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第 査調 工早

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Academic year: 2021

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(1)

調 査

Ⅱ 工早 第

1  調査地の位置 と既往 の調査 A 

調査地の位置

調査地は、藤原宮大極殿跡か ら南東 に約600〜

800mを

隔てた藤原宮跡の東南 隅部 にあたる。東方約

500mに

は、

香具山の山塊がそびえる。

調査地 は、藤原宮東南隅に位置 し、藤原宮の南面外郭 施設 と藤原宮東南官衛地区、そ して藤原京左京七条二坊 西北坪 にお よんでいる。

調査地の

400m南

方 には、小 山廃寺 (通称 。紀寺跡、藤 原京左京八条二坊

)が

ある。小 山廃寺 は、かつては、そ の伽藍中軸線が京の条坊 とずれている、 と考 え られて き たが、近年の検討 によって、条坊 と中軸線が合致す るこ とが判明 した。

また、調査地北東 には、

 7世

紀 中頃の瓦 を出土す る木 之本廃寺が ある。軒瓦 は吉備池廃寺 と同範 であ り、九 瓦・平瓦 に も共通す る ものがあるので、「高市大寺」所 在地の一候補 とされる遺跡である。

地形分類 的に述べ ると、調査地の東方、呑具 山山麓 と の間には、「飛鳥面」 とよばれ る低位段丘面の北端部が お よんでいる。高所寺池の東岸 は、 この低位段丘面に隣 接す る自然堤防である。

飛鳥面 と香具 山山塊 との間には、現在、「中ノ川」 と よばれている河道が北流 して、両者 を隔てている。 この 中ノ川 は、飛鳥酒船石遺跡 の東麓か ら、現奥 山集落 (奥

山廃寺寺域

)の

西方 を北 に流 れ、大官大寺 の西 を迂 回 し て香具 山山塊 の西裾 (現在の飛鳥藤原宮跡発掘調査部庁舎 東側

)を

北 に流 れてゆ く。 このルー トは、「斉明紀」 に みえる「狂心渠」の一部 とみて誤 りなかろう。

高所寺池の西岸 に近接 して、その西南 には、現在、春 日神社が鎮座す る小丘陵がある。 これは、飛舟の雷丘か ら北北西 に連続す る浸食残丘の一つで、高所寺池西南部 はその丘陵裾 に近接す る。

既往の調査

高所寺池周辺

200m内

外 の範囲でお こなわれた発掘調 査 は12件ある。いずれ も奈文研飛鳥藤原宮跡発掘調査部

による調査である。

これ らを、藤原宮外郭施設、藤原宮東南官行地区、そ して藤原京左京七条二坊、の3つにわけ、概要 を示す。

4

藤原宮外郭施設関係の調査

13次調査は、農業用倉庫 の新築工事 に ともない、高 所寺池の西堤体 の外側で実施 された調査である。藤原宮 期お よびそれ以前の遺構 は、後世の攪乱 によって失われ てお り検 出で きなかった。

第15次 調査 は、高所寺池東方約

60mの

地点 において、

藤原宮の東南隅を確認す る目的で実施 された学術調査 で ある。掘立柱柱建物

2棟

、掘立柱塀

4条

、溝

3条

、土坑

1基

などを検 出 したが、宮大垣東南隅お よび外濠 は検 出 で きなかった。

27‑3次

調査 は、高所寺池東方約

70mの

地点でお こ なわれた、家屋新築 に ともなう事前調査 である。東面外 濠 とその内側 の南北溝 を確認 したほか、

 7世

紀後半 (飛

鳥Ⅳ

)の

井戸、12世紀代 の上坑、弥生時代 の土坑 な どを 検 出 した。

藤原宮東南官衛地区の調査

いずれ もご く小規模調査 である。

48‑9次

調査は、高所寺池の北方約

60mの

地点でお こなわれた農小屋建築 にともなう事前調査である。

7世

紀前半 の土坑

1基

と14世 紀 の南北溝

1条

を検 出 したが、

藤原宮期の遺構 はみつか らなかった。

66‑14次

調査は、高所寺池東北隅にある上げ樋改修 工事 に ともなう事前調査である。柱穴

1基

を検 出 した。

75‑5次

調査 は、高所寺池のす ぐ北側 を走 る道路下 の水道管敷設替 えにともない、藤原宮の東辺か ら西辺 に 至 る間を調査 したが、調査範囲の制約が大 きく宮期の遺 構 は確認で きなかった。

藤原京左京七条二坊の調査

今 回の調査地南方では、市道飛騨木之本線の新設 にと もなって第74・ 75次調査 を実施 し、左京七条二坊 の東南 坪 と西南坪の一部 を発掘調査 した。

第74次 調査では、左京七条三坊西南坪か ら七条二坊東 南坪 にわたる調査 区をもうけた。東二坊大路 を検 出す る とともに、七条二坊東南坪 においては、南北溝

4条

と井 戸

1基

を確認 した。掘立柱建物 は

3棟

を検出 したが、方 位が振れてお り、藤原宮以降の もの と推測 された。

第75次 調査では、東二坊坊 間路の西側溝 を検出 し、 さ らに東南坪では井戸

1基

、西南坪では井戸

2基

と掘立柱 建物

1棟

を確認 した。

(2)

・lS

Fi3。

調査区 と周辺 の調査地

 112500

(3)

宮期の遺構 をみる とヽ東隣の七条三坊西南坪 に くらべ て建物規模や密度は小 さい。 しか し、七条二坊西南坪で 小 山廃寺同籠の雷紋縁軒丸瓦

1点

や、同寺 に関連す る丸 瓦 。平瓦が出土 してお り、藤原京の宅地 としてではな く、

小 山廃寺 の寺域 との関係 をうかが う成果があがった。

さらに、第75次 調査 では、古墳時代 (6世紀前半以前)

の建物 と塀、そ して

7世

紀前半 (飛鳥 I〜 ■

)の

建物や 溝、井戸がみつかったほか、12世紀末〜13世紀の居館跡 が発見 された。東西52.5m× 南北36.5mの長方形 に濠が 巡 り、内部 には建物、井戸、土器廃棄土坑 などがあった。

この ように、高所寺池周辺で過去 にお こなわれた調査 では、藤原宮・京の時期 だけでな く、その前後、弥生時 代か ら中世 に至 るこの地域の歴史が、発掘調査 によって 明 らかにされつつある。

2  調査 の概 要

2000年 度 (平12年度、第113次調査

)は

、当初、工事

着手が翌年 (工事は、平成13年度から15年度までの3カ年 計画

)と

のことで、 まず、高所寺池の堤体 内側での地下 遺構残存状況 を確認す る調査 に入 った。東西の池岸で3 カ所ずつ、南北の池岸で 1カ 所ずつの合計 8カ 所 に幅3

mの

試掘坑 を設定 した。試掘坑 は池の中にもお よぶため、

試掘坑の周囲を上壌改良 した後、重機掘削 をお こない調 査 に着手 した。

その後、工事計画が変更 され、2000年 度中に一部工事 が実施 されることとなったため、その範囲にあたる南 と 東辺南部の池岸の範囲を発掘調査す ることとなった。 こ れ とあわせて試掘坑の調査 も実施 した。

南岸 を南区、東岸 を東 区 とし、

 

トレンチは東岸 と北岸 に 1カ 所ずつ (東・北 トレンチ)、 西岸 に3カ (北から 西 I〜 西Ⅲ トレンチ

)と

した。調査 の結果、六条大路 お

よび東二坊坊 間路の側溝や、

 7世

紀の掘立柱柱建物や井 戸、中世期の井戸 な どを検 出 した。調査期 間は2001年 115日〜 4月 5日 、調査面積 は2080∬。

2001年 度 (平13年度、第118次調査

)は

、北岸 を中心 として、東西 の岸 の北部 を含 む コ字形 の範 囲、お よび、

池の西北隅にある底樋改修工事 に射応する範囲について 調査 に入 った。

その後、工事の都合か ら西岸北部に調査 区を追加 した。

この調査 の過程で、底樋改修工事の範囲において大型の 掘立柱柱建物 (SB9600。 9601)が確認 された。

これ を受 けて遺構保全 のため に工事 内容 が変更 され、

それにともない調査 区を一部拡張 した。調査の結果、藤

6

原宮南面の掘立柱大垣 と内濠・外濠、藤原宮東南官衛地 区の掘立柱建物や塀 な どを検 出 した。調査期 間は2001年 10月29日〜2002年 2月20日、調査面積 は2000∬。

また、取水 口の工事 にともなって池外側の水路改良工 事 の事前調査 も実施 した (第119‑2次調査)。 遺構 は検 出

しなかった。調査 は2002年 4月 3日 、面積14だ。 2002年 度 (平成14年度、第124次調査

)は

、西岸の南部 を調査 して、藤原宮南面大垣 と外濠のほか、

 7世

紀代の 遺構 を検 出 した。 また、洪水吐改修工事 にともなう調査 区をもうけて調査 した。調査期間は2002年10月 24日〜12 月20日、調査面積 は1100だ。

2003年 度 (平15年度、第131次調査

)は

、西岸南端 と

南岸の西部 に調査 区を設定するとともに、池内部 にも調 査 区を設定 して、 これ を学術調査 として実施 した。藤原 宮期の遺構 は削平 を受 けてみつか らなかったが、古墳 の 周溝や中世期の井戸 を検出 した。調査期 間は2003年10月 21日〜12月 25日、調査面積 は1960∬。

3  測量 と地区割 A 

  

測地系の変更

 2002年

4月 1日 の改正測量法の施行 に伴 って、測量の基準が 日本独 自の基準 (日本測地系

)か

世界標準である世界測地系 に変更 され、以後、公共測量 はこれに準拠 して実施す ることとなった。標高に関 して は、実質的に著 しい変化 はな く、大 きな問題はない。 し か し、位置の基準 となる平面直角座標系 の原点 は、東南 方向へ緯度で約12秒、経度で約10秒移動 し、移動量 (座

標変位量

)が

地域 ごとに異 なる。 これ まで、公共測量 に 準 じて設置 した

3級

基準点な どを基準 に 日本測地系 での 調査 をお こなって きた当研究所であるが、それへの対応 が必要 になった。

そ こで、発掘調査等 に世界測地系 を導入す るまで、施 行後

1年

間の準備期 間を設けることとし、その間に既設 基準点の改測 (再測量)。 改算 (旧観測値を用いた再計算) 作業 を実施 して、座標変位量 を確定す ること、過去の 日 本測地系 の成果は、今後、世界測地系へ読み替 えること、

な どの基本方針 を決定 した。そ して、発掘調査 は2003年

Tab。

1 2級

基準点 No 173の 新 旧成果

基準点

X座

Y座

標 標 高

日本系 世界系

‑166,949.961    ‑17,044252

‑166,603.438    ‑17,305,828 +346.523       ‑261.576

79,416 79,416

(4)

4月 か ら世界測地系へ全面的に移行 した。本報告の対象 地では、調査 の最終年度の第131次 調査 のみが世界測地 系での調査 にあたる。

当該地域では 日本測地系 の座標値 を世界測地系 に変換 す るため には、実用上、

X座

標 で +346.5m、

Y座

標 で

‑261.6mを加 えればよい とい う結果 を得 てお り、本調査 に用いた基準点No。173の新 旧成果 とも合致する (TVab.1)。

B地

区 割

 

 

奈文研 では飛鳥藤原地区の発掘調査 において平 面直角座標第Ⅵ系 に基づ く地区割 をお こなっていた。

この地区割 りは小地区・ 中地区・大地区か らなる。小 地区は一辺

3mの

正方形で、それぞれ

X座

標値・

Y座

標 値 ともに3の倍数か らなるグリッ ドで構成 される。

次 に中地区は、原則 として、東西222〜

228m(小

地区 74〜 76区画分

南北

54m(小

地区18区画分

)の

区画であ る。中地区南辺 を

Aラ

イ ン、北へ

3mご

とにB、 C、

D

●中とし、東辺 を10ライ ン、西へ

3mご

とに11、 12、

13‑

とす る。すなわち、中地区東南隅を起点A10と し、小地 区東南隅のアルファベ ッ ト

1文

字 と

2桁

の数字の組合せ で表す グリッ ド名称 を小地区名 とす る。その小地区名の 前 に中地区を表すアルファベ ッ ト

1文

字 を冠する。

大地 区 は東西

672m(中

地区東西3列)、 南北

324m

(中地区南北 6列 分

)か

らなる。大地区名 は先頭か ら時代 を表す数字 (飛鳥時代は5)、 遺跡の種類 を表すアルファ ベ ツ ト (都城はA、 寺院はBな ど)、 位 置 また は遺跡名

(飛鳥寺はAS、 豊浦寺は

TUな

)を

示す アル フ ァベ ッ ト

Tab.2 

航空写真撮影一覧

調査 次数

 

撮影年 月 日

 

フイルム種別

 

図化に用いられた垂直写真 第113次

 20012.21  

カラー

   4コ

ース31カッ ト 第118次

 20011127  

カラー

   3コ

ース10カ ッ ト 第118次

 2002.129  

カラー

   3コ

ース15カ ッ ト 第124次

 2002.1213  

カラー

   1コ

ース8カッ ト

2文

字の組合せか らなる。

前述 の ように、世界測地系への移行 に伴 う座標変位量 は3の整数倍 とは一致 しないため、それぞれの座標系 に 基づ く方眼は、新 旧2つの地区割でずれを生 じることに なった。飛鳥藤原地域でのずれの大 きさは、

X座

標が、

+346.5‑(3× 115)=+1.5m、

Y座

標 は、

‑261.6‑(3× 87)=‑0.6m、

であるため、 日本測地系 に基づ く旧地区杭 の南東 (南

1.5m、 東へ

06m)に

、世界測地系 に基づ く同名 の地区杭

が設定 されることとなった (Fig.3。 4)。

基準点測量 と実測

 

本報告 に関わる発掘調査 で使用 した 基準点の概要 を以下 に記す。

調査対象地の高所寺池北西隅の堤上 には、第

66‑14次

調査では、当調査部が設置 した基準点No.8が あ り、基準 点

No.1を

後視、調査地脇 の新設点 を前視 とした開放 ト

ラバースを行い、 これを基準点 としている。

また、調査対象地の高所寺池の北堤上 には、当調査部 が設置 した

2級

基準点No.173が ある。

第113・ 118・ 119‑2・ 124次 の各調査 では、 この基準 点 を既知局 とし、観測点 となる移動局の座標 をリアルタ イムで得 られ る

RTK― GPS法

で、小 地 区の地 区抗 や遺 構面 に実測 の基準 となる座標値 を もつ基準線 を設定 し、

実測の基準 としている。

第131次 調査 では、調査 区を囲む

3個

所 の

2級

基準点 を既知点 とし、

GPS短

縮ス タティック法 によ り調査 区隣 接地に

2個

所の基準点 を新たに設 け、その点 を用いて ト ータルステーシ ョンで基準線 を設定 し、小地区の地区抗 や実測の基準 とした。

実測図の縮尺 はいずれ も1/20で、平面図作成後、標高 を記入 した。標高は、水準点か ら標高 をとりつけている 基準点No.8・ No。173の標高 を基準 としている。

航空写真測量 と編集図

 

調査時 には標定点 を写 し込んだ 航空写真測量 も実施 してお り、各調査 区 ともこれを図化 して遺構平面図 とした。各次数 ごとにお こなった図化 図 面 を実測図によ り校正 し、それ らを接合 した編集図を作 成 した。本報告の平面座標 は世界測地系で表示 し、 日本 測地系 の数値 は一部 を示す にとどめた。

旧地区杭

Fig。

新 旧地 区杭 の位 置関係

(5)

日本測地系

大 地 区 中小 地 区

Tab。

地 区割 の起点 の座標値 一覧

X座

Y座

標 大地 区 中小 地 区

X座

Y座

5AJG 5AJH

5A」

H

5A」

H

5A」

H 5AJH

大地 区 5A」

G

5A」

H

5A」

H 5AJH 5AJH 5AIH

AA10 FA10 BA10 CA10 DA10 EA10

AA10 FA10 BA10 DA10 CA10 EA10

‑166,944

‑166,998

‑167,052

‑167,106

‑167,160

‑167.214

‑166,599

‑166,653

‑167,707

‑166,761

‑166,815

‑1

‑17,115

‑17,115

‑17,115

‑17,115

‑17,115

‑17.115

5AJC

5A」

D

5A」

D 5AJD 5AJD 5AJD

5AJC 5AJD 5AJD 5AJD 5AJD

D

UA10 PA10 QA10 RA10

S望ヽ10

TA10

UA10 PA10 QA10 RA10 TA10 SA10

‑166,944

‑166,998

‑167,052

‑167,106

‑167,160

‑167,214

‑166,599

‑166,653

‑167,707

‑166,761

‑166,815

‑166,869

‑16,887

‑16,887

‑16,887

‑16,887

‑16,887

‑16,887

‑17,148

‑17,148

‑17,148

‑17,148

‑17,148

‑17,148

中小 地 区

X座

Y座

標 大地 区 中小 地 区

X座

Y座

‑17,376

‑17,376

‑17,376

‑17,376

‑17,376

‑17,376 世界測地系

ng。

高所寺池調査地 とその周辺 の地 区割

 1:3000

(括弧書 は日本測地系)

参照

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