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『 春 城 日 誌 』

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Academic year: 2022

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﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月〜一二月││   市島は︑この元旦に﹁年五十六︑内子五十︑老境N至り加齢は甚た有難からす︒併しこれも人事の常︑不得已と云ふの外なし﹂と記した︒しかし︑安息を望んだのと裏腹に波瀾の年となった︒

  年始に恒例の熱海に滞在︑内藤久寛︵日本石油創設者︶や奥田義人︵学苑講師を経て山本内閣の法相︑文相︑東京市長︶などと交流を持った︒六日に双柿舎に坪内逍遙を訪ねた市島は︑彼から﹁真面目N 学校より骸骨を乞ふて︑作 N余生を送りたし﹂と打ち明けられた︒早稲田大学を辞めて文学に専念したいとの坪内の年来の望みに︑文豪に不朽の作を残すという希望を叶えるのは寧ろ早稲田大学のためにもなることと︑市島は賛意を示す︒

  そうした内談の後︑九日に伊豆長岡の高田早苗の多聞荘を共に訪れた︒前年半年余の欧米旅行から帰って健康を害し療養中の高田は︑市島︑坪内の考えを知るとこの際学苑創立以来の自分たちが身を引き︑後進に道を拓く好機であろうと同意した︒高田学長︑坪内教授と市島理事に加え天野為之教授︵理事︶にも話し異議がなければ︑四人がこの際引退する方針を決めた︒

  この内議は︑第二次大隈内閣改造で︑高田が文相として入閣するなど紆余曲折があり結局︑八月に至って高田︑坪内︑市島が夫々名誉学長︑名誉教授︑名誉理事として第一線を退き︑天野を学長とすることに落ち着いた︒日誌には︑ 翻刻

﹃春 城  日  誌﹄ ︵二四︶

││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月〜一二月 ││

(2)

かなりの筆致で関連した人物評が記されている︒理事には塩沢昌貞︑田中穂積両教授と市島が信頼を寄せている田中唯一郎維持員が就任し︑新学長を支える体制としたのである︒

  しかし︑この人事は大隈改造内閣に文相として入閣していた高田が︑大正五年の内閣総辞職に伴い大学への復帰を巡って問題となり︑所謂﹁早稲田騒動﹂の遠因ともなるのである︒

  前年暮に大隈首相は︑陸軍二個師団増設案が否決されると︑衆議院を解散した︒各地に設立されていた大隈伯後援会は︑三月に予定されている総選挙に向け活動を開始する︒そして︑全国規模の組織とし︑会長を設けることとなったのである︒学長高田は︑市島を適任者として説得した︒明治三五年に健康を害し政界から遠ざかっていた市島は︑高田が未だ健康を回復していないこと︑早稲田大学学長の立場で会長を引受けることは︑政教を峻別しないことで世間の理解を得難いとし︑長年の大隈との情誼をもって一月一七日に受諾した︒

  逐鹿戦は激烈を極めた︒遊説隊を設け各地に派遣︑大隈の政見を吹き込んだレコードを作って︑地方に送った︒また︑後援会が支持する立候補者に大隈名義の推薦の手紙を届けるなどしている︒文章を書くことがなかった大隈の手紙が発見されたと時折話題になるのが︑この頃の書簡である︒

  とりわけ︑金沢選挙区は︑市島自身が﹁記念すべき逐鹿戦﹂としている通り厳しい争いだった︒政友会候補中橋徳五郎と市島達が推す横山章が票を奪い合った︒市島は若槻蔵相と共に出来上がったばかりのレコードを携え金沢入りし︑横山のために自ら﹁大隈か︑原︵敬︶か﹂という応援演説で喝采を博したと記している︒また︑関西に赴いた大隈首相を︑予定外に急遽金沢に立寄らせるなどの作戦が奏効し選挙に勝った︒

  三月二五日に投票︑結果は後援会立候補者で当選一二名︵立憲同志会︑無所属などの候補者を入れ三三名とする計算もある︶となった︒さらに与党︑無所属の候補で会の推薦者は一五一名で当選者は一一三名という高い当選率であっ

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﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月〜一二月││ た︒

  選挙戦後︑加藤高明率いる同志会︑尾崎行雄の中正会などの与党を合同し︑大隈総裁大政党結成の気運が生れた︒市島は選挙直後に高田と共に加藤︑尾崎等の調整に廻ったが︑後援会会長の職は選挙後直ちに退くとの当初の考えのとおり︑四月二六日に後援会常任委員会に席上諸報告をすると共に会長辞任を告げこれらの問題から手を引く︒

  日誌には︑開票結果を知った市島は︑三月二八日から三一日まで四女みつと共に箱根に滞在し︑会長辞任表明の後︑図書館協会全国大会︵総裁徳川頼倫︶が熊本で開催されるのを期に五月九日まで東京を離れるなどの行動が記されている︒特に九州旅行は︑一日大会に出たあとは自由行動をしており︑長崎︑別府等を廻って激戦だった選挙の疲れを癒したことが記されている︒

  天野学長体制への移行は︑八月一四日付けで行われた︒名誉理事となった市島は︑依然として図書館長の任だけは︑自ら希望して留まった︒

  五月に図書館の館員である毛利宮彦を米国に留学させた︒教員の海外留学も︑数える程しか行われていなかった時期であり︑職員を大学の費用で派遣するというのは︑市島の英断であった︒

  大正天皇の即位の大典を記念する早稲田大学として事業を起すことが議せられた︒柱は︑教員研究室の充実と図書館の拡充であり︑募金金額三〇万円とされた︒市島は︑九月二二日大典記念事業委員長となり募金の責任者となる︒各界︑地方に通じた市島以外に余人を以て換えられない人事だった︒市島は︑古河鉱業から五万円の寄付を受けるなど︑年末まで目標額の五〇パーセントを達成させた︒

  細菌学で著名になった野口英世が帰朝︑一〇月二〇日に歓迎会が開催された︒野口は市島の援助で歯科医となった新潟安田出身の石塚三郎︵衆議院議員︑写真を趣味とし二千枚にのぼる乾板が安田の吉田東伍博士記念博物館に保存

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されている︶と高山歯科医学院で同室︑共同生活をしたこともあって︑この歓迎会に招かれた︒さらには︑一一月三日に大隈邸に野口を招待︑大隈重信との会見を斡旋した︒その日︑市島の落合別荘に野口を招き︑昼食を饗し歓談に時を移し︑同行の石塚が記念撮影をしたという︒︵大隈邸での記念写真は︑野口英世記念館に残されている︒しかし︑市島の落合別荘での写真は確認出来ていない︶

  この他︑﹁日本百科大辞典﹂の刊行中の三省堂が破綻した︒亀井忠一社長夫人が大隈家との姻戚関係にあったことから︑大隈の指示を受けて市島は三省堂再建と﹁大辞典﹂完成のため尽力する︒亀井社長︑編集担当の斎藤精輔等と頻繁に会っていることが記されている︒それによると︑市島は三省堂の求めに応じ相談役に就き渋沢栄一から資金を得るなどしている︒その後三省堂は出版と販売を分離して再建を果し︑﹁大辞典﹂は大正八年に至り全一〇巻完結となる︒︵三省堂社史は二種刊行されているが︑市島のこうした動きについて殆ど語られていない︶

  市島が理事長となった大日本文明協会が︑全国規模で展開した﹁学術講演﹂などの事業内容充実が図られたのも︑この年である︒

  多忙を極めた市島であったが︑八月に新潟新発田での校友会大会に臨むため帰省した︒この旅は︑福島県郡山経由で前年に開通した岩越線︵現在の磐越西線︶を利用したものだった︒市島が明治八年に始めて上京した際︑母方の叔父丹呉宗平に連れられて通ったルート一部で︑思いも一入だったと記した︒

  家庭的には︑前年医師杉山茂吉と死別した二女ひさが一男を残し離縁したが︑その杉山家が破綻︑家族の離散︑行跡が悪く市島等を悩ませていた甥の慶一の死去などの知らせを受けたりした︒また慶事として︑市島宗家の継嗣徳厚︵初之丞︶が元津山藩主松平家の隆子との結婚が三月にあった︒

  市島が以前から親しく付き合っていた女性︵英堂と日誌に記されている︶との別れが前年三月にあった︒この年の

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﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月〜一二月││ 一月に︑市島は﹃稲田一作﹄︵村上浪六著︶という小説を買い求め﹁読み耽﹂ったとある︒英堂が折に触れ︑この主人公が市島に似ていると言い︑戯れに市島を﹁稲田K ﹂と呼んだというのである︒小説は︑学士稲田が大志を抱きながら落魄していたところ︑ある資産家に声を掛けられその所有の企業を建直し︑馴染の芸者と所帯を持つというサクセスストーリーだ︒大丸呉服店の再建︑三省堂への援助などの話が︑市島と英堂の間に交わされたのだろう︒英堂が擬えられた稲田を知った市島は︑又稲田の相手が﹁英堂N似たる処あるも亦奇也︑呵々﹂と記している︒

  今回から日記掲載を一年分としてお願したところ︑編集部から快諾された︒記して謝意を表したい︒

付・水原春城生家遺構保存と﹁春城会﹂発足について

  前々回に記した市島の生家の遺構が地元阿賀野市の所有となり︑市島の業績顕彰のために活用することが決まった︒五月一二日から一四日にかけて﹁生家阿賀野市所有記念・市島春城展﹂が開催された︒同時に記念講演会が開かれ筆者が招かれ市島の人となり︑業績の一端を二〇〇名余の来会者に紹介した︒

  また︑一〇月五日には地元の郷土史愛好家を中心とし﹁春城会﹂︵会長渡辺勇氏︶が発足し︑一〇〇名をを超える会員で活動を開始した︒  二〇〇六・一一・一五  金子記 ︵春城日誌研究会  金子宏二︑酒井清︑松井叶子︑渡部輝子︶

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双魚堂日誌 方印      大正四年一月以降  象形印︶﹁     

元日晴︒諒闇中︑且ツ昨年不幸ありし故を以つて一旦門前に作りたる門松を撤す︒例年学校N会して今朝年賀を交換する例なれとも今年はそれも廃す︒例のことく家族屠蘇を酌む︒余︑年五十六︑内子五十︑老境N至り加﹂︵一オ︶齢は甚た有難からす︒併しこれも人事の常︑不得已と云 ふの外なし︒終日家居︒大江︑野口︑河内︑増子等来る︒各地より賀章千通ばかり一括して到る︒近年余︑賀章を受くるのみにて︑自ら発せず︒人N対して礼を闕く様なれとも︑余りに形式一遍N 流れて中心面白からす︒人は無礼と云はゝ云へと云ふ覚悟なり︒正月の味︑毎年の事なから一向N 興を覚へす︑此正月こそ﹂出遊と心かけ︑明日熱海へ赴くことに決す︒

二日晴︒今朝︑熱海へ出発N臨み児を伴ふて先つ神田辺N出てヽ物を購ふ︑熱海出先N 友人N 贈らん為め也︒十二時二十分の汽車N乗らんとて十一時中央停車場N到る︒旧蝋開始の汐留駅に到り見るは︑これか始めてなり︒流石

N規模大なり︑少しばかり﹂時間に余地あるを利用して場内あちらこちらを見る︒宛然赤ケットの趣あり︒定刻発車︑室内人を以て埋まる︒間もなく新橋駅を過く︒長らく御厄介になりたる此駅N 対し多少の感懐なき能はす︒此駅中央ステーションに比し来れば︑今は田舎駅の如き観あり︒国府津N 下車︑直ちに小田原行電車N 乗る︒

大正四年一月以降

特別イ4 1919566

東京牛込赤城下 市島謙吉

(7)

小田原迄三十分にて達するか例なるに︑途中故障あり﹂

て一時間以上を費し漸く小田原N 着す︒これより熱海まで例の軽便汽車通しあり︒満員にて定刻乗る能はす︒一時半待合せ臨時発の車N 乗る︒時既N 夜N 入る︒此前より車室は改まりあり︒二時間半にて熱海N達し樋口N 投す︒時九時半︑昨日より急N 遊客激増︑樋口も大混雑中︑僅かに一室を占め得たり︒東京へ二︑三通の絵はかきを出す︒東京より昂同伴し来る︒﹂熱海N 来るは四年振なり︒樋口の老主人并N主人の婦︑昨年死亡せりとか︒井上辰九郎来泊と聞きしも深更故不遇︒三日晴︒熱海としては寒し︒早朝起き坪内の居を訪ふて︑始めて其の別荘を見る︒鴨︑洋菓を贈る︒同宿の井上辰と話す︒十時二十分発軽便車にて湯河原天野屋N 滞在中の内藤久寛夫婦を訪﹂はんとす︒偶々先方より電話来り︑内藤妻病臥と聞き︑明日訪問を約す︒昂の帰京を引留め︑十時頃より梅園を訪ふ︒梅花六分開らき見頃なり︒旧識の撫松庵N 入り奥田義人N 会す︒庵主︑二︑三 の書画を出し示す︒庵も離れたる亭建て増し︑近頃町へ蕎麦の支店を若松と名けて出したりとか︒近来なかK工面よしと見ヘたり︒帰路︑来路を避け某とか云ふ村を経て︑唐画にある様な竹林や洋画にある様な水﹂車や南画にある様な村豪の住居をいつものことく賞しつゝ帰へる︒例の雁皮織物商万屋︑水晶屋と云ふ骨董商不相変いろKのものを齎らして侵撃し来る︒外出中漸くよき室明き︑二階の六号と云ふに移る︒午餐後︑逍遙を訪ひ︑相携へて横磯辺を散策す︒海岸老松︑今は幾んと全部枯死し︑四年前の面目全く変したるは惜むへし︒横磯の途窮る処より丘陵を上る︒此辺石壁を高く築きたる別荘地激増を見る︒此地﹂N 鉄道布かるべしとの予想より︑投機者流の仕業と知らる︒曽つて逍遙と散策を与にして︑幽邃の味を賞したるワサビ谷も︑今は第一衛戍病院の構内となり終り︑これも亦旧面目を失したるは惜しむへし︒帰寓後︑逍遙より熱海案内記を贈らる︒編纂N逍遙与りたるとかにて最新刊のもの也︒坪内より明日招飲之書状到る︒在長岡別荘高田半峰へ書状を発し︑

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月││

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八日頃坪内と同訪のことを報す︒校友小森準三来訪﹂︵五 オ︶物を贈らる︒ 四日陰︒昂︑帰宅N 付八時五十分の軽鉄N 同乗︑送りかた

K熱海を発し余は湯河原N下車︑馬車を駆つて内藤夫婦を天野屋N 訪ふ︒同宿の島峰医学博士N 会す︒此人郷国の人︑内藤の世話にて八年間独乙N留学︑近日帰朝せし也︒名は徹と云ふ︒内藤N 東京より携帯之一︑二の物を贈る︒小時話して﹂︵五ウ︶後︑内藤の案内にて清滝を観︑付近の旗亭N 立入妓を召して一酌︒怱卒︑内 藤旅館N 戻り午餐を与にして別を告げ︑二時の軽鉄N投し二時四十分熱海へかへる︒湯ヶ原の気温熱海N 比すれば寒むし︒十年前曽つて行きし頃N比すれば︑旅館面目を改め中N就天野屋の建築を為す二︑三の滝と渓流愛すべし︒井上室Nて担庵の画幅を見る︒隣室の谷野法学士N会す︒今夜︑井上と共﹂N 坪内の別荘N 招かれ︑飽食縦談十時帰り臥す︒大鳥居弃三︑不在中来訪︒ 五日晴︒熱海へ着後同宿N 知人多く︑応接N 忙殺せられて︑独居閑を味ふこと能はさりしが︑けふは半日一室N籠り書を読み且つ抄す︒町役場より鯛漁見物の案内来りしも行かす︒水晶屋古屋︑研︑書画などを持参︒雁皮屋より気N 適ひたる色の半切壁紙など購﹂ふ︒東京宅二︑三の絵はかきを発す︒午後︑大鳥居弃三来訪︑長時間話して去る︒坪内より借り受けたる中央公論所載逍遙新作現代男外一︑二小説を読み夜に入る︒室を十三号N移す︒こゝは前年二ヶ月計居りたる旧巣にて何となく懐かしく居易き心地す︒按摩を傭ふて早く臥す︒

六日好晴︒今日寒の入︒昨日の寒かりしは﹂故あり︒早起︑雑録幾枚か認め︑九時頃逍遙を訪ふ︒逍遙より真面目N学校より骸骨を乞ふて︑作N余生を送りたしとの相談を受く︒近日高田を訪ふ前︑先つ余に内相談N 及びたるなり︒これは逍遙数年前よりの宿望也︒一文豪N不朽の作あらしめんには︑其の冀望通りN すること寧ろ学

(9)

校之為め也とも考ひ︑余は同意を表す︒寄宿後︑又雑録を認む︒午後︑総選挙N 関し大隈伯の意を受けて︑越後東頚城本山﹂健次N細書を投す︒再ひ逍遙を訪ふて同伴散策︑観魚洞を通り高丘より錦浦を玩賞し︑曽我之浦N至り飛瀑の辺まで歩して帰へる︒先年来りし時は此道の開鑿工事半途にて網代まで通し居らず︒一昨年暮︑始めて全通すと云ふ︒此の道︑曲折して趣あり︒殊N眼下の奇石快巌甚た風致あり︒曽我之浦辺N 爆薬を以て破壊して路を開らきたるあたりの岩壁︑斧を以つ﹂てわざと削りたることく甚た趣あり︒年経て苔蒸さは︑一層趣あらん︒逍遙は早天散策を常とすと云ふ︒旭日波

N 映し︑雲や松や一種の色彩美観云ふ可らずと云ふ︒帰宿後︑吉田半より来書︑又過日嘱したる﹁兎﹂の象形印出来︑到着す︒七日早起︑雑録を認む︒坪内大造来り物を贈らる︒坪内方へ白葡萄酒︑果物を為﹂持遣る︒家信N接す︒古屋方N 到り骨董を観る︒土製十六羅漢を購ふ︒大鳥居弃三 来話︒井上辰九郎︑昨朝帰京︑谷野格︑今朝帰京︒十二時頃より降雨あり︒午後旅館主人の室に招かれ其所蔵の仏像を見る︒中N就き童子の像︑千年前の物︑尤も珍とすべし︒逍遙を訪ふて長時間話し︑明日高田を長岡別業

N訪問の都合之処︑雨天なれば延はす事を申合せ︑夕刻帰宿︒大隈伯後援会より宣言の草案を﹂︵九オ︶回付し来る︒直N答書を発す︒佐藤伊助より来書︒晩餐猪肉を食ふ︒夜に入り風雨益々甚し︒骨董屋を検して青湾茶話二冊を得たり︒購入︒

八日今朝︑坪内同伴︑山越にて高田の長岡の荘を訪ふ予定なりし処︑小雨なから霽れす︒終に今日滞在と決し︑電報を高田宛発し︑半日籠居︑雑書を読む︒井上辰九郎より来書﹂あり︒前日山越の状況を報し来る︒午後︑逍遙を訪ふて話す︒東京の新聞紙︑大隈首相内相の兼任を解き︑大浦農相︑内相に︑河野広中農相N 任せられたる旨発表あり︒水晶屋古屋来話︒旅館主人より山陽の秋声賦書幅を示さる︒贋作の旨を告げてかへす︒

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月││

(10)

九日好晴︒今朝出発N 付︑宿屋の勘定をなす︒払二十五円︑茶代十五円︑下男下女心付﹂︵一〇オ︶五円︒出発時刻倉皇の際︑宿の主人山陽の短冊書簡を出して鑑定を乞ふ︒又一幅落第︑而かも前田香雪極あるもの︒香雪老至せり︒八時︑坪内方N 至る︒藍輿巳N 準備しあり︒今朝︑逍遙同伴山越にて大場N出て長岡N在る高田学長を訪はんと欲す︒八時半発七十五町の険はしき悪道を上り行く︒一昨日雨雪ありし為道路ことにあしく︑輿丁甚た困しむ︒但し輿中の人静かに昔の旅の味を玩ぶ︒亦一興なり︒途中一茶店N憩ひ︑更ら﹂︵一〇ウ︶に行く︒七十五丁上りつめて︑それより大場迄下りなり︒軽井沢N 至る︒こゝは信州のそれと地名を同ふし︑地形も略々似たり︒二十軒ばかりの人家あり︒交通疎なるため寒駅王化未及はさることき趣あり︒一茶店N憩ふ︒時既N十一時︑携帯のサンドウヰチを喰らひ︑又︑下り行く︒これより正面N 載白の富岳を望み眼界大いに開らく︒箱根の官道は︑広重の絵の如く富岳は文晁の絵の如く︑それに連亘する諸山 は洋画の如く︑真N各﹂︵一一オ︶流合作の趣あり︒此辺踏破の山樹木なく東海道鉄道を眼下N 見る︒輿丁ひた走りに走りて函南村と云ふを過きて︑大場停車場N達せし頃は一時N 近かく︑発車の刻逼る︒喫飯の暇なく︑直N 汽車N投す︒頃刻にして南条N達しそれより下車︑人力車を僦ふて高田の多聞荘N 到る︒時N 二時半頃也︒直N 午餐の饗を受け荘主人の案内にて散策︒穢多村付近Nある石棺の露出せる所﹂︵一一ウ︶を探り︑帰荘後一浴︒三人鼎座︑学校の将来Nつき密議し︑終N学長の発議にて三博士并N 余︑近かく三月末N 於て︑天野N 異議なくんば後進N道を開く為め勇退すべしと内議し︑夜に入るまで議を凝らし九時臥す︒十日晴︒食後︑又︑三人鼎座︑昨夜評議の事を再議す︒元老総退隠は較N突飛N過く已むなくは一期天野を学﹂

長N 推し︑余理事として翼け︑過渡の一幕を作るは或は穏当ならんとの議もあり︒兎角大態隠退の事を内決し︑又︑散策して狩野川の勝を賞し︑十一時午餐をした

(11)

ため︑高田N別れて逍遙同伴︑南条の停車場N趣むく︒中島力造N 会して汽車待合はせ中種々の事を語る︒又︑並木覚太郎N会し共N国府津N到り︑帰京の汽車N登る車中︑山崎覚次郎N 会す︒逍遙は烏森駅より下車して帰宅︒余は﹂︵一二ウ︶中央停車場N下車して︑八時帰宅︒不在中の来簡を検し直N 臥す︒夜来雨あり︒

十一日雨︑雪︒昆田来訪︒大隈家より古河会社N 対し総選挙費の無心を受け︑会社の立場并N昆田自身の立場として︑難渋なることにつき云々の相談あり︒種々自分の説も陳べ︑十一時辞し去る︒二︑三時間山越の記を作る︒倦むで平山堂を訪ふて︑下条桂谷﹂︵一三オ︶永坂石埭の画を得てかへる︒京都彫刻家石本暁海より自作小品を贈る旨来書︒十二日晴︒種村宗八︑校友鹿島増蔵来る︒大正三年度三期分所得税︑府税︑市税八円許納付了る︒図書館N簡して一︑二の用を処す︒日載を録して午時N 至る︒石本暁海より 贈られたる小品木彫立像到達︒礼状を発す︒本山健治より返簡到る︒無名会﹂︵一三ウ︶演劇案内来る︒午後︑高木を訪ふて一︑二の物を購ふ︒十七︑十八両日大隈伯後援会大会の通知書来る︒川上悌義の訃N 接す︒

十三日曇天︒毛利宮彦洋行の件N 付︑小林堅三︑久離縁戸籍上の件N付︑三省堂亀井︑神保同店復活の件N付来話︒新潟の吉田信吉より物を贈らる︒広田︑木村大見又来る︒旗野美の里より来書︒午後︑稲田一作と題する浪﹂︵一四オ︶六の一昨年あたり著した小説をわざと買求めて半日読み耽る︒英堂の曽つて一作の性格余に酷似すとて︑余を稲田K と呼ひしことさえありしN ︑此頃フト読むて見たき心起りたり︒成るほど似たる処ある様なり︒英堂N対しては一作式なりしN つき︑渠れか彼此性格全く同じと驚きしも︑強ち無理ならず︒而して一作の相手の英堂N似たる処あるも亦奇也︑呵々︒﹂︵一四ウ︶十四日晴︒大阪竹中鶴次郎より来書︒藤井忠治郎︑河内広次郎

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月││

(12)

来訪︒三省堂の復活問題N関し︑小石川戸崎町亀井方N招かれ︑藤村徳司と長時間協議し︑午餐後︑辞して高木方を訪ひ一︑二の物を購ふてかへる︒

十五日晴︒坪内逍遙︑種村宗八来訪︒通俗西洋史出板計画Nつき協議す︒﹂田中幹事︑毛利宮彦母来る︒菊屋広田来る︒山田英太郎父死去N付悔状を発す︒旗野蓑織へ返書出す︒在新潟山田東洋へ画料を郵送す︒巻菱洲来り自筆の額面数枚を贈らる︒午後︑平山堂を訪ふて︑一幅携へかへる︒不在中︑下村正太郎来訪︑反物を贈らる︒十六日晴︒大鳥居弃三︑田代亮介︑飯田敏雄来訪︒三省堂復活問題N付﹂︵一五ウ︶亀井忠一︑藤村徳司︑坂巻登介来訪︒十時より二時N 渉り凝議す︒客散して後外出︒高木方へ立寄︑終N日清生命保険会社N大隈伯後援会幹部会を開らき︑高田学長も出席︑明日︑明後日開会の大会N 関し種々協議の後︑学長其他より余N会長たるべしと内議あり︒余は健康体にあらさるか故N 堪へ難き旨を以つて断 はりたるも︑種々学長より勧められ︑今夕﹂︵一六オ︶熟考︑明日挨拶する旨を答へてかへる︒亀井より社会文庫五冊贈らる︒山田麟之助より物を贈らる︒

十七日晴︒早朝︑高田を訪ふて︑昨夜高田より内談ありたる大隈伯後援会々長の件N 付協議す︒余より健康もよろしからず︑今更政治の舞台N立つも己れの趣味にもあらずと一旦辞退したれとも︑伯N 対する情誼の上より︑﹂︵一六ウ︶後援会に全く統率者なき覚束なき有様を考ふれば︑強ても辞退ならす︒大態承諾を表して帰へる︒午後一時より上野精養軒N於て大隈伯後援会大会を開らき︑特N案内状を発したる人壱千余名来会︒余︑明日会長N 推薦を受くる前提として司会者の席N就き︑尾崎法相︑若槻蔵相︑大隈首相漸次演説︒阪谷市長来会者を代表して一場の挨拶あり︒陛下の﹂︵一七オ︶万歳を三唱して会を閉つ︒于時四時半︒入口外套預り場N 退出之際︑混雑を惹起し七時 N至るも尚二︑三百名の外套不渡あり︒会主側失態を極む︒余も検出まで留まる能はす︒人N 托してかへる︒坂

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口上京︑鱈の子壱樽を贈らる︒ 十八日晴︒早朝︑下村正太郎来話︒種村︑坂巻登介来訪︒十時より大隈邸N ﹂︵一七ウ︶到り︑後援会幹部会を開らく︒又︑伯夫婦N会し︑余の後援会々長たることにつき挨拶を為す︒午後より伯邸N 設けたるテント内N 全国大隈伯後援会大会を開く︒来会校友八百名︒宣言決議案決定︑余を会長N 推薦N 付︑余より一場の挨拶演説をなし︑大隈伯︑一木文相︑村田水産翁︑中野武営︑各地より出席の代表者の演説あり︒四時過散会︒夜に入り富士見軒N 各地よ﹂

︵一八ウ︶り出京の校友を招飲︑前途の方針等Nつき打合を為す︒肥塚龍︑小林儀三郎の書N 接す︒石塚三郎より梨子一箱を贈らる︒

十九日晴︒早朝より坂口仁一郎︑紫安新九郎︑高野孟矩︑青柳篤恒︑飯田敏雄︑本田信教等︑或は選挙の件N 付或は学校の事務N付来話︒昆田文次郎︑杉山家と離縁後の事﹂

︵一八ウ︶N 関し︑坂巻登介︑三省堂復活問題N つき交々来 訪︒午前中接客N忙殺せらる︒在富山谷村一太郎より選挙N 関し来電あり︒本山健治より来書︒午後︑内藤久寛を日本石油会社N訪ふて︑余の後援会々頭を諾したる仕末を報す︒内藤︑大満足にて密かに余N 金銭上の助力を与へんと約さる︒内藤の友誼N厚き真N敬服也︒平山堂へ廻はり帰宅︒田中一貞︑山本知士︑光吉元次郎等より﹂

︵一九オ︶来書︒ 二十日晴︒早朝︑藤井忠治郎︑消火弾の試験を行ふN付︑前島邸N 到り見る︒田中幹事と後援会の事を協議す︒小林堅三を招き二︑三の事を処す︒越中谷村一太郎より後援会の件N 付来書あり︒同様の件N 付︑紫安新九郎より来書︒内藤の侠骨N感する所あり︒午後︑細書を認めて投す︒後援会事務所N 到り事を見る︒﹂今夜︑神楽坂末よし方Nて出版部員の新年宴会を開らく︒亀井忠一︑並木覚︑光吉等の書状来る︒二十一日晴︒相良大八郎︑福田久松︑亀井忠一︑昆田文次郎︑菊

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月││

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屋︑広田等来る︒在長岡別荘高田より来書︑三省堂の件 N 付三枝守富を訪ふて話す︒午後︑高田学長より再度の書状あり︒後援会と学校の関係につき︑詳細の注意あり︒﹂一時より後援会事務所付近の中央亭N 於て田中︑浦部︑渡辺を会し会の前途Nつき長時間密議を凝らし︑一般方略を協定す︒学校は後援会と全然別物なる意義を報知記者N筆記せしめ各新聞社N通信せしむ︒政治的煩累を学校N 及さんことを虞れての故也︒大隈伯署名の書簡を大阪の紫安N郵送す︒

二十二日  ﹂︵二〇ウ︶晴︒早朝︑内藤を訪ふて朝餐を共にし選挙N関し長時間話す︒内藤は余の費用を支出するの後援を托し︑今日不取敢二百円受取︒帰宅後︑紫安新九郎来訪︒新潟県校友会の件N 付︑石塚より来書︒印刷会社重役会N 出席︒午後︑後援会事務所N到り事務を見る︒竹村良貞と頚城の選挙N つき話す︒平山堂より根来の三段棚を購ひ座右N置く︒高田学長より来書︒不在中︑吉田﹂︵二一オ︶東伍来訪︒ 二十三日西化屋へ洋服を注文す︒本田信教来る︒和田万吉の書到る︒今朝の諸新聞N余か談話にかゝる早稲田大学と後援会の関係N 就ての談話掲載あり︒尤も委しきは報知新聞也︒大鳥井弃三︑武相新報社長荒尾慎一郎︵熊倉孝次郎孫にて熊倉操は其叔父N 当ると云﹂︵二一ウ︶ふ︶来書あり︒又︑北堂の書N接す︒三省堂一件N関し中村道太夫人三枝守富之紹介にて来話︒去十八日大隈邸N 於ける後援会大会の節余の為せる演説并N大隈伯の演説稿を校し︑午後後援会事務所N 到り事務を処し︑四時銀座の眼鏡店 □ ︵アキ・ママ︶□N立寄︑眼鏡の変改を為す︒十年前求めて今迄持続したる眼鏡の度は二十度の処︑今回十度のものN 改む︒小滝淳より近刊歴史叢﹂︵二二オ︶書の内新吾妻鑑を贈らる︒四谷銀行二百円約手切替︑期限三月廿三日也︒亀井忠一︑谷村一太郎N書状を出す︒

二十四日  日曜昨夜降雪あり︒今朝霽︒関川忠吉︑猪俣津南雄来訪︒総選挙の件N 付︑川上淳一郎より書留書状到る︒大隈邸N

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到り伯N謁す︒又︑信常と選挙費の内談を為す︒中野実︑高橋作衛︑早見整爾と選挙の事を話す︒清水清五郎を鎌倉﹂︵二二ウ︶より出すの件N付河野英良と話す︒午後︑印刷会社の小久江︑後援会の印刷物N 付来訪︒漸く倦むて平山堂を訪ひ︑蒔絵の硯蓋を購ふ︒偶々正木美術学校長来訪︑長時間話してかへる︒湯原音楽学校長と電話を交換す︒

二十五日晴︒浅川保平来訪︑物を贈らる︒藤村徳司︑三省堂問題

N 付来話︒本田信教N 学報N 掲載すべき﹂︵二三オ︶学校と後援会関係の談話を筆録せしむ︒西化屋来り洋服の仮縫ひを合はせて去る︒広田来る︒広井一より選挙N 就て来書︒午後︑銀座松島眼鏡店N立寄︑眼鏡の注文を為す︒後援会事務所N 到る︒木村省吾と話す︒土曜新聞記者の為め︑学校と後援会の関係を口説︑筆録せしむ︒四︑五の訪客あり︒夜に入り︑四谷へ廻り平山堂N 立寄帰宅︒﹂

︵二三ウ︶ 二十六日晴︒下村元治郎︑愛知県より立候補の件N 付来訪︒石塚三郎︑新潟県後援会大会の件N付︑三枝守富︑木村省吾関東省阿片問題N つき来話︒出版部より高田︑種村来る︒本田信教N学報N掲載すべき余の談話を筆録せしむ︒午後より後援会事務所N 行く︒坂口五峰より来書︒井上辰九郎N容斎画の鑑定を乞ふ為め幅を遣す︒東良三郎より来状︒長岡大里より大樽入越後味噌を贈らる︒﹂︵二四オ︶二十七日晴︒田原武夫︑前島弥来訪︑前島N 立候補を薦む︒田中唯来訪︒三省堂亀井︑校友吉田義之︑横矢重道交々来る︒応接十二時を過く︒昼餐の遑なく︑内務省N 出頭︑警保局長黒河内N面して︑後援会を治安警察法N拠り届出の件N 付協議し︑去つて安田善三郎を安田銀行N 訪ふて︑久須美東馬を候補N立つる件N付云々の協議を為す︒安田︑暗黙の間﹂︵二四ウ︶N 不同意を示す︒始めて帝国ホテル内N設けある与党交渉会N臨み︑縦横余の意見を陳し︑暗N 同志会の横暴を罵る︒四谷平山堂N 立寄り︑根来棚

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月││

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代十二円払︑象谷の香合を購ふてかへる︒長岡より久須美の件N 付来電︒大村和吉郎︑内藤久寛と電話を交換す︒越後の長谷川尚一来る︑不遇︒

廿八日  ﹂︵二五オ︶在外高村真夫︑佐藤享作より絵はかき来る︒昨夜盗あり︒内子の臥床N 入れ置きたる四十五円入財布と余の机上N置きたる八円入銭入を盗み去る︒財布︑銭入のみは今朝台所N 棄てあるを発見す︒他はすべて無事︒盗の入りたる処分明ならす︒八時半より大隈邸N到り︑渡辺︑浦部︑田中と後援会兵端の事N 付伯と協議し︑了つて一室N 会の幹部会を開らき︑諸般緊急の事を協議す︒伯邸N大原孫三郎︑﹂町田忠治︑小池国造等N 会す︒小池より壱万円之寄付を受け︑半金信常N渡し︑半金自分預る︒午餐後︑伯夫人N 閲し︑余の交際費問題N 付︑夫人と内話し︑信常の選挙区問題N付武富逓相を首相官邸N訪ふて協議す︒事務所N 立寄︑石川県の政況N 付凝議して帰宅︒丸山新十郎︑田川大吉郎︑真島美之助︵北魚沼郡川口村︶︑広井一等より来書︒夜来降雨︒﹂︵二六オ︶ 二十九日曇︑後雨︒藤村徳司︑木村省吾︑大鳥井弃三来訪︒大隈邸N到り石川県の事︑其他の件を処す︒伯夫人N面して信常選挙区の事を協議し︑早稲田大学N 立寄帰宅︒小沢隆一来訪物を贈らる︒大里仁太郎より来書︒増田義一を実業日本社N 訪ふて︑後援会へ寄付金の事を談し五千円出金を諾す︒事務所N至り事務を見︑内藤を日本石油会社N 訪ふて話し︑内藤と自動車N 同乗︑飯田橋にて﹂︵二

六ウ︶別れ︑四谷N平山堂を訪ふて長野台山古杯記の幅を購ふ︒西化屋より洋服︑外套出来到達す︒石川県金沢市候補の件N付︑田中唯一郎︑今夕密行出発す︒井上辰九郎N 托して︑山名N 鑑定を求めたる容斎破墨山水真蹟なる旨報あり︒高田学長︑長岡別荘より帰着の報あり︒

三十日晴︒斎藤精輔︑毛利宮彦︑内崎作三郎︑﹂坂口仁一郎来話︒大隈信常N 書状を為持遣る︒小山東助︑宮城県より立候補N付︑香坂駒三郎︑米沢市より同上の件N付来訪︒高田学長を訪ふて話す︒前島弥を越後の候補と

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なすの件︑高田終N不同意︒官邸N信常を訪ふて其の選挙区N つき云々し︑事務所N 至り二︑三の事を処し︑五時赤坂三河屋N町田忠治︑坂口仁一郎を招致して︑選挙上重要の打合をなし︑明日大隈邸N 会合を約し十時帰宅︒﹂︵二七ウ︶三十一日晴︒西化屋洋服店勘定の内二十五円払渡︒セビロ壱対︑ヅボン壱新調分出来︒木村省吾︑小林堅三︑広田来る︒広田N容斎幅代八円払済︒浜岡光哲︑石黒宇宙︑福田久松等より来書︒青柳篤恒来訪︒馬関遊説の報告をなして去る︒坂口仁一郎来訪N付同伴︑大隈邸N到り町田忠治と会し︑午後迄選挙N 関する重要の事を内議す︒二時去つて帰宅後︑神田辺N防寒具︑洋服﹂︵二八オ︶付属品を購ひ︑西化屋N 至り洋服の事N 付云々し︑五時富士見軒N開会の春季校友大会N臨む︒学長より大隈伯後援会と学校の関係N 付演説あり︒高木方より備前の茶入壱個購ふ︒三円五十銭の処︑五円払︑余分を滞り勘定の内へ差入︒昆田より越後産の鴨を贈らる︒大里仁太郎︑不在中来訪︑ 越之雪︑越後雪景写真を贈らる︒夜来雨︒﹂︵二八ウ︶

二月

一日雨︒早朝︑竹内正志来話︒町田忠治︑大隈信常︑湯原元一と電話を交換す︒金沢出張先より田中唯一郎の書状到来︒大竹貫一︑渡辺亨と電話を交換す︒伯邸N抵り信常選挙区問題N 付協議す︒午後︑高木方N 立寄一︑二の物を購ふ︒星野甚右衛門︵島根県校友︶北海道の金子孫三郎来訪︒立候補N 付云々の談あり︒今日︑後援会事務所を南佐柄木町守屋﹂︵二九オ︶此助法律事務所N移転す︒石塚三郎より来書︒夕刻︑倉敷の大原孫三郎と共N 伯邸N招かる︒大原立候補を勧誘の為也︒

二日曇︒昨日来少しく風気にて︑咳嗽続発す︒山田清作︑亀井忠一︑広田金松来訪︒松井郡治︑いばらき新聞本多文雄︑丸山新十郎等より来書︒午後首相官邸N武富逓相と会して信常選挙区の事を協議す︒偶﹂︵二九ウ︶々坂口五峰︑

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年一月〜二月││

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土田元郎と同伴来訪あり︒後援会事務所N到り事務を見る︒午後五時より大松閣N 会の幹部員十五名を招飲︑会務の打合を為す︒夕刻より雨降る︒来客激増のため座布団を購ふ︒三日雨︒河村清雄来訪︒井上辰九郎を訪ふて︑書画之事を話し︑二幅山名N鑑定を托してかへる︒土田元郎︑田中唯一郎来訪︒川上淳一郎︑坂口仁一郎より﹂︵三〇オ︶来簡︒坂口仁一郎の選挙後援を依頼する書状を新発田町野尻信夫方へ郵送す︒午後大里仁太郎︑桐谷洗鱗来る︒感冒未癒へず︒事務所出勤を廃し︑平山堂を訪ふて鍋島青磁の研屏壱を購ふてかへる︒石埭詩画之幅装成る︒藤原忠一郎︑町田忠治と電話を交換す︒角田真平方へ俳諧書画二幅鑑定を乞ひN 廻す︒

四日 ﹂︵三〇ウ︶雨風︒青地雄太郎︑一身上之事N 付来訪︒静岡県N 於ける国民党之事N付内談して去る︒広田︑種村来る︒加藤外相を番町之私邸N 訪ふて︑長時間N 渉り選挙の打合を なし︑十二時事務所N到り常任委員会を開らき︑種々の事を協議す︒学校より倉敷の大原来り︑余を待つとの報あり︒自動車を駆り学校N到り︑大原N面して︑百方立候補を勧む︒終N 其の承諾を得る能はす︒同伴伯を訪ふて︑暫時談話の末﹂︵三一オ︶大原去る︒余は留まりて伯と長時間話し︑夜に入り帰宅︒不在中︑石川県の木下賢太郎来訪︒夜来烈風あり︑竹墻倒壊︒藤村徳司より三省堂の件N 付来書︒

五日風︒川上不二太郎︑田原肖像の件N 付︑三枝守富︑石本慣太郎土佐より立候補N付来話︒表具屋へ十円渡す︒二︑三の幅修補を托す︒内藤と電話を交換す︒午後︑報知社 N三木社長を訪ふて︑上島長久﹂︵三一ウ︶を候補N立つ件 N 付内談す︒終N 承諾を得す︒事務所N 到る︒岡山県の石川半山外二人︑金子元三郎︑木下賢太郎等交々来る︒終に新潟県の広井︑土田︑加賀幸三来訪︒久須美父子の内漸く東馬を立ることにつき︑父翁の内諾を得たることを報し︑更らに安田家と交渉中なりと報す︒大松閣へ三

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名を拉し去り︑晩酌中坂口五峰も来会︒若槻蔵相を介して安田N 交渉せしめたる結果︑面白からず︒蔵相をして更らに再交渉を為さしむる﹂︵三二オ︶事等を相談し十時家 N かへる︒

六日晴︒高野孟矩︑選挙の件N 付来談︒広田より二代六兵衛作香合を購ふ︒代金払済︒昆田来訪︑大隈邸より古河N請求したる件N 関し内談を受く︒五十公野N 適当之土地有り︑買はぬかと真島桂次郎より来簡あり︒関太郎を後援会の事務員N 採用するN 付同人を招致して云々す︒丁酉銀行手形八百円期限N付︑本日更ら﹂︵三二ウ︶に六十日間手形差入︒午後︑事務所N 至り事を処す︒上島長久︑頼母 ︵ママ︶子︑堀越寛介︑坂口仁一郎︑亀井忠一︑坂巻登介︑古田良三外数名来訪︒多忙を極む︒晩間帰宅の途次︑高木方N立寄︑和金の鉢を購ふ︒両三日前快談せし北海道の校友上田重良︑急性肺炎N 罹り死去の報を得︑転た無常を感したり︒ 七日晴︒真島桂次郎N 答ふ︒けふは日曜N 付﹂︵三三オ︶終日遊はんと思ひ立ち︑朝餐後末女を伴ふて散策を試み︑神田辺のあちらこちらに物を購ひ︑浅草の活動写真を見︑大金N午飯をしたゝめ帰宅す︒高木方より乾山方形の皿を取寄せて見る︒文部省より図書館標準目録追加案を作るためのカード若干を郵送し来る︒先頃坪内逍遙から一読を勧めれらた小島烏水の﹁浮世絵と風景画﹂を読み始め︒藤村徳司より来書︒

八日  ﹂︵三三ウ︶晴︒高野孟矩外郡部選挙運動者一︑二来訪︒古河家より寄付の事N 付昆田来話︒大隈秘書官を官邸N 訪ふて内談し︑事務所N到り夕刻迄事務を見る︒今日︑接見の重なるもの︑金沢種次郎︑守屋此助︑高木利平︑輿石権次郎︑呉文聡︑村上太三郎等にて︑幾んと応接N暇あらず︒青柳篤恒より来書︒九日晴︒広田来る︒芭蕉幅代金之内二拾﹂︵三四オ︶円渡す︒松

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年二月││

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岡より大島つむぎを購ふ︒三木武吉︑和泉良之助選挙の件N 付来る︒昆田文二郎来話︒午後︑高木を訪ふて一︑二の物を購ひ︑事務所N到り三木武吉︑龍口了信等と会談す︒砂川雄峻の書状到る︒三時頃より降雨あり︒藤原忠一郎より京都選挙形勢Nつき来簡あり︒

十日晴︒藤原忠一郎N返簡を投す︒石黒宇宙一身上の件N付来話︒田中唯を招﹂︵三四ウ︶き後援会の要件を内議す︒学校へ書を発して当用を弁す︒午後︑高木方へ立寄︑事務所N 到る︒全国遊説の部署を定むる為め︑遊説二十余名を招集し︑余より諸般の訓示をなし︑了つて遊説部署を協定す︒広井一︑久須美立候補破れたる旨を報す︒四︑五の来訪客あり︒浦部︑渡辺︑田中と後援会資金の件︑資金を配つべき候補者の事等を内議し︑夜に入り帰宅︒飯田敏雄より来状あり︒郷里中浦役場へ請求したる﹂︵三 五オ︶戸籍謄本到達︒

十一日  紀元節雪︑後雨︒今朝︑大隈伯を訪はんと後援会幹部と約しあ り︒而して昨日︑伯別荘へ赴きたるにつき朝来訪客を避けて四谷N 黒田を訪ふて︑会心の骨董数点を購ひ︑齎らして赤坂三河屋N到り︑新築の茶室N入り︑携帯之置物を床N 置き︑一酌玩賞す︒漸く倦むて妓を招き︑既往の情事人N語る可らずして語らされば︑悶を遣りかたき﹂

︵三五ウ︶胸秘を洩らして︑二︑三時間俗事を忘る︒紀元節之如期にして此佳節を祝し終り帰宅す︒本日︑黒田方へ代金の内五十円払済︒十二日雨︒小林堅三︑広田金松来る︒広田N 托し木米達磨の手炉鑑定N廻す︒芭焦書簡残金渡済︒松岡来る︑大島つむぎを購ふ︒十一時︑大隈信常を官邸N 訪ふて諸般の事を内議し事務所N到り︑間断なき訪客N没﹂︵三六オ︶頭し︑晩間帰宅︒今日︑来所の訪客十数名︑関和知︑内藤利八︑竹村良貞︑三木武吉︑本多政雄︑報知之福島等も其中N在り︒京都藤原忠一郎より来書︒

十三日晴︒早朝より大隈邸へ行き︑会の幹部と伯N 謁して︑会

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の経済N関し内話す︒信常より三百円受領︒香坂駒太郎︑町田忠治来邸につき話す︒兵庫県之内藤利八︑建部聡︑高橋鷺城︑尾﹂︵三六ウ︶高守︑神村信五郎等来邸︒伯︑官邸へ赴きたる後︑余留まりて午餐之場合︑主人を代理して接待し︑午後学校N立寄帰宅︒藤原忠一郎より来書︒午後四谷の黒田を訪ふて︑茶器を玩賞し︑二︑三時間を消し︑終に鉄製木兎香炉外数点を購ふ︒八十五円払済︒偶々広田金松来り会す︒携へて三河屋N 晩餐してかへる︒

十四日  日曜晴︒広田より涌蓮︑春琴二幅購ふ︒石﹂︵三七オ︶黒宇宙来る︒校友清水泰治来話︒昆田文次郎︑田中作太郎来訪︒沢康太郎編纂の日本楮幣考を携へ来り見す︒十一時より大隈邸N到り︑後援会遊説部隊三十名を会し︑伯より訓示あり︒午餐を与にす︒信常より会之資金として金参千円受取︒三時過迄在邸︑諸般の訪客N接す︒不在中︑三木武吉︑松岡孝一来訪︒来る十九日︑四谷三河屋同窓牛肉会案内来る︒広島早速整爾より来書︒新潟松井より来電︒小田島彦太郎より使﹂︵三七ウ︶来る︒孔雀の大幅相渡 す︒

十五日寒天雪を催す︒早朝内藤久寛を訪ふて久須美立候補の件︑石油会社N 関する件等を協議す︒十時帰宅︒森好造︑香川県候補者の件N付来談︒校友八木淳一郎来訪︑自製の絵はかき帖を贈らる︒十一時より外出︑高木方を訪ふて若干の払をなし︑神保町N旅行用の毛布を購ふ︒事務所 N 到り夕刻迄事務を見る︒例のことく﹂︵三八オ︶多数の訪客あり︒就中新潟より川上︑広井︑大崎︑野沢卯一来り︑新潟市︑佐渡の選挙N 就て云々す︒田中小太郎︑内藤利八等も来る︒新潟より宅へ宛出張弁士Nつき来電あり︒藤原忠一郎︑紫安新九郎︑青柳篤恒より来書︒校友前川九馬人の訃到る︒

十六日晴︒毛利宮彦来訪︑からもの花篭︑大山赤絵茶碗五客贈らる︒広田︑菊屋︑種村︑河内広次郎来訪︒沢本与一﹂

︵三八ウ︶より来書︑東海婦人と云ふ貝を贈らる︒山田清作来り︑五峰の北越詩話一冊謄写成り︑写料四円八十五銭

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年二月││

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渡す︒東海婦人と云ふ陰貝おもしろく思ひ︑饗庭篁村N下物にとて持為遣る︒新潟松井より来電︒午後︑平山堂を訪ふて布はり唐櫃を購ふ︒廿七円五十銭払済︒事務所 N 到り雑務を処す︒首藤陸三外仙台之人二︑三︑竹村︑野沢︑加賀等来る︒目を廻はす繁劇中︑無名通信社員N余の説話を筆記せしめ︑又︑加賀N も久須美東﹂︵三九オ︶馬立候補N付︑推薦の説話を筆録せしむ︒坂本三郎より来書︒信常の請を容れ明朝同行︑前橋へ赴くことを諾す︒新潟市選挙の件N付松井郡冶より来電︒金子馬治訳ニイチェの訳書出版成る︒十七日晴︒今朝八時十五分の汽車にて︑武富逓相︑大隈信常外四︑五の同人と共N上野を発して前橋市N赴く︒今日︑同市N 信常を候補N 推薦するの式あり︑﹂それN臨まん為也︒十二時十分着︑直N赤城館N到る︒こゝに立候補式あり︒逓相と余一場の演説を為す︒終つて柳座

N政談演説会を兼而候補発表の事あり︒逓相の長時間N渉る演説あり︒五時より貴賓館N 官民の歓迎会あり︒右 終り六時二十分の汽車にて一行帰京之途N就き︑十一時帰宅︒松井の電信︑門司八陣熊一︑湯浅元一︑東儀季治等より来書︒藤井忠次郎より消火弾一函を贈らる︒﹂

〇オ︶十八日晴︒高田半峰長岡発の書状到る︒種村来る︒菊屋︑後藤金座の蔵什なる馬の大香炉を持参︒四谷黒田より二︑三の骨董を為持遣す︒二︑三の訪客あり︒館山漸之進の訃到る︒早速整爾妻の訃N接す︒午後︑四谷の黒田を訪ふて若干之払を為し︑事務所N 到る︒木曜日N 付委員来会︑各地より通信頻々到る︒訪客又相踵く︒夕刻︑漸く囲を解き︑事務所を辞し︑小川町N 旅行用具を﹂︵四〇ウ︶購ふてかへる︒在奈良上島長久︑仙台高野孟矩より来信︒廿日夜行︑会の要務を帯び大阪行を決す︒大阪中井隼太より来電︑倉敷原澄冶より来書︒

十九日朝来霙降る︒土肥春曙病気治療代として︑六ヶ月間金五円ツヽ出金を諾し︑東儀へ右申遣す︒松平康国︑近日北

(23)

陸遊説の途N上るN付打合の為来訪︒讃岐高松市候補之件N ﹂︵四一オ︶付中井隼太︑小西和来訪︑協議の末中野武営を訪問せんとして両人先つ去る︒余︑車を僦はんとして︑雪風之為車近傍N 得る能はす︒為めに時刻を移して同訪の約を果すを得す︒午後︑早稲田より漸く車を僦ふて事務所N 到る︒午後︑雪風益々甚し︒大阪高山圭三より来書︒早速整爾妻死去N付吊電を発す︒例N依り諸務を処す︒三時より讃岐高松候補之件N 付小西同伴中野武営を商業会議所N訪ふて話す︒五時四谷へ廻り平﹂ 山堂N 書画を漁り︑三河屋牛肉屋N 新潟学校時代同窓会あり出席す︒十五名来会︒帰宅後︑松井郡冶より来書︒二十日晴︒広田︑菊屋来る︒菊屋より馬の銅の香炉を購ふ︑四十円払︒内藤久寛を訪ふて︑大阪行N付云々の打合を為す︒金百円受取︒貯蔵銀行千六百円手形︵二通︶切替済︒出版部︑三枝守富を訪ふて話す︒京都谷村一太郎より来﹂

︵四二オ︶電︑直N 答ふ︒大阪花屋へ電報を発す︒浮田和民 より来書︒瀬下清通︑外出中来訪︒松井より来電︒午後事務所N 到り事務を処す︒帰路︑旅行用小カバン二個を購ふ︒又︑高木方N立寄骨董二点を購ふ︒二時より行李をとゝのひ︑六時二十五分発急行汽車N 投して大阪N 赴むく︒中央停車場N昆田︑関太郎見送りの為め来る︒長田秋濤も見送り旁来り姫路より自身立候補云々を談す︒二十一日晴︒一睡︑米原N 夜明く︒京都駅より谷村一太郎︑藤原忠一郎︑久保村久次郎車中へ入り来る︒京都市の選挙状況を聞く︒定刻大阪N 着︒後援会幹事の出迎を受けて花屋N入る︒石黒宇宙︑石原善三郎︑畑田保次︑小林房之助︑紫安新九郎交々来訪︒十時︑後援会大阪支部N 到り高山圭三︑砂川雄峻︑小川為次郎外数名N会す︒正午より堂島座N 於て後援会の政談演説会N 臨み︑余も一場の演説を為す︒十七︑八年振りにて﹂︵四三オ︶政談演説を試むる也︒此会N 若槻蔵相も参会︑一場の演説あり︒日本石油会社より日本石油史数部を郵送し来る︒上島長久︑奈良出張先より当所の演説会N 臨む為来る︒今夕︑後援

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年二月││

(24)

会大阪支部の幹部十数名と堂島の旗亭﹁かどの﹂方N会飲︑諸般の打合を為す︒帰宿後︑京都の校友勝田忠平来訪︑京都候補者選定N関し校友間の不調和を云々して去る︒二十二日 ﹂︵四三ウ︶晴︒早朝︑石黒宇宙来訪︒東京よりベルンハーデーの独乙主戦論十部到達す︒友人N贈らんとて取寄せたる也︒北海道の金子元三郎︑博文堂油谷︑平田譲衛︑紫安新九郎︑高山圭三交々来話︒東京より四︑五の書状を回付し来る︒中N 高田早苗より大村和吉郎立候補之件N 付︑塩沢昌貞より大阪朝日の鳥居赫雄宛紹介状もあり︒午後︑関一を市役所N 訪ひ︑又︑鳥居赫雄を朝日N 訪ふて話す︒渡辺亨より来状︒後援会へ書状と電報を発す︒四谷銀行﹂

︵四四オ︶手形切替の件N 付︑田中唯一郎へ手形入書留書状を発す︒又︑内藤久寛N書を発す︒小川簡堂来訪︒踵て谷村一太郎︑下村正太郎︑原田栄次郎︑石原善三郎交々来訪︒紫安再訪︒今夜﹁かどの﹂方N谷村紹介にて大阪毎日経済担任記者佐藤尽造と会見す︒宴後松糸と云ふ待 合N到り広業の作品を見る︒渡辺亨より前橋市反対候補竹越与三郎不起の事決定の電報あり︒深更臥す︒竹中鶴治郎来訪︒﹂︵四四ウ︶二十二日早朝起きて結束︑終N行李をとゝのひる時間なく︑宿屋

N 後送の事を托し七時三十七分之汽車にて京都N 赴く︒下村︑停車場N出迎ふ︒同伴柊家N投す︒先着之若槻蔵相と会す︒又︑佐世保出張中之山崎秘書官N 会す︒十時︑青年会館N当市之後援会発会式を挙く︒若槻蔵相N次き余も一場之演説を為す︒正午︑大阪より来れる小川為次郎N招かれて上島長久︑山崎直三と共N瓢亭N午餐﹂︵四 五オ︶を与にす︒小川より古写経︵白鳳経︶之瑠璃版成りたりとて特N表装を急き先つ余に贈らる︒これは前年余より割愛したる経也︒二時︑小川N 別れて帰宿之途次︑鳩居堂N立寄り︑二︑三の書画を見て柊家Nかへる︒長田秋濤の来書N 接す︒東京より金百円電信為替到達︒当地候補選定N面倒あり︒今日︑詮考委員決定の結果を齎らし︑委員五名外二︑三名来訪︑余の裁定を請ふ為めに

(25)

来る︒種々熟談の末去る︒飯田新太郎より﹂︵四五ウ︶物を贈らる︒谷村一太郎来訪︑晩餐を与にす︒夜来雨︒二十四日雨霽︒早朝︑若槻蔵相と話す︒蔵相︑今朝帰京の途N 就く︒浜岡光哲来話︒下村正太郎︑辻支配人を伴ふて紹介の為来る︒石本暁海︑谷村一太郎外一︑二校友来訪︒石本暁海︑余の為めに光悦屋敷の地図を某家より借り受け来り示さる︒且つ一本を映写して︑余に贈らんことを約さる︒十一時︑谷村︑石本を拉し﹂︵四六オ︶て書画骨董漁りに先づ鳩居堂を訪ひ︑若林書店を訪ふて若干得る所あり︒八新亭の支店に入りて午餐を共にし︑更らに平安書房を訪ふて新画を観︑付近の骨董店を訪ふて︑終N 大丸呉服店N立寄︑下村社長の案内にて営業状態を見︑楼上

N 陳列しある飛行機を見る︒これは一月中︑萩田常三郎か乗つて遭難の機にて︑エンジン破裂︑機械破損の惨憺たる痕跡を留む︒帰宿後︑大阪の木崎好尚︵愛吉︶外一人来訪︒木崎は﹂︵四六ウ︶同志の候補者なるに︑近かく選挙法違犯にて有罪の宣告を受けたるに付︑更らに控訴N 及び︑善後を策せんとして︑特N相談の為来れる也︒木崎去るの後︑谷本︑石本と晩餐を与にし︑趣味談N 夜の更くるを知らす︑十二時過漸く別る︒岡山県校友出身候補赤木亀一より選挙N 関する長文の書簡東京より転送し来る︒

二十五日  ﹂︵四七オ︶晴︒京都N在り︒今朝︑客を避けて寺町表具屋下村五三郎方へ往き︑古簡若干を購ひ︑五条坂N 三浦竹泉を訪ふ︒竹泉︑昨今危篤状態N在り︒気之毒N堪へす︒見舞として金五円を遣して去る︒帰宿後︑鳩居堂を訪ふて余斎翁横巻︑仏庵書幅を購ひ代価三十円払済︒下村正太郎N誘はれて市の西端北野廟付近の﹁すつぽんや﹂大市と云ふ田舎屋N到り午餐を与にす︒大丸の辻孝次郎︑関口泰輔も来り会す︒食後下村同伴︑図書館N 湯浅吉郎を訪ふて︑大丸の為陳﹂︵四七ウ︶列の意匠広告の案を依頼す︒又︑在京都文芸家古聖の墓の写真三十枚原版を借り受け︑早稲田図書館の為壱部を作らんことを依托して︑三時帰宿︒東京の会と宅とへ︑今晩帰京の途に就く旨電報す︒大阪

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年二月││

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の砂川雄峻N書状を発す︒宿屋N三時より五時迄訪客なきを幸とし︑筆を呵して双魚堂日載を記すること六︑七枚︑漸く倦むて罷む︒谷村一太郎より物を贈らる︒石本暁海来訪︒八時二十五分の汽車にて﹂︵四八オ︶帰東之途N就く︒大丸の辻孝次郎︑停車場まで見送らる︒又︑物を贈らる︒車中︑肥田景之︑宇都宮鼎N 会す︒

廿六日九時三十分着京︑直N 帰宅︒雪降り出で︑看るK 積もる︒不在中︑各所より到来の書状を検す︒四谷銀行約手三百円切替︑期限四月廿三日也︒田中唯一郎︑三木武吉来訪︑選挙の件N付云々して去る︒午後︑雪を冒して事務所N 到り︑不在中之事務を見る︒内藤久﹂︵四八ウ︶寛を日石会社N訪ふてかへる︒

廿七日雨︒広田︑菊屋来る︒内藤より長谷川言行録編纂費として五十円を持たせ遣す︒島田三郎と電話を交換す︒昆田文次郎来訪︒井上侯より古河家へ金二万円出金すべき旨申付ありたりとて云々の談あり︒紫安新九郎︑大阪より 来り訪ふ︒会より運動費壱千円交付す︒河合直治︑中井隼太より来書︒十一時︑四谷﹂︵四九オ︶黒田方を訪ふて骨董数点を購ひ︑金五十円代金内済︒三河屋N飯して一時事務所N 到り︑晩景まで緊急の事務を見る︒大隈伯︑来月石川県へ出張の予定N付︑時間割等を定む︒日清生命株配当壱株N 付壱円本日受取︒日本蓄音器商会の関久太郎︑大隈伯の演説を蓄音器N仕込む件N付来訪︒

廿八日  日曜雨︑霽︒鋳方徳蔵︵陸軍中将︶︑佐藤伊助の﹂息の縁談の件N 付来話︒飯田敏雄を招き長谷川喬言行録之件N付云々す︒大隈伯を訪ふて伯の石川県金沢行を云々す︒結局渋沢︑中野︑大蔵大臣の三人を代参とすることゝなる︒余も同行之筈︒伯の演説を蓄音機N移すの件︑夫人の助力を籍りて僅かに承諾を博す︒本山健次︑上遠野富之助︑岡山市の校友山崎定太郎等交々伯方へ余を訪問し来り︒午後三時迄伯邸N 在り︒帰宅後末女を伴ふて神田︑上野辺N散策し物を購ひ︑晩食を済ましてかへる︒﹂

︵五〇オ︶京都勝田忠平より来書︒

(27)

三月 一日晴︒広田︑表具屋古沢来る︒四︑五の幅箱︑手簡巻等を托す︒十時︑事務所N至り例の如く夕刻迄事務を見る︒北海道藤山要吉立候補牽制之事︑宮崎県候補大塚氏明応援之件︑明日より村田保翁各地出張之件︑名﹂︵五〇ウ︶古屋市候補小山松寿N 応援之為伯之書状を発する件︑医師会決議文立稿の件︑蓄音機N伯之演説を吹き込む件等を処理す︒帰途高木方N 立寄︑一︑二の物を購ふてかへる︒小林堅三来訪︒谷村一太郎︑京都より来訪︒木崎好尚より来電あり︒二日晴︒在伊豆別荘前島男N 書状を発す︒薄田貞敬︑種村宗八来話︒高木﹂︵五一オ︶正年︑選挙の件N付来訪︒日本蓄音器商会の関久太郎︑本日大隈伯の演説を蓄音器N 移す

N付︑設備其他の件N付打合の為来訪︒河合直次N書を投す︒午後︑平山堂を訪ふて物を購ひ且つ若干の払を為 す︒四時︑大隈邸N至り︑蓄音器吹込の設備を検し︑五時より伯の演説を吹込むことゝなり︑余︑先つラッパ管

N対し伯の演説あるべき旨并N演説の憲政N於ける与論の勢力なることを吹込み︑踵て伯より管N 向つて熱誠なる﹂︵五一ウ︶選挙民N対しての演説あり︒三分間毎N休憩約三十分間にて演説完了す︒学校并に後援会より傍聴之為数十名来り会す︒高田学長も来会あり︒此の器を据付けたる場所は︑伯の書斎と夫人応接室の中間の出入口なり︒新聞記者も五︑七来り会す︒余より演説の内容を新聞N 掲載す可らずと注意す︒此事終つて高田学長を伴ふて田中唯︑渡辺亨と自動車を駆り築地之富貴樓N到り晩食を与にし後﹂︵五二オ︶援会の前途を話し︑十時家N 帰へる︒木崎愛吉より来電あり︒

三日晴︒早朝︑大隈伯并N信常を訪ふて︑会務を話す︒種村宗八︑藤井忠治郎︑広田来訪︒岡山県之大戸復三郎︑岡山市より立候補N付来訪︒毛利宮彦︑又来る︒四谷の黒田を訪ふて骨董を見る︒土肥春曙の訃到る︒一時︑事務

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年二月〜三月││

(28)

所に到る︒夕刻迄間断なく選挙事務を処し多忙を極む︒福井の三田村﹂︵五二ウ︶甚三郎︑岐阜の松原九郎来訪︒日清生命保険の同人と相携へて赤坂三河屋N晩餐を与にす︒大鳥居弃三︑下村正太郎N 書状を発す︒渡辺外太郎より近著﹁大隈老伯﹂を贈らる︒此書N余の序文あるが故也︒木崎愛吉より来電︒四日晴︒菊屋来る︒木米作の香合を購ふ︒代金の内十円払︒大隈首相邸N到り︑阿部興人と選挙の事を話﹂︵五三オ︶す︒伯父子と会之緊急事務を協議す︒午後︑上島長久の為め報知社N三木社長を訪ふて話す︒事務所N到り二︑三喫緊の事を処し︑日本石油会社N 内藤久寛を訪ふて薄暮帰宅︒今夜︑事務所N委員会あり︑歯痛の為行く能はず︒

五日大雨しばK到る︒種村︑山柴︑広田来る︒大隈邸N到り会務を処す︒高木方N 立寄物を購ひ︑日本石油会社N内﹂︵五三ウ︶藤を訪ふて︑長谷川喬遺伝編纂の事N与り︑事務所N 到り事を処し︑夕刻︑平山堂を訪ふて物を購ひ︑ 三河屋N飯して帰宅︒石川県出張先より松平康国の電報到る︒金五百円︑会より請取︒内二百円石川県へ出張旅費︑三百円一時立替︒

六日雨霽︒田中唯一郎を招致して︑当面の諸問題を協議し︑松平出先へ返電を発す︒大隈伯N 会して︑神戸の候補岡崎の選﹂︵五四オ︶挙違犯Nつき云々す︒明日七時発金沢へ出発之事を決し︑横山俊次郎へ電報を発す︒内藤久寛を日石会社N訪ふて話し︑午後︑事務所N到る︒中井隼太︑讃岐高松より立候補決定の電報あり︒喫緊の要件を処して帰宅︒黒田方を訪ふて︑夕刻迄骨董を見る︒会心のものを獲す︒先回買物代百円の内五十円払済︒女みつ︑昨日より病臥︒前田医来診︒軽症憂ふるに足らず︒下村正太郎より来書︒神田にて別荘用安楽椅子を購ふ︒又︑児の為めに﹂︵五四ウ︶卓上ピアノを購ふ︒朝来頭痛を覚ふ︒早く臥す︒文部省出版図書標準目録追加案カード︑主任田中稲城へ小包にて発送︒

(29)

七日晴︒瀬下清通︑渡部外太郎来訪︒阿部興人と電機にて話す︒菊屋来る︒大鳥井弃三より来簡︒昆田文二郎来話︒三枝守富来話︒午後︑事務所に到り紛然たる事務を見︑四時過帰宅︒今日七時︑加州金沢へ出発と予定の処﹂︵五 五オ︶都合により明日夕刻出発と決す︒諸葛小弥太︑村井吉兵衛へ会へ贈金N対し自筆の謝状を発す︒坂口五峰より来書︒直N 答ふ︒幅箱五個出来︒青柳篤恒︑田中小太郎︑竹村良貞︑田中唯等と選挙の諸件を協議す︒深更︑二通の電報到る︒一︑武内作平N 関し小川為次郎より︑一︑中井隼太に関し小西和より︒終夜大雨あり︒

八日雨風︑後晴︒早朝︑伯を訪ふて後援会の件N付内議す︒日清印刷会社の重役会N 臨み︑午後より事務所N 到り会務を処し︑帰途高木方N立寄︑宗入之茶碗を購ひ︑若干の払を為す︒三時帰宅︒石川県金沢行之支度を為す︒大隈信常より三百円請取︑内二百円会より繰替を得たる三百円の内へ返す︒伯吹込みの蓄音器円盤壱通出来︒伯家 へ先つ持参︑試験の処︑成績よろしきNつき取あへす金沢へ携帯の事となる︒﹂七時二十分の汽車N 投せんとて上野N到る︒会より山沢︑黒川︑関見送りN来る︒偶々大竹貫一︑中島崢の越後へ赴くに会し同車す︒寝台之設備なきため通宵眠を得す︒高田辺にて夜

︵欄外注︶﹁九日﹂明く︒雪チラK降り︑地上Nも少しく推雪あり︒直江津N て乗換︑直N 発車︑風雪中郷津湾頭之怒濤を見るも亦一興也︒いつしか糸魚川を過き姫川の架橋を渡り︑往年高田在住の節︑親不知の地を訪ふて帰路出水の為め橋落ち︑二日間対岸の青海N滞在せしこと﹂︵五六ウ︶など追懐して独り興に入る︒親不知の険も今は墜道を貫通して暗中N過き富山県N入る︒入善と云ふ所にて駅の里程標を見れば金沢迄六十五哩︑京都迄二百二十五哩とあり︒十時富山を過ぎ︑十一時半倶利伽羅の古戦場を経て金沢漸く近かし︒森本駅より横山俊次郎外二︑三子迎の為車中に入り来り︑十二時金沢着︒直N旅館源円N投す︒谷村一太郎︑真館貞造︑三田村甚三郎︑横山四郎右衛門等

﹃春 城 日 誌﹄︵二四︶││﹃双魚堂日誌﹄大正四年三月││

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