第皿章 津島岡大遺跡第12次調査
第1節 調査経過と概要
1。調査に至る経緯
岡山大学津島地区構i内では、1982年度の津島岡大遺跡第1次調査を初めとして、2001年度ま でに27次にわたる調査が実施され、縄文時代以降近代までの遺構・遺物の状況が各地点で確認 されている。
津島キャンパス北側の附属図書館の増築が計画され、工事予定地内で試掘調査を実施したの が1989年度のことである。建設予定地は津島岡大遺跡第1次調査地点の東隣にあたり、第1次 調査地点で確認された、弥生時代・平安時代の溝に関係した遺構検出が見込まれた。
試掘調査は南北に各1箇所の試掘坑を設定して実施された。いずれの試掘坑でも水田畦畔を 1面確認し、南側のTP2においては東西方向の溝1を11条検出した。試掘調査の結果と周辺調 査の成果をあわせて、建設予定地内の包含層の残存状況は良好であり、縄文時代から近世・近 代におよぶ遺跡の存在は明白であると考えられた。特に古代の条里関係では東西方向の溝の把 握が期待された。
建設計画が具体化したのは1993年度になってからである。調査面積は1770㎡だが、予算の関 係上、北側の5/6の調査をまず実施し、予算措置が講じられ次第、早急に南部分の調査に入る という極めて変則的な分割調査を行うこととなった。1994年3月より、北側部分1470㎡の調査 を開始した。詳細な経過は後述するが、10月までは調査員4名が担当し、南部分のみの調査と なった10月下旬〜11月は調査員2名が担当した。
2。調査体制
調査主体
調査担当
岡山大学
小坂二度見 学長
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター 稲田 孝司 センター長
津島岡大遺跡第12次調査
調査研究員 阿部 富樫 主任 山本 松木 光石 岩崎
管理委員会
[委 員]
学長 文学部長
教育学部長
法学部長
経済学部長
理学部長 医学部長 歯学部長
薬学部長
工学部長
農学部長
教養部長
[幹 事]
庶務部長 経理部長
芳郎 助手(1993年度)
孝志 助手(1993年度)
悦世 助手(1994年度)
武彦 助手(1994年度)
鳴巳 助手(1994年度)
志保 助手(1994年度)
小坂二度見 工藤進思郎
伊澤 秀而(1993年度)
木原 孝博(1994年度)
江ロ 三角(1993年度)
早瀬 武(1994年度)
神立 春樹(1993年度)
藤本 利躬(1994年度)
岩見 基弘 新居 志郎
中後 忠男(1993年度)
中井 宏之(1994年度)
田坂 賢二(1993年度)
篠田 純男(1994年度)
河野伊一郎(1993年度)
中島 利勝(1994年度)
河津 一・儀(1993年度)
千葉 喬三(1994年度)
岡部 喬
今川 庄造
山口健太郎(1993年度)
池本 洋一(1994年度)
文化科学研究科長 古川 隆夫
自然科学研究科長 早津 彦哉(1993年度)
富永 久雄(1994年度)
資源生物科学研究所長
兼久 勝夫 附属図書館長 好並 隆司
医学部附属病院長 松尾 信彦(1993年度)
折田 薫三(1994年度)
歯学部附属病院長 松村 智弘(1993年度)
村山 洋二(1994年度)
地球内部研究センター長 本間 弘次
医療技術短期大学部長
喜多嶋康一 学生部長 松浦 正義 事務局長 伊藤 公紘 埋蔵文化財調査研究センター長 稲田 孝司
施設部長 北原 實(1993年度)
井内 敏雄(1994年度)
一170一
運営委員会
[委 員]
文学部教授 稲田 孝司(埋蔵文化財調査研究センター長)
文学部教授 狩野 久 農学部教授 教育学部教授 高重 進 教養部教授 経済学部教授 建部 和弘(1994年度) 文学部助教授 医学部教授 村上 宅郎 施設部長
千葉 喬三(調査研究専門委員)
定兼 範明(1993年度)
新納 泉(調査研究室長)
北原 實(1993年度)
井内 敏雄(1994年度)
3。調査の経過と概要
臼)経 過
1994年2月15日より造成土掘削を開始し、3月3日より本格的な発掘調査に入った。先述し たとおり、北側1470㎡(以下北区とする)を先行して調査し、予算が付き次第南部分(以下南 区)の調査を開始して、早い段階で全面一・括の調査を実施することとしていた。しかし、南区 の調査開始は大幅に遅れ、造成土掘削が始まったのは9月12日であった。そのため、当初予定 していた全面一括調査は不可能となり、作業効率も考えた上で、北区の調査終了後に南部分の 調査を行うこととした。
北区では、造成土掘削後、明治層・近世層・中世層・古代層と、各面で溝・畝・畦畔・野壼 などの耕作関連遺構の調査を行った。明治面で調査区のほぼ中央を東西に走る溝を検出し、そ の後の各面でもほぼ同位置で、各時期の溝を検出できた。特に中世〜古代層では、この東西方 向の溝は、幅が5〜10mもの大規模なものとなった。さらに弥生〜古墳時代層では、数回にわ たって掘り換えられた溝群のほか、中世〜古代の大溝の下部で、弥生時代の大溝が検出された。
これらの遺構の調査は順調に進み、8月末に終了した。
以下の遺構面については、大溝を境に調査区を分割して北側の調査を行い、南側は南区と一 括して調査することとした。これは大溝が最深部で標高0.5m前後まで掘り下げられており、
溝部分は基盤層まで達していたためである。9月から北区においては弥生時代層(12層)上面 で洪水砂に覆われた小区画の水田畦畔の検出に入った。溝のない北半部では良好な状況で遺構 検出ができ、さらに「黒色土」(13層)上面でもほぼ同様の規模・方向の水田畦畔を検出した。
水田畦畔の調査を終了した段階で、9月17日には現地説明会を開催した。10月にトレンチ調査 を行い、ピット・焼土集中等を確認したため全面を掘り下げることとした。土坑・ピット・焼 土集中域等の検出を行い、最終的には基盤i(15層)上での遺構確認を行い、10月末で北区の調
津島岡大遺跡第12次調査
査を終了した。
一方南区では9月の 半ばから造成土掘削を
開始した。北区で遺
構・遺物が希薄であったため、中世層までを
重機によって掘削し
た。南区の本格的な調 査開始は10月24日であ る。大溝以南の部分も 含んだ南区の調査面積 は約370㎡である。古 代層上面で耕作痕・溝 などの遺構を検出し、以下ほぼ北区と同様に
弥生〜古墳時代の溝
群、弥生時代の水田畦 畔2面、縄文時代の土 坑・ピット・焼土遺構 等の遺構を検出した。11月24日には全体の写 真撮影を行い、翌25日
に調査を終了した。
〜
N14−00ライン
匿翼近世[中世〔]古代
口弥生端〔コ縄文
AW−0
O ]Om
図125 検出遺構全体図(縮尺1/400)
一172一
(2)概 要
本調査の概要としては、縄文時代後期の土坑・ピット群と、弥生時代〜近代にいたる各時期 の溝・畦畔状遺構等の耕作関連遺構の検出にまとめられる。以下に概要を記す。
a 縄文時代
本調査地点で最古の遺構は縄文時代後期と考えられる土坑・ピット群である。基盤層である 15層上面で土坑20基、ピット多数を検出した。15層上面は標高1.6〜2.lmとやや起伏のある地形 であり、遺跡全体からみると調査区の南側に想定される微高地から北側の低地へと向かう緩や かな斜面にあたるものと考えられる。その他に炉を廃棄した残骸と考えられる遺構を数カ所で 検出し、「焼土集中域」として報告している。
この時期の本地点は居住域ではなく、居住域の周縁部にあたるものと推定される。
b 弥生時代〜古墳時代
調査区の全面で13層(黒色土)の堆積が認められ、弥生時代前期に畦畔状遺構が形成されて 以降、本調査地点は主として耕作域として利用され続けることとなる。
13・12層上面で、それぞれ畦畔状遺構を検出した。13層はいわゆる「黒色土」であり、この 層の上面で1面、13層畦畔状遺構
を覆う12層上面でも1面を検出し た。2面とも近接した時期に形成 されたものと考えられ、形成時期 は弥生時代前期と考えられる。い ずれも東西方向優i勢の小区画畦畔 である。さらに12層上面では南北 方向の溝1条を検出している。
11層上面では東西方向の溝i11条 と土坑1基を検出した。溝のうち
1条は幅7〜11m、深さ1.5mの
大溝(溝i2)である。溝2中から は弥生時代早期〜古墳時代初頭の 遺物が多数出土し、溝2の時期は 弥生中期中葉から古墳時代初頭で ある。他の溝群も古墳時代初頭ま写真55 調査風景(11層溝群)
写真56 溝2出土木製品
津島岡大遺跡第12次調査
での時期と考えられる。
10層上面では溝10条、土坑1基を検出した。溝i群は11層検出遺構iと方向・規模が相似してい る。溝の時期は古墳時代と考えられる。
c 古代・中世
8層で溝3条を検出している。このうち2条(溝27・28)はほぼ同位置を東西方向に走行す るもので、条里に関係する坪境の溝と考えられる。出土遺物は比較的豊富であり、平安時代の 土器、木製品等多数が出土した。また部分的にではあるが、東西方向に合致する水田畦畔を検 出している。
7層では溝11条(溝i29)を検出している。これは前述の溝i27・28に重複する。古代の溝1の時 期は10〜11世紀と考えられる。
6層では中世後半と考えられる溝3条を検出した。うち1条(溝31)は溝129に重複している。
また溝33は近世以降に継続して利用される。
d 近世・近代
3層上面では溝i、土坑5基を検出した。溝は前述の溝33とほぼ同位置を走行する東西方向の もので、この溝に付設するように5基の土坑がつくられている。これらの遺構は近世のものと 考えられる。
2層上面では畝・溝・土坑・トロッコ軌道を検出した。調査区中央付近を東西方向の溝が走 行し、溝以北では南北方向の畝、溝以南では東西方向の畝が形成されている。これらの遺構は 近代のものと考えられる。トロッコ軌道は畝面を切って造られており、陸軍屯営地に関連する
ものと考えられる。
表1 遺構一覧表〈土坑〉
規 模(cm) 底面標高
@(m) 断面形
番号 時 期 平面形態 長 さ 幅 深 さ
1 縄文・後期 長楕円形 150 105 25 1.50 丸底
2 縄文・後期 隅丸方形 210 190 27 1.45 丸底
3 縄文・後期 長楕円形 210 125 20 1.60 丸底
4 縄文・後期 円形 120 120 25 1.55 丸底
5 縄文・後期 楕円形 50 40 20 1.65 丸底
6 縄文・後期 楕円形 60 45 20 1.65 丸底
7 縄文・後期 不整円形 210 170 30 1.65 丸底
8 縄文・後期 隅丸方形 260 230 30 1.55 丸底
9 縄文・後期 楕円形 45 30 40 1.70 丸底
10 縄文・後期 円形 70 70 30 1.55 丸底
11 縄文・後期 不整円形 90 80 10 1.85 丸底
12 縄文・後期 隅丸方形 50 50 20 1.73 丸底
13 縄文・後期 円形 45 45 35 1.78 丸底
一174一
番号 時 期 平面形態 規 模(cm) 底面標高@(m) 断面形
長 さ 幅 深 さ
14 縄文・後期 不整円形 35 35 30 1.60 丸底
15 縄文・後期 円形 40 40 15 1.80 丸底
16 縄文・後期 平面楕円形 50 35 35 1.60 丸底
17 縄文・後期 円形 60 60 30 1.65 丸底
18 縄文・後期 楕円形 50 35 50 1.55 丸底
19 縄文・後期 不整円形 100 100 20 1.85 丸底
20 縄文・後期 円形 40 40 50 1.40 丸底
21 古墳・中期 円形 95 92 90 095 逆台形
22 古墳・後期 瓢箪形 180 110 27 1.9−2.05 丸底
23 近世 隅丸長方形 150 220 100 1.85 逆台形
24 近世 円形 170 170 50 220 逆台形
25 近世 不整円形 160 160 45 2.20 逆台形
26 近世 不整円形 175 175 30 2.40 逆台形
27 近世 不整円形 80 70 80 2.05 逆台形
28 近世〜近代 円形 150 150 70 2.05 逆台形
表2 遺構一覧表〈溝〉
番号 時 期 方 向 規 模(cm) 断面形
長 さ 幅 深 さ
底面標高
@(m)
1 弥生・前期以降 南北 760 100 25 2.18−2.20 二段丸底
2 弥生・中期〜古墳・初頭 東西 3,140 720−1,120 1,660 0.44−0.7 丸底
3 弥生・後期〜古墳・初頭 東西 960 30 23 1.9−20 丸底
4 弥生・後期〜古墳・初頭 東西 1,500 40 26 1.95 丸底
5 弥生・後期〜古墳・初頭 北東〜南西 2540 40 12 2.10 丸底
6 弥生・後期〜古墳・初頭 東西 2,950 105 35 1.90 丸底
7 弥生・後期〜古墳・初頭 東西 2480 110 32 ユ.85 丸底
8 弥生・後期〜古墳・初頭 東西 1,700 25−100 25 1.95−215 丸底
9 古墳・初頭 東西 2β00 135 18 200 丸底
10 古墳・初頭 東西 2740 50 16 2.10 丸底
11 弥生・後期〜古墳・初頭 東西 1,180 30 20 2.15−2.25 丸底
12 古墳・後期 北東〜南西 400 40 12 210 丸底
13 古墳・後期 北東〜南西 350 15 3 2.20 丸底
14 古墳・後期 北東〜南西 400 20 6 2.20 丸底
15 古墳・後期 南北 2400 70 15 220 丸底
16 古墳・後期 東西 2,600 35 5 2.40 丸底
17 古墳・中期〜後期 東西 1,900 35 15−25 2.17−2.25 丸底
18 古墳・後半 東西 2700 130 20−30 200−2.05 丸底
19 古墳・後半 東西 1,300 125 8 2.25 丸底
20 古墳・後半 東西 3,060 220 44 1.90 丸底
21 古墳・後半 東西 2,750 100 25 2.0−2.05 丸底
22 古墳・後期 東西 2260 120 10 2.25 逆台形
23 古墳・初頭 東西 3,080 220 50 1.8−2.20 逆台形
24 古墳・後期 南東〜北西 1ρ50 100 15 236 逆台形
25 古墳・後期 南東〜北西 2400 60 12 2.40 逆台形
26 古墳・後期 南東〜北西 1400 60 10 2.40 逆台形
27 平安・後半 東西 3,000 420−850 100 1.3−1.9 丸底 28 平安・後半 東西 3,000 920−1250 50−70 1.7−2.0 丸底 29 平安・後半〜中世 東西 3ρ00 600−1200 30−55 1.85−2.1 丸底 30 平安・後半 南東〜北西 1,950 120 40 2.15−2.20 丸底
31 中世後半 東西 3,000 600−1200 35 2.30 丸底
32 中世後半 東西 2200 190 25 2.30 逆台形
33 中世後半 東西 (3000) (130−150) (40) (240) 逆台形
34 近世 東西 3,000 130−150 40 2.40 丸底
35 近代 東西 3,000 100 30 2.50 逆台形
津島岡大遺跡第12次調査
第2節調査の記録
1。調査区の位置と区割り
(1)調査区の位置
本調査地点は津島北地区の西半部に位置する。既設の附属図書館の北側にあたり、調査以前 は駐車場として利用されていた。本調査地点周辺では約20m西に第1次調査地点、120m北東 に第11次調査地点、80m南東に第13次調査地点が位置する。これらの調査地点では、縄文時代 後期相当のピット等の遺構や弥生時代前期の水田畦畔、弥生時代〜古墳時代の溝群の検出等に
より、津島キャンパス北西部の状況を考える上で有益な成果が得られてきた。
(2)調査区の区割り
本調査区内にはAWライン、14ラインが
通り、地区としてはAV・AW−13・14の
4つのグリッドにまたがる。調査にあたっ ては50mグリッドのみでは調査や報告の便 宜上不都合が生じるため、これをさらに細 分して一辺5m単位の小グリッドを設けて いる。すなわち、構内座標の各区を東西、南北にそれぞれ10等分、計100等分するも のである。細分した小グリッドについては 調査時には任意の名称を付しているが、本 報告においては津島地区で統一した基準に より呼称する。呼称は先述の5m単位の小 グリッド軸線について、構内座標の名称を 冠した上でさらに東西線には北から0〜
9、南北線には東から00〜90の数字を付す。
小グリッドの名称は、各々の東北角で交わ る二方向の細分軸線の名称を組み合わせ て、AWI3−47、 AW13−58……とする。
50m四方の大グリッド北東隅の5m四方の 小グリッドは00区、南西隅の小グリッドは
14−OO ]390 ]3−80 13−70 13−60 ]3−50 ]3−40 AV一
AV一
AV一
AV一
AW一
AW一
AW一
AW一
AW一
AW一
AW一 AW13−46区
AW一
0 ]Om
図唱26 調査区区割り図(縮尺1/600)
7
8
9
O
3
5
6
一176一
99区となる。
2.層序と地形
(1)層 序
現地表は海抜標高4.7〜48m(以下高さは海抜標高)である。1〜7層まではほぼ水平の堆 積であるが、8層以下は調査区の中央やや南寄りを東西に走る溝を境に南北で高低差が徐々に 顕著になるため、各層の上面高を北区・南区と分けて記す。以下層毎に記述する。
〈1層〉造成土である。1907年〜1908年の旧陸軍屯営地建設に伴う堆積土である。
〈2層〉近代層である。青灰色粘土あるいはシルト層で、耕作土層である。上面は約3.Omでほ ぼ平坦である。造成直前の畑に関連する畝・溝・野壼のほか、通路状遺構・トロッコ線路跡な どが検出された。所属時期は近代である。
〈3層〉近世層である。灰オリーブ色砂質土で耕作土である。上面は2.9〜2.95mである。鉄 分・マンガンの沈着が薄い層状に認められる。上面で東西方向の溝、土坑を検出したほか、近 世の遺物が出土している。
〈4層〉近世層。オリーブ黄色砂質土で、耕作土である。上面は2.8〜2.85mでほぼ水平である。
近世の遺物が出土している。
〈5層〉中世層である。オリーブ黄灰色砂質土で、3・4層と同様オリーブ黄灰色砂質土であ るが、中世後半の遺物が出土している。耕作土層と考えられる。上面は2.75mである。
〈6層〉中世層である。粘性を帯びた淡黄灰色系の土で、北側ではab 2層に細分される。6a 層はやや砂質であるのに対し、6b層は粘性が強く、この下層は耕作土と考えられる。上面は 2.7mで、ほぼ水平である。東西方向の溝1を3条と、鋤痕と考えられる耕作痕を検出した。そ のほか、14世紀代の遺物が出土している。
〈7層〉古代層と考えられる。粗砂・細砂を含んだ淡黄灰色砂質土で洪水砂と考えられる。上 面は2.5〜2.6mである。7層の堆積は調査区の南端までは及んでいない。10世紀代の遺物が出 土している。
〈8層〉古代層である。燈黄灰色粘質土で、耕作土である。上面は北区で2.5m、南で2.7mであ る。東西方向の大溝と、一部で水田畦畔を検出し、6世紀〜10世紀代の遺物が出土している。
〈9層〉古墳時代の包含層と考えられる。灰色粘土で耕作土であろう。上面は北区で2.4m、南 区で2.6mである。遺物は希薄であるが、調査区南部を中心に古墳時代の遺物が出土している。
〈10層〉古墳時代層と考えられる灰色砂質土で、洪水砂と判断される。上面は北区で2.2m、南 区で2.5mである。調査区の北側に厚く、南に向かうにつれやや薄くなり、南東隅では堆積が
声 『 Oo
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一 一 . 一へ @ べ. ミミ・∵ 1.造成土6a.淡黄灰色砂質土10.灰色砂質土13b.暗褐色〜暗黒色粘質土 べこ1 2.青灰色粘土・シルト 3.灰オリーブ色砂質土 4.オリーブ黄色砂質土 5.オリーブ黄灰色砂質土
6b.黄灰色粘質土 7.淡黄灰色砂質土 8.燈黄灰色粘質土 9.灰色粘土 lla.灰黄褐色細砂 11b.明灰黄褐色細砂 12.褐灰色粘質土 13a. 日音褐色ホ占質土 図咽27 14.灰黄色砂質土 15.黄褐色粘質土[]溝 西壁断面図(縮尺1/80)
口土坑ほか
⑪30m ≡ ≡
\ . \、、 0 2m 飾 口
認められない。10層上面では溝i12条・土坑1基を検出した。いずれも出土遺物から弥生時代末
〜古墳時代後期に形成されたと考えられる。
〈11層〉弥生時代の包含層である。洪水砂層である。10層と同様調査区北側に厚く堆積し、堆 積の厚い北側では上下に二分できる。南側では11a層が南東隅以外に堆積し、 llb層は部分的 に認められた。上層の11a層は灰黄褐色細砂で、鉄分・マンガンを少し含む。下層の11b層は 明灰黄褐色細砂で、同じく鉄分・マンガンを少し含む。上面は北で2.15m、南で2.4mである。
出土遺物から11a層は弥生時代中期〜後期に、11b層は弥生時代前期〜中期に形成されたと考 えられる。11層上面では東西方向の溝i11条と土坑1基を検出した。11条の溝のうち1条は幅約 10m、深さ1.5m前後の大きなもので、この大溝の北側にその他の溝が併行、あるいは重複し て形成されている。土坑については出土遺物から10層からの掘りこみと判断した。
〈12層〉褐灰色粘質土で耕作土である。上面は北区で2.1m、南区で2.55mである。11層 に厚く覆われた調査区の北部では、水田畦畔を検出した。弥生時代前期と考えられる。
〈13層〉暗褐色粘質土で、いわゆる「黒色土」層である。上面の高さは北区で2.Om、南区で24 mである。層平均の厚さは30〜40cm程度と厚く堆積しており、下方に向かうにつれ粘性が強 まる。粘性において13a・13bに二分した。時期差は認められず漸移的な変化と考えられる。
形成時期は弥生時代早〜前期と考えられる。上面で水田畦畔を検出し、弥生時代前期と思われ
る。
〈14層〉縄文時代後期〜弥生時代早期の包含層である。灰黄色砂質土である。上面の高さは北 区で1.65m、南区で2.1〜2.2mである。
遜
.一・一D褒カイ
写真57 調査区北壁土層断面(南より)
津島岡大遺跡第12次調査
〈15層〉黄褐色粘質土で縄文時代後期の基盤i層である。上面の高さは北区で1.6m、南区で2.05
〜2.2mである。土坑・ピット・焼土集中域を検出した。出土遺物は少ないが、遺構の時期は 縄文時代後期と考えられる。
(2)地形復元
本地点は微高地頂部と低湿地部の中間に位置する。南側に想定される河道北側の自然堤防上 から一段下がった位置にあたり、いわゆる「黒色土」の発達する比較的安定した地点である。
縄文時代〜弥生時代前期、すなわち15層〜12層の形成時期には、調査区の南北でかなりの高 低差が存在する。高低差は最大で60cm、平均すると50cm程度である。この差が若干解消され るのが、弥生時代前期の水田の形成以降、低地部分へ洪水砂が堆積していく段階であり、9層 の形成時期である古墳時代後期になると、15〜20cm程度の高低差となる。その後も各時期に 耕作に伴う造成が行われたと考えられる。中でも6層段階(中世後半)の造成は顕著であり、
これによって地形はほぼ平坦なものへと変化し、近代へと至る。
3。縄文時代の遺構・遺物
縄文時代の検出遺構には、15層上面で検出した土坑・焼土集中域・ピットがある。調査区の 中央は、弥生時代以降の東西方向の大溝により基盤層以下にまで掘削されている。この撹乱部 分の南北で若干地形が異なり、撹乱以北は標高1.6〜1.85mと、やや起伏のある地形をなしてい る。撹乱以南では北部に比較して標高が高く、2.05〜2.10mとほぼ平坦な地形となっている。
以下、遺構毎に概要を記す。 \
a。土坑・ピット
土坑20基、ピット8基を検出した。ピットは15層上面で検出した。調査区の南部に8基が 位置している。径0.2〜0.5m、深さ0.2m程度のもので、出土遺物は見られなかった。特筆すべ
き配列にはなっておらず、性格については判断の材料がない。
土坑1(図129−1、写真58)
土坑1は調査区の北端に位置する。東西に長い長楕円形を呈している。現存で遺構上面の平 面形の長軸1。5m、短軸は1.05m、深さ25cmである。遺物は出土しなかったが、検出層位等か
ら後期に位置づけられよう。
一180一
14−OO 13−90 13−80 ]3−70 13−60 ]3−50
0土坑4
◎
櫓◎◎
砲\
土坑21
◎
/N
ぎ
(2
一AV一フ
一AV−8
AV−9
o
AW−O
一AW−1
AW−2
、
AW−3
土坑9 0 坑10
0
土坑7
2.10
土坑12 ⑨〜20 ◎
一AW−4
一AW−5
一AW−6
AW−7
数字は標高(m)、 トーンは焼土・炭の分布を示す 図128 縄文時代遺
0 了Om
構全体図(縮尺1/300)
津島岡大遺跡第12次調査
写真58 土坑1 全景(南より)
可能性がある。
土坑3 (図129、写真60)
土坑3は調査区の北西部に 位置する。平面形は東西に長 い長楕円形を呈する。東西 2.1m、南北1.25m、深さ約
20cmである。埋土は3層に
分けられ、そのうち1層は暗 茶灰色粘質土で炭化物・細砂 を多く含む。出土遺物はみら れなかったが、層位等から後 期に位置づけられよう。土坑4 (図129、写真61)土
坑4は土坑3の南に位置す
る。平面形は円形を呈し、径 約1.2m、深さ25cmである。
埋土は6層に分けられ、いず れの層においても炭化物を多 く含む。特に1・4層には炭 化物の他に焼土塊も認めら
馨
写真59
三☆ず㌫∴
膓 , ,パ ゴ
土坑2 全景(東より)
写真60 土坑3 土層断面(南より)
182
れ、1層上面では10〜20cm 大の炭化した木片、3〜5
cm大の焼土塊が散在して認面には被熱により赤化した面 があり、繰り返しこの地点で 火を使用したことが窺える。
炭化物・焼土以外の出土遺物 はないが、後期に帰属するも
のと位置づけられよう。 写真61 土坑4 全景(東より)
土坑5(図129)調査区の北部、AV13−77区に位置する。平面形は楕円形を呈し、長軸0.5m、
短軸0.4m、深さ20cmである。出土遺物はないが、埋土中に2〜3cm大の焼土塊が認められる。
土坑6(図129)調査区の北部、AV13−78区に位置する。土坑5の南東に隣接している。平 面形は楕円形を呈し、長軸0.6cm、短軸045cm、深さ20cmである。土坑5と同様、出土遺物は
なく、埋土中に小さな焼土塊を含む。
土坑5・6は接しており、さらに土坑6の南では焼土集中域2を検出している。土坑5・6 のいずれにも遺構自体に被熱痕跡は認められないが、周辺での火の使用は窺える。また土坑5
の西に1基、土坑6の南東に1基、計2基のピットが検出された。径20〜30cm、深さ10〜
20cmの比較的小規模なもので遺物の出土はなく、性格は不明である。遺構の時期は後期に帰 属するものと考えられる。
土坑7(図130)調査区の南東部、AW13−65区に位置する。平面形は不整円形、東西1.7m、
南北2.1m、深さ約30cmである。後述の土坑8・11を切って掘り込まれている。埋土は2層に 分けられるが、いずれにも炭化物・細かな焼土粒を含む。土坑7自体に被熱痕跡は認められな い。出土遺物はないが、後期に位置付けられよう。
土坑8(図130)調査区の南東部、AW13−65区に位置し、土坑7によって南端部は削平され ている。平面形は隅丸方形を呈し、東西2.6m、南北2.3m、深さ約30cmである。埋土は6層に
分け肱いずれの層にも炭化物゜焼土粒を多く含蝋土坑8自体に被熱蜘
^忍められな津島岡大遺跡第12次調査
〜
⊥
⊥
a
aI
20m
土坑1
⊥
C
cl 2.Om
土坑3
⊥
\ \ \
⊥
⊥
2.Om±坑2
ぺ
土坑4
⊥
/q}
⊥
d1
㎞
Z3
上
f◎
土坑5・6
土坑1 aalf面 1.暗黒褐色粘質土 2.暗灰色粘質土 3.灰白色粘質土 土坑2 bb[断面 1.暗黒褐色粘質土 2.暗灰色粘土 土坑3
cclf面
1.暗茶灰色砂混じり粘質土 2.暗黄灰色粘質土 3.黄褐色粘質土
隠
ぺ
二L2.Om
0 1m
土坑4 dd1断面・ee|断面 1.暗黄灰色粘質土 2.明黄灰色粘質土 3.暗灰黄褐色粘質土 4. 黄褐色*占質土 5.明黄褐灰色粘質土 6.灰黄褐色粘質土 土坑5・6 ff断面
ユ.暗茶褐色粘質土 2.明黄灰色粘質土 3.暗黄褐色粘質土 4.明黄褐色粘質土 ggl断面 1.暗茶褐色粘質土 2.暗黄褐色粘質土
図129 土坑1〜6(縮尺1/40)
ノ
一184一
い。遺物の出土はなかった。
⊥
a
a
20m
aalf面
1。暗灰色粘質土 2。黄灰色粘質土
〃
3。黒灰色粘質土 4。暗灰色粘質土 5.暗黄灰色粘質土 6。灰黄色粘質土 7.暗灰色粘質土 8.黄灰色粘質土 9.黒色粘土
⊥
/
ユ
3 2
26mdd断面
二7 1.茶褐色粘質土
/
2。黄褐色粘質土 / 3.茶灰色粘質土
/_
⊥(◎⊥
⊥
⊥
ユ
土坑10
bl 2.Om
Cl c 20m
土坑9・10
bb!断面 1. 日音色米占質土
2.暗黄灰色粘質土 3.暗灰褐色粘土 4.黄灰色粘土
cclf面 1。淡黒灰色土 2。灰色粘質土 3.灰黒色粘質土 4。淡黄褐色粘質土 5.淡黄褐色粘土
土坑11 0 1m
(
図130 土坑7〜11(縮尺1/40)
津島岡大遺跡第12次調査
土坑9・10(図130)AW13−65区に位置する。前述の土坑7・8の東側に隣接する。土坑9 は東西0.45m、南北0.3m、深さ40cmの楕円形、土坑10は径約0.7m、深さ約30cmの円形を呈す る。いずれの土坑も埋土中に炭化物を含む。遺物の出土はなかった。
土坑11(図130)AW13−65区に位置する。土坑7によって北端部を削平されている。平面形 は不整楕円形を呈し、現存で長軸0.9m、短軸0.8m、深さ10cmである。遺物の出土はみられな かった。
土坑12〜20(図131)調査区の南東端部、AW13−46〜47区に9基の小型の土坑が集中して構 築されている。
土坑12は径0.5mの隅丸方形を呈し、深さ約20cmである。埋土は2層に分けられ、2層上面 で5〜10cm大の焼土塊を多量に検出した。遺物は出土していない。
土坑13は径045mの円形を呈し、深さ約35cmである。埋土中に炭化物・焼土を含む。
土坑14は径径0.35cmの不整円形を呈し、深さ約30cmである。検出面で3〜5cm大の焼土塊 を数点検出した。遺物は出土していない。
土坑15は径約40cmの円形を呈し、深さ約15cmである。土坑13・14を切ってつくられている。
埋土は2層に分けられ、2層上面で2〜5cm大の焼土塊を検出した。
土坑16〜20は切り合って次々に構築されており、土坑19→18→17→20→16の順に掘り込まれ ている。いずれも埋土は近似しており、この地点で短期間に使用と廃絶を繰り返していたこと が窺える。土坑16は平面楕円形を呈しており、長軸0.5m、短軸0.35m、深さ35cmである。埋 土は5層に分けられ、いずれも少量の炭化物を含む。土器が出土しているが、器種の判定は困 難な小片である。後期に相当するものであろう。土坑17は径0.6mの円形を呈し、深さ30cmで ある。埋土は3層に分けられ、いず
れもごくわずかではあるが、炭化物 を含む。遺物の出土はない。土坑18 は楕円形を呈し、長軸0.5m、短軸 0.35m、深さ50cmである。埋土は 3〜6層に分けられ、いずれも少量 の炭化物を含み、このうち4層には 3cm大の焼土塊が含まれていた。
遺物の出土はない。土坑19は不整円 形を呈し、土坑17・18によって南西
繊1
写真62 土坑16〜20 全景(東より)
/
一186一
側を削平されているが、現存で径1.Om、最深部の深さ20cmである。埋土中から5cm大の焼土 塊を検出した。遺物は出土していない。土坑20は径0.4mの円形を呈し、深さ50cmである。北 側の一部を土坑17によって削平されている。埋土は6層に分けられ、2・4・5層には炭化 物・焼土粒を多く含む。遺物は出土していない。
・づざ /
土坑14
a ト28m
土坑12〜15
e
/
26m
土坑17
土坑12
C c 20m
d
06↑
土坑20
−/士坑]6
2.Omd
]m
aal f面
【土坑13】
1.暗黄灰色粘質土
【土坑15】
2.暗灰褐色粘質土 3.暗黄灰色粘土
【土坑14】
4.暗灰褐色粘質土 bbl断面【土坑14】
1.暗灰褐色粘質土 2.暗黒褐色粘土
cclf面【土坑12】
1.暗灰褐色粘土 2.暗黒褐色粘土
土坑16〜20
ddl断面
【土坑17】
1.暗茶灰色粘土質 2.茶灰色粘土 3.茶灰色粘質土
【土坑18】
4.茶灰色粘質土
5.茶灰色粘質土(炭を多く含む)
6.暗茶灰色粘質土 7。明茶灰色粘質土 8.暗茶灰色粘質土 9。暗褐色粘土
【土坑19】
10.暗黄灰色土
eel f面【土坑20】
1.暗灰色粘質土 2.灰色粘質土 3。暗黄灰色粘質土 4。黄灰色粘質土 5.暗灰褐色粘質土 6。暗灰色粘土
ffl断面【土坑16】
1.暗茶灰色粘質土 2.茶灰色粘質土 3.暗茶灰色粘質土 4.明茶灰色粘質土 5.茶灰色粘土
【土坑18】
\−
6.茶灰色粘質土(炭・焼土多い)
7.茶灰色粘質土 8.暗茶灰色粘質土
図131 土坑12〜20(縮尺1/40)
津島岡大遺跡第12次調査
以上の土坑はいずれも被熱痕跡や火床面を持たない遺構1であり、遺物もほとんど出土してい ない。しかし埋土中に炭化物・焼土塊を多く含んでおり、周辺での火の使用を窺わせる。炉を 廃棄したあとに残津を放り込んだような状況と想定されるが、確定する材料は乏しい。遺構の 時期については後期と位置づけられよう。
b.焼土集中域
縄文時代に属する遺構のうち、被熱痕跡があるか、もしくは焼土塊・炭化物が特に集中して いるものを焼土集中域として以下に記述する。掘り込みを伴うものと伴わないものがあり、
各々の概要は次の通りである。
焼土集中域1(図132、写真63)
調査区の北部AV13−77区に位置する。径20〜30cmの円形を呈する浅い掘り込みが3箇所 あり、その周辺に炭化物が集中分布している。最も西側では深さ10cm程度の掘り込みの内部 で3〜10cm大の焼土塊多数が検出された。最も東側の地点では東西0.75m、南北0.5mの範囲 でやや大きな焼土塊が集中的に分布する。掘り込み内部の焼土塊が大きいものでも10cm大で あり、本来大型のものを壊して廃棄したような状況を呈するのに対して、東地点のものは東西 50cm、南北10〜25cm大の大きさである。しかし、火床面は明確でなく、炉跡と判断するのは 困難である。周辺も含めて、遺物としては後期に相当する土・器の小片が少数出土した。
bb1断面 1.黄榿色粘質土
0 1m
〜
1亘◎
a 26m
※トーンは焼土・炭化物の分布を示す
1.黄榿色粘質土
図132 焼土集中域1(縮尺1/40)
一188一
焼土集中域2(図133、写真63)
調査区の北部AV13−78区に位 置する。検出時、東西2.4m、南 北1.6mの範囲に炭化物・焼土塊 が集中して分布しており、さらに 精査したところ、特に炭化物の集 中する部分を3箇所検出し、うち 2箇所には浅いピット状の掘り込 みが認められた。底面は平坦では なく、凹凸が認められる。
このピット状の掘り込みを取り 巻くような状態で焼土塊が分布し ている。焼土塊はある程度まとま っており、かなり長時間の燃焼を 推測させるが、床面自体の被熱痕 跡はそれほど顕著でなく、この焼 土塊が竈状施設の残骸とは考えが
たい。
aa!f面 黄褐色粘質土
bb1断面 cc1断面
1.暗赤榿色粘質土 1.灰褐色粘質土 2.暗赤褐色粘質土 2.暗灰〜灰褐色粘質土 3.灰褐色粘質土
図133 焼土集中域2
0 1m
※トーンは焼土・炭化物 の分布を示す
(縮尺1/40)
焼土集中域3(図134、写真63)
調査区の北部AV13−68〜69区に位置する。東西1.3m、南北2.5mの範囲に囲に炭化物が彩
籔
◎ ・
※トーンは焼土・炭の分布を示す
0 1m
一
図134 焼土集中域3(縮尺1/40)
津島岡大遺跡第12次調査
しく分布しており、さらに精査したところ浅 いピット状の掘り込み3箇所を検出した。こ のうち2箇所ではピットを取り巻くように5
〜15cm大の焼土塊がある。前述の焼土集中 域2と同様火床面は明確でない。
焼土集中域4(図127)
調査区の中央部に位置する。南北1.8m、
東西1.Omの範囲に焼土・炭化物が集中して 認められた。前述の焼土集中域1のようにピ ット状の掘り込みは見られず、焼土面や焼土 塊も認められなかった。
㌶㌻にi◎ご∵㌧1三∴〔…
》理土鰍4漬三
三 ./ 〆. ∴.・
宙㌧∴1∵・ :\瀞議瓢:・〔〉,.
}竺 ?ョ・慨鳥
轡懇㍗\、
鐸、;鑓
,∵鯨:
肱焼土塊・炭化物が特に集中する箇所譲 欝
を「焼土集中域」として記載した。いずれも
写真63 焼土集中域全景(北より)
多くの焼土・炭化物の存在から、周囲での燃 焼作業が推測される。縄文時代後期の炉とし
ては、第7次調査地点で掘り込みをもつ炉が検出されている。この例と比較しても、本地点の 焼土集中遺構iには、火床面が明確なものはなく、性格は不明である。同時に検出したピットに ついても焼土が廃棄されているものの、確実に炉と関連するかどうかの判断はつかめなかった。
今後の類例の増加をまちたい。
4.弥生時代〜古墳時代の遺構・遺物
弥生時代前期の遺構を13層・12層上面で、弥生時代中期〜古墳時代初頭の遺構を11層上面で、
古墳時代の遺構を10層上面でそれぞれ検出した。
まず、弥生時代早期までに調査区一帯に堆積した13層(黒色土)上面で、調査区のほぼ全面に 水田が形成される。これが弥生時代前期の水田畔畔状遺構である。さらにその上位を覆う12層 上面においても規模・方向等ほぼ同規格の畔畔状遺構が形成されている。
その後、弥生時代中期以降に、調査区のほぼ中央部分に東西方向の溝1が形成される。溝の南 北では弥生時代以降、継続して耕地として利用されたことが窺える。
一190一
(1)弥生時代前期の遺構・遺物
①13層検出遺構
a.畦畔状遺構(図135、写真64)
13層は縄文時代晩期から弥生時代前期にかけて形成されたと考えられる「黒色土」に対応す る土層であり、本層上面で水田畦畔状遺構を検出した。
検出できた水田面は推定部分も含めて120面である。畦畔は幅15〜30cm、高さ3〜5cmで、
一つの区画の大きさは、1.8〜6.2m×1.05〜2.98m、面積は平均6.39㎡(最大16.988㎡、最小 2.142㎡)である。全体的な地形が北に向かって傾斜しており、中央部分が削平されているた め、大きく北区と南区に分けて記述を進めることとする。
北区では水田面の標高は1.94〜2.10mであり、やはり地形の傾斜に合わせて北から南に向か って漸移的に高くなっていく。東西方向の畦が長く、基本的な区割りとしては、地形に合わせ て東西に区切り、南北方向に細分されていることが窺える。
南区では水田面の標高2.20〜2.35mで、南東の一角が2.40〜245mと一段高くなっている。お そらく本調査区の南東方向に微高地が形成されており、自然地形に合わせて耕地を区画してい った結果、このような状況が生まれたのであろう。
遺物としては弥生時代前期の土・器細片が僅かに出土しており、水田の利用時期としては弥生 時代前期に比定される。
②12層検出遺構 a.畦畔状遺構(図136、
写真65)
本層は弥生時代前期に 堆積したと考えられる耕 作土層であり、上面で水 田畦畔を検出した。水田 畦畔は洪水砂である11層 に覆われていたため、特
な状態で検出できた。畦 畔の状況は13層上面のも
のと基本的な区割りが同 写真64 13層検出遺構全景(北より)
津島岡大遺跡第12次調査
14−OO 13−90 13−80 13・・70 ]3−60 13−50
A込と7
A迎
AV−9
A些O
A止1
AW・・2
Al止3
A止4
A雌5
A些6
A迎と7
0 10m
一
図135 13層検出遺構全体図(縮尺1/300)
−192一
様であり、位置をずらし ながらも近接した時期に 繰り返し利用されていた
ことが窺える。
検出できた水田面は推 定部分も含めて97面であ
る。
45cm、高さ2〜4cmで
ある。一区画の大きさは 長辺1.61〜4.3m×短辺 1.01〜3.2m、
5.95㎡(最大17.1㎡、最
藥_一、 灘
藷鐵ρ
写真65 12層検出遺構全景(北より)
小2.138㎡)である。13層上面と同様、全体として地形は北に向かって傾斜している。また中 央部は削平されているため、北区・南区に分けて詳細を記す。
北区では水田面の標高は2.001〜2.164mで、北から南に向かって漸移的に高くなっていく。
東西方向の畦が若干長く、基本的な区割りは13層上面水田を踏襲しているかのようである。南 区では水田面の標高2.008〜2.35mで、やはり北から南、特に南東方向に向かって次第に高くな っていく。南区の東半では畦畔は見つかっておらず、この一帯では10・11層の堆積が認められ ないことから、本来の地形として微高地に近い部分にあたるため、後世に耕作などによって削 平されたと考えられる。
出土遺物は土器細片がごくわずかにあるのみである。13層上面の畦畔状遺構と基本的には同 様の規格で経営されたと考えられる本遺構も、時期としては弥生時代前期と考えられる。
b.溝
溝1(図136・137)
調査区の南東部、AW13−54〜56区に位置する。南北方向に走行する溝iで、検出レベルは標 高2.38〜2.40m、底面のレベル2.18〜2.20mである。残存部分の長さ7.6m、最大幅1.Om、深さ 約0.2mを検出した。底部の掘り形は2段堀り状の丸底である。埋土は3層に分けることがで
き、1層は暗褐色粘質土、2層は茶褐色砂質土、3層は暗灰色粘質土であり、2層の堆積時に 流量が大きかったことが推定される。
本溝の周辺は南区のなかでも地形の高い部分であり、12層の直上には9層が堆積しているこ とから、9層堆積以前に削平を受けていることが推測される。そのため、本溝の本来の形状・
津島岡大遺跡第12次調査
ヨ や コひ ぽ べひフ コぼ ぼべ
l l
胆
AV−8
A哩
A±9
A過1
AW−2
A旦3
A幽
Ay堕
AW−6
A旦7
l l
O ]Om
一
図136 吃層検出遺構i全体図(縮尺1/300)
一194一
機能については不明である。遺物としては土器の小片が数
オ a a _ −250m点出土しているが、器形の判断は困難である。形成時期に ついては、検出面は12層であるが、上面の削平と走行方向 % を考慮して、弥生時代前期以降、古墳時代後期の可能性が
0 1m
一
考えられる。1.暗褐色粘質土 2.茶褐色砂質土 3.暗灰色粘質土
(2)弥生時代中期〜古墳時代の遺構・遺物 図137溝1(縮尺1/30)
①弥生時代中期〜古墳時代初頭
11層上面で、溝i10条、ピット8基を検出した(図138、写真66)。
a.溝
溝1はいずれも東西方向に走行するもので、幅8〜11m程の大型の溝11条(溝i 2)と、幅1m 前後の溝10条(溝i3〜11)を検出した。
溝2(図138〜165、写真67 図版1〜3、5・7〜10)
調査区のほぼ中央部、AW−1ライン〜AW−4ラインの間に位置する。ほぼ東西方向に走 行する溝で、西に向かうにつれて若干南に振れる。検出レベルは標高2.1m前後であるが、多 数の溝が重複する位置にあたり、削平を受けている可能性が高い。溝iの幅は7.2〜ll.2mを測る。
埋土の状況から溝i2は大きく上層・下層の2つに分けることができ、それぞれ部分的に複数 の底が認められ、度重なる流路の変化が窺える。上層溝は東側では若干北に、西側では若干南 に振れて走行する。底部の形状は緩やかな丸底を呈し、底には木質分を大量に包含する暗灰色
〜暗褐灰色系の粘質土が20〜40cmの厚さで堆積している。この土層中には細砂・木質・炭化
一‡
兎隻⑭う
讐
写真66 11層検出遺構全景(南より)
津島岡大遺跡第12次調査
14−00
1 ]3−90 1 13−80
1 13−70
1 13−60
1 13−50 1
AV・・7
坐一8
AV−9
坐一〇
AW−]
坐一2
巡一3
巡一4
坐一5
坐 6
AW−7
0 10m
一
図138 11層検出遺構全体図(縮尺1/300)
一196一
物の他、流木も多く含まれている。流木に絡まる形 で土器・木製品等の遺物も多く出土した。上層溝底 面の標高は12m前後である。
下層溝は、ほぼ東西方向に走行しており、底部の 形状は緩やかな丸底を呈している。埋土は溝内の東 寄りでは最下層に細〜粗砂層が堆積しているが、全 体としては黒褐色系の粘土・粘質土を主体としてい
る・下麟の底面のレベルは願α6〜α7mで・最籔
ま§ .顯一 灘繕賠霧
深部で標高0.44mを測る。
出土遺物の内容からぽ2の掘削時期は弥生時代中 黙 期とみ肱そのうち下麟は弥生時代後期棚ま 1懸熟
写真67 溝2全景(東より)
でに埋没し、上層溝は古墳時代前期までに埋没した ものと考えられる。以下に遺物の概要を記す。
土・器(図141〜155、写真69〜71、図版1〜3):出土した土・器は、弥生時代早期〜古墳時代
14−00 13−90 13−80 13−70 13−60 13−50
11ζ
1
q
C〕。.5
L
0 10m
AW−1
上層
AW−2
下層
AW−3
数字は標高(m)
図139 溝2〜4(縮尺1/300)
l
G
1a 上層 1〜13 下層 14〜24
回回匝1a ]5m
AW−2
[上麟日下麟
殊a1断面 / dd断面 口細一粗礪翻橿包含糖土層 回〜画は基本土層を示す 溝3 AW−2 2・Om ① ・〉∠ L5m
]5m 10m
画
上層 1〜14 下層 15〜28 d 溝3 1[亘ム ロ 1
修一]5m
1L鉋 図140 溝2・3(縮尺1/80)疎 函 飾 口
図139 注 記
溝2 断面aa 上層
1.浅黄褐色砂質土 2。暗黄灰色粘質土 3.暗茶褐色粗砂質土 4.暗茶褐色砂礫層 5.暗褐灰色細砂混じり粘質土 6.浅黄褐色〜黄褐色砂質土 7.暗褐灰色粘土混じり細砂質土 8.暗褐灰色細砂混じり粘質土 9.同
10.同
11.暗茶灰褐色粗砂質土 12。暗青灰色粘質土・暗茶灰色粗砂 質土
13.暗青灰色細砂混じり粘質土
下層
14.暗黄褐色砂質土 15.黄灰色細砂質土 16.暗灰色細砂混じり粘質土 ユ7.明黄褐色細砂 18.暗灰色細砂混じりシルト 19.暗褐灰色細砂混じりシルト 20、浅黄灰色細砂・褐灰色シルト 21.暗褐灰色砂質土 22.暗灰白色、暗褐灰色粗砂 23.暗褐灰色シルト 24.暗灰白色粗砂
断面bb 上層
1.褐色粘質土 2. i炎褐色〕枯質土 3.淡灰色砂質土 4.淡褐色粘質土 5.淡灰褐色粘質土 6.淡褐色砂質土 7.淡灰褐色砂質土 8.褐灰色粘質土 9.暗褐灰色粘質土 10.淡灰色粘質土 11.淡白灰色砂質土 12.暗白灰色粘質土 13.暗白灰色粘質土 14.褐灰色粘質土 15.淡灰褐色粘質土 16.淡灰褐色砂混じり粘質土 17.淡黄灰色砂質土 18.褐灰色粘質土 19.暗黄灰色粘質土 20.淡灰褐色粘質土 21.暗灰色粘質土 22.流木片 23.暗黄灰色粘質土 24.暗黄灰色粘質土
下層
25.暗灰色砂質土 26.黒灰色粘質土 27.淡黒灰色粘質土 28.黄灰色粘質土 29,淡黄灰色粘質土 30.淡黄灰色砂質土 31.淡褐灰色砂質土 32.淡灰色砂混じり砂質土 33.淡黄褐色砂質土 34.淡緑灰色粘質土 35.淡黒灰色粘質土 36.暗黄灰色粘質土 37.白灰色砂
断面cc 上層
1. 褐色*占質土 2.灰白色砂 3.淡褐色粘質土 4.暗灰褐色粘質土 5.灰褐色粘質土 6.暗灰色粘質土 7。淡灰褐色砂質土 8.褐灰色粘質土 9.淡褐灰色砂質土 ユ0.暗灰色砂質土 U.暗灰色粘土 ユ2.暗褐灰色砂質土 13.暗褐色砂質土 14.灰色粘質土
下層
15.暗灰褐色粘質土 16.暗灰色粘質土 17.白灰色砂
18.暗灰褐色砂混じり粘質土 19.暗灰黄色粘質土 20、灰黄色粘土 21.暗白灰色粘土 22.淡黄灰色粘土 23.淡灰色砂質土 24.暗灰色砂質土 25.暗灰色砂混じり粘質土 26.灰色粘土
27.黄灰色粘質土 28。暗黄灰色粘土
溝3①灰黄褐色砂質土
断面dd 上層
1、暗灰褐色砂質土 2.淡灰色砂質土 3.灰褐色砂質土 4.淡灰色砂質土 5.白灰色砂質土 6.淡灰色砂質土(微砂)
7.淡灰色砂質土(木質分多含)
8.淡褐色粘質土 9.灰色粘質土
10.灰色粘質土(木質分多含)
11.淡灰色粘質土
12.暗灰色粘質土(木質分多含)
13.淡灰色粘質土 14.淡黄灰色粘質土 15.淡白灰色粘質土 16.淡灰色粘質土 17.淡白灰色粘質土 18.淡灰白色粘質土
19.暗黄灰色砂質土(炭化物多含)
20.暗黄灰色砂質土
下層
21.淡褐色砂質土 22。淡灰褐色砂質土 23.灰褐色粘質土 24.灰褐色砂質土 25.暗白灰色砂質土 26.暗灰色砂質土 27.灰白色砂質土 28.暗黄灰色粘質土 29.暗灰色砂質土 30.暗灰色粘質土 31.暗灰白色粘質土 32.灰白色砂質土 33.淡灰黄色粘質土 34.灰黄色粘質土 35.淡灰色粘質土 36,暗黒灰色粘質土 37.暗黒灰色粘質土 38.暗灰色粘質土 39.暗灰色粘土
溝3
①灰黄褐色砂質土 ②暗茶灰色細砂
前半までの各時期のものがみられたが、時期ごとに量の多寡がある。土器のみの出土量はコン テナ7箱(1箱約28㍑)であり、このうち上層:溝出土が5箱を占める。図化したものの9割は 上層溝出土であり、木器・流木を多く含む上層溝の底での出土が最も多い。
図141・142には弥生時代早期〜前期の土器を掲載した。全体として中小破片が多い。溝12出 土遺物中に占める割合は低く、溝2の形成時に周囲の当該時期包含層を削平したことによるも のであろう。弥生時代早期には浅鉢・鉢、弥生時代前期の器種には甕・壷が含まれる。遺物全