文校了五台

十一月二一日木曜︑晴

浜田終日文庫⁝カード作成

作成枚数二百八十枚也

十↓月二二日金曜晴

浜田

力ード作成(織田文庫)

作成枚数︑三百五十枚だったので︑心持殊に良し

先生に︑小川︑宮本︑磯貝︑村上両氏は夜みとへ出立

十一月二三日

浜田

土 曜 晴

(24)

午前力ード作成︑

午後︑私用で一色先生を訪問す︑

高木︑保谷完成準備︑紙を民友社へ十連︑プロセスへ︑

一連七十枚入レル︒

十一月二四日日曜晴

午前︑文庫の大掃除

午後︑テニス︑

夕方までやり続ける

久振りに銭湯へ行く

先生一行︑夜七時頃みとよりお帰り

十一月二十五日︑月曜︑雨

保谷概算

民友社匪︑組︑八十銭

刷︑三︑二〇

浜田午後三時までカード書きその後宮本さんの原稿

を清書(アシナカ)

急を要するとの事だったので︑学校より帰って十 二時近くまでに漸く終る

十一月廿六日火曜晴天

爾∪カード整理︑

図書整理︑

一︑果⑰

一銭

09q 就寝一時

民友社使用紙︑

五連三百枚︑残四︑二〇

︻計算メモ︼

織田文庫ノカード作成

漸くにして終る

所要日数八日間

作成総枚数二︑〇三三枚

228

(25)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌(1)

十一月二十七日

足半写真編輯

彙報第五定価

浜田︑図書整理

5

定2

十一月二十八日木晴

朝︑民友社二赴キ︑奥附校了︑中島使ヒ来合セ

ノ特製三冊注文ス

表紙入レ替ニナルヤモ不知

午前古文書ノ赤紙ヲ貼ル(先生の指図)

午後隠岐ノ原稿整理

十一月二九日金曜日晴

浜田︑一日中図書整理

保谷村完成︑夜︑高橋氏︑宮本︑

山ノ会へ赴ク︑

彙 報 五

小 松 両 氏 と 仁 寿 講 堂 へ

十一月三十日

風俗画報製本出来︑一冊不完全ナル物︿者﹀

ノート三︑再校︑

夜︑先生京都にお立ち

浜田"カードを図書目録の控帳へ整理

夜先生は京都へ

十二月一日日曜曇夜雨

文庫の硝子窓拭きを為す

小生休み(高木)

十二月二日月曜日

先生京都よりお帰り

調 午 前 伊 豆 川 さ ん の 謄 写 板 版 り を 手 伝 ひ す

ー︑し午後︑アチックの使で目黒ノ鎮氏ノ許へ手紙を届

けて来る

十二月三日︑火曜日

浜田︑図書目録ノ整理()

(26)

齋藤君の許へ出産祝儀二赴ク不在︑出直して夜九時半

ごろ再度訪問し十一時にかへる︑

十二月四日

梢感冒におかされし気味ニテ咽二塗薬し︑アスピリンを

のみタリ︒

ノート三︑再校︒

浜田旧アチックの柱に署名してある人々の人名の写書

をなす︑(市川さん指図)

夜客間で鎮さんを迎へて島の話を聞く参加者︑十島

行の人々と漁業史関係ノ人々

僕も帰校後︑呼ばれて行く記念写真を撮る

十二月五日木曜晴天

浜田11形のある仕事せざりを憾む

只︑風俗画報ノ再調(袖山さんと)と伊豆川氏ノ製

本︑二冊なした

ノートニ︑再校︑中島来り︑彙報五について写真用紙横

目なりしを注ゐされたり 十二月六日金曜︑晴

浜田

午前図書整理

午後︑織田文庫力ードの仮名つけ

十二月七日土曜晴

浜田︑

五色石四冊の製本を為す(先生ノ指図)

市川さん郷里へ帰る︑

十二月八日晴日曜

今日こそ全く何もせず自分の試験勉強

ノート三︑校了︑

十二月九日月曜︑晴

浜田織田文庫カードのカナツケ

本日より二学期の本試験始る(九日より十四日迄)

230

(27)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌(1)

十二月十日火曜日

浜田︑

一日中織田文庫力ードの仮名つけ

十二月十一日水曜

︿ノート三︑予定﹀

ノート︑三オキ︑見積︑

151.20 38.40 1.50 i 1.80 1.20 6.‑

2.00 3s.00

1.20 組 、

表 紙 前 付 表 紙 凸 版 代 、 柱 版 別 刷 凸 版 製 本 、

用 紙 紋 ラ シ ャ 、 本 文 、

ア.̲̲..ト、

248.80  

朝土屋先生おいでになり先生ト十時半ごろまでお話 しあり︑土屋先生の許にてなされた演習論文中秀れたる

ものは彙報として出版さる︾旨御約束遊ばさる︑先生御

出勤後土や先生は文書御調べ︒

有賀(川崎)来り刷代について協定し︑中扉︑写真の

如きものは民友社なみに定む︑

ノート三︑見積をなさしむ︒後︑先生︑土屋先生なぞと

彙報発売法について御話ありしを思ひて発売法︑及広告

法を五十澤と諮る︑計ると錐も何ら結論に達せず︒

一と先づ従来発行せしもの﹀総金額を調査せんとしたる

も巨細にきはめるのには一寸暇がか︾りさう︿由﹀故中

途概算にて止む︑

○︿松﹀村松家捜絵刷り上げんと思ふ︑幸ひプロセスよ

り足半後篇写真残り持ち来りたれば︑一応再調を施す︒

○足半後篇印刷用紙調べてみる︑アチックに若干︑プロ

セスニニ頁丈ノもの六十枚あり︑

○足半組見本再校出来︑宮本氏と校了にス︑

浜田

織田文庫カードの仮名つけ︒

漸く終る︒(不解のものは袖山さんに任かして)

(28)

今朝初めて霜を見る

十二月十二日木曜晴

國画本日より︑(昨日迄に整理した)織田文庫力ード

を五十音順に分類し始める

内田氏6原稿着 田舎より鰹節(小包)届く︒

十二月十三日金︑晴

浜田

昨日に引続き︑カード分類をなす︑明日迄には終了の

予定なり

夜は︑高橋︑磯貝︑金子︑祝の両氏見えて︑民具の目安

について会あり十二時近くまで

先生は九時過ぎに御帰邸

ノート三︑索引︑桜田︑山田両氏にて完成︑

今夜︑齋藤方に赴ク︑移転ありやと思ひしに移転する事

止めたりといふ︑九時半帰る御かへり︑家にて風呂に入

る︑ 十二月十四日土︑晴

足半後篇校正︑三十二頁出︑

〃写真ネーム校正出来︑

同時に村松家地図返してもらふ︑

午後伊豆川氏によつて土佐捕鯨史ノ講︿口﹀演あり︑

土屋先生︑御出席︑

夜︑先生赤倉ヘスキーに赴かる︑(十時出発)

浜田引続き織田文力ードのアイウ順分類

二学期の本試験が終って︑一安心す︑

十二月十五日(日)

十二月十六日月曜

浜田

織田文庫のカード整理

夜磯貝さん御泊り

習字あり︒今年は本日にて止め︑来春ハ十三日6とす

232

(29)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌(1)

十二月一七日火曜曇︑雨

浜田︑図書整理ト︑カード整理

先生は赤倉より早朝御帰邸

市川さん

夕刻より雨になる︑寒さも増す雪になるらしく︑皆

の話なり︒とても待たれてならない

磯貝さん御泊り︑

足半校正四台了︑夕方より小川︑宮本氏見ゆ︑十時ごろ

かへる︑

十二月十八日水曜

朝プロセスに足半写真の件にて赴キ︑カヘリテ足半終二

台ノ校正二従フ︑宮本︑小川氏見ユ︑夜︑高橋氏︑来︑

○内田武志6葉書有︒

浜田午前︑織田力ードの目録作成開始

午後︑目黒行き

鎮さんのところへ写真を持って行く(不在)

十二月一九日木曜晴 (

リ原稿用紙へ写書ナリ)

午後より夜にかけて頭痛激しきため

で十時に寝た︑

十二月二十日金曜日︑晴(浜田)昨日に引続いて織田文庫目録作成

夜︑学校で成績の発表あり

十二月二十一日土曜︑晴

浜田一日中織田文庫目録作成

今日迄に漸く半分出来る(一千枚)

今日より休暇に入る(学校)

︿二十一日﹀

︿十二月二十}臼﹀

足半校正ノ為メ蒲田の三省堂工場二赴ク︑小川︑宮本氏

同道︒プロセスニ寄ル︒足半校正未完成ニッキ持チカヘ

(30)

(新宿ニテ齋藤君二会フ)

十二月二十︿三﹀二日日曜曇夕方雨

バリ島前採訪記校了ノタメ川崎二赴ク︒

﹁プロセス﹂ヨリ静岡県方言誌附図見二来ルト云ヒテ来

ラズ︑電話アリテ明朝トイフ︒

足半校正︑小川︑宮本氏ニテ了︒本日足半用紙二連半入

レル︒H・LC︑八十キン

浜田午前文庫ニテ雑用

午後ヨリ愛宕山に登ル放送局ノ外観ヲ視テ︑馬

術デ名高イ︑石段ヲ見テ︑青松寺前ノ三勇士銅像

見テ︑雨二追ハレテ逃ゲテ帰ッテ来タ︑

(就寝一時)

十二月二三日月曜晴

浜田

一日中織田文庫目録作成

磯貝さんオ泊リ 十二月二四日火曜︑晴

浜田午前織田目録作成

午後図書整理

午過ぎ文献索隠ヲ三田局へ出す

足半校正ノため三省堂ノ工場二終日居ル︑

ト同じ︑

宮 本 小 川 両 氏

十二月二五日︑水︑晴

浜田︑一日中織田文庫目録作成漸く完了す

大正天皇祭︑

先生ハ終日文庫

朝︑川崎・民友社二赴キ︑

二︿三﹀時頃

十二月二十六日

浜田図書整理

十二月二七日

浜田

木 曜

234

(31)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日誌(1)

午前苗俗ノ訳文ヲ製本ス

午後図書目録ヘノ転記

十二月二八日土曜日雨

浜田

図書目録ヘノ転記(カード)

十二月二九日日曜晴天

浜田

五色石二冊外七冊計九冊製本をなす

早川さんオ泊リ

十二月三十日月曜日

高木さん︑袖山さん︑僕︑三人で文庫の大掃除

夜アチックの大掃除を手伝ふ

十二月三十一日火曜日

かずノ\の思出を残して今年も今日を以て別れだ思へ ば今夏八月以来︑当文庫員の一人として働く事になった

自分は過ぎし五ヶ月間を顧みて其処に︑なんら︑形のあ

る働きのなかりしを憾む

只すべては来年を期待して真剣味のある歳たらしめたい

と思ふ︒

(32)

236

(‑);一年[

(2)浜田國義・昭和δ年八旦六日から國書整理に従事﹂する[マンスリ⊥.奄美大島の出身で︑[誓量によれば︑

フ︑

(3)

[山︑同[

(註(45))

=[]

(4)

[見](上)δ.﹂

の昭和一〇年には・±月に第四の櫻田勝徳著﹃糸満漁夫の聞書﹄と︑第六の岩倉市郎著﹃喜界島生活誌調査要旦︑三月

に第三の櫻田勝徳・山口和雄著﹃隠岐島前漁村採訪記﹄の︑計四冊が相次いで刊行されている︒

(5)アチッぞ三壱アム彙報(以下﹁彙報﹂と略記)笙として昭和=年四月に刊行された﹃愛知県北設楽郡下津具村村

松家作物覚帳﹄・この時期︑図版原稿を作成するなど刊行に向けて作業が進んでいた︒本書は下津目六村の村松家に伝えられ︑

﹁万作物覚帳﹂と名付けられた寛政δ年から明治二九年にわたる畑作の作物誓.植え付けに関する記録である︒早川孝太

郎が昭和六年にその存在を智︑翻刻すると共に︑﹁万帳﹂に記載された畑の名を現実の畑と対昭ぎせる等分析を加︑兇上で

 刊行された︒

(6)註(5V参照︒

(33)

ア チ ッ ク ミ ュ ー ゼ ア ム 日 誌(1)

(7)

(9)建黍利用した畢料理店[河躍ゆ患.おそらく茅場町二百八二の﹁支那料理階楽園﹂であると思われる・(01)村上清文.早稲田大学国文科を卒業し︑その後雑誌罠俗学﹄の璽露となったが・昭和六年アチックの同人となり[宮本讐刈N]︑三面調査に行‑までアチックの覇であった([マンスリ⊥所載の住所録には麗澤邸内Lとある)・アチック

禮 謬 離 り解 請 鐸 擁 総 繕 献+ 鋸 鯉 肇 髭 熱 蝦 樹 桝癖

県三面に派遣され︑翌年八月まで滞在︑民俗調査を実施し狩猟用具などの民具を持ち帰った・帰京後・昭和δ年九月よ畠奢年館へ霧するよ・つになる.記事に見える﹁送別会﹂は︑村上の呆青年館への勤務に伴うものであるワ﹂とがわかる・(U)足半(あしなか)は鼻緒を結んだ形の短小な草履で︑昭和δ年頃から始まったアチックにおける最初の共同登研究の試みで取り上げられた..﹂の成果は︑同年のδ月δ日に雑誌罠肇研究L笙巻第四号に﹁所謂足半(あしなか)(予.稿

耀る.続いて(予職2)が翌=年﹁民族学研究﹂第二巻第}︒写に掲載され︑最終的には同五月︑華九として刊行さ

(尼 ) 文醐 欝 軸 難 諺 黙 既 め雛 禁 雛 畿 難 ︑螺 繋 霧 た帰 桑 毒 謡 鍵 撫 鑑 鰹 聾縫 灘 纏 纈 鰹

(31)辛澤二郎.昭和九年九月からアチック勤務となった市川信次と兼ねてから智合いであった辛澤は・昭和八年頃に難と会.つ機会苗来︑澁澤はその席で索引の効用を熱心に説いたところ︑辛澤も対坐しているうちにアチックでやらせてもら

参照

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